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2021-08-14

ザ・コンサルタント」っていう発達障害主人公アメリカ映画があるんだけど

ザ・コンサルタントっていうアメリカ発達障害主人公映画あったけど

医者がこの子発達障害なんで療育と投薬治療で何とか普通生活をできるようにしましょうとか言ってるのに

オヤジが息子の主人公医者に向かって「発達障害なんていう障害者であるの子普通人生を歩めると思ってるんですか」とか言ってて

結果的に、無茶苦茶戦闘技術とか諜報技術会計士としてマネロンスキルとか仕込んで、殺し屋とか職業犯罪者して生計立てられるようにしてたって内容の映画なんだけど

発達障害みたいなのを使い物にするための研究世界一進んでるアメリカですら、ネットでここ数年いっぱいいる自己意識毒虫のように肥大化した発達障害の望む願望をかなえる程度に生きるキャリアを考えたらこういう仕事させるしかないって結論なのが見ててなんか引っかかるものがあった

まぁ、発達障害めっちゃ多いはてなでさえ、動くものすべてを攻撃し始めて最後無関係オッサン包丁持って刺し殺しにいって捕まったジョジョノトーリアスBIGみたいな思考回路低能先生とか、

発達障害のくせに思いあがって、富裕層でもそんなの手に入れられてるの中々いねーよっていうクラスの金や異性や社会的地位とかを欲しがって「こうなればテロ暴力しかない」とか煮詰まった増田とか見てたら

アメリカはまだこういう特殊工作員でも仕事あるからいいよなーって思うよね、だって日本じゃ発達障害職業犯罪者以外生きる特性がありませんとか言われたら、そんなん実質死刑宣告やん

まだ昭和なら、ソ連から雇ってもらって日本赤軍みたいなテロリスト路線で食えてただろうに今そんな時代でもないし、ホント発達障害には生きづらい時代だよね

2021-03-22

ネット民の言う「嫌なことは嫌と言える社会になってほしい」って言う願望は首締めるだけ

今日Twitterニュースサイト擬人化美少女ゲーは性的搾取けしからんとか

弓道アーチェリーでさえ危険から警察法規制しろとか

障害者雇用枠を拡大して俺ら精神障害者VIP扱いで警察自衛隊でも雇えとかめちゃくちゃな言説が飛び交ってニュースになったりバズってるけど

こいつらネット民の言う「嫌なことには嫌と言っても良い」社会になればいいのにって言う願望

仮にそういう社会になって真っ先に排除されるのはこいつらのような「無能」「嫌われ者」「加害性のある発達障害者」「怠け者」「他害行動をやめない精神障害者」だから該当者は「嫌なことには嫌と言っても良い」という言葉を無邪気に支持しないほうが良いと思うんだよね

自尊心自己意識ネットで異常肥大した低脳先生予備軍みたいな奴ら大量にいて

そいつらが「自分が納得する普通人生レベル基準」とか、冷静に考えたらそんな恵まれ境遇普通なわけがない、ギャルゲーやなろう小説じゃあるまいにってのばかりでさ

かに頑張ったら不可能じゃないかもしれないが、自分がそれをすることによりその陰で何人の人間が不幸な目にあうかわかってんのかよって普通社会は思うわけで

それも権利自由として認めろと言われたら、社会政府は「じゃあお前らみたいな他害性のある精神障害者は鼻から針金突っ込んでロボトミーする自由政府行使するわ」ってなっちゃうだけだと思う

2020-12-28

村田ワンパンマンの展開が心底気に入らねえ


 村田パンマンについてはずっと前から気に食わなかったけど、今回最新話でのタツマキとブラストの邂逅のシーンで完全にキレたわ


 まずこのブラストの登場シーンが背景ホワイトになってるのが気に食わねえ。ここは、村田意図的原作との方向性を変えた部分だと思う。

 原作においてブラスト趣味ヒーローとしての役割を貫徹する一種の異常者として描かれており、一種ダークヒーローとしての役割を持っている。一方で村田パンマンにおいて、ブラストヒーロー化身として全てを救済する完全な理想図、言わばヒーロー青写真として描かれているのだけれど、はっきり言えばこれは村田解釈の逸脱である上に、「とりあえず原作とは方針逆にして攻めてみました」くらいの浅い作品理解が見え見えになってて辛い

 まず原作ワンパンマン106話におけるブラストセリフ「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはならない」を、村田は、「強者の心得として」という(余計な)一言を付けてダウングレードした解釈を行っている。

 ちがう。全然違う。

 第一に、原作ワンパンマンにおいてブラスト純粋に異常者なのである主人公サイタマがそうであるように、ブラストは一介の人間趣味ヒーロー活動をしているに過ぎず、その精神根本には「趣味楽しいからやってる」という以上の信念が存在していないことは、原作最新話に至るまでのサイタマ発言を見れば一目瞭然である。そして、ポイントはサイタマにせよブラストにせよ、自身一種の異常者であることを自覚しているところだ。そう、普通人間ヒーローに憧れて自分を血反吐ぶちまけるまでに鍛え上げて怪人とタイマンで戦ったりしないのである。誰かを助けるためにスタコラ駆けつけたりしないのである。じゃあ何でそんなことをするのか、ヒーローとしての義務感があるのか? 誰かを助けなければならないという強迫的な使命感に促されているのか? 違う。「趣味」なのである

 そんなあやふや精神条件において何年ものヒーロー活動を行い続けることができているブラストとサイタマ根本的に異常者なのであり、また、サイタマ自身が述べているように、そのような常軌を逸した行動の反動として、そもそもサイタマ自分自身空虚さを日々感じているのだ。強くなりすぎてしまった、と。


 その辺の解釈が全く村田パンマンに通っていないことに俺は以前からかなりの怒りを抱いていた。勿論、村田イラストレーターとしての技術画力業界随一のものであることは確かなのだけれど、彼はそもそもジャンプ編集部から何故自身原作作画双方を担当する漫画を任せてもらえなかったのかを根本的に理解していない気がする。そう、作品理解構成根本的に浅いのだ!

 多分村田雄介という漫画家は努力と才能の二本の柱によって自己ブラッシュアップしてきた人間から、ある種の才能の無い人間葛藤とかそういうもの無理解なんだろうなと思う。ある種の人間の心の動きとか細かい心の機微といったもの無知なんだろうなと思わざるを得ない。才能がある人間特有浅薄さが彼のアイディアからは漂ってしまう。彼にはそういう意味編集から仕事を受け渡しづらかったんではないかと思う。ハァーーーーーーーーーー。

 とりあえず一番最初違和感を抱いたのは「海人族編」である。同編のクライマックス自分の腕の中に倒れ込んだ無免ライダーに対して、サイタマがポツリと言うシーン。

「よくやった ナイスファイト

 村田版と原作ONE版においてそのシーンの描き方の差は顕著である


 村田版:サイタマ笑顔で無免ライダーを受け止める。まるで部活コーチ選手を褒めるかのように。

 ONE版:サイタマは無表情に無免ライダーを受け止める。感情の動きは伺えない。


 この時点で二人の作品理解の深度が全く異なっていることは明らかであるONE原作なのだから当然なんだけど)、そう、先に述べた通りサイタマ日常空虚を抱えているのでそもそも根本的には無免ライダーの奮闘に感動していないのである。それは、同編ラストシーンにおける「つまんねえな、今回は期待したんだけど」というセリフからも明らかである

 村田に対して言いたいのは、何でそんな感情豊かやねん、という話である。勿論、これと同趣旨ツッコミは散々浴びせられてるだろうから村田にとってはこういう意見は今更なんだろうけれど。でも、それにしても作品解釈が雑すぎんかね? という話なんです。

 他にも、同場面において、背後から一撃を加えたにも関わらず何らダメージを受けたようには見えないサイタマに対して、海人王が沈黙の後に名乗りを上げるシーン。ここも明らかに原作意図を掴み切れていない浅薄描写となっている。本編において海人王はサイタマ生物としてのポテンシャルの高さを如実に感じ取っており、やや苦戦したジェノスと比較してさえなお「今までのゴミとは明らかに違う」と述べている。このことからして、海人王はこの時点で自身の敗北を些か覚悟していた可能性が高い。その上で、これまでどのヒーローと相対した時にも発さなかった「名乗り」を上げるのである

 つまりこの名乗りは、自身の敗北の予感を覚えつつも、目の前の強者推定)に対して敬意を表した「名乗り」だと言えるのだ。自分と同等かそれ以上の生命体を目の前にして、戦闘を開始する前に礼儀を尽くそうとしたのである敵役ながら天晴な心理描写に俺は感動してしまっていた。でも、当然ながら村田パンマンにおいてはそのような感情機微が捉えられている様子はない。ガッカリ


 そういった村田パンマン原作との齟齬は全体的にはそれほど多くないものの、時折というペースで伺えてしまうのである

 例えば地獄のフブキとサイタマ最初に邂逅するシーン。フブキは戦闘においてナイフを取り出しサイタマに切り掛かる。その目尻には涙が浮かんでいる。

 この涙は、フブキのナイーヴさの表現であることは明らかなのだけれど、その解釈ONE村田では幾分異なっているように見える。


村田版:子供自分の願いを聞き届けられなかったかのような悔しさを滲ませた涙

ONE版:目の前の相手に対する恐怖、そしてナイフという直接相手を傷つける武器によって相手殺傷することへのストレスを含んだ涙


 やはりこの描写からも二人の作品に対する深度の違いが現れているようでならない。村田普段仕事はきちんとしてるんだけれど、こういう見せ場みたいなシーンでしょうもない解釈ドヤ顔ブツけてくるからホント辛い。上記の通り、フブキはナイーヴであるため根本的に他者を傷つけることにストレスを感じていることが前後の流れから読み取れる。更には、相手武器で傷つけてまで自分地位を守ろうとすることへの葛藤さえもその表情から伺える。一方で村田……ヘイ村田

 上記の通りフブキの涙についての解釈が、その表情に関する解釈が、村田パンマンには希薄であるように思われるのだ。

 というわけで作品解釈がところどころ浅いっつーか、キャラクター人格根本の部分について村田は読み違えているように思えてならないのだ。いやまあ大体は大丈夫なんだけど、原作ファンとしては「ここが見せ場!」ってなってる場面でやらかすのが村田って感じなんだよな。例えば無免ライダーナイーヴファンボーイ的なキャラクターとして描写してるきらいが村田にはあるけれど、無免ライダーヒーローに対して明るい観念ばかりを持ってるファンボーイじゃなくて、ヒーローとしての自分への失望とか周囲の人間自分に向ける視線への恐怖(タンクトップタイガー発言「C級1位の座寄越せ!」などに代表される)と日頃戦っているキャラクターの筈なのだ。つまり根本的に暗くて弱い人間の筈なのだ。それでも、信念に従って倒されても立ち上がって戦い続けているから彼は魅力的なのだ

 なのに村田ときたら無免ライダーのことを「スパイダーマンに憧れたのでとりあえずスパイダーマンコスプレしてみた」的なファンボーイとして描いている。ハァー、バカチンが。


 まあ勿論繰り返すように全体は丁寧で、仮に褒めるとすればボロス編とかは全面的に良かったと思うんだけど。でもところどころやらかしてんだよなあ村田は。

 長くなったけど今回の最新話での蛇足描写もそうで、「強者の心得として」っていうセリフはいらなかったの。

 これは俺の作品解釈なのでONE想像と合ってるかどうか分からないけれど……、恐らく「いざという時に誰かが助けてくれると思ってはならない」というセリフは、根本的にブラストの優しさと厳しさの混じったセリフっていうところは当然村田解釈しているのと同じなんだけど、根本的にそこには齟齬があるようでならない。

 つまりあのセリフは「人を助けるってことは普通人間にはできない」という意味が籠もってると思うんだよな。

 だから普通人間にはできないことを期待しちゃいけない、って意味なんだと思う。そしてここで述べた解釈もまた表面的な解釈に過ぎず、裏を返してみればブラストが言いたかったのは次のことだろう。

「人を助ける人間は異常者だ」

 ってこと。

 繰り返すように、ブラスト趣味ヒーロー活動をしている自分の異常性について幾分自覚である。「普段は働いていて、これは趣味なんだけどね」と原作において付け足している部分からも明らかであるように、「自分はこんな異常者じみた活動をしてるけど、普段普通社会人なんだ」という、既に解消され消化されたであろう葛藤の、単なる痕跡としての「後ろめたさ」を匂わせているのである。そう、ヒーロー活動なんて本来は異常者の行うことなである。サイタマしかガロしかり、本当にヒーロー活動に真面目に取り組んでいる連中なんて皆まとめて異常者なのだ

 そしてブラスト自己意識においてもソフィスティケートされているので自身の異常性を認識している。彼はこう言う。「(自分ちょっとおかしいか趣味の一環で君を助けたりはするけれど、そうじゃない普通の人が君を助けることなんてまずないのだから、)いざという時に誰かが助けてくれると思ってはいけない」と。そしてここには更に裏の意図が込められていて、つまり「誰かを助けるなんてことを考えるのは、誰かに助けてもらいたいという弱者の望みを叶えようとするのは、根本的には異常者の仕事だ。君が、そういう弱者の望みを叶えたり、あるいは、『誰も助けになんて来てくれないのが普通の世の中』に対して忸怩たる感情を抱いているなら、君自身が異常者になって、つまりはただ助けを待ち望むだけで誰かを助けることのない普通人間から抜け出して、誰かを助ける側に回るしかないんだよ」と。


 ブラストはそういうヒーローなのだ。異常者としての、しかしサイタマガロウと同じく善なる傾向を持つと同時に、冷徹感情をも持ち合わせるダークヒーローであるのだ。その辺のしっかりとした解釈を、村田自分仕事に持ち込んでもらいたい。以上一読者から意見でした。

2020-11-24

貯金してない人の精神がわからない

実家が太い方だと思う。

田舎で親が自営業やってて年一海外旅行

習い事は火曜~土曜まで毎日なにかしら。

高校までは地元公立だったけど、

私立4大でて授業料卒業まで入っていた寮費も仕送りも親もち。

実家(戸建て)をキャッシュで建てて

車は国産外車の二台。

(私が成人してから3台に増えたけど)

今は結婚してとある都会に住んでいる。フルタイムで働いている。

世帯年収大人二人がまあ多少贅沢しても毎月貯金はできるくらい。

そんな状況なんだけど、

正直人生お金に困ったことあったか?みたいな認識なんだけど、

貯金意識が向かない人たちの気が知れない。

貯金できない」じゃなくて「貯金できる余力があるのに全額消費しちゃう」人ね。

無理に捻出することはないと思う。

まあ貯金するか否かもその人次第なのは前提なんだけど。

私は貯金できない状態に陥るとパニック気味になる。

一度扶養に入ったけど生活費(食費とか通院代とか)にほぼ丸々消えて

それでむしろ病み悪化した。

夫に「食わせてもらってる」状態が怖かった。

(夫は無理に働かなくていいよ!って言うタイプだし、

正直それだけでも暮らしていける)

実家がうちの何十倍も太い友達は、親のお金があるから

そんなに必死に働かなくても良いのでは?って考え。

まっっっっっったく共感できない。

未成年の頃はいざしらず、社会人になって自分自由に使えるお金がないって不安にならない?

いやきっと、親からもらったものも夫のお金自由に使っていいんだろう。

服を買ってもネイルやっても、美容院喫茶店でも何もかもやっていいんだろうな。

でもそれができない・・・

人が許しても「すねかじり」の自己意識が巨大すぎてできない。

この先の人生で私が社会から必要とみなされ、働き口がなくなり、ランニングコストに切迫して

自分価値のない人間だと今より強固に思い込む前に貯金をしなければ。

貯金さえあればそれは私の目に見える実績になる。

貯金さえあれば、何かが起きても多少はなんとかなる。

そう思ってしまう。

いや、違うな。

「働いてる」「貯金できてる」だから私はちゃん大人になれてる。って認めてほしいんだろな。

誰に認めてほしいのかはわからんけど。

中身が子供からそういう見栄が貯金っていう行為に反映されてるだけかもな。

2020-02-26

最近つまならくなってしまった書き手

ネット発で独特な低めの視点から発言を繰り返し、単著を出したらネット上ではわりと時の人扱いになって、本人もわりとその気になっているらしい感じなのだが、プロの物書きとして身を立てていこうとするにつれて、どんどんつまらなくなってしまっている書き手がいる。

どうしてこうなってしまったのだろうか。この人の創造性が痩せ細っていく過程他山の石として考えてみたい。

自らを繊細で、あいまいで、弱いが、やわらかい知性があり独特の視点をもった書き手として売り出していくことは、諸刃の剣なんだろう。

その人の発言書籍化されて、広い範囲の人々の共感を得るにつれて、書き手はもう弱者ではなくなってしまう。

自分発言根拠自分で掘り崩してしまうというか、読者から共感を得ていた理由自分自身で消去してしまう。受けていた鉄板ネタがなくなってしまう。書くことがなくなってしまう。

そのことを自分でも気づいており、年を取るにつれて独自視点が失われてしまうので、これまで何者でもなかった自分というあいまい状態を脱却して、プロ作家として身を立てようと、クリエイティブクラスタとの付き合いに移行する。

そうすると、自分書き手たらしめていたある種のアマチュアリズムますます失われてしまうので、自己イメージとしては作家であろうとしても、書くことはもうない。

自分コンテンツが痩せ細っていることは自覚していながらも、自己意識としてはすでに作家なので、イベントをしきりにやったり、書いたものにペイウォールを設けて読み手課金させようとするが、周囲の人間は興ざめししまって離れていく。

創造性とは、予期していないときに突然与えられる恩寵のようなものなのだろう。

さまざまなものを吸収していながら、それを外に出そう、売りに出そうと思っておらず、暇になったときに、不意に面白いものができることがある。

そんなふうに、泉が静かに満ちて滴り落ちるような瞬間を待つことができないのなら、もう覚悟を決めて、職業的に、自分毎日油種のようにして絞り上げて、書くしかない。

どちらもできず、自分オリジナリティがある、自分はほかの人がない物を持っている、と思って、クリエイティブな人と付き合って、自分クリエイターになった気持ちになっているだけでは、なにも生み出すことができない。

2020-02-16

物語しか泣けない

アニメドラマ映画漫画ラノベなどの物語しか泣けない。

姉が自殺したときも至って冷静で、生きていても死んでも迷惑ばかりしかかけないヤツくらいにしか思わなかった。

父も90近く高齢胆管がんを患い、手術は成功したがおそらく数年で死ぬだろう。それでも考えるのは「めんどくさいな・・・」くらいにしかわず・・・

今までに知り合いや友人だった人もなぜか知らんが数人自死で亡くなっているが、その時考えたのは自分の保身だった。

父は自尊心承認欲求が強く、嫌なことがあるごとに「俺を馬鹿にしやがって!!!」と泣き喚き、酒に溺れ子供に物を投げつけ、蹴り上げ、怒鳴り散らすような人だった。おかげでオレは今でも自身には全く無関係理不尽暴力や街なかで聞こえてくる怒号ですら怯えるようになってしまった。子供時代学生時代はよくイジメられた。男なのに情けないって思う。今となっては、オレが大人になり、力もオレのほうが強くなった事もあって、暴力を振るうようなことは無くなったが、泣き喚いたりメンタル的に弱いのは今でも変わらない。

オレが特別優秀だなんて思い上がっていたわけでもないが、姉は料理家事もロクにできず、スポーツができるとか、頭がいいとかもなく、にもかかわらず努力のかけらもするようなことはなく、何をやってもオレより劣り、誇れるようなことは何もないような人で、高校受験に失敗し、本命だったそこそこの公立校ではなく併願受験でなんとか合格していた最底辺私立校へ行ったことで、更にクズ人間になった。クズ人間の不良の友人に処女を奪われ、そいつ結婚するとか言い出したが、両親に拒否され説得され、傷心のまま恋仲になった裕福な彼氏に救われて結婚したものの、結局そいつも父と似たような暴力旦那でDVにさらされ、精神を患い、そんな折2人の子供を産んだが、実家団地の高層階から身を投げ自殺した。本当にどうしようもない自業自得人生で、こんな人が姉だと思いたくない。だからもし姉との思い出は?と聞かれても「どうしようもないクズ人間だった」としか答えられない。

そんなオレの子時代の救いは、優しく強かった母だけだった。だから母だけには、今でもとても感謝しているし、何かあったら助けてあげたいとも思う。それでもそんな家庭から逃げたくて、20になる頃には独り暮らしを始め、今は産まれ育った関西から遠く離れた千葉に住んでいる。

別にオレが死ぬような思いをしたことがないから、辛い人間気持ちがわからないとかそういうのでもないと思う。理不尽暴力は振るわれた本人が心身ともに酷く傷つくし周囲も嫌な思いをするから誰のためにもならない。独り暮らしを始めて少し経った頃、騙されて借金を背負ってロクな食べ物も無く、「死んだら楽になれるかな」なんて思いつめて自暴自棄になったこともある。自己意識喪失が怖くて結局自殺はできなかったが。

たぶん、父が死んでも「やっとめんどくさいやつが死んでくれた」「でも母が独りになるけどどうしたものか」くらいにしか思わないんだろうな。

2019-07-05

精神的にもろい人はどうすれば良いですか?

か、カウンセラーなのに暴論を言います

男子筋トレをしてください、

女子自分が美しくなることをしてください。(エステとかネイルとか、高い美容室とか)

精神的にもろい、言い換えればストレス耐性の低い方は、どんなアドバイスをしても否定的思考が勝ってしまい、「行動に移せない、考え方を変えられないダメ自分」を再確認することになってしまます。「そんなことわかってるよ!でもできないんだよ」というのが本音ではないでしょうか。

「だからダメだ」ということではありません(笑)

ストレス耐性の低さは、傷ついた経験から得たものであったり、両親が心配性なため「愛されたけど信頼されなかった」経験がもたらしてしまったものであり、「あなたがもろかったから」ではありません。「もろいフリをすることで乗り切った経験」がいつしか自分はもろいことが真実である」と書き換わったことによる弊害なんです。

思考は賢いので、一時的必要であった要素(このストレスには耐えきれないから逃げとこう)が、すぐに汎化されて「何をやっても耐えられない」という自己意識に変換されてしまます猛獣毒草ウヨウヨしている古代には必要能力であったと思いますが、それが安全すぎる現代では弊害をもたらしているといえるでしょう。

https://jp.quora.com/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%9A%84%E3%81%AB%E3%82%82%E3%82%8D%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%99%E3%82%8C%E3%81%B0%E8%89%AF%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B/answers/150780996

2018-07-30

自意識自我の違いって何だ?

自意識

自分自身についての意識自我意識自己意識。 「 -が強い」

外的存在に関する意識対立し,自我がおのれを感じ,考え,意志し,

行為する多様な働きを統一する自己同一的な主体としての意識本質的反省意識であり,幼年期には存在しない。

元増田のは自意識か?





anond:20180719191815

2018-07-20

anond:20180720223004

そりゃ性同一性障害なら性器の形状と自己意識との乖離に深く悩むのでしょうけど

それは男女(MtoF、FtoM)問わず起きる問題で、今ここで対象になってる性器の男女差の話とは別問題じゃないかしらん

2018-07-10

anond:20180710212351

お前は誰だと毎日鏡に問い続けると自己意識がはっきりしてくるようですよ

2018-07-06

拒食症

私は物を介して甘やかされていても、信頼と受容の関係という甘えを体験していない子供であった。輝く子どもであることを無意識要求され続け、しかし際限のない親の欲望を満たすことができず、常に自己が無力化される機構が働いている。

自己不信を中核とした自己意識は常に悪性の抑うつを生み出し続ける。自己不信が生みだす深刻な抑うつ防衛するために、鏡像で映したような、等価価値のある自分を発展させて自己バランスしようとする。甘えと愛を断念して手に入れたのは病理自尊心であり、背後には茫漠たる自己不信が横たわっている。

内的価値自分存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚があるときに成立する。周囲の人からどう思われるかに敏感であり、常に他人自分比較しながら生きざるを得ない。輝く自分を実現するには、他人を蹴落してでも上位にならなければならない。外的価値は結果を出すことでしか得られず、必然的に対人関係は勝ち負けの世界となる。優越している自分他者を見下す対象にし、転落した無能自分は見下される対象になり、対等の人間関係を築くことが困難になる。

拒食症患者例外なく「平凡恐怖」を抱えている。社会で生きていくためには、誰もが目で見てわかるような外的価値を獲得するしかない。学歴職業地位、才能、ブランド、そして贅肉のないスリムな体型はその最たるものである自分を信じることができない彼らは、他人を信じることができない。自分を愛せないことは、他者を愛することを不能にする。

2018-03-11

躁だか激しい精神病状態ときってたぶん、

自己意識とかメタ認知みたいなのの

働きが弱くなってて、

次々に考えが浮かんでくるみたいな感じ。

夢をみているときに近かったと思う。

2017-08-17

意識高い友人が車メーカー調達職で悪魔に魂を売っていた

もう何年か前の話になるけど,とりあえず書き出してみる.

ある程度脚色があるけど,どうせ増田だし皆さんの信じたいところまでお読み下さい.

あらまし


新卒就職して1年位たったある日,学生時代の同期たちと飲み会があった.

そこに,世間一般にいうところの意識高い系学生生活を送った文系女の子がいた.

の子は,国内自動車メーカーで,国内の協力会社相手とする調達職をしていた.

 

 

飲み会の途中で,各自が今やっている仕事の話になった

の子は,調達価格を下げて事業に貢献していると言っていた.

「今年は去年よりも値下げ率上げられたの?」と聞いてみると

「下げられた.下請けに買わないよって言うと下げてくれる」と.

 

 

下請企業の存続を左右できるほどの発注量のある企業が,

発注の停止を提示して値下げ要求することは,買い叩きとして下請法で禁じられている.

「以前から継続して発注してる部材を一方的に買い叩くのは違法じゃなかったっけ?」

「えーそんなことないよー,だってあの人達ウチらいるからやってけてるんじゃないの?」

 

 

自分は車に対しては下位サプライヤーとなる,基幹部品寄りの企業に勤めている.

『そういう立場にある発注元が,値下げを強要するのが違法だ』という言葉を飲み込み,

その日の会は和やかにお開きとなった.

この日感じた違和感


自動車メーカー調達にちゃんとした教育をしないのかよ」といった思いよりも,

彼女がとても生き生きと,下請けの値下げの話をしていた事が気になった.

 

 

しかしたら,彼女は,「下位カースト人間」を

与えられたから,あんなに生き生きしていたのではないだろうか. 

意識高い系努力教産業構造の融合

 

努力教人間は,「努力をしてこなかった人たち」に対しては,いくらでも残酷になれる.

彼らにとって,海外の貧しい人たちは,めぐり合わせの悪かった「施すべき人たち」だが,

国内にいる下位カースト人間は「努力をしてこなかった人たち」だ.

 

 

もちろん,努力教自己意識が有ることと,自分が実際に努力してきたことは別問題である

まれ環境によって,満たされた地位にある大学生は,学生活動()等を通じて,

互いに努力しあっている(切磋琢磨している!)集団演出し,自分以外の学生や,

他の集団に対する優越感を得ているように感じる.

 

 

彼女は,海外留学経験もあり,国際理解が深く,それなりに教養もある.

それは,現在日本では,恵まれ環境に生まれ育たなければ,与えられないものではあるのだが,

彼女は現状を「自分努力で獲得した」と思いたかったのではないか

   

  

そして彼女は,下請けに対して「努力をしてこなかった人間自分らが施している」と認識したのではないか

零細のサプライヤは,努力をして来なかったから現状があると思っているのではないか

そして自動車メーカーは,彼女自意識を見抜いて,現状を肯定してやり調達職として利用したのではないか

そんな疑問が,年月のたった現在でも,湧き上がってくる.

 

 

意識の高い若者が,得られなかった優越感,選民意識を,下請けと言う名の「下位カースト」を与えてやる事で満たしてやる,

これは,自動車に限らずサプライチェーン上位のメーカーとしては,全く適材適所の采配だ.

きっと,下請けに対していくらでも残酷になれると思う.薄ら寒い

2015-11-09

スクールカーストのなにがくだらないって、それを語ってる奴らが、何かしらをわかった気になってることなんだよ。人を分類したところで、見えてくるのは分類してる奴の惨めで卑屈な自己意識だけだ。

2014-12-16

スーパーIT大学生Tehuの言動と、自己愛性人格障害の症状が酷似している

自己愛パーソナリティ障害とは、自分特別存在だという肥大した自己意識(誇大自己)を持つ事を特徴とするパーソナリティ障害のことである。「偉大な自分」にふさわしい華々しい成功夢想したり、他人に対して過度に尊大な態度を取ったり、特別扱いを求めるが、相手の気持ちには無頓着になりがちな傾向を示すのが特徴である

自己愛パーソナリティ障害の症状と実際のTehuの言動】

・人より優れていると信じている(「自分ナンバーワンになれる絶対的な才能を持ち合わせている」と発言

権力成功自己の魅力について空想を巡らす(「将来は秋元康のようになるつもり」など、成功権力を持った自分を空想する)

・業績や才能を誇張する(Wikipediaの項目作成、tehu.meという自分HP過去の業績を長々と自慢するなど)

・絶え間ない賛美と称賛を期待する(常にTwitterfacebook仕事自慢や人脈自慢を繰り返す)

自分特別であると信じており、その信念に従って行動する(「自分先駆者」「才能・努力・実績を持ち合わせている」などと発言

・人の感情感覚認識しそこなうTwitterで同年代若者を「精神年齢が低い」と貶すなど、それを聞いた人がどう感じるか推し量ることができない)

・人が自分アイデアや計画に従うことを期待する(「インターン自分アイディアが通らないことに違和感を感じた」という旨をインタビュー発言

・人を利用する(知り合った人々を人脈と称しSNS上に書き込むことで、自己の知名度アップに利用しようとする)

・劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる(「慶應SFCでは数%のぶっとんだ有能な人しか相手にしない」などと公言

嫉妬されていると思い込む(ネット上でのバッシングについて「僕が有名だから叩かれる」とインタビュー発言

他人嫉妬する(女遊びに走るチャラチャラした大学生に強い嫉妬を感じているが、それを隠すために彼らを非難することで自己を保っている)

・多くの人間関係においてトラブルが見られる(「14歳の頃から嫌われ続けてきた」「昔仕事をした一部のエンジニアから現在も嫌われている」と公言するように多方面に及ぶ人間関係トラブルが見られる)

・非現実的目標を定める(「日本社会全体を動かす演出家になりたい」に代表される非現実的理想を掲げる)

・脆く崩れやす自尊心を抱えている(自尊心が傷つけられると、冷静を装うためわざわざSNS上で「全然気にしてませんから」という風な態度を見せる。また何かに挑戦するときも予め予防線を張った発言をすることで保身に走る)

感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える(感情が乏しいため、他人SNS上で平然と非難し、そのことについて何も感じない)

2014-05-20

彼氏の出来ない(一部の)高学歴女が好きな男

一見なんの問題もなく社会的生活を営んでいそうで、初対面であれ?この人何かおかし・・・と感じさせるタイプの人がいる。例えば東京都北区赤羽という漫画はそういう日常に潜む変人に対しての嗅覚が異様に鋭い作者が今まで出会った変人を特集した漫画である。とくにこれ。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8C%97%E5%8C%BA%E8%B5%A4%E7%BE%BD%E4%BB%A5%E5%A4%96%E3%81%AE%E8%A9%B1-%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%89KC-%E6%B8%85%E9%87%8E-%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%82%8B/dp/4063763366/

そしてそういう男しか愛せないタイプの女がいる。

そういう女は初対面の段階でいくつかのシグナルをもとにそういう男を見抜いてハマってしまうのだ。まずはそういうタイプは大抵喫煙者。やめようとしてもやめられないタバコ依存です。中学生くらいにかっこいいと思って吸い始めてるけど今は依存全然辞めれない。

そしていわゆるサブカルチャーが好きであるジョジョ椎名林檎ブランキー・ジェット・シティ、といったメインカルチャーちょい外れくらいのところを通って今はがっつりサブカルです。最近映画だと、アクトオブキリングとか見てる。基本的エログロを含むキツい風刺のきいた作品を好みます園子温はだいたいカバー

本人もキツイジョークを好むので、見知らぬ人をクソババァとかクソジジィとか呼んでみたり、職場にいる完全イジられ属性を持ってるけどアンタッチャブルな人に対するみんな思ってるけど言わないようなことをだんだん言い出します。毎日顔を合わせるレベルの人をメンヘラ下品素人童貞ちょっと臭いとか言っちゃう。でもあくまでその人をけなしているわけではなくてその人の特徴について話しているつもりなので、翌日も普通に一緒に仕事します。本人は悪口のつもりではないし逆に同じようなことを言われていてもなんとも思いません。

そういう毒の効いた発言を何度か繰り出してこの人は大丈夫だな、と思い始めたら年上だろうが上司だろうがタメ口です。でもそういう相手を嗅ぎ分けるのは下手じゃないのでタメ口聞かれる相手はなんとも思いません。ただし、それを周りで見ている事なかれ主義人間体育会系人間が影で注意したりします。それに対してイラッとします。

まあまあここまでのタイプ20 人に一人くらいいるかもしれません。もうちょっと希少価値高めになると高校中退してます。そういうタイプはだいたい早熟かつ要領は良くて中学までは勉強できるので比較進学校学校に通い、その環境に三年間も耐えられず中退します。家に金があるとそのまま社会からドロップアウト。一般家庭の場合大検とっていい大学いってます

自分料理とかしないのでカップラーメン率高し。そして何もなければ一日中寝ているのに何故かガリガリです。身長はそんなに高くないことが多いですが、とにかくガリガリ。外でないし運動嫌いだし運動神経も良くないので色白です。喉仏と鎖骨がでているのでそういうところもそういう男が好きな女子の心を刺激しているんですね。でも 30 代近くなってくると代謝が落ちて太ってくるので気をつけて欲しいところです。

酒は好きですがたくさん飲めるかどうかは体質なのでひとそれぞれ。ただし共通点としては酒を飲むと高すぎる自意識の壁が突然とっぱらわれてキャラが変わるタイミングが訪れます。酔った時だけ素直になりますが、日頃気を遣って抑えている言いたいことが爆発して一度心を許した相手に対していわゆるドSになります。同様の理由でセックスの時もどSです。

インターネットリテラシーは高いです。Yahoo ジオシティーズ南条あや。そしてはてな民

というわけで上記に該当するはてな民の皆様は、そういう男がしか愛せない、高学歴だけど顔は日本人の平均くらい、自己意識が強すぎていわゆるイケメンには絶対にいけない、休日は一人で映画ばっか見てるような女を探して幸せにしてあげてください。

2014-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20140425111033

おお、まさか反応してくれる増田がいるとは。うれしいよ。

指摘の通りでその本から持ってきた話だよん。方向低位の話をするのになぜ方向定位と海馬の話をわざわざ持ってきたのかというとだね。


この辺の情報統合すると、海馬ゲーティングの異常から来る後頭頂葉機能異常が統合失調症陽性症状と関係しているんじゃないかと思ったんだよね。どうだろう。

2011-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20110911044626

そういう風に理解する、ということに考えさせられた。横入りだけど。

(1)「他人を試みることは失礼だ」

(2)なぜなら「(私の)不信によって相手が傷つくだろうから

(3)「それは自意識過剰

この(2)に対する(3)のリアクションについて。

確かに、「自分の為した行為等によって相手が傷つく可能性を考えて行為しない」という行動様式の帰結として、一般的にいって「肥大した自己意識」があり、そのため本来なら行うべきであった社会的に必要な行為すら行えなくなるとしたら、それは確かに病的な「自意識の過剰」であると言える可能性は否定しない。ちまたで見かける自意識の過剰を羅列すれば、

 「みんながオレのこと監視して笑ってるような気がしてむかつく」

 「頭の悪いオレが一票を投じても間違ってる可能性が高いか投票しない」

 「すれ違うたびに気持ち悪がられてるだろうからもう外出しない」

とか、まあそういう感じ。

確かに、どんな「行為とそれに対する他者のリアクション」の場面においても、他者の心の内でどのような感情が渦巻いているかは外からしか見ることができない。そのため、その反応を基に、自己意識の外延としてしか他者の心を思いはかることはができないため、あらゆる「配慮」は原則的に自意識産物足らざるを得ないし、そればかりでなく、常にそれが他者からみて(それが健全社会関係を阻害するレベルに至るか否かは別として)不足であったり過剰であったりする可能性は免れ得ない。つまり、どんな「配慮」行為においても「自意識過剰」という批判は常に投げかけ得るマジックワードとなる、ということだ。


ただ、健全社会性を保つためには、この「配慮」が過剰であっても、そして過『少』であっても、よろしくないことは理解されると思う。そこで、配慮を一定規範とする考えが登場する。マナー作法あるいは「礼」というのがそれである。ただ、これらのマナー作法や礼というのは、決して「形式的にそれを満たしておれば、誰からも問題とされない」という許可を与える法律のようなものではなく、それらのマナー作法や礼が要請するところの「基の感情」で内面が満たされていることが他者から見ても分かることが、社会的に必要な要件とされることが多い。

頭を下げるのは「礼」だが、ニヤニヤしながら頭を下げていれば不真面目だと言われる。テーブルマナーを形式的に身につけることは大事だが、頑なにそこから逸脱しないことが重要なのではなく根底にある「みんなが食事を楽しめるように、不快なことをしない」を満たすことが需要なのであるから、たとえばマナーを知らない人と食卓を囲む際にマナー知らずであることをもってその人を笑いものにしたりする人は、むしろ重大なマナー違反を犯していると考えるべきだ。

このことを前提として最初に戻ると、

(1)他者を試みることは失礼である

これは理解できる。聖書にも「汝、神を試みるなかれ」とあるが、試されるようなことをすれば、神様だって怒るのである。怒る理由は「信じていないから」であって、一般的に「試す」のは「確信がもてないときであることは言うまでもないから、「試す」ことが「確信をもっていない」というメッセージになりうることは、事実であると言える(これは、たとえば「私はそんな風に受け取ったりしない」という個人的主張を否定するものではない。たとえば「てめえぶっ殺してやる」を愛情メッセージと受け取る人も世の中にはいるだろうから範馬勇次郎とか)。)

次に、

(2)なぜならその含意するメッセージによって相手は傷つくだろうから

という説明も問題はない。(1)が、メッセージの含意する「不信感の表明」という事態避けようとする意図から生まれた規範であることをベースに考えれば、その意図するところが(2)のような理由であると推測することに飛躍はないからだ。相手を傷つけることが、健全社会関係を維持する上で不利であると考えるのは、理にかなっている。

そこで問題は(3)だ。(3)の発言者(以下、(3)の人と呼ぶ。)は、なぜかように考えたのであろうか。本当は、特に考えていたわけではなくて、単にマジックワードを振りかざして、ちょっと反社会的でカッコよさげなことを言ってみて悦に入りたいだけなのだろうか? それにしては中途半端な発言なので、一応そうではないと仮定すると、この文脈でこういう発言が登場するからには、(3)の人は「試すことは悪いことではない=私は試したい」と思っているのであろう。(2)の発言者に「相手を傷つける可能性」を指摘されてなおかつ(3)の人は、それを否定するために「自意識過剰」というワードを持ち出したわけで、そうすると、(3)の人の中では「相手を傷つけること」よりも「自分の願望を抑えること」の方を(あるいは、前者をしないために後者をすることを)悪とみなしているということになるからだ。

これはとても不思議感性である。「自分の個人的な不信や疑念を払うこと」を重視する一方で、「他者を傷つける可能性」を低く見積もっているのみならず、その「他者を顧みない」行動により「自分が他者から不信や疑念を抱かれる可能性」を全く考慮していないからだ。この(3)の人にとって、他者とは、自分に決してコミットしない、窓の外の存在であるかのようだ。

肥大する自意識に脅えながら、同時に他者を窓の外に放り出して顧みない。彼は一体何と戦っているのだろうか?


「平気で嘘をつく人たち」ではないが、このような「平気で人を試す人たち」から見えてくるものは、確かに一つの時代、世界風景である。それを、「核の時代」のうすら寒さと共通している、と言ってみると、飛躍して聞こえるだろうか。しかし「核抑止論」とは、「私の不安を解消するためなら、核武装するのが一番だ。みんなが核武装すれば、平和からだ」という言明ではなかろうか。そう考えれば、これはそれほど突飛な比較ではないだろう。そして、核抑止論が、現代世界において一定コンセンサスを得ていることも事実として認めておこう。「私の不安核武装」が隣国の不安核武装を呼び、それがまた次なる核武装を……と連鎖が続くという事実を眼前にしながらも、今のところ人類は、理性と対話というか細い支えで対抗しつつ、民族文化の壁を越えることには必ずしも成功していない。「中の安心」が一番大事で「外との対話」は二の次なのだ。「外との関係」が「中の安心」を生む…というアイデアは、そこでは顧みられない。私たちの生きる「国際社会」は、残念ながら依然そのレベルにとどまっている。

(3)のつぶやきが示すことは、もはや個人と個人の間ですら大国間のように理解と協調を求めることが難しい時代だということであり、その中で、恐怖心のシェルターに閉じこもる人々が(3)のように振る舞うことは、もはや不可避のことなのかもしれない、ということである。異文化間における理解と対話のためのメソッド確立することは、我々にとって真の意味で喫緊の課題である

2011-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20110614000739

きっと彼らはこう思っていたんじゃないかって。

俺はこんなにいいひとキャラで頑張ってるのに、なんであんたは、そんなに性格の悪さを晒して平気でいられるんだよ!?

悪いところむき出しでも愛してもらおうなんておこがましいんだよ!

本人のそういう自己意識とかは何も関係なくて、単にあなたのあり方が不快うんざりしてるからなんとかしたいだけじゃないか

2011-04-12

湯涌温泉花咲くいろは招致は正解?だったのだろうか(成功or失敗?)

花咲くいろは聖地となった湯涌温泉に先日行ってきた。個人的には非常に印象が良い温泉街であったが、この温泉街が抱え持つんじゃないだろうかという悩みも分かったような気がしたため、あくまで一観光客の暴論ではあるが書き留めることにした


まず、湯涌温泉街に入ってすぐ抱いた印象は、ここが上品な「静かさ」を持つ温泉街であり、こうした選好を持つ個人客向けにぴったりな温泉街だろうなというものだった(一例とすれば、温泉街にありがちな射的や場末的バーがない)。これは私個人とすれば、この温泉街に希少な強みのように思え、この「静かさ」を壊しかねないアニメファンの流入をなぜ許そうと思ったのか?ということが非常に気がかりであった。

詳しく言えば、うらぶれていない「静かさ」というものを湯涌はブランド価値として認識しているのだろうか?そもそもそれを、ブランドとして認識しているのか?次に認識しているとしたらなぜいろは招致を行ったのか?そのリスク管理をきちんと計算しているのか?というのが気がかりであった。


さて、観光業もまた普通産業と同じように、投資のリターンを得る産業である。簡単に言えば、高山鉄道を作ったり、そこに歴史ロマンがあるのだというアピールをしないアルプスは単なる険しい山だ。観光地PR宣伝文句自体が、宣伝文句と同じブランド意識を作るのであり、ブランドイメージは絶え間ないPR戦略によって形作られる。では、湯涌が長年投資してきたブランドイメージとは何か?

湯涌温泉観光協会によれば、湯涌温泉ブランドというのは、「名湯がある静かな温泉街」であろう。湯涌温泉は、このブランドイメージのために投資を続けてきたのであり、それは後述するように恐らく成功しているといっていい。

問題は、こうしたブランド花いろ招致が傷つけるのだろうか?という点にある。しかし、これは表層的な次元の話なのでもう少し深い次元についての話をしてから述べたい。つまり、そもそもなぜ、「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージから通常、広告を打つべ20代以上女性層、30代以上男性層ではない層に宣伝したのかという話である。「名湯がある静かな温泉街」というブランド自体に湯涌温泉側が価値を見いだせなくなっているのではないか?これが極めて重大な深い次元での問題である


湯涌温泉経済状況ははっきり言って分からない。以下、本項では一般的な温泉街へのイメージであるやや経済的に苦境に立っている温泉街というイメージを湯涌に勝手ながら当てはめる(潤ってたらすいません)。つまり、「名湯がある静かな温泉街」では競合他社が数多く存在し、このため他にもう一つアピール材料が欲しいともがく湯涌温泉、そもそも「名湯がある静かな温泉街」というブランドに魅力があるのか怪しんでいる湯涌温泉というイメージである

繰り返しになるが、一観光客として湯涌温泉の魅力として感じたのは、「静か」であることであり、団体旅行客向けと一瞬で分かるような老朽化した大型ホテルがないという2点だった。湯についてはその効能が他の温泉と何が違うのかよく分からなかった。ただし、白鷺の湯の盛況ぶりを考えれば地元の人々に非常に愛されていることが分かり良いお湯なのだろうということは分かった。「名湯がある静かな温泉街」というのは、概ね成功しているようである※1。


であるが、やはり「名湯がある静かな温泉街」のみではメインターゲットである宿泊客は集客できないという判断があったのだろう。そこで、湯涌には「名湯がある静かな温泉街」以外のアピール材料として、それは夢二館と江戸村を設定しているようであるしかし、夢二のアピールはそれが単独温泉街を支えられるほどの魅力かはあやふやなものであろう(東京美術館があり、生まれ故郷宣伝し、他の温泉街でも夢二アピールする場所があり、そのなかでなぜ湯涌が選好されるのかは分からない)。江戸村は総花的な江戸時代博物館となってしまっており、金沢の奥座敷というブランド宣伝と違ったファミリー向けの平凡な教育施設となっている。夢二館と江戸村も既存宿泊客(リピーター)に害をなすような施設ではないため加点要素は少ないが減点要素はないのは幸いとはいえる。とはいえ、とどめをさすようで気が引けるが、web上にある湯涌温泉MAP(事前の予習に非常にお世話になった)を見ていただきたい。右端には大正ロマンの街散策と書いてある一方、左端には武家・街やゾーンがアピールされている。これでは何を見ればいいのか分からない。湯涌の自己意識の分裂ぶりが明瞭に映し出されていると言っていい(もちろん、江戸時代から明治大正につながる構成になっていれば文句ないのだが江戸住宅と夢二に大した関係はない)。

結局のところ、現在湯涌温泉の獲得している資源とは、「静か」であることと「うらぶれていないこと」である。「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージは一応確保していると思われるが、メインターゲットである宿泊客をひきつけることに成功していないのではないだろうか。白鷺の湯目的で来るような人間の訪問時間を増やそうという目的があるだろう夢二館、江戸村は、しかし、一泊させることにはつながっていない。どっちとも見ても温泉に入って日帰りで帰れてしまう。いろは聖地巡礼も同じである(それでも、日帰りでくるような客層はファミリーであるため、「名湯がある静かな温泉街」というブランドは大して傷つくことがなく、メインターゲットである宿泊客に不快感を与えることはおこらなかったはずである)。

勝手な憶測だが湯涌温泉とは、メインターゲットである宿泊客が減少する中、これを「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージのみでは防げないとして、新たなアピール材料を探しているが既存の施設(夢二館、江戸村)では十分に成功していないという温泉街なのではないだろうか?そこにアピール材料としての新候補としてやってきたのが花咲くいろはである


では、ようやく元に戻る。さて、この「名湯がある静かな温泉街」というブランド花いろ招致は傷つけるのだろうか?はっきり言うが、現状のままならば傷つけるに決まっている。4月9日の配布イベントだが、あれを宿泊客が目撃したらどう思うだろうか?あるいは爆音をならしながらバイク聖地巡礼をする人間について宿泊客はどう思うのか?しかし、これは湯涌温泉としては当然予想できたことである。問題なのはブランド価値を傷つけるリスクを負ってまで花いろを招致したことに、どのような意図があるのかということである

1つは、メインターゲット自体を変えたいということが考えられる。つまり、宿泊から日帰り客に客層をシフトさせたいという意図が考えられる。「静か」というブランド価値がもうないと判断しているという可能性がある。もう1つは、花いろ招致は、今までと同じような単なるPRの一つに過ぎないと湯涌温泉が考えており、それがブランド価値を減ずるものと分かっていないという可能性がある。あるいは、ブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きい(騒ぎも半年もすれば収まる)と判断している可能性がある。

第一の可能性の場合、今のところ湯涌温泉に落としそうなお金は個人につき1000円以内だろうということが予想され、この単価引き上げが急務だろう。サイダーは温泉側にとっては最悪な商品になりかねないことを肝に銘ずるべきである。1本200円のあれ(店だと189円でした)は瓶そのものもお土産としての価値があるため、食べ物+グッズという選択肢を見事に消してしまえている。いろはにおいてはグッズ問題は解決するはずだが、日帰り客にシフトさせたいのならば単価引き上げは急務だ。白鷺の湯の規模的に日帰り客を狙うことはあまり考えていないように思える(あたらしや、やました戸田屋では日帰り客を狙った展開を考えているようである。このアピールはもっと強調してもいいだろうが、現時点では諸刃の刃認識されているのか扱いがいまいち見えない)

第二の可能性の場合はかなり末期的であるしか言いようがないので考えないことにする。

最も考えられそうなのは、第三の可能性、一時的にブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きいという判断である花いろの良いところは視聴層が10代、20代と非常に若いため潜在的顧客を長く保てるという点にある。このため長期的に見ても、花いろ招致はプラス面を強く持つだろうことは予想できる。しかし、それでもだ。既存客にダメージを与えるマイナス面にはやはり注目すべきであり、この管理もまた重要はないだろうか。マイナス面についてはもっと慎重に考えるべきではないだろうか。長年投資してきた「名湯がある静かな温泉街」というのは意外に貴重である可能性が十分あり、現状のリピーターを奪ってしま可能性は深刻なものと受け止めるべきである

では、湯涌温泉花いろについてどう対処すべきなのだろうか。答えはシンプルであり、少しでも不快な事態が起これば、PAワークスにすぐ苦情を申し立てたり、出来ればファン向けに何らかの注意を呼びかけるべきであるバイクについては深いところまで入れるべきではないだろう。イベントについては他箇所に譲る、あるいは、逆に大々的なものにしてしまいファンではない他の客を一笑に付させてしまうのが良いと思われる。湯涌温泉に分かっていただきたいのは、作品を愛するアニオタの敵は、その作品世界観を壊そうとするアニオタであり、激しい同族嫌悪が我々の特徴であるということである。そして、このアニメは作品を愛するファンを数多く生み出すことが予想できるのだから過剰反応と思われない程度には警告を発し続けるべきである(出来るだけマナーを守るファンとそうでないファンを分断させるような方法で)。


さて、長くなったが、まとめると、

花咲くいろは朝ドラ昼ドラ的なものをアニメ移植させ新しい科学反応を試すという冒険作であり、いわゆるアニメとは違ったアニメになるだろう(信者的目線では)。しかし、それはアニメを見ればの話であり、アニメを見ない層からはいわゆる深夜アニメしかない。

湯涌温泉が長年投資してきたブランドとは、「名湯がある静かな温泉街」であるが、名湯はアピールしきれておらず、「静かな」は花いろ信者の来訪によって傷つけられる可能性がある。

花いろ効果は②のマイナス面を打ち消して余りあるものになると思われるが、それでもマイナス面については慎重に考慮すべきである。苦情を言ったところで、それはファン間の内ゲバになるだけで、ついてくるファンは数多くいる。

④そもそもこうしたブランド価値を傷つけかねないPR誘致を行った原因についてはきちんと整理するべきであり、湯涌温泉ブランド戦略について徹底的な議論を重ねるべきである

⑤とりあえず、日帰り客は大してお金を落としていないので、客単価を引き上げる行動をするべきである



以上の事を、先日感じました。物事にはプラス面とマイナス面があるのは当然なことですが、今回の場合、そのマイナス面が湯涌温泉投資し続けてきた資源を傷つけかねない(元々観光地で生計を立てていたというところが鷲宮等と決定的に違う)のが気がかりです花いろ誘致は大正解だと思いますが、慎重に取り扱ってほしいなと。ま、アニオタ専用温泉かに開き直るのもいいのかもしれないけど、個人的にはそうなったら行きたくないので。






※1

個人的には、この路線の徹底的な深化が議論に上がったかどうかが非常に気になってしまう。先ほど述べたように、湯がどれほど良い湯なのか一見でも分かるようにアピールし尽くせていないのは問題である。本当にいいお湯ならば、どういう比較優位があるのか等アピールし尽くすべきであろう。湯が本当に良く静かならば、高価格路線(現在の湯涌は中価格)でも全く問題ないはずだが、この可能はなかったのだろうか。あるいは、金沢駅から立地が近く、それでいて静かな温泉というのは相当貴重なはずであり、立地の優位を生かして個別・ファミリー別に送迎するなど中価格ながら高品質サービス提供するのも手であったはずである

2011-03-04

敬意ってなんだろう

http://anond.hatelabo.jp/20110303182614

↑これ書いた増田です


あいろいろ思うことを書きなぐる第二弾です。便乗マーケですね。えがみひろゆきが得意の。


個人的に思うことしか書いてないので、興味ないなら読まなくていいですよ。


敬意というのは内発的、誘発的なもので、自発的なものではないですよね。

たとえば、ホリエモンに敬意を持っている人ってのはやっぱり取り巻き見ればいるんだけど、だけど実際前科者ってだけでリスペクトはないわーって人もいる。どっちが多いかは知らない。

ひろゆきもそう。裁判所の申告踏み倒す奴だぞー!って言っても、リスペクトする人はするんだよね。

禿(孫正義)もそう。Xevra先生がどれだけ禿を嫌っても、リスペクトする人はする。というわけでリスペクトってのは各人に於いて差があるのが普通なわけだ。



少し僕の話をしたい。

僕は「誠意」と「敬意」は使い分けている。僕なりの「誠意」というのは、自分仕事上に対する責任だ。言ってしまえば、プライド。仁義っていうとあれだけど、他のすべてを曲げてもこれだけは貫く、というものは、勤め人でも自己意識低い人でも何かはあるはず。僕はこれを「誠意」としている。だから、相手が差別的な目線で何かを語っても僕はそれをそのまま文字に起こす。仕事上の僕は徹底的に自意識を殺し、空気化するように努め、それをただ淡々と文字にすることを心がける。それが僕の誠意。

から、前から繰り返し書くけど、罵倒芸にも満たないただのクソガキなグラスィーズキングが、彼なりの信念を持ってそういう活動をしているというなら、僕は彼のやり方を支持しよう。(残念ながら、今までの彼、これからの彼にはそれが見えそうもないが。)



で、次に「敬意」の話だ。僕は仕事自意識を殺すと書いたように、僕は仕事上「敬意」は払わない。だから、敬意が見られないから依頼は断ると言われれば、(それは当然のことなだが)、では叉の機会に、ということになる。

ただし、相手と対面するという性格上、円滑に事が運ぶよう取り計らうということは欠かさない。少なくとも相手をバカにすることはしないし、仮にバカにしたいことがあったとしても、その場では絶対に言わない。もしかしたらそれが「敬意」だとか言う人がいるかもしれないが、先にも書いたように「敬意」と「誠意」は僕は使い分けるし、僕はそれを「敬意」だとも思わないし、敬意自体に個の差があるのだからそれを敬意だと主張すること自体もナンセンスだと思うし、僕がこうして敬意とはなんだリスペクトが何だとつらつら書き並べること自体も愚かしいことだと思う。

で、前の記事にも書いたけどそれはマナーと似たようなもんで時に形式化して強制されるんだな。僕はそれが一番嫌いなんだけど、それはいいや。



で、ちぇすこさんとグラスィーズキングやりとりってなんかいろいろ論旨論点が飛んでるんだけど(そもそも議論の体も為してないただの罵倒合戦にすら見えるんだけど)、

アレの何がヤバいって、要は「生理的嫌悪感」なんだよね。「あなたとは付き合えません、生理的に」ってやつ。ブコメにも吐き気したとか言ってる人いたけど、そりゃそうだ。読むのも不快だもん。

だってグラスィーズキング属性

などなど、はてなーのみなさんにしてはやはりカモ、ハト擬態するカモなんですね。で、実際鍋にしたけど毒で食えねえってとこに居ると思うんですが、人間好き嫌いあるもんで、ああい人間が嫌いって人はやっぱり多いと思う。私も嫌い。



から、前にあんな事書いたけど、今回のあれっていわゆる「敬意」とは違うんじゃないか、と思うわけです。ヤベーキモイブロック、で済んだ話だと思うんです。ほんとはね。

なんというかいい感じにマッチングしちゃったというのもあるんでしょうが、そこまで騒ぐもんかね、と個人的には感じております



まあ、そっからいろいろ見れるもん見れたんで、外野ブクマーとしては面白かったんじゃないでしょうか。当事者たるちぇすこさんとしては納得しない点もあるでしょうが、そこはまあ、本気なら裁判所で、とかいろいろあるでしょう。まだTwitterとかでやってたらメガネの土俵にいることは明白ですし、周りはなんだかんだ言いながら観客として満足しちゃうし、あまりネット上というのはい場所はないんじゃないか、と思うところでご飯が炊けたので撤収しようと思います。


そんじゃーねー。

2011-02-26

真理

 歩くことこそが真理なんだな

 死んだり消え失せたりして、楽になれるだなんてことは幻想

 とことんくたびれるまで歩くしかないんだ

 で、とことんくたびれちまったら、後はどうなるかって言うとだな

 多分、何も考えられなくなる

 そっからどうなるかって言うとだな

 まあ、赤ん坊のような心地になるんだろうよ

 自己意識を得る赤ん坊の心地といえば、何も考えてないようなものだろうから

 そんで、また少年の心持になるというワケだ

 くりかえしくりかえし

2010-12-12

間接的な殺人可視化される時代

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20101212/p1

ここで、「間接的な殺人」とは、現行法で処罰することができない、「一枚以上の壁」を隔てた殺人すべてと定義します。

もちろん、すべての殺人は偶然に依るものだ、という主張を否定するつもりはありません。

これからの時代、その「間接的な殺人」を、自己意識に基づいて確信的に行なうだろう層が現れるという、いわば予言です

加藤被告は、秋葉原で多くの人を殺しました

彼の背景には、しかしながら、それはそれで一部の人共感されるような、卑近な背景を持っていました

一部の人ができなかったことを、加藤被告は一線を踏み越えていたのです。対象はともかく。

そして、彼が為したことは、法律で裁かれなければならないものです

けれども、それはあくまで彼が直接手を下したから現行犯逮捕に至れたわけです

多くの人間は、おそらく一度ぐらいは殺意を抱いたことがあるのではないでしょうか。

私自身は、まだ殺意を抱いたことはありません。

しかし、いつ衝動的に、あるいは信念を持って、人を殺してしまうかはわかりません。

私はおそらく、まだ「溜め」のある人間なのだとおもいます。

ですが、「溜め」のない人間が今の社会生きづらいことは、ある程度察知できるぐらいしか、溜め込んでいません。

ですから、私もいつ「そっち」へ行くかわかりません。

では、そっちに行ったとき、何らかの殺意を持った私、あるいは周囲は、彼と同じように直接手を下すでしょうか?

いや、そんな愚かしいことしないだろうと断言します。

目の前に先鞭をつけた人間犠牲になったのだから、そうしてしまっては進歩がありません。

では、どうするか。



ひとつの例として、不買運動サイレントテロが挙げられます

そうして潰れた企業は、私たちに勝利の優越感を与えます

しかしたら、その中に自殺者が出るかもしれません。

しかし、それすらも、優越感を与えます

彼は、犠牲になったのです

そのとき、私たちが殺しました、と誇ってしまうかもしれません。

ですが、我々を捕まえることが、裁くことが、できるでしょうか?

私たちは、その企業の商品を買わなかっただけなのですから

もっと確かな方法があります

民間企業就職し、競合他社に勝つのです

合法的に、殺せますよ。

自殺は、自己責任ですからね。


こうしたように、自ら手を下しておきながらも、間接的に人を殺すようなケース、罪に問えないケースが、

どれだけでてくるでしょう?

陰湿だ、とおっしゃるあなた、私より「溜め」があるだけで、あなたも、じきその気持がわかりますよ。

ところで、「それはお前も殺される可能性があることだ」と言いたいあなた、賢いですね。

そのとおりですよ。

Kill or Be killed.

Dead or Alive.

Living dead or Dining alive.

これを胸に刻み、明日から社会という戦場へ赴きましょう。

2010-12-05

非モテつーか、非コミュというか

それなりの歳になったせいか、流石に独り身ではマズイらしい

ある程度仕事が出来るようになると、周囲は今度はプライベートも相応を要求されると言う事だ。

所謂、婚活とやらを勧められたり、もっとダイレクト合コンに誘われたりする。

しまいには、ちょいとお酒が入った場で、とうとうと説教してくれる。

お前が独り身なのは高望みしているせいだとか、もっとその手のことにお金を使えとか。

彼らのお言葉経験から来る物だったり、一般に手法だったり、とりあえず正論という奴だ。

一般的な正論に異を唱えるつもりは毛頭ない。問題は、その正論自分に当てはまらないことなのに。

高望みしているから妥協しろと言われても、自分の中でその判断基準がさっぱりわからない事だったり。

身なりも含めて、程度の金を惜しんだことはないつもり。

だったら、どうしてという疑問もよく聞かれるが、要するに、非モテとか非コミュのような自己意識に問題があると説明しても、わかってはくれない。

そこでいつも疑問に思うんだが、その手のアドバイスをしてくれる人たちは、本当に自分を見てくれているのだろうか。

普段あまり接点のない人ならともかく、親しい友人にまで言われるようになると、なんともやりきれない。

いや、考えようによっては順番が逆で、そこまで自分を理解してくれる人がいるんだったら、そいつとくっつけと言う話か。

当たり前ではあるのだが、結局この類のネガティヴ自己評価は、共感なんぞ得られない。

そもそも、他人に理解されないから発生しているんだし。

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