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2023-07-17

宮崎駿君たちはどう生きるか」の検証にもならない独り言/ジブリ映画感想レビュー

大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋普通に並んでる様な文化人解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。

さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。

ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨投稿をしている人は何人もいた。

果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。

特にメモをとってわけでもないので、ディテール齟齬がある部分は勘弁いただきたい。

1、話の骨子

真人空襲(?)で母親を失くす

その後、母親の妹が新しい母親となり、母親実家疎開(?)をする

亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親真人は心を開けない

金持ち仕草抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMA能力があったため圧倒する

帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う

亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2

その後成長した少年は新しく生まれた弟と家族と共に東京に戻る

ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。

2、おしいれのぼうけんなのか否か

いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。

今回は後者の説をとらせて貰いたい。

真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。

この原著小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので

あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤かに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙である

うっすら覚えている内容も、格差によるキャズム父親金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。

聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由言論活動抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学見出したようだ。

吉野源三郎ニーチェの対比については東洋哲学視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。

そういった意味では吉野源三郎日本ニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。

なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。

3、これは大事ものから

庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事ものから」と新しい建築物で囲った。

ここで思い出すのは聖書の一節である

「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。

健全なる精神健全なる身体に宿れかし」

と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。

さておき。この大叔父の言っている「これは大事ものから」は絶対的価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したもの戦前、戦中に世に溢れていた「常識なのだろう。

この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観真人少年に届けることに成功する。

✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合はいくつかの齟齬生まれる。

4、アオサギの指すもの

本作でトリックスターとして描かれるアオサギ古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。

混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。

全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!

という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。

敵か味方か、友人かわからない存在

見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在相対的価値観象徴としてこの上ない。

ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。

アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者キリストとしても解釈をされている。相対的価値観象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。

嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるものスタンスでその答えが変わるだろうアオサギトリックスターに据えたのは、アオサギ不死鳥火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?

5、ペリカン反戦

わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。

出雲大社をはじめ、神道結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎新婦螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。

この「螺旋」という存在は、永劫回帰もつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのもの平等に無価値で、それぞれが相対的価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。

下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。

ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人であるアウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿フラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルメタファーではないだろうか。

ペリカン第二次世界大戦でも輸送機爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である

6、インコがよくわからない。

インコ軍団の描かれかたは、当時の日本軍部の急進派やポピュリズム扇動された国民イメージとさせる。

ところが、インコアオサギペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。

あえて言えば、ポピュリズム扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。

これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。

1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。

何故、インコなのかは本当にわからない。

まとめ

本作は極めてシンプル構成少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本バックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。

ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやす理解が困難であるところが極めてわかりやすい。

現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカ宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的宮崎駿である

なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念しかないだろう。

よっぽど忙しい人や、ジブリ宮崎駿が嫌いな人も最初10分で良いから見てほしい。

そんな狂気に溢れた作品であった。

おまけ 

昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。

宮崎駿引退するまでに一回で良いか柏葉幸子作品監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。

2022-08-20

反戦思想左翼ウクライナ派遣して終戦できないだろうか

77年前の悲劇反省し、とにかく戦争を無くしたい左翼運動家ウクライナの人々を説得して戦闘を止めてもらうことで、地球からまた一つ戦争が消える。

元はと言えばロシアが始めた戦争なのは確かだけどロシア左翼の説得に応じるのは絶望である以上、現実主義左翼としては次善の策としてウクライナ戦闘を諦めてもらうしかない。

まだウクライナなら左翼の訴えに耳を貸してくれそうな優しさがあるので、どんな形でもいいか戦争反対の左翼としてはウクライナに折れてもらう形でも戦争を終わらせたい。

2022-03-24

ゼレンスキー大統領国会演説すごく日本人精神性に寄り添ってた

いやはやなんとも、肩透かしと言うか何と言うか、海外国会のゼレンスキー大統領演説を見ていると日本へも強い支援をお願いしてくるのかと思ったら戦争環境負荷を主軸に置いた演説だとは一体誰が予想したのだろうか?

正直言って、日本右派左派海外のそれと比較しても平和志向が強い。左派の人たちは(警鐘意味も籠もっているだろうけど)右派平和志向だなんてとんでも無いと言うかも知れないが、海外報道見たら海外右派のヤバさは日本右派の比じゃないだろうことはよく理解できるはず。

そんな平和志向の強い日本大衆へ対してゼレンスキー大統領(のスピーチライター)がやったのは日本現代史を踏まえての、放射能汚染薬品汚染環境負荷を引き合いに出し、それらを戦争へ絡めるという右派だろうが左派だろうが認めざる得ない方向性で語りかけてきた。

ゼレンスキー大統領が強く軍事支援を求めてくるという想定はあったけれど、平和志向の強い日本では「ほんのり右派」な人たちであっても強く軍事支援を求められたらドン引きする可能性が高いんだ。

それこそ防衛のため北海道東側陸上自衛隊第7師団(日本で唯一の戦車を中心とした機甲科がある師団)を並べたほうが良いみたいな発言をしてしまったら炎上必至だっただろう。これでは日本大衆ウクライナ支持をしにくくなってしまう。

それをよく理解してゼレンスキー大統領(とスピーチライター)は「アジアリーダーシップを取ってほしい」としか言わないんだ。具体的なお願いは既に発動しているロシアへの経済制裁継続してくれだけ。これには驚きを隠せなかった人も多いだろう。

これを読むレフトに質問しよう。ゼレンスキー大統領演説を観て読んで「アジアリーダーシップを取ってほしい」と言われた。アナタアジアへどういうアプローチを取る?
次はこれを読むライト質問しよう。ゼレンスキー大統領演説を観て読んで「アジアリーダーシップを取ってほしい」と言われた。アナタアジアへどういうアプローチを取る?

俺がこの質問をした時点で、この質問意図がわかった人は驚愕しただろう。俺もこれに気付いたときは本当に驚愕した。

アジアリーダーシップを取る」ということの意味右派左派で変わるんだよ。右派周辺国から軍事的圧力に屈しないことと思うだろうし、左派アジア圏へ反戦思想を広めることと思うんだ。

意見対立をするのは日本右派vsウクライナや、日本左派vsウクライナではなく、日本右派vs日本左派となり、結果的に今回のゼレンスキー大統領演説は両陣営から肯定せざる得ないものになってるんだ。戦争環境負荷否定するか?無理だろ!戦争には環境負荷が付き物なんだから

ゼレンスキー大統領は、ウクライナは今回日本へ分断を持ち込もうとしたのではなく、何としてでも日本が敵に回らないように考えて演説したんだよ。それがたまたま日本へ分断を生むとしてもだ。

どんだけ日本大衆最適化された演説なのが逆におそろしさを禁じ得ない。

日本の政治論壇を観てみろ、非難しあっているのはウクライナへより大きな支援しろという右派と、憲法違反する懸念があると打ち返す左派だぞ!対立者の姿としてそこにウクライナは居ないんだ!マジでスゴイぞ!

2022-03-15

anond:20220315012137

日本も中露に侵攻された時を想定して同じ法案を作るべきなんだが?

侵攻されたらおとなしく人権蹂躙されて無様に殺されるべきだという反戦思想家には理解できないだろうが。

2021-09-13

70年代庶民の間に反戦思想なんかろくになかった

https://twitter.com/burubur56030897/status/1437074033057484802

↓それへの反応

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/burubur56030897/status/1437074033057484802


まぁ、反戦は叫ばれていたが「庶民の間」で反戦が盛り上がっていたかどうかは、疑問が残る

朝鮮特需記憶に新しい時期


反応を見るに、歴史修正主義だなんだと盛り上がり

盛んに、落ちのコマで分かるように反戦漫画だ、としているが

君らパヨクが思ってるほど、庶民反戦だったかね?

そりゃ、マスコミ反戦運動もすごかったがね

なんか、別の世界の話だったよなぁ・・・と当時子供だった庶民の私は思ったりする


あの頃が一番輝いていた共産パヨク記憶捏造じゃなかろかと思うんだが

学生運動だって、まじめに活動してるのは一部で、ほとんどは乱交とかの乱痴気騒ぎに参加したかったガキだしな

浅間山事件とかなかった事になってるんだろうか

成田周辺にしろ何にしろ、あの頃のアホのおかげで、日本じゃ碌にデモも盛り上がらん

ストも忌避される(国鉄共産系が思想丸出しの政治闘争にストを利用したから)

マジ、あの頃のゴミ大人くしてりゃ、労働組合だってもう少しましな組織になれたんじゃなかろか

共産党というだけで「赤」と呼ばれる、戦時中か今は?と思うよな時代が続いたんだぞ

自分らで自分らを総括しろ

何が歴史修正

アホども

2021-02-09

anond:20210209140413

広げるだけであとは他人が何とかするしかない、という期待にすがるしかないんだよね。 

自分が行って、あるいは直接に武器支援して、戦うつもりはない。

そんなん、大衆はもりあがらないよね。

だってやることないもん。

 

これがかつての共産党だったら日本外交圧力をかけよう、あるいはいっそ内戦あおろうぐらいのことは言っていた。

それはできない。

 

戦後反戦思想限界だわな。

大学時代ゴリゴリ左派教授イラク戦争とき、我々になんとかすることはないのかと聞いた時も、「民族歴史の中でなんとかなるのを待つしかない」と言っておったよ。

放置してツイッター言及して、ウイグル人内戦起こすの待ってるんだよ。

2020-03-01

anond:20200301111100

啓蒙活動犯罪率を下げる」ってのはほぼすべての有識者が認めてることなんじゃないかな。

そして「フィクションがある種の啓蒙活動になりうる」ってのもだいたいコンセンサスが取れてるんじゃね?

ってことは「フィクション犯罪率を下げることはありうる」のも、概ね明らかなんじゃね。

例えば戦争悲惨さを描いた作品が、言語化されないレベルであっても反戦思想や、戦争に対する忌避感を市民の中に醸成するように。日本国際的に見て、麻薬拳銃に対する忌避感の大きな社会だと思うけれど、それらは今までに作られてきたフィクションの影響も大きいのでは。

2016-11-28

この世界の片隅に』の「居場所」に違和感

この作品評価の一つに戦時下日常歴史考証にそって正確に描いたといわれてる。

特にまるで現代人がタイムスリップしたような反戦思想を口にしないのがいい、と。

そこで違和感を感じる部分があるんだけど

あの時代の人が「居場所」なんていう90年代メンヘラ臭いキーワードを使ったり、

自分の居場所はどこかなんていうテーマで悩むかな。

結局、すずもタイムスリップした現代思想の持ち主なのではないか

そしてこの作品も結局、歴史物の皮をかぶった現代劇ではないのではないか

2016-11-25

火垂るの墓」って主人公反戦思想を語るシーンがあった?

この世界の片隅に』の感想を述べている人たちは、こぞって、「反戦思想押し出していないのがよい」という言い方をする。

そして「主人公反戦思想を語らないのがよい」と言っている人もいた。

  

それで気になったんだけど、『火垂るの墓』って主人公反戦思想を語るシーンがあった?

主人公男子はむしろ愛国少年だった。彼は政府軍部批判しなかったし、日本勝利を信じていたので、けっして反戦思想を語ったりしなかったと思う。

 

なので、あれが反戦映画とされるのは、「おいお前ら、この悲惨子供たちを見たら戦争のひどさが分かるだろ!?」という理由ではないのか。

ようは受け手解釈問題だ。

  

  

  

追記1

もちろん『火垂るの墓』の場合悲惨さを強調して伝える表現手法を取っているため、ろこつに反戦思想押し出しているとは言える。そこが製作者の意図したところではあるだろう。

しかし、それだったら『この世界の片隅に』も、戦時中生活リアル淡々と描くという手法反戦を訴えているとも言える。これはこれで押しつけがましいというか、すごく辛気臭い話だった。あきらかに「戦争ってイヤだな」という思想へと誘導していると思った。

  

追記2

漫画はだしのゲン』についても言っておきたい。主人公・中岡元が反戦思想を語るとき、それは自身経験に基づくことが多かったはずだ。

父親反戦思想を教えられたゲンがそれに感化されるのは当然のことなのだし、そもそもゲンはまさしく戦争被害者として辛酸を舐めてきた。中岡家は戦争に非協力的だと見なされたため、戦時中陰湿イジメを受けまくって、最後には原爆によって大切な家族を殺されてしまう。

このような体験をした主人公反戦を語るのだから、そこには圧倒的なリアリティがある。

 

(ところで、『はだしのゲン』もアニメ映画の方はそれほど反戦思想を語るシーンってないよね? ゲンは明るくて元気な子供だ。彼にはまだ難しい政治のことは分からない。原爆が落とされる前も、落とされた後も、そういう無垢子供としての日常生活が描かれていたと思う。

そこには苦しいことがたくさんあったが、楽しいことだってたくさんあって、ほほえましかった。その意味で、これは『この世界の片隅に』にけっこう近いと思う。)

2016-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20161118123304

id:Yoshitada

太平洋戦争は、起こった事実淡々と列挙してくだけで、当時の戦争指導部の無能さと愚劣さが露呈して「押しつけがましい反戦思想」になってしまうから、大変だよね(棒

http://b.hatena.ne.jp/entry/308810011/comment/Yoshitada

こういう見方こそが、自分大丈夫と思って宗教マルチにまんまと引っかかる人間思考なんだと思うが

国士様たちが何故か「この世界の片隅に」にご熱心だが

映画フィクション反戦思想を押し出すべきではない理由 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/1048335


こんなまとめまで工作して「この世界の片隅に」は保守層のための映画※1だと言わんばかりですけどね。


作者のこうの史代はかつて「古い女」※2という短編で、まさにこういう国士様たちを思いっきコケにしてたんですけどね。



その事実をこの人達が知ったら一気に掌返すんじゃない?w






※1 他にも、「この世界の片隅に」を見て、なぜか朝鮮進駐軍かい架空存在に怒りを燃やすアクロバティックな思考酷使様複数いる

http://togetter.com/li/1049815


※2 初出はあの「わしズム」で、「夕凪の街 桜の国」を読んだ小林よしのりこうの史代に「反戦平和でもいいから何か描いてくれ!」と口説き落としたという経緯がある。それで執筆されたのが「古い女」だという背景を知っておくと作品意味が見えてくる。

 
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