はてなキーワード: 疲労とは
某ソシャゲ
友人に勧められ9年が経った。
5年はだらだらと引きずり6年で半引退になり始めた。
グッズも買って、リアルイベントも行くようなガチ勢だったのに。
途中、まとまった休みができメインシナリオも更新されてたのでやってみたら面白かったのでしばらくはしてたがまた苦痛になりやめた。
そこから9年が経ち、1番好きな作品のキャラが実装、配布されるということになった。
放置していたメインシナリオをやらないともらえないので久々にやるかと少しはやる気はあったが半分で飽きた。
期限がもう間近なのでシナリオはスキップしながら進めているが戦闘が辛すぎる。
敵へのダメージは入りにくい。
必殺技で全滅。
いくら強化したって結局は強いキャラしか使えない、低レアでもいけるんだろうがそこまでやる気はない。
属性の多さ。
言ってもキリがないがとにかく編成と戦闘がめんどくさいしクリアできた達成感もない。
惰性で使いまくっている。
そして新イベントの発表。
このソシャゲは90%ギャグでしか構成してないと思う。特にイベントは緊張感がまるでない。
仕事の疲労で何も考えずに大ダメージを出しながら何度も同じ事を繰り返すのは気分が良かったがこんなものに時間費やしてバカだったと思う。
強化も結局は素材ではなく、ガチャを引かないと強くならない。
元々好きなキャラの扱い、ファンの声にモヤモヤしていたが半引退の決定打は1番好きなキャラの派生キャラグラが出てきたが別人だったこと。
顔も声も一緒なのに。こんなのに一喜一憂していたのかと絶望した。
そのキャラクターの生い立ちとかは分かったが
もうこれは無理だなと悟った。
(あと勧めてきた友人との一時疎遠)
もうこのソシャゲをやるのではなく、アニメ・漫画・ゲームをやったほうがいい。
これを続けていると制作会社も嫌いになりそうなのだから良くない。
好きなキャラの作品がリメイクされるからそれをやり込みたい、いつ発売されるか知らんが。
正直、配布キャラ欲しいか?と言われると別に欲しくないと思っている。
やる気を上げるためにイラスト、必殺技、モーションを見てみたがどうにもしっくりこなかった。
でももう他のゲームと並行しながら苦痛を和らげつつやってもう終わりかけだからやれるとこまでやって
そこからはもう完全にやめよう。
一時は楽しませていただいたが今ではもう全てが楽しくないゲームで終わった。
しかし、課金もしているからアプリ自体は残すと思うからまだ未練は持ってんだなアホくさ
このゲームではなく、このゲームの主になっているアニメが今1番ハマっている某大手のソシャゲとコラボするらしい。
似たようなキャラは出てきたので納得はした。
高校までは運動部だったし自転車での長距離通学をしていたから締まった身体(体重は標準より少し重かったけど筋肉質で体脂肪率は低かった)をしていたけど、大学進学で東京に出て来てからは完全にだらけた生活になって、30代半ばの現在は100kgを超えてしまっている。
今の所は健康診断では特に引っかかったりしていないが流石にという事で、食事制限と運動を始めた。これまでも何回も取り組んでは挫折していたのだけど、その反省を生かして「続けられること」をテーマにしていて、そこそこ上手く行っているとは思う。
それでも当たり前だがお腹は空く。
そもそも高校時代までだってかなり大食いではあって、大元をたどればド田舎の農家出身である両親が「出されたものは全て食べろ」「ダラダラ食うな早く食え」「食えない奴は男じゃない」「とにかく米を食べろ」という教育方針だったので、完全にそれが習慣として身についてしまっていた。
実家には味わって食べるなんていう概念は一切なかったし(今でも気を抜くと一気に食べること自体に快楽を見出してしまう)、祖父母から作った米をいくらでももらえたので少量のおかずで米を掻き込むような食事をしていた。小鉢が並んでいて一汁三菜のバランスの良い食事・・・なんてあり得なかった。
それでも高校までは食った分だけ動いてたから太っていなかったわけだが、大人になってもそういう根本的な所は残っていて、流石に子供のころほどは食べられないにせよガツガツとお腹一杯食べたいという思いは今でも強い。
それと「空腹」の状態が凄く苦手。太ったせいで代謝がおかしくなっている面もあると思うのだけど、空腹の状態は本当にイライラするし、無気力になるし、食欲を満たすこと以外他に一切何も考えられなくなる。はっきり言って人間としてまともな状態じゃない。
別に丸1日食べてないとかじゃなく、お昼に時間が無かったから軽く済ましたとか1時間程度残業したとかその程度でそうなることが普通にある。
だからそういう状態に陥るのが怖くて事前に食べておかなきゃと思って普段から沢山食べるし、いざ空腹に陥るともう歯止めが利かなくなって爆食してしまうという状態だった。
ダイエットを始めてからは満腹感を得たりそれを維持したりしやすいとされるたんぱく質や食物繊維中心の食事を心がけているのもあってか、一応大抵の日は決めているカロリーの範囲内でもなんとか過ごせている。
しかしそれでもどうにもならない空腹に陥って苦しむ日がまだある。昨夜空腹に耐えながら寝たからか今日は特に酷くて、朝ごはんを食べたのに全然空腹が収まらず、いつもは夕方に食べるようにしているヨーグルトを食べてもなお全くダメ、そのまま耐え切れず早めの昼食にしてしまい一気に1,135kcalも摂取してしまった。
一応まだ1日の上限摂取カロリーは下回っているものの、夕食はもうほとんど食べられない計算になる。これを書いている今は16時半過ぎだが、昼食が早めだったせいできっとこのあと同じく早めにお腹が空くだろう。今から頭を抱えている。
今日は疲労を抜くために休養に充てるつもりだったが、運動した方が良いのだろうか・・・しかしそうやってリズムを崩せばまた疲弊して続けられないのが目に見えている。
私にダイエットを強く勧めた人は「空腹は別に不快じゃない」と言う。実際激務な仕事なので終業が22時とかを過ぎるのに、お昼を食べてからそこまで何も食べなくても平気だそう。
だから私が空腹を凄く怖がっているということ、ひいては食を我慢できないということが理解できないらしい。こちらとしてはちょっとぐらい我慢しろと言われても「ちょっと」どころの話じゃないんだけど・・・と思うのだが。
でもまぁおかしいのは間違いなく私の方だろう。世の中の人はお腹が空いたくらいであんな状態にはならないんだろうなと思う。世の中の一般的な人の「普通の空腹感」というのを知りたい。
とはいえもし仮にそれを知って、実は自分と同じように感じていることを知ったら、つまり結局は自分の忍耐力や精神コントロールが不十分なだけだと理解してしまったら、それはそれで怖いとも思う。その時は・・・もう諦めるしかないんだろうな。思う存分食いまくって早死にするか、人生に絶望してすぐに死ぬかのどちらかになりそうだな。
この年度の末で学校教諭を辞めている。ラストイヤーである。思えばあっという間だった。上の秋季大会の後も、大なり小なり大会があったが、目立つ成果はなかった。
実力というよりは、柔道部全体の精神力、やる気、気合いの問題だった。センスがありそうな子はいたが、『本気』になり切れない。なぜかはわからないが、若者特有の殺気に満ちた闘志というか、「目の前の相手を殺してやる」という滾(たぎ)りが見られない。
特に、格上相手に戦う場面がそうだった。勝つとか負けるとかじゃなく、全力でぶつかってみせようという気概を感じない。
そんな中で、T君はじわじわと実力を伸ばしていた。この頃だと、ベンチプレスは140kgを上げるようになっていた。
柔道の動きはボテボテとした感じだったが、それでもサマになってきていた。高校から柔道を始めた関係で、高一の頃が特に弱かったらしい。当時は、毎日のように先輩や同級生から千切っては投げられていたという。
シゴキ以外にも、いろいろあったようである。当時の先輩連中からは相当イジられていたらしい。T君の同級生の柔道部員が、確かこんな内容を回想していたっけ。
「おいチクビ。何を寝とる。はよ畳の上から立て!!」
「今、こいつに筋肉ドライバーしてやったら、首めっちゃ抑えて転がっとるしwwwww」
「いつまで畳で寝とんな。早う起きんとチクビねじ切るどっ!」
「チクビ君さあ。今度の公式大会の時に、絶対シャイニングウィザードしてよ。武藤敬司好きなんやろ」
※本当にやって反則負けになったらしい
「プロレス好きなんだって?これからダブル大外刈りするから付き合ってくれ」
彼が弱かった頃は、部内でもやられたい放題だったようだ。しかしこの頃、高三の手前になると、彼は部内で№1になりつつあった。皆、彼に一目置くようになっていた。当時、部のキャプテンだった100kg超級の子と乱取りをしても吹っ飛ばされない。
それでも基本的には、いじられキャラだった。先輩からも後輩からもいじられていた。しかし、彼はどんな時でもリアクションを欠かさず、スマイルで彼らに応えていた。
そういえばT君は、毎日必ず昼休みに柔道場に来て、一人で弁当を食べていたっけ。一人飯には理由がある。弁当を食べた後に、ヤツは筋トレを始めるのだ。ベンチプレスを始めとして、腹筋に、背筋に、あとは自転車のゴムチューブを柱に括り付けての打ち込み練習、あとはシャドー柔道か。さすがにカマキリは相手にしてないと思うが……。
昼休みに柔道場に行った折、彼を何度も見ている。ベンチプレスが一番好みのようだった。自分自身が成長する実感とでも言えばいいのか、月ごとに最高記録が上がっていくのが面白かったのだろう。
柔道界の公式回答としては、高校生に器具を用いた本格的な筋トレをさせるべきじゃない。この時期(小中~高校生)は、技術に磨きをかける時期だ。ベンチプレスその他で測れる筋力は、試合ではそんなに使わない。柔道に本当に必要なパワーというのは、柔道をすることでしか身に付かない。すなわち組み手の練習とか、立技・寝技の乱取りを通じてしか、そのスポーツに必要な『体力』は身に付かない。
しかし、T君には時間がない。彼にとっての柔道は、おそらく高校で終わりである。時間がなさすぎる。だったら、ひたすら筋トレに励む道があってもいいんじゃないか。当時はそんなことを考えながら、昼休憩中のT君のトレーニング風景を眺めていた。
高三の四月時点で、彼の体重は約78kgだった。一年前はボンレスハムのような体形だったが、スマートになっていた。何より、当時のT君は部内で一番やる気があった。何事にも一生懸命だった。鍛えがいがある。
さて、高三最後の公式戦は六月だった。ここまでには仕上げたい。幸い、四月にあった市内大会では、彼は5位入賞を果たして県大会出場を決めていた。順々決勝では、昨年の秋季大会で当たった強豪校の選手に内股で一本負け(空中一回転半させられた)だったが、そこから2回勝って5位になった。
柔道場での立ち技の乱取りでは、納得いくだけの投げを打てるまでひたすら稽古を続けた。T君に対し、組み手の位置は自由にさせて、技も全部受けてやる。その代わりクオリティは一切妥協しない。俺が納得いくまで休憩すらさせない。
「おい、T。苦しくっても、苦しそうな顔すんな。相手にバレんぞ。ビビってるとな、わかんだよ。相手によ~!!」」
すると、唇を引き締めるようにしてT君は、距離を取ってこちらの様子を伺っている。
ああ、これは。技に入るのを狙ってるな。相手が高校生だとすぐにわかる。
「技に入るのを狙うな。狙わなくていい。(お前の反射神経だと)無理だから!! とにかくたくさん、技をかけろ。連続しろ、連続。ちゃんと技は繋がるから。お前の感性でいいんだよ。考えるな、感覚でやれ」
実際、高校レベルの試合だと技が下手くそでもいい。とにかく数。連続性が大事だ。
ただやはり、T君は運動神経が鈍いようで、へっぽこな大内刈りに小外掛けや、ボテボテとした払い腰しかできなかった。ヤツが俺に珍しく内股をしかけると、「ポフッ」という効果音とともにヤツが弾かれる。そんなレベルだった。素人未満である。
「今のお前の柔道、ほかの選手と乱取りやってるのと違うじゃん。俺用の柔道か~、そのへっぽこなのはよ~」
T君の柔道は、俺と乱取りしてる時はモードが違ってる。まるで、何かの専用の練習でもしてるようだった。
ヤツはまた内股をしかけてくるが、全然効いてない。運動神経とか、技に入る姿勢の問題じゃなくて、組み手が下手くそ(≒柔道着の握る位置がおかしい)なのだ。いいところを掴めてない。せっかく自由に組ませてるのに。
ただ、T君に組み手争いを教えるには、もうタイムオーバーである。「思いっきりイイと感じるところを掴め!」くらいしか教えていない。
だが、連続して技を掛け続ければ可能性が見えてくる。うまく相手が転がれば、彼が得意とする寝技に移行するラインも見えてくる。
「オーイ、てら。何止まってんだよ! 動け、動け。変数作れ。チャンスがないと思ってんの、お前だけだよ」
彼はヘロヘロになって大内刈りを放つのだが、俺に効くはずもなく。間隔を取って、釣り手と引き手(※柔道用語は適当にググってほしい)を上下にブンブン振り回したなら、ジャイアントスイングみたいになって、T君が畳をゴロゴロ転がっていく。築地市場の床面を滑っていくマグロのようだった。
「オーイ、俺お前よりも軽いんやぞ。吹っ飛ばされてどうすんだよ」
T君が立ち上がると、顔が真っ赤になっていた。熱中症の人でもこうはならないだろう。それくらい真っ赤だったよ。
ゆっくりと俺に近づいてくると、釣り手の方でパンチするみたいに組み手を取ろうとしてきた。それを弾いて、逆に奥襟を取り返してやった。すると、ヤツも負けじと奥襟を取ってくる。
「力比べで俺に勝てるか」と思ったが、ヤツも結構強かった。睨み合ってたが、T君の耳まで真っ赤になってるのを見た。
この頃になると、彼の耳は潰れていた。餃子耳というやつだ。努力の証である。大半の柔道選手は餃子耳にならない。本気で寝技を練習した証である。
こんな光景を見ながら、ある漫画のセリフを思い出していた。 技来静也が描いた漫画作品の、確かこの場面だったはず。
……呼吸(いき)を乱すなセスタス 恐怖心を意志の力でねじ伏せろ 怯えは判断(よみ)を狂わせる 恐れは疲労を増幅させ 病魔の如く五体を蝕む 眼を逸らすな! 敵の刃を見極めよ 胆力こそ防御の要だ 殺意と向き合う勇気を持て
拳闘暗黒伝セスタス 2巻より
俺だって、中学生や高校生の頃は、練習が恐ろしいことがあった。寝技の最中に、殴られ、蹴られ、締め落とされ、「殺される」と思ったことが幾度となくある。だが、試練を乗り越えるだけの胆力を身に付けないことには、いつまで経っても二流以下である。
こういう感覚は、今時のZ世代みたいなやつがあるじゃん。ああいう子達には伝わらないんだと思う。「○○が上手になりたい、強くなりたい」って? 本当にそうなりたいなら、命くらい投げうってみせろ。
2024年現在だって、野球でもサッカーでも、バレーでもテニスでもゴルフでも、スケボーでもブレイキンでも、将棋だって囲碁だって、その道で超一流の奴はな、自分の命かけてその道を歩んでんだよ。
立ち技が終わると、次は寝技だ。T君が強敵相手に勝とうと思ったらこれしかない。それくらい、彼の運動神経は絶望的だった。立ち技の才能がない。当時のT君が「生まれつき運動神経が切断されてるんです」と言ったら、信じたかもしれない。
柔道場の端にある、寝技の乱取り開始を示すタイマー(ブザー)が鳴ると、俺はさっそく横四方固めでT君を押さえつけて、右拳の先を太ももに突き立てた。するとT君は痛がって、俺の腹を突いて逃れようとする。
「お前、俺に力で勝てんの、勝てんの? 勝てないでしょ!? 頭使わんと、ほら。前に教えたやろ? 逃げ方を……」
横四方固めで抑え込まれた状態のT君は、腕をなんとか両者の間に差し込んで、背筋で跳ねて逃れようとした……それが正しいやり方だったら、そのまま逃がしてやる。それで、また瞬間的にヤツに覆いかぶさって、抑え込みに持っていくのだ。T君は逃げる。ひたすらそれを繰り返す。
俺の抑え込みから逃れたとしても、T君がこっちに向かってこず、亀の姿勢になろうとすると、すかさず両手で奴の柔道着の胴と太腿を掴んだ。
「よいしょっ」と持ち上げると、奴の体がひと時宙づりになった。そのままクルリとひっくり返して、横四方固めでまた抑え込んだ。今の選択はアウトだ、敵前逃亡である。この寝技練習では、攻撃行動以外は認めない。
寝技になると、T君がたまに覚醒する。俺の動きがわかってたみたいに、例えば、真上から抑え込もうとした俺の膝をピンポイントで蹴っ飛ばして、転がして、そのまま上に乗ってしまう。
俺は両足をヤツの足に絡めてガードするのだが、巧みに外して、抑え込みに持っていく――縦四方固めが完成した。
こんな具合で、いい動きをした時には認めてやる。褒めるんじゃない、認めるのだ。そいつのパワー、気概、実力を。褒めるってのは、親が子どもにやるものだ。コーチと選手って対等な関係だろ。
T君は膂力(りょりょく。腕の力)があるうえに、寝技のセンスがあった。寝技というのは、ガッチリ決まると体力差に関係なく勝利できる。当時まだ20代半ばだった俺の体力はT君をはるかに上回っていたが、それでも抑え込みから脱出できないことがあった。
ただ、悲しいかな。彼にあるのは寝技だけだった。立ち技は本当にダメだった。まったく才能がなかった。
せっかくパワーがあるのに、釣り手で相手の奥襟や背中を掴むことは皆無であり、いつも前襟だった。運動神経がないから、せっかく神業的なタイミングで大内刈りや払い腰に入ることができても、相手を投げるに至らない。遅すぎるのだ。
ただ、彼はよくやっていた。性格やキャラクターはいじられ系芸人のそれだったけど、リアクションはよかったし、部員みんなから好かれる存在だった。そういう雰囲気をもった人間だった。
時期は半年ほど戻る。
いつぞやの試合でT君を内股で吹っ飛ばした名門校の選手と、ラーメン屋で同席したことがある。T君と俺と、あの選手N君が一緒になったということは、おそらく試合の帰りだったのだろう。
あれは、福山駅の駅舎の外に入っているラーメン屋だった。名前は忘れた……なんとか吉だったはず。そこで、T君にラーメンをおごってやろうとして、カウンター席がいっぱいで4人掛けのテーブル席に通された。
そしたら、おかみさんが来て、「相席でもいいですか?」と言うのだ。それで待っていたら、N君ともう1人の柔道高校生が向かいのテーブルに付いた。2on2の相席Styleである。
そのN君だが、痩せ気味で精悍な顔つきをしていた。体形は相当細身で、背丈は185くらいか。T君と同じく81kg級の選手である。もう1人は、100kg超級とおぼしき超アンコ体系の子だった。棟田選手以上の丸々とした感じだ。
2人とも、耳は完全に潰れていた。どちらも社会人に近しい貫禄があった。眼光が鋭い。スポーツ特待生で高校入るような奴って、雰囲気からして違ってる。
俺の耳もやはり潰れている、大学卒業して釈迦人デビューするにあたり、手術で直すという選択肢もあったが、餃子耳の方がハクがつくと考えていた。T君の耳は、この時潰れかけだった。
会話、どんなだったかな。そうだ、N君がT君に話しかけてきたんだ。
それでT君も、ラーメンを待ちつつ水を飲んで彼と話をしてた。
思い出せる範囲だと、こんな会話だった。覚えてない箇所は端折っている。
「高校入ってやっとるよ」
「そうなんだ。やっぱりこの辺の学校は、そういう子が多いのかな」
「えー、すごいやん」
「親に無理やり。両親とも柔道してて」
「それで、ここまで強くなれたんや。すごいね」
「内股めっちゃすごいやん。カミソリみたい。サクッと相手が飛んでくよね。マジですごい」
「伝家の宝刀な。あれだけは自信ある。けど、強いヤツは世の中にいっぱいいるし。俺もまだまだよ」
「自分、N君には一生敵わないな。多分。こないだの試合、内股で空中5回転しとらんかった?」
「(テーブルを叩きながら)してた、してた!! なあ~」
※隣の高校生が関心なさそうに頷いていた
「もっと勢いが強かったら、会場の窓ガラスを突き破って護国神社に落ちとったよ」
このあたりで、俺のイラつきを察したのか、N君の隣の高校生が彼を小突いた。
「T君さ。今度オレと試合するのいつになるかな」
「冬に県に繋がる個人戦がなかった?」
「それ、無差別級だけだろ。あの大会は、ベスト8までは全部うちの高校が占めるし、そこまで登ってこられる? それにベスト8が決まったら、例年それで市大会は終わり。解散。1位から8位の順位はうちの監督が決める」
「えー、そういう仕組みなん?」
ここで、隣の高校生がN君の肩を叩いた。
「そう、そういう仕組みな。次の試合は春しかない。あと1回だけのチャンス」
「うん、当たるの楽しみにしてる」
「そんなんされたら、自分死ぬし!! ボンレスハムだし、チャーシューだし、畳をバウンドしちゃうよ」
「楽しみにしてる」
ここらへんの場面で注文したラーメンがきた。それで、あとは皆黙々とラーメンとか餃子を食べて、解散した。
あの店は、とんこつラーメンのアレンジ系が美味かった。当時はよく利用してた。もう軽く十年以上は行ってない。残りの人生で行くこともないのかもしれない。
※書いてるうちに思い出した。福山駅前の八十吉ラーメンである。
ただ、あの頃のT君とは、できれば一緒に行きたくないな。財布的な意味で。
当時、たまに2人きりでご飯をおごってやることがあったけど、あいつ、ラーメン替え玉4杯+チャーハン+から揚げ+餃子5人前とか食べ切っててビビったわ……食欲が凄まじい。ラーメンが4杯で終わりなのは、その頃にはスープが無くなるからだ。
俺はその半分しか食えなかった。食欲においては、完全に俺の負けである。事実だ。認めるしかない。
そんなこんなで、最後の公式戦までの日々は風のように過ぎていった。
この匿名ダイアリーを書くにあたり、約二十年前の記憶を思い返している。正確じゃない部分はあろうけど、そこまで間違った内容でもないはず。一部ではあるが、当時の記録媒体を基にして書いてることもある。
あの日々は、けっこう幸せだった。柔道部の成績は悪かったけど、気合いが入った部員も出てきていた。そういえば、あの時そういう行為をした女子マネージャー(妹)も、あれから特にトラブルはなかった。これまでどおりの、柔道部顧問とマネージャーの関係だった。いや……ごく稀にプライベートで会うことがあったか。
何度か変なことがあった。双子の姉の方と柔道場の入口で談笑してると、妹の方がやってきて一緒に話に入ったのだ。不自然なタイミングで。無理やりに近い。それは、姉じゃないもう一人のマネージャーと話してる時もそうだった。
ちなみに姉の方は、マネ子に比べると若干明るい性格だった。俺ともT君ともほかの部員とも仲良くやってた。天性のコミュニケーション能力があるタイプだった。底抜けに明るいわけじゃないけど、不思議と安心感のある、温かみのあるキャラクターだった。
マネ子の態度は、上記を除いては普通だった。何か月かに一度は、俺も含めた部員みんなにお菓子を作ってくれたし、バレンタインデーには手作りチョコレートくれたし、大会前には率先して雑用を命じてほしいと志願したし、俺の誕生日にネクタイピンをくれたこともある。
私学だし、まあいいかと思ってもらってた。あの子の財布は大丈夫かなと思ったが、月のお小遣いが一万円と聞いて納得した。友達と遊びに行く時などは、母親から別途お金がもらえるらしい。医者の娘は違うな……と、月四千円の小遣いで寮暮らしをしていた高校時代に想いを馳せたっけ。
別に、妹の方とまたセックスしたいとは思わなかった。「したい」という欲求はあったけど、でも教師としての責任感が勝ったのだ。 訂正;間違った記憶でした…
ただ、俺という人間は、やはり異常だったと思う。ちょっと性欲が強いのは間違いない。そちらの方には正直だった。あとは~~子どもの頃に柔道や陸上をしてたのだが、絶対にうまくなりたい! という情念が強くなりすぎて、体を痛めて指導者に怒られることがあった。夢や目標に対しては猪突猛進だった。
性欲、性欲……と、今思い返してみて、人としてよくなかったと思えるものを最低3つは思い出すことができた。ひとつだけ、あれはまだ5才か6才の時か。両親が忙しい家庭だったので、日常の世話は祖母が見てくれていた。いつも、祖母と実妹と一緒に寝床についていた。
いつからだろうか。動機は定かではないが、まあ原初の感情とでも言おうか。夜に寝床にいる時、暗闇の中で祖母と一緒に寝ている時に、祖母の衣服を脱がせていた。「ねえ、ばあちゃん。服、服脱いで」と無邪気に笑って、祖母の服を脱がせていた。それで裸にする。
そして、お互いに裸になって、抱き合って布団の中で眠るのだ。抱き合うだけじゃなくて、ほかにも明らかに色々してたけど、やはり幼子とはいえ異常な行動だったと思う。
妹に対してもそうだった。妹に対しては、ほぼ毎日のように服を脱がせていた。妹は「いいよ」と言ったこともあったし、「いやだ」と言うこともあったけど、お構いなしに服を脱がせた。祖母が近くにいても関係なかった。とにかく脱がせて、納得いくまで裸で抱き合っていた。原初の感情だった。
愚かなことだった。反省している。でも、あの時の感情は本物だった。あの時、まだ小学生ですらなかったけど、俺は「女を抱きたい」と確かにそう思っていた。リアルだった。
次です
【まんしゅうじへん】
女性器が激臭を放つ様子を指すネットスラング。満州事変とかけたもの。
パンツを脱いだだけで、モワっときて、直接嗅げば鼻がひん曲がり吐き気を催し、手で触れれば数日は臭いが落ちないほど凶悪な臭いを放つ女性もいる。
自分の臭いに気づいていない女性もいるが、気づいている人にとっては悩みの種となっている。
男性の方もそのような女性と出会うとその臭いから嫌でもゲンナリしてりまう。
いわゆる臭いフェチの男性にとっては価値も見い出されうるものの、少し嗅いだだけで吐き気を催すほどの強烈な腐敗臭を放つ性器まで耐えられるかは人それぞれである。
基本的に不衛生にしたり様々な原因で雑菌が繁殖することで悪臭を発する。
恥垢が小陰唇などのヒダに隠れて発酵すると臭いを発する。別名処女臭とも呼ばれ男性経験のない女性に多い。
おりものは子宮や膣が発する分泌物の集合液である。それぞれ異なる働きの持つ分泌物が混ざったもので雑菌繁殖を防ぐ。
健康であればそれ程強い臭いはないが病気などで悪臭を発する場合もある。
乳酸菌の一種で、乳酸を作って膣の中を酸性にし、雑菌が増えるのを防ぐ働きがある。チーズのような臭いの元。
生活習慣によるホルモンの乱れや、糖尿病や抗生物質の使用、疲労や偏食などが原因でデーデルライン桿菌の働きが低下すると雑菌が繁殖、悪臭の原因となる。
膣内を石鹸で強く洗うとデーデルライン桿菌まで洗い流してしまい逆に雑菌繁殖に繋がるので注意が必要である。
ワキガの股間バージョン。アポクリン汗腺の分泌液から雑菌が繁殖することによって悪臭が発生する。これは体質としかいいようがない。
子供が1歳と4歳で、荷物が多くなるから宿泊先に荷物を事前に送ったんだけど
精神がぼろぼろになった
衣替えするのか?というぐらい大量の秋服を三人分並べて、選んで……
あとイベントに使うそれぞれの衣装用意して、服のタグにお名前シール貼って……
現地に私が持参するお土産6軒分あってかさばるし(都内在住で東京土産を渡す)
子供はどちらも娘なので、ブルマパンツ、レッグウォーマー、ショートパンツ、長ズボンそれぞれ用意した(秋なのでいろんな気候に対応できるように)
今まで旅行は荷物送る場所は一つだけだったからあまり苦労を感じなかったが、今回は二ヵ所なので精神的疲労が大きく
「あれ?家族旅行ってこんなに準備大変だったっけ?」って思った
現地に荷物送らないと無理
心身の疲労が蓄積してないか?できれば一週間ほどインプットを止めてのんびり風呂につかり、日光をあびて、程よく散歩するといい。それでもダメならメンタルクリニック。
2ヶ月前に念願のパイプカットをしたので、記憶が新しいうちに残しておく。
パイプカットすることで、射精後の疲労感、倦怠感、眠気が抑えられる、という情報がこの記事以外に全く見当たらない...。
ただ数年間くらい悩んだ後、独自に仮説を立てして、実行することを決意。( あくまで素人の思考と仮説です )
結果として、パイプカットを実施して正解であったと思っている。
射精後の疲労感、倦怠感、眠気が全くなくなったのは、ちょっとした感動すら覚えた。
( あくまで一個人の体験談でしかなく、個人差も大いにあると思うので、悪しからず )
これは自分は全く変わらなかった。
これも全く変化なし。
むしろ性欲は多少落ちてもいいくらいに思ってはいたが、変わらない。
これも特に変化はなし。
自分の場合は射精感も変わらないので、特にストレス面も変化はなし。
むしろ妊娠を気にすることなく、また射精後の疲労感、倦怠感、眠気が無くなった分、精神的にはプラス。
自分が調べた中でも、そういう研究結果はあるみたいだけど、一方で関係性はないという研究結果もある。
そもそも日本男性の部位別がん罹患数(2020年)では前立腺癌が8万7,756人(16.4%)とトップであったり、
危険因子としては高齢、喫煙、食生活、肥満などがさまざま挙げられたりする中で、明確に判断するのは難しいなと。
それで週1日30分、苦しくないペースでやるとどうなると思う。
↓
最初の1ヶ月はほんの少し変わるが、
走れない自分が嫌になるだけだ。
そんなんじゃモチベーションは続かない。ケガはしないかもしれないが、成長も目に見えない、週1回じゃ習慣化も弱い、脳内麻薬も出ない、でどう続けろと??
ほんとはてぶ民って「無茶しなくていい」みたいなコメに弱くて、それ以外、なんも考えなくなるよな。自分の専門以外が見えてない頭がいいって勘違いして
いる系の人間が多い。
本当にランニングを続けたければ、スマートウォッチかスマートバンドを買え。
安いのは5000円くらいで買える。
お前の限界はお前の体が教えてくれる。
心拍数だ。詳しくは「220 年齢 心拍数」等と検索してもらえばいいが、自分の基準になる心拍数を算出し、そこを目指して運動しろ。スマートウォッチなら心拍数を常時モニタリングできる。基準を超えたらやめろ。同じスピードで走っても、疲労や睡眠時間などの影響で日によって心拍数は変わる。運動間隔も「リカバリータイム」とか「回復期間」とか勝手に機械の方に出るからそれでやればいい。
無理をしないながらも効果が最大化するアクションはランニングに関しては可能だ。効果が出ている実感がなければ続かないし、自分にあった方法も今は容易にできる。
ジムで有酸素やってるんだけど、今まで運動とは無縁だったせいでランニングがきつくて続かん。
トレッドミルで早足かクロストレーナーかになるんだけど(サイクルマシンはいつも混んでるしあまり好きじゃないから除外)クロストレーナーのカロリー消費が嘘みたいに高い。あれ信じていいんか?
確かにそこそこ汗はかくが、疲労度合いより消費カロリー表示の方がえらく高い気がする。
クロストレーナーを続けていっていいならいいんだけど、ランニングできるようにならないとやっぱ意味ないんか?と思ってしまって迷い中。
業界までは言えないが、観光の仕事をしている。イベント・行事をこなしていく感じの仕事である。
今日はちょっと悩みがある。ちょっと、どころではないかもしれないが。罪悪感がある。
私は役職でいうと、係長とかリーダーとかその辺である。40代前後なので、まあこんなものだろうか?
今の部署は5年目だ。ちょうど2年前、つまり部署3年目だった時の話をする。ちょっと長いけど読んでほしい。適宜フェイクを入れるが、本質は残したつもりである。
後で読み直したんだが、表現がなんか小説みたいになってる。これは、私個人が精いっぱい思い出そうとした結果である。ご容赦願いたい。
イベントや定例行事、式典の数が多すぎて辟易していた。係メンバーが私を含めて6人いて、その過半数はイベント関係の仕事を持っている。
かくいう私は、うちの会社が直接やるイベントはもちろん、関係組織のものまで含めて課長クラスと一緒に出る必要があった。土日祝日の出勤になる。正直、休暇日数は少なかった。有給は使い切れず、年間休日は110日を割っていた。
会社直営のイベントだと時間外手当が出るが、関係組織のものは顔を出して談笑するのが主で、接待を受けることもあったからか、勤務日とはみなされなかった。話の相手方は全員年長者で、けっこう気を遣うにもかかわらずこの扱いだった。
勤務日にしてくれてもいいのに、という愚痴は置いといて。私をよく手伝ってくれる女性がいた。私と同じ部署3年目の子で、Sさんとしようか。Sさんは仕事ができる系の女子だった。彼女が担当する仕事のイベントはもちろん、ほかの仲間が担当のイベントで人が足りない時とか、人が足りている時ですら休日に出てくれた。私が出るイベントは、おそらくすべて出てくれている。
あの子はまだ20代半ばで、一応結婚はしてるけど……遊びたい盛りのはずだ。それを、こんなに休日を犠牲にしてくれて。振替休日もまともに取ってなかった。私の上司としての甲斐性がないせいでもある。
クールキャラで、そんなに感情を出さない子だった。いつも黙々と働いていた。あ、でも笑う時はすごく笑う。でもあの子は、きっと我慢していたと思う。職場の仕事初心者とか、働かない年長者の代わりによくがんばっていたし、体力のいる仕事だって、身長小さめなのによくやっていた。
この年はしんどかった。イベントの数も多かったが、とある特大行事があった。うちの部の責任者がゴリ押しで進めていたもので、そのうえ役員連中が政治力で開催地を勝ち取ってきた。
ざっくり言うと、昔プロ野球で大活躍した選手を何十人も集めて、地元チームと試合をしたり、少年少女に野球を教えたりするものだ。
で、その準備がまた大変だった。係総動員で挑んでも人手が足りないほどだったが、結局私とSさんがほぼメインで毎日残業して取り組んだ。そんな月日が三ヶ月以上は続いた。
あれは……開催まであと1週間というところだった。時期は6~7月かな。
その日は、開催場所(地元野球場)まで2人で車に乗って行って、選手観客の導線に無理がないかを確認したのと、台本に合わせて実際の全体の動きをデモンズソウルしていった。いくつかの問題点を見つけて、ああしたらこうしたらとまとめていって、終わる頃には日が傾いていた。
社用車で急いで職場に帰った。夜8時頃に事務所に入ると、その日にやろうとしていたグッズの数確認(検査検収)が全く終わってないのを確認した。私の仕事なので、終わらせて帰ろうとしてたら、Sさんが手伝いを申し出てくれた。
一緒に雑談しながら、しんみりとした疲労感の中でカウントしていった。何を数えていたかはもはや覚えてない。スタッフ用の記念Tシャツだったと思う。
今もそのクソダサTシャツは自宅の箪笥に仕舞ってある。正直クソダサTシャツではあるが、ぺこーらとかヒカキンとか、その他の著名Youtuberが着用したら一周回ってアリなのかもしれない。
結局、終わったのは夜9時過ぎだった。さあ帰ろうかとなったが、段ボールに入ったグッズを真っ暗闇の印刷室兼倉庫に運ぶ必要があった。
作業自体は10分も要らなかった。Sさんが手伝ってくれていた。印刷室の入口は電気を点けてない。廊下の明かりがちょっと漏れていたので。私の分が何往復かして終わって、あとはSさんの1箱分だけだった。
その時、Sさんから段ボール箱を受け取るところで、私が疲労のあまり躓いて、Sさんにぶつかってしまい、一緒に転びかけた。それで、気が付いたらSさんの手が私の肘のところにあって、段ボール箱は床に落ちた。
私が拾おうとしていると、ほぼ暗闇の中でSさんと目が合った。パッチリと合ったのだ。
私もSさんも疲れていた。私が「フフッ」と笑うと、Sさんも笑顔で吹き出した。私は気が付くと、Sさんの両手を握っていた。
「「あ……」」
そういう雰囲気だった。
Sさんの目をまっすぐに見て、一歩足を踏み出して、頭の後ろと肩のあたりをグイっと抱きしめた。Sさんの後頭部のあたりが汗臭かった記憶がある。私もおそらく臭かった。
Sさんが両手で、私の脇腹のあたりを猫の手みたいにして握りしめた。Sさんの胸部の感じが、私のみぞおちにあった。
やがて、抱きしめるのをやめると、暗闇の中にSさんの顔が間近にあった。
「ごめんね」というと、「なにが……? 何も嫌なことないですよ」って、震えた声が返ってきた。
それから、印刷室で段ボール箱の整理を終えると職場に帰った。Sさんが後ろから付いてきてる。PCをシャットダウンして、天井の明かりを切る前にSさんに「帰りは?」と聞いたところ、「自転車です」だって。
「もう暗いぞ。車で送っていこう」
「ほんとに。送ってくれるんですか?」
「いいです」
「お腹空いたな」
「空きました」
こんなやり取りだった。あと三行くらいはあったろうが、記憶はとうに消えている。
それからは、会社から離れた国道沿いのラーメン屋でご飯食べて、帰りの駐車場で車に乗ろうとする時、Sさんが運転席の辺りまで来て、私をずっと見詰めていて、それから……「どっか寄る?」「いいですよ」みたいなやり取りがあった……そして、駅前のシティホテルに車を停めて、罪悪感と一緒に……Sさんと一緒に部屋に入った。
どんな行為だったかな。ぎこちなかったと思うけど、意外と相性がいいところもあった。
ダブルルームに入ったら、すぐに扉を閉めて、Sさんにキスをした。扉に押し付けるようにして、ずっと長い間していた。Sさんはやや小柄な方だった。唇の位置を合わせるのがちょっとしんどかった。胸が思ったより大きくて、それがキスの障害になることもあったが、構うことなく続けた。
終わったら、Sさんの手を引いてベッドまで連れて行った。明かりをつけてわかったけど、Sさんはほぼメイクをしてなかった。「現場仕事だからか」と思いながら、ベッドの前でもう一度キスをした。今度は、何度も何度も、しつこく舌を入れて、ディープキスを堪能してから、そのまま行為に及んだ。
※シャワーは事後だけ浴びた。深夜が近くて時間に余裕がなかった
ベッドの中では……Sさんはすごく甘えてきた。お互いにいろんなところにキスをしあったけど、Sさんは前戯の時も、本番の時も、私のことをギュッと抱くようにしていた。昔ダッコちゃん人形というのを実家で見たことがあるけど、あんな感じだった。
私がSさんの上にいる時も、Sさんが上になってる時も、どっちかの手で、あるいは両手で私の体に触れていた。
やはり胸が大きかった。私も舐めたり、触ったりしたけど、なんだか固い感じがした。でも、ベッドの中で女性の体に触れるのは数年ぶりだったから、ずっと胸を攻めていた気がする。太腿とかも舐めたり触ったりしたけど、柔らかさよりも筋肉質な感じがした。
どんな体位をやったかは、鮮明に覚えてる。Sさんは基本、挿れている時はずっと同じ態度だった。よく言うと甘えるような面持ちで、悪く言うとマグロだった。
正常位の時も、バックの時も、対面での座位の時も、後ろから背中とか胸を攻めてる時もそうだった。甘えるような声はたくさん出すけど、そんなに動くことはない。
最後はベッドのすみっコぐらしで、Sさんを正面から抱きかかえると、ベッドの端でゆっくり、ゆっくりと、お互いに座位で振動しあっていた。動きにくい態勢だったけど、それがよかった。もし私がAV男優だったら、よいしょっと持ち上げて、入口の扉あたりまで移動して行為をするのだろうか。私にそんな体力はない。
行為の最後に、Sさんと顔を近づけてる時、「愛してます」と伝えた。Sさんは、その場で大笑いしていた。「そういうものかと思って……」と伝えると、さらに笑っていた。
キスをして口を塞ぐと、Sさんも合わせてくれた。Sさんの涙かもしれない液体が、私の頬のあたりを伝ったのを覚えてる。
全てが終わった後、私がベッドの端に座って、付けていたゴムを取ろうとしていると、Sさんがベッドのすぐ下でしゃがんだ恰好になった。私のゴムを手でちょっと握ったと思うと、口を使って取り外してくれた。
それからSさんは、私のを舐めて綺麗にしてくれた。本当に、すべて綺麗になるまで舐め取ってくれた。終わった後で、私の汚い液体がSさんの顔とか乳房にくっついているのを見た。
「付いてるよ。拭かないと。私が拭いてあげる」と言ったら、Sさんは自分で乳房を動かして、自分の舌で汚いものを舐め取っていた。
その時、私はベッドの上からSさんを見下ろしていた。Sさんの体を覗き込んでいた。若々しい身体で、シミなどは一切なかった。女性が男性よりも美の努力をしてるだけかもしれない。
その後、一緒にシャワーを浴びた。名残惜しいと感じて、シャワーを浴びながら、Sさんを真横から抱きしめるようにしていた。お互いに頭の横をくっつけあって、シャワーを浴びてた――私の記憶はそこで終わりだ。
帰り道のことはあまり覚えてない。Sさんが旦那さんと暮らしてる新築の家の付近に車を停めて、深夜にSさんを見送ったシーンは辛うじて記憶に留めている。
野球のイベントは無事に終わった。あれから、Sさんとは普段どおりの関係に戻った。誰の目から見ても、普段通りの上司と部下だった。Sさんは仕事ができるクールキャラで、たまに大笑いをしていた。それも変わらなかった。
冬前になると、Sさんが産休に入ると言った。青天の霹靂だったけど、以前から覚悟はしていた。結婚してるんだし、そういうこともあると思っていた。Sさんの代わりとして、臨時雇いの人が来ることになったが、それからは残業が嵩むようになり……あれはキツい日々だった。
でも、Sさんが職場に帰ってきた時のことを思うと、此処を維持するためにがんばろうと思えた。
結局、Sさんが戻ってくるのに一年以上かかった。出産後、産後休暇を取得して子育てに専念したことによる。
今年に入っていつだったか、Sさんが乳幼児の子どもを職場に連れてきた。ベビーカーに乗っていた。1才くらいかな?
其処に集まった女性陣の後ろから、ヨイショッとその子の顔を覗いてみた。Sさんがみんなに見えやすいように抱っこしていた。
その時ほど戦慄したことはなかった。あんな感じは、人生で初めてだった。後悔とは違う。自分が後悔してないのはわかっているけど、それでも恐ろしい感じ。感情の名前が思い浮かばない。
Sさんが私の方を見ようとした時、私はちょうど目を逸らして、デスクに戻るところだった。もうちょっとでSさんと目が合っていたかもしれない。
あの女の子、私と目の感じが似ている。鼻もそうだ。そのあたりから下のパーツも似ている。一目でわかるくらい、それほど似ていた。
これって、もし、あの子が私の子どもだとしたら、バレるんだろうか? 旦那さんがDNA検査するとか言わなくても、病院が提供したデータでバレるんだろうか?
ここまで読んでくれた増田の人は、人生経験が豊かなのではないか? 私はまだ40前後である。どうしたらいいのかわからない。
私はどうすればいいのだろう。どういう心持ちでいればいいのか? 不安でしょうがない。どなたか、なんでもいいのでアドバイスがおありでしたら、何卒ご教示願いたい。
低強度でハイボリューム(90~240分)なトレーニングを中心にしたグループと、
HIIT(4分のスプリントと3分のレストを4回)繰り返したグループを9週間にわたって比較した結果、
疲労困憊に至るまで時間と、VO2max(最大酸素摂取量)時のスピード向上率、
いずれもHIITをやったグループの向上率が有意に高かった。(参考https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3912323/)
つまり、疲れにくさや持久力をつけるには長時間のランニングではなく4x4プロトコル(4分スプリント3分レストを4周、合計28分)のHIITをやるべきである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/2b-runner.com/how-to-start-run
筋トレを始めたきっかけは35歳を過ぎたあたりからTシャツがなんとなく似合わなくなってきたこと。
と言っても運動習慣のない中年男性としては標準的な体型だろう。体脂肪率20%、筋肉がないのに脂肪がついてちょっと浮いた胸、布一枚では隠しきれない腰回りの肉、姿勢が悪く丸まった背中。
そういえばいつ頃からか夏にTシャツ1枚で出掛けなくなった気がする。
Tシャツみたいに自由な私と斉藤由貴も歌っていた通り、体型を気にしてTシャツを着れないなんて自由じゃない。
俺は筋トレを始めることにした。
寝室を潰して家トレ部屋に。
ダンベル、可変式ベンチ、懸垂スタンドを買い揃えた。ダンベルははじめ片側20kgだったがしばらくして不足になり32kgの可変式に買い替えた。
ジムは過去に1度挫折している。当時はジム通いの目的が漠然としており、マッチョ達の住むフリーウェイトエリアに足を踏み入れることもなかった。
なので今回は筋トレの敷居を徹底的に下げ、帰宅したら5秒で懸垂ができる環境を整えた。
文献や筋肉系YouTuberを参考にトレーニングメニューを組み立て、一度に多くの筋肉を鍛えられる多関節種目を中心に週4回〜5回の頻度で実施。katochan33は裏切らない。
トレーニング時間は平均すると1時間程度。時間がとれない日はメイン種目だけ数セット行うなどして、なるべくトレーニングの間隔を空けずに継続することを心がけた。
初心者の発達は目覚ましく、動作の習得と神経系の発達によって挙上重量はどんどん伸びていった。
身体の変化については3ヶ月でちょっと変わったような気がする、半年で明らかな改善が感じられ、1年経った頃には周囲に変わったねと言及されるようになった。
久しぶりにジャケットを着たら肩周りが窮屈で着れなくなっていて悲しくも嬉しい気持ちになったりした。BEAM Fで15万かけて作ったスーツが駄目になった。
仕事が忙しくて1週間空いたり、無理をして肩を痛めたり、新型コロナ罹患後に調子が戻らなくて2ヶ月ほど空いてしまったような事もあったが、幸いにもその都度仕切り直すことが出来て現在に至る。
家トレが1年半続いた頃、32kgのダンベルでは重量に不足を感じる部位がちらほら出てきた。
特に脚トレは自宅の設備だけでは運動強度を漸進的に上げていくことが難しく行き詰まりを感じ始めた。
他の部位においても高重量を扱う局面の必要性を感じる事が多くなり、またモビリティ向上のためのエクササイズや期分けした体重の増減量も取り入れ始めた。
そう、自分は(一般的に見れば)ガチ勢に片脚を突っ込み始めていた。俺はジムに入会した。
家トレ時代と変わらず週に4〜5日のペースでジムに通っている。
Tシャツの似合う身体になるという当座の目標はとうに達成したので、とりあえずの目標として具体的な数字を定めた。スクワットで言うと体重の2倍、現在の体重が75kgなので150kgの重りを担いでしゃがんで立ち上がること。
たまに「そんなに頑張ってボディビルダーにでもなるの?」というような向きのことを聞かれるが、その質問には「山登りが好きな人に登山家になるのかと聞かないでしょ」と返している。
実際のところ自分でもよく分からないのだ。趣味かと聞かれると違うような気がする。確かに熱意を持って取り組んではいるのだが。
筋トレは終わりがないが故に山頂を自分で定めなければいけないのだけど、幸いジムには自分よりはるかに高い場所でトレーニングしているマッチョがゴロゴロいる。あいつらはみな謙虚で優しく、でも着実に自分の山を登っている。
(トレーニー目線で見れば)初心者を脱した程度のレベルに過ぎない自分でもここまで来れたのだから、もうちょっと先の景色を見てみたい。いまのモチベーションはこの程度。
とりとめのない文章を打ち込んでいるうちに深夜1時を過ぎてしまった。明日は胸の日だ。
明日クリアしたい種目・重量・回数は頭の中にあるのだが、まあキツいだろうな。疲労も溜まってる。でもそれの繰り返しでここまで来たのだから明日も挑んでみるか。
俺の現状はこんな感じだ。ここまで読んでくれた皆さんありがとう。もし興味があればまずは腕立て伏せから始めてみるといいよ。皆その繰り返しでマッチョになるのだからね!
知り合いと行った遠出
ツアー計画力と行動力のお披露目したかった口実に使われた?ってくらい全てに圧があって疲労が凄い
道中で言葉にせず、黙って従うというラクな方へ逃げた自分への苛立ちもある
宿や食事処を一人で決めるくらいまぁまだいい
決めたあと「ここにするね!」って伝えてくれてたし、決めるときにも一応こちらの好みとかは探ってくれていたみたいだし
(それでも予約確定前に教えてほしかったが)
でもその店に行くルートや移動手段までフル指定なのは流石にきつすぎる
「ここはコレが有名だから頼んで!ほらもう店員さん待ってるんだから!」はシンプルに迷惑
待ってるも何も席についてすぐスタッフを呼んだのはお前だが?となる
同じグループ客なのが恥ずかしすぎた
自分が決めたメニューを即注文して食べるのは好きにしたらいいよ
でもこっちはメニュー写真を見比べたり店員さんにオススメ尋ねたりする時間も楽しみたいわけ
迷った結果頼まなかった方の感想を頼んだ人に聞いたりするのも喜びじゃん
それすら百歩譲って、そういうのが苦手な人もいるんだなって自分を納得させて
「アッ取り分けとかしないタイプなんだ」ってなんなんだ
食べ方まで理想に沿わなきゃ不機嫌オーラ全開とかマジで団体行動に向いてないよ
はんぶんこしたいなーとか、私こっちオーダーするから少し交換しない?とか、そういうコミュニケーションそんなに難しいか?
よほどカジュアルな店でなければシェアしたくない派だけど言われた上で断るほど嫌なわけでもないわ
今まで散々こちらの判断で動いたら「その電車はダメ」「あの道は間違い」って後出しルールで怒られたからせめて食事くらい穏便にと思って大人しくしてたって分からないもんか
ホテルも
「ここにハンガーかけてって言ったよね?(パッカブルの上着だからハンガーいらないんですが)」
「なんでタオル畳まないの?(明日も使うので湿気がこもらないよう干してます)」
「部屋ではスリッパに履き替えてよ(非常口チェックしにいく前に荷物を置く10秒くらいの在室で?!)」
‥‥号令がかかるまでティッシュひとつ触るのやめとこ‥‥となり最悪の気分
〇〇観光なら一緒に行こうよ!ってそっちが乗ってきたのに
いい年して就寝時間で怒られるの、一周して笑えてきたわ
起きたときの気分で朝風呂するかどうかを決めるって言ったときの理不尽人格否定とか
悪気がないならお互いのために距離を置こう
人付き合い上手くなりてえな あーあ
前に行ったパッケージツアータイプの旅行は実際に楽しかったんだ‥‥
あと現地に住んでいる共通の友達が計画してくれて、二人ともそれに従うスタイルの観光旅行はむっちゃ思い出になった
綺麗だと思う景色や美味しいと思う食事の方向性はかなり近くて、やりたいアクティビティも似てる
全く気が合わないというわけではないので起きた事故だと感じています
お互いに言い分がありそう
トラバがすごい
参考にはなった。教えてくれてありがとうございます
雑談のつもりだった「~~は見たことない」「~~を食べてみたい」「~~が気になっている」という話が知人には旅程のリクエストに聞こえたのかな
ただ、向こうがどれほどフェイク入れているかは分からないものの、こちらは飛行機に乗っていないからこの方は件の知り合いではないようです
書き方が誤解を招いていたら申し訳ない
たしかにカードキーの挿し方で怒られた場面はあったけど、次から気をつけるだけで棒立ちにはなってない(つもり)ですし
無関係な方っぽいのでそっとしておいてほしい
これをやる前に「ホテル取ったからね!」という連絡が来て驚いた、がスタートだったもので‥‥
三連休に○○へ行きたいと雑談で触れただけで、なんならこの時点では実際に行くかどうかも確定してなかった
観光シーズンで宿がいっぱいかも、という話はしたが、0泊旅行も面白そうだし気が向いたら一人でフラッと突撃してみてもいいなというつもりでいた
「予約しといてくれたら助かる~w」的な社交辞令すら言ってない
増田「○○行きたい」
知人「いいね、私も○○行きたいと思ってる」
知人「たしかに」
で、また別の話題になった流れだったはず
ホテルとったよ!と言われ驚きつつも受け入れたのは自分だから、押しかけられたとは思っていません
9/30追記ここまで
多少の金をかければって100坪の家って家の中の掃除だけでも大変だよ。3LDK二階建ての普通の一軒家ですら、老親と二人で仕事してる人間だと掃除もとにかく面倒だった。掃除回数が週一にしてもだるい。
人がずっといるとそれなりに部屋は汚れるし、いなくても日々埃なんかはたまっていく。古い家なら虫だのもあるだろうし。
風呂トイレ部屋全部、まあ家族がいなくなって使ってない部屋は放置にしたって掃除が大変。階段も廊下もある。
自分は売ってマンション引っ越さないの?とは当時親に聞いたが売る気はないで終わった。ただまあ水回りやバリアフリー含めて家全体大型リフォームはした。
元の増田は不合理だっていうけど、使わない部屋もあるような家を、老人が一人で管理する方が不合理だよ。更に庭も広くて雨漏りもしてってならそりゃ疲労困憊になる。老人だぞ。もう身体がきついんだよ。
下水の接続もしてない古い家を何でそんなに必死に維持させようとするのかそっちの方が分からなかったけど、読み進めて理解した。子供たちの遊び場です☆って書いちゃってるねえ…。自分の都合じゃないの…。
親には疲れるだけで毎日のメリットがない。増田が掃除含めて家の管理をします!って何ら別だがそうじゃないならもう家を解体して小さいバリアフリーの新しい平屋を立てるほうが断然喜ぶし安心すると思うわ。
「庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい」「今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい」と増田母が明言しているにもかかわらず、なぜかトラバでもブコメでも「増田母は増田一家と同居したいのでは?」という意見を持っている人が多くて戦慄している。
「庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい(庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい)」「今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい(今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい)」じゃなくて、
「庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい(息子夫婦と同居して庭の草刈りや雨漏り等の対応は息子に任せたい)」「今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したい(息子夫婦が建てる一戸建てに引っ越して一緒に住みたい)」なの?
つまらん贅沢な悩みとは思うが一応書く。
おれは結婚して小学生の子供と東建コーポのありきたりな2LDKアパートに住んでいる。
実家はおれの勤務先からは50km離れてて、日本庭園付きの100坪と一見してなかなかの豪邸だけど築60年。下水の接続もしていない。
母は、庭の草刈りや雨漏り等の対応で疲労困憊なので売りたい売りたいと長年主張している。
とはいえ、売ればせいぜい3000万から4000万円で、この金額でどこかに買い替えるにしても二回り以上狭い中古住宅になるだろう。
面倒だという日本庭園の剪定作業も、シルバー人材センターに依頼して月1万円程度で済む。
これをわざわざ自分でも手伝って大変大変と言ってるので、俺にはその主張が合理的とは思えない。
また、母は貧乏性というべきなのか昔からテレビも家財も小さいものがいいと主張し、亡父と度々衝突していた。
住居も、今の家は広すぎるから小さいアパートに引っ越したいと言うが、100坪の家を売ってアパートに引っ越すという感覚は俺には理解できない。
金銭的には年金が毎年200万に預金2000万で、贅沢はできないが不安材料はない。
しかし、会うたびに家の管理が大変だ、今後家をどうするべきかと切々と訴える。
俺は、
「売却して遥かに小さい家やマンションを買うのは不合理すぎてありえないし、自分も仕事や子供の学校周辺の状況から当面は賃貸で済ませる。
ここは確かに単身で住むには広いが贅沢な悩みで、仏壇を置いてるし孫が気兼ねなく遊べる貴重な環境だろう。
コンパクトな住居に住みたいなら今すぐにでも引っ越せるし、実家の売却は必須ではないだろう」
と何度も説明してる。しかし、管理が大変云々の話を繰り返すばかりで何も進展がない。
おれはどうすればいいのか。
A案:実家を3000万から4000万円で売る。おれの自宅購入資金+母の老後資金とする。母は好きな場所に住ませる。
C案:リフォームしておれが妻子と住む。ほぼ無理。嫁姑問題のみならず、おれの勤務先や子供の学校とも遠すぎる。
D案:現状維持。