はてなキーワード: FFIVとは
突然だけどファイナルファンタジー始めました!って
もはや夏の終わりだというのにこの冷やし中華始めました!の勢いで言っちゃう私!
サイコロの出た目でどのナンバリングのファイナルファンタジーでファンタジーしようかと思っていてサイコロを振りーの4が出たので、
FFIVを始めました!
私FFIV始めるに至って初めてなので
まるでその世界に産まれたてのバンビで挑む感じで右も左もお箸は左お茶碗が右と私は左利きなのでそういった右も左も分からないって言い方がよく分からないままその産まれたままのバンビで飛び込み挑むFFIVはどうなるのかしら?って思ったの。
私が一番罪悪感を覚えてしまう設定が
私は遠慮して経験値は2倍獲得ゴールドは4倍でサクサク進めるかなーって。
まあおまえは温いな!っていうのは分かっているけれど
熱燗は温めな方がいいっていうじゃない!勘弁して。
波平さんとマスオさんが帰り道に寄った居酒屋で燗は人肌がイイですなって2人がそう言っていたタイミングでゴリゴリの居酒屋の親父が懐から親父の体温で温まった徳利が出てくるのよね。
まさによりぬきサザエさんか!って思うぐらいなそんなプレイの仕方はおまえ温いよ!って言われそうだけれど、
私はサクサク進めてみたいの。
あと、
波平さんとかマスオさんが会社帰り居酒屋で1杯やって飲んで帰ってきても家の晩ごはんの時間に間に合っているってその世界観なに?って思うの。
時空が乱れてない?
なんで居酒屋でいっぱいやってきてご機嫌で帰宅して家の晩ごはんに間に合うの!?って
そんな私のファイナルファンタジーも
獲得経験値1倍獲得ゴールド1倍モードで進めていたんだけれど、
ユー!サクサク進めちゃいなよ!って、
良い天使の方は経験値もゴールドも倍増しちゃえよストーリーがサクサク進んで楽しいぜ!ってそそのかすの。
悪い悪魔の方は獲得経験値1倍獲得ゴールド1倍で苦労して得たゴールドで買う新しい武器の切れ味は感動ものだぜ!それにレベルも思うように上がらないままでボス戦をギリギリで苦戦して勝つ喜びってものもあるぜ!ってそそのかすの。
うーん、
私は迷ったわ
そこでまた頭の上に浮かび上がってきてそそのかしてきそうな勢いのイメージの高見山大五郎さんが2倍2倍!っていうので、
その設定でブースト!
これが苦労して進められてるかっていうのはわからないけど、
道具屋でももちろん武器防具屋でも躊躇なく贅の沢ができて常にハイポーションが99の状態を保って冒険を進められるリッチさ!
物語を楽しむっていう意味ではバランス崩しているすでにそんな世界かもしれないけど物語のストーリーを追体験で楽しめているという意味ではこういうのもありなのかな?って思って楽しく進めているわ。
ただ不思議の思ったのは、
え?こんな設定なんの意味があんの?って2倍!2倍!でお馴染みの高見山大五郎さんもビックリなのよ!
0倍ってなに?0倍。
世の中にはよくわからないことが多いわ。
まあ私は早くもゲーム開始1時間でもう月へ行く魔導船をゲットして、
逆に次どこに行ったらいいのか進路を早速に見失ってしまったところよ。
え?次どこ行くの?
分かんないけど。
えーん、
次どこへ行ってストーリー進めたらいいのか分からなくなってしまったわ。
あともうフィールドの雑魚敵とも戦わなくていいエンカウントOFF機能とかもあって、
ファイナルファンタジーとは?って思ってしまうけど、
宝箱を逃してダンジョンの先に見えていて引き返して拾いに行きたい時とかはその機能重宝してるかも。
全エンカウントOFFはさすがにしないけれど、
こういう時に向こうの壁の向こうに見える宝箱、
気になるじゃない!
だいたいは察しがついてポーションとかだけど
分かっていても全宝箱を見えるものは取り尽くしたじゃない?
どちらかといえば今回についてはストーリー早く進めてみたい派なのよ。
でもなんか雑魚い敵とかはオートバトルとかで何にも考えてないような気がして、
逆にこれでいいのかしら?って思っちゃうわ。
昔の苦労して経験値を稼いだりゴールドを稼いだりするのって幻想なのかも。
あとあまりにも展開がサクサク進みすぎて次どこに行ったらいいのか、
確かに次どこに行くんだ!って言ってるけど
ボーッとしていたらついつい聞き逃しちゃうのよね。
これで本当に楽しめているといえるのかしら?と急に思ってしまうわ。
1~2回の戦闘でみんなそれぞれレヴェルが上がるのよ。
冒険を薦める上でパーティー全体に漂うなんか何かが足りない苦しみながら進んでいる!っていう「ひもじい」感じがないの。
だからクリアしてもクリアしたよ!って霧ヶ峰高原で高らかに公言できない後ろめたいところもあるわ。
とはいえ、
このブースト機能があるからやってみようか!って思ってきっかけにもなってるし
これこれに盛ったシージーの演出過度な部分がないのが私あっさりして好きかも。
あれは感動の押しつけみたいで、
うーん、
どっちが好きだかは結局個人の好みによるわよね。
まあ私に関しては
使ったらまあ苦労せずに進められるのは確かね。
またでもクリアしたら言うわね。
今次どこ行っていいのか見失っているけれど
私のファイナルファンタジーは始まったばかりよ!
うふふ。
ヒーコーだけにしました。
お休み期間中とは言え結構あんまり運動活動することが少なかったような気がするので、
控えめに朝はヒーコーのみってことね。
ともったいぶっていても、
パッケージの通りのレシピで作っているけど私に取ってはちょっと薄い気がするから
ちょっと次は濃い目に作ってみようかしらと思ったわ。
朝の冷たいのが美味しいわ。
水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
FFがムービーゲーとして舵を切った時期は意外と早かった。それは4(IV)。
4からキャラクターが強制的に会話するシーンが増え、キャラ名も任意の名前はつけられるものの、実質固定イメージで攻略本などが表記するようになった。
もちろんIIあたりでもフリオニールなどの名前で雑誌に書かれていることはあったが、IIIまでのFFはドラクエと同じく素材としてのキャラに名前をつけて楽しむものだった。そこに重厚な裏設定なども存在しない。あくまでもキャラを自由に育ててそこに没入してほしいという立ち位置でしかなかった。
ところがFF4は違った。暗黒剣で苦しみ、苦闘の果にパラディンへとクラスチェンジするセシルと、仲間を不本意にも裏切り続けるカイン、という対象的なキャラが設定された。主人公たちは主観的な没入型から客観的なムービー型へと変わった。端的には会話数が増えて、伊集院の言うところの「クラウドが勝手に自分にできない技をガンガンきめて置き去り感がある」状態を当作より現出させたのだ(伊集院の深夜の馬鹿力 2020/5月中のもの)。物語はドラマチックになったが、その反面終盤までストーリーに沿って強制的に進行するきらいが強くなり、浮遊大陸を抜けてすぐに広い世界が広がったIIIとは真反対のアプローチをとったといえる。上の伊集院氏の言ではないが、ラスト付近ではキャラを操作してもいないのにWメテオなる技をかましてくれたりする。あの演出には感動した人と白けた人に別れたのではないか。何しろ上限9999の技でしかないWメテオを決死の覚悟で繰り出すのだが、その後主人公たちがフレアなどで容易に9999を出してしまえるのだ。決死のWメテオは全くの無駄である。
ネットもないこの頃の全国的な風評は定かではない。しかし個人的には手狭になったな、と感じたことを覚えている。そしてFF5でジョブチェンジシステム復活とキャラ性を押し出さない、良い意味で無個性なパーティーメンバーによりユーザービリティの回帰を狙ったが、FF6(VI)では再びムービー寄りのゲームになってしまい、7以降はこの路線をついに変えることがなくなってしまった。最近では毎作ごとのにーちゃんのホスト化を止めることができないらしい。
ムービーを大胆に挟むといえば、他にもストライダー飛竜や忍者龍剣伝が思い浮かぶ。しかし両者はアクションであり、RPGムービーの先駆はやはりFFなのだろう。
実はFFシリーズは6付近までは死に泣きゲーだった。IIでのミンウは仲間をかばって死に(実はヨーゼフも味方をかばって石の下敷きになるが、何故かあまり語られない)、IIIの不幸な巫女のエリアは水中に没して死亡。IVはカインとの決別、シドの自爆。Vではギルガメッシュが主人公たちをかばって自爆する。VIのティナは不幸から生まれてきたような少女で、子どもたちを支えるために立ち上がる。
この泣きゲーの伝統は7から大きく崩れる。というより7から徐々に痕跡を消していった、というべきか。かろうじて残っているのはFF10でユウナの人身御供が発覚するあたりだろう。何れにせよ、グラフィックスの進化と共にFFがハリウッド化してゆくのはやむを得ないことだったのかもしれない。