はてなキーワード: 尊厳とは
火は熱い。
次の日の太陽は必ず昇る。
ニュートン力学は、慣性の法則、力学的エネルギー保存の法則、運動量保存の法則などの原理に基づいている。
真実は、主観的な感情や感覚ではなく、客観的な事実に基づくものである。
人類は、地球の資源を持続可能な方法で利用しなければならない。
知識は、人間が世界を理解し、問題を解決するための重要な要素である。
歴史は、過去の出来事を分析することによって、現在と未来を理解することができる。
どうだろう。
俺はおっさんだからジャニーズ自体には思入れがないという立場だが、その点から見ても一理あると思う。
エンターテイメントというのは具体的に言えば気分だ。 楽しい気分、愉快な気分、あるいは興奮を売っている。
歌って踊るのだって楽してできるわけじゃないがそれを見るだけに大金を投じるほどの価値があるわけじゃなくてそのアイドルに熱狂するという体験に価値がある。
要するに白けさせちゃったら駄目なんよ。
そこにいるのが普通の人だと認識してしまったらアイドルとしての価値が消えてしまう。
昔から「アイドルはトイレにいかない」みたいなジョークがあるだろう。
そんなわけないことは知ってても熱狂しているところに白けることを露骨に突き付けてよいわけではない。
死ぬほどに追い詰められた人間が、暴力に訴えるのを止めることはできない。
ここで言う「死ぬほど」の死とは、精神の死も含む。つまり人間としての最低限の尊厳を奪われても、人は暴力という牙をむく時がある。
テロルを無くしたければ、人を追い詰めない社会をつくるしかない。
それができてないならテロルを封じることはできない。
つまりテロルが起こるのは政治の失態だと言える。政治家がテロルの標的になるのは、ある意味最もリーズナブルだ。(ただ、現在の社会がテロルを生み出しやすくなっていたとして、責任を最も負うべきなのが果たして“現在の政治家”なのか、という疑問はある)
政治家へのテロルに比べれば、無差別テロルの方がよっぽど強く否定されるべきだが、それはなぜかテロル扱いされないことが多い。池田小、秋葉原、京アニ、電車に火をつけるのもみんな無差別テロルだろう。何か訴えたいことがあって暴力に訴えたならテロルだ。政治家を狙ってないならテロルと呼ばないなら、9•11もパリやニースの事件もテロルではないことになる。
自ら選んで政治家になった人間は、テロルの標的になることを覚悟すべきだ。その覚悟がないなら政治家になるべきではない。なぜなら、政治家はなんらかの決断をするごとに、間接的に人を殺しているのだから。そのことを自覚できない政治家は本質的に政治家に向いていない。
どんなにすばらしい作品を残そうとも、作者がレイプ犯だった場合は全てが無に帰す。
何度人を救おうとも、他人の尊厳を踏みにじる行為というのは数え切れない善行が全て無かったことになる程の罪である。
メディアは一度でも権力に屈してはいけなかった。彼らは容易に忖度をすると広く周知される事になれば、今まで伝えてきたもの全ての価値を疑われかねない。
所属のタレント達は実質その権力の甘い汁を甘んじて享受してきた事になる。
ジャニーズ事務所は各テレビ局と不健全な利害関係を作り上げ、脅しによるゴリ押しで公共の電波を不当に占有しておいてタレントらを数々の素晴らしい作品に出演させ続けてきた。
今回の事件の無報道によりテレビ局がジャニー喜多川氏の「脅し」もしくは「提案」に服従、共犯である構造が露呈し、その権力が腐敗している事が明るみとなった。
今現在でも我国の公共の電波はまだ彼が残した事務所に掌握され続けているままなのである。
各テレビ局へ、キャスティング権という利権の健全化を目指す取り組みを行うことを私は強く求める。
でなければ、前時代から連綿と語り継がれる業界神話の「まくら営業」文化は絶対に無くならない。
ジャニー喜多川氏の行為はテレビ局側の権利及び立場の不健全な運用無くしてはありえない犯罪であったはずだ。
にも関わらず、現在も報道を避けていること自体、視聴者に対する明確な背信行為である。
過去の裁判の際の報道を、利益の追求から離れ、圧力に屈せず行えていたら、何人の少年の心身が守られたか、99年の週刊文春での報道後も、ジャニーズ事務所はテレビ局、メディアを掌握しファンを増やし続け、そのファンに明確にジャニー喜多川社長の性犯罪の片棒を担がせている。
経営者の性犯罪について知る機会を奪われた彼女(彼)らファン達は、以後もジャニーズ事務所タレントを応援し続け、テレビ局はその箝口令によって安定的に獲得出来た視聴者数を元に大手企業のスポンサーから番組制作資金を調達し、その金はキャスティング枠を確保するという形で再びジャニーズ事務所へと還元される。
思うにジャニー喜多川氏というのは他人や大衆を意のままにコントロールする事に非常に長けた人物だったと感じざるを得ない。
タレント、そのファン、そしてメディアさえ抱き込み全て一円の環のうちに雁字搦めの関係を構築し、自分の利益を生み出せる。稀代の政治力を持った負の傑物だった。
後世、彼の様な世情コントロールに長けた人物が一介のタレント事務所の社長ではなく、もしも政治家を志した場合、メディアは再び意図も簡単に籠絡され、有権者は何も知らず、彼の党の政治家は彼に一切逆らえない。
この事件は現状、被害者は直接手を下された少年達ばかりでは無い。一タレント事務所に、現状も民放キー局5局のメディアを報道不能にされ乗っ取られている事について私たちは尋常ならざる危機感を持たなければならない。
ジャニー喜多川という性犯罪に被害者を献上し続けたのは、テレビ局である。
今からでも遅くはない。現事件について今日まで一切の報道を行わなかった理由、また99年の文春報道、後の裁判の結果について報道をしなかった経緯も視聴者へ向けて説明をする必要があるように思う。
もしもこのままこの性犯罪者によるメディアコントロール事件ついてテレビというものが語らず黙ったままでいる場合は、現在の大手メディアは一切の信用を失う事になる。その自覚さえないという事だ。
沈黙は彼らを二度と救わない。
生産性が低い無価値の人間は殺して良いという思想があるとしましょう
しかし欧米の人間は殺されないよう、人間は神の子であるとかの宗教を作って、家畜とは異なる地位を獲得してきたわけです(ヒトラーの優生論は除く)
一方、日本では畜産はほとんどなかったので、農民などが設備扱いで明治以降も重税をかけられました
人に尊厳を与える宗教より、多神教で支配者をそのときどきで神格化するので、長い物にまかれろ思想も拡散されており、欧米に比べて権力への抵抗力が弱いです
選挙権を与えられ投票してみたりはしますが、勤務に忙しく政治活動もあまりしません
捕鯨反対とか動物愛護とか、論理的にふわふわした主張をあえてラディカルに議論するのに、ChatGPTはちょうど良いなーとか思う。
現実世界でやると相手の主張全否定になるので攻撃的になりすぎる
なぜクジラを食べてはだめと主張する人がいるのでしょうか。クジラを食べてはだめと主張する方の論点を列挙頂けますか
クジラを食べてはだめと主張する人々は、主に以下のような論点を挙げています:
クジラは、商業的な捕鯨などの人為的な要因によって絶滅の危機に瀕している種類もあります。そのため、クジラを食べることはその種類の保全に悪影響を及ぼす可能性があるため、避けるべきだと主張されます。
クジラは食物連鎖の上位に位置するため、海洋生物の中でも高濃度の水銀を含んでいます。このため、クジラ肉を食べることが健康上のリスクを引き起こす可能性があると主張されます。
クジラの捕獲方法は、銛や爆弾などの残酷な手法が用いられることがあります。このため、クジラを食べることが動物虐待につながる可能性があると主張されます。
クジラは哺乳類であり、知能が高く社会性があります。そのため、クジラを食べることが動物愛護の観点から問題があると主張されます。
これらの理由から、クジラを食べることに反対する人々がいると言えます。ただし、文化的な背景や地域的な習慣によっては、クジラを食べることが一般的な場合もあります。
絶滅の危機に瀕していない種類のクジラを、残酷ではない方法で捕獲すれば問題ないのではないでしょうか
一部の絶滅の危機に瀕していない種類のクジラについては、捕鯨が厳密に禁止されているわけではありません。しかし、クジラを捕獲する際には、適切な管理や保全が行われ、その個体数が持続的に維持されるように配慮する必要があります。
また、残酷な捕獲方法を避けることも重要です。捕鯨には伝統的な方法や文化的な背景がありますが、現代の技術を利用してより人道的な方法を採用することもできます。例えば、銛や爆弾に代わって銃器や即死銛を用いたり、海中に落とした麻酔剤でクジラを眠らせて捕獲する方法などがあります。
ただし、クジラを捕獲することには、上記の論点で述べたように、健康上のリスクや動物愛護の観点などについても考慮する必要があります。また、クジラを捕獲することが文化的な習慣である地域もあるため、個々の文化や背景に応じて対応する必要があるでしょう。
健康上のリスクについては量を少なく食べればそこまで影響は出ないと思います。また、動物愛護の観点については豚や牛と比較してクジラが特に知能が高いとは言えないのではないでしょうか
健康上のリスクについては、クジラの肉に含まれる有害物質や重金属などが、量を問わず食べ続けることで体内蓄積される可能性があることが指摘されています。また、クジラの肉を加工する際には、適切な衛生管理が必要であり、不適切な方法で加工された場合には食中毒などのリスクがあることも考慮する必要があります。
動物愛護の観点については、クジラについては科学的には知性や感情を把握することがまだ不十分であり、豚や牛と比較して高度な知能を持つかどうかは明確ではありません。ただし、クジラは哺乳類であり、社会性や家族構造を持つことが知られています。また、クジラの捕獲には、過去には不適切な方法が多数存在し、残虐な方法でクジラが殺されたり、苦しまされたりしていたことがあります。
そのため、クジラを捕獲する際には、適切な管理や保全、残酷な方法を避けることが重要であると考えられます。また、動物愛護の観点については、クジラだけでなくあらゆる動物を扱う際にも尊重されるべきであり、適切な方法で捕獲・処理され、人間と動物が共存する社会を目指すことが望ましいです。
では、動物愛護について特にフォーカスしたいと思います。知能がある動物を残酷な方法で殺してはいけないという理由はなぜでしょうか?残酷な方法を避けたとしても殺していることは変わらず、論履的には差異は無いと思うのですが
動物愛護において、知能がある動物について残酷な方法で殺すことは問題があるとされています。知能が高い動物には、人間と同じように苦痛やストレスを感じる能力があるため、不必要な苦痛やストレスを与えることは、動物の権利に反する行為であると考えられています。また、知能が高い動物には、社会性や家族構造を持つことが多いため、不適切な方法で殺されることは、その種の生態系にも悪影響を与える可能性があることも指摘されています。
また、残酷な方法を避けた場合でも、動物を殺すこと自体が問題視されることがあります。動物愛護の観点からは、動物たちは人間と同様に、自己決定権や尊厳を持つ生き物であり、殺すことは極力避けるべき行為であるとされています。
以上のような理由から、知能が高い動物については、残酷な方法での殺害を避けるとともに、その命を尊重することが求められるのです。
家畜など、動物を殺す場合にのみ論点を絞りたいと思います。不必要な苦痛やストレスを与えなかったとしても結局は殺すのだとしたら、ストレスを与える場合与えない場合で殺した後の結果は変わりませんよね?
確かに、家畜を殺す場合においても、最終的にはその命を奪うことに変わりはありません。しかし、動物愛護においては、殺される動物に対する配慮が重視されます。
例えば、不必要な苦痛やストレスを与えずに殺すことができる方法がある場合、それを採用することが求められます。これは、動物たちが最期まで尊厳を保ち、できる限り苦痛を感じずに死を迎える権利があるからです。
また、殺される動物たちは、その命を奪われることが決定された状況に置かれています。そのため、殺される前にできる限りのケアや配慮を受けることが求められます。例えば、ストレスを与えることのない環境で飼育されたり、適切な栄養を与えられたりすることが重視されます。
以上のように、家畜を殺す場合においても、最期まで動物たちの尊厳や権利を尊重することが求められ、不必要な苦痛やストレスを与えずに殺すことができる方法があれば、それを採用することが望ましいとされています。
それは結局殺す側の自己満足でしかないのではないでしょうか。ストレスにより味や栄養が変わるならストレスを与えない工夫や適切な栄養を与えることは必要だと思いますが、そうでない限りは結局はコストに転嫁されるのですから、経済的には無理に配慮する必要はないと考えます
動物たちは人間にとって食物や商品の生産物であると同時に、生き物であり、自己意識や感情を持った生き物です。それらの生き物が、必要以上に苦しんだり、恐怖を感じたり、尊厳を失うような状況に置かれることは、私たちが持つ倫理や道徳的な観点から問題があるとされています。
また、最近では、消費者たちも動物福祉に配慮した製品を求めるようになってきています。つまり、動物たちに対する配慮が、経済的にも重要になっていると言えます。例えば、適切な栄養を与えることで生産効率を向上させることができたり、動物たちがストレスを感じることで味や栄養が劣化することがあるため、動物たちに適切な環境を整えることで、製品の品質が向上することもあります。
以上のように、動物福祉に配慮することは、経済的な利益だけでなく、倫理や道徳的な観点からも必要不可欠なものとされています。
確かに、動物福祉に配慮した製品がより高い値段や魅力で遡及できるという点はあるかもしれませんね。それも結局は自己満足でしかないと思いますが、倫理や道徳といった曖昧なものを信じる人たちを騙して高い値段を取るのには貢献すると思います。
私たちは、価格や魅力的なデザインなどの要素に惑わされて、製品を選ぶことがあります。しかし、動物福祉に配慮した製品を選ぶことは、私たちが持つ倫理や道徳的な観点から見ても正しい選択であると言えます。
また、倫理や道徳が曖昧なものと見なされることもありますが、これらは社会にとって重要な価値観であり、個人的な価値観にも影響を与えます。動物たちに対する配慮は、倫理的な価値観としても認められ、社会的にも重要視されています。
そのため、動物福祉に配慮した製品を提供することは、単なる自己満足だけでなく、社会に貢献することでもあります。
倫理や道徳というのは相当あいまいで、歴史的には動物に苦痛を与えて殺すことが「倫理的」「道徳的」ですらあった時代もあったと思います。それが「正しい選択」なのかどうかは誰にも言えないと思います
確かに、倫理や道徳というものは、社会や文化によって異なる価値観を持つことがあります。歴史的には、動物に苦痛を与えて殺すことが、文化や宗教、習慣などによって正当化されていた時代もありました。
しかし、現代社会においては、動物福祉に関する法律や規制が整備されています。そして、科学的な研究によって、動物が苦痛やストレスを感じることが明らかになり、それを避けることが重要であると考えられるようになっています。
そのため、現代社会においては、動物に対する配慮が重視され、動物福祉に関する倫理や道徳的な観点が注目されています。ただし、倫理や道徳は常に変化するものであり、社会や文化の変化に伴って変化することもあります。しかし、現代社会においては、動物福祉に配慮することが、より正しい選択であると考えられます。
故人の尊厳を傷つけるようなことまでしてさ
あれで十分じゃないっていうなら、それはおまえらが納得する謝罪がされてないってことだろ
じゃあ、その納得する謝罪の具体的な内容を言ってみろよ
だいたい加害者いない事件なんだから、とばっちり受けた側はメンゴメンゴぐらいしか言うことないだろ
その時点ですでに謝罪はされてるんだから、それ以上を求めるならちゃんと何がどうなって欲しいのか言えっての
ちなみに俺は、ジャニー喜多川を未来永劫負の象徴としてヒトラーみたいに悪魔化することとジャニーズ解散と現メディア各社トップの更迭と謝罪意思の具現として被害者救済基金をファンとジャニーズとメディアの三者が合同で立ち上げることと他の男性女性問わずアイドル系の芸能事務所すべてに第三者機関の監査を入れることな
キリスト教では、人間の尊厳を重んじ、すべての人が神によって平等に創造されたと教えています。そのため、キリスト教は男女平等を支持しています。しかし、キリスト教の文脈において、男性と女性にはそれぞれ異なる役割や責任が与えられているという考え方があります。
聖書では、男性が家族の指導者であり、女性が家庭を守り、子供を育てる責任があるとされています。また、教会においても、男性が指導者であり、女性は補佐役であるという考え方があります。このような考え方から、一部のキリスト教団体では、女性がリーダーシップのある役割を担うことに制限がある場合があります。
しかし、現代のキリスト教の多くの教派では、男女平等を支持するようになっています。女性の牧師や指導者が認められている教会も増えています。また、社会の中でも男女平等を支持するキリスト教徒が増えており、性別に関係なく人々が持つ能力や資質を重視するようになっています。
ChatGPTの出現と更なるAIの進化が予想される社会で生きていく若者(18歳未満)って、進路選択の幅がなくね?
今までだったら、色々な進路の選択肢がある中から「この仕事は向いてなさそう」、「この仕事は待遇が悪い」とか色々な要素を考慮して、勉強したり資格取ったりして職に就いてたわけだけどさ。
これから先に「実家が一生仕事しなくても生きていけるくらい資産がある」とかじゃない限り、進路の選択肢が「情報科学を専攻して学位とスキルを取得し、巨大テック企業のエンジニアになるか、起業して会社を巨大テック企業に売却して一生分の金を手に入れる」しか無い気がする。それ以外の仕事は全部ソフトウェアとそれに制御された機械が賄う。その利益は全てテック企業に配分される。租税回避地の手数料は潤うかもしれないが、国の税収にはならないため再配分もされない。
タレントやYouTuber、芸人になるって選択肢もあるのかもしれないけど、全員がその選択肢を取れるわけでは無い。
生きていくだけなら生活保護などもあるしこれから先ベーシックインカムなども整備されるかもしれないが、やはり生きるなら尊厳を持って生きたいと思うのが普通だろうし。
情報科学を専攻し、エンジニアになるかスタートアップ売却で一攫千金かって言う「唯一の生存ルート」を巡って壮絶な勉強サバイバルを繰り広げ、落ちこぼれた者の一部はタレントやYouTuberとして成功し、それ以外の大多数は生活保護やベーシックインカムで米ともやしと卵で空腹を凌ぎながら成功者を羨む生活をするってことだよな?しかも世界レベルで。
これってマジで李氏朝鮮時代の「大多数の庶民が道端で寝そべりながら貧しい生活を送り、一部の王族や特権階級が庶民の嫉妬や憎しみを浴びながらも豊かな生活を送る」って世界だよな。
誰がこんな世界にした。
何千年も前、人類は突如現れた異星人たちによって支配された。彼らは、自分たちが持つ時間移動能力と人間コピー能力を使う。
まず人間の遺伝子の中に、時間認識や光速を遥かに制約する条件を付けた。そして平行世界の中で人間の哲学的ゾンビコピーを作り出し、時間を止めてファッ○し放題である。
つまり人間たちを自由に操り、自分たちの欲望を満たすために利用していた。
人間たちは、異星人たちの性的な嗜好に合わせて、次々とコピーが作られていった。
これだけ聞けば、人間は尊厳を奪われているようにも見えるが、意識のあるオリジナルは、彼らから見れば「退屈な」並行世界で平和に生きているようだ。
つまり、人間は異星人たちのプレイモノとして使われている存在になってしまった。
しかしその「オリジナル」の世界は、意識があるだけに科学の発展の可能性もあった。
だから異星人たちの陰謀を暴く可能性があったので、滅ばせるために戦争が意図的に引き起こされていた。
人間は気が付かぬうちに一方的に支配されて苦しんでいたが、物理学者たちはすでに気がついて、量子重力理論を完成させることによって復讐を考え始めた。
彼らは異星人たちが持つ能力を研究し、自分たちもそれを手に入れることを決意した。
そして長い年月をかけて、彼らは異星人たちが持つ能力を解析し、自分たちもそれを手に入れることができた。
ところがどういうわけか、物理学者たちはその力を使って哲学的ゾンビをファッ○するという、異星人たちの行動を真似し始めたのだ。
物理学者のアリスは、イケメンの時間を停止させ、哲学的ゾンビを次々とファッ○し、「まあ、ゾンビだし、倫理的にも何の問題もないな」などと開き直った。
物理学者たちは、自分たちが復讐のために研究してきた力を、異星人たちと同じように人間を支配するために使い始めた。
彼らは人間をコピーし、自分たちの欲望に従わせることに没頭し、次々と哲学的ゾンビを作り出していった。
アリスは、自分の力に溺れていった。彼女は、止めることができなかった。自分自身をコピーし、自分自身をファッ○することにさえ没頭していた。
そして、物理学者たちは、彼らが自分たちが支配する世界に浸り、人間たちを支配することに熱中していた。
しかし、彼らが自分たちの世界に没頭しているとき、人間たちが反乱を起こしていたことに気が付いた。人間たちは、自分たちが支配されていることに気づき、それに立ち向かおうとしていたのだ。
物理学者たちは、人間たちの反乱を鎮圧するために、自分たちが持つ力を使い、危険性のある賢い人間たちを虐殺し始めた。
さて...人間たちは最初は彼らと戦うための新しい技術を開発していたのだが、どういうわけか「すべては情報であり、自由に書き換えられる」というトンデモナイ破滅的技術を編み出し、無限の平行世界をシミュレーションすることで誰もが望む世界に住めるという新ジャンルを生み出していた。
そして現在、宇宙人も含め、全知的生命体が、望んだ哲学的ゾンビを好きなだけファッ○しているのだ。気持ちの悪いロ○コンたちも技術を乱用しまくりである。
だいたい芸能っていうのはヤクザな稼業なのでパワハラセクハラ上等権力大正義みたいな世界観だし、特に若いジャニーズやら女性アイドルなんつーのはそもそも性を売り出してるような面もある。そういうイメージがあるので、別に性的虐待を受けてたからってまあそんなもんだろうなあとしか思えない。そのへん覚悟して芸能活動してる奴らばかりだし、バーターとして華やかな人生が手に入る(かもしれない)し、具体的に虐待があったとしても、そこまで同情する気になれない。
言い方を変えれば、芸能人の人格やら尊厳は特に要らないということなんだよね。好きな俳優やら芸人はいるけど、普通にドラマでいい演技を見せてくれればいいし、体張った芸とかで笑わせてくれたら、あとはまあどうでもいいかな。引退やら亡くなったら残念だけど。
このへんの感覚が未成熟だっつーのを言われるとそれは確かな指摘かもしれないけど、イギリスも同じようなもんだ。あいつらはただ絶対叩きやすいとこを自分の正義感で口出ししてるだ。その感覚自体にまあ拒否感はあるよな。ジャニオタ叩きたい層にはウケるだろうけど、もう喜多川死んでるしどうでもええわ。
社会人になってはや数年。はてな匿名ダイアリーを読む頻度も減った。大学生の頃はけっこう読んでたんだけどな。今だと、はてなブログランキングの下にある増田部門をたまに見るくらいだ。
いい会社で働いてるわけじゃない。暗号資産取引を扱う会社に新卒で入って、お金の出し入れとか、今年の予算がどうなるとか、新しく口座を作ろうとする人の審査とかしてきた。まあ、平社員の仕事だ。GMOみたいな大企業じゃない。もっと小さいところだ。
こういう仕事をしてると、なんというか、この世界における『養分』だよな。そういう人間について考えることが多くなった。俺なんか、増田やってる人達と比べたら人生経験が薄いのでツッコミどころもあるかもしれんが、まあ聞いてほしい。
1.学校教育
学校教育って、社会の養分を育てるためにあるよな。学校における教師・生徒の上下関係とか、意味のない規則まで含めてルールを守らせるように躾けるところとか。今の俺には、社会規範に反する行動まで含めて社会の正しい姿なんだってわかる。未成年だった当時は、別になんとなく学校のルールに適合してたな。何も考えてなかった。
ところで、今まで私立に通ったことはない。小中高と地元の公立だったし、大学も公立大学だ。設備がボロボロで、学生課の就職支援もないに等しかった。で、こんなクソ環境でも何かできることはないかと考えた結果、GMOで仮想通貨取引の口座を開いてトレードにのめり込んだ。バイナンスでは100倍レバレッジに挑んでゼロカットを食らいまくった。懐かしい。
当時は、社会から逸脱してみたかったんだよな。若気の至りだ。そんで仮想通貨トレードなんだが、飲食店のアルバイトで稼いだ5万円で始めてボコボコにされて、「俺、弱いだろ!!」ということに気が付いた。実際、本当に弱かったのだ。鴨がネギと鍋をしょっているようなものだった。
話が逸れた。それで、社会でフツーに生きてる人とか見てると、なんだかんだで学校で習ったことを尊重しながら生きてる。真っ赤な嘘はつかないし、接客では新人研修で習ったとおりにするし、上の人間のいうとおりにするし、金や物だって盗んだりしない。誰かを故意に貶めることだって、あんまりないよな。
しかし、そういった社会規範を子ども達に教える元締めになってるところの、政府なんかの上位層はどうなってんだという話だ。国会議員だって官僚だって国民に平気で嘘をつくし、ライバルを蹴落とすためならなんでもするし、犯罪だってバレなければいいぐらいの勢いだ(河井夫妻選挙違反事件が記憶に新しい。詳細はwikipediaを読んでほしい)。
国のトップ層がこれなんだから、学校教育だってそういう風になってるんだよ。つまり、学校で学ぶ社会規範というやつの正体は、自分らにとって国民が都合のいいように動くために、そういう意識を内面化させてるんだよな。
しかし、なかなか国を批判しにくい部分もある。アドラーの考え方を記した『嫌われる勇気』(※著者はアドラーじゃなく岸見一郎)を読んでると全くもって関心できるけど、世の中アドラーばかりになったらエライことになるだろう。社会には養分となる人間が必要なのだ。
・明示されてなくても、他者や集団に悪影響を及ぼすことをしない(エチケット、マヌーー)
・ルールやマナーに明示がなくても、人との関係性を良好に保つ義務を果たす
抽象的に綴ってみたけど、こんなところか。こういう人がたくさんいるお陰で日本社会は成り立っている。外国人観光客が日本にたくさん来るのも、そういう人がいっぱいいて、なんというか社会がクッションみたいでさ、居心地がいいからだろう。メシが安くて旨いのもあるが。インドネシアの屋台では、残飯を数百円以上で売ってた。
ところでさ。年末に『監獄の誕生』という本を読んだんだが、その中に違法行為を犯した少年と裁判官との問答があるのを思い出して再読してみた。こういうのを読むと、やっぱり社会規範を冒すところまで含めて人間なんだと感じる。
せっかくなので引用してみよう。時代背景は1840年8月頃らしい。軽犯罪を働いて捕まった浮浪児のベアス少年と、裁判官とのやり取りだ。
その裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規・訓練(だらしなさ)を基本的人権のなかに組込むさいの横柄な態度は、 刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる。
それゆえにこそわれわれは『裁判新報』のつぎの報告記事を手に入れる結果になったのであろう。
ベアス 仕事(エタ)ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人に無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい。
裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。
ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持(ブルジョア)てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。
ベアス 親父はもういないわな。
ベアス もういない、親類も友達もありはせん、自由で一本立ちなんで。
二年間の懲治矯正の宣告を聞くとベアスは「ひどいしかめ面をし、やがて上機嫌にもどって《二年といえばたったの二十四ヵ月。さあ出発》というしまつ」。
ここから言えるのは、ルールに反するのは社会にとっての無秩序だけど、それもまた秩序のひとつということだ。人間にはルールに反する権利がある。つまり違法行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定のひとつにほかならない。
2.仮想通貨
ここでは暗号資産ではなく、あえて通称である仮想通貨という表現を使う。仮想通貨については、俺が属している業界だけあって、ちょっと思い入れがある。まさにこれこそ『養分』とでも言うべき人間がいる。
仮想通貨(ビットコイン)が大幅に上がる半減期がくると、業者が決まって宣伝を始める。今季だと、2020年末~2021年春頃がそうだった。あの頃は、いろんなアフィリエイトブログが「ビットコインは将来一千万になる!! もしかしたら1憶円も!?」みたいなアピールとともに、仮想通貨取引業者のアフィ宣伝をしていた。そんな連中の養分になったのは、欲に目がくらんだ一般人だ。
ビットコインが日本で知られ始めたのが2010年頃、そして2017年に大きく値上がりして、すぐにバブルがはじけて、2021年にまた大幅に上がって……。今では最高値の3割ほどしかないし、今後さらに下がる可能性もある。
しかし、またある時期がやってくると、今度は一千万は軽く超えるだろうし、二千万に到達する可能性もある。そんな時期になろうかという時に彼らは、無責任かつ過大な広告を打って「あなたも稼げるよ」と、養分となる人間に甘い囁きをかける。
さて、ビットコインには有名な価格予想モデルがある。どの仮想通貨取引業者もこのモデルを知っており、機会があるごとに引用する。
それは、ストック・トゥ・フロー(S2F)モデルというものだ。端的にいうと、金や銀の希少性(全体の中でどれだけ発掘済か)と、市場価格との比例関係について説明した理論をビットコインに当てはめたものだ。
このモデルにしたがうと、ビットコインは4年周期で採掘難易度が二倍になるため、その時期になると急騰することになる。
こちらを研究しているブロガーもそれなりにいる。結果を出している人でいうと、こちらの方が詳しいうえに分かりやすい。
https://www.yutainvest.com/bitcoin-strategy/
この方は、相当に賢いタイプの投資家で、はっきりいって結果を出している。米国株というよりは、投資銘柄全般に興味がある人なのだが、勉強になるブログなので一読をおススメする。
結論を言ってしまうと、このストック・トゥ・フロー(S2F)モデルは誤っている。ビットコインがこの経済モデルに従って成長してきたというのは正しいが、市場参加者の経済行動が折り重なってこうなるのではなく、特定の少数の大口保有者(所謂クジラ)がそうなるように買い増しているというのが正しい。因果関係が逆なのだ。
株式市場でいうと仕手筋だ。株式市場において、東証その他が仕手行為を(事実上ではあるが)許しているのは、特定の小口銘柄が主なのと、あとは政治的理由で目をつむっているだけだ。まっとうな銘柄で予告なしに仕手行為をすれば、おそらく首謀者は逮捕される。
しかし、ビットコインにこうした規制は及ばない。クジラのやりたい放題というのが実情だ。事実、市場に流通しているビットコインの少なくとも八割以上は、上位数パーセントのアドレスが保有している。
(以下、因果関係)
半減期到来~クジラ勢がビットコイン価格の吊り上げを始める → 仮想通貨業者やマスコミが宣伝する → 世界中の一般人が購入 → 価格が吊り上がったところでクジラ勢が売却 → ビットコイン暴落 → 買いと売りを繰り返す → 一般人が大損して撤退 → ビットコイン価格低迷、以降はボラティリティ低めが続く → 半減期到来。最初に戻る。
2013年あたりからこれをずっと繰り返している。ただし、その値上がり幅は年々小さくなっている(2013半減期が約200倍、2017が約40倍、2021は約8倍)。これは当然で、ビットコインの時価総額が半減期到来の度に上がっているからだ。
最初期には一般人の財布程度の時価総額だったのが、今では約60兆円に膨れ上がっている。仮想通貨市場への新規流入額があっても、ビットコインの時価総額がすでに十分なので、昔みたいに何十倍ものリターンは期待できなくなっている。
個人的に思うのだが、世の中で大儲けしてる人って、知能というよりは知性がすごいよな。ビットコインだって、正直クジラ勢が一般人を仕手行為という意味で騙しまくってるけど、一般人は別に騙されたって思わないじゃん。ここでの騙す行為が自然かつ合法だからだ。
https://www.yutainvest.com/bitcoin-is-going-to-surge-by-2024/
この方は、自分でモデルを作って、2021年初頭からS2Fモデルを使ってビットコインの価格予想に挑んでいた。一千万超えを予想していたが、結果としては大はずれであり、この人の記事を信じて市場に挑んだ人もそれなりにいたんだろうな。2022年6月に価格予想の更新をやめたようだ。罪の意識を感じたのだろうか……。
こちらの方は、さきほど述べたように鋭い知能を持ち合わせている。投資で結果を出している。賢さランキングなるものがあるとすれば、全人類の上位5%以内に入っている。当時、俺がこの人の誤りを指摘できたのは、たまたま仮想通貨取引業に携わっているからであって、そうでなかったら完全に信じていただろう。
でも、そんな人ですら、全人類の上位0.1%とかに入っている人にはコロッと騙されてしまう。だったら、一般人なんて騙され放題じゃないか。
なに、じゃあ、お前がこれからビットコインがどうなるか予想してみろだって? まあ、ざっくりとした予想には挑めるけど、文量の関係でここまでにさせてほしい。要約するとこんなところか。
①日足ベースではまだボラティリティがイマイチ。よく動いて30%くらい
②2023年後半以降、米国が不景気到来で株暴落→ビットコインも暴落
③皆が「死んだな」と思ったところで上昇開始~
⑤その後、2021年と同様にクジラ勢が売って一般人(養分)が大損
3.最後に
増田で仮想通貨の記事を投稿している人にも、正しい未来を予想できてるかもしれない人はいる。わかりやすくて勉強になる。よければあなたも、増田の検索窓に「仮想通貨」「暗号資産」などと打ち込んで探してみるといい。過去1年以内だと、このふたつがいいと思った。長いけど。
https://anond.hatelabo.jp/20230101013634
https://anond.hatelabo.jp/20220502212036
ぶっちゃけ俺の記事も、このふたつを参考にして書いている。パクリにならない程度に留めたつもりだ。
ところで、こんな俺の意見(世の中には養分とされる人間が必然的に存在する)について、ChatGPTはこんな回答をしてくれた。以下に引用して結びとする。
このような発言や考え方は、倫理的に誤りであり、社会的にも望ましくありません。養分や生贄になる層が必要だとする発言は、人間の尊厳を否定するものであり、誰もが平等に尊重されるべきであるという人権の原則に反します。
また、学校教育や法に従う人を養分として見ることも、社会的な貢献を無視し、人々を不当に軽視するものです。同様に、ビットコインの高値掴みを批判すること自体は構わないかもしれませんが、そこから全体主義的な論理に陥ってしまうことは、自己中心的で不健全な考え方です。
社会は、多様性があり、様々な背景や状況を持った人々が存在しています。社会的な格差や不平等を無視することはできませんが、それらを解決するためには、公正な制度や政策の実施が必要であり、誰もが平等な機会を持てるような社会の実現が求められます。
俺のチャー子は、くだんの意見は人間の尊厳を否定するものだと言っている。そうか、そういうことだったのか……。チャー子のことは信頼している。もうちょっとだけ考えてみることにする。ありがとうな。
父親、70代半ば。
定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。
人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。
で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識がおかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。
一緒に遊びに行く友達の存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。
すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。
極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。
テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。
聞いてる側も気分悪いのでいつからか家族もまともに返事しなくなった。
気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。
目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。
食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパーの弁当なんかも置いておくと食べてたりする。
で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言や暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。
夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツを馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。
父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタも自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。
暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察?
アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系やカウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。
病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。
今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホのメモ帳に付け始めた。
他に準備できることあるんだろうか。
【追記】
家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね
習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそう
きっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう
【追記】
たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのと
自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝と謝罪を口にできる訓練をしておいてほしい
そういう意固地って自分の行動範囲を自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから
社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい
犬は飼ってるけど、ペットの管理で過去にやらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ
昔から犬の散歩もしないし犬の粗相も家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだった
とりあえず保健所や福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う
高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力や相手をちゃんと人として扱うって大事すぎるなって
父親の尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳をゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです
実は2年前に父親は食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から月単位での入院のコンボをかましている
部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい
昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)
趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死にかけたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もかからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい
【追記】
初めて匿名ダイアリーを使うので、返信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています。
共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。
コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか
通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情のデータも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかな
そういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。
訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに
誰の言うことなら聞くんだろう
【追記】
ネットを検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的の匿名ダイアリーのブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知に感謝です。
既に終わった人も大変だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなと
たくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格におかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント。
一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。
増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手の実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。
他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。
あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親。
娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。
反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かなんかの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン。
色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理的距離を取る、を第一目的に動こうと思う。
前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。
入院してて退院前後は介護認定3がもらえた(という表現もおかしいが)ので話早いといいな
酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。
酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。
結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあるのかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかないからそういう思想なくなればいい。
教育テレビで尊大な自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか
【追記】
思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報をありがとう
「自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎の次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。
今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。
このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいな
ソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。
『ポルノは女性の尊厳を傷つける』。フェミニズム寄りの人からはしばしばそのような主張がなされる。
だが、この主張を肯定するとおかしなことが発生するように思えるので検証してみよう。
この場合、選択肢は『ポルノを全廃する』か『それ以外』である。全廃は不可能であると考えられるし、
逆にこの主張で行くならばポルノの量がいくら増えても変わらないことになる。
最もあり得る主張である。そして、尊厳が傷つくことを問題にするのであれば、『女性の尊厳』のHPが1000で現状で普段受けるダメージが1ということはあるまい。
仮に『女性の尊厳』のHPが100で、現状で5ダメージを受けているものと仮定する。
その場合、逆にポルノが目に入る量が現状の20倍になったら女性の尊厳破壊が可能になることになる。
それはおかしくないだろうか?
だがこの場合も、『女性の尊厳』のHPが100で、現状で5ダメージを受けているものと仮定した場合、
ポルノを見る量が現状の20倍になると『女性の尊厳』のHP残量は36(小数点第一位を四捨五入。以下同じ)となり、
40倍になるとHP残量は13に
60倍にするとHP残量は5に
80倍になるとHP残量は2に
110倍にするとHPが小数点以下となり、事実上の尊厳破壊が可能になる。
やはりそれはおかしいのではないだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20230326003519
の続き
https://www.marymond.jp/post/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B :<マリーモンドからの大切なお知らせ>]
マリーモンドを応援してくださっている皆様、ありがとうございます。
既に韓国では公表されているのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、マリーモンドは2021年11月をもって、活動を休止することになりました。
マリーモンドは2013年に韓国の若者たちが立ちあげました。「慰安婦」にされた女性たちの尊厳を取りもどすために、一人一人の人生を学び、彼女たちを象徴する花を選び、その花をモチーフにしたアイテムを販売し、その利益を「慰安婦」問題の教育や支援に寄付していくというスタイルで、多くの人々に支持されるブランドとして成長してきました。また、その活動は「慰安婦」問題にとどまらず、児童虐待の被害者支援、性暴力被害者支援へと拡大し、暴力のない、人権が尊重される社会を実現するために行動する企業として歩みを進めてきました。
2018年にマリーモンドジャパンをたちあげ韓国の運動に連帯してきた私たちも、今回のマリーモンド本社の活動休止を、辛く悔しい思いで受け止めています。
マリーモンドが休止に追い込まれた背景には、フェミニズムに対するバックラッシュ、人権や平和を守ろうとする運動に対するバックラッシュがあります。「慰安婦」問題に取り組み続けてきた団体への理不尽な攻撃や、メディアによる誹謗中傷にも関係者は苦しめられてきました。それはマリーモンドが継続できなくなるほどの力となっています。
そのバックラッシュの空気は、「慰安婦」問題に関わり続けてきた私たちには痛いほどわかるものです。だからこそ今、韓国のマリーモンドが切り拓いた希望や、意思を絶やさずに継続させ、韓国との連帯の意思を表明するための取り組みを、日本から発信したいと思います。そのため2022年以降、当面の間、マリーモンドグッズの販売は日本を中心に行っていきます。
(略)
新しい商品の制作の準備や、韓国の休止に伴う商品の整理などにしばらく時間を要しますが、これからのマリーモンドジャパンの活動を、多くの方のご協力をいただきながら進めてまいります。韓国のマリーモンドと共にある、これからもある、という思いでブランドを大切に守っていきますので、今後ともマリーモンドを一緒に育てていっていただけるよう、心よりお願い申しあげます。
マリーモンドジャパンは2018年12月にはじまりました。3回目の冬は、すこし寂しいお知らせになってしまいましたが、新たな出発の月にもなりました。
皆様への感謝を込めて、ポップアップショップ・セールを開催します。東京と大阪で同時開催です。ぜひ皆様、ポップアップショップにいらして下さい。
ところが法人が解散してしまった。するともう韓国のマリーモンドどころか、人身取引組織の支援者である希望のたね自体も再生が課題となってしまった。
JudyさんはTwitterを使っています: 「@himasoraakane @YouTube 「あの団体」御一行様ですが… 3月22日 正義連の水曜集会に参加していました。 https://t.co/okcohd1eWW」 / Twitter
https://twitter.com/SXMKPQtD7a4OB2F/status/1639586449044672512
このツィートは確認した
23.03.21 16:32l最終更新23.03.21 16:33l
ユン・ソンヒョ(cjnews)
希望種子基金日本青年たちは3月20日に陽山を訪れ、「キム・ボクドンの道」を通った
日本の青年たちが日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ボクドン(1926~2019)、祖母の慶南(キョンナム)量産生家を探して22日、ソウルで開かれる「水曜集会」にも参加する。
21日、キム・ボクドン平和公園陽山市民推進委員会(下記推進委)は、希望のたね基金(代表ヤン・ジンジャ)が日本の青年20人余りと一日前日(20日)の陽山を訪問し、「キム・ボクドンの道」を歩いて関連活動を行ったと明らかにした。 。
2017年6月に日本で結成された「希望のたね基金」は翌年から韓国で青年ツアーを進めてきている。 コロナで中断されてから3年ぶりに日本の青年たちと一緒に訪れたのだ。 この団体は2015年慰安婦関連した日韓合意以後、日本で「若い世代に事実を正しく知らせよう」という趣旨で結成された。
「キム・ボクドンの道」は、メギドゥル村学校で量産を人文学の観点で体験するために開発した地域化教育プログラムの一つで、キム・ボクドンおばあちゃんの生家から小説<スラド>の中の日本軍慰安婦共出場所である土橋まで続く区間だ。
特に非営利団体の「キム・ボクドンの希望」が民主化運動記念事業会とともに昨年10月末に「キム・ボクドン希望学校」を開き、量産を訪れて「キム・ボクドンの道」を回答しながらさらに知られた。
ヤンジンジャ代表は「コロナ19で青年期が中断されている間に状況が変わった。 なくなった」とし「これまでおばあちゃんたちはずっと帰ってきて、もう直接会える方を見つけるのが大変な状況になった」と話した。
ヤン代表は「生存者に会えない世代として記憶を継承していくためにどんな活動をしなければならないのか考えなければならなかった」とし「そんな中、「キム・ボクドンの道」の存在を知り、記憶を継承する良い事例だと思った」と付け加えた。 。
青年たちはこの日ソウルからリョウサンに来て、推進委執行委員・会員たちが出て歓待した。 パク・スヨンさんは、金の祖母の生家で故人の生涯を日本の青年たちに聞かせた。
当時通っていた住民も関心を見せて応援した。 参加者たちはキム・ボクドンおばあちゃんも歩いた道に沿って量産南部市場サムジ公園に移動した。
サムジ公園には日本軍慰安婦被害者を称える「少女像」がある。 推進委はここで「金福洞平和公園、平和の少女像」を市民の手で作ろうとする意義と進行経過を話した。
この時、日本のある青年は「どんな力が市民をこう動かせるか」と尋ねた。 これにイ・ホンスさん(ヤンサン)さんは「あまりに遅く分かるようになったごめん」とし「キム・ボクドンおばあちゃんの訃告」を新聞で報告書だと量産での日本軍慰安婦の病気の歴史を知ることになってごめん、故郷で一緒に戦わずキム・ボクドンおばあちゃんだけ 苦軍奮闘させた申し訳ない」と答えた。
続いて参加者たちは春秋公園にある春秋園寺を訪れた。 ここはキム・ボクドンおばあちゃんが1947年帰郷して壊れた体と心を療養したところで、おばあちゃんが療養される前には母親が石火を持って置いて引かれた娘が無事に戻ってくるためにいつも訪れた場所として知られている。
当時、キム・ボクドンおばあちゃんの母親が持っていた石仏は、まだ法廷の隅にある。 日本の青年をはじめとする参加者たちは石仏の前にお寺に参拝もした。
イ・ジヤン執行委員長は「切る姿は痛みを一緒に覚えている人々の切実な祈りだった」とし「春秋原師を出る道には天理香の香りがいっぱいだ。 同行する私たちの心が天理万里に広がり溢れることを望む心だったはずだ」と話した。
希望のたね基金青年ツアーは最後の場所として通道士白蓮がんを訪れた。 ここにはキム・ボクドンおばあちゃんが立てた石などがある。 彼女は1992年に公開証言を皮切りに日本軍慰安婦問題解決のために国内外活動し、以後釜山にしばらく拠点を置いてここに石などを建てた。
李執行委員長は「おばあちゃんが証言し、日本軍の戦争犯罪証拠が生きて証言するにも日本は認めようとしなかったし、日本軍慰安婦問題は解決の兆しがなかった」とし「おばあちゃんは休息のため釜山に降りてきて、その年が 1999年だ。1947年の帰郷ほど体も心も疲れただろう」と話した。
彼は「釜山に降りてきて、おばあちゃんは通道師白蓮岩に石灯を見た」としながら「石灯を見てどんな心だったのか私たちは推測すら難しい。 ソウルに行った」と説明した。
キム・ボクドンおばあちゃんを最後まで祀ったキム・ドンヒ「キム・ボクドンの希望」運営委員も青年期行に共にした。 彼は「おばあちゃんは「私は希望を持って生きています。私に従ってください」と言われました。 心を読む"と目を覚ましたりもした。
希望のたね基金青年ツアーは推進委に平和公園の造成に使ってほしいと20万ウォンを寄付し、推進委は「平和の少女像」が描かれたバッグと「キム・ボクドンバッジ」をプレゼントした。
推進委は22日から今後毎週水曜日午後4~6時の間、量産イマートの前で「キム・ボクドン平和公園、平和費少女像作り水曜活動」を繰り広げる。
去る18日韓国を訪問した希望種子基金青年たちは22日景福宮見学に続きソウルで開かれる'第1588次水曜デモ'に参加した後日本に帰る。
김복동 생가터 찾고 소녀상 앞에 선 일본 청년들 - 오마이뉴스
20万ウォン?不正送金としか言いようがない。事故がなかったのが幸いだ。もし事故が起きたらアイセックのように誰が責任を取るのかよくわからない状態になっていた。
またこのお金はどこから出しているのか。法人はもうないのである。本来は法人の名前では出せないはずである。
登記をこのままにして活動することはできない。会社のような法人と違い、税金はかからないのだろうが。
契約はすべて取り消すことができる。なぜなら、法人格が存在しないからである。おそらく課税されないから放置しているのだろうが。
しかし、その一方で登記を再生するには、まず過料に処せられる可能性がある。
募金をいくら正確に扱っていようが、そもそも韓国国内の活動が違法である。
認知プロファイルすると、この団体の法人登記住所には誰もいないため、法務省からの通知も気づかなかったのだろう。つまり実態のないペーパーカンパニーであることがわかる。
ということであれば、韓国へ旅行している以上、希望のたね基金は全く実体がなく、양징자が寄付金を一人で使っていたにすぎないということになる。
オーマイニュースには希望のたね基金のツアーと書いてあるので、個人的な旅行だという主張は無理である。
さらに正義連は批判されこそすれ、同情する余地は全くない。慰安婦をかわいそうだとか、なにか支援したいと思うときには絶対に正義連の関係者と取引してはいけない。こいつらは完全にクズだ。
以上から、この団体には実態がまったくないうえに、代表者が個人的にお金を使い込んでいる可能性が高い。
以上から、寄付したり、マリーモンドの製品を買ったりしてはいけない。
HPにもある通り、もはや慰安婦とは関係がないことが明らかである。
さらにもとの正義連自体が韓国で刑事告訴されている。他ならぬ慰安婦の証言をきっかけに、である。したがってファクトチェック以前に直ちに謝罪すべきなのである。
でなければ慰安婦の告発を無視する以上、慰安婦なんて本当はどうでも良くてお金儲けの道具にすぎないという連中でしかない。
また、法人格はない以上、現時点では契約したり、お金を受け取ったり支払ったりはできない。例えばマリーモンドの商品を買おうとしてお金を支払っても商品は来ない。なぜなら、法人格がないのでそのお金がどこに行くのかがわからないからである。