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はてなキーワード: 近代国家とは

2017-08-13

https://anond.hatelabo.jp/20170813013829

風船で抜いてる奴と同じく、無視するしかない存在じゃねーか?

風船で抜くのは内心の問題で、誰にも害を及ぼさないか放置していて構わない。児ポは内心の問題だが、製造過程児童危害が加わるからその行為を取り除くべき、というのが児ポ規制の建前。

でも現実には児ポ製造している親は野放しで、それを解釈した方が問題とされていて、それは建前と違うよね? ダブスタだよね? 内心の自由という上位の原則に反するよね? ってこと。

実際にその写真で抜いている人間いるかどうかは極論どうでもいい。お前もそうだけど結論を決めて響きの良い原則論をつぎはぎして適用するのはただの少数派弾圧近代以降のやり方ではない。

近代国家市民のつもりなら理屈くらいはちゃんと立てろ。「気持ちの悪いオタク排除すべき」という主張がしたいなら構わないがはっきりと口に出してそう言え。エッシャーの絵みたいな罵声を振り回すな。

すげえよなあ

どんだけ最先端技術を持って近代国家の皮をかぶっていても人権という概念がないだけでこんな体たらくになるんだぜ

2017-06-29

権利」を謳う人間はなぜあそこまで意地汚く見えてしまうのか

今回ここで、「権利概念が放ってしま暴力性の起源について一人考えてみる

人権」の普及 ーアメリカ独立宣言



1週間もすれば3億人近いトンチンカンたちがまた祝うことになる、近代社会の幕開け=アメリカ独立宣言に遡ってみよう。250年くらい前のことだ。後にアメリカ人と呼ばれる極西の田舎者黒人奴隷を足置きにしながらヨーロッパ政治哲学を読みふけっていた。そして、英国議会に「植民地のくせに生意気だぞ」と言われてしまったあの時、彼らのイギリスコンプは爆発し独立宣言してしまう。この独立戦争とその後の歴史で彼らは「国家」を生み出しその中で「所有権」というもの不可侵性を「人権」として僭称したのだった。それまでもこの考え方は常にヤバい匂いを発してきたが「独立宣言」こそが全人類脳みそ侵入し始めるウイルスになった。彼らはこう言う。「君たち、実はな、人間は生まれながらにして権利というものを持っていたのだよ」「君たち、これは自明の真理だよ」。誠に蒙が開かれるようである。実際に驚くほどたくさんの人が啓蒙されることになる。

ところで、ここで彼らが行なった欺瞞としてまずよく言われるのは足置きにしている「黒人奴隷」についてである。つまり黒人奴隷人間の方にではなく所有物propertyの方に組み込まれしまったことである。ところが、今回に限ってはそこは重要ではないと私は言いたいのだ。というよりも黒人奴隷境遇があまりに深刻な問題であるから真の問題が後景化し見えなくなってしまっている。この深刻な問題をみたとき、我々、権利至上主義者の常識的感覚からいって、100年後、200年後に黒人へ与えられたように、人間権利、あるいは公民権解決すべき(解決した)問題だと思わされてしまう。

でもこれは糞の上に城を立てただけなのだ私たちの暮らす城の中はクソの匂いが充満している。「権利」などという考え方が、奴隷制的な、暴力的支配への渇望に支えられている。私たちはクソがあるなと思ったら「あっクソだ」と言わねばならない。「あれ?この部屋なんか、うんこ匂いしない?」は常に言いづらいセリフではあるが。


 人権を「持つ」とは ー「所有」についての2つの感覚




まりどういうことか。権利を「持っている」、という発想自体にその欺瞞が現れている、と言いたいのだ。一般におそらくは「所有権を持つ」という表現すらあまり違和感をもたれないのである独立宣言の下敷きになったヴァージニアで行なわれた会議草案にもその矛盾を観れるかもしれない

That all men are by nature equally free and independent and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.

この2つ目の下線部は独立宣言では省かれるのだが「所有権を持つ」という循環した考え方を恐れたから、ではなく国家による税金徴収を困難にするという理由であった。

何が言いたいかといえば、奴隷武器砂糖三角貿易が成立して以降のヨーロッパ社会では、「権利」が「持つ」ものとして想定されねばならなかったのである。それは単純には、ある種の人々から「奪う」こと(あるいは「捨てる」こと)のできるものでなくてはならなかったからだ。つまり所有権」が守るベーシック価値は「権利概念誕生の後に、「どんな種類の権利を作ろうかなー」と考えられて作られたものではなく同時に発生しているのである。そしてそのことは隠れたのだ。独立宣言に「自明真実ではあるのだが我らは不可侵権利を持っているのだと信じる」としれっと書き込むことで。じゃあ所有の意味を含む「権利概念が発生した時に生まれていたものは何か。ここが今回の主張であるが、「支配欲求自体への承認」なのである社会の一員として我々は「ある種の激烈な支配の形」を基盤にすることで社会を成立させている。それは「所有権」だけでなく「権利全般の話である

propertyに対しては当然そうだろう。犬猫などは黒人同様に解放が進みつつあるが根本的に我々は自分の所有する物をどれだけ傷つけても良いのである対象物に対して欲求したことは特別禁止されない限り全てぶつけることを許されている。私は自分の持っている熊の人形の腹を切り裂いてもいいしそこにペニスを突っ込んでも良い。それが所有権意味するところである。ここで、人形はなんかかわいそうだし除外しようかというのもあまり意味がない。僕が言いたいのは、我々は所有権を「propertyに対して私が欲求することならなんでもしていい力」として想像していて、思考スタート地点にそれをおいていることだ。この認識はもう一つ重要感覚を孕んでいる。それは「私が支配するもの他者が介入することは許されない」ということだ。この二つの感覚両方が「権利全般に流れ込んだのだ。そして実は我々の想像する「自由」のコアイメージでもある。自由にはこの欲望支配感覚が流れている。


 奴隷(property)の反乱 ー「権利」と「自由」に関する妥協と「身体」ー



しかしながらこの「自由」の感覚は「自由」を求める奴隷たちの反乱により一つの現実的妥協を産んだ。支配者はかつての奴隷たちと約束したのだ。我々はもはや君たちを支配しない。その代わりに我々は自分の体を支配するのだと。そして君たちもそうするのだと。人間なら誰もが己の体を支配できることにしよう。我々は平等自由じゃないか。(現実として多くの旧黒人奴隷は扱いの悪い賃金労働者として己の体を「自由」に売買した。ほぼほぼ売るだけであったが。)


上記の経路は思考実験の一つでしかなく、実際は数百年前の「権利概念議論でも既に流れていただろう。しかし、ここで誕生したのは一風変わった、世界人間に対する理解である個人他者からの介入=他者との人間的繋がりを切断できる独立した存在だという信仰なのだ。なぜなら自分の体を自由支配他者はこれに関与できないのだから。(工場で死にかけながら働く黒人労働者だって自由」に辞められると考えることはできただろう。)「権利」や「自由」というもの概念自体にこれは染みついたのだ。


奴隷製の足置きで本を読む農園主の頭の中で作られた「近代国家権利自由」は、国家軍隊というとてつもない力に囲われながら、同じ発想の知的エリート再生産し、根本思想解体は迂回しながら様々なヴァリエーションを増やしてきた。その実践形は司法行政の場から常に吐き出され、我々パンピー脳みそにも影響を及ぼしてきた。


権利概念は、「権利」とは「持つ」ものだという支配欲求肯定に支えられている、というのが基本的な今回の主張である。これが己の身体観や対人間観に影響を及ぼしてきた。実際皆が全く違和感なく自分の持つ時間労働力社長さんに売り払っている。基盤にある発想はまさに「権利」は「持つ」ものから「捨てれる(売れる)」のである。あるいは私は他人権利を「買える」のである。なぜなら私はその「権利」を「持っている」のだから。(一応断っておくが、これによって生まれる成果を否定するものではない。「支配/排除欲望」を根幹にする原理が一度は平等性/対等性 になりながらも、次の段階で一人の人間があらゆる人の時間と行動の自由支配し皆がそれに納得していることに注目したいのだ。この一人の人間も様々な人の投資で買われていてもう少し複雑だろうけれど。)

 まとめ ー「意地汚い」理由



長々書いてるのに平板な話になってるだろうか。ここに資本の燃料をぶっ込めばいくらでも非人間的な方向に暴走できるのは想像にかたくないし、読んだことないけど共産主義とかポモとかもこういう認識の型への反発からスタートしてるのでしょ。現実非人道的支配を読み取った人たちの反発からまれ社会「権」などは対抗力として機能しただろう。ただそのことに対しても言えるのは「権利」「自由」の枠組みがそのまま利用されたということだ。近代国家という装置がこの世界にセットされた1776年の7月4日あの日から人類脳みそはハックされた。今もなお屋台骨として社会を支え続けている我らが人権万歳自由万歳国家万歳


いま苦しんでいるマイノリティも、「支配欲望」の匂い漂う「権利自由概念を使って「国家よ行動しろ」と闘争せねばならない。あるいは彼らがそうでない社会活動を試みていても(例えば、他者との網の目を強化したり、国家ではなくコミュニティや人々の意識を変えるために動いていたとしても)、そのように立ち上がる姿をメディアでみた我々は、そこにまた「権利自由闘争の型を読み取っていないだろうか。「障害者が、また支配欲望を前面に出してるのか。今度は何を要求するのか。」と。そして人間の、恥を知らない無意識は、何かを奪おうとしているマイノリティを見てこう訴えてくるのではないか。我々はこいつらを「支配」し「排除」しなければならない、我々の「権利」と「自由」のために。

2017-06-20

https://anond.hatelabo.jp/20170620165858

「お前らの言うこと聞いてたら(個人女性自由権利を認めたら)少子化しかなんねーよ」

という物言いから勝手に飛躍してる印象がある

仮にも近代国家名乗ってる以上、今更個人自由を取り上げることなんかできないんだから

少子化対策なんてさっさと諦めたらいいのにとは思います

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-04-25

仕事マイナス55分遅刻した

うちの会社のうちの部署は始業時間の1時間前にサビ残する事になってる。

そんで今日5分遅れた。

タイムスタンプ的には早朝55分サビ残する形になった。

マイナス55分の遅刻である

そして、怒られた。

新人なんだからちゃんと時間を守れだそうだ。

遅れるなだそうだ。

早く来ているのに。

どうしてそうなるのか。

どうやら僕の会社はまだ中世のようだ。

近代国家に行きたい。

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170214193556

あるよ

もともと宗教神様存在肯定のための文学ではなくて人が生きる知恵

その地域で生きていく知恵をデータにしたもの

たとえば豚肉だめとか牛肉だめとかはその土地での利用方法が食に適していないもの排除する目的だったり

利用目的制限することで特定生産を高めるとか

なのでその土地を離れたら効力がなくなるはずなのを全然関係ない土地で展開すると

それは宗教というファッション害悪

宗教色の強い地域に入って自分信条における習慣を強行すると悪になるし

自身信仰を維持するために地域に変化を求めたりすることも悪になりえる

宣教師世界中に広めてまわってたのはどこでも同じプロトコル出張宿泊できるようにするため

全国展開のチェーン店宿泊施設の会員を募集してまわってたみたいなもの

コンビニチェーンを長らく細々と続けていた田舎商店の目の前に開くのは悪かといわれたらまあ悪なんじゃないか

基本衛生管理がなってなくて激しい気候のところから戒律とか食事制限なんかが強くあるから

履行しても無駄ではないこともあるだろうけど

ほぼ何たべても死なない近代国家お金でひとの命までも買えるところなんかで倫理マナーを言っても

無駄になることはあるくらいボーダーレス世界古代的な宗教を語る意味はあまりない気がする

それを安全衛生栄養満点な食品の売り上げ妨害のために宗教を持ち出すような構図になったとしたらそれは悪ではないか

実際悪事なりをするのは人間から宗教は悪くない的なことになりそうだけど

人間をして悪をなす根幹が宗教という人間形成する習慣だとしたらそれは悪といってさしつかえないのではないか

2017-01-20

めでたい。

めでたい。日本近代国家と思ってたのか

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204092713

その近代国家各国では極右勢力が台頭し、日本在特会みたいな雑魚と違って政治に参画し

公約では排外主義が声高に叫ばれております

ジャップ独自仕様好きは異常

まず国家の定めた法律すら無視して独自ルールを定めてくるから

そしてその糞ローカルルール同調圧力かけて押し付けてくる

個性を発揮するところと圧力かけるところが逆だろう

これでは共通規格など到底無理だ

ジャップ永久近代国家にはなれない

2016-10-07

売春について知らなかったこと

個人売春って犯罪違法だが処罰されない)じゃなかったんだな。

以前から男が児童に対する淫行で逮捕された事件が発覚するたびに、売春をしている児童女子高生を含む)が「売春代金が支払われなかった」ことについて(ときに「親と一緒」に)警察相談に行ったことを発端として、事件が明るみになる、というパターンが多すぎて意味がわからなかったんだが、なるほど、売春のもの犯罪でもないんでもないから、売春代金の未払いは警察に「相談」できるわけだ。児童逮捕されるわけでもなんでもないし、それどころか「被害者」として扱われる。もしかしたら親は何らかの制裁(口頭注意とか?)を受けるかもしれないけどね。

でも、何かおかしくないか。何かおかしい気がする。ちゃんと言語化できないけど、何か法整備上の不備があるような気がする。学校性教育も、避妊性病予防の観点大事だけど、そもそも売春行為自体問題だという視点教育してもいいんじゃないだろうか。売春に対する忌避感情西欧の性文化の影響とか言われてるけど、そんなこと言ったら日本を含めて近代国家ほとんどの制度西欧文化の影響にあるわけで、意味がある議論だとは思えない。そもそも、前近代の性産業なんて現代以上に酷い差別的扱いをされていたし。

2016-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20160926125442

残念ながらフィリピンはまだ近代国家と呼べる文化水準には達してないし、

フィリピンをそのような地位に押しとどめてきたのも先進国の連中の甘えであり、

ここまで事態悪化するまで放置した国連責任でもあり、

さら平和解決とか言い出したところで聞くわけねーだろ。

だったら支持した国民ともども皆殺しでいいだろ。反対した1割がジャンキーなんだからジャンキーのための国にでもすりゃあいい。

ナチを支持する9割の豚はガス室シュウウウウウウッ!

2016-09-15

あの仕事の鬼なのに侍従たちに優しそうな天皇

明治天皇大正天皇昭和天皇平成天皇と来たけど、ほとんどはずれのない天皇ってすごくね? 京都御所での天皇Sってそんなに仕事できるイメージないんだけど。公家とかより華族戦後日本作ったよな?

まず近代国家の武の象徴みたいな明治天皇。かっこよすぎる。

敗戦責任公式にはなくても十字架しょったまま長生きしてくれて、上からしろ人間になって全国行脚した昭和天皇。生きてた時から伝説

宮中祭祀完璧こなしながら、災害復興を各地で祈りまくる平成天皇国家地鎮を地で行きながら、完璧夫婦、何も知らない偏差値40のJKたちに存在だけでモテるじいちゃん。

まさに二足の草鞋。天皇仕事現代風に変えていくという、どう考えても無理ゲ~を、『やりたいことあるなら、仕事完璧にしながら、やる。これ、ジョーシキ』という凡人が鬱になるパターンしかも55歳から行うという、、、。

ほんと生前退位してください。すみませんでした。安心できる余生になるよう、本気で取り組んでくれだれか。。

てか、仕事厳しいからって部下に当たり散らすやつら、天皇は部下をののしるか? でも天皇のためにきっと命がけで仕事するだろ。お前、命がけで仕事したいと思わせてんのかよ。

2016-07-13

中国はやっぱり野蛮国家だった

仲裁裁判責任者日本人いるから、日本に有利な判定が出たなどとつぶやくツイッターを見た。国際機関に出向すれば、中立公正仕事をするという事は、近代国家の基本中の基本であり、このような意見は当該国家侮辱しており見過ごせない。

では中国は、国際機関に人を出せばその人は中国に有利なように仕事をするのか、と逆に問いたい。”

だって

2016-06-25

反移民感情については難しい問題ですね。

私は肌の色などの外見に基づく差別絶対に許せないと言い切れますが、宗教生活様式が原因である場合には「差別だ」と切って捨てられないものがある。

宗教表現の自由と同じく、その自由が他の基本的人権侵害する場合もあるので。

極端な話、神の為の生贄を必要とする宗教当事者が納得していたからといって受け入れていいものかという。

ヒンドゥー教カースト制やイスラム一夫多妻制はたとえ当事者が納得していたとしても、近代国家の下での基本的人権には反するものではないか

2016-03-02

日の丸に忠誠をちかうようなやり方は日本の伝統じゃないし

今日はてブホッテントリーに「伝統文化演歌を守れ」みたいな頭がパヤパヤしている人たちの話があがっているが、

どうして、ああいう人たちは、2600年以上(主催者側発表)の歴史を誇る我が国伝統の、最期のほうに

西洋文明の影響で作られたものに、異常にこだわるのだろうか?

自分歌舞伎歌舞伎が好きなんだけど、当然のことながら、古典歌舞伎落語には、

日の丸あげて君が代うたって天皇陛下万歳を叫ぶような人間は、一人としてでてこない。

当然だ。すべて、明治になって西洋文明の真似をして作り出したものに過ぎないからだ。

デザインとしての日の丸とか、和歌としての君が代とか、言葉としての万歳はたしかにあっただろうが、

あれを、ああいう形に整えたのは、「日本の伝統文化」とはあまり関係がない。

万歳は、たしかイギリス王様にむかって「フレー」と叫ぶやり方の猿まねのはず。

基本的には、国旗とか国歌というのも西洋人が作り出した「近代国家」とやらが国民をまとめるために作り出したもんだろう。

日本人は古来、そんなもの必要としていなかった。

もちろん、現代日本も「近代国家」として運営して、それなりに回っているわけだし、海の向こうから持ってきたもの

巧いこと取り入れていくのもまた日本の伝統から、声高に日の丸君が代反対とか叫ぶつもりもないが、

例えばアメリカ人バカみたいに星条旗に忠誠誓わせたりするのに違和感を感じるのが、日本人の正しい姿だろうと思う。

あれば、200年ちょっと歴史しかない薄っぺら移民国家国民をまとめるためにやっていることで、

別に、無理して真似する類のものではない。

そんなことよりも、1000年前から変わることなく、桜の季節になるとみんな花見を楽しみにまつような

そんな信条の中にこそ、日本人伝統は生きているのだと思う。

2016-01-06

神社憲法改正運動政教分離

最初に断っておくが、神社本庁日本会議が企んでいる憲法改正の「具体的内容」に関しては、私は与しない。

憲法リバイアサンである国家権力の横暴を縛り国民自由を守る最後の砦であり、憲法道徳規定するのは近代国家として恥ずべきことであると考えるからだ。

この憲法改正の是非はともかく、一方で、この運動をめぐって「政教分離違反するんじゃね?」的な、「政教分離に関する誤解」が、少なから蔓延していることに驚いた。ここでは、この論点について明らかにしたい。

そもそも、日本国憲法には「政教分離」の言葉は無いが、以下の条文がその根拠とされている。

[第二〇条]

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。

三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

[第八九条]

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体使用、便宜若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。

まり憲法禁止されているのは、(1)国が特定宗教団体に対して特権付与すること、(2)宗教団体政治権力(=国がも独占すべき統治権力)を行使すること、(3)国が宗教活動を行うこと、のみだ。

これまでの判例によれば、国や地方公共団体などが公費神社玉串料を納めること、市が市有地神社無償提供すること、総理大臣公費を使って公式参拝を行うこと、などが違憲に該当する。

一方で、「宗教団体政治活動を行うこと」は憲法では禁止されていない。実際、公明党-創価学会幸福実現党-幸福の科学真理党-オウム真理教など、特定宗教団体政党を結成して政治活動を行っており、これらは「政教分離」には違反しない。

しろ、「宗教団体政治活動を行うこと」を禁止した場合思想・良心の自由(第十九条)、結社言論の自由(第二十一条1項)、国政選挙における信条による差別禁止(第44条)といった規程に違反することになる。つまり、「宗教団体政治活動を行うこと」の禁止の方こそ憲法違反だ。

2015-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20151122024018

社会保障は「世の中が残酷から」なんてセンチメンタル理由であるもんじゃねーよ

国が国民保護するのは、そうしないと近代国家としての基盤が危うくなるから

その基盤の中には、障害者だろうが病人だろうが老人だろうが、すべての存在が含まれてなくちゃならない

個人の考えはどうあれ、国が理想主義的に「正しい国民の選別」をしちゃーオシマイなんだよ

こっちはそのシステム理解してない奴の無神経さに怒ってる

2015-11-17

文化文明宗教は不可分

私たちの信じる近代的な思想価値観というのは、キリスト教的な道徳倫理ベースにしたものであり近代化というのは一種キリスト教化である

そして、西洋での政教分離キリスト教徒にとっては公共から宗教的権威=教会排除に過ぎないが、キリスト教差分の大きい他教徒にとってはアイデンティティ放棄に等しい。

西洋近代国家による正義強要現代十字軍であり、ISとの戦争テロ民主主義という対立ではなく、正しく宗教戦争である

2015-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20151027085916

そりゃ、不快な物でも原理原則に従って存在保障されてるのが近代国家だしな。

意図的存在無視もなにも、女性フェミもそのことがわかってるから存在自体問題にしてないだろうが。

2015-08-02

こんなん書いてみました ご指導おねがいしま

無意識≒エス≒過剰なエロスタナトスが奔騰するカオス

≒壁に囲まれた「世界の終り」という街=影のない人の世界

世界不毛化された記憶が凝結する地下墓地ミイラや<死者>の住処

社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい

オリジナルなき代理物であり続けるシニフィアン

自己複製子の乗り物(?)

≒疎外された心的実体≒外傷的な真理が声を発する場所

相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」

他者にとっての「私」に還元されない<私>に執着した本多

自己幻想世界=無条件の連帯肯定平等も存在しない共同体自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認供給不足にある存在

権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在

≒灰の世界スケープゴート≒異人≒リンチの対象

≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在

植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤

暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象

パノプティコン的な匿名の不可視視線の下で見世物化された監視付き生活強制されている存在≒近代社会合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象

≒生政治的範例

排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者

祭りなどで一時的組み込み処理する対象

≒非差異無差別連続差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音

≒警察権力市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象

一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない

理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者生物的な世界

≒心像の世界クオリア世界

≒私的幻想世界意味イメージ世界

≒ナルシシック自己イメージ=自我の理想化された鏡像

自分の気に入っている、まさに自己愛のもののような自己

マスコミカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ

他人からこう見られたいと思う自分イメージ

仏教でいう我執といわれるような自分への執着の対象

≒セミオティック=母性的な世界

≒貧しい文化や洗練されていない不自然表現モテない存在=影の薄い人

≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者

≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人

≒「象徴他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的幻想を抱いていた転移局面と比べてはるか不安定で、患者攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態

≒心理分析官クラピカ世界

≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれ世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界調査しようとする人

他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界

≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在

≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望

自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態

自己統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係

動物ルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係

理想化された鏡像として他者表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き

•自我理想象徴界大文字の他者A=超越的な他者社会的世界

言葉だけの世界シニフィアンが織りなす複雑なシステム

文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造サンボリック

ファルスを中心にして構造化された言葉システム

≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社

≒掟によって自己中心的な万能感の感覚否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界

≒個々人の欲望や自己中心的感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界

自己中心的個人的自己愛を一度否定したところから成り立っている

≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤

現実社会的義務責任遂行と繋がるもの

社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的象徴契約

コミュニケーションを通じた承認で育まれ自尊心

≒豊かな愛によって言葉他者につながれている存在

共同幻想世界個体保存の欲望と各人のナルシシズム言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在

≒愛し合い尊敬しあう事で継続していく共同体エロス世界

仲間意識連帯した世界倫理的関心を内輪に限定する世界感情で動く世界=ビオスの世界

≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係差別排除がある世界

≒魅力の低い者が客観的理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界

≒魅力の高い者が客観的理屈として間違っている事を主張しても容認される世界

文脈により同じ言葉が違う意味を持つ世界

≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気人間関係の網の目に支配された世界

≒掟の門の門番

≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在

グルメで無条件の連帯肯定平等など存在しない世界

≒壁に囲まれた「下」に見られた人が知らない巨人たちの世界

≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在

≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者

≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在

近代国家の一市民世界国家保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在

ネット掲示板コミュニティ教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界

労働勉強生産的な成果を挙げ社会的評価される事が美徳であるとされる世界

≒人が自分社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序

≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在

第三者の審級規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在

言語的、父権的な中心ないしコード象徴的父の表象であり、制度であり、掟

共同体言語的に構造化されている共同主観的世界

超自我

羊飼いを自称する存在=選民意識を持った存在

≒誇大自己に執着した存在=他者非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界

社会的権威精神内部に延長したもの

≒自我理想と同じ媒体の、秘密を暴く欲望と懲罰をともなう側面

非道徳的で反倫理的な審級であり、倫理的裏切り烙印

集団の「エス」をバカにしたり笑う攻撃的な文化制作

象徴界特権化する事を推奨する存在

≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令

集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在

≒灰人以外に活動同意を得たらよいと思っている存在

法秩序の外にあり、しかしま法秩序に属している存在

個人情報漏洩する国家プライバシー侵害する国家

植民地主義国家民族差別を容認する国家人権侵害を推奨する国家死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家

近代社会合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在

対象a

現実界?=物理的な世界

≒<外>の存在=孤立した残余=メタ視点

ドライ世界

人狼の森、砂漠不毛地帯といった心象風景

≒羊抜け

現実領域対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象a現実領域を枠どっている

犠牲メカニズムにより歪められた表現犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為告発する探偵

反ユダヤ主義者にとってのユダヤ人的存在

≒メラニー・クライン的な意味での「乳房

まなざし永井均の言う<私>

秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外

≒寄る辺ない存在

2015-06-03

戦前

自分が生まれた時から存在するものは、過去もずっと同じであったと人間は思いがちだ。

その一つに、「平和」がある。ピンフじゃ無いぞ、ピースだ。

ニュースを見聞きしていれば薄々感じてると思うが、現状は薄氷の上を歩くが如く、危うい状態にある。

戦争ってのは、そう特殊なことじゃないし、わりと簡単に日常生活の延長線上に起こりうる。

そして、現在の緊迫した状況を理解しておくことは、個人にとっても悪いことじゃない。

それを理解した上で、どう行動するかは、それぞれの信念によると思う。

韓国北朝鮮は、今も戦争状態にある

大韓民国韓国)」と「朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)」は停戦状態で、まだ終戦していない。

それぞれ「国」の設立に、アメリカ合衆国ソビエト連邦とが強く関与しており、

いわば、この二国間は、未だ第二次世界大戦から直結した冷戦状態にある。

朝鮮半島歴史を簡単に振り返る

まず最後王朝李氏朝鮮から

朝鮮半島を支配していた「李氏朝鮮朝鮮王朝)」から始める。

李氏朝鮮」は、13世紀から19世紀まで中国冊封国家として朝鮮半島統一していた。

16世紀豊臣秀吉が侵攻したのがこの李氏朝鮮で、一時的に国土の大半を征服されている。

(つまり朝鮮征服成功しており、事実上中国(明)との戦争であったと言われている)

まあ、歴史の通り豊臣秀吉は死に明は押し返し、19世紀まで李氏朝鮮は存続している。

甲申政変

李氏朝鮮は、中国冊封国家、つまり中国寄り」の国だ。

しかし、お隣の国である日本は、明治時代を迎え近代国家として発展していた。

李氏朝鮮近代化を目指す一派が、日本に頼りクーデターを企んだ。コレが1884年の甲申政変だ。

時の政権は「中国(清)」に助けを求め、クーデター側は「日本」を頼り、代理戦争が勃発。

結局、双方割にあわないと気が付き、「天津条約」が結ばれ手打ちとなった。

(ちなみに、クーデター首謀者一派はかなり悲惨な結末を迎えている)

東学農民運動東学党の乱)

東学党の乱をおおざっぱにいえば、農民による革命だ。

李氏朝鮮の「政府」と「農民」との内乱だ。

そして「天津条約」に則って、日清両軍が内乱鎮圧を行った。

ここで、内乱が鎮圧された後、中国(清)が「日本けが撤兵せよ」とツッパった。

政府内でクーデターも置きてしまい、朝鮮政府日本に「清を追い出してくれ」と依頼する。

そして、「日清戦争」が勃発。日本中国(清)に勝った。

大韓帝国

日本に清を追い出してくれと頼み、日清戦争日本が勝った。

まり、「李氏朝鮮」は、中国(清)の冊封国から離脱したわけだ。

これが、1897年の「李氏朝鮮から大韓帝国」への国号変更(独立である

まあ頼られたわけだし、と、当然のように日本は「大韓帝国」に干渉し始める。

日露戦争から日韓併合

日露戦争時代に、日本は「大韓帝国」にゴリゴリに干渉する。

これに「大韓帝国」は、危機を感じ、李承晩(イ・スンマン)をアメリカ派遣する。

アメリカに頼って、日本排除しようとしたわけだ。これは失敗する。

そして、1910年日韓併合条約」により統治権を日本に握られる。

朝鮮国家歴史は一旦幕を閉じることになる。

第二次世界大戦で、日本は負けた

朝鮮半島を実質支配していた日本戦争で負けた。

勝った国は、その土地を分け合おうとする。

ここで、戦勝国であるソビエト連邦」と「アメリカ合衆国」が現れる。

北緯38度線の北をソビエトが、南をアメリカ占領した。

そして、両超大国は、それぞれ「代理国家」を立てる。

北のソビエトが「金日成」の「朝鮮民主主義人民共和国」を、

南のアメリカが「李承晩」の「大韓民国」を作った。

1948年の事だ。

ソビエト金日成

金日成(キム・イルソン)は、中国共産党出身だ。

筋金入りの抗日パルチザン活動家で、その流れでソ連軍の一員として行動していた。

そして、ソ連当局支援を受けて、北朝鮮指導者としての地位確立した。

言ってみれば北朝鮮とは、正当なスターリンソ連の落とし子であり、中国共産党シンパである

まり共産主義国家だ。

アメリカ李承晩

李承晩(イ・スンマン)は、「大韓帝国時代アメリカに頼ろうとした調整役だ。

それは失敗したが、そのままアメリカハーバード修士を、プリンストン政治学博士号を取得している。

そして、アメリカ当局支援を受けて、大韓民国の初代大統領となった。

言ってみれば韓国とは、アメリカの援助で復活した「大韓帝国である

まり反共主義国家だ。

朝鮮戦争という全面戦争

イ・スンマンは、韓国大統領で、筋金入りの反日主義者だ。

そして、「連合国であることを望んだ。「戦勝国」の一員でありたかった。

対馬領有の宣言は、1949年に行われている。対馬竹島日本領から除外すべく、アメリカ政府執拗要求していた。

アメリカ政府は、共産主義国家が朝鮮半島占領するのは良しとしなかったが、正直日本で手一杯だった。

1950年アメリカ国務長官が「アメリカは、フィリピン沖縄アリューシャン列島しか責任を持たない」と宣言した。(アチソンライン

ここで、キム・イルソンは、アメリカ朝鮮半島を重視していないと踏んで、朝鮮戦争に踏み切った。(当然ソ連スターリン中国毛沢東に周到に根回してだ)

北朝鮮が、韓国に奇襲を掛ける形で進軍を開始した。

ソ連中国バックアップのある北朝鮮軍は、実に強かった。

大韓民国軍は総崩れとなり、ほぼ北朝鮮は、韓国占領しかかった。

ただ、結局のところアメリカ国連)軍は、一気に押し返し、北朝鮮をほぼ制圧した。

当然ソ連面白く無いので、中国をせっついて、やり返す。

事実上ソ連中国)とアメリカとの代理戦争だった。

もはや第3次世界大戦まで秒読みの段階だ。

ただ、軍を指揮していたマッカーサー暴走(原爆を落とす気だった)した結果として軍から追放されたこと、

ソ連を率いていたスターリンが死去したことで、状況が大きく動いた。3年に及ぶ戦争は、一旦休戦することになる。

(休戦なので、未だ戦争は終わっていない)

北朝鮮という時限爆弾

朝鮮戦争後も、北朝鮮社会主義国から支援を受け、基本的韓国よりも常に優位に立っていた。

キム・イルソンが中国共産党出身であり、ソ連にも大きなコネがあることが全ての力の源泉だった。

しかし、ソビエト連邦崩壊する。大きな後ろ盾を失い、経済的な援助が打ち切られた。

そして、キム・イルソンが死去し、コネクションを失い、世界から孤立する。

その結果が、大規模な経済困窮と、それに伴う飢餓だ。

後を継いだのが、金正日キム・ジョンイル)だ。

ソ連の援助は打ち切られたとはいえ、軍事国家は、軍事物事を解決しようとする。

そして、そのキム・イルソンも死去し、金 正恩(キム・ジョンウン)が国家を継いだ。

売り家と唐様で書く三代目と良く言われるが、親の遺産はその子供まではなんとか保っても、孫の代には残らない事が多い。

北朝鮮は、いままさに三代目だ。いつ崩壊してもおかしくはない。良く保っていると言える。

字通りの意味で、戦争はまだ終わっていない

朝鮮戦争は、未だ終結していない。

第二次世界大戦ソ連アメリカ朝鮮半島の取り分を巡ってそれぞれ国家を建てたことで発生し、

代理戦争としてはまれに見る規模で地上戦が展開され、冷戦時代には相当の緊張を強い、ソ連崩壊バランスが崩れた。

まり、今の緊張は、第二次世界大戦の後始末なのだ

その中で、我々はどうあるべきか

韓国は、有り体に言えば反日イ・スンマンの意思を継ぐ、アメリカ属国だ。

ただ、真の独立をずっと願っているし、南北統一を夢見てもいる。

北朝鮮は、スターリン独裁共産主義国家であり、ゴリゴリ軍事国家だ。

そもそも、国として存在するために、常に周囲を牽制し続ける必要がある。

韓国アメリカ軍事的同盟を結んでいるし、日本アメリカとは事実上軍事同盟を結んでいる。

そして、北朝鮮が発作的に何かを始めた場合、まず間違いなく最初韓国が標的になる。

軍靴の音が聞こえる」等とのんきなことを言えるのは、「平和」があると思い込んでいるからだ。

38度線非武装中立地帯の北にも南にも、軍隊が常に靴を鳴らして警戒している。

軍靴の音が「聞こえなくなった」と感じ始めていることが、真の危機だ。

戦争は、もうすぐそこに見えている、現実的な脅威だ。

目を逸らしても、北朝鮮はまだそこにいる。

(追記:判り難いとのブコメもっともなので、時系列で整理しなおした。

 南沙諸島南シナ海と若干日本から遠く「中国」は政治的にまだ致命的では無いので触れていない)

2015-05-30

マチズモ個人主義社会性の定義について

http://anond.hatelabo.jp/20150530170049

どうもこの辺が、全体的にぐちゃぐちゃになってるっぽいので。

まずマチズモっていうのは、ベース国家という発明がある。

国家は明示的な権利の主張と、それに服従する義務の組み合わせで構成されていて、これは近代国家に限らず……つまりギリシャポリスだとか、メソポタミア文明だとか、あのレベルでも国家と言うもの発明された時点で存在している、言ってみれば国家と言うシステムの根幹にあたる。(初期の時点では、統治者は民を支配する権利を持ち、民は服従の義務を負う、といったものベースになってはいるが、これ自体が分かりやすマチズモの姿でもある)

中世辺りには半ば原始的村社会にまき戻ったりしつつも、長い長い時を経て、これは人類に定着していった。

ただし、日本はこの発想が庶民レベルまで定着するのは、明治戦後くらいまでかかった(田舎ほど遅れた)。

マチズモにおいては、権利の主張と服従という、原始社会においては「不自然」で「非社会的」な行為が、「社会性」に置き換わる。

マチズモから見れば、権利の主張と服従を行わない者は社交性が低いし、原始社会的価値観からは、マチズモこそが社会性の低さに見える。

さて、マチズモが浸透して以降、もう一段階人類は、社会性の置き換えを体験する。

産業革命からの、資本主義、それに基づく「個人主義」という社交性だ。

こいつは要は「生産面に関して、社会的であること」を「金のやり取り」に置き換えた。

一人ひとりは徹底的に利己的な「個人主義であることを追求することが、社会性の高さに置き換わった。

生産のやり取りは「金のやり取り」に置き換えることで、利己的で内へ閉じていく者ほど、命令や服従ではなく「金銭欲」と「金のやり取り」を肯定する社会性の高い者、ということになった。

これはマチズモ国家)の上に乗っかっている。金の円滑な循環は、権利の主張によって保障されているからだ。

他人にされたくないことは権利の主張で退け、他人にして欲しいことは金のやりとりで手に入れる、というのが、資本主義時代個人主義時代社会性だ。

この「他人にして欲しいことは全部金を通せ」は、奴隷制否定であり、差別の解消に繋がった。

当然フェミニズム個人主義だ。

今までママを、嫁さんを奴隷的に囲い込むことで押し付けてきた仕事は、全部金を通せ、という話になった。介護福祉も、して欲しいなら、金を通せ、と。

それが個人主義における社会なのだから

さて、で、どうも弱者男性擁護するサイドは、マチズモの時点でついていけていないので、原始社会的世界に戻りたい、原始的なあり方こそ社会的なんだ、と叫んでいるらしい。

そりゃ個人主義とは噛み合わない。二段階ほど前の社会性の話なんだから

この辺が根本的に、色々とうまく噛み合わない原因な気がする。

2015-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20150124154949

最早、近代国家世界中からみなされなくなるよ、日本は。

これは君の意見でしょ?????この意見に対して何か言うのに君に言わず政府に言ってどうするの???

いや、「自己責任による自力救済権」のはく奪の代替としての、「国家による国民保護責任」の保証ってのは、近代国家大原則なんだから幻想とかそういう話じゃないんだが?

という答えは、異論はあるが、議論の流れには合っている(と言っても、どの程度原則が君の中で強いか、という情報が加わっただけだが)から最初からその方向で答えてくれればよかったんだが

個人の意見に文句を言っていきなり政府がとか言われたら議論にならんだろ

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