インターネットで多くの人が多くの人と短時間の意思疎通をするようになった。
それを見てて、世界がひとつになって平和になるなんて幻想も甚だしい、なと思う。
こう思う前にも無理だなって感じてたけど、その感覚は今と比べて実に甘っちょろかった。
母語が違うからその垣根を越えるのは相当難があると感じてたんだ。
でも、それって翻訳機能が向上すればいずれ解決される話でしょ。
話が通じさえすればなんとかなるって言うなんの根拠もない仮定を前提にしている。
話が通じるのと分かり合うのは全くの別問題なんだよな。
例えばだけど、Twitterって日本のアクティブなユーザー数が4000万人らしい。
仮に全員が140文字という短文で言いたいことを的確に言ってのけられる志賀直哉のような人ばっかりで、かつそれを5分10分で書き上げられるとして、特定のAさんが全員と交信できるのにかかる時間って333万時間かかるんでしょ?
僕はあほやから計算合ってるか知らないけど380年ぐらいになるんかな? 死ぬでしょ。
分かり合ううちに死ぬでしょ。
だから、解決の道筋として最初から間違っていて、マス対マスだと分かり合うとか話すとか持ち出した時点でデスゲームなわけでしょ?
リーダー対リーダーとかある程度束ねられていれば成り立つのが話し合いだと思うけど、日本って絶賛個人主義営業中なわけで。
分かり合えるはずがないじゃなくて、分かり合うには人間の一生は短すぎる。