はてなキーワード: 道筋とは
インターネットで多くの人が多くの人と短時間の意思疎通をするようになった。
それを見てて、世界がひとつになって平和になるなんて幻想も甚だしい、なと思う。
こう思う前にも無理だなって感じてたけど、その感覚は今と比べて実に甘っちょろかった。
母語が違うからその垣根を越えるのは相当難があると感じてたんだ。
でも、それって翻訳機能が向上すればいずれ解決される話でしょ。
話が通じさえすればなんとかなるって言うなんの根拠もない仮定を前提にしている。
話が通じるのと分かり合うのは全くの別問題なんだよな。
例えばだけど、Twitterって日本のアクティブなユーザー数が4000万人らしい。
仮に全員が140文字という短文で言いたいことを的確に言ってのけられる志賀直哉のような人ばっかりで、かつそれを5分10分で書き上げられるとして、特定のAさんが全員と交信できるのにかかる時間って333万時間かかるんでしょ?
僕はあほやから計算合ってるか知らないけど380年ぐらいになるんかな? 死ぬでしょ。
分かり合ううちに死ぬでしょ。
だから、解決の道筋として最初から間違っていて、マス対マスだと分かり合うとか話すとか持ち出した時点でデスゲームなわけでしょ?
リーダー対リーダーとかある程度束ねられていれば成り立つのが話し合いだと思うけど、日本って絶賛個人主義営業中なわけで。
分かり合えるはずがないじゃなくて、分かり合うには人間の一生は短すぎる。
2017/3/5 23:05
各プレイヤーの思考材料は相手のハンドと誰が何を言ったかの二点。
発言者ってのは客観情報と主観情報を入力に取り、自分内の思考を織り交ぜて出力する。
ゲームをプレイするに当たって、この関数の挙動を推察する必要がある。
これがこのゲームの醍醐味であり、いわゆるコミュニケーションゲームの本質の一つ。
複数回ゲームを行えば傾向や流れ、あるいはゲーム進行における暗黙のルールが把握できる。
これを全プレイヤが思考することで、いわゆるメタゲームが構成される。
コミュニケーションを支配できれば自ずとこの"ゲーム"に勝つことができる。
勝ち得るというか、勝つための道筋が見えてくるはず。
2017/3/5 23:14
ていうか、20年前に「中国に自由経済が取り入れられればすさまじい発展をする」という推測を持っていた人はそれなりにいたわけで
例えば日本が中国に併合されるのも、いきなり魔法のように併合される事は無く、そこには道筋があるはずで
それがどのような道筋でそうなるかの推測を唱えられない限り、「日本が中国に併合される」という発言はどこまで行っても当てずっぽでしかない
そして将来それが偶然当たったとして、だからどうだという話にしかならない
さらに、語られる併合に至るまでの道筋が荒唐無稽であれば、それは笑われて当然であり、それは将来結果論的に本当になったとしてもその荒唐無稽さが和らぐわけでは無い
答えにたどり着いた俺はその喜びを分かち合おうと、まずは母さんにそれを話した。
「……って、結論になったんだよ」
「相変わらずの知的好奇心」
母さんの反応は感心半分、呆れ半分といったところだ。
俺にとってはかなりの大発見なのだが、思いのほか薄い反応に肩透かしを食らった。
「という割に反応薄いね」
「いいえ、側面的には意義があることだと思っているけどね」
引っかかる言い方だなあ。
「もしかして本当のゴールを知ってるの?」
「知っているというか、そもそもゴールがあるかも疑わしいから」
ドッペルが言っていたことだ。
だが、その結論では俺は満足できない。
「或いは複数あるのかもしれない」
なんじゃそりゃ。
「いわゆる“人それぞれ”って奴よ」
「え~、その結論は嫌いだなあ」
『人それぞれ』ってのは便利な言葉だ。
けど、それは何も考えていないことを宣言するのと紙一重な言葉でもある。
「そうは言ってもねえ。人によって違う場所や方向を進んでいるし、その臨み方だって違うんだから、ゴールの設け方だって変わるわよ」
「まあ……例えば『婚活』という枠組みで考えるなら、結婚をゴール地点に設けることは理屈の上では妥当でしょう」
ちぇ、なんだよ~、最初にそういう言い方してくれれば、こんなに無駄なことしなくて済んだのに~。
「前提そのものがあやふやでロクに共有されていないものだし、普遍的な答えは出ないでしょ」
「じゃあ、結婚はゴールだっていうのも間違っていないってこと?」
「正解でもないけど、間違ってもいないかな」
「そういう文言、煙に巻かれているみたいで嫌だなあ」
「だって問題の本質はそこにはないもの。いずれにしろ、他人の設けたゴールを腐したりしないことが大事ってこと」
あ……と声が漏れる。
あのジョウって人、それっぽいこと並べてただけで、やっぱり大してモノを考えてなかったんだ。
それに乗せられて、必死に探そうとしていた俺も大概なんだけど。
なんというか、とても疲れた。
結局、今回の捜索で何がゴールか、ズバリと言えるものは見つからなかった。
けど、その道筋がどう出来ているかってことは少しだけ分かった。
もしゴールがあっても、そこにたどり着けるかは分からない。
あの結婚式での新郎新婦だったり、課題の提出期限のために頑張る兄貴だってそうなんだろう。
たぶん、俺にだってある。
それが他の人とは同じなのか、違うものなのかは知らない。
けど自分のゴールが何であれ、走ることを応援したり、ゴールを祝福することはできるんだ。
「それはそれ、これはこれ」ってこと。
あ、このセリフも大概便利だな。
非日常実用講座シリーズの中に『独立国家の築き方』という本があるので、まずはご子息に読ませるところから始められたい。
そのうえで、国家とは『国民』『(他国が所有していない)領土』『主権』が第一義に必要で、他に『他国や国連の承認』などがついてくる。
そうすると、現代なら紛争地帯で軍閥を興すか、シーランド公国のように人造岩礁で独立宣言を行う。
前出の本を参考にして『原潜国家』として潜水艦単独で独立を行う。
等が目指すべき道とも思う。
個人的には、ナウル共和国あたりに乗り込んで行って、産業を興したうえで国民のほぼすべてを関係会社の社員とし、そのうえで政権奪取、世界初の株式会社兼国家を設立、という道筋が見えなくもない。
火星植民地を独立させて、月面基地を奪取して、宇宙コロニーを連携させて、恒星多世代宇宙船を掌握して。
意外に初代国家元首というのはどうにかなるかもしれない。
年齢的にまあまあ中堅のバイオ系研究者。途中までデータは出ている書きかけ論文が複数あり、中には数年放置しているものもある。これらのプロジェクトを何とか再起動・完了させたいと思っている。
停滞していたプロジェクトを再起動する道筋はだいたい決まっている。まず最後に作業していたファイルにアクセスし、それを俯瞰し、それから次のアクションプランを考える。これが最初の一歩である。しかしファイルを開くことが出来ないことがしばしばある。
足がすくんでしまう理由はいくつか考えられる。残りの作業が途方もない分量であると感じてしまうこと、ストーリーラインのプロットが思いつかないこと、そもそもそのプロジェクトに情熱を感じなくなっていること、などである。つまり能力不足と情熱不足が原因である。
こういう状況をどうやって打破したらいいのか。すでに完了したプロジェクトのいくつかはこういう状況を打破できたものであるし、今残っているプロジェクトは打破できなかったものである。自身がやってきたことにも関わらず、その違いはよく分からない。
こういう単語を知っているということは何かを齧ったことがあるのだと思うけど、
貯蓄=投資で言うところの貯蓄の概念と、貯蓄率で言うところの貯蓄の概念は全然別物なので、
こうやって並べて出せるものじゃないよ。
貯蓄=投資の方、ISバランスの貯蓄とはY(総生産)- C(消費)以外の何の意味も無い。
国債を発行することで財政出動して、の部分はおそらく貯蓄=投資の概念の方の貯蓄に近いことを言っていて、
未来の貯蓄を減らす(たぶん増税されるから貯蓄できる額が減ってしまうとかのイメージでしょ)、の部分は貯蓄率の方の貯蓄の概念、
そして未来の投資=未来の日本の経済成長率を先取り、の部分は、また貯蓄=投資の方の貯蓄について言っている。
未来の貯蓄は、未来のY(総生産)から未来のC(消費)を引いただけのものに過ぎず、現在国債の発行が増えて未来にその償還と徴税が行われても別に減りはしない。
むしろ現在の投資が少なくなって未来の生産設備などが劣化した方が、未来のY(総生産)が減る分だけ貯蓄が減ってしまうくらいだ。
貯蓄の意味が違うものを使って結び付けているのでおかしなことになっている、媒概念曖昧の虚偽というやつだね。
借金は別にゼロにする必要はなく、借金総額÷経済規模が延々と増え続けないのならば問題ないしその道筋は現在示されているよね。
文科省の内部調査に期待する向きもあるようですが、文科省には決定的なブツはないと思うので、会期内での爆弾とするのは難しいと思います。基本的には、内閣府を調べないとどうにもならないので、安倍総理の「徹底的に調査するように指示した」とかいう虚言はばかばかしいにもほどがあるわけで諸賢にはぜひぜひその事実をおさえておいていただきたいところです。しかし稲田朋美防衛大臣ですら、「わたくしの指示で見つかった」と強弁していたので同じ方式で行くでしょう。さも自分たちの自主的なリーダーシップで見つかったんだという体で、内容については藤原豊審議官が勝手に言っていた、というシナリオでしょう。ちなみに文科省の場合は、ない、といっていたところから発見されるわけにはいかないので、任意で提出してもらった個人のPCデータから見つかった、という、「陸自では削除したけど陸幕が持ってた」と同じロジックでごまかすと思われます。この件は、実は防衛省幹部からの指示での削除だったことはマスコミで報道されましたが、大した騒ぎになっていないので、ディレイディフェンスは有効です。
基本的に先日予想したスケジュールどおりに進行していると思います。とにかくできるだけ早く国会を閉めたい与党は、必要最低限の会期延長幅を確定させたいので、野党が早く弾をはき出すことを期待しているところです。そこで、内閣委員会でフェイクを入れてきました。内閣委員会の桜井充議員、田村智子はそれなりにクリティカルでしたが、田村議員の質疑が終わって、山本太郎議員の質疑の直前に、与党議員(多分石井準一:自民こころ・千葉)が委員長の解任動議(山本議員はそういっているが聞き取れないので)か質疑終局動議を突如提案してきました。これは山本太郎に質問させたくないというよりも、民進党に問責を出させるフェイクだったのではないかと思います。これは山本議員の前、というよりも、法務委員会の東徹の質疑の直前であるというところがポイントだったのだと思います。丸山穂高が委員外からやってきて採決提案をしたので、民進党としては、同じく東議員が採決動議をしてくるリスクは常に警戒していたところでしょう。参院内閣委員会の委員長は、民進党の難波議員ですから、解任動議をする可能性はあります。平成25年12月に、水岡俊一、大久保勉委員長をそれぞれ与党提出法案の採決を決定しなかったカドで解任していますから、難波さんも解任した上で、参院内閣委員会のこれ以上の開催を見送る可能性はあります。ちなみに野党委員長の解任は安倍政権しかやったことが無いです、これ豆知識な。でもたぶん目的は内閣委員会で、突然の動議をすること、それ自体で、法務委員会で、いきなり質疑終局採決をされてしまっては、というところで、金田法務大臣の問責決議案は出さざるを得なかったところです。今週中に金田法務大臣の問責決議案と内閣不信任案を出させてしまえば、残りの刑法改正案は、野党は反対できないので、安心して、1週間程度延長して来週に回すことができます。松山政司国対委員長はいくさがうまい。まぁ民進の国対委員長が誰であっても勝ち目はない無理ゲーなわけですが。
維新は当然、東議員の質疑を打ち切ってきたことを非難するでしょうが、丸山議員の立ち回りを見ればしかたないでしょうよ。とにもかくにも、とりあえず2つしかない弾のうち一つを打たされた民進党は、さらに追い込まれたと思います。共謀罪法案が成立しないものすごく薄い可能性としては、NHKの世論調査がもっと劇的に下がっていて、安倍総理が今週中に絶対閉める、という決意をし、さらに委員会の臨時開催を民進党が阻止できる、という場合ぐらいしかなかったと思うんですが、まぁこれも無理になったでしょう。
桜井議員の質疑の中で、諮問会議の前日に、今治市側に資料を渡してしまっている、というやらかしを指摘されていましたが、田村智子議員の質疑は今日も鋭かったというか、あけすけ過ぎて私も完全に見過ごしていましたが、たしかに、というところでした。
前段で、今治市の資料で、平成30年開学(予定)の文言を入れている、件のスケジュール共有を依頼していた件について、藤原審議官は、「担当者同士の情報共有のために特区すべての担当者に、北九州を参考としまして、今後区域で取り上げる可能性のある項目、規制改革項目につきまして、すべてに前広に(念のため、幅広く、という意味の官僚言葉です)まとめるように依頼した」といっていましたので、マスコミは、昨年夏ごろまでに名乗りを上げていた自治体全てに、このような依頼があったかどうかを取材、作成されたスケジュール表は公文書なので、情報公開請求をかけるべきですね。このあと、山本幸三大臣が、「今治の提案のほうが熟度が高いと判断した」という話についての質疑をしていく田村智子議員。
「(略)先ほどね、桜井議員のところで、これ情報開示で出てきた、今治市と何度もあっているとされていて、新聞でも12回あっていると、さらに桜井議員が精査したところによると、そのうち11回は少なくとも獣医学部の協議だろうと、いうことだと、その最後が、11月8日で、先ほど桜井議員は、翌日11月9日、獣医学部新設の決定をする諮問会議の資料を今治市に渡している、という、まさに今治市の出張の資料ですね、そこに添付されている資料として、追及されました。今治市に渡してたんですか?翌日の諮問会議の資料を。」
「えーと、あのですね。これはまったく不適切なことであったと、まったく不適切なことであったと思っております。前日に今治市が来たんで、当の担当者のほうが、あのー、今治市の方が、明日諮問会議があるんですね、ということでですね、担当者のほうで渡してしまったということのようでございまして、これはまったく不適切だと思っております。私どもとしましても反省しなくてはいけないと思います。」
「それをわたすぐらいですからね。事前に協議してないなんてありえないじゃないですか。なんの答弁ですか、これまでの議論は。これゼロからやり直さなきゃダメですよ、答弁。もう一点確認します。前回私は、事業者の公募が、広島県今治市でしか行われなかったのはなぜなのかという質問をいたしました。山本大臣は、今治のほうが、京都よりも、事業の早期実現性との観点から、熟度が高いと最終的に私が判断したと、いうふうに答弁されました。しかし、今治市は、事業者が明らかじゃないんですよ。2014年、新潟市が提案したときも、新潟市は大学名を上げていました。京都府の提案は京都産業大学との共同の提案になっています。しかし今治市は、事業者について何も説明していません。事業者がわからないのに、大臣はどうして、早期実現性が高いと判断されたんですか。」
「あのーオホン(この人苦しい答弁するときは咳払いするからわかりやすい。以下は全て読み上げ)。本年1月4日の事業者公募手続きに入る前の年末年始の段階でー、今治市の提案の中に専任教員の数、あるいは地元との連携、教育内容、各点に関して、事業の早期実現性の観点から京都府の提案よりも、今治市の提案のほうが熟度が高いと判断して、今治市において公正に公募を行うことといたしました。具体的には専任教員の確保については、今治市は、専任教員70名確保するとしており、その確保先についても海外製薬企業、中央官庁のほか、国際機関の経験者、あるいは国際、協力機構(OECDかな)含めた、を含めて、優れた人材が示されており、教員確保の道筋が立っているといえます。地元との連携については、水際対策について、今治市は四国知事会が要望するなど、広域的な対策を行うべく具体的なアクションを起こしております。他方京都府は、獣医学部のある大阪府との連携が必ずしも確保されていないなど(大阪を除いた知事会の連名はあったんだけど、大阪は府立大学の定員拡大を要請しているから呑めなかったんでしょう)、不十分と判断せざるを得なかったわけであります。えーまた獣医学部の設置は地域の活性化に大きく貢献する必要があることから、京都府の提案にはその具体性が無い反面、今治市のほうはまちひとしごと総合戦略等に位置づけた上で、卒業生を地元の産業動物事業に就職させるための、奨学金のスキームなどの工夫をこらしているところであります。京都府のほうは、ライフサイエンス研究を提案しておりますが、水際対策に関する部分が薄い(すでに実績はあるけど)、他方今治市は、現場体験学習などを通じて、卒業後に産業動物を扱う分野に進むよう、誘導するとともに、畜産業のみならず、地元の水産漁業を対象とした、感染症対策など地元固有資源に着目したより具体的な提案になっていると評価できるものであります(実績は一切ないし、分科会で、160名の現場体験学習の実施をする事業者は確保できるのかと疑問を呈されていたけど)、このように今治市の提案は事業の早期実現性が高いと評価できるものであります。」
「前回と同じ答弁ですので、それはもう内閣府が作った答弁書そのものだってことで、いい間違いじゃないってことなんですよ。もう少し具体的にお聞きしましょう。私がきいてんのは事業者が明らかじゃないのに、なんで、わかるのかって問題です。とりわけ冒頭に挙げられた、専任教員の確保の面で、京都府等と比べて優れておりました、専任教員の確保というものは、事業者である大学が確保するものですよ。今治市は専任教員の確保なんてできないですよ、公立大学つくるわけじゃないんだから。なんで、専任教員の確保が、今治市はできると、京都は11人とか(教員の確保は、開学の確約がないとやりにくいわけで、加計が70人集められているということ自体が、確約をにおわすものだと私は思うけどね。だから他の大学は1年半後開学なんてできないわけで。)いってますけど、なんで、今治は、事業者が明らかになっていないのに、専任教員の確保ができると、そう判断されたんですか(加計には決まってないって言ってんだからね)。」
「えー今治市は、これまで8年間という長きにわたる構造改革特区への提案という蓄積がある中で、さまざまな提案の中で、議論が深まることにより、事業の早期実現性が高まると判断したものであります。専任教員につきましても、あー確保の道筋が立っているということで、早期の開学が可能であり、かつその人数が多いほど、さまざまな科目の設定により、一定以上の質が担保されると、いうようなこと、さきほど申し上げたように、地元の連携やカリキュラムなどにおいても、早期実現性が評価できるとしたものであります。」
「今の答弁だと構造改革特区の提案があるからわかったんだっていわれますが、構造改革特区の提案を見てみますと、加計学園は、2007年から2009年までは、5回共同提案していますけども、それ以降11回の提案では加計学園は消えてます。しかも、最後の2011年12月以降、第21次提案以降、大学に関する記述はほとんどありません。専任教員のことなんか書いてあるわけが無いんですよ。どうして、専任教員の確保が、京都よりも優れていると、何の資料を基に判断されたんですか。」
「えーと今治市の資料において、その提出の資料の中で書かれているものであります。」
「いつの資料にどう書いてあるんですか。事業者が決まってないんですよ!今治市が確保できるわけがないじゃないですか!」
山本(レクを受ける)
「えーこれは27年6月5日のワーキンググループで今治市が提案したことに書かれていたことであります。」
「それはねー答えになってないんですよ。それは確保したいと書いてあるかもしれないですよ?でも市が、確保するなんてありえないでしょ!(そりゃそうだ)ありえないでしょ、市が確保することは。どうして専任教員が確保されたと判断されたのか!」
「それは、あのー、その今治市が、えーしっかり確保できると、いうことであります。」(こいつほんまにポンコツやな)
「あなたが判断したって言ってるでしょう!山本大臣が判断したんですよ。京都は11人と書いてあります。獣医師11人と。それから他の学部もあるし、獣医学部に相当近い学部も作ってきていると。事業者が明らかになっているから、当然どういう教員を確保しているかは極めて具体的です。今治市が、より具体的だと、早期実現性があると、あなたが判断したのは、どういう資料を基にしているのか!」
「あのーこれは従来の構造改革特区からの(田村:ダメでしょ)そういう今治市の資料と(田村:構造改革特区じゃない!)、そして、このワーキンググループ等に提出された資料を基に判断しているわけであります」(構造改革特区提案には、大学事業者はずーとかかれなくなってた言われてからのこの答弁、イケイケやな)
「あの委員長、これちゃんと調べていただきたいんです。それじゃ構造改革の提案調べてくださいよ。一旦ちょっと議事止めていただかないと、お答えになっていないですもん。わかりますよね。事業者でなければこんなことできないんですよ。加計学園から聞いたんなら聞いたって答えればいいじゃないですか。それ以外ありえないんですよ。答えられないなら一旦休憩してください。」
「繰り返しになりますが今治市のワーキンググループの資料にそのように書かれているわけでありまして、私どもはそのように判断したわけであります。」
(速記とまる)
続きはトラバ
周りの秀才と議論していてよく思うのは、ADHDの自分は穴の空いたロジック、スキのあるロジックを作りやすいということだ。
その理由はこうだ。ADHDは、ワーキングメモリが少ない。つまり、ある結論を満たす論立てを一つ考えると、そちらだけでワーキングメモリを使い切ってしまう。他の道筋から、その結論に対する反証が出てくるとかが、反射的に思い浮かばない。そして、1つの論で頭が一杯になってしまうので、複数の反論でつつかれても大丈夫な論を導き出すのに、一つ一つ検証がひつようになるので、ものすごい時間がかかる。
東大にいたのでわかるのだが、頭のいいやつは、反射的に反証や反論を思いつく。そして、複数の反論に耐えられる論を見つけ出すのも瞬時。おそらく、ワーキングメモリが広いので、複数の反論を一度に頭の中に入れて、同時に検証できるのだろう。
結論として、同じ東大卒でもADHD出ないやつの方が優秀。ADHDは遺伝するので、俺の子よりも、定型発達の子供のほうが社会的に価値が高い。
学歴みたいな努力でごまかしが効く指標でなく、ワーキングメモリの量とかでキチンと知能を測って、政府が責任を持って優秀な奴の精液を回収し、女性に配るべきだ。そうすれば、俺みたいな東大卒だけど遺伝子悪い奴が、後世に迷惑かけずにすみ、皆幸せな社会が実現される。
1923 関東大震災
1925 治安維持法制定
1941 太平洋戦争
2011 東日本大震災
2013 秘密保護法制定
2020 東京オリンピック
ほぼ国家公務員しか対象にならない秘密保護法を、世紀の悪法「治安維持法」に見立てるのは無理がある。
この先の出来事も、このままいくと繰り返される可能性が高いかもしれない。
俺は、ここに素直に「自衛隊」を代入していていて、だからこそ、歴史は繰り返さないと思っていた。
戦前の軍部があれだけ暴走できたのは、大新聞と、その後ろにいる国民からの熱烈な応援があったからだ。
今の自衛隊は、国民からの支持率は高いが、メディアからは厳しい視線に晒され続けてる。
文民統制の規定もあり、自衛隊の暴走は不可能に近いし、その動機もない。
三島由紀夫が切腹した頃から、自衛隊はすでにサラリーマンだし、国家に対して反乱を企てるような集団じゃない。
じゃあ誰が「軍部」になるのか?
3.政府の予算の中で「聖域化」され、誰もその関連予算を削れない
この3つの要素を、今持ってるのは誰か?
俺は、現代においては「高齢者」が、戦前の軍部の役割を担うんじゃないかと思った。
そう考えていくと、辻褄が合い始める。
まず、マスメディアにボロクソに叩かれてるアベノミクスだが、あの政策には元ネタがある。
高橋是清が、4度目の大蔵大臣に就任した際に行った金融政策だ。
高橋是清は、井上蔵相が起こしたデフレによる不況を止め、緩やかなインフレを起こすために、積極的な財政出動と「金輸出禁止」による円安政策を行なった。
1931年の話だ。
この政策で国の景気ははっきりと回復へ向かったが、高橋是清は関東大震災以降の支出超過でこれ以上の財政出動が危険だと理解していて、財政健全化へと舵を切った。
要は、震災対応と財政出動で金を使いすぎたから、軍事費含めた国の予算を軒並み削減して、なんとか国の赤字を減らそうとしていた。
これに反抗したのが、当時の軍部だ。
軍部のうち皇道派と呼ばれる人間たちは、富裕層だけに味方している(ように見えた)高橋是清のことを、「君側の奸」と吐き捨てた。
こんな政治家のことは天皇陛下もお嫌いのはずと「忖度」して、クーデターを起こし、殺害した。
世に言う、二・二六事件だ。
高橋是清が殺害されたことで、財政健全化政策も、金融政策も完全に止まった。
あと一歩で回復するかもしれなかった日本の景気は腰折れし、高橋是清が削ろうとして叶わなかった軍事費は、どんどん膨張した。
結果として、財政がどうにもならなくなった日本は、景気回復を「軍部による戦争」にしか求められなくなり、支那事変を引き起こす。
話を現代に戻そう。
「宮内庁、毎日『陛下 公務否定に衝撃』報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言『事実ない』」
ただ、ここで重要なのは「マスメディアが、天皇陛下を利用して、政府批判をはじめた」ということだ。
「陛下の心を傷つける専門家会議とそれを主導する安倍晋三は、君側の奸だ」ってわけだ。
こんな、戦前軍部の「皇道派」みたいなことを言う人間が、この現代日本に現れた。
俺は、このニュースを見て、本当にまずいんじゃないかと思った。
安保法制の騒ぎの中で分かったことは、「安倍政治を許さない」とデモをしている人たちには、高齢者が多いということだ。
Twitterなんかで確認する限り、毎日新聞の例の記事も、高齢者らしき人々の中では評判が良く、拡散されているようだ。
安倍政権の支持率は、これまた高齢者に支えられるテレビメディアからの「森友学園」「加計学園」の連続スキャンダル攻勢で、確実に落ちてきている。
俺には、現代の安倍晋三が、戦前の高橋是清と同じ役割を担っているように見えた。
安倍晋三が高橋是清ほど良い政治家かと言われたら正直疑問だが、少なくとも、同じ役どころが回ってきてるようには見える。
これから、マスメディアとそれを後押しする高齢者の力で安倍政権が倒れた場合、日本は、戦前の二・二六事件後と似たような空気になるんじゃないかと思う。
選挙で圧倒的な力を発揮する高齢者に関わる社会保障費を、政治家は、誰も削れなくなる。
膨張した社会保障費が五輪準備費を圧迫し「オリンピックなんて中止すればいい」という声も出始める。
国内だけでは財政の課題を解決できないと判断した国は、「海外」に目を向け始める。
みんな、安倍晋三が「ヒトラー(独裁者)」で、自衛隊が「軍部」の役割を担うと思って警戒してるけど、その形なら、ちゃんと止められるんだよ。
そのパターンは、一回やってるから。だから、どんな馬鹿にもその危険がなんとなく想像できて、歯止めをかけられる。
じゃあ、なんで歴史が繰り返されるのか?
要は、「役者が変わってるから、同じ演目をやってるって気づかない」んだ。
みんな、軍(自衛隊)と独裁者(首相)に注目しておけばいいと思ってる。
でも、そうじゃないんだよ。軍はもう、警戒されてるし、批判もできる。
俺たちが見なきゃいけないのは、今この日本で「政治家が批判できない、聖域化しつつある人たちは誰なのか」ってことなんだ。
俺は、東京オリンピックが2020年に開催できる可能性は、50%くらいだと思ってる。
この1年の政治の動きによっては、「何らかの理由」で、オリンピックが中止される未来が、本気であると思ってる。
たぶん、真正面から高齢者を悪者にしてるこの説は、マスメディアには絶対に載らない。
今、この国が瀬戸際に立ってるってことを、なるべく多くの人に知ってほしい。
とある国で駐在妻をしているが、恐ろしいほど駐在妻同士で価値観が合わなくてしんどい。
大体の人が結婚を旦那の所属・収入・海外駐在の可能性を考慮した上で結婚している。
そのため会話をしていても話に深みがなく薄っぺらくて辛い。
会話の大部分は誰それの奥さんがどうのとか、旦那さんがどうのとかである。
あとはなぜか学歴の話も上がる。
駐在している国の第一言語の取得はもちろんのこと、キャリアプランに有利なことは全て行なう。
自分の将来のキャリアプランや成し遂げたいこと、こどもの将来の道筋、教育費、教育論に関するオススメの本など
こんなことを話せる人がいない。
特に女性のキャリアに関しては女子大に出て商社やインフラ男子を捕まえた人がすごいという価値観が蔓延しているので、
もちろん私の価値観とは合わない。
えー、あの、有難うございます。参議院の杉尾と申します。えー、1点伺いたいのがですね、いまちょっと、ばーっとあのー、おー、このテープ起こしの、おー、スクリットを見さしていただいたんですけれども、例えば、えー、あのー、二つ目のですねぇ、えー、ホッチキスで閉じられてる例えば7ページのところに「昭恵夫人のほうからも、たしかここも聞いてもらったことあると思いますけど」っていうくだりがあって、ここで昭恵夫人というふうにはっきり仰っている、それから27ページのところで、えー、「首相夫人が来られて餅をまくことになっている」というくだりがあります、いまのバッと見ただけなんですけれども、えー、この昭恵夫人のことをですねぇ、えー、財務省の、その本省に来られたときに話をしたのは、これくらいだったのかどうかということ、それから、あの、7ページのところに、「いろいろ我々にご支援を頂いている議員の先生もいらっしゃいますけど」というくだりがあるんですけれども、えー、いま見た限りでは、あのー、具体的に議員の固有名詞が出てなかったみたいなんですが、そのへんの事実関係を伺わせていただきたいということと、あとそれからこれは財務省ですけれども近畿財務局の担当者とのやり取りの中で、昭恵夫人のことを具体的に、どれぐらいの頻度でどれぐらいお話になったのか、それから政治家ですね、その、地元の地方議員も含めてですねぇ、国会議員も含めて、具体的な財務局とのやり取りの中で、えー、議員の名前をだしたことがあるのかということを伺いたいというのが一点、それから、あの二点目は、つい先ほど仰いました、麻生さんが来た時に、麻生さんのアテンド役をしたというくだりがありますけれども、いつどういうふうな形で、えー、麻生さんのアテンド役をして、その麻生財務大臣とのですね、関係があればですね、ほかに、このアテンド役も含めてですね、えー、教えていただきたいと思います。この二点です、
えー、まずですねぇ、あのー、本省と言うんですかねぇ、えっと、理財局の室長さんのとこに行かしていただいたときの、おー、昭恵夫人云々というのは、先に、あのー、タニさんを通じましてですね、えー、本省のかたに、これ田村さんですけれど、えー、お聞きいただい、えー、お話をしていただいた、そのことの内容、えー、そして、えー、もう一度昭恵夫人、これは、あの、当然、あのー、そのことを踏まえて、えー、知ってるでしょと、田村さんに、いうことの、確認、ということですね、そうですね、はい、えー、それと、えー、餅をまくということは、これはあの当然、棟上げ式の時に、校舎の棟上げ式の時に、あのー、関西のほうではもうまくんですけども、まあ、それをさしていただくと、いうふうな予定にしておったんですが、あのー、ちょうど、えー、ご婦人のほうもいろいろと、仕事が入っておりましたので、この餅まきの行事の時にはお越しいただいてないと、いうことでございます、えー、またご支援いただきました先生方、えー、これにつきましてはですねぇ、あのー、当然のことながら、当時の、あのー、国土交通省の副大臣であられた、えー、参議院議員の北川 イッセイ先生をはじめですねぇ、あのー、場に申し上げましたけども、えー、今は参議院議員になってらっしゃいますかね、えーっとー、おー、もちろん東徹先生もそうですけど、えーっと、あのー、ちょっと名前を、えへへ、やな、柳本先生、ですね、そうですねぇ、はい、えーのー、かたとか、それとか、まあ、以前から、あのー、鳩山邦夫先生とはですねぇ、前に、えー、砲兵工廠のお話の時からずっと、あのー、かかわって頂いておりましたので、えー、その秘書の方とか、えー、とかとか、まあいろいろ、あのー、そしてもう、もちろん鴻池先生、これはあのー、鴻池先生は、あの、先にこう、まさにパイロット役というんですか、ここの近畿財務局の道筋をつけていただいたと、いうふうに、当然認識を、しておりますし、ま、それぞれその時々に、あのー、色々な先生がたの、あのー、お力を、いただきました、はい、で、地方議員のかたがた、につきましては、あの、近畿財務局の関係については、あのー、もう、あの、立場が違いますので、お話は申し上げておりません、はい、国会議員の方々、ということになります、えーっと、それと、麻生大臣のアテンド、えー、のことにつきましてはですね、この当時、稲田先生のほうはまだ衆議院議員なりたてのことだったというふうに思います、えー、約、8年ぐらい前ですかね、麻生先生のほうもまだ、えー、総理大臣にはなる直前、だったように思いますけども、その時の、大阪の帝国ホテルでの、おー、ま、祝賀会に、の対応をさしていただいたということです、まぁその後、麻生大臣は鴻池先生の同じ、ご派閥でありますので、ま、鴻池先生の、されております政策研究会に、えー、出向きました時に、麻生大臣と一緒にですね、えー、お話をさしていただいたり、それとか、えー、写真をとっていただいたり、まあ、そうゆうなことは2回3回あったように、記憶しております、はい、よろしいでしょうか、はい、
本日は有難うございます。参議院議員の小西ともうします。あの、2点、伺わせていただきたいんですけども、昭恵夫人が、あのー、講演に、行かれた時に、あのー、ま、安倍晋三からということで、あの、百万円、あのー、寄付をされたということなんですけども、まあ、あの、夫人側は渡していないというような、主張をしているんですけども、当日の、あの、様子ですね、まあ、御付きの、まあ、二人が外に出た、というふうに、まあ、ありましたけれども、当日の部屋の描写ですとか、雰囲気ですとか、当日の、もう理事長鹿ご存じないようなことがありましたら、仰っていただきたいのと、あとその、渡され、寄付をしたということを、あのー、称することができる、あの、まあ証人になるようなかた、まあ、知ってるかたですね、その事実を、あの、職員のかた、あるいは副理事、奥様、と仰ってましたけども、そういう、どういう方々が、その事実を当日、当時、知っているかということをお願いしたいのと、あと、もう一点あのー、土地のことなんですけれども、あのー、結局、8.2億円、あのー、まあ、えっと、鑑定より値引きして、当初のより値引きして、あの、理事長のほうに売却をされているわけですけど、あの、理事長のほうでは、その、8.2億円に該当するような廃材、や廃プラをですね、あの、そこから除去する、8.2億円に至るような工事は、されてないですよね、8.2億円出されて、ま、やってはなくて、当初からあのー、3メートルの深さまでは、あのー、ま、廃材、同じような廃材があるということは、国交省も国会では認めているんですけども、3メートルぐらいまでは、廃材があるってことはすでに分かっていたと、でさらに9.9メートルくい打ちの過程で、深いところにも、そういうものがあるってことで、理事長はびっくりされて、あのー、財務省の本省に掛け合われたと、そうすると、まあ、一定の廃材があっても、しっかりした杭を打って基礎を打てば、まあ、校舎は立てられる、まあ、もともと住宅で使われていたところで、ありますから、まあ、あの、全部の、廃材を取るっていうようなことは、もともとは想定されて、いなかった、ていうような、あの、お考えでよろしいでしょうか。ちょっとそこのところ2点、お願いいたします。
えーっと、まず、あの、百万円の件でありますけども、あのー、当初は私と、あのー、まあ、あのー、副園長をやっております家内と、そして昭恵夫人、そして秘書の方は、ひとり、そこについておりましたのがね、ひとり、えー、まあ、あのー、何と言うんですかね、えー、上座に昭恵夫人が座られて、私が上座から見て向かって右っ側、のほうに座っておりましてね、それはね、あのー、園長室なんですよ、園長室なんですねぇ、えー、に座っておりましてですねぇ、まあ、そこで、百万円のご寄付を頂いたと、いうことに、その、えー、状況はですねぇ、あのー、昭恵ご婦人が、えー、もう、人払いというんですか、人払いしてくださいというんじゃなくて、(うつむき加減になり、手で「出て行ってください」と示すようなジェスチャーをする籠池氏)、ですね、これでわかる、これで、あの、秘書の方わかるんですよ、ね、うんうん、で、外に出て行かれたと、でまあ、副園長、家内のほうは、まあ、それと相前後して、えー、園長室からでてまいりまして、その次の、隣に続いております職員室があります、えー、そこで、えー、副園長の机に座った、椅子に座ったと、いうことになります、で、ちょうどですねぇ、えー、10時が終わりまして、えー、まあ私も、こういうふうな、あのー、非常にこう、感情が豊かな人間ですので、大そう、うー、嬉しかったわけですよね、ですから、えー、すぐにですね、ぐるーっとその部屋をぐーっと回りまして、えー、もうここは、机と椅子の間が行き来できなくなってますから、ぐるーっとまわりまして、隣の職員室に行きまして、でそこに男性の、あのー、小学校担当の職員が二人おりました、えー、オガタという人間と、そして、えーっと、えー、ノサカという人間がおりましたので、その人にも貰ったよーって、いまいただきましたよって、でそれから副園長の、机の前にも行きまして、いただきましたと、でその時にはあのー、こちらの、そこから下がって下のほうにはですねぇ、事務担当が、もうひとりおりましたので、そのへんは全部聞いておると、いうことであります、しかも、あの、また、あのー、銀行振り込みを、銀行振り込みやない郵便局に、あのー、行かないといけない、かったんですが、当日、ちょうど、あのー、休みに、次なっておりましたもんですから、一旦、えー、副園長のほうでこう、金庫に入れました、でそして取り出しまして翌の、えーっと、平日の日、月曜日だったと思いますけど、郵便局のほうに、私どもの、あの、職員がまいりまして、でー、その時に、まあ、安倍し、安倍晋三っというふうに、あのー、まあ私は、そのー、帰られるときに、ちょっと、あの、内緒にしといてくださいなということを、聞いておりまして、それを伝えておったんですけども、あのー、それを、安倍晋三って書いてしまった、いうことですねぇ、でそれを、それで良いのかどうかということをすぐ、あの、電話でですね、あの、その、現場からですねぇ、私どもの、あの、会計士の先生に連絡いたしました、でそうしますと会計士の先生はですね、それはまずいんじゃないかと、いうことでですねぇ、その言質をいただいて、訂正をしたと、いうことになってます、ですから、その会計士の先生も、よくご存じであると、いうふうな、ことでございます、その点についてはよろしいでしょうか、もう、はい、えーっと、それと、あのー、土地の件でございますけども、これはもともと小学校というのは。あのー、全部が建物が建ってるわけではございませんで、あのー、校舎が立ってるとこ、体育館がたってるとこ、それと運動場があります、ですから、運動場のところは、わざわざに降り起さなくても良いわけですよ、実際、もう、はるか昔からもう中にチクデンしておりますもんですから、ですから、校舎のところの分、体育館のところの分、そこの分については、取り除きをさしていただいたと、いうことであります、だからあの、8.ナン億円ということは、これは、えー、まあ、提示されて、近畿財務局のほうから、これ8.ナンボ億円ひきましたよと提示されておりません、でしたけれども、あの、まあ大体の推測では、あー、そのぐらいなのかなぁということは、我々のほうから、我々の工事の、えー、建設業者のほうから、近畿財務局のほうに対して、航空局のほうに、大体の資料を渡して、おりましたもんですから、えー、だいたい何メートルで、だいたいこんなもんじゃないですかねぇというものを渡しておりましたので、あのー、それから、財務局近畿、間違えました、近畿財務局、航空局のほうが、積算を、えー、されて、もう日にちが、私、ありませんでしたんでね、あのー、学校を平成29年の4月に開校せにゃいかんということになっておりましたから、もう、あのー、それも、ある面で、もう、あのー、至上命題でしたんでね、えー、近畿財務局のほうも、えー、自分たちで、その、ボーリングをして、なになにするということもお金もかかりますし、当然予算がですね、次の年度になってしまったら、もうまた、平成29年が30年になってしまいますので、これは駄目だと、いうことですね、あのー、こちらのほうから近畿財局航空局のほうからの、えー、ご指示に従いまして、資料をお渡ししたと、いうことでございます、はい、
いまの部分なんですけれども、その8.2億円の値引きの積算のですね、根拠に、ひとつの考え方になる資料を、藤原工業ですか、のほうから、近畿財務局のほうに、渡したと、そういう理解でよろしいですか。
はい、あの、藤原、あるいは、あのー、なんていうんですかねぇ、えー、設計事務所、のほうから、えー、提供したと、いうかたちになりますね
それは廃材がこれぐらいの深さまで、あるので、それに体積かけて、あの、工事費用かけるとこれぐらいの、値引きになるんじゃないかと、いう資料、なんですかね、
だいたいの、だいたいの、
ああ、持ってますよ、
それ、ぜひ、あの、うちのPTのほうにですね、ま、座長に任せますけども、
ええ、私は当然、私の資料としては持って、おります、はい、はい、
小川淳也と申します。えー、今回このタイミングで、録音テープを公にされた理由、それから、なぜこの時のやり取りを録音したのか、という理由、それからどのように録音したのかという形態、ほかに、重要なやり取りに関して、録音、あるいは、まあ文書でも、メールでも良いんですが、保存しておられる、ことはないか、この4点、つまりその、総理夫人が百万円渡すという、かたちで具体的に支援したのかどうかと、それから行政・政治過程がゆがめられたのかどうか、そこに総理の近親者、たる私人が関与したのかどうか、にいま我々は関心があるわけで、これ極端に言えば、朴槿恵大統領が退陣に追い込まれた構図とよく似てると、いうふうに理解してます、ちょっと質問に戻るんですが、えー、録音、はほかにないのか、そして、その他、資料、はないのか、ちょっといま、4点お尋ねしたこと、聞きたいと思い、
えーっと、録音テープは、まず、いま最後に仰ったものは、えー、まだあります、あのー、当然、あのー、交渉段階のことですから、えー、全部やないですが、残しております、えー、それは定期借地の時の、事柄についても、えー、我々のほうの交渉については、私が残しておらなくても一緒に同行した人間が、残しておるということもあります、それが1点ですねぇ、それと、えーっとー、えー、理財局の室長さんと、お目にかかりました時は、これは非常に重要なことですんでねぇ、で、私みたいな一般私人がですよ、あのー、大財務省に行かしてもらうということもないわけですから、これは、きちっと、あのー、録音しとかないと、事の問題が問題が有耶無耶になってはいかんと、いうふうに当然思うわけですよねぇ、で、そうしましたら、あの、録音をですね、私がこう胸ポケットにいれまして、そして、あのー、その内容を忘れないように置いておくというのは、当然、あってしかるべきもんやと思いますので、そうさしていただきました、えー、とても重要な、段階だったんですね、あのー、生活ごみが出てまいりましたから、これは、これー、そのままいっていきますと、先ほど申し上げましたけど、えー、小学校の開校、平成29年の4月開校の予定ですから、また1年延びるわと、いうような局面、そして、まだあの段階ではですねぇ、あのー、1億3千万の、あのー、立替費をまだ返してもらってなかったですから、そのこともお願い、えー、もありましたもんですから、なんとかしてもらわないといけないんじゃないかなぁというふうな、気持ちがやっぱりそこに現れておったというふうに、あの、ご理解いただきたいと、思います、それと、あのー、総理夫人の関与というか、でも、総理夫人は、あのー、どうなんですかねぇ、あの、私人という立場と公人という立場、当然あると思うんで、あのー、まあまあ、あのー、私人としてのお顔と、公人としてのお顔、当然あると思います、でも、やっぱり、一般的に公人というようなお顔で皆さん、見られるんではないんだろうかなというふうに思います、えー、したがいまして、あのー、今回のことがらは、あのー、ま、結果論になりますけども、昭恵ご夫人にですねぇ、名誉校長になって頂いたということが、えー、早くですねぇ、あのー、ある時期から早く、土地についてですねぇ、えー、スピーディーに、物事が、動いたのではないかなと、いうふうに、思っております、はい
衆議院議員の福島伸享です、よろしくお願いします、あのー、3点お聞きしたいんですけど、まず1点目は、先ほどあの、財務省の役人と借り受け契約の時に、ストライクゾーンの交渉したその、相手方は誰だったのかという具体的な、名前を教えていただきたいというのが1点と、2点目はあの、結局、昭恵さんとは何回ぐらい電話したんです全部で、数えきれないぐらいなのか、10回なのか、その間隔を、あとタニサエコさん、と何回ぐらい、電話のやり取りを、してたのか、ということと、あと3点目は、前回のあの、証人喚問の時かその記者会見かでですねぇ、あの8億円も下がったのは神風が吹いたというかビックリしたみたいなこと、仰ってたと思うんですけど、今日のお話を聞くと、むしろ8億円下がるというのは、籠池さん側から提示してたんですかそれは、その後なぜ8億下がって、どういう交渉をしてですねぇ、この、神風じゃなくてむしろ、森友学園側から8億円下げろと、ゆってたんじゃないですか、そのあたりの、矛盾はどうなのかということを、3点お聞きしたいと思います、
えーっと、ストライクゾーンの部分のことですけど、これはあの近畿財務局のマエニシさんという、前任のですね、えーとー、統括官が、おります、そのかたでありました、で昭恵夫人との電話の内容というのは、あのー、電話の回数というのは、えー、わたしー、よりもですね、えー、あのー、家内との回数のほうがやっぱり、すこぶる多いですねぇ、私はさきほどもうしあげた3分ぐらいでおわりますが、家内は2時間か1時間ほどしておるという、な感じですので、ま、この回数も、もう、うーん、やっぱり数えきれないんじゃないですかねぇ、でー、私のほうはですねぇ、その適時適時ですから、えー、だいたい、そうですね、それでも、うーん、20回は、やっぱ当然超えるんじゃないでしょうかね、適時適時のことですよ、はい、というふうに思います、それとあの、交渉の、いまの、ことですけども、いまあの、議員のかたにもお伝えしたんですけども、あの、近畿財務局とあの、航空局は、資料を持ってないんですよねぇ、で、あの、持ってないと、持ってないということが判明するわけですよ、ないと、ないんだったらどうにかせなあかんよなぁと、あの時期の、あの、立場変わっていただいたらわかるんですが、あの、私は急いでこの、工事しとかないかんと、工事の途中出てきたわけですからね、そうすると、資料がないということになってきましたら、我々が持ってる資料、手に入れる資料で対応せないかんと、いうことに当然なってくるわけですよ、ですから、あの、提供してくれないかということになったら提供するわけです、ただ、それがですねぇ、提供したときに、これ全部出しましたら8億円ぐらいなりますよと、これ全部撤去したら10億円なりますよというふうな、やはりあの、場所、土地の場所場所、そしてその深さによっても、やっぱ変わってくるわけですね、じゃあ、あの、どうされるんですかいうのは、全てやっぱ近畿財務局,航空局に、あのー、考えを当然、あのー、資格はむこうですので、ゆだねて、委ねさせていただく、ただ、あの、私たちのほうから、でもこれはあの、8億円ぐらい値引きですよねということについて、我々からサジェスチョンしたことは、ないと、いうことで、あります、
その、それまでその、ストライクゾーンの議論とかけっこう長い間ね、価格の、交渉してたのになぜ8億円の値引きは、そんなに財務省は、そのなんていうのかな、物分かりよくですねぇ、で資料は理事長側から提供したわけですよねぇ、これぐらいかかりますよって言ってまあ、ほぼ言い値でつけてるわけですよ、それなぜ、そうなったんです、誰がどう交渉してそうなったんですか、
えーっとですねぇ、そのー、あのー、3月の、えー、15日,16日に、生活ごみがでてまいりました時は、これはえらいこっちゃということですよねぇ、そうすると、私どものあのー、代理人弁護士は建築の弁護士、その専門家なんですねぇ、ですから、えー、当初はですねぇ、近財の、航空局のほうから、資料こんなんありませんかありませんかいうふうに仰って、まあ、2回ほどは現地にこられて、あーほんとですねぇということだったけども、あとは、じゃあ、これ資料は提供するんは良いけどと、ただ、その後はもう代理人弁護士とやってくれませんかと、いうことで、もう、してもらったと、いうことで、ございます、はい、
その代理人弁護士でちゃんと交渉してなぜ8億円も、すぐいきなり下がったんですか、短期間で、そこが分からないですよ我々、8億円なぜ、いきなり下がることになった、それまで、長いその、価格の交渉してるわけですよねぇ、生活ごみが出て、それで資料提供したとたんに、財務省は、はい、じゃあ8億円下げますってのを、数か月の間に判断するわけですけども、その期間に何があったんですか、
あのー、それはですねぇ、あのー、これこのまま、私どもの小学校を、ストップしますと、私のほうはですね、当然のことながら損害賠償を、やっぱ請求するわけです、もう損害賠償を請求するかどうかと、いうことの、選択があったんですが、あのー、私のほうはもう小学校開校を優先しましたもんですから、えー、そうしますと、えー、こちらの持ってる資料を、出すと、で、その、金額が、8億円ほど、えー、8億円下がったいうんは後でしったことですけど、私は1億3千万ですよということしか、当初は知りませんでしたけども、あのー、それはやはり、えー、なんというんですか、えー、タニさんを通じ、そして、あのー、理財室長、のほうとも、おー、コンタクトがとれですねぇ、そのあとも私ども行かしてもらって、でー、対応がきいていくと、あの録音テープの中身もよく確認して頂いたらわかりますように、ん、まあ、すーっと聞いていくと、なんとかいたしましょうかと、いうふうな感じに、取れるというふうに思いますから、そのように、方向が向いたんだろうと、いうふうに思てます、私はそのとき言いました、神風が吹いたなぁ、いうんは、まさにそのことやと、いうことであります、
関連で…、すいません、あの、その、えっと藤原工業、あとそのー、建築専門の弁護士の方もかかわってるんでしょうが、その出された資料ですね、出された資料の中には、そのー、一定の積算、これぐらいの廃棄物があるので、これをいろんな工事等をしてどけると、これぐらいの、あの、お金がかかりますよという一定の積算はあったという理解でよろしいですか、
それでいいと思います、
で、ぜひその資料、いただきたいと思うんですけども、どれぐらいのお値段、でしたでしょうね、ご記憶の範囲で、
いや、あのですねぇ、あのいろいろありましてですねぇ、A,A’,B,B’,C とあるんですよ、いろいろあるのよ、あの、とりかたがこんなんありますよということがありましてね、で、それについてどうするんだと、いうなことは、こちら資料提供するだけですから、あのー、その後の対応は、あの、お国のほうでしていただくと、いうことになるわけですねぇ、
すいません、えーっと、塚本幼稚園で、教育後援会、何度かいろんなかたを呼んでやられております、その際に、講師料,謝礼というものは、あの、通常払っていたのか、そしてまた安倍昭恵さんに対して、えー、謝礼,講師料、払っていたのか、その点について教えてください。
えーっと、教育後援会は、いろいろなあのー、方をお呼びしましてですねぇ、ま、百万円の場合もありましたら、50万円の場合も当然あります、ですねぇ、あのただ、安倍先生の場合はですねぇ、あのー、なんていうんですか、あのー、国会議員でもあられましたし、そのご婦人でもあられますので、当初の、おー、あいだ2回ほど
こんばんは俺です。
森友学園への国有地売却問題解明プロジェクトチーム(民進党)が行った、籠池泰典氏のヒアリングを文字起こしました。
なのでミスはあるとおもうです。
二次利用する人はそこんとこよろしくです(自分で確認してください)。
はい、えー、それでは、ただいまより、えー森友学園の、国有地売却問題解明PTを開催していただきたいと思います、
えー、では改めまして皆さんお疲れ様でございます、今井議員と共に共同座長を仰せつかっております参議院の川合でございます。本日のこの会議の趣旨は、既に皆様もご承知のとおり、ここへきて国有地の払い下げの手続きに関わる、近畿財務局の説明資料と、新たな証拠が出てきたということを受けての会議の開催ということでございます、本日は籠池前理事長にも、お越しいただきまして、直接皆様にご説明をいただけるということでございますので、この機会を設定させていただきました、あらためて、確認するまでもないことでございますが、私どもがやらせていただいておりますのは、事実の確認ということでございますので、その視点から、ぜひとも、議論深めていただきたいと思います、限られた時間ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
はい、あのー、お手元に資料が二つあると思いますけれども、ここ最近、近畿財務局からの説明資料という「今後の手続きについて」という、紙が出てまいりまして、それともうひとつ、田村室長との面談の時の、録音というのが出てまいりまして、いま国会でもこれが非常に、注目されておりますので、今日、1時半から、役所のほうとヒアリングをさせていただきたいと思いますが、両側から話を聞く必要があるということだと思いますので、今日はあの、籠池、当時の森友学園理事長に、お越しいただきまして、お話を伺いたいと思いますので、宜しくお願いしたいと思います。
どうも皆さんこんにちは、えー、貴重な時間を設けていただき、まことに有難うございます、あのー、まずもって、えー、皆さん方からのお話をうかがう前にですね、私ちょっと纏めてまいりましたので、えー、そのことを、ちょっと、お話させて頂きたいと思いますが、座らしていただいてよろしゅうございましょうか、はい、失礼します、えー、まずこの、はじめに、えー、この度、思いもかけず、民進党の方々のほうから、瑞穂の國記念小学院建設に伴う、土地取引、ならびに学校設置認可について、説明せよと、要請をお受けしました、私といたしましては、証人喚問でも申し上げました、あー、とおり、自分の反省すべきところは反省し、えー、自分の承知しておりますことは出来るかぎり、率直にお話を申し上げる方針には変わりはありませんので、えー、このご要請に応じ、出来るかぎり、議員の皆様方のご質問に誠実に、お答え致したいと考えております、えー、まず、あの、昭恵夫人との関係につきましては、えー、おそらく、あの、議員の皆様がた、につきましては、本日のご興味はですね、えー、先般明らかに致しました、私と、財務省の田村室長との会談の録音テープで、あろうかというふうに、思っております、えー、まずはあの会談に至るまでの経緯について、申し上げたいというふうに思っております、えー、瑞穂の國記念小学校の建設構想が、具体的に走り出しました直後の、平成24年の10月ごろ、まず真っ先に、この構想についてご相談申し上げたのは、あー、尊敬する安倍晋三首相のご婦人、安倍昭恵先生でございました。当時まだ、安倍晋三先生は、自民党総裁に返り咲かれる前でしたので、えー、安倍先生応援するためにも、ぜひ当園にお越しいただき、ご講演をいただければと思い、えー、安倍先生サイドと接触を図ったところ、おー、安倍昭恵夫人とお会いすることが出来まして、えー、その際、安倍晋三先生のご講演の依頼をすると同時に、えー、小学校建設構想についても、お話申し上げた、いうことでございます。
残念ながら、自民党総裁選挙等の影響で、安倍晋三先生のご講演はかないませんでしたけれども、その後、平成25年の9月に、財務省に対し、安倍晋三記念小学校として土地所得要望書提出すまでにも、おー、安倍昭恵夫人にも、小学校建設プロジェクトのす、進捗については、適時、ご報告を致しておりました。安倍晋三先生が総理に就任されたため、ご講演はかわな、叶わぬ、うー、だろうというふうに思っていましたところ、おー、思いがけずに、えー、安倍昭恵夫人からご講演をいただく運びとなりました。ま、平成26年の3月、講演の最終的なご依頼のため、昭恵夫人と、東京のホテルオークラでお会いすることになりまして、その席で、えー、昭恵夫人から、小学校建設、うー、運動について、えー、お話をし、主人にお伝え、えー、伝えますと、いうことを言っていただき、更には、何かすることはありますかと、までいっていただき、嬉しかったことを記憶しております。この際、昭恵夫人は、安倍事務所の秘書の方と、を帯同されておりましたので、当時の昭恵夫人のスケジュール等に関しましては、安倍事務所のほうに、ほうがお詳しかろうと存じます。また平成26年の4月、塚本幼稚園に昭恵夫人がご講演たまわった、あと、昭恵夫人を豊中の、おー、野田の、小学校建設用地にご案内申し上げました。この際、昭恵夫人が帯同されておられた秘書は、えー、コウタケさんと記憶しております。昭恵夫人には、小学校建設予定地をご視察たまわった際も、当然のことながら、財務省との交渉についてもご説明申し上げた次第でございます。その後、昭恵夫人には適時、財務省との交渉内容について、電話でご報告をしておりました。当時、私は、あの土地を、定期借地、定期契約にて借り受けたいと考えておりましたものですから、その交渉のため、半月に一度は、あー、もうちょっと多かったかわかりませんね、15日、十日間くらいに一度は近畿財務局に出向いておりました。昭恵夫人には、この交渉の都度、交渉の経緯などを報告申し上げて、えー、おった次第であります。また、当時の財務省の担当者、マエニシさんには、当時から私が交渉経緯を昭恵夫人に報告していることを、お伝えしておりましたので、財務省のほうも、このことは当然、認識しているものと思われます。それまで定借契約に難色を示しておりました財務省が、平成26年夏ごろ、えー、突然、定借での契約に前向きになってくれました。なぜ財務省が突然、態度を、おー、変えてくれたのか、私には知る由もありませんが、あの録音データの中で、タムラ室長が言う特例と言うのは、ま、このことを指していたのではないかと、いうふうに考えております。そのの、その後、財務省との賃料に関する値段交渉が始まり、財務省の統括官から、値段にはストライクゾーンがあると、ストライクゾーンは上と下がある、という話があり、高いほうは2,700万、低いほうは2,100万、という、具体的な、金額の提示が、ありましたので、低いほうにしてくれとお願いしたという経緯もございます。この、定期借地にむけた、けいし、えー、契約交渉についても、適時、安倍昭恵夫人にはご報告申し上げて、おりました。平成26年末、きんぶ、近畿財務局がその後の契約書の雛型を一式揃えた文書を提示してくれました。この時私は、この雛型とおり手続きをすすめば、土地取引はスムーズに動くであろうという、ということを感じ安堵いたしました。しかし、翌年、平成27年になりまして、建設予定地でゴミが、大量に発見されるにおよび、このゴミの場内埋め戻しを財務省が、建設業者に指示しているという話を聞くに及んで、土地の値段のことよりも、工期の遅れひいては開校の遅れが心配になり、近畿財務局のイケダさんに頼んで、財務省本省のタムラ室長の直通電話を教えて頂き、アポイントをとって、お会いする運びになりました。あ、失礼、しかしこの翌年というなことは、平成28年でございます。今般、問題となっておる録音データはその様子を録音したものです。この会談の後も、昭恵夫人には、交渉の推移を、適時、ご報告しておりました。昭恵夫人に、名誉校長にご就任いただいたのは、土地取引の交渉がまだ完全に終わる前でしたが、名誉校長就任後は、当然のことながら、業務の一環としてご報告を、続けた、次第で、ございます。結びに変えまして、録音データーの素性については概略以上のとおりであります。冒頭にも申し上げましたように、私は、私の承知しておりますところを包み隠さずお話申し上げる所存であります。証人喚問で、維新の会の、下地先生が仰ったように、大阪府にもたくさんの、梯子をかけていただきました。その御恩に報いるためにも、答えられる限り誠実にお答え申し上げる所存であります。どうぞご遠慮なくご質問いただきたいというふうに思っています。どうぞ、議員各位そして、メディアの皆様も、この問題を有耶無耶にしないように、しっかりと、解明のほど、よろしくお願い申し上げたいと思います。以上でございます。
ありがとうございました。それではあのー、ご質問を、承りたいと
えー、参議院議員の風間と申します。ご説明有難うございました。あのー、2点うかがいたいんですが、今の籠池さんの、おー、ご説明を聞いていますと、結局、総理夫人が、あの、今回の件で果たされた役割というのは、えー、この問題に関するコンサルタント的な役割、を果たされたと、結果として、えー、そういう印象があるんですけれども、えー、籠池さんは、あの、どのように受け止めてらっしゃいますでしょうか。それからもう1点。あの、稲田防衛大臣、に対する、籠池さんご夫妻の個人献金について、えー、お伺いをしたいんですが、あのー、私あの、収支報告、稲田さんの、入手しまして、えー、献金者の氏名を、調べておりましたところ、えー、籠池さんご夫妻を含んで、えー、数多くの、保守系文化人が、えー、献金をされていました。で、その中の何人かに、えー、ヒアリングを、しました。その結果、えー、自分は、あー、当時、稲田さんの、おー、後援会の役員を務めていたと、この役員のもとに、えー、稲田さん側から、えー、献金をして欲しいという、依頼の、手紙が、あー、来たので、それに応じて献金をしたと、こういう回答が得られました。で、お尋ねは、あのー、籠池さんは当時、稲田さんの、おー、後援会の役員、いー、をお勤めになったのかどうかと、この点、2点をお尋ねします。
えー、ではお答え致します。えー、安倍昭恵夫人がコンサルタント的な、えー、立場をさして、して、おられたかどうかと、いうことですけども、あのー、コンサルタントという、ことではなくてですねぇ、あのー、私の、おー、考えておること、ご説明申し上げて、えー、そして、それが、えー、まあ、どのような、状態になってるのかということをお知りいただいて、で、そして、えー、そのことを、おー、通じてですねぇ、えー、色々と、おー、各方面にわたって、えー、対応していただいて、いたのではないかと、いうふうに考えております。えー、稲田先生の、献金のことにつきましてはですねぇ、えー、私はあのー、役員はやっておりませんが、えー、麻生大臣がお越しなったときに、えー、私が麻生大臣の、おー、アテンド役という立場をいただきましてですね、えー、そこにずーっと付き添って、おる役をいただいたということは、あります。それでよろしゅうございましょうか。
2点お伺いいたします。えー、先ほど、おー、昭恵夫人には、ま、適宜、ご報告を、されていたと、おー、いうことでした。あのー、多い時には10日に1ぺんぐらい、その財務、うー、局に行くというお話でしたが、あのー、例のあの、おー、タニサエコさんのFAXの返答、等の場合などは、まあ単なるご報告にとどまらず、ま、お願いということで、具体的に動いていただいたということだと思うんです。そのように、具体的に何か、あのー、動いていただいた、あー、ということは、あー、この、その、先般の、おー、FAXで返答があった例の件以外にもあるのかどうか、これを1点お伺いしたいんです。えー、もう1点はですね、えー、昭恵、えー、夫人が、えー、名誉校長をお辞めになった時の話ですが、えー、ご家族のツイッターだったと思いますが、その退任のときの、そのご連絡が、昭恵夫人ご本人ではなく安倍晋三事務所から、あー、きた、あるいは、そのー、ま、退任させてくれ、ホームページから削除してほしいということが、自民党の国会議員から来たというような、あのー、ことが、ちょっとあったと思うんですが、そこらへんの事実関係をお伺いできますでしょうか。
参議院の白眞勲と申します、今日は有難うございます、えーっとー、今の宮崎さん、との話と同じなんですけど、あのー、この前あのー、予算委員会において、えー、籠池さんから、この、今ここに議事録あるですけども、平成27年10月の、おー、ことです「留守番でしたのでメッセージを残しました。すると後日、内閣総理大臣婦人付きのタニサエコさんというかたがご連絡をいただき、なかなか難しいとのお返事をいただきました」というお答えをされてるんで、あのー、その時、ご証言をされてるんですけども、その、普通、メッセージってそんな長くは、なかなか、残せないんじゃないかと私は思うんですね、ですから、それに対してはたぶんお電話を頂きたいみたいな話が、をされて、それに対してタニさんからお電話、ふつう来たのかなと私は勝手に想像したわけなんですね、それで、それに対して、なお、たぶん籠池さんのほうがご説明されたらちょっとそれじゃなかなか難しい、あのー、話がよく分かりにくいので、えー、ということで、えー、お手紙を、このー、具体的なお手紙を、それはコピーいただ、みましたけど、そういう経緯がここにあったんではないのかなと私は、こう、勝手に推測したんですけども、そのへんをもう少し詳しくお話いただければありがたいというふうに思います。以上です。
えー、順番にお答えいたします。えーっと、10日に1回、安倍、昭恵、夫人のほうに連絡したというんではなくて、私が、近畿財務局に行っておりましたは、えー、10日に1回くらい、えー、でありますと、えー、ですからその、報告を、せないかんなぁと言う時は、適時考えてやっておったと言うことであります。えー、それと、タニさん、のこと、えー、えーっと、タニさんのことですか、えー、タニさんのことですねぇ、はいはいはい、そうですねぇ、えー、当然ですねぇ、えーっと、平成にじゅうー、うー、ろく年、に、の4月に、えー、初めて、学園に、ご講演に、お越しいただきました時に、えー、もう、そのまま、学園の野田町の、えー、小学校建設用地までご案内いたしました。で、そのなかでですね、あのー、これ学園なんですよって、この土地のところで、えー、小学校建設させていただきたいと、それについては今、このような状態で、えー、近畿財務局と対応しておりますがなかなか難しいですと、うん、ということをお話しまして、そうすると、あのー、なにかすることはないですかと、いうことでありました、ですから、えー、その時に具体的に何をと、いうのは、もうこれなかなかー、もう前に進まないんでと、いうことの状況と、早くあのー、これは、えー、工事を、していきたいということでありましたので、それは心の中に留めていただいたと、その後、どのように動いていただいたか、ちょっと私は具体的には触れませんけども、しております。で、その後、えー、それぞれですねぇ、えー、難局に、あの差し掛かりました時は、こういうことがあるんですああいうことがあるんですということは、電話で、えー、対応さしていただいておったと、いうことであります、また、私だけではなくて、やはりあのー、家内のほうからですねぇ、あの女性同士ですから、えー、私はもうたかだか2~3分で終わる話ですが、家内の場合でしたら1時間2時間ほど、携帯電話で話をしておりますので、その中で、いまの状況についてはこうなんです、ああなんです、という話は、あの、必ず入って、おりました、はい、でー、それと、えー、あっ、それは今のでよろしゅございますか、はい、えー、それと、あー、めー、名誉校長を、退かれたとき、えー、平成29年の、おー、2月の23日、えー、これは、安倍事務所、えー、国会の中、国会というか議員事務所、議員会館の中の、えー、国会、えー、議員事務所の中から、発信されました、えー、FAXが、届いておりました、えー、そこに、あのー、私に対しては23日、えー、ちょうど、えー、財務省の、えー、理財局長のほうから、身を隠しといてくださいということでありましたので、えー、身を隠しておりました、23日の、えー、昼過ぎでしたかね、ハツムラさんという、秘書のほうから、連絡がありまして、えー、非常にコワモテの声で、えー、もう降ろせと、えー、いうなことでありました。えー、FAX流してるから、流しとくんで、今日中に、えー、顔写真全て外せと、いうことでございましたので、そのようにしたと、いうことで、ございます、えー、FAXの、番号のほうは、全て私どもの、FAX、うー、機ののなかの、おー、えー、記録器に残っておりますので、これは確かなもんであろうと、いうふうに、思っております、えー、それとタニさん、それはよろしゅございますか、
国会議員のかたが、あの、きてお願いされたというのは、それは、ちがう
あ、えーと国会議員の方は、来られました、えー、それは、えー、2月の21日、えー、国会、えー、なんていうんですかね、あのー、国会の、運営委員か、ていうんですか?えっ?国対、国対、あのー、副委員長で、えー、あられるですね、えー、豊中市選出の、大塚たかし議員が、えー、その前日の、日曜日に、秘書の方と来られたんですが、私ちょっと留守しておりまして、お会いできません、ですから、その次の日に、あの秘書の方が来られましてですねぇ、えー、昨日は、えー、当人と来たんだけどもと、いうことで内容は、いまこのような国会を、おー、騒がしてるので、えー、なんとか、安倍昭恵夫人の、おー、写真を外してほしいと、いう、お願いでしたけども、ちょっとそれはなかなかできにくいですねぇというふうなご回答をして、お帰り頂いたと、いうことでございます。それでよろしいでしょうか、それで、はい、それと、タニさんのことでございますけど、これはですね、えー、安倍昭恵夫人が、えー、まあ外遊されてたんだと思うんですが、そこの、おー、ところにむかって私が電話をさしていただきました、えー、電話さしていただきまして、あの、すぐに、えー、ちょっとこう、急ぎますのでと、いうなことを、まあ、入れておりましたんで、えー、昭恵夫人のほうからきっと、あの、タニさんに連絡がすぐいったんだと思いますが、すぐに、あのー、タニさんのほうから連絡をいただきましてですね、えー、お急ぎのようだから、えー、どういうことなのかお聞きしてほしいと、いうこと、だったわけですねぇ。ですから私は、電話でそのことは、一応お伝えしたんですが、あのー、タニさんのほうから、えー、これはもう大切なことなんで、あの、きちっと文書にして、したためて、出してほしいということでしたので、私のきたない字でしたけども、書きまして、で、えー郵送さしていただいたと、いう経緯でございます、はい、はい、そいでよろしいでしょうか、はい、
えー、衆議院議員の辻元です、えー、昭恵夫人にですねぇ、えー、ご報告をされたり、お願いをした折にですねぇ、えー、昭恵夫人のほうから、例えばですねぇ、じゃあその件は財務省にちょっと聞いたげるわとか、そういうことはなかったかどうか、それから、えー、証人喚問の折にですねぇ、えー、稲田朋美、いー、防衛大臣の、夫の弁護士の方が、の事務所で、えー、近畿財務局等と打ち合わせをしたと、いうご証言をされたんですが、これは1回だけなのか、稲田朋美大臣の、夫の弁護士さんに、どういうお話をそのときに、お願いしてたのか、それから、橋下徹知事、えー、松井知事の前は橋下徹知事だったわけですが、えー、維新等に対してですね、えー、どういうお願い等をして、橋下徹、えー、知事の直接のコミットメントはないのか、で最後に、加計学園という、うー、学校法人があるんですが、この理事長とはお知り合いかどうか、えー、お願いします。
はい、えー、では、あのー、えー、先に、安倍昭恵夫人に私どもがお話さしていただいたときに、じゃあここに、連絡したらいいわねって、えー、いうのは、例えば、あのー、私が加計学園の、、に行きたいんで、ちょっと、あのー、連絡を取って頂きたいと、いうなことでしたらすぐ連絡は、とって、いただくことができたり、でー、まあ、あのー、財務省に云々と、あー、いうことは、えー、具体的にじゃあ連絡しますということは、ありませんでしたけれども、えー、まあ、なんというんですかね、まあ、聞き置いて、そして、それを、まったく、聞いただけで無視をする、うー、というようなことでは、なかったように、えー、感じております、はい、えーっと、それと、えー、稲田龍二先生の事務所には、1回だけ行かしてあーっと、いまご質問の趣旨で言いますと、えー、私どもの顧問弁護士だったころと、は別にしましてですねぇ、最近は、近畿財務局と、そして航空局の職員を伴って、一度、行かして、いただきました。その内容につきましてはですね、えー、先に、えー、有害物資を出しましたときの、おー、こちらのほうが、えー、立替払いしておりました金額について、えー、まだまだ返してくれないので、なんとか、これ、ならないですかね、と、いうふうなご相談をさしていただいたと、いうことで、ございます、えー、それと、えー橋下知事、いー、そして松井知事、のこの時期ですが、んー、まあ、私も、あのー、大阪在住でありますんで、えー、まあけっして、えー、維新系の府会議員の方とか、それとか市会議員のかたとか、また現職の国会議員のかたとか知らないかたは、あの、まあまあ、知っておるかたは多少いらっしゃるわけですけども、えー、この、維新のこのことにつきましてはですねぇ、当時、あのー、維新は、あー、平沼先生の、おー、直轄下に、いたときがありますね、でー、その時に、この我々の、小学校はですね、やはりあのー、平沼先生がですねぇ、あのー、もう素晴らしい学校だからというふうな、添え状も頂いて、私は意気揚々と、あのー、東京に行って帰った、あー、記憶があるわけですけども、やはり、あの、その時期に、えー、平沼先生の、はああいうご実直なかたでございまして、立派な方でございますので、まあどのような経緯で、えー、松井さん、あるいは橋本さんのほうに、口添えをしていただいたのかわかりませんが、えー、あのー、党が同じだったときはですねぇ、やはりあの、ある程度の、事柄については、えー、お声をかけていただいておったんではないかなぁというふうに、思っております、えー、それと、加計学園につきましては、今先ほどもうしあげた、とおりでありますが、あのー、すぐに連絡をとっていただきましてですね、インターナショナルスクール、これは西宮にありますが、これはあのー、すぐに行かしていただきました、そして、えっと、広島にあります小学校、のほうにもですね、えー、連絡をとって頂きましてですね、えー、私の、と事務局のほうが、すぐに行かしていただきまして、むこうの事務局の方と合わしていただいたということでございます、ただ、あのー、仰っていただいております、理事長との面識は、ございません、はい、よろしゅうございましょうか、はい。
えー、あの、有難うございます。参議院の杉尾と申します。えー、1点伺いたいのがですね、いまちょっと、ばーっとあのー、おー、このテープ起こしの、おー、スクリットを見さしていただいたんですけれども、例えば、えー、あのー、二つ目のですねぇ、えー、ホッチキスで閉じられてる例えば7ページのところに「昭恵夫人のほうからも、たしかここも聞いてもらったこ Permalink | 記事への反応(0) | 19:54
道筋が欲しいとのことだったので。
あなたにMS OfficeなどのいわゆるOAスキルがあるのなら、地方に移住してみるのはどうか。
地方の、特に中規模な製造業などではOAスキルを持った人材が足りていない印象があるので、あなたの年齢(45歳前後を想定している)でも滑りこめるかもしれない。VBAどころか、エクセルの関数使えるだけで持て囃される。欲を言えばバッチファイルが組めたりするとなお良いが、これは滑り込んだその後の勉強でも間に合う。
製造の現場では検査項目の入力やら在庫の管理やら生産管理やらにPCが使われているのに、肝心の作業者たちがPCのことをまるで分かっていないので、驚くほど非効率なやり方が罷り通っていたりする。現場のことも分かる、PCのことも分かる。そんな人材が工場に数人いれば、冗談でなく日本の工場の生産性は3割上がるだろう。
PCを使わなくなった時のことは知らん。でも技術的なブレークスルーが無い限り、当面PCは現場に居座る。
あなたのようにPCリテラシーのある人間(このような長文はPCで書くだろうというあくまで憶測だが)が仕事にあぶれて嘆く姿は、需要と供給のマッチングがうまくいっていないことの証左だ。
出るところに出れば仕事は必ずある。
最近はてぶ見てても就職氷河期を扱ったネタをほとんど見なくなった。たまに見かけるとしたら俺らより若い世代の就職関連の記事のブコメに就職氷河期世代の恨み節とか、切り込み隊長とかが書いてる高齢者介護ネタで「あと10年、20年もしたら非正規の就職氷河期も加わるぞー!!もう日本は終わりだー!!」なんてネタだけ。もう就職氷河期世代をどうやって安定させた仕事につかせるかみたいな話はめっきり見なくなった。
さじ投げられちゃったんだろうね、俺たち。政府のおエラさんにも学者さんにもブロガーさんにも。いろいろ議論して考えたけど、こいつらを救済する妙案も資金もないわって。この前若い頃に見た「トレインスポッティング」って映画の続編がやってたから見たんだけど、若い頃にまともな職につかずドラッグばっかやってた連中が40代になっても相変わらずまともな職つけずにプラプラダラダラしてるって話だった。なんだドラッグしてないだけ俺らのほうがマシだけど、日本以外にも俺らみたいな救いようのない連中っているんだ。世界ってこういうもんなんだな。
たまにブコメで就職氷河期世代っぽい人らが「俺らが就職氷河期で非正規しか仕事できなかったのは政府と財界が原因。だからあいつらは俺らの生活の世話するのは当然の義務だ!みたいに盛り上がっている人いるじゃん?気持ちはすげーわかるんだけど、少なくても俺がほしいのはそういうんじゃないんだよ。俺は「誇り」が欲しいんだよ。今更同世代でうまく正社員になって高給もらってる連中並の収入やキャリアが欲しいとはいわないよ。でもパートや派遣みたくすぐに代用が聞くような仕事じゃなくて、ちゃんと周りから頼られてこれからも頑張れば次があるんだって思える仕事がしたい。まっとうな自己肯定感がほしい。それだけなんだよ。たぶんそれが難しいんだろうけどさ。
努力が必要なのはわかってる。でも何をどう努力したらいいのかわからない。今思えば学生時代は楽だったよな。ちゃんとテストの範囲が決めれれて、範囲内の勉強さえしてれば結果が出せたんだから。中途半端な資格をいくつ取ったって正社員になれないのはわかってるよ。でも他にどうしろっていうんだ?正社員の仕事の条件が「関連業界の正社員勤務経験3年」とかが必衰になっている。正社員経験のない奴はどうやってこれパスすんだよ?
きっと仕事できる奴からしたら「努力の方向が間違ってる」とか「一から十まで道筋示さないと何もできないやつなんて使えない」なんて思われているんだろうな。でも本当に何をしたらいいかわからないんだ。甘えだって笑ってもいいからせめて「○○と○○と○○の資格があったら3ヶ月契約社員。無事にパスしたら正社員」みたいな道筋をくれよ。
まぁ企業からしたらそんな面倒な手順を用意して覚えの悪い中年を雇うより若い新卒雇ったほうが効率的なんだろうな。
海外だったら俺らみたいな中年失業者でも団結してデモ行進して堂々と政府に文句いっているぞとか聞くけど、俺はそんなのしたくないんだ。チャンスがほしいんだ。ちゃんと何年か努力したら親や周りにも堂々と説明できる仕事につけるチャンスがほしいんだよ。
何もしないで生活保護で生きながらえるだけの人生なんて嫌だ。ちゃんと自分を誇りに思える仕事がしたいんだよ。
追記:どうせ「甘え」だの「自己責任」だと叩かれるだろうと思ってたからブコメの内容も予想範囲内だったわ。「なんで連帯してデモないの?」っていうけど、デモしたらしたで今度は「デモやってる暇あればスキル磨いて仕事探せよ」「そんな甘えだからまともな仕事に就けないんだよ」って手のひら返して叩かれるの確実なのに何言ってんだ感。それにちょっと前に安保改正反対でそれこそ国会前に10万人単位のデモが行われても(デモの内容に賛成かどうかは別として)デモ主催者の連中が散々叩かれただけで結局何も変わらなかった。あの惨状を見たあとで俺ら就職氷河期世代が集まってデモして何が変わるんだよ。
あと看護の仕事すすめてくれた人。ごめん、もう経験済みなんだ。30代前半に資格とって何年かがんばってみたけど、じいさんばあさんの体を支えてたりして腰をヘルニアで傷めちゃってね。今もだましだまし生活してるけどもう腰に負担のかかる仕事はできないんだ。
俺の過去の経歴を馬鹿正直に書く気もおきない。俺だって「あの時こうしていれば」って思う経験はいくらでもある。それに毎回「それが原因だろ」だの「やっぱ自己責任じゃん」とか言われて対応するのにも疲れたし、そもそもこういう捻くれたニヒリズムっぽい対応で「だからまともな仕事に就けないんだよ」ってなるし、叩く奴は何言っても叩くからもう面倒くさすぎるんだよ。
それでもこうやって声をあげたのは、誰かが定期的に就職氷河期のことを書いていかないと本当に忘れられるんじゃないかって思ったからだよ。介護やら保育所やらベビーカー問題やら共謀罪やら他の問題がクローズアップされて、むしろどんどんひどくなる一方なのに俺らの問題がどんどん優先度が低くなっているのが日に日に伝わってくる。
同世代で他の連中はちゃんと活躍してるのに俺だけこんな境遇だったら「自己責任」って言われてもぐうの音もでないけど、俺と同じように泥水すすって苦しんでいる連中が数十万人単位でいるのにそれ全部「甘え」「自己責任」で片付けるとか安易すぎだろ。
俺と同じ世代で必死に生きてる連中のコメ本当にうれしかったよ。ありがとう。俺もこんな愚痴ばっかだけど、それでも安楽死したいとかは思ってない。なんとかささやかな幸せ見つけて、それを糧にこれからもがんばろうぜ。
「Ubuntu」とは、「他者への思いやり」のことです。この単語自体が、人間としての精神を体現しています。
我々は、生産的で、幸福で、複雑な領域における新しい発想を歓迎できる柔軟性を持ち、また、あらゆるプロセスを常に改善し、さらに、各々が全く異なる要求や関心、能力を持つグループの間の協力を促進するコミュニティを希求します。
我々は、メンバーの多様性によってコミュニティを強靱なものにするために、多様な参加者を活発に探します。このUbuntu行動規範は、多様なグループがお互いの利益と喜びのために協調することを確実にするために存在しています。我々は、誰であっても、プロジェクトへの参加に障害がないよう努力します。
行動規範は一般的に、公的であれ私的であれ、我々がどのように振る舞うべきかを統率します。我々は、プロジェクトの代表者(公式・非公式を問わず)、関係者、そして直接の参加者が、このUbuntu行動規範を尊重することを望みます。
我々は、下記に真剣に努めなければなりません。
我々の成果物は他者によって使われるでしょうし、また逆に他者の成果物にも依存しています。いかなる決定であっても、利用者や関係者に影響を与えることを頭に置いて、決定をするときにはそのことを考慮する必要があります。
意見に相違があるからといって、無礼な振る舞いをとってはいけません。衝突を解決するために協働し、他者が善意で行動していると仮定し、親身になるよう努力しなければなりません。苛立ちが個人攻撃に発展することがあってはなりません。不快感を覚えたり脅威を感じるコミュニティは、生産的ではありません。
間違いを犯すことは誰にでもあります。そのときには、責任を取らなければなりません。もし誰かが傷つけられたり攻撃されたときには、注意深く、そして思いやりを持って意見を聞き、間違いを正すよう行動しなければなりません。
我々が作り上げようとしているものは複雑で、それぞれに想いが込められたたくさんのパーツでできています。各々が違ったゴールとビジョンを持つチームの間での協調は不可欠です。ただのパーツの組み合わせ以上の成果物を作り上げるには、各々のパーツが全体を理解するよう努力しなければなりません。
協調して取り組むことで、冗長な作業を減らし、品質の向上につなげることができます。プロジェクトの内外を問わず、協調することは大切です。可能な限り、アップストリームのプロジェクトと共同で作業し、フリーソフトウェアのコミュニティと協調することが必要です。透明性を確保し、その作業に関心を持つ人とはなるべく早期から協働するのが良いでしょう。
社会的な、あるいは技術的な意見の不一致はよくあることです。しかし、意見をまとめずそのままにしたり、何を合意したのかを不明確なままにして他の人を悩ませることがあってはなりません。
プロジェクトの参加者は、意見の不一致を建設的に解決することが期待されています。もしも合意に至らなければ、あらかじめ決められたリーダーに仲裁を依頼し、透明性 (clarity) と指示を求めます。
誰であっても、完璧であることを求められてはいません。誰かに質問することは、後で発生するであろう問題を回避できるので推奨されます。ただし、適切な場所で質問してください。質問を受けた人はすぐに反応し、手助けしてあげてください。
プロジェクトを離れるときには、与える混乱を最小限にするよう動くことが求められます。プロジェクトから離れることを他の人たちに伝えて、離れる人が作業を中断した地点からほかの人たちが再開できるようにしてください。
我々は、実例と議論と行動によって動かされます。新しく参加した人は、もしプロジェクトの改善につながる新しい考えがあれば、ぜひ人々を率いて、行動を起こしてください。リーダーシップは、行動を起こすことだけで誰でも実践できます。その機会があれば、誰かの許可を待つ必要はありません。
プロジェクトに関する責任は「慈悲深い独裁者」を頂点として、そこから特定の範囲について責任と権限を委任されたコミュニティ・カウンシル、その下にいるチームや委員会 (councils) 、個人に委任されていきます。コミュニティ・カウンシルまたはその代表者が、争いごとの解決を行います。
我々は実力主義に基づいて、意思決定や統率、リーダーシップを、長く参加している人から、能力があって関心の高い候補者に委任していきます。
評議会 (boards) や委員会 (councils) への任命は、コミュニティ・カウンシルが決定権を持ちます。ただし、事前にコミュニティに対してインプットを求めるものとします。
リーダーシップは、表彰や権利や肩書きではありません。リーダーシップは権限であり、そこには責任が生まれます。リーダーシップはコミュニティから委任されたものです。リーダーの権限は、委任するコミュニティから支持されている間だけ得られるものです。
我々は何かものごとを決める前に、意見やデータ、関係者からの意見表明を集めます。リーダーの役割として、チームが決定を遅滞なく行う手伝いをし、ガイダンスを与え、合意に至らなかったときに決定をし、決定の実施に責任を持つことが期待されています。
何かを決めないことには、先に進めません。明確な指示には価値があります。ときには、データが足りなかったり、合意が得られがたいこともあるでしょう。それでも、何らかの決定を下さなければなりません。いつでも完璧な決定を下せる保証などないのです。決定を先延ばしにするより、失敗して、失敗に学び、将来の役に立てることが大切です。
我々は、問題をより把握しているチームを信頼して決定を下してもらうことで、プロジェクトはよりよいものになると認識しています。もし決定に不満があれば、それを下したチームと調整します。調整が付かなければ、その決定についてレビューする統治機構 (governance structure) があります。つまるところ、責任を持つ人が決定を下し、それがプロジェクトの統治 (project governance) に支持されていれば、その決定は有効であるとします。我々はある決定について納得しないこともあるかもしれませんが、それでもプロジェクトを信用し、たとえ内心では違うほうがよいと思っていたとしても、プロジェクトとしてその決定が実施されることを支援します。
誰であっても、どの組織に所属していようとも、どのようにプロジェクトに関わろうとも、我々は参加を歓迎します。コミュニティは開かれたものであり、能力や適性を持っていることを示せれば、職責を負うことができます。
「名演奏家はその演奏によって評価され、リーダーはチームの行動で評価される」リーダーは、行動すべき・身を引くべきときを知っています。チームは、リーダーに権限を渡したりそれを取り戻すべきときを知っています。
良きリーダーはスポットライトを浴びようとせず、他のメンバーの活躍をたたえます。リーダーはチームメンバーの中で目立つ存在でしょうが、良きリーダーはその注目を他のメンバーの優れた活動に対してスポットを当てるために使います。
リーダーはときに、理解されず、合意に基づかず、一般的ではない冒険的な決断を下す必要があります。我々は、完全な合意を得るよりも物事を進めることを優先し、勇敢にもそのような決定を下すことを評価します。とはいえ、冒険的な決断には十分な検討が必要です。ある人にとっては頭の痛いことになるかもしれないことを肝に銘じ、影響を抑えるようにしなければなりません。変更について、その理由を明確にして、そして早めにコミュニケーションをとることは、その変更を実施するのと同じくらい重要です。
もしもリーダーが自身の雇用関係や他のプロジェクトとの関わりによって利益相反状態になっている場合には、それに気がつくことが期待されています。そして、私利私欲のためとみなされることのないよう、棄権したり決定を誰かにゆだねたりすることが期待されています。リーダーに限らず全てのプロジェクトメンバーにも、私利私欲のためではなく、ユーザーの暮らしをよりよくするために決定を下すことが期待されています。
もしも利益相反が疑われる場合には、誰かにセカンドオピニオンを求めてください。利益相反状態にあることを明らかにすることが、解決への道筋にとって重要です。リーダーは、たとえ一般的ではない、あるいは特定のグループに有利・不利となるように思われるものであっても、決定が信用できるものとなるよう行動すべきです。
このUbuntu行動規範は、網羅的でも、完全なものでもありません。ルールブックでもありません。協調的で共用の環境 (a collaborative, shared environment) とゴールに関する、我々にとっての共通の理解を引き出すためのものです。
このUbuntu行動規範は、クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植ライセンスのもと配布されます。あなた自身のプロジェクトにこれを再利用することができます。また、好きなように改変することもできますが、あなたの改変を他の人が利用することも許可し、Ubuntuプロジェクトの著作権表示を付けるようにしてください。
全国でも異例で、同性愛者の権利向上において、大きな前進であると思います
今後こういった例は、増えていくことでしょう
でも、これについての反響を眺めていて、これはあってはならないだろうという論調を見ました
それは、差別をなくそうとする側による「例え男性カップルが親であろうと、それが原因で子供がいじめられたりはしない、それが原因で不幸にはならない」そういう類の論調です
人格の発展途上である子供において、少数者への差別は本当に容易に発生します
倫理観の未成熟な子供たちの社会において「みんなと違うこと」が、からかいの対象にならないことは、私はそれこそありえないと思います
きっと「両親が二人とも同姓」、というのは虐めやからかいの原因のひとつになるでしょう
中学生になり、性の知識なども増えてくると、からかいとは言えないような、悪意をもった差別、暴言だって飛んでくるかもしれません
もちろんそれを跳ねのけられるような強い子供もいることでしょう
でも、残念なことに跳ねのけられずに心に傷を作ってしまう子供や、心に壁を作り、仲の良い友人にすら言うことのできない秘密を作ってしまう子供がいるだろうことから、目を逸らすべきではないと思います
話は逸れますが、私の親は統合失調症という障害を持っていて、いわゆる世間一般で言う「キチガイ」というイメージそのままの人でした
友人にはもちろんそのことは言えませんし、今でも「この人は成熟した人格を持っている」そう判断できる少数の人に、必要であれば伝える程度しかしていません
誰にも言えない秘密というのは、子供の時、特にそれについて悩み落ち込んでいるときには、大きな精神的孤独感を生みます
精神的孤独感というのは、幸福の対極にあるものだと、私は思っています
話を戻します
ですが、私はあくまでも、同性愛者が子供をもつことに反対しているわけではありません
なぜなら、同性愛者はどこにでもいる人たちであって、今成長途中にある子供たち自身が同性愛者として、将来同姓愛者に対する差別に悩むことになるかもしれないからです
同姓愛者であっても、子供をもって周りとなんら変わらず幸福な家庭を築くことができる、そういう道筋を示すことは、建前としてではなく、本当により多くの人々が幸福になるために、進めていくべき社会の義務だと、私は思っています
「子供はいじめられない」「子供は不幸にはならない」そんな現実を直視できていない論調が多いようでは、差別を受けるであろう子供を守れないからです
いじめやからかいの対象になんてならない、LGBTの両親だとしても子供は不幸な目になんてあわない、と目を逸らすのではなく
社会の過渡期において、差別が原因でいじめられてしまうだろう子供の権利の保護や、子供が不幸になってしまう要因をどうしたら排除していけるのかという議論を深めていく、それが正しい差別をなくすための道筋なのだと、私は思います
差別があるから現状を変えようという人たちが、差別によって起きるだろう不幸の存在を否定してはいけない
差別がある現状で、その差別によって子供が不幸になる可能性を、少数者の側が否定してはいけない
「存在しない」そう認識している人に対して、対策を立てることはできないのですから
子供が「両親が同性愛者である」ということが原因で生まれる悩みや差別について相談できるような窓口を作ったり、それを広く子供でも知れるような形で周知していったり
そういったことは、「両親が同性愛者であることが原因で、子供が差別を受ける可能性がある」そう認識し、危機感をもっていなければできません
念のためにもう一度言いますが、同姓愛者でも子供を持ち、幸福な家庭をもつことができるという認識を社会が共有できることは、前述した通り、とても意義のあることです
ですが、できることなら、誰も不幸にならないように
一昨年,大学院入試に失敗して,妥協して別の大学院に入学した.
それでも憧れの研究者になるために博士課程に行こうと思って,勉強も研究もそこそこにやったつもりだった.
先日,飲み会にて指導教員と話した際に以下のような指摘を頂いた.
「本当に博士課程に行こうと思っているの?」
「考え直してみたら」
「君のやりたいことは博士じゃなくてもできるよ」
衝撃的でもあった半面,確かにそうかもしれないと感じる一面もあった.
今考えると,周りから研究者に向いてるよとか,前の大学で先生から研究者やらないか,なんてことを言われて流されてここまできたように感じる.
僕は何がやりたいんだろう.