はてなキーワード: 半信半疑とは
最近メーシングに目覚めたんだけど、運動神経が悪いもんだから、楽しくはあるんだけどもあんまりうまくいってる感じがしなかった。
それでいろいろ調べてみたんだけど、中でも一番良かったのがマルハさんの等円法ってやつだ。
やり方は簡単で、まず飛ぶ前の下準備として、前日の夜くらいに生地の四隅に緑粉を軽くつけておく。緑粉はデカめのホームセンターの造園コーナーに行けば大抵あると思う。
当日、飛ぶ直前に生地全体を軽く水で濡らす。正直あんまり意味は分かってないんだけど、たしかにコーナー感がガラッと変わる。
動きのコツとしては、カルチャーの瞬間に砌を横にひねる。これはわりと感覚の問題だからなんとも言えないんだけども、気持ち早めに動いたほうがうまくいく感じはある。
で、最後、崩しのときはくるぶしを接地させる。おれも最初は半信半疑だったんだけど、こうすると縢箭が格段に少なくなる。おれの場合だとマジで3分の1以下になった。
https://anond.hatelabo.jp/20201206124933
この方、体が大きいにも関わらず、人とぶつからないための努力を続けていてえらいなって思いました。
かくいう自分も、体はそんなに大きくないながら人混みでよく人にぶつけられる人でした。
こちらが頑張って避けようとしても相手に避ける気持ちがなければ解決しないだろ!と何度も心が折れそうになりました。
そんなあるとき、なにかのテレビ番組だったと思うのですが、そこで目からうろこの回避方法が紹介されていました。(ソースを検索したけど見つけられませんでした。)
半信半疑ながら、ダメ元、わらでも掴む思いで実践してみたところ効果てきめん。
結論から書くと、その方法とは、「自分で行きたい方向の一点を見つめて歩く」です。(※追記 目線だけより、顔ごとその方向に向けるとより効果的です。)
皆さんの議論を整理すると、人混みを歩く上での分類は以下のようにされています。
「わざとぶつかってくる人」
「避けない人」
「頑張って避ける人」
そこに、もう一つ分類を加えてほしいのが「避けたいけどどうしていいかわからなくなる人」
そして、自分はそこに分類される人でした。
なぜそのようなことが起こるかというと、その一番の理由が増田に指摘がありました。
そうです。
目があっているからです。
逆じゃないの?って思うかもしれません。
違うんです。逆じゃないんです。
なぜなら、お互いの視線が合っているということは、お互いがどちらに進むかの予測ができない状態になってしまっているからなんです。
その結果、お互いが気づいているにも関わらず、避けられないという事態が発生します。
自分は避けようとしていたのに相手が避けなかったと、お互いが考えてしまう原因にもなります。
そのテレビ番組では、人同士がすれ違おうとするときに、同じ方向に何度も避けてしまう状況を回避する手段としてまず紹介されました。
実験で、お互いの目を見たまますれ違おうとすると、先程述べたとおり、何度も同じ方向に避けるということが起こりました。
その次に、どちらか一方だけに、相手の目を見ずに、自分の進みたい方向だけを見て歩くように指示をしました。
すると、その実験ではそれ以降一度もぶつからずにすれ違うことができました。
片側が相手を見ていなくても、片側が相手の視線によってどちらに進みたいかがわかるので、避けることができたのです。
ここで、行き先の一点だけを見つめてぶつからずに渡りきれるかどうかという実験です。
顔に取り付けられたカメラの映像を見ると、まるでモーゼの十戒のように人混みが目の前で割れていくシーンが映っていました。
今までぶつからないように相手の動きを観察しようとしてきた自分にしてみれば、まさに魔法でも見させられているかのような気分でした。
それならばと自分でも試してみたところ、本当に、笑ってしまうくらい人が勝手に避けてくれるようになりました。
もちろん、こちらを全く見ないで突っ込んでくる人は一定数いました。しかし、その人達は見ていないだけなので、避けるのは簡単でした。
この日以降、どちらに避けていいかわからずにぶつかるということは本当に、一切なくなりました。
ただし、この実験は今ほど歩きスマホが当たり前になっている時代でありません。
当時のスクランブル交差点のように一点を見つめるだけで人とぶつからずにあるききるということはできないかもしれませんが、最低限の回数を避けるだけで人とぶつからずに渡りきれるはずです。
「わざとぶつかってくる人」=いずれにしてもどうしようもない
「避けない人」、「あんまり避けない人」=くやしいけど自分から避けるしかない。
「避けたいけどどうしていいかわからなくなる人」=自分が行きたい方向の一点を見つめて歩けばぶつからない。
これは、あくまでぶつかりたくない人はどうすればよいかの話であって、ぶつかってくる人をどうにかする話ではありませんのであしからず。
ただ、増田が「わざと目を見て、目があってるのに避けない」と言っていたので、それは誤解でむしろそれがぶつかる原因になってるかもしれないと思って書いてみました。
狭い通路で相手側がどう動くが凝視して観察するよりも、平行に進めるように進行方向の一点を見てすれ違ったほうがぶつからずに安全にすれ違うことができます。
ただし、そんな自分も一度だけ自転車同士で立ち往生してしまったことがあります。
自分は一点だけを見て進んでいるつもりでしたが、あまりにも相手の表情がわからず、最後まで自分を信じきれずに進路を変えてしまったところ、相手も同じ方向にハンドルを切ってしまうことが起こってしまいました。
サンバイザー、まじでクソ。滅べ。
※追記
一点だけ見つめて、とは言っても、周りを全く見てなかったら当然ぶつかります。
普段どおり人は避けつつ、どうしても相手の行動が読めないときに、自分からまず視線や顔の向きで向かいたい方向に対しての意思表示を示してみましょうというお話です。
相手が同様に一点だけを見つめて向かってきたら自分から避ければいいだけなのでぶつかりません。
ここに書いたのは、人にぶつからないように努力してるけど、どうしてもぶつかってしまうことが多い人の手助けになればと思ってのことで、誰もが人混みで絶対にぶつからない方法ではないです。
暗い場所、なんか精神世界みたいな場所で誰かと誰かが邂逅するシーンが好き。以下、ネタバレを含みつつそれらのシーンを解説していく。
エヴァの最終話近辺も似たような感じのシーンあるけど、あの辺は演出としてかっちりし過ぎているのでそこまで好きではない。
物語終盤において、主人公兄弟である高倉冠葉と高倉晶馬は、真っ暗な空間において隣り合う二つの独房にそれぞれ入れられている。飲み水も食べ物も見当たらないその場所で、二人は飢えていく。なお、二人の姿は物語中の青年の姿ではなく幼少期の頃の姿を取っており、したがってこのシーンが、現実ではない抽象化された世界の出来事であることが示唆されている。
お互いに独房から励まし合いつつも、飢えてかつえていく二人であったが、やがて兄である冠葉が叫ぶ。
「あった!」と。
「何が?」と晶馬が疲れ切った声で問うと、冠葉は「林檎があった。今まで気付かなかったけれど、独房の隅に落ちてた」と晶馬に伝える。「晶馬の方にも落ちているかもしれない、探してみろよ!」
暫くの間晶馬は林檎を自分の独房で探すものの、そこに林檎はない。やがて諦めを含んだ声で晶馬は言う。「僕の方には無かったよ。おめでとう、冠葉は選ばれたんだ」
この「林檎」はこの場合、「両親からの愛情」のメタファーである。晶馬は幼少期において様々な事情により、母性的愛情が欠落した生活を送っていたのである。冠葉はその乾き切った晶馬の言葉に愕然とするのだけれど、自らの手で林檎を二つに断ち割り、そしてその一方を、独房の鉄格子越しに、晶馬の方へと差し出すのであった。
先程、愛情の例えになっていると説明した林檎であるが、同時にこの林檎は、旧約聖書における「善と悪の知識の実」のメタファーにもなっている。
ピングドラムにおけるキャッチコピーは複数あり、その内の一つが「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」である。愛と罪を共有する、というテーマが、この暗闇のシーンにおいては描かれているのである。
「『列車』はまた来るさ」
飼い猫「レノン」の後を追って、寮が併設されている学校の敷地内を走る主人公。その主人公の目の前に、幼い頃の主人公の心の支えとなり、今もなお親友として日常を共有する棗恭介が現れる。夜の暗い中庭において、恭介はレノンを腕に抱えていた。これまで、レノンは度々メッセンジャーとして主人公を翻弄していた。その尻尾に結び付けられた何者かのメッセージが、時に主人公を誘ない、時には誰も知りようのない個人的な秘密を示唆しもしたのである。
そしてその夜、いつものように主人公の理樹を誘なったレノンが最終的に辿り着いたのは、親友である恭介の元へであった。それを追ってやって来た理樹は、これまでレノンを介して自身にメッセージを与え、様々な示唆を与えてきた人物が恭介だったことを悟るのである。恭介はこれまで理樹に対して、「この世界には秘密がある」とレノンを介して度々伝えてきた。そのメッセージを目にした理樹は半信半疑ながらも、示唆に従い様々な問題の解決などを手伝う羽目となっていたのである。
全ては恭介の悪戯であったと悟った理樹は、「結局世界の秘密とは何だったのか」と冗談めかして尋ねるのだが、「世界の秘密は本当にあるんだ」という思いもしなかった答えに直面する。
「それは形而上学的に存在していたとされる世界のことか何かなの?」「そんなものは存在しないよ。この世界には秘密なんてない」そう困惑しながら言葉を返す理樹に対して、恭介は笑いながら身を翻し、闇の中へと消えていく。結論から言うと、恭介の言った言葉は本当であった。彼の言う世界の秘密とは、恭介を含めた理樹の友人の一切は全て故人だったというものである。その事実に直面することで、主人公が精神的に廃人となってしまうことを避けるために、超自然的な力を用いて恭介は理樹に対して幻影を見せ続けていたのだ。
原作版ワンパンマン第106話、類稀なるエスパーとしての才能を見出され、施設に半ば幽閉されることとなったタツマキは心の調子を崩し、超能力の発揮を躊躇するようになる。その結果研究員たちによって部屋に監禁されるタツマキであったが、やがて研究施設で飼育されていた実験動物の暴走事故が発生し、あわやタツマキもその犠牲になろうとしていた。
そんな時やって来たのが、後にヒーロー界を席巻することになる「ブラスト」である。ブラストは危なげなく暴走中の実験動物を抹殺すると、タツマキに対して自身が趣味でヒーロー活動をしていると告げる。普段は働いているのだけれど、これはあくまで趣味なのだと。
とは言えブラストの強さは圧倒的である。彼はタツマキに「何故能力を使わなかった?」と問いかける。当時十歳の幼児だったタツマキは、一時的に心身の不調で能力が使えなくなったと釈明するも、ブラストはその言葉が嘘であり、自身を根本的に人間扱いしてくれない施設の研究員に対する、自己主張の一環であることを看破していた。「今後の君のために一つだけ教えておくよ」
「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはいけない」
ブラストはヒーローであり、誰かを助ける側の人間ではあるものの、自らが異常者であることを自覚していた。つまり普通ならば、人は人を助けなどしないのである。タツマキは幼いながらにその事実を突きつけられ、やがて自身も職業的ヒーローの道へと進むことを決意するようになる。誰も人を助けようとしないのであれば、自らが助ける側に回るしかないという事を彼女は悟ったのである。
他にもるろうに剣心追憶編の、剣心が巴を手に掛けるシーンで、巴の墓前の幻影を見る剣心のシーンとかも好き。
そのシーンに至るまでに、巴のこれまでの記憶が暗闇の中でリフレインするシーンとかもかなり好きである。
これらのシーンに限らず、「暗闇の中での邂逅」は多くの場合その作品におけるハイライトと直結している場合が多い。凝縮された幻影とも言うべき、強烈なシーンとして、これらの暗闇は描かれるのである。恐らく、これらのシーンを描く作家の、作家性の極地が、これらのシーンには反映されていると言っても過言ではないとも思われる。
「神待ち」のSNS投稿が未成年者誘拐に 新型コロナ感染拡大で女子中高生の被害が増加
https://www.tokyo-np.co.jp/article/70607
>東京を拠点に、家出した十代の少女たちの保護などに取り組む一般社団法人「Colabo(コラボ)」には、学校が一斉休校となった三月以降、少女たちからの相談が約八百件寄せられている。
>昨年一年間の相談件数は約五百五十件といい、仁藤夢乃(ゆめの)代表(30)は「家で安心して過ごせない子どもたちが切羽詰まっている」と話す。
あっ…(察し)
某所で言う所の私たちは売った展の人達絡みの時点でどう言う事か良く判るわ。
ただでさえフェミさんやこの手の女性団体や児童団体は平気で平然と嘘をついたり、国連ですら虚偽の証拠を使って日本を陥れたり、ガイドライン改悪をしたりしていたからな。
正直これについても半信半疑で見ていいだろうし、この人達に関してはそもそも以前に沖縄で肉の盾を使う様な左翼活動家の本性みたいな行動すらもしているからねー。
そもそも家出の増加とかの家族間の不仲はこのコロナ禍においては倒産の加速による失業とか経済状況も絡んでいる事も多いので、もしコロナ禍で本当にそれが増加したならば、それは当初に麻生大臣が3月にまともに失業者対策や企業に対して粗利補償をしなかったせいであり、現在もまともな対策をせずにgotoとかある種の中抜き政策みたいな的外れな経済対策をしているせいだからねー。
またアルバイトとかの収入源が絶たれたとか金銭の問題を言うならば、猶更その政府の政策や対応が悪いせいとだとか失策をしているせいだとか言う話になる訳だし。
実際東京都でも年末年始の宿泊所確保だとかUberの配達員が増えすぎただとか倒産数が700件超えたとか実体経済が完全にやられているとしか言えない事態に発展しているのも事実だからね。
それと内容的に話している事についても何時もながらのこの人達の主張をこのコロナ禍を利用して言っているだけの内容に過ぎず、逆にこの人達こそ、コロナ禍を政治利用できる道具や事象程度にしか思っておらず、改めて今どう言う危機的状況に世間が置かれているのかと言う事を全く理解していない事を再認識できたよ。
結局この人達こんな事を言うけど、世間に対して求める事は自分達が気に入らないモノに対する規制だとか厳罰化だとか自分達を優遇しろだとかの権利の主張とかばかりなんだよね。
しかしいつもながら見ていていい加減この手の男性が悪い、女性は全ての被害者だとか言うこの人達の主張にはうんざりするよね。
どう見てもこれ今回コロナ禍を利用して、被害者面をして政治利用している一例だとしか言えないから。
特にマスメディアを利用して印象操作を図るのはこの手の人達のいつもの手口でもあり、何も日本だけで行われている事ではない。
それにこの人確かイギリス辺りのタブロイド紙で、日本を貶める様な内容の記事にも関係していた事があったからね。
その上、マスメディアの記者の人達もこの手の活動家みたいな人達が多いのはそれこそ日本において、このコロナ禍の増加し始めた時期ですら、日本の情勢をさて置いて、米国の大統領選に対してのある種の世論操作とも言える偏向報道ばかりしていた事を見ても良く判る事。
しかし右でも左でも関係なくそうだけど、思想的に偏っている人達ほど、現状世間がどのような状況に晒されているのか全く理解できず、コロナ禍ですら、単に政治的に利用できるチャンスとしか思っていない人が本当に多いよね。
特に普段綺麗ごとを言って、詭弁や屁理屈を言い、規制やら厳罰化やら自主規制の強要やらで世間を抑圧している人達ほど、今回のコロナ禍でも危機感なく、権利を喚き散らしたり、私利私欲や思想で動いたりして、挙句コロナ禍をも政治利用しようと逆に大暴れしている事が多すぎる。
特に大統領選以降何を勘違いしたのか知らないけど、リベラルや左翼の方々はそれ以降特に暴れ出したのも事実だし、この人達やマスメディア、フェミさん達はこのコロナ禍で空気を読まない行動ばかりする所かこうしてコロナ禍や事件をある意味では悪用して、思想方面の思惑から、政治利用までしようとするのだから、逆にいつもながら性質が悪いと思う。
そもそもあの大統領選にしても不正やおかしな点が多すぎる上に事実であり、状況証拠においてもきな臭い部分が多いのも事実だし、そのバイデン氏はウクライナの件等できな臭い上にハリス氏についても不倫疑惑とかきな臭い話が出てき始めたみたいだしねぇ…。
何にしろ、以下にこの人達にとってはコロナ禍自体が政治利用できる程度の事象でしかない思っている事が記事を読んでいて感じる事が出来た。
実際、フェミさんたちや反差別等のリベラルが空気を読めていないのは何も日本に限らない事で、以前のスペインのフェミさんのデモやここ最近でもこのコロナ禍にも関わらず、ポーランドでもフェミさん辺りの人達が女性デモとやらをしでかしたりしているからねー。
日本でもただでさえ今まで赤十字の件やJAの件から世間的にもフェミさんこそヤベー奴等扱いされ出していたのにそれに懲りず、その後もモンキーセンターの件とかどう見ても難癖を付けている事ばかりしているのが見えるからね。
大統領選の結果以降特にこの手の人達が何を勘違いしているのか知らないけど、それ以降に特に暴れ出したのも事実であり、こんな時期にも関わらず、我が世の天下みたいな感じに考えているのかも知れないけど、今は平時ではなく、コロナ禍の最中であり、それでも空気を読まない行動ばかりしているのだから、近いうちに報いを受ける事になるでしょうね。
昔、新渡戸稲造がフリーメイソン会員でどうこうっていう都市伝説があったじゃん。
うろ覚えだけど、確か旧五千円札地球(太平洋)にこじつけて、地球上で太平洋の真裏にあるのはエジプトだ、紙幣裏面の同じ位置には目玉(っぽい)模様がある、ピラミッド+目玉マーク、つまりフリーメイソンの暗示なんだ!ってやつだったか。
これは黒歴史で、小学校高学年くらいの時、それをうっかり親に披露して叱られたことがある。
「『われ太平洋の橋とならん』。新渡戸稲造の有名な言葉だ。だから(紙幣の地球は)太平洋なんだ。そのくらい知っとけ。」って父親にピシャリと言われた。
もちろん新渡戸稲造の名言なんて知らないまま鵜呑みにしてた。ゆとり教育だったし学校でも習ってなかったと思う。あんまり正面から否定されてムカついたけど、なにぶん正論なので刃向かう気は起きなくて、ひたすらばつが悪かった。以降その手の言説とはなんとなく距離をとるようになって、いつしか半信半疑で愉しむものということで消化できるようになった。
あれに近い陰謀論を本気で信じることがどれだけタチが悪いか、世界中で身をもって実感してるのが今なんだろうな。
父親は地元の名士を侮辱するうさんくさい言説が蔓延ってることに腹が立っただろうし、我が子がそれを真に受けてるのを見てヤバいとも思ったんだろう。
自分だってまたいつ変な話を信じ込みそうになるかわからないけど、ちゃんと知識で叱ってくれる親のもとに生まれて運が良かったとしみじみ思う。
ソースは、自分の劣悪なmicroSDが原因でノイズやプチプチが頻発するという経験から。
ソニーの同microSDも、公式ページで『電気的ノイズの低減』『品質の安定』が特徴と記載してるので、少なくともオカルトやトンデモの類ではないと思うけどな。
https://www.sony.jp/rec-media/products/SR-HXA/
今回のUSBは、さすがに音質に影響できるのかって位置だから正直半信半疑だけど、だからと言って無根拠に否定するべきではないと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1289819.html
筆者は10代後半から水虫に罹患して、30代前半に治癒し、以降20年水虫に罹患していない。(歳がばれるな)
20代になり治療薬や通院をしたがこれといった改善はなされなかった。毎日のように痒くて掻いてしまうため薬の効果を発揮しなかったのであろう。
偶然ではあるが知人(非水虫者)より「5本指の靴下にすればいいのでは」とアドバイスがあり、半信半疑で始めたところ、薬より格段の効果が認められ、半年ほどで治癒した。
その間、普段の靴は革スニーカーが多かった、職場ではクラリーノ安全靴、通気性はゼロ。投薬は無し。
その後冒頭に記したように再発はしていない。靴は1日革靴の時もあったし、10年ほど前からは通勤は革靴、職場ではメッシュのスニーカー。5本指の靴下は利用し続けている。
その半年の間に靴下の素材の試行錯誤はあった。やはり通気性・吸湿性が重要と考えている。(それが本当に重要なのかは検証できていない)
症状改善中、脱いだ時にじっとりと湿ってると痒くなる印象があった。綿系が良かったが、綿であればいいというのでもない。それは実際に使用して決めて欲しい。
(ちなみに個人的お勧めはイトーヨーカドーの綿系のかかと付き5本指の数枚パックの安い奴である。高いのは化繊とか薄さとかが入ってきて好みでは無かった(=湿気る))
完治に向かっての改善はそれはそれは幸福感を感じていた。ほんの少し試行錯誤はあったけどみるみるうちに改善したからだ。
そして次の夏も快適に過ごせた。
もしも医者のところに患者が来れば、あるいは医者のやることを紹介する記事を書いているならば、お前の言う通りなんだが。
俺は、リベラルの立場から非モテ論を出しているとか、それに怒った奴が非モテ論を出しているとか、そういうのが腹立つんだよな。リベラルって、人権を守って全人類を平等に扱って幸福になろう、みたいなこと考えてるから、すげー傲慢な一般化するじゃん。病院に来たやつは治療すればいいけど、クズはクズだけど別に病院には来てないやつに、貴方は幸福じゃないではないか!とか詰めてくる。というか、そうやって詰めたいという欲望を持っている自分を、自覚していないんだよな。
地方公務員になって13年が経った。
元は民間企業の営業をしていて、諸事情があって公務員に転職した。
面接官ではないが、補佐役として面接中の受験者の斜め後ろに座って、喋り方やその他の挙動をチェックする仕事をしている。
自分のことを思い出すに、採用試験の面接では筋違いなことをして相当に苦労した。
できた!と思った面接でも、今になって思い返すと不採用にしてくれと言っているような、そんな内容だった。
受験1年目は公務員になれなかった。苦節の末、2年目でなんとか第一志望に合格できたけど、もっと早く知っておけばよかったという観点がいくつもある。
今回は、先達の1人として、地方公務員を目指す人のために面接試験で大事なことを話してみたいと思う。3点に絞って説明する。
というのも、一般人の平均を超える知能がなくては務まらないタイプの仕事が多いので、地方公務員に比べると筆記試験のウエイトが重くなる。
地方公務員にそこまでの知能レベルは求められない。ほとんどの業務は、中学校までに習うレベルの知識があれば十分に務まる。
※地域を盛り上げるためのイベントの企画・運営や、組織全体の予算を管理する業務などはもちろん除いている。
地方公務員の場合は、一にも二にも人柄や気質、人格などの人間性が重視される。理由は後述する。これが備わっているかどうかを面接で確かめることになるので、必然的に面接試験のウエイトが高い。
5段階評価で4以上の人を採用する。採用したい人の数と同じくらいしか4以上はつけないし、つかない。3を取った人は当落線上にあり、最終調整で選ばれるか、あるいは補欠合格になる。2の場合は自動的に不合格だ。少なくとも、うちの自治体で合格する可能性はない。
「筆記試験で満点近く取れたぞ!」とガッツポーズを決めることができたとしても、そんなに意味はない。仮に満点を取ったとして、面接官に「こいつ頭いいな」と思われるくらいだ。
2.どんな人が高い評価を受けるのか?
その前に、国家公務員と地方公務員の仕事の傾向の違いを述べる。ここでいう地方公務員は市の職員を、国家公務員は一般職を想定している。
・地方公務員の方が地域住民との折衝が多い。国家公務員の折衝先は法人が多くなる。ここでいう地域住民には、市会議員や工事業者なども含まれる。子ども時代に知り合った人が窓口にお客さんとして来ることは実際にある(小中学校の元担任や、高校で同じ部活だった先輩や後輩など)。
・地方公務員の方が業務の幅が広い。例えば、国土交通省だと、どこの部署に行っても、河川や道路の管理をする可能性が高いが、地方公務員の場合は、全ての中央省庁の仕事がひとつの組織内にまとまって存在する。よって、専門的な知識や技能を広く薄く身に着けることになる。
・地方公務員の方が同質性が強い。多くの自治体の場合、在籍している職員の卒業した学校(特に小中高)が被ることが多い。そのうえ、同期の1割~2割しか途中で辞めないので、どの部署にも同じような文化が定着する。例えるなら学校だ。卒業まで40年近くかかる学校といってもいい。それが市役所だ。年齢がいくつになっても「あの代は優れている。あの代は谷間の世代だ」といった話題が交わされる。
こんな世界で心も体も健康に生きていけるのは、誰とでも仲良くなれる人間であることは論を待たない。
特定の者としか仲良くなれない職員は必然的に孤立する。年を経るごとに、周りとの協調が必要になる仕事がやりにくくなり、頼られることが少なくなっていき、多くの場合は定年前に早期退職制度に応募することになる。
面接に臨む際に意識すべきは人柄だ。面接が始まれば終始スマイルを保ち、質問にはゆっくりと落ち着いた口調で最大限のわかりやすさで回答し、不明な点があればわかりませんと言い、回答に詰まったら、そのことを素直に認める。
私は凄い!とアピールしてはならない。本当に凄かったとしても駄目だ。そういうのは黙っていても伝わるものだし、面接官はエントリーシートをすでに読んでいる。
むしろ、アピールが過ぎると自意識過剰であると判断される危険がある。聞かれたこと以外は実績のアピールをすべきではない。どうしてもやりたいなら、数字で表現可能なものに限定する。
しつこくなるが、地方公務員の場合は能力よりも人柄重視で採用を行う。今では絶滅危惧種だが、かつては素行不良の公務員が多かった。市民にため口をきいたり、空残業をしたり、自宅のごみを市役所のごみ置き場に捨てたり、公用車に乗って家に帰ったり、自分は昇進できなかったので市に尽くす義務はないと宣ったり、逆に、俺は労働組合に言われて無理やり昇進させられたと言って部下にすべての仕事を投げたりといった具合に、やりたい放題の連中がたくさんいた。
それでもクビにはできない。処分できるかも怪しい。素行不良の公務員を守っている解雇規制は、同時に市民や仲間のことを思いやれる優れた職員も同時に守っているからだ。評価が低い職員がポンポン免職処分になっている官公庁があったとすれば、おそらくは政治的理由により、評価が高い職員もそれなりの頻度で免職や降格になっている。
今の40代・50代の職員は、こういう市役所の悪いOBをたくさん見ているので、同じ失敗を犯さないよう最大限に気を払っている。その対応のひとつとして、受験者の人柄を見ている。
面接に合格する可能性を高める情報しか集めてはならないし、触れてもいけない。
私の経験で有益だったのは、予備校の一室に置いてあった受験者の面接体験談だ。
この時ばかりは、高いお金を払って受講生になってよかったと思えた(社会人向けのコースを受けていた)。
今思えば、予備校講師による模擬面接もためになった。当時は、公務員ではない人間が面接指導などできるのか?と半信半疑だったが、彼らは受かる人間と受からない人間をごまんと見ている。
そんなキャラではだめだよ、と直観力をもって指摘することができる。予備校で面接指導をする講師の中には、傲慢だったり不遜だったりする人はもちろんいるが、それでも多くの講師から訓練を受けるべきだったと今では思う。
逆に、無益どころか害悪になる情報源もある。現役あるいは元公務員が書いたブログだ。
いったいどこがクソなのかと言うと――ブログ記事を読んでいてわかる。どんなに偉そうなことを言っていても、この人達は職場で高い評価を受けていない。むしろ低い評価を受けていて、その恨みつらみをブログという手段で発散している。
もしあなたが、面接対策として現役公務員や元公務員のブログを読むとしたら、この点に気を付けてほしい。そういう記述を見つけたら、すぐにタブを閉じて別のサイトに行こう。
以下に記事内容を例示する。
・残業時間が少ないと高い評価を得られない、飲み会を断れないなど職場への不満を多数漏らしている
・能力が低い職員を馬鹿にする発言(こういう人間は市民も馬鹿にする)
・副業を推奨している(アフィリエイトは100%懲戒処分案件なので特に注意する)
・給与や休暇などの福利厚生の話題や、得をする働き方など、金銭的な内容を扱った記事が多い
具体的には、これらのブログが該当する。
http://ps-kimotaku.officeblog.jp/
https://www.lifehacking360.com/
[番外にして論外]
公務員として、どんな人間が高い評価を受けるのか調べたい場合は、上に挙げたブログを読むべきではない。まして面接対策など論外だ。
逆に、これから面接対策をするにあたって効果的であると思われるブログもある。これらを挙げて結びとする。
(簡素な見た目で読みやすい。扱う内容も具体的で生々しい。下にある無料レポートは受け取らなくていい。オンライン講座への勧誘を受けることになる)
https://katigumikoumuin.com/siyakusyo-mennsetu/
(業務を進める中で起こった問題を赤裸々に表現している。後学として参考になる)
官公庁への営業活動を担当するあなたへ~元地方自治体の契約担当者による随意契約のコツ~
(元公務員のサラリーマンが書いている。実務を行う公務員の思考回路をリアルに描いている。有料(250円)だがそれ以上の価値はある)
https://note.com/innocence1/n/ne81f2831a9ae
画一的なマニュアルに沿って実施されるからだ。マニュアルがなければ、個人の経験や勘で採用活動をしてしまうことになる。だから、相性のいい面接官に出会って、個性が評価されて~というパターンは少ない。正しい受け答えの姿勢を身に着ける必要がある。
セプテンバーのページだけを破って、
なんかさ
セプテンバーって歌ってる曲だけを集めても特集できるんじゃね?って
いかにセプテンバーにはセプテンバーによるセプテンバーのための曲が多いかってことよね。
秋と言えば趣味を爆発させる季節なのよね。
道に迷うこと。
って違う違うそうじゃないの、
本当に道に迷うってこと。
いかにグーグルマップを頼らずして道に迷うかってことを楽しんでいるわ!
だいたい知らない道を歩いて行って、
パッと目の前に開けたところとか神社とかが出てきたら、
知らない道を歩いて探検感があるし、
意外と住んでいる近所の通ったことのない知らない道もまだまだあるはずだと私は思うの。
パンをちぎっては道すがらに置いていって迷わなくするやつってあるじゃない。
名前忘れちゃったけど。
私はあれ必要ないの。
私は振り返らないの。
いざって時のために、
ちょうど良い代案を考えたのよ。
お米!お米よ!
ここぞとばかりに迷い込むと分かったなら、
お米を一粒ずつ一粒ずつ道において迷わなくするの。
あれのパンのお米版ね。
でもあれあまりにもお米がちっちゃすぎて、
蒔いたお米すら見失うという、
蒔いても分からなくなるのよね。
あと蒔いてるそばからスズメさんたちに食べられちゃうかも知れないし、
半信半疑だったので信じてなかったのよね。
私の勘の方が冴えているはず!って
いやもうこれは
デジタルマップの類いを信じ抜いてあげる喜びは持田真樹ちゃんか持田香織ちゃんかのどっちでしょう?
っていきなり訳分からなくなるけど、
とりあえず信じていて考えることの喜びが無くなったから、
みずの・さかい・まき・みき早見表が欲しい!って言ってる場合じゃないんだからね!
まあ
人は余計に旅の道のりのことを考えていたことを
考えなくて良くなったから、
頭の中空っぽにして楽しめるって訳なのよね。
いままで頭の中でのワーキングメモリを解放して機械に任せられるってことは
その空いた頭の中は
結局増田のことでいっぱいになるっと言う
頭の中のワーキングメモリの無駄遣いなのか無駄遣いじゃ無いのか分からないけど、
とりあえず
うふふ。
冷やして食べるとやっぱり美味しいわね。
で、
ミカン缶詰のミカンを使ったミカン缶ウォーラーミカン感満載よ!
シロップは入れると甘すぎるから除いちゃってミカンの果肉だけを
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
増田のような、匿名掲示板では「みかけや経済力」はまず判りません。
議論がちゃんと成立している(?)と思しきシーンがある?そうでしょうか。
張り付いて交互にレスなさっている方々でしたらそれは出来ているのかもしれませんが、ほとんどは「半信半疑の相手にシャドーボクシング状態」です。
ここは2ちゃんや5ちゃんではないのでコテハンもできないでしょ(2ちゃんや5ちゃんはまとめでしか知りませんが……。)
「みかけや経済力」カテゴリの揶揄、KKOを言うこと自体がナンセンスなのです。
なのできめつけてふっかけるレスバでの暴言にすぎない、増田同志の個人については、よほど癖がある場合を除いてはたいがい不明ではないですか。
こいつはKKOだから虐めてやれ、こいつはさっき話してたフェミの女だろう、と勘違いで(他の人と間違えられて!)
株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているから株価が上がる。シンプル。
なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社は株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。
実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ、企業の価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定の企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がりに株価は回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。
なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから、株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。
いや、資金がなければ、リスクもへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家や公的な基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府がコロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場にピンポイントに必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的に必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安の時代であり自粛の時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場をちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。
それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから、市場にカネがだぶついているとわかっているときに株価が上がるのなら、手持ち資金を現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑、薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。
ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。
コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題は過去のものになる。確かにwithコロナの時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常は日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムードは批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。
本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態は投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代の資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全な経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。
身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常の消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレやデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。
投資家たちは、実体経済がインフレになり、その反動が株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない
コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなたは死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。
YouTube 李子柒 Liziqi
https://www.youtube.com/c/cnliziqi
例えば麻婆豆腐の回
豆をつむ女の子。ふむふむ、麻婆豆腐に豆って入ってたっけと思いながら見ていると、その豆を石臼でひき始める。え、まさかそんな、と半信半疑で見続けるとやはりそのまさかで、豆腐自体を作るところから始まっているのだ。
5分25秒の動画の内、4分が豆腐作り。タイトル豆腐にした方がいい。
彼女は見た目と裏腹に力仕事も難なくこなし、しかも手際がいい。動画だから編集されてるとはいえ、身のこなしから慣れていることが分かるだろう。
他にも、藍染の服を作ったりとか(もちろん藍の種まきから始まる)布団を作ったりだとか(もちろん綿の種まきから始まる)中国の伝統みたいのも見れるし、何より料理がどれも美味しそうだ。
今ホットエントリに来てる記事で仮想通貨はパチンコと評されてるけど、10万なら半額になっても5万の損失だし、数倍になったら数十万じゃん。
自分はポートフォリオの1%をビットコインにして、10年以上キープするつもり。(2-3%まで増やすかも)
FRBが2年間金利ゼロにすると言っていて、少なくともその間は大幅に崩れることはないと思うから、ビットコインに半信半疑の人も、10万くらい買って2年くらい様子見すればいいと思う。
男は目を泳がせながら、たどたどしく説明を始めた。
「自分は、ここで働く、その、一人で」
俺たちの猛攻がよほど応えていたのか、紡ぐ言葉は途切れ途切れだ。
住まいが遠くにあるため、帰るのが億劫な日は仕事場で泊まっていたらしい。
「それに、ここの扉を塞いでいたのも、あなたでしょう。何でそんなことを」
「そ、そりゃあ職員とはいえ、こんな所で寝泊りするのは、その、ね? あまり誉められたことではない、だろ?」
要領を得ないけれど、何となく言いたいことだけは伝わる。
腑に落ちないところはあったけれど、俺はそんなことを気にも留めなかった。
ドラキュラがいなかったという事実の方に打ちのめされていたからである。
ずっと感じていた寒気も、単に冷房が効いてただけ。
安堵と落胆が同時にやってきて、体全体を疲労感が包んだ。
正直、俺はドラキュラがいることを100%信じていたわけじゃない。
せいぜい五分五分の半信半疑、いや実際には信じていない割合の方が高かったかも。
それでも思い出の中にあるシガラミが頭をもたげることはあった。
保育園のドラキュラについて話した時、兄貴が哀れな目を向けたのはきっかけに過ぎない。
俺たちは物置部屋を後にし、鍵を返すため事務室にとぼとぼ向かった。
結果が拍子抜けでも、帰り道のことを考えないといけないのがツラいところだ。
「あっ」
そんな油断に付け入るかのようだった。
「えっ、えっ」
保育士は混乱していた。
無理もない。
自分が案内している子供とソックリの人間が二人いて、見覚えのない者達までいるのだから。
「というわけで、先生が話していたドラキュラが本当にいるのか確かめようと……」
保育士は終始、怒ることもなく、落ち着いた様子で話を聞いていた。
当時の記憶ではもう少し怖い人だと思っていたので、その反応が少しだけ意外だった。
「わざわざ替え玉まで用意するなんて……回りくどいことするねえ」
感心するような、呆れるような口ぶりで感想を洩らす。
その穏やかな対応に、なんだか俺たちは気恥ずかしくなった。
ちょっとした罰のつもりなのか、保育士はいじわるそうに尋ねてきた。
「え? 屋根裏?」
けれど俺たちの返答は、保育士が思っていたよりも予想外なものだったらしい。
「マスダ、それ内緒にしてくれって言ってたろ」
ここまできたら全部話そう。
「……そんな人ウチでは働いてないよ」
しかし保育士から返ってきた言葉は、俺たちにとっても予想外なものだった。
「な、なに? どういうこと?」
その場にいなかったドッペルは、状況を把握できずオロオロしている。
コロナでもそうだったが、多くの人にとって、「どう行動すればいいのか」という事以外に関心は向かなかった。
何か月もコロナ騒動で時間があったわけだが、自分の頭で考えられるような基礎知識から学ぶことはなかった。
一方で、「どう行動すればいいのか」の情報は集めるため、これを買えばいいと言われるのはわかりやすく飛びつく。
数1000円くらいで安心を買えるのであれば、仮に間違っていたとしても本人の中では正当化できる失敗である。
科学的な根拠は自分で責任を負うのではなく、販売業者が負うという意識から、棚に陳列されていればいいのだ。
そして半信半疑で買ったとしても、買ったという行動を正当化するため、効くと思い込む。
本当に欲しいものは「安心」なのだが、理屈を理解していないので、色んなものを買っても買っても不安なのだ。
「どう行動すればいいのか」の情報が複雑になっていくと、単純化してくれとなる。
何かすることに対しての根拠を自分で考えていないため納得感がなく、極端に何もしないという選択肢が出てくる。
でも不安なので、「コロナは風邪」といった、自分ではない誰かが言った言動に乗り、Twitterなどで他に仲間がいることを検索して「安心」する。
複雑なことをしないと「安心」できないというのもある。
3密といった簡単と思われる(実際には難しいが)事柄では満足できず、より何かしなきゃと「どう行動すればいいのか」を探す。
同じことしか言わない人に満足できなくなる。
複雑なことを求める一方で、数か月も経つと、守らなくても大丈夫だったという経験則が働いてくる。
自分が守ったり守らなかったりしたのは他の人も同じように行動しているはずであり、毎日の感染者数の上下を見て、予測が当たるかどうかを注視する。
多くなってきたら守り、少なくなってきたら守らなくていいと、次第になってしまっている。
神風特攻が開始されるとき、及川古志郎から「決して命令しないように」「指示はしないが自発的実施には反対しない」と承認するエピソードがある。
脈々と受け継がれているように感じるがどうだろうか。
オラにみんなの元気を分けてくれー!
お!お盆玉だー!
って日本全国一人から元気じゃなく1円もらったら0.3秒ぐらいの一瞬で億万長者ね。
あそう?
今は億万長者って言わなくて億り人って言うのね?
知らなかったわー。
知ってた?「お盆玉」
私は甥っ子姪っ子にせがまれたけど、
だってさー、
バーベキュー行って
お肉とかお野菜とか色々たくさん出てくるじゃない。
一番美味しかったのなぁに?って私は優しく聞いたのよ、優しく。
そしたらなんてみんな答えたと思う?
「タレ」だって!
もれなく子どもの心も鷲掴み!
確かにたれ美味しいけど、
塩とコショウでキメなさいよ!って意識高く言いたいところだけど、
やっぱり全部タレが美味しいって!
そんでさ、
お皿に入れて食べるじゃない。
こればっかりは仕方ないわね。
肉ばかり食べるヤツらに言いたいところだけど、
ふりかけなのにお野菜食べ野菜!って言うのも殺生よね、って今気づきました。
だから私は甥っ子姪っ子のほっぺたに、
ハケでタレを塗ったら姉に怒られちゃったわ。
そりゃそうよねーって。
もう先にほっぺにハケでタレ塗った時点で気づいちゃったんだけど、
点取られたら、
ほっぺたにタレの付いたハケでバツ印をつけるゲームを考えてみたんだけど
なんだかお正月っぽくって、
それはそれでバーベキュー盛り上がると思わない?
私はホッペが焼肉のタレでベタベタにされるのが嫌だからやらないけどね!
でも甥っ子姪っ子たちに
負けたらホッペにタレつけられるんだからね!って教えると、
ちゃんと真面目に点取られた方にタレ塗られてたわ。
そしてまた私は姉に怒られたところまでが、
バーベキューセットだろ!って思ったところよ。
甥っ子姪っ子がなになに?って寄ってくるので、
バドミントンのラケットで食材乗せて焼いてみたら?って冗談を言うと、
本当にそれするから、
いや子どもながらにそういうことしたらラケット燃えちゃうことぐらい理解してるんじゃないの?ってところは理解なかったみたいで、
私はまた姉に怒られるという、
そんなこんなで
甥っ子姪っ子はお盆玉のことをすっかり忘れたようで、
来年はどういった手段で忘れさせるかごまかす方法を今から考える次第よ。
やっぱりバーベキューは塩とコショウで意識高くいきたいものね!
でもさ、
今思ったんだけど、
鰻だけタレでしょ?
鰻はやっぱり塩だよね!って冗談でも意識高い系のウソ路線で庶民を騙すぐらいの人がいてもいいのにね。
きっと何年か先にはきっと塩鰻が夏の風物詩として
今までの験担ぎミールアイテム「カツ丼」や「キットカット」などの地位を一瞬でもぎ取れるはずよ「塩鰻」って
柳沢慎吾さんも甲子園横浜高校のネタのくだりで「塩鰻」を人気落語の一席ぐらいな勢いでやってくれるはずよ。
塩鰻!
意識高くない?
美味しんぼとかで「塩鰻」の回の話でもやってみなさい、
これまた一瞬で意識高い系な鰻の食べ方ってなっちゃうで決まりよ。
海原雄山さんが言うに決まってるわ。
美味しんぼのなにかの回で、
「いいかい若いの、塩鰻をな塩鰻をいつでも食べられるようになりなよ」って言ったり言わなかったりとか言っちゃったりして。
でも栗田ゆう子さんは実は半信半疑で、
山岡さんと海原雄山さんが美味しい!美味しい!って言うもんだから
同調圧力で美味しいと言わざるを得ない感じで挟まれちゃうくだりとか最高!
とても私の口から言えないけど、
こ、こんな意識低い食べ物だなんてって初めてみたときはそう思ったけど、
実はあれ
その地位をりんご飴から一瞬でもぎ取った「冷やしきゅうりの一本刺し」は逆にとても意識高い系の食べ物だったのよ。
逆の逆張りを取られたってわけよ!
さて、
今年の夏は「塩鰻」と「冷やしきゅうりの一本刺し」に「チーズティー」で決まりよ!
うふふ。
ピッツアトースト!
黄色くなった完熟ゴーヤーを使ったスムージーも意識高い系でしょ?
完熟ゴーヤーいいわよ。
ガブガブと湯水のように飲むわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
しょぼいと思われるかもしれないが、
自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。
なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。
中学生のとき、バスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方からの練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。
私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。
単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。
ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。
今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしまう出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。
それ以前もちらほらと、小学校の読書クラブや、公民館の児童クラブ、友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。
二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大大学の前期試験に挑んだ。
父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親は過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。
そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。
だけどそれはおかしい、と同時に思う。
結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学に合格し、結局実家を離れることになったのだから。
前期試験のあの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?
自信はあった。
試験範囲の勉強は計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。
今でも思う、あの日、あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。
第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。
もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。
そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。
しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。
受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生や大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。
大学の正門前、最後の横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。
駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。
それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。
駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。
県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日から泊まり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。
好きなアーティストのライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。
少しだけ後悔している。
きっと母親とホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから。
私はやってしまった。
ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。
感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。
同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。
受験発表の日、ネットで番号がないのを先生と確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。
月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。
長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。
思い当たることがあるとすればあと一つだけ。
学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。
いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。
短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通は社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。
大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。
さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。
その最後の週だった。
作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。
大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。
他の停止ボタンと違って、プラスチックのカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。
この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンスが必要になり、その間はラインを停止させることになる。
一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。
そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。
これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。
班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。
上からのストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。
それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。
私はそれを班長のそばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。
そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。
もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。
プラスチックのカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。
班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。
その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。
その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。
私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。
流石に外までは追いかけてこなかった。
そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。
いわゆる「飛び」だった。
最低最悪なことをしてしまった。
それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。
理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。
ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。
怖かった。
とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものだから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。
実際は、適性検査のタイミングで不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのときの自分にはそれが奇跡に思えた。
入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。
こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。
自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。
きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。
何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。
そして今年の四月で、見事それを達成した。
ああ治ったんだ、と私は思った。
私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。
その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってからは毎日が楽しかった。
今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。
それなのに、私はまたやってしまった。
朝はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。
会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。
私は時間になっても、家の机に座ったままだった。
一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。
会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業は直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。
申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。
11時を過ぎて、まずい、と思った。
遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。
それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。
ほんの数時間前までは。
私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだと気づき始めていた。
怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているものを台無しにしてしまう癖。
治っていなかったのだ。
三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。
ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。
この病気は一生治らない。
発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。
たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。
ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか。
ああ怖い。
恐ろしい。
いっそ死にたい。
上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。
明日からはお盆休みだから、休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。
しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。
私が「そういう人間」だということに変わりはない。
私は
私は……
いーじゃん!いーじゃん!
見逃してくれよー!
なんでも今年は丑の日が2回あるらしく、
私はせっかく季節のものだしと思って、
厚切り鰻にぎり4貫をサクッとスナックタイムにいただいたわよ。
今年の鰻はこれね。
いや買えるけど!
1匹は多すぎるのよ。
せっかくの丑の日だから「う」のつくものを食べたら丑の日行事にカウントされるつーことで、
牛の肉を買ってきたわよ。
なんかもっと豪快に厚切りの牛の肉があれば良かったんだけど、
あいにくの薄切り2枚。
これ2枚にしなくて言いから1枚分で厚さちょうだい!って思っちゃうわ。
ベーコンぐらいよね。
厚切りも売ってるやつと言えば。
あ!そうそう厚切りって言って思い出したんだけど、
鰹のたたきは厚切りに限るわよね、やっぱり!
藁で焼けるのかよって半信半疑だったけど、
それで充分な火で2本ぐらいはあっと言う間に焼けちゃうのよね。
しかもそれ室内でやってるのよ。
鰹のたたきの実演販売やってて、
焼きたてをその場で食べられるという、
もうそれやり過ぎてるから天井が若干焦げているようにも見えるんだけど、
背に腹は変えられないわよね。
たまたま立ち寄ったその道の駅の店内で行われる鰹のたたき焼き実演からの実食は
そりゃ~迫力あったわよ!
でちゃんと藁で焼いた風味がして、
藁の味がするの!
藁食べたこと無いけどって笑。
笑笑でも絶対に出てこないこのクオリティーの鰹のたたきは絶品だったわ。
また行きたいなって思うけど、
あそこらへんまで行くのは結構遠いのよね。
時間と余裕とがあれば、
また行けるんだけど、
1回行ってみて和歌山の先端ほどの遠さを感じたわ。
日本と言えどもまだまだ遠くへきたもんだ!って歌える場所ってたくさんあるのねって
続・思えば遠くへ来たもんだばりに思ったわ。
でもやっぱり牛の肉の脂はヘビーなので
魚の脂の方がヘルシー感あってやっぱり、
そこは来年の土用の丑の日には鰹のたたきでいっちょ決めちゃおか!って感じよ。
牛乳もその高い栄養価から「牛のミルク」と呼ばれているぐらいばりに、
鰹の鰻って呼ばれているのよ。
へーって感じよね。
おかげで、
プラスマイナスの岩橋さんのTシャツ脱ぎ捨てるギャグできたわ!
「う!う!う!鰻初めて釣った原始人の人~」
うふふ。
思わず買っちゃった!
ほんのり牛乳風味で甘くて、
ガブガブ飲んじゃうので全然足りなくて、
これはせめて日産2リットルまで増やさなければって生産一人会議をしているところよ。
冷たく冷えたものを取りすぎるのも良くないけど、
やっぱり飲んじゃうのよねー
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
筆者は10代後半から水虫に罹患して、30代前半に治癒し、以降20年水虫に罹患していない。(歳がばれるな)
20代になり治療薬や通院をしたがこれといった改善はなされなかった。毎日のように痒くて掻いてしまうため薬の効果を発揮しなかったのであろう。
偶然ではあるが知人(非水虫者)より「5本指の靴下にすればいいのでは」とアドバイスがあり、半信半疑で始めたところ、薬より格段の効果が認められ、半年ほどで治癒した。
その間、普段の靴は革スニーカーが多かった、職場ではクラリーノ安全靴、通気性はゼロ。投薬は無し。
その後冒頭に記したように再発はしていない。靴は1日革靴の時もあったし、10年ほど前からは通勤は革靴、職場ではメッシュのスニーカー。5本指の靴下は利用し続けている。
その半年の間に靴下の素材の試行錯誤はあった。やはり通気性・吸湿性が重要と考えている。(それが本当に重要なのかは検証できていない)
症状改善中、脱いだ時にじっとりと湿ってると痒くなる印象があった。綿系が良かったが、綿であればいいというのでもない。それは実際に使用して決めて欲しい。
(ちなみに個人的お勧めはイトーヨーカドーの綿系のかかと付き5本指の数枚パックの安い奴である。高いのは化繊とか薄さとかが入ってきて好みでは無かった(=湿気る))
完治に向かっての改善はそれはそれは幸福感を感じていた。ほんの少し試行錯誤はあったけどみるみるうちに改善したからだ。
そして次の夏も快適に過ごせた。
タイトルそのまま。
通ってた脱毛エステなかなか予約できないし光脱毛器買って自分でするか〜と思いたった。
で、調べてみたらケノ◯というのがとても評判が良い。めちゃくちゃ良い。ツイッターでも美容垢とかがオススメしてる。
ただ、気になったことがあった。それは検索してひっかかるサイトがアフィなものばっかりだったということ。「ケノ◯ 合わない」「ケノ◯ ステマ」とかで調べてもそういうアフィリエイトなサイト(最終的にべた褒めになるやつ)がひっかかる。
で、公式サイトを見てみたらこれがまた胡散臭い。よくあるステマ商品のサイトみたいな感じ。ナイ◯アイボーテとか飲むだけで痩せるサプリ系と同じ感じのサイト。
安かったらまあ半信半疑でも買うんだけど、高いんだよね。7万。流石に慎重にならざるを得ない。
サイトを見ているとめちゃくちゃ人気なので発送に日時がかかるとのこと。ほ〜どれくらいかかるんだろうと見てみると
1ヶ月後
即座にブラウザを閉じて近くの電気屋に行きました。そこで3万くらいのがあったので買いました。ちゃんとしたメーカーのやつ。
うん、これで十分だった。普通に使えて効果もあった。最初からこうすれば良かったわ。
散々である。
ひょんなことから、
私は本当にサバカレーを作ってみることにした。
私が鯖を買ってきて圧力釜で水煮にするのが美味しくて好きなんだって言うのが始まり。
ましてやお店でサバカレーなんてメニューに載っていることだって見たことなかった。
そもそもとしてサバカレーなんて本当にこの世の中にあるの?と言うレベルである。
ちょうど、私が作った鯖の水煮がある。
筒切りにした鯖が三切れ。
トマトも三つあって、
トマトを細かくみじん切りにして、
味のベースにするってのを真似てみた。
実際は、鯖の煮汁と身を全部鍋に入れ、
細かく刻んだトマトを一緒に入れる。
これまた丁度いいことにS&Bのカレー粉がある。
これを目分量れ入れ、塩もして味を調える。
煮詰めていく過程、
カレーの香りがすごくして本格的なカレーにも勝るとも劣らない気がする。
途中味見をしてみると、
これが結構美味しい。
ああ、これがサバカレーか。
最低だな。
いや、ウソ美味しい。
とても美味しい。
生姜と一緒に煮て作った鯖の水煮、
ちょっと魚生臭かったけど
私が作ってもこれはもう一丁前のカレーだ!
すごく美味しい。
サバカレー本当最低だな!
美味しい!