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2019-10-12

anond:20191012060522

現代アートの発展に公金投入が必要さらにはある種のエリート主義必要というのも認めるが、現代民主主義でそれが受け入れられるとは思わない。

アートだけ「税金よこせ、でも素人には分からないんだから庶民役所政治家文句は一切聞かない」という聖域的立場を得ることが許容されるとは思えない。

温泉に行ったぐらいで首長をクビになるぐらい税金の扱いはウルさいというのに、アートだけなぜ?と言われるのが現実ではないか

個人ボーナス作品を買う程度には現代アート好きだが、それでも現代アートハイコンテクストすぎて国民理解を得るのは不可能だと思っている。

税金基本的にわかやすものしかつけられないものなので、本質的現代アート民主主義は相性が悪いのだと思う。

もしタウンミーティングなどで直接民主主義的に作品を一つ一つ審査したら、現代アート、ましてやポリティカルアートなんてまず予算通らないだろう。

こういう話はMOTリキテンシュタイン購入なんかでもあって、今までも薄氷を踏んでいたところがあった。それがいよいよ本当に破れてしまったのがあいトリだと思っている。

  

コメントを見て思い出したので追記

アーティスト美大教員なんかと話しているといつも思うのだが、アート業界の人は現代アートがどれほど好かれて「いない」のかの自覚が弱い。

結構な年のアーティストが「業界外の人と飲みに行ったらあまりアート理解がなくて傷ついた」みたいなことを言っていたりする。

興味ない人なんてそんなもんでしょう?と私が言うと「アート絶対に正しく素晴らしいモノであり、わからない人は無知か騙されているんだ」といったイスラム原理主義者のような返事が返ってくる。

からすれば、現代アートなんて変なガラクタをありがたがっている裸の王様みたいに思っているのが多数派だと思うのだが、彼らにその自覚はないらしい。

無理解人間多数派なのだからアート業界はその意義を相当戦略的説明しないといけないし、それでも徒労に終わることはある程度覚悟しないといけないと思っている(私は後者)。

だがそういった認識は極めて弱く、業界内の内輪に引きこもりあいトリみたい事案が起きれば活動家まがいに騒ぐだけ。粘り強く合意形成を目指すことはなく、熱が冷めたらうやむやになって終わり。

アーティスト左翼が多い業界のはずなのに、アート好きとばかり固まり多様性」がないし、アートに興味ない人と「対話」や「共生」する気はないように見える。

彼らの言う「民主主義」とか一体何なんだろうか?本当は民主主義とかどうでもよくて、単にアート至上主義人間けがまり独裁する社会を望んでいるだけなのでは?と感じている。

 
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