はてなキーワード: 大国とは
もう5年以上も前になるが、とある北欧の国の大学に留学していた。
初海外で留学だったため、最初のころは何を見ても新鮮でとても元気にすごしていた。
しかしながら、そんな新鮮さは徐々に失われ、留学生活が日常になっていく中、英語コミュニケーション能力の不足、ほとんどグループワークを伴う課題などでストレスがかかり、
日照時間も白夜に近づいていき、徐々に元気をなくし、授業にも出ずに引きこもりがちになっていた。
日本に留学していたアニメ好きの現地の友達の家にあそびに行って、ピザとかを頼んで一緒にアニメを見ていた。
その当時放映していた、偽物語、あの花などのアニメを2週間に一度くらい一緒に見ていた。
そのほかにも、大学のギルド(サークルみたいなもの)にオタクギルドがあって、毎週、大きな講義室を借りて上映会をしていた。
こちらは、主催者が用意したアニメを2~3話ずつ、3種類くらいを毎週続けて見ていた。
このとき見ていたのは、神霊狩、Aチャンネル、STEINS;GATE、チーズスイートホームという猫アニメなどを見ていた。
アニメ見てただけじゃねーか、と思うかもしれないが、普通に日本でアニメを見ているのと違った感覚で見られたことを鮮明に覚えている。
海外にも日本のアニメは人気だということは知っていたが、実際にどんなふうにアニメに触れているのか、どのように楽しんでいるのか、全然知らなかった。
そこでまず自分が感じるのは、これだけ面白いアニメが生まれるアニメ先進国民としての自負とか自尊心である。
簡単にいえば、「こんな面白いアニメがたくさん生まれる、日本スゲーだろ」ということである。
別に自分がアニメ制作に関わっているわけではないので、何を誇らしげに思っているんだ、と思うかもしれないが、
留学して授業もろくに出ていない日本人が心の拠り所にした誇りみたいなもんだ。
しかし現地学生と一緒にアニメを見ているうちに、色々と思った。
まず、なぜ日本のアニメを面白いと思って見ているのか、疑問に思った。
アニメを見る環境というのは、そのアニメの見方も大きく変える重要なものだ。
自分の場合、北欧人と一緒に見るのだが、そうすると相手がこのシーンをどのように捉えているのかという見方になる。
例えば、にらめっこのネタがあったとして、外国人にはそもそも「にらめっこ」とはなんなのか分からない。
大抵そういう説明の要るものに対しては、別途字幕で説明されていることが多いのだが、されないこともある。
すると、日本人なら分かるはずの面白さが本当に伝わっているのか、とても気になってくる。
すると逆に、日本では普通だったけど、海外では普通じゃないことの多くが見えてきた。
日本の学校は決まりごとがたくさんあって独特の文化を築いていること、魂や霊から見える死生観、友達のあり方など。
もちろん普通に留学してるだけでも、違いがたくさん見えてきて面白いことは多かった。
普通は自分が異なる文化に飛び込んで、異文化や違いを学ぶものだと思う。
一方で、アニメという自分のフィールドの中で、外国人と一緒にアニメを見るだけで、自分の中で見え方がこれほど異なり、多くの発見があったのはとても面白いことだった。
小さな国に留学したことがあれば分かると思うが、小国は外国からテレビ番組や映画を輸入してくることが多く、海外の文化に親しみやすい。
というのも、自国民向けの娯楽番組を作ったとしても、国民そのものが少ないので利益に繋がりづらく、なかなか娯楽に投資できない。
そういう点において、日本は大国であり、自国民向けの娯楽の作成に多くをつぎ込むことができる。
すると、国内の少数向けに作った娯楽が外国の人にも受けるものが出てくることがある。それがアニメだったわけだ。
彼らはカジュアルにtorrentで最新アニメをダウンロードして視聴し、そこから日本に興味を持ち日本語を学び、秋葉原までやってくる。
バイト先に、日本のアニメに各国の字幕を付けて流す副業をしている人がいて話を聞いたが、かなり儲かるらしい。
キャラクターによって性格や口癖のタイプがあるので、それを考慮して字幕を作成、その国の留学生をバイトで雇っておかしなところを修正してもらい、流すらしい。
月収50万くらいって言ってたな。
どうなったらいい?よくしたいってさ、俺たち国民は、今後の日本がどうなりたい
どうあればいいのかもっと具体的に明確なビジョンがあればいいんじゃねえか?
子供を増やして今後に可能性を繋げるのか、子供なんてどうでもいい、今の老人たちを手厚くするのか?
逆に姥捨山でも作るか?首都圏に人口が偏るのがいいのか、地方が衰退するのがいいのか
移民を受け入れるのか、世界的なシェアを得られる何かを開発していくのか
米国、米軍との関係、逆に中国に国防を任せるのはどうか、中国に飲まれるのか
軍事大国になるのか、、ロシアと組むとかは???なんだっていいや!
この日本という国は明確な目標がない気がするんだ。中国みたいに「人民の夢、国の夢」みたいなものもない。
その目標のために、有無を言わさずやってみせろと。
どう考えてる?どうあってほしい?
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・私個人の主観的な意見による記事ですので(当然、偏りがあります)、内容の解釈に関しては各人の判断でお願いいたします。
・メッセージ等による質問はすべてスルーしています(お返事しません)。
申請の際に、メッセージのない方は承認いたしませんのでご了承ください。
簡単な自己紹介と、どういう理由で申請されたかなどを教えていただけるとありがたいです。
お手数ですがよろしくお願いいたします。
Dr.SHUTO
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いつもの砂糖と牛乳不要論者。茶碗の隣に角砂糖置いちゃうメンタルクリニックと同じ宗派みたい。
セクハラ不祥事のJリーグ幹部はなぜ解任ではなく辞任なのか | ゲキサカ
この記事によると、Jリーグ内のホットラインでパワハラとセクハラの通報があり、それをきっかけにしてリーグ幹部が辞任に追い込まれたという。
内部告発者がほとんど保護されず、通報した人が不利益を被ることがデフォルトの日本企業では珍しくホワイトな部類と言える。
日本企業では昨今コンプラ云々でハラスメントの通報制度や対応組織を設けるところが大半になったが、その大義名分となっている「ハラスメントから社員を守る」ことが出来ている事例は極小だ。
自分が知っているだけでも、「匿名通報したはずなのに、通報者が誰であるかハラスメント実施者に通達される」「ハラスメント通報したことが部署にばれて所在が無くなり、退職に追い込まれる」「逆に脅される」「一時期はハラスメントしてた人が左遷されてたが、わずか2年後に役員に昇格した。通報者はその間に退職」といった感じで、ちっともハラスメント実施者が罰せられていない。通報者が逆に罰せられるケースばっかりだ。内部通報するような不満分子を予め摘み取っておくリスクマネジメントツールにしかなっていない。
だから新日鉄ソリューションズの元契約社員は裁判に訴えたわけだし、豊田真由子議員の元秘書は週刊誌にハラスメントネタを垂れ込んだ。
ネトウヨは韓国を叩くけど日本も同じ。男尊女卑で年功序列(儒教のせい)で目で見てわかりやすいもの(学歴や収入や性別など)で差別して、その結果、両方とも自殺率が異様に高い病んだ国。
年功序列はもう言うほどなくね…?
まあいいや。
自分たち男が視覚に頼りすぎな生き物だからって、女もそうだと思うな。「ただしイケメンに限る」って、女はお前たち男みたいにそこまで見た目にこだわらねぇよ。
なわけねーだろw
男尊女卑が強い国ほど見た目を気にする、日本でも美しくないダメという男の理想の女であるための呪いが日々垂れ流されてるし、韓国なんかもっとひどくて整形しないといけない。
それは全部「男のせい」なの?
整形する女性自身が虚栄心や欲望を満たす為にやってることでもあるよね?
すごく男に依存しただらしない思考・実存の説明だと思うんだけどその点は?
なんで、男の欲望を満たすために女が綺麗でいなきゃいけないのか、
男の欲望の為に化粧が存在しててその押し付けも男の権力でやれてるなら
社会人より若くてかわいい学生にこそ化粧を押し付けてるはずじゃね?
男は全然女の化粧に神経向いてないしその技巧やセンスのよしあしもわからない
男を満足させる為だけならなんであんなに化粧技術が発達してアイテムが充実して流行り廃りまであるんだと思う?
化粧するもしないも自由だろ、と。
そうだよ人のせいにすんな
男に消費されるために見た目を着飾ることが気持ち悪い。男ウケってなんだよ、オシャレは自分のためにするものだろ? なんで男に媚びなきゃいけないんだ。
だからそれさあ
女が勝手にやってることじゃね?
そんなん気持ち悪いと思うならやらなけりゃいい
どんどんやれよ
アプローチが逆じゃね?
大人の価値を提示してアピールするもんじゃね?お前も大人の年齢ならば
JKビジネスなんて存在するのはごく一部だろ ブキッキオさんかおめーは
エロゲやエロ漫画のオタクはしらん あーだこーだいわずほっとけあれは絵だ
女子高校生をヒロインとした創作物が多すぎる、女子高校生と同年代の10代の少年をターゲットにした作品でそうなるのは仕方ないにしても、30代以上のおっさんをターゲットにした作品でも女子高校生のヒロインが出てくるの、病みすぎだろ。
それは勝手だろw
現実に恋人や伴侶に年はなれた若い女臨む男ってそれほど居るか?
ロリコンが多すぎるのは、実際に子供がターゲットにされる犯罪が増える危険性があるという社会的な損失もあるのに、未成年を性的な対象として見ることへのタブーがなさすぎる。
お前それ後付けだろ
ほんとに犯罪を憂いてるなら女子高生コンテンツと子供を狙う犯罪の相関関係をデータでもってこい
ほんとはそこが焦点じゃないだろうが
もっと、18歳未満をそういう対象で見る人間はクズと後ろ指さされるぐらいになればいい、これが容認されるのも、男の性欲が肯定されてるからか?
ダメだこりゃ
お前は中世の国とかのほうが向いてるよ
そんな、女ばかりに要求される社会だから子育てとかも無理、と少子化も進行。(少子化の原因には、過去の、主婦が非正規で夫が正社員でというモデルが原因の男の非正規化、それゆえの貧困化もある)
適当なことを言うな
少子化の原因をこれ!と言えるならお前はノーベル賞取れるよ 世界中が悩んでるんだ
・女嫌いな男が多い
じゃあお前に関することでお前が責任とることってなんなのよ
いい加減呆れてきたわ
お前の周囲には男嫌いな女と女嫌いな男が多いだろうけどそれはお前の人徳の賜物だよ
お前の言動は女におきるあらゆることを全部男にもとめていて
それほどまでに男は優秀だと女は足手まといだと信じているのか? 理解に苦しむ。
女には男を立てて欲しいという気持ちがある男が多いから(これは男の生まれつきなのか、社会的な背景で男の方が偉いと思っているのか)、自己主張する女じゃなく、子供っぽい女が好かれる、フィクションの登場人物とか見てても。
どんなコンテンツを見てるんだよおめーはw
お前みたいに歪んで敵意で一杯な人間と同じコンテンツを楽しむのは難しいだろw
男女以前だ
お前マジでヤベーよw
じゃあ少女漫画に出てくる男キャラも男性読者から支持される必要があるの?
ねーよw
女が考えて女が楽しむ女に都合よくロマンチックな男キャラでいいんだよそんなもんは
あのなー
男女だけじゃ無くて社会にはいろんな立場の人がいるのだから分断されてて当然なんだよ
そんなキャラが居るとしたら社会の方が統制されきってるってことだ
サヨクっぽい人の論考が必ずこういう統制の方向へ行くのは
幼稚で粗末な論理の正義が社会で実現するには統制しか無いからだろう
最近マシになっていた男性嫌悪と日本社会への嫌悪の気持ちが出てきたので吐き出す。
ネトウヨは韓国を叩くけど日本も同じ。男尊女卑で年功序列(儒教のせい)で目で見てわかりやすいもの(学歴や収入や性別など)で差別して、その結果、両方とも自殺率が異様に高い病んだ国。
・見た目で判断することを当然と思っているところ
自分たち男が視覚に頼りすぎな生き物だからって、女もそうだと思うな。「ただしイケメンに限る」って、女はお前たち男みたいにそこまで見た目にこだわらねぇよ。
男尊女卑が強い国ほど見た目を気にする、日本でも美しくないダメという男の理想の女であるための呪いが日々垂れ流されてるし、韓国なんかもっとひどくて整形しないといけない。
なんで、男の欲望を満たすために女が綺麗でいなきゃいけないのか、学生は化粧するな、社会人は化粧しろっていうダブルバインドも、社会人になったら女として男の欲望を満たせと言われてるようなもの、気持ち悪い。
化粧するもしないも自由だろ、と。
男に消費されるために見た目を着飾ることが気持ち悪い。男ウケってなんだよ、オシャレは自分のためにするものだろ? なんで男に媚びなきゃいけないんだ。
これは、見た目を重視する男の価値観+劣悪な労働環境で大人が不自由だから、なのかもしれないけど、子供を美化しすぎる男が多すぎる、その結果がロリコン大国、気持ち悪い。
仮にも先進国なら、未成年への性的な欲求は良しとしない社会的コンセンサスがあるべき、なのに日本は、JKなる言葉を作って女子高校生をカテゴリとして消費するほど未成年への欲望が容認されている、気持ち悪い国。
消費する側がいるから、JKビジネスとやらが減らないんだろうが…
小中学生は犯罪だけど女子高校生への欲望ならそこまで隠さなくてよいという認識が気持ち悪い。
女子高校生をヒロインとした創作物が多すぎる、女子高校生と同年代の10代の少年をターゲットにした作品でそうなるのは仕方ないにしても、30代以上のおっさんをターゲットにした作品でも女子高校生のヒロインが出てくるの、病みすぎだろ。
良い年をしたおっさんでも若い子を選ぶのが当然という、若さ至上主義の価値観が気持ち悪い。
おっさんなら社会人や熟女に憧れろよ。熟女って言葉も差別的だけどな、なんだよ、熟女って。
ロリコンが多すぎるのは、実際に子供がターゲットにされる犯罪が増える危険性があるという社会的な損失もあるのに、未成年を性的な対象として見ることへのタブーがなさすぎる。
もっと、18歳未満をそういう対象で見る人間はクズと後ろ指さされるぐらいになればいい、これが容認されるのも、男の性欲が肯定されてるからか?
・男の性欲が肯定されすぎる
男の性欲が肯定されすぎた結果、レイプ被害者へのセカンドレイプや、痴漢被害に対する無責任な発言を目にする。
男は全員、義務教育段階で、20代・30代の屈強な男に組み伏せられる経験をすれば、力で敵わない相手に好き勝手される恐怖を理解できるようになるのか?
想像力がない男が多すぎる。
家事や育児って大変なことを全て女に任せてて、そのくせ、その差別は解消せずに、労働力が足りなくなったから女も男と同じように働いてくれと、家事や育児をやりながら仕事までやらせようとする。それが今の政府が目指す、女性の活躍する社会。ふざけるなよ、男と同じように働けというなら家事や育児や介護を男が女と同じようにやれ。
そんな、女ばかりに要求される社会だから子育てとかも無理、と少子化も進行。(少子化の原因には、過去の、主婦が非正規で夫が正社員でというモデルが原因の男の非正規化、それゆえの貧困化もある)
・女嫌いな男が多い
このような男女差別があるからこそ、男と女の分断は大きく、男嫌いな女と女嫌いな男が多い。
差別される側の女が男嫌いになるのは仕方ないにしても、既得権益を貪ってる側の男が女を叩いているのは理解できない。女に個人的に嫌な目にあった人間か、社会に出たことがないニートや学生が男尊女卑を実感せずにアファーマティブアクションだけを見て叩いているのか?
女優遇とかふざけんな、それだけ差別されてるからこその優遇措置だろうが。
こっちだってアファーマティブアクションがなくても問題ないような平等な社会が良いわ、それなのに、そこだけを見て女は優遇されてるとかぬかす奴、バカか…。
婚外子を認めれば(婚内子と同じ権利を与えれば)少子化だってマシになる可能性があるのに、女に自由を与えたくない社会では、婚外子を認めないという子供を産みにくい状況を作っておきながら、家事育児という仕事は女にやらせておいたままで、子供を産めという。無理だ。
そのくせ、少子化で労働力が足りないから、家事育児をしながら男と同じように働けという、更に無理だ。
政治家の男女比率が半分半分ぐらいになれば、こんな無茶な要求をしてくる政策じゃなくなるのか?
女の方が優秀だと言うつもりはないが、経営者や政治家という舵取りをする立場に男ばかりで、偏った考えで上手くいかないとは考えないのか?
それほどまでに男は優秀だと女は足手まといだと信じているのか? 理解に苦しむ。
女には男を立てて欲しいという気持ちがある男が多いから(これは男の生まれつきなのか、社会的な背景で男の方が偉いと思っているのか)、自己主張する女じゃなく、子供っぽい女が好かれる、フィクションの登場人物とか見てても。
見た目だけではなく、中身まで子供っぽい方が良しとされて、気持ち悪すぎる…。
男をターゲットにした作品で、内面的に自立した女性が好意的に描かれることは少ない。そもそも、男向け・女向けとターゲットがわかれていることが既に分断の現れなんだが。
男が好む女と女が好む女が違うゆえに、女に支持される女キャラと男に支持される女キャラが違う、だから作品はどちら向けか考えて描く必要がある、のだが、そもそもそれがおかしくないか?
女に支持される女キャラは自立した女、男に支持される女キャラは内面が幼稚な女キャラ、本来なら、男も女も自立した女キャラを支持するのが自然なのに(男キャラであれ女キャラであれ自立した人間の方が魅力的)男尊女卑ゆえに、男に支持される女キャラが幼稚な女ということでそれを支持できない女が自立した女キャラを支持する。
大体の男は、自分たちが既得権を持っていて女を下に見ていることに気付いていない。生まれた時からの環境で差別を当然のことだと思っている。
女をお人形扱いしたいやつ、可愛ければ良い、言うこと聞いてくれたらよいという意識、家事育児をしてくれたら良い、性欲処理してくれたら良い、などなど…下に見て対等な人間として見ていない男が多い、自分が差別していることに気付いていない人間も多いが。
気付いていない人間は、こういう主張を「女性目線すぎ」とかのたまう。
だったら普段私たちが目にしているものは全て男性目線すぎることになる、新聞もテレビも。ネットは作り手に男が多いかは知らないが、女でも発信することが可能なので、既存のマスメディアほど男性目線ではない、その分、男叩きや女叩きが多いが。
これも男叩きということになるのだろう、男嫌いの女が増えたと言う奴はわかっていない、昔から男に不満を抱く女は多かった、差別される側なのだから。ただ、その不満が可視化できるようになっただけ。
これの筆者です。
id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田(国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。
なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。
山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。
618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジアに大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。
東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本からの遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度や国際的な文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。
朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部に建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。
これはひどい。遣唐使の派遣再開が何年だったかという記述がありません。
そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使を派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。
一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書が8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京の時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。
ちなみに、他の教科書では、遣唐使の派遣再開についての説明が次のようになっています。
「7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇の時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」
「白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島からの渡来人や新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」
「律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物や制度の摂取につとめた。[中略]
こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣の鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」
[引用者注:教科書のページを戻って「白村江の戦いと国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]
遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます。
三省堂の記述もおもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています。
大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣の鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使、新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通の教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代の様相として語っているのがすごい。
東京書籍、実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。
山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代の出来事と把握すると誤りになります)
東大入試(2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています。
次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。
(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。
(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。
(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまりの大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。
設問:この時代の日本にとって、唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。
山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですから、いくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂をのぞく。後述)
8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使を派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者は正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]
一方、日本の律令国家内では天皇が皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。
白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人が仲介したものが多いと考えられる。[後略]
以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。
(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。
(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。
(3)は、日本と新羅の関係悪化について述べています。新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。
(4)は、日本と新羅が政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅は民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人が仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。
教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試に対応するためだけではありません。
例えば『詳説日本史』には、最初に引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。
ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまいます。
もしくは、これは2003年の入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史』シリーズ(2000年~2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズからも引用しておきましょう。
国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗に蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人や蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正『天皇と諸蕃』)
さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国に位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号を「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。
実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家の領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである。
[中略]
このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しかし東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢、列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。
日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使の派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。
いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書(日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。
こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使の派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。
私がこのエントリの題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者が国内と国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います。
それに、このことは現代の外交問題についても、重要な示唆を与えてくれます。例えば政府が国内に向けて愛国心やナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調のアピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。
あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。
遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます。
おもしろい特色がありません。
無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的な呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。
華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚のイベントになったと推測できます。もっとも、沈没や行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?
つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459
でも日本は微塵も進んでいない。むしろ悪化しているとすら感じる。
例えば、一個人がテレビで何か不快に感じればそれを許容できず、クレーム。なんとかそのクレームを抑えようと、あらゆる「制約」が必要となる。
もうテレビに限らず日本の社会は規制だらけ。それって可能性をつぶすことでもあるんだよね。
アメリカのドラマを見ていて、この記事を書こうと思った。そのアメリカドラマは結構下品な描画も含まれているんだけど、日本じゃ無理だなーって思ったんだよね。
でもすげーおもしろいの。
規制だらけの日本ってTVだけでなく、いろいろ損してると思う。
もっとさあ、寛容というか、10人いれば10通りの考え方があるって思考をすべきだと思うんだよね。
日本は単民族国家であるにもかかわらず、さらに同じ日本人の中でも一部の声の大きいの考えがあたかも正しいかのように既成概念が形成されてゆく。
おっと誤解がないように言っておくと、移民っていっても自分は特異なもしくは高等技術を持つ優秀な人ならどんどん受け入れてもらいたいって思ってる。(実現可否はここでは置いておく)
「オフ会で男に襲われた人がいるから男をオフ会に呼ぶな」って男性のツイートは「男性差別ガー!オンナダッテ!女が悪い!女の味方面してヤリたいんだろ!」と数々の批判クソリプを受けツイ消し
https://twitter.com/takuya220_dc5/status/870532434445520896
この、痴漢被害者泣き寝入り推奨するような女による女叩きツイートは6.5万RT、8.5万いいねで正論正論よく言ったと持て囃される。
この国においては女性を敵に回し男性の味方をする方がその逆よりも遥かに生きやすい。またミソジニーは正義の思想として絶賛され、ミサンドリーのみが叩かれまくる
これほどまでに女尊男卑女尊男卑言われまくり女叩きされまくりの国があるだろうか(あれば教えて欲しい)
この国のジェンダーギャップ指数は下がる一方。2006年には最高記録で80位だったけど、その頃には今ほど女叩きはなかった。女叩きが増えるにつれ下がっていった。
それでも、国の調査では一応、日本が男性優位だと答える人が圧倒的多数だった。それももう終わりだな。次はきっと逆転されてる。
いつになったらこの国はマシになるんだろう
理由はこの時代に、日本で子供を産んだ場合、自分たちの問題ではなくて、子供の未来が心配だからだ。
なぜなら自分の世代ですら将来の年金等の社会保障に疑問を感じるし、これから生まれてくる子供はさらに厳しい時代を生き抜かねばならない。
政治家も少子化対策をする気配すら見せないし、本当日本は老人だけの国になるんじゃないかと皮肉を言いたくもなる。
これからの世代の保証ばかりを削り、老人には手厚い医療制度、と介護制度。その結果幸か不幸か寿命も伸び、さらに長い期間保証し続けなければならないという悪循環。
そりゃいくら税金があったって足りないよ。日本は資源大国ではないのだから、そのしわ寄せは常に現役で働いている世代だ。
いつまでも病院にダラダラ通い、生にしがみつく年寄りを養い介護するためだけに子供を作るとか、思いたくはないが、そう感じることもあるし、今の日本に子供を生むという行為に対して親として責任をとる自信がない。勉強をがんばって未来ある国(があるかどうかはわからない)で生活できるかどうかは当人の努力次第だが、リスクが大きすぎる。日本の社会に絶望して働く意思をなくし、ニートになる確率のほうが高いんじゃないかとも思ってる。
子供が大人になり、自分たちに介護が必要になったとき、子供はまだまだ現役で働かねばならず、介護すら受けられない。保証もない。
悲観的で本当に申し訳ない。
でも日本の政治って革新的じゃないというか、社会が因習的だし、今の問題を抱えたまま崩壊するまで大きな変化は起きないんだろうなと思っている。
すいません。愚痴になってしまいましたが、日本の社会に悲観し子供を作ることができない家庭があるということを知ってほしかったです。
1883年6月、金玉均は自身にとって3回目の日本訪問の途についた。前回の訪日で会見した日本政府の高官は、朝鮮国王の委任状があれば借款に応ずることを示唆しており、朝鮮からの留学生尹致昊の帰国に際しても大蔵大輔の吉田清成はかさねてそのことを金玉均に伝言していた[5][注釈 2]。
しかし、高宗からあたえられた300万円の国債借り入れの委任状を持参して来日した金玉均に対する日本政府の対応は冷たかった[5]。300万円は当時の朝鮮における国家財政1年分に相当しており、日本の予算約5,000万円からしても巨額なものであった[5][7]。メレンドルフの妨害工作もあったが、日本政府としても大蔵卿松方正義が緊縮財政を進めているなか、財政力に乏しく政情も不安定な朝鮮に対し、そのような巨額な投資をおこなうべき理由は乏しかった[5][10]。金玉均は、日本についで、フランスやアメリカ合衆国からの借款工作にも失敗した[5]。
1884年5月、金玉均は失意のうちに朝鮮に帰国した。朝鮮では、以前にもまして大国清の勢力が猛威をふるい、朝鮮国の重臣たちはそれに追随し、開化派の活動はいっそうせばめられていた[5]。清とフランスの緊張関係の高まりから、5月に遼東半島に移駐することとなった呉長慶にかわって野心家の袁世凱が実権を掌握し、朝鮮王宮は彼の挙動に左右された[5]。これに危機感を覚えた金玉均らは国王高宗を動かそうと計画した[7][10]。高宗もまた閔氏の専横に心を痛め、朝鮮の将来に不安をいだいていたのである[7]。
清仏戦争の直接原因となった1884年6月23日のバクレ伏兵事件(英語版)
1884年6月、ベトナム領有を意図するフランスとベトナムでの宗主権を護持しようとする清国との間で清仏戦争が勃発した[10]。清越国境付近のバクレでの両軍衝突が引き金となったが、この戦いで劣勢に立った清国は朝鮮駐留軍の半数に相当する約1,500名を内地に移駐させた[5]。独立党は、これを好機ととらえた[10]。日本もまた、壬午軍乱以降、無為にすごした失地回復の好機とみて清国勢力の後退を歓迎した[5]。井上馨外務卿は帰国中の弁理公使竹添進一郎に訓令し、10月に漢城に帰任させた。竹添は軍乱賠償金残金の寄付を国王に持ち掛ける一方、金玉均ら独立党に近づいた[5][11]。
竹添進一郎
金玉均らは11月4日、朴泳孝邸宅に日本公使館の島村久書記官を招いて密談をおこなった。集まったのは、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範、島村の5名であった[12]。そこで金玉均は島村にクーデタ計画を打ち明けているが、島村はそれに驚きもせず、むしろ速やかな決行を勧めるほどであったという[12]。かれら独立党は3つのクーデタ計画案を検討し、同年12月に開催が予定されていた「郵征局」の開庁祝賀パーティーに乗じて実行にうつす案が採用された[12][注釈 3]。金玉均は11月7日に日本公使館をおとずれ、竹添公使にクーデタ計画を打ち明け、そのとき竹添から支援の約束を得ている[12]。
金玉均は漢城駐在のイギリスとアメリカ合衆国の外交官にもクーデタ計画を相談した[12]。かれらは、金玉均のえがく理想に共感し、清国よりも日本を頼るべきことについても理解を示したが、しかし、決行については清国の軍事的優位を認めて、これに反対した[12]。金玉均はさらに、それとなく高宗にも計画の内容を伝えて伺いを立てた[12]。高宗もまた、清の軍事力を考えると不成功に終わるのではないかとの懸念を伝えたが、金玉均はこれに食い下がり、フランスと連動して動けば充分に勝機はあると訴えた[12]。高宗は、これを諒とした[12]。
しかし、クーデタに動員できる軍事力といえば、日本公使館警備の日本陸軍仙台鎮台歩兵第4連隊第1大隊第1中隊の150名と、陸軍戸山学校に留学して帰国した10数名の朝鮮人士官学生および新式軍隊の一部にすぎなかった[5]。この人数では、半減したとはいえ、なお1,500名を有する清国兵および袁世凱指揮下の朝鮮政府軍に対抗するのは無謀といってよかった[5]。
言語や文化、市場など基本的に「閉じた社会」である日本において、お上に承認されることにより連中の視野が広がったように見えているだけです。精神的鎖国はむしろより強固になりますし、実際特に文化的側面において取り残されているのは、諸君もよく指摘されるとおり。
大衆の反発ごときでは微動だにしない強固な権威構造がこの国にはあって、原住民はそれに阿諛追従し、おこぼれを頂戴することによって生かされているということです。
近代的ではない自我(原住民)が結合することによって、全体主義が出来上がるのは歴史が教えるところ。相互監視と同調圧力といった悪しき伝統も剥き出しですから、危機感持たないといかんでしょうね。
この国では公共交通が公共性を捨ててしまい、東洋社会の国民に蔓延する我欲の増幅装置に堕してますからね。あんな低俗なガス抜きに煽られる大衆が相手なら、企業は楽に稼げますし、権力者もやりたい放題でしょう。その行き着く先が何かということなんですが。
そんなカタストロフィを予期して自分らの取り分を確保し、逃げる準備をしている連中が散見されますね。連中は昭和時代の危機をそうやって乗り切った奴らの後裔ですから、やることは同じです。欧州各国のように軟着陸できればいいんですが、困難としか言いようがない。
大したことは言えませんが、個人が抱く企業や権威に対する生々しい危機感と当事者意識が日本と外国では段違いだなとは思っています。日本の大衆は疲弊しているとかよく言われますが、それは言い訳にはなりません。例えば韓国なんか日本どころではないくらい生活(たとえば通勤)は大変なので。
それはたぶん、自己や現状に対する肯定感の違いでしょう。何だかんだ言って日本人は今の日本の都市が好きで、韓国人やアメリカ人は祖国があまり好きではない。日本人にとっての「日本」は社会臭の希薄な共同体で、日本人はこれにぶら下がりますが、外国の場合はかなり決定的に違います。
公機関や民間共同体が自国民を養育し、中心から片隅まで面倒を見ていた時代、あるいは国民一人一人がそう信じることができる時代がいつまで続くかでしょうね。おそらくそろそろ限界。外国は最初から(良くも悪くも)そういう国ではなかったんです。
私は最近特に顕著な「日本の満員電車離れ」「日本の鉄道離れ」に注目しました。あれは、これまで日本の都市の信頼を約束してきた共同体の裏切りに対する訣別宣言です。そんな彼ら彼女らの受け皿として道路交通が機能するかが日本の復権の勝負の分かれ目でしょう。
とりあえず昔とは違い、日本国や日本の民間共同体がハード・クラッシュしたら困る人達が日本の外にもいるので、決定的な事件や災害、戦争などが起こらない限りは軟着陸するんじゃないかなとは思ってます(それが良いかは判りませんが)。
日本の場合、日本人の「日本的共同体幻想」と言語の壁のせいで精神的鎖国が続いてますから、常に「まずい」状況なんだと思います。日本の私鉄社会は車社会や国鉄を破滅させながら自分らの権益を確保した連中の残りカスですから卑怯なのは当然。そして同じように危険でしょうね。
韓国にしろアメリカにしろ日本ほど懐の深い国ではないですし、引き籠っていたら生きられなかったので外に目が向くんです。国際都市のインフラがガラパゴスではお話になりませんし、国内で市場が完結したら大国になりませんしね。当然、資源も流出しがちになるので、移民や外資や在外国民を受け入れたり、中国や主要先進国に学ぶ方向に舵を切ったということです。
日本人が日本の未来を中国や韓国になぞらえるのはそのへんの文脈。欧米やその既得権益の支配によってもたらされた貧困で食い詰めて切羽詰った原住民が、革命を起こして、エスタブリッシュメントになりましたよね。さすがに日本人はそこまでになれるかわかりませんが。(笑)
出版業及びその周辺業界ってそんなに大したもんじゃないぞ。正義を守る公務員じゃないし、ただの営利だし、業界全体を合わせても紅しょうが業界よりも規模小さいぞ? 日本人は出版業に対する幻想が大きすぎだよ。アホみたいに膨大な品目の書籍をアホみたいに安くそのうえ長期所有可能なほど品質良く発売日厳守で全国同時展開しなきゃゆるさんとか。「電子書籍版を読む権利」とか、正直ちょっと引くくらい要求が過大だ。
はてブのコメントつけてるのは全員モンスターユーザーなのかと思うんだが、割合日本の「読書家」とかいうのの大半がそうだったりする。
そんな要求すべてに応えられる体力は、もう、業界にはないんだよ。いま、年間に売れる書籍の数は、年間に図書館で貸し出される書籍の数よりも少ない。日本において、書籍はもはや買うものではなく借りるものになってしまった。
「俺はちゃんと買ってるよ」「出してくれれば買うのに」なんてコメントに全く意味はない。少量多品種商品の極北である書籍は、インフラ構築や維持費用を全体で分散しているから、いままで多様な商品を出せていたんだ。「俺はちゃんと買ってるよ」と呟く増田の求める本が千円であるのは、別段増田が(そして他の誰もが)千円でその本を買う権利を持っているからではなく、その本の価値が千円だからでもなく、ただ単にインフラ負担費用と生産量(=初期部数)の関係上その値段に落ち着いただけであって、そんなものは普遍を保証しない。
少量多品種生産品である書籍は生産数が増えれば増えるほど加速度的に利益率が良くなっていく商品だ。つまり出版社の利益の大部分は、ごく一部の大ベストセラーが稼ぎ出していて、その利益を利用して、少部数が予想される本や実験的な本の開発や生産をしている。そういった構造は、出版社目線で見れば利益部門の利益を用いて将来を担う開発へと投資しているわけだから、一般社会の企業運営視点でも何ら問題はない。
しかし、書籍は出版社だけで作っているわけではない。その大ベストセラー作家の視点で見れば、本来自分が得られた利益を契約によって出版社側が非常に有利に得ている構図になっている。特にすでに知名度もあって、巨大部数が想定できる作者であれば、出版社にみすみす売上の多くを渡す意味は薄くて、部数によってスライドする印税契約をするほうが経済合理性から見て当たり前だ。あるいはそれこそAmazonのような外資との間で特約を結び、出版社抜きで出版したほうがずっと儲かる。しかし知るかぎり、日本の出版業界の場合ベストセラー作家の人でさえ多くの場合そこまで自己利益を主張しない。出版業界の発展のため、今は売れていない無数の作者のために(かどうかは内心なので断言できないが)、変わらぬ印税率で執筆活動を続けている。
言葉は強いかもしれないが、日本の出版業界がいまのようにバラエティ豊かなこんなに多くの書籍を出せているのは、彼らの「形を変えた寄付」があるからだ。当然ユーザーもその恩恵に預かっている。
電子書籍も一緒だ。いま電子書籍の売上が上がっていると言っているけれど、日本の電子書籍の多くは物理書籍の電子版であって、それはつまり書籍内容の開発費用(作者からみれば執筆費用であり出版社からみれば管理費用)を物理書籍側にタダ乗りをしているから、その前提で成長しているという点は否定できない。
重ねていうけれど、いまこんなに様々な種類の本が安くて早くて良い品質で生まれているのは、そうやって寄付してくれる人やインフラ負担をしてくれる母体が有るからだ。「俺は書店で買うけどね」「おれは電子書籍派だから関係ないけど」とかいうひとであっても、安くそれに乗っかって利益を得ている側なのだ。
Amazonはたしかにすごい脅威で黒船だけれど、それだけではなく、今急速に「本を買う」っていう文化そのものが縮小しつつある。人口だって減っていく。国際言語とはとても言えない日本語話者は、日本の人口の影響をもろに被るからだ。そうなれば従来のインフラは支えきれないんだよ。
いまランチ1回分くらいの価格帯の本は、いずれ三割から二倍くらいまで値段が上がるだろう。少部数しか期待できない本は、そもそも出版されないか、受注生産じみた高額&個別配送の商品になるだろうし、安価な書籍(雑誌やコミックを含む)は実体書籍としての販売は見合わせになっていく可能性が高く、そもそも書籍として世に出るアイテム数はぐっと減ると思われる。そうなれば職業としての作家や漫画家は食えるものではなくなり、兼業がふえて、一部の産業化した制作スタジオ以外ではいずれ作品クオリティも落ちていくだろう。
でもそれは異常なことではなくて、日本語話者の数(発売ターゲットの母数集団)と世界の書籍事情をみれば、平均に近づいていくだけなんだ。世界の国々の多くは、すでにそういう状況下、もしくはもっと書籍事情的に貧困だ。
日本は幸運なことに書籍大国、読書大国だ。いまでもかろうじてそうだ。でもそれは、日本の読書家が天の神様から与えられた絶対不可侵の権利などではない。(もちろん文化振興などの努力はあったにせよ)いままではたまたま偶然そうだっただけなんだ。
Amazonの件も電子書籍絡みの件も、なんでかそういう当たり前のことを無視して、いまの恵まれた環境が未来永劫続くと思い込み、それが揺らぎそうだと業界の無能を責め立てるコメントが目について暗惨たる気分になる。
「出版社がなんの努力もしない無能だから」「取次が搾取をしてるから」そんなコメントが溢れているけれど、そんな無能と悪逆が支配する業界が、なんで世界有数(というかトップクラスの)商品バラエティーと低価格と高品質のアイテムをわんさか出せているの? その資金的労力的な原資はどこから振ってきてると思ってるの? 別に取次や出版社を弁護するつもりもないけれど、「業界を責めればいまより良くなる」なんてのは無邪気を通り越して花畑だと思うよ。
ヤマトの配送と一緒だ。コストで無理なもんは無理。いままでは恵まれてたけれど、これからは国際標準に近づいて貧相になります。以上。
スペイン語でCincoは5(コピぺで有名だ)、Mayoは5月で、つまり5月5日のこと。
1862年5月5日のプエブラの会戦で、メキシコ軍が二倍の数のフランス軍を破ったことを記念して、メキシコ各地で祝祭が行われる。
が、実のところメキシコ本土よりも、アメリカ合衆国のメキシコ系移民たちのほうが盛大に祝うらしく、
アメリカでは「メキシコ料理がたくさん食べられる年間行事」と認知されているようだ。
そもそもシンコ・デ・マヨが始まったのはメキシコではなくカリフォルニアらしいとか、
よく独立記念日的なものと間違われるが、メキシコの独立記念日は9月16日で(1810年メキシコ独立革命の決起日)、
どうすんだよ私満員電車乗れねーじゃねーか。
日本の鉄道は事故が少なくて安くて皆に愛されているって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
満員電車に耐えられることはいいけど痴漢を列車から排除するのほぼ無理だからwって言ってて好き好んで満員電車乗るやつなんかいねーよ。
鉄道会社に就職してもいいし株主になるのもどうでもいいから鉄道から痴漢を叩き出せよ。
四季島やななつ星や瑞風とかの観光列車で何人喧嘩を世間に売ってんだよ。
儲かる鉄道作りとかどうでもいいから痴漢に怯える叫び声を聞けよ。
高校生や大学生に自転車だのオートバイだの車だのを押し付けられている現実を見ろよ。
ふざけんなこの野郎。
痴漢が鉄道から出て行かないならバイク通学とバイク通勤OKにしろよ。
鉄道が民営だから鉄道にお金を投資したがらないし公権力から嫌われているけど乗客の民度が高いから良かったよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
金と土地と道路の余裕があれば満員電車乗らないってやつがゴマンといるんだから、国も都道府県も市町村も地主も取り敢えず道路作るか駐車場や駐輪場を整備しろよ。
つい先日、はてブでtogetterの「中国においてけぼりを食らう日本」という記事が話題になった。
https://togetter.com/li/1102767
そのまとめのツイートの中で取りざたされていたのが「中国から世界に先駆けたVRデバイスの業界標準、公開へ」(Mogura VR)という記事だ。
http://www.moguravr.com/china-standard-for-vr-industry/
上のまとめではこの記事をツイートした人から火がついていったのだが、どうも肝心のVRと中国の事情について触れる人がいなかったので少し残念に思ったのだ。VRに対して一定の関心を保っている増田の一人より、せっかくなのでVRと中国、そして日本について軽く知ってほしい。
結論から言うと、VRでは中国がヤバイ!VRは中国と米国を中心に回っていて、他の国はその二つの市場にどうやって食い込むかを考えている。
日本は日本市場だけで食っていくのは考えづらいけど、他国の市場で独自の地位を確立する実力はある、という感じだ。
そもそも、現在VRはヘッドマウントディスプレイ(HMD)と呼ばれる機器が主流になっている。そのHMDもおおまかにスマホ(モバイル)型とパソコン型の2種類に分けられる。
現時点で世界で主流なパソコン型のHMDは数えるほどしかない。一つ目は日本企業のSIE(ソニー)が作っているPlayStation VR(PSVR)、二つ目は台湾企業のHTCが作っているHTC Vive(Vive)、三つ目は米国企業のFacebook(Oculus)が作っているOculus Rift(Rift)のおおよそ三種類だ。もちろんこれら以外の企業(まずはマイクロソフト)も後々参入してくるだろうが、現時点で業界基準となっているのはこれですべてだ。
それで、この3つのHMDの2016年時点での世界合計出荷数(http://svvr.com/press-media/svvr-2017-superdata-infographic/)は
PlayStation VR: 745万台
Oculus Rift: 261万台
となっている。
ちなみに日本は
PSVR: 8万台
Vive: 1万台強
Rift: 2800台
といった感じだ。
この数値だけ見るとHMDはPSVRの圧勝に見えるのだが、PSVRは他機種と比較してある致命的な問題を抱えている。それは、PS4でしか動かないことだ。もちろん、PS4は世界で5000万台以上出荷されていて安定した性能を誇る機種なのだが、如何せん本格的なVR市場が立ち上がってから数年も経っていないため、プレイヤーの大半を満足させられるような大作の数が圧倒的に少ない(小規模な実験的な作品はいっぱいある)。
また、現時点でわざわざ高い金を払ってVRに手を出す人は新しい物好きかVR開発者がほとんどだ。PCのVRであれば自分でUnityやUnreal Enine 4といったツールを使って自分でVRソフトの研究・開発をできるが、PS4などのゲーム機では基本的に新しいVR対応ゲームソフトが来るまで押し入れの奥で埃をかぶることになる。そういったわけで、PSVRは数では一番売れているがPC用のHMDと比べると少し影が薄い。
そこで、PC用のVRの話になるのだが、現時点では台湾企業のHTCが作ったViveが最有力だ。中国ではFacebookの居ぬ間にHTCが台湾企業としての強みを活かしてほぼ統一させ、米国でもFacebookのRiftよりもViveが強い支持を得ている(http://store.steampowered.com/hwsurvey)。日本ではFacebookはクレジットによる注文のみ受け付けているが、HTCはPC販売店などと契約を結んでその場で現金購入できるようにしたことにより圧倒的な差をつけた。物流と販路の勝利である。
話が長くなったが、中国は現在国家単位でVRに力を注いでいて、台湾企業のHTCとは蜜月の関係である(見ていて中々ハラハラしません?)。
上の記事の通り、HTCや大学、研究所が組んで基準を作ったりしていたり、HTCが深圳政府と組んで研究所を作ったり公共機関にバラまいたりしてます。中国のVRのベンチャー企業(ハード、ソフトを問わず)も数も資金も日本とはくらべものにならないぐらいぐらいあります。とりあえずそれらしいワードでググれば中国とVRの記事はわんさか出てくるでしょう。
そんで、日本はどうすればいいのかという話なんですが、まず日本はPSVRがあります。忘れがちですがPlayStationは日本ブランドですからね、一応。まあパナソニックとかもBtoB向けにHMDを作っていたような気がするのですが…それは置いておいて。
幸いにも日本には世界でも有数のゲーム企業を誇る国です。VRにはゲーム企業のノウハウの応用が利きます(あくまで応用ですが)。
PSVRを作っているSIE(ソニー)はもちろん、スクエニやバンナム、セガ、コエテクなどのゲーム企業はすでにVR事業に参戦しています。任天堂も一応研究しているとかなんとか。
中国はPCのオンラインゲームが盛んではありますが、日本のような家庭用ゲーム機はあまり普及しなかったので楽しさのベクトルが少し違います。もちろん中国の成長スピードを考えればノウハウが溜まるのもあっという間でしょう。
現在VRの収益の44%がゲームを含むソフトウェア、35%がアーケードを含むロケーションベースです。
ちなみにアーケード形式のVRは世界の中でも中国と日本でかなり進んでいる分野です。昨年はお台場のVRZONEが話題になりましたし、今年の夏にはVRZONE Shinjukuができる予定です。中国では現在千単位のアーケードVRを遊べる場所があるそうですが、コンテンツの魅力が乏しいためか客がすでに一巡してしまったようです。
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最後に、どうすれば日本のVRが発達するのかについて言わせてください!
まず、VR機器を買って下さい!
最先端のVRやVR開発に興味のある人は20万円前後のハイエンドPCと10万円前後のHMDを揃えて下さい!
開発者でもないしそんな高い金を払う余裕はねーよという人は是非アーケードVRに遊びに行ってみて!最近は漫画喫茶とかにも置いてあるので!
PSVRをいつまで経っても買えない人は運を高める努力をするかPCのVRに乗り換えるかを検討してください!
あと1~2年待てばVR用の大作も少しずつ増えると思います…!
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みんなの最先端のテクノロジーに対する熱意が市場と技術開発を刺激するんだぜ!
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PS4が日本であと2倍は売れていたらPSVRは日本にもうちょっと回って来たんじゃないですかね(小声)
ちなみにこの増田ではGalaxyのGear VRといったスマホ向けのVRは意図的に省きました。そこまで含めると書いても書ききれません。
少なくともスマホ用VRは日本は立ち位置がなさそうです。そもそもスマホ市場で生き残れた日本企業がないので。
VR=ゲームというイメージになってるのって問題ではという議論は他所でお願いします。
ゲーム業界以外もVRにジャンジャン参入してくれると助かるんだぜ。建設とか工場とか医療とかエンタメのVRの動向に注目です。