はてなキーワード: ライフラインとは
近々入籍を考えている。
いざ入籍しようとなった時に決めなければならないことがある。
メインで稼いでいるのが私なのと、世帯主・水道と電気の契約が私名義なのと、そのほかもろもろを考えた結果、夫が名字を変更したほうが手続きが少なくて済むのではないかという話になった。
世帯主とかライフラインの契約に関しては元々私が住んでいたアパートで同棲を始めたからである。
それぞれの名字に変更したときに手続きを行わなければならないもの
という感じで、必要になる手続きは私のほうが多くなりそうである。
名字に関しては夫も「俺のほうが平日に動けるし、俺が名字変えたほうが効率的じゃない?」と協力的である。
私は二人姉妹の妹で、夫は3人兄妹の長男であり、弟と妹が1人ずつである。
夫の家系が途絶えないかの問題は、夫の妹が婿を取る形で入籍したので問題はなさそう。
唯一気にしているのは夫の実家がまあまあいい家柄なのである。それに比べて私の家はなんの変哲もない一般家庭である。金もない、家も古い、土地は…農地がある…みたいな家である。
夫の家はそこそこ有名な飲食店を経営していることもあり、家もきれい、話を聞く限りお金に苦労したことなさそう、夫の父の趣味は車と音響設備と聞いて白目をむいてひっくり返るかと思った。
忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。
震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。
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家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)
そもそも宮城は地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいつもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。
そしたら揺れが大きくなって台所の食器棚が倒れて皿が割れるデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス。
家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。
母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。
(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)
家に戻ると母が割れた食器を片付けてた。割れた食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れてしまった。
確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図と沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。
こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。
家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校の体育館に避難する。父は犬と家に残った。
体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人とちょっと話した。携帯でニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。
朝、体育館の入り口に河北新報だか朝日新聞の号外が貼ってて、デカデカと気仙沼?石巻?松島?の火事の写真が載ってた。
えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。
家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。
この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。
・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮のお菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。
・ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。
・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。
・タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)
・コンビニはロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員も被災者だからな…と諦める)
・ヨークベニマルが食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分も被災者なのにありがたいなぁと思う。
・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波で被害を受けた地域が祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田。祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース。
・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。
・大学の入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)
・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形物ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパートか温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないからフローリングにそのまま)
これ以降は更に時系列があやふや。入学式は普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。
震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。
余震は死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。
祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。
車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。
こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。
でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。
えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。
そこで今瓦礫まみれの場所が帰省の時使ってた道だった事に気づく。
コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリンの看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?
突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。
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とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます。
【追加】
【追記】
いろんな反響がもらえて嬉しかった。長文にも関わらず、読んで頂きありがとうございました。
気になるコメントや、他にも思い出したことがあったので追記します。
→たしかに語弊があった。申し訳ない。ブコメにあった抑制剤ってのがしっくりくるかもしれない。
→ 頭の中が静かになったのは1週間もしないうちに感じた。でも当時のツイッターを見返してきたら、服薬後も1年以上は衝動的な言動を繰り返し人間関係に影響を及ぼしていた…ここに書いたエピソードは1年以内には改善してた気がするけど、社会適応には何だかんだ2年ぐらいかかってるかもしれない。
んでさ、他にも思い出したエピソードはこんな感じ
・歯も数日におきにしか磨けなかった
・化粧も3-4日落とせないから、前日の化粧の上から塗り重ねてた
・ナプキンやタンポンもやはり3-4日ぐらいは取り替えられなかった
性欲関連の話でいうと、小学生の時は防犯カメラに向かって下着を脱いで局部を見せつけたり、親が目の前にいても、女性のヌード写真を検索することが我慢できなかったりしたな……(遠い目)
いわゆる同性愛者で、暇さえあれば女性の身体や女性との性行為を想像してしまい、何も手につかなくなって自分で処理すると言う感じであった……(×10回/日)
生身の女性に加害する前にストラテラに出会えてよかったよ、マジで。あ、防犯カメラをチェックしている人がいたならごめんなさい……
発達診断された直後から勉強を始めて、今年で6年目。少なくともあと3年は勉強が必要。
もしその目標が達成できたら、また自分の生活史を振り返ってみるつもりだ。
またまた長くなってしまったのだが、ここまで読んでくれた人達ありがとう!
【以下本文】
五年前にADHDだと診断され、ストラテラを飲み始めて、症状がかなり改善した。
王道なところで言えば、「頭の中が静かになった」「人の話が聞けるようになった」などがあるが、今回は恥ずかしくて人には言えないけど、改善して嬉しかったことを羅列していこうと思う。
ちなみに自分の主な症状は、超絶めんどくさがり屋といったところだろうか。金はあるのに何となくめんどくさくて支払いに行かず、ライフラインを止められるタイプ。医者には「恐らくADHD単発で特性強め、協調性運動障害と軽度のLDあり」と言われている。
ちなストラテラ服用後はWAISの全検査IQが20近く上がった。(なお知覚統合のみ±0で草)
▼トイレットペーパーで拭けるようになった
いきなり下の話で申し訳ない。小だろうが大だろうが、服薬前はトイレットペーパーを使うのが面倒だったので、用を足しても拭けなかった。服薬して、冷静に(汚くね…?)と思うようになって拭けるように。
▼家の鍵をかけられるようになった
オートロックのない家に一人暮らししてるのだが、鍵をかける1ステップがだるくてできなかったんだよなあ
▼寝る前にコンタクトを外せるようになった
服薬前は2,3日に1回しかはずせなくて、しょっちゅう結膜炎で目が真っ赤になって、眩しくて部屋の電気がつけられなかった。今はどんなに酔っ払ってても必ず外してから寝る。
▼2日に1回風呂に入れるようになった
服薬前は週1程度しか入れなかった。臭いと言われて周りに嫌われてた。申し訳ない。2日に1回入るようになって友達ができた。嬉しい。
服薬してから生ゴミだけは捨てられるようになったので、生ゴミのないゴミ屋敷を保てている。
▼性欲が抑えられた
1日に10回とか1人でしてたけど、服薬してからは週の半分ぐらいに抑えられるようになった。睡眠時間増えて嬉しい。
こんなところかな。
ちなみに副作用はめちゃめちゃキツかった。耐え難い眠気、激しい動悸、震え、吐き気、食欲不振、鳥肌(謎)。飲み続けて1ヶ月とかで気にならなくなったかな。体重は10キロ落ちた。
でも、服薬前の生活はもう御免だわ…服薬を始めてから、とにかく人に嫌われず友達もできたし、仕事はクビにならないどころか昇給続きだし、人生が信じられないほど好転した。
「女性は声を上げてきたから権利を勝ち取ってきた。何故男は声を上げないのか?意味が分からない」
「男の事は男が助けるべき。女に頼るな!」なんて女性の意見はよく見かけるんだけど
男の場合、助けを求める声を上げても叩かれるし、何なら上げる前から叩かれて黙らせられる、
男が男を助けようとしても何故か「女を助けないのか!?女性差別だー!」って抗議されるケースが多々あると感じている。
というのも、以前から手伝っている支援活動や子ども食堂で、度々聞かされる要望とかクレームでそう思わされている。
例えば自分が関わっている所は利用者としては男女半々とはならずに男子7割、女子3割程度になる。
これは地域差も勿論あり、単純に男の方が人口多いとか、栄養的に男子の方がカロリーを必要として
そうなると貧困家庭だと満足し辛いとか、言い方悪いけど貧困家庭の男子だと「男なら多少放置しておk」みたいな感じで
決して愛情が無い訳では無いけど結果的にネグレクト状態、という家庭も少なくなくて
結果的に子ども食堂みたいな支援に辿り着いたり迎え入れたり(あるいは親に放り込まれたり)する事の方が多い、というのが自分の私見。
また別の施設だと女子(女性)の利用者の方が多くて、本当に地域差は大きい。
おかわりは一人一回までで、男子の利用者の大半はおかわりをする。勿論女子もする子はするし
そもそもその分も計算に入れて提供しているからこちらとしては問題無いし、仮におかわり禁止した所で提供数が変わる訳では無い。
まあそうなると、まず来るのが「男子は食べ過ぎだからおかわり禁止させろ」みたいな馬鹿なクレーム。
別に女子もおかわり出来るし先に書いた様におかわり厳禁にした所で提供数変わらないし、という事を説明するんだけど
・「男子が多いと女子が利用し辛い。レディースデーを設けて欲しい」
→別にラーメン屋みたいに女性入ってくんなよみたいな雰囲気は勿論無いし、客商売でも無い福祉の分野に何を望んでいるのか?
・「父子家庭らしき親子が利用するのが目につく。何故父子家庭が利用出来るのか?利用を遠慮して欲しい」
→親が来た場合は有料で提供してるんだけど、両親が来た場合でも同様の対応だし父子家庭だけをで禁止する意味が分からない。
ウチもそうだったんだけど父子家庭だからイコール余裕がある訳では無いだろうに。
・「提供数が決まっているなら女子の分を予め確保して欲しい。女子や母子家庭がもっと利用しやすい様にして欲しい」
→枠が決まっているのに、女子・母子家庭用に優先(実質専用)枠を作れって事?
男子の利用者の割合が多いにも関わらず、3~5割を女子・母子家庭の優先枠として確保しろとか正気なんだろうか?
勿論優先枠以外は男子に、なんて事は出来ないので、普通に利用出来ない男子が出てくるし、そもそも男女で差をつける意味も分からない。
「じゃあ男子には提供を制限しろって言いたいのか?」と反論した事もあるが、「そういう事を言っているのでは無い!」とすぐに否定する。
でも要望をそのまま解釈すると、女優先で男は後回し、になるのだからどうしようもなく矛盾している。
言い方は悪いけど、支援が必要な弱者に性別とかあまり関係無いと思うし、分断する意味も分からない。
以前読んだ増田で、『困窮している若い女性・子供では無い若い男性を助けるのが物凄くしんどい。
そういう事をしようとするだけで非難される事も多い』という内容のものがあったけど、そこまで酷くは無いものの
聞いててしんどくなるクレームとか要望はちょこちょこ耳に入ってくる。
さすがにそうそう受け入れる事は無い(と思うけど、団体の方針次第では分からんし、そうなったらさっさと手を引く)けど
しかしながら、自分みたいな末端ですら、こと福祉や支援の分野では「男を助ける」という事に対してはつくづく冷淡だよなーって感じる面が多々ある。
女性や子ども、子どもの中でも男子より女子が優先、男は後で良いしそもそも助ける必要あるの?という偏見が根強い。
「男は社会的に強者なんだから仕事で稼げ」なんてのは、男女平等の時代にも合っていないのに。
大げさかも知れないけど、「食事」という割と最低ラインのライフラインの支援ですら、男の事はあまり考慮しなくて良いし
後回しにしても良いでしょ?という思いが少しでも無いと、上記のクレーム・要望なんて出て来ないと思うんだよね。
どっかの馬鹿クレーマーのクレーム、なら相手にしないし笑えるんだけど、然るべき所や人からも似たような要望が来たみたいな話を聞いてしまうと、本当に笑えない。
そんな相手がフェミニズム団体とかフェミニストを自称していたりすると、フェミニズムとは男性差別思想なのか?と疑ってしまう。
自分は支援活動に色々世話になって何とか生きて来られたから、社会に恩返ししたいという思いもあって、ボランティア活動、特に貧困家庭への支援を
中心にやっているんだけど(子ども食堂の手伝いもその一つ)、自分自身の経験から、父子家庭とか男子というだけで
食事という最低限度の福祉からも爪弾きになりかねない現状は、過去の貧困だった我が身とも重ねてしまって非常に辛い。
たまたま自分は周囲に恵まれて助かったけど、そうじゃない人達はどうすんだよと、別に人間皆なりたくて貧困になってる訳でも無いんだよと
そういう家庭を知ってる人達や自身も決して経済的には恵まれていないであろう人達が、どうして助けが必要で、助けも求めていて
食事に来るという形で実際に行動を起こしている男子や男性には冷酷になれるんだろうか?本当に意味が分からないし辛い。
もっと感情的な批判、いや最早誹謗中傷とか攻撃の部類に入るクレームも無い訳では無い。
「女子が安心して利用出来ないから女子(と母親)専用にしろ!」とか
「余ってるのなら何たらかんたら支援事業に提供しろ!」「何故断るのか?○性差別だ!」みたいなものが……
もう本当に申し訳ないけど、「男を助けるぐらいならこちらに寄越せ、それも駄目なら(支援を)止めて!」みたいな
例え自分達が得をしなくても男性を支援するのが許せないというどうしようもない人達がいるんだよね。
例え声を上げても、その口を強引に黙らせる人達がいる。少なからず、確実に。
全員が女と言う訳では無いが、当然女の方が多い。男の敵は男だけじゃない。
自分は近所のおばちゃんにも世話になってたから、そういう女性(とそれに味方する騎士みたいな人達)は
本当の本当にごく一部だと思いたいんだけど、そういう「ごく一部」に限って声が大きかったり通りやすかったりするのが問題。
大声を上げてれば良いって話でも、ましてやそれが正しいって事でも無いんだけど、世の中はどんな形であれ
より目立って自分の意見を押し通す人達に有利な様に出来てるのが現実なのがげんなりする。
こんな事あまり書きたく無いんだけど、男性でもとっくに声を上げてる人は上げてるし
自分みたいな末端も含めてその声を聞いて助けようとしている人達だって普通にいるんだけど
その声が別の大声にかき消されたり、声を上げている事自体が許せなかったり、福祉とか支援は全てにおいて
『弱者』である女性を最優先すべきだと思いこんでいる様な人達や
男性を助けると自分達に回らないのではと勝手に思い込んで恐怖して、「善意で」攻撃してくる人達がいる。
「男はもっと声を上げるべき」という声は、実際に声を上げている人達や、その声を聞いて動いている自分の様な人達
そして大声を上げてせっかくの助けを妨害する様な、差別の加害者・当事者を応援する行為ですらある、と自分は思っている。
男から福祉すら「強者の権利だから」と取り上げて女に回したがる事を主張する、それを恥とも』思わない『わきまえない女』みたいなタイプには、怒りを覚える事すらある。
食事という性別関係無いであろう分野の福祉ですらこのザマだから
これが別の支援、それこそDV被害とか性的虐待被害者への視点とかだと
女性には当たり前にある支援が、男性に対しては必死に探しても無い、ぐらいに差がある。
「声を上げてない」というか、実際には「声は上がってるけど馬鹿にされたり黙らされてる」だし
「下手したら積極的に加害・攻撃されて排除されてる」とすら思う時がある。
まあみんな、分かりやすい弱者の形をしている方を救いたいよね、という諦めも感じている。
それが「女性」「子ども」であり「若い女子」「10代の少女」だったりするのだろう。
困難な生活をしている少女達が性的搾取されているとしたら、困難な生活をしている少年達は犯罪搾取されている。
ぶっちゃけ、女は男が助けを求める声を聞く必要も無いし、無関心で良いんだよね。
助けるのはこっちでやるし、それぞれ聞きたい声を聞くというのも、別に間違ってはいないと思う。
せめて非難とか邪魔とかして、声を上げた人を黙らせる事だけは止めて欲しいって、切に願っている。
それすら出来ない人間が多いのが現状なんだけど。
個人的にモヤモヤしているのが、以前ネット記事を作る時に、やたら女子や母子が食事をしている所を撮りたがるから
失礼承知で「何の意図があって女性だけ撮っているのか?」と聞いた所
「いやー女性じゃないと絵にならないし、同情されにくいでしょ?」と、さも当たり前の様に返された事があった。
その時、「あーそうですよね…」と、ちょっと納得してしまった自分が恥ずかしかった。
印刷技術が発展したあとの時代でも多くの画家は宮廷・教会・謎太客(パトロン)・既存財産のどれかをライフラインにして飯を食ってた。
今のイラストレーターみたいに「仕事ください。値段含めて交渉はDMでしましょう」って看板出すような感じじゃなかった。
まあ結局ミュシャもコネで仕事取っていった感じではあるんだが、それでも「ウチの家(教会)にこんなの飾りたいんだよね」みたいなノリじゃなくて「今度のイベントで使うポスターなんだけど版画で200枚ぐらいする予定なわけよ」って感じの仕事を受けてた。
モチのロンでそういう人達は既に世界中にいて、我が日本でも浮世絵文化や春画文化があって江戸の街のどこかでエチエチ絵を書いて稼いだお金で食ってる連中は居たんだが。
ただそういった人達の中でクオリティにおいて旧来の画家に匹敵する人は少なくて、「やべーパトロンを捕まえるほどの力がないから庶民向けにシコシコしてた」みたいな所があったわけだよ。
でもミュシャはスラヴ叙事詩に代表されるようなガチればヤバイ画力を持った上でイラストレーターもしてた。
その超画力でちょっとお金がある庶民向けに印刷物を作ったり、町中に貼られる催し物の広告を作ったりしてたっていうのがね、「教会や宮殿以外の場所でも画家の絵に触れられる日常の始まり」として価値があるわけ。
新時代を作ったんだよ。
ちょっと絵が上手い人が看板にちょっと上手い絵を描くとかとは違うんだよレベルが。
ガチの画家が雇われた絵師として日常空間に存在するもの向けの絵を描くってのを宗教と無関係にやったのがヤベーわけ。
その中でまあ色んな作品があったんだけど、トップクラスに上手かったので「このポスターお宝だわ。とっとこw」って保管され続けてきたんだわな。
「日常に神絵師」ってのは今の社会じゃ当たり前っていうか、むしろある程度画力がなかったらテレビや電車広告に顔を出したりはしないわけじゃん。
でも昔は「おらが村の実はちょっと上手い人」ぐらいがせいぜいで、名前はともかく関わった他の作品聴いたら「あ、あの人ね」って皆がなるような人間の絵がそこら中に出てきたりはなかったの。
結婚前に夜職で働いていた顔の整った母親は、離婚後また夜職に復帰した。
直後に知り合った妻子持ちで一回り上のおっさんに水揚げされ、マンションの一室を借りてもらい私と母はそこに住んだ。
メンタルがあまり安定していないおっさんは、母親の見えないところで私のことを低頻度に重たく虐待した。
押し入れに閉じ込め、布団用のビニール袋に閉じ込め、自力で降りられないタンスの上に座らせ飛び降りさせ、水を張った洗面台に頭を押さえつけ、手足をガムテープでぐるっと巻いてベランダに出し、また別の日には雪の降る深夜にパンツでベランダに出し、鼻血が出るまで頭を叩く。
紙ガムテープで巻きが少ないと案外蒸れで剥がれるのと、ベランダで排尿するとめちゃくちゃ臭いシミになることを知った。
あまりの寒さにプランターの土の中に足入れたら暖かいかな?と思いつつも虫が怖くてできなかった覚えがある。
雪ベランダ鼻血事件は雪国とかではなく東京住まいだったのと、さすがに母親が見つけて止めたので大事にはならなかった。
大人になって聞いたけど、ベランダに出されたこと以外のことは知らないらしい。
ただ、普通のベランダ事件の時は「余計怒らせそうだったから、奴が帰ってから申し訳ない気持ちでベランダを開けて助ける形になった」と言っていた。
その場ですぐ助けないならそのどうでもいい反省文は正直一生聞きたくなかった。
どうにも家賃と光熱費をおっさんが払っていないらしく、ライフラインが止められ、やくざのような振舞いと見た目の大家と保証会社と不動産が頻繁に家に来るようになった。
私と母はクローゼットに隠れる術を覚えた。
これぐらいの頃から母親はおっさんと別れる別れないの話をしだしたらしい。
私はと言えば学校で毎日行われる帰りの会での1分間スピーチが嫌すぎて不登校になっていた。
なんだかんだあって引っ越すことにはなるが、道を一本挟んだ先なので引っ越し後も保証会社の怒涛の取り立ては続いた。
顔がよくできている母親にはマイルドに接する保証会社の人間が、当時まだまだガキの私に当たり散らすのを見て結構引いた。
引っ越した後の母親は夜職に復帰することはなかったが真面目に働くこともなかった。
バイトの面接を受けて合格しても行かない、そもそも面接もばっくれたり、
ちょっと続いたかと思えば何の仕事か知らないが収入ムラがかなりあるいかがわしそうなバイトで、帰ってきて深夜にコンビニやファミレス、ドンキで何千円も買い物したりした。
ただ正直子供心にこの深夜おでかけは楽しかった思い出でもある。
でももちろんそんな浪費をしていれば払うものも払えないので今度は完全に母親の責任で家賃を滞納する。
お小遣いも一応もらっていたが、結局生活費にされたり、買ってもらったゲームも「お前は何もしないんだな」と売られた。
こう考えると今の世のダウンロード販売って最高!
母子家庭に数か月に一度振り込まれる給付金のようなものがあり、
中学校の制服はそれで買う予定だったのだが保証会社が区役所に電話して「住んでいるか・生きているかわからない」などと宣い期日に振り込まれず、私は以降自分用の中学校の制服を手に入れることはなかった。
結局制服はレンタルできたので困ることはなかったのだが、まあ生活でも躓いているし徒歩で行くにはちょっと学校が遠くてだるくて結局ろくに通わなかった。
住んでいる部屋の向かいの部屋が大家さんがサブで使っている部屋で、時々鍵が開けっ放しだったのもあり電気を拝借したり食べ物を盗んでいた。
あまりに困窮していたのでその事象を当時は受け入れなんなら楽しんでさえいる瞬間もあったが、まあ普通に全然マジで到底許される行為ではない。
そうこうしているうちになんだかんだで生活保護を受給することになる。
元々治療法が確立されていない(ただし死ぬようなものでもない)病を持っていた母親と、義務教育の娘が居るというのもあり爆速で受給が決定。
更に引っ越した先では保証会社が取り立てに来ることもなく、母親が持ち前の癇癪を起こしたり暴力を振るう以外はあまり問題なく比較的穏やかで人間的な生活が送れる、かと思った。
母親が一週間全く眠らないままインターネットでナンプレをしては気絶したように眠り、眠っている間に急に痙攣して吐血するようになった。
また、浪費癖は別に治っていないので最低限の生活費を頂く生活保護下では普通にゴリゴリに困窮していた。
なんなら母親は喫煙者だったので、外で吸えそうな吸い殻を拾ってこいと怒鳴られたし、
さらに言えば近所のスーパーでめちゃくちゃ万引きさせられていた。
その影響かは分からないがめちゃくちゃ防犯カメラが増えたのと、数年後にそのスーパーはなくなった。
全然勉強していなかったがやればちょっとできる人間なのが幸いして近所の高校には合格した。
制服も買えたし、彼氏もできたし、一応月のお小遣いをやりくりして友達と遊ぶとかができたので学校生活は今考えても中々満足している。
ただ母親は不眠症もひどく、登校日の夜中30分おきに私を起こして起きなければブチギレるのは勘弁してほしかった。
twitterにそれを若さゆえのめちゃくちゃな暴言で愚痴ったらバレて携帯を折られた。
彼氏と親戚に泣きながら電話して、彼氏のご両親の計らいで泊まらせてもらった。
深夜に警察から電話がかかってきて、覚せい剤所持で母親が逮捕されたとのことだった。
まあガッツリ使用もしていたようなのだが、緊張で全く採尿できず、できる頃にはもう検出されなかったとかで使用の罪はつかなかったらしい。
やたら外に吸い殻を探させに行ったのはガラスパイプで覚せい剤を吸うために家から追い出したかったからだった。
しかもきっかけは、新居にも持ち込んでいた旧居からあるかばん。
「以前付き合っていた(この記事では冒頭に出てきた)おっさんのかばんにガラスパイプと少量の覚せい剤が入っていて興味本位で」だそうだ。
私の人生、正直このおっさんが居ないだけでもっと色々違う気がしてくる。実際どうかは知らない。
でも「興味本位で手を出した」だと罪が軽くならないとかで「交際男性に性交感覚を高める目的ですすめられた」ということにしたらしい。
裁判にも出廷したが、制服で出廷するのはめちゃくちゃ目立つのでおすすめしない。あと傍聴席意外と人間がたくさん居る。
この覚せい剤事件、当時はあまり私の心に傷を残していないのだが数年後じわじわと着実に蝕んできた。鈍感。
彼氏には罪状を伝えていたが、ご両親にはさすがに言えなくて、でも逮捕されたことだけ伝えた。
マジでいいご両親だった。
2か月半ほど留置された母親は懲役1年6か月執行猶予3年で桜が散った頃に出てきた。
初犯は大体この感じで出てくるらしい。
あの日々の暴言と暴力が覚せい剤のせいだったらと願ったが別にそんなことはなかった。
たださすがに悪いと思ったのか母親もやや大人しくなり(当社比)覚せい剤分の出費が減ったおかげで生活はやや楽になった。
一方私はバタバタ生活保護になったこともあり進学を希望していたが、そもそもできるのかよく分からないままモヤモヤしつつ就活をした。
1つもらった内定は面接時点で分かる驚きのブラック加減で、高校の進路室の先生が辞退させてくれたものの以降内定をもらうことができないまま卒業。
彼氏の母親は熱心な宗教2世で学会に入らないかと親子ともども勧誘を受けて最悪だった。
それが理由じゃないけどしばらく後に別れた。
1年ガチニートをキメたあと、親戚の伯父に頼んで教育ローンを借りてもらいつつ(返済は自分)奨学金も借りて専門学校へ進学。
生活保護上の世帯分離を行っているので、いくらかは納めないといけないがバイトもしてある程度お金に自由ができて楽しかった。
が、やはり就職できないまま卒業してしまう。160時間のインターンを乗り越えて尚落ちる。落ちたけど外注の仕事(報酬はゴミ)はいくつかもらえた。
ただこの就活失敗から親と教育ローンの借主である伯父との関係は最悪になった。
生活保護課の人間にも説明はしたので教育ローンの返済を伯父にしているのは容認してもらっているし、
バイトは継続していたので控除額で大半は払えていたがまあ「進学しといて就職できないゴミカス扱い」がひどく最終的に私は親戚と連絡を断絶した。
私がもちろん悪いのだが、如何せん死んだ方がマシ、生まれたことが失敗レベルの暴言を毎日4時間電話で親と親戚が話しているのを聞いていればそこそこ首を吊りたくなるのには充分だった。
ちなみにこの伯父は私の月々返済している教育ローンと同じぐらいの額面で、奥さんに内緒で借入中であるレイクの利息をうちの財布から払っている。(2023年現在も)
一定時期からインターネットきっかけで彼氏ができる。(直接会ったりする健全なお付き合いである。)
2つ3つほど年下だったので、相手の就職タイミングぐらいで同棲できたらな...というのと、区役所の圧もあるので就活に乗り気になった。
相手が就職したタイミングで転職しやすいぐらいの年数働いて、同棲できたら社会的にも真っ当になれるしいいことづくめだなと。
なっが~い年月同じ場所で働く気でもないのでかなり気楽に就活して、数か月後に内定をもらった。
めっちゃ嬉しかったけど、分かってくれたのは彼氏だけで親や親戚には「なんで今更?」「時期が悪い」「保護費に(調整が入るので)差し支える」と散々だった。
で、最終的に4日でやめた。
実際、勤務初回2日のあと3連休があったが休み明けも普通に出勤した。
内定承諾書の保証人欄に署名してもらえる人間が居なかったからだ。
伯父は無理でもさすがに親にはお願いしたが「続くかわかんないもんに署名はしない、お前のことなど保証はできない」とのことだった。
会社の人に誤魔化しつつも書いてもらえなかったと説明した時の空気が耐え切れなくて次の日から行けなくなってしまった。
就職に合わせてバイトもやめてしまったので控除もなくまるまる保護費からのローン返済で生活はカツカツになった。
ちなみに数年後、この4日のうちに仕事を覚えるべくめちゃくちゃとったメモを親が発見して「こういうの見してくれれば署名したのに馬鹿だなw」と言われた。
あとこの時のインターネット産彼氏はモラ気質がすごくて最近別れた。
数年前にここで愚痴記事書いたら思ったより多くの人に読まれ、焦って消してしまったレベルのモラだった。
元々私はインターネットで創作活動をしており、しばらく後にはそれで小銭を稼ぐ機会に恵まれ始めた。
けどこのお金を正しく申請すればローン返済の足しにはならない。
申告時期に使用していなくてうっかりと申告していない銀行口座がある。そこに入金してもらえばバレなかった。
ローンの返済がそっちで賄えるようになってから生活は楽になった。
でも相変わらず毎日首を吊りたいし、親や親戚の死ね圧は消えない。
いまだに人間としての扱いをしてもらえず、親が呼べば何をしていようが駆け付けねばならない。
たとえその用事が親の手の届く範囲にあるペットボトルを渡すことでも。
何かに疑問を持ったり、機嫌を悪くしたり、大きな声で喋ってもいけないとされている。
そうしなければ所持品はすべて捨てられめちゃくちゃに暴力を振るわれる。
いつ区役所にばれるかも分からないし、税務署も怖い。でもローンは返済しないといけないし家を出ることもできない。
就活に使える己の自信なんてとうにない。色々アングラすぎて人には相談できない。
どうしたらいいんだろうなこれ。
親と別で受給とかできたら、きちんと全部申告しつつ生活もできていずれ自立とかできるのかな。
別で受給とか無理そうだけど。急にスパダリとか沸いてこねえかな。
アングラ部分についての批判がもっと出るかと思っていたので少し安心しました。
他所の機能不全家族がどうかは分かりませんが、少なくとも母親の機嫌次第では我が家は笑って過ごす日もあります。
また、ちょうど比喩として首を吊りたくなった直後に書いた記事でしたので、母親の負ばかり取り上げていますが私自身も逃げ癖アリ意気地ナシなどの問題を含みます。
現在の形は結局不正受給にあたるため今後どうなっていくかは分かりませんが、読んでいただいた方々ありがとうございました。
仰る通り、今になって思えば他に打つ手があったなと感じています。
寒波によってアパートの水道管が凍結しているため炊事とトイレは貯蓄していた水で賄えるが、風呂と洗濯は全くできていない状態にある。
その状況を、不動産管理会社、不動産契約時に加入させられたサポートセンター、大家さん、大学、警察、市役所、水道局と、思い当たるところすべてに対して電話相談しましたが得られた回答は『自然解凍するまで待って』というものです。
天気予報を見たところ、凍結の危険性があるという最低温度−4℃のラインを下回るのは31日いっぱいまで続くらしく、自然解凍により水道が通じるのは早くて2/1からだと予想できる。
以下経緯
24日の夜
この時に料理をしたのですが、これが最後の水道を使えたタイミング
25日の朝
水が出ないことを確認。
25日の夜
アパートの外壁表面には水道管を見つけられなかったため、とりあえずキッチンのある部屋をストーブで温め室温15℃程度をキープさせたまま寝る
26日の朝
水道はまだ通じないため、不動産会社の電話窓口と、住居トラブルサポート窓口に電話をしたが『自然解凍を待つように』と言われた。
26日の夜
夜、改めて大家さんに電話し、そのおかげでアパート付近の電気屋さんが見に来ていただいた。電気屋さんは何もできないとの事。また、大家さんもアパートに来ていただき、『27の朝にお風呂屋さんに電話してみる』とのこと。
27日の朝
水道使えず。
風呂屋さんから電話あり。『行けないので、月曜日になっても水道止まってたら、また改めて電話してほしい』とのこと
27日の夜
研究室の先生『君水泳部じゃん。プールのシャワー使いなよ笑笑』
大学の学生課に相談に行く。『災害時のための飲用水と食べ物の備蓄はあるが、衣食住の衣住に関しては用意がない。医学部病院の職員用シャワー室を使う時は、バレないようにやってほしい』との事。
自宅に帰り、ストーブで部屋全体を温めるのは諦めて、電気毛布で床を温めてみる。
28日の朝
相変わらず水は出ない。
110番してみる。『水は自分で買ってください。風呂は我慢してください。トイレは、まあ、頑張ってなんとかしてください。ここはそういうのの窓口じゃないんで、警察署に電話してください。電話番号は〇〇〇〇』
おそらく警察署の電話番号『うちでは何もできない。市役所に電話してみてください』
水道局『結局は業者に頼むから、業者が来れないっていったら、ウチは何にもできない』
市役所の代表番号『災害対策本部も立ってないし、何にもできない。トイレは近くのコンビニへ行ってください。お風呂は温泉とかにいってください。』
僕『コンビニは1キロ先だし、温泉行くにしろ、水買うにしろ車は持ってない。ライフラインが断絶して、最低限の生活が送れてないのですが、行政は何もやってくれないのですか?』
法テラスに電話した。行政を訴えるとかそういう話なら、月曜に改めてその地域の法テラスに電話してほしいとの事
(その後追記、人権相談とか法テラスに電話したのは、以前福祉事務所に相談に行った時も門前払い受けてて、法律の知識ないと軽くあしらわれるだけだって思ってるから。でもAmazonで法律書買って、配達されるの待ってから勉強してるような状況ではない。憲法25条が、公務員の義務を定めてるのか、ただの目標を示してるのかは学説は分かれてるくらいで、素人にはさっぱりわからん)
29日の朝
水は出ない。
手を洗う水、トイレを流す水が少なくなってきた。
地方紙に投書してみた
29日の夜
まだ水は出ない
どこからも取材の連絡がない。断水も俺だけなのか?1人だけならば、災害ではなくて、ただの設備の故障で、自助努力で何とかしろと?
手洗いの水、トイレの水が無くなってきた。
そもそも明日はテストあるから、日中家にいれないので、業者呼べない。午後も歯医者に行きたい。マジでくそ
歯痛くてもの食べるの辛い、土曜空いてる歯医者徒歩圏にない。マジでくそ。
こんな発展途上国みたいな土地早く脱出したい。こんなところでは嫁と子供を住まわせられない。缶瓶ペットボトルの回収が二週間に一回なのくらいは我慢できるけど、災害時に頼りにならないような自治体はもうダメだと思う。
30日の朝
歯が痛くてあんまり寝れなかった。バファリン欲しいが徒歩圏内にドラッグストアはなく、バスで往復1時間で700円ほどかかる。
田舎に住むということは、貧弱な行政、貧弱な交通機関、医療資源へのアクセスの困難さなど、地方衰退の影響がいろいろな形で皺寄せになって、生命の危機にすらなると痛感している
田舎の学問より京の昼寝というか、貧乏暇なしというか、インフラが貧弱だと、普通の生活を送るだけで体力削られてしまって、勉強どころではない。今日のテストダメで、単位落とすかも。
30日昼
業者にはもちろん掛け合ってるし、不動産屋のサポートセンターのお姉さんも地域の業者探してくれた
でも、そもそも地域の業者がみんな手一杯で、ここ数日は来れないらしい
知らんけど、業者のキャパがそもそも小さくて、行政が腰を上げるレベルまでとのギャップがあるんじゃないかな?
救急車気軽に呼ぶ人が多いっていう問題はもちろん知ってるし、それで、本当に救急車が必要な人の迷惑になってしまっているのももちろん知ってる。
そんで断水ではすぐには死なないし、救急でも消防でもないのもわかる。
でもこの時に、民間のどこも頼りにならないくて、どこに頼らばいいかってパッとはわかんなかった。給水車とかは水道局とか自衛隊だと思うけど、水道局に電話しても休みで繋がんなくて、自衛隊に電話なんてできない。
そして、じゃあ行政の誰に頼ればいいのかって思いついたのが、警察で、『警察』って新明解国語辞典見ても、そんなふうなこと書いてあるし、とりあえず電話することにした
そのとき、110番するのと近所の交番の電話番号調べて電話するのと、どう違うのかは自明ではないようにおもうのだが、、
そのあと結果的に、市役所の代表経由で水道局の何かの部署に繋がったけど、、、
アパートの住人は俺と隣のおばあさんだけで、断水初日に飲料水持っていったけど、水道はチョロチョロ出るからいらないって言われた
そんで、おばあさんは何回ピンポン押しても出てこなくて、ドアドンドンしてやっと出てくるような感じ
30日夜
道路は凍結してて自転車は使えない。トイレすんのに1キロ雪道歩くしかないなんて、負担が大きすぎる気がする
1日の大半を大学で過ごすようにしてるから、家帰ってくんのは23時とかになるけど、その時間に近所の人の家にピンポンするのは気が引ける
ドアドンドンって、みんな言うけど、おばあさんの家のチャイム壊れてるorスピーカーの電源切ってるので、廊下でおばあさんの歩く聞こえた時に追いかけていって、ドアを指でコンコンしてこんにちわ〜って言ってんだけなんだけど。
役所に電話する時ももちろん丁寧な言葉づかいをしてるつもりです。さすがに、市役所の代表には、憲法25条持ち出して食い下がったけど、あくまで失礼のないような話し方はしたつもりです。
ここには精神科医が多いな
厚生労働省の水道関係のメールアドレスにも、断水の報告のメールを送った。
結局どこからも何の連絡もない。風呂屋は来れない。歯医者は予約の30分で手術終わっちゃってまだ治療途中で、痛いまま。
彼女がAmazonで災害用トイレ、シャンプー、ボディータオル買って家に送ってくれた。マジで感謝。
床を温めても効果が一向にない。水道管破裂か?去年の水道法に関する最高裁判決は俺のケースは関係ない??法律の専門家同様の細かい知識を、いちいち要求されんのか?行政に何か訴えんなら、法律勉強してからにしろってか?ハードル高くないか?
31日の朝
水はまだ出ない
歯痛くて何も食べてない。ジュースは飲んだけど
大学は、メーリングリストでも何も言ってこないし、学生寮や職員寮は案内できないらしい
業者もまだ来てくれない。大家さんも管理会社もなんかいろいろ問い合わせてくれてるらしい。
近所の方に、ポリタンクに水を組ませてもらった。
俺が非常識で無知なのは分かるけど、じゃあ法律とか生活のノウハウとかの全く知らない情報、検索ワードすら知らない情報に、どうやってアクセスしたらいいんだよって思う。無知の知や、認知の歪みを能動的に突破するのは、原理的に不可能だと思ってる。
地元の業者も、行政も何の頼りにもならなくて、使えるのはただ外資のAmazonだけって、、、、日本に住むのは、、、、って主語もっとデカくしたくなる。
Amazon欲しいものリストって言ってくれた人もありがとう。水は備蓄してたのもあったし、減ったら自分で買ってるので大丈夫です。ありがとうございます。
31日の昼
不動産管理会社には、ホテルとってくれないか、別の水道生きてる部屋に避難させてくれないか相談してみた。返答待ち
家族は頼りにならない。頼りたくもない。
お風呂は何人か友達の家に借りに行ってる。いつもお菓子差し入れしてるし、上がる時もお風呂掃除してから上がるけど、さすがに何回も行くのは気が引けてくる。
研究室の先生は、最初相談した時に鼻で笑われたので、あの人に頼るのはちょっと気がすすまない。赤ちゃん生まれたばっかりで、先生だって大変だし。
この投稿がはてなのトップからも消え始めてきた。タイトルをマイルドにしたからか?結局、どこの誰にもつながらなかった。なんやねん。
業者や、不動産屋さんと電話してても、電話が途中で切れてしまう。楽天モバイルの回線が貧弱過ぎる。楽天モバイルも半年以上訴えてて、消費者生活センター経由で総務省にも話しがいってるが、一向に改善しない。楽天モバイルのサイトのエリアマップでは5G繋がるはずなのに、lte回線のアンテナ0〜1本しか立たない。代替え機もらっても、電話はデザリング関係ないから意味ない。水道も電話もライフラインだと思うんだけど、インフラ貧弱すぎんだろ。最低限度の生活すらできてないと思う。田舎は人間の住むところじゃない。
31日の夜
不動産管理会社に電話してもどっかのコールセンターにリダイレクトされて、この地区の担当の人とは話せない仕組みになってる。なかなか話がつかない。
大家さんが普通は灯油入れる感じの赤いポリタンクに、4、5リットル水入れて玄関前置いててくれたけど、安全性が不明すぎて飲む気にはなれない。トイレ流すには少ない。謎。
やっと、業者の人が来てくれた。手を血だらけにして作業してた。申し訳なさ過ぎる。たくさんの家で凍結してて何件も何件も回ってるらしい。その地域で断水してる家庭がどれだけあっても、メーターの先の凍結ならば行政は一切動かないらしい。くそ。水道管の大部分は壁に埋まってるが、少しだけ露出してる箇所があったのでそこをヒーター巻いて温めることになった。業者さんも四つの水道管のうち、この部屋の配管がどれかわからないので、全部の水道管にヒーター巻きつけてた。結局、水は出なかったので、一晩放置することに。
やっと水出た。
やっと!!!
はぁ〜、疲れた。
風呂屋のおじさん本当にありがとう!お大事にしてください。本当にありがとう!!!
民間のキャパが小さいのも、行政サービスに穴があるのも、田舎だからかと思ってる
ただやはり、その後も取材等の連絡は一切ないので、俺が全面的に間違ってるんだと思う。
厳しい言葉もたくさんあったが、それと同時にたくさんの人に励ましの言葉をいただいてほんとうに感謝している。ありがとうございます。
っていうのは言い切りに過ぎるのはわかってる。でも、こういう派手なフレーズを入れなければ、ネットにも無視されると思ったからワザと言っている。
(その後追記、大家さんも70過ぎのおじいちゃんで、店もやってて、急な出費が嵩んで大変そうだし、いろいろ気遣ってくれたし、家賃減額は求めないつもり。ただ、コールセンターにリダイレクトする不動産管理会社はクソだと思う。エイブルおまえだ!
役人に迷惑かけんな!って話は、役人に電話口で「何もできません」って1分かそこら受け答えさせるっていう仕事をさせてしまったことを責めていると思うんだけど、、、はぁ?意味がわからん。
警察が水道管理してないことくらい知ってるよ。水道局が休みで頼れない時、じゃあって「公共秩序を守り、国民の生命と財産を保護する行政機関」に電話するのはそんなにトンチンカンなことなのかな?
俺はたまたま健康な若い男and学生という状況があるから、業者が来るまでの7日間をなんとか生活を維持できたけど、逆にアパートの隣のおばあちゃんが断水してたら、どうなってた?地域の業者パンクしてるってことは、断水してる家庭がいっぱいあるってことだよな?頼れる人がいないとか、車がないとか、インターネットわからないとか、みんなそれぞれ事情がある中で、一律に自助努力を求める行政というのは、それはあるべき姿なのか?投書したのも増田に投稿したのも、そういう行政のなんもしてないって言う話に、異議申し立てをしたかったからです。別に俺を助けてくれ!っていう話はしてないです。そこらへんがうまく伝わってなくて、自助努力すべきって非難されてるんだと思った。)
ニ十年ちょい前の学生時代
めっちゃモテてるやつも複数いて基本スペック高くて今はみんな幸せそうだが、性格的に破綻してたんだろう
とにかく斜に構えて、毒吐いて、みんなで笑うみたいな青春を過ごした(あとたまに決定論か否かみたいな哲学的な話で盛り上がった)
ババア絡みのヒットネタでいえば、毎朝みんなが集合するバス停付近に現れるめちゃくちゃ腰が曲がったお婆ちゃん
誰が言い出したか、直角ババア(腰がほんとに直角に曲がってるから)
一時期は居たかいないか、違う70度くらいの別人が居たとかで大盛り上がりしてた
そこまで盛り上がらなかったが、ババアぐるまってのも誰かが命名した
お婆ちゃんとかが引いたり(忍足?)してる、箱状のタイヤがついたキャリーバックみたいなので、バージョンによっては椅子にもなる優れもの
あれ、笑ってたけど、ネタでババアぐるまとか呼んでたけど、考えを改めなおした(もちろんそのまえに老人をもう少し敬おうとか、言い方みたいなのはマシにはなってる)
近所(徒歩10分弱ぐらい)のホームセンターに買い物に行こうといつものルートで歩道橋を上った。
そしたら、拙い足取りで沢山の荷物を持ったジジイが向こうから歩いてきた
ほんとにふらふらで、そこの歩道橋は落下防止というより大きな道に架かってて、いたずらで物が投げ込まれないようにフェンスで囲われてるんだけど、そのフェンスに寄り掛かるみたいな歩き方
暇だったから、どうせ家近いだろうし、荷物を家まで運ぼうかと声をかけようかなーと思って近づいていったら、荷物が紙パックの焼酎(1.8ℓ)が数本で、見事にそれしか入ってないように見えて
なんだかなぁって思って結局声をかけなかった
で、ホームセンターで買い物して同じルートで帰ってたら、その歩道橋の階段の下(帰路で最後に降りるところ)で倒れて血もめっちゃ出てて数人だけど人だかりができてた
めっちゃ後味悪かった
とある平日の午前中ぐらい駅前のスーパーに買い物行こう歩いてた
家からスーパーまで15分くらい、あと3分ぐらいでスーパーっていうところで、ジジイが倒れてて、ババアの輪ができてた
ババアにも声はかけやすいし、なんなら男手が必要なのかもって話を聞くと、(あと前の流血で後味悪かったし暇だったし)
ババアに説明能力がないからしょうがないが、ジジイが倒れて起き上がれないということだけわかった
ワンチャン起きれたら歩けるかもしれない(後述のジジイぐるま利用者参照)と思って、ジジイに起こしていいかや、どこ住みやねん? って聞いたが、ジジイなんの返答もない
なんだかんだで時間かけてたら、近所の看護学生とかが参入して(やっぱりそっち系の道に行くって親切なんだなーって)、とはいえ誰も解決へと向かわないし、ジジイはジジイで何も言わないから
(ジジイからしたらほっておいてくれって感じだったのかもしれない)
車の来ない道だったけど引きずって端に寄せて、とりま警察(110ではなく地元の警察署)で指示を仰ごうって電話したら、10分少々で向かいまーすってことだったので、待つことにした
ババア解散。看護学生も一人を除いて授業があるとかで(そりゃ通学中だからそんなに時間に余裕はないだろう)、残った学生さんとジジイと3人になった
特に何を話すでもなく、看護学生の子が健気に色々聞いてたけどジジイの応答はほとんどなかった
警察が来て、2人で事情話して、電話した自分が代表して身分確認されたりして、警察に引き渡した
このジジイも、500mlのペットボトル飲料をスーパーの袋(中)×2にギリギリ入るぐらい買ってて、それ以外の買い物してなくて、後から考えたら謎だった
そうそう、最初ババアの囲みに行った時、単純にジジイの袋が足りないみたいな話してたから、レジ袋ならありますけど~て声かけたんだった
警察は去年は何度もお世話になったけど、(地域にもよるかもだけど)こういう時にさっと動いてくれるし、色々手広くやってくれるのでハズレに当たらない限りは凄く頼りになる
もう少し予算付けて人数増やして、パトロールしてもらったり身近なこと頼みやすくしてもらってもいいかもしれない(今が足りてるのか忙しいのかとか知らんけど)
これは2~3年前だけど、家から数駅(3駅向こうぐらい)のところを歩いてた時(暇だったから10kimぐらい先の駅から歩いて帰ってた)
倒れてるジジイとお姉さんを発見(お姉さんは若くてババアみのある50、いってて70手前ぐらい)
ジジイはババアぐるまを利用してて、それでもこけたというか(瞬間みてないからわからないけど)倒れたらしい
起き上がれたら帰れるし、アパートはもう見えてるということだったので、起こしてぐるまに捕まらせた
お姉さんがなぜかめちゃくちゃ恐縮して後は私が見守るので、って帰らされたけど、しばらくして、お姉さんが戻ってきたのでちゃんと家まで帰れたんだろう
なんか無駄に長くなって何の話かわかんなくなったけど、若かりし頃ババアのカートを馬鹿にしてというかネタにしてたけど、めっちゃあれはライフラインだ
積載量多いし、休憩もできる
ジジイが使わないガチなのが、知らないからなのか恥ずかしいとかプライドが邪魔してなのかわからないけど、使ったほうがいい
あと、歩道橋のケースでは使いづらいんだけど、ちょっと遠回り(若い人の徒歩でいえば2~3分分ぐらい)して信号待つ気があれば歩道橋も使わなくてすむんだ
とはいえ、その3分がジジイからしたら5分とかもっとだし、少しでも歩きたくないという気持ちもわかるが
2つめのケースでも何故か地味に10段ぐらいの階段があって、こちらは迂回するのに10分近くロスするので……
うちのばあちゃんは多少大回りでもカートとともに駅前スーパー行って、数件回って帰ってきてたけど(90超えても)
うちの親父がカート頼みになりそうなぐらい足腰弱ってきたが、多分プライドが邪魔してああいうカートは使いそうにない
台車は抵抗ないみたいで、車で買い物行って、スーパーではショッピングカート使って、帰ってきて少し離れた駐車場から家までは台車みたいなことはしてるが
車無くなったら終わりそう
ババアぐるまは(調べたらシルバーカートとかマシな言い方あったけど)もっと誰でも使えるように印象変えて種類増やしたほうがよいかも
IT企業で派遣社員のエンジニアとして働いていたが、パニック障害と鬱を発症して働けなくなった。
仕事をしばらく休んでもどうにも治らず、会社を辞めることになった。
この頃の貯金額は42万円程度だったと思う。
働かないと生きていけないので、自分の体に鞭打って、会社を探してテスターとして採用された。
三ヶ月間の試用期間でクビになった。休み休みだったし、鬱持ちの人を採用したくない気持ちはわかるので全く恨んでいない。
パニック障害で電車に乗ることも電話することもできなくなった。
テスターをクビになってからしばらく引きこもりのようなことをしていて、お金が尽きた。
電気ガスが止まり、水道が止まった。水道はライフラインだから最後まで残してくれた。
今は冷静に「金のことは金の問題でしかない」と思えるが、当時はそんなことに頭は回らず、残高は自分の残り寿命そのものだった。
Suica を解約して数百円を得て、スーパーでパスタを買って水でふやかして食べた。冷たい食べ物って不幸な気持ちになるんだな。
家賃滞納してもすぐ追い出されなかったのだが、いよいよそれも尽きた。ホームレス生活の始まりである。
私は東京にいたので、炊き出しをしているという山谷にいった。炊き出しをもらうには別段チケットをもらう必要はなく、
そのまま炊き出しの列に並べば良いだけである。おばさんが事情も聞かずに温かいご飯をくれて、それだけで承認された気持ちだった。
温かいごはんは人を幸せにする。自分の好き嫌いなんか全く関係無く、ごはんが温かければ幸せになれるのだ。
ドヤで寝泊まりをして、だんだんドヤに泊まるお金も無くなっていき、ダンボールを拝借して公園で寝るようになった。
ダンボール自体は快適なのだが、夜聞こえてくる若者の声が何より怖い。襲撃されるのではないかと常々警戒しなければならない。
眠りに落ちる前には「どうしてこんなことに」という思いが頭に思い浮かぶのが常だった。
しばらく公園で過ごしていたら話しかけてくる人が何人かいて、仕事や福祉の窓口を紹介してくれるという。
これは手配師という人たちで働けそうなホームレスに仕事を紹介してその上前をはねる人々だった。
仕事のことを考えたらまたパニック発作が起こり、仕事をするくらいならホームレスのほうが幾分ましであるとしみじみ思い、話は受けなかった。
しかし福祉のことも何やら話しており、そういえば私は福祉の対象なのではないかと思い立ったのである。
市役所の福祉課の窓口で「食べるものが無いです、家も無いです」と伝えたところ、その場で2000円をくれた。
とはいえ私は生活保護の対象ではないという。数ヶ月前まで働いていたし、何より私はまだ働ける年齢である。
今の一時的な病気が治ればまた働けるのではないか、というようなことを伝えられた。納得するしかなかった。
「またここに来ればお金をもらえますか」と職員に聞いたところ、それは難しいという。
「どうしても現金が欲しいなら」と職員は言ってくれた。「大阪までの新幹線代を片道分ならお渡しできます」と。
つまり私を大阪に行かせて東京都のホームレス減らしをしようという魂胆である。福祉の現場ではそのような状況のようだ。
インターネット上でそのような話は見聞きしないので、おそらくその市役所の一部の職員がホームレス減らしのためにやっている施策であって、東京都の組織的なものではないのだろう。
大阪の人が優しいというのは、嘘である。しかし東京でホームレスをするよりも物価が安く、なんとか生活できる。
ドヤも山谷より安いところもあり、邪知暴虐な人がいることを除けば私でも生活をすることができた。
いくつか仕事もした。おそらくインターネットの人々にウケが良いだろうという話が一つある。
ドヤの前で座っていると、同じような浮浪者風の男に話しかけられた。リュックサックを堺区の百舌鳥まで届ければ一万円をくれるというのだ。
おそらく怪しいブツだろうとわかったものの、私にとって法律の重要度は下がっていたため引き受けることにした。
指定された住所に行って人を見つけてそのリュックサックを渡したら「いくら?」と聞かれて、何を聞かれているのかわからなかったが、
「一万円です」と言ったらその場で一万円札を渡してもらった。
だんだん、身体にドヤの空気が染み付いていった。そしたら、パニック発作がでなくなっていった。
私の場合のパニック発作は、仕事がうまくできない自分へのストレスだったのだ。
今の私は、もう私に何も期待していない。期待していないから落胆も無いというわけである。
プログラミングは、人よりほんの少し得意だと思う。
それでもまた一から勉強した。当時は半導体不足前だったので Raspberry Pi が普通に売っており、これを買って Python をやり始めた。
ドヤのテレビに接続してみたら、働いていた頃の画面と映りが全く違かったので笑ってしまった。いつぶりに笑っただろうか。
市役所の福祉課でお願いしたら Python の教材を印刷してくれたので、それを読みながら勉強していった。
「仕事に戻ろう」と思い始めた。まともな会社はきっと私を採用しないことはわかっていたから、スタートアップ企業を狙うことにした。
きっと世の中には、資金調達がうまくいってお金はあるものの人手が足りない企業があるはずだ。
探してみるとそのような会社が結構あることがわかった(PRTIMES の資金調達の記事はほとんど全部読んだと思う)。
面接時に私が泣いてしまうなどのトラブルがありつつも、無事とある東京の会社に採用された。
一部福祉の力を借りつつ、なんとか家を見つけた。会社からも Macbook Pro と ASUS の 27 インチ 4K モニターなどが支給され、
「これを売りに出せば数十万円得られるのに、どうして私に預けられるのだろう」と不思議にも思ったが、
久しぶりの自宅でごはんを食べる。サトウのご飯と卵を使ってチャーハン風の卵炒めご飯を作った。
まともな部屋で自炊したらさぞかし美味しいのかと思ったら、もそもそとした味で、そううまくいかないよなと笑った。
そしてこれでわかるように碌に教育をうけられなかった大人にも図書館に足を運んだならスマホがなくても無料で知識の源を貸し出してもらえる
日本はこれからどんどん貧しくなるので、貧しさをバネに教育(資格取得とか)をすすめるために、生活保護とならんでライフラインとなるべきだ
たとえばサラリーマンで手厚く社内教育をうけたおっさんも定年後に蕎麦屋を開くにも、農業をはじめるにも、全く知らないジャンルだから
手ほどきしてくれる本がないといけない
運動して電子書籍を図書館から貸し出すことを合法化する法律というのをつくった
図書館にかぎらずamazonキンドルなど、家族内にかぎらず友人に電書貸し借り7日間を合法化してるのがアメリカ
逆にいえば、DMCAでその他の(貸し借りでない)アップロードは政府がクラウド検閲して自動削除させてるから元がとれるからできること
司書は政治運動はまず利用者じゃなくて自分のためにしないと、めんどくさいから君首ね、で生活保護受給者になってしまうところまでおとされている
===
余談だが民意ってのは分かりやすさを選ぶから愚行権がめだつんだよな
小泉改革で「派遣は切りやすくしよう」とか「二位じゃだめなんですか」とかやったでしょ
警察ってのが自殺をあんまり調べなくなったからいじめだの事件も自殺ですまされちゃう
郵便局は民営化されたので土日は配達しないし82円の切手を貼ってだしても平日3日後にしかとどかない
こういうわかりにくい不便、複雑さはわかりやすい目先の得「政府の出費を削れ」ってとこから発生してるんだよ
結局おなじことをだれかやらなきゃいけないのなら専門家をやとってまとめてやったほうが得なんだよ
でもまとめてやって1000人が得してても1人がみのがされた、あいつらちゃんとやってない、個人でやったほうがましだ、っていう(ゆたぼんとかそうだね)
そういう人がでるごとにまとめて面倒見られる人数が減っていくんだよね
いまや1対1でも「女性に子供なんかそだてられるのか」ってなってるでしょ
そりゃ育てられないから産みませんってなるわ
みてな
これからまともな教育を子弟にうけさせたければ貴族が家庭教師をやとわないといけなくなるぜ
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話が逸れたけど、まあちゃんとした内容のオンライン書籍を貸してもらいたければ一日待つかくっだらない宣伝動画見るんじゃなくて