生産性が低い無価値の人間は殺して良いという思想があるとしましょう
しかし欧米の人間は殺されないよう、人間は神の子であるとかの宗教を作って、家畜とは異なる地位を獲得してきたわけです(ヒトラーの優生論は除く)
一方、日本では畜産はほとんどなかったので、農民などが設備扱いで明治以降も重税をかけられました
人に尊厳を与える宗教より、多神教で支配者をそのときどきで神格化するので、長い物にまかれろ思想も拡散されており、欧米に比べて権力への抵抗力が弱いです
選挙権を与えられ投票してみたりはしますが、勤務に忙しく政治活動もあまりしません
やまゆり園、障碍者施設の19人殺人の話。 植松の意見には正直同意する部分がある、って意見は事実上封殺され、「気持ちはわからなくもないが植松という『特殊なやべー奴』がやらか...
生産性が低い無価値の人間は殺して良いという思想があるとしましょう すなわち人は家畜という思想です 欧米でも不要な家畜は殺してしまうでしょう しかし欧米の人間は殺されないよ...
人間誰しも価値がないということでいいけど、他者から求められている役割を担うことが求められていると思う。 どんなに小さなことでもいいから、一人ひとり違う役割を果たすだけで...
無価値なままでもいい、と断言するためには、人類はまだ貧しすぎる。
『人間に価値がある』という考えがある限り、やまゆり園は、植松は、なくなることはないのでは。 anond:20200506012630
>無価値だから殺していいよ、ではない。なぜなら人間には生存本能や欲求があるから。 蚊は殺していいの?
去年俺も同じことを思い、そして考えたわ。 anond:20200506012630
障がい者差別問題への認識的なアプローチ