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2018-06-05

anond:20180605182657

今は若者リスクの方が大きいらしいぞ。近代国家定義役割も時流で変わるものだし

あと見捨てるというか構ってられないのは精々高齢者じゃなくて高所得高齢者だろう

低所得者層孤立化は、それはそれで解決すべき問題だし

所得増税普通に低所得者層にとっては利益あるかもでは?

anond:20180605160344

今のところ、過去研究者の積み重ねや歴史や人々の知見の積み重ねなどによって、多くの近代国家において子供には独立した自由意志を持つのは難しいという判断がされていて、それがもう100年近く続いているというのが現在位置

101年目は分からない、ってことじゃないの

あと、結局先人の正しさすら定かじゃないのはあなたも認めてるとおり。

先人の意見の正しさは、私やあなたのそれと同様、「必ず正しくはない」。

「正しさの確認」ってのはツッコミどころ確認でもあるわけで、その資格は誰にでもある。

「先人の研究を踏まえてない」という理由で今そこにある考えを切り捨てるほうが、

知に対する誠実さに欠けると思うよ。

ま、でも本は読むよ。

もう一点、大学一般教養って、初歩のレベルなのかなー

これを初歩と言っちゃうと、各人増田に「書いてはいけない」テーマが出てくると思うが。

anond:20180605153942

「先人の議論の正しさ」を確認、って増田が正しさを判断できるとは限らないよね。それに「議論の正しさ」とは何か、という問題もある。

「先人は正しいかどうか俺が決める」なんて言ってること自体が、知に対する多大な冒涜しかない。少しは恥を知れ。

増田に「正しさを判断する資格」があるかどうかを示してくれないどころか、児童発達心理学者の超初歩ビッグネームも知らない、「子供」を軸に歴史を読み直した歴史家の存在すら知らなかった増田が、客観的に「正しいかどうか」判断できる能力があるとは、思いにくい。

それに私がごく基本的な、大学一般教養で読むような初歩のレベルの本を提示しても、それでも私の提示した本が「正しいどうか」なんて勉強嫌いのガキの言い訳で逃げてる増田に、正しさを判断できる客観性があるとも思いにくい。

そもそも研究に対する正しさ」は、その時点での正しさでしかなく、絶対不変の正しさがあるわけではない。これは研究をする人たちや知を信じる者たちの共通理解

増田だって、今はロリコン迫害されているが俺論理では子供には自由意志があってロリコン迫害されるべきではない、という説を唱えているわけだけど、それと同じ。

今のところ、過去研究者の積み重ねや歴史や人々の知見の積み重ねなどによって、多くの近代国家において子供には独立した自由意志を持つのは難しいという判断がされていて、それがもう100年近く続いているというのが現在位置

2018-05-29

稀勢の里を「ちせのさと」と発音すること、それを笑うことについて

「月曜から夜更かし」と言う番組を見ていたところ、街角インタビューで、おじいさんが稀勢の里を「ちせのさと」と発音したことスタジオの人々が笑う、というシーンがあった。

これはおかしい。


おじいさんが「ちせのさと」と発音した理由は何点か考えられる。理由の一つに出身地域の方言がそのようなルールから、当たり前に「ちせのさと」と発音したということが考えられる。

例えば、母国語が異なる人が、日本語のある部分を上手く発音できなかったとする。これを嘲笑したりからかったりするのは問題になることは容易に想定できる。

では、外国語方言に置き換えたら。難しい問題を孕んでいるような気がするが、方言からくる発音差異)を笑うことだって同じようにいけないことなのではないか

日本語話者がr音とl音を区別できない、「案内」と「案外」の「ん」区別できないのを外国人に笑われたら、どう思うだろうか。


あるいは、お爺さんの口腔内の構造が、「ちせのさと」を発音するような構造になっていたのかもしれない。

例えば老化現象だったり、あるいはもともと舌が長かったりしたら、そのような発音になりうる。

これにしたって、その人の身体的特徴からなる発音差異を笑っている訳で、今日びそんなことしたらダメなのは当然なのではないだろうか。


どういう可能性でも良いんだけれど、私は稀勢の里を「ちせのさと」と発音することに、そもそも深い違和感を感じない。

「き」と「ち」なんて、かなり調音の近い音だ。そういう訛りというか、発音のズレは日本語話者として違和感が少ない。

例えば稀勢の里を「まれのさと」とか「きのこの里」とか言っていたらそれはそれでおかしいが、「ちせのさと」は言語としておかしくない。

稀を「き」と発音する、あるいは平仮名の「き」を「き」と発音する。稀を「ち」と発音する、平仮名の「き」を「ち」と発音する。これは究極どっちでもいい。

近代国家で「臣民」を形成するんだったら「ち」じゃ失敗だけど、今の時代近代国民形成の時期でもないし。そもそも、その時代を乗り越えてある音の違いだし。


この辺りの、言語であれば当然想定しうる「ズレ」を笑おうとするのはとてもセンスがない。

そして、それで笑いを取れると思われている我々も、あるいはまったくセンスがない、のかもしれない。

番組作った人は、平仮名表記ばかり見ていて、「ち」と「き」を口の中で音に出して試さなかったに違いない。

マスコミなのにそんなセンスでは、言葉の強かさ、しなやかさにいつかしっぺ返しを食らうだろう。

2018-05-26

anond:20180526085956

最近までの55年体制自民党やその他の政権野党事実データに基づいた近代国家運営していた

今までにもやってなかったからといって、さら改悪する必要がどこにあるとお考えで?

自民党データ事実を捨て、近代国家放棄する覚悟があるか

もともと、近代国家であることを放棄するための政権だと思ってた。というか明治終戦前までの政府みたいな帝国独裁主義国家を目指してるんでしょ。

から日本会議とつるんでるわけで。あいつらの「日本の伝統」は明治時代のことだからな。

2018-04-13

中国がスゲーかどうか、わかんないないから見てきたよ

未だに中国スゲーとか言ってるやつ多いけど一回住んでみてから言えと思う。


という増田を読んだんだけど、これ系はサンプル数多い方が、実像ぼんやり浮かび上がってくると思うんで、住んでるどころか、旅行者として2都市半日ほど訪れただけだけで書いてみたいと思う。


深圳広州にいった。

共に中国の中核都市であり、人口は1000万人を超える。

東京と同じかそれ以上の人が住んでる街である


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町全体の清潔感について。


深圳

急増の街だけあって、汚いところがなかった。代わりに歴史を感じさせるものもなかった。

ぱっと見の印象で行ったら、大宮みたいな感じ。

駅前には大きなファッションビルがあって、お姉さんが鳩をあやつるショーをやっていた。


広州

深圳方面から高速鉄道入り口である広州東駅はとても綺麗で近代的。

駅の雰囲気としては赤坂見附池袋かといった感じ。

そこから地下鉄をのりつぎ広州火車駅は、おそらく北・四川方面や西・チワン自治区方面から入り口で、地方民が多い。

駅前は広いが古びている、大規模なファッションストリートがあるが、18:00頃には営業を終了してしまう。


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キャッシュレス決済事情


深圳でも広州でもwechatpayの決済は早くて便利だった。

高速鉄道切符の決済もできる。

ただ、高速鉄道ホームの古びたキヨスクでは使えなかった。

おどろくのは、たぶん60〜のおばちゃんでもwechatpayの決済にかる〜く対応してくるところ。

年寄りであっても変化にはとりあえず乗るらしい。


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大気汚染


深圳でも広州でも共産党鶴の一声で内燃動力バイク禁止されており、すべて2輪は電動自転車だった。

そのこともあって、咳き込むような目だった大気汚染はなかった。


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地下鉄


深圳広州大都会なので、地下鉄でどこまでもいける。

また、suicaのような交通IDカードがすぐに買えるので、移動も便利。

しかし、改札通過時にいちいち荷物安全検査に通さなくてはならない。

監視社会だ。


深圳

地下鉄は清潔で静か。混雑率も日本と大差ないが、車内でもさすまたをもった警官がうろついている。やっぱ監視社会だ。


広州

構内にもホームにも警官はいる。しかしとにかく人が多い!常時通勤ラッシュ状態なので、警官治安という意味監視業務は投げ気味。


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人について


深圳

地下鉄女の子スマホのぞきこんで、iInstagram的SNSで最新ファッションをチェックしていたのが印象的だった。都市部のティーンエージャーの行動だ。

みんな全体的にしずか。

店員ぶっきらぼうで、「こいつめんどくせえな」という印象を隠しもしない。怖い。


広州

とにかく人々が若い。そして元気。

「めんどくせえな」感は出してくるけど、笑顔なんであんま心が冷たくならない。

基本的に心根が明るいんだと思う。

あと、広州地元っ子と思しき人のファッションセンス新宿渋谷くらい。

西洋化されて独自路線香港と違って、日本人と似ている。


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というようなところから深圳っ子、広州っ子がもし日本にきたらどう感じるかを類推してみたいと思う。


深)なにこれ、小さっ、道狭っ

広)でもすげー綺麗だよ

深)深圳の方が綺麗だよ。まあ古い建物には味があるけどさ。うちはさっぱりないから。


深・広)現金払いめんどいなぁ・・・

深)でも

広)店員

深・広)やばいよね、めっちゃ丁寧!いくらもらってんだろ?

広)しかも店夜までやってるよね、夜も賑やか〜


広)地下鉄空いてて超乗りやすーい。

深)でも年寄り多くない?

広)それは思った。


広)そういえば警官見ないね

深)あんまりいないと却って心配

広)それはない


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全体的には20〜30年前の日本といった感じではあったけど、それはキャッチアップに30年かかるという話ではない。

大都市部の消費生活に関しては、多分5年で日本と変わらないレベル地域が出現して、急速に広がっていくと思う。

しかし、なんというか自由空気みたいなものは、絶対日本のようにならないと思う。


抜く、抜かれるの話ではなく、まったく違う近代国家が立ち上がろうとしていると思えばいいと思う。

そのうち、テクノロジーポップカルチャー中国のもの存在感は増してくるんじゃないかな。


ちなみに日本ポップカルチャーは、ちょっとおしゃれな雑貨日本産という感じで存在感があった。

2018-04-07

anond:20180407102522

伝統といいながらテレビ中継のために土俵の四本柱取っ払ったりしてるから

もともと文化へったくれもない。

女性差別やめろってのは西洋関係なく近代国家として当然のこと。

長く残る伝統文化はむしろ時代に合わせて柔軟に変容していくものだ。

2018-04-04

anond:20180404232014

鳥取からと言って医療が受けられなかったり餓死者が出るということはない

近代国家必要ものを備えているが、近代国家特有都市部集中には対応できないというだけ

2018-03-27

anond:20180327100644

問題の立て方が間違っている。なぜ人を殺してはいけないのか、ではなく「人を殺さなくても済むようになりたい」というのが正しい。

原始の人間社会においては、警察裁判所存在していない世界であり、自分の身は自分で守るしかなかった。

自分自身の家族財産自衛するには、自分身の回りに近づく「敵」を排除しなければならない。

他人=敵を殺さなければ自分自身が生き残ることが出来ないのだから

大昔の人たちは知恵を絞って、なるべく他人を殺さなくても、「誰もが平和に生きることが出来る社会=人を殺してはいけない社会」を作り上げて来たわけ。

その帰結として、人々でお金を出し合って集落を守る自警団組織が生まれた。

日本の歴史をこの視点で読んでみると、いか暴力個人から取り上げて、国家に独占させていくかの歴史とも言えるよね。

農耕の発明集落形成部族統一する神の出現、豪族貴族武士近代国家の出現、軍隊警察核抑止国際連盟国際連合世界政府・・・

anond:20180327100644

国家暴力装置である」と喝破して批判された政治家が昔いたけど、「なぜ人を殺してはいけないのか」を突き詰めて考えてみると、そのことにたどりつく。

現在近代国家においては、一般市民武装することを許されていない(日本欧州諸国の話。アメリカについては例外中の例外)。

暴力武装を独占していいのは国家だけであり、具体的には軍隊警察組織の2者が暴力を独占する。

国家暴力を独占することによって、国家内における治安を維持することが出来るようになる。

よって、一般市民暴力行使してはいけない。つまり、人を殺してはいけないし、人を傷つけてはいけないし、他人の物を盗んではいけない。

暴力行使していいのは、交戦権を持っている軍隊と、刑事訴訟法に基づいて執行する警察組織だけ。

中世日本統一政府が無かったので、各貴族豪族宗教寺院自分武士を雇って武装して、自分の身を自分で守っていた。

昔の東大寺比叡山延暦寺は自前で僧兵を雇って武装していたらしいことが歴史書に書かれている。

暴力行使してはいけない、という考え方は明治維新後の近代国家価値観なので、まだ150年ほどしか経過していない。

もし増田が人を殺したいと思ったら、公務員試験を受けて自衛官警察官防衛出動海上警備行動を発令できる権限のある防衛大臣刑務所刑務官死刑判決を下せる裁判官を目指せばいいのではないか

2018-03-15

虎の威を借る狐の方程式森友学園について。

 財務省文書書き換え問題日本民主主義政府行政国家への信頼を根本から揺るがす大事である

文章の書き換えが誰によって、誰の指示で、何のために、どんな方法で行われたのかということが完全に明らかにされる必要がある。

しかし、「現在調査である」ということで満足な説明を受けることができない我々にとって、明らかになるのを待つ以外に考える問題があるはずである

 もし、国会改ざんされたものではなく、改ざんされる前の文書があの時点で提出されていた場合どうなったのか、つまり安部首相安倍昭恵夫人をはじめ政治家権力者による圧力や影響、この取引政治行政として健全ものであったのかという問題である

 おそらく今回の改ざん前の文章特に安倍昭恵夫人に関する記述にぴったりと来る諺は「虎の威を借る狐」ではないだろうか。

まさに文章から森友学園または籠池氏という「狐」が、安倍昭恵夫人、延いては安部首相といった「虎」の威を借り、理財局(威を示される側の事を以下鹿と呼ぶことにします)に対して(おそらく不自然な)交渉取引を行なったように見える。

 ここで、私たち虎の威を借る狐の虎は罰することができるのかという問いに立つ。

 虎の姿勢で分解し整理して考える。

 まず、虎が金銭などの見返りを求めた場合である。(1)

 これは、ある種ヤクザの「用心棒代」に似ている。

今回であれば、安倍昭恵夫人などがそういったことをしているといった証拠は出てきていないし、存在してないだろう。

もし出てきたのであれば贈賄によって行政私的操作したことになり最悪であるが、さすがにないだろう。

 次に、虎が威を借りられていることに気づいていない場合である。(2)

これは単純に罰することはおそらく難しい。

今回安部首相をはじめ、閣僚関係者はこの線で決着をつけたいだろう。

しかし、今回の件はこれを装った次の場合がふさわしいのではないだろうか。

 虎と狐が同一の目的を共有し、(暗黙のうちに)虎が威を貸すことに同意している場合。(3)

これは、上記の二つの中間位置している。

物理的、金銭的なメリットのやりとりはないが、精神的、思想的、またはその他のメリットを共有している場合である

ここで、2との重大な違いが発生している。威が借りられていることを認識しているかどうかである

この認識をどう証明するのか、また思想的なメリットなど具体性のないメリットを立証することができるのかという問題などがある。

おそらく後者の方は名誉校長就任していることなからも十分に指摘することができると思うのだが、前者を立証することは難しいだろう。

 また、今回でいう理財局、鹿(威を示される側)が威を察する場合もある(4)

完全に適した例ではないかもしれないが、芸能人に対してコーヒーショップでお店側が勝手サービスをする、といった感じかもしれない。

まさに、忖度であるが、この場合も2、3と似た状態である

(暗黙のうちにでも)忖度させているのか、勝手忖度されたのかの境界曖昧であり、2や3の状態とも組み合わさって起こりうる問題である

 最後に、全く虎の威を狐が借りなかった場合も考えられるが今回に関しては適さなさそうなので省略する。

 今回示した4つの虎の威を借る狐の分析であるが、

個人としてはこのいずれであってもいいので真実が、納得できる形で詳らかにされることを望むのみである

 蛇足だが、

水戸黄門紋所をチラチラと見せながら、自分の持っている物を「いいものを持っておるな」ともの欲しそうに話しかけられたとして、

水戸黄門もっと言えば紋所)に対して「差し上げます」以外をだれが言うだろうか。

これは、水戸黄門が言わせたと言えるのだろうか。それとも、勝手に私があげたことになるのだろうか。

どちらにせよ、これが不自然圧力ではなく、近代国家において許されると言えることなのだろうか。

2018-01-31

anond:20180131213953

ヴィーガン食生活についての主義で、増田の言いたいのはアニマルライツ動物権利)論者のことと思われる。アニマルライツ実践すると大抵ヴィーガンにならざるを得ないが、ヴィーガンが必ずしもアニマルライツ論者というわけではない。美容健康宗教的戒律、食の好みでヴィーガンをやってる人もいるからな。フェミニズム実践するとヴィーガンにならざるを得ないというのも、あんまりメジャーな主張ではないと思われる。全ての差別否定するならヴィーガンアニマルライツにいきつく、というのは概ね正しいが。

で、アニマルライツ一枚岩ではないが、メジャーな考え方としては割と能力主義的なところがある。例えば痛みやストレスを感じる能力がある動物は、人間社会においては人間と同じように痛みやストレスを出来るだけ受けないよう配慮される権利があるってことだ。

まり能力に対して相応の権利が生じる。日本国においても社会的能力が足りないと見なされる未成年には選挙権が与えられないのだから、同じくコミュニケーション能力不足な動物だって参政権などの「社会権」は相応に制限されるって寸法だ。社会権財産権生存権などの肉体的な自由と比べて一歩劣る扱いをしてもよい、というのはアニマルライツに限らず極端な無政府主義者以外ならある程度賛同するものと思われる。

ただ、近代国家知的障害者にも参政権を与えたり、必ずしも能力権利全面的対応させたりしない。アニマルライツ能力差別なのではないかという批判は昔から根強くあり、それに対するアニマルライツ側の反論もあるのだが、俺はアンチアニマルライツなのでここまでにしておく。

2018-01-29

金融シンギュラリティ

 今、仮想通貨話題である。この仮想通貨が将来現実通貨に取って代わるようになる時点を金融シンギュラリティと名付け、その可能性について語りたい。

 まず、過去においての通貨について考えてみよう。

 もともと通貨は金を中心とした貴金属で成り立っていた。金そのもの価値があるので、それと物品を交換していたのだ。しかし、ある時点から金そのものをやりとりするよりも金と交換できる券をやりとりする方が便利だという発明がされる。それが金本位制に基づく通貨の始まりだ。この時点でのは通貨仮想金と呼ぶことができるだろう。

 そしてそのうち、別に金本位制ではなくても通貨に信用があれば問題がない、ということに気がつく。この時点で、今まで仮想金であった通貨仮想ではない財産となったのだ。

 さて、その通貨の信用であるが、これは何によってなされているのだろう?それは、国が通貨を発行し、これが様々な物品やサービスなどと交換できる価値のあるものだ、と宣言し、国民もまたそれを信じることで通貨の信用は担保され、通貨財産たり得るのだ。

 では、現在国家によって保証されている通貨の信用であるが、根本としては信用があればいいのであって、それを国家保証ではなく、人々の信頼のみによって保証することはできないか?それが仮想通貨の発想の原点だ。

 だから仮想通貨は人々が信頼できる仕組みというもの内包している。それがブロックチェーンによる取引記録の透明性だ。

 通貨というのは所有者がいる。ある所有者からどの所有者に通貨が渡ったかということを記録する取引履歴が明快ならば、物理的な通貨が目に見える形で存在しなくても、ある所有者が持っている通貨いくらなのかということがわかる。現実通貨が、取引履歴不明瞭でも物理的に所有している者が明確ならばいいということとは対象的だ。仮想通貨物理的に存在しないために、所有者を表すには取引履歴がどうしても必要なのだ。この点で、取引履歴というもの仮想通貨命綱だということがわかるだろう。

 そしてその命綱である取引履歴、これは当然個々人が勝手に主張することができない仕組みになっている。正確には、個々人による取引履歴の主張はできるが、それが第三者によって承認されないと正規取引履歴として記録されない。ジャイアンのび太から仮想通貨をもらったかのび太仮想通貨は俺のものだ、と主張したところで、それを周りの人々が承認しないとその仮想通貨のび太の手元からジャイアンに移ったという事実取引履歴は記録されない。なので、ジャイアン仮想通貨を持っているというようには見なされないのだ。

 みなさんは、みんなが取引履歴監視することで保証される取引履歴、つまり所有者を表す記録を信用することができるだろうか?仮想通貨のものを信じられるだろうか?

 もしできるのならば、次のステップに進もう。とはいえ、だいぶ話は飛躍する。

 仮想通貨が人々に信頼され、実際の通貨と変わらないかそれ以上の利便性を持った使い勝手を獲得していったらどうなるだろう?具体的には、商取引仮想通貨が直接使えるのが当たり前になるなど。

 そのとき現実通貨価値仮想通貨と比べて下がっていくと考えられる。

 そして現実通貨価値ゼロになり、仮想通貨が完全に現実通貨に取って代わる時点がやがて現れるかもしれない。

 その時点を、金融シンギュラリティと呼びたい。

 では、金融シンギュラリティに到達した時点で何が起こるのか?

 まず、既存政府による金融コントロールが全く不可能になるだろう。それどころか、国というものがなくなってしまうかもしれない。

 なぜなら、現行の通貨は国による保証によってその価値担保されているが、その価値ゼロになるということは国に対する信頼もゼロになるということだからだ。加えて、仮想通貨には国境もない。そのため、国が仮想通貨による税収を始めてなんとか存続する、というシナリオも期待薄だろう。

 そんな世界になってしまったら、所得の再分配ほとんど行われなくなるだろうから近代国家が出来上がる以前のレベルにまで貧富の差が拡大するだろう。もしかしたらそれよりも酷いかもしれない。

 個人的には、金融シンギュラリティが訪れた後の世界アナーキズム支配されたディストピアになるようにしか思えない。

 しかし、仮想通貨はすでに社会に現れてしまった。それをなくすことはもうできないだろう。

 同時に、現実通貨仮想通貨に対抗して価値を維持し続ける世界というのも個人的には想像しづらい。いつになるかはわからないが、金融シンギュラリティはやがて訪れると思われる。そしてそれは、人類史を大きく書き換えることだろう。

 そんな時代に生きていることは幸運なのか不幸なのか?

 それはわからないが、仮想通貨というもの人類にとっての福音になるよう願ってやまない。

2018-01-16

既に中国に負けている

いつかは越されるだろうと思ってたが

思いの外早かった

いや去年の時点でそうで、信じたくなかっただけかもしれない

理由自分でもよく分からない

行ったわけでもないし、統計を調べたわけでもない

でも毎日見てるニュースで、もういい加減気づく

気づいていない人も、2020年も過ぎれば突きつけられる

過去面白国家中国はもう無い

あるのはただただデカ近代国家

多分中国地方ではまだ面白国家なんだろうけど、それを言ったらどの国だってそうだ

もうビルが倒れるのは日常じゃないし、便器が爆発する国でもない

まりにも早くて、まるで突然隣にアメリカが出現したようだ

幸運なのは中国が未だに文化経済的には意外と閉じていて、日本もそうだということだ

影響をモロに受けることはないだろう

例えばもし言語が同じだったら詰んでいた、台湾はよく耐えてるな、いや耐えてるのか?

もし中国に越されたらどうしようと思ってたが、答えは何も出てない

別に今までと変わらない

ある日突然隣にアメリカが出来てもそう変わらないのと同じだ

ただ、どことなモヤモヤするだけだ

そうだ、俺は面白国家中国が好きだったのかもしれない

2017-12-08

55歳平田オリザさんに第1子 「普通名前つけたい」:朝日新聞デジタル

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASKD75VVDKD7PTFC00M.html

個人的には、鳩山首相時代内閣官房参与を勤められた時の

「やはり21世紀っていうのは、近代国家をどういう風に解体していくかっていう100年になる」

というセリフを未だに忘れていない。

からなんだという訳ではなく、単に「忘れていない」ということは書いておく。

2017-11-26

anond:20171126212458

学がないようなので教えてあげるけど、アメリカ知識人多様性をことさら強調するのは自分たち侵略者であるという歴史をよく知っているからだよ。

原住民を押しのけて近代国家を作ったという歴史理解した上で、新たな価値観を持った存在に発展への道を開くべきという立場をとっている。

トランプ支持のヒルビリーあたりだけがアメリカ白人男性)の国」という無知な態度を取ってるだけだよ。

2017-11-16

anond:20171116154015

課税なら私有財産権を侵害することにはならないし。

そこは勘違いだよ。徴税私有財産権の侵害にほかならない。ただ、私有財産権は公共の福祉制限を受けているから、実際的には私有財産権の完全な発露を抑制されている状態ってだけなんだよ。公共の福祉のためにということで個人財産の一部を徴収するのが税というシステムだと言いかえることもできる。

税金を払いたくない(多くの人はそうだろう)に対してそれを徴収することができるというのは、これは前記事でも触れたとおり「暴力」なんだよ。前記事やここで「暴力」としているのは「対象意志無視して自分意志や行動を強行/強要する能力行為全般」だ。

もちろん公共の福祉という概ね良い目的のために、国民監視可能な形で、適切に運用されているか課税徴税現代日本において「悪い暴力」ではない。

でも歴史を見れば分かる通り、財産徴収国家独裁者一方的な都合で行われて、戦争などに使われた例なんてざらにあるわけ。だから、「徴税暴力ではない」なんて詭弁だよね。まさに暴力にほかならない。大多数にとって納得できて現代日本社会では善として扱われている(あるいは近代国家運営のための必要悪)だけであって、暴力であるのは否定できない。これは警察治安維持)なんかもそうで、僕らの日常にも暴力は溢れているわけ。

選挙を始めとした多数決だってアレは暴力だ。数が多い事をてこにして少数者の意見を踏みにじるためのツールだ。もちろんその暴力が適切に、みんなを幸せにするために使われることはあるし、事実現代日本では多くのケースでそうだろう。でもだからといって、そういう暴力性を無視しちゃいけないんだよね。無視したところから民主主義崩壊は始まる。だからこそ多数決で勝った側が負けた側

少数者)の声に耳を傾けることが重要なわけ。民主主義多数決ではなくて、むしろ多数決をした後あるいはする前の合意形成技術や、それを支える民度民主主義の精髄だ。

さらに例えば、経済的地位濫用して企業労働者搾取するってのも(経済的あるいは社会権力的な)暴力だ。暴力からこそ法で規制する必要があるわけだよね。またその逆側の、労働者が数を頼んで選挙やストなどで他者(多くは富裕層)の財産権利を奪おうとするのも、これまた暴力だ。

人間社会は(先進国では概ねちゃんと制御された)暴力応酬で形作られている。長い歴史の中で人間は(人間政治は)暴力範囲限定してきた。ロングソード農民頭蓋骨を数個割れば村の徴税権ゲットだぜ! なんて時代に比べれば文明的になった。

でもブコメなんかに見られる「現代日本暴力駆逐された」みたいに信じている人のそれは正しくないんだよ。むしろありとあらゆる接触に暴力が上乗せされているのが現代社会というものだとおもうよ。

多少ひねくれた表現が許されるのならば、政治とは「利益の異なる個人集団暴力相克を、なんとか社会崩壊しない範囲内で収める術」だと言いかえることもできると思う。それに失敗すると、ベネズエラとかジンバブエになるし、その手前の「社会の分断」段階でもEUやらアメリカみたいになる。

富裕層から税をぶんどれば良いんだ」「AI課税してしまえばいいよ」「共産主義にして金持ち資産国有化しよう」これらはすべてコメにあった無邪気な意見だけど、それらは「あいつを殴って奪おうぜ」という暴力肯定意見だとちゃんと自覚して発言しているのか、そこが疑問だ。別に富裕層かばうつもりは全然ないんだけど、「あいつを殴って奪おうぜ」に賛成するのならば、当然に「自分が殴られてすべてを奪われる」覚悟必要だよね。

一番最初記事https://anond.hatelabo.jp/20171115141727)に感じたのもそういう懸念だったんだ。「俺はあいつを殴っても殴り返されないし許されるだろう」みたいなふわっとした(悪い意味での)信頼感。

いやいやとんでもないそれ暴力から記事中ふれたように暴力社会のあらゆる場所に(表面的にはあたかもそうではないようなカモフラージュをされて)存在するものから、殴るなとも暴力を振るうなとも全く言わないのだけど、でも振るうのならばせめて自覚しないと危険だよ? と思った。

全力で殴り返されて半死半生になった後に「そんなつもりはなかったのに」って言っても手遅れなわけで。

2017-10-28

どうせアメリカ支配されてるんだから

アメリカみたいにリバティーフリーダム精神になればいいのに

見た目だけ近代国家で中身は中世土人から困る

2017-10-13

日本近代国家になり損ねた

敗戦欧米式のシステムを与えられたけど、結局正しく運用できなかったね。

議会政治機能してない

司法裁判→正しく機能してるとは言い難い

労働基準法→守られない

警察→腐敗

教育→無関心

少子化打つ手なし

年金崩壊

インサイダー取引→捕まらない

大手上場企業の粉飾→お咎めなし

国民意識→低い

2017-09-23

世界ラノベなのに

某人気異世界ラノベの最新巻を読んでて、ふと、面白いんだけど何かカンに触るな・・・と思って作中人物の行動について考察してみると

 ・最終的には貴族になる

 ・貴族への忖度貴族になる前も後も一貫して当然視している

 ・作品世界内では貴族ネオリベ的なのが普通

 ・庶民への厳罰主義

 ・現代人の知識を持っているくせに国政に影響を及ぼすようになっても家族利益優先

というところがどうも引っかかっているポイントのようだと分かった。

あらためて見まわしてみると、どうも界隈全体が復古主義的だったりミリオタ的だったり優生思想があったり、アレな感じがする。

もちろん現実世界で上記のようなものに大多数の人が現在進行形で悩まされている以上、

作品世界中でもそういうものが描かれている方が入り込みやすいし、また自身処世術について考えさせられる機会が得られるという意味有益なのだが、

現実世界で起きている類似の状況が異常だという意識を薄れさせるという点では、これはきわめて危険図書だと言わざるをえない。

だいたい日本の良くない点は突き詰めればこれらに端を発している(というか明治政府下の日本武家社会の名残で近代国家として微妙だったのを平成になった今でも引きずってしまっている)

ことを鑑みれば、

これらからの脱却ができるかどうか(むざむざ再生産してしまわないかどうか)について、

もっと問題として取り上げられてもいいのではないかと思う。

2017-09-18

とかく自称保守というのは中途半端なんだ

二言目には日本の伝統がどうとか言うが、たいていは単なる明治原理主義で、それ以前には遡らない

そこが面白くないのだ

もっとスーパー保守が出てきたっていいと思う

日本国憲法は押しつけだが、明治時代にしても、近代国家体制を整えなければ植民地にされていただろう

まり明治憲法からして外国の押しつけみたいなもの

あんなのは廃止して、もういっそ幕藩体制に戻ろう、征夷大将軍は俺だから

このくらい言うのが出てきたっていいじゃないか

2017-09-17

anond:20170916194515

マジレスするけど、

不平等条約改正、そして日本植民地化をすることを防ぐためには日本近代国家形成する必要があった。

なんだよなあ

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817030606

まず、明日食うものも困ってる人だけが飢餓じゃない。その前提がおかしい。食うものがあっても生きるのに十分な栄養をとれない人たちがアメリカにもたくさんいる。そして、それはアメリカ競争社会に敗れた人たちであることは間違いない。それが、人種ごとに別れて抗議するってのは一つの問題だとは思う。けど、白人が寄り集まってそれをしちゃいけないってことではないし、海外貧困を優先する理由にもならない。

自分国民生命財産保証するってのは、勝手理屈でも詭弁でもなく近代国家絶対的ルールでそれがないがしろにされる可能性はゼロな。だから餓死者がでる責任第一義的にその国家にある。先進国サポートをする役割責任はあっても、命の保証まですることはない。

そして、アメリカ国内相対的格差が解消されれば今回のような集会は間違いなく縮小する。被差別感情を克服できるかは個人問題だけど、それを表に出す機会は間違いなく減るだろうな。

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