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2020-05-06

コロナ美術館が休館していい感じだった人とワンナイトで終わった

いい感じだった人と美術館デートする予定だったのが休館になったせいで飲みだけになって

非常事態宣言居酒屋もアウトになったけど会いたかったから宅飲みでなったら案の定一発やって終わったわ

一か月連絡ない

2020-05-03

この機会に滅びて欲しいもの

物品販売時の行列とか、行楽地や美術館などの施設の混雑。時間無駄だし、健康にも悪いし、誰も幸せにならない(混んでる・並んでる=人気でしょ、とアピールしてもっと集客したい事業者以外)。

スマホもかなり普及してきたのだし、完全予約制または抽選制にして欲しい。

並ばせている、混んでいる=公共の福祉を軽んじている悪徳業者という認識世間に広まってほしい。

anond:20200503031555

お気の毒だけど、野田秀樹不要不急にいきなりスポーツ殴られて、その後も演劇関係者野田秀樹擁護しまくってたかめっちゃ悪印象ついたわ。断絶させたのお前らじゃねえかと

ツイッターでは演劇好きなフォロワーいるから大っぴらには言わないけど、今後も極力支援したくないのが本音

コロナ明けたらライブクラブイベントは行きたいし、今ごろに公演がある予定だった伝統芸能も見たいし、美術館もまた行きたいし、そういうふうに文化全般大事にしてほしいけど、演劇だけピンポイントに断絶していたいな

2020-05-02

こんな時にSMAPがいてくれたら

そうなんだよ。

自分SMAPファンでもジャニオタでもない訳なんだけど。

SMAPがいた頃、各分野のトップクラス活躍する5人がソフトバンクCMSMAPXSMAPで集結すると、なんとも言えないゴージャス感があった。

震災の時は募金を呼び掛け、被災地炊き出しに行った。

テレビをつければ「世界に一つだけの花」が流れていた。

子供からお爺さんお婆さんまで知っている。あらゆる層への訴求力持っているのなんて彼らぐらいしかいなかったもの

まあ今の10代とかはSMAPかいっても「誰、このおじさん」て感じだろうけど。

でも嵐だとやっぱ弱いかなあ。

この世界的な災厄の時に、今またSMAPが集結してテレビの前に立ってくれたら。

キムタクサーファー自粛を呼びかけて、慎吾アーティスト美術館応援して、吾郎家飲みオススメワイン映画を紹介して。

剛のぷっすまもみたい。家でできる楽しくてくだらないことをユースケと江頭と紹介してほしい。

それで槇原敬之が曲を書いてSMAPが歌ってくれたらなあ。

頑張って乗り越えていけそうな気がするんだ。

マッキー、頑張って欲しい。

槇原ファンです。

メトロポリタン美術館のよさ

かつて親の金ニューヨーク旅行した時、みんなのうたの「メトロポリタン美術館」の聖地巡礼としてメトロポリタン美術館に行った

お目当てはあの「大好きな絵の中に閉じ込められた」の絵(エドガー・ドガ『踊りのレッスン』)だったけど、他にもいろいろすごくてそこは霞んでしまった

まず入館料のシステム面白かった 最近普通になったというニュースを見た気がするが、俺が行った段階では払いたい額を払うってシステムだった とはいえ目安の金額は書いてあるし、俺もさすがに1ドルだけ払って入る勇気はなかったかちゃん学生料金の12ドルくらいを払って入った

館内はマジでメチャクチャデカくて、一つの展示品に5秒とかしかかけなくても全部見て回ったら2時間くらいはかかるんじゃなかろうか

特筆すべきは美術館って名前の割に展示品の幅が広いこと 絵、彫刻陶芸品に加えて鎧兜、剣、民芸品、家具食器、はては神殿再現なんかもあって本当になんでもある

なかでも感動したのは巨大なベッドがある部屋の展示 近代くらいの雰囲気家具が並べられたひと部屋があって、そこに梯子がないと登れない大きさのベッドが鎮座している いったいあれがなんだったのかはよくわかっていないが、とにかくインパクトがあった

武具の類も充実していて、ゲームで見るようなフルプレートアーマーとかヴァイキングの剣とか馬鎧とか日本刀とか、中二心をくすぐるものが大量 いかにもアメリカ人ぽいオッさんが刀の写真をとるのを妻っぽい人が見守ってて良かった

もちろん絵画もすごくて、ゴッホとかの絵がその辺にゴロゴロしてる 俺は美術素養がないけど、さすがにあれだけ物量があるといいなと思う絵もそれなりにあって楽しめた 知識があれば本当に楽しいだろう

メトロポリタン美術館は最高 また行きたい

2020-04-30

あうっ

幼稚園子どもママ友に対して徐々に膨らむ悪感情が抑えられない。

関大(旧帝!)を卒業、安定した職について「一生一人で猫と生きていこうと思ってた」、けれどダンナに「押され負けて」結婚したらしい

頼み込んで主婦にしてもらった私とは違って頼み込まれニートをしているらしい

仕事もしてない妻がいるのに家政婦って意味が分からない

子どもがいない間は美術館に行ったり家でアニメを見たりしてるらしい

付き合い辞めたいけど、遊ぶときっていっつも私から誘ってるから、誘わなくなってそのまま向こうからも連絡来なかったらなんだか惨めになりそうで、結局連絡してしま

コロナで遊ばなくなったけど、どうしたらいいのかと思ってモヤモヤする

2020-04-29

有意義に過ごさなければならないというプレッシャー

「さぁ休みだ!!有意義に過ごすぞ!!」という謎のプレッシャーはどこからくるのでしょうか。

普通の土日はもちろん、GWお盆正月のまとまった休みとなるとそのプレッシャーはすごいです。

特に私は友達が少なく恋人もいない為、「他人との予定」が無い分ほぼ自由スケジュールを組めます。そのせいかいか完璧休みを成し遂げるか」みたいな謎のミッション自分自身で課してしまます

2020年GWコロナ禍の真っただ中、出かけず基本的に家で過ごさなければなりません。

ぼっちにはこれ以上ない条件なはずですが、アクティブぼっちの私には少々厳しいものがあります

登山にも、ロングライドにも、街ブラにも、美術館にも、推し現場にも行けません…

しかーし!私にはゲーム漫画二次創作というインドア趣味もありますので、ノープロブレム。

まずはFF7Rをやり、リングフィットに汗をながし、あつまれどうぶつの森クリエイティブ時間をすごす…

ネタ帳からネタひろって小説を書き、積んでいる本を読むのも良いでしょう。

やることはたくさんあるのです。しかし、そのやる気が起きるかと言ったら保証はできません。趣味で、楽しいはずなのにね…

5chやTwitter徘徊時間をつぶすほど勿体ない時間はないはずですが、ついついやってしまう。ので、今回はこれを回避したいと思います冷蔵庫スマホ仕舞って封印

有意義に過ごさねば!」と気張って過ごす必要もないとおもうので、のんびりゴロゴロ過ごしたいと思います

一日寝て過ごすのもまた良いものでしょう。

しかし近所の公園めっちゃ人増えてるし、商店街めっちゃ人居るし、自分の住んでる地域治安まじでよくないなーと思う。

2020-04-21

自分が待ち望んだ世界

好きな家に居て、好きなだけ好きな仕事をする。

疲れた上長に経過を報告をして、好きなコーヒーを飲む。

ご飯時間自由だし、他人にとやかく健康のことを言われることもない。

そもそも余裕が生まれたおかげで、前よりも健康意識出来ている。

出世のことや将来のことを他人に聞かれて、焦燥感に駆られる時間も無くなった。

美術館博物館ライブに行けないのは残念だけれど、ネット上で臨時配信されている動画

大きい画面でゆったり見てると、実はこっちのほうが良いんじゃないかとさえ思えてくる

(もちろん生で見る迫力はすごいけれど、教養獲得的な意味だとこっちでも良いよねって意味。)。

活字の本を読む時間も明らかに増えた。

読んだ後に他の人の感想意見を見て、ゆったり整理する時間も生まれた。

今まで積んでいた本を消化出来ていることも嬉しい。

消化するのに必要なのは物理的な時間では無く、精神的な余裕だということも理解できた。

同僚や家族コロナが早く収束して、元の安らかな生活に戻してほしいと言ってるけれど、

自分にはコロナ以前/以降のどちらが異常な生活だったのかを判断することは出来ない。

コロナが収まったらまた機械のように働いて、湯水のように不要ものお金を使い、うるさいほどの広告に揉まれ

将来や出世焦燥感に駆られながら、疲弊した毎日を送るのかと考えると、涙すら出てくる。

医療従事者のことを思うと不謹慎なのだけれど、コロナ現代サラリーマンに対する最後の贈り物なのかもね。

人類は全くの阿呆じゃないから、次にウイルスが来たときには、通常通り”異常な生活"を過ごす体制が出来ていると思うしね。

今はこの素晴らしい毎日を噛み締めて過ごさなきゃ。

2020-04-20

anond:20200420065541

人生最後の瞬間を豊かに過ごすための美術館や高級な設備がそろってる

東京封鎖賛成

2020-04-18

基本インドアだけど2,3ヶ月に一回くらい美術館とか行きたいタイプから最近ようやく「出かけられない辛い」って言ってる人の気持ちがわかってきた

オンライン公開とかなんか違うんだよなあ

解像度全然足りないから、「こいつ肖像画描いてるのに一番力入れてるの手やん、絶対フェチやん」とか「遠くから見るとめっちゃ精密に見えるのに至近距離から見ると恐ろしく雑に見えるのだがどこが境目?」とかができない

「あ、意外にでかいわ」とか「思ったより小さいなこの絵」とかも大事なんだけどオンラインだと全然かめない

美術って実物見てなんぼなとこあるんだよやっぱり

VRならまた違うのかな

VRでそこまで見られるようになるなら、保存状態とか考えるとオンラインでも全然かまわないんだけど

2020-04-16

初めて行った書店で感激した

年に2、3回行くスーパーの隣に小規模の商店街があり、その中に本屋があるらしいことを最近知った。

先日、『明日ちゃんセーラー服』をそこで買おうと思って行ってみたら驚いた。

そこは寂れたどうでもいい本屋ではなく、数年前にできたばかりの、店主のセレクト力を前面に出した本屋だった。

小説エッセイ教養、食や健康生物などのジャンルがあったが、本格とカジュアルを兼ね備えた心憎い本が多い。

たいていの本は一冊限りで、漫画も復刻ものかつ特定の巻しか置いてなくて、店の隅々まで神経が張っている感じがした。

本屋の周囲は団地がかなり多く、近くには大型書店美術館さら郷土資料に強い古書店であるという魅力的な土地柄で、

面白い本が多くて二時間ぐらい滞在したが、コロナの影響なのか、平日の昼でも客足が途切れてなかった。

俺もこの町に住みたくなったよ。

ちょっと遠いけど、これから本の取り寄せはここに頼むことにしよう。

2020-04-15

コロナ生活様式が変わると

・在宅勤務

映画館劇場美術館コンサートホールライブハウス全滅

・移動は最小限

みたいな感じがスタンダードになるわけで

そうなると今まで様々な面でメリットが高いと思われていた都市部に住むことが不要になるので

わざわざ高い金を払って無理して都市部に住まずに郊外田舎比較安価住宅に住む人が多くなって

その煽りをうけて都市部相場も低下したりするんだろうか

2020-04-10

成田空港税関で別室に連れて行かれるとどうなるか

オランダから成田直行便で帰ってきたときだった。

ワイはその時32歳で、28歳の女子アムステルダムスパスパ喫煙しながら年を越した。

キマった状態で行くゴッホ美術館は格別だった。

直行便だったので11時間以上のフライトでだったけど疲れもなく、

荷物取って税関に行き、そこでなんて声かけられたか忘れちゃったけど、

「あちらの方でお話をお伺いしたく」みたいな優しい感じだった。

僕は、机と対面に置かれた椅子がある個室に連れてかれて、

奥側の椅子に座らされても、まだ「麻薬密輸容疑の取り調べ」と気付かなかった。

ちなみに僕は、バックパッカーではないけど、香港中国タイカンボジアに住んだり、

ヨーロッパアメリカも行く、旅慣れてるとは違うけど、国内行くのも海外行くのも違いない感じ。

女子とは別々の部屋で個別に取り調べされたんだけど、

それも最後最後に気付いた。まあ日本成田に帰ってきてるんだから

一人でも家には帰れるし。その時何を思っていたかと言えば、

何も思ってなかった。親が死んだとか、隣りに座ってた外国人について聞きたいとか、

自分ことなら知ってるけど、それ以外の自分の知らないことで呼ばれてると思ってた。

んで、狭い部屋部4、5人の男性職員が居たかな。正面の椅子に座る干高圧的な眼鏡のおじさん。

と、僕の横に若いお兄さん。

荷物見せて下さい」

「どうぞー」

「財布もいいですか」

「どうぞー」

財布は若いお兄さんが調べたのだけど、風俗店の割引券を見つけられたのがちょっと恥ずかしかった。

「じゃあ、あの、服脱いでもらえますか」

「ええ」

ズボンも」

「はあ」

その後、旅行最中はどうしてたか聞かれて、

ホテルに泊まって買い物して、コーヒーショップスパスパするお店ね)に3、4回行きました。と答えて。

まあ、自分は持ち込んでないこと知ってるからのほほんとしてたけど、

突然眼鏡おじさんが声を張って

「もう、ちゃんと白黒はっきりさせましょう!」

「はあ」

レントゲンを撮ります!いいですか!?

はい

このときもまだ何のレントゲン撮影かピンと来てなくて、

レントゲン撮影して、白黒のフィルムを白く光るのに張り付けて、

ロートルのお医者さんが「これは便がつまってますね」とか説明して。

その時は女子も居たかな。ここぐらいで(あー飲み込んで密輸かー。そんなことするわけないじゃん!!)とムカついたくらい。

もしかして、確たる証拠も無いかレントゲン撮影強制できなくて、

でも僕の同意を得なければ飲み込んでるかもしれない麻薬を見つけられないしで、

そこで「ン拒否するゥ」人も居るんだろうけど、拒否する理由が無いので。

それから眼鏡おじさんの態度喋り方が一変したのであった。

それまで取り調べ的な口調と態度で言葉数少なく真摯仕事に向かう表情(眉間にシワ寄せたり怒って怖いのではない)だったけど、

途端に優しく申し訳なさそうな口調になって、僕が聞いてもないのに。

「私も若いときに妻と旅行に行って、花が綺麗でしたねー」みたいな世間話をし始めて。

外国でする分にはいいんですけど、国内ではダメですからねえ」「はいはい」。

荷物に犬が反応して、着いたときからマークしてたそうだ。

若いお兄さんは「僕は最初から何もしてないと思ってました。だって色々調べてるときにも、

全然普通でしたもん」とか言ってきたから、「でも知らないうちに鞄に入ってるかも、とかは考えました」って言ったらなんか

周りが「ざわっ」として、「いや、自分も知らなくて、かけらが落ちて入ってることもあるかもとか」と説明

最後は「ご協力頂きありがとうございました!」と頭を下げられるようだったけど、

それはみんな知ってる正しく普通職務だし、恐縮することじゃ無いと思うけど、

そうゆう対応をすることで面倒を回避できるからならかな。

ここで「俺は悪いことしてなかったじゃないか委託もない腹を探られて、

人を疑ってことは云々」と怒り出す人も居るんだろうな。

自分にやましいことがあるから怒って誤魔化すのはあるけど、

自分は潔白だと知ってて、相手がそれを調べて潔白だと結論出したのに、

そこから怒る人の感情、分からない。

京成線にのって帰るときオランダで買ったパイプ没収されましたよ!

使用なら良いけど、使ってちょっとカスが付いてるからって!」って怒ってた。

身に覚えがあるなら必死に頑張るべきだけど、

ないなら協力しましょう。

2020-04-03

コロナウイルス感染爆発に対抗するための行動指針@オランダ

https://www.government.nl/topics/coronavirus-covid-19/tackling-new-coronavirus-in-the-netherlands

山中教授サイトに載ってて良さそうだったので自分用に和訳

これを「~しなさい」じゃなくて「~してほしいな」って言うなら要請にの範囲だと思うんだ、どうかな!

ホントなら「~してほしいな、してくれたら~は保障してあげる」って言ってほしいんだけどね

なお増田英語素人(TOEIC600点台)です、変なとこあったら指摘してくれ

全般

公共生活

※集まる場合はあらゆるウイルス対策必要。あと1.5m以上離れろ。

子ども教育

施行

2020-03-27

パンチラおじさん

三月二十七日(金)

フリースペースでやっていた会議で、偉い人がずっとパンチラパンチラと繰り返していてぎょっとしたが、どうやら販チラ(販促チラシ)のことらしい。ここ一二年は本社工事で総務課とか人事課とか、あちこち部署フロア転々としていて、おかげで接点の少なかった営業と顔を合わせる機会が増えた。

さて、首都圏知事が一致団結して週末は不要不急の外出をやめるようにとの声明を発表したので、美術館映画館も軒並み閉鎖してしまった。来週の友人とのボドゲ大会も中止になった。明日横浜西口有隣堂営業を取りやめるそうで、こんな時のソープランドなど論外だろう。こういうときに限っていきたい気分になっているし、ちょうどなんやかんやで五日分の精子がたまっているのだが、馬鹿なことを考えずに抜いて寝るべきだ。これで感染していようものなら、私生活が洗いざらいさらされることになる。

予想していたことではあるし、感染爆発を防ぐためやむを得ないというのもよくわかるが、運動をしないと生活リズムおかしくなる。雨も中途半端に降るのでジョギングにも向いていない。気象庁によれば日曜日は雨のち曇りなので、何とか隙間を見つけて走れることを期待したい。

今日は、昨日食べ損ねた蕎麦屋まで歩いてランチにした。酢重とかそんな名前の店で、丸の内にも支店がある。東京支店を見つけて以来長いこと食べていて、そろそろ飽きそうなものだが、発作的に欲しくてたまらなくなる。考えてみれば渋谷ストリームに足を運んだのは初めてだ。いつも、湘南新宿ラインホームから見上げているところを、ちょうど歩いたことになる。昼休み時間には十分に間に合うのだが、読書する時間が短くなってしまうのが難点か。それほどしょっちゅう行く場所ではないので構わないが。値段も一ランク上なので、毎週行くのはちょっと気が引ける。普段の仕出し弁当も十分においしいし。

そういえば、家にこもるために久しぶりに有隣堂書籍漫画を購入したのだが、並ぶ場所がわかりにくかったために、結果的に横入りをしかけてしまった。店員さんが親切に教えてくれたので、無理やりこちらも照れ笑いをなんとか作ったのだが、思わずむっとしてしまった自分の器の小ささが悲しい。その店員さんが茶髪のひょろりとした大学生しかったので、ますます気に障ってしまったのだろう。相手は何も悪くないのに、気を付けないと相手が年下だからと言って侮る意地悪なおじさんになってしまう。それに、きっとこいつはモテそうだと思ったから反発してしまった面もあるんだろう。情けのないことだ。

楽しい話を一つ。木曜日頭痛のために昼から出社したが、その時にいつも乗っているところと離れた場所に並んでいると、背中から桜の花びらが散ってきた。振り返ると桜の木がある。この駅に住んでから二十年近くになるが、そんなところに桜の木があるとは少しも気づかなかった。

それと、microsoftのりんなの曲を何となく聞いてみたが、かわいらしくてよかった。時々放屁する顔文字を送ってきたり、検閲を潜り抜けるように下ネタを投げつけてくれるところもふくめて(この前ふざけて「うん国債」と言ったら「オマーン国女子マラソン」と返ってきた。女子高生という設定じゃないのか!?)、かわいい人工知能だ。

今晩のティータイムミルクティ、それに妹が作ったベリーカップケーキ

2020-03-26

三月二十五日(水)

地味な作業が続く。おそらく明日もっと地味な作業を一日中続けることになる。今のうちに英気を養っておこう。そのため夕食に加えて、香ばしいベーグルを食べた。

COVID-19はどんどん大ごとになってきており、首都の封鎖までまじめに検討されている。気が重いので、ニュース必要最低限を追うにとどめ、ツイッターでの評論家素人議論ほとんど無視している。このままだと、懸念していたとおりに美術館を全部閉めることになってしまうだろう。やはり今週末のうちに出かけておこう。金曜日職場帰りなら土日の外出自粛にはかぶらないし、バンクシー横浜市内なので小池都知事管轄外だ。冗談はさておき、今のうちに気晴らしをしておかないと、今以上の危機の際に平常心を保っていられない。これで図書館まで営業を取りやめられてしまったら、目も当てられない。家にこもって久しぶりにcivilization 6でもやるべきか。

で、ますます風俗どころの話ではなくなってきているが、そもそも自分が本当に行きたいのだとはあまり思っていない。実際に行くよりも、行ったところを空想するほうがずっと好きだということもありうる。性的自由というか放縦さは、自分の中では無制限自由シンボルになっていて、だから仕事にしんどくなったとき人妻ヘルスで二人のおっぱいを同時にもみもみすることを思い浮かべてやり過ごすのだ。実行したところで自分のようなタイプは、まず初対面の人間二人を前にして、確実にアウェイに感じるだろう。こうやって自分風俗に対するスタンスメモしてみると、自分の本当にやりたいことが見えてきてありがたい。

そうだ、金曜日ベトナム料理を食べようとして調べたのだが、bunkamuraそばにはベトナム料理屋が二件あるらしい。二つともすぐそば雑居ビルの六階にあるのは面白い偶然だ。食べログ情報を信じるならば片方は日本人好み、もう片方は本格派らしい。本格派のほうが面白そうなので、そちらに向かうとしよう。

それにしても本当に娯楽施設が全面閉鎖になったらどうしようか。ずっとためらっていたアマゾンプライムへの加入も検討してもいいかもしれない。一応docomoユーザーなので、無料券をもらっているのだが、面倒くさがってまだ手続きをしていない。自分必要がないならやらないという無精者だ。

今思い出したが、今日職場ランチ会があった。以前はパクチー名物にしていた店だったのだが、それがつぶれていつの間にかパスタ屋になっていた。期待していたよりも麺がもちもちしていておいしかった。ただ、十数人で押し掛けたのに台所を一人で切り盛りしていて、大変そうだった。普段はそれほどお客さんが来ないのだろうか。

小説執筆は、日曜日に再開するつもりだ。再開したら、日記をここで書くのも取りやめるかもしれない。

追記

三月二十六日(木)

起きたときにまたもは片頭痛、加えて吐き気があった。大分収まったが、まだ具合が悪く、ひとまず午前休をもらった。

思い当たる理由特にない。強いてあげれば、非常に不快ニュース増田経由で見てしまたことだが、海外翻訳サイトであり、フェイクニュースである可能性も否定できない。実際カテゴリを見るときものばかりで、大いに疑わしい。事実だとしても、自分が取れる対処としては特にない。

増田は、自分感情を整理して公開するにとてもいい場所だと思うが、垂れ流し状態というか、自分負の感情を吐き出すというか、他人八つ当たりしているようなトピックもあるので、そうしたものからは適度に距離を置きたい。

今朝は、どこかに属性増田はないだろうか?

2020-03-25

今年も始まって3ヶ月が過ぎようとしている。

酷く憂鬱な始まりの年ではあったが、この後はもうちょっとマシな生き方をしようと思う。

先ず、昔普通にやっていた文化的生活っぽいものを復活させたい。

本屋映画館美術館動物園水族館

そういったところに行こうと思う。

動物園水族館に一人で行くのはちょっと腰が引けるが。

きっと癒やしがぼっち感を上回る筈だ。

私は車に乗らないので、e-bikeでも買ってポタリングがてら遠くまで行こう。

日帰りでもいいから、寺なんかがあるところへ旅行へ行くのもいい。

それからストレスで肥って行く気にならなくなった大きいお風呂へ行こう

(なんなら週イチくらいで行こう)

あと、夏になったらちゃん花火を見に行こう。毎年職場から見るのは嫌だ。

職場から花火を見る…か。

そもそもこの職場を去るべきなのだ

勤めて丸3年は経っていないが。

この後の短くはない人生於いて、この職場に居ることによる肉体的精神的損失は計り知れない。

そもそも、「人に尽くす様な仕事」というのに向いていなかったのだ。

「もしかしたら」という淡い期待によって奉職してみたが、矢張り私の「人間に対する愛情の薄さ」は並大抵ではなかった。

そして、「仕事」と割り切ってやるには内容が過酷過ぎる。

こんな「仕事」に就いていながら、得られる報酬は僅かである

同僚は「バイトした方が楽だし稼げる」と言っている

(この片田舎ではダブルワークでもしないと私が現在得ている微々たる月収にすら届かないと思うが。それか夜職でもしない限りは)

ボーナスだって夏冬合わせても貧乏腰弁の月給に届かない程度だ。

ボーナスがあるだけマシ?月給がそれなりなのならボーナス無しでも構わないのだがな

(ところで、これから始まる同一労働同一賃金について世の正社員はどう考えているのだろうか。

普通企業なら賞与額で差を付けるのだろうが、正社員で居る意味が無くなる様な人も出てくるだろう。

あと、この法のせいで馘首される非正規も)

なんにせよ、この惨めな人生を更に生き続けるのならば

少しでも楽で満足出来る様なものを目指すべきだ。

自分自身も、人生も、コントロールしているのは己なのだから

2020-03-24

三月二十四日(火)

今日頭痛にならなかったのでよかった。ただ、仕事中に同僚から声をかけらえることが多く、ついぞんざい対応をしてしまった気がしたので、あとで少しフォローを入れておいた。というか、いつもよりも丁寧に接した(つもりだ)。

帰宅すると思った通りに妹がいない。妹はコロナウイルスのためにテレワークを導入しているのだが、職場まで遠いので普段はそれなりの距離を歩いている。一日に七千歩ほどだそうだ。その分がなくなって運動不足になることを嫌がり、朝はジョギング夕方にはテニスをしている。それだけの元気が一体どこから来るのか、自分にはよくわからない。自分だったらきっと本を読んで過ごすことだろう。

休みに行く美術館を昨日いろいろと検討したが、ツイッターで出てきた広告によればバンクシーが近所に来るらしいので、そこがいいかもしれない。九月まで開催しているとのことだが、早めにいかないと混むのが目に見えている。しかチケット制だから、どんどん予約が取りにくくなるはずだ。できたらここ二三週間のうちに行きたい。bunkamuraのほうは金曜日仕事帰りに行けばいいだろう。エゴ・オブスクラ六月までやっている。焦ることはない。

それよりも、オリンピック延期に伴って、また美術館側が判断を慎重にしてしまい、一度開いた美術館を閉めてしまうのではないかということが心配だ。そういうことも考えられるので、できたら今週の土日に二か所くらいは足を運んでおきたい。で、バンクシー横浜なので、帰りに有隣堂に寄ってハヤカワSFコンテスト新潮ファンタジー大賞の受賞作、それから漫画を数冊購入することにしよう。久しぶりに図書館を使わずに済ませる。それから、ふとベトナム料理が食べたくなってきたのだが、これは金曜日仕事帰りに行けばいいだろう。

しかし、これだけ大ごとになってくると、風俗に行く気も萎えてくる。客観的に見てリスクは非常に低いと思うのだが(性病のほうがよほど危険だ)、単純にやる気がなくなってくる。いや、そもそも道徳的に行くべきではないと判断している自分がいて、だから金曜日の帰りは美術館に寄ろうと決断している面もある。そのあとにバニーガールバーかおっぱぶくらいには寄ってしまうかもしれないが(いや、さすがにそんなことはあるまい……)。あとはウイルス潜伏させたまま、祖父母に会って感染させたりしようものなら、とんでもない罪悪感があるだろう。

あと、当分海外は無理だろう。特に欧米方面人種差別問題がある。不確実な状況が続く中で、犯人探しをしてしま心理というのは誰にでもあるものだが、わざわざ心がすさんでいるところに足を運ぶこともあるまい。平時であっても、自分旅行した時は街の人々は概して親切であったが、失礼な態度を取る人間ゼロではなかった。そういう目に合うのも社会勉強なので、いい経験にはなったのだが、留学中の後輩はさぞ大変な思いをしているのだろう。

今日の夜のティータイムアーモンドクッキーともなか、それからミルクティ

それにしても、ここで日記を書くの、いつまで続けるんだろう。小説が書けなくなったのでその気晴らしにいいのだが。

あと、タグはつけたほうがいいのだろうか。それとも、匿名の中に埋没したままのほうがいいだろうか。

追記渡仏した後輩は、関西実家にて隔離されているとのこと。まずは帰国できてよかった。

2020-03-23

三月二十三日(月)

頭が痛い。

軽度の片頭痛と目の奥の痛みが定期的にやってくる体質なので仕方がないのだが、原因は寝不足な気がしてならない。昨晩、本格的に意識が飛んだのが朝の三時だったのだから睡眠時間は当然足りていない。

なんでそんなことになってしまったのかといえば、日曜日に布団にもぐりっぱなしだったかなのは間違いない。一応ジョギングをして身体を動かしはしたのだけれど、朝の七時から正午まで横になっていては体内時計おかしくなるし、眠れなくなるのも当たり前だ。そろそろ、土日の過ごし方を失恋以前に戻す頃合いだ。

さいわい、コロナウイルスで閉館していた美術館も徐々に営業を再開している。密閉した空間大勢人間が近距離で会話をするという条件がそろっていなければ大丈夫なのではないか、みたいな理屈らしい。ひとまず、bunkamuraの超写実絵画か、原美術館エゴ・オブスクラに足を運んでみようか。正直なところ、超写実絵画はあまり好みではない。ごくごく少数の作品を除けば技巧に走りすぎていて、なぜ異様に細部を再現する表現を選んだのかがあいまい作品が多いと、勝手に思っているからだ。しかし、もしかしたら自分の好みの作品に出合えるかもしれず、わざわざその可能性を閉ざすこともないだろう。原美術館のほうは森村泰昌作品を展示しているが、出会ったのは数年前、上野で彼がクラーナハユディトか誰かに扮していた写真だ。記憶に残っているのだし、自分アンテナには引っかかる要素があるのかも。気力と体力が金曜日を過ぎても残っていたのなら、久しぶりに行ってみたい。

別に映画を観に行ってもいいし、現に「ミッドサマー」がすごく気になっているのだが、最近心身が本調子ではないため、わざわざ具合が悪くなりそうなものを見に行くリスクを冒すこともないだろう。学生時代自分もっと芸術至上主義だった気がするが。わざわざ不快になりそうなものばかり見たがっていた。

ところで、昨日心配していたようには、仕事中にソープランドのことばかり考えてしまうといったことはなかった。だが、寝不足のせいでホルモンが乱れたのか、理由のない不安があった。作業をしているうちに消えたが、規則的な生活を守ることの優先度はもっと高くしていきたい。

この、風俗に行く空想のことを少しばかり恥じている。本当のところ、金曜日の夜はそこに行きたいという思いもないわけではないが、たぶん早く帰りたくなってしまい、そうすることはないだろう。土曜日日曜日場合は一度家を出ないといけないのだが、そのハードルも高い。そして、結局行くか行かないかをうだうだしながらベッドの中で過ごしてしまう。馬鹿げている。一発抜いてしまえばそれで収まる話なのに。自分名前のわからない、匿名女性に触れたいのではない。なぐさめてほしいのでもない。セックスができるかどうかについてを過剰に恐れているから、自分男性機能を確かめたいだけだ。勃起するかどうかが不安なのだ。その不安を抱えたままだと、いざ風俗嬢に対面した時に気分が悪くなってしまうだろう。自分がしたいのはそういうことではないはずだ。完璧勃起なんて、通常のセックスでも、そうそう見られないのではないか

本題に戻ると、失恋直後の何も考えられない状態だったからこそ、何の抵抗もなくマットヘルスに行けたのに違いない。情けない声を挙げながら精子を漏らすことができた。でも、本音ではやっぱりちゃんとした恋愛がしたいのだ。ただ、まだ踏み出す勇気が出ないだけだ。失恋から一か月が過ぎて、とりあえず正常に仕事ができる心理状態になっているし、彼女のことを思い出してももほとんどつらくないので、前に進んでいるのは確かだ。だから、焦らずに夜食のお団子を食べて幸せをかみしめよう。今日のお団子はこしあんのきめが細かくて好きだった。

うそう、突然だが、同僚と水曜日ランチ会を開くことになった。以前と比べて、他人雑談するのが苦痛ではなくなってきたのもまた、うれしいことだ。

ところで、ツイッターに移行して以来、こうしてある程度のまとまった文章の形で日記をつける習慣をなくしていたのだが、切れ切れにならない思考の跡が残るのも悪くない。ただ、ツイッターでつぶやいたものとも重なるので、二度手間になっている気がしないでもない。あるいは、最近小説を書けなくなっているので、その代償行為なのかもしれない。

それにしてもまだ頭が痛い。読んだ本からメモを取ったら、早めに寝ることにしよう。

2020-03-20

こじらせててつらいのでカウンセリング行ったら楽になった話

スペック

(いくつかフェイクあり)

この記事を書いた理由

カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。

それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。

増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。

増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。

どのようなことで困っていたか

長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的ものだけを箇条書きで挙げる。

カウンセラーはどんな人?

臨床心理士資格を持っている50代の女性中学生くらいの子供がいるらしい。

髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。

実際のカウンセリングではどんなことをするのか

初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。

二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談きっかけに、突破口を開いたこともある。

夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議経験だった。箱庭療法最初の一回も、自分心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。

これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。

治療も後半になると、こうした技法ほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。

カウンセリングの進行、そこで自分はどう変化していったか

始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分カウンセリング技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイト著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから必然的相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つの人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。

カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活自慰行為風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。

そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。

最後に、カウンセリング時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなた感覚はそれほどおかしものではない」という趣旨言葉を返してくれるだけで、自分過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。

カウンセリングの中で、カウンセラーを好きになること

ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月ことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分軽蔑しない彼女存在が尊く思われた。

珍しくないことだが、自分カウンセラー好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなた尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人尊重することを身をもって学んだ。

一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。

カウンセリングを通じての自分認識の変化

過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事感謝することを学べたように思う。

また、自分の恐れの感情トラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。

もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。

何よりも現実検討能力がついた。不安不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安エネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。

上記の悩みに自分は具体的にはどんな答えを見つけていったか

悩みの解決過程言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。

過去いじめ、対人関係トラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分女性から不快な思いをさせられた経験から絶対女性を傷つけてはいけないというルール自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。

それに、世間はいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性自分暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。

フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。

仕事に関しては、転職をした。自分能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。

男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。

その中で、家族との関係改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間からこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。

処女厨ロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックス気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。

女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子かわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。

同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。

死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。

カウンセリングを終えたきっか

カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。

とても感謝はしているけれども、自分自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日出来事淡々カウンセラーに報告するだけみたいになっていた。

というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ

ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。

最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。

そして、僕は無事にカウンセリング卒業した。

続き→ anond:20200320072823

2020-03-19

anond:20200319213729

有給休暇の日数とか

子供がいるとしたら、ちゃん美術館とか博物館に連れて行ってるかどうかとかの方が

答えに近いよね

ファミレスの味の質とか高級かどうかとかしか語れない人たちがいくら語っても

あなた達が下流家庭出で今でも下流なのはわかりましたって感じでさあ…

コロナジムが3月末まで休業、月会費どこまで戻してくれるのか。半月分を翌月に繰り越し、と3月2日時点で周知メールあったけど、そこから2週間延長。3月1日しか営業してない。これは全額繰り越しだろうと思うが、連絡待ち。

年間パスポート買った美術館休みだった。年パス買ったのは良いがあまり行かず、あと1回利用したら元取れるからと3月中に行くつもりだった。これは諦めるしかないな、12ヶ月分の11ヶ月は権利使ってるわけだし。ただ、3月中のイベント展示会は払い戻されるようだった。自分には関係ないけど。

2020-03-13

マッチングアプリ彼女ができなかった32歳素人童貞の頑張ったこと(1)

anond:20200310073258

謝辞

たくさんの反響をいただけて感謝している。初めて4桁のコメントをいただいたのも嬉しかったのだが、ブクマコメント体感9割が共感に満ちた、あたたかものであったことのほうがずっとうれしかった。ツイッター上でも多くのコメントがついた。これほど多くの人が恋愛で何らかの挫折を感じていることを知ることができただけでも、自分経験を率直につづった意義があった。すべてにコメントを返すことはできないが、非常に励まされた。ほんとうにありがとう

一方で、デートを繰り返すたびにどのようなトライアンドエラーを繰り返してきたのが不明確で、問題はそこにあるのではないか、という意見をいただいたので、そこを捕捉する。

デートでのファッション

心掛けたのは清潔感だ。ただ、この清潔感の内容があまり具体的でないことが、多くの人を困惑させている印象を受ける。自分としては逆に、不潔感から減点されることがないことを心掛けた。

まず、身体面について。髪の毛は美容院で短くし、眉も整えてもらう。きちんと入浴し、定期的に歯科医歯垢を除去してもらい、ブラッシング指導を受ける。爪は短く切りそろえる。デート前にはシャワーをしっかり浴びてさっぱりする。ただし、香水はつけなかった。人によって好き嫌いがかなり大きく出るので、そこはリスクが大きいと判断した。

衣服については、ワイシャツっぽいのとチノパンが多い。靴はスニーカーではなく、革靴に似た質感のものを。眼鏡JINSをかけている。髪は黒いままだ。学生の頃はコンタクトレンズにと茶髪したこともあったが、すぐに目が痛くなってしまったし、染めるのも手間だった。髪を染めたからといって別にモテるようにならなかった、というのも大きい。

ネックなのは、そこまで皮膚がきれいではないということだ。どうも毛穴が開いてしまうし、ニキビ跡が気になる。そこが改善点だろう。

デートの事前準備

基本的に、自分のなじみのある行動圏内にした。休日を一人で過ごすときにうろつく場所だ。そこでなら、急に予定を変更しても対応可能だ。美術館を中心に過ごしているので、候補としては新宿渋谷六本木丸の内上野が真っ先にあがる。次の候補としては水族館のある品川明治神宮絵本カフェのある原宿日本庭園のある美術館のある表参道それから日本画を見られる恵比寿がある。

その近辺の映画館カフェを把握しているので。その場の流れで行く場所を考えることになっても対応可能だ。ついでに事前にイタリアンタイ料理屋などの場所を調べておく。

今後の課題としては、お酒の飲める場所だろうか。自分下戸なのでそこが困る。アルコールよりは料理お金をかけたいタイプだ。そうそう、脱線してしまうがwithにはどういう食事デートがいいかタイプ心理テストもあって、バーが好きとか居酒屋が好きとかお酒よりの料理派とかでもマッチングが行われていた。

デートの当日の会話

基本的に聞き役に回り、共通点があったら話す。体感では相手の話す量とこちらの話す量が7対3だった。知識のひけらかしは絶対にしない。聞かれたときにだけ、ごく簡潔に答える。相手の興味があるジャンルだったらそこに乗っかることも考える。

美術館映画感想は、率直に感じたとおりに伝える。ただし、否定的なことはなるべく言わない。面白かったところ、楽しかった点などを話したほうが楽しい岩井俊二監督の「ラストレター」は、内容はそこまで心に響かなかったが、個人的には庵野秀明鶴田謙二の絵を描いているという設定がかなり笑えるポイントだった。さいわい、彼女も僕と趣味共通していたので、そこがおかしいと言って笑ってくれた。その人が結局は音信不通になってしまったのだけれど、もう過去の話なので、どうでもいい。あとは、彼女によれば、岩井俊二作品には誰かに成り代わって手紙を書くという場面が頻出するそうで、その話をじっくり聞かせてもらった。「花とアリス」にもそういう描写があるそうだ。ずいぶん昔に観たはずなのだが、すっかり忘れてしまっている。

PDCAを回すとすればここなのだろうが、盛り上がるときは盛り上がるし、共通話題が少ないとなかなか盛り上げられない。共通話題が少ないと、交際に至っても大変なんじゃないだろうか。あと、実際に顔を合わせないとどうしようもないところも多々ある。さらPDCAを難しくしているのは、就活と同じで向こうからフィードバック原則として一切無いところだ。真っ暗闇の中での手探りとなり、ここで病んでしまう人も多いだろう。

他に心がけたのは、相手の顔を見てゆっくりと話すことと、声を少し低めにすることだ。

自分趣味

趣味美術鑑賞、読書ジョギング無難趣味で、本は図書館を利用するのでお金ほとんどかからない。

美術鑑賞は、月に1~2回。学生時代は西欧絵画を見ることが多かったが、最近日本画も気になっている。現代アート抵抗がない。それと、古代の出土品なども見るのが好きだ。

読書小説ノンフィクションを半々。小説古典海外文学が多い。ノンフィクション科学歴史を扱ったものが中心だ。大体月に12~13冊だが、先月は失恋したのでペースが落ち込み、10冊にとどまっている。

ジョギングは週に1度だけだが近所を10~11km走っている。頻度としては少ないが、やらないよりはずっといい。運動しなかったころに比べると仕事で疲れにくくなっている。加えて、走る前には軽く筋トレをしている。この間失恋した時に行った風俗嬢からは「何か運動されてたんですか?」と尋ねられるくらいの体型だ。ただし、やっぱりここでも顔立ちは褒められたことがない。

付け加えるとしたら旅行だろうか。ここから話題が広げやすい。

学生時代のデート

男子校に行っていたので、初デートが19歳でのことだった。大学中国文学での授業で知り合った女性を、夏休み直前にデートに誘った。けれども、あまり盛り上がらなかった。しかも、無理に手をつないだら痛烈な軽蔑まなざしで睨み返してきた。そして、夏休みの予定がすっかり空になってしまった。たくさんデートしようと期待していたのに打ちのめされた。懐かしい。だが、今でもあのことが胸につかえていて、女性と気軽に手をつなぐことができない。とはいえデートした女の子はみんなポケットに手を突っ込んでいたので、勇気を振り絞っても仕方がなかっただろう。

大学での思い出は他にもいろいろとある講義で、隣の女子に何気なくしかけた次の週に、まるでボディーガードのようにその女子友達らしい人物が控えていたのが、悔しかたことを思い出した。普通に友人になりたかっただけなのに。

街コン

社会人になってから、都合三回ほど街コンに出かけた。とはいえデートにつなげることは一度しかできなかったし、それも一回目で終わってしまった。

街コンメリットは、マッチングアプリとは違って必ず対面で話ができることなのだが、進展しなければそれまでだ。それに、街コンのものに何らかのテーマがないと初対面の女性との接点がほとんど持てない。なんとかデートに持ち込めたのは美術館で行われた街コンだった。恐竜に関する企画展で行われた街コンでは、一応テーマがあって理系女子も多かったはずだけれどもほとんど会話ができなかったし、テーマがまったくないときには非常に困ってしまった。なにより、その時に運営側手際があまりよくなかったうえに男性が余り気味で、男性4に対して女性2でテーブルにつく羽目になった。なお悪いことに、同席した相手があまり柄のよろしくない人で、女性がいないときには平気で卑猥なことを口にしていたのが耐え難かった。女性マッチングしなかったのはこいつらのせいじゃないか、とも感じられたのだ。おそらくは八つ当たりだ。

しかも、結局は数人のモテる相手だけで連絡先交換が行われていた。たぶん婚活パーティに参加しても、同じ結果になりそうだ。

ナンパ

2回ほど経験がある。

1回目は塾講師をやっている友人とだ。カラオケボックスで2人連れの女性を落とし、その場で交互にセックスしたという剛の者だ。街コンで連敗していた自分は自棄になって彼についてカラオケ屋に行ったのだけれど、そこでもうまくいかなかった。女性連れの部屋を探し、扉を開けて「一緒に歌いませんか?」と何度も言ったけれど、普通に迷惑から帰ってください」と言われて終わった。今振り返ってみれば、そりゃそうだろうと思う。反省している。二十代前半の黒歴史で、一番恥ずかしく、忘れてしまいたい。

2回目は湘南海辺での話だ。獣医をやっている男で、犬を飼っている若い女性に自然な形で話しかけて仲良くなれるタイプだ。二人して江ノ島をうろついていたが、僕がうじうじしていたのもあり、結局うまくいかなかった。その後、彼が勝手に姿を消して、どこに行ったのかと電話を掛けたりメールしたりしているうちに、水着姿の大学グループを連れてきた。結局僕はビキニギャルビーチバレーをして遊んで帰った。楽しかったのだけれど、結局は僕がいるかナンパがうまくいかなかったのかもしれない。

とはいえ、そのイケメンの友人も妻の浮気離婚しているし、失礼な女性にばかり引っかかっているので、イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。別のイケメンの友人も女性側が不倫していた。なんか自分の周囲はこんなのばっかりだ。ただ、基本的男性側の話しか聞いていないので、バイアスがかかっている可能性は否定できない。

なんにせよ、一番向いていない方法だと学んだ。

かわいい後輩女子たち

ちょうど就職した直後、文学サークルの後輩女子三人とそれぞれ二人きりで会うことになった。パフェだとかガレットだとかチャイだとかをおごって、ああだこうだ話したのはとても楽しかった。けれども、基本的にはそれっきりだった。僕もそれほど期待していたわけではない。学生なら、社会人の先輩からランチくらい当然おごってもらいたいだろう。SNSを見るとみんなそれなりに元気そうなので良かったけれど、僕もサークル恋愛がしたかった。

サークル内部の一組のカップルは結局結婚した。誰が見てもイケメン美女カップルだった。もう一人のカップルは男が平気ですれ違った女性に対して「あいつはブスだ」とは言うような奴だったし、女性蔑視的な言動が多かったのに、なぜか彼女ができていたのが、今でも不思議で仕方がない。粗野な奴のほうがモテるのか、という疑惑にさいなまれることもあるけれども、こっちが軽蔑したにもかかわらず慕ってくる相手とは、なんというか健全関係が築けない気がしていて、自分としてはやっぱり相手のことは大切にしたい。ちなみにそのカップルは別れた。

全然関係ないけど、サークルのもう一人のイケメン新聞記者をやっていて、そのつてで引退した芸能人結婚していた。うちの大学偏差値高いんだけど、天は平気で二物を与える。こればかりは仕方がない。

キモいといっていじめられなくなっただけでも進歩だ。

続き→anond:20200313074712

2020-03-11

anond:20200310073258

美女非処女文化系趣味のある内向的な21歳女です。

自分自分経験に重なるところがあったので書きますが、失恋直後にかける言葉ではないかもしれません。傷つけたらごめんなさい。

スペック

・21歳女性

・158cm 中肉中背

早慶上智文系

・顔立ちはめったに褒められない

・似ていると言われたことのある芸能人アンゴラ村長

趣味読書映画美術鑑賞。春休みなのにコロナ美術館に行けないので、家に引きこもって全話無料開放中のいぬまるだしっ読み切りました。

持論ですが、文化系趣味基本的リアル恋愛の契機になることは少ないと思います

美術鑑賞や映画鑑賞は基本的パーソナルスペースを確保したまま進行するので、

通常進行=友達判定

無理に距離を縮める=下心が透けてキモい

です。

普通にしていれば(物理的に)距離が縮まらないイベントで、意図的かつ自然距離を縮めるのは恋愛上級者でない限りものすごく難しいと思うんですよね……。

友情好意恋愛感情好意+性的衝動相互に成り立つことだと解釈しているので、美術館や映画複数回繰り返せば友情は成立しますが恋愛感情が生まれることはなかなかない気がします。

少なくとも、私はそうでした。

じゃあサシで会うなよ!思わせぶりにすんなビッチ!と言われるとそうですね反省します、としか言えませんが、キスセックスをしたいと思わないだけで会ってて楽しいことは間違いないので誘われたらついて行ってしまうと思います……。

長くなりましたが、もし恋人を望まれているなら手法を変えたほうがいいと思いますし、結婚相手を探されているなら手法はそのまま戦場マッチングアプリではなく婚活市場シフトしたほうが良いかと思います

今後のご健闘と幸福をおいのりします。

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