はてなキーワード: グシャグシャとは
「見た目が全てじゃないけど、第一印象になりやすいのは確かなんだから。もっとオシャレに気を使うべきよ」
「い、いつも色んな服に着替えてるよ」
タオナケの明け透けな態度に、ドッペルはしどろもどろな応答しかできない。
そんな、ほぼ一方通行なやり取りが、しばらく続いた。
いわば水と油といえた。
この場合、どちらが水で、どちらが油かは知らないけど。
そして大方の予想通り、それが先にやってきたのはタオナケの方だった。
「あのねえ、こういうのって色々と理由をつけて複雑な問題にしたがるけど、実際のところ答えはシンプルよ。自分がどう思い、それに対し自分がどう行動するか」
「は……はあ」
「そこには数学で習う方程式なんていらないし、電卓が必要なほど膨大な数も要求されない。私たちガキでも解ける、算数レベルの単純な問題なの。ドッペルは分かりきった答えを先送りにしているだけよ」
それはアドバイスのようでいて、煮え切らないドッペルを半ば責めているようにも聞こえた。
「あんた人見知りだから、誰かを演じることで緊張しないよーにしてるんでしょ。“ありのままの自分”を見せることが怖いから!」
だけどドッペルがいくら消極的とはいえ、いくらなんでも踏み込みすぎたようだ。
タオナケの言葉の何が、どのように作用したかは分からないが、それは確実にドッペルの神経を逆なでしていた。
「あー!」
ドッペルはおもむろにマスクを外すと、か細い声を精一杯にはりあげた。
そして狂ったように両手で髪をかき乱し始める。
突然のことにタオナケ含めた俺たちは戸惑うしかなく、ただその様子を見ているだけだった。
「はあ……はあ」
肺の酸素がひとしきり出て、ドッペルは息を切らす。
すると、そこには俺そっくりの人相が現れ始めた。
それはドッペルお得意の変装であり、その中でも十八番のモノマネだった。
普段なら仲間でも見分けるのが大変なほどだけど、さすがにこの状況では変装の効果は発揮されない。
タオナケが“ありのままの自分を”と言って間もなく変装して、“自分以外の誰か”の姿をしてみせる。
それは明らかな拒否反応を示していた。
ドッペルは俺の喋り方を真似ながら言った。
タオナケは質問の意図を図りかねているようで、漫然と答えるしかない。
「言ってる意味が分からないんだけど、考えるまでもないわ。私は私、それ以上でも以下でもないわ」
清々しい回答だ。
しかし、ドッペルの表情は曇っていく。
多分そういうことじゃないんだろう。
「もういいよ、これ以上タオナケとは話したくない」
それを残して、ドッペルはその場を去っていった。
寒い寒いと言いながら、三時のおやつでも食べようかとリビングに降りてきた私に、キッチンから父がボソッと声をかけた。
「エアコンなら、母さんが業者呼んで清掃してからじゃなきゃ使わん言ってたから、つけたら怒られるぞ」
はぁ?という顔をしている私に、いらんといったのが聞こえなかったのか、みかんを手渡しながら父が言う。
「なんで寒くなる前にやっとかんかったんだって話よな。そんなこと言ったら、怒られるから絶対言わんけど」
からからと笑う父。手に持つマグカップには湯気の立つコーヒー。テーブルに目をやると、みかんの皮が散乱している。
ソファの背もたれにかかっていたひざ掛けを腰に巻いて、リビングのテーブルにつく。渡されたみかんを揉みながら、
頼むより先に父はグラインダーに豆を入れていた。ブィーンという無機質な音が部屋に響く。
「みさちゃん、昨日の夜酔っぱらって、そこまで聞けんかったけど。この後どうすんの。そこらへん、母さんとは話したんか?」
「うーん」
どうしたものかと私は少し考えた。昨夜、久々に帰省した私のために、自宅ではささやかな歓迎会が催された(とはいっても少し豪華な寿司の出前をとったくらいだが)。食事を終えて、家族三人テレビを見ながらダラダラとお酒を飲んでいたのだが、父は早々かつ静かにリビングのソファに沈んだ。腹に猫を乗せて、スマホのバイブほどの小さな音量でいびきをかきながら寝る父をそのままに、母とは今後の話をある程度した。正味二時間ほどかかったその話を、今父にするにはまだ話をまとめ切れていない。母からは同姓として理解は得られても、父にはこの冗長な割に何も決まっていない私の現状を伝えても、ただ心配を駆り立てるだけではと不安になったのだ。
「まぁ暫くは休むよ。貯金もあるし。今はまだ動けん気がするし、何より少し疲れたわ」
みかんの皮をむきながら、はぐらかすようにそう答えると、コーヒーを入れる父の手に視線を移した。暫く見ない間にまた年季が入ったなぁと、ふとそんなことを考えた。
ここ数年、私(輝く三十代独身)はアメリカ西海岸の小さな広告代理店で仕事をしていた。小資本の飲食店や小売店なんかがメイン顧客だったので、今回のコロナによる各種制限後はほどんと仕事がなく、一部制限解除後もほとんどの店はコマーシャルを打つ余力はなかった。片手間に作っていた無料情報誌なんかは、コロナ対策のコラム等を差し込みつつほそぼそと発行を続けていたけれど、いつしかそれも限界に。結果、私はあえなく「状況が良くなったらまた声をかけるから、必ず戻ってきて」とお決まりのコメントと共にレイオフの網にかかったのである。こんな状況ですら私を限界まで雇い続けてくれた会社には感謝しかないが。
解雇後「とりあえず一旦リセットだな」と考えた私は、実家に帰ることにした。異性関係は、現地で交際していた男性と二年ほど前に別れた後はパッタリだったし、行きつけのチャイニーズレストランもコロナで潰れたので、かの地に私を繋ぎ止めるものはもう何もなかった。大卒後から今までずっと海外でもがいてきたこともあり、このひっくり返った世界を口実に、このタイミングで実家でゴロゴロしてやろうと、そういうことである。しかし状況が状況なので、帰国を決断した後も、やれ渡航制限だ、やれチケットの予約だと色んなことがうまく繋がらず、なかなか出国することができなかった。ようやく帰国の日取りが決まったころ、
「帰るで」
ポッと送ったLINEに、
「車で迎え行く!楽しみ!おめかししてく!」
と還暦も半分過ぎた母はノリノリで返信したにも関わらず、当日派手に寝坊した。私が期待していた、到着ロビーでの感動の再会(BGM:青春の輝き/The carpenters)は叶わず。実に四年ぶりの帰国はなんとも味気のなく、一人公共交通機関でと相成ったのである。
「あれな、『コロナだし、やっぱ行かん方がいいと思って』って言い訳しとった」
私の分のコーヒーを手渡しながら、けらけらと父は笑った。
「ほんと昔から適当な人。あんなんと結婚した意味が分からん。初恋の人とか言わんでよ?」
私が次のみかんに手を伸ばしながら言うと、
「初恋かぁ……」
ギリギリ聞き取れるくらいの声でボソッと言った後、父は一人モジモジしながら下を向いた。思えば父と母がイギリスで出会ったという話は聞いたことがあるが、初恋話となると聞いたことがない。恐らくこの人の初恋は母とは別の人と思うが、どうせ時間もあるし、掘れば面白い話が聞けるかも知れないと思った私は、
「そしたら、父さんの初恋っていつよ?」
別に話したくなければいいですよ、ええ。と二個目のみかんの皮をむきながら、興味なさげに聞いてみた。暫く返答がないので視線を上げると、相変わらずモジモジしながら、父は照れくさそうに顔を上げた。
「お墓に持っていくほどのものでもないし、話してもいいか。母さんには内緒だぞ?」
言うと父はテーブルの上のみかんの皮をまとめてゴミ箱に入れると、ゆっくりと向かいの席に着いた。
(結局話したいんでしょうに……)
「みさちゃんも墓参りの時に行った叔父さんの家、まぁあれは父さんの実家でもあるわけだけど、裏手に階段あったやろ。急なやつ。あそこを登ると昔図書館があったんよ。市立だか県立だか忘れたけど、そこそこ立派なやつがね。父さんは大学の受験勉強を毎日そこでしてたんだ。家だと兄弟たちがうるさいから」
父の実家は西日本の某所。坂の多い海辺の町だった。遠方であることもあり、私は小学校高学年の時に祖父母の墓参りに行ったのが最後、以来そこには行っていない。
「そこの自習室がさ、海に向かって大きな窓があって。部屋にストーブがあったけど、やっぱり窓が大きかったせいかな。冬場はすごい寒かった。でもそのおかげで利用者が少なくてね。少し寒いくらいの方が頭も冴えるし、父さんはそこを好んで使ったんだ。あともう一つ、別の理由もあったんだけど」
父はそわそわと立ち上がると、コーヒーのおかわりだろうか、電気ケトルに水を入れて沸かし始めた。ケトルがお湯を沸かし始める音が、私の想像の中の自習室のストーブの音と重なる。父はそのままケトルのそばから離れず、窓の外に目をやりながら続けた。
「父さんともう一人、その自習室を使う女の子がいたんだ。とても綺麗な、束ねた長い髪が印象的な子だったよ」
突如文学的な表現をし始めた父をみて(これはキモイな……)と思った。初恋話を聞くのにある程度の覚悟はしていたものの、父の口から語られるそれは、なんとも中途半端な恋愛小説のようで、
(これは、脳内でキレイどころの女優さんでもキャスティングして、程よく補完しながらでないと聞くに堪えないな)
そんなことを考えながら、みかんを口に放り込んで聞いた。
「それが初恋の人?思ったよりチープな感じ」
「最後まで聞けよ。みさちゃんが聞いたんだし、父さんにとっては大切な青春の1ページだぞっ!」
父はムッとした表情で言った。
「隣の高校の女の子だったんだ。同じく受験生だった。頭のいい子でね。その部屋で一緒になった最初の数回は会話がなかったんだけど、ある時勇気を出して話かけたんだ。『どこの大学を目指してるんですか』ってね」
「ほうほう。で?」
「目指してる大学が一緒だったんだ。まぁ、彼女は余裕の合格圏内。父さんは相当な努力を要するくらいの差はあったけれどね。彼女は英語系の学部に進みたいと言っていた。将来は海外に行きたいと。当時ボーっと生きていた父さんと違って、明確な夢を持っていた彼女はとても輝いていてね。ほら、男って単純だから、一発で惚れちゃったんだ。同じ大学を目指す二人。一緒に勉強する自習室。これは、もう、そういうことだろうってね」
「馬鹿なのではなかろうか」
「いや、馬鹿でなくて!」
父は鼻息荒く私を遮り、
「たしかに最初は一方的なものだったさ。けれど、一緒に勉強……というかほぼ父さんが教わるだけだったけれど、毎日のように、約束して、同じ時間を過ごして、そういう感じになったんだ。『一緒に合格しようね』とか『一人暮らしする時は、近くに住もう』とか、これはっ!もうっ!そういうことでしょうがっ!」
若干の金八先生口調になりながらまくし立てた。
「彼女の教え方が本当にうまいもんだから、ギリギリの成績だった父さんも合格圏内に入るくらいになったんだ。夢の大学生活は目の前だった。ある雪の積もった日、勉強を教えてくれたお礼に、図書館の近くでラーメンを奢ったんだ。温かいものでも食べようってね。その帰り道、初めて手を繋いだんだ。女の子と手を繋いだのは、その時が初めてだ。さっき食べたラーメンが胃から飛び出そうだった。家まで送ると言ったんだけど、ここまででいいと。途中で分かれたんだ。次の日も、いつも通り会えると思った。でもなぁ……」
突然、演技派女優のようにうなだれる父。いや、でもこれは結構シリアスな展開なのでは。私は我慢できず、恐らく一番ビンビンに立っていたフラグを掴むと、
「……し……死んだとか?その才色兼備さんは……事故に遭ったとかで……」
ゴクリと唾を飲みながら聞いた。少しの間、静寂がリビングを包む。父は顔を上げると、
「あっ、忘れてた」
と言って、電気ケトルのスイッチを入れ直した。ズッコケる私を一瞥しながら続ける。
「いや、死んでない」
「おい」
「死んでないんだけど、消えた」
は?という私の顔に腕を組みながらうんうんと頷くと父。
「次の日から、もう試験も近いのにパッタリと来なくなった。いなくなって三日後くらいかな、その子の高校に行ったんだ。名前は知っていたけれど、家は知らなかったし、当時は携帯なんてないからな。それしか方法がなかった。今ほど個人情報にうるさくないからな、聞いたらサラッと教えてくれたよ」
ケトルからサーっとお湯の沸く音がする。部屋が寒いからか、注ぎ口から湯気が濃く立ち上る。
「夜逃げしたらしい。母親がいない家庭で、親父さんがあまり真面目な人じゃなかったようでな。突然いなくなったってことだった。仕事で失敗したんだか、博打なのか知らんが……。家の前にも行ったんだけどな。バラック小屋ってわかるかな?そこまで酷くはないけれども、それに近いような、貧相な家だった。当然、明かりもついてないし、扉を叩いても誰も出てこなかった。家の前には、彼女が図書館まで来るのに使っていた、見覚えのある自転車がそのまま置き去りにされてたよ」
そこまで言い切ると、父は黙りこくった。そのまま暫く何も言わず、再び沸騰したケトルのお湯でコーヒーを入れ始める。
私は恐る恐る聞いた。父はいつの間に私のコーヒーが空になっているのに気付いたのだろうか。二人分入れていたコーヒーの片方を私に差し出しながら、
「父さんは合格したよ?」
知ってるだろ?と言わんばかりのとぼけた顔で答えた。
「いや、父さんでなくて、才色兼備さんは?合格発表で奇跡の再会をしたとか」
興奮する私とは対照的に、父は再び、一人冷静にモノローグに入る。
「あの日、合格発表の日。始発で発表を見に行ったよ。大学は遠かったからな。張り出された番号より先にまず彼女を探した。どこにもいなかった。一通り探した後、掲示板を見た。自分の受験番号があった。でも全く喜ぶことができず、父さん、そこでずっと立ってた」
(ヤバイ、泣きそうだ)
目の前でセンチメンタルに語られるオジさんのモノローグに、不覚にも目頭が熱くなる。
「当然彼女の番号はおろか、受験したかどうかさえ知らないからね。その日は大学の門が閉まるまでそこにいたよ。掲示板は何日張り出されてたんだっけな、もう覚えてないけど、もしかしたら今日これなかっただけで、明日見に来るのかも知れない。そう思った父さんはなけなしの金をはたいて近くの民宿に泊まって、翌日も一日中待ってたんだ」
「……でも、来なかったんでしょ」
ティッシュで目頭を押さえながら私が聞く。指先についたみかんの酸が目に染みる。
「うん。来なかった。そして大学に入ってからも、彼女の姿を見ることはなかった」
自分の話なのに、ウルウルとなく娘にもらい泣きでもしたのだろうか。ズビッと鼻を一度ならすと、
「きっと、受験できなかったんだなぁ。だって受験してたら、彼女なら絶対受かってるもの。あんなに行きたがってた大学だったんだから」
父はしみじみそういうとコーヒーをスッとすすり、一つ残ったみかんを、テーブルの上のカゴから取り出した。
(なんて切ない話だ……)
還暦もとうに過ぎたオジサンのコイバナに、悔しいけれど胸を打たれた私は、鼻水をかみながら劇場を退席しようとした。脳内で有村架純あたりを勝手にキャスティングしていた才色兼備の不憫さも去ることながら、そこにいない初恋の人を必死に探す父の哀れさを思うと、今はすっかり禿げ上がった父にも、そこそこかっこいい俳優をキャスティングしてやらねば。そう思いながら、ソファで眠る猫を抱えて二階に上がろうとした。その時。
「でも、この話には続きがあってな」
ニヤニヤとしたり顔で笑いながら、父は私を引き止めるように言った。
「父さん結婚前にイギリスで単身赴任したことあるって言ったろ。そこで彼女と再会したんだ」
私は慌てて猫をソファに戻すと、前のめりになりながら席に戻った。と同時に私は焦った。父と母はイギリスで出会ったという話を思い出したからだ。そうすると、有村架純をキャスティングした才色兼備の役を再考しなければならない。あの母親は……明らかな才色不備だ。
「あ、母さんじゃないぞ」
私の焦りを察したのか、落ち着かせるように父は釘をさした。
「日本人の駐在員が集まるパブがあってな。仕事終わりにそこで飲んでいたら、隣に二人組の日本人女性が来たんだ。その片方が彼女だった。一目でわかったよ。向こうもそうだったと思う。『もしかして、○○さん?』って聞かれた時、夢でも見てるんじゃないかと思ったよ」
「うわぁ、本当にそんなことってあるんだ。もうそこから話が止まらなかったでしょ」
「いや、お互いとても驚きつつも、一言二言交わしてその日は別れたんだ。向こうは連れがいたしね。翌日は休みだったから、また明日改めて会いましょうと、向こうから番号を渡された。その番号を見て色々悟って、嬉しくなったね」
「なにを悟ったん?」
「電話番号だけで、ホテルの名前とか部屋番号とかは書いてなかった。つまり定住しているってこと。ちゃんと夢を叶えたんだと」
「なるほどねぇ」
そんなに長いこと話したつもりはなかったが、いつの間にか部屋は薄っすらと暗くなっていた。父がパチッと部屋の明かりをつけると、猫が呼応するように二階へ駆けていった。
「でもさ、そんな感動の再会したら、もうそれは運命の人じゃないの?どうしてその人と結婚しなかったのさ」
話が一周して戻ってきたが、単純にそう思ったので聞いてみた。そりゃあ、今の母と結婚したから私がいてとか、そういう御託はあれど、普通ならそこでくっつくだろうと、そう思ったからだ。
「あら、そういうパターン」
「あの後、働きながら勉強して、渡英して、仕事についたと言っていた。そこで出会った人と結婚したそうだ」
それを聞いて、世の中うまくはいかないのだなと思ったのはもちろんだけれど、ふとその時父は何を思ったのかが気になった。初恋の人との運命的な再会と同時に、自分の恋が終わった時、悲しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。私だったらグシャグシャになってしまうかも知れない。しかし、そんな私の疑問は、次の父の言葉ですぐに解消した。
「心から嬉しかった。父さん、みっともないけど、そこで泣いちゃったんだよ」
照れくさそうに笑いながら父は続けた。
「良かった。良かったってね。ずっと心につっかえていたものが取れたような気がした。『ありがとう』っていう父さんに、あの人は『なんで?』とは聞き返さなかった。わかってくれたんだろうね。『こちらこそありがとう』と」
「どういうこと?」
今までの話の中で、父がその人に感謝することはあっても、父が感謝されるようなことがあっただろうか。
「『君が海外に行ったら、そこに僕も必ず行くから、その時はバッチリの英語で観光案内してほしい。約束しよう』父さん、そう言ったんだと。全く覚えてなかったけどね」
「そんな約束してたんだ」
「『私が海外に行くことに、きちんと意味を持たせてくれたのはあなただった。約束を守るために、頑張ったから今ここにいるの』と言われた。父さんも、彼女の役に立ててたんだ」
一昔前のトレンディ俳優のようにフッと小さく笑うと、そのまま父はトイレへと消えた。
(お前はすっかり忘れてたわけだけどな)
父の背中に心の中で柔らかく突っ込みながら、私もニッコリ笑った。
「ああ。会ってない。連絡先も特に交換しなかったんだ。まぁ色々あってね」
キメ顔で答える父に、久方ぶりに(気持ち悪い)という素直な感情が戻ってくる。
「ただいまぁ」
「あら。何仲良く話てるの珍しい」
リビングに入ってきた母は、そう言いながら、みっちり膨らんだエコバックをキッチンに置いた。それを見て、先ほどまでの話題のせいで居心地が悪いのか、父が二階へ避難しようとする。
「なになに?なんの話してたん?」
トイレに行こうとする有村架純とは程遠い母が、リビングの出口で父に聞く。
「いや?たわいもない話だよ」
父は道を譲りながら誤魔化した。訝しげな視線を投げながら、母がトイレに入ったのを見計らって、
「ちなみにな」
父は私の耳元に口を寄せると最後にコソッっと
「彼女と再会したとき、パブに彼女と一緒に来てたのが母さんだ」
そう付け足して、ニヤニヤしながら駆け足でリビングを後にした。
「えぇー!?なにそれぇ!」
「ねぇー!何の話なのー?」
あの人との馴れ初め話は、また後日みかんでコーヒーを飲みながらでも聞こうと思う。
2000年の12月24日、父が死んだ。バイクでの事故だった。当時の私は8歳だった。
あまり良い家庭とは言えない家に育って、家族の仲は悪かった。今でも母も父も嫌いで仕方がない。両親は反対を振り切って私を生み、親戚らには関わらないようにしていた。父は酒を飲めば私や弟に暴力を振るったし、母はただ静かに泣いていて解決をしようとしないだけの人間だったような家だった。4人暮らしの6畳1間のアパートの壁は経年劣化だけじゃなくて父が暴れた際の傷でいっぱいになっていたのを覚えている。
最近見つけた、7歳の時の作文には父が知らない女に金を使い旅行に行けなかった悲しみが綴られていた。その時の女は私が学校から帰ってきたら父と何やらしていたのが印象に残っていて、大人になってからそれが明確な不倫だと知った。
酔っていない時の父は寝ているか、二日酔いで吐いているかのどちらかだった。
8歳のクリスマスが近づいて、今年のクリスマスプレゼントは小さなクリスマスツリーの下にプレステ2をお願いした手紙をサンタに宛てて置いていた。この頃の父は酒を飲んでも飲んでいなくても暴れ、暴力を振るい、私たちは常に怯えていた。
そんな父がある日突然家の中で遊んでくれた事があった。父は私と弟を可愛い子供の若く良い父親を演じる小道具として扱っていたから外では優しかったけれど家の中で遊んでくれたのは後にも先にもこの1回だけだった。突然の父の豹変に戸惑う事も無くただただ喜んで遊んでいた。かくれんぼをした。父が乱雑に積まれた服の中に隠れていたのを全く見つけられなかった。意味の無い話もした。内容は全く覚えていない。
その年にサンタは来なかった。
父のバイクの後ろに何故か乗っていた明るい包装紙に包まれたプレステ2は事故に巻き込まれてグシャグシャになっていた。
その後の事はあまりよく覚えていない。
年が明けて気が付いたら苗字が変わり、更に古いアパートに母と弟と3人で暮らした。
今年、12月になったら私は苗字が変わる。10年付き合った人と結婚をする。
あの日亡くなった父の年齢は超した。
私は良い母親になれるだろうか。
自分、中学2年より前はずっと半分夢の中で生きてたみたいだった。
自分はきっと、「風呂で自分の体積はかる」ってのがまず理解できなかったと思う。
やることをプリントに書いてあったとしても、まず風呂の水面から風呂桶のフチまでの長さを測り、風呂桶の幅と奥行きを測るところで数字を3つ覚えきれなくて、1つずつ書けばいいんだ、とわかるまでに濡れた手でプリントに書き込もうとしてグシャグシャにしてしまいそうだ。自分が湯船に入ったらまた水面からフチまでの長さをはかるわけだが、すっかり忘れてかけ湯をしたりタオルを洗うのに湯船の湯を使ってしまって変な数字になりそうだ。
あの増田に書いてあった先生はすごくいい先生だったようだから、自分みたいなボンヤリな子供にもきっと目配りできる先生だったのだろうと想像するが、具体的にどんな目配りが可能だったのかはよくわからないな…。
まあ、ボンヤリでも「なんだか知らないけど、何やってるかわからないけど楽しかった」と漠然とした思い出が残ればそれでいい気もする。
自分は小学校時代は「何やってるかわからなくてなんだか叱られてばかりで困っていた」という記憶ばかり残っているから、それよりはマシかもしれない。
体が男でも心の性別が女だろうと男だろうとスカートはいたり女装して楽しむのは個人の自由だと思う
ただ女に絡みたがる人は怖い
女をフォローしまくりおかま口調の馴れ馴れしいリプを飛ばしまくっている
シワシワのグシャグシャな妙に露出の多い女物の服をただ着ているだけなのでサイズが合わず服がパンパンになっている
女と仲良くしたいがためにここまでするのか?
モテたいとも違う気がする
話すきっかけが欲しいなら女が好きそうな趣味に手を出した方が早い
よく分からない
サイズの合わない服を無理やり着て似合わぬ自撮りを上げる心理が分からないので余計怖い
撮る前に服を整える
背景のおっさんの生活感を消す(子供部屋おじさんっぽいアイテムが映らないようにする)
加工を頑張る
くらいしか思いつかん
うちの妻によるルールの数々。
ゴミ出し
買い物
その他いろいろ。
絶望的に家事センスがないので、僕がやるよって取り上げたら邪魔してくる。
本人的には楽しいらしい。
趣味でやっているから合理性なんか気にしないって感じなのかもしれん。
しかしときどき面倒くさくなるのか「ちょっとは手伝ってよ!」とか言ってくる。
実にアホな女だが楽しそうなのでとりあえず良しとしている。
どうということもない大したことのない依頼だ。
本人には言ってないけど、ニューシネマのような生き方だと思っていた。
社会からドロップアウトした人が、ちょっとした思いつきで何かを始めて、ちょっとしたきっかけで一躍有名になる。
笑っていいんだから悪いんだかいまいちわからないシーンを積み重ね、だんだんとグシャグシャになっていく。
大体最後はうまくいかなくなるんだけど、ちょっとした希望のようなものがどこかにあって、それもまあ有りかと言ってふらっと去っていく。
何冊か出たレンタルなんもしない人の本の中には依頼者からもらったという星型の風船の写真が載っていて、それが最後の方では萎んでしまっていた。
テレビやメディアに紹介されたレンタルなんもしない人はあっと言う間に時代の寵児となり、もてはやされ、アンチに叩かれ、国分寺からの交通費だけだったサービスは有料になった。
幸せだと言っていた奥さんと子供のいる家からも喧嘩して飛び出したそうだ。
住所不定で今度はロードムービーなんてますますニューシネマだよ。
ニューシネマが終わりにに近づくにつれてなんとなく物哀しくなるように、もしかしたら彼のサービスももうすぐ終わるのかもしれない。
どちらにしてもいつかは終わらせるつもりなんだろう。もともと貯金が続くまでと言っていたわけだし。
脱臭方法を書いたら「出来ない。疲れてるから」が散見されたので、俺のHackを共有する。疲れてるおっさんの知見になると良い。
かく言う俺も、過去にはモノが多い汚部屋に住んで、郵便受けはグシャグシャで、休日は一日中ゲームして、みたいな生活だった。カネは無いし、時間もないし、イライラしてた。今思えば、カネの使い方、時間の使い方だ。
人は変われる。俺が出来ることは、あなたにも出来る。未来は変えられる。
ダ行の言葉って……。
せっかくだから俺は「出来らぁ!」を使うぜ。
「『出来てる人がいるんだから、俺にも出来るはずだ』と思ってたら、俺にも出来たよ」
と言った先輩。感謝している。
というのも、こういう「日本中が〇〇の話題で一色!!」ってなときに必ず出現する
「あーまじうぜー、俺は〇〇なんて全然興味ないのにー、周りが騒いでてうぜーなー、あーうぜー」
と『わざわざ』発言するヤツに「反応した時点で興味を引かれているから」と毎回突っ込みたくなるのが辛くなる
真に興味が無いやつはまずそんな発言はしないのだが、奴らは「興味がない」ってことを理解共感してもらいたいがため、更に悪質なことに単に目立ちたいがために
自分と考えを異にする集団にわざわざ突っ込んで「俺は〇〇が嫌いだ!」と叫んで悦に入るクソみたいな輩に対応する、といった出来事が毎回恒例行事のように出来上がってしまっているのが、悲しい
この負の連鎖を打ち止め手法として考えたのが「真に興味がなく、『興味がない』ということを誰にも言わない人を褒めよう」という運動をする、ということである。
「令和?良いんじゃないですかね?私はこれから仕事があるので」と言って我々の連休中のサービスを支えている仕事をする方に感謝とともに褒めよう。
「退位した時何してたかって?ゲームだよゲーム」と言って連休中ひたすらゲームに没頭して、我々に何の危害も与えない人に感謝とともに褒めよう。
「天皇?元号?知るかンなもん!そんなことより設定6の台が俺を待っている!」と言ってグシャグシャの万札持って出かける輩を、感謝はいらないが褒めよう。
そうすることで「〇〇に興味のない人は『〇〇に興味がない』と言わない」という風潮を美徳にすることができる
誰も損しない、素晴らしい美徳が出来上がることを期待して、私は川に向かって石を投げているそこらのおっさんを褒めようとおもう。
ここのところセックスレスの話題が人気だけど、私も何を隠そうセックスレスで悩んでいたことのある1人。
女性としての魅力がないの?私の体に飽きたの?もしかしてアソコが臭い?それとも口が臭い?体がたるんだから?年取ったからら?他に好きな人できたの?言えない性癖があるの?疲れてるってほんと?週末するってほんと?
どうして?ねぇどうして?
どうして、こんなに見苦しく懇願してもしてくれないの?
もう絞りすぎてカスのようになった勇気を死ぬ気で振り絞って聞いてみても
「そんなことないよ」
「私のこともう好きじゃないの?」
「そんなことないよ」
わたしはこの言葉が地獄のようだと思っていた。毎日毎晩刃物で体をえぐられて、ちょっと大げさだけどそれくらい辛くて、それなのにパートナーは好きだよ大事に思ってるよってキスをしたりする。
おやすみとキスをする人に何年も刺され続ける気持ちがあなたにはわかるだろうか。
好きだよ、と言ってすぐに寝息を立てるパートナー。そのすぐ横で私は傷をえぐられて血まみれになって眠れぬ夜を過ごす。
どこにも行けないし、どうにもできなかった。キスをされて頭を撫でられて、その度に醜く期待して裏切られて。
ただただ血のような涙を流し続けるしかなかった。
週末になったら、とか仕事が暇になったら、とか、お腹痛いとか眠いとか、もうそんな理由が真実じゃないことはあなたのパートナーは気がついているはず。
臭いとかブサイクだからとか、下手だとか貧乳とか浮気してるでも風俗にハマってるでもなんでもいい。あーそっか、それなら仕方ないかと思える理由をあげてほしい。
大好きだよ、大事に思ってるよ。僕たち仲良しだよね。何も不満はないよ。でもセックスはしない。
好きなのにどうして傷つけるの?どうしてどうしてどうしてどうして。
この地獄のような日々から抜け出すのに私は10年かかった。抜け出した今もふと、どうしては蘇る。
だからどうか。
どうかほんの少しでも大事だと思うのなら解放してあげてほしい。
心を許したパートナーが毎日何事もなかったような顔で私を少しずつ殺していく。これ以上の地獄を私は知らない。
なんかすごい反応で驚いてます。
そしていろんな意見があって面白いなぁって興味深く全部読んでます。
どれも真実なんだろうなぁと思うと結構刺さる。辛辣だったり優しかったり、貴重なご意見、ありがとうございます。
さらっと書きましたが、レスだったのはもう過去のお話です。思い出しつつ書いてみましたが、いやー改めて読み返すと私もひどかったなと。
誰が悪いとかどっちのせいとかじゃなくて、どうすれば良いのか知りたかった。なんなら全部私のせいで全然いいからこの状況から助けて欲しいって切に思ってました。(セックスセックス書くのもあれなので、)たとえば、なんでそんなリンゴばっかり欲しがるの?と言われようとも、私は彼がくれるリンゴしか食べたくなかったし、彼がくれるリンゴに憧れていました。リンゴの存在を忘れる方法があるならどんな方法でも知りたかった。
世界にはリンゴが溢れているように見えたけど、どんなに追い詰められてもそれを食べないことが夫婦なのかなとも思ってた。
彼の目には私は異常者に見えていたんだと思います。現に、そんなにしたいの?頭おかしいんじゃないの?って言われたこともあるしね。
私は異常だと言われても、彼がくれるリンゴを2人で食べたかった。もしも彼がリンゴを持っていないのなら、梨ならどう?とか、ブドウは?みかんなら?的な話ができる、そんな関係でいたかった。他の人にもらうリンゴでも、自分で作ったリンゴでもダメな気がしていました。
それがきちんと彼に伝えられてたのか、伝わらなかったのか今となっては聞くすべもないのでわかりません。
2人で作ろうとしたものを2人で壊していった、みたいに時が経った今は感じてます。私も自分が満たされないことにとらわれて、彼がリンゴなんて食べたくないと感じている現実を認められずにいたのが何よりの証拠。
あの文章読むと当時はたしかに私辛い辛い辛い辛いで被害者意識強すぎたけどね…
それもこれも全部ひっくるめて、相性だというのなら、私たちは違ったんだな、と思います。
別れ際、彼は私に甘え過ぎていた、本当に申し訳ないと言っていました。チャンスがあれば全て自分が努力するからどうか帰ってきて欲しい、とも。
悲しいことにその時はもう私自身が彼の持つリンゴを食べたいとは思えなくなっていて、何よりここまで来ないと努力しようと思えないアンド努力ってのもなんか違うんじゃないかと思ってしまってて。すれ違ってこじれて少しずつ確実に、10年間でこんなにグシャグシャにしてしまったんだなぁとぼんやり考えてたことを懐かしく思い出したりします。
「そんなことないよ」
その彼の優しい一言が、私にとってはどんな罵倒よりも辛かった。心が向き合えていないことを痛感してました。でもそれが彼の精一杯の優しさだったのかな。どこへ行くにも一緒で、家族として大事に思っててくれることもわかっていたから、私は彼が好きだったし、どこにも行けずに10年間リンゴを諦めきれずにいたのだと思います。
…ということを書こうと思ってなんとなく書いてたのがコレです。
今でも時々、ほんとうにどうしようもなかった?2人で生きていく方法はなかった?別れが最善の選択だった?本当に本当に?と考える時があります。ずっと一緒にいるもんだと思ってたよ、と泣いた彼の泣き顔を、今でもたまに夢に見る。きっとそれもいつか忘れてしまう日が来るんだろうな。
多くの意見があるように、セックス=愛 ではないのかもしれない。
割と似た経験をしているので目に止まった。
増田のつらさが、分かるとは軽々しく言えないが、共感を持って想像できる。
自分も小学生の頃、誰に見せるわけでもなく休み時間にひとりで描いていたイラストが、ある日グシャグシャにされて黒板に貼られていたことがある。
イラストは単なるきっかけで直接の原因ではなかったのかもしれないが、つとめて波風立てないようにしていただけに「なぜ自分が」とショックだった。
何か人と違うことをしているというだけでおもちゃにされるという現象は、割と普遍的なんだな。
あと、好きな記憶と嫌な記憶が一緒になってるってのもつらいよな。どうしようもない感ある。
でもわざわざ書いたってことは、なんか変わろうとしている気持ちの表れなのかもしれないし、
後悔を活かしてアイデンティティを再構築していければと思う。
大学の同期では上から数えた方が早いくらいに仲のいい男友達だった。後悔は絶たない、涙も止まらない、とはいえ親友でも家族でも恋人でも無い。レンタカーを3台借りて皆で行った葬儀の帰り、さっきまでグシャグシャに泣いていた友人達がサービスエリアで談笑しながら唐揚げを食べているのを見て、生きていくとはこういうことかとなんとなく思った。大切な人がひとり死んでも、冗談で笑って、ご飯を食べて、眠くなったら寝るんだ。
半年平気で過ごしたあとで、心療内科にかかることになった。キッカケはバカバカしいことにNetflixで徹夜して見たデビルマンcrybabyがトラウマ級に怖かったからだったが、症状が進むにつれてデビルマンのことは忘れた。毎日恐怖に体中を支配されて、コントロールできない「怖い」に気が狂いそうだった。戦争、災害、AI、宇宙人、恐怖心の対象は「必ずしも可能性を否定できない思いつく限りの地獄すべて」という感じだった。
耐えかねて初めて訪れたのは大学の健康管理施設だった。精神科の先生に話を聞いてもらい、どうやら根本の原因は友人の死にあるらしいとわかった。心療内科を紹介され、大学の方で週に一回のカウンセリングを組んでもらった。10月の頭のことだ。
治療は順調に進んだ。半年にわたる不眠も治ったし、恐怖心が生まれても落ち着いて対応できるようになった。問題は次々に出てきたが、その都度先生と話し合い、解決策を見つけてきた。ついに話し合うべき新しい悩みはなくなり、年末を境にカウンセリングは1ヶ月に一度になる。
本題はここからだ。確かに問題はほとんど無くなった。しかしそれは先生にお話できる問題の話だ。3月から、私はセックスができなくなった。というのも、一切の性的快感を感じることがなくなった。相手は同棲している彼一人なので、最初は相手が下手だからだとか自身の経験が少ないからかとか適当な理由をつけて納得していた。しかしだんだんと問題は体ではなく心ではないかと考え始めた。ここからは感覚的な話になるのだが、感じそうだな〜という段階になると頭の中に過去の映像が浮かぶ。他愛もないことばかりだ。家族だったり、友人だったり、特段嬉しくも悲しくもないような記憶の一部。それが浮かぶと一気にどうしょうもないような気持ちになる。途方にくれるような、絶望するような、悲しくて仕方ない気持ちになって、もう感じるどころではないのだ。なんだこれは。
カウンセリングで先生とやってきたように、状況、行動、心情を書き出して考えたりもしてみたのだが、自分一人ではどうも客観視できない。だからといって「セックスができなくて〜」などと赤裸々に相談できるほど私とカウンセラーの先生は仲良しではない。そうでなくても、平静を装ってこの相談をしている自分を想像すると気持ち悪くてどうしてもできない。とはいえ今の状況が続くのはどうも辛い。彼がいつまで本番のできない女と付き合い続けるつもりかもわからない。申し訳ない。考えあぐねてとりあえずなんとなくここに投稿してみることにした。あわよくば何か解決の糸口が見つかるかもしれない。
タイトル通りの「やマ糞」案件なのでそれ言いたい人は読まずにやマ糞とメンションしてください。
そういえばやマ糞って最近使ってないよね。
どこからが不倫かはとりあえず置いといて、その不倫未遂相手は30代半ばの大学の講師でした。
私は先生のゼミではなかったけど、先生の授業をとったのをきっかけで、授業の空きコマはゼミ室に入り浸ってはコーヒーを驕り奢られの仲でした。
ある日、隣県の学会に行くという先生にホイホイとついていきました。俺のゼミ生がお前みたいに献身的だったら良かったのにって。私もまあ似た分野専攻してて勉強になる…という体裁で同行した。
学会が終わったのは16時ちょい過ぎで、その後の懇親会にも顔を出した。こういう場に慣れるのも今後役に立つんじゃないかなーって。
二次会を経ていい感じに仕上がったところで解散となり、さて帰路に、というところで、先生が「もうこっから帰るのだるくない?」と言い出した。確かになあ、これから2時間半かけて家帰るのか。もうネカフェで1晩明かすのもアリですねと言ったら「ちゃんとしたホテルでちゃんと休もう」とスマホをとりだした。
空室あったよと案内された先は普通のビジホで、フロントで鍵を受け取り部屋に入ると、ダブルルーム。
ダブルとツインの違いがわかんなかったらしい。もうこの時点でおかしいと気付くべきだった。
道中のコンビニでストロングゼロをキメていた私、「先生ばかだな~~~私も(部屋の狭さを)我慢しますけど先生も(性欲を)我慢してくださいね」つって寝支度をするはずだった。この一言でスイッチいれた自覚はある。
ややあったあと、急に酔いが覚めた私は「これ以上は、酔って魔が差しました、では済まなくなる」「私はあなたに教授になってほしい」それから「奥さんと子どもに隠し事はよくない」と言った。
この言葉たちは先生に効いたようで、そのままスっと引いて夜を明かし、これに関してお互い言及することは一切ない。
ところが私はたったその1晩で、しかも未遂だというのに自分の歪んだ性癖に気づかされた。
指輪を外さずに指を絡めたときの、無機質なものが自分の指にくいこむ感覚。
それ痛いよ、と指摘すればあっさり外すところ。
奥さんが丁寧にアイロンをかけたであろうシャツを私ごときがグシャグシャにし、そのシワをとるために奥さんの手間をかけさせる感覚。
もう既に長文だからこの辺にしとくけど、こんな興奮したことってない。
一線越えてもよかったと思ってる。その後どうなるかは知らんけど。
それでも現在まで先生との関係は良好なので、近々准教昇進おめでとうの会に行ってきます。
これなんの話だろうね。でもスッキリした。
走り出してふと思ったんだけど、あれっ私ちゃんと走れてるじゃん、と。
自分がまともなフォームで速く軽快に走ってる事に初めて気がついた。
子供の頃は走るの大の苦手で、数メートル走っただけでゼーハーいって脇腹が痛くなって苦しくて苦しくてもう走れなくて、でも教師から怒られるから足を引き摺りながらヨロヨロ走り続けて、やる気がないと罵倒されながら、呼吸がキモいと同級生に馬鹿にされながら、引き摺っている足をちょっとしたくぼみに取られてずっこけて足首を捻り、膝を擦りむき、涙と鼻水でグシャグシャになりながら走ってた私が!
走る事に限らず、子供の頃いくら頑張っても出来なかった事が、大人になってからやってみたら何の練習もしてないのに出来てしまう、そんな事がいくつもあって、不思議。
私はコンビニで働いているのですが、コンビニというのは色んな客層の方がきます
今回来たのはおばあちゃんとその孫と思われる小学生くらいの子供でした
子供は髪を明るく染めていて商品を選びながらおばあちゃんに「そんなわけねーだろ」なんて口悪く話している子で
一つ30円ほどのキャンディーをお菓子売り場でガサゴソと抱えて数種類、20個ほど持ってレジにきました
おばあちゃんが出したお金が少し足りなかったのでそのことを指摘すると子供の方が「そんな高くなくね?」「他の店でそんなしねーけど」なんて言うのでレジで打った個数を確認して説明、あと一つだけ減らせば買えることを説明したのですが
棚にグシャグシャに戻されては面倒だと「戻しておきますよ」と言うも無視して棚に向かいます
参ったなぁと思いつつ会計を済ませようとしたところで
「あんた首かしげたでしょ?馬鹿にしてるの!?」とおばあ様の方からお叱りが
自覚はなかったのですがついそんな所作をしてしまっていたようで
「失礼しました」と謝るも「馬鹿にするんじゃない」と続けてお叱りの言葉が
それだけなら(厄介な客だ)と思うだけだったのですが、その後に子供が言った言葉が衝撃的でした
「いつもそうだよ、どこに行っても馬鹿にされる」
と
(そうか、私は今この子にとって『不当に見下してくる大人』になってしまったのか)と
確かに私はその少し柄の悪い子供を(なにか悪さをしないか)という目で見ていました
しかし首をかしげたのも不意に行ってしまった仕草で決して馬鹿にするつもりはなかったのです
しかも子供の言葉を聞くにきっとどこのコンビニでもそういう扱いを受けたのでしょう
同じようにお叱りを受けたであろうどこかのコンビニ店員に同情しつつ
しかし、そう扱われてしまう原因はこの子供にもあるのではないかと思いました
きっとこの子は(どこにいっても大人は馬鹿にしてくる)と思いながら過ごすのかと
もう少し振舞いを丁寧にすればそう見られることもないはずなのです
それでもこの子供にとっては、社会の大人というものがみな(悪意をもって見下してくる存在)になってしまう
もちろん自分が事実、この子供を見下してしまっていた部分もあるのだと思います
しかし、ほんの少しレジでコミュニケーションが取れればこのお互いが不快になることはなかったのではないか
あの子は今後もずっと不当に見下されてると思いながら過ごしていくのだろうか