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https://www.comiket.co.jp/info-a/C99/C99EventDate1.html
コミックマーケット99の開催について
2020年冬、コミックマーケット99の開催は行なわず、2021年GWの開催を目指すことになりましたことを皆さんにお伝えする次第です。以下、改めてご説明申し上げます。
当初、2020年冬としておりましたコミックマーケット99の開催日程につきましては、期間・会場が確定した段階で改めて公式Webサイト等にて告知する旨、新型コロナウィルス感染症拡大の影響を踏まえた3月27日付リリース「コミックマーケット98の開催中止について」にて、告知いたしました。
5月下旬、政府及び地方自治体等により発表された指針を踏まえ、6月以降、各展示会場からイベント主催者に対し、イベント開催にあたり遵守すべきそれぞれの「ガイドライン」が提示されています。これらのガイドラインに基づき、各同人誌即売会の主催者が、会場側と調整を行いながら、各地における同人誌即売会の再開に向けた準備を進めておられるのは、皆さんもご存じの通りです。コミックマーケットの使用する東京ビッグサイトにおいても、6月8日に「対応指針」が発表され、大きく制限された形でのホール毎の最大収容人数や、主催者の行うべき感染防止策等が定められました。
さらに、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催延期に伴い、国際放送センター・メディアプレスセンターの設置された東京ビッグサイト東展示棟は、2020年冬に使用することができなくなりました。2020年冬に予定されていたコミックマーケット99の開催日程は、東京ビッグサイト全館使用を前提として、3日間開催とされており、東展示棟の不足を埋めるべく、これを4日間開催に延長することは、年末の休日を考慮すると現実的ではありません。
この間、参加人数や日程の制約その他「対応指針」に規定されている開催に当たっての各種の条件、新型コロナウィルス感染症の流行状況等を考慮し、いかなる形であればコミックマーケットを開催することができるのか、開催形態の大幅な変更を含め、様々な検討を続けてまいりました。しかしながら、現状求められている新型コロナウィルス感染症対策を講じたとしても、問題やリスクが諸々生じる恐れもあり、参加者の皆さんに満足いただけない開催となってしまうことが懸念されます。つきましては、大変残念ではありますが、コミックマーケット99を2020年冬に開催することは困難である、という苦渋の決断に至りました。
コミックマーケット99の新たな開催日程につきましては、東京ビッグサイトにて同人誌即売会及び関連するキャラクターコンテンツの展示即売会を主催している団体の皆さん(DOUJIN JAPAN2020の幹事団体でもあります)のご理解・ご賛同を得て、2021年GWに照準を合わせ、関係各方面と日程調整を行っております。詳細の発表につきましては、2020年秋以降を予定しておりますので、今しばらくお待ちください。同様に、次回コミックマーケット99の『サークル参加申込書セット』、郵送申込用の『合体配置用封筒』通販につきましては、セット販売で既に申し込まれた分も含め、開催日程の決定後、改めて公式Webサイト等にてお知らせしますので、今しばらくお待ちいただきますようお願いいたします。
なお、2020年冬につきましては、1975年12月のコミックマーケット誕生から45周年を迎えることを記念した企画なども加え、GWに行った「エアコミケ」を発展させていくことを検討しています。詳細等定まり次第、公式Webサイト等にてご案内いたします。
「コミックマーケットは同人誌を中心としてすべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした表現の可能性を拡げるための「場」である」ことを理念に掲げるにもかかわらず2020年の1年間、リアルな「場」としてのコミックマーケットを開催できないことは、我々準備会にとっても痛恨事に他なりません。しかしながら、コミックマーケットは、規模の大きさ故に社会的影響も考慮しつつ、継続を旨として慎重に事を進めていきたいと考えています。今後も開催継続に向け、最善を尽くして参りますので、参加者・関係者の皆さんには、重ねてのご理解・ご協力をいただければ幸いです。
現在、コミックマーケット98カタログ冊子版のご購入や、コミックマーケット98当選サークルによる参加費の繰越・寄附のお申出等のありがたいご協力に加え、金融機関からの特別貸付制度を利用した借入れ等の資金調達も進めており、直ちにコミックマーケットの運営が立ちゆかない状況ではありません。しかし、今後の新型コロナウィルス感染症の状況如何によっては、改めて皆さんの幅広いご支援をお願いすることがあるかもしれません。その際は、なにとぞご協力のほどよろしくお願いします。
コミックマーケット98の開催中止のご案内でもあえて明記したことの繰り返しとなりますが、コミックマーケットを含めた同人誌即売会のみならず、各種イベント・展示会・即売会は、それぞれ規模・時期・地域・特性等が異なり、開催に向けてそれぞれのご判断があります。コミックマーケット99開催延期をもって、他のイベント・展示会・即売会等に対し、無用な混乱を招くような問い合わせ等を行うことはお控えいただくよう、重ねてお願い申し上げます。
最後に
東京オリンピック・パラリンピックの開催延期に伴い、東京ビッグサイト・幕張メッセの利用制約がさらに1年間継続することになりました。昨年来、東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う当初からの利用制約で、多くのイベント・展示会・即売会が、開催中止・会場変更・規模縮小を余儀なくされており、この影響は全国の展示会会場にも波及しています。この状況がさらに1年間続き、加えて、新型コロナウィルス感染症対策で展示会場への人員の収容率が制限されるのであれば、せめて収容率の制限割合に応じた会場費の減免がセットとなってしかるべきですが、大阪市など一部の例外を除き、会場費は従来通りとされているのが現状です。
幸い、2020年GWの際には開催中止に伴うキャンセル料の免除をいただきましたが、感染状況の先読みが困難な現状では、引き続き同様の対応をお願いしたいと考えております。その他、「ガイドライン」を遵守するためのハード・ソフトの整備についても、個々の主催者に任される部分が大きいのですが、対策の長期化を見据え、会場設備・機能そのものの充実による対応も強く希望するところです。
政府・東京都・その他関係者の皆さまにおかれましては、主催者支援を含めた展示会会場への充分なサポートをお願いするとともに、同人誌即売会をはじめ展示会会場を必要とするすべての人々への手厚い配慮を重ねてお願いします。
……こんなこと言うともう間違いなく、真の左右固定派にはぶちのめされる。
今は自粛してるけど、同人誌即売会でスペースの前で硫酸でもぶっかけられるかもしれない。
なのでこう……増田につらねるわけなんですけれども。
私は趣味で女性向けの二次創作――要するに非公式BLをかいている。
同じ趣味を持つ方ならなんとなく分かっていただけると思うが、どのジャンルのどのカップリングにも、相手や左右固定と名乗る宗派の人たちがいる。
それで、反対に私は組合せには殆ど拘りがない。もちろん好みはあるが、“組合せが理由”で読めないものが、どのジャンルでもほぼ存在しないのだ。
先に言っておくが、私には固定派の方々を責めるつもりは一切ないし、どちらが優れているとか、正しいとか、ポリコレが云々とか、そういうことを議論するつもりもない。
苦手なものも含めて自分を形づくる要素の一つだし、私も組合せに地雷がないだけで、シチュエーションとか物語の展開とかにはすごいめんどくさい地雷がある。
で。
本題に入るのだが、私はここ5年くらいずっと固定派になりたい。メチャクチャなりたい。
ライトな理由としては、ピクシブに投稿するときに楽だからだ(ぶちのめされそうな理由である)。
イラストを1枚ずつ投稿するのが主流の男性向けとは異なり、女性向け同人ではイラストや短編をかいたらまずツイッターにアップして、それがある程度の枚(本)数たまったらログとしてまとめて投稿、という形式が一般的だ。
この際にタグをつけるのだが、私の場合、普通にしているとタグがとっちらかってしまう。
あまりにいろんなカプをかいているため、つけるタグに死ぬほど悩むのだ。というか、あからさまに固定派には絶対的に優しくないログである。
検索避けのために、かいたカプは全部タグづけするか?とも考えるが、すぐに(全部1枚(本)ずつしかないのにタグをつけるのも、それオンリーのログを期待している人にとっては迷惑なのでは?)と思い直し、悶々としてしまう。
そんな訳で、もう3年くらい自分のピクシブアカウントにはオフ本のサンプルしかアップしていない。
正直に言おう。
本当に、本当に本当に羨ましい。
閑話休題。
非固定派は生きにくい。……いや、それだけでは言葉足らずだろう。
ひとりで楽しむぶんには、おそらく地雷が少ないほうがハッピー二次創作ライフを送れるのだろうと、私も考えている。なにせ見られないものが少ないし、それなら見ないようにする努力にパワーを割かなくて済む。
先日某字書き漫画がバズった際に見かけたツイートの中に、「我々は結局、趣味だからといって“社会”をやることからは逃れられない」という趣旨のものがいくつかあった。
そして、社会をやるためには、「何処かに属さなくてはならない」のである。
これが難しい。何せカプが固定出来ないので。女性向け同人において、どのカプを嗜好するかというのは、あまりにデカい“所属”なのである。
ツイッターのbioに「A×B」と表記することで、我々は取り敢えずの“所属先”を得て、社会に参入している。「ABの女」として。
これだけのことが本当に本当に難しくて、もう5年も悩んでいる。
実は5年前に持っていたツイッターのアカウントでは、「AB中心B受け」とbioに掲げていた。
当時は良くも悪くも素直なコドモだったので、界隈とは関係なく自分が何を好きかとか、AB界隈の雰囲気とかに疑問を殆ど持たなかったのだ。だからまあ……ピクシブで日夜CAやBAを検索して、ブクマもそこそこしていようと、自分は「AB中心B受け」の女だと思っていた。ツイッターでは本誌でBが活躍した話ではしゃいだり、ABの妄想ツイートをしたりして、楽しんでいた。そこになんの矛盾もなかった。
でも諸事情で一度アカウントを消し、1年くらいツイッターをやめた。
1年間ピクシブとカプサーチ(当時もうピクシブの時代だったが、ジャンル自体の連載開始がサイト時代だったので)で供給を得、自分も何本かかいてピクシブやサイトに投稿した。
1年後、ツイッターアカウントを新たに取得して、私は愕然とした。
私は社会に馴染めなくなっていた。
現在私は5年前と違うジャンルにいるが、良い出会いに恵まれ、ツイッターでは好き勝手な呟きをしている。
けど現在のジャンルは男女カプだから、BLではまた勝手が違うよなあ……とも思っているのだ。
なんでかというと、最近またBLカプにハマって、できれば交流をしてみたい、と感じるからだ。私も社会をやってみたい。
けど私は非固定だ。ABもBAも読む。どっちも好きだ。そしてAというキャラクターは、「攻めにしたい人と受けにしたい人の間には、相互理解は難しいだろうな……というレベルでの解釈の断絶がある」。
ちょっとぼかした言い方をすると、「いざという時頼りになる俺様攻めかエッチな年上受けか」みたいなものだ。平成の攻めが好きか、令和の攻めが好きか、みたいなモンだと思って欲しい。
固定派が多いのだ。
そして私自身、固定派の多いカプにハマるのもこれが初めてではない。
そのたびに両方の界隈を外から眺めては(入れないな……)とハナから諦めてきた。
ここ数年、即売会で本を2、3冊出してそのままジャンルを去る……みたいなことを何回か繰り返している。大抵私を挟んだ両隣はお友達である。まあ当然だし仕方ないが、普通に寂しい。
だけど今回は、社会をしたいのだ。私だって、コミュニティの一員になってみたい。交流をしたい。
固定しなくても社会がやれない訳じゃないとは思う。
でも固定派の方が圧倒的に社会はやりやすいのだ。所属がはっきりしているから。
しかし、それで自分にも他人にも隠しごとをしてABないしBAの村で生きていくのって……どうなの?と最近よく考える。人狼ってこういう気持ちなんだろうか。
本当につらい。
33歳になった近況報告→https://anond.hatelabo.jp/20201226180141
昨年にあった話。
学生の頃から10年以上の付き合いのある同じくオタクで腐女子の友人が3人いるが、久しぶりにみんなと会って自分がとても32歳とは思えない子供っぽさであることを思い知って恥ずかしくなった。
●私のオタ活
ずっとオタクだったが数年前に過去最高にどっぷりハマるジャンルに出会った。ゲーム原作でアニメや2.5次元など様々な展開のあるジャンルで、そのどれにもお金を使いまくった。ゲームへの課金、アニメ視聴、グッズを買い漁る、2.5次元に何公演も参戦する、2.5次元のグッズも買い漁る、2.5次元俳優自体にもハマる、様々なコラボ商品を買う等した。
二次創作も大好きで同人誌の大量買い、キャライメージアクセの大量買い、即売会参加もしていた。同人誌作家、同人アクセサリー作家、コスプレーヤーともツイッターで仲良くなり、オフ会をしたりそれはそれはオタクとして充実して楽しく過ごしていた。
その頃から友人達は子育てや仕事で忙しくなかなか全員で会うことができなかったが、昨年久しぶりに全員の予定が合い会うことになった。ここで私は自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなったのだ。恥ずかしいと思ったのは主にファッションやメイクに関すること、お金の使い方、落ち着きのなさの3つだ。
一番に待ち合わせ場所に着いた私はみんなを待った。最初に現れたのはBちゃん。そこであれ?なんか綺麗というか大人っぽいなと思った。次にCちゃん、Dちゃんが来たが、その時も同じようなことを感じた。
みんな容姿はごくごく普通という感じで特別可愛いとか美人てわけじゃないんだけど、雰囲気がとても綺麗になっていた。
その日のみんなのコーデは細かい色や柄は忘れたけど多分こんな感じ。何でそんなこと覚えているのかというとこの日が恥ずかしさの気づきの日で忘れられないからである。
Bちゃんはコート、ドルマンスリーブのカットソーにミモレ丈のスカート、黒タイツにブーティ、ハンドバッグ。ケバすぎないばっちりメイク、薄いピンクのネイル、小ぶりでシンプルなネックレスとブレスレット。
Cちゃんはジャケット、白シャツにストレートパンツ、ヒールパンプス、肩かけバッグ。濃いめかっこいいメイク、がっつり濃いネイル、大振りだけどデザインはシンプルなネックレスとバングル。
Dちゃんは唯一既婚子持ちだけど、ママって感じがしつつもオシャレだった。コート、膝下丈ニットワンピ、黒タイツにショートブーツ、大きめなオシャレなトートバッグ。ナチュラルメイク、トップコートのみっぽいピカピカネイル、結婚指輪と小ぶりでシンプルなイヤリング。
そして私Aはこうだ。
ダウンジャケット、ボーダーTシャツに着古したジーンズ、はきつぶしたスニーカー、サコッシュ。
薄すぎメイク(下地とフェイスパウダーのみ)、ボロボロの爪、、推しキャライメージのアクセサリー(イヤリング、ネックレス、ブレスレット、リングフル装備・同人グッズ含む)
三人の友人と比べるととんでもなくダサくてやばい32歳だ。なのにずっと自分はオタクなのにファッションに気を遣うしメイクもするオシャレさんだと思っていた。(やばすぎ)
服が適当なのにアクセサリーは着けられるもの全部着けてて、しかも推しキャラ二人分のイメージアクセだから色もデザインもバラバラで悪い意味で派手。うるさい。同人アクセとプチプラアクセしかないから子供のおもちゃみたいに見える。(同人アクセは本当にキャラのイメージを大事にして丁寧に作られた素晴らしい作品です。私の使い方が悪い)
服だって近所のコンビニスーパーやアウトドアを楽しむくらいならいいと思うけど今日は予めオシャレなカフェやレストランにも行くと分かっていたのにこれはいけないだろう。
メイクに関しては厚塗りすると毛穴の開きが分かるからナチュラルにするとか言ってほんとに薄くしか下地もフェイスパウダーも着けてなくて毛穴の開きも黒ずみも丸わかり。
眉毛は自眉がしっかり生えてるから描く必要ないと思ってた。でもみんなみたいに綺麗な眉じゃなかった。眉毛薄い子はしっかり綺麗に自然に描けてるし、私と同じく自眉がしっかり生えてる子でも、形を整えて長さを調整して、足りないとこは描いて、私みたいなゲジゲジじゃなかった。
リップは元の唇の色が赤いからリップクリームでツヤ出すだけでいいと思ってたけどそんな綺麗な赤でもなかった。くすんでる。
どんどんあれ?私超ダサい?子供っぽい?あれ?という気持ちが大きくなって恥ずかしくなってきた。みんな優しいからダサいとかそういうこと全然言われないけど勝手に恥ずかしくなってた。
●第2の気付き~お金の使い方~
その時にみんなの今好きなジャンルやオタ活の話をした。上記で書いたようなオタ活の話をすると、みんなはすごいね~と反応してくれる。
同じくグッズやゲームに課金しまくってたBちゃんは「Aちゃんすごいね~私はもうそんなにできないかな。通院してるし親も歳だし何があるかわかんないから程々にしてる。他にもお金使いたいことあるしね」と言った。
Cちゃんも「分かる~何か前は出されるグッズは全部買わなきゃ、イベントは全部参加しなきゃって必死になってたけど将来のこと考えて貯蓄するために程々にしてみたら案外苦じゃなかった」と言った。
Dちゃんは「私も今は子供優先だから気になるアニメを見るくらいかな~」と言った。
BちゃんCちゃんは未だにゲームに課金もするけど推しにだけだし、推しを手に入れられなくても最初に設定した金額で出なかったら撤退するし、グッズはよく考えて本当に欲しいと思うものだけを、イベントは無理しない程度で行けなかったら円盤を買うとか、とても落ち着いたオタ活だった。
それに対して私は「へ~ちゃんと考えてるんだね。私なんかもう推しに夢中すぎてさっき言ったみたいなのがやめらんなくて貯蓄なんてないよwwwカードあるから未来の自分に頑張ってもらってる!wカードの締め日が来たらまた新しいの買うんだ~!^^」と言った。ウケ狙いで、みんな笑ってくれるだろうなと思って。
だがみんなちょっと引いたみたいな苦笑いをした。「すごいね…」と。そこでやっともしかして私のお金の使い方やばいのか?と気づいて、それを笑い話として嬉々として話した自分に恥ずかしくなった。でもみんな優しいから、好きなことに全力でいきいきしてるねとか言ってくれる。泣きそうになった。(優しさと恥ずかしさで)
でも少し考えて、もしかして馬鹿にされてんのかなと思った。私はオタ活にお金使うから服も化粧品もイベントやオフ会の時くらいしか買わないしどれもプチプラばかり、みんなは服や化粧品にもお金かけてそうでオタクにお金使わなくてもそっちに使ってんじゃんとちょっとムッとした。(最悪)
みんなにそれとなく今日のメイクとファッションいいねって言ったら使ってる化粧品や着てる服の話になった。みんな別に全身ブランド物とか全身高額品てわけではなくて、プチプラと高額品をバランスよく使っていた。プチプラの服でもきちんと手入れしてきちんとアイロンかければよく見えるし、化粧品もスキンケアやベースメイクはデパコスでアイメイクやリップはプチプラとか考えられてた。どうせ金かけてんだろ、金かけりゃそんくらいにはなるよねとか嫌味なこと考えた自分が更に恥ずかしい。
Cちゃんは一時期毛穴の開きと黒ずみに悩んでいると言って、一緒に悩んでいた。(会えない間もツイッターやラインでは話してた)Cちゃんはとあるデパコスのカウンターで肌を見てもらい、いいスキンケアに出会えたのだと言った。
ツイッターで嬉々としてこれいいよ!(ドヤ)とプチプラ化粧水を投稿していた自分が恥ずかしくなった。ツイッターでバズったプチプラのものだけを試しまくってちょっとしか改善されなかったのをドヤ顔で投稿していたのだ。そのプチプラのものだって悪い商品じゃないし合う人には合うのだろうけど、私は自分がどういう肌かもよく理解してなくて、とにかくバズった色んなプチプラのものを試してどれも効果は出なかった。
Cちゃんは20代の頃はとあるプチプラのものが肌にすごく合っていて大好きだったけどだんだん合わなくなって、本当に肌を綺麗にしたいと思ってお金をかけた。なのに私は毛穴消えない消えないとうだうだ言いながら、若い頃と同じことの繰り返しでお金も使わなかった。使うお金がなかった。とても情けなかった。
Bちゃんも同じような感じだったし、Dちゃんは今は昔ほどお金使えないし子育て忙しいからオールインワンになっちゃってると言いながらもデパコスまでとはいかないがそれなりのものを使っていたし綺麗な肌をしていた。
この話題がだんだん辛くなった頃(自分からふったくせに)、レストランを出て買い物に向かった。アニメショップで私は大量買い、みんなは1つだけ買うか買わないかだった。
その後みんなは化粧品や雑貨をいくつか買っていたけど私は何も買わなかった。欲しいものがなかった。というのは強がりで、本当はお金がなかった。アニメショップで使ってしまっていた。
最後にカフェに行くことは決まっていたので、そこで使うドリンク1杯分くらいは絶対に残しておかなければならない。また情けなさと恥ずかしさに襲われた。ATMで下ろすのもなんだか恥ずかしかった。
●第3の気付き~落ち着きのなさ~
そして最後に予定していたカフェに来た。私はコーヒー1杯くらいしか頼めないけどみんなはケーキも頼むだろうか、みんなケーキを頼むのに一人だけ頼まなかったら感じ悪いかなとビクビクしていた。みんなそんなの気にするような子じゃないのに。結局みんなドリンクだけでホッとした。
今度はファッションや金銭感覚のことで恥ずかしさを感じたくなかったので推しを語ることを自ら提案した。
私「推しがね~もう最高で!かっこいいし可愛いし!もう推しのことしか考えられないw夢も腐も好きだからもう大変w推しは普段は超可愛くてやばいんだけど、シリアスではっこよくて頼もしくて~wギャップがもうたまんないの!エッチだし~!シリアスのときの色気がはんぱなくて素敵なのwキャッキャキャッキャ!」(小声ではある)
Bちゃん「推しは一見性格悪そうに見えるけどほんとは優しくてそれが隠しきれない子なんだ。その優しさが好きなの」
Cちゃん「推しは天然なんだけど自分のことキレものだと思っててそこが可愛いんだよね」
Dちゃん「私は最近推しって感じの人はいないけど最近みたアニメのあの人がかっこいいなって気になってるかな」
お分かり頂けただろうか。
私の落ち着きのなさ、テンションの高さ、子供っぽさ。私は本当に「!」とか「w」とか着いてるみたいなテンションで喋る。この文章もなんとかぶっきらぼうな感じでテンションを抑えようと必死で書いてる。本当は「w」いっぱい着けたい。
みんなも学生時代とか20代前半くらいまではこんな感じ…だったと思うけどすっかり落ち着いている。誰か一人としか会えなかったときは、相手が落ち着いていても気にならなかったのに、4人で集まったら私だけ若い頃のテンションのままで急に気になり始めた。
ツイッターやラインでもみんな「!」とか「w」とか絵文字やスタンプが減っていっていたけどそれはあくまでSNS上でのことだったので全く気にしてなかった。
ジャンルで仲良くなったフォロワーの方がリア友より圧倒的に人数が多かったし、その人たちとはハイテンションで話していたからというのもあったと思う。
ジャンルで仲良くなった人たちは20代前半~半ばの人が多くて、みんなテンションが高くて自然と私もそうなっていったというか、そういう人に囲まれていてみんなが自然に落ち着いていく過程を歩まなかった。
若い子とキャッキャキャッキャハイテンションで推しの尊さとエッチさを語り、鍵垢なのをいいことにおちん〇ん!お〇んちん!と叫びまくっていた。他にも色んな下ネタ沢山。
実際会って遊んだフォロワーには「Aちゃん全然32歳に見えない若くて可愛いよ。小さい子みたい」とか言われて、私まだまだ若いんだ~!と喜んでいたし、「もう、私小さい子なんかじゃないよぅ(o`з’*)32ちゃいの大人のお姉さんなんだからね!みんなよりとちうえなの٩(๑òωó๑)۶あたちセクシーボインな大人のお姉さん!(๑ơ ₃ ơ)♥」とリプを送っていた。
フォロワーは本当に若いと思って褒めてくれたのかもしれないけど、言動が幼稚なところと、薄すぎる化粧と手入れされてない髪や爪、チープな服や持ち物が垢ぬけてなくて年齢不詳の子供おばさんぽくてそう感じたのかもしれないと震えた。
フォロワーと空リプで会話してよちよちぎゅっぎゅしたり、さっきみたいな私大人のお姉さん♥みたいなことを沢山言ってたし、昔若い頃ツイッターではよく見られたような、フォロワーと仲良しなアテクシアピールみたいなやり取りを未だに続けていたのだ。
久しぶりに同い年の友人と会って本当に本当に恥ずかしくなった。
考えなしに推しにお金を使いまくることも、ファッションのことも、テンションのことも、決して悪じゃないし、それが楽しくてずっとやり続けるんだって強く思ってる人はそれでいいと思う。でも私は自分の現状がとても32歳には思えなくて恥ずかしくなってしまった。どうにかしたいと思った。
どうにかしたいと思ったのに私はまた推しにジャブジャブお金を使い、着古した服ばかりを着て、フォロワーとハイテンションで話している。その時は楽しいのに、夜一日の行動等を思い返すと恥ずかしくて死にたくなる。
今度友人に相談してみようか。そしたら変われるだろうか。
~追記~
読んでくれた人たちから様々な意見が出ていたけど、これは『変わりたいと思った自分』の話にすぎない。
もう話題に上げる人も少なくなったみたいだけど、ちょっと進展があったので追記する。
進展というより変わろうと決めた段階だが。
長くなりそうなのでまずは簡潔に。
これを書いたのは自分だと友人にバレた。正確には自分からバラした。
そして相談したりみんなの話を聞いて変わろうと決めた。
詳しくは下記
●投稿後
バズるなんて思ってなかったから、フェイクは入れてたけどバレるんじゃないかと思った。勝手に色々書いて友人を誤解されるような書き方もあったかもしれないから申し訳なくなった。(前にも書いたが友人は自分のファッションや振る舞いについて言ってきたことはない)
友人がこれを読んだのかどうか分からなかったが、自分が書いたと言うか言うまいか悩んだ。
悩んだ結果、謝罪をしたいしやっぱり変わりたいという気持ちもあったので友人たちに声をかけてスカイプをすることになった。
フェイクの為に存在を消してしまっていた友人Eちゃんも呼んで。
32歳腐女子って知ってるかと聞くと、知ってたり知らなかったりだったので知らない人には読んでもらった。そして書いたのは自分だと打ち明けた。
みんなはよく聞くような話だしフェイクも入ってるから分からない、そもそもこんなバズる記事を友人が書いてるとは想像もしなかったそう。そういうものか。
で、勝手に書いたことを謝罪すると、個人が特定できるようなものじゃないし悪口を書かれたわけでもないし怒ってないと言ってくれた。
Bちゃんはミモレ丈が何したっていうんだと笑ってくれたし、Eちゃんも抹消するなんて酷いじゃん~と笑ってくれた。
●変わりたいのか
Dちゃんは子供さんが起きてしまったので離脱したがそのままスカイプは続いた。
合わせたいだけなのか本当に変わりたいのかと問われて、よく分からないけどあの日すごく恥ずかしく感じたしそれと同時に素敵だな、いいな、ああなれたらなとは思ったことを伝えた。
●具体的にどうするか
色々話して、テンションや下ネタ発言は鍵垢だしいいんじゃないかと言われた。みんなツイートする気力がないだけで頭の中では常に推しと推しがおちん〇んフィーバーしているらしい。
ただお店なんかで小声で話してるつもりでも案外隣のテーブルには聞こえてたりするからもう少しボリューム下げた方がいいかもとアドバイスをもらった。
あと小声でも身振り手振りがけっこう激しいらしい。これは全く気付いてなかったから聞けて良かった。
カラオケとか個室、こうしたスカイプなんかではテンション上げて語ろうと言ってくれた。ツイッターではしゃいでるの楽しそうで微笑ましいとまで。
ファッションを変えたりメイクももっとしてみたいとなったが、何せ金銭的に厳しいのでまずはそこを解決するといいかもという話になった。
前はここまで派手にお金使ってなかったのにどうしたのかと聞かれ、確かにと思った。
ただ運命のジャンルに出会ってしまっただけかもしれないが、ハマってしばらくして急にお金を使いだした印象だと言われた。
今は仕事が減ったりしてないみたいだけどこのご時世だし災害もあるしどうなるか分からないから本当に貯蓄0だったら今後困ることもあるかもと心配してくれた。確かに少し怖かったが気付かないふりをしていたところはある……
よくよく考えてみると、フォロワーが言ったのかRTで見たのか忘れたが、「課金してジャンルを支えなきゃ」「課金してこそ愛」「推しは無限回収するもの」といった趣旨のツイートを見て、そうかそうだよねもっとお金使わなきゃとお金を使い出したような気がする。
勿論そういう考えも大事だしできる人はどんどんやったらいいと思うが、自分はいるいらないとかよく考えず反射的にグッズ買うし、何個も同じ物を買ってる。既に何個も持ってるグッズをアニメショップで見かけたら「自分に買われるのを待っていたんだ」と思うし、それがブラインド商品なら「これで推しが引けたら運命」等と言ってとにかく買っている。(運命とは)推し以外のガチャにもじゃぶじゃぶ突っ込んだりするし。
買っただけで満足してダン箱に入ったままで積み上げられた物も沢山ある。(倉庫かな)
一番付き合いの長いBちゃんは「Aちゃんは良くも悪くも素直というか流されやすいとこあるしね」と言った。そうかもしれない。
本当に自分が納得してお金を使っているのならいいけど、少しでも負担に感じたり、周りがそうだから自分もという気持ちで使ってるなら一度よ
秀才字書きと天才字書きの話、綾城さんの立場だった私の話をさせて欲しい。
そんな私はあの漫画を読んで、綾城さんもきっと大変だろうと同情してしまった。
私の経験からの意見なのだが、友川さんや七瀬さんが例え綾城さんにリプなどで直接好意を示したとしても、私なら気持ちは有り難く受け取らせて頂くものの、彼女達と仲良くしたいとは思わない。
というのも、友川さんや七瀬さんの様な人と関わるとクソデカ感情に巻き込まれ、事故に遭う確率が高いからだ。
過去、私が綾城さんのポジションになり始めた頃、作品投稿や即売会の度にFF外から積極的に好意を示してくれるAさんが現れた。
その当時まだ警戒心など無かった私は素直にこちらからもフォローを返し交流する事になった。
Aさんは私を神と讃え、私の作品に毎回熱い感想を伝えてくれ、友人とも私の作品について熱く語るのだと教えてくれた。
私はそんな彼女の反応を有り難く思っていた。
そんな中、ある日Aさんに同人誌にゲストで作品を書いて欲しいとDMを受け取った。(Aさんも書き手だった)
私はいつも熱い反応をしてくれるAさんのお礼になるならと、作品をしたため、お渡した。Aさんはとても喜んでくれた。
その後献本の為に住所を教えて欲しいと連絡が来たので深く考えず伝えたのだったが、それがいけなかった。
彼女は献本の後も、個人的に私へのプレゼントや自身の同人誌を私の住所に勝手に送ってくるようになってしまったのだ。
まさか住所を私的に利用されるとは思わず、そういう人から身元を知られている怖さから、そのジャンルからは引退してしまった。
また他ジャンルでは、それまでは私の作品を好きだと言ってくれ、仲良く交流していた書き手から嫉妬に狂われた事もあった。
彼女をBさんとする。
Bさんと私はお互い切磋琢磨しあえる書き手同士として仲良くしていたのだが、私の作品がバズってフォロワーが増えるにつれ、段々と彼女の態度が変わっていった。
私が作品を投稿する度に彼女は自分の力の無さを嘆く病みツイートをするようになってしまった。
(私に対する直接的な表現は無かったのだが、毎回タイミングが余りにも合いすぎていたので、私が原因なのはまず間違いないと思う。)
(当時自意識過剰じゃないかと何度も自問自答したが、数年経って改めて振り返るとやはり似ていたと思う)
更には彼女のTwitterは仕事や恋人等の話題で周囲にマウントを取るような呟きも増えてしまった。
辛くなった私はまたしてもアカウントを削除した。
綾城さんの立場になるとクソデカ感情をぶつけられる機会が増えるので、おけパパ中島さんのように本人と作品を切り離して見てくれる存在がとても有難くなる。
勿論多数の方から褒めて貰え、感想を頂けるのは嬉しいし、いつだって素直に有難いと思っている。
私の作品を好きだと言って下さる方が全員この様な面倒くさい人ばかりだとも思っていない。
けれど過去にそういうクソデカ感情の地雷で足を吹っ飛ばされた経験が何度もあると、どうしたって人付き合いをする時に友川、七瀬さんタイプの人を警戒したり、おけパ中島のような安全そうな相手を選んでしまうようになるのは許して欲しい。
派手に列ができる訳ではないが1冊も売れないわけではない、普通レベルの楽しみ方をしていると思います。
さて、特に神でもない自分ではありますが、ありがたいことにいつも声をかけてくださる方などはいます。
お手紙をくださる方、リプライを送ってくる方、匿名ツールでメッセージを送ってくれる方とコミュニケーションの形は様々です。
そんな中、匿名ツールで「昨日○○で××さんをお見かけしました。私も○○が好きなので趣味が似てて嬉しいと思いました!」「××さんってもしかして△△大学の方ですか?すごく似た方をお見かけしました!もしそうでしたら近所の〜〜」といった旨のメッセージをもらったことがありました。一度ではなく何度かです。匿名ツールなので送ってくださった方が複数か一人かすらわからないのですが。
もし、名前を明かしてそのメッセージを送ってくれたらあなたとは趣味が似ている友だちになれたかもしれませんし、同じ大学の学友だったかもしれません。あなたも純粋に共通点を見つけて嬉しい気持ちを伝えたかったのだということはなんとなく分かります。
しかし、匿名ツールで送られてきたその言葉からの印象は知らない人から日常生活を監視されているという不気味さのほうが強く、ただの人でしかない私ですら外に出るのが怖くなってしまいました。冷たい言葉で言えば「放っておいてくれ」です。
同人作家はペンネームでこそありますが外見を晒して作品を頒布しています。そして、スペースに立ち寄る人も即売会であればだいたい外見を晒しています。
特段記憶力がいいわけではないのですが、何度も顔を合わせていれば個人名まではわからずとも常連さんくらいの認識は可能です。
頒布している側でこの程度なので、もしかするとスペースをめがけてくる方はポスター以外にも作家の外見を目印にしている可能性はあります。
顔を知られること自体には特に抵抗はありませんが、芸能人でもない普通の生活をしている人間にとっては知らない人から監視の目を向けられているという事実はそこそこプレッシャーになりうると思いました。別にストーカーなどではないし、相手は自分に危害を加えたいわけではないにしても、気持ちがいいものではないのです。
即売会や声優さんのイベントであれば事前に「〜〜に行きます」などとSNSで発信していることもあるので、ある時間にどこかに居るということが他人に知られており、見かけられる事自体はありうると思います。
匿名でもものを伝えられるのは素晴らしいと思います。しかし、見えない相手から向けられる感情ってたとえ好意であっても、必ずしもポジティブには捉えられないことと、自分がその立場に立ったときにどう感じるかを少しだけ、考えて送ってもらえたら嬉しいなと思いました。
という言葉をこのように匿名の場でお伝えすることになるのは複雑ですが、私も匿名で物を伝える気持ちを知りたかったのかもしれません。
同人誌、中でも「評論」と呼ばれるジャンルが好きで(二次創作や肌色系も大好きですが!)、ネットや即売会で目についた本はとりあえず買っている。
その時に買わないと二度と手に入らない(場合が多い)のが同人誌だ。
昨年の夏コミで手にした数冊の中に、ちょっと変わった本があった。
いや評論系の同人誌は基本的に全部変わっている本なんだけど、その中でも特殊な輝きを放っていたのだ。
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い か
生 活
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と、書かれているのみ。
そして売り子は若い女性の二人組だ。
ちょっとキョドりつつ見本誌を手に取ってペラペラをめくってみると、とにかく「いかの同人誌」らしいことがわかった。
イルカなら、あるいはタコならまだわかるけれど、なぜイカにした。
久しぶりに私にとってのヒット作かもとニヤニヤしながら購入。
リュック一杯の戦利品を背負って聖地から家の近くにあるサイゼリアへと移動し、この場で読んでも通報されないであろう本を数冊出す。
即売会から直行したファミレスでの読書は、私にとっての憩いの時間である。
最初に読んだのは、「いか生活」だった。なのでイカ料理を注文。
発行は日本いか連合、編集長は佐野まいけるさんという方で、どうやらイカの専門家ではなく、アマチュアのイカマニアらしい。あの売り子さんのどちらかなのだろうか。
同人誌の内容は、10人くらいのイカ好きが、それぞれの立場からイカの魅力だったり、イカとの思い出だったり、イカへの想いだったりを綴った合同誌だった。
イカの本というよりは、イカ好きの本という感じだろうか。イカと共に生きる人の紹介だから「いか生活」なのかな。
この本のおかしいところは、同人誌をこれまでに何冊か作った上でイカの本も作ったのではなく、イカが好きすぎて初めて同人誌を作ったっぽいところだ。別にそうだとは書かれていないけど、これまでたくさん同人誌を読んでいるので、肌感覚としてなんとなくわかるのだ。それにしては完成度がやたらと高いけど。
「頭足類」という言葉を覚え、世の中にはこんなに多種多様なイカ好きがいるんだねと満足して本を閉じた。
そしてつい先日、「いか生活」の続編であるvol.2が発売されることを知った。
え、vol.2って。そういえば前回の本にvol.1って小さく書いてあってけど!
おもしろいテーマであれば、多少内容が雑でも売れることがある。だが逆にどんなに内容が充実していても、人を引き付けるテーマでなければ売れない世界。
イカがマイナーかどうかは微妙なところだが、同人誌のテーマとしてはマニアックだろう。
これが「ねこ生活」とか「ことり生活」といったキャッチーな別テーマの横展開だったら、たぶん10倍売れるはず。ファン数の分母が違うのだ。
そして一番売れないのが、マイナーなテーマの続編である。絶対やっちゃダメ。そもそも続編を買うのは、ただでさえ少ない一号を買った人の中の、その一部の人だけなのだ。
おそらくそんなことは分かった上で(そしてたくさんの人から同じことを言われた上で)、あえてイカで続編を出したのだろうという心意気に胸を打たれ、発売日に購入させていただいた。
もしかしたら前号で全力を出し切ってパワーダウンしているかもと思ったが、これが明らかにvol.1よりも面白くて驚いた。
前回のテーマが「イカを愛する人」だったのに対して、今回は「解剖」である。イカそのものに対して、マニアックに鋭く切り込んでいる。
そしてその執筆は半分以上、いや8割くらいが編集長の佐野まいけるさんによるもの。おそらく前回たくさん参加者がいるために押さえていた部分を余すことなく吐き出したのだろう。
最初の記事はスルメイカの解剖マニュアルなのだが、なんと6ページにわたってみっちりだ。
そんなにイカが好きなのかと驚くと同時に、こちらがイカを知ることでさらなる疑問が湧き、なんならもっと詳しく!ここどうなっているの!もっと教えて!って問い詰めたくなる自分に驚いた。たぶん近日中に新鮮なイカを買ってきて、この記事を読みながら解剖する気がする。
まさかイカを「料理しよう」ではなくて、「解剖しよう」と思う日がくるなんて。
そして解剖をたっぷり堪能した後に来るのがイカ料理のおいしそうなレシピ集。そうきたか!
ここまででもうこの本を買った代金分を楽しんだ気もするが、次もすごかった。なんと島根県の水族館?でおこなわれた、ダイオウイカの解剖というイベントレポートだ。
専門家による公開解剖を、イカマニアがレポートすることで、イカの知識が人並み程度の私でも、その希少性と臨場感が伝わってくる。
いや、一番伝わってくるのは佐野まいけるさんの興奮か。その道のプロ(憧れの存在らしい)から学ぶ喜び、楽しさが詰まった解説は、イカヲタらしく専門用語(読み方すらわからない漢字多数)をバンバンと早口の文字で詰め込んでくるハイテンションモード。そうだ、私が同人誌という媒体で読みたかったのは、この圧倒的な熱量なのだ。
そして次のページは、まさかのダイオウイカの試食である。どうやらこのイカ好きにとって、解剖と試食はセットらしい。
食べた部位は漏斗牽引筋(どこだよ)で、その味は「不味さの永久機関」だとか。
とにかくまずいらしく、でも貴重な体験だから記録として残したいし、どうにかして肯定的な評価をしたいという願望から、すごい情報量でまずさを嬉しそうに熱く伝えてくる謎の食レポとなっている。
ようやく食べられるように加工した結果に対する「ぼったくり居酒屋の生ハム」というコメントが最高だ。
「或る解剖者の手記」という作品では、官能小説(それもかなりの上級者向け)ではと勘違いするような赤裸々な感情を綴った解剖の日記を書き、次のページではサンシャイン水族館の方への真面目かつ楽しげなインタビューで、ここでしか読めない話を一般人でも「へー!」と楽しめるレベルでうまく引き出している。一冊の同人誌の中で、文章の種類をテーマごとに書き分けているのが何気にすごい。
そんなこってりとしたイカ情報の合間には緩急をつけるかのように挿入されているのが、vol.1から続く、イカ好きの多様性の紹介である。
カミナリイカをテーマにしたカクテル、イカのオリジナルソングの解説、イカ好きあるある、イカの墨や甲を使ってイカを描く作家さんの取り組み、イカのアート作品など、濃厚な文章で酸欠になりそうになったところで、ようやくこれらが息継ぎをさせてくれる。
久しぶりにすごい同人誌を読んだ。
まー、イカの本なので、こういうのは、好みは分かれると思います、きっと。
痛バ地雷です。
ツイステも地雷です。
痛バの話というよりはただの愚痴ですし、ツイステッドワンダーランドが好きな人への配慮もありません。
Twitterに書けない愚痴を壁打ちしていきますので傷つきたくない人は読み進めずブラウザを閉じて頂きますようお願い致します。
(パークがオープンする前に好き勝手壁打ちしてしまおうという魂胆です。)
まず、私はテーマパークで働いていました。
東か西か、具体的な年数など特定に繋がりそうなものは伏せたりフェイク入れます。
また、Dではゲストやキャストという言葉も使用しますが、D好き以外の人に読まれる可能性と分かりやすさ優先として「お客様」「スタッフ」で統一します。
痛バについても今回はひとつのトートバッグに大量にグッズが付いているものを想定して書きます。
たまたまTwitterで「ツイステの痛バをパークで見たくない」「禁止されていないから持っていってもいいでしょ」というようなツイートを見かけました。
法律で禁止されていないという内容もあったような気がしますが、反射的にブロってしまったのでうろ覚えです。
痛バは確かにどこも禁止されていません。というより、そんな細かいことを一々禁止する訳がないんですよね。
(そもそも、野鳥への餌やり行為が禁止されているにも関わらずポップコーンを撒き散らす人が絶えない時点でお察しなんですよね。ルールを読んだことのない人多いと思います。)
なぜパークでは痛バを持ってきてはいけないという意見があるのか。
これは、パークをどのような場所として見るかで変わってくると思います。
パークは公共の場所です。コミケなどの即売会や特定の作品のイベント会場のようなオタクしか集まらない場所ではありません。
老若男女、非常に多くの人が集まります。多くの人が思い出を作りに来ています。オタクはその中の一部にすぎません。
「痛バを使用するのはイベントのみ」「電車での移動でも隠すべき」という人はわかってもらえるかなと思います。
Dではぬいばの痛バ(ぬいぐるみバッジを大量につけたものなど)を見かけますが、あれも正直好ましく思っていません。
作品が好きな気持ちは数ではありませんし、テーマパークは好きな気持ちを周りに見せてマウントをとる場所ではなく世界に入り込んで楽しむ場所です。
痛バをファッションの一部のように使われてる人もいるかもしれませんが、はっきり言ってめちゃくちゃ浮いてます。
(小休止。下書きは一応ありますが修正したい部分があるので続きは後ほど。ぬい撮りもコロナ予防でやめた方がいいとは思うけど…フォトスポットどうなってるかな。)
好きな同人作家がいる。
カップリング二次創作の小説サークルをやっている人で、交流はない。無記名式のメッセージフォームに何度か短いコメントを送ったことはあるけど、認知はされていないと思う。
数年前この作家が即売会に出席した。スペースに向かうとオタクらしい服を着た女性がいた。すっごいおっぱいがでっかい。
金を払い、本を受け取り、その場を離れた。500円玉の代わりに手元にやってきた、100ページ超の文庫本は、分厚い紙を使っているのか、やけに重かったが、正直なところその本の内容より、作家のことが気になってしまっていた。作家はおっぱいが大きかった。巨乳だった。
ブラウスの裾をスカートだかワイドパンツだかにしまっていたので胸が強調されて見えただけかもしれないけど、とにかくおっぱいがでけぇなという印象が強かった。強すぎて、好きですとか、応援してますとか、頑張ってくださいとか、そういう当たり前のことを何も言えなかった。
同人誌は面白かった。作家がウェブ上で公開しているSSも面白い。ツイッターは時々狂うけどまぁ解釈は近い。そのままその作家を追った。
その後も作家は何度か即売会に出席したので本を買った。必ずおっぱいを見た。作家はフェミニンな服を着ることが多くて正直胸が浮いていた。だから目が向くんだろうと言い聞かせた。
あるとき、作家のツイッターアイコンが真っ黒になった。オタクはジャンルで喜ばしくない(或いは喜ばしい)動きがあるとアイコンを単色にしたり、スクリーンネームを「無理」とか「しんどい」とか「墓」とかに変えたがる。作家の場合はどうも、よろこばしくないパターンのようだった。
作家はツイッターアカウントを消し、ピクシブアカウントを消し、倉庫として開いていた個人サイトを閉鎖した。
作家の作品が読めなくなるということよりも、作家が即売会に出席しなくなること=作家に会えなくなることが心配だった。正確には、作家のおっぱいが見れなくなるのが嫌だった。見たいだけで、触りたいわけじゃないんだけど、だからこそ見れなくなるのは困る。
少しして、カップリング名でパブリックサーチをしている時にたまたま転生アカウントが目に入り、再び作家の動向を把握できるようになった。
作家はあけすけな物言いをするようになっていたものの作品の傾向に変化はなく、即売会への参加にも前向きだった。またスペースへ行き、本を買い、おっぱいを見た。
その時は今までとは違ってボーイッシュな格好だった。Tシャツにパンツにカーディガンみたいな、ラフな感じで、あまりおっぱいは目立っていなかった。それで余計におっぱいへ意識が向いてしまう。そろそろバレてるだろという気もしたけど、オタクは基本人の目を見て話さないし、下ばっか向いてるもんだから、多分大丈夫だったと思う。
で、この作家がまた病んだ。病んでまた全部消した。今度はどういうワードで検索をかけてもそれらしいアカウントを見つけられなかった。非公開のアカウントを作ったのかもしれないし、ツイッター自体やめたのかもしれないし、そもそも二次創作から撤退したのかもしれない。
とにかく作家のおっぱいを見ることが出来ない。作家のおっぱいが忘れられない。秋にジャンルのオンリーが開催される予定なので、作家がそれに参加してくれれば良いのだが、今のところ出来ることは「祈り」しかない。
別に恋愛感情を抱いているわけでも性欲の対象として認識しているわけでもないのだが、どうしてもあの作家のおっぱいが気になってしまう。もう一回見たいし、できればどうにかして忘れたい。
それが創作性を持つのかは別として、スマホアプリというのも同人的に作っている人が多いジャンルだと思う。ゲームだったりツールだったり、色々なサービスの野良アプリだったり。(一昔前にはTwitterクライアントが雨後の筍のように生えていた)
無料で広告も付いていない、企業の後ろ盾もない、ただ作りたい人が作りたいから作った、という点では同人と言えると思う。
ただ、スマホアプリなので即売会なんてものはなく、AndroidならPlayストア、iPhoneならAppストアに普通の企業製アプリと一緒に転がっている。
そんな同人アプリは、星の数ほどあるスマホアプリの中からどうやって探されるのだろうか。
大多数のユーザーは、ストアで検索して一番上のアプリを選んで終わりだ。中身なんて大して気にしちゃいない。では一番上のアプリはどう決まる?DL数と評価だ。
星1から星5までの5段階で選ばれるあの評価だ、と言われてもピンと来ない人も多いだろう。なぜなら、誰も評価を付けないからだ。自分の4桁DLのアプリの評価数は10個以下。まあこれは当たり前の話で、使ったアプリをわざわざ評価なんて誰もしない。アプリを好きになったり感動したりする人間は変わり者だ。
しかし、いつもは評価を書かない人間が評価を書くことがある。アプリが使えなかった時だ。
アプリが使えない、そう一口に言っても色々な原因がある。アプリのバグだとか、ユーザー側のスマホが古いだとか、ホーム画面設置型のアプリをダウンロードしたのにホーム画面に置いていないだとか。
「アプリが使えない」と星1のレビューが付くと、アプリ作者はすぐに飛んでくる。平均評価が下がるからだ。平均評価が下がると検索ランクが落ちるし、星4以下のアプリは露骨にインストール率が落ちる(気がする)。
「アプリが使えないということで、ご不便をおかけして申し訳ございません。もしよろしければ、ご利用の機種と詳しい状況をお聞かせください。」平身低頭だ。ユーザーは神様。問題がなんとか解決すると、ユーザーは星1のレビューを星5とか星4にしてくれる。平均評価は守られる。一件落着。
まるで不具合解決クエストだ。成功すると評価が保たれ、失敗すると下がる。健全か?これ。
アプリ開発は間違いなく楽しいからやっているのだけど、字書きとか絵描きとかになりたかったな、とたまに思わなくもない。
蛇足だけれど、スマホアプリに高い評価を付けて喜ばない作者はいない。そのぶん星1レビューへの耐性が増えるから。中身は気にしてないけど、デザインを褒められると少し嬉しい。
そもそもが収益化が相当難しいものであり、先行でうまくいったものの真似ばかりになるからじゃなかろうか。
あとVtuberはオリジナルだからかなり早くから企業が入ってくる。Vtuberは一応は流行なのでちょっと目ざといものを見つけたらすぐ食らいつかれて、企業の理屈での行動を強いられる。
そもそも裏で企業がやってたりする。そうするとますます確実な収益化が求められる。確実に収益化を狙おうとするとそれこそ先行の真似事ばかりになってしまう。
民話に「ひよりみどん」ってのがあるんだわ。ひよりみどんは不潔だったが天気を当てられるという特徴があった。だけどもそれを聞きつけた役人たちがひよりみどんを殿さまに見せようとした。
だけど不潔だったために洗うわ、着飾るわをした。その洗うわ着飾るわの過程でひよりみどんは能力を失ってしまった。Vtuberが似たものばかりになるのは、企業が洗うわ着飾るわした結果にもみえる。
その点即売会で売れればそれで簡単に収益化できるし、売れなくてもまあ楽しかったですむ各種ガイドライン有りコンテンツ二次創作と違うところ。
二次創作オタクの道に迷いこんでから、人生の1/3くらいになる。インターネットでは小説らしきものを書き散らかしていたが、同人誌は買うものでしかなかった。
「同人作家には感想を送るといい」という言葉を素直に受け取って、ありがたく読んでは神々に感想を送っていた。全員ではなかったが、買う時点でセレクションをかけていたのもあって半分以上の本には少なくとも原稿用紙1枚相当以上の何かしらをお送りしていた。
それからしばらくして、はまり込んだとある界隈、ある推しカプの威力があまりにも凄まじかった。私はとうとう読み専を卒業し、同人誌を印刷することでサークル参加デビューを果たした。それが、1年程前のことだった。
初めてではあったが、本自体はなんだかんだ出せた。だが、同人活動はそこから先こそが試練だったということを、知らなかった。
最初の本を刊行するのにかかった時間は4ヶ月程。平日は仕事の後、休日は日中の半分程度、原稿に時間をコツコツと割いてきた。そのおかげで、人生で初めて出した本は文庫だが200pを越えたし、まあまあ満足するものができた。そんな本が印刷され、世に出たことによって、自分の想定程度には売れた。だが、感想はほとんど来なかった。
正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。しかし、それ以外の、いわゆる同人仲間やフォロワーからは来なかった。
自分が同人誌を読み捨てるタイプのオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。
だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。通話しながらあつ森やポケモンではわいわい楽しんでいたフォロワーは、本は買ってくれたものの「良かったですよ」の一言すら来ない。こっちは付き合いも兼ねて読んで感想を送っているのに……と、最初の感想が来るまでは恩着せがましい感情まで抱く程、ダークサイドに落ちかけた。
私一人が書いていた量よりも、自分で本を出版してもらった感想の方が少ないなんてことがあるのか。自分が良かれと思ってしていた経験に復讐されるなんて、そんなのひどくないか。その思いに苛まれつつ、今日もイベント中止にも負けず本を出してくださった方に感想を書いている。
ただ、この増田で書きたかったことの主題は、むしろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。
このジャンルを仕切るいわゆる同人ガチ勢がいかにも「わたしら誇り高き同人サークル、インターネットの木っ端とは違うんですよ」みたいな面を下げていながら、同人誌に対する感想についてはサボりまくっていることを臆面もなく表明しているのが、ここ最近の精神的苦痛に拍車をかけている。
この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントやアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場の人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか。オフライン活動がメインだと公言しており、インターネットで描いてた頃は反応すらなかったのに、サークル参加を表明してからは急に「あなたの書くものいいですよね〜ファンでした〜〜」と接近してきた。
「ネットで送るよりも生の感想を即売会で本人に伝えるのが醍醐味だから」を言い訳に、この人が感想を書いているのは見たことはない。そして結局当日打ち上げで伝えてくる感想も「こないだのあの本めちゃくちゃ良かったですよ! やっぱり〇〇はかわいいですよね〜」くらい。
ボス程ではないが、同人活動「ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分の原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴がほとんど。それなのに自分がインターネットに適当なイラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人のイラスト・小説はほとんどRTしない。
「作者の解釈をきちんと言語化して感想として送れるの、本当すごいですよね」と言いながら、この間まではポケモン(自作の刊行直後、TLはこれ一色だった。わたしのような木っ端な作家よりも世界的タイトルが話題になるのは当たり前だが、それが辛くてミュートした)、最近はあつ森の進捗をTwitterにせっせと上げている。
「同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿に時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか。
界隈にとある方がいる。フォロワーは私の30倍以上、ボスの10倍以上いる、いわゆる神絵師だ。でも、物腰は柔らかだし、私がインターネットに投稿していた頃からちょくちょくお褒めの言葉を頂いていた。上で述べた友人……と、本当に今でも言っていいのか分からないが、恐れ多くも自分が出した同人誌に感想をくださった方のひとりでもある。
その方がかつて、原作について非常に深い考察を繰り広げたものをまとめた、商業の単行本並の厚さ・クオリティの同人誌を出したことがあった。ジャンルバレが惜しくなければ所構わず宣伝したいくらい、本当にすごい本だった。当時読み専だった私は、どうしたらいいのか分からずとりあえず長文の感想を送りつけた。その方はいたく感激してくれた……のが、少しずつ仲良くなることができたきっかけだったような気がする。
それから私は初めてイベントにサークル参加し、Twitterで繋がっていた人たち中心に打ち上げに参加した。ボスが企画してくれたもので、カラオケの一室を貸し切って(何故ならオタク女は人目を憚る話を大声でする必要があるため)わいわいと推しについて語りあっていた。
中盤に入ったあたりだった。ボスが思い出したかのように言った。
「〇〇(神)さん、こないだの本読みましたよ! あんなに(原作)をきちんと捉えてこれが出せるの、本当すごいですよね〜私の本でもそういうの大事にしてて〜」
それで終わりだった。後は自分の本語り。その本が出たのは数ヶ月も前のことだったのに。数人が神の本に話を戻したことで、とりあえずしばらくの間はその本について盛り上がることができた。
その方は、それでも微笑みながら受け止めていた。ただ、それ以降あまりボスのイラストをRTすることはなくなった気がする。
最近、神が主催する推しCP(コンビ)アンソロジーへの寄稿を打診されたので喜び勇んで引き受けた。執筆者にはグループDMで連絡が来たが、同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった。それを確認した時、私は暗い喜びを内心に感じながらも素敵なメンバーの皆様に挨拶をお送りした。
……と、まとめてみたら「これ、感想を書いて得してるのでは?」と気づいた。どちらかというと、感想書きのシンデレラストーリーとして自慢できることの方が多いかもしれない。それでも界隈でのさばっている奴らへの心象は悪いままなので、記念として増田に投稿しておこうと思う。
猿山のボスへの愚痴が大半を占めてしまったが、逆に言えば感想をコンスタントに書いている人はどれだけ書き手から感謝されているのか、忘れないでほしい。
この間の新刊にも原稿用紙5.5枚の熱い感想をくれた人のおかげで、今も生きている。ご家庭の都合でイベントには来られなくても感想をくれるあなたのために、次の新刊も頑張ろうと思う。
(20200618追記)
放置していたらはてぶに上がっていた。おかえりなさいという気分です。見てくれた人、ありがとう。色々言われているけど、反応してくれた時点で今日もあつ森をやってるフォロワーの100倍マシです。
@pikopikopan 文字書きってなんでこういうタイプ多いんだろ。/私は描く側だけど壁打ち上等だし、読むけど身悶えするほど好きで何度も読み返した本ほど感想送れないし送らない。/感想送ったら活動止まった人が居てな後悔したわ
私は性格悪いとは思いますけど性格のいい文字書きの方も多いので、主語でかくするのやめた方がいいんじゃないですか。私もやりますが。
あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。
https://w.atwiki.jp/abhurikae/pages/1.html
とうとうこのようなまとめが作られてしまった
非難しているわけではない。
ただ、みんなが、どうなんだろう、と思っていたことが、結局これだけ長い期間放置されるとこういう声も出てくるわな、という印象
赤ブーブー通信社というのは、同人誌の即売会イベントをやっている会社である。営利企業である。
オールジャンルイベントとしてはほぼ女性向けはここ一択となっている
コミケの一週間くらい後に、大阪でイベントを開き(コミケの本を関西で売るために&買うために人が来る)
コミケのない10、3月くらいにビッグサイト東を埋めるくらいのオールジャンルイベントを開き、後の期間はオンリーイベントを複数同日同場所で開催しているのがほぼ大きめの収入源といえるだろうか
当然コロナでそれが吹っ飛んだ
https://www.jgarden.jp/html/48announce.html
https://www.comitia.co.jp/html/132henkou.html
上記はそこそこの規模を持つ老舗のイベント運営だが全部中止&返金である
だが赤ブーだけはほぼ全部延期だ。中止になったのはコミケと共同開催予定だったGWだけだ
3月頃からイベント参加が全部延期、延期だから返金はない。しかも延期日程が分からないから参加できるかどうかもわからない
とはいえみな、女性向けオールジャンルを開催するのがここしかないこともあり、声高に、返金&中止にしてくれとはいえなかった
潰れたら困る、というのがあるんだろう
だが、あんまりにも長いこと放置な上に他社と違って延期連発では、不満が渦巻くのもわかる
とうとう噴出したんだろう
延期にして、返金をしない=金がないのでは、とみなうすうす思っている
返金をしたら潰れるんじゃないの、という危惧があるんだろう
赤ブーは赤字だろうな、というイベントも開催してくれていたので、その分の赤をでっかいイベントで補填していたと思われる
地方のイベントや時季外れのイベントなんて人全然いなかったし。
ただ補填できる巨大イベントが潰れてしまい、そこそこ儲かりそうな旬ジャンルオンリーも潰れたら、しゃれにならない損害なんだろうという予想はつく
エロゲ業界は衰退したというより、「ブーム」は起きたけど、「文化(ビジネス)」には出来なかった。
ここでいう「ブーム」とはまぐれ当たりが出て業界に人が流入してくること。「文化(ビジネス)」とは収益構造が確立し、作り手や客が世代交代して持続していくこと。
蛭田(エルフ)とか剣乃(シーズウェア)とかTADA(アリスソフト)とかの活躍によって市場と認知度を獲得した90年代後半の業界はエロつきならある程度の売上が見込める状況だった。そこに髙橋(Leaf)とかだーまえ(Key)とかぶっさん(ニトロプラス)とかきのこ(TYPE-MOON)といったワナビーだった過去を持つ連中がそれぞれ得意とする世界観にエロを足したゲームを世に送り出してブームが発生した。それによって新規メーカーやユーザーが大量に流入したが、後が続かず一過性で終わった。
エロゲ衰退論の多くは何故ユーザーが離れたかという観点で論じるが俺は逆だと思ってる。ヒット作(ブーム)が新規ユーザーと次代の作り手を呼び込む(つまり世代交代)のであり、ブームが発生している間に次のヒット作が生まれる土壌を作っておく必要があった。蛭田らに髙橋らが続いたように。しかしそうはならなかった。
その要因のひとつに、若いクリエイターがよりローコストで、より好き勝手に作品を発表できて、あわよくば儲かる場が他に出来てしまった、という点が挙げられるだろう。
それが2ちゃん(99年~。電車男、まおゆう)であり、ニコニコ動画(06年~。アイマスP、ボカロ小説)、小説家になろう(04年~。さすおに他)だ。若いクリエイターが作品発表の場をそれらに移した結果、サブカルの最前線(今現在ブームになっている業界)がエロゲから他に移り、新規ユーザーも次代の作り手も流入しなくなってしまった(それに唯一抗ったのがニトロプラスだと思う。ネットで作品を発表していた鋼屋ジンや奈良原一鉄、下倉バイオを発掘して世に送り出している)。
企画/シナリオの話ばかりをしてしまったが、原画や音楽担当も同様だ。90年代後半から00年代前半はエロゲンガーがコミケの壁をはっていたが、pixiv(07年~)やTwitter(06年~)の登場でエロゲンガーは若いクリエイターの憧れではなくなり、サウンドクリエイターもエロゲの同人音楽から東方アレンジやボカロ曲をYoutubeやニコ動で発表する形に活動の場所を移していった。
これらの状況分析から、エロゲの衰退を、安易にスマホやSNSやフリーミアムの登場に結びつける論調には同意できない。
任天堂は未だに据え置き機兼ゲームメーカーだし、集英社は週刊少年ジャンプを発行し続けている。それでいて『あつ森』や『鬼滅の刃』のような最新のヒット作を生むことが出来ている。それは次代を担うクリエイターを発掘・育成し、そのヒットによって新規ユーザーを呼び込むという世代交代ができているからだ。
任天堂や集英社のような巨大メーカーと泡沫のエロゲ業界を比べるなよ、という意見はあるだろうが、ゲーム業界だって漫画業界だって最初は泡沫にすぎなかったし、スマホやSNSやフリーミアムの登場といった時代の荒波にさらされてもいる。しかしビジネスモデルを作り上げて作り手と客が世代交代して業界が持続するようにしたから今があるのだ。ちょっと儲かったからって社長がランボルギーニを痛車にしてるようじゃダメなのである。
結論:エロゲ業界は衰退したのではなく、ブームを文化(ビジネス)に転換させられる商才あるビジネスマンがいなかった。だから世代交代できなかった。以上(よく武内が社長として評価されているが、きのこが死んだら終わりの状況から脱せてない以上ダメだろう。同様に、蛭田も剣乃もだーまえも後進を育てられなかった。この論で評価できるのはでじたろうぐらい)。
ところで鏡が定期的にエロゲ衰退論を語って耳目を集めようとする(https://togetter.com/li/1505761)のなんなの? 仕事ないの?
【追記】
jou2 抜きゲーと泣きゲーで完全に別れてたと思う。Fateとかエロゲーとしてはマジでエロに対して真摯じゃないからね。「絶対命令権である令呪」をえっちな事に使うシーン一切無いという。選択肢選ぶタイプのゲームなのに
なんでや! セックスで魔力供給するシチュ最高にシコいやろ! あとセイバーがキャスターにとらわれてエロい格好させられるやつとかアニメで強調されてたけど、あれ若い子をリョナに目覚めさせるの狙ってるよね絶対。
ところで抜きに関してもちょっと面白い観点があって、オタクがエロ同人(ここでは二次創作エロを指してる)で抜くようになったってのもエロゲから客が抜けていった理由として結構あると思うんだよな。
もちろん当時からエロ同人はあったけど、当時はSNSがなかったから情報そのものにリーチしにくかったんだよね。個人ニュースサイトとかからたどる時代だったわけで。それでもアンテナ張ってたやつは即売会やショップで仕入れてたんだろうけど、それはそれで大変だし、特に地方民には厳しい。
今はSNSが発達してるから自分の好みの同人作家や本を探すのも容易だし、市場が形成されてるから昔に比べて数も質も飛躍的に向上してる(昔は落書きみたいなのも普通にあったんだよ!)。ゲームはソシャゲやって、抜きはそのエロ同人って人それなりにいるんじゃなかろうか。このへん、オタク白書で市場規模を年次比較すれば見えてくるものがあるかもしれん。ないかもしれん。
まあエロゲは早い段階で回想をボタンひとつでフル解放できるようにしとくべきだったな(SAGAOに探しに行くのダルい並感)。
俺はオタクだと自認して生きてきて既に30歳を超えたが、時々「俺は本当にオタクなのか?」という疑問を抱く。
アニメは好きだ。親父がオタク気質だった事もあり小学生の頃から年上向けのアニメや古典と言えるアニメも自然と見てきた。
中学生になり小遣いが増えるとそのほぼ全てを漫画やラノベに費やしたし、
自室にPCやネット環境もあったんでネット老人会と呼ばれる文化にもギリギリで滑り込んだ。
高校生になり無事に孤立した俺はMMORPG廃人と化して後、ボトラーとなった自分の業の深さに恐れおののきガリ勉に転生して国立大に入ったが、
どこに行こうとボッチはボッチ、これからはニコニコ動画が覇権を取ると信じてネットの海を一人で漂っていた。
しかし何と言うか、社会人になってある程度人付き合いが出来る様になり、オタクを自負する人物と交流する内に、自分はそれほどオタクじゃないんじゃないかと思う様になった。
そもそも俺はグッズを買わない。
昔は番組を録画すればいいと思っていたし、今は配信サービスが充実しているんでビデオや円盤を買った記憶がない。
フィギアの類には多少興味があったが、そもそも金額が高いし、買い出すと保管するスペースが足りなくなるのが目に見えているので手を出していない。
同人誌の沼にもハマった事がない。
首都圏から遠い田舎住みだったんでコミケや即売会なんて遠い世界の出来事で、
そういう場所まで行ける年齢になった時には既にネット上でその種のネタを消費出来たので必要性を感じなかった。
「ひぐらしのなく頃に」が話題になった頃は原作のゲームを委託業者から取り寄せた事はあったが、利用したのはそれっきりだ。
かつては漫画やラノベで部屋が埋まっていた時期もあったが、今では全て電子書籍に移行しているのですっきりしたものである。
そう、世間的に言えば俺はライトオタクの類なのだろう。少なくともガチオタとは呼べない。