はてなキーワード: 肩透かしとは
この手のラストの映画でそういう評価があるともはやネタバレに等しいと思う。衝撃的なシーンのハズなのに肩透かしを食らった気分になった。
主人公がある行動をして「あーはいはい」って。でその直後のシーンで「そうなるよね」って。
詳しいジャンル分けについては知らないけど、シャッターを開けたシーンでこれSF作品じゃんってなった。
超常現象とか超自然的な存在が出てきた時点でホラーとしてはうーんってなっちゃう。いやジェイソンとかフレディもそういう存在ではあるけどさ。
同じような感じで『ヘレディタリー/継承』とか『キャビン』とか。
『キャビン』は寧ろそういうのを狙ってるんだろうけど。
なんで何かあったら直ぐ逃げるぞって言っておきながら逃げないんだ。
なんで目の前に化け物が居て叫んで襲われるの待ってるんだ。
なんて光に集まってきてるのにライトを付けまくるんだ。
なんで最後撃ったんだ。
こうなったら徒歩でいけるとこまで行くぞ、にはならないのか。
俺が登場人物の心情を全く理解できてないからなのか。理解力不足だからなのか。そうか。
当時は斬新な展開だったから評価されたのであって、今から見ると使い古された手法みたいに感じるのは仕方のないことなんだろうか。
古典的なものと言われればそうなのかな。ゾンビ映画のテンプレはだいたい最初期のロメロ作品に詰まってるみたいな。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』とか『ゾンビ』とか。
分かんね。上手く書けなかった。
胸糞悪いとか後味悪いという意味で言うならジャッキーチェンの『新ポリス・ストーリー』(重案組の方)が良いかなあ。実話が元だからまた別かなあ。
これはシン・ゴジラを踏襲した手法で特撮愛を形にした点で共通しているが全くアプローチの異なる映画だ。
シン・ゴジラはゴジラという存在を借りて庵野樋口が好き勝手再構築した映画
シン・ウルトラマンはウルトラマンという作品を庵野樋口が再構成した映画だ。
なので観る人がどういうイメージを持って観に行ったかによって捉え方が全く変わるだろう。
ウルトラマンを元に再構築して欲しかった人にも肩透かしになっただろう。
そしてウルトラマンを今に蘇らせて欲しかった人には最高の映画になったと思う。
シン・ウルトラマンは原作となったウルトラQからウルトラマン最終話までを120分に押し込んだ映画だ。
これは本当に構成が上手い。情報量が多く展開が早いため120分があっという間で下手をすると振り落とされてしまう。
怪獣製作する上での裏事情をうまく解釈し直し生物兵器としたのは素晴らしい。
隊員の巨大化やちゃぶ台を挟んだ駆け引き(これはウルトラセブンだが)などウルトラマンの各エピソードを拾い一つの流れに組み込み、ゼットンの再解釈は思わず唸らされた。
そこか!そこでウルトマンのあのシーンを挟むのか庵野このやろう!!wwと思わず笑ってしまった。
だからこそ、ファンでなければ面白さが伝わりづらいという弱点がどうしてもあると思う。
予備知識なしに見る人はどこに収束しようとしているのかわからない。
シン・ゴジラには物語の冒頭から終幕までゴジラという明確な敵役がいたが、シン・ウルトラマンは何度も事件が起こりそのたび敵が変わるからだ。
自分はウルトラマンをしっかり観たことはないが一応メフィラス星人やゾフィー、ゼットンなどを知っていたのでなるほどこうきたかと思ったが、それすらない人にはどこが物語のクライマックスになるのかわからないだろう。
なので賛否が起こり評価はおそらく大きくバラつく。ある人には最高、ある人には今ひとつ。そういう映画だ。
シン・ゴジラはゴジラというテーマをベースに日本社会を描き出したので特撮ファン以外にも開かれた映画になったが、シン・ウルトラマンはウルトラマンに愛がある人に受け入れられるストライクゾーンの狭いものになるのではないか。
また、シン・ゴジラはシリアスに物語が進むからこそ笑いになっているところがあったが今回は全体的にコメディ的に味付けがされていてそこを良しとしない人もいるだろう。
ほとんどの人には
「シン・ゴジラのウルトラマン版を期待したのにそうでもなかったなー。」
カメラワークは広角レンズが多用され物陰から見ているかのような構図が特徴的だった。そしてカット割が多い。
禍威獣パートをは人間視点で、人間ドラマパートも小人や透明人間になって複数人で観察しているような感覚だった。
もしかしたら映画を見ている我我も外星人としてこの地球のいく末を観察する役割を与えられていたのかもしれない。
巨大化した美人キャリアウーマンはこれは新い性癖きたなと思ってしまった。普段酒に酔っ払って路上で寝ているのが仄めかされたのもとても良い。メフィラス星人と神永が公園のブランコで対話をしているシーンは「薄い本になりそうだな〜」と思った。
役名は明かされなかったが竹野内豊がおそらくシン・ゴジラの赤坂と同じ役で出ている。これはシン・ゴジラの世界とシン・ウルトラマンの世界がマルチバースであるということだろう。
そうしたのもゴジラ、ウルトラマンと大人の事情で同じところに立てない作品の両作品への庵野の愛を感じる。
じゃぁなんで斎藤工は戦車に乗ってないんだとなるが、まぁ斎藤工もマルチバースで巨大な敵と直接戦っているということで笑
ウルトラマンでは田舎や都会で戦うことはあってもミニチュアが大変な工場というのはなかなかなかったのではないか、夕暮れ近い工業地帯での巨人の肉弾戦は庵野が一番観せたかった絵だと思う。
反応くれた姉様方ありがとう。同じ女でも個体差がありすぎる話なので、共感いただけると救われる気持ちになります。
共に強く生きましょうね…。
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女ですが女として生きるのがめんどくさすぎるので吐き出させてくれ
何が面倒って、生理だ。
腹がクソ痛い上にどうやら他人よりも数倍血が出る体質のようだ。
2〜3日目を乗り越えるのが本当にしんどい。8時間耐えられるはずのタンポンを突っ込んで夜用のナプキンをしても3時間でビチャビチャである。
オムツみたいなのを履けばと言われても、制服がズボンなので尻周りがモコモコになるため仕事中は履けない。
1日に何度もトイレに行く上に、ナプキンとタンポンを外しては付ける上に血が便器や床に付着していないかとくまなく探し拭き取る手間もあるため、一回のトイレタイムがめちゃクソ長い。
周りの反応から察するに、明らかにサボって携帯でも弄っていると思われている。
痛すぎて毎月のように静養休暇を使う事も多々あったけれど、当然あいつはサボっていると陰口を叩かれていた。気にしないふりをしていたが、内心落ち込んでいた。
こう言うと「婦人科に行け」と言われるが、2年前にちゃんと行った。
問診票にびっしりと文字を連ねて持参したが、担当した医者はこちらの話をよく聞かずイライラを抑える漢方を出されて終わった。
自分の症状は医者が適当にあしらう程度の事で、別段異常はないのか。
婦人科へ行くのってちょっと抵抗があるから、緊張して行くわけよ。勇気を出して1ヶ月前から予約も取って、よし自分の体と向き合うぞ!と思ったのに肩透かしを食らってしまって、すっかり意気消沈してしまった。他の病院を探すなんて考えもつかなかった。
そんな風にゴネていたけど、やっぱり自分の生理に伴うアレコレは異常なのでは?と思い直し、先日自治体の制度を使って、会社を休んで子宮がん検診を受けに婦人科へ行った。
子宮内膜症と診断された。その上、子宮が普通の人よりでかい、1.5倍くらいあると言われた。容量がでかければそりゃ血もドバドバ出るわけだ。
保険適用で月々2500円する低容量ピルを飲み始めた。高いけど、月々のナプキンとタンポンと痛み止め等々を足した額よりもよっぽど安い。
病気なら仕方ねぇ!これで生理の苦しみともお別れだな!と解放された気持ちで帰宅し、上司に病状を伝えるため言葉を補おうと子宮内膜症でググってみた。
サジェストには「性行為」「男」「やりすぎ」等々の文字が踊っていた。
もしかして、長年しんどい思いして、原因は病気だったと発覚してもなお、今度は性にだらしのないはしたない女だと好奇の目に晒される可能性があるのか…?
あ〜面倒くせぇ〜〜〜勘弁してくれ
どうして生理ひとつでこんな思いしなきゃならないんだよ〜〜〜〜〜
男共よ、そんなに女の膣が好きなら取り出してくれてやりてぇよ
東京神田の神保町は日本随一の本屋街として知られていて、それぞれに専門分野を持った古書店が集まっている。
ちょっと昔の東京ガイドブックを見ると、日本の知がここに集まるなんて紹介の仕方がされていたものだ。
そんな神保町も、さまざまな変化のせいで、どうやら専門書街ではなくなりつつあるという話。
かつて神保町には洋書の専門店がたくさんあった。とくに目抜き通りの靖国通り沿いには、神保町を象徴するかのような老舗の洋書専門店がある。けど最近の神保町では、洋書専門店は絶滅危惧種だ。
そのうちの一件は、今年になってから金土日のみの営業になった。「コロナ禍による人員削減」と貼り紙が表にしてある。
もう一件の洋書店は、建物は壮麗だが、実態はもう洋書店ではなくなりつつある。店に入ると一階は児童書コーナーを兼ねたカフェになっている。洋書コーナーは2階にあるが、店内から直接行くことはできず、脇の小道から上がるようになっている。
やっとのことで入り口を探し当て、2階の小さな洋書コーナーに行くと、さまざまな本が分類もメチャクチャなまま棚に押し込めてあり、まともには探すことができない。ひと昔前に比べると、本を売ろうとする意志が感じられない。この部屋で場所をとっているのは、店舗用のディスプレイ向けに売っている古い洋書だ。つまり、読むための本ではなくて飾るための本を売っている。
かつては英語書籍の専門店だった別の店の跡地には、骨董品と古本を一緒に売る店が入った。ヴィレバンのおじいちゃん版みたいな店だ。この手の店が神保町で増えている。本だけでは食べていけないのだろう。
神保町が今のような状態になったのは、つい最近のことじゃない。何年もかけて続いてきたプロセスにコロナ禍で拍車がかかったと言えばいいのだろうか。
それにしてもなんだか寂しくなったなという気はする。かくいう自分も、英語の専門書を読むときは海外の大学の図書館にアクセスして電子書籍で読んでいる。自分みたいなやつが増えたから神保町がこんなになったのだろうか。久しぶりに洋書を買おうと思ったら肩透かしを食らったような気がしながら神保町を後にした。
批判的な人が思ったより多くて悲しい。
タイザン5先生らしい、少し悲しくも地に足のついた、たくさんの人へ送る救いの物語だったと思う。
ここに個人の感想を記す。
タイザン5先生の前の読み切りの『キスしたい男』では、高校生の主人公はすごい困難に遭ってずっと一人で耐えてるんだけど、
ヒロインがそれに対して、
って叫ぶんだよね。それがすごく好きで。
「なんとかしてあげる」でも「助けてあげる」でも「愛してる」でもなくて。
もっと普通の高校生みたいに、平凡に、普通に周りがやってるような、青春や若さを浪費して欲しい、後から、あれが幸せだったねあれが永遠に続くと思って
無為に過ごしちゃったね、っていう、その今しかない贅沢を味わって欲しい、って。
主人公を取り巻くひどい現状についてはどうしたらいいか分からないけど、でもほんとに幸せになって欲しいって
人生には苦しいことがたくさんあって、
でも自分一人の力ではたいてい全く太刀打ちできなかったりする。
そして、それを劇的に変える漫画みたいな方法は現実には存在しない。
人生を劇的にハッピーエンドに変える魔法はないし、最悪なら最悪なまま人生は続いていく。
ずっと周りを取り巻く酷い環境は変わらなくて一人で耐えて互いに憎しみあってきたけど、
実は二人はよく似てて、きっかけさえあれば二人はいい親友になれて、最悪な環境も二人なら少しマシにすることができた。
家族は最悪だし問題は解決したわけじゃないけど、物語の途中にあったみたいにひとりぼっちで死ななくて済んだ。
タコピーの最終話に、劇的な、ハッピー道具みたいな(あるいはドラえもんのひみつ道具みたいな)
すごいカタルシスの救いを求めていた人は肩透かしだったのかもしれないけど、
現実に、私たちの人生に魔法のハッピー道具はないし、なにかのきっかけで劇的に人生が良くなることはなくて、
最悪な今日の続きには何も変わらない最悪が続いていくだけだったりする。
まりなちゃんのお母さんは相変わらず最悪だし、しずかちゃんのお父さんは多分帰ってきてないし。
でも、タコピーという小さな物語が人生を少しだけ変えてくれた。
タコピーが繋いでくれたおかげで、お互いにたくさん「おはなし」して、
小さくても大きな救いを得ることができた。
そのおかげで、少しずつ人生が良くなったんだと思う。
友達みたいに、私たちの人生を少しだけ良い方向に変える『救い』になるって、
これまで「現実の人の気持ちだけが人を少しだけ救う」というテーマに、
おしまい。
いやはやなんとも、肩透かしと言うか何と言うか、海外国会のゼレンスキー大統領の演説を見ていると日本へも強い支援をお願いしてくるのかと思ったら「戦争の環境負荷を主軸に置いた演説」だとは一体誰が予想したのだろうか?
正直言って、日本の右派や左派は海外のそれと比較しても平和志向が強い。左派の人たちは(警鐘の意味も籠もっているだろうけど)右派が平和志向だなんてとんでも無いと言うかも知れないが、海外の報道見たら海外の右派のヤバさは日本の右派の比じゃないだろうことはよく理解できるはず。
そんな平和志向の強い日本の大衆へ対してゼレンスキー大統領(のスピーチライター)がやったのは日本の現代史を踏まえての、放射能汚染や薬品汚染の環境負荷を引き合いに出し、それらを戦争へ絡めるという右派だろうが左派だろうが認めざる得ない方向性で語りかけてきた。
ゼレンスキー大統領が強く軍事支援を求めてくるという想定はあったけれど、平和志向の強い日本では「ほんのり右派」な人たちであっても強く軍事支援を求められたらドン引きする可能性が高いんだ。
それこそ防衛のため北海道東側へ陸上自衛隊第7師団(日本で唯一の戦車を中心とした機甲科がある師団)を並べたほうが良いみたいな発言をしてしまったら炎上必至だっただろう。これでは日本の大衆はウクライナ支持をしにくくなってしまう。
それをよく理解してゼレンスキー大統領(とスピーチライター)は「アジアでリーダーシップを取ってほしい」としか言わないんだ。具体的なお願いは既に発動しているロシアへの経済制裁を継続してくれだけ。これには驚きを隠せなかった人も多いだろう。
これを読むレフトに質問しよう。ゼレンスキー大統領の演説を観て読んで「アジアでリーダーシップを取ってほしい」と言われた。アナタはアジアへどういうアプローチを取る?
次はこれを読むライトに質問しよう。ゼレンスキー大統領の演説を観て読んで「アジアでリーダーシップを取ってほしい」と言われた。アナタはアジアへどういうアプローチを取る?
俺がこの質問をした時点で、この質問の意図がわかった人は驚愕しただろう。俺もこれに気付いたときは本当に驚愕した。
「アジアへリーダーシップを取る」ということの意味は右派と左派で変わるんだよ。右派は周辺国家からの軍事的圧力に屈しないことと思うだろうし、左派はアジア圏へ反戦思想を広めることと思うんだ。
意見の対立をするのは日本の右派vsウクライナや、日本の左派vsウクライナではなく、日本の右派vs日本の左派となり、結果的に今回のゼレンスキー大統領演説は両陣営から肯定せざる得ないものになってるんだ。戦争の環境負荷を否定するか?無理だろ!戦争には環境負荷が付き物なんだから!
ゼレンスキー大統領は、ウクライナは今回日本へ分断を持ち込もうとしたのではなく、何としてでも日本が敵に回らないように考えて演説したんだよ。それがたまたま日本へ分断を生むとしてもだ。
どんだけ日本の大衆へ最適化された演説なのが逆におそろしさを禁じ得ない。
日本の政治論壇を観てみろ、非難しあっているのはウクライナへより大きな支援をしろという右派と、憲法に違反する懸念があると打ち返す左派だぞ!対立者の姿としてそこにウクライナは居ないんだ!マジでスゴイぞ!
実現してから後で見るように記録
https://twitter.com/kanenooto7248/status/1504054547786137603
「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」あたりを引用してくるのではないだろうか。
ttps://twitter.com/ahoaho1313/status/1504787311317303298
ttps://twitter.com/DJ_AsadaAkira/status/1504094775858790403
tps://twitter.com/nekonoizumi/status/1504093106848772096
”「みなさん、プーチンに対しては月にかわってお仕置きをしなければなりません。」”
ttps://twitter.com/daisycutter7/status/1504468965656915968
”北方領土くやしいだろ
3・ガダルカナルで飢えた日本兵、今我々も物資が足りないんだ!
5・月に代わっておしおきよ!”
ttps://twitter.com/igpman/status/1504470214850740227
”・シベリア抑留、あれキエフの復興にも役に立ったわ。あんがとな。”
ttps://twitter.com/LFNiso699/status/1504483330771013635
”日露戦争で予想に反して日本勝ったよね。それは日英同盟とか他の国からの支援があったからよね?
わかってるよね?”
ttps://twitter.com/F_no_kami/status/1504417794653270018
”演説させてもらうと言っても批判するところは批判するようだから、日本でも何か批判されるかもしれない。みずほ銀行とか。”
ttps://twitter.com/Tz_akgt/status/1504430921684242434
”「金融制裁がいかに強力な武器になるかは、みずほ銀行が営業を許されている日本の皆さんはご存知でしょう」”
ttps://twitter.com/JosephFouche521/status/1504435574652178434
”「私も大統領に就任してからクリミア問題についてロシアと交渉を重ねてきましたが、結果はこの戦争です。プーチンと同じ未来を見るのは不可能なのです」くらいのことは言いそう”
ttps://twitter.com/kaolu4s/status/1504288556767883267
”日本の近現代史に、世界に誇れる正義の戦いの神話がないことを雄弁に示しておりますね。”
番外
https://twitter.com/OKB1917/status/1504954261490507776
”みんなが「ゼレンスキー、日本に向けた演説では何を言うのだろうか。ヨーロッパ向けみたいに修辞を駆使しすぎると滑るぞ…」とか心配してるときに全裸で出てきたら本当に「わかってる」となると思う”
→最初っから体力のある筋肉バカはいないので、自分のできる範囲で始めるのが普通。やってるうちにそのうち体力は付く。
ゲームをしても続かず、本も長く読めない。
→面白そうなゲームや本をチマチマ進めるのが良い。長くやる必要はない。
→風俗はちんちんを気持ちよくするだけに非ず。心身トータルで性快楽を楽しむ気持ちが寛容。
結局お前は全てを適当に遊んで「つまらない」「俺には合わない」って言ってるだけなのだ。
最初っから面白いと思える物なんて実は稀で、楽しもうという多少の努力が必要な物がほとんどだ。
例えばドラゴンボールを痛快アクション格闘バトル漫画だと思った人が1巻を読んだら肩透かしを食らうだろうが、
そこはある程度ガマンして読み進めなければならない。
もちろんDBの前半がつまらないわけではなく、そこにも面白さの「種」みたいな物は必ずあるわけで、そこを見逃したらダメだ。
そしてその「見逃してはならない」という部分こそが読者に求められる努力なのだ。
これは漫画に限らず全ての物、娯楽や趣味に通じる事で、ここを乗り越えられない奴が、無趣味な人間として一生を終える。
マントーッス
人とのコミュニケーションは一筋縄ではいかないことが多いですね。
その人の考えてること、やりたいことを全部理解出来ているなら話のコントロールのしようもあらんでしょうが、そこまで見抜けていてもひっくり返されることもあるのがめんどくさいところです。
そして、ひっくり返されなかった、なんだか肩透かしのような目にあった、という自分から見ての違和感に気付いて、ちょっと疑心暗鬼になりながら相手の別の狙いを探ろうとし出すのも、あるあるです。
この計画を進めて行ってもあの人にメリットがない…訳がない!どこだ、そのメリットは!みたいな。まぁ相手が疲れてもういいやってなったパターンもあるのが厄介なところです。
勿論、素直に結果を受け止めるのが一番いいんですけどね。
そして何かあったとしても何もしなくてもやり返せる力を持っているならそれが良いんです。基本的にそんなものはないんですけれど。
とにかく、一番大事なのはどのような力を持ってても結局は的確な場所で使えるように判断できる、そんな冷静さが必要だったりするんですよ。多分ね。
ということで本日は【冷静な判断よいか】でいきたいと思います。
11話もブクマでは作品を嗜んでいる意見が多数派だが、正直自分にはイマイチだった。
まず、東君を巻き込んであんなに引っ張った父親のところへ行く計画が、実質1ページで実行完了してしまった。
物語上の必然性の有無とか尺の事情とかがあるのだろうけど、ストーリーとしては肩透かしに感じた。
東君が裏切った影響も全くなさそうだし、東君パート必要だったのだろうか?
「誰の視点かによって描き分けてる」と解釈しているブクマカが何人もいた。
自分としては、叙述トリック系の作品でもないのにそういう信頼できない語り手のようなことを複数やられると、
考察するための材料が信頼できなくなるため、トリック以外のテーマに対する興味が急速に薄れる。
しずかちゃんのバイオレンスも、しずかちゃんのキャラクターのブレに拍車をかけているように感じた。
初期のころはいじめにあっても、反撃せずただ耐えて、
それでいて飼い犬のことになると自〇するようなキャラクターだったのに。
過去か未来か分からないが、年代が飛んだことで、ここにきて新たな謎が出てきた。
この作品の単行本は上下巻ということで、おそらく次回、もしかしたら次々回で最終回を迎えることになるが、
「読者に想像させるためにあえて結末は明示しない」という名の投げっぱなしEND
こんな感じで『タコピーの原罪』の評価が自分の中では下がり続けている。
それでも来週が気になるくらいにはまだ興味はあるのだけど。
アルセウスがSwitchのポケモンで最高の売り上げを記録するらしい
しかし自分はバサギリを倒すところで一旦やめて、そのあともドレディア討伐までは進むことができたが、やはり没入できなくて積みつつある
Twitterで友達のクリア報告や、RTで回ってくるプレイ動画やスクショの盛り上がりに対して、自分の冷めた目がなんだか置いてかれているようで悔しい
あくまで子供向けゲームなので30を過ぎた自分がハマらないのは実はもう自然なのかもしれないが、評価されているなりに楽しみたかったという思いが残る
以下自分なりにハマらなかった原因をまとめようと思う
今作はプロモーションの映像の段階から、BotWっぽい雰囲気が見てとれたのは誰しも感じたことだと思うし、その要素を期待する人も多かったのではと思う
実際にプレイしてみるとモーションのシステムなども流用しているのを感じる
しかし、BotWっぽさ?だけを比べると演出や探索要素の密度で大きく開きができてしまっているので初見で肩透かしを食らった
BotWはローンチながら上手いことハードの限界をこだわった演出などでカバーしていたのに対して、アルセウスのフィールドの見せ方にはお世辞にも上手いとはいえない
拠点となる街が一つで、ゲームがほぼ自然フィールドの中で行われるというデザインに対してこれは致命的だと思った
Switchというハードの限界はわかるが、アクションRPGという世界に飛び出すなら、ローンチのゲームに負けないほどには世界の見せ方にはもっとこだわってほしかったと思う
第二に、バトルがつまらない
今作の捕獲システムは以前のポケモンから一線を画すステルスアクションとなったが、肝心のバトルはほぼ変わらないポチポチバトルだ
フィールドやポケモンの捕獲がシームレスになったのに、バトルを挟むことでテンポが悪くなっている
ストーリーでのバトルがある程度つまらないゲームなのはずっと変わらないことなのだが、剣盾は大幅に進化してカメラワークなどで臨場感をうまく伝えていた
今作はバトルへの移行を中途半端にシームレスにしてプレイヤーを操作できるようにしたが故に、カメラワークがフリーになり、棒立ちのポケモンが技を繰り出しあうのをただ見るだけに劣化したと言わざるを得ない
ポケモンに対する捕獲orバトルというオペレーションの選び方が、バトルが相対的につまらな過ぎるので頑張ってステルス捕獲するという一辺倒なパターンになってしまい、結果的に捕獲のアクションにもすぐ飽きてしまうというシステムへの注力のバランスの悪さを感じた
ことに集約されている(しまっている)と思うのだが、肝心のポケモンたちには、生きているというより「配置」されているという印象を受けた
レンダリング負荷かからか、ポケモンのグラフィックも剣盾から落ちてなんだかのっぺりしているように感じる
残された観察・捕獲の楽しみの可能性についても、こだわって作り込まれているようには感じられず、最終的にはどこに没入すればいいのかわからないゲームになってしまった
まとめると
これらの要素をうまく隠蔽できてなかったのがハマらない要因なのかなと思った
今までのポケモンもポケモンであることに依存してたのはそうなのだが、圧倒的なポケモン本編の伝統を保っていたために、思い出もあってそれを感じることはなかった
今作はシステムやゲームデザインを大幅に変えて、新しい要素を追加したものの、それらの土俵ではゲーム全体として大きく遅れをとっている
ポケモンとしての進化以上に、ただのゲームとして見た時の粗やつまらなさが、ポケモンでは隠蔽できないほどに自分には目立ってしまった
この点で、自分にとってはポケモンらしさで全てをごまかせていた剣盾のほうがストレスなくプレイできたと感じる
ただ、やはり作品として圧倒的に評価されていて、SNSや YouTubeが盛り上がっているのを見ると、ポケモンの新作としては傑作であり、俺が新しいものを受け入れられなかったり他のゲームと比べてしまうのが良くないのだと思う(対象年齢もあってはない)
とはいえ次回作では、ただただポケモンというキャラを愛する人たちだけでなく、単純にゲームがしたい冒険がしたい人にもやりごたえを感じられるように改善して欲しいものである
プログラマーをしている
この業界では変化が早いからと「次の技術」を血眼で探している人たちを見つけることができる
もちろんそういうのが単に好きというのもあるだろうが
この何十年かで「インターネット(Webサイト)」とか「スマートフォン(アプリ)」とか「SNS」とか「クラウド」とか「ECサイト」とか「ガチャ」とか
粒度はおいといて、技術だったりサービスだったり仕組みだったりが大きく勢力図を塗り替えたことがあった
俺の周りだとスマホの影響が大きい
今の仕事がいつまで続くかわからないし、先行者利益があると信じているんだ
もう少し細かい粒度で「次に流行る言語」や「技術」を探している人もいる
ただ、彼らにはこれまで来ると言われて来なかったものの量を振り返って欲しいと思う
P2P、スマートウォッチ、オムニチャネル、スマートスピーカー
AR、VR、MR、iBeacon、ブロックチェーン、ビットコイン、量子コンピュータ
IoT、シェアリングエコノミー、ZOZOスーツ、3Dプリンター
何度騙されるんだ?
https://www.gartner.co.jp/ja/newsroom/press-releases/pr-20210824
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追記:
伸ばそうと思って伸びた日記は久しぶりだ
うれしい
もう少しちゃんと書くと
ある技術者において
3.明らかに来て、飯の種にもなりうるんだけど、その人とは関係なかった技術、あるいは専門転向するにはリスクが高すぎる技術
4.言うほど来なかった技術
があると思う
皆が欲してるのはたぶん1なんだろうけど、来たものの中で2,3が非常に多いと感じる
「次の技術」はそこそこあるんだけど、「自分の飯の種になる次の技術」というのは中々見つけることができない
スマートウォッチ内アプリの市場なんか見ると小さすぎるので、アプリ開発者に影響はないんだ
ドローンもそうだね、ドローンで新しいビジネスをするかとか、ドローン自体を売るなら良いけど、そこで仕事がポップするほどではないみたいな
XRあたりもその毛が強い
IoTはソフト屋的には来なかったカテゴリだけど、ハード屋的にはどうだったんだろう?スマホに挿して何かするっていうのは来なかったよね
ブロックチェーンあたりは、金は動いたけど仕事になったのかは疑問という特殊ケース
たぶんだけど、2010年あたりまで似たパターンで新技術が生まれて、旧技術が廃れていったために2010年代の技術者は諸々騙されたと思う
「これからも今の技術は消えて新しい技術に置き換わるに違いない」と
そして2020年代は2010年代同様、さほど大きな変化はないと思う
ガートナーのハイプ・サイクルに乗ってる技術ですら徐々に減ってるんだものw
次の飯の種は滅多に来ないとなると、そこに賭けるのはギャンブルだ
Web界隈も、先端を気取るのをやめてレガシー化していくのを受け入れるしかない
それでも十分来たなーと思うのは
機械学習:専門のエンジニアの募集サイトができたほど、ただ機械学習エンジニアに転向した人たちが上手くやってるのか疑問
サブスク:ちょっと粒度が違うくて、2や3に近いだろうけど、ECサイトと同じカテゴリでいいと思う。複数の新しいサービスを生み出したという意味では仕事を発生させている
動画サービス:これも毛色が違うけど、簡単に動画サービスやライブサービスができるインフラが整ったことで多くの仕事が生まれた、先行者利益もあったと思う
ゲーム:門外漢だけど、特にSteamあたりの変化はチャンスだったと思う
あとなんだろ?
一応インフラや大企業向けシステムやハードウェアは門外漢なので頓珍漢なこと言ってると思う
ちなみにメタバースは、十分うまくいったとしても2や3だと思う
NFTはどう応用できるか理解してないんだけど、今の時点で皆があまり理解できてないあたりで、ブロックチェーンと同じ空気を感じるね
※読む前に:
本文は「大怪獣のあとしまつ」の感想ではなく、この作品の【反響】について思うこと、であり、作品のネタバレには触れません。観に行ってないし。また、本文はあくまで「この騒がれ方おかしくない?」と書いてるだけなので、見る人にとっては(特に特撮的な目線で批判的な印象を抱いた人には)悪印象を受けるであろうことが予想されます。読まない方が精神衛生上凄くいいです。
以下、本文。
まず、俺はこの映画をまだ見ていない。
それなのに筆を取ったのは、「令和のデビルマン」だの「パシフィックリムとシンゴジラがあえてやらなかったことの煮凝り」だのと散々なことを言われているから。
この上記の二文に関して、まず俺は思った。
「……いや、そう言う映画でしょ?」と
順を追って説明したい。
この作品、個人的には楽しみにしていて、というのも特報の段階で
「絶対恋人を失った主人公が雨の中『ゴジラァアアアアアア!』って叫びそ〜!」
「クソつまんないギャグ挟みそう〜!」
「アイドルあたりが主演やりそう〜!」
というのを感じていたから。俺はこう言うありがちにまみれた【ザ・邦画】な映画が好きで、むしろ嬉々としてよく見に行く方だ。
この作品はその中でも「シンゴジラのパロディ」という印象を強く受けた。怪獣のデザイン、特報やPVからも意識しているのは伝わった。それでいて、「倒すのよりむずくね?」「この死体、どうする?」と、ちょっと軽めに茶化したコピーから、「ああなるほど、あくまでパロディであって、肩の力を抜いてみるタイプなんだね?」とも。
だからこそ、シンゴジラやパシリムと比較したり特撮がどうたらこうたらって視点で批判してるのがちょっとズレてない?と思っている。
タイトルだけならまだいいが、ポスターで思いっきりジャニーズが全面にプッシュされていて、怪獣はマヌケな倒れ方をしていて、キャッチコピーは「この死体、どうする?」「倒すのよりむずくね?」、予告では既視感強めなシーンに元号発表のパロディや偉そうな人たちによる「怪獣って生ゴミ?」などというあっさ〜い会話、ありがちすぎて既視感凄まじいヒロインの叫びとダッシュ。
これ見て「よっしゃ!シンゴジラやパシリムと肩を並べる特撮映画が出たぞ!」って手ぐすね引いて見に行く人、本当にいるの!?
これ作ったの庵野秀明か?ギレルモデルトロか!?あるいはそれくらいビッグな監督か!?
とはいえまあ、タイトルとあらすじだけ見て見に行く人もいるかもしれないし、PVからでもネタバレされたくなくて情報をシャットアウトしてる人もいるかもね。現にそうやって見に行って「予想と違った」って言ってる人も見かけました。たしかにパッと見は真面目な内容に見えるかもしれないし、だったらこの反応も頷けますね……。
……いや、それに関しては見てないあるいはあえて見ない方が全面的に悪いだろ。
製作者側は「こんな映画ですよ!」ってちゃんと出し惜しみもせずに言ってるのにそれを消費者側の都合で見ずに鑑賞して「予想と違った!」ってとんでもないこと言うじゃん。ヤバ。スーパークレーマーか?
これが例えば、「大真面目に大怪獣の後始末について考察した上でキャラクターがおふざけなしで頑張るシリアスな内容」と見えるような予告を発表して、いざ封切りとなって「実はおちゃらけ映画でした〜」って感じで嘘をついていたなら激怒もわかるけど、この作品はそうとは思えないし。
うーん、なんだろう。
この映画を特撮の真剣度をメインとして見に行ってその視点で低評価してるの、入り口の脇にアメリカ国旗ののぼりが立ってて「ジャパニーズフードレストラン〜SAMURAI〜」って看板掲げてるレストランに行って寿司注文したらカルフォルニアロール出されて「こんなの寿司じゃない!いいか?寿司ってのはな〜」ってキレてるみたいで見てて痛々しいんだけど。
ちゃんとよく見ろよ店員全員アメリカ人なんだから大したもの出てくるわけないだろみたいな。(あくまで例えであって外国人寿司職人を貶している訳ではありません)
まとめると、「この作品はシンゴジラを期待して見に行くと肩透かしを喰らう」という感想に対して、「あったりまえじゃん!!!!何言ってんの!?正気か!?!?」と思ったなあ、ということです。
これくらいが俺が今回の反響を見て抱いた所感です。
とはいえ、まあ、その……。
それはそれとしてこの映画単純にクソつまんなそうだな〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
見に行くけど!
でもな〜、これがネタにできるクソならまだしも、たまに「これ二時間ドラマでいいよね?」って言いたくなるようなやつもあるからな〜。それだったらやだな。
エンタメって枠組みで作られてるからある程度は信用できるけど。
雨の中叫ぶ山田涼介、見てえ〜!
見に行った後友達と「あそこマジありがちなシーンだよね」って笑いてえ〜!なんならそのシーンのモノマネしてやっぱり笑いてえ〜!
「あそこで寝るかと思った」「俺は寝た」ってやりてえ〜!
「でもあのシーンはよかった」「いや俺はそこもどうかと思った」って話しあいてえ〜!
そんでもって来年の今頃には全て忘れてたまにツタヤのレンタルの棚の端っこにあるのを見つけて「あったな〜、忘れたけど」って思いてえ〜!!!!
【余談】
この作品だけじゃないけど、何でもかんでも邦画でつまらないと思った作品を取り上げて「令和のデビルマン」って言う人、普通に気持ち悪いし実際にデビルマン見たことなさそう。
見た上で言ってたとしても、「今後なんかの作品見た時『令和のデビルマンだ!』って言いたいから」って理由で見てそう。
バズってるツイートにぶら下がってる画像リプに「その画像もらっていいですか?」ってコラをリプしてそうだし、クソリプに対しては「ここだけの話お前クソリプ送ってるぞ」ってポプテピの画像貼ってそう。
それからしばらくは「令和のデビルマンだ〜」「この映画は令和のデビルマンだぜ〜」って上手いこと言ってやったぜとでもいいたげに何度も言ってそう。
バイビ〜。
子育てマニュアルによるとイヤイヤ期は自己確立に必要な時期だのなんだの書いてある。
子育てに正解は無い、みな試行錯誤と言い訳するが、先人の知恵は素直にリスペクトすべきだろう。
だが4歳が近づいているにも関わらず反抗もイヤイヤもしない、兆候すらない、どうなってる。
イヤイヤするように指導しているがちっとも聞いてくれない。
イヤイヤ期イヤイヤ症か
イヤイヤを抑えつけて育てているつもりはない。
勿論しつこくグズることもあるがタイムアウト(一旦場所を移し一人で黙って反省させる)を数回しただけ。
三歳までは公園とか納得するまで遊ばせていた。
面倒くさいのでグズらせない戦法であったがこれが間違いだったのか。
そういうやり方はダメとはマニュアルに記載がなかったと記憶している。
まれに泣いてグズることもあるがママと違っておとうちゃんは折れる率が高いとナメてネゴってるだけで嘘泣きバレバレ。
テキトーに泣かしているとすぐに諦める。
すんごいイヤイヤ期を楽しみにしていたのに肩透かし。魔の三才児、どこにおるねん。
コンビニでアンパンマンキャンディーを買ってくれと床に寝転がって手足バタバタしたことがあった。
絵に書いたような見事なフォルム
俺はとうとう来たかと喜び記念撮影にスマホ取り出したら察して辞めやがった。
もう一回やってくれと頼んでもイヤイヤだと。
その程度のイヤイヤしか無い。
妹夫婦に息子がおり2歳年上、子育て先輩で話を聞くが、三歳で手がつけられなくなり鬱ったと聞いていた。
一度マクドナルドに行きたいとしつこくグズったときにタイムアウトを課した。
しかし相当応えたのか数日後とつぜん真面目な顔して
「パパお話があります、昨日は電車の中でマクドナルドに行きたいと泣いて困らせてごめんなさい」(原文ママ)と曰う。
それから毎日。寝しなに突然真顔になって同じセリフ。その他なにかの拍子に言い出すようになった。
俺に罪悪感持たせようという企みか。騙されんぞ。
「怒ってるわけじゃないよ、反省したのならもう終わり、今度同じことやらなきゃそれでいいんだよ。
おとうちゃんはキミの望みは可能な限りは叶えてあげる。愛してるから。だけど金銭的、物理的、教育的配慮、その他諸条件で
不可能なものは不可能だからダメはダメというからその時は察して我慢してくれ。それだけわかってくれればいいんだよ」と返す。
ともかくそんな調子で、また翌日同じように「パパ、お話があります」と来る。
なんなんだ。もう三週間続いてる。
自己主張が苦手なわけでもなく、行動を自己抑制している様子も無い。
やりたい放題やってる。
適度に言うことを聞かないが、道路に近いトコロでは手を離しちゃダメ、ひとりで出ちゃダメ
こういう言いつけはきちんと守ってくれる。
ところが公園内だと止まれというてもケラケラ笑いながら走って逃げる。
息子と2人の時にスマホを無くした事があった。
テキトーに飛び乗ったバスなので路線も会社も不明、かなり難易度の高い状況。
各所に連絡しバタバタしていると息子が最高ランクのお利口モードになった。
位置情報を調べようとネカフェに入ってゴニョゴニョしてても大人しくしてる。
バスセンターに問い合わせやら、取りに向かう移動やら、黙ってついてくる。
ってか、なんか励ましてくれてるし。
ニコニコ明るく振る舞い、危機的状況であることは理解しております、
こんな悲惨な状況でもボクは楽しんでいるので問題ありません的なオーラを出してる。
腹減った、抱っこしろ、マクドに連れていけ。ポテトを食わせろと。
わかるの?状況理解しててやってんの?すげぇんだけど。
それから二ヶ月経ってもバスに乗るたび「スマホ忘れちゃダメだよ」と注意喚起しやがる。
ともかく、現在3歳8ヶ月
どうすればイヤイヤ期してくれるのか、もう時間が無い。
ねぇねぇJクン、子供はイヤイヤ期をしなきゃならないと決まってる。
なにをいうてもイヤー、靴下履くのもイヤー、歯磨きもイヤー、お風呂もイヤー、保育園もイヤー
そういうのをやってほしいのだけど。できる?
はーい、と快諾、いや、そこで「イヤッ!」でしょ、筋が悪い。
数時間後、「歯磨きするよ、プラレールを片付けなさい」と指示すると颯爽と片付け始めた。
全然覚えてない。アホなんだろうか。
マンション隣家の女の子が壮絶イヤイヤ、近所付き合いがないので年齢は知らないが
4歳か5歳くらい。
15時幼稚園から戻り毎日小一時間、長い時は二時間ほど絶叫ルーティン。
羨ましい。
日々泣き叫ぶ内容もクリアに聞こえるが、ママが約束のお話を聞いてくれないとかなんとか、リボンがどーとか
超絶面倒くさそう。コロナ在宅始まって一年、聞こえなかった日はほぼ無い。いいなぁ
恥を忍んで隣家にコツを伝授してもらおうか、あるいは娘さんに直接指導して貰えるなら有り難い。
このままでは息子はアイデンティティ喪失したフニャフニャ人間になってしまう。ヤバい。
育てやすい子供を自慢しているように読めるかもしれないが、正直そのとおりなのだが、
俺のたった一人の息子であり、年齢的に次はありえないので子育て全メニューを堪能したいというのもマジな気持ち。
壮絶なイヤイヤ、夫婦ともに戦い、悩み、疲弊、挫折、夫婦喧嘩、それが全て寛解したときのハレの喜び、
いずれ成人する息子に、子供の頃は手を焼いて苦労したよと、目を細めて回顧したいではないか。
このままでは子育てチョロすぎる
「なんかテキトーに飯食わしてたら大きくなったわ、キミ偏食も無かったし、ははは」てか。
子供はこういうの集めたがるよね、うふふと眺める、人の幸せってこういうのでいいんだよね。莞爾。
息子は集めた貝殻と松ぼっくりを厳選
貝殻を洗浄し渡してやった、新しい宝物なんだろう。
かわいいなぁ、うふふ、タダだし
「もしかしておとうちゃんのプレゼントのために取ってきてくれたの?」
「そうだよ、パパ大好き」
こんなんどうやったらグレてくれるのか。先が思いやられる。
ともかく貝殻はレジンで固めて保管してやる。
16歳くらいでイヤイヤ期が来たら見せてやろう。いひひひひ
ガブッ!
ぎゃあああ………あれ?意識がある、まともだ。俺は、人間のままだ。
なんだ?
!!
ワクチンだ………
今では笑い話のような過去になってしまったが、当時はCOVID‑19というウイルスが世界を混乱に陥れ、対処法として緊急開発されたというワクチンを半ば治験のような形で人類に投与していたんだ。
我先に打つ人、避ける人、打つように強制する人、打ったように見せかけて実は打ってない人、ワクチンを巡ってちょっとした分裂を生んだんだっけな。
結果的には、あの数年にわたる茶番はなんだったんだ?という肩透かしをくらいつつ世界は日常を取り戻したんだけどね。
俺は、何処に逃げたら…
あの時の混乱は布石に過ぎなかったという事か…?
大丈夫倶楽部は面白いし、漫画として完成度は高い方だと思うんだけど、
伏線があるように見せておいて、すべて肩透かし食らったのがちょっと残念だった
一話で謎の生物?のつかみはすごく良いのだけど、
その後に職場の同僚が宇宙人に見えていたのが人間に見えるようになって、
だとすると、一話の謎生物も本当は人間なんだろうか?と思わせといて、
結局は他人の安心感を食べるバク?みたいな宇宙人ということみたいだし、
そのへん、家出少女だった女子高生との会話にも現れてる気がして、
先々のことはあまり考えないでノリで描いている気がする
多分だけど、ハガレンのような漫画でも、そんなに先々とか最終回まで考えてないと思ってる
連載漫画なんて、寧ろ途中で打ち切られる方が当たり前と考えるべきだし、
だったら、先々のことなんて考えたって、どうせ描く前に打ち切られるかもしれない
打ち切りの最終回で描きたかったことをまとめて一気に描くことがあったりすると思ってて、
話を戻すと大丈夫倶楽部の場合は、描き始めはやっぱり描きたいことがあったんだろうけど、
早々にそれが消化されてしまった感じで、
探偵さんの話とか、すごくミステリアスな要素があるように思わせてたのに、
なんかあっさりしたところに着地していってしまうのがちょっと残念に思えた
ただ、大丈夫倶楽部は別に伏線に伏線を絡めてみたいなのを目指しているわけではないだろうし、
日常をほのぼのと描きたいのだろう、色恋沙汰とか性的な要素もまったくなく、
寧ろ、主人公の女性が安いアパートで玄関にカギを掛けないで寝てたりするのに不安になるぐらいで、
それぐらいほのぼのを描きたかった?のだろうし、
日常を描くからには、毎回が読み切りのような、いつ終わってもおかしくない話になるのはおかしくない
サザエさんやコボちゃんがいつ終わってもおかしくないようなもので、
そういった日常4コマ漫画にも当然伏線なんてものはない、あっても大した伏線は寧ろ描けない
オチが見えない文章になってしまったが、自分の考えを敢えてまとめるなら、
黒いフチを描くことで、明るい色の輪郭としてハッキリするみたいな感じだろうか
正義を描きたいなら、悪を徹底して描くべきかもしれない
同じように、ほのぼのを描きたいなら、その正反対も描いた方がいいのかもしれない
まあ、作者がどう描きたいか、編集がどういう方向に持っていきたいかであるので、
一読者の自分がどうこうではないのだけど、そんなことを思ってしまった
大丈夫倶楽部は面白いんだけど、ちょっとぼやけた感じがするというか、
漫画読む前から、部屋の散らかり様とかは住人の心象を表していると思っているし、
でも、敢えて苦言を呈するなら、ほのぼの過ぎて記憶に残りづらいストーリーなのかもしれない
あと、どっか他の作品で見たような記号が引用されてる気がするのだけど、
それも引用の仕方がうまくてよく料理されてる方だとは思うのだけど、
もうちょっと捻りというか、完全に消化し切ってない感じはした
面白いんだけど、自分が一話でつかまれて読み続けてしまったのは、
探偵さんとは何があったの?
みたいな良い伏線があったにも関わらず、
読み進めるうちにあっさり畳まれていってしまうのが残念だったんだろう
皆さんはじめまして。Twitterで「レンタル数学教える人」を名乗っている者です。つい今月の初めに、「そうか!だから小学校の算数においてはかけ算順が大切なんだ」と目からうろこが落ち、そのことを夜中のうちにTwitterに書いたところ、朝になったら見たこともない数のリプや引用がついて驚いた。その内ほとんどが「バカ」とか「アホ」とか「クズ」とかの類の言葉でした。それで怖くなりました。「この程度」とか「周回遅れ」とか誹謗中傷まで酷いものでした。
その中でいくつかやり取りするうちに、これは一人一人返信してもらちが明かないから、カリキュラムの順番含めて整理してTwitter内に投稿しよう、と思いつきました。
何でかけ算導入時において順番が大切なのかを教えてやる
2年で「乗法の意味」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
と段階を踏んで学ぶ。ポイントは「乗法の場面を式に表す」だ。この単元を学習中に式の順番が問われるわけだろ。その後に交換法則。計算しやすければ交換してもよいという話
勝手に交換法則使って計算しろよ。ただし場面に合った式を書きなさいと言われている所に、一つ分×いくつ分の順番を無視した式を書くんじゃねえ!という話。途中式間違ってるけど答えはマルもらえるって中高生でも普通によくある話じゃない?
「場面を式に表す」が課題なのよ。段階的ってこと考えよう。
3年で「整数の乗法」だ。数を抽象的なものとして計算するわな。結合法則・分配法則も習うから計算の工夫をしてスマートに解いてみやがれ!かけ算に慣れてきた頃に「除法の場面を式で表す」をやる。何を何で割るかよく考えろ。割られる数、割る数っていう区別(順番)が理解をスムーズにしてくれる。
ここでワケも分からず前から数字を順番に入れて式を立てる奴がいたらどうなる。解答欄の「□÷○=△」穴ポコに順番に入れたらどうなる。かけ算だったら答え合ってて良かったね。
それ習慣ついてたら割合の単元で地獄を見ることになる。ったゆうか現実としてすでに地獄だけどな。
4年で「長方形、正方形の面積」だ。お待たせしました。なんか知らんけどかけ算順番の話してるとすっ飛んでくる輩が「縦×横と横×縦は違うんですか?」ってドヤ顔で聞いてくる。うるせえ。交換法則しとけよ。場面を式で表すとは状況が違うんだから好きにしろ。こちとら「卵10個が3パック」の話してんだよ
この前spaceで聞いた知見を共有する。面積ってのは「1㎝×1㎝の□が何個分」ってところから考える。縦に3個、横に5個、なら一個ずつ数えてもいいが3×5で出してもいい。「1つ分はいかようにも取れるんですよ?」のドヤ顔勢が言いたいのはそれだろ。勝手に5×3やっとけよ。
あのさ、面積ってのはそうやって丁寧に学習していくんだよ。「そもそも面積とは〜積分の考え方を使っているのであり〜」とか言う自称理系人間。アタマおかしいと言わざるを得ない。お前小学生相手に何言ってんの?中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密に理解できない。そうやって積み上げていくんだろ
僕がずっと違和感を持っているのは、なぜ掛け算順を認めない人はこのように必死にTwitter内を警備し、いきなり引用リツして人格否定的なことを繰り返してしまうのかということです。バカとか洗脳とか悪影響とか「理由を説明してください」という謎のエンドレス質問。そしてそのような人はいつも同じメンツで、仲間同士でコメントを付けあっている。「井超算数」というタグをつけるのが彼らの仲間を呼び寄せるシグナルのようです。以後、この一派のことを「超算数警察」と呼称します。
逆に、いつも虐められている(ように見える)人は言葉使いが丁寧で、明らかに教育現場にいる率が高い。誠実な教育者であることが見受けられた。懇切丁寧に掛け算順の必要性を説明しているのに、いくら必死に説明しても聞かないうえに暴言を吐かれる、謎のエンドレス質問返しで、いつの間にかダンマリになっていく。この誠実な教育者たちを「掛け順派」とします。
■■■
恥ずかしい告白をします。僕は半年ほど前まで「掛け算順序否定派」でした。くだらねえ理由で減点して子供が可哀想と思っていました。「バカな慣習だ」と暴言を吐いたこともあります。ただし、ここからが重要。耳かっぽじってよく聞け。Twitterで「掛け順必要派」の人に対して凸撃とかしなかった。極めて一般的に、まともな大人は、フツーの人間は、Twitterで自分と反対な意見の人をわざわざ見つけて攻撃したりしない。時間的なヒマもない。
だってその人にリプを飛ばして考えを改めさせるなんてことができると思うか?まあ出来なくはないんだけど、現実的じゃない。しかし超算数警察は平気でやる。まあしつこい。相手がブロックするまでやめない。結局は見下してバカにしていい気分になりたいだけだろう。同調者が表れて良いキモチ。ちなみにこの人たちは「ブロックされたこと=論破した」と定義している。世間一般的にはそうではないが、超算数警察の中ではそうなのだ。スクショ付きで「逃げやがった」「やっとブロックしたか」が決め台詞である。
実は僕がTwitterで意見を投下し始めて、あまりに暴言がひどいので反論の意味で多方面に暴言を吐いてしまったところ、ある方に批判された。対話を重ねていたら、その方はスマートな教育をされ、学校に期待しすぎないで家庭と学校で協力していけばいいという考えの持ち主だった。
「あなたがスマートな教育をされていることは分かった。学校の先生も必死でやっているんだ。掛け順間違いでバツされたことなど、学校ってそんなもんだよなと受け流してくれればいいのに」
と伝えたら、そこで衝撃の一言「とっくにそうしている。はじめから掛け算の話などしていない」と。僕は冷や汗をかいた。
そうなのだ。始めからそうだった。そしてそうやってある種諦めの境地でもって受け流し、家でも教育しておけば良いというバランス感覚こそ僕が求めているものだった。それこそ思想転向のずっと前から。
テストで不本意ながらバツをもらってきた子供に対して、親としてもし、その採点に納得がいかないのなら「これは学校のテストにおいてのみ守っておかなければならないルールで、数学的には答えが合ってるから、まあ気にするな」と教えてやればいいのだ。僕だったらそうする。
実際、社会に出たら本当にどちらでもいい問題だ。よくある例としては「個数×単価」のような書き方がある。英語圏では「〇倍した□」といった言い方が一般的だ。だから僕はあくまでも日本国内での「算数ルール」「小学校ルール」と言っても良いと思っている。
冒頭の固定ツイと内容が被るが、僕自身は掛け算の順序を丁寧に教えていくのは極めて有用だと思っている。それは日本語的な感覚という意味でもだ。「●個が〇セット」、割合の単元なら「▼の□倍」という語順がしっくりくる。まだ抽象理解や言語の運用がいまいちな低学年にとってはなおさらだ。
■■■
超算数警察は厄介なことに、叩ける相手だと認定したらとにかく他のどんなことでもツッコめる穴は無いかと探し始める。たとえば僕は連ツイの最後に「面積の学習は丁寧にやっていく。そもそも面積は積分の考えを使っているので~とか言うな。中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密には理解できない」と書いたら、まあそこに食いつく食いつく。一言言わずにいられない馬鹿どもが。
「中学生に球の体積の理屈くらい教えてあげないのは怠慢、講師失格」
などという酷い言われようだった。まったく現実を見ていない、好き勝手な意見だなと思うわけだが、一方でそんな教え方ができるのであればすごいことだ(たとえ受け手側に理解するポテンシャルがなかったとしても)と思って、全員に「中学生でも理解できる球の体積の考え方を教えてくれませんか?」と聞いた。
もう大半がヘンなリンク送ってきたり、有名な説明だから今さらする必要なしとか繰り返すだけで、何の益もなかった。30人くらいいたかな。そんな中で2人だけ実際に説明を書いて送ってよこしてきた。2,3分でササっとかける代物ではない。余裕で中学生で習う範囲を超えている。しかし素晴らしいと思った。
僕からするとそもそも僕が主張したいことと話がズレているし、それを活用できるほどの力量もないので、それをどうこうはできない。それは2人にとって肩透かしだったと思う。そもそもこちらは煽られてスタートしているのだ。「できるものならやってみろ」とは言ったが、本当にやってきたのならば敬意を表するほかない。そう。これなのだ。数学を愛し、数学を嗜んでいるのなら、自分の手を動かしてみろっていうんだ。超算数警察みたいに「数学は答えがあってればマル、ウソを教えるのは迷惑」とかいってTwitter内でクソリプ飛ばしてないでさ。んでマウンティング、グルーミング。それの繰り返し。
超算数警察は、小学生も学校の先生も、そもそも全部ひっくるめて公教育というものが人間社会のなかで行われているということを忘れている。自分の大好きな数学の美しさに惹かれて、極めて抽象的で、この世界中どころか宇宙全体に通用する法則をはやいとこ小学生にも教えてやれと言っている。んで「合ってるのにバツされるのは可哀想」という。だからもう一回思い出してくれ。こちとら小学校低学年を相手にしているし、そもそも「算数」の授業をしているんだって!教科名が「数学」じゃないことに注意。段階を踏むってことが彼らには理解できていない。
超算数警察は「美しさ」にこだわっているんだと思う。掛け算は順序を問わないのだから、式が逆なくらいでバツされている答案が目に入るのが耐えられないんだ。現実には日本中の小学校で丁寧に式の立て方から指導している。「一つ分×いくつ分」も「○○の□割(倍)」もとても重要視されている。だって最初に「3+3+3+3+3のことを3×5だって説明しているんだから。そりゃ5×3って書いたらバツでしょ。お前思いついた順に数字を書いてんじゃねえよ!って言いたくなるでしょ。「一つ分」を先に書けと言われているのだから。
Twitterで見かけた例を拝借すると、二つの倉庫があって「右の倉庫にはボールを、左の倉庫にはバットを入れてな」と決めてそれを周知したのに、逆に入れるヤツがいたら説教したくなるでしょ。右がボール、左にバットなんていう必然性なんかない。ただそう決めただけなんだが、決めなきゃしょうがねえだろ。そのきめたルールが無くなることはないと思うぞ。調べたら100年近くやってるらしいじゃん。じゃあお前らは永遠に不満を持ってTwitterで吹き上がるだけの人生だぞ。超算数警察たちは、ごく普通の人間たちの営みを否定している。だってようやく数字という概念を学び始める準備段階の子供を相手にしているんだぞ。ムチャ言うな。
なあ、そんな理論通りの、全てが数式通りに記述された、超算数警察が理想とする美しい世界が実現するにはどうしたらいいか教えてやる。「この世界から人間がソックリいなくなる」しかないんだよ!
■■■
今から30年ほど前に超絶ヤバ集団がいたことを覚えているな。「オウム真理教」っていうんだけど。ムチャクチャへんな主張をするカルト宗教でメディアは面白がって、バラエティ番組なんかにも出ていたな。あれのトップが何て言っていたか知っているか?
「近いうちに日本の人口が十分の一になる」って言ってたんだぞ。これが何を意味しているか分かるよな。それがどうだ。東京のど真ん中の地下鉄でサリンがまかれた。彼らの母数が大したことなかったから、同時多発的にってところまではいかなかったけどな。
そりゃ今だって「地球環境を壊さないためには」とか「埋蔵資源を枯渇させないためには」とか「海や山の生態系を守るためには」とか考えると、人間がいなくなるしかねえ!って結論になるよな。ま、それを言っちゃおしめえなので・・とスルーされるのが常識的な流れなんだけど。
しかし超算数警察よ!お前らがやっていることはそれに近い。すべての人間が「極めて忠実に数学の美しさを体現するためには」なんてことをやっている。無理だよ。この世界にはとんでもなく計算が苦手だったり、日本語が通じなかったり、中学生の半分が教科書を読めていなかったり、高校生で「数学を捨てる」なんて発言がまかり通っているんだから。中学を卒業したら数学というものから離れる人だって多い。そういう人がどれくらい数学が苦手か分かるか?そういう多くの人たちをとりあえず一斉に教えるために作られたカリキュラムだ。ちょっとやそっとじゃ揺るがねえよ。
掛け算を逆に書いてしまったものを慈悲深い心でマルにしてもらえたら、彼らは数学を好きになれただろうか。小学校のカラーテストで、本来だったらもらえてた(とおまいらが主張する)5点を取り返したところで、その後の人生に1ミリも役に立たねえよバカ。
んで超算数警察の口癖、「掛け順教」。数学的に正しくないウソを教えている宗教って言いたいんだろうけど。あのなあ。宗教って言葉が相手をバカにする言葉に使えると思っているところが人間のことを分かってねえっていうんだよ。もしかしてお前らって「もともと存在しない神とかいうものにすがって、科学を否定してきた宗教というもの信じてるヤツってバカ」ってシンプルに思ってない?でなきゃ「掛け順教」なんていう言葉が気軽に出てこないと思うんだけど。
それこそ人間社会のことを分かってないってことの証左なんだよ!人間はこの世界のよく分からないものに暫定的な解を与えるために宗教というものを生み出した。それがよりよく生きるための術だったからだ。もちろんそれが命の奪い合いを引き起こすこともあるがな。現代の日本だって神様にお願いしたり、クリスマスを祝ったり、葬式したり、全部宗教だろが!そのことを分かってないで「自分は無宗教なんで」とか言ってる。んでここ100年とかで明らかになってきた科学的な知見をかってに借用して、「今どき宗教にハマってるなんてプギャー」とか喚いてんだろ。お前たちは人類の先輩たちが大切にしてきた偉大な宗教というものもコケにしているんだよコラ!
この世界のことが科学的に説明できるようになっていることは事実だろう。それと、人間の認知機能が一気に進化するってことは話が違うだろが。お前らは数学の美しさ(数式は場面を捨象するからこそ美しい、程度の知識)を知ったからと言って強化人間にでもなったつもりなんだろう。んで科学の知識を得た我々は、次から次へとニュータイプが生まれてくるとでも思っているんだろう。そして、現行の算数教育はそのニュータイプの育成をジャマしていると。
バカ言ってんじゃねえよ。そんな簡単に人間が進化してたまるか。お前らなんか強化人間にすらなり切れていないし、だいたいジャレドダイアモンド先生が言う「認知革命」が起こって以来、人間なんか大して成長してねえわ。ホモサピエンスは昔も今も、ちょっとずつ日常の数的感覚(自然数)から、抽象的な理解に至っていくんだろうが。小学校6年間は、まず数学に入る前の準備段階だって決まってんの!それを数学的な知識を先取りしたうるさい大人たちがエラそうに・・・
俺たちは真っ当に義務教育の中で算数指導をしているだけなんだよ!
■■■
お前らが何と戦っているか教えてやる。
僕は超算数警察を見ていると「進撃の巨人」11巻で「敵は何だ!」と喚いてユミルにたしなめられているエレンをいつも思い出すよ。
お前らには見えていない。お前らはお前らが言うところの「掛け順教」と戦ってんじゃねえ。Twitter内にいる「掛け順教」をやっつけて終わりだと思ってんのなら・・そりゃ・・大きな勘違いだ。
お前らは「敵は何だ!」と問うだろう。
そうして僕はこう答える。「そりゃ言っちまえば・・世界だ」と。
お前らが数学が得意で数学が好きでその魅力にヤラれちまっているのは認める。そしてそれは素晴らしいことだ。んでハッキリ言うとくけど、世の中の人はそんなに数学が好きじゃないし、数学に興味がない。
数学が好きならお前たちそれくらい分かんだろがよ。数学者列伝とか読めば明らかだろうがよ。数学を専攻する人間なんてのは奇人変人だと相場が決まってんだよ!
超算数警察は一般人相手に「それ数学的に間違ってますけど!」とか言ってないで、自分で数学的な真理を突き詰めたらどうだよ。ただしそれは生きるか死ぬかのイバラの道だと心得よ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリューワイルズ先生は10年間誰とも連絡を取らずに、生きてるか死んでるかも分からないような状況に追い込んで偉業を成し遂げた。ワイルズ先生が必死こいてTwitterでクソリプ飛ばしてたらとか考えると笑えるよな。あ、コイツ生きてるなって安心できるよな。やってるわけねーよな。
つまり人のことを気にしてる暇があったら、自分のやるべきことやっとけってこった。だから僕に対して自筆の証明を送ってきた二人以外のお前らは、どっかからリンク引っ張ってきた以外になんか生み出したか?
■■■
君たちは三重の壁の外に、バカも天才も秀才も凡人もひっくるめた人間社会が営まれているということを忘れちまってる。Twitterの中でお仲間を見つけて、自分たちだけが世界の真実に気づけていると思って正義感に燃えているんだろう。それをあの頃のエレンだって言ってんだよ。
エレンは壁の外にいる巨人をすべて駆逐すると誓った。そして裏切り者だった同期生を許さねえと言った。しかしやがて真実にたどり着いたエレンは全てを理解したよな。そしてそんな風に怒り狂っていた自分を恥じた。そうか、みんな同じだったんだって。それは壁の外に出たからだ。外に出るという強い意志を持ったからだ。
超算数警察よ。君たちはいつまでも三重の壁の中に閉じこもって、つかの間の楽園を享受しているんだ。とことんまで抽象世界にもぐりこむのも良い。ただそれは浮世離れした人生を歩むことを意味する。それがイヤだったら、人間たちの世界に戻ってこい。人と心を通わせることを選択しろ。三重の壁(心の壁)を壊して外の世界に出るんだ。