はてなキーワード: 良心とは
単純なゲーム構造の上、放置してもキャラがロストしたりデバフを受けたりしないイベントがちょくちょく開催されるため、そんな時は連打ツールで荒稼ぎしている
正直楽しい。放置している間に経験値やドロップアイテムがガンガン溜まっていくのも、それを手が空いたタイミングで確認するのも楽しい
ファン同士の交流掲示板では流石にツールを使っているとは口が裂けても言えないが、ポチポチやっていてイライラすると言っている人を見るとこっちにおいでよと思ったりする
現状、運営が連打ツーラーを規制することもないし、ツールを使うかどうかは完全にプレイヤーの良心に委ねられている。中には「ツールを使ってレベリングするなんてキャラへの愛がない」とかそういうスピリチュアルなことを言うプレイヤーもいるが、自分はそうは思わないし、仕事でも効率化が求められる中でそういう思考になりやすいのか、できることからやってみることがそんなに悪いことだとは思えない
思うに、良心に訴えかければある程度の不正を防げるという状況こそが大きなセキュリティホールを生む。安定化した組織の悪いところはそこで、たまには制度をハックして問題を起こすくらいの奴がいないとセキュリティホールは露見せず、ズルいやつだけが得をする構図に陥りやすい
困ったやつと日々やり合うことこそが免疫なんだな
すいません、子供がPS5欲しいというので値上がりすると言うじゃないですか。
そんで表題なんだけど、値上がりしたPS5買うならPC買った方がいいんじゃね?的な論説が多数見受けられたので博識なはてなーのアドバイスがほしい。
セックスレスなので、たまに残業のフリして風俗に行っています。
好きな風俗はビデボの中でエロ動画見ながらギャルがシコってくれるところ。
ウエスト表記が59以上の子は「ポッチャリ気味です」という店側からの良心なのでいくら巨乳でも注意するように。
韓デリにたまにいる日本人は世間知らずで自分の評価が必要以上に低いから何でもしてくれる確率が高い。
ラブホはケチらないでグレードが高い部屋にすると嬢から喜ばれるサービスの質が上がる(デリ嬢談)
東京都の特殊浴場は20歳未満は働けないので20歳未満と風呂でたまたま恋愛に落ちたいなら東京都意外がいいです。
最終的にはメンエスに行き着く人が多いです。
LINBO
自分はファミコンからPS2まで一通りのタイトルはやってきたつもりです。
家にPCはデスクトップとノート合わせて3代ありますが全てMacなのでゲーム出来ません。
こんな感じですが値上がりしたPS5とPC買うならどっちの方がいいでしょうか?
新参者で初めてのうたプリリアルイベントでした。開演が10分遅れてたのはこれが原因というのは土曜の開演直前のXのおすすめトップから知りました(自分は土曜のみ現地でした)円盤を友人と1枚ずつ買いましたが、シリアルは外れ2次先行抽選で自分だけ一番安い9,000円のチケット2枚取れた状態。あとから円盤何枚も積んだ状態から一般まで全滅という声もちらほらあったので今となってはマシ…だったかも。
ただ、声優さん達がアッパー歩いてくれたものの後方だったのであまり見えませんでした。。
先週もTHE ALFEEのライブで日曜行きましたが、配信がないものだったため公演によって機材の有無が違うんではないかと考えられます(位置的にライビュ配信の機材だと思われるので。あとこれは一律12,000円なので良心的かもですが、席によって当たり外れ大きいかも)
■ anond:20240916022750
都合のいいレッテルで満足してるお前の人生に良いことは無さそうだな
さすがクズ
苦しんで●ねよな
職業差別して居直ってる奴より恵まれてるから良心があると思いますよ
じゃあ首●って●ねというのは当然では?
■ anond:20240916025057
男の癖に何で頭上げたまま歩いたんだ?地面に擦り付けろザコ
■ anond:20240916025125
お前が苦しんで●ぬのを楽しみにしてるからな👋
法的には「二次創作」のほうがグレーな領域にあるものの、個人的には「考察」のほうが問題だと感じている。
二次創作は作者自身が願望や妄想だと自覚して作られるが、考察は作中で描写された事実と混同されることが非常に多い。
たとえばサツキとメイは死んでいるという「考察」(スタジオジブリが否定済のデマ)が広められたことにより、
となりのトトロはサツキとメイが死んだ作品だと認識する視聴者が出てきてしまった。
明確な妄想である二次創作と違って、考察は原作についての認知を歪ませやすい。
問題のある考察として、以下のようなものをSNS上でよく見かける。Xでキャラクター名を検索すると出てくるnoteの記事などに多い。
・特定のカップリングや登場人物に対する偏った見方が注意書き無しに露骨に考察に反映されているもの。
・作品内で明示されていない情報を、根拠もないのにあたかも事実のように扱っているもの。
・考察が広まりすすぎて、公式設定と混同される。時には原作者の発言や原作の展開が否定されるケースも。
・専門知識なしに登場人物の精神状態を分析し、安易に精神疾患のレッテルを貼る。
著作権をグレーに侵害している二次創作ですら多くの権利元が放置している状態で、違法性のない「考察」はまず何にも引っかからない。
読んでしまうと地球平面説に当たったような衝撃を覚えるが、表現の自由の範囲内であり、作品内カルト的な考察集団はどうすることもできない。
・自分の意見はあくまで一つの可能性に過ぎないという認識を持つ。
こうした姿勢で書かれた良心的な考察に当たると非常に好感が持てるが、日に日に陰謀論的な考察の割合が増えているようにも思う。
また、陰謀論的な考察をする人間を惹きつけやすい作品というものがあるようで、
良識的かつ穏健な考察が多い作品と、そんなシーンは作中に全くなかった完全な妄想をもとにループに入ったような陰謀論的な考察だらけになっている作品がある。
キャラクターアンチがモチベーションのチェリーピッキング、カップリング厨の幻覚が入っている自覚がない幻覚、キャラクターに対して精神分析を始めて精神疾患認定、
突然だけどファイナルファンタジー始めました!って
もはや夏の終わりだというのにこの冷やし中華始めました!の勢いで言っちゃう私!
サイコロの出た目でどのナンバリングのファイナルファンタジーでファンタジーしようかと思っていてサイコロを振りーの4が出たので、
FFIVを始めました!
私FFIV始めるに至って初めてなので
まるでその世界に産まれたてのバンビで挑む感じで右も左もお箸は左お茶碗が右と私は左利きなのでそういった右も左も分からないって言い方がよく分からないままその産まれたままのバンビで飛び込み挑むFFIVはどうなるのかしら?って思ったの。
私が一番罪悪感を覚えてしまう設定が
私は遠慮して経験値は2倍獲得ゴールドは4倍でサクサク進めるかなーって。
まあおまえは温いな!っていうのは分かっているけれど
熱燗は温めな方がいいっていうじゃない!勘弁して。
波平さんとマスオさんが帰り道に寄った居酒屋で燗は人肌がイイですなって2人がそう言っていたタイミングでゴリゴリの居酒屋の親父が懐から親父の体温で温まった徳利が出てくるのよね。
まさによりぬきサザエさんか!って思うぐらいなそんなプレイの仕方はおまえ温いよ!って言われそうだけれど、
私はサクサク進めてみたいの。
あと、
波平さんとかマスオさんが会社帰り居酒屋で1杯やって飲んで帰ってきても家の晩ごはんの時間に間に合っているってその世界観なに?って思うの。
時空が乱れてない?
なんで居酒屋でいっぱいやってきてご機嫌で帰宅して家の晩ごはんに間に合うの!?って
そんな私のファイナルファンタジーも
獲得経験値1倍獲得ゴールド1倍モードで進めていたんだけれど、
ユー!サクサク進めちゃいなよ!って、
良い天使の方は経験値もゴールドも倍増しちゃえよストーリーがサクサク進んで楽しいぜ!ってそそのかすの。
悪い悪魔の方は獲得経験値1倍獲得ゴールド1倍で苦労して得たゴールドで買う新しい武器の切れ味は感動ものだぜ!それにレベルも思うように上がらないままでボス戦をギリギリで苦戦して勝つ喜びってものもあるぜ!ってそそのかすの。
うーん、
私は迷ったわ
そこでまた頭の上に浮かび上がってきてそそのかしてきそうな勢いのイメージの高見山大五郎さんが2倍2倍!っていうので、
その設定でブースト!
これが苦労して進められてるかっていうのはわからないけど、
道具屋でももちろん武器防具屋でも躊躇なく贅の沢ができて常にハイポーションが99の状態を保って冒険を進められるリッチさ!
物語を楽しむっていう意味ではバランス崩しているすでにそんな世界かもしれないけど物語のストーリーを追体験で楽しめているという意味ではこういうのもありなのかな?って思って楽しく進めているわ。
ただ不思議の思ったのは、
え?こんな設定なんの意味があんの?って2倍!2倍!でお馴染みの高見山大五郎さんもビックリなのよ!
0倍ってなに?0倍。
世の中にはよくわからないことが多いわ。
まあ私は早くもゲーム開始1時間でもう月へ行く魔導船をゲットして、
逆に次どこに行ったらいいのか進路を早速に見失ってしまったところよ。
え?次どこ行くの?
分かんないけど。
えーん、
次どこへ行ってストーリー進めたらいいのか分からなくなってしまったわ。
あともうフィールドの雑魚敵とも戦わなくていいエンカウントOFF機能とかもあって、
ファイナルファンタジーとは?って思ってしまうけど、
宝箱を逃してダンジョンの先に見えていて引き返して拾いに行きたい時とかはその機能重宝してるかも。
全エンカウントOFFはさすがにしないけれど、
こういう時に向こうの壁の向こうに見える宝箱、
気になるじゃない!
だいたいは察しがついてポーションとかだけど
分かっていても全宝箱を見えるものは取り尽くしたじゃない?
どちらかといえば今回についてはストーリー早く進めてみたい派なのよ。
でもなんか雑魚い敵とかはオートバトルとかで何にも考えてないような気がして、
逆にこれでいいのかしら?って思っちゃうわ。
昔の苦労して経験値を稼いだりゴールドを稼いだりするのって幻想なのかも。
あとあまりにも展開がサクサク進みすぎて次どこに行ったらいいのか、
確かに次どこに行くんだ!って言ってるけど
ボーッとしていたらついつい聞き逃しちゃうのよね。
これで本当に楽しめているといえるのかしら?と急に思ってしまうわ。
1~2回の戦闘でみんなそれぞれレヴェルが上がるのよ。
冒険を薦める上でパーティー全体に漂うなんか何かが足りない苦しみながら進んでいる!っていう「ひもじい」感じがないの。
だからクリアしてもクリアしたよ!って霧ヶ峰高原で高らかに公言できない後ろめたいところもあるわ。
とはいえ、
このブースト機能があるからやってみようか!って思ってきっかけにもなってるし
これこれに盛ったシージーの演出過度な部分がないのが私あっさりして好きかも。
あれは感動の押しつけみたいで、
うーん、
どっちが好きだかは結局個人の好みによるわよね。
まあ私に関しては
使ったらまあ苦労せずに進められるのは確かね。
またでもクリアしたら言うわね。
今次どこ行っていいのか見失っているけれど
私のファイナルファンタジーは始まったばかりよ!
うふふ。
ヒーコーだけにしました。
お休み期間中とは言え結構あんまり運動活動することが少なかったような気がするので、
控えめに朝はヒーコーのみってことね。
ともったいぶっていても、
パッケージの通りのレシピで作っているけど私に取ってはちょっと薄い気がするから
ちょっと次は濃い目に作ってみようかしらと思ったわ。
朝の冷たいのが美味しいわ。
水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
学校の宿題、夏休みのも含めてけっこう踏み倒したが、結果から見るとあまり問題は生じなかったな…
公立校で高校受験とかあるならまた別だったかもだが、中高は私立だったから成績は試験でしか計られなかった。
サブスクがいつの間にか増えていたので、断捨離のための整理をかねて...
Google Photo で半分ほどの容量を占めているが残りは、GmailとDriveが10GBずつ程度。
50GBで月額130円。
iPhoneのバックアップが主な理由。写真のシンクはしていない。
無償分がはみ出るリソースで、円安前は110円で済んでいたんだけどな。
ほぼ Route 53 のゾーン利用料。
20ドルかぁー、20ドルなぁーって思いながら使っている。Notionはちょっとダメだったので、これはまあ、イイかと思っている。
大学時代からAtokを使い続けているので惰性のようなものだが、買い切りからサブスクに切り替えてからもう何年経ったのだろうか?
家族がネット広告に曝されることでネトウヨ化したり、エセ科学を真に受けたりするのを避けるには、しょーががない支出ととらえている。
有料で有益なコンテンツを得るためというよりは、害になるコンテンツ避けの為にお金を払っているという感覚がある。
国際政治チャンネルを放置したままにしている...、まぁ、お布施みたいなものだが。
非公開魚拓を保存出来るのと、robot.txtで拒否しているものの収集も出来るが、面倒なので外に置いておくという使い方かな?
今年で契約が切れるので更新が必要になる。どーしよっかなぁー、1Passwordで継続するか、Dashlaneに戻すか悩むなぁー。
プライベート(家庭)ではない、仕事用のアカウントのパスワードマネージャーとして。
世界情勢が物騒になってしまって、空の状況や要人の動きなどをウォッチするに便利なのでついつい契約してしまう。
銀行口座は連携せずクレジットカードと電子マネーの使用履歴を管理している。
支出の記録はバラバラになってしまうので、マネーフォワードでまとめている。
ココヘリか、YAMAPか悩む所だが、"登山"にはほとんど行かないので行動履歴を重視してYAMAPに課金している。
最近はヒザが気になりだして、山歩きをしていない。
少額でも送料が無料になるのだが、欲しいものは一通り揃ったので買うものは無いから次回更新は無しかな。
クルマに乗らないしなぁー、遭うかどうかわからんトラブルに備えて4,000円払うのはムダかなのぉー。
自分が遭いそうなトラブルについては、既に車載しているしなぁー、でもレッカー代って高いしなぁー。自動車保険付帯に変えようかなぁー。
無償アカウントで登録だけしておくと値下げする時期にお知らせがあるので、セールスしているタイミングで有償契約をする。
以降は、自動更新にしておかなければ更新時に値下げオファーが届くので、セール価格で更新する。
朝日新聞は購読料の選択肢が複数あって、読者としては良心的な方だと思う。読売や産経、毎日はちょと高くて手を出しづらい。
(<追記:2024/08/19 15:31>ブコメに教えてもらった。毎日新聞スタンダードなら年払いだと9,240円(770円/月)で本紙ウェブ版とWSJ日本版を読めるそうだ</追記>)
エモ記事に関しても、あれは「新聞」というよりは、「朝日新聞」という読み物を求めている読者に向けたコンテンツなのだろうなと思う。
そういう意味で、朝日新聞はポッドキャストも含めて「朝日新聞」というコンテンツを売り物にしようと舵を切ったのだろう。
昨年はサブスクで年額28ドルくらいだったような気がする、更新時期のタイミングで自分で自分に購読ギフト25ドルを贈って切り替えた。
セールのタイミングで129ドル、通常で250ドルなので、セール時期に更新したいところだ。
左右問わない論説だが基本はアトランティック主義である。そのスタンダードをウォッチする用。
Business Insiderの方が質・量ともに良い。"ジャパン"は解約して更新はしない。
党派性が強いわけではないがリベラル、アトランティック主義のど真ん中を。
日経新聞より安いし、アジアのニュースであればこちらの方が拾いやすい。
初年はセール時に年額29ドルだったが、更新時のセールオファーを使って次年は年額20ドルになった。
中国、東南アジアのニュースをウォッチする用と思って購読したが、CNAの方が良いかなと思っている。
上記の「朝日新聞」のところにある毎日新聞に Wall Street Jornal も付帯するため。
https://mainichi.jp/info/wsj/ にあるように日本版に限らずWSJ本紙が購読出来る。
特に理由無くサブスクを始めたが、月単位なので、イマイチだったら解約する。
ドル円 155円換算で、年額223,487円 (18,624円/月)
services | ドル | 円 |
---|---|---|
Google Drive | ¥3,000 | |
iCloud | ¥1,560 | |
Google Cloud | ¥2,000 | |
AWS | ¥3,500 | |
ChatGPT Plus | $240.00 | ¥37,200 |
Atokパスポート | ¥3,960 | |
Youtubeプレミアムファミリー | ¥27,360 | |
ニコニコチャンネル | ¥7,920 | |
megalodon.jp | ¥3,780 | |
1Password 3年版ファミリー 5人用 | ¥4,166 | |
Dashlane Premium | $39.99 | ¥6,198 |
Flightradar24ゴールド | ¥2,700 | |
マネーフォワード | ¥5,300 | |
YAMAP | ¥5,700 | |
モンベル会員 | ¥1,500 | |
JAF会員 | ¥4,000 | |
朝日新聞デジタル | ¥11,760 | |
New York Times | $25.00 | ¥3,875 |
Bloomberg | $129.00 | ¥19,995 |
Foreign Affairs | $39.95 | ¥6,192 |
Business Insiderジャパン | ¥6,600 | |
New Yorker | $49.44 | ¥7,663 |
Atlantic | $109.99 | ¥17,048 |
Nikkei Asia | $119.00 | ¥18,445 |
文藝春秋 電子版 | ¥5,400 | |
Washington Post | $20.00 | ¥3,100 |
South China Morning Post | $96.00 | ¥14,880 |
毎日新聞 | ¥9,240 | |
The Times | £12 | ¥2,364 |
¥246,407 | ||
¥20,534/月額 |
こうして並べてみると ChatGPT Plus が高い。
今はまだ、長い文章の要約をさせたり、理解が難しい話を読む時に対話的に質問したりして容易に概略化するのに使っている程度で、あんまり創造的に使いこなせていない。
昔からゲームはやらないし、あとは10年くらい前からアニメ、アイドルなども追わなくなってしまったので、この程度をコンテンツに費やすのは苦とは感じないです。
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
今はもう社会人だし、若干記憶が薄れてる部分もある。少なくとも統一教会系ではない。身バレが嫌なのでぼかして書く。初投稿なので変な部分もあるだろうが、目をつむってほしい。
大学に入った当初ってX(旧Twitter)で春から◯大みたいな感じでアカウント作るよな。
そこからDMで繋がって、同じ大学の人とやりとりするんだけど、その中で「哲学に興味はありませんか?」「生きる意味について話し合いませんか?」てな感じで紛れて奴らは話しかけてくるんだよ。
僕は元々ディベートみたいなの好きだし、面白そうだと思い参加してみた。
大学から少し離れた講義室みたいなとこに皆集まるんだが、新歓の時期だし自分と同じ新入生ばかりかと思いきや社会人の先輩もいるんだ。
そこで先輩たちが大学生の過ごし方とかキャリアとか色々アドバイスしてくれるんだが、まぁ参考になるんだかならないんだか・・・
運動部ほど厳しくなさそうだし、可愛い女の子もいたし、陰キャ(今はチー牛なのか?)でも馴染む環境だった。
最初は哲学や取り止めのない内容から入っていって、段々と宗教じみた内容にシフトしていったんだが、
結論こういうサークルに入って感じたのは、別に悪い経験ではないが、良い経験だったとも言えない虚しさがあるということだ。
徹頭徹尾一番興味深かったのは、こういう組織構築の為のシステムだ。上層部の得体の知れない社会人はともかく、そこで熱心に動く学生さんたちを獲得し、囲って幹部まで育成するシステムはマインドコントロールみたいだと言えば大袈裟に聞こえるが、これ以外に適切な言葉があるだろうか。
自分は熱心に活動してなかった部員だったので詳しくないが、なんか部屋借りてやるにもお金が必要になってくる。しかし年会費も良心的だったし、社会人がパトロンとして払ってくれていたのだろうか。それとも信者からのお布施だろうか。少なくとも財布に優しいサークルだった。具体的な組織のアレコレは分からんが、幹部とかそういった役割もあった気がする。たまに偉いらしい先生も来ていた記憶がある。
高校のクラスみたいなコミュニティって大人になればなるほど霞んでいく。ましてや一人暮らしタイプの心細い新入生にとって、フレンドリーに分かりやすく歓迎されると嬉しくなるんだ。サークル以外でもレクリエーションみたいな感じで、皆でカラオケとかボーリング行くみたいに普通に遊んだこともあった。
そこにいたメンバーは皆、優しい人たちばっかだったし、何より高学歴が多かった。とにかく優しくて忠犬みたいな雰囲気があるんだよな。でも一つ思ったのが「こんな良い人達なのにサークル外の友達がいなさそう」ということ。兄弟姉妹で参加している人もいた。
皆仲良くて、礼儀正しいんだが、一緒にいると独特の雰囲気があった。やけに強引に参加を求める人も居たが、それも「自分が求められている」という気持ちにさせてくれるんだろうな。
言ってることは割と納得できる部分も多かった。具体的に「人との約束は守りましょう」「自分や他人にも誠実でいないと不幸になります」とか色々例も含めて話すことで説得力を出していた。覚えてるのがここ辺りだが、もう少し過激なのもあったと思う。
かなり引っかかったのが、こういうことを絶対的な定義として譲らないとこだ。
「これらは絶対的な真理で、物理や理系科目で出てくる公式と同じだ」と言われたが、物理だってこれまでの理論の積み重ねであって、絶対的なものだと思えと言われていないだろう。定義を疑うことをむしろ推奨されているまであるぞ。
こういう件もあって、僕は完全に心を閉ざし「分かりますー勉強になるっス」と相槌マシンになっていた。
一見カルトというにはホワイトでクリーンだっただろう。財布に優しかったし。しかし良く観察してみると、もっと大元の組織があって、そこが出してる本やら主催している会やら見ると何と言うべきか、統一感が凄いのだ。宗教だって色々宗派や解釈があるだろう。当たり前だがそれを認めないし触れさせない、ここで学ぶ真理だけが素晴らしいのだと。「大人になっても仲間たちと素敵なコミュニティで、大切なことを学べるのはココだけ!なんて素晴らしいのでしょう」という話に間違いは無い。間違いはないのだが、少なくともこれ以上僕はここに居たくない。と思った。
なんて言えば良いか、こちらを見ているようでその実全く見ていないのだ。
内部事情は全く分からないが、このようなサークルは全国展開しているみたいだから、のめり込まないように気をつけてとしか言えない。ライトなカルト体験がしたい者にはオススメだ。社会人でも遅くないぞ
こういうサークルに入れば知的で落ち着いた女の子と知り合いになって付き合えると思ったんだが、機会がなかった・・・冗談だが、真面目にやって幹部まで登ればもっと関わりも増えたのだろうか・・・
森友事件に関わって自殺に追い込まれた赤木さんて公務員がいたんだけどさ
銃撃事件の前日に、彼の奥さんが安倍氏に手紙を手渡したんだって 多分安倍は選挙戦のさなかで忙しくて手紙を読んでいない
それどころか赤木の奥さんの顔すら記憶にないだろう 群衆の中から知らない人がファンレターくれたくらいに思ったのかもしれない その手紙は秘書のカバンに放り込まれたまま誰にも読まれていないのかもしれない
安倍が手紙を受け取った時点で、この人は赤木夫人だ!これを絶対に読め!良心があるなら適切な対応をしろ!と言ってやりたい
彼が手紙を読んで何かしら行動を起こしたら、山上の待ち受ける奈良にはいかなかったかもしれないよ そんな忠告を鼻で笑うような人ではあった気がするけど
地方公共団体が民間と連携して、n歳以下の雇用機会増進事業みたいなのに参加した時のこと。
参加者の希望と企業の定員を踏まえて配属が決まるシステムで、数名が同じ企業に配属された。
そこがまぁすごかった。
労務管理0。
タイムカードナニソレ?だった。
こっちは形式上、連携していた民間の方に期限付きで雇われている形だったので毎日タイムカードをつけ、担当者のサインをもらっていたが、
配属先(?)は数部署に分かれていたなかで一致団結していた部署のみ、一定の時間になると一斉に退社することで経営トップからの攻撃を遠ざけているそうだった。
こっち側が配属された部署は経営トップも参加する定期会議があったが、これもすごかった。
ひとりをターゲットにしてずっと怒鳴っている。
その人が関わっていてもいなくても、パーテーションを突き抜ける怒鳴り声が経営トップから止まらない。
怒鳴られている側も虚ろな顔で時々返事をするくらいだった。
女性社員からの発言に対しては猫なで声のような声で「うん」「うん」という返事ばかり。
会議だけでも状況がひどすぎて、民間側の担当者にもどこからどう言えばいいのかも当時は分からなかった。
全社員参加の納会のようなものが1度だけあったので参加した時は、経営トップが「俺だってITなんて分かんねぇもん」「適当に頷いてれば相手は勝手に納得するんだよ」と個室でもない飲食店で大声で発していて、特によく話していたこっち側の3人はドン引きだった。
何人か参加していたうちの1人がある日、連絡なしに出社しなかった。
始業開始時刻から数分して、社内がざわざわし始め、電話をしたが連絡がつかない。労務管理はしていないのに、こういう時は良心のある人たちがメインで心配はされるものなんだなと思った。
(結局単なる寝坊だったらしくその日は欠勤で翌日から普通に出社していた)
まあまあ何人か社員と会話する頻度が増えて、助成金が みたいな話もちらっと聞いた。
以前いた人たちは何年くらいいたとか、次が決まり次第辞めるという人の話もあった。
今回は双方が希望すればそのまま正社員として雇用する可能性もあったが、先の3人は満場一致でないだった。(無断欠勤ともう1人はそのまま正社員となった)
ハロワ経由の求人もかなりブラックが紛れていると聞くが、自分はそっちで就職したことがなかったけれど
こういう民間企業が挟まっていてもこうなんだったらブラック紛れはどうにもならなそうだなと思った。
ちなみにまだこの会社はある。
はてなブックマーカー三巨頭のダイダラボッチさんと、ブクマカの良心であるミヤウチさんからコメントをいただきました。
望外のしあわせです。あの世に行ったら自慢しようと思います。ありがとうございました😊
(以下本文です)
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私は62才である。とある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。
地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。
それから民間で三年ほど働いて、地元の市役所の採用試験を受けて入庁した。
いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である。時間が過ぎるのはあっという間だった。
ずっと土木建築の仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市計画に、施工監理に……少しの間だが、まちづくりの仕事もした。思い出が蘇ってくる。もっと写真を撮っておけばよかった。
本題である。定年延長により、公務員の定年退職はしばらくの間、2年に1回になっている。
私が定年になったのは61才になる年度である。民間企業は誕生月に退職になるのが一般的だが、公務員の場合は年度末まで在籍できる。
今年の3月末をもって分限退職の辞令を受け取り、退職日には労働組合の行事で退職者一同での職場巡りを行い(※有給である。有給が残ってない人は人事がわかってて見逃してくれる)、最後は市長のポケットマネーで退職者のための小宴会が催され、皆それぞれに挨拶をして――私を含めた有志は、翌年度からも再任用(あるいは再雇用)されて働き続ける――はずだった。
タイトルにあるとおり、私は再任用の対象にならなかった。再雇用もNGだった。
2023年の秋頃だったか、再任用の希望票を人事に提出した。その後、返送されてきたのは「再任用は不承認」なる文言の書かれた通知が1枚だけだった。
理由によると、総合的な事情により再任用できないらしい。同じ階にある労働組合の職場委員会を通じて確認したところ、この階の職員だけでも数名が再任用されなかったということだ。
民間企業では、「雇用と年金の接続」という観点から、年金が支給となる65才まで退職者を継続雇用する義務がある。例えば、60歳定年制を採用する企業の場合、65歳までの再雇用は法律上の義務であり、再雇用拒否は原則として違法である。
では、公務員の場合はどうかというと、こちらも原則として再任用をすべき~という旨の総務省通知が平成25年3月に出ている。
内容を要約すると……
「公的年金の報酬比例部分の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引上げられることに伴い、無収入期間が発生しないよう国家公務員の雇用と年金の接続を図るとともに、人事の新陳代謝を図り組織活力を維持しつつ職員の能力を十分活用していくため、当面、定年退職する職員が公的年金の支給開始年齢に達するまでの間、再任用を希望する職員については再任用するものとすること等を内容とする閣議決定をした」
ということだ。
【参考URL】
https://www.soumu.go.jp/main_content/000216510.pdf
http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2015/43_winter02.html
ただし、この通知はあくまで国から地方自治体への技術的助言であり、法的効力があるわけではない。
組織からその価値がないと判断された職員だと、再任用はされないことになる。
私は、36年間ずっと、このまちで働いてきた。
そこまで目立たない中国地方の地方都市ではあるが、このまちが気に入っている。
できれば、ずっと働きたい、もっと働きたいと思っている。
労働組合に上記の再任用拒否を相談したところ、今後の団体交渉前の当局とのやり取りにおいて、本件に言及いただけるとの回答が執行部からあった。だが、望みは薄いようである。こういった当局の対応は、何年も前から続いているからだ。
市役所にとって不要な人材は、再任用(再雇用)しない。それが人事当局の方針である。
私は怒りやすい人間であり、周囲に迷惑をかけたこともある。若い頃は上司と反りが合わず、反発して死のイベントを無断欠勤したことがある。なんてことをしてしまったんだろう。あのイベントに出ていればよかった。
日常の仕事においても、市民や業者と言い争いになることがよくあった。
感情の振れ幅が大きく、職場の人に迷惑をかけた。用地買収の仕事の時にも、地権者との交渉がうまくいかなかったのは私のせいである。
査定が低かったのは間違いない。でも、私は私で、このまちが好きで市役所職員の仕事を続けていた。もうちょっと働いていたい想いがある。
仕事とは別の方面になるが、二十代の頃からずっと組合活動をしていた。
土木建築の職場委員会はずっと仕切っていたし、反核の平和の火リレー、メーデー、自治労の定期大会その他の行事などは、40代になって体にガタが出るまで前線に出ていた。
平和の火リレーの時は、市立総合体育館の前にある大きい道路をまっすぐに進んでいったっけ。本当に懐かしい。
一番、血気盛んな時期だと……国と県が合同で実施する泊まり込みの研修があった時、私が朝のラジオ体操時の国旗掲揚係になった時だった。私は、つい大声で主張したのだ。自分の平和にかける想いを。
あの時は、江田島にあった国立青少年自然の家だった。集会室での私の言葉は、十数年前の日記に確かに記録してある。
「皆さん。申し訳ありません。これは研修中の職務ではありますが、私は日本国旗を掲揚する係にはなれません。太平洋戦争を引き起こし、被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。人権侵害の象徴である、その政府が作った国旗を掲げることは、平和を愛する者として到底できないのであります!」
と、研修参加者50人以上の前ではっきり告げたのだ。これは、当時の労働組合における一般方針のひとつであった。
今では思う。広島県全体の研修の時なのだから、この時ばかりは組合の方針に反してもよかったのではないかと。
実際、研修が終わった後で人事当局に呼び出された私は、総務部長から「増田さん。悪いけど辞めてくれるか?」と言われた。国か県かはわからないが、クレームがあったらしい。
だが、やはり血気盛んだった頃の私は、組合にも相談したうえで、基本は一人っきりで人事当局と戦った。少しばかりは助けを求めたこともあったが。
最終的に、処分ではなく厳重注意に留まった。組合が助けてくれなかった場合、本当に辞めされられていた可能性がある。
私が悪いのだ。私は仕事に対して真摯に向き合ってきた。本気でやってきた。それでも成績が悪かったのは事実であり、その時期の上司の方々の温情に賜れたことに感謝している。
仕事は本気でやっていたけれども、周囲への配慮が足りなかった。令和になっても、今でいうパワハラみたいなことをしていた。
あの時、いつだったか。令和元年のことだ。
税務の子が当時、私が働いていた施工監理(兼庶務管理)の部署に来ることがあった。土地の課税評価のことで、私が依頼していた文書を届けにきたのだ。
その文書には誤りがあった。その時、私は怒鳴ってしまった。今でも反省している。後悔の念を込めて、できうる限り思い出してみる。
確か、私はこんなことを言った。
「お前、まちごうとるぞ。小字(こあざ)がなかろうが、字がっ!! なしてないんならあ、おい」
「え……どういうことですか」
「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字の名前がなかろうが」
「すいません、つけ忘れました。打ってません」
「なんでそんな大事なもん、付けわすれるんならあ、おい」
「すいません」
「お前、法務局にこれ出してみろやあ~、恥ずかしいどお!!」
「ごめんなさい……」
恥ずかしいのは私の方である。若い子に対して、こんなに失礼なことを言ってしまった。
その次の週に同僚から聞いたのだが、その女の子はうつ病になり、職場に来ることができなくなったという。
元々、抑うつ気味で元気がなかったらしい。私が怒鳴った金曜日だけでなく、土日にあったイベントでも動員があり、その子は仕事ができず辛い思いをしたという。
ただ、私にも原因があるのは明らかである。本当に申し訳ないと思っている。
その子は、労働組合を通して聞いたところだと――翌年に単純事務労働として税務の仕事に復帰したが、なかなか調子が戻らず、結局は新卒2年目で退職したとのことだ。
仕事でヘマをしてるだけだったら、まだ再任用されたのかもしれない。
しかし、それだけではない。私が他者の信頼を損ねる行為を繰り返したからこそ、こうなったのだ。
できれば、今からでもまた市役所で働きたいよ。でも、その資格がないことも重々承知している。
たとえば今、私は市役所で働いていた頃の思い出を書いてるけれども、守秘義務に反している可能性がある。それでもいい。罪があれば償おう。これも責任の取り方というものだ。
私は罪を犯した。犯し続けた。それで再任用されなくなった。仕事人生の責任を、こんな最悪なかたちで取ることになった。
あれは今年の1月だったか。後輩と一緒に現場に出るため、廊下を歩いていると、部長級の職員が前からやってきた。
その人は、正面にいた私に向かってこう言ったのだ。
「なんや増田。お前、まだ辞めとらんかったんか。はよお、辞めろや!!」
後輩が見ている前で、こんなことを言われてしまった。恥ずかしかった。
だから、こんなことになっている。
最終勤務日のことだ。
労働組合が主催する職場巡りの会が終わり、最後に職場に帰って、デスクに座ってしばらく待ち、定時を迎えた時のことだ。
定時のチャイムが鳴って、2~3分くらい後だったか。私は、カバンを抱えてまっすぐに職場を出た。
事務所にいた同僚連中には、「じゃあの~」と軽快な口調でさよならを言った。みな、私に「お疲れ様でした」と返してくれた。
しかし、ひとつだけやっていないことがあった。最終勤務日の前日、職場の親睦会の若い幹事職員に言われたのだ。
「増田さん。最後に僕が花束を渡すので、退職スピーチをお願いします。その後記念撮影をしますから、残っておいてくださいね!」
と、しっかり伝えられ、私はOKの返事をしている。
にもかかわらず、こんなことをしてしまった。チャイムが鳴ったら逃げるように、すぐに家に帰ってしまった。
スピーチなどしたくなかった。再任用されなかったこんな私がスピーチをしても、恥ずかしいだけだと思っていた。
自分に負けたのだ。彼の思いに応えられなかった。
最後になるが、もし増田の利用者の方で思い当たるフシがある方は、どうか職場では自重してほしい。
他者の信頼を損ねる行為ばかりしていると、私のように情けない老後を過ごすことになる。この日記がひとつの警句になってくれたら望外の幸せである。
明日からは、またはてな匿名ダイアリーのイチ利用者である。また面白い日記、楽しい日記をたくさん読んでみたい。
ありがとうございました。
旧NISAが開始した2018年の日経平均は23000円で、終了時に33000円だから大幅にプラスだ。
ダウも26000ドルから37000ドルでやはりプラス。NISAの趣旨を理解して、普通に積み立てができていれば問題はないはずだ。
新NISAはどうだろう。開始時の日経は33000円で、これを下回ったのが月曜の14時から15時までの一時間と、火曜の9時から9時半ごろまでの30分程度。
ダウの37000ドルは下回ってすらいないようだ。繰り返すが、NISAの趣旨を理解していれば、この程度のことは問題にならないはずだ。
つまり、ここで騒いでいる人はNISAの内容を理解していないか、新聞やテレビの雰囲気だけで知った気になって数値を確認していないか、どちらかだ。
新NISAの仕込みに6年かかるとして、PER7.0程度の会社は沢山あるだろうから、効果を確認したいなら割安の株を積み立てればいいだけだ。
投資にしろ投機にしろ、リスクを取ってそれに勝つことが前提なのだから、それがどうしてもできないという人のためにiDeCoまで用意してくれている。
それとも、貯蓄に回す金もないのにNISAもiDeCoも国民年金も生活保護もない世紀末のような世界が望みか?どうかしてるよ。
https://x.com/okoo20/status/1820335195796758703
日本は「インディックスぶっこんで放置」を投資だと思ってる弱者しかいないんだから、そりゃ地獄絵図になる。
日本では投資の議論ができないほど素人が集まっており、投資教育詐欺師も米国以上に幅を利かせている。
良心のある経験者が正しいことを話しても、バカと嘘つきが「インディックスぶっこんで放置」とか、そのようなデマを流すから、そちらが定説となる(笑)
そもそも、具体的なチャート分析なしに、どうやって細かいエントリーポイントが分かるんだよ?
長期投資であっても、きちんとしたトレードルールすら用意しない。
エントリーした後はチャートを閉じて神に祈ることを、投資と呼んでいるのだから、どうしようもない話。
何でプロが何年も生き残っているのか、まったく分かってねぇだろ。
こんなレベルで投資に取り組むくらいなら、さっさと撤退して諦めるべきだ。
あなたの味方は1人もいないことを胸に刻むべきだ。
https://kids-future-passport.org
「こどもごちめし」は基本的には月に1回、1000円までのメシが食えるみたい。中学生まで。
このNPO法人にはやたらアーティストが多いように感じるが、他のNPO法人を知らないからそんなもんなのか?も知らん。
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支援しないくせにケチつけるな、とか言われそうだが安心して欲しい。
俺がケチをつけるのは出前館だ。このNPOでも、ごちめしでもない。基本的にはね。
8月1日から出前館がごちめしクーポンというのを始めるらしい。
配達員の一部と、お客様の一部から、かなり粘着質に嫌われている(と俺は認識している)
興味ある人は「みんひょう 出前館」でググってレビューを見てみたり、
iPhoneやAndroidの出前館アプリのレビューをみたら嫌われっぷりが分かる。
ともかく、めっちゃ嫌われている。
まぁ、ああいうのはアンチこそ熱心に書き込むものなので実態は知らん。そう見えるだけかもしらん。
プレスリリースをみると今の日本は、約280万人の子供が貧困状態にあるらしい。
大変だ。
そんな現状を月1回のクーポンで解決できるとはとても思えないが、、、、まぁ、何もしないよりはマシだろうw
出前館も「ごちめしクーポン」で「こどもごちめし」に対応するようだ。
ただ、どうも説明を見る限りでは1000円引きクーポンのように思える。
ふむ。
フードデリバリーを利用した人なら当然知っていると思うが、出前館にしろUberにしろ、普通に「割増価格」なんだよね。
店で1000円で食えるものは、だいたい1350円か1400円になってる。
これは良心的な大手チェーン店の話で、ひどい店?になると、単なる豚丼で2100円とかしたりする。
お前、適正価格800円くらいだろ…ってのは俺が勝手に思ってるだけで、まぁ店が決める事だけどさ。
いいんだよ、貧困家庭に贅沢をさせてあげるのは全然素晴らしい活動なので、俺はNPO法人はとってもよいと思ってる。
ただ(おそらく)出前館は35%以上の利益を得るわけで、これって慈善事業なのかな???
でも出前館が1000円のクーポンを負担するのではなく、おそらく、他の飲食店同様、1000円はNPO法人から、ひいては、このNPO法人に寄付した支援者のお金から出るわけだ。
●レッツWork!
出前館の注文アプリで、マクドナルドのホットアップルパイ190円を注文しようとしてみてほしい。
現金支払いで。
貧困家庭に偏見を持つわけではないが、クレカ支払いより現金支払いの方が確率は高いだろう。
出前館で、ホットアップルパイ1個 190円を注文すると、支払総額は1050円になる。
ちなみに、店頭で購入すると140円だ。
配達員はボランティアじゃないし、出前館はNPO法人ではなく営利企業なんだから。
でも140円のホットアップルパイが1050円になるのを「ボッタクリ」と感じてしまうのも、これまた当然であろう。
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ちなみにこれは余談なので、別に本質ではない。普通、そんなへんな注文の仕方はあまりしないから。する人も居るだろうけど。
なるほど。
しょっちゅう送料無料キャンペーンやっていたので、送料無料のイメージが強いが、それはコロナ禍の話。
今は、6年連続赤字で、毎年100億とか200億とか300億とか、80億とか赤字を出していたせいで、送料無料キャンペーンは現在行われていない。
送料は420円かかる。
これはどういう事か?
仮に、マクドナルドのホットアップルパイ 店頭価格140円のものを、ごちめしクーポンで注文すると、
そんなアホな注文する方が悪いか。そうか。
現金支払いで110円の手数料がかかるので、1100円なら1630円、クレカ払いでも1520円
630円とか520円でメシが食える。
送料無料じゃないって事は、高い商品頼むわけにもいかず、なんか安いメシを一応お得だけど割高に食わされて出前館に利益を吸い取られているように感じる。
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月1しか支援しない、出来ないなら「いいもの食わせてやろう」とかならんかね?
もしくは、毎日は無理でも毎週クーポンを使えるようにするとかさ。まぁそれはNPOの方の仕切りだから文句は言わない。意見表明に留めとくわ。
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あなたが貧困の子供のために1100円支援したら、貧困の子供は自腹で630円で牛焼めしの特盛が食べれます。
月1回の贅沢です。
牛めしの特盛なんて店行ったら790円で食べれるんだよ。
(790円は十分高い贅沢品だけどさ)
1100円の支援があって、やっと貧困の子供が【自腹で】630円を払って牛めしの特盛食えるってさ。
1100円の支援に対して、160円しか助けになってないよね???
これは悪意ある計算だけどさ。
松屋が直で、ごちめしに対応したら、1100円のうち100円がNPO法人の手数料で
自腹を払わずに、牛めしの特盛が食えるんだ。 タダメシだよ!!!
うん。
出前館さえいなきゃ、タダメシが食えるのに、家に配達してもらうから630円支払うって…
貧困家庭の助けになってないって。
いや、助かるお母さんが居るのはわかるよ。