はてなキーワード: 薄氷とは
いずれにしても、元増田の「気持ち」が「就活で上手く行かなくて劣等感を持ってた"都会の民間企業の総合職"に対する合理化(防衛機制)」であることなんて2秒で分かるし、しょうもない「ワークショップ」(それ自体がフェイクだったとしてもとにかく何らかの表面的な交流だろう)の結果で無理矢理作り出した合理化なんて薄氷にも程があるってことも5秒くらいで分かることなわけで、そんなことで元増田の心の課題は何も解決しないこともみんな分かってると思うけど。
元増田が本当に心の課題を解決したいんだったら、さっさと「都会の民間企業の総合職」に転職でもすればいいわけよ。
親がどうとか家族がどうとか、地方を離れられない理由があるのかは分からんけど、結局最低でもそれをやらない限り、しょっぱい優越感で無理矢理納得させようとしても無理だろ。
どこまで自分を言い表しても
絶えず浮かび上がる恐怖本能
自分が判断し行動することすべてにおいて否定的な感情感覚衝動思考が
止めどなく現れ、結局こうなるんだ。
将来のやりたくないことが多すぎてもういやになっちゃって。
なんでそんなに未来を見てしまうのか今を生きることができないのか
でも今ココに向けたら向けたで未来はこれでどうにかなるのかという不安が
止めどなく溢れてきて視界と意識がジャックされて思考がタイムスリップしてあり得る
表現せども、口に出しても
止めどなくひたすらあふれ出でる源泉のようで
蓋を閉じることもかなわなければそれに意識を向けず無視するのも難しいの。
一度最悪なifを考えてしまったらもうそれが現実に起こり得るかのようで
僕の遺伝子で設計された死を防ぐための行動が自分の人生で死ぬまでにやりたいことを
阻んでしまってる。
恐怖本能の意のままにされてる。
限りなく低い。
圧倒的に進化が追い付いていない。
前頭葉を介することが出来ず
こんな人生を俺は望んじゃいない。
幾度となく度重なる自己批判が湧いてくる。
知った言葉の中で難しそうな言葉を選んで書くことによって自分はこんなに
言語知性があるんだと思い込んでやってるのか?そんな
みたいな。
思考が沢山、それこそ無限ともいえるほどに出てきてそれが真実だと捉えて
何一つ現実に、周りに周囲に、皆に世界に影響を与えることもできずに
何一つ介入できず、ただただ席に座り傍観者のように自分や周りを見ている。
一切の合理的な行動を取らずただただ気分や感情にさらされコントロールされる自分を
唯々見ることしかできないで
ここに行きたいんだけどこいつらが脅すからその目的地に着けないみたいな。
でも実際はハイジャックは実銃じゃなくて、脅しはするけど打てずに害を加えることもできない臆病者であることを知っているにもかかわらずに
それらの知識があるにも関わらずそれに対する有効な手立てを打てない自分が腹立たしくて
ちょっと進んだと思ったら下がる。
そしてその下がる要因を突き止めることが出来ずなんども考え思考し施策し実行し
すごい勢いで後退して…
それを何度も何度も繰り返して
ありとあらゆる精神的苦痛を味わいしゃぶりつくし噛み砕き飲み干しても次から次へと責め苦が
なだれ込んできて咀嚼することも困難になって息すらまともにできずただただ絶望に瀕して
嗚咽を漏らすだけの人形になってて。
分かってるのに理解してるのになぜか体が動かない。
そんな気分でさ。
例えるならさ、ロボットを操縦しててさ。
右手を動かすレバーをひっきりなしにあげさげしてるのにうんともすんとも言わないイメージ。
なによりこれだけ自分の状況を言葉に置き換えたとしても、この連休中に
自分のためになることを9割出来ていない自分が変わることは無くて
過去を悔やみ未来を嘆き今に生きず、ただ最悪のifを永遠とヘッドマウントディスプレイを被って見せられてる感覚でさ。
乗り越えたいのに無視したいのに、
それでも俺は人と絡みたい人と関わりを持ちたい良い影響を与えたい良い関係を築きたい。
良い介入をしたい、ただただ世界をよりよくしたい。
そう思ってるのに思ってるのに何もできずただただ嘆くことしかできない自分はこれ以上何ができるんだと。
わかってるよ。やる、出来なくても全力でやって死ぬってことは決めてる。
ただただ、ただただできない。やれない。行動ができない。不安すぎて、恐怖が強すぎて。
この行動をしたら誰かに批判されるのではないか否定されるのではないか
拒否されるのでは拒絶されるのではいじめられるのでは馬鹿にされるのでは
軽蔑され侮辱されるのでは、痛めつけられるのでは人権を剥奪されるような惨い行いをされるのでは
そういう不安で恐怖で何も考えられなくなる感覚が多々あってね。
最近やっとそれを感じなくなったと思ったら自分が突然制御不可能になって。
未来に起こる多大なるストレスに不安を抱いて今に生きれず今の時間を有効活用できず
有効活用できないから未来が良くならず良くならないから未来を憂い今に生きれず
この負のループを描いてるのも間近で見て何とかしなきゃって言ってるのになにもできない。
こういうたとえ話や状況を把握して言語化してるのにも関わらず、
まともな認知機能を行使するまでもなくただひたすら遺伝的に設計された進化する上で必要
な要素を組み込まれたタンパク質等で構成された肉塊が意思を持たず単調なプログラミングの元動いてる
生命体になってる気がしてさ。
それはもう虫と変わらないんじゃないかなって思ってさ。
株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているから株価が上がる。シンプル。
なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社は株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。
実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ、企業の価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定の企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がりに株価は回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。
なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから、株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。
いや、資金がなければ、リスクもへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家や公的な基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府がコロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場にピンポイントに必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的に必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安の時代であり自粛の時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場をちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。
それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから、市場にカネがだぶついているとわかっているときに株価が上がるのなら、手持ち資金を現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑、薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。
ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。
コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題は過去のものになる。確かにwithコロナの時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常は日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムードは批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。
本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態は投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代の資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全な経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。
身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常の消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレやデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。
投資家たちは、実体経済がインフレになり、その反動が株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない
コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなたは死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。
アンジャッシュの渡部のスキャンダルや、東出しかり、なぜ多くの芸能人は、いつも自分の仕事を棒に振るほどの愚行を犯すのか理解に苦しむ。
一般人と違って、自身のイメージが仕事に直結する、自分の存在そのものが「商品」で、価値を上げるも下げるも自分次第なわけで、それは強みでもありリスクでもあるのがわかっているはずだ。
また、過去に仲間や多くの芸能人たちが数々のやらかしをやってきているのを身近に見てきて、なぜバレるのか、誰からバレるのか、LINEでのやり取りはやばいとか、相手への口止め含めて徹底的にに証拠は残さないとか、誰がどこで狙っているのかetc.過去の同業の芸能人たちのスキャンダルに沢山のケーススタディが溢れているのに、同じことを繰り返す。
渡部に関して言えば、好き嫌いはともかく、自分のキャラをよく分析できていて、イメージ作りをかなりうまく構築してきた、自己プロデュース能力に長けたタレントだと思っていた。
アンジャッシュのすれ違いネタにあるよく練れられたと感じさせるネタや、グルメ方面への活路による成功、佐々木希との結婚、夫婦でCM出演という好イメージ作りと、反面、「実はクズ」という有吉弘行によるネガティブなイメージも世間からの嫌悪感の逃げ口にうまく利用できていたと思う。
にもかかわらずだ。
芸能人のイメージなんて、薄氷を踏むほど危ういものであることは、一般人の我々よりも、自分自身がよくわかっているだろうし、バレた時の代償の大きさをなぜ考えて生きれないのか、渡部みたいな小賢しそうな人間ゆえに、余計に不思議に思う。
京アニの自社レーベル「KAエスマ文庫」の新人賞から出てきた和風ファンタジー。荒削りだけど面白かった。
主人公はYAMA育ちの少年で、「典薬寮の魔女」と渾名される少女の護衛を命ぜられる。宮廷で医薬を司る官衙に勤める彼女が情熱を燃やすのは、薬殺を阻止すること。そんな彼女に付き従う少年は、次第に宮中を舞台にした陰謀の渦中に巻き込まれていく……という、和風ファンタジーでミステリとサスペンスをやっている作品。
個人的には、キャラ立てが弱かったのと、主人公の扱いがなんか変、というのを感じた。
まずはキャラ立て。主人公が仕える雪代という少女は典薬寮の魔女と呼ばれていて、実際にクライマックスで壮大な陰謀を暴き出し敵を追い詰めるわけだけど、そこに至るまでに周囲から魔女呼ばわりされたり過去に解決した事件の話をされたりはするのに肝心のリアルタイムで解決した事件がメインの陰謀しか描かれてないからちょっと物足りない。
他作品を引っ張り出すのは気が引けるけど、たとえば〈古典部〉シリーズの第1作『氷菓』だと、主人公である奉太郎が小さな謎をいくつか解決した上で、大きな謎に挑む、という感じになっているから、奉太郎が周囲の人たちから一目置かれてたり嫉妬されてたりするというのが納得できるようになってるし、最後の謎が引き立つんだよね。
もちろん本格ミステリだとキャラよりも謎解きがメインになるから、それまでの実績がちっとも描かれない探偵役がいきなり大きな謎を解いてもいいんだけど、本作はキャラも重視しているように見えるからそれだけだとちょっと不足かなって。
主人公の扱いがなんか変、について。護衛用の人材として連れて来られたやつを助手としてこき使うまではまあいいとして、そいつに医学の知識を勉強しろと言って教育を受けさせるのはマジで謎だった。護衛を敵の襲撃もないのにヘトヘトにしてどうするの……? なんのためにこいつ連れてきたんだよって思っちゃうな。
あと前半で出てくるやつがどう考えても陰謀の関係者だったのは「ですよねーーーーーー」って感じだった。まああからさまに怪しかったからね、しょうがないね。あのポジションのキャラは誰が書いても怪しくならざるを得ないよな……
ここまで文句を書き連ねてきたけど、美点も言っとかないとフェアじゃない。京アニの自社レーベルでやってる以上は当然なんだけど、映像がすごい映えそう。平安時代っぽい都に聳え立つ人工の山、そこに築かれた宮廷、動き回る貴人たちといった都会的な情景と、山奥を走り抜ける少年、荘園に侵入しようとする騎馬の者たち、といったファンタジックな情景が入り混じって、京アニの絵柄で再現されたらとても美しそうだと思った。実際に選評でも
と書かれているので、やっぱりそういうのも重視して選んでるんだろうな。上で書いたように、本筋の事件以外を解決する描写が少なすぎて物足りないので、前半部分にアニオリのエピソードいくつか入れたら1クールアニメになりそう(小並感)。
さて、物語の展開とかではなく些細な点への指摘を。これは好みの問題なんだけど、地の文とかで見知らぬ用語が出てきたときに、それをカッコ書きで説明されると割と萎えるものがある。
いや説明が必要ならそれは地の文でしてほしいし、多少わかんなくても読むのに支障はないわけだし、ファンタジーにわからん言葉が出てくるのはある程度前提なわけですよ。わからん言葉があれば飛ばして読むか辞書で調べるかするし、なんなら咄嗟にわからん言葉が多少出てきた方がファンタジーって感じがして好みだから(自分の日常から離れた世界が描かれてるんだから知らない言葉はあって当然)、カッコ書きで言葉の意味を説明するとかいう野暮はあんまりしないでほしいなというお気持ちがある。
たとえば「刑部省(司法、裁判、刑罰、監獄を管轄する)」「検断(裁判にかけること)」(48頁)なんて、そりゃどちらも耳に馴染んだ言葉ではないかもしれないけど字面で意味がなんとなくわかるし、わからなくてもこの先の理解に別に支障はないんだよね。
「補任(官職を受け取ること)」(111頁)だって歴史に興味があれば知っている語彙だし、知ってなくても読み飛ばせる。「遷任(異動)」(129頁)も左遷を言い渡されるシーンなんだから字面と文脈でわかるでしょ……
さらに、上で挙げたような現代人に馴染みの薄い言葉に説明が要るのはまだわかるとして、基礎的な語彙にカッコ書きで説明されてると、なんというか「この単語にカッコ書きするってことは作者にとってはこの単語は馴染みのないものなのか」というのがわかっちゃって「おいおい……」って感じになるんだよね。
「厨(厨房)、厠(便所)」(66頁)は別に説明要らないだろ! 厠なんて時代もののファンタジー読んでたら普通に出てくるし(西洋風ファンタジーでも使うでしょこのくらい)、厨は音で聞かされたらわかんないかもしれないけど字を見れば意味はわかるわけで。
「茣蓙(敷物)」(108頁)はちょっとビックリした。ええと……ゴザ、見たことありません? ホームセンターで普通に売ってない? 俺、夏場は卓袱台の下にゴザ敷いてるよ? 畳の部屋で暮らしたことがあればゴザなんて誰でも知ってるでしょって思ったけど、ひょっとして最近の人ってそもそも畳の部屋に馴染みが……ない……?
(あ、でもホムセンとかでもカナ表記しか見たことがなくて、家族との会話とかでは音でしか知らないので、こんな漢字を使うんだというのは知らなかった。ひとつ勉強になった)
作者さんはあとがきで「ふと『日本人って日本のことあんまり知らないよね?』と疑問を抱いた」(380頁)って書いてるけど、あ、ほんとに知らなかったんですねという感がありありと出ているので逆に納得してしまった。そりゃ、ゴザに説明が要ると判断する人からすれば補任とかも謎の用語に見えるんだろうな……
まあカッコ書きされてる注釈は映像化するときには特に説明とかされない感じなんだろうな、と思うので、些細なことと言えば些細なことではあるのだけれど。
ところで、本作を読んで気に入ったのなら、沢村凛『黄金の王 白銀の王』(角川文庫)も勧めたい。『典薬寮の魔女』と同様に上代日本風の異世界を舞台にした作品で、陰謀渦巻く宮廷の物語なのだけれど、薬殺阻止を掲げる『典薬寮の魔女』と違って『黄金の王 白銀の王』の主人公たちが目指すのは「内戦を終わらせる」こと。何十年も氏族対立が続いた国で、憎しみ合う2つの氏族の若き長同士が、事あるごとに紛争を再燃させて敵対氏族を根絶やしにしようとする味方を抑えながら戦争を終わらせるために薄氷の上を歩き続けるお話です。凡百の戦争ものよりも遥かにハラハラドキドキさせられる作品。
確かに経済回さないと経済で死ぬ人がバンバン出かねないという面では緊急事態宣言は解けるなら解くに限るとしても。
GW明けで世の中の人の動きが「どうしても仕事に行かないといけない人」の分がどこまで影響が出たかを見極めるにはあしたくらいまでは様子を見たほうが良かったが気しないでもない。
どうにせよ、緊急事態宣言を解いてもいきなり元の生活には戻れず。
かつての「地雷を踏んだらサヨウナラ」とか「薄氷の上を歩く」に例えるような綱渡りのようなコントロールはいつまで続くのやら。
緊急事態宣言解除でしたいことは様々だけど、まずは歯科検診かな。
本来はGWの恒例だったけど、今年は歯科医師会の要請に従って見送りしてるのと、最近歯茎周りに若干の違和感が見られるので、それは自粛しなくてもバチは当たらないだろう。多分。
湯浅「自己責任論の時期は終わった。本人が悪いんだ、我慢がたりないんだと言っても、
ホームレスで亡くなる人もいるので、そこをもっと建設的に話していかないと」
金「ちょっと待って! 湯浅さんの言う事を聞いていると、今は大変だから皆で知恵を絞らなければならないのは確かだけど、
この人たちが大変だからということだけが全面的に押し出されて、同情論と救済論だけがほとんどの言論を占めているのは間違いだと思う。
やっぱりこの人たちがここまで至ったプロセスというかストーリーも必要だ。さもなければ若い人は学ばない。
自己責任の部分もあるのだと言う事をやっぱり言わなくては世の中は変わらない」
「今はどの国も薄氷を踏むような時代。自分自身の力で生き残らなくてはいけない。能力のない人間が生き残れないのは仕方がない。
それを助けろというのは間違っている」(金美齢)
https://5ch-ranking.com/cache/view/poverty/1472970519 anond:20200422163006
観戦爆発しても
kiyo_hiko 仕事で顧客や上司に合わせてく努力して、まれに自己主張するようにしたら心理的に楽になって仕事も速く終わって評価もあがって時間余らすようになったけどな…性愛は経験無いからわからん
まれに自己主張する、仕事の場面で上司とかに合わせる努力するのは健全な範囲ではないのかな。合わせない合わせられないとかなり干される危険と隣り合わせというか契約が切れる時期に来たら切られる可能性限りなく高いでしょ。中小はね。
自己主張するととたんに敵対視とか仕事で合わせるくらいならともかく、プライベートな時間もプライベートな身体の事情や身体そのものも犯される危険と隣り合わせで薄氷踏んでいかなきゃならんのが女性の場合都市伝説とか希な状況ではなかった、現在ですら場所により当たり前の現状なわけでね。仕事やコミュニティにより若い男性でもそういうのはあるんじゃないの?
危機の出始めにはよくあることだが、ニュースやSNSを見ているといまだに妙な楽観論が支配している。4月にはウイルス騒ぎが収束し、日経平均株価は20500円前後で底入れし、間もなく景気も回復するなんてことを言う専門家も少なくない。だが、そんな可能性は万が一にも無くて、少なくとも東日本大震災級、悪くてリーマンショック級の不況が来るのは確実なのだが、企業業績や経済指標などに具体的に反映されないと私たちは危機として認識できないものなのだろう。
コロナショックは、超グローバル社会と感染症とが組み合わさった未曾有の事態だが、今後の日本経済で展開されるシナリオは過去の経済危機の経験からだいたい想像はつく。リーマンショックの時は、金融機関へのショックを起点として、不動産→耐久消費財(自動車など)→消費財→小売り・外食へとショックが伝播していった。今回は実体経済にまずショックが起き、人とモノの流れが国内的、国際的に滞り、そこからいろいろな過程へ伝播していくプロセスとなっている。
3月上旬の今、飲食店、ホテル、テーマパーク、スポーツジム、イベント、旅行業、ホテル、百貨店といった個人消費分野がすでに深刻な打撃を受けている。
また、世界の製造業の中枢である中国の工場稼働停止が、各国の製造業のサプライチェーンに深刻な影響を与えている(これは早晩正常化するだろう)。
これから何が起こるのか。年内ぐらいでありそうないくつかのシナリオについて、整理したものを書きおこしておく。
●リーマン・ショック時の「トヨタ・ショック(2008年11月の下方修正)」のような、代表的企業の業績下振れショックが3月下旬~4月末の株式市場を直撃する。
●個人消費の縮小に続き、春先から企業投資にもブレーキがかかる。機械受注や民間建設受注の前年比マイナス幅が大きくなる。また、広告出稿量も低迷する。
●4月初め、歓送迎会シーズンなのに居酒屋ガラ空きの映像がテレビに流される。
●金融円滑化法が事実上復活したにもかかわらず、中小の旅行代理店や飲食店、旅館、イベント会社の倒産が前年比で急増する。加えて、さらに図体の大きな業態(空運会社など)でも信用危機が取り沙汰され、金融界に緊張感が高まる。
●インバウンドによって支えられてきた地方経済の困窮ぶりが併せて問題になる。貸し倒れ懸念の高まりとともに、ただでさえ暗かった地方銀行の先行きがさらに暗くなり、再編機運がいっそう増す。
●東京五輪の中止か延期をIOCが発表する。もし予定通りの開催となったにしても来訪する観客数は想定を大きく割り込み、旅行、ホテル業界が目論んでいた2020年下半期の回復シナリオが完全崩壊する。
●日経平均株価が15000円を意識した流れへ向かう中、株価を買い支えてきた日銀やGPIFの含み損に批判の目が向けられる。
●「派遣切り」が相次ぎ、派遣労働者の活動が落ち込む。相前後して鬼女板が往年の勢いを取り戻す。
●「餃子の王将」「マクドナルド」ブームが再来する、既存店売上高の前年比増加率が2桁を超える月が続く。
●ホテルの建設中断があちこちで起きる。五輪の見込みが外れ、今やホテルは完全に供給過剰になり、経営悪化に耐えられなくなった事業者の中から、手元資金確保のためのホテル物件投げ売りが起こる。そのいくつかは財務基盤の厚い財閥系デベがマンション用地としてハゲタカのように拾いあさっていく。
●もともと薄氷を踏むようだった構造不況業種も、リストラや業界再編の動きを一段と加速させる。例えば、百貨店や百貨店への出店を主とする従来型アパレル(三陽商会やオンワード)。
●10月の臨時国会では、インバウンド依存型経済の功罪が議論になるとともに、巨大な補正予算が組まれ、消沈するインバウンド需要の埋め合わせを財政で行おうとする。消費減税や、疲弊する地方の振興、特定の市場への振興策などが景気対策の玉として注目される。
●景気刺激策として政府は新たにどんな市場を振興したがるだろう。これについては予想がつかない。ただ、リーマンショック時はエコカー補助金、家電エコポイントとして実現された。自動車や電機業界のロビーイング能力は今回も健在だろう。
●大胆な財政・金融政策パッケージによる景気回復を前面に打ち出したドナルド・トランプの再選が決まる。
●安倍晋三4選への道が険しくなる。この道が絶たれた場合、政権がレームダック化するため、「ポスト安倍」に向けた自民党各派、公明党、野党の動向が2021年政治の焦点となる。
三島由紀夫のエッセイで読んだんですが、我々の人生は薄氷の上で踊っているようなもので、いつ予想外にも氷が割れるか分からない、みたいな話。
そういう災厄は、成功者にも敗残者にもその他の中間層にも一定の確率で平等に降り注ぐのです。
具体例を出して申し訳ないんですが、学歴と仕事の出世では日本一だった農水省の事務次官は家庭が崩壊したし、某農水大臣は汚職を抱え込まされて首を吊ったし、美貌と学歴に恵まれた高橋まつりさんは(穿った見方をすれば、高すぎるプライドが仇となって)悲惨な死に方をしました。
才能とか頭脳とかに恵まれた成功者でも哀れな人生の末路を辿ってしまう人がいる一方で、けして裕福でも突出した能力があるわけでもないから、話題性が無いので表には出ないけど、最愛の人と結婚出来て家庭生活が幸せでしょうがないみたいな人々もたまによくいます。(ソースは増田)
10月も最終週を迎え、ラグビーW杯も3試合を残すのみとなった。
準々決勝で日本が大会を去り、バラエティ番組などでは「大会お疲れ様」という雰囲気も流れているが、四年後の話をするにはまだ早い。
ウェブ・エリス・カップを巡って決勝を戦うチームは今夜決まるのだ。
日本代表がいない大会でも、まだみんながラグビーを楽しんでいてくれて嬉しい。
増田ももうすこしだけ試合をレビューしてみんなの力になりたいと思う。
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さて、ラグビーの母国イングランドが黒衣の王者ニュージランドを下した昨日の対戦を「事実上の決勝戦」と表現する声もあったが、そう言われては今日戦う2チームは立つ瀬がない。
今夜行われる対戦は、2度のW杯チャンピオンに輝いた南アフリカと、直近の欧州王者ウェールズだ。
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日本と因縁浅からぬ南アフリカは、その圧倒的なフィジカルを利して日本を封殺しただけでなく、予選プールでもニュージランドに敗れた1試合以外は30点差以上の点差をつけて危なげなく勝ちあがってきた。
ただ、予選で1敗でもしたチームがW杯で優勝したことはなく、準決勝に臨んで得点源の一人である「ポケットロケット」チェスリン・コルピを怪我で欠くのも気がかりだ。
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対するウェールズはここまで薄氷の勝利を積み上げてきたものの、ツーブロックに長いドレッドのFLジョシュ・ナビディ、多くのチャンスを演出してきたFBリーアム・ウィリアムスを失い満身創痍だ。
激しい戦いのせいか怪我に悩まされるウェールズ代表は、今回だけでなく前回W杯でも大会前から予選プールにかけて大量の離脱者を出し、ベスト8に終わった。
その時に敗れた相手が南アフリカで、こうなってくるとラグビーの神様が赤いドラゴンに試練を与えているのではないかと疑いたくなる。
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ただ、そういった方面の話には朗報もあって、昨日、神様の中でも黒い服を着たやつを、そういう事あんまり気にしないパワハラおじさんがお仕置きしてくれたので、これ以上のイタズラは心配しなくても良いかもしれない。
全力をもって今夜の戦いに臨むだけだ。
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南アフリカは圧倒的なフィジカルと勤勉さを盾にした鉄壁のディフェンスとハイパント、これまた強力なフィジカルで圧力をかけてからの展開や、キックで得点を狙うチームだ。
対するウェールズも、赤い壁と表現されるディフェンスと、一撃必殺のセットプレー、アタッキングキックを用いた奇襲、突如繰り出すドロップゴールなどで対抗する。
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お互いぶつ切りの展開になれば自分たちのラグビーに持ち込めるが、それは相手も同じで、強みにフォーカスすると相手の強みも誘発してしまいかねない。
がっぷり四つの対戦になるだろうか、相手の強みを消しにいくだろうか。
ウェールズのウォーレン・ガッドランドHCは「世界一美しい試合というわけにはいかない」とキックの多いゲームを示唆したが、そのキックにつながる地上の密集戦がどちらのものになるかが重要で、これを制圧した方がゲームをより優位に進めるのではないだろうか。
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17:45、フィールドに屈強な男たちが降り立ち、黙祷に続く国歌の斉唱。
代表チームのキャンプ入りの際、地元の子供の合唱という形で歓迎を受けたウェールズ国歌、「ランドオブ・マイファーザー」は今夜も場内の多くのファンが声を合わせた。
「神よ、アフリカに祝福を・南アフリカの呼び声」も同様で、それは美しい光景だった。
国にかかわらず皆が声を合わせ、会場に響き渡る国歌、これはこのW杯で日本がホストとして成し遂げた成果かもしれない。
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いよいよ試合開始、前半、南アフリカのキックオフは、蹴り返されて自分たちに戻ったボールをいきなりハイパントし、そのキックが展開を予想させるものとなった。
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開始早々、ウェールズがボールを持てば南アが力任せに抱え上げて立往生を食らわせ、南アボールの密集になればウェールズのLOアラン・ウィン・ジョーンズが地上戦でボールを引っこ抜いて攻守交代。
双方フィジカルで一歩も引かず、硬いディフェンスのうえ、どちらも攻撃の展開にも複雑なオプションがない。
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簡単に突破できないのでキックに活路を見出し、2分に1回はどちらかがハイパントをあげてはスクラム、という展開のなか、その流れで南アが獲得したマイボールスクラムに組み勝って2度のペナルティーゴールを獲得。
しかし、ウェールズもランから進入してやり返し、これまたペナルティゴールを獲得する。
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異様に回数が増え、序盤の鍵を握る事になったハイパントは、横浜国際総合競技場上空に強い風が吹いているためボールの行方が安定しない。
徐々にランに切り替える南アだが、地上戦では度々攻守の交代を食らわされ、ウェールズがジワジワと前進してくる。
後退の原因は起点となる地上の密集戦を制圧しきれないことだ。
30分を過ぎ、南アにとって息苦しいような時間帯になっていく。
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強みを見つけて流れをつかみかけたウェールズだが、やはり神様はしつこいようで、35分、突進してくる南ア・フェルミューレンにいった単純なタックルでPRトマス・フランシスが肩を痛め、その直後にWTBジョージ・ノースがハムストリングに悲鳴をあげて交代、ここにきて負傷者が相次いでしまう。
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キック合戦でゲームが動かないまま40分が過ぎ、6-3のスコアで前半は終了したが、ウェールズはまたも襲ってきたこの試練を乗り越え、後半の40分を自分たちのものにすることができるだろうか。
そして大方有利とみなされながらも赤い壁に阻まれウェールズを引き離すことができなかった南アは、流れを引き寄せるプランを立てられるだろうか。
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ウェールズのキックオフから始まった後半も、火を吹くようなフィジカルのぶつかり合いとなり、小柄なデクラークもエキサイトして自分よりはるか大柄な選手に摑みかかる。
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そのデクラークのミスに乗じた敵陣でのセットプレーから、ウェールズはペナルティーゴールを得て9-9。
スコアは振り出しに戻り、試合は点数の上でも一進一退の攻防となる。
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ここで南アはゲームを動かすべくマルコム・マークスを投入し、制圧していると言い難いスクラムで優位を作ることも目論む。
南アはこのゲームでまだ相対的な強みを見つけられていなかったのだ。
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すると53分、そのテコ入れしたスクラムで組み勝ち、続くセットプレーでCTBデアリエンティが膠着を破るトライ!
ついに南アは均衡したゲームに決定的な差を生み出す事に成功した。
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しかし、まだ試合は終わらない、今度は地上戦でボールを引っ抜いたウェールズがペナルティーキックで南アインゴール間際まで前進。
21フェイズに及ぶ力押しでペナルティを得て、なんと選択は先ほど組み負けたスクラム。
位置的に中央なので有利とはいえ、明らかにスクラムは南ア有利なのに、相手の強みであってもぶつかっていって勝負の流れを引き寄せにかかる。
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64分、ここからの必殺のセットプレーでWTBジョッシュ・アダムズがインゴールに飛び込みトライ!
コンバージョンも決めて16-16。
お互いの限界を試すような勝負、これでその行方は全く分からなくなった。
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ゲームは終盤、1ゴールを争うような展開のなか、ドロップゴールをチラつかせながらFWでフェイズを重ね前進するウェールズ。
攻める方も守る方も我慢比べ、70分を過ぎてどちらのフィジカルとメンタルが破綻するかという場面だ。
しかし、ここで南アが機械の歯車に噛むようなジャッカルで決定的な攻守交代!
勝ちを大きく引き寄せるペナルティーゴール得て、スコアを19-16とする。
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だがウェールズは何度もこんな場面で勝ちを手繰り寄せてきた。
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終了間際の78分、自陣深くから一瞬の勝機にかけるウェールズボールのラインアウト、しかし弧を描いたボールは南アLOモスタートの長い手に触れた。
ボールは南アのものとなり、最後のスクラムに組み勝った南アが息詰まるシーソーゲームを制した。
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相手の強みを徹底的に封じ込めたニュージーランド×イングランド戦と打って変わって、お互いの強みを正面からぶつけ合い、見ているもの心と身体を熱くさせるような展開となったこの試合。
他球技に比べ実力が結果に反映されやすいとはいえ、プランがはまって相手を翻弄できれば一方的に封殺もできるラグビーにあって、今夜は最後まで勝敗の行方が分からず、どちらが勝ってもおかしくはなかった。
ただ、連戦で積み上げた身体的負担、気候、その他フィールドのプレーよりも大きな数々のファクターが命運となって一戦を左右した。
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タイトロープを歩きながらここまで勝ち上がって、南アフリカを追い詰めたウェールズはこれで3位決定戦に回るが、今夜の敗戦を笑うものはいないだろう。
彼らは胸を張って1週間後に備えるのがふさわしい。
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そして、頂への三度目の挑戦権を得た南アフリカ。
日曜の日本×南ア戦、結果は少し残念なものとなったが、ちょっと苦し紛れっぽくポストしたプレビューで試合の見所を紹介でき、観戦の良い補助線になったというコメントもいただき、多くの人に楽しみを提供できたかもしれないと思うと嬉しかった。
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日本代表の試合となると、勝ち負けの結果が最大の観戦ポイントとなるのは避けがたいが、そうなると負け試合になった時、ただ悔しい、辛い、つまらない、みるんじゃなかった、という思いも心に湧き上がってしまう。
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増田としては、それだけではなくて、事前に何をもって戦いに臨み、実際にフィールドで何が起きているのか、というところに目を向けて、このスポーツの面白みを発見できる見方を知って欲しかった。
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また、見方において日本戦だけでなく他の試合においても思うところあり、スコットランド戦のレビューでも触れたように、「勝者の物語」はまた「敗者の物語」という側面を持っている。
日本に敗れたチームや、強豪に敗れたチームの詳細にも触れて、普段の観戦よりもう少しだけ多くの視点からの風景を共有したいと思った。
そう言った意味では、ウェールズ×ジョージア戦や、ちょっとお説教を頂いた日本×スコットランド戦のレビューも、その遂行面ではともかく、視点としてはまあまあ気に入っている。
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さあ、準々決勝の4試合だが「多分リアルタイムで観るの難しいっぽいなー」と言っていたものの、蓋を開けてみるとクアラルンプールからの帰国便は6時間余りあり、機内のモニタでも国際スポーツチャンネルがあったので、19日の2試合はリアルタイム観戦ができた。
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さらに、南ア戦の翌日は1週間の旅の疲れを癒すために休暇をとっていたので、オンデマンド放送でウェールズ×フランス戦も観戦できた。
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詳細なレビューは書ききれないが、これらの試合を概観し、準決勝の展望についても触れたいと思う。
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イングランド×オーストラリアの試合は、伝統的な重くてシンプルなフィジカルラグビーに4年で鍛え上げた強力なオープン攻撃を組み合わせたイングランドの「進化型フィジカルラグビー」と、「ストラクチャー」ではあるが地上戦のランで組み立てる今となってはクラシカルなオーストラリアの「シークエンスラグビー」の激突となった。
「シークエンス(台本)」と言いながらも、オーストラリアはその布陣においてSHのウィル・ゲニア、SOのクリスチャン・リアリーファノ、FBのカートリー・ビールと試合のタクトを振れる3人を並べ、トリプル司令塔で攻撃に冗長性と予測不能性を加えていた。
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しかし、その3人をもってしてもイングランドの強固なディフェンスの穴を見つけることができず、長時間ボールを支配したにも関わらず、その時間に見合ったスコアを獲得できなかった。
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スタッツをみることができるなら、「ボール支配率(possession)」と「ゲインメーター(meters made)」に注目してほしい。
オーストラリアは62%もポゼッションし、イングランドの2倍以上の距離をメイドした。
にもかかわらずスコアにはつながっておらず、これは多くの場合、エラーやディフェンスにあって突破ができなかったという事で、非常に効率の悪い攻めをしていたことを意味する。
このことの視点をひっくり返してタックルに注目してみると、イングランドはタックル数において86回のオーストラリアに倍する193回のタックルを見舞っていたにも関わらず、オーストラリアの13回のタックルミスに対して21回のタックルミスしかしていない。
6.6回に1回捕まえられなかったオーストラリアに対し、倍の数を試して10回に1回しかミスしていないということだ。
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効率を無視したメーター数と運動能力で圧倒するのはオーストラリアのスタイルであり、簡単に変えるのが正しいとは言い切れないが、ボールを持たずに白い壁を作り、切り返しからの一発で獲るのもまたイングランドのスタイルであり、オーストラリアは自分たちのプランに持ち込めたが、遂行の面でイングランドに問題を突きつけられた、という形になった。
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オーストラリアとイングランド、双方のHC、マイケル・チェイカとエディー・ジョーンズはコーチボックスでブチ切れる事で名高いが、フラストレーションの溜まる展開も、結果はかなり一方的なものとなり、チェイカはキレるというより憮然としてしまった。
こうしてイングランドが準々決勝に次いでまたも準決勝に一番乗りした。
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スタイルを貫いたのに壁に跳ね返される展開となった第一試合だったが、第二試合で増田はさらに息を呑むような衝撃的な光景を目の当たりにする。
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今年のテストマッチでオールブラックスを破り、直前まで獲得した世界ランキング1位を引っ提げてW杯に乗り込んだアイルランドだったが、彼らはその「1位」という数字の当てにならなさを残酷なまでに突きつけられた。
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36%しか獲得できなかった「地域獲得率(territory)」、オールブラックスと比して8割ほどの回数はボールキャリーできたのに半分ほどしかメイドできなかった「ゲインメーター(meters made)」、クリーンブレイク僅か2回、そして最終スコアの46−14は、「どんなプランを持っていたにせよ、ほとんど何もさせてもらえなかった」という事を意味する。
オールブラックスとほぼ同じ回数タックルを見舞っていたにも関わらず、2.5倍もタックルミスをしてしまい、8回ものターンオーバーを喫している。
実際見ても、あの緑の壁が地上戦でズルズルと下がっていたのは恐ろしい光景だった。
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オールブラックスはアーディー・サヴェア、ブロディ・レタリックなど強力FW陣が躍動し、コーディー・テイラー、デーン・コールズ(驚くべきことに2人ともFWだ)、ジョージ・ブリッジなどの驚異的なランナーが次々とラインを破り、アーロン・スミスやボーデン・バレッドがその閃きで違いを作り出したが、増田は個人的POMとしてSOのリッチー・モウンガを挙げたい。
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この地味な司令塔は、敵陣に侵入し、すわ驚異的なアタックが始まるぞという時でも、デフェンスラインが浅いとみるやゴロパントを蹴って22mのさらに深くからのセットプレーを相手に強い、ボールが暴れるやドリブルで蹴だしてボーデン・バレットへ脚でのパス。
黒子に徹しながらも異常な反応速度と驚異的な回転の早さで黒衣の王者を動かした。
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緑の巨体を一蹴したオールブラックスが今度は白い壁がまつ準決勝に駒を進めた。
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細かい数字の話が続いたのでスタッツからは少し離れることにしよう。
ウェールズ×フランスは、準々決勝で唯一、1点を争うクロスゲームが演じられた。
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緑の芝に赤と青のユニフォームが映える一戦は、個人の閃きで予測不能な攻撃を仕掛ける青のフランスに対し、壁を作って切り返し、直線的なランとハイパント、サインプレーからの一発を狙う赤のウェールズという展開となった。
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前半からボールを支配し、次々と不確実性を突きつけるフランスに対し、守勢に回るウェールズは、数少ない攻撃のチャンスを得ても、ダン・ビガー、ガレス・デービス、リーアム・ウィリアムズの個人技しか出来ることがない。
そもそもウェールズは3フェイズ以上の攻撃になるとすぐに手詰まりを起こしてしまい、そこから先はキックと個人技と密集戦くらいしかやることがなくなってしまうのだが、その3フェイズの切れ味で尸の山を築いてきたチームだ。
ボールをもってジャズセッションを奏でたいフランス相手に気分良い時間を提供してしまう。
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しかし、しかしだ、フランスにはなぜかW杯で顔を出す、悪い、致命的に悪いクセがある。
前回W杯で密集のどさくさに紛れてオールブラックスのリッチー・マコウに芝との挟み撃ちにするプレスパンチを繰り出し退場者をだした様に、今回もLOのセバスティアン・ヴァーマイナがモールのどさくさに紛れてウェールズの選手に肘打ちを見舞ってしまう。
掲げられた赤いカードは同じ赤のジャージを着たウェールズにとっては幸運のカード、青のフランスにとっては逮捕状に見えたことだろう。
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ここからウェールズは徐々に息を吹き返し、ついには土壇場で勝負をひっくり返した。
フランスは優位に進めていた試合を自ら壊してしまい、涙を飲むことになった。
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W杯が始まってからというもの、「あーこりゃマズいな」という状況を執念でひっくり返し、薄氷の勝利の道を踏み抜かずに歩き続けるウェールズは感嘆に値する。
毎度毎度、怪我人の穴埋めで呼び出されて司令塔になるW杯男、ダン・ビガーは、男であればこうありたいと思わせる勝負強さだし、肘打ちを食いながらもPOMに輝いたアーロン・ウェインライトは全てのパパが見習うべきで、父たるもの大男はちょっと厳しくてもヤンチャな娘の肘打ちくらいには耐えないといけない。
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土壇場に強い男たちの活躍で準決勝3番目の椅子はウェールズのものとなった。
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準決勝はニュージーランド×イングランド、ウェールズ×南アフリカという組み合わせとなった。
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ここまで圧倒的な強さを見せつけるオールブラックスだが、相手に付け入る隙を与えずねじ伏せてきたのはイングランドも変わらない。
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しかしオールブラックスが優位に試合を運ぶのではないだろうか。
重厚でクラシカルなスタイルから進化して、未来型フィジカルラグビーとでもいうべき戦法で次々と対戦相手を沈めてきたイングランドだが、その選択肢の多さが逆にオールブラックスの付け入る隙となるかもしれない。
いっそランニングを捨てて激しく前に出る高速ディフェンスによってオールブラックスのモメンタムがつく前に潰し続け、ロースコアの展開に持ち込んだほうが勝機が見えて来るのではないかとも思う。
オールブラックスとしては、いかにして前に3mのスペースがある状態でボールを持つかということになる。
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名将スティーブ・ハンセンと、勝負師エディー・ジョーンズの采配に注目だ。
また、エディーがいつコーチボックスでブチ切れるかにも注目だ。
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南アフリカとウェールズの戦いに関しては、ともにフィジカルを盾にしたディフェンスに特色のあるチームであり、小細工を弄するような対戦になると考えづらい。
双方ともペナルティゴールを積み上げた上で、試合合計でも3個以内のトライを奪い合う展開になるのではないかと思う。
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自分の自尊心を守る為に見えてるものに目を瞑る誘惑には耐えなければいけないが、それでも南アフリカが優位にゲームを進めるのではないだろうか。
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翻って必殺の一撃が世界最高クラスのフィジカル相手にも通じるのか試さないといけないウェールズだが、どうもクロスゲームには縁があり、かつて日本相手のテストマッチでも70分過ぎのドロップゴールで逃げ切った経験がある。
今回ももし75分を過ぎて手が届く点差なら何でも起き得る。
綱渡りのうまい大男達がまたも勝負の谷を超え、頂への挑戦権を得るだろうか。
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日本の挑戦は終わったが、W杯で残された4試合はいずれも興味深いものばかりだ。
みんなも是非もう少しお付き合いいただきたい。
現代アートの発展に公金投入が必要、さらにはある種のエリート主義が必要というのも認めるが、現代の民主主義でそれが受け入れられるとは思わない。
アートだけ「税金よこせ、でも素人には分からないんだから庶民、役所、政治家の文句は一切聞かない」という聖域的立場を得ることが許容されるとは思えない。
温泉に行ったぐらいで首長をクビになるぐらい税金の扱いはウルさいというのに、アートだけなぜ?と言われるのが現実ではないか。
私個人はボーナスで作品を買う程度には現代アート好きだが、それでも現代アートはハイコンテクストすぎて国民的理解を得るのは不可能だと思っている。
税金は基本的にわかりやすいものにしかつけられないものなので、本質的に現代アートと民主主義は相性が悪いのだと思う。
もしタウンミーティングなどで直接民主主義的に作品を一つ一つ審査したら、現代アート、ましてやポリティカルアートなんてまず予算通らないだろう。
こういう話はMOTのリキテンシュタイン購入なんかでもあって、今までも薄氷を踏んでいたところがあった。それがいよいよ本当に破れてしまったのがあいトリだと思っている。
アーティストや美大教員なんかと話しているといつも思うのだが、アート業界の人は現代アートがどれほど好かれて「いない」のかの自覚が弱い。
結構な年のアーティストが「業界外の人と飲みに行ったらあまりにアートに理解がなくて傷ついた」みたいなことを言っていたりする。
興味ない人なんてそんなもんでしょう?と私が言うと「アートは絶対に正しく素晴らしいモノであり、わからない人は無知か騙されているんだ」といったイスラム原理主義者のような返事が返ってくる。
私からすれば、現代アートなんて変なガラクタをありがたがっている裸の王様みたいに思っているのが多数派だと思うのだが、彼らにその自覚はないらしい。
無理解の人間が多数派なのだから、アート業界はその意義を相当戦略的に説明しないといけないし、それでも徒労に終わることはある程度覚悟しないといけないと思っている(私は後者)。
だがそういった認識は極めて弱く、業界内の内輪に引きこもり、あいトリみたい事案が起きれば活動家まがいに騒ぐだけ。粘り強く合意形成を目指すことはなく、熱が冷めたらうやむやになって終わり。
アーティストは左翼が多い業界のはずなのに、アート好きとばかり固まり「多様性」がないし、アートに興味ない人と「対話」や「共生」する気はないように見える。
彼らの言う「民主主義」とか一体何なんだろうか?本当は民主主義とかどうでもよくて、単にアート至上主義の人間だけが集まり独裁する社会を望んでいるだけなのでは?と感じている。
この話を始めるにあたっていくつか留意してもらいたい点がある。
一つ、これはいわゆる「腐」の作品を創作するオタクの話である。
特定のワードに触れるつもりは全くないが、カプや界隈といったそれらしきワードは話の進行上必要なので、そういった要素が許せない方は読むことをお勧めしない。
二つ、この文章には特定の誰かを非難したり貶めたりといった意図が存在しない。
この文章の書き手である私は確かに傷ついている。でもそれは誰かのせいでは全くなくて、強いて言わずとも私が勝手に傷ついているだけである。
おそらく、当事者たちがこれを読めば自分のことだ、あるいは関係者が読めばあの人のことだ、と思い当たるかもしれない。
もしこれを読んだあなたが当事者ないしその関係者であるなら、お願いだから私の前でこの文章に言及しないで欲しい。
私はどうしても抱えきれなくなってしまった気持ちを誰かに知ってほしくてネットの海にこれを投げ込んでいる、でもそれを自分の眼前に突きつけられて正常でいられるほどの覚悟を持っていないし、今後も持てることはないだろう。
いくつかの界隈を転々としながら現在の界隈と自カプに落ち着いている。
現在の界隈はとても狭い。きっとおそらくこれから広がっていくだろうが、これを書いている現在は創作をする人の数はとても限られている。
そんな狭い界隈の中で、私は自分と同じカプが一番好きだ!という人をまだ見つけられないでいる。
おそらくいないんだろうな、という諦めを持って久しい。だから少しでも自分のカプを好きだと言ってくれる人が現れるように、果ては自分のカプを創作する人が現れてくれるように、と祈りとも呪いともつかない気持ちを込めて創作をしている。
話は少しそれるが、界隈の中で私には仲のいい人が何人かいる。
その中から2人をこの話の登場人物にしたい。仮にAとBと置こう。
Aは雑食を自認するオタクである。一番好きなものはあるけどどれもこれも好きだし創作もする。
私はそのマインドが羨ましいと思いながら、仲良くさせていただいていた。
Bは雑食とまではいかずとも、自分の自カプに愛を注ぎ素敵な自カプを生み出すオタクである。
Bの自カプと私のそれは一緒ではないけれど、界隈の中ではお互いにとって数少ない解釈の合致する相手だった。
同じテーマで創作する、という企画を何度かやるくらいには仲良しであると思っている。
2人とも、通話をする仲であるし、都合が合うなら会おうとも言い合う仲だ。
Aの本命カプと、Bの自カプは一緒であった。
2人の一番好きなカプは私の自カプとは違った。それでも2人とも私の創作を好きだと言ってくれた。
前述の通り私は2人とよく通話をする。
Aは、喋らないと感想を言えない、と言っていた。
文章に起こすことがどうにもできないらしい。
そういう理由から、私はAから通話の際に自分の作品への感想を音声で受け取っていた。
Aが喋る称賛の内容は流量な語彙とみずみずしい感情にあふれていた。そんなに人を褒めることができるなんてすごいなあ、と思うくらいだった。
ところが、残念なことに私は音声で情報を受け取るのがとても苦手である。
学校の授業でも先生が喋ってる内容だけでは追いつくことができず、先生の板書を合わせないと理解することができなかった。
通話で予定を決める際にもなんども聞き直してしまうほど、音声情報を処理するのがどうにも苦手だった。
だから、大変失礼な話であるのは承知だが、Aが褒めてくれた内容を私はほとんど覚えていない。
褒められた事実は覚えている、でも何を褒められたのかはほとんど覚えていない。残らないのだ。
感想をくれなきゃ筆を折るぞ、が口癖だ。実際常にそう思っている。
だから、音声情報を処理できない脳みその都合から、ツイートや匿名ツールなど、文章として残る形で感想が欲しかった。
そうすればスクショなどの方法で保存して見返すことができる。いただいた感想は全てスクショして携帯のお気に入りに登録し、いつでも見返せるようにしていた。
そうして見返すことが私の創作をする心の支えであった。
私は人のリプ欄を見るタイプの人間なので、誰かからのリプライだってもしかしたら私を知ってもらえるきっかけになりうるという下心だって、あった。
でもAがそうやって喋った方がつつがなく思いの丈を伝えられるのなら、と、自分に残らない悲しみを飲み込みつつ受け取っていた。
また少し話がそれるが、本気で筆を折りたいと思った出来事があった。
詳細は省くが、創作に呪われ界隈を転々としながらも創作をやめられなかった私が創作をやめてしまおうと思ってしまったほどの衝撃だった。
でも、今はまた復活させている。創作意欲は死んでいる。生き地獄だ、と思っている。
なぜなら、少し前から私はAとアンソロジーを発行する企画を立てて主催を担っているからだ。
アンソロ参加します、買いますって声を受けているしそもそも主催なんだから放棄するような真似はよくないよ、と諭されて泣く泣くアカウントを戻した。
わかっている。Aの言うことは大正論だ。わかっている。
でも自分の創作意欲は死んだままだ。自分の作品なんて誰が好きなんだろう、私はこんなに心を注いでいたのに、と思う気持ちが止められない。
そういう時に一番薬になるのは自分の創作への感想だ。でも、直近で自分が投稿した作品の感想は一つも届いていない。
苦しい。続けるエネルギーがないのに、続けないといけない。
別のカプのつぶやきや作品はどんどんいいねが増えるし共感のリプがつく。でも私の創作にはつかない。
私はなんのために創作をしていたんだろう、と思うようになった。
もともと創作が楽しいから、自カプが好きだから始めたんじゃないのか?それとも認められるためのツールとして創作をしているのか?
それはもう卵が先か鶏が先かという話だからもう考えるのをやめた。
ぐちゃぐちゃだった。創作をやめることはできないのに、しないといけないのに、ずっと気持ちの整理はつかないままだった。
そんななか、Bがその自カプの作品をあげた。
素敵なお話だった。Bが生む作品はどれもこれも素敵で、新しく上げたものも例に漏れず素敵な作品だった。
純粋に自カプへの愛にあふれているんだろうな、と思ったその作品に、Aがリプライで感想を送った。
音声で聞くそれと遜色のない、語彙と称賛の気持ちにあふれた、文面だった。
心の中で何かがぽっきりと折れた。
肥大した承認欲求をかろうじて支えていたピンヒールが折れたような、乗っていた薄氷が足元に投げ込まれた石でがらがらと崩れ落ちたような、そんな気持ちで、私はAとBの会話を眺めていた。
私は文字で褒められたいと思っていた、それが私のわがままであることは火を見るより明らかだ。
Aに限らなかった。でも、Aに文字で褒められたいと思っていた。Aは私の創作が好きだと信じていたからだ。
私のお話が好きなら文字で褒めて、と願っていた。実に身勝手なのはわかっている。
でも、私が願って願ってやまなかったAからの文字での称賛を、Bは簡単に受け取った。
どうしても羨ましかった。
私はもらえないんだ、と思った。
本当に、筆を折りたいと思った。純然たる私の醜い嫉妬だ。
創作をすることで呪われた承認欲求が首を絞めるから、いっそ創作人としての人格を殺してしまおうと思った。
その苦しさを引きずって、怨霊のような私の創作人としての人格が生きながらえてしまっている。
いいねだけは来るけど感想が来ない、という理由で筆を折った作家は何人もいる。
私もそのうちの1人になりそうだ。
別に、そうなってしまっても構わないんだと思う。それでも世界は回る。
ただ、どこにも名前が残らない程度の作家である私の、そんなに短くない創作人としての過去が、何一つ報われないまま死んでしまうだけだ。
そうなったって、世界は回るし、私のフォロワーはきっと私を忘れていく。
誰かが送ってるだろうから私はいいや、どうせ貧弱な語彙しかないから、と感想を送らずにいる読み手のあなたへ。
それが続けば、たとえあなたがその作家を好きであったとしても、静かに筆を折って手の届かないところへ行ってしまうだろう。
そうなったら、どんなに嘆いたってもう帰って来ない。帰って来るかもしれないけど、帰って来ないかもしれない。
傍観者効果で人が死んだ実例がある。誰かがやるだろうから自分はいいや、という気持ちで人は死ぬ。人格は死ぬ。帰らぬ人になる。
創作人のわがままで申し訳ないとは思っているが、好きですの一言では不十分だ。
好きです、の前に一つの単語でいいから、目的語を添えて欲しい。あなたの絵が、小説が、この作品のこの場面が、表現が。なんだっていい。
何が好きなのか、それだけでいいから教えて欲しい。それだけで、読み手が思う以上に創作人は救われる。
一度呪われてしまえば、誰かの一言ぽっちで救われるほど心が弱くなってしまう。
たとえ悪意がなくても、誰かの一言ぽっちで死んでしまうほど心が弱くなってしまう。
そんな呪われた創作人を、救うことができるのは目に見える感想だけだ。
「経験不足」(くらやみ)の中進む影は 誰も心許なく
企業訪れる度に幾度も冷たい手で俺たちの首筋を優しく撫でた
黄昏を裏切って灯る「周りの空気」(きぼう)の背に縋り追いかけた
地獄へと向かってるとしても
「夢の続きが見たいなら お前は何を差し出せる?」「面接官」(あくま)は甘く囁いた
妄想でで道を作れ
この「選考」(かべ)の向こうに何がある?
嗚呼…可能性に満ちていた筈の若人達の器に運命は其々何を吹き込んだ
それは 誰の悲願か、誰の夢か悲しみ 憎しみが交わって
志望動機は互いを目指す
この「お祈り」(そら)の向こうに何がある?
幼き日々に囚われた昔日の灯が照らし出す、お祈りの文の先を
空の上から見たら 一体何が見えるのだろう
ここではない何処かへ 行ってみたかった
幼き日々に夢見た広い世界の果てには、目眩を覚えるほど不条理が潜む
時に神の姿借りて「社会」(せいぎ)は牙を剥く
「学校」(おり)の中も「学校」(おり)の外も 等しく地獄か……。
「無い内定」(つみ)の重さを背負うほど踏み出す足に意味がある
この闇の向こうに何がある?幼き日々に呪われた 現実はいつ報われる?
《着慣れないスーツ姿》が駆け抜けた軌跡
《冷や汗》を散らして
《積んできた詭弁》を束ねても
《就活の先の暁》には早すぎる
進み続ける 闇の彼方へ…
『「どうやれば戦争せず国を守れるか」かわぐちかいじさん:朝日新聞デジタル』のブックマークを見ていて引っかかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASM5W56DDM5WUCVL00W.html
「空母いぶき」を劇場で鑑賞するのが2019年6月前半におけるもっとも贅沢な時間の使い方である(婉曲表現)ことに議論の余地はないが、ちょっと待って欲しい。
https://togetter.com/li/1195690
人類を開幕滅亡に追い込まれている状況に追いやるために設定されている正体不明で一杯湧いてくる意思疎通不可能な色々なアレ
のアレ。
初号機しか出動できないうちは、サキエルやシャムシエルといった初号機だけで倒せる敵が現れ、
初号機だけでは倒せないラミエルはゼロ号機と初号機が出動できるとき現れ、同じくイスラフェルは初号機と二号機が出動できるときに現れる。
・・・何が言いたいかというと、接待戦闘であっても、面白いエンターテイメント作品は作れる。「空母いぶき」はそういうレベルの作品ではない、ということ。