はてなキーワード: 入賞とは
元増田だが、昨日は怒りに任せて感情をブチ撒けてしまったのと、
あと俺に対して言ってもいない主義主張を推察している人もいるので、
その辺りも含めて追記しておく。
まず第一に、俺自身は「トランス女性は女性です」と言う考え方を支持しない。
と言うより、「トランス女性は女性ではない」のだからその現実に苦しむのだし、
そこへ「トランス女性は女性です」と言うイデオロギーを無理矢理押し込んで、
無理にトランス女性を女性扱いさせるのは当事者である俺自身も含め、
次にトランスジェンダリズムとして呼称されている「女性と言う言葉と意味を無くす」だとか、
あるいは「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼び掛けについても、俺自身はほぼ支持していない。
まず「女性と言う言葉と意味を無くす」と言う考え方は、女性へ性別移行したい人間にとって、
移行する先の性別を無くすことを意味するし、「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼掛けも、
男性に例えるなら「男性とすべての前立腺を持つひと」みたいな呼掛けになる訳で、
ただとは言え子宮癌とか前立腺癌への健康診断を呼び掛ける文脈で、
「女性とすべての子宮を持つひと」とか「男性とすべての前立腺を持つひと」
と言う呼び掛けを使わずに健康診断を受けろよ、と言う呼掛けを出来るのかどうか、
って言うところには、俺自身は回答を持ち合わせてはいないのが現状。
まず最初に言っておくと、世間一般が懸念している(とされている)、
俺は女だと名乗ったら、どうみても男でも女性として扱わなければならない
みたいな考え方も俺は支持しない。
と言うより、生活実態として中身が伴わない状態で俺は女だ、とか言っても誰も相手にするべきではないし、
そんな行為が罷り通る社会を実現したいか、と聞かれたら、「は?何言ってんのコイツ」としか思わない。
ただな、ルッキズムにはなるけど、生活実態として女性にしか見えないトランス女性に対し、
「チンコが付いている限り、男性用トイレだとか男性用設備しか使うな」って言うのは、
流石に無理があるだろ、とは思ってる。
まずトイレについてだが、どう見ても女性にしか見えず、どう頑張っても男性だと認識させられないトランス女性に対し、
男性用トイレ使えって言うのは、「お前は男性用トイレに入ろうとした女の不審者になれ」と言うのと同義なんだよ。
逆のバージョンを考えれば分かるが、どうみてもオッサンにしか見えないトランス男性が女性用トイレ使おうとしたら不審者にしかならんだろ?
次に Twitter で良く例として上げられている風呂とかの入浴設備の問題なんだが、俺個人としては、SRS でチンコを取らない限り、
トランス女性が女性用浴場に無条件に入るのは、建造物侵入と公然わいせつで男性刑務所にブチ込まれたくないなら止めとけ、とは考えてる。
ただこの問題は一個やっかいな点があって、トランス云々とはまったく関係ない文脈で、
ごく一部の DSD 女性(性分化疾患を持つ女性)がとばっちりを食うんだよな。
と言うのも DSD 女性の中には外性器として男性器も性発達している人もいて、
チンコが付いているなら女性用を入浴設備を使うな!と単純に主張すると、
こういった DSD 女性たちも無条件に排除されてしまう訳で、
そう言った意味ではこの人たちを無視しないで欲しい、とは思ってる。
を見てくれたら助かる。
俺個人としては、トランス女性を女性競技に無理矢理突っ込むのは互いに不幸にしかならんから止めてくれ、と思っていて、
どう言うことかと言えば、例えば競技でトランス女性が不断の努力を以ってして優勝を勝ち取ったとしても、
「あいつはトランス女性だから勝ったんだ」と後ろ指を指されることに繋がってしまうし、
逆に女性側からしてみれば、「あいつらトランスは私達から活躍の場を奪った」と言う認識にしかならん訳で、
こう言った面からトランス女性を女性競技一般に無理矢理ブチ込むべきではない、とは考えてる。
とは言えその反面、今の今までトランス女性が「女性として」のプロスポーツへの参加方法が一切無かった、
と言う現実は直視すべきで、この点はルールを決める側の競技連盟が無い知恵絞ってどうにかしろよ、とは思ってるし、
無論これはトランス男性でも同じことが言えるんじゃないか、とも考えてる。
ただこの手の問題でいくつか思うのは、現状のルールに基いて競技に参加したにも関わらず、
トランス女性選手であると言う「だけ」で、その当事者やトランス女性全般へ増悪を向けるのは止めろと思ってるし、
元々が女性一般とトランス女性を問わずの競技大会(確か自転車だったか)でトランス女性が上位入賞したケースを、
「女性の競技での活躍を奪ってる!」と言うのは、流石に御門違いもいい加減にしろ、とは思う。
なんでそう言う競技の不公平云々は大会設営者に言えよ、と言うのが正直なところではある。
keshimini 差別主義者と一般社会とLGBT当事者で、どこまでが「おかしなLGBT活動に対する批判」でどこまでが「当事者の苦痛を踏みつけにする行為」の認識のラインがまず違うんだよな。そこが合わない以上、揉め事はなくならない。
と言う指摘があり、これについては元増田を書いた以上、返答する義理があると思うので、
それについて言及してこの話を終わりたいと思う。
まず俺が思うのは、
ついで、
と考えてるのがまぁ社会一般かな、と思う。
で、最期問題なのがトンチキな LGBT 活動家と当事者集団で、こいつらは、
みたいな事を言っている印象がある。
それで、この問題の根幹にある、
については、これはもう文脈に依る、としか言えないと思っていて、
例えば「トランス女性は女性ではないから○○は当然だ」みたいなのは当事者の苦痛の踏み付けだと思うし、
「トンチキ活動家と当事者はそう言うけど、こう言う場面では不都合が出るよ」みたいな懸念の表明は穏当だと思ってる。
とは言えこの辺りはグラデーションで、ある面では穏当な懸念を示していたとしても、
ある面では苦痛の踏み付けをやってしまっている面もある、と思っていて、
人間の読解力に限界がある以上、ある程度これは許容しなければならない、と個人的には思ってる。
ただ Twitter だと特に顕著だけど、トンチキ LGBT 活動家も、それを批判する側も、お気持ち当事者も、
全員が全員、イナゴの群れか何かか、と言う勢いで安易に個人の発言に群がってる面があると思っていて、
これがネット上でトランス女性への増悪を増幅させたんじゃないか、と個人的に思うところはある。
なんでインターネット老人会じゃないけど、いわゆる炎上案件でのネットイナゴが Twitter で大量発生し、
それがどんどんどんどん増幅して相互に憎悪を撒き散らした結果、
今のネットでトランス女性への増悪はあたり前、みたいな風潮になって行ったんだろう、と俺は思ってる。
正直なところ、俺が昨日ああ言う感情剥き出しの記事を書いてしまった理由としては、
今のネットでトランス女性への増悪はあたり前、性別違和への苦痛の踏み付けは無視当然、
と言う態度への我慢が出来なくなったからで、まぁ感情を剥き出しに書いたのは俺の未熟だったとしても、
ミステリーは辞めた方がいい。
トリックさえ複雑でゴチャゴチャしていればいいんでしょって作りの作品ばかり。
編集や審査員も最初からミステリーに文章力求めてないからトリックの出来がいいだけで文章力は中学生の作文コンテストにも入賞しないようなのが大賞クラスを取ってく。
マジで辞めた方がいい。
なんなんだあの界隈はってぐらい文章力という能力をコケにしてる。
酷い酷いと言われてるなろう小説だって頭悪い人でも読みやすいような文章の作りを意識してるのは伝わる。
新本格はマジで作者がトリックを隠すために用意した言葉の森以上の価値が存在しない。
本当ヤバイよ。
今のミステリ文壇は完全にトリックを解明する能力と作る力のみを優先してそれがエンターテイメントであったことを忘れてる。
ミスターマリックがなぜテレビスターになれたのかを考えもせずにあの程度のマジックはーと言ってる売れないマジシャンのような連中ばかり。
まず文章があって始めて成立するんだってことが見えてなさすぎ。
牛丼のご飯が臭かったら肉がどんなに美味しくてもそれは牛丼という形で調理したものとしては失敗なんだってレベルの話を意地でも認めないアホの集団。
指定校推薦使う人って小さい頃にDSのポケモンでチート使って心の底から楽しめてたタイプの人種?
https://twitter.com/anokoronomirai/status/1492714346535092225
イフオ@anokoronomirai
先日、このツイートを読む機会があった。せっかく学生課の職員という仕事をしているので、ちょっと解説してみようと思う。
結論はタイトルのとおりだ。大学にとって、指定校推薦は優れた制度である。一般入試で入ってくる学生よりも、指定校推薦で入ってくる方が優れている。
指定校推薦というのは、大学と高校と生徒にとって三方好しである。高校生が指定校推薦による利を得たい場合は、在学中にたくさん勉強して、学校行事に多く参加し、部活動や社会教育活動やボランティアに精を出さねばならない。
大学としては、新入生としてはできれば安牌が欲しいと考えているし、高校側も特に推薦したい生徒がいる場合がほとんどである。重ねて申しあげるが、一般的な高校生が指定校推薦を活用するためには、その学校にとっての模範的な生徒である必要がある。
私が勤めている大学は、世間的には上流とされている。私立大学の総合力を図るランキングがあったとすると、国内上位3校に必ず入る。
これまで十数年に渡り、百人以上の高校生・大学生の面談面接又は評価活動を行ってきた。その経験に照らして、一般入試と比べた場合の指定校推薦の優位性を説明する。
※公募推薦やスポーツ推薦や帰国子女入試はそれに準ずる扱いとしている。いずれも一般入試の学生よりも優れていると幣学では結論している。
これが最大のメリットだ。幣学から「〇人の推薦枠があるので出願をお願いします」という通知を受け取った各高等学校が、それぞれ選りすぐりの生徒を受験させる。受験者は概ね、以下の性質を一つ以上は有している。
・評定平均が概ね4.5以上
(推薦要綱に4.5以上とあっても、双方の合意で4.4以下の子が受けることは可能)
・特殊な才能に恵まれ、若くして成果を挙げている(スポーツ、文化芸術、学会、芸能界その他での活躍)
幣学は毎年、上記の性質の3つ以上を有した学生を手に入れることができている。ほぼ必ず、将来大器と思われる人材を得ることができている。募集要綱での評定平均が足りていない子はけっこういるが、それらは裁量でどうにかなる。
いい子に入学してもらい、学生生活では多くの人と交わることで自分を磨いてもらい、卒業後は社会で活躍できる人材に育つことが学校としての至上目的だ。
具体例をひとつ挙げる。
4年ほど前のことだ。府中の辺りにあった私の日常通いのマクドナルドで、ある女子高生が働いていた。私と彼女は、レジでたまに世間話をする関係だった。その子が新人だった時の話をする。
夕方だったろうか、外国人サラリーマン2人組(大柄な白人と中肉中背のアジア系だったと思う)がその子のレジに並んだ。私はそのひとつ後ろに並んでいた。
そのうち1人が、店員に対して英語で話し始めた。併せてジェスチャーを行い、干飯ハンバーガーを注文しようとしていた。
さて、彼が欲しかったものは、「チキンフィレオのセット×1+チキンフィレオの単品」だった。その子も身振り手振りで話を聞き終え、「千何百円になります~」と言ったところ、「No」と白人リーマンは言うのだった。「チキンフィレオのセット×2」としてしまったのだろう。
その高校生は、もう一度メニューを見ながら、手指や視線を動かして、彼の顔も見て――今度は正解を当てることができた。白人リーマンは、「glad」と言って隣のアジア風の男性に注文を譲った。
その子は、アジア風の男性からも英語で注文を聞き取っていたが、今度はミスなく注文に応えることができた。身振り手振りだけの、上手なコミュニケーションだった。サイドメニューのサラダ単品と、ナゲット×2とジンジャーエールだった気がする。
この間、彼女は一切英語を話していない。労働経験も少ないだろうに、外国人に即応したのだ。言葉を交わすことなく注文に応えてしまった。緊張した様子もなく、終始ニコニコだった。
才覚を感じた。私が学生の頃は、あの子のような接客は絶対にできない。せいぜい、しどろもどろになって社員を呼んでいたことだろう。彼女については後述する。
指定校推薦の話に戻る。
幣学では、彼女のようなレベルに達している人間がぜひ欲しいと思っている。幣学だけではない。ほかの大学だって喉から手が出るほど欲しいだろう。残念ながら、その子が通っている高校には幣学の指定校推薦枠がなかった。が、その他の推薦入試であれば可能性がある。私が入試事務局で彼女の願書を審査するメンバーだったら、一次選考は確実に通しただろう。
ここまでお読みいただいた増田民への情報提供を兼ねて、推薦入試の際に最も重視される評価基準を説明する。
『自助努力』
以上だ。
評定平均が4.0以上など、指定校推薦では成績優秀な学生を求めている印象があるが、この際だから正直に言ってしまう。合格順位の点数付けの過程で、評定平均はほぼ見られない。あれは受験者を少なくするために振るいにかけているだけであって、本当に見られるのは上記3要素だ。
例えば、推薦入試の募集要綱には、「全体の評定平均が4.0以上であること」などと書いてあるだろう。実務上の対応としては、それ未満の評定平均でも出願すること自体はできる。むしろ出願して欲しいほどの人財がいる場合は、当高校に対して個別に依頼と訪問を行い、その生徒を推薦してもらう。これは幣学でもそうだし、他の名門大学でも変わりはない。それくらい、上記3要素を有した高校生はこの世界に少ない。喉から手が出るほどほしい。
なお、自己推薦制度を採用する大学の場合は、評定平均が足りないと学校長からの推薦書がもらえないので注意しよう。すなわち出願ができない。学校を通した推薦入試の場合は、評定平均が少し足りないくらいであれば双方が話をする。やり取りの例はこんなところだ。
パターンⒶ
高「評定平均は3.8である。貴学の示す4.0には少し足りないが、在学中に難関試験である〇〇に合格している。性格は朗らかであり、リーダーシップもある。貴学の学風に相応しい生徒かと思われる。出願は可能か」
パターンⒷ
高「評定平均は3.0未満である。この子は1年生からインターハイに出場している。推薦入試の受付開始時点でインターハイに上位入賞しているなどの場合は、出願することは可能か」
大「協議して回答するので、出せる範囲で資料をいただきたい。出願できる可能性はある」
どんな大学にも救いようのない学生はいるものだ。箇条書きにしてみよう。
‐①
講義中に先生に当てられても、何も答えない。ずっとだんまりだ。人として生きる力に欠けているというか。私が幣学で学んでいた頃もいたし、ずっと前から一定数いるのだろう。わかっていようといまいと、とにかく答えない。黙っている。こういう人間は大学生になってはいけない。行動が大人のレベルに達していない。社会の進歩と同時に、こういった人罪が増えるのは致し方ない面がある。大昔であれば、こういった人間は厳しい修行の中で開眼するか、できなければ間引きされていたに違いない。
‐②
学生に一般貸出している施設の鍵を個人がずっと持っていて、サークルや部活動の団体が使用できなかったにもかかわらず、詫びの一言もなく鍵を返却して済まそうとした女子学生。口頭での注意及び一定期間の施設使用禁止を命じた。後日、ほかの利用者が鍵を開けて使用するタイミングでこっそり利用していたことが判明し、正式な処分を行うこととなった。
‐③
ある警備員が、大学が閉まる時間になっても遊んでいる学生を出て行かせようとしたところ、逆切れして「警備員ごときが偉そうに!」と文句を言った男子学生(譴責処分とした)。彼のような場合、親が地元有力者や代議士経験者といった名士であることが多い。肉親や親類縁者が多くの人から崇められているため、それが自分の力であると勘違いしているのだ。大学としても、譴責以上の処分を与えるのは難しい案件であるため、厳しい対処はできない。
・明確な不法行為をする者
‐①
学外私生活でトラブルを起こし、警察沙汰になる者。アルバイト先など関係者からのクレームの電話が年に10件以上はある。あの学生に家族を侮辱された、彼は替玉入試だから調査しろ、あいつはコンビニで万引きをしていたなど。明らかな証拠がある場合に限って調査をする。証拠がなければ何もしない。当人を呼び出すこともしない。杞憂なく学生生活を過ごしてほしい思いがある。
‐②
不埒な行為を目的とするサークル活動。ゴシップ雑誌やニュースサイトで、泥酔した学生十数人が路面で倒れて~といった報道が稀になされる。本当ならば、路面に倒れるよりも前に個室に連れて行きたかったのだろう。誠に遺憾だが、そういった行為を目的とするサークルはある。ネット検索でもヒットする。近年だとミスコン運営委員会の事件が記憶に新しい。
現代社会では到底許される余地のない連中だが、昭和の時代から存在している伝統的なサークルが多い。既得権というか、潰すに潰せない事情がある。
ここでいったん、関連するトピックに逸れる。
京都教育大学集団準強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明
https://wan.or.jp/article/show/2038
覚えている人もおられるだろう。
2009年2月、京都教育大学の体育会で追い出しコンパがあった。その居酒屋の空き個室で、当時19才の泥酔した女子学生に対し、6人+見張り3人が代わる代わる性行為を行ったという。数か月後、女子学生の親が大学の対応を信用できなくなり、刑事告訴に踏み切った。
この事件当時、文部科学省から事件関係の通知(指導)文が何件も送られていたのを思い出す。掻い摘んで述べると、「大学の活動の一環として行われる行事は大学側にも責任が生じるおそれがあるため、このような事案が決して起こらないよう、学内団体の監視及び指導、事前対策を徹底すべし」といった文面だった。
幣学でも、遠く離れた京都であったこの事件を対岸の火事と見ず、リスクマネジメントの観点から積極的な議論を行い、事前事後の対応策を決めた。
当時、若手職員だった私には疑問だった。なぜ偏差値的に優れている、勉強を頑張ることができる人間がこんな事件を起こすのか? と考えていた。今ではわかる。偏差値と人格は何の関係もないのだ。こんな当たり前のことを理解するまでに相当の年月をかけてしまった。恥ずかしい限りだ。
それから十数年。幣学でも、そういった事案が年に数件は上がる。どれもこれも、いい大人がこの程度のことがなぜわからないのかというほどレベルの低い案件だ。その度に、慎重に慎重に慎重に、最大限の注意をもって被害学生の心に寄り添い、謝意とフォローを示さねばならない。
こういった事案の多くは、一般入試で入ってきた人間が起こしている。ほぼ同率2位がスポーツ推薦だ。公募推薦や指定校推薦や帰国子女入試の学生は、こういったレベルの低い問題事案を起こす確率は少ない。明らかにそういう傾向がある。
‐③
幣学には、はるか以前から、警護が付くレベルの皇族の子女が何人も通っている。数年前、とある男子学生が、講義棟から出てきたばかりの女子学生にいきなり近づき、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と尋ねたという。女子学生の反応は想像に難くない。警戒心で強張っていたと推察する。
男子学生は、その子の肩を抱くようにして一緒に携帯で写真を取ろうとした。すぐに警護の人が物理的にシャットアウトしたのだが、その様子を男子学生の仲間が遠巻きに笑って眺めていたという。学生課に抗議にきたのは、その女子学生ではなく友人だった。女子学生は、どちらかというと穏便に済ませたいとの意見だった。こういった案件がある度に、偏差値と人格に関係がないことを思い知らされる。この顛末は【後述】する。
さて、どうして私がこのような考えに至ったのか? 統計を取ったからだ。
大学職員になって十年ほどが経った頃、問題を起こす学生の傾向について、上の人間から指示を受けてデータ化を進めていた時、ある傾向に気が付いた。
過去に問題行為のあった学生約200人を無作為抽出し、データベース化した。そして、その入試制度別の発生割合を調べたところ、
指定校推薦<その他入試制度(帰国子女含)<一般入試<スポーツ(一芸)推薦(※1)
という関係が成り立った。
この時、私は――社会で実績を挙げる人間には反対の傾向が当てはまるのではないかと考えた。実際、正しかった。学生の卒業後追跡調査の結果を独自分析し、卒業後の進路ごとに1点~5点(※2)を付けて入試制度別に平均点を並べたところ、
指定校推薦>その他入試制度(帰国子女含)>スポーツ(一芸)推薦>一般入試
と、おおよそ対称的な結果を得た。これにより、私の考えが確信に変わった。
知能テストで図ることができる要素よりも――それ以外での、高校在学中の部活動その他の社会的交流や、自らを高めるための活動にどれだけ勤しんだかに重点を置いて入試制度を運営する方がよりよい結果を得ることができるということだ。
※1…一芸とは、AO入試やスポーツ以外の特殊技能により入学した者を示す
※2…国際公共機関やそれに準ずるNPOや世界的企業を5点、一般企業や一般公務員は3点、フリーターや無業者や所在不明者は1点とした。4点と2点はその間を基準として点数を付けた。
ここからは【後述】の内容になる。女子学生に写真撮影を求めた学生は、一般入試だった。それまでに何度も事件を起こし、3回の学内処分を受けていた。
ゼミの担当教授にも参考意見を伺ったところ、やはり人格的素養を欠く言動を繰り返しているようだった。犯罪に達している行為もあった。
事務局側の責任者に彼の処分内容を協議したところ、「遺憾だが、処分内容は考える必要がある。考えたうえであれば~~そちら側に委任する」という答えがあった。これは、その人なりのサインだ。自らの手を汚すことをしたくないから、処罰される人間に明白な忌避行為がない限りは、こうした答え方をする。意図を汲み取る必要があった。
数日後、彼との面談で、私達は「自主退学」を求めた。はっきりと「あなたは本学にふさわしくない」旨を告げたうえで、自ら退学願いを出すのであれば、こちらから退学処分を行うことはないと宣言した。これは半分以上がブラフだ。実際、この程度で退学処分を行うことは難しい。ただ、学校としては、品位を落とす学生には退学してもらいたい。それだけだ。
そのうえで、あの時、彼の周りで笑っていた連中にも釘を刺している。個別に呼び出しをした。「学生だからといって、社会で許されないことをしたら、彼のようにキッチリ落とし前をつけさせるぞ」と。はっきり宣言した。
苦しいが、仕方がないのだ。危険の芽は摘み取っておく必要がある。こうした学生を放っておくことで、上の京都教育大学のような重大事案に繋がってしまう。問題事案が起こる可能性は、費用をかけたとしてもゼロに近づける。リスクマネジメントの基本だ。これは、どんな学校でも同じことだと思う。
私は本学を愛している。高校生の時もそうだったし、大学生の時もそうだったし、大学職員になった今でもそうだ。事案が生じることで、本学を世間の目に晒したくない。
お目汚しを失礼した。
基本はロム専だが、どうしても一度、増田に投稿してみたかった。
そんな時、冒頭のツイートが流れてきた次第だ。暇な時間を費やすだけの価値があったなら幸いだ。
イフオ@anokoronomirai様、この度は拙作を投稿する機会をお与えくださりありがとうございます。重ねて感謝申しあげます。
今在籍している職員の社会的属性と査定状況の突き合わせをベースとして、入庁後に活躍できそうな要素、逆に活躍できない可能性がある要素について、各面接室のリーダーに共有していた。
また、受験者の内定受諾関係の統計から、実際に内定を受けてくれる可能性についても情報を与えている。私がK市の職員台帳(驚くほど何でも載っている……)のエクセルを弄りまわして統計分析にかけた結果、導き出したものだ。
このチェックリストに該当すると、面接官の主観的要素において面接結果に作用することになる。その一部を示そう。□がポジティブで、■をネガティブとしている。()内は備考。
以下のリストには、面接試験の最中に情報を得にくいものもあるが、2次試験で配布する指定用紙に記入欄を設けることでほとんどカバーできる。
【ポジティブチェックの例】
□ 男性であり、結婚している(必ず優秀というわけではないが問題職員になりにくい)
□ ひとつの組織で3年以上働いたことがある(入庁後に早期離職しない)
□ 出身校(小中高)の2つ以上がK市内にある(地元への愛着がある)
【ネガティブチェックの例】
■ 女性で子どもがいる(公務よりも子どもを優先する者が多い。入庁1年目での産休や育休など)
■ 男性であり、30才以上で親と同居(子どものような性格や行動をする人間が多い)
■ 他市町や民間企業の残り玉がある(内定受諾率が有意に低い)
■ 入庁後にK市に住む意思や予定がない(〃)
※1…あくまで面接官への情報提供である。面接試験は100%採点表に基づいて実施される。
※2…病気や障害、家庭環境など、本人の生き方と関係ない要素はどれだけ査定と相関関係が強かろうが情報提供はしていない。一応付言しておく。
第3章の終わりに、「とはいえ、内定を取るための裏技もあるんでしょう!?」と気になっている読者に、何点かの特別事項を示して結びとする。いわゆるコネというやつだ。
ここでは、合法的なコネ(採用試験の前に自分をアピールする方法)について2つの観点により説明する。非合法なやり方は示さない。
これが一番手っ取り早いうえに、やる気をアピールできる。ここでは、あなたが学生もしくは若年層だとする。
官公庁はあまりインターンシップをやらないし、やったとしても狭き門だ。しかし、一般向けのイベントであれば、ちょっとのやる気で意欲を示すことが可能だ。〇〇美術展や〇〇スポーツ大会、〇〇コンペなど、誰でもエントリーできる行事に参加してみるのだ。何年も参加していれば、幹部クラスの職員に顔や名前を覚えてもらえる。
ここでは3つ、前例を示す。
①.
K市の美術展で中学生の頃から入賞し、高校生の時には全国レベルの賞をもらった子がいた。その子の面接官を務めたのは、当時の美術展の所管課において責任者を勤めていた人物だった。その子は3種類の面接試験を危うげなくパスし、内定を獲得した。面接官いわく、「エントリーシートを見た時点で入庁してほしい」と感じていたとのこと。
②.
成人式の新成人代表で祝いの詞を述べた子。その子は、K市の広報誌の募集を読んで新成人代表への挑戦の意を表した。祝いの詞を自分で考え、成人式のステージで発表を行った。その子は、翌年採用試験を受けたが、残念ながら不合格だった。おそらくだが、祝いの詞の最後に、「将来はK市の職員になりたいです!」と言ってしまったため、自意識過剰であると捉えられた可能性がある。惜しいパターンだ。
③.
子ども議会で将来のK市についての政策提言をまとめた子。当時は中学3年生だった。それが大学を卒業する段になって、K市へのUターン就職を決意し、採用試験を受けた。その子が政策提言を発表した時に議場にいた職員らが、面接を受けた時には上級の職へと昇進していた。そのうち1人が、当日記の序盤で登場した副市長だった。その子は最終面接で最高の評点を与えられ、晴れて主席内定者となった。ただ残念なことに、その子は内定を辞退した。その人に内定を出した時の副市長の嬉しそうな顔と、また反対に落胆した顔は今でも忘れられない。
これが広義のコネだ。一般の人が想像しやすい形だろう。人事への働きかけができる人間に自分を推薦し、点数を底上げしてもらうのだ。これは、ある程度選ばれた人しか使うことができない。
ところで、世間的には極端なイメージでもって、こうしたコネ(縁故)が語られることが多い。まずは、昭和から平成初期までに行われていた伝統的なコネ採用について説明する。
(以下、説明)
昭和の時代にこうした採用が行われていたのは、公務員業界が人手不足だったからだ。K市の昭和60年頃の採用試験倍率は、2.5倍程度である。最低でも10倍はほしいところだ。あまりに倍率が低すぎてロクな人材がやってこない。そんな状況の中、冒頭で述べたA夫さんのような人が多く採用されていた。
当時の地方公務員(特に市役所)は、『民間企業で稼ぐ力や意欲のない、覇気のない人間がなるもの』とされていた。今でこそ、上場企業の平均年収≒地方公共団体の平均年収という関係が成り立っているが、当時は上場企業の方が明らかに高かった。私の記憶では、当時は年収ベースで1~2割程度は上場企業が上回っていた。え、なに? 私の年齢? フミコフミオ氏と同じ年だ……。一応、家内もいる。社会福祉協議会に勤めていて、ひたむきな性格の優しい人だ。
話を戻そう。そんな状況だったので、昭和時代の幹部職員は、役場内の優れた職員の子どもや、地元有力者の子弟や、町内会長の紹介など、使える手はすべて使って優秀な人材を確保しようとした。コネ採用は当時も違法行為だったけれども、時代が許していた。
それがバブル崩壊の数年後を機に、公務員人気が高まるにつれて違法行為の様相が強くなった。コネ採用が判明した一部の自治体は、首長などの幹部職員が引退や検察起訴に追い込まれるようになった。K市においては、1995年頃を境として、それまでとは比べ物にならないレベルの人材(一流大卒や民間経験5年以上など)を採用できるようになった。
(説明終わり)
とあるAさんが、いま在住している自治体の職員になりたくて、かつ上の条件を満たしている(親が優れた職員である、地元有力者に知り合いがいるなど。以下まとめて『有力者』とする)のであれば、以下の手順を満たすことで、法を犯すことなく自分をアピールできる。
[ステップ1]
Aさんが『有力者』に対し、自分を市の幹部に紹介してもらえないか尋ねてみる。
[ステップ2]
Aさん側の『有力者』が、採用試験の責任者(または特別職)と会談する。「あの人とこういう繋がりの〇〇さんという人が、今度採用試験を受けます」と連絡する。相手方は、「ほう、そうなんですね」と反応する。これでステップ2は終わりだ。
※これ以上は発言するべきではない。例えば選挙に出たい人がいたとして、告示期間前であれば、「〇〇選に出馬します!」と宣言するだけなら公職選挙法的にセーフとされているだろう。それに似ている。
[ステップ3]
ここからは時と場合による。文書に残さない形で協議を重ねることもあるし、協議自体が行われないこともある。なんというか、こういう形の行為というのは「空気感」である。
コネ採用を行ってはならない――という考えは、幹部職員や特別職の間でも共通見解である。ここまでリスクとリターンが嚙み合わない行為はない。表沙汰になった時点で、どんなに偉い人間でも職を辞さねばならない。検察への起訴もセットだ。
後は、Aさんが筆記試験で足切りにならない程度の点数を取ればよい。採用試験の責任者がAさんに配慮してかせずか、そういう結果になるように面接試験のセッティングを行う。以上だ。
身も蓋もないことを言う。地元有力者の子弟は、こんなことをしなくても普通に採用される。当人の能力や人格レベルが素で高いことが多いし、事前情報がなくてもわかるのだ。外見に、苗字と出身地、その他履歴書の内容だけで「あの〇〇さんの子どもか血縁者だな」と。苗字が珍しいことが多い。
市役所の採用試験であれば、能力よりも人格や人柄を見る。私が面接官を行っていた〇年間において、最終合格者の筆記試験最低点は35/100だ。35点しか取れなくても、一次試験の面接で5段階中の4がつけば無条件で二次試験に到達できる。理論上は0点でも通過可能だ。さすがに二次試験で落ちるだろうが……。少なくとも、K市の採用試験はそういうルールで運用していた。
ちなみに、35点の子は笑った顔が素敵だった。話し方はふんわりとしていて、それでいて長すぎず短すぎず、話の内容も伝わりやすかった。こちらの質問の意図も理解している。性格適性検査の結果も正直者と出ていた(あれは信用できる。統計学の力は偉大だ)。市長も、副市長も、かくいう私も、あの笑顔にノックアウトされてしまった口だ。今思い出してもあれはずるい。
俺が好きだったゲームはMTG、マジック・ザ・ギャザリング。
TCGの元祖、「遊戯王」「デュエルマスターズ」の元ネタとかって説明されることが多くて、名前だけは聞いたことがあるって人もいるかな。
ゲーム自体もとても面白いのだけど、今回は主にゲーム性じゃなく、それ以外の部分で俺が惹かれた要素と、「好き」が過去形になった理由について書いていく。
ゲームプレイヤーにも勝利を求めるガチ勢、楽しさを重視するエンジョイ勢と色々いると思う。
(俺はガチ勢ってのも互いに本気で勝利を追求する遊び方を楽しんでる人って考えてる)
他のとこは知らないけど、MTG界隈では競技(ガチ)⇔カジュアル(エンジョイ)って表現を使ってた。
競技なんて言うと「カードゲーム風情がスポーツかなんかのつもりかよ」って思うかもしれない。
まずは俺が惹かれたMTGの要素の一つである競技性を語らせてくれ。
ゲーム=競技ってことで、その競技性ってのはつまりプレイヤーがどれだけ本気で勝ちに行ってるかの指標って感じかな?
皆が本気で勝ちに来るような方法って?そんなの簡単な話だ。商品を付ければ良い。皆が本気で勝ちに来るような商品って?これも簡単。「金」に決まってる。
今でこそゲームの大会に賞金が出るのなんて当たり前だけど、今から30年近くも前から「ゲーム」自体を主体に賞金制の大会があったってのは凄いことだと思う。
次にその大会の規模、まずGP (グランプリ)。世界各国で行われて、誰でも参加が可能。コロナ以前には日本国内でも年に4~5回開催されてて、最高人数は2500人程度、2000人↑は当たり前って感じでかなり大盛況だった。
優勝で大体100万円くらいで、結構大金だけどガチ勢にとって同じくらい大事なのが上位入賞者に与えられる副賞。
PTは世界各地で行われる。各国の強豪が集って、各々が練りに練ったデッキを持ち寄り優勝を目指す大会。賞金は優勝で500万円くらい。多くの競技者はこの舞台を夢見て、焦がれて、狂ってた。
このPTって舞台はMTGやってる奴には本当に羨望の的なんだ。昔はニコ生で、今はTwitchで配信してて、海外でやるから時差があったりで眠たさ堪えながら噛り付いて見てた。
さらにもう一つ大事なことがあって、MTGにはプロプレイヤーって呼ばれる存在がいる。
「プロ」の定義は論の種にもなる事なんだが、一つ明確な線引きがあってプロ・プレイヤーズ・クラブっていうMTGを制作した大元であるWoTC(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト)社が公式に制定した制度。
これはプロポイントってポイントを稼いで、それが一定数溜まったらそれぞれブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナと順にランクが付与されてボーナスが貰えるって仕組み。
このプロポイントを貰えるのが前述のGPやPTなどのグレードの高い大会。
誰でも参加可能なGPでも、このプロポイント1点取るのに結構苦労するんだが、MTGのプロプレイヤーはこのポイントを求めて世界各国を飛び回ってGP、PTに参加するってのが常だった。
国内だけだと4~5回と書いたGPだが、世界ではほぼ毎週のように行われてるので、プロやプロになりたい奴らはポイントを、PTへの参加権を求めて世界を旅してた。
WoTC公式からも「PLAY THE GAME, SEE THE WORLD」って言葉でその行動を奨励してた。
俺はこのプロプレイヤーってものに強く強く憧れた。最初はただゲ-ムが面白くてやってたんだが、次第に戦えるようになって、勝てるようになって、大きな大会にも出るようになった。
俺はいつの間にかこのゲームに狂ってたんだ。狂うのも悪くないけどな、好きなことに狂えるならそんな幸せなことはない。だから狂いが醒めてしまった俺からみると、未だに狂ってるような人を羨ましく感じたりする。
ここまでが俺がMTGを好きだった理由。ここからは好きじゃなくなった理由。
上に書いた競技性と、それを織り成す制度ってのが、俺がMTGってゲームに惚れた一つの要素だったわけだ。
結論から述べる。俺がこのゲームを好きでなくなったのは崩壊とも表現したくなる度重なる制度の変更が理由。
最も絶望するのは、それが他でもないこのゲームを作り出したWoTC社が原因となることだ。
2016年の初めあたりにWoTC社の社長が変わった。度々この社長がやり玉に上がる。
本当に社長のせいなのかは分からないが、実際にこの時期からWoTC社は数多くの制度変更を打ち出す。
色々と細やかな変更はあったんだが最大級のヘビーパンチが、2018年末のこと。
その内容は、前述したプロプレイヤー制度の廃止。そしてそれに代わる32名の定員でのMPL(マジック・プロリーグ)という新しい制度への移行だった。
元々、プロプレイヤーって呼べるような人間は世界に数百人いたと思うんだが、それに対してMPLの32名という枠はどう考えても少ない。
プロ制度の廃止に伴ってプロポイントも無くなり、世界を股にかけて飛び回る意義も失われた。
過去のプロ制度は、本気で目指して努力すればギリギリ手が届きそうと思わせてくれるいい線引きだった。
それに対し、MPLってのは百戦錬磨のトッププロが競い合う中で、そいつらを蹴落としてようやく入れるような場所で、明らかに必要となるコストの大きさが違うんだ。
MPLからあぶれたプロプレイヤーも、プロを目指していた競技勢の人々も次の目標となるものの遠さに驚いたと思う。
(ちなみにこのMPLももうすぐ終わっちまうらしい。それ以降のプロに対する制度の説明は現状一切ナシ。
推測の域を出ないが、界隈で多く見かけた意見は前制度にかかるコスト、金銭的負担の軽減が目的というもの。
PTのようなアメリカ、ヨーロッパ、時にはアジアなどで行われる大会の場合、世界各国からプレイヤーや運営する人材を派遣するだけでも多量の金がかかる。
プロプレイヤーへの報償も同様に、目に見えて分かりやすい直接的なコストのために制度が見直されたのだ…と。
競技性がMTGの魅力の一部でしかなく、皆が皆一様に求めていたものではないとは思うが、ゲームの人気の一端を担うものであった事も確かだ。
俺はWoTC社がそれを軽んじ、踏み躙ったように感じた。
WoTC社はそれ以外にも目先の利益に捕らわれた焼畑商業的な業務方針を繰り出した。
MTGには、「とあるカードセットで禁止カードを連発してしまい。開発陣は社長室に呼ばれて𠮟られた」という有名な逸話があるんだが、現在のMTGでは2017年から毎年新しいカードセットから禁止が生み出されている。
それ以前は偶発的なデザインミスで、禁止せざるを得ないようなことはあったものの、毎年のように禁止カードが続出している状況はおかしいとしか言いようがない。
ゲームデザインは非常に難しいことだとは思うが、発売からわずか17日で禁止が出たと聞いたときは流石に目を疑った。
本来の焼畑であれば、別の場所を耕作すればよいだけだが、MTGでいう土壌とはプレイヤーの事だ。容易に開墾できるものじゃない。
こうした事によって(俺の)WoTC社への信頼は地に墜ちることとなる。
人は信頼があるから金を落とし続ける。だから企業は顧客満足度なんてパラメータを得るのに躍起になるわけだな。
信頼=金ではないが、信頼≒金ではあるんだ。
友人にWoTCへの呪詛を吐き散らす奴がいたが、WoTCがクソなのなんて衆知の当たり前の事で、それを一々言ってる自分がおかしいのかもと言われて笑っちまった。
まず渡辺雄也は今例えるなら、「MTG界の大谷翔平」と言って差し支えない日本プロのトッププレイヤー。
競技シーンを知る人に「日本一上手いプレイヤーは?」と聞けば大体の奴はナベかヤソって答える。
次にマークド。これはカードに目印をつけて、裏面から見ても何のカードかを識別できるようにするっていうイカサマ。
事件の経緯は以下。
渡辺雄也選手は大会でこのイカサマを行ったとして失格処分を受ける。
↓
後日スポンサー(Cygames)と共に反論する旨の声明を出す。
↓
WoTC社はこれに対し報復とも考えられる重い罰(30ヶ月の出場停止、殿堂除名、MPL除名)を与えた。
・ジャッジや対戦相手などによって容易に物的証拠を作ることができてしまう。
・十数年間、イカサマなんてほど遠い、クリーンなイメージ像からこの裁定が下るなんてありえない。
俺は当事者以外があーだこーだ言ってもしょうがないと思ってる。
けど、一つだけ信じてるのは渡辺雄也って選手はイカサマなんてしなくてもこれまでの実績を疑わせないくらい強いという事。
この件でWoTC社に失望したのは、声明に対して納得のいく証拠の提出を一切することなく、異例なほど重い30ヶ月という罰を科したこと。
反則行為で失格になった時点で罰が与えられる事、それ自体は仕方ないことかもしれない。
しかし、求められた調査の開示がない事、不当に思えるほどに重い罰、あらゆる説明が足りなさ過ぎた。
結果的に日本を支えてきた英雄が不本意に、容易に、軽々しく選手生命を絶たれたとしか見えなかった。
この件を皮切りに実際にMTGを辞めたやつも何人か確認してる。
献身的にずっと日本のMTG界を牽引してきた人物でも、不透明な組織の指先一つで活動を終わらせられる可能性があるなんて、信じられないよな。
こんなとこで文句言ってんじゃなくて問い合わせろって?日本のWoTCに何か言っても無駄だ。
日本公式が駄目なら英語なり使って本社に言えって?俺は自分で声を挙げたことはないが、海外プロプレイヤーのWoTCへの不満がたまに流れてきてもゴミみたいな制度を連発してるあたり何言っても無意味ってことだな。
こんなことが続く内に、WoTC社に期待する方が悪いという風潮が当たり前になった。
面白くてゲームを初めて、企業に嫌気がさして、ゲームへの興味も失せた。
これが、俺がゲームを「好き」じゃなくなった経緯。
この手記が、MTGの魅力の片側から見た一方的な意見であり、カジュアルに遊んでる人が今も楽しくしてるのは知ってる。
まぁタイトルにある通り「愚痴」だからな。聞いて欲しかっただけだ。
こんなこと書きながら2,3年後にはMTGやってるかもしれないけどな。
滅茶苦茶ネガキャンしといてなんだけど、ゲームは本当に面白いので興味あれば触ってみて欲しいという思いはある。
今ならマジックアリーナって無料で始められるアプリもあるし。DCGの中では本当に金のかからない部類だしね。
カードゲームが趣味だったおじさんのか弱い嘆きを聞いてくれてありがとう。
書いてる最中に、存在すら知らなかったPTの代替となるCS(チャンピオンシップ)とやらが行われていたらしく、久しぶりに配信を見た。
コンテストに出場した清居だったが、一位にはなれず。コンテスト終了後に一人きりで悔しがる清居を追いかけ、声を掛ける平良だったが、拒絶されてしまう。夏休みが終わると、教室のヒエラルキーが一変。清居はコンテストで入賞を逃した。たったそれだけの事で城田達、元清居のグループが清居外しを始め、それはやがて露骨なイジメへと進展してしまう。城田達による清居への悪辣な嫌がらせに遂にキレた平良は……。
これまで、原作に比べると純朴で可愛い印象だった平良が、ここへ来て原作通りの根暗アグレッシブ俺様ぶりを発動! マシンガンを構える平良の闇の深すぎる目線にシビれた。てか、「マシンガンがあればいいのに」って独白をバッチリとマシンガンをぶっ放すシーンで表現してしまうの面白いw なのに平良が城田に殴りかかってボコボコにするシーンは写さないし、平良の顔や身体に跳ね返ってるのは血糊ではなくトマトジュース(城田が清居にぶっかけたやつ)にしてしまうという、謎の表現規制w
平良役に萩原利久を当てたことに当初は批判の声もなくはなかったんだけれども、萩原利久で本当に良かったとしみじみ思った第3話だった。あの平良の目つきを再現出来る役者は他にいないのではないかと思った。あと、跪いて清居の手の甲にキスするシーン、腐女子の夢がめっちゃ詰まってた!
城田が平良に八つ当たりした理由がわかりにくいような。といって私も原作の部分を正確には覚えていないけど……二学期初日に城田と二人で自撮りしてた元清居ファンのロリ顔巨乳ちゃんが清純そうな顔して二股かけたせいで別れた、というやり場のない怒りを通りすがりの平良にぶつけたとか、そんな感じだったような気がした。そんなドロついた背景のある城田とロリ顔巨乳ちゃんが、卒業式には何事もなかったかのように和解しているのには笑った。平良と清居の同級生達は小学生かよってくらい幼い。城田があまりにもアホな言動をする子にされているせいで、やること最悪なのにいい子っぽく見える。そもそも高校三年生なのにクラスで亀を飼っていたりとか、夏休みの宿題を写し合いしてるとか、謎にリアリティの無い高校生活描写なのは一体何故なんだ。
清居がハブられたせいで思いがけずに訪れた平良と清居の二人だけの時間が、萌え萌えしくてよかった。お家で一緒に宿題したりとか、自転車二人乗りで帰ったりとか。
さて、残りあと2話。次回にはあのビーバー小山が登場する訳だが、陰のあるイケメン平良&清居とは真逆の陽キャ爽やか系イケメンな高野洸が小山役を担当しており、半端ないラスボス感が! しかも爽やか良い人そうな役作りでありつつ、なんだか「お前自分がイケメンだってこと良く分かってるだろ」って感じさせる、うっすらとした嫌味のある演技。ビーバー小山感ハンパない。予告では平良と小山の前に立ちはだかる清居……これまたキングのオーラを放っており、来週も見逃せないな。
平良役の萩原利久、清居役の八木勇征、小山役の高野洸は将来ビッグな役者になりそう。今もう既にすごいし。
正直読んでもあらすじが今ひとつ分からなかったのだが、エジプト神話の話。
1話全部と2話の殆どが神話パートで、2話の終わり辺りでアヌビスが父のセトに歯向かい、そこにホルスがやって来て、ボコられた。3話でイシスがセトに殺されかけて、ホルスがセトを刺す。
シーモアで3話無料だったので読んだのだが、3話までではさっぱりストーリーがわからない。分からなさ過ぎるよ!
ENNAD(エネアド。ヘリオポリス九柱神)の一人セトが暴虐の限りを尽くし、ホルスがそれを止めようとセトと王座を巡って闘うわけなのだが、Pixiv百科によれば、どうやらセト←ホルスのBLであるっぽい。なるほどわからん。面白そうではある。買って読むかというと……保留かな。
なんか……たまに韓国BLを試し読みしてみると、ストーリーがかなり殺伐としているので驚く。海を超えてまで人気が出るような作品だからこそ過激な作風なのかもしれないけど、愛憎の憎の部分がめちゃ強いのはなんなの……。
とあるBL書きのコミュニティで、BLと非BLの違いってなんなの? と聞かれた。
アマチュア字書きの書くBLの場合は単に男同士が愛し合ってるかセックスしてるかというだけで他に確たる決まりはなさそうだよ、でも商業BLはそれだけでなく他に守らなきゃいけない掟があるようだよ、と私は答えた。
そしたら質問者が「じゃあ私の作品はBLではないってことですか。私はBLだと思うんですけど、BLというジャンル設定で小説投稿サイトに投稿したらダメなんですか」と食ってかかって来たので相手をしたんだけど、どうも要領を得ないというか……。そもそも最初にアマチュアの字書きの書くBLは男同士が愛し合ってるかセックスしてるかというだけで他に確たる決まりはないって言ったじゃん! アマチュアなんだから好きに投稿すりゃええがな。誰も文句なんか言わぁしねえよ! と思ったけどそんなこと言ったら怒りそうだから丁寧にリプライした……。
質問者は自分の作品なんかクソクソのクソだからプロになるなんて夢もまた夢だと言いつつ、BLってなんですか? 女性向けってなんですか? ライトノベルってなんですか? 等、アマチュアがWeb上で投稿する限りにおいては別にそこまで厳密に考えんでもいいことを、あくまで商業作品の定義としてどうなのか? っていう意味で聞いて来るので困った。一体、この人は何なの? 死ぬほど自信が無いと言いながら実はプロ目指していたりするの?
段々相手するのが馬鹿らしくなってきたけど、真面目に対応しないとキレ散らかしてコミュニティーを荒らしに荒らしてから垢消して去る系かなと思ったので、「ggrks」と言いたいのを抑えて分かる範囲で答えた。
最終的に、
「ジャンル分けを気にするのはプロになろうと思ってコンテストに応募する時だけで、ただ投稿サイトに投稿するだけなら、自分がBLと思ったらBLで投稿すればいいってことですね」
と分かって貰えた……。と思ったら、
と、話が振り出しに戻った。
車の後部座席に落ちてました。
もう見付からないと思って諦めて井上陽水さんの歌を歌いながらその勢いで文房具店に飛び込み前転して入店して
そのときね、
2本同時に無くしたの。
なんか2本同時ってメッセージ性強くない?
誰かがペン立てから持って行っちゃったのかな?って思っていたけど、
車の後部座席に落ちてたわー。
探すのをやめたときに見付かることもよくある話しとはよく入ったもんよね。
まさにそうだわ。
1本ならなにか気まぐれでどこかに置き忘れたとか落としたとか、
2本同時ってのがどうも怪しかったのよ。
無くしたものを見付ける一番の最適解は
なくした物の探し物のことを一瞬で忘れることなのかも知れないわ。
そうすると
秒で探すのをやめた瞬間に探し物が秒で発見されるって法則じゃない?
だから潔くここは探していることをためらいもせず
即諦めるってのが鉄則ね。
よく諦めたらそこで終了です!って台詞が有名なシーンがあるけど
あれも物は言い様で
ああいう場合は即試合終了させて探すものを探す大会にピリオドを打って
秒で探し物が見付かる可能性の方が
探すものを探すことを忘れる大会で優勝する方がよっぽど重要だし
文字通り記録に残るより記憶も残さないレヴェルで忘れちゃう方がワールドレコードだし
新記録も期待できるのよね。
でさ、
私のよくなくす物で探し物をやめたときに出てくる選手権での順位は
二位牛すじ!
一位タマゴ!
そうじゃなくて、
私の良くなくしてしまいそうで見付けることを辞めた瞬間にで出来るモノ選手権では
二位ハサミ
一位は自信!!!
そんななくし物をよくしてしまう私は一番に自信を無くしてしまうわ。
だから何回も言うけど
探し物をしているときこそ即探し物のことを諦めて忘れてしまう方が
探し物が即見付かって発見できるって
本当にマーフィーの法則大辞典に載せて欲しいほどそう思うのよね。
それでさー
なくし物をしてもスマホで秒で見付かるようにって電子的なタグがあるじゃない。
あれさー
それはそれで逆張りとして、
無くしても良いと思ってもその電子的なタグを探し物発動機能を使いたいがために気にしすぎて
がま口財布と車のキーにそれつけた途端に
全くなくすことが無くなって、
もうこればかりは逆井上陽水さん現象と言って新しく提唱してみたい機会を与えるべきだと思うわ。
うふふ。
朝はそうね、
ほとんど買ってきていただくことが多いことに今気付いたわ。
あんまり優雅に朝ご飯を目玉焼きを焼いている場合の時間はないのよね。
半熟が好きなんだけど、
そう言うこと気にしすぎ?
冬時期になっても麦茶ウォーラーは結構美味しくホッツでいただけることに気付いたので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
Academy of Chocolate とは
2005年にイギリスのチョコレート専門家5人によって設立された、世界最高峰のチョコレートを認定するコンペティション。
チョコレートの外観・香り・味・複雑さ・奥深さを加味しながら、
チョコレートアカデミー会員や国際ジャーナリスト、シェフ、パティシエなど、チョコレートや食品の専門家が審査するらしい。
https://academyofchocolate.org.uk/awards/2021/
Dark Bean to Bar under 90%
というのが、チョコの種類によるエントリー部門にあたり、それぞれの部門において、金賞、銀賞、銅賞が与えられる。
飽きるよね?
はてなも増田も、競馬の話題でブクマ付かなくなってきてるもんね
ウマ娘やってるときは原作と思って競馬を見てみたけど、ウマ娘への飽きと同時に競馬からも興味が離れた、が正解だろうね
でも、せっかく始めた趣味なんだから、やめちゃうのはもったいないよ
実際、私、増田もウマ娘からちょっと離れてたけど、それはもう、ダビスタ買ったせい
でもまたウマ娘に戻ってる
結局ウマからは離れてない
で、ウマ娘の遊び方
馬を育てて、走らせて、勝敗を競うゲームなんだから、カジュアルに勝敗を競う場をいかに用意できるか、で面白さが全く変わる
これはもうね、リア友だよ
我々は職場で、その週末にある実際の競馬のレースと同条件のレースを毎週末ルームマッチで開いている
もちろん、誰でも参加できるようにウマ娘のレベル上限はBランクまでの縛りルール
入賞5着までの人に賞状、2、3着くらいまでの人にお菓子など景品を用意している
でも、勝ったらお祝いがある、これがあるだけで、めちゃくちゃモチベになる
勝った負けたをカジュアルに週一でできる環境というのは面白いよ
お題を決めた限定ルールで、知ってる人とわいわい戦う、ゲームは結局これが一番面白い
知らん人と戦うオンライン対戦は、負けたら腹立つだけだけど、リア友のA君が今週勝ったんだー、というのは別に腹立たない
だからさ、ルームマッチやろう、リア友とルームマッチを定期開催しよう
さらに、ウマ娘で勝つにはレース場の特徴を把握して育成する必要があるので、その週の競馬への理解度が増す利点もある
そのおかげで増田はオールカマーではレイパパレに2100円飛ばされた
で、リアフレルームマッチをもっと白熱させるなら、そりゃもうお金を出すことでしょうな、と思う
参加費取って、入賞者に割り振る、というのは、Eスポーツの大会ならば合法のやり方はあるみたいだけど、何も調べずにやればそりゃ賭博で犯罪になるでしょう
でもま、自己責任だけど、やったら面白いんじゃないかなと思うよ
うちはやらんけど
今週末は凱旋門賞だけど、ウマ娘で類似のレース設定できないし職場カップはスプリンターズステークスのみ
凱旋門賞で盛り上がれば、ウマ娘にロンシャンレース場の導入もあるかもね!
econcon サポカはいいけどキャラガチャ渋いのはなんかもういいかな…となった
syabazochang ガチャが渋いのに唯一嫌いなテイオーが来た時心が折れた
rundyh 競馬は一週間どれに賭けるかいくらでも考える暇つぶしが出来てガチャする快感の代わりに賭けた馬券が当たるかの快感が得られる。ソシャゲなんてやってる暇はないだろう
そうだよね!
元ネタが競馬だからこそ、この10連分3000円あれば、今週の競馬でもうちょいいい勝負できるな、とか
この10連2回やったつもりになれば、ウイポorダビスタ買えるな、という気持ちが、ウマ娘継続の一番の敵だと思う
ウマ娘の女の子が特別好きな方はウマ娘じゃないといけないけど、ウマ娘じゃなくても競馬って面白いよねって感じの人にとっては、競馬に関する遊びの中でウマ娘は基本無料に見えてもっともコスパが悪い遊びなんだよな
現状、娘ガチャで星3当てるより、競馬勝つほうが可能性あるもんな
「競馬に使うよりはガチャに払ったほうが確実に楽しみは増えるでしょ!」くらい思わせてくれないとね、と思う
それか無課金でも新鮮に遊べるようにどんどん状況が変わるようにしてくれるかだなー
ウイニングポストとどっち買うかずっと迷ってたけど、ダビスタは口コミが悪いせいか、中古の値段が値崩れしててねらい目、って聞いて、確かにそうか、ってなった
ウイポのほうが仮にちょっとだけ面白かったとしても、中古ですら5千円超えるやつを買うか、多少比較すると劣るとしても3600円か、だったらとりあえず3600円でいいか、って思う
ロードが長すぎって口コミ多かったけど、アプデが入ってて許容範囲に収まってた
長くて2秒くらい?
別に気にならない
返済焦げ付いたら倒産?だと思うとけっこう厳しい
芝走らせる奴は芝調教だけしてたらいい、強くするにはとりあえず坂路、みたいなイメージでやってたら全然勝たん
今さっき調べたら、芝がスピード、ダートがスタミナ上げるらしくて、わかるかよそんなんwってなった
育成状況だけど、最初にうちで生まれた2頭は、そのまま未勝利で引退した
どちらも4勝あげて、オープンクラスになってから勝てなくなった
G1勝つとか考えもしない
とにかく5着に入ってお金を稼いでほしい、ただそれだけ
お金なくなりそうなのに放牧だとか疲れがとか脚元が悪いとか言われると青ざめる
いま放牧出すとお金どうなるの?って
とりあえず楽しんでるよ