はてなキーワード: 良心とは
どこぞの有名な大学出て〜とか、物書きなのに何故か元モデル・女優・アナウンサー・芸人だとか、親が○○とかな
中卒・高卒がコンテストに応募して認められて下積みしてとかそういうのもゼロじゃないが、多数派では無いので、
あと、元増田の見ているポイントと言っていることちょっとズレてんだよな
『漫画家が可哀想っていうけど俺のが可哀想だろ。メディアミックスされるIPが作れる才能と発掘される運があるヤツの何が可哀想なんだよ』とか、
『端金でメディアミックスされてもっていうが、今まさに、創作活動続けるために金がいるんだわ。それに多少なりとも人に作品の名が知られるなら、
そういう話であれば<今、かわいそうランキングの話をしていません😅>と思いつつ、まだ言わんとしていることが理解出来なくもないが、
『才能やIPを発掘される運を授かった奴が、法を無視する権力腐敗の象徴のスシロー皿ペロに何か物を言うのは傲慢』って、
それは流石に、<何言ってんだ、こいつ?😥ドン引き>でしかないぞ
法令違反は法令違反でしかないし、スシロー皿ペロはスシロー皿ペロ以外の何者でもないので
ただ、インスタで奇行(原作者に対して攻撃して愚痴った)した連中は雲隠れでも、
『大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな』『最近の原作者はこだわりが強い』とか、
なかなか常人じゃできない新たなスシロー皿ペロネタを披露した日本シナリオ作家協会は、いちおう形だけの謝罪はしましたね
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
その上、日テレの公式垢で最終回の批判コメントに『いいね👍』を付けて回ってしまう
まぁ批判コメント書いた人の良心に訴えるとか、すべてのコメントに『いいね👍』をつける運用だった可能性もワンチャンありますけど、
最終回に肯定的なポジティブなコメントに『いいね👍』をけっこう付け漏らしてたみたいで、SNSではこえぇぇぇぇって言われてますわね
https://x.com/twmybwb1zh8y8zl/status/1752317299493830688?s=61
どう考えてもSNS運用チームと連携取らなかったの悪手でしたわね
(今はゴタついてるからと奇行を黙らせたり、手動なんだか自動でウエイトタイムがあるなんだかわからないけど『いいね』の運用変えるべきだった)
世の中の大半の人は、脚本やドラマという成果物、製作過程の良い悪いの話は問題にしておらず、
増田や元増田(anond:20240202193616)はそれがどうしても理解できない、もしくは、世の中よくしたいパッションで溢れていて無視しがちなんだよな
世の大半の人は、政治厨でもなければ、メディアミックスが期待されるIP持ってるわけでもありませんので、そこは正直どーでもいい
もちろん、自分が好きな作家・作品のメディア化については除くけどね
しかし、『大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかな』『最近の原作者はこだわりが強い』とか
なかなか常人じゃできない新たなスシロー皿ペロネタを日本シナリオ作家協会は投げ入れてくれたよね
<著作権法第20条の規定を遵守し>が理解ができない特別な困難を持っているか、
既得権益のTVの傲慢に染まりきった人たちなのでしょうね。まさに腐敗の象徴TVに連なるものっすな
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
その上、日テレの公式垢で最終回の批判コメントに『いいね👍』を付けて回ってしまう
まぁ批判コメント書いた人の良心に訴えるとか、すべてのコメントに『いいね👍』をつける運用だった可能性もワンチャンありますけど、
最終回に肯定的なポジティブなコメントに『いいね👍』をけっこう付け漏らしてたみたいで、SNSではこえぇぇぇぇって言われてますわね
https://x.com/twmybwb1zh8y8zl/status/1752317299493830688?s=61
どう考えてもSNS運用チームと連携取らなかったの悪手でしたわね
(今はゴタついてるからと奇行を黙らせたり、手動なんだか自動でウエイトタイムがあるなんだかわからないけど『いいね』の運用変えるべきだった)
そこに来てあのコメントでしょ?
そもそも意見や感情を表明するのはイジメでも叩きでもなんでもないので
ただ、どんな事情があろうと殺人犯とかでもない限り、たくさんの人に責められて当たり前を許したくないって感情自体は優しくて高潔だとは思う
(別にネット見なきゃいいだけだけど)世界中の人が自分の敵だと思わせるようなことを許しちゃいけないと書いたらいいんじゃないでしょうか?
全員を説得するのは無理でも、増田と近しい感情を多少でも持っている人には刺さるでしょう
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
その上、日テレの公式垢で最終回の批判コメントに『いいね👍』を付けて回ってしまう
まぁ批判コメント書いた人の良心に訴えるとか、すべてのコメントに『いいね👍』をつける運用だった可能性もワンチャンありますけど、
最終回に肯定的なポジティブなコメントに『いいね👍』をけっこう付け漏らしてたみたいで、SNSではこえぇぇぇぇって言われてますわね
https://x.com/twmybwb1zh8y8zl/status/1752317299493830688?s=61
どう考えてもSNS運用チームと連携取らなかったの悪手でしたわね
(今はゴタついてるからと奇行を黙らせたり、手動なんだか自動でウエイトタイムがあるなんだかわからないけど『いいね』の運用変えるべきだった)
そこに来てあのコメントでしょ?
既得権益のTV業界の登場人物でまともな人は殆どいない。腐敗の象徴
anond:20240203072713 anond:20240203114835 anond:20240208202916
そんな荻上チキさんの不倫が明らかになったのは、『荻上チキ Session22』で自らが不倫の事実を告白したことによって、でした。といっても良心の呵責から告白したのではなく、翌日発売の週刊誌『習慣文春』にて、不倫騒動がすっぱぬかれていることを知り、早めに事実を認めた方が得策だと判断したことによっての告白でした。
荻上チキさんには専業主婦の妻とふたりの子供がいるのですが、2015年に、自身が主催する勉強会で20代の女性と知り合い、不倫関係に発展していったといいます。端的にいうなれば、ファンに手を出した、ということになります。
荻上チキさん自身の語る不倫の流れはこうです。荻上チキさんが勉強会で20代女性と知り合い好意を持つ→ほかの女性を好きになってしまったから離婚したいと妻に打ち明ける→離婚協議を続けるなかで別居することになる→しばらく時間がたったのち、20代女性と交際することになり、一緒に暮らし始める→しかし、離婚協議を続けるなかで、離婚したら子供や長年連れ添った妻を傷つけることになると葛藤する→20代女性との関係を解消する。現在は妻と関係修復中。
自分はあくまでも妻に誠実に気持ちを告白し、離婚しようと打ち明けてから不倫相手の女性と関係を持った、というのですが、この弁を信じる人がどのくらいいるでしょうか? 実際、妻との同居を続けながら不倫関係になり、その後別居にいたった、と考える方が自然でしょう。
荻上チキさんの語った不倫や別居までの流れがどこまで真実かわかりません。「妻子がありながら不倫をした」「本宅近くに別宅を借りて、そこで愛人と生活していた」ということのみが、はっきりとした事実です。
何を読んでそのコメントになったかわからないけど再放送しておきますね
日テレの公式垢が最終回の批判コメントに『いいね👍』を付けて回ってたみたいなのでお望みの結果じゃないでしょうか
まぁ批判コメント書いた人の良心に訴えるとか、すべてのコメントに『いいね👍』をつける運用だった可能性もワンチャンありますけど、
最終回に肯定的なコメントに『いいね👍』をけっこう付け漏らしてたみたいで、SNSではこえぇぇぇぇって言われてますわね
https://x.com/twmybwb1zh8y8zl/status/1752317299493830688?s=61
そこに来てあのコメントでしょ?
日テレの公式垢が最終回の批判コメントに『いいね👍』を付けて回ってたみたいなのでお望みの結果じゃないでしょうか
まぁ批判コメント書いた人の良心に訴えるとか、すべてのコメントに『いいね👍』をつける運用だった可能性もワンチャンありますけど、
最終回に肯定的なコメントに『いいね👍』をけっこう付け漏らしてたみたいで、SNSではこえぇぇぇぇって言われてますわね
https://x.com/twmybwb1zh8y8zl/status/1752317299493830688?s=61
そこに来てあのコメントでしょ?
“隣の喫茶店ががめつい。“
あのさあ。ちゃんとしたサイフォンで淹れてあの建物と景色でケーキセット1100円(2022年当時)ならかなり良心的な方だと思うが。
もっととんでもないところは別のところにさあ。
https://anond.hatelabo.jp/20240130130430
「沈黙の自由があるかないか」と考えたら「ないはずはない」「ない理由がない、あるはず」ってなるはずで、実際に調べたらやっぱりでてきた。
ちんもくのじゆう
一般には,自己の思想もしくは良心について表明することを強制されない自由とされ,日本国憲法 19条の保障する思想もしくは良心の自由の一内容とされる。その場合,通常思想もしくは良心とは人格形成の核心をなす主義,世界観,人生観などを意味するとされるから,一般道徳上,常識上の事物の是非の判断や事実に関する知識などは,沈黙の自由の内容に含まれないことになる。なお,信教の自由 (20条) からも同様の自由が出てくる。
沈黙は賛同と同じという考え(相手に何かしらの意志表示を強要すること)はこの沈黙の自由に反しているのではないだろうか。
後半何言ってるのかわからないけど。
良く言われることだけど、単発の発言なら正義なり正論であっても炎上状況でそれを投稿することは悪なんだよね😺義憤にもアンガーマネジメントが必要🐶その義憤をシステム的に抑えたい👶仮に少数の人がクソみたいな義憤を投稿してしまったとしても、それを見た人が受ける影響を最小にしたい😺🐶👶
では、どうすれば良いのか。古今東西、ヒトを最も和ませる手段は猫動画か犬動画か赤ちゃん動画の3択である。炎上している話題のページには大量の猫動画と犬動画と赤ちゃん動画を埋め込みポップアップさせ、コメント欄には猫spamと犬spamと赤spamを流し込む。エロ広告の方法論(メソドロジー)をもってすれば実現は容易である
ここまでの対処で既にある程度は興奮が収まり、ネットユーザたちは明日を生きる活力で満たされている筈であるが、それでもなお何かを投稿しようとする不逞の輩には猫動画と犬動画と赤ちゃん動画による良心の認証を課す
😺「その発言、100匹のぼくの前で言えるニャ?」
🐶「そんなことよりフリスビーなげてほしいワン🥏」
👶「貴様は良い事を言っているつもりだろうが貴様と同レベルのクソがこれまで9999本の全く同じクソを俺のケツの前に並べてきたのだ。おめでとうございますあなたは10000本目のクソです。キリ番報告はこちら→」
ここまでやってなお書き込むようなヤツには人の心が無いし即banで良いだろ
「毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました」
とあることから、それがそのまんま放送されたと思ってる人いない?
「日本テレビ側に粘り強く説明し、加筆修正を行いなんとか完成させたという」
放送されたのは作者が介入して改編されたのを修正したものだよね
日テレはクレームつっぱねたのではなく、作者の注文を受け入れたってことだよね
よくあるドラマ見て原作者が原作と違うので驚いたという話じゃなくて
作者と協議の上で完成したってことだよね
最近Twitter(現X/以下、旧称を使用します)で、知的障害を抱えた人たちが出産をした結果、周囲のボランティアにその生活を丸投げしている状態であると言うツイートが流れてきた。
当該ツイートのリプライ欄や引用欄を見ると、「生まれてきた子供が可哀想」だの「巻き込まれる周りの人間が可哀想」と言った声が大半を占めるよう見受けられた。
一方で、リプや引用の中には、「当該ツイートやリプライの論調は典型的な優生思想であり、危険である」という旨のものも散見された。
特に、ある一定以上の知識・教養水準を持っていると思しきアカウントによる主張が多いように見えた。
知的障害を抱える親を持った人が苦労をしたツイートなんかも多く目にすることができる中で、優生思想を知的障害者と縁のない生活をしてきた恵まれた者が"正しい"論理を振りかざして抑圧するのが正しいようには思えない。
現実として、知的障害者を親に持つと言うことは相当な不幸であり、なんの罪もないはずの子供に大きな苦痛を与えることに他ならないというのは自明だろう。
しかし、そんな不幸な子であったとしても、生まれてきてしまった以上は簡単に死ぬことができるような社会でもなく、普通に生まれていれば経験するはずもなかったような苦痛を常に抱えながら生きる他にないのだと思う。
どう考えても不幸な人生しか送れないような人間を生み出す合理性がどこにあるのか。
そんな人に対して、生きることの素晴らしさ、平等な社会の美しさを伝えて何になるのか。
優生思想をタブー視する人間は、それによって苦しんでいる人が現実に居るということを理解しているのだろうか?
現実を捨象して、抽象化された論理で正しさを導こうとしていないか?
①劣っている者には制限を加えて良いというのは、ナチスドイツによる虐殺と同じ論理である(→虐殺に繋がりかねない)
②障害を抱えていたとしても、人間である以上その権利は尊重されるべきである
という2つがあるよう見受けられる。
この点、①に関しては完全に論理の飛躍だと思う。
重度の障害を抱えている者による出産を制限することと、特定の属性を持つ人間を虐殺する行為は明らかに同一ではなく、「優位な立場にある多数派が不利な少数派に制限を加えている」と抽象化した場合に同一の枠組みといえるからと言って、その2つを同一視するのはあまりにも合理性に欠けると言えるだろう。
荒唐無稽な例えだが、この国が法治国家であり、立法権が国会にある以上、「インターネットの使用を禁じ、犯した者を死刑とする」という法律が国会によって制定される"可能性"が存在はしていると言えるだろうが、だからと言って「立法権を国に委ねているのは非常に危険な状態である」という主張ができるだろうか。
現実として、立法権はある程度の良心と合理性に基づいて運用されているため、上記のような"可能性"は顕在化しない。
同様に、知的障害者が子を持つことを制限したとして、例えばそこから一定の属性の人間への不当な権利の制限に繋がるだろうか?
その制限の範囲が不当に拡大するような結果に至る"可能性"を過大に見積もっていないだろうか。
枠組みに共通点があるだけの極端な例を用いて、優生思想を断罪するロジックを妥当とは思えない。
確かにどんな人にだって幸福を手にする"権利"はあるかもしれないが、その結果として周囲の人間や生まれてきた子の幸福を犠牲にしているのだとして、そのような"権利"が本当に実現されるべきだろうか。
仮に人を殺すことで幸福を得られる人がいたとしても、その人の"権利"実現のために殺人は許可されないように。
出産により幸福を得られたとしても、それによってより多くの不幸が生じるのであれば、それは制限されて然るべきではないだろうか。
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
トンデモ医療といえば近藤医師による「がん放置療法」が有名だが、それの歯科verがあるのを最近知った。
ドックベストセメント治療というもので、近藤風に言うなら「虫歯放置療法」だろうか
詳しい治療法はググってもらうとして、要は「虫歯を削る必要はありませんよ」という甘い言葉をウリにして患者を集めているらしい
でまあ、放置するだけってことは当然虫歯は悪化していくわけで、それがこの治療法の最大のデメリットではあるのだが、
治療法が保険診療適用外のため、通常の虫歯治療より金がかかるというのも地味にエグい
患者に「この歯(虫歯)は大丈夫だ」と力強く語りかけ、安心させ、帰宅させるだけのお仕事
それで一人当たり2万とか取るらしい
こういう界隈に何を言ってもしょうがないと思うんだが、高い金をとるならせめて治療してあげなさいよ、と思ってしまう
金は一人前(どころかそれ以上に)取るけど治療はしませ~ん、て良心があったら思いつかないだろ、こんな商売
私がこの治療法について知ったのは「スピリチュアルに心酔している知人」からで、
施術を受けた知人は歯科医師の「この歯(酷い虫歯)は生きていますから!」との謎に力強い言葉に感動して涙があふれたらしい。
歯医者で感涙とは一体何が起こっているのかと思うが、歯科医師名や治療法でググると、
「感動した」「学びの多い時間だった」というような、およそ歯医者のレビューとは思えないような(むしろ自己啓発セミナーの感想のような)言葉が並んでおり、
なんというか、そういう客層を見込んだビジネスなんだなと理解した
……しかしまあ、スピリチュアルというのは「とにかく自分を全肯定して欲しい人達の承認欲求」を食い物にしたビジネスなわけだが、
己の虫歯すらも肯定・承認して欲しい人たちがこんなにもいるのか……と人の承認欲求の際限のなさに驚いてしまう
ちなみにドックベストセメント治療でググると、治療の結果、取り返しのつかなくなった口腔内の画像が出てきがちなので注意が必要だ
「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後は大御所」
「あのクソアニメ会社が一番やりそうなことってあの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな」
「あれだけホレさせるだけホレさせていきなり「浮気性」と言われても…」
「〈男の夢を壊さないレベルでリアル〉という書き込みはクリエイター側のこだわり。見る立場では言えないなと」
「知っている人に聞いてこの会社は危ないと自分から退職届を出せば、犠牲者になることを回避できたと思う」
「京アニのほうがやってきたという思いがある。それは正直に申し上げる。精神鑑定をした鑑定人からは妄想だったという話が出ていたが自分の中では事実としてとらえている」
「ガソリンをまいたあと、止めに入られることを想定した」
「パソコンのデータをスマホにコピーしたら、掲示板に〈変態〉と書き込まれた。ハッキングされ、監督の写真で自慰をしたことがバレたに違いない。」
「恐竜の肉味ポテトチップスなんて送ってきたことから見ても、そちらの考えてることは分かる」
「京アニのアニメ「氷菓」に登場する「なんで顔出さないの」というセリフは彼女が自分に宛てた伝言。」
「掲示板に行くと〈お金持ってるの? 浮気性の女なの〉と書き込んで突き放してくる。放埒な彼女に、恋する気持ちを弄ばれている―」
「ビッチカス女でカネのことしか興味なくて 平気でパクるし平気で裏切る さすがに我慢の限界は越えた」
「自分と結婚したいのに何度もたたき落とし、一人スターダムを駆け上がる女性監督を終わらせたい」
「もう無茶苦茶。『相手』は諸葛孔明で余興程度らしい。ありえん。こっちは全力生き抜いているが、相手の人は」
「『京アニに裏切られた』なんていうのも、あの時もっと細かく気にして『これはなんかあるぞ』と予測しとけばわざわざ『爆発物もって京アニ突っ込む』とか『無差別テロ』とか『裏切られた』など感じる必要もないわけで」
「最後の段階まで行く直前の段階。人間関係は切っちゃえば終わるが、京アニは離れようと思っても離れられない。ここまでやられて切れないとなると、最悪のことを考えないといけない」
「悪いことをされたときに良いことで返すとなめられる」
「やられたら、やり返す」
「悪いことには悪いことで返す考えが根付いた」
「ほんと人畜無害だろ」
「ツルネでもぱくってやがる。ありえねえ。つくづくありえない」
「怒りを抑えると恐怖に変わる」
「しつこいんだよ。いい加減つきまとうのやめろ。やめないと殺すぞ」
「数分話を聞いて薬を出すだけなので信用できない」
「こんなの(薬)は飲まない。トイレに捨てたよ。1週間前から飲んでねえよ」
「全員かはわからないが、(京アニを俺の作品をパクってることを)知っている人に聞けばわかったはず。知らないことは悪で、努力不足だ」
「逆にお聞きしますが、僕がパクられた時に京アニは何か感じたんでしょうか」
「小説は誰かのものを読んで書くものじゃない。自分で書くものだ」
「自分の10年間のことで頭がいっぱいでした」
「自分はどんな刑だろうと罰は受けなければならないが、京アニがしてきたことは全部不問になるのか」
「それなりの人が死ぬだろうと」
「昔、どこかの消費者金融で、たぶん武富士だったと思うんですけど、ガソリンをまいて、ガソリンが気化して爆発し、人が亡くなった事件を見てそういう犯行に及ぼうと思いました」
「・・・(20秒ほど沈黙。首をかしげながら)知ろうとしなかった部分はあります」
「秋葉原事件で、(元死刑囚も)言っていたが、ためらうものです。自分みたいな悪党でも小さな良心があった。でも1999年からの20年間は暗いと考え、ここまできたら『やろう』と思った」
「罪を犯した身だから夢なんて持っていない!」
「前科が無ければ悪いことをしようと思いませんが、一度つくと『もういいか』となり、何かのタガが外れて、自分を支配していた良心が無くなった気がしました」
「(過去に)あんまり誰かに何かを言って解決されたことがなかった」
「(ハルヒは)それまでは『ネットゲームよりも面白いものはない』と思っていたが、ハルヒのアニメを見て『今時こんなすごいアニメはないだろう』と驚きました。ネットゲームに並ぶほどの面白さで、すごいと」
「(ハルヒの文庫を)大人買いしました。10冊ほど出ていたものを2日くらいで全部読みました」
「(ハルヒを読んで)なんとか自分でも書けないかと。当時は仕事もしていなかったので、それなりの小説ができれば、仕事も解決すると。初期衝動が強くて、衝動そのまま小説を書こうと」
「(うまくいかないときは)ハルヒの本をぶん投げて『書くのやめてやろう』という時期がありました」
「(ハルヒの本は)壁にあたってバラバラになったのが1冊、森に投げたのが2冊、そのまま残ったのが2冊。(ハルヒの文庫本は)6回くらい買いなおしているはずです」
「昔一緒にクリエイターを目指していた人が『スクエアエニックス』という会社でCGグラフィッカーになり。自分がクリエイターになれなかったことに納得行かず、その人の名前を1文字変えて自分の名前にしました」
「ハルヒは教科書として使っていて、自分は書いていく過程でパクったが、最終的に別の作品を作っている。京アニは小説を落選させて、著作権を自分に戻しながら、パクったものを放映しているので、いかがなものかと」
「むこうも最終手段を使うだろうし、自分としても最終手段をとらないとと思った」
「話し合うより、バイバイする方が30分で済む」。気に入らないことがあればパイプ椅子を机にぶつけ、女の子の胸ぐらもつかみ、最後は首になった。
「自分が小説を書くためにネタを集めていたノートにそのシーンがあった」
「そこから流出した。ネット上の書き込みが自分の小説を知っている内容に変わっていった」
「思考盗聴まで行ってる」
「『国民はたぶん気づいていないですよ、財政破綻すればあなたは大臣も議員の職も失う、辞任すれば助かりますよ』とメールしました」
「おそらくここでなら最高のアニメがつくれる。最高の物語が作れる」
「犯罪歴を知っているってなると、小説を京アニに送れないし、小説も書けない」
「作家で食べていけないので、犯罪した人ばかりしかいない刑務所に行ったほうがいいと思って犯罪をしようと思った」
「(妄想性障害と診断されて)もともと何かを考えたり思い浮かべたりする癖があるので、そう言われたのかなと」
「自分のものの覚え方というのがあります。曖昧に覚えてから正確に覚えるという覚え方で、曖昧に覚えていて正確に18という覚え方になっていた」
「ナンバーツーが歩いてきて、刑務官に『よろしくお願いします』と頭を下げていた」
「秋葉原の事件が起こったことへの思いがあった。秋葉原では車で突っ込んで、3人殺傷した。刀は時代劇ではバサバサ切っているが、1人か2人で血糊で切れなくなる。もしかしたら、ガソリンをまいたあとで止められることが予想されるので、その時に使おうと思っていた」
「(加藤智大も)仕事を転々としたり、郵便局をクビになったり、事件を起こしたことに何かしらの共感や類似点があると思った。他人事に思えなかった」
「アニメーションは1人で完結できない。何人かで盗作シーンを作ったという思いがあった。無関係ではないという判断しか当時はできなかった」
「逆の立場になって考えて、パクられたり、『レイプ魔』と言われたことに、京アニは良心の呵責も何もなく、被害者という立場だけ話すという理解でよろしいでしょうか?」
「私は2ちゃんねるで荒らしをしていて有名だったが、一度管理人に直々に怒られたことがあります」
「パクられた!小説!」
「やりすぎたと思っている」
「恨みがあり憎しみがあったとして、『やってやった』『ざまあみろ』というのが残る訳ではなく、他に方法がなかったのかと思うので、そういう部分では後悔しています」
「(2ちゃんねるの掲示板で)トップ編集者らしき人から『すげえものを見た』と反応があり、賞金をどう使うか聞かれたから、(京アニ大賞に)通ると思った」
「小説を諦める気持ちがあった。失恋に似た感情があり、一度密接にくっついたものを引きはがすのに大変難儀した覚えがある」
「何かしら、つっかえ棒がなくなった。生きていくためのつながりがなくなり、良からぬ事件を起こす方向に向かった」
「ぶっちゃけ、やる前、やった後とに、そういう考えがあると出来ないものなんですね。検事さんの最初の取り調べでも、『後のことはどう考えていたか?』とか聞かれましたが、当時そのことに関して、ある種『やけくそ』という気持ちじゃないと(犯行が)出来ない。一言で言うと、『やけくそ』でした」
「もう少し『やってやった』と思うのかと思っていたが、意外となんか、悩むこともたまに結構あるし、そんなことしか残らなかった」
「人が死んでこの世から存在が消えるというのは、やはりそういうことなんだなってちょっと思った」
「例えば、単独で『女性監督』を襲うとか、弁護士に依頼したところで、京アニがパクりをやめるかというと、そうではないかと思った」
「京アニは光の階段をのぼり、それに比べて自分の人生はあまりにも暗い」
「全て実を結ばずに終わった」
「自分の20年間はどうしても暗い。やっぱり、ここまで来たらやろうと思った」
「泣きゲーの元祖で、影響のある作品だった。『ONE』の後続作品をアニメ化したのが京都アニメーションで、『ハルヒ』をアニメ化したのが京都アニメーション。『ONE』を見なかったら『ハルヒ』も見ていない。そうなると小説も書いていなかったと思います」
「小説一つでそこまでとの思い 少しある」
「性欲に困っていたというのがあります」
「生活保護を受給して昼夜逆転の生活をするようになり、京アニの作品を初めて見て小説を書き始めた、ハルヒ」
「(加藤智大のことを)ひとごとには思えなかった。何とかしないと自分もこんな感じになると思った」
「人と関わるメリットが見いだせなかった」
「汗腺はほとんど取っ払ってしまっているので、頭と胸のあたり以外は汗をかけない状況です。痛覚も取っ払ってしまったので、痛みや温度も感じにくいです」
「『下りエスカレーター』ではなく、『上りのエスカレーター』に乗りたいと思った」
「(小説は) 書く時間そのものは短かったが、考えている時間を含めると24時間365日書いていた」
「福山雅治さんや『けいおん!』の声優、芸人の『あばれる君』が結婚していて、自分にも結婚させようとしているのかなと、自分と『女性監督』とを」
「日本を財政破綻させる世界的なシナリオがあった」と語り、自身が当時の故・与謝野馨経済財政担当相に警告のメールを送ったことで「国家破綻が回避された」と訴えた。
「逆に聞きますけど、それはこんなことするなら、さっさと死んでくれということですか」
「パクりが事実じゃないとすると36人が何のために死んだのか」
「2ちゃんねるが心の拠り所だった」
「加藤智大さん」
「(埼玉大宮駅に包丁6本を持って行って)この程度の密集度では、刺したとしても、すぐに驚かれて逃げられると即座にわかった。なので、そんなに大きな事件にはならないのでは思ってやめた」
「早く大拘(大阪拘置所)に来ていれば事件は起こさなかったのでは」
「強盗事件で服役していたときに刑務所で出会った『ナンバーツー』という名前で、ハリウッドやシリコンバレー、官僚などにも人脈のある、闇の世界に生きるフィクサーみたいな人だ」
「2ちゃんの用語で『あおる』、つまり『あなた本人ですよね』という書き込みをすると(本人の場合)恥ずかしさから流す態度を取る。(あおりに対してそのような態度だったので)女性監督で間違いない」
「自分の中では最悪の事態を防ごうとする努力はしたと思っている」
『涼宮ハルヒの憂鬱』は今でも好きか」と問われると「手本にすべき作品だが魔性の作品でそういう作品と出会わなければ事件を起こさなかった。今も『人を狂わせる作品』という認識だ」
「女性監督に『レイプ魔』と言われた。犯罪歴を知られていると小説も応募できない。刑務所に行ったほうがいいと思い、したくはなかったが強盗事件を起こした」
「(刑務所でけいおん!をみて) 涙を流して見た記憶がある。こんなところで見られるとは」
「またパクってんのかなと思った」
「愛深けりゃ憎しみ大きいという感じで、何も感じていなければこんなことは起こしてい」
「兄、妹への仕返しのつもりもあった」
「妹にもすごいことをやられてきた。妹が飼っていた猫をいじめていて、それを止めようとぶん殴ったら、警察を呼ばれて「ざまみろ」と言われたのを根に持っている。それでも、そこまでしなければならなかったのかと」
「コンビニ強盗のときの調書を見てもらえれば、すでに兄や母に対して、ガソリンをまいて殺してやりたいとの心でいる。当時からそういう感情を持ち合わせていた」
「やはり、いろいろな方の顔が浮かんだというのがありますー京アニの女性監督になります」
「申し訳ないのですが、全ての発言を洗いざらい取っていって、許せないと言われても、恨んでいただくしか方法はございません」
「他に方法がなかったのかと思う」
「はっきり言って答えていいと思いますが、弁護士さんからアレがあって控えたい」
「昔ほど(相手を)徹底的にやり返したりという考えは減ってきた」
「(第一スタジオに)らせん階段があるとは知らなかったのでー(2階3階にいた人は)ツキや運がなかった部分があったと思います」
「『落とせ』という指示があったら落とすという意図」
自身がIoTについて独自のアイデアを持っていたと主張。これが世界経済のバランスを損なう可能性があったため、ナンバー2が快く思っていなかったという趣旨の持論を述べている
「記憶では(目の前にいたのが)3人くらいだったので、そのくらいの死傷者が出るんじゃないかと」
「多く亡くなるとしても8人が上限じゃないかと思った」
「やはり秋葉原の件がありました。7人か8人か9人。雀荘の事件で、7人から9人。たぶん2桁までは考えなかった」
「京アニなんか、なくなっちゃえばいいのに、という考えはあったと思う」
「ブログ上で、あの〜……時間移動のことに関して触れているので(自分の応募作品を)読んでないことはないんじゃないかと思うんですがぁ。」
「その仕事……落とす(被告の作品を落選させる)ことをした後、建てられたのが第五スタジオ。そのお金が見返りになっている。いやぁ、けっこうあの頃は、ネットで散々やりあってて、それで、あの〜、やっぱり、まぁ、それで『落とせ』という形になったんじゃないかと」
「えーっと、それがちょっと、見ている現実が違う? それはないんじゃないか」
「(パクリが妄想と診断されて)自信がなくなった。目の前にあったことが事実でないかもしれない」
「それはやはり、申し訳ありませんでした、という形にしかなり得ない」
「やりすぎた、ということに、こういうところの事(謝罪)を言っている部分はあると思う」
「金輪際このようなことが起きないよう、教訓にしてもらうために全ての話をした」
「正直に申し上げると、あまりに自分のやったことの大きさに対して、目を背けることが多いのが否定できません。」
「質問に答えることも自分のできる範囲ではありますが、ちゃんとやって来たので、この場において付け加えて話すということはありません。そうとだけ申しておきます」