言語や文化、市場など基本的に「閉じた社会」である日本において、お上に承認されることにより連中の視野が広がったように見えているだけです。精神的鎖国はむしろより強固になりますし、実際特に文化的側面において取り残されているのは、諸君もよく指摘されるとおり。
大衆の反発ごときでは微動だにしない強固な権威構造がこの国にはあって、原住民はそれに阿諛追従し、おこぼれを頂戴することによって生かされているということです。
近代的ではない自我(原住民)が結合することによって、全体主義が出来上がるのは歴史が教えるところ。相互監視と同調圧力といった悪しき伝統も剥き出しですから、危機感持たないといかんでしょうね。
この国では公共交通が公共性を捨ててしまい、東洋社会の国民に蔓延する我欲の増幅装置に堕してますからね。あんな低俗なガス抜きに煽られる大衆が相手なら、企業は楽に稼げますし、権力者もやりたい放題でしょう。その行き着く先が何かということなんですが。
そんなカタストロフィを予期して自分らの取り分を確保し、逃げる準備をしている連中が散見されますね。連中は昭和時代の危機をそうやって乗り切った奴らの後裔ですから、やることは同じです。欧州各国のように軟着陸できればいいんですが、困難としか言いようがない。
大したことは言えませんが、個人が抱く企業や権威に対する生々しい危機感と当事者意識が日本と外国では段違いだなとは思っています。日本の大衆は疲弊しているとかよく言われますが、それは言い訳にはなりません。例えば韓国なんか日本どころではないくらい生活(たとえば通勤)は大変なので。
それはたぶん、自己や現状に対する肯定感の違いでしょう。何だかんだ言って日本人は今の日本の都市が好きで、韓国人やアメリカ人は祖国があまり好きではない。日本人にとっての「日本」は社会臭の希薄な共同体で、日本人はこれにぶら下がりますが、外国の場合はかなり決定的に違います。
公機関や民間共同体が自国民を養育し、中心から片隅まで面倒を見ていた時代、あるいは国民一人一人がそう信じることができる時代がいつまで続くかでしょうね。おそらくそろそろ限界。外国は最初から(良くも悪くも)そういう国ではなかったんです。
私は最近特に顕著な「日本の満員電車離れ」「日本の鉄道離れ」に注目しました。あれは、これまで日本の都市の信頼を約束してきた共同体の裏切りに対する訣別宣言です。そんな彼ら彼女らの受け皿として道路交通が機能するかが日本の復権の勝負の分かれ目でしょう。
とりあえず昔とは違い、日本国や日本の民間共同体がハード・クラッシュしたら困る人達が日本の外にもいるので、決定的な事件や災害、戦争などが起こらない限りは軟着陸するんじゃないかなとは思ってます(それが良いかは判りませんが)。
日本の場合、日本人の「日本的共同体幻想」と言語の壁のせいで精神的鎖国が続いてますから、常に「まずい」状況なんだと思います。日本の私鉄社会は車社会や国鉄を破滅させながら自分らの権益を確保した連中の残りカスですから卑怯なのは当然。そして同じように危険でしょうね。
韓国にしろアメリカにしろ日本ほど懐の深い国ではないですし、引き籠っていたら生きられなかったので外に目が向くんです。国際都市のインフラがガラパゴスではお話になりませんし、国内で市場が完結したら大国になりませんしね。当然、資源も流出しがちになるので、移民や外資や在外国民を受け入れたり、中国や主要先進国に学ぶ方向に舵を切ったということです。
日本人が日本の未来を中国や韓国になぞらえるのはそのへんの文脈。欧米やその既得権益の支配によってもたらされた貧困で食い詰めて切羽詰った原住民が、革命を起こして、エスタブリッシュメントになりましたよね。さすがに日本人はそこまでになれるかわかりませんが。(笑)