全国でも異例で、同性愛者の権利向上において、大きな前進であると思います
今後こういった例は、増えていくことでしょう
でも、これについての反響を眺めていて、これはあってはならないだろうという論調を見ました
それは、差別をなくそうとする側による「例え男性カップルが親であろうと、それが原因で子供がいじめられたりはしない、それが原因で不幸にはならない」そういう類の論調です
人格の発展途上である子供において、少数者への差別は本当に容易に発生します
倫理観の未成熟な子供たちの社会において「みんなと違うこと」が、からかいの対象にならないことは、私はそれこそありえないと思います
きっと「両親が二人とも同姓」、というのは虐めやからかいの原因のひとつになるでしょう
中学生になり、性の知識なども増えてくると、からかいとは言えないような、悪意をもった差別、暴言だって飛んでくるかもしれません
もちろんそれを跳ねのけられるような強い子供もいることでしょう
でも、残念なことに跳ねのけられずに心に傷を作ってしまう子供や、心に壁を作り、仲の良い友人にすら言うことのできない秘密を作ってしまう子供がいるだろうことから、目を逸らすべきではないと思います
話は逸れますが、私の親は統合失調症という障害を持っていて、いわゆる世間一般で言う「キチガイ」というイメージそのままの人でした
友人にはもちろんそのことは言えませんし、今でも「この人は成熟した人格を持っている」そう判断できる少数の人に、必要であれば伝える程度しかしていません
誰にも言えない秘密というのは、子供の時、特にそれについて悩み落ち込んでいるときには、大きな精神的孤独感を生みます
精神的孤独感というのは、幸福の対極にあるものだと、私は思っています
話を戻します
ですが、私はあくまでも、同性愛者が子供をもつことに反対しているわけではありません
なぜなら、同性愛者はどこにでもいる人たちであって、今成長途中にある子供たち自身が同性愛者として、将来同姓愛者に対する差別に悩むことになるかもしれないからです
同姓愛者であっても、子供をもって周りとなんら変わらず幸福な家庭を築くことができる、そういう道筋を示すことは、建前としてではなく、本当により多くの人々が幸福になるために、進めていくべき社会の義務だと、私は思っています
「子供はいじめられない」「子供は不幸にはならない」そんな現実を直視できていない論調が多いようでは、差別を受けるであろう子供を守れないからです
いじめやからかいの対象になんてならない、LGBTの両親だとしても子供は不幸な目になんてあわない、と目を逸らすのではなく
社会の過渡期において、差別が原因でいじめられてしまうだろう子供の権利の保護や、子供が不幸になってしまう要因をどうしたら排除していけるのかという議論を深めていく、それが正しい差別をなくすための道筋なのだと、私は思います
差別があるから現状を変えようという人たちが、差別によって起きるだろう不幸の存在を否定してはいけない
差別がある現状で、その差別によって子供が不幸になる可能性を、少数者の側が否定してはいけない
「存在しない」そう認識している人に対して、対策を立てることはできないのですから
子供が「両親が同性愛者である」ということが原因で生まれる悩みや差別について相談できるような窓口を作ったり、それを広く子供でも知れるような形で周知していったり
そういったことは、「両親が同性愛者であることが原因で、子供が差別を受ける可能性がある」そう認識し、危機感をもっていなければできません
念のためにもう一度言いますが、同姓愛者でも子供を持ち、幸福な家庭をもつことができるという認識を社会が共有できることは、前述した通り、とても意義のあることです
ですが、できることなら、誰も不幸にならないように