はてなキーワード: ムラ社会とは
ゲーセンにおける人間関係はおおむねコミュニケーションノートによって形成される。場合によっては、 twitter などの SNS や、2ch、したらば等のスレッド型掲示板の場合もあるだろう。都会や人口密度の高い地域でのゲーセンは人間関係がプレイに寄与する所は少ないが、田舎のゲーセンは濃密なムラ社会となっており、常連に逆らう事はすなわち論理的・物理的出禁の危険性を孕んでいる。
そういう前提とは一切関係なく、ゲームをやっていて女性と仲良くなれたらとても良いのではないかと思う。何かを始める動機は人それぞれだし、それが不純でも純真でもどうせ100円1プレイの価値は誰がやっても同じなのだから。完全なる主観で適当にモテそうな音ゲーを列挙していくので、音ゲー警察諸氏は余り目くじらを立てないでほしい。
それと、ゲーセンの常連はプレイヤーの顔を意外と見ているし、ゲーセンのゲーム機は公共物である。モテるモテない以前に、人としての最低の水準は守りたい (個人的には、ゲーセンでゲームばっかりやっている人間は自分も含めそもそもに何らかの問題を孕んでいる気もしなくはないが)。
現在もっとも女性比率が高いと思われる音ゲー。ドラム式洗濯機のようなデザインの(というミームの奔流に飲まれすぎた余り公式自らドラム式洗濯機を自称するようになった)筐体であり、2台あるうちの片方がプレイ中の場合もう片方も使用できなくなるという設計になっている。
今ゲーセンにいる女性と交流するためにもっとも適している音ゲーだと思う。
ただ、私事で申し訳ないのだが、肩こりがひどく腕が上がらない為ちゃんとやり込んでおらず、どんな評価体系が存在しており、どういう仕組みでコミュニティが出来上がっているのか全く知らない。ただ普段見ている女性比率と、動画サイト等にアップロードされるさまざまな動画からそう判断した。オフで即ハメ音ゲーに漸近している音ゲーだと考えられる。
maimaiと同じくセガの音ゲーである。操作体系が独特で、上空にあるセンサーの間、虚空へ手を振りぬく操作を求められる。これも結構女性客が付いているが maimai と同じ理由で俺には遊べないので不明。比較的生まれて日が浅い音ゲーで、このゲームをやりこむ前に「このゲームが長生きするのか」という事を各自考える必要があると思っている。
10年前のカジュアル音ゲーの代表格であり、わずかなアニメ・立ち絵(ハリアイ絵)と楽曲のフレーバーテキストだけで数多の女性をスケブ片手に筐体に釘付けた。直線的でシンプルな縦長の筐体、カラフルな9つのボタンがポップでキュートなこのゲームの目印だ。今でこそ「9ボタンとか多くて難しいですよね~」等と言われるものの、カジュアルな音ゲーと競技性のある音ゲーを両立させたその功績は音ゲー界の革命児と言えよう。
最近は相対的に楽曲のパワーが落ちてしまっているのと、流行性の高い版権曲も2~3作で消えるため男女問わず顧客の定着が行われにくくなっている気がする。ゲーセンでこのゲームをやり続けている女子はコアなユーザーが多く、彼女らと警戒されずに話題を合わせるためにはそれなりの上達が求められるだろう。
ゲームシステム的には、プレイヤーの技術を一切要求しない昨今の音ゲー事情としては稀なデザインとなっており(技術を要求したら大不評だったので、以後撤廃された)、はじめてすぐの段階でもすべての要素を楽しむ事が可能となっており、やりこまないと話題に乗り込めない……というような事態は発生しない。
段々書くの飽きてきた。IIDX はコナミの音ゲーで、サウンドブースのような骨組みのデザインに、2つのスクラッチ、14個のボタン、あと正面に謎のボタンやレバーのある筐体である。
あらゆる音ゲーの中で最も高密度な譜面が降り注ぐゲームの為、その内実はともかく非常にアスリート性を高く感じるゲームとなっている。一方で譜面の密度が高いだけでもあり、ある段階を経るまではきわめてシンプルな構造となっている。
さて、 IIDX には Single Play と Double Play の2種類のゲームモードがあるが、モテるのは Single Play である。本作中にはプレイの腕前を格付けする段位認定というシステムがあるのだが、大体6~7段くらいでたむろするユーザーが多いため、10段くらい取っていれば大体ヒエラルキーの上の方に位置出来るだろう。
このゲームは腕前による人間の格付けが驚くほど強烈であり、段位が自分より低い相手、段位のクリアランクが自分より低い相手、自分がクリアマークをつけている曲にマークをつけていない相手など、とにかく他プレイヤーより一点でも優位性を見つけて精神を上層におかないと即死してしまう人が多い。そのため、このゲームをやっている女性と交流しようと思ったらまず彼女らより上手くなりマウントを絶対に取らなくてはならない。より強い雄になる、原始的な交流と言える。
スクラッチの独特のアナログな操作感、本作特有の高密度には慣れが必要なため、ある程度上達するまでに要する時間は1年程度だろうか。ゲームの要領が良い人ならば、最高段位である「皆伝」まで1年掛からずに到達するだろう。音ゲーのそれなりの上達は見た目ほど難しいものではない。もちろん皆伝の上も果てしなくゲームは続いていくのだが、一般的なプレイヤーは余りそういう事を気にしておらず、ランクを評価体系の9割に組み込んでいる。
ボーカロイドの本家(元祖ではない)、ミクちゃんである。このゲームが出た当時はボーカロイドや東方などニコニコ文化が音ゲーに寄与する部分が少なく、ボーカロイドの持つ集客性は音ゲーにとってまだ不可侵領域である時代だった。太鼓の達人など、一部先んじて目をつけていた作品もあるが、ボカロが音ゲーと密接に関わるようになるのはかなり最近の話である。
そういうわけで、ボカロの御大、初音ミクがゲーセンにいてさまざまなニコニコ動画の名曲を遊べるという事、4ボタンしかないシンプル極まりない操作性などの理由で一大カジュアル音ゲーの地位を築き上げたゲームがこの作品である。女性比率の非常に高い作品であり、混雑時は女性の行列に男性一人だけ混ざるという事も頻繁にあった。
とは言え、このゲームも既にリリースから5年近く経過している上に、もはや初音ミクはボーカロイドの主流ではなくなってしまったこと、ボーカロイドはこのゲームの聖地ではなくなってしまった事などの理由で、最近はこのゲームのユーザーもめっきり減ってしまい、まだ更新が続いているにも関わらず、撤去されるゲーセンも徐々に増えてきた。兵どもが夢の跡である。
立方体をくっつけたような小さな筐体があればそれが jubeat である。ボタン数は16個と非常に多いが、叩く場所が光るため光った場所を叩けば良く、ゲーム的にはとっつきやすい構造となっている。リリース当初こそキー音もなくモグラ叩きではないかなどと揶揄されたが、若い世代を中心としてウケがよく、カジュアル層の開拓に一役買ったゲームであると言える。
出だしは比較的好調で客付きも良かったものの、焼畑農業のようなゲーム内イベントをリリースし続けた結果(だと思う)、定着しているユーザー数はほかのゲームに比べ水をあけられてしまった。
最近はややウェイ系のプレイヤーが多く、ガンダム程ではないがプレイ中に騒ぐユーザーをあちこちで見かけるようになったため、女性ユーザーは少し敬遠気味になっているように思う。流動性の高いユーザーはセガの音ゲーにほとんど移動してしまったと思われ、モテ目的でこのゲームを遊ぶ理由はどこにも存在しない。
kinect を利用したアーケードの音楽ゲームであり、画面に表示されたポーズを取るゲームとなっている。他ゲーのコアユーザーに見られる機能性に優れた服装でプレイするユーザーは少な目で、ミニスカや可愛い衣装で踊っている女性が多く、ほかのゲームをやるフリをしてしょっちゅうチラ見するのだが、イケメンで流麗なダンスを踊れればモテるのではないでしょうか?
同名の女児向けアニメと連動しているアーケードカードゲームである。法律上は自販機扱いで、スーパーなどのゲームコーナーでもよく見かける事が出来るだろう。他方バンナムのアイカツとは商売敵のため、バンダイやナムコのゲームセンターでは絶対に見かけることが出来ない。
システムとしては、1プレイする度にランダムで服のパーツ(体上、体下、靴)のどれかと、「トモチケ」と呼ばれる自分のデータを他人に譲るための半券を得る事ができるようになっており、服装データはプレイヤーIDに紐づけられているため、基本的に交換などで手に入れる事は出来ない。唯一ヘアアクセサリだけ交換可能となっており、こちらもトモチケと同じように交流の材料となっている。
幼女から始まり学生、主婦、OLなどなど幅広い年齢層を取り込む事に成功している音ゲーであり、しっかりゲームをやり込んでいると、女性側から声をかけてきてトモチケやヘアアクセを交換するイベントが発生したりもする。
音ゲーマーとしての腕前はほぼ要求されない反面、無数に存在するコーデを組み合わせるセンス、キャラクターへの多少の理解、希少なコーデを入手するための財力と暇が求められる。
医工学なんかも含めて大学院に行けば軌道修正可能な分野に進学できただけ、良かったんじゃないでしょうか。ただ、単科大学は視野が狭くなりそうだし、人間関係がムラ社会という点はお察しします。世界は広いので、焦らず色々な針路を模索される事がよいかと。過ぎた事を気にしてもしょうがないと思いますよ。機械・コンピューターなら趣味でコソコソやっても良さそうだし。人生思ったようにはいかないし、そもそも幻想かもしれないから、やり直しよりは軌道修正の方がオススメです。リスクもあるし、ここは日本ですからね…
私は現在医学部に在学中ですが、もともと希望していた進路ではありません。
小さい頃から機械やコンピューターにすごく憧れがあって、将来は技術者になりたいと強く胸に抱いていました。
そして大学受験が近づくにつれ志望校を絞りこむ際に、地方出身であったため東京に憧れがあったことや、また、技術者になることへの憧れから、都内の大学の工学系を第一志望にしました。
前もって両親や先生には通しておいた話だったので、最初は特に抵抗を受けずに自由に出来たのですが、いよいよ願書提出期限が迫ると、しきりに両親は医者や医学部への進路変更を迫るようになりました。
どうしても煩いため一度は呑む寸前まで行きましたが、やはり夢を捨てきれず、別日程で受験できる医学部へ出願する、というかたちで落ち着きました。
もともと「浪人は死罪だ!」くらいの圧力をかけられていましたが、まったく違う医者への進路変更を持ちかけられたことで少しずつ両親への信頼はこのときから薄らいでいた気がします。
第一志望の受験が終わり、フタを開けてみると不合格でした。正直まったく予想していなかった為、本当に精神が崩壊しました。しかし別日程の医学部は合格していたため、現役で医学部に行くか浪人するかの選択に迫られることになりました。
はじめ、両親は私の意思を尊重すると言ってくれたため、ギリギリまで考え抜き浪人を選びたい、そしてもう一度第一志望を目指したいと伝えました。
しかし、それを聞くやいなや両親の態度は硬化し、怒鳴る寸前のような口調で医学部を強く推してきました。
相当凹んでいたこともあり、現役で医学部に泣く泣く進学することになりました。
ですが、両親は私の意見を尊重してくれたのか、合わないと感じたら即決で辞めていいと言われ、両親に感謝したと同時に安心したのを覚えています。
一年の春が過ぎると、やはり違和感というか、異常な場違い感で心が一杯になり、6年間も在学して卒業できるか不安になってきました。
医学部は狭く特殊な社会ですし、ましてや単科大なので本当に絵に描いたような所謂「ムラ社会」です。医学部ですから当然、医学に一生を捧げる思いで入学した人たちばかりで、本来の自分の夢や存在意義が見いだせなくなってしまいました。
そのような状態なので、入学して早めの段階から、今まで何十回も頭を下げて再受験することを許してもらおうとしましたが、
「社会を何もわかっていない」だとか、
など色々説得され、一年、また一年と大学に残り続けてしまいました。
結果、もう三年目の冬となってしまい、後にも引けない状況になり全うに卒業し医師になる他、進路は絶たれてしまったように思えます。
しかし、現状、医学の勉強が進めば進むにつれ違和感は消えるどころか大きくなりますし、医師になりたくないと心の底で思ってしまう自分に嫌気が差して本当に辛いです。
別に再受験を許してもらえなかった親に文句があるわけではありません。まず進学の段階で自分の意思をはっきり通せなかった過去の自分や、ずるずると今の大学に居残ってしまった今までの自分に後悔というか、悔しいというか、兎に角自分自身が許せないのです。
高校の同級生は浪人をした者も含め大半が大学に進学しました。目をキラキラとさせながら夢を語り、大学生活を楽しんでいる彼らを見ると心が痛くなります。
私は所詮甘ちゃんです。自分を責めても何も生まれませんが、ふとした拍子に色々な感情が頭をめぐり、消えて無くなってしまいたい願望に何度も襲われます。
どうにもこうにもよくわかりません、悲しいです。
google検索で「東大 湘南」と入力して検索結果に気になるもの(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n335731)があったので、はてなに私の考えを残そうと思います。
ー>同意。
「トップ校」として湘南高校に入学を検討している保護者及び受験生は、偏差値だけでなく、最大の行事の体育祭を見に行きましたか?
もしNOならば、見に行ってください。考えてもらいたいのは、
・一年掛けて自分の子供が、自身が高2の夏から高3の夏まで期間この体育祭の準備に専心するということ。本当に自分事として見ていますか?
・あなたの考えている高校生活とこの事実は擦り合っていますか?
湘南高校の場合、体育祭の規模は日本一の体育祭と吹聴するほど大きいです。
このため、この体育祭の準備に時間的コストが"日本一"割かれるという形で湘南生に降りかかります。
是非、体育祭を見に行ってその事実にリアリティを感じ取ってください。良くも悪くもそのリスクとリターンの程度を受容してから志願しましょう。
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よくみると数があっていないと思います。
早稲田6個慶應6個うけて、全部合格とかあってそれが足されているのです。
オタクとかインキャラとか呼ばれる、スクールカーストの下の人だけです。
明るく元気でクラスの人気者タイプの生徒はかなり高い確率で三流大学になります。
ー>だいたいこんな感じ。
体育祭の準備を組織的に行うために役割分担します。確かパート決めとかいう。
こうして、クラス内ではスクールカーストに相当する上下関係が明確な名称で与えられることになります。
また、パートの選択によって体育祭の準備に捧げる時間が変わるという特徴があります。
例えば、東大に行くような生徒さんは競技パートという時間的コストがかからないパート(役職)についていることが通例となっています。
クラス内でもそうした通例は3年間の高校生活の間晒され続けているので、あのパートは陰キャラ、あのパートは脳筋、あのパートは...のように、本人の個性に先立って、パート自体の先入観が与えられています。こんな学校です。
「亜細亜大学いくよ」などと二年生が話すのをみていて
「ここ県内トップの進学校じゃないの?」と不思議に思いました。
ー>初耳。私はこうした体験はしませんでした。
湘南高校で生活してわかりました。ここはどんどんバカになる高校なのです。
なぜかというと、進学校であるにもかかわらず「勉強より部活動と行事」という
ー>4年制高校と自虐する語録が残ってるので上の考えは多数派と私も思います。
先生方のモットーが「俺たちは人間教育をやっている。だから勉強したければ
ー>そんなことなかったです。教員によって方針が異なります。熱心に取り組んでいると思います。出来る範囲で。
ただ、上記のようなフツウでない特徴がある高校であり、入学者の意識とのギャップがあまりに大きくなっています。
こうした不満をフツウな水準に押し下げることはできていないと感じています。
なんで勉強より部活動と行事か、というとこれはそういう学校だから、
としかいいようがありません。
おそらく戦前広島の海軍学校に湘南中学からかなりの生徒が進学したため、
ー>文武両道が教育目標だったと思います。負担の多すぎる行事を正当化する理由として機能してますね、確かに。
生徒全員が部活動強制のような形なのですが、体育会系と音楽系は
ー>これは人によります。湘南高校に限ったことではないと思います。
忙しいところは忙しいし、緩いところは緩い。忙しいところでも、休めばいいし、緩いところでも自主練すればいいでしょう。
部活動に関しては自由に活動できるので、引いていえば自己裁量、自己責任かと。
これはなぜかというと、湘南高校は留年がいじめで登校拒否とかに
ー>同意。
大学受験で必ず大東亜帝国には入れます。湘南高校の生徒はみんな
ということは、高校時代一回も教科書開いたことなくても全部0点でも
大東亜帝国はいけるのです。だから、先生方も、成績の悪い生徒になにもいわず、
そのまま進級させます。
ー>ほぼ同意。必ず入れるとか...
とれないというのは、かっこ悪いですから、レギュラーをとることに
ー>こういう人って中学校の頃にどういう姿勢で部活に取り組んでたんでしょうかね?
高校二年生の夏休み明けには、理数系の授業はクラスの半分がついていけなく
なっています。
ー>ついていけてないというのは思い込み。ただ、3年の文理分けの比率は1:1でクラスの半分近くは理数系の授業を必要としていない。
だから、二年の夏休み明けに生徒は文系理系の選択をしているから文系と決めた人は理数系の授業に”ついていかなくなる”のかもしれません。
このことから、湘南高校は生徒の文理選択の意識と受験科目の決定の胸算用がいかほどかを調べてみてもらいたいですね。
ガリ勉タイプや容姿に恵まれない女は後ろで絵を描いたり、小道具を作ったりです。
結局組織だから、体育祭でクラス内で上下関係ができちゃうんです。
ー>上述の通り
あとの35人は人気者の手下となって一年生二年生三年生の夏休みを
ー>同意。合わない人にとってはとことん合わない。ムラ社会っぽい要素が他校より強いと思う。
体育祭に参加しないとかなり高い確率で集団シカトされるので、参加しないわけには
いかないのです。教室のグループで昼休みは一人で弁当で、休み時間は誰も
口利いてくれません。
つまり、湘南ではない進学校にいけば現役で一橋大学商学部にいけた生徒が
ー>他の進学校行ってもそういう人は同じ結果になるよね
以下は略。湘南高校に限ったことではない。
とはいえ、
体育祭に関わりの薄い生徒ほど進学実績に貢献している一方で、彼らはスクールカースト劣位を与えられる。
私は、こうした相関を他校以上に生徒が理解して行動しないと、他校以上に不満が大きくなるだろうから、より状況を説明しておいたほうが良いと思う。
そのため、生徒会なり、実行委員会なり、なんでもいいから、冊子を配布するとかで理解を深めてもらうような啓蒙活動をすることを期待している。
すこしでも前に進めようと常に努力する姿勢は個別問題にかぎらず、学校へ好循環を与えるんじゃないかな。
悲しみを断ち切れ!湘南生!
この国で、原因はいろいろあると思うんだけど、ぱっと思いつく大きな所は3つ。
(1)少子高齢化が進む中、頭数では絶対に高齢者に勝てない若年層。
全世代の投票率が100%になっても、高齢者に選挙で負けてしまう。
だから、「未来の事を決める・決めたいのに、(その頃には死んでいる)高齢者の意見しか通らない政治」になってしまう。
これは構造的な問題だから、誰が知恵を絞っても、なかなか解決しないだろう。
高齢者にも不満と欲があり、生きている以上は、「よい暮らし」をしたいものだ。
(2)これは(1)の結果でもある。限られた社会資源を高齢者に回せば、出産と育児に費やせる資源は減る。
にしても、パリやロンドンみたいに、出生率が2.0違い大都市もあるわけで、ここは政治家がいかに本気になれるかにかかっていると思う。
(3)かつては、お見合いとか、近所の世話焼きな年寄りが「いい話」を持ってきたりなどして、若い男女をくっつけてしまう社会制度が生きていたが、今は、男女が出会って、お互いに好きになって、という高いハードルを経なければ結婚に至らない。
結婚したら必ず子供が出来るわけでもないが、まず結婚がなかなか出来ない。
恋愛というのは一種の才能で、できる人は何もしなくてもできるけれども、できない人は相当努力してもなかなかできない。
これは、走るのが速いとか、目の色が青いみたいなもので、修練によってある程度まではいけるけれども、生来持って生まれた才能の差はいかんともし難い。
そんな個人的才能に、次世代を産み育てるという、社会の成立基盤を委ねてしまったのが今の日本なのだ。
お見合いやムラ社会が崩れ、核家族化が進んだ昭和中期に、出産・育児にまつわる社会計画を怠ったのだとも言える。
加えて昭和後期には、TVなどのマスコミが恋愛至上主義を席巻させた。
「建前と本音を学ぶところ」だという意見を聞いたことはある(勉強はタテマエ。理不尽さや集団や上下関係の機微の学習がホンネ。勉強できすぎて(そのふるまいにより周りを不快にさせて)いじめられる奴は、そういうことを見抜けない能力の低い人物だと。成績は、指導側にとり都合の悪い奴の粛清理由として利用される道具、およびハクをつけるストーリー(極論すればだけど))。
が、そうであれば、日本の学校で英語が(他の教科もね)できるようになろうとなるまいと、ホンネではどうでもいいことなのよ。
そうだとして、問題はそうした学校ムラ社会が、現在の実社会とかい離していることかな。時代の進化とリンクしていないところは、官公庁の諸問題と同じ根がある。たとえば、生徒にはタブレットだの配布しているくせに、教員の資料は紙だらけ。まず教員連中のIT教育をしろってことですよ。あと、部活だののサビ残奉仕とかね、ブラック企業かよと。嫌々残業している姿を見せられて、生徒はうれしくないと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140526231242
http://d.hatena.ne.jp/otsune/20050923
id:kiya2014が堕ちた今、注目先はid:ekkenブックマークにするしかないな
そしてid:ekkenも堕ちた。
http://anond.hatelabo.jp/20130530202219
そしてkiya2014はkiya2015として転生したとすれば、その所業の限りを尽くす様を見てかつての彼を知るものは、涙を禁じ得ないだろう。
kiya2014といえば、かつてはしろくま先生もネットストーキングを告白するほどに一部界隈ではトレンディな青年だったのである。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060726/p1
私はid:kiya2014さんという好青年の言動に以前から興味を抱いており、ネットストーキングを続けている。ところが最近、彼の様子がちょっとおかしい。良い意味でおかしい。
あのzaikabouもkiya2014に心酔していたのだ。
http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20050823/1124786364
blogや2chで名前を出せば高い確率で反応してくれる有名人といえば、小谷野敦か大石英司かkiya2014*1かという今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。なおこれは印象論なので、実証しろと言われても困りますが‥
なお、kiya2014と我らがムラオサであるkanoseは以前から、面識があることは、村に長くいるものからすれば常識である。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20051104
以上のことから、kiya2015とkiya2014のつながりを証明すること、詮索することは、村のタブーに触れることと同義である。
http://anond.hatelabo.jp/20140527121719よ、コレ以上踏み込んではならぬのだ。
なお、kiya2015のスターを迷惑ぶる奴は「kanoseリスト」に名前が載っていること、ゆめゆめ忘れてはならぬ。
これは村の根幹に関わることであり、理由の一切を訊ねてはならぬ。
またわれわれのもとから同志が去っていった。
そして新たな仲間がやって来るだろう。
山の向こうにかさを増しつつある積雲とともに。
だがかれも間もなく去るだろう。
もうすぐ冬がくる。
悲しい記憶をえぐるあのつめたい風が。
まずわれわれの同志は認識すべきだったのだ。
冒険者ガイドブックには書かれていないが、ここがおしゃれな女子の見栄が光を放つ都会でも、スポーツ万能イケメンの性欲のたぎるにぎやかな浜辺でも、ネット動画で盛りあがれるような若者でひしめいたゲームセンターでもないということを。
はてなとはムラ的である。そしてムラとははてな的である。同時に、はてなは非都会的であり、都会とは非はてな的なのだ。
ムラにおいてムラビトの関心事はつねに共有されているし、共有されるべきなのだが、それはムラが外部から侵入してくる敵に対抗するためには仕方のないことなのだ。
ムラの一体感こそが強大で理不尽ともいえる文明社会の力に立ち向かうための、ある種魔術的ともいえる結束力の源となっているのだから。
この小さな社会は閉鎖的で狂信的で、SNMN(神聖四文字(テトラグラマトン)。われわれはそれを便宜上「シナモン」と呼ぶ)を神と崇める中世的カルトによって支配されている。
驚くのも無理はない。この先進国日本においてまさかオカルティズムによって支えられるムラがいまだに存在していたなどと、誰も想像すらできなかっただろう。
だが、これはまぎれもない現実なのである。はてなというムラはここにある。そして同志よ、きみはこのムラに足を踏みいれてしまったのだ。
第一に、ムラビトは新参者の排除が好きだ。もしも新参がおしゃれなフェラーリに乗ってやってきたら、つるはしを持ったムラビトによって、その紅き果実は一夜のうちに無惨な血だまりと化すであろう。「ふぇらだかへらだかなんだかしらねえが、おらのムラで調子に乗ってんじゃねえ!」耄碌した老人のたわごとにきみは付きあうべきか。
第二に、ムラビトは新参を待ち望んでいる。ムラビトは新参が現われなければムラビト同士で殺し合ってしまうのである。ムラの平和は新参の流入によって生じるあの排除への一体感によってかろうじて保たれている。愚劣な新参の流入を嘆きつつ、同時に過疎化を心配する声もあるというわけだ。きみはムラビトに言うべきだろう。「お前らの命はオレが握っているッ! どちらが上か勘違いしてくれるなッ!」と。
第三に、ムラビトは誤読が好きだ。ムラビトには都会の常識、論理、科学が通用しない。このムラは迷信や魔術によって支配されているのだ。その解釈はつねに飛躍し、高レベルのムラビト=ラビならば、否定は肯定となり、間接話法は犯罪告白となり、人間は六本足になるだろう。「え? おれが誤読したって? 誤読するような書き方をするお前が悪いだろうが!」ムラビトとコミュニケーションすることはそもそも不可能なのだ。きみのせいではない。
第四に、ムラビトはお役立ち情報が好きだ。たとえばおすすめ小説を並べたアフィブログはかならずムラビトを吸い寄せるが、彼らはお役立ち情報が好きなだけで、そのお役立ち情報を活かそうとは思っていない。お役立ち情報に触れた見つけたというお得感だけでお腹いっぱいなのである。むかし「あとで読む」という貼り紙が村のそこら中の電信柱に貼られていたころがあったが、もちろんあとで読んだムラビトなどいないのである。ムラビトとはその程度のアホである。きみはアホの戯言を気にするのか。
第五に、ムラビトは高学歴ぶるのが好きだ。ムラに大学院などないのになぜかムラビトは全員が識者面をしている。わけもわからずに社会情勢を嘆いてみせるが、じつはムラには日本社会との接点はほとんど残っていないのであまり意味がないのだ。だがそのことにムラビトはまだ気づいていない。それは幸福だろうか不幸だろうか。ムラビトの空想癖にせいぜいきみは苦笑するだけで済むだろう。
われわれはふたつの提案をする。
第一に、何が起ころうと、それを風に揺れる稲穂のざわめきや蝉の鳴き声あるいは馬のいななきのようなものだと思ってしまうということである。ムラにはムラのやり方がある。それはムラにとっては極めて自然なことなのだ。ムラにおいて排除とは自然現象であり消化作用である。きみは批判されているのではない、大自然に包まれているだけなのだ。われわれ都会人は疲れた精神のうちに自然の癒しを欲しているが、ムラビトをそのようなものだと思ってみてはどうだろうか。
第二に、コメント欄を閉じ、ブックマークコメントを非表示にするという技術的な解決策がある。われわれはこの方法をすすめている。レベルの低い冒険者はまずムラのなかに要塞を作って引きこもり防御をかためるべきなのだ。初心者にありがちなことだが、初期装備のままムラの深部を、ムラビトのこころの闇を探ろうとしてはいけない。危険だ。命の保証はない。そうやってわれわれの同志は倒れていったのだ。扉を開けなければ嵐はやがて去っていく。大荒れの海を見に海岸へ行ってはいけないのだ。
ムラビトの世迷いごとをまともに受けとってはいけない。かれらは異世界とテレパシーで会話しているのだ。われわれ文明社会に生きる人間とはその語も文法もアクセントも思考様式も異なっている。かれらは秘境に生きる最後の魔術師たちなのである。
入社時に転勤のあるなしが判るようになってるなら、「大企業に入って転勤がないと思うのは会社舐めてる」とかいう根性論は通らない。入社時もしくは転属時に転勤があると言われたならある、ないと言われたならない。これが社会的通念。
ないと言われたのに強制されたら契約違反で社に落ち度あり。つまりブラック。まぁお前がブラック企業だぁい好きってんなら別に文句ないが。
あと「村社会の規則を勝手に大企業に当てはめて」とか言って、いつこの話が大企業のもんだって書いてあったよw もう短い文章にツッコミ所が多すぎて困るわw
そうやって勝手に思い込んだあげく外資だとかアメリカだとか大企業だとかそんなんばっか例に出してドヤ顔で論破した気になって、まぁコンプレックス丸出し。みっともない。
そうそう、「住む場所を強制的に移動させられるのは非人道的では?」にもちゃんと回答してなw もちろん共感を使わず感情論を廃し、あらゆる種類の宗教・国籍・性別・社会理念・経済状況・家族構成・社会的地位の人に納得できるようにだよw
とあることにハマりまして、情報収集と抑えきれない気持ちを発散するツイートをするために専用のアカウントを作りました。
思いが熱すぎたせいか、共感していただくことが多く、同じ趣味の一般の方と相互フォローするようになり、仲間が出来ました。
オフ会に行ったり、その趣味のことで集まったり、それはもう楽しい日々です。
リアルで多くの方と繋がるようになってからも、交流の中心はツイッターです。
しかし、その仲間の中心的な一人にツイッターでブロックされてしまいました。
その方は二つアカウントを運用していて、ブロックされたのは鍵のアカウントだったため(こちらは鍵無し)、まあ仕方ないかなと思っていたら、
仲間の中でもはじめてリアルで会った方だったのでこちらの思い入れも深く、とてもショックを受けました。
複数リプやらエアリプやら、仲間内でその方をまじえて多くのツイが飛び交うのを見かける度に複雑な気持ちになります。
自分のいないTLや、あるいはオフ会で文句言われてるんじゃないか。。。
疑心暗鬼になり、純粋に楽しんでいたツイッターにログインするのも気が引けるようになりました。
自分は東京で生まれ育ったので、土着している住人が集まるような環境のことを全く知りません。
もし、仲違いなどが起こり、それがイヤなら引っ越すなり、他のコミュニティに入るなりすればいいし、
現実そのようにされている方も多いでしょう。
しかし、それをする気が起きません。
なぜなら、面倒臭いんです。またイチから仲間を作って、オフ会行って挨拶して。。。
今回、こんなにスムーズに仲間が出来たのも、きっと「仲間作り」を目的としてなかったからだと思うのです。
ただ自分の思いをぶつぶつツイートしてたら共感してもらって、それが繋がっていった。。。
とても幸せなことです。
リアルで会ってしまったが故か、そんな純粋に幸せな時間を取り戻すのはなかなか難しそうです。
地方でくすぶってしまう人の記事をここや他のサイトで見かけることがよくありますが、
それを見るたびに思ってたのが「そんなら東京引っ越せばいいのに。やらない言い訳探してるだけでしょ」
今回、こんなことがあって、自分もそんな立場におかれたような感じになり、
あー、これが動かない(動けない)理由かあ、と思いました。
これからはきっと、その方とオフ会などで同席しても、さもリムブロされたことに気づいてないような感じで、
一言挨拶を交わしてなるべく遠い席に座ったりとか、そんな居心地の悪い行動をずーっと我慢してやっていくような気がします。
それをまた仲間に愚痴って「そんなの気にするなよ」「イヤなら止めればいいじゃん」と慰められて、
さらにまた自分のいないところで「あんなことあの場で言うのは空気が悪くなるから良くない」
と責められてまた評判を落として、みたいなループになるのでしょうね。
まあ自分は、その仲間を失いたくないってのが一番強い思いなので愚痴ることはないでしょう。きっと。
自分の胸のうちにしまっておけば、きっと何事も無く(少なくとも自分の中では)過ごせるでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20131102094842
を読んで思ったこと。
この上から目線問題って、本文でも指摘されているように自分の価値観を相対化できるか、という問題を孕んでるんだよね。
で、世の中にはまぁこの価値観を相対的と見なす人と、絶対的と見なす人がいる。
もちろんこれは絶対的に二分化して存在するのではなく、連続性を持って存在しているのだけど。
相対価値観のメリットには、多様な価値観を認められる、つまり、人種の多様性を認められる、ということ。
デメリットには、多様な価値観を認めるが故に、相手がどのような価値観を持っているのか毎回確認する必要があること。
絶対価値観のメリットには、絶対的であるので相手も同じような価値観を共有していると考えられるため、事前の確認なしでその価値観に乗っかった議論が出来ること。
みんなが価値観を共有しているため、価値観に付随する問題を当人の問題から価値観へ押し付けることが出来ること。
デメリットは絶対的である故に排他的になり、異なる価値観を認めない方向にいくこと。
どっちもどっちではあるけれども、全く同じ価値観を共有するには同じような環境で成長することが必要であるように思う。
同じ環境だったからこそ同じような教訓をそれぞれが得るので、同じ価値観にたどり着きやすいということ。
逆に言うと、これが日本におけるムラ社会の必然とも言えそうだ。
では今後の生活においてこれは通用するのか?というと、グローバル社会とかなんとかを考えると無理だろう。
大人数の人々が全く同じような環境で成長するとは考えにくいし、それ故に同じ価値観を共有することは難しい。
(それでも一部の先進国は民主主義を絶対的な価値観として広めようとしているが、割と滑稽である。)
従って、多様な価値観を認めることはどう抗っても必要なことになっていくように思われる。
つまり、異なる価値観に触れて自分の価値観を相対化し、また異なる価値観の中から「自分が」どんな価値観を選び取るのかが重要になってくる。
自分で選び取る以上、責任も当人に付随するので、「そんな責任負いたくない」という人は負いたくないのに責任を負わざるを得なくなる。
故に、そのような人は責任を己のものから解放してくれる、絶対的な価値観を求めたくなる。
まぁそんなところな気がするので、あなたは自分の人生にどれくらい責任を負えますかっていう問題をスルーするわけにはいかない気がします。
告白失敗しても死なないし、
お風呂入ってる時にふと思い出してギャーッって足をバタバタしちゃうくらい恥ずかしくなったりするけど
ちっちゃいムラ社会とかでの話じゃないんだったら
ガンガン当って砕ければいいよ!
私は居酒屋で一人酒してる時に、当時すっごく好きだった人にラリってメールで告白して
あっさり撃沈して、すごく悲しくてお一人様のカウンター席で泣きそうになっちゃったことあった。
だってその人とは何回も食事行ったし、あっちからも誘われてこっちからも誘ってさ、
手もつないでさ、いい雰囲気だったからいけるっしょー!って思ったのにさ…あっさり撃沈だよ。
便器のなかにさっき食べたモロキュウのはしきれが浮かんでるの見たら
涙が一粒ポローって出てきて、そんで「キュウリwwwww悲しいのに便器にキュウリ浮いてるwww」とか
3ヶ月くらい「もう誰も好きになったりしない…」とか思い出して凹んだりしたけど
ガンガン飲んでたハイボール(薄い琥珀色)の中に、噛み砕かれたキュウリの緑が
すっごく綺麗だったの。便器だったけど。
元増田はさ、真面目なのかなーって思ったよ。
でもさ、告白できないでいつまでも白馬の王子様待ってたってさ、
漫画とかアニメじゃないんだからそんなしょっちゅうないんだよね。
それどころか、私みたいに便器のキュウリの話で飲み会のネタがひとつ増えたーとか
そんくらいふざけた感じにポジティブにいこーぜ。
あと「もう私一生一人でいいわーい!居酒屋も焼き肉も一人で行っちゃうもーん」くらいの気持ちになって
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
こういうフラグメント化された世界は幾つもある。ムラ社会とも呼ばれるわな。インターネットによってフラグメント化された世界が衝突し合うのは幸せなのか不幸なのか。
さて、僕が属するフラグメントは、はてな村の中の一部だ。オタクが多く、学歴も比較的高い(まぁ中卒~院卒まで色々いるが、平均的には大卒以上が多い)。メディアリテラシーが高く、DQNフラグメントの起こす炎上騒ぎをウォッチする人間も多い。一つ問題点を挙げるならば、彼らに対して繁殖力が異常なまでに弱い。子孫を残せるのは、せいぜい3割くらいだろう。DQNの繁殖力の高さは僕が言うまでも無いだろう。繁殖力の高いDQNフラグメントと、先細りするオタクフラグメントではもちろん勝負にならない。じり貧だ。
ここまでは僕の狭い観測範囲による感想なのだが、実際の所、オタクの繁殖力はいかほどなのか?DQNフラグメントに滅ぼされるような貧弱な種族なのだろうか?あるいはメディアリテラシーが高い人たちの繁殖はいかほどなのか?
僕としては、僕の属するフラグメントがなんとか民度が高くてかつ繁殖力の高いフラグメントと、共存、融合、あるいはコバンザメのようにくっついて、民度の高い日本を維持する側で居られればと思うがどうなるのだろうか