2017-08-30

24時間テレビ嫌悪される理由

「皆頑張っている」という同調圧力が働くと、従わざるを得ない。

流行もそうだ。皆が流行りに乗っているから、始めなければならない。日本人はそういう自分だけ違う精神性を保つ事を嫌う。要するに、皆程々に適当に好きな事だけ頑張るのが良いよねという空気を常に背負っているのだ。

このムラ社会では、社会性ばかり重視され独立独歩が許されない構造になっている。

そういう意味では24時間テレビのような、所謂「辛い人が頑張っている」様子を放送する番組は、叩かれる要素をふんだんに含んでいる。その光景肯定してしまえば、社会で甘えている宙ぶらりんな状態自分を許して貰えなくなる。しかも、得てして努力とは日進月歩で必ず結実するとは限らない。ネット蔓延生存する民達は、その事実をよく理解している。努力し過ぎてしまったが為に、カーストの最底辺に追いやられる可能性すらある事。努力程度では、カーストはひっくり返せない事。

大体、24時間テレビ特集されるような「成果」など、自己満足に過ぎない。人間社会で生きる者が独断的に「こういう努力は善」と決め付けている。それは、マスメディア公共性からは程遠く、私が情報源に求めている物とも乖離している。容姿、才能、あらゆる面で「諦める」事を突き詰めてきた人間が何人もいる。そういう人達にとって、誰かの努力押し付けられる事は苦痛以外の何物でもないだろう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん