「ムラ社会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ムラ社会とは

2017-09-08

https://anond.hatelabo.jp/20170908172535

時と場合によって、むしろ巨人の服を着てるってだけで攻撃した阪神ファンのほうが叩かれることは想定し得ると思うが。

それこそ「許容できない」ことのほうを「成長してない」って叩く人がいたっておかしくない。

この前のコミケの話と同じく、「ムラ社会」的な叩き出しの方向に行く可能性もあるし。

2017-09-01

オタク一般人を嫌ってる

そりゃ、嫌うでしょ。どんだけ『一般人』に否定されてきたと思ってるの。

真木よう子コミケの件でオタクムラ社会、閉鎖的という言説を見かける。それはそうだろう。世間では二次元を本気で愛していると言ったらドン引きされる。ちょっと前までは犯罪者みたいな扱われ方もした。だから、大抵の人は未だ自分オタクであることをひけらかさない。

オタク現実で好きなものを胸を張って好きと言えなかった。でも、コミケ同人誌即売会では胸を張って自分の愛を語れる。コミケ同人誌即売会オタク現実自由になれる数少ない場所である

しかし、オタク理解のない人達がいっぱい来るとその人達コミケからオタクを追い出そうとするだろうとオタクは考えている。オタク一般人のそういう傲慢さとか自身の意が通ると思っている確信の強さを嫌という程知っている。分からされてきた。

コミケ表現の自由という精神は素晴らしい。危惧するのは表現の自由ということが分からない人がほいほいコミケに来るようになることなのだ。

2017-08-30

https://anond.hatelabo.jp/20170830204444

水龍敬氏のブログで一番問題だったのは「写真集」とあげていてそれに賛同するブクマカも多いのだから表現問題と捉えるオタク側の人間も多かったんじゃとも考えられる。

真木よう子の脇が甘すぎたのはあるし実際黒幕商業主義的だったのは確かだけど、元々増田が挙げたように個別批判点を解体したらオタクムラ社会的閉鎖性の話にしかならんやん。

ここまで書いてもう一度水龍敬氏のブログ確認しようとしたら消えてるわ…。

24時間テレビ嫌悪される理由

「皆頑張っている」という同調圧力が働くと、従わざるを得ない。

流行もそうだ。皆が流行りに乗っているから、始めなければならない。日本人はそういう自分だけ違う精神性を保つ事を嫌う。要するに、皆程々に適当に好きな事だけ頑張るのが良いよねという空気を常に背負っているのだ。

このムラ社会では、社会性ばかり重視され独立独歩が許されない構造になっている。

そういう意味では24時間テレビのような、所謂「辛い人が頑張っている」様子を放送する番組は、叩かれる要素をふんだんに含んでいる。その光景肯定してしまえば、社会で甘えている宙ぶらりんな状態自分を許して貰えなくなる。しかも、得てして努力とは日進月歩で必ず結実するとは限らない。ネット蔓延生存する民達は、その事実をよく理解している。努力し過ぎてしまったが為に、カーストの最底辺に追いやられる可能性すらある事。努力程度では、カーストはひっくり返せない事。

大体、24時間テレビ特集されるような「成果」など、自己満足に過ぎない。人間社会で生きる者が独断的に「こういう努力は善」と決め付けている。それは、マスメディア公共性からは程遠く、私が情報源に求めている物とも乖離している。容姿、才能、あらゆる面で「諦める」事を突き詰めてきた人間が何人もいる。そういう人達にとって、誰かの努力押し付けられる事は苦痛以外の何物でもないだろう。

2017-08-29

真木よう子コミケ辞退事件に対するオタク批判への反論

論点は2つである

真木よう子オタクムラ社会的な論理によって排除された

ムラ社会に対する批判が成り立つのはその社会マイノリティに対して排外的、たとえば在日外国人移民難民などを排除しようとするときのみである

一方、オタク社会今日いかオタクが増えたように見えるからといって変わらずマイノリティ社会には変わりない。

実際にオタクは「オタク」と(今もなお蔑称を用いて)括られる存在である

翻って、真木よう子は曲がりなりにも華々しい芸能界の住人である。むしろ彼女こそがマジョリティ側の人間であり、マイノリティ側への脅威になりうる存在なのだ

先ほどの在日外国人移民難民などと類推して当てはめられる存在ではなく、むしろ「未開地」を開拓しに来た先進国の住人に近しい。

よってこの論理は的を外している。

普段表現の自由を主張するオタク表現の自由を抑圧するのは矛盾している

オタクが戦っているのは法的な表現の抑圧である。もし彼らがその戦いに負けたら彼らは表現手段を失う。

一方、真木よう子は法的には依然として表現の自由が与えられている。彼女芸能界におけるポジションいかなるものかはよくわからないが、コミケに出せないからと言っても彼女にはまだ写真集を出すチャンスはあるだろう。

もちろんだからと言って真木よう子コミケに参加すべきでなかった、という話にはならないが、この批判が当たっていないことは疑いえない。

2017-08-10

プロパンガスという闇

スマホプランを見直そうが、電気新電力に変えようが、プロパンガスを変えない限り焼け石に水。プロパンガスの料金プランは公開義務がなく、個別契約することが許されているので、高齢者宅のプロパンガス料金をみたら通常の2倍だったなんて普通なんですね。しかも、それを名の知れた大企業がやっている。別に悪徳的な契約を結ばされてたわけじゃなく、長期で料金が上がる仕組みになってるので20年30年するうちに勝手に上がってたりしてるんですね。プロパンガスは乗り換えるのも一苦労。ボンベを運搬するから地域のガス屋から選ぶしかないんだけど、嫌がらせを平気でやってくるんですね。町内会にガス関係者がいたらムラ社会的な意味で最悪。ということで、これから光熱費を掛ける人は賃貸でも持ち家でもプロパン絶対選ぶな。都市ガスオール電化にするべき。

2017-07-16

「売れてない起業家」同士が集まっても何の意味もないんじゃないか

ちゃんとした経営コンサルタント中小企業診断士や、役所銀行起業セミナーを中心にして集まるのならともかく。

特に大学生が好きそうなね。

だって売れてないから。

お互い学ぶものも少ない。多少の知識はあれどもね。

何よりそれより、嫉妬や足の引っ張り合いが起きて邪魔

みんな自分商売は売れると思っても、まだなにか足りないから売れてないわけで、そこに着目しないとならない。

とくに、起業なんてする奴は全員すべから自分がサイキョー、優秀!だなんて思うから起業するわけ。

でも、すぐには売れないもの自分のが売れてなくて、周りがちやほやされてると自分商売より先に他人の足引っ張り出す。

何人かの中にそういう自己愛暴走して「僕のことを認めてよ!」ってやつが一匹いたら、とにかくそいつに気を使うただのムラ社会になる。

最近では批判は全て悪口アドバイスをされるのは見下され不安を刺激するから嫌がり一切聞かない。

とにかく社長になったと認めて欲しいという自己愛暴走する奴も一定いる。

社長なんざ役所20万つみゃ誰でもなれるんだがね。

でも、何らかの形で「俺はこう思うんだ!」っていうなんらかの自己愛暴走こそが起業の発端。

まあ、そう簡単に売れないし、営業いっぱいいって商品直している間に自己愛は間違いなく傷つけられるから、ある程度は仕方ないと割り切り、制御のしかたを意識しながらね。

でも、自己愛暴走しっぱなしのやつって起業家候補社長もどき(安定した売上がまだ立ってない)にはむしろ多い。

それとか、能力がないし、自分が先陣切る気もないのに、誰かのやつのに載っかかって、責任誰か別のやつで、自分のしたいように操れないかというバカとかも集まってくる。

もちろん、何かを学ぼうと思ってそういうところに足を運ぼうと思うんだろうけど、絶対避けたほうがいい。

2017-06-10

空気読めない人

ここ最近、なんとなく世間空気読めない人に対して甘くなってきてない?

まあアスペとか脳の障害なんだし、理不尽に虐げられるのは可哀想だと思わなくもないけど、空気読めてないことを教えてあげないのもお互いのためにならないと思うんだが…

個性がうんたらとか同調圧力がなんたらとかムラ社会がかんたらとかは単純にクソだわ

そういう奴に限って承認欲求強いしな

自分らしく生きたいなら自分の力で生きてくれ

俺は無能から個性を殺してでも組織の力を借りるわムラ社会様々だわ

ちゃごちゃ言ったが、つまり

お前ら半年ROMれくらい言え!いつからそんなに優しくなったんだ!!!ここは掃き溜めじゃなかったのか!!!!!!

っていうのを思ったんですけど、2ちゃんでこんな長文は空気読めてないので増田しました

2017-05-11

9年前に書かれたオタクDQNに関する2chレス

851 名前恋人電話中(湖北省) 投稿日:2008/03/31(月) 17:42:05.99 ID:oefKdfWc0

どうやら今、オタクの最新のトレンドは『DQN化』らしい

ヤンキーみたいな馴れ合い内輪ウケ、お互いがお互いを無条件で

認め合うセカイって何だかんだ言ってやっぱ良いよね。ムラ社会回帰だ!

失われた青春プレイバック・永遠文化祭、思いっき馬鹿やって何が悪い

キモイと言う奴が悪いんだ!俺には権利がある!

メタボリックデブ女装コスで街を練り歩いてコスプレ文化の素晴らしさをアピール

聖地巡礼と称して田舎町の住宅街撮影だ!

批判意見には『否定的意見もありますが、全体的に観ればアレは成功です。

批判する方が馬鹿です。』とメタ視点で対抗。

何だかんだいって成人式で暴れるガキとか初日の出目当ての暴走族とかを

馬鹿にしながらも彼らの放つ若さエネルギーとか絆のような繋がりとか

ギラギラしたマッチョイズムが羨ましかったんだ。


秋葉原通り魔事件2008年6月8日

2017-05-03

オタク文化における自浄作用とは何か

JR撮り鉄対策に対してぶつくさ言ったオタのつぶやき話題だ。

他の件と合わせて撮り鉄は自浄作用がないと叩く意見が多い。多いというか殆どそれしか見当たらない。

しかし、中心となる組織があるわけでもないオタク文化においての自浄作用とはなんだろう。

ところで人気アニメけものフレンズコスプレをして動物園に行ったオタの話題を覚えているだろうか

あの時コスプレオタの間から公共の場コスプレしていくのはマナー違反だろという声が出た時、ネットの反応はどうだっただろうか。

ムラ社会勝手ルール押し付けるななどの意見が大半だったと思う。

実際動物園側はオーケーとのことだったので何の問題もない行為だったが、この時のコスプレオタの反応こそが自浄作用というものではないだろうか。

結局のところ個人総体であるオタ文化のについては、あらゆる人格、あらゆる状況、あらゆる行為が想定されるわけで、

それらの中で迷惑問題を起こす人間排除するということは不可能である

であるなら必ずしも問題はいえなくても問題に繋がる可能性がある人格、状況、行為を全てタブーとし、

それを破ったもの批判する形でしか問題を予防する方法はない。

だというのに自浄作用を発揮しても発揮しなくても叩かれるということには、

世間が如何にオタクことなどどうでもよいかと言うのを実感せざるを得ない。

所詮他人である彼らには、オタク文化が滅びようがどうしようが関係のないことなである

しかし、彼らの言う所のムラ社会的なタブーを持つコスプレオタクの方が撮り鉄より高いマナー意識を有しているのは明らかであり、

世のオタクたちが見習うべきはコスプレオタクにあることを忘れないでほしい。

2017-04-03

新社会人増田胃有です!

明日から定時前1時間半のサビ残しろと早速言われました!

面接を乗り越えようやく入った会社まさか労働基準法ガン無視ムラ社会だったとは!

僕に残された選択肢はこのムラ社会を維持するムラ住民となるか、ムラ社会に溶け込めず試用期間中首になるか、試用期間より前に消えるかだけです!

僕が生き残ろうと最初選択肢を選べば、僕自身もまたこのムラ社会空間の発生源となり社会に害をなす公害人間となるのでしょう!

僕はその選択肢を選ぼうとしている自分が許せなくて、かといって他の道を進む勇気もない、そしてその現実良心と実情と拘りの板挟みに耐えられる精神力もないてす!

もちろん面接に何度も落ちこんな会社に拾われて助かったと思うようなアホですので能力もありません!

能力が無いので偉くなって世界を変えるとかは無理です!

ですので世間に流されながら涙を流すか世間に捨てられ涙を流すかの2つに1つです、

これから先の人生の中で僕の心が壊れる未来がありありと見えています

僕の人生はもう終わったのでしょうか!

今布団の中で泣きながら苦しむ前に死ぬべきかどうか悩んでいます

先人の知恵をお借りしたいです!

2017-03-10

日本ムラ社会からオタク差別される。欧米個性尊重するからオタク尊敬される」

というような事を二昔くらい前にオタクの知り合いが熱く語ってたのを思いだした。

これ見て。

https://togetter.com/li/1088912

2017-02-02

増田に書けばフィクションって事で済まされるよね!36

超今さらだが、国会に取り上げられたアレはマッチポンプというか政治家綱引きの道具というかただの自演くさい感じがしたけど、

アレだな。

私も便乗して「神社本庁落ちた斯界死ね!」とかエントリ上げるべきだったかな。

視点者をコネなし就活生にして、「地縁血縁がないとまともな神社就職すらできないのに唯一都心に残れる希望のあった本庁の試験に落とされた!残ってるのは地方ばかり!地方死ねってのか!」とか自己中心性丸出しの、若者の悲痛な叫びを装った自分勝手放言みたいなエントリをさあ。

でも普通リーマン視点からすると斯界の連中は随分とまあラクしてっからなー。そんなエントリまるで書く気にならないなやっぱ。甘酒うっま。


まあ、神道ってのは一言で言えば要するに、穢れを嫌う宗教なわけですよ。でこの穢れってのは、異物と言い換えてもいい。

んで、例えばねー。

まあ神社界ってのも、平均身長がちっちゃい辺りからもよーくわかるように、せっまい世界でみんな知り合いであまり面識ない人にも遠い遠い血縁があったりとかして、そういう隔絶されたムラ社会なわけですよ。

学校に入ってくるのも知り合いばっか。家名を聞けばどこそこの子とすぐわかる。育成機関は似たような血で溢れかえっているわけですよ。

で、そういうところへ例えヨソの子が入ってきたとしても。

少子化やら現代化やらで神社の血族のみで維持し得なくなった斯界としては表向きは拒まないし、基準さえクリアすりゃあ入学を慈悲深くも情け深くもお許し遊ばして下さるんですけどね。

いやぁ残念ながら。これ。あくまでも。表向きだけの。話なんですよねえ。


ヨソの子が、神社について学びながら学費生活費稼ぎたい!と神社バイトに応募すれば、既に申し込み電話の時点からとっても失礼な対応をした挙句、他の子と一緒に面接にきたその子にだけ滅茶苦茶難しい筆記試験を出して答案を見て嘲弄し、その子だけ落とすような真似をする。

で。

バイト落とされたそのヨソの子が、それでも実務に携わりながら必要費用を稼ぎたい!とめげずに応募を続けて、どうにか採用してくれた神社バイトしながら学生続けてみれば、まあその神社ってのも他の神社が落とした人材拾うだけの理由があるくらいのボーダーライン上にあるヤバイ場所だったりするわけで、周囲は、何も裏事情を知らずにただ働いてるだけのそのヨソの子を、評判悪い神社の与類と責め立てる。

頑張って勤労学生してるヨソの子自分がなぜここまで責められてるのかも納得がいかないまま、でも他に神社勉強しながら働く宛てもないから、選択肢いから、黙って攻撃に耐えて働き続けると。

奨学金? あぁハイハイたくさんありますよー。斯界はなんたって身内ばかり、学生への支援も充実してますからねえ。

唯一採用してくれたバイト先で費用稼いでるだけで責められるそのヨソの子が、じゃあ、と支給奨学金に応募するわけです。するとどうなるか。

驚いた事に、奨学金面接の場で面接からそのバイトの事を責められるわけなんですねー。

生活費学費がないか奨学金応募するのに、その費用を稼ぐ事を教職員学生全員から攻め立てられるから奨学金に応募したのに、お前は奨学金を受けるに相応しくない労働をしていると学校のお偉い面接官数名の前で面罵されるわけですよ。

あ、結局その支給奨学金は裕福な神社の子が貰ったそうですよ。徒歩十五分くらいの学校に400万くらいする車乗って来てたんだけど、学校から駐車を禁じられたから、その奨学金単車を買ったそうですよ? 通学楽になってよかったですねー。大事大事お金持ちの神社の跡取り息子ですもんねー。おみ足を汚して損なうことが万が一にもあっちゃあいけない。

それだけ耐えて耐えて耐え抜いた後に、得た実務経験が、じゃあ就職の段で役に立つのかっていうとなんとまあ救いのない事に。これが真逆なんですねえ。

ハイ最初に言った事に戻ります神道は穢れを嫌います。異物を徹底的に嫌って排除して視界の外に追いやって忘れ去るのが神道なのでございます

最も有名な祝詞の一つであるところの大祓詞にも穢れをそのように扱うくだりが最後の方に出てきますけどね。まさに言行一致、神社界って祝詞体現している素晴らしい場所だと思います

就職にあたっては、その子だけ学校から就職支援も非協力的。希望する神社への問い合わせも後回し。むしろ露骨宮司出張中だのなんだの理由つけてただの求人打診の問い合わせすら二週間放置されるのが連続であったりなんか。「ダメでした♪次頑張ってね♪」て結果を朗らかに聞かされる頃には、もう他の求人はあらかた内定出て、ほくほく顔の子達で溢れかえってます

そんな事になったらどうするか。

何も推薦されないから、全部自分で決めなければなりません。選択したくない選択肢を選ぶのは自分の手だけで行わされます


ま、とかく神道は穢れを嫌う。

上の話読んで、「学校やら教育委員会学校側の不平等を、機会均等付与における不公平性を訴えればよかったじゃないか!」と思う人もいるかもしれませんね?

でもね。

訴えたら、穢れ。

騒ぎを起こしたら、穢れ。

腫れ物に触るように扱われて、のちのち丁重に斯界から排除されるんですねー。

私も業界歴長いですからねー。そういう奴いっぱい見てきましたねー。

「じゃあ神社バイトしなきゃよかったじゃん」そう思う人もいるかもしれませんね?

神社外でバイトする子はねー。神主にならない率がねー。これけっこう高いんですよー。養成学校通ってる学生がそれじゃ、本末転倒でしょ?


まあこういうケースはただ不幸なだけの話という気もしますがね、しかしこうした大なり小なりの不遇に耐えて斯界に残る神主ってのは相当数いたりするもんなんですよね。

上のような話を読むとこれってよっぽどのレアケースなんじゃね?と思うかも知れませんけど、この手の話は割とありふれた話なんですよ。まあだからこそ書けるんですけどね。

で、なんで色々な目に遭いながら斯界に残る神主が多いかっつう話なんですが、

そこには、もちろん“斯界はヨソよりゃよっぽどラクだから”という根本的な理由もあるわけですが。

その他に、もう一つ理由があるんですねー。

それは…“不遇を是とする”。この真実を、誰にも否定され得ないという事。

いやぁこれに尽きますね。

歴史は巡るだの負の連鎖だの色々ペシミスティックな言い方はあるんでしょうけどね?

我々の仕事伝統を守る、これに尽き申す。

歴史を継ぎ伝統を守ることの前に全ては正当化されます

まりはね?

今 度 は 私 達 が 理 不 尽 な 不 遇 を 与 え る 側 に ま わ る わ け で す よ 。

そ し て そ れ は 誰 に も 否 定 で き な い わ け で す よ 。

ケケケケケケケケケ!


――なんて事を、斯界以外知らない若手の連中あたりが大勢で言い出したら、穢れ扱いして対処するのも難しそうなんだがな。

それともこの手の狂信者伝統信仰とを継承する純粋信仰者として扱ったりとかすんのかね。

どうせいずれはお神輿担ぐのはゆとり世代が中心になるんだから、のほほんとしたゆとり世代ムラ社会狂人どもがキツい洗礼でお出迎えする現状は、やっぱやり過ぎと思うわ。

ゆとりもいずれキレる。

2016-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20161229185745

悪い意味で、巨大匿名掲示板風に言うなら便所の落書き的なインターネット井戸端会議的なインターネットになったなあと思う

親近感が強くなった反面、ムラ社会感も強くなってしまった

2016-12-07

はてなってネットコミュニティの中でもかなりキモいと思う

他のコミュニティも色々キモいけどはてなほどじゃないよ。

2ch ワッチョイ導入で荒らし対策したはずなのに相変わらず荒れててキモい年齢層が比較的広い

おーぷん2ch 年齢層がかなり低い2chかなりキモい

2ch.sc 2ch過去ログを保存してるだけの場所こっちに書き込んでるやつはキモい

ニコニコ キッズに持ち上げられたいオッサンが頑張る場所キモい

YOUTUBE エモいキモい

ツイッター 半匿名というポジションなので人によって見えている景色が違うが総じてキモい

フェイスブック 実名丸出しという設定だが偽名も結構いるんじゃないだろうかとりあえずキモい

reddit 英語とかキモい

・したらば それぞれの板ごとにそれぞれのキモさがある

・売りスレ ダントツキモさがある

ふたば  老害ムラ社会個人粘着アフィリエイトステマが織りなすキモさのハーモニー

増田 伸ばそうって気持ちマウント取りたい気持ちが見え隠れしてキモい

はてな 頭良くない人が無理してる感じがキモい

すまん

どれもキモすぎてキモさの序列が分からなくなってきた

2016-12-02

ムラを形成しようとする人間って死ぬべきなんだと思う

最近職場に謎のルールが増えてきた。

ビジネスマナーという名前で呼ばれているがやっている事はただの俺ルールである

そして形作られているのはマナーを守った意識の高い職場ではなくただのムラ社会だ。

仕事の能率と会社空気はゆったりと悪化していっている。

もうウンザリだ。

何故この世界にはムラを形成したがるろくでなしがいるのだろうか。

自分が何も持っていない事をムラのルールを知っている事をステータスにして補いたいのだろうか。

働き者の無能は手に負えないとはまさにこの事だ。

諦めてただの無能になってくれ。

新入りをいびって悦に浸ってエゴを満足させてもいつか自分に返ってくるだけだ。

魔女狩りの末路はいだって共食いによる破滅だ。

そんなことも分からないのか?いや分からないだろうなだってお前らはそれほどに無能からこそムラの掟というステータスを求めたのだから

2016-11-12

無題

大阪の人と話していて、沖縄の人の労働感覚の話になったんだけど。

確かに、男の人とか意識が低いかも。

那覇空港テナントとしてコンビニでも、1時間半後に出る航空券の発券を頼んでいるのにチンタラやってる。

非常にイライラさせられました。

そういう経験は私もした。

沖縄女性は、割と接客は上手かったり、人の気持ちを察するのが上手い人はいると、思う。

結婚式の余興のクオリティは高い。芸達者な人は、多いのかも。

伝統的な踊りを見て、ほぉって気持ちになったり。

沖縄は、基地やら国際大学もあって外人も多いので、パーリーピーポー(?)な人もいるようだし。

  

アラサーを超えて、飲み会の機会が増えたり、車社会で夏は炎天下から歩く機会がないせいか体重も増えるようだし。

  

だけど、表に出てこない苦労みたいなのがある。

  

エイサーって踊りがある。

沖縄は、旧暦を一部使っている。お盆は、旧盆になる。

うるま市なんかだと、若者エイサーに駆り出される。那覇浦添の方は都会だから、そんなこともないみたいなんだけど、

エイサー練習って、夜中の3時か4時までやるらしいんだよね。

20代前半限定なのかな。

職場の27才の子は、引退したって言ったから。

OBなんやかんやと、指導しながら厳しいらしい。

伝統の踊りを守るために、厳しいことを言う人もいるからこその伝統らしいんだよね。

ムラ社会的な部分ですか。

余所人間は気楽に見てましたが、なんか、大変みたい。

京都祇園祭とか、そうらしいけど。お嫁に出て娘が実家に呼び戻されて、その時期に山車の引き手の人の為のおにぎりお茶作りに駆り出されるとか。)

ほんと、働く意識とかはないけど、仲間意識とかはすごいのよね。

コミュニティーに馴染むまでが大変なのかな...。

私は、関わり合いを持たずに沖縄から去ることになったのだけど。

  

2016-11-05

日本は素晴らしい技術を開発するのは凄いけど

技術標準を採択するのに大きく関与したり世界的なルールメイキングの主導権を握ったり出来ないよな

結局、個人が本当にいいもの評価しようとせず大きな流れに身を任せるだけのムラ社会さが抜けきらないのが問題

なぜ日本ではポピュリズム新自由主義的な表れ方をするのか?

なぜ現代日本ではポピュリズムがかつてのナチや今の米国トランプ現象のような(国家社会主義的な)形を取らないで経済政策的に逆の(新自由主義的な)現れ方をするのか? についてはどう解釈したらいいんだろうな。

というTweetを見たので思うところを書く。

それは「なぜ私たちは困窮しているのか?」という問いの答えが、そのまま表れているのだと思う。

この問の答えとなりうるものはいくつか有る。この場合、その答えが本当に正解かどうかは問題ではない。その人(国民が)がどんな答えを想起して、望むのか? というのが要件になるからだ。

ひとつには「富裕層搾取しているから、私たちは困窮しているのだ」というものだ。ある意味左翼的な発想だといえる。この答えのパターン国内でも国外でも見られる。日本場合この「富裕層」というのが実にふわふわしてるので「企業搾取している」みたいな形で表出しているように思える。「内部留保している企業が悪だ」という論説だ。

国内の異分子(この場合移民)が存在するから私たちは困窮しているのだ」という答えもある。Brexitとかトランプの言説の中心的なものひとつがこれだ。国内の職や富を、本来分け与えなくてもいい外部的な異分子(本当に分け与えなくていいのかどうかは、今回は問わない。そう答える人の中では「分け与えるべきではない」という感情があるというのが今回は重要なので)に分け与えてしまったが故に、私たちは困窮しているのだ! という主張である結論としては、そのまま「奴らを追い出せ!」となる。日本では、在日韓国朝鮮人への風当たりとして見ることが出来る。だからTweetのように国家主義的なそういう排斥がまったくないわけじゃない。もっとも、日本では在日韓国朝鮮人移民だとみなしたところで割合は非常に少ないので、彼らがいるからこそ日本が困窮しているというのは説得力に欠けるためか、一般的な人はこのタイプの主張を強くはしない。

最後ひとつは「私たちの中に怠け者がいるために、私たちは困窮している」というものだ。「同じ庶民の中に怠けている人間がいて、彼らはより少ない労働社会の富を多く得ている(=不当である)」、「だから私たちが困窮している」という主張だ。これがおそらくTweetでいう「新自由主義的な表れ方」につながっていて、結果として「怠け者は見捨てろ、自己責任だ!」という結論になって現れる。このタイプの主張は、たしか日本独特のものであるようにみえる。

なんでそんな主張が表れてくるのかだが、マクロはともかくとして、ミクロ的な、つまり職場学校地域社会において、「怠けた人は得をする」というのが日本においては真実からだ。

例えば伝統的な日本職場において、その部署エースが成績最下位の3倍の成績を上げたとしても、3倍の給与はもらえない。むしろ仕事ができるということで面倒だったり厄介だったりする仕事を回されたり、要領の良くない人の面倒を見なければならなかったりする。そして給与に関しては色を付けた程度で、どんな成果を上げても横並びが普通だ。能力が高く頑張っても得をしないということは、つまり、ある一定額の給与をもらうという視点にたてば、手を抜いたほうが得であるということになる。

これは学校地域社会でも一緒で、起業が少ない理由にも通じている。企業では出世を望まないということになるし、学校自治体では責任者になるのを回避すると言うかたちで現れる。努力して成果を上げたとしても組織の中では評価されないし、仮に評価されたとしても、今度は周囲の妬みや僻みが待っていて、結局は損をする。……そういう実感を日本人はもう肌感覚として持っている。

マクロ的にみれば「全員がそうやってより低い努力しかしないと、全体の成果がどんどん沈下するだけで、結局は自分ジリ貧だぞ」「乗ってる船が沈んで後悔することになるぞ」となるのだけれど、普通人間はそこまでマクロ感覚で生きてはいない。国民全員が貯蓄を開放すれば景気は上向くと理論としてははっきりわかっていても、「このままじゃデフレなっちゃうから貯金は全部やめて暮らそう!」という生き方がなかなか出来ないのといっしょだ。

からミクロ的な「怠けた人は得をする」という実感を頼りにマクロ類推して、「私たち同じ庶民の中に怠けている人間がいて、彼らはより少ない労働社会の富を多く得ている」という結論が合成される。その結果出てくるのは「生活保護を打ち切れ!」とか「奨学金を返すのなんて当たり前だ!」とか「就職活動をサボってフリーターになったんだから低所得なのは当たり前だ!」とかい自己責任キーワードにした新自由主義的な責任追及だ。

そんなわけで、なんで日本においては下流きじみた新自由主義信仰があるのか? については「怠けたほうが得な社会私たちが作ってきたから」だ。能力がある人や成果を正当に評価しないで、ムラ社会的な横並びで生きてきたので、社会が苦しくなるのは身内に裏切り者がいるに違いないという発想になるのだ。

Tweetでは「新自由主義的な表れ方」といっているけれど、日本アンバランス片手落ちだ。本来新自由主義であるならば(市場原理を最大評価するんだから能力が3倍ある人には3倍給与を与えるはずだからだ。

再分配を考えるのなら、そしてそうやって高額所得を得た人を大いに賞賛して、褒めて、よーし俺も大儲けしちゃうぞー! と皆で乾杯でもした後に、その上で気持ちよくがっぽり税金を払ってもらって、それを分けたほうが効率がいいし、筋というものだ。結局国のGDP個人の生み出した付加価値の総和なわけだし、ひとりひとりが頑張るっていうのは、がんばって成果を出すのが嬉しい環境を作らないと実現できない。つまり自分が頑張るってのは、頑張って成果を出した人間を大いに褒めて評価するってのとセットでしかありえないはずだ。日本場合はそういうアメリカンドリーム礼賛みたいな態度は殆どゼロで、高額所得者を褒めない上で、「目立たず最小限の労力で、しかし周囲に激怒されて村八分にならない程度に稼ぐ」という「出る杭にならないチキンレース」みたいな社会状況を自分たちで作り出し、なおかつ「自分負担になっていそうな、自分より少し下の人間を叩く」ので、本当にたちが悪いと思う。

2016-04-22

前略、はてな様。(前編)

まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。

私は一、はてな無名ファンです。

先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。

元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。

大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。

ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービス利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います

しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギークナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています

勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています

私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます

回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。

私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。


ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。

私は長年使っているとは言いながらも、所謂はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。

コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。

これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。

最近はてなブログブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。

かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。

前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません

私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。

その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。

はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザー比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社インターネット事業担当になったというキャリアです。

はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。

その頃、ちょうどあるECサイトコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービス炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログ商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかい現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。

今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。


自分語り方面脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログはてダから始まって、livedoor、goo、ExciteSeesaaJugem、FC2、楽天、MSN、ドリコムウェブリブログドブログYahooヤプログ、アメなんたら……

でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。

なんだこりゃ、殺風景サイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。

ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。

純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギーク技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。

人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。

そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。

今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービス外来大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。

そんな中、日本ドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。

はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端ネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代ヒーローだと思ってたんですよ。

はてなブックマークソーシャルブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。

だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通り中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……

何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。

私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思いますちょっと極端なことを書いたら「フロム先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。

はてなブログ目次記法は便利だと思うんですけど、他所ニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。

ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。

まり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。

もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。

最近はてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。

一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。

こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。

だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。

むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネット醍醐味であり爽快ですらありました。


……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザーコミュニティによるチェックと自浄作用が働きますはてブうまいことそういう機能果たしてきたと思うんですよね。

でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーモラルもありますが、サービス構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。


海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。

この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドライン専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。

これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。

別にネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブ牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思いますTwitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……

ただそういう人達ごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。

というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。

最近、ある有名人ブロガーブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。

この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。

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すみません、長すぎて登録すると切れてしまうので、途中で切ってトラバで繋げます

2016-04-18

人生史上最悪級に無益な週末を過ごしてしまった

気が付いたら何してたかもわからいくらい何の価値もなくただただ落ち込んだ気分で月曜日を迎えていたんです。

何の話かって、はてな界のニュー・オーダーのせいでブルーマンデーだったっていう話なんですよ。

まらものを切っても切れなかったんですよ。むしろ自分がつまらものになってしまったんですよ。わかってくださいよ。

わたくし、べつに村民とかそういう者ではございませんが、でもこのはてなっていう会社サービスが大好きで気に入ってただ淡々と使っていたんです。

それでですね、先週ほら、また盛り上がってたじゃないですか……例の。あまりわたくしのようなニワカが口にするのは恐ろしい恐ろしいなのでその名には触れませんが。

いや、ここ1年半くらいなんだか居心地が悪いなーとはずっと思っていたのですけども、最近特定層の人たちの記事が大量にホッテントリに上がってくるじゃないですか。

それがわたくし個人としては正直うざくて気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて仕方なかったんですけども、でもサービスをどう使うかはある程度自由ですし、運営視点で見てもこの先生きのこるためにはある程度アメーバ化していくのもやむなしじゃないかとも思うわけなので、一、フアンとしてはひっそりと身を引くくらいしかできないのかしら、とも思っていたのですよ。

ところがですね、最近この層の方々から発射された流れ弾が外の別のSNSでも着弾することとかも出てきまして、こりゃもうたまんないなと感じまして。

そんなときでした。Androidアプリでもユーザ非表示設定ができるようになったって言うじゃないですか。

今まで、宗教上の理由によりユーザ非表示って使ったことが無かったんですよ。それに、本当はユーザ非表示じゃなくてNGサイト登録のほうがありがたいのですけれども、これははてな社のビッジネースのことを考えたら望み薄いのかもと思いまして、何もしないよりは、とポチポチ非表示登録し始めてみたんですよ。ワナビーブコメや明らかなスパムが目に入らないだけでも精神衛生上よろしいかと思いまして。ええ、GOJOいアカウントを思いつく限り片っ端から

そうしたらですね、もうこれはまさにGOJOの奇妙な冒険が始まってしまったわけなんですよ。

最初はね、20人くらい登録すれば良いのだと簡単に考えていたんです。

それで、金曜日の深夜に上がっていたGOJOい記事から順に見ていきまして、非表示登録していったんです。

そうしたらですね、これが結構手間暇が掛かるものなのですね。そして人間くだらないもので、だんだん躍起にやってしまうんですね。あれよあれよと気がついたら、もう朝方。この瞬間、自分スタンド使いどころか波紋でやられてしま吸血鬼程度に成り下がってしまっているわけですね。ミイラ取りがミイラってやつですね。

疲れたし、目は痛いし予定は潰れるしで昼まで寝て起きて、だるくて外出もできずスプラトゥーンしてたら夜になってしまってですね。

そして止せばいいのに、夜またも奇妙な冒険に出てしまったんですね。ユーザ非表示いくらやったって弓と矢にはなり得ないんですけどね。

わたくし、甘く見ていたんですよ。敵は20人じゃなかった。確認して、実際にコメントを見て、場合によってはわざわざアフィ記事踏んで確認して非表示へ……

30人、40人……100人リストが増えていくわけですよ。

なんということだ。この街はもう自分には住めない街になってしまったのかもしれない。頭の中でバイオハザードプレイしている光景が浮かんでは消えるわけですよ。まさに、ゾンビ取りがゾンビっていうわけですね。

一日体も動かさずスタンドバトル(クソゲー)とスプラトゥーンしかやっていませんので真夜中に目が覚めてしまい、またこの絶望的なポチポチ登録を始めてしまい、気がついたら日曜日の昼。ループ2周目が始まって、だるくて外出もできずスプラトゥーンしてたら夜になってしまってですね。

この時点でもう、わたくしは敗北してるわけです、この世界から

なんということでしょう。今朝方未明、また夜中に目が覚めてしまい、眠れなくてまたスマホを開いて青いアイコンタップ。もう病気ですね。もういい休め!って自分の中でもざわざわしてるわけなんですけど、止まらないんですよ。

120、140……200……ッッ

そう、もうこれやっててもきりが無い感じなんですよね。こうなってくると、もはや自分のほうがマイノリティメンヘルになってしまっている気がしてくるのですね(いや実際そうなんですけども)。見ていくと確かに、例のGOJOい一団は数十人なのですが、そこにブログお小遣い稼ぎをしたいアフィいフォロワーがすでにその何倍かついて絡んでいるんですよね。そこに、キャンピングカー大学生経由の若者の一団とかも絡み合ってきていて、もう読み解いていくだけで深淵の泥沼に嵌ってしまうんですよね。

しかも、読みたくないものをわざわざ徹底的に読み込んで調べて学習しているわけじゃないですか。わたくしは馬鹿なんですか。そうですね。

もう、精神はズタボロですよ。心にダメージを負い、睡眠不足になり、情緒不安定になりスプラトゥーンは負けまくってB+まで落ちてしまったじゃないですか。

馬鹿ですね。あるいは病気だったのかもしれませんね。頭を冷やして、もう辞めよう、と思いましたね。

というわけでもう今さらではありますが、おかげでブコメ欄はだいぶスッキリしました。相変わらず興味の無いホッテントリはたくさんぷかぷかと漂っていますが、そういうエントリお気に入りアイコンひとつも付かず、コメント欄も大概謎の空欄になったので、判別しやくなって多少は快適であります

こういうことを書いているとよく、「古参が『昔は良かった』とボヤいてるだけ」などとアフィい方が仲間内でやり取りしているのが見たくもないのに目に付いては、「違う、そうじゃない」と心の中でツッコミを入れていたのです。そうじゃないんですよ、少なくともわたくしの中では。わたくしはただ、ソーシャルブックマークサービス個人ブックマック+情報収集シェアツールとして楽しく利用させていただいていただけなのです。そのことを『昔は良かったとぼやく老害』と言われてしまってはもう敵わないなあと思うわけなのですが、逆にこの方々こそこれはこれでやっぱり新・ムラ社会なのかもしれませんね。

ちなみにですけど、最近よくホッテントリに上がる新しめのブログが十把一絡げにイカンとか言ってるわけじゃないですよ。個人趣味もありますが、公平に見て中にはこの人はやいのやいの言われてもセーフだろうと思うブログもちらほらあります自分体験自分の好きなもの自分言葉日記にしたためている感じがするブログは好きなんですよ。

世代ブログ間の交流とかはあるかもしれませんが、そういうブログ記事の作りもアフィい一団とは一線を画して実際面白い記事もあり、よく読んでたりします。

やっぱりこりゃキツイなあと感じるのは、特定の一団とそのフォロワーなんですよね、今のところは、ですが。キャズム超えなんていう言葉もありますし、かつて有吉が「ブレイクするっていうのは~」なんて毒舌を吐いていたことも思い出すのですが、特定の一団がマジョリティになったとき、ここも腐海、もしくはアメーバに沈むのでしょう。それが良いことなのかどうか、一、ユーザにはよくわかりませんが、「スパムで無い限りは」ブログ自由です。はてな社にとっては好ましいことなのかもしれませんし、「スパムで無い限りは」どうこう言っても個人ユーザの利用方法を責められるものではないことは理解しております。ただただ、一、フアンとしては、「衆愚化してつまらなくなって廃れていく」というインターネッツテンプレートをなぞることが無いことを願い応援しております

というわけで、自分のこの週末を振り返って一行にまとめますと、タイトルのとおりであります

皮肉なことに、この話題と主要プレーヤーについてめちゃくちゃ詳しくなってしまいました。虚しい。

もう自分が疲れてるな、視野狭窄になっているなと感じることができたので、わたくしはそっとここを去って運動瞑想をして過ごすことにします。


※ところで書いてて思ったのですけれども、id:xevra先生のような濃ゆいユーザがこの村を見限って去った時こそ、実はいよいよ終わりがやってくるのかもしれませんね。5,6年くらい前まではこの人はbotなのだろうか、非表示にしたほうが良いのだろうかと考えては思い留まって今に至るわけなのですが、今まで生き残ってみると、年々人間味が出てくるし優しいことも言っちゃったりするし、GOJOい人達からも人気みたいですし、実は彼こそがもっとフラット平等ユーザーなのではないかという気がしてきました。わたくしが知らずのうちに村の毒に冒されているせいかもしれませんが。

というわけで、じゃあ磯野、また明日な。

2016-03-22

子育て価値観仕事がごちゃごちゃになっていてどうしようもない件

やまもといちろう氏のブログはてなブックマークつきまくっています

それとは別に子育て」や子育て出産問題について、論争すると大抵いろんなところで炎上するのを見かけます

なぜなんでしょう

価値観多様化

過去フリーターブームがあったとこ思いますが、就職氷河期前後から2015年ぐらいまでの間って、それぞれの生き方とか個人の意思尊重しようていう発想が日本根付いた時期だったように思います。夢を追いかけるもよし堅実に生きるもよしっていう日本自由があった(ように思える)当時が懐かしく思えます。だけど実際の日本をひも解いてみると違うように思えるますよね?特に都心郊外だと「婚活」「妊活」なんかがもてはやされて、結婚して出産して尚且つ仕事もできる人が優れているような風潮がみられます。(テレビでもそういうブームをあおっているように)

炎上させているのは誰なのか?

ブームに乗れなくて気づいたら40歳になってしまった適齢期を過ぎた人。実際出産までは上手くいったけど再就職に上手くすすめない人。保育園の確保ができない(もしくは保育園お金を割くことができないプアー層)なんかだと思うんですよね。いままで自由を謳歌してきたけど結局行き着くところ日本全体の風潮は結婚して出産すべきっていう流れ。非生産的独身貴族がいい年してして結婚していないと白い目で見られます(これは都心より地方の方が多いと思いますが)

大きなムラ社会日本で起きている事

日本ムラ社会です。いまに始まった事ではないですが、隣の芝生は青く見えます自分の子供が保育園に入れなくて知り合いの誰かが上手く入り込めたら「なぜ自分が!!」ってなります結婚して子供がいない家庭というのはなんとなく「残念な家庭」もしくは「欲しくても恵まれない家庭かも」というレッテルが貼られます結婚しない人は「結婚できない人」と同義語に近いです。順当に20代結婚して、旦那さんの稼ぎが安定して20代半ばに出産して、適度に社会復帰ができる家庭が今の日本理想像でどこかに歪があればそれは日本一般家庭の中での異端児であり可哀そうな人たちになっちゃうんですよね。

2016-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20160312010856

意識高い人は尊敬するけど、意識高い系嘲笑するよ。

みたいなこと言う奴ってクズだと思う。

最初は誰だって何者でもないし、上手く出来ないこともあるだろう。

自分の殻を破るために背伸びしてもがいてる途中の奴をあざ笑って何になる?

結果出せなかったり、他人努力証明が出来ない奴は高い意識を持つ権利がないのか?

意識高い系(笑)とか言ってる連中が二ホンノムラシャカイガーとかほざいてるのが滑稽だよな。

そのムラ社会を作ってるのは正にテメエらみたいな連中だっていうのに。

2016-01-21

モテる為に音ゲーをやる

ゲーセンにおける人間関係はおおむねコミュニケーションノートによって形成される。場合によっては、 twitter などの SNS や、2ch、したらば等のスレッド掲示板場合もあるだろう。都会や人口密度の高い地域でのゲーセン人間関係プレイ寄与する所は少ないが、田舎ゲーセンは濃密なムラ社会となっており、常連に逆らう事はすなわち論理的物理出禁危険性を孕んでいる。

そういう前提とは一切関係なく、ゲームをやっていて女性と仲良くなれたらとても良いのではないかと思う。何かを始める動機は人それぞれだし、それが不純でも純真でもどうせ100円1プレイ価値は誰がやっても同じなのだから。完全なる主観適当モテそうな音ゲーを列挙していくので、音ゲー警察諸氏は余り目くじらを立てないでほしい。

それと、ゲーセン常連プレイヤーの顔を意外と見ているし、ゲーセンゲーム機公共であるモテるモテない以前に、人としての最低の水準は守りたい (個人的には、ゲーセンゲームばっかりやっている人間自分も含めそもそもに何らかの問題を孕んでいる気もしなくはないが)。


maimai

現在もっと女性比率が高いと思われる音ゲードラム式洗濯機のようなデザインの(というミームの奔流に飲まれすぎた余り公式自らドラム式洗濯機自称するようになった)筐体であり、2台あるうちの片方がプレイ中の場合もう片方も使用できなくなるという設計になっている。

ゲーセンにいる女性交流するためにもっとも適している音ゲーだと思う。

ただ、私事申し訳ないのだが、肩こりがひどく腕が上がらない為ちゃんとやり込んでおらず、どんな評価体系が存在しており、どういう仕組みでコミュニティが出来上がっているのか全く知らない。ただ普段見ている女性比率と、動画サイト等にアップロードされるさまざまな動画からそう判断した。オフで即ハメ音ゲーに漸近している音ゲーだと考えられる。


チュウニズム

maimaiと同じくセガ音ゲーである操作体系が独特で、上空にあるセンサーの間、虚空へ手を振りぬく操作を求められる。これも結構女性客が付いているが maimai と同じ理由で俺には遊べないので不明比較的生まれて日が浅い音ゲーで、このゲームをやりこむ前に「このゲーム長生きするのか」という事を各自考える必要があると思っている。


ポップンミュージック

10年前のカジュアル音ゲー代表格であり、わずかなアニメ立ち絵(ハリアイ絵)と楽曲フレーバーテキストだけで数多の女性スケブ片手に筐体に釘付けた。直線的でシンプルな縦長の筐体、カラフルな9つのボタンがポップでキュートなこのゲームの目印だ。今でこそ「9ボタンとか多くて難しいですよね~」等と言われるものの、カジュアル音ゲーと競技性のある音ゲーを両立させたその功績は音ゲー界の革命児と言えよう。

最近相対的楽曲のパワーが落ちてしまっているのと、流行性の高い版権曲も2~3作で消えるため男女問わず顧客の定着が行われにくくなっている気がする。ゲーセンでこのゲームをやり続けている女子はコアなユーザーが多く、彼女らと警戒されずに話題を合わせるためにはそれなりの上達が求められるだろう。

ゲームシステム的には、プレイヤー技術を一切要求しない昨今の音ゲー事情としては稀なデザインとなっており(技術要求したら大不評だったので、以後撤廃された)、はじめてすぐの段階でもすべての要素を楽しむ事が可能となっており、やりこまないと話題に乗り込めない……というような事態は発生しない。


beatmania IIDX

段々書くの飽きてきた。IIDXコナミ音ゲーで、サウンドブースのような骨組みのデザインに、2つのスクラッチ、14個のボタン、あと正面に謎のボタンレバーのある筐体である

あらゆる音ゲーの中で最も高密度譜面が降り注ぐゲームの為、その内実はともかく非常にアスリート性を高く感じるゲームとなっている。一方で譜面密度が高いだけでもあり、ある段階を経るまではきわめてシンプル構造となっている。

さて、 IIDX には Single Play と Double Play の2種類のゲームモードがあるが、モテるのは Single Play である。本作中にはプレイの腕前を格付けする段位認定というシステムがあるのだが、大体6~7段くらいでたむろするユーザーが多いため、10段くらい取っていれば大体ヒエラルキーの上の方に位置出来るだろう。

このゲームは腕前による人間の格付けが驚くほど強烈であり、段位が自分より低い相手、段位のクリアランク自分より低い相手自分クリアマークをつけている曲にマークをつけていない相手など、とにかく他プレイヤーより一点でも優位性を見つけて精神を上層におかないと即死してしまう人が多い。そのため、このゲームをやっている女性交流しようと思ったらまず彼女らより上手くなりマウント絶対に取らなくてはならない。より強い雄になる、原始的交流と言える。

スクラッチの独特のアナログ操作感、本作特有の高密度には慣れが必要なため、ある程度上達するまでに要する時間は1年程度だろうか。ゲームの要領が良い人ならば、最高段位である「皆伝」まで1年掛からずに到達するだろう。音ゲーのそれなりの上達は見た目ほど難しいものではない。もちろん皆伝の上も果てしなくゲームは続いていくのだが、一般的プレイヤーは余りそういう事を気にしておらず、ランク評価体系の9割に組み込んでいる。


初音ミク Project Diva AC

ボーカロイド本家元祖ではない)、ミクちゃんである。このゲームが出た当時はボーカロイド東方などニコニコ文化音ゲー寄与する部分が少なく、ボーカロイドの持つ集客性は音ゲーにとってまだ不可侵領域である時代だった。太鼓の達人など、一部先んじて目をつけていた作品もあるが、ボカロ音ゲーと密接に関わるようになるのはかなり最近の話である

そういうわけで、ボカロ御大初音ミクゲーセンにいてさまざまなニコニコ動画名曲を遊べるという事、4ボタンしかないシンプルまりない操作性などの理由で一大カジュアル音ゲー地位を築き上げたゲームがこの作品である女性比率の非常に高い作品であり、混雑時は女性行列男性一人だけ混ざるという事も頻繁にあった。

とは言え、このゲームも既にリリースから5年近く経過している上に、もはや初音ミクボーカロイドの主流ではなくなってしまったこと、ボーカロイドはこのゲーム聖地ではなくなってしまった事などの理由で、最近はこのゲームユーザーもめっきり減ってしまい、まだ更新が続いているにも関わらず、撤去されるゲーセンも徐々に増えてきた。兵どもが夢の跡である


jubeat

立方体をくっつけたような小さな筐体があればそれが jubeat であるボタン数は16個と非常に多いが、叩く場所が光るため光った場所を叩けば良く、ゲーム的にはとっつきやす構造となっている。リリース当初こそキー音もなくモグラ叩きではないかなどと揶揄されたが、若い世代を中心としてウケがよく、カジュアル層の開拓に一役買ったゲームであると言える。

出だしは比較好調で客付きも良かったものの、焼畑農業のようなゲームイベントリリースし続けた結果(だと思う)、定着しているユーザー数はほかのゲームに比べ水をあけられてしまった。

最近はややウェイ系のプレイヤーが多く、ガンダム程ではないがプレイ中に騒ぐユーザーをあちこちで見かけるようになったため、女性ユーザーは少し敬遠気味になっているように思う。流動性の高いユーザーセガ音ゲーほとんど移動してしまったと思われ、モテ目的でこのゲームを遊ぶ理由はどこにも存在しない。


Dance Evolution

kinect を利用したアーケード音楽ゲームであり、画面に表示されたポーズを取るゲームとなっている。他ゲーのコアユーザーに見られる機能性に優れた服装プレイするユーザーは少な目で、ミニスカ可愛い衣装で踊っている女性が多く、ほかのゲームをやるフリをしてしょっちゅうチラ見するのだが、イケメンで流麗なダンスを踊れればモテるのではないでしょうか?


プリパラ

同名の女児向けアニメと連動しているアーケードカードゲームである法律上自販機扱いで、スーパーなどのゲームコーナーでもよく見かける事が出来るだろう。他方バンナムアイカツとは商売敵のため、バンダイナムコゲームセンターでは絶対に見かけることが出来ない。

システムとしては、1プレイする度にランダムで服のパーツ(体上、体下、靴)のどれかと、「トモチケ」と呼ばれる自分データ他人に譲るための半券を得る事ができるようになっており、服装データプレイヤーIDに紐づけられているため、基本的に交換などで手に入れる事は出来ない。唯一ヘアアクセサリだけ交換可能となっており、こちらもトモチケと同じように交流材料となっている。

幼女からまり学生主婦OLなどなど幅広い年齢層を取り込む事に成功している音ゲーであり、しっかりゲームをやり込んでいると、女性から声をかけてきてトモチケやヘアアクセを交換するイベントが発生したりもする。

音ゲーマーとしての腕前はほぼ要求されない反面、無数に存在するコーデを組み合わせるセンスキャラクターへの多少の理解、希少なコーデを入手するための財力と暇が求められる。


2016-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20160113012757

工学なんかも含めて大学院に行けば軌道修正可能な分野に進学できただけ、良かったんじゃないでしょうか。ただ、単科大学視野が狭くなりそうだし、人間関係ムラ社会という点はお察しします。世界は広いので、焦らず色々な針路を模索される事がよいかと。過ぎた事を気にしてもしょうがないと思いますよ。機械コンピューターなら趣味でコソコソやっても良さそうだし。人生思ったようにはいかないし、そもそも幻想かもしれないから、やり直しよりは軌道修正の方がオススメです。リスクもあるし、ここは日本ですからね…

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