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はてなキーワード: 自習室とは

2020-12-11

テレワークはクソ。オフィス福利厚生

テレワーク最高!出社して働くのはもう古い!ってはしゃいでる奴らが理解できない。

テレワークはクソ。オフィスとは集中度がダンチ。

テレワークはクソ。コミュニケーション始めるのがめんどくさくて仕方ない。

テレワークはクソ。そのうちベネッセ2号みたいな企業が出る。

テレワークではしゃいでいるのは学生時代なにも言われなくても自習室ガリガリやってたやつとなんも考えず「楽にサボれるわ」とか考えてるやつだけ。

仕事場監獄監獄には看守が必要。ビバオフィス!マジオフィスで働きたい!

社会の流れとか言ってオフィス減らされて将来困るのは自分達なのになにも抗議せずオフィス面積減らされてる弊社の労組はなんなの?なんのための組合費だゲバ棒持って戦え。

2020-12-10

anond:20201208155032

私立もいろいろだよねって思う。

小学校から私立で、そこは当時高校を持っていなかったので高校から私立公立国立を選ばないといけなかった。

県でも上位と言われた私立に進学した奴はそこそこいたが、いじめがめちゃくちゃひどいと有名だった。

ワイは公立に行ったけれど、元増田の言うような連中も通学しているんだろうなーと思う謎生徒指導が学年集会のたびにある以外はのびのびとやっていた。

国立定期テストが終わったその日に自習室に行くとみんな勉強していてそこまで熱心ではない人は息がつまるみたい。

ワイ思うに、どこの先生でも成績優秀者はそれなりに優遇して見てくれると思うんだ。

私立国立に行ったらワイもその他大勢の人々になっただろうけれど、公立に行って優秀者一覧にいつも名前が載っている人になるなら、そっちのコースも悪くないと思うんだよね。

私立とかはそれこそ生きるか生きるかの過酷競争を送ってたんだなーと大人になって生きるか生きるかの過酷競争をして分かった。

2020-11-19

みかんコーヒーとオトンの初恋有村架純

「みさちゃんさ、みかん食べる?」

寒い寒いと言いながら、三時のおやつでも食べようかとリビングに降りてきた私に、キッチンから父がボソッと声をかけた。

「いや、みかんはいらん。寒い暖房つけよう」

エアコンなら、母さんが業者呼んで清掃してからじゃなきゃ使わん言ってたから、つけたら怒られるぞ」

はぁ?という顔をしている私に、いらんといったのが聞こえなかったのか、みかんを手渡しながら父が言う。

「なんで寒くなる前にやっとかんかったんだって話よな。そんなこと言ったら、怒られるから絶対言わんけど」

からからと笑う父。手に持つマグカップには湯気の立つコーヒーテーブルに目をやると、みかんの皮が散乱している。

(この人……コーヒー飲みながらみかん食ってるんか)

ソファの背もたれにかかっていたひざ掛けを腰に巻いて、リビングテーブルにつく。渡されたみかんを揉みながら、

わたしコーヒー

頼むより先に父はグラインダーに豆を入れていた。ブィーンという無機質な音が部屋に響く。

「みさちゃん、昨日の夜酔っぱらって、そこまで聞けんかったけど。この後どうすんの。そこらへん、母さんとは話したんか?」

「うーん」

どうしたものかと私は少し考えた。昨夜、久々に帰省した私のために、自宅ではささやか歓迎会が催された(とはいっても少し豪華な寿司の出前をとったくらいだが)。食事を終えて、家族三人テレビを見ながらダラダラとお酒を飲んでいたのだが、父は早々かつ静かにリビングソファに沈んだ。腹に猫を乗せて、スマホバイブほどの小さな音量でいびきをかきながら寝る父をそのままに、母とは今後の話をある程度した。正味時間ほどかかったその話を、今父にするにはまだ話をまとめ切れていない。母からは同姓として理解は得られても、父にはこの冗長な割に何も決まっていない私の現状を伝えても、ただ心配を駆り立てるだけではと不安になったのだ。

「まぁ暫くは休むよ。貯金もあるし。今はまだ動けん気がするし、何より少し疲れたわ」

みかんの皮をむきながら、はぐらかすようにそう答えると、コーヒーを入れる父の手に視線を移した。暫く見ない間にまた年季が入ったなぁと、ふとそんなことを考えた。


ここ数年、私(輝く三十代独身)はアメリカ西海岸の小さな広告代理店仕事をしていた。小資本飲食店小売店なんかがメイン顧客だったので、今回のコロナによる各種制限後はほどんと仕事がなく、一部制限解除後もほとんどの店はコマーシャルを打つ余力はなかった。片手間に作っていた無料情報誌なんかは、コロナ対策コラム等を差し込みつつほそぼそと発行を続けていたけれど、いつしかそれも限界に。結果、私はあえなく「状況が良くなったらまた声をかけるから、必ず戻ってきて」とお決まりコメントと共にレイオフの網にかかったのである。こんな状況ですら私を限界まで雇い続けてくれた会社には感謝しかないが。

解雇後「とりあえず一旦リセットだな」と考えた私は、実家に帰ることにした。異性関係は、現地で交際していた男性と二年ほど前に別れた後はパッタリだったし、行きつけのチャイニーズレストランコロナで潰れたので、かの地に私を繋ぎ止めるものはもう何もなかった。大卒から今までずっと海外でもがいてきたこともあり、このひっくり返った世界を口実に、このタイミング実家ゴロゴロしてやろうと、そういうことであるしかし状況が状況なので、帰国決断した後も、やれ渡航制限だ、やれチケットの予約だと色んなことがうまく繋がらず、なかなか出国することができなかった。ようやく帰国の日取りが決まったころ、

「帰るで」

ポッと送ったLINEに、

「車で迎え行く!楽しみ!おめかししてく!」

還暦も半分過ぎた母はノリノリで返信したにも関わらず、当日派手に寝坊した。私が期待していた、到着ロビーでの感動の再会(BGM青春の輝き/The carpenters)は叶わず。実に四年ぶりの帰国はなんとも味気のなく、一人公共交通機関でと相成ったのである


「あれな、『コロナだし、やっぱ行かん方がいいと思って』って言い訳しとった」

私の分のコーヒーを手渡しながら、けらけらと父は笑った。

「ほんと昔から適当な人。あんなんと結婚した意味分からん初恋の人とか言わんでよ?」

私が次のみかんに手を伸ばしながら言うと、

初恋かぁ……」

ギリギリ聞き取れるくらいの声でボソッと言った後、父は一人モジモジしながら下を向いた。思えば父と母がイギリス出会ったという話は聞いたことがあるが、初恋話となると聞いたことがない。恐らくこの人の初恋は母とは別の人と思うが、どうせ時間もあるし、掘れば面白い話が聞けるかも知れないと思った私は、

「そしたら、父さんの初恋っていつよ?」

別に話したくなければいいですよ、ええ。と二個目のみかんの皮をむきながら、興味なさげに聞いてみた。暫く返答がないので視線を上げると、相変わらずモジモジしながら、父は照れくさそうに顔を上げた。

「お墓に持っていくほどのものでもないし、話してもいいか。母さんには内緒だぞ?」

言うと父はテーブルの上のみかんの皮をまとめてゴミ箱に入れると、ゆっくりと向かいの席に着いた。

(結局話したいんでしょうに……)

いかけた一言を飲み込んで、コーヒーをすする。


「みさちゃん墓参りの時に行った叔父さんの家、まぁあれは父さんの実家でもあるわけだけど、裏手に階段あったやろ。急なやつ。あそこを登ると昔図書館があったんよ。市立だか県立だか忘れたけど、そこそこ立派なやつがね。父さんは大学受験勉強毎日そこでしてたんだ。家だと兄弟たちがうるさいから」

父の実家西日本の某所。坂の多い海辺の町だった。遠方であることもあり、私は小学校高学年の時に祖父母墓参りに行ったのが最後、以来そこには行っていない。

「そこの自習室がさ、海に向かって大きな窓があって。部屋にストーブがあったけど、やっぱり窓が大きかったせいかな。冬場はすごい寒かった。でもそのおかげで利用者が少なくてね。少し寒いくらいの方が頭も冴えるし、父さんはそこを好んで使ったんだ。あともう一つ、別の理由もあったんだけど」

父はそわそわと立ち上がると、コーヒーのおかわりだろうか、電気ケトルに水を入れて沸かし始めた。ケトルがお湯を沸かし始める音が、私の想像の中の自習室ストーブの音と重なる。父はそのままケトルのそばから離れず、窓の外に目をやりながら続けた。

「父さんともう一人、その自習室を使う女の子がいたんだ。とても綺麗な、束ねた長い髪が印象的な子だったよ」

突如文学的表現をし始めた父をみて(これはキモイな……)と思った。初恋話を聞くのにある程度の覚悟はしていたものの、父の口から語られるそれは、なんとも中途半端恋愛小説のようで、

(これは、脳内キレイどころの女優さんでもキャスティングして、程よく補完しながらでないと聞くに堪えないな)

そんなことを考えながら、みかんを口に放り込んで聞いた。

「それが初恋の人?思ったよりチープな感じ」

今にも鼻くそを掘り出さんばかりの口調で茶々を入れると、

最後まで聞けよ。みさちゃんが聞いたんだし、父さんにとっては大切な青春の1ページだぞっ!」

父はムッとした表情で言った。

(だぞっ!って……昭和アイドルかよ)

「隣の高校女の子だったんだ。同じく受験生だった。頭のいい子でね。その部屋で一緒になった最初の数回は会話がなかったんだけど、ある時勇気を出して話かけたんだ。『どこの大学を目指してるんですか』ってね」

「ほうほう。で?」

謎のドヤ顔スルーして相槌をうつ

「目指してる大学が一緒だったんだ。まぁ、彼女は余裕の合格圏内。父さんは相当な努力を要するくらいの差はあったけれどね。彼女英語系の学部に進みたいと言っていた。将来は海外に行きたいと。当時ボーっと生きていた父さんと違って、明確な夢を持っていた彼女はとても輝いていてね。ほら、男って単純だから、一発で惚れちゃったんだ。同じ大学を目指す二人。一緒に勉強する自習室。これは、もう、そういうことだろうってね」

馬鹿なのではなかろうか」

「いや、馬鹿でなくて!」

父は鼻息荒く私を遮り、

「たしか最初一方的ものだったさ。けれど、一緒に勉強……というかほぼ父さんが教わるだけだったけれど、毎日のように、約束して、同じ時間を過ごして、そういう感じになったんだ。『一緒に合格しようね』とか『一人暮らしする時は、近くに住もう』とか、これはっ!もうっ!そういうことでしょうがっ!」

若干の金八先生口調になりながらまくし立てた。

彼女の教え方が本当にうまいもんだからギリギリの成績だった父さんも合格圏内に入るくらいになったんだ。夢の大学生活は目の前だった。ある雪の積もった日、勉強を教えてくれたお礼に、図書館の近くでラーメンを奢ったんだ。温かいものでも食べようってね。その帰り道、初めて手を繋いだんだ。女の子と手を繋いだのは、その時が初めてだ。さっき食べたラーメンが胃から飛び出そうだった。家まで送ると言ったんだけど、ここまででいいと。途中で分かれたんだ。次の日も、いつも通り会えると思った。でもなぁ……」

突然、演技派女優のようにうなだれる父。いや、でもこれは結構シリアスな展開なのでは。私は我慢できず、恐らく一番ビンビンに立っていたフラグを掴むと、

「……し……死んだとか?その才色兼備さんは……事故に遭ったとかで……」

ゴクリと唾を飲みながら聞いた。少しの間、静寂がリビングを包む。父は顔を上げると、

「あっ、忘れてた」

と言って、電気ケトルスイッチを入れ直した。ズッコケる私を一瞥しながら続ける。

「いや、死んでない」

「おい」

「死んでないんだけど、消えた」

は?という私の顔に腕を組みながらうんうんと頷くと父。

「次の日から、もう試験も近いのにパッタリと来なくなった。いなくなって三日後くらいかな、その子高校に行ったんだ。名前は知っていたけれど、家は知らなかったし、当時は携帯なんてないからな。それしか方法がなかった。今ほど個人情報にうるさくないからな、聞いたらサラッと教えてくれたよ」

ケトルからサーっとお湯の沸く音がする。部屋が寒いからか、注ぎ口から湯気が濃く立ち上る。

夜逃げしたらしい。母親がいない家庭で、親父さんがあまり真面目な人じゃなかったようでな。突然いなくなったってことだった。仕事で失敗したんだか、博打なのか知らんが……。家の前にも行ったんだけどな。バラック小屋ってわかるかな?そこまで酷くはないけれども、それに近いような、貧相な家だった。当然、明かりもついてないし、扉を叩いても誰も出てこなかった。家の前には、彼女図書館まで来るのに使っていた、見覚えのある自転車がそのまま置き去りにされてたよ」

そこまで言い切ると、父は黙りこくった。そのまま暫く何も言わず、再び沸騰したケトルのお湯でコーヒーを入れ始める。

大学は……大学はどうなったん?」

私は恐る恐る聞いた。父はいつの間に私のコーヒーが空になっているのに気付いたのだろうか。二人分入れていたコーヒーの片方を私に差し出しながら、

「父さんは合格したよ?」

知ってるだろ?と言わんばかりのとぼけた顔で答えた。

「いや、父さんでなくて、才色兼備さんは?合格発表で奇跡の再会をしたとか」

興奮する私とは対照的に、父は再び、一人冷静にモノローグに入る。

あの日合格発表の日。始発で発表を見に行ったよ。大学は遠かったからな。張り出された番号より先にまず彼女を探した。どこにもいなかった。一通り探した後、掲示板を見た。自分受験番号があった。でも全く喜ぶことができず、父さん、そこでずっと立ってた」

ヤバイ、泣きそうだ)

目の前でセンチメンタルに語られるオジさんのモノローグに、不覚にも目頭が熱くなる。

「当然彼女の番号はおろか、受験たかどうかさえ知らないからね。その日は大学の門が閉まるまでそこにいたよ。掲示板は何日張り出されてたんだっけな、もう覚えてないけど、もしかしたら今日これなかっただけで、明日見に来るのかも知れない。そう思った父さんはなけなしの金をはたいて近くの民宿に泊まって、翌日も一日中待ってたんだ」

「……でも、来なかったんでしょ」

ティッシュで目頭を押さえながら私が聞く。指先についたみかんの酸が目に染みる。

「うん。来なかった。そして大学に入ってからも、彼女の姿を見ることはなかった」

自分の話なのに、ウルウルとなく娘にもらい泣きでもしたのだろうか。ズビッと鼻を一度ならすと、

「きっと、受験できなかったんだなぁ。だって受験してたら、彼女なら絶対受かってるものあんなに行きたがってた大学だったんだから

父はしみじみそういうとコーヒーをスッとすすり、一つ残ったみかんを、テーブルの上のカゴから取り出した。


(なんて切ない話だ……)

還暦もとうに過ぎたオジサンコイバナに、悔しいけれど胸を打たれた私は、鼻水をかみながら劇場を退席しようとした。脳内有村架純あたりを勝手キャスティングしていた才色兼備不憫さも去ることながら、そこにいない初恋の人を必死に探す父の哀れさを思うと、今はすっかり禿げ上がった父にも、そこそこかっこいい俳優キャスティングしてやらねば。そう思いながら、ソファ眠る猫を抱えて二階に上がろうとした。その時。

「でも、この話には続きがあってな」

ニヤニヤとしたり顔で笑いながら、父は私を引き止めるように言った。

「父さん結婚前にイギリス単身赴任したことあるって言ったろ。そこで彼女と再会したんだ」

「えぇ!?嘘!そんな偶然ってあるの!?

私は慌てて猫をソファに戻すと、前のめりになりながら席に戻った。と同時に私は焦った。父と母はイギリス出会ったという話を思い出したからだ。そうすると、有村架純キャスティングした才色兼備の役を再考しなければならない。あの母親は……明らかな才色不備だ。

「ま……まさか……よくある話で、その女性って……」

「あ、母さんじゃないぞ」

私の焦りを察したのか、落ち着かせるように父は釘をさした。

日本人駐在員が集まるパブがあってな。仕事終わりにそこで飲んでいたら、隣に二人組の日本人女性が来たんだ。その片方が彼女だった。一目でわかったよ。向こうもそうだったと思う。『もしかして、○○さん?』って聞かれた時、夢でも見てるんじゃないかと思ったよ」

「うわぁ、本当にそんなことってあるんだ。もうそから話が止まらなかったでしょ」

「いや、お互いとても驚きつつも、一言二言交わしてその日は別れたんだ。向こうは連れがいたしね。翌日は休みだったから、また明日改めて会いましょうと、向こうから番号を渡された。その番号を見て色々悟って、嬉しくなったね」

「なにを悟ったん?」

電話番号だけで、ホテル名前とか部屋番号とかは書いてなかった。つまり定住しているってこと。ちゃんと夢を叶えたんだと」

「なるほどねぇ」

そんなに長いこと話したつもりはなかったが、いつの間にか部屋は薄っすらと暗くなっていた。父がパチッと部屋の明かりをつけると、猫が呼応するように二階へ駆けていった。


「でもさ、そんな感動の再会したら、もうそれは運命の人じゃないの?どうしてその人と結婚しなかったのさ」

話が一周して戻ってきたが、単純にそう思ったので聞いてみた。そりゃあ、今の母と結婚たから私がいてとか、そういう御託はあれど、普通ならそこでくっつくだろうと、そう思ったからだ。

「いや、彼女はもう結婚して、子供もいたんだ」

「あら、そういうパターン

「あの後、働きながら勉強して、渡英して、仕事についたと言っていた。そこで出会った人と結婚したそうだ」

それを聞いて、世の中うまくはいかないのだなと思ったのはもちろんだけれど、ふとその時父は何を思ったのかが気になった。初恋の人との運命的な再会と同時に、自分の恋が終わった時、悲しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。私だったらグシャグシャになってしまうかも知れない。しかし、そんな私の疑問は、次の父の言葉ですぐに解消した。

「心からしかった。父さん、みっともないけど、そこで泣いちゃったんだよ」

照れくさそうに笑いながら父は続けた。

「良かった。良かったってね。ずっと心につっかえていたものが取れたような気がした。『ありがとう』っていう父さんに、あの人は『なんで?』とは聞き返さなかった。わかってくれたんだろうね。『こちらこそありがとう』と」

「どういうこと?」

今までの話の中で、父がその人に感謝することはあっても、父が感謝されるようなことがあっただろうか。

「『君が海外に行ったら、そこに僕も必ず行くから、その時はバッチリ英語観光案内してほしい。約束しよう』父さん、そう言ったんだと。全く覚えてなかったけどね」

「そんな約束してたんだ」

「『私が海外に行くことに、きちんと意味を持たせてくれたのはあなただった。約束を守るために、頑張ったから今ここにいるの』と言われた。父さんも、彼女の役に立ててたんだ」

一昔前のトレンディ俳優のようにフッと小さく笑うと、そのまま父はトイレへと消えた。

(お前はすっかり忘れてたわけだけどな)

父の背中に心の中で柔らかく突っ込みながら、私もニッコリ笑った。


それから才色兼備さんとは会ってないの?」

トイレからいそいそと戻ってきた父にそう聞くと、

「ああ。会ってない。連絡先も特に交換しなかったんだ。まぁ色々あってね」

父はテーブルのカゴにみかんを補充しながらそう答えた。

「でもさ、初恋は思い出の中に。そういうものだろう」

キメ顔で答える父に、久方ぶりに(気持ち悪い)という素直な感情が戻ってくる。

「ただいまぁ」

玄関から気の抜けた、疲れた声が聞こえてくる。

「あら。何仲良く話てるの珍しい」

リビングに入ってきた母は、そう言いながら、みっちり膨らんだエコバックキッチンに置いた。それを見て、先ほどまでの話題のせいで居心地が悪いのか、父が二階へ避難しようとする。

「なになに?なんの話してたん?」

トイレに行こうとする有村架純とは程遠い母が、リビングの出口で父に聞く。

「いや?たわいもない話だよ」

父は道を譲りながら誤魔化した。訝しげな視線を投げながら、母がトイレに入ったのを見計らって、

「ちなみにな」

父は私の耳元に口を寄せると最後にコソッっと

彼女と再会したときパブ彼女と一緒に来てたのが母さんだ」

そう付け足して、ニヤニヤしながら駆け足でリビングを後にした。

「えぇー!?なにそれぇ!」

驚く私の声と重なって、リビングのドアがバタンと閉まる。

「ねぇー!何の話なのー?」

母の切ない声がトイレから響いた。


あの人との馴れ初め話は、また後日みかんコーヒーを飲みながらでも聞こうと思う。


暇つぶしにこの話をネットに放流する許可をくれた父に感謝

2020-11-08

第52回(令和2年度)社会保険労務士試験合格までの記録と思ったこ

 令和2年8月23日(日)に、第52回社会保険労務士試験実施され、11月6日(金)に合格発表がありました。

 今年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響が大きく、私も受験会場が希望していたところから変更になりました。厚生労働省所管の試験ですので、当日は手指消毒や検温、換気などは徹底されていましたが、酷暑の中、過去に例のない過酷試験だったと思います

 私は、今回この試験に無事合格し、社会保険労務士資格者となることができました。ここでは、国家資格試験に興味・関心がある方や、これから社会保険労務士試験を目指そうと検討されている方たちのために、できるだけ情報や私が思ったことをまとめて記録しておきます。もし参考になることがあれば、お役立てください。内容について、何か自慢をしているように誤解される方もいらっしゃるかもしれませんが、無意味謙遜をして不正確なことを書いても真意が正しく伝わらないし意味もないので、できるだけ思ったことを率直に書いていますはてな匿名ダイアリーを使うぐらいなので、その意図はありませんが、もし不愉快に思われても、その点は予めご容赦ください。

私自身の基本的情報スタンス

 私個人属性Twitterでも一切明らかにしていないのですが、社会人で、仕事をしています現在は、人事系の部署にいます

 大前提として、社会保険労務士資格を取得しても、現在仕事は辞めないし、その限りは社会保険労務士として登録することも予定していません。この試験人生キャリアをかけている人もたくさんいるので、その方たちには申し訳ない気持ちもありますが、私自身は今のところこの資格を使うつもりはありません。

 大学文学部出身ですので、大学法律勉強はしていません。

 ただ、総務系や人事系の部署経験があるので、人事管理労務管理の実務経験はあり、労働関係法令社会保険関係法令に触れる機会も少しありました。一定程度の予備知識はあったと言えると思います

社会保険労務士試験受験しようと思ったきっか

 私はすでに行政書士資格者でもあるのですが、実務経験もなく、これを将来有効に使えるとは考えていませんでした。社会保険労務士は、行政書士と同じ法律系の国家資格で、ダブルライセンスによる相乗効果も大きいと言われています。もちろん、ダブルライセンスによって直ちに資格が生きるとは考えていませんし、先に書いたように、これらの資格を使って独立開業というようなことも考えていません。資格手当の制度もありませんが、今の仕事で人事上有利に働く可能性はあるかもしれません。また、現在部署では、試験勉強を通じて得た法令知識は、大変役に立っています

 あと、現在仕事関係もあり、資格学校に通うことはもちろん無理だし、繁忙期は何か月も勉強できなくなってしまうので、通信教育も難しいと考えました。つまり必然的市販の教材を使って独学で勉強することになるのですが、独学で挑むことができる法律系の最高難易度国家資格の一つが、私は社会保険労務士だと思っています司法試験司法書士税理士公認会計士弁理士などは、おそらく独学では不可能だと思いますし、市販テキストほとんど売ってないと思います。独学の是非については、後で書きます

 さて、2019年2月中旬、確かバレンタインデーだったと思いますが、私がたまたま立ち寄った書店で、社会保険労務士試験テキストを見つけ、さらっと内容を立ち読みしてみて、これなら何とか対応できるのではないかと思い、そのまま買って帰りました。これが勉強を始めた最初きっかけです。

 私は、第51回(令和元年度)試験も受けましたが、実質半年に満たない勉強期間での受験になりました。結果は惜しくも不合格でした。実は、選択式は合格基準点を超えていたのですが、択一式の合計点が2点足りませんでした。その時点で、もう1年今の勉強を積み上げれば、合格できるのではないかと見込みました。そして、今年の第52回試験にて、2回目の挑戦で、約1年半の勉強期間で何とか合格することができました。

社会保険労務士試験についての基本情報

 社会保険労務士試験は、年に1回、毎年8月の第4日曜日実施されます。全国の主要19都市試験会場が設けられます

 比較すると、行政書士試験受験資格がありませんが、社会保険労務士試験には受験資格があります。例えば、大卒又は短大であるか、あるいは高校卒でも行政書士試験合格者であれば受験できます。他にも、実務経験など資格を満たす要件はいろいろあります

 厚生労働省報道発表によれば、第52回(令和2年度)試験は、受験申込者数49,250人、受験者数34,845人、受験率70.8%(受験率が低いのは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で受験を控えた方が多かったからではないかと思います)でした。そして、合格者数2,237人、合格率6.4%でした。この合格からも、社会保険労務士がどれぐらい難関な国家資格かということはお分かりいただけると思います合格率は例年並みという印象ですが、私が昨年の第51回と今年の第52回と、2回受験した印象としては、今年の方が試験は難しかったと思います

 難易度については、一般的には、税理士試験よりは易しく、中小企業診断士試験と同じぐらい、行政書士試験よりは難しいと言われています。ただし、これは受験者の実務経験や予備知識によって大きく左右されるので、だいたいこのあたり、という捉え方で良いと思います

 国家資格としては、一度合格すると一生有効なので、実務経験があれば合格はいつでも登録して社会保険労務士を名乗ることができます。実務経験がない方も、事務指定講習を受ければ登録できます

 以下に、今年の試験に関するサイトへのリンクを貼っておきます

社会保険労務士試験オフィシャルサイト - 第52回(令和2年度)社会保険労務士試験についての情報  https://www.sharosi-siken.or.jp/exam/info.html

厚生労働省 - 第52回社会保険労務士試験合格者発表  https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000183106_00007.html

試験科目及び出題形式

 社会保険労務士試験試験科目は、

以上の10科目です。大きく、労働科目と社会保険科目に分ける場合もあります。これらの法律に加えて、一般常識としてその他多くの法令、あと政省令や通知通達判例白書統計なども問われるので、試験範囲はとても広いと言えると思います

 私は、労働基準法は実務経験の中で触れることが一番多い法律なので得意でしたが、同じく実務で使うにも関わらず労働安全衛生法が一番苦手でした。また、多くの人が毎年苦しめられるのが、労働管理その他の労働に関する一般常識通称「労一」)と社会保険に関する一般常識通称「社一」)です。一般常識は、私は得意とか不得意とかでは語れないような掴みどころのない科目だと思っています。そして、特に今年の選択式の労一は、阿鼻叫喚様相でした。午前の試験気持ちを折られると、午後が本当につらい試験です。

 また、出題形式としては、

があります社会保険労務士試験は1日で終わるのですが、午前中80分が選択試験、午後210分が択一試験実施されます試験中は休憩時間もないので、特に午後の3時間半は、知識情報に加えて、気力・体力・集中力が試されます。実際に受験された方は分かると思うのですが、時間は長いのですが、問題を捨てたりせずに全問しっかり解こうとすると、かなり集中してやっても時間が足りなくなります

 選択試験は、いわゆる穴埋め問題で、A~Eの穴に対して①~⑳の選択肢があり、埋めていきます選択式は非常に対策がしにくく、私はあまり対策については意識していませんでした。

 択一試験は、いわゆる五肢択一で、A~Eから正答を選びます。正しいもの又は誤っているものを選ぶ問題比較的解きやすいのですが、正しいもの又は間違っているもの組合せを選ぶ問題や、あと最も苦しめられる正しいもの又は間違っているものの個数を選ぶ問題(いわゆる個数問題)が増える傾向にあるそうで、この形になるとその問題の正答率はぐっと下がると言われています

 私は、社会保険労務士試験勉強は、択一対策が基本であり、これを深めていくと選択式も解けるようになる、と考えていました。

採点基準

 社会保険労務士試験の難しさは、この採点基準にあります税理士試験のような科目合格概念もなく、1回の試験で、全ての科目で合格基準点以上の点を取り、なおかつ合計点で合格基準点を上回っている必要があります

 具体的には、原則として、選択式は各科目5点中3点以上、択一式は各科目10点中4点以上を取らなければなりません(ただし、試験の結果によっては、それ以下でも救済されることがあります)。また、合計点でも、今回は、選択式で25点以上、択一式で44点以上が必要でした(これも、試験の結果によって毎年変動します)。これらの基準点を1つでも満たしていなければ、他がどんなに点数が高くても合格しませんし、次回以降免除になるなどの措置もありません。この試験は、まさに「1点に泣かされる」試験だと言えると思います。この「1点」で落ちると、本当にメンタルに堪えると思います

勉強方法や取り組み方

 社会保険労務士試験勉強方法選択肢は、大きくは次の3つだと思います

 金銭面のことを抜きにして考えれば、資格学校へ通学するのが一番良いと思います教室で授業を受けられ質問相談もできること、一緒に挑戦する仲間ができること、自習室を使えることなど、メリットばかりです。ただ、仕事と通学の両立というのは、よほど恵まれ職場環境でなければ難しいと思いますし、また、今年はコロナ禍で講義が開かれなかったり自習室が使えなかったりしたなどの影響もあったと聞いています。現下の状況が続けば、通学のメリットは少なくなるかもしれません。

 仕事と両立して勉強をするのであれば、通信教育が一番現実的かなと思います費用はかかりますが、お勤めの方で雇用保険適用されている方であれば、通学や通信教育場合、条件を満たせば教育訓練給付制度を使うこともできます。どこの資格学校が良いかは、私は使っていないので分かりませんが、人によって講師テキストとの相性があるようですので、資料請求をしたり無料体験をして比較してみると良いようです。

 さて、私は独学の道を選択したのですが、独学のメリットは圧倒的に費用が安くすむことで、それ以外のメリットは何もありません。社会保険労務士試験は、いくつかの条件を満たせば独学で突破できない試験ではないですが、私は全くおすすめしません。最初に、今年の試験合格率が6.4%だったと書きましたが、資格学校利用者合格率は、その3倍以上あると言われています大手資格学校フォーサイトでは3.59倍だと公表されています)。独学の人の合格率というのは統計としてはないと思うのですが、つまりこれは独学の人が合格率を大きく引き下げているということだと思います。通学や通信教育に比べて、勉強時間も長く確保する必要がありますし、効率も非常に悪いです。独学は茨の道だと思いますし、私は通信教育勉強をしている方を本当にうらやましいと思っていました。

 ただし、絶対に無理だというわけではないので、あくま私見ですが、次のような条件を満たせば、独学での合格もありえると思います

 また、

私は該当しませんが、この条件であれば、独学でも取り組めるのではないかと思います

 特に法律には「読み方」というもの存在します。この試験本質法律ですので、法律を読むスキルがあると、かなり有利だと思います

(続く) https://anond.hatelabo.jp/20201108195126

2020-11-03

心象風景

今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれ屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。

私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。

小説といえば、昔に村上春樹小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。

どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマンタマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。

小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年タマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年ネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。

1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えていますお金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。

その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強しました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館自習室に通って勉強を続けていました。

そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人なんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。

私の心象風景は、そんな時期に起こったある一日の出来事です。

その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分臭いのがわかって辛かったものです。

気分転換でもと思って院内散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。

屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。

私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。

落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。

その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。

病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。

私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこ自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。

視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。

その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。

そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。

それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。

20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。

でも、いつからか、自分自分人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます

何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります普段は忘れていて、そのとき見たもの匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます

ただ、思い出したとき何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事ものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。

「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事風景ひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうもの必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」

2020-10-30

おれはある地方政令指定都市で生まれた。コンビニ電車も走ってるし本屋図書館も徒歩圏にある恵まれ土地だ。おれの両親は両方とも同じ国立大出身だし父親の方は首席だった。それにも関わらずおれはとんでもない阿呆として生まれた。

おれがどれくらい阿呆であるかというと、知性以前に人として当たり前のことができない。例えばコミュニケーションだ。コミュニケーションというものは大まかな枠組みとして通信確立通信本文、通信終了の三つに分けることができ、それぞれで発信者が発信した後に受信者が返信を行なうことでその部分が終わることになる。このプロトコルは不足ないように簡潔にまとめたものであるため、三つすべてを含まないコミュニケーションというものもある。(例:広告広告は"広告を打つ"という段階で通信確立していることは前提と扱われるし通信終了は広告枠の制限で示されるのでそこについても返信は必要ない。)こうしたこと人間として生まれたならだれでもできることだ。人の話は人の目を見て聞く(通信確立)、話を聞いているなら相槌を打つ(通信本文を受信していることの確認)。けれどもおれはそれができないままずっと育ってきたしこれからもできないであろう。

あるいは他に、おれはマルチタスクができない。よく「女性マルチタスクができるが男性シングルタスク向きだ」などという与太を吐くやつがいるがあれは嘘っぱちだ。水を飲むときのことを考えてほしい。口に含んだ水を飲むためにはまず鼻への侵入を防ぐために口蓋帆を上げて鼻への通り道をふさぐ必要があり、それと同時に喉頭蓋を裏返らせて気道を塞ぎかつ呼吸自体も水が通り抜けるまで止めなければならない。都合3種類ものタスクをこなさなければ水を飲むという行動はできず、おれはしょっちゅう一つ抜かしてえらい目に合っている。しかしよほどのバカか力の衰えた老人でもない限り水を飲むということはむずかしいことではないだろう。

そんなわけでおれはどうしようもない愚か者でありおそらく軽度の知的障害を患っているのだが、しかし両親はそんなことを疑わなかった。これはおれが一人っ子であったが故の不幸である。そしておれは適切なケアを受けることな地元公立小学校に通い、当然のように勉強についていけず落ちこぼれていた。テストで満点を取ったことなど小学校でさえ一度もなかった。どうやらクラスメートにもいじめられていたらしく、このままでは地元公立中学校に通わせると深刻なダメージを負うと判断した両親は何を勘違いたかおれを地元学習塾に入塾させた。もっと小学校の授業にさえついていけなかったおれであるから当然箸にも棒にもかからなかったのだが、入学試験ができなかったにもかかわらず県下二番目の中高一貫校入学することとなった。確認はしてないがおそらく裏口入学という奴だろう。

中学校に入ったおれはますます授業についていけなくなり、ノートをとる習慣さえ失った。受けるテストはすべて赤点スレスレであったが中学校義務教育であるからたとえどんな阿呆でもエスカレーター式に高校に進学した。今までの人生が万事こんな調子であるからそのころのおれはたいそう人生をナメており、高校一発目の進路指導で「両親の母校の医学部へ行きたい」などと大言壮語担任に切々と諭されたのであった。当然である。2ケタのかけ算さえ間違え英単語綴りさえ危ういような奴が高校(しか進学校)へ進学しているのが間違いであろう。もっともおれ自身阿呆であるから本一冊まともに通読できないままのほほんと高校へ通い、教師陣のお情けによって卒業した。両親の母校の医学部は最高でもC判定のまま受験をし、お話にならない点数で不合格と相成った。(センター試験は9割を下回っていた。)

どうにもならなかったので予備校入学した。予備校商機を見つけるのがうまいので「医系への進学を目指すボンクラどもを自習室に縛り付け無理やりにでも勉強させるコース」というおれにうってつけのコース存在し、わけがからぬまま通学を続けた。2ケタのかけ算もままならぬままなぜか成績は上がっていたが、今から思えばあんものはあてになるまい。というのも予備校としては「ボンクラが惜しいところまで伸びてもう1年通う」というシナリオが一番稼げるであろうからボンクラであるおれの成績が粉飾されていることは間違いなかろう。予備校の誤算としてはおれの志望校は両親の出身大学であることだった。ボンクラボンクラなまま入試の日を迎え、愚にもつかぬ答案を根拠なき自信に満ち溢れたまま提出し、なぜか合格してしまった。すくなくとも自己採点では0点だった。(センター試験は結局歴史数学理科も満点を取れずじまいであった。)おそらく裏口入学というものだろう。

猫のほうがなんぼか賢かろうという馬鹿大学に入ったが当然授業にはついて行けなかった。勉強する習慣さえないのだから当たり前である教養課程は何らかの圧力ですり抜けたが専門科目は全くどうにもならず、2年生と3年生を2回繰り返している。そもそもこの学部に来たのだって父方の親戚がみな医師医学者で母方の親戚はごたごたして面識がないのだから医師しか職業を知らぬせいであった。モチベーションなどあるはずもなく、解剖は2度やってかろうじて覚えたがそれ以外はどうにもならず教授土下座してお情けで可をもらった始末である現在大学カリキュラムの都合で研究室に遊びに行って研究ごっこをして遊んでいるが、自分が何をしているか微塵も把握していない。ただ聞こえてくる単語が授業で聞いた覚えのあるものからわかったようにうなずいているのだが、先方もおれの阿呆具合など百も承知から深くは追及されない。おれの阿呆を何とかしようと息巻いているのは父親だけで、母など最初からあきらめて「せめて清潔感を身に着けてヒモにでもなっていなさい」と言う次第だ。大学も3年生まで進級したもののここから先どうにかできるとは思えない、ましてどこかの病院で勤務するなど不可能しか言いようがない。かといって阿呆研究者になれるほど世の中甘くない。おれの前に道はない。おれは何一つできないままここまで来てしまった。どうすればいいんだろう。

2020-09-04

理系のぽやしみ

後期の授業がはじまって、最初金曜日

親に秘密でとった特設単科のおかげで8時から20時までぶっ通しの授業

頭も痛いし、一時間しか使えない自習室に行く気にもなれず、授業後そうそうに駅に向かう

21時よりちょっと多めのサラリーマンにぶつかりながら、最寄り駅に到着

親は閉館時間を知っているから、ホーム椅子に座って時間を潰す

コンビニで買ったガム噛んで、三省堂で買ったホームズを開き、コロナで座れない席に荷物をおけば、何時間だって居れる

ガムの味がなくなる頃に席を経てばベストタイミング自転車こいで、家に

こういうの、何日続けば習慣っていえんのかな

2020-08-22

場面緘黙症かもしれない私が呪い言葉から解放された話

高校生とき先生に言われた言葉をはっきり思い出せなくなった。

それは私がこれまでの人生で言われた中で、一番心に傷として残っていた言葉だった。

シチュエーションは今でも覚えている。


高3の夏休み、午前中から始まる夏期講習を前に早く登校し、私はいつも早朝から自習室勉強をしていた。

早く来すぎると昇降口が空いていないので、偶然外にいる先生を呼んでくるか、昇降口前で待つことになる。

校庭にも先生は見当たらないので、私は待つことを選んだ。

職員室は外から入れるものではなかったと記憶している)

10分、15分ほどたっただろうか、苦手な先生が開けにきた。

先生は、鍵を開けると私に対してぶつぶつ言い始めた。

まず、呼びに来ればいいのに、と。


それから、私がずっとクラスに馴染めずにいることを、靴を履き替える私を背に話し続ける。

そして、私の将来について、人格否定のようなことを言われたと記憶している。

そのあと私は、誰もいない自習室で悔しくて小さく声を上げながら号泣したのを覚えている。


あれから10年たったことに気づいた。

そりゃ10年もすれば忘れるかという思いと、10年もしないと忘れられなかったのかという思い。

あの言葉は私にとってプラスのひとかけらもなかった。


はっきりとした言葉を思い出せなくなった。

それだけで私は心が軽くなり、ツイッターにも書きなぐれないこの思いを、勢いだけではてなにしたためることにした。



私が場面緘黙症かもしれないと思ったのは、今から5年ほど前だろうか。

自分が喋れないことはずっと引っかかっていたが、学生時代は、私は人見知りだ、社会不適合者なんだと単純な言葉で片付けていた。

自分と見つめ合うことが多くなった社会人数年目で、病気じゃないんだろうかと検索した先に、やっと見つけた答えだった。

正確に診断されたわけじゃない。

しかも、今となっては周囲との人間関係の築き方が学生時代とは異なるのもあって、うまく社内でやっていけている。

私の人生は、先生の言った通りにはならなかった。


ただ、私は場面緘黙症のような症状に追加して、自己肯定感が低いという特徴もある。

自分が発する言葉は必ず誰かに否定される。自分の発した何かは周囲に受け入れられるはずがない。

自分の声が、体が嫌い。自分は周りより劣っている。自分の行動は相手にとって不快しかない。

声を発する怖さ、体を動かす怖さ、学生時代は常にこうした劣等感と恐怖感が渦巻いていた。

その症状がいつからかと聞かれると、物覚えついたときからが答えになるかもしれない。


家や兄弟相手では活発に意見し、動き回っていた。

内弁慶ともいうかもしれない。

ただ、周りがいう、人見知り、恥ずかしがり屋、そんな言葉で片付けられるレベルではなかった。

とくに幼稚園小学1,2年生のときは、先生とは首を縦か横にふるか、傾げるかのコミュニケーションしかとらなかった。

Whatで聞かれたときのみ、答えを言った。

人見知りの次元を超えていた、と思う。


小学6年生のとき担任に言われた「この中には、まだ殻を破れない人がいる」という言葉に対して、

あ、私かと思ったと同時に、殻をかぶっているつもりなんて毛頭ないのにと感じていた。


数人の友達がいることもあったが、高校までの学生時代の大半は1人で過ごしていた。

1人のほうが楽だったし、喋れない自分否定する気分にならなくてすむから

でも、症状が改善することはなかった。


先生緘黙症という言葉を知らなかったのだろう。

それを一度も言われることはなかったし、真面目、大人しいの一言で、親にも伝えられていたと思う。

ただ、緘黙症状は、兄にも弟にもあったのを私は知っている。

兄は小学生のときはいつも1人だったし、クラスでも馴染めていないのを私は知っていた。

私と帰りが同じになっても、絶対に話さないのが暗黙のルールのようだった。

弟は友達ができることもあったようだが、学校から持ち帰ってきた紙には、「なんで喋らないの?」と書かれていた(クラスのみんなから言葉をもらう何かだったと思う)。


母親が数年前に正式ADHDであることが診断されたが、うちの血筋はどうやら精神疾患になりやすいらしい。

現に兄弟のうち半分が、統合失調症発症している。

統失の話はまた別として、家庭内環境問題か、遺伝要因から緘黙症状が引き起こされたのかもしれない。

インスタグラムで、自分の子供が緘黙症であることを公表しているアカウントを見つけたが、

どうやら「普通」の家庭なようなので、もしかしたら要因はまた違うのかもしれないけれど。


幸い私は、大学生社会人と成功体験を積み、周囲に自分性格理解してもらえる機会が増えたのもあって、

普通の「人見知り」くらいになったし、コミュニケーションも以前と比較してとれるようになった。

ネットでは普通にやり取りができていたし、中学生以降はネットを通じて日々の思いを発信していたので、その影響も大きいかもしれない。


緘黙症状は人によって違うし、その人それぞれで改善方法きっかけも違うんだと思う。


子供を産む年頃になった今は、子供場面緘黙症になったらと考えることもある。

でも、親や周囲が気づけなかったことを私は気付けるかもしれない。

それだけでよしとしよう。

そう思い出し、思いながら、朝から気持ちよく洗濯物を干した。

2020-08-08

anond:20200807231408

ブコメ100字じゃ到底語りきれないので追加で書く。

まず予言するけど「明日からコツコツがんばるぞ」という決意は空振りに終わる。

これはもう9割5分くらいの確率で当たるから10万くらいなら賭けてもいい。


からやるべきは、なんとかして自分勉強机に向かわせるための試行錯誤だ。

毎日何か作戦を立てろ。

それを実行して駄目だったなら、何が悪かったのか考えて、改善して翌日実行しろ

実行できなかったのであれば、なぜ実行できなかったのか。何が邪魔しているのかを分析してそれを排除するんだ。

そうしてPDCAぐるぐる回して、環境改善し、作戦を立てて、なんとか勉強できるように持って行く。

それをしないで漠然と「がんばる」なんて精神論に頼っても失敗する事は目に見えている。

一番良いのは環境を変える事だ。

喫茶店図書館自習室。自宅にありがちな誘惑が存在しない。

おいスマホは置いてこいよ。何考えてんだ置けって。

しかし現状ではこの手段は取りにくい。

そもそも出かけるまでに時間が掛かる。

「行こう行こう」と思いながら気づいたら夜になってんだろ。わかる。

ということで自宅での集中法を探るわけだが、はっきり言って地獄だ。

なんたって、自分専用にカスタマイズされたリラックス空間からな。

自分のために用意した空間も娯楽も、勉強するとなると全てが「誘惑」と化して襲ってくる。

しかも、まず自宅での集中方法の一番効果的な手段が「ネットを絶つ」ことなんだが、

これがまず難しい。授業でネット接続必須ならなおさらだ

それでもやるならまずPCからLANケーブルを引っこ抜け。

100均でいいかキッチンタイマー買ってこい。やむを得ずネットに繋ぐときそいつ制限時間を設けろ。

あ?なにスマホ持ってんだ。タイマーアプリスヌーズできて便利?なに寝言いってんだ。

スマホは充電切れたままにしとくんだよ。うまくすれば充電ケーブルを繋ぐまでに正気に戻れる。

PCデスクトップか?ノートか?

ノートなら話が早い。それ持って部屋から出ろ。

リビングでもどこでもいいから自室以外で勉強すんだよ。

集中できない?ふざけんな自室じゃ集中どころか何一つ出来てないじゃねえか。

あくまで自室から出れない環境なら、机をもう一つ用意しろ

サイドテーブルみたいな小っちゃい奴でもいい。

完全に勉強用のスペースとして用意すれば、そこに座るだけで作業する気になれる。

今座っているPCデスクは完全に「娯楽のためのスペース」として認識してるからなお前の脳は。

あとは目覚ましかけろ。

朝じゃないぞ。勉強始める時間を決めて、その時間にかけんだ。

目覚まし鳴ったらネット閉じて動き始めんだよ。

なに「切りの良い所まで読んだら」とか言ってんだ馬鹿か。お前それで何度失敗したか覚えてないのか?覚えてねーよな数えきれねーもんな。

はてブでもブラウザの「開いてるページを全てブックマーク」の機能でもいいから放り込んで今すぐ閉じろブラウザを。

目覚まし延長なんかすんじゃねーぞ。1時間後に鳴っても同じように「切りの良い所まで読んだら」って絶対うからなお前。

あとなー。

デジタル課題出てんだろ?

それをな。ブラウザ上で解いて提出しようとすんのな。やめな?無理だから。お前の場合

ブラウザ開いてるって時点でもう禁断症状の出てるジャンキーみたいなもんなんだからお前の身体は。

デスクトップでも課題印刷すればどこでもできんだろ。それ持ってPCの前から離れろ。

アナログで解いて、それを打ち込んで提出しろ二度手間だが出来ないよりゃましだろ。

プリンターが無いなら買ってもらえ。一大事なんだからそれくらい説得しような。

とにかくPCの前から離れることだ。

ネットに繋がったPCの前に座った時点で、負けがほぼ確定してっからな。

「うまくつきあってく」とか考えんなよ。無理だから

いかにしてPCから離れるかを考えろ。

スマホ放電させて放り投げろ。

やむをえず充電する場合も充電時間はいいとこ5分10分だぞ。すぐ切れるようにしとけ。

PCの前から離れても場所を変えても外に出ても

スマホ持ってたらそれだけで終わるかんなマジで


そんなとこかなー。

とにかくな。自分意思いかに弱いかという自覚をすんだよ。そこからだ。

そうすれば「ココロを入れ替えて明日からガンバル」なんて負け確の精神論なんか出なくなるから

お前がやるべきは「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)をいかにして作業に向かわせるか」というゲームなんだよ。

自分のことだと思うから駄目なんだよ。言う事聞かないゲームキャラか何かだと思え。

そうすれば「ガンバレ」なんていう命令やら作戦やらを下すのが、どれだけ滑稽な行為かわかんだろ。

必要となるのは精神論ではなく効果の認められる具体的な手法ライフハック。そのへんだ。

似たような「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)」と数十年来で付き合ってる先輩からの助言だよ。

ここまでやってもまだロクに動いてくんねぇかんなこいつ。"やる気の問題"とか言って甘く見てると人生棒に振るぞマジで


P.S.

今まで怠け癖なんてなかったのに急に、という事なら

マジで鬱病前兆もありうるから早期の受診も一応視野に入れとけな。

元々が社交的な性格ならこっちの可能性も少なからずある

2020-08-07

こんなになるはずじゃなかった、高3の夏

気持ちを整理するために書きます

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僕は高校3年生(男)だ。

今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的勉強ほとんどしていない。

代わりに、大量のネット上の記事ブログ無料音楽漫画ヤフコメはてなブックマーク増田摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。

僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。

起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分ネットを見る以外に何もしたくない自分綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態現実からの逃避。

どうしてこうなったのか、時間を遡ってみる。

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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。

それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生大学受験意識する様子が目立ってきた。

高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキスト自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。

ここら辺から勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃん勉強していた。

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そうしているうちにコロナ流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか

学校休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。

しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強ストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。

日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。

学校Google Classroomを使い始め、zoom配信動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。

ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。

更に、zoomGoogleClassroomを使うためにパソコンスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合ネットを開きはてブ増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。

こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。

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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強ブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みはてブ増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強サボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。

この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。

最初勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。

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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。

かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。

しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しいであると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。

登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。

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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。

友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。

7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホブログやら何やらを見てしまった。

当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日だるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。

・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。

罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。

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そこから堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。

その他、自分やらかしたことを列挙してみる。

学校の登校日を2回サボる

学校課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる

▼塾の一学期通常授業の最終講をサボる

▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる

▼親と交わした「勉強する」という約束を守らない

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こうやって家に籠って自堕落生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分思考言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。

今日はだらけていてもしょうがないが、明日から毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・から、今スマホを見てもいいんだよ」

みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。

言うまでもなくこれは未来責任押し付け現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。

僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃん勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。

8月7日の今も、勉強は全くしていない。

あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月アンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DS今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~

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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神もっと健全勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。

他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年まれ司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます

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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづ

やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。

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これ時間が経って読み返したら自意識まみれでバイアスかかりまくりで恥ずかしくなるやつだろうな。まあいいや。

頑張りますさようなら

2020-07-09

地味な高校生愚痴

高校自習室、入りにくいです。

前まで静かに勉強する人ばかりで快適だったのに、最近陽キャグループが入り浸るようになって。

真面目に勉強してはいるんだけど、数人で並んで席を陣取ったり、小声(地声が大きいか結構うるさい)で教えあったり雑談したり。

時々自習室から出て大声で雑談したり…。

外出てもかなり響くし、そもそも自習室が会話禁止って知ってるならたとえ小声でも話さないで欲しい。

わたしは地味だし目立たないから、本当に入りにくい。うるさいし。

先生にそれとなく言ってみても、「人間は会話するものから……」とか「いやなら他のところですれば?」「あなた友達と行けば?」と意味のわからないことを言うばかり。

数週間前の静かな放課後を返して。

地味な高校生愚痴

高校自習室、入りにくいです。

前まで静かに勉強する人ばかりで快適だったのに、最近陽キャグループが入り浸るようになって。

真面目に勉強してはいるんだけど、数人で並んで席を陣取ったり、小声(地声が大きいか結構うるさい)で教えあったり雑談したり。

時々自習室から出て大声で雑談したり…。

外出てもかなり響くし、そもそも自習室が会話禁止って知ってるならたとえ小声でも話さないで欲しい。

わたしは地味だし目立たないから、本当に入りにくい。うるさいし。

先生にそれとなく言ってみても、「人間は会話するものから……」とか「いやなら他のところですれば?」「あなた友達と行けば?」と意味のわからないことを言うばかり。

数週間前の静かな放課後を返して。

高校自習室、入りにくいです。

前まで静かに勉強する人ばかりで快適だったのに、最近陽キャグループが入り浸るようになって。

真面目に勉強してはいるんだけど、数人で並んで席を陣取ったり、小声(地声が大きいか結構うるさい)で教えあったり雑談したり。

時々自習室から出て大声で雑談したり…。

外出てもかなり響くし、そもそも自習室が会話禁止って知ってるならたとえ小声でも話さないで欲しい。

わたしは地味だし目立たないから、本当に入りにくい。うるさいし。

先生にそれとなく言ってみても、「人間は会話するものから……」とか「いやなら他のところですれば?」「あなた友達と行けば?」と意味のわからないことを言うばかり。

数週間前の静かな放課後を返して。

2020-06-17

在宅勤務、みんなはどれくらいサボってる?

今日もまた2時間ぐらい昼寝をしてしまった。

毎日時間昼寝をするのは当然だし、業務しながらTwitterみたりYoutubeみたりしてサボりまくってる。

在宅勤務が始まって2ヶ月ちょっと最初のうちは新鮮な気持ちで自宅の方が集中できるわ〜と思ってやっていた在宅勤務も完全にだれてしまった。

仕事がそこまで唆るものではないことと孤独生来のめんどくさがりが合わさってもうひどい。

今思えば通勤の数十分によるオンオフの切り替えや職場という周りの目がある環境自分には必要だったのだと気づいてしまった。

業務会議も少なく、一人で黙々とできる仕事ではあるのだけどそれがまたしんどい毎日5分ぐらいの進捗確認ぐらいしか人と話さないし、そろそろ人と話したい。

一応上司かにはそれとなく人恋しいですみたいなことは伝えてるけど、事情事情だしこの状況が解消するにはもう少しかかりそうだし。

元々仕事が速いという評価だったけど、在宅勤務が始まってから目に見えてパフォーマンスが落ちていていつ注意されるかもわからん

自分仕事の速さは怠惰からくるもの(めんどくさいので速く終わらせたいからそのための手段を探す)っぽいので、こういう状況だとただの怠惰な人になってる。

自分みたいにサボれる環境だととことんサボるようなやつはちゃん管理されてないとダメなんだ。

大学だってサボりまくって留年したし。高校だって授業はほとんど寝てて予備校自習室勉強してる時間の方が長かった。

そのくせサボることに罪悪感を覚えてはいて、メンタルが削られてるのは何というか自業自得なんだけどしんどい

自分は何でみんなと同じように真面目に働くことができないのだろうか。とか考えながらサボってる自分がいる。

誰か助けてくれ

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追記

思ったより反応があってびっくりしています。わかると言ってくれたり叱責してくれたり皆さんありがとうございます

コメントを見ていて思ったのが、自分のなかで「真面目にやる」=「一定時間頑張る」と考えてしまうとしんどくなりがちなんだなと思いました。

労働時間の長さよりも出た成果や解決した課題の方が大事という意識はあったのですが、在宅が続いて自己管理が苦手なことによる自堕落な部分が出てきて、そこでちゃん一定時間頑張れていない自分にしんどくなっている気がします。

まだしばらくは在宅勤務が続きそうなので、ちょっと意識を変えて一定時間働くことよりも、サボってもいいので成果を出すことの優先度をあげてみようと思います

といいつつ意識を変えて解決するなら最初から悩んでいないので、何かしら具体的に働き方とかサボり方とか工夫を考えようと思います

2020-05-11

学生寮に入っていた時の話

私は学生の時学生寮を利用していた。

その時の話を書く。

学生寮と言っても人数が少なく、小さい4階建ての建物の2階が男子寮、3階と4階が女子寮、1階は教員食堂のおじちゃんの部屋と自習室それから男子の大浴場があった。

私は実家の都合で1年の後期くらいで入寮したのだけど、入寮すると同級生からまず、うちの寮は出るから!と体験談を聞かされた。

私は霊感とかもないし、今までそういった類の体験サラサラないので先輩から吹き込まれ同級生思い込みだろう。と流して聞いて終わった。

私が3年になった時、同学年の入寮者が私ともう1人しかいないため自然寮生活時間の長い同級生が寮長、私が副寮長となった。

部屋は一人部屋で私が4階、同級生が3階で私の真下の部屋だった。

ある日、消灯前に寝ていた時、同級生が私を起こしに来た。

から足音がうるさいからなんとかしてくれ!と言いに来たが私は爆睡しており怖くなって起こしたらしい。

古い建物からネズミだよ〜と笑って終わったが、次の日同じ部活の仲の良い男子の後輩から、上の部屋で走り回ってる音がうるさいので注意してくれと連絡が来た。

部屋の場所を聞くと、その部屋は空き部屋で鍵がかかっていた。

寮監の先生にも報告して念の為中を確認したがもちろん誰もいなかった。

はじめはからかわれているのかと思ったが、その後輩と同級生に接点がないためそれもない。

翌日に同級生にこの話をすると、今まではあまり意識をしていなかっただけなのでは?と言われた。

かに今まで夜中にドアをノックされドアを開けると誰もいなかったり、廊下から足音がしたりすることは多々あった。

そんなもの人が出せる音だし、誰かがイタズラしてるんだろうくらいで済ませていたが、本当はそういうものがいたのかも…と思うと怖くなり、しばらくはあまり寝れなかった。

それからもちょくちょくおかしいことはあったが、怖いと思うのが嫌で見て見ぬふりを貫き通した。

今、その寮に住んでいる寮監とたまに連絡をとっているが、未だにおかしいことがあるらしい。

当時の先輩曰く、あそこは墓を崩した所に建ってるらしいが、本当はどうなんだろうか?

2020-03-25

anond:20200325072929

1階の全面ガラス張りなフロア予備校自習室みたいな仕切りとパソコンがぎっしり詰まってる職場を見かけたことがある

こんな通行人に筒抜けの場所職場というより動物園っぽいなと思った

2020-03-04

anond:20200304012624

保証されるかどうかは分からないけれど、ネットカフェに行って作業しつつ領収書を保存しておくのがいいかも。

会議の多い人だとそれも難しいかもしれないが。

あと、学生じゃない人向けの自習室とかもあるよ。

2020-03-03

anond:20200301173451

これまで順調に高校まできて、初めて、高校生でもなく、大学生でもない不安定立場である浪人生になったことに不安を感じているんですよね。

わかります自分20年前そうでした。私はその後東大卒業して、研究者をしています

あなたが今やるべきことは



最後に。あなた純粋にやる気のある人なのか、落ちた言い訳をしているだけの人なのか、私にはわかりません。

あなた研究者に向いているのかどうかもわかりません。

ただ今の段階で、研究者になりたいという夢があなたががんばることの原動力になるのであれば、それを否定する権利は誰にもありませんし、

夢に向かってがんばってください。

大学に入った後で、やっぱり自分スタートアップを起こそう、大企業に勤めよう、やっぱり医者になろう、芸能人になろう。

何でもいいと思います。好きにすればよいと思います。いま研究者を目指したからといって、一生研究者をする必要もありません。

東大研究者すら辞めて自分会社を起こしたり、Google等の大企業所属したりする時代です。

浪人生研究者になりたいといった夢を一貫してないなどと批判する大人戯言など無視してください。

4月になったら、増田にも書き込まず、インターネット遮断して、TwitterLINEなどもやめて勉強をしてください。

来年の春に、また増田に書き込んでくれることを楽しみにしています

2020-02-18

助けてください

大学受験してきました。すみません文がぐちゃぐちゃで許してください。もういやです。隣の人が鼻を、ずっと鳴らしていました。30秒に一回くらいです。受験英語からまり英語時間はそんなに鼻を鳴らしていませんでした。しか現代文になって30秒に一回ほど鳴らし始めました。普段から教室などで話し声がダメで集中できなくなってしまタイプなので、全く集中できませんでした。試験官の方に言おうと思いましたが別室受験できないし真ん中の席で呼ぶのに遠くて躊躇って躊躇って結局言えませんでした。なんで言わなかったんだろうと自己嫌悪がすごいです。でも隣の人が鼻を鳴らしているだけで解けなくなるなら社会に出たらやっていけるわけないと思うともうどうしたらいいかわかりません。すごく行きたい学部だったのですが、なんで言えなかったのかわかりません。読まなきゃと思っているのになにも頭に入らず泣きそうになりながらとりあえず回答を埋めましたがなんで私は集中できなかったんでしょう。集中力が足りないのだと思いますがあまりにもこんな些細なことで集中できなくなる人なんて友達にいませんし調べるとADHDと出てくるので親に相談しましたがそんなわけないと言われます。実際Twitterなどであれば電車などでも理解することができました。またかみをめくる音などは平気です。他人の声がダメです。チック症の人などの喉の音も無理です。集中力が足りないと言われるのですがではどうしたら集中力は上がるでしょうか。受験期に直さないといけないと思ってマックで本を読もうとしたりしましたが隣のJKの声などでなにも頭に入らずこれなら自習室勉強したほうがいいなと思い治りませんでした。なんで今日に限って隣の人がうるさかったのでしょう。なんで私は集中できなかったのでしょうか。いろんな人に甘えだと言われます。実際そうかもしれない本番なら集中できるはずと思っていましたが現実では隣の人の音に集中できなかった自分が情けないしこんなことすらできないなんて社会の役に立たないし効く薬などありますか?同じ症状の方はいらっしゃいますか?本当にすみません明日受験です今日は一番自信のあったところだったのに出来なくて明日もっと難しいところなのにまた同じことになったらどうしようと思っています。助けてください。すみません普通のことができなくてごめんなさい

2020-01-03

シェアオフィスで一緒のおじさんが気になる

首都圏のある場所で、シェアオフィスをかりて仕事をしている。

住んでいる場所から自転車20分くらいでちょうどいい場所だし、値段も手ごろ。

在宅ワークなので、外に出て仕事できると気分転換になる。

塾の自習室のような感じで、どこでも座っていいシステムだ。

仕事の進みもよくなった気がするし、わりと気に入っている。

でもすごく気になっていることがある。

部屋になんかダサいジャズ風の曲が流れ続けていることは、些細なことだ。

とはいえクリスマスの時期に、ダサいジャズ風のクリスマスソングが流れ続けたときにはかなりイヤだった)

最近、入ったおじさんが、すごく気になる。

というのも、イビキをかきながら寝るし、くちゃくちゃとさせながらスナックを食べ続けている。

ゲップもよくする。

おならもよくする。

おじさんと二人きりだったとき、5分間に5回くらい連続でした。

生理現象から仕方ないとは思いつつ、トイレでするとか工夫できないのかなと思う。

さなことだけど、どんどんストレスが溜まっている。

おじさんと面識は全くない。

このせいで退会したいと若干思う。

いちおうイヤフォン音楽を流しながらやっているけど、なんかい対策いかな。

2019-12-20

上智入れたんやが、友達のおかげなんだよね

もう十年くらい昔の話なんだが

仲良い友人と一緒に勉強してたが、

高校3年の秋から自習室に遅く来たりこないととなんかすごい不機嫌になり始めて

めっちゃ怖くて毎日早くきてたら成績が上がった

それまでほんとやってなかったし

怠惰でやる気もなかったか

助かった

それから大人になっても自由環境よりもある程度怖い人がいるほうがのびのび働ける

2019-12-07

塾の先生と生徒ができてるようにしか見えない

塾の女性先生と同い年の高校生ができているようにしか見えないんだけど

なんか気づけばいつも一緒にいるし、自習室でも小声で冗談交じりの勉強の進行度チェックをよくしている

その話の内容がイチャイチャしすぎてて勉強に集中できない

女の先生が笑いながら「ばか、」とか言っているのを聴くとドキドキしてしま

俺が女の免疫がないからか?

2019-09-08

anond:20190908212931

自宅外で授業や講義を受ける以外に自習とかしたことないや。

外だと静かな自習室やマクドみたいな比較騒音がある環境でもまったく集中できない。

2019-08-09

あの塾はおかしかったのかなと今更思う話

それとも私がおかしかったのかはもう分からない。

私は学生時代とある塾に通っていた。ちなみに個人経営

今思うと「あ〜〜〜〜これ辛かったな〜〜〜」と思い出すのでここで吐き出そうと思う。

・授業の内容が分からなくて、当てられて違う答えを言うと皆の前で叩かれる、怒鳴られる。叩かれるのが当たり前だったせいで先生が手を上げただけで反射で首をすくめてた。

・授業中でもそれ以外でもブスなどと暴言を吐かれた。

先生健康に突然目覚め、「健康の為に良いから」と言って強制的健康に良い器具自称)をやらせたり、言葉を言わされた。なんか変な宗教みたいで怖かった。

生徒の一人がそれをやり忘れた事があった時にキレて「もう面倒を見ない」と怒鳴った。

自分の考えの押し付けがすごい。

自習室勉強をやりに来ているのに、ずっと話しかけてくる。1時間くらい。目の前に座って話されるので無視する訳にもいかなくてずっと聞いてた。

・塾内で講師を呼んで行なっていた英会話強制的に参加させられた。毎週のように参加させられ、1ヶ月分の料金を請求された。ちなみに事前説明なし。

・力が強いし大柄な男性なので怖くて逆らえない。自分の思ってる事を言えなかった。(これは私が悪いのかもしれない。)


恩はある。感謝もしている。

だけど辛くなった。

今までここ以外の所に行った事が無かったからこれが普通なんだとずっと思ってた。

学校で他の先生勉強を教えてもらって、「分からなくても怒ったり叩かれたりしないんだな」とは思ったけど。

それでも辞めなかったのってなんでだろうね。洗脳でもされてたのかな。学校先生はアホだから話聞くなとか塾で言われてたし。

ある時、毎日怒鳴られてもう怒鳴られたく無くて課題改善して持っていってまた怒鳴られて、っていう流れを繰り返す内に精神的に嫌になっていってやめた。

先生と話していても愛想笑いしかできなくなった時から「もうここにはいれないな」って思ってた。


恩はあるけどもう二度と顔は合わせたくないです。

塾がおかしかったのかな。要領が悪い私が駄目だったのかな。

まあでもこれを思い返せばある程度の理不尽でもこれに比べたらマシかなとは思えそう。

先生、体に気をつけて元気でいてください。もう二度と私の人生の中には現れて来ないで下さい。さようなら

2019-07-02

貧富の格差を小さくする簡単方法

ここ半年ほど、図書館自習室に通っている。

たいてい夕方から入るのだが、驚いたことがある。

平日にもかかわらず、結構人がいるのだ。

日によっては満席になることもある。


勉強の合間に休憩室に行くと、学生さんと思しき若者たちの話が聞こえてくる。

塾には自習室があり本当はそっちに行きたいけど、経済的理由で通えないため、図書館勉強する子が多いようだ。


どうも若者たちの話では、席が空いておらず、家で勉強することも多いと。

でも家だと、どうしてもはかどらない。


わかる。

家には誘惑が多い。

俺が図書館に通っているのも同じ理由だ。

ちなみに俺はサラリーマン

資格取得のため勉強をしている。

やっぱり自習室は集中できる。

俺が勉強を続けられているのは自習室のおかげと言っても過言じゃない。


でも金土日や学生さんテスト間中は、満席になるため、足が遠のく。

空き待ちと思しき人もチラホラいる。

自習室に通えなくなり、勉強の習慣を辞めてしまう人もいると思う。


社会人専用席というのもあるんだけど、そこに学生さんらしき若者が座っているのも珍しくない。

パソコン専用席というのもあるけど、普通に勉強している若者もいる。

けどまあしょうがないと思って見ている。


貧富の差問題にはなっているけど、

単純な話、自習室を増やせばいいじゃないかと。


勉強する人口は増えるだろうし、それに伴って貧富の差も減るんじゃないか

わりと現実的公共投資だと思うんだけど、どうかな?

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