「回復」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 回復とは

2024-06-22

anond:20240622130408

自身能力で測ってもらえるならまだいいけど、良いポストは俺が25歳になったときに達成していたような業績さえない無能で古い契約が強いオッサンどもが占めていて

かと思えば女性限定がどうだのこうだので土俵にさえ上がれない

ちょっと愚痴ったら50台オジサンバサンが上から目線説教かましてくる

そんななか必死で働いてもそのオジサンバサンのさらに親世代社会保障費の補填に消えていく 俺らが年金なんてもらえるはずもないのに

地獄だよ

一回戦争でもやって上の世代を一掃する以外に、社会回復させる手段なんてないんじゃないか

ドラクエの一晩寝たらHP麻痺や毒も全回復する宿屋

どういう原理

おじさんもそこに泊まりたいよ…昼まで寝てるのに疲れ取れないよ…

2024-06-21

コロナ前は年に2回くらい風邪ひいちゃう子だったけどコロナでようやく気が尽かされたのはマスク効果

あれから一度も風邪ひいてない

今は基本的マスクしてないけど人混みのあるところではマスクしててこれだけのことなのに本当に効果あるのはびっくり

年取ると風邪から回復するのに1週間くらいかかってたかガチで助かる

人が多いところではマスク

れいいよほんと

2024-06-19

弱者男性三人組

第1章:奇妙な三人の出会い

あるところに三人のモテない独身男性がいました。田中一郎山田二郎鈴木三郎。彼らは高校時代からの友人で、それぞれ違った背景を持っていますが、女性との交際歴がない点で共通していました。

一郎は内閣総理大臣長男であり、エリート官僚として働いていますが、女性との交際歴はゼロ二郎東大卒天才プログラマーで、年収は高いものの社交的ではなく恋愛経験は皆無。三郎は成功した投資家で億万長者ですが、女性とは縁遠い生活を送っていました。

第2章:元気な退魔師との出会い

ある日、三人がいつものようにカフェで集まっていると、元気な小学生女の子、舞響(まいきょう)美月が駆け寄ってきました。彼女は退魔師の家系に生まれ、舞響大天という神様信仰していると話しました。美月は町で起こっている奇妙な現象に困っており、三人に助けを求めたのです。

「おじさんたち、助けて!最近、町で変なことがいっぱい起こってるの。おじいちゃんもお父さんも忙しくて、私だけじゃどうにもできないの」と美月真剣眼差しで言いました。

三人は驚きながらも、美月の熱意に押されて、彼女の頼みを聞くことにしました。こうして、三人と美月の奇妙な冒険が始まったのです。

第3章:調査発見

美月の案内で、三人は町のあちこち調査しました。奇妙な現象の一つは、古い廃墟での怪しい光や音でした。美月祖父から聞いた話によれば、そこには悪霊が封じられている可能性が高いとのことでした。

廃墟に到着した三人と美月は、不気味な雰囲気に圧倒されながらも中に入る決意をしました。中に入ると、そこには古びた祭壇と奇妙な模様が刻まれた床がありました。美月は持ってきた退魔道具を取り出し、準備を始めました。

第4章:退魔の儀式

美月の指示に従い、三人は祭壇の周りに配置されました。美月が舞響大天に祈りを捧げ、呪文を唱え始めると、祭壇が輝き始め、部屋全体が震えました。三人は恐怖に怯えながらも、美月を信じて立ち続けました。

突然、祭壇の上に黒い影が現れ、悪霊が姿を現しました。美月は退魔の剣を振りかざし、悪霊に立ち向かいました。一郎、二郎、三郎は美月を守るため、力を合わせて悪霊に立ち向かいました。

第5章:決着と悲劇

激しい戦いの末、美月は退魔の剣を悪霊に突き立て、封印を施しました。悪霊悲鳴を上げながら消え去り、廃墟は静けさを取り戻しました。三人は疲れ果てましたが、美月笑顔で言いました。「ありがとう、おじさんたち。これで町は安全だよ!」

しかし、その後、町では別の不幸が訪れました。美月悪霊との戦いで力を使い果たしたため、彼女の体には大きな負担がかかっていました。彼女は徐々に体調を崩し、入院することになりました。医師の診断によれば、美月回復は難しいというものでした。

第6章:三人の未来

三人の弱者男性は、美月を救うことができたものの、彼女健康犠牲にしてしまたことに心を痛めました。彼らは美月の見舞いに通い続けましたが、彼女の体調は改善せず、次第に意識も失われていきました。

ある日、美月の病室で、彼女家族が集まりました。三人はその場に立ち尽くし、何もできない自分たちに無力さを感じました。美月父親は三人に感謝言葉を述べましたが、その瞳には深い悲しみが宿っていました。

第7章:永遠の別れ

美月が息を引き取ったその日、三人は静かに病室を後にしました。彼らはそれぞれの生活に戻りましたが、心の中には美月との思い出が深く刻まれていました。

三人は友情を深めながらも、再び同じようなことが起こらないようにと誓いました。彼らは定期的に美月の墓を訪れ、彼女冥福祈りました。美月との永遠の別れを受け入れながらも、彼女勇気と優しさを忘れないように心に刻んでいました。

しかし、美月の両親は三人に対して深い恨みを抱いていました。彼らは三人が美月を無理に危険な状況に巻き込んだと信じ、娘の死の責任を追及しました。三人は町の人々からも冷たい視線を受け、孤立していきました。

死ぬ気でやってみろ、死なねぇから

いつもそうだった。

自分が本当に本気なのかがわからなかった。

から全力で走った。

目的もなく、ひたすら走った。

体中が痛くて、何度も転んだけど、まだ本気じゃないと思って走った。

何度目かに転んだとき、起き上がれないぐらい激痛が走った。

でもまだ意識があったので頑張って這って進んだ。

そのうちあたりが暗くなってきたけどまだ意識はあった。

でもお腹が減ったので家に帰ろうと思った。

今日もまた本気になれなかった」そう思うと涙が出てきた。

ももう足は動かないし、体は痛くて立ち上がれないか自力で帰れなくなってた。

母親に泣きながら連絡をして迎えに来てもらった。

翌日になってもあまりにも体が痛いもんだから病院に連れて行って貰った。

全身の肉離れぎっくり腰だった。

これが1週間前の話。

ようやくキーボードが打てるぐらいまで回復した。

本気ってなんなんだろう。

anond:20240619120444

休職手当がっぽり2年もらってから辞めるのが最高。その2年間のうちに回復すれば戻ればよし。

anond:20240619113535

周りの目線から弱者男性からキョロ充ランクアップしたってことじゃねえの

それなりに落ち着いて卑屈さが抜ければ並みの扱いになるんでは

他人にまともな扱いされるようになって自己肯定感回復すれば埋没取れても二重くらいで大して顔変わんねーなって感じるかもね

2024-06-18

anond:20240617172251

子供がいて性欲強くない女性あるあるなのだけれど

子供が小さいとき特に家事育児仕事までしてると毎日疲れてて性欲0になってしま女性は多い。子供が2人以上だったりやんちゃな子だと更に。

日本経済新聞にあるけれど共働きで6歳未満の子供がいる家事関連時間は、一日あたり夫1時間57分、妻6時間32分なので(2021年総務省社会生活基本調査より)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2092H0Q3A720C2000000/

たとえば夫が夜遅くまで仕事という理由がないのに偏りがある場合は、その不満感と疲れからセックスレスになっている妻はいるだろうし

不満が少なくても体力がなければ疲れて無理となっている女性もいそう。(セックスより精神回復や体力回復がしたくなる)

これが原因のセックスレスでは家事育児旦那ガッツリ手伝うと女性の性欲にまわす体力も多少復活するはずなので、もし試してなかったら試してみた方がいいかも。

増田のところは復活してきたといえまだレスではあるみたいなので、もっと回数が増えるといいね

プロジェクトX、出演NGなのでは。あるいは富士通半導体の敗北の歴史

富士通忖度してるとか言ってるけど、あれ、普通に取材NGだったんじゃないかな。

当時の経緯を知ってると「私の名前は出さないでください」ってなったとしても不思議じゃないと思う。そうなれば当然NHK富士通も触れないし、本人が拒否したんですなんて発表するわけもないし(例え親族が声を上げたとしても)

コンピュータって、富士通半導体最後打ち上げ花火だったんだよ。

当時の話

京の開発が進み、実際に生産されるころは、経営方針として富士通半導体撤退をするかどうかで揉めていたころだった。

コンピュータは、富士通自社工場で作った最後スパコンであると同時に、国のトップ開発のHPCにおいて、富士通が単体で作り上げた初めてのHPCでもあった。

これは、富士通が優れている、というよりも、逃げ遅れたと表現してもよいかもしれない。HPCプロジェクトからは、NEC東芝が次々と撤退していたのだ。

当時半導体の重い投資に堪えられなくなった電機各社とその銀行団は、自社から半導体部門、少なくとも工場を切り離したがっていた。まさに、それどころではなかったのだ。

しか富士通はまだ撤退決断せず、他社とは一線と画した対応をしていた。

ようにみえた。

富士通撤退戦を開始

コンピュータCPUは、45nmのプロセスで作ると言うことで言っていたためか、富士通はなんとか自社で開発した。けれど、京に乗せたプロセッサ最後になった。次のプロセスは開発されていない。

https://news.mynavi.jp/techplus/article/architecture-467/

さらに、当時、45nmのプロセスは安定して無い状況で無理矢理作ったと言う話もあったはずだ。これは京コンピュータ以降はTSMC委託することが決まっていたため、既に投資が絞られていたためでもある。

(後にTSMC版の進んだプロセス製造されたSPARCを使ったミニコンピュータが何個か作られたのだが、ノード辺りの性能が30%以上アップしたと言う。これはプロセスが細分化された以上の性能向上であった)


富士通が、自社の半導体部門富士通セミコンとして切り離したのが2008年。京コンピュータ用のプロセッサ生産したのが2010年三重工場であった。

その三重工場2013年さらに別会社として切り離され、現在は完全に売却されて富士通に残ってない。

また、同じく半導体工場としては福島県の會津富士通があったんだが、その時の工場撤退エピソードは、今でも大企業黒字でも簡単工場撤退させる事例として有名になった。かなり悲惨事態だったと言える。

そうして重荷になっていたとされる工場を切り離しファブレスに近い業態にしたのは、富士通半導体を残すためだったと思われる。

しかし、そうした建前などなかったかのように2014年にはシステムLSI/SoCの開発部隊分社化を決定。それが現在のソシオネクストであるPanasonicLSI部隊と合弁した会社で、分離した当時、富士通設立当初40%の株式を保持していたが、現在は完全に売却してしまった。

現在富士通半導体部門はFeRAMや光回路用の超特殊ものを除いて完全売却で撤退している。


なお、その後、ルネサステクノロジ(※富士通は合弁に参加していない)が組込向け半導体でほぼ世界首位と同率2位まで上り詰め、国内半導体必要性が新たに叫ばれTSMC国内半導体工場建設。Rapidusという日米政府が関わる半導体企業ができる流れになっている。もし将来、RapidusがプロジェクトXになるときには、大手電機産業からリストラされた技術者達の奮起という文脈が語られそうな気がする。閑話休題

2012年。京が世界一を取ってその後、富士通半導体の敗北が確定した年

件の方がご退任をされたと言う2012年は、半導体さらなる切り離し、売却などの決断と、次期スパコン(つまり富岳)がSPARCを捨ててARMになるという決断が行われた年であったと考えられる。(発表は後になる)

半導体を専門にされてずっとやってきた方には堪えられないもだったのではないかと拝察する。仮に、思い出したくもないし、宣伝にも使われたくないと判断されても仕方がないことでは無いかと思う。(もちろん 出演NGされたと言うのはワイの妄想なので注意)


その後、富士通SPARCを使ったUNIXサーバーを作り続けてはいたが、大きくアーキテクチャ改善する開発は行われないまま(保守設計は続けられていたが)メインフレームとともに撤退が発表された。これはやむを得ないことだろう。

また、ARM化された富岳は、確かに能面や利用面、汎用性では高い成果を出したが、富士通ビジネス的にはさっぱりだったと思われる。


アーキテクチャARMに切り替えた理由は、ビジネス面でもあった。高性能タイプARMを作ることによって、旺盛なクラウドDC需要などに対して食い込んでARMサーバを大きく拡販していくことだったと思われる。

が。富岳に乗せたARMプロセッサを利用した波及製品はみられなかった。

なぜか。それはAWSMS AzureGoogleなど膨大な需要を持つ企業は、需要が巨大すぎてARMが搭載されたコンピュータを買うのではなく、自社でARMIPを購入し独自開発することを選んだためである

彼ら相手には商売にならなかった。それ以外のクラウドベンダーは無きに等しい。ARMなどアーキテクチャが影響しないのはPaaS以上の象徴度を持つサービスだが、寡占状態にある大手以外まともに提供出来ていないため、市場が無いのだ。


ただし、この時富士通ARMの競業によってARMは成果をあげた。アウトオブオーダー実行など、ARMは高性能コンピュータ必要技術富士通から取り込んで現在に至る。

それ故、富士通商売は上手くいかなかったが、世の中的には良かったとは言えるのではあるのだ。そのIP大手クラウド各社は自社向け半導体を作って商売をしているのだから

エピローグ または今後について

今、富岳の次のHPC予算要求の山場を迎えている。

https://newswitch.jp/p/41595

から今のタイミングプロジェクトXに乗ったのだと思うが、綺麗事では語れない話がたくさんありすぎる。


受注はまず間違い無く富士通だと言われている。と言うのは、開発の一部は既に行われているから。

https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2310/12/news074.html

そして、国内にもう国産HPCを作ることの出来る会社NEC富士通ぐらいになってしまったためである

富士通は新しいHPCは1位を目指さないかもしれないという考えから計算効率の方に大きく振った開発を進めおり、国内トップHPC採用されたという実績を背景に売り出そうというつもりではあると思われる。富岳の夢再び、だ。

しかし、富士通は今年1月ハードウエア会社を分離した

https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/special/1560540.html

この新会社、分離時には綺麗事を書いてあるが、

https://www.fsastech.com/about/

ご覧の通り、富士通ブランドを一切使っていないのだ。既存商品から富士通マークを取り払っている。さらに、会社概要株主欄がなく、富士通名前が出てこない。(他の関連会社はそういった記載がある)

半導体がどうなったかの流れを知っていると、暗い予感しかしない。

そして、HPCレイヤーの低い、ハードウエアに近い部分、さらメカニカル設計や冷却など物理的な部分のノウハウが多く必要とされる。それを富士通分社化して製造能力を失っていく中で、果たしてまともにHPCが作れるのだろうか?

さらに、確かに2010年代半ばのころはワークロード不足に陥ってコンピュータは安売りに陥っていたが、現在AIと言う巨大な需要が生み出され、価格回復ハードウエアが再び重要と考えられ始めている。ハードウエアと同時に提案できる能力が強みになりつつある。

しかし、既に富士通はそれらに対応するための強みを、はした金と決算数字をよくするためだけに売り払った後である案の定、粉飾紛いの異様に高い目標に対して、結果が出ないと言う発表を繰り返している。

富士通アクセンチュアを真似ていると言われる。以下の記事にはこうある

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00848/00049/

目指す先はアクセンチュア富士通が主力工場を総務に移管する理由

時田社長2019年9月に開いた初の記者会見で「開発製造拠点をどう整理するのか」という質問に「既に方向は定まっている。後は状況判断と時期の問題富士通サービスに集中する企業になる」と応じていた。

時田社長方針は「アクセンチュアにないもの富士通もいらない」とみてよい。

そこまでやったのに、ここ3年ほど株価は伸び悩みが続いている。アクセンチュアの真似をしますと言ったときは撥ねたがが、その後は同業他社業界全体の株価上昇率に及ばない状況が続く。
それはそうだ。アクセンチュアの真似をしていてはアクセンチュアには勝てない。まして工場売却を通じ、元々の強みを捨て弱みまでアクセンチュアの真似をしているのだ。富士通この先生きのこるにはどうすればいいのか?


これがプロジェクトXの真のエピローグではないかとワイは思いました。

2024-06-17

anond:20240617110618

スキルセットは懐紙に包んでお渡しするのがスマートです

攻撃スキルは懐紙の右が上になるように

回復・補助系スキルは左側が上になるように包みましょう

 

アメリカ大陸と馬とイネ

コロンブス」の件で、元々馬の居なかったアメリカ大陸ヨーロッパから馬が導入され

アメリカ先住民も馬に乗るようになった話を「再学習」してるところに

興味深い話がtwitterで流れてきて

https://x.com/_596_/status/1802208048163041289

馬の祖先の一本指の蹄への進化アメリカ大陸で起こっていて

アフリカにかつていた三本指の馬祖先は三本指のまま絶滅しており

ポニーからサラブレッドまで一本指の現生馬はアメリカ大陸由来なのに

馬が出アメリカしてから本家アメリカ大陸で消えてしまったの不思議だな

指の数自体本質的じゃなくて偶然の結果かもしれないけど

その時代に繊維質を豊富に含んで丈の伸びやすイネ植物が優勢になって

そういう固めの草をよく噛んで食べる都合上、歯がすり減りきってしまうのが生物寿命に直結するから

歯が長く厚くなっていく進化過程アメリカ大陸化石から観察できる

という記事をどこかで読んだがブクマしてない

イネ植物の優勢といえば、インドネシアで「焼かない焼き畑農業」をしてる原住民族フィールドワーク

農地開墾は木を切り倒しざっくり下草を刈ってそこにトウモロコシの種を散らして撒く

刈った草木肥料でもあり畑でいうマルチング資材として活用し、水は天水農法という省力化

何年かそのようにして耕作した後に、イネ科の雑草トウモロコシよりも優勢になってきたら

除草若芽の選別の労力が、新しく開墾する労力を上回るので次の「焼き畑」場所へ移動する

放棄された場所は草が茂り低木の林から次第に背の高い林となり地力回復し数十年後のサイクルで再び活用される

というのを何世代もやってきた

TVザッピングしてたら「焼かない焼き畑農業」というキーワードで興味を惹かれた放送大学の回で見たことがある

新大陸原産トウモロコシインドネシア先住民に、と思って多少調べたが

トウモロコシを持ち帰って100年以内にはアフリカアラブ西洋人交易材料として持ち込み導入しているので

インドネシアへ入った詳細まではわからなかったが早い時期に持ち込まれていそうだ

三大穀物の稲も麦もトウモロコシイネ科で高く茎を伸ばして光を占有する戦略

イネ雑草だったライ麦燕麦

高く固いイネ植物を食べるために歯が大きくなった馬

オチとか結論はなく雑想のメモで終わる

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

2024-06-16

中国「20年間お勉強頑張ったね、ご褒美に就職氷河期プレゼンするね」

回復の見込み、なし

建物はあるけども

完成していない

日本以上にやばいんでは

不景気にはなったけど一応建物は完成してたでしょ。崩壊リスク高そう、ホームレスの増加、安く貸すのも無理。

anond:20240229201607

これを書いた増田です。

結果的に生きてます(笑)

この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。

結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。

ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています

会社も続けてます

辞めるつもりではあるけど。

とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。

今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。

パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。

別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。

相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。

家族パワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。

きっといつか好きな人ちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。

あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。

危惧結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。

からでも仕事をやめようと言ってくれた友人と結婚したい。

今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。

あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。

最後

こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣レスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます

追記

長くてごめんね。

ここに書いていいよって言われて救われました。今後も沢山書くから

anond:20240229201607


これを書いた増田です。

結果的に生きてます(笑)

この後ぐちゃぐちゃしながら考えてたんですけど、まあ最終的には誰かに言えてたんならそもそもこんな風に追い詰められたりしなかったよなと半生を振り返り、じゃあ別に今誰にも言えてないのもおかしくないか、と溜飲を下げることが出来たからです。

結果的には部屋がめちゃくちゃがらんとした人になって職場でちょい浮いてる人で終わった。

ホルモンバランスめちゃくちゃになったので婦人科病院に通いつつ、相変わらずカウンセリングを受けたりもせず情緒不安定になりながら生きています

会社も続けてます

辞めるつもりではあるけど。

とりあえずプロジェクトを移って嫌いな先輩の下に付けられてるけど嫌いだからこそ遠慮せず仕事出来てる感ある。

今回の件で上の人を信じられなくなったので、お金貯めたらやめようと思う。まだ体力が回復しきらなくて休みがちなのに風当たりが強いのもキツい。

パワハラしてきた人間は、それそれで病んだらしくて数日間仕事を休んだらしい。

別に今は世間話くらいはできるし、あの時は色々重なったんだねという感じ。

相変わらず、好きな人には好きと言えてないしそばにいて欲しい時にそばにいてとは言えない人生だけど。

家族パワハラで1ヶ月くらいまともに働いてなかったんだよね〜とか言えてないけど。

きっといつか好きな人ちゃんと好きと言って振られて、私を好きと言ってくれる人と一緒になれる人間になります。なんでも誰かに相談したり、抱え込まずに相談できる人になりたい。

あれから3ヶ月?たって、ぽつぽつ親しい友人にあの頃実は…と話し始めました。会話に矛盾が出るのが気持ち悪くて。

危惧結構当たってて、なんかこう、私が思ったよりもみんなそっか〜みたいな感じだった。多分事を荒立てないようにしてくれたんだと思うけど、きっとあの頃話して同じ反応されてたら病み散らかして死んでたから今のタイミングで話すのが1番だったんだと思う。

からでも仕事をやめようと言ってくれた友人と結婚したい。

今もこれを書きながら涙が止まらなくて、あの頃が私に残した傷の深さを思い知ってる。

あの時死んでればよかったとも、死ななくてよかったとも思ってて、だからこそ逆に、いつ死んでもいいように生きなくちゃ行けないと強く思うようになった。死にたくなった時気持ちよく死ねるように、頑張ろうと思う。

最後

こういうこと書いてる人のところで喧嘩すると本当に死ぬ人もいるから気をつけた方がいいぞ…と思いながら真剣レスバしてくれた人には感謝、おふざけで喧嘩に乗ったやつはできるだけ不愉快なことが起こるように祈ってます

2024-06-15

独身地方公務員休日

昨日は週末なので職場の人たちと飲み会

今日職場の人たちと朝から野球

そのままみんなと銭湯

解散して一旦帰宅して今から行きつけのバー常連仲間の誕生日

明日は朝から両親と墓掃除墓参り

そのあと学生時代の友人と初めてのスカッシュ

そのまま夜飯食っておそらく早めに解散

そうして土日はあっという間に終わり再び平日が始まるのであった

土日の遊び疲れにより失った体力を平日の単調な業務規則正しい生活回復させ、次の土日に備えるのだ

都知事選論点治安維持を入れて欲しい

特にトーヨ問題ホスト売春など一連の問題)や外国人観光客労働者共に)増加によって

漠然不安を抱えている人が多いと思うから、このあたりは予算を強化してしっかりやって欲しい。

 

例えば、石原慎太郎都政では、暴力団アジア系マフィアの取り締まりを強化して、歌舞伎町治安回復に努めた。

  

法を守って税金を払っている一都民としては、

法を守らない水商売風俗関連、外国人存在不安だし、不満でしかない。

anond:20240615170100

回復手段が分かり切っているということだな

そして儲けるチャンスがある

案外賛成の金持ちいるかもな

飼っていた野良猫

中3から高2くらいのあいだ、ノラの黒猫がうちに遊びにきていた。というか、エサをもらいに来ていた。

最初出会ってからというもの黒猫の可愛さに取り憑かれ、家族でうっとり。

家猫にしたかったが、地域野良猫を大切にする風潮だったこと、外に出たがる事があまりにも多かったこと、じいちゃんが大の猫嫌いだったこともあり、完全イネネコ化は上手く行かず、半ノラという形で夕方~朝の間は家でずっと過ごしていた。

最初は人見知り全開シャーしまくりだったのが、徐々に懐いて膝の上に乗るようになったりしたのはとても愛くるしかった。前足を骨折して、2日間来なかったこともあったが無事に回復して元気になった事もあった。だがそんな日常も終わりを告げる。

おそらく寿命で言うと3歳くらい。いつものように一緒に布団で寝て、明け方頃窓から出ていったのを最後に二度と家に帰ってこなかった。無理やりにでも家猫にしておけばよかったかのな。

いい思い出をありがとう。いつかまたどこかで会いたいな。

2024-06-14

石丸市政4年間の輝かしい実績

1中 居眠り議員SNS晒し、その後も市の広報誌やSNSで何度も実名言及

⇒ その議員脳梗塞だったという診断書を持参したら、個人情報からシュレッダーに放り込んだ

⇒ その後も機会ある毎に「居眠り」として蒸し返し議員名誉回復がないまま3年4か月後に逝去

⇒ 議員死亡当日に市長記者会見をしていたがお悔やみの言葉がないどころか訃報には一切触れず

2右 議員たちとの非公式会合で「複数議員恫喝されたー」とSNSで騒ぐ。

⇒ その場にいた議員全員が恫喝発言否定、後に公開された録音データにもそれらしき発言はない

3左 その恫喝した相手がいつの間にか特定1人になり、選挙期間中の相手SNS等で公開釈明を要求。なお、自身は一度も恫喝証拠提示せずに相手になかったことを証明しろ悪魔の証明要求している

⇒ 当然相手から訴訟を受けて地裁33万円の支払い命令を受ける

4一 議会等に何らの事前説明なく副市長公募を始め4000人の中から選んだんだから承認しろと迫り、議会からは3度にわたって否決される

⇒ 翌年、議会から市長が進める組織スリム化に対応して、副市長の定員を1名に減らされる

5三 副市長の定員を1名に減らされた腹いせに議員半減案を議会に提出。議案を通すための答弁ではなく答弁中の決め台詞を3日間熟考し、「恥を知れ!恥を!」にする

⇒ 当然ながら議会が否決

6二 選挙ポスター代などを業者に払わず訴訟を受ける

⇒ 地裁高裁で敗訴(現在上告中)

⇒ 高裁で負けた際には不満をぶち上げるポストをして、原告名を世界中晒す

7遊 市立こども園統合移転を企て、他にこども園のない地域から私立こども園が近くに2つもある地域への移転案を提出

⇒ 市長派を含む議員全員が反対票を投じて否決される

⇒ これまた何度も蒸し返しては反対されたが、最後っ屁として辞任直前に専決処分勝手予算を付ける

8捕 臨時議会を開く時間はあったのに勝手道の駅改装工事設計発注して、これまた議会から否決される

⇒ 結果として道の駅に出店するテナント計画が狂ったが、「議会のせいだ!」と言い張るのみで事態の収拾は全くせず。

9DH アキタカターンズなる会社随意契約を連発、主に街おこし協力隊募集契約で3083万円を競争入札なしで発注

⇒ 協力隊募集委託契約(当然会社委託料を受け取る)で令和3年以降に採用した5名の協力隊員のうち2名がM議員の友人残り3名がM議員の友人関係者だったとのこと

⇒ 単なる馬好きの地下アイドルが馬と触れ合うカフェ開業するだけの事業を街おこし協力隊事業認定し、報酬活動費を毎年440万円、3年間にわたって保証

代打 折角の自慢話を議会だよりで「それなりに」としか書かれなかったことに大激怒議会だより発行予算を計上しない暴挙に出る

⇒ それを報じる中国新聞の要約にもブチ切れて、社長あてに抗議文を送る

⇒ 後にその自慢話の陳情件数に間違い市民団体調査で発覚したが頬かむり

先発:議会傍聴中の新聞記者が「市長あんな態度だから議会が反対するんですよね」と言っていたとの話を聞きつけ、市長会見で「お前、○月〇日の議会休憩中にボクの悪口を言っていたな?」と20分もガン詰め、その後も市長会見の度にその記者を標的に手を変え品を変え小一時間ガン詰めするのが恒例となる。

中継ぎ:市報に毎月議員批判中国新聞批判掲載し、私物化する

⇒ 公私混同ぶりに議会が呆れ、決算を否決するのが恒例となる

押さえ:「経験したことのないような暴風、高波、高潮、記録的な大雨のおそれ」と気象庁に言わしめた台風の接近でその対策てんやわんやの中、三連休プライベートだもんと千葉くんだりまでトライアスロンに行く

⇒ 一般質問でその事実暴露されも居直り、「はっきり言ってキモいです」の迷台詞を吐く

⇒ 1年後には「うっかり行くような人間じゃないですよ」と記者会見で聞かれてもいないのに言い出し何故か狙って行ったことになる

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

トラウマから回復』という本を、「わりと過酷な幼少期を送らざるを得なかった人間にとって絶望的なことが書いてあるなぁ」と思いながら読み流し、

>複雑性PTSDや発達性トラウマ障害治療は困難であるどころか、効果のある治療はいまだ解明されていません。

上記の一文に辿り着いていま「こうなる前に死んでおくのが正解だったんだゾ⭐︎」という答え合わせ占い幻聴を聴いてる

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

2024-06-11

日本の失われた三十年の原因はなんですか?

日本の失われた三十年の原因はなんですか? 他の国ではやっているのに日本ではできていない施策をいくつかあげてください。

識者の言葉

 「失われた30年」と呼ばれる日本の長期的な経済停滞には、さまざまな要因が複雑に絡み合っていますが、主な原因として考えられるものをいくつか挙げると以下の通りです。

 

  1. 構造的な問題日本経済は輸出主導型であり、国内消費やサービス業などの内需が弱かったため、海外経済の動向に大きく左右されました。また、労働市場の硬直性や規制企業間競争不足なども経済の活力を失わせる一因となりました。
  2. 人口動態の変化:日本世界に先駆けて高齢化社会を迎えました。高齢化に伴い、労働人口の減少や社会保障費の増大が発生し、経済成長を阻害する要因となりました。
  3. 技術革新の遅れ:日本企業は従来型の製造業依存しており、ITAIなどの新技術への投資が遅れました。その結果、イノベーションが生まれにくい環境となり、経済成長の鈍化を招きました。
  4. 財政政策の失敗:バブル崩壊後の景気対策として大規模な財政出動が行われましたが、公共事業への偏重や非効率投資により、財政赤字が拡大しました。また、金融政策においても、ゼロ金利政策量的緩和策などの効果的な施策が遅れたことも経済回復を遅らせる一因となりました。

 

 他の国では行われているのに日本でできていない施策としては、次のようなものが考えられます

 

  1. 労働市場の柔軟化:他の国では、労働市場の柔軟化により、企業雇用調整を行いやすくなったり、労働者転職が活発になったりしています日本でも同様の施策により、労働市場活性化生産性の向上が期待できます
  2. 移民の受け入れ:労働人口の減少を補うため、他の国では積極的移民を受け入れています日本でも移民の受け入れを進めることで、労働力不足の解消や経済活性化が期待できます
  3. 大胆な規制緩和:他の国では、大胆な規制緩和により、企業間競争を促進し、イノベーションを促進しています日本でも同様の施策により、新たなビジネスサービスの創出が期待できます
  4. 積極的財政金融政策:他の国では、景気後退時に大規模な財政出動金融緩和策を実施しています日本でもより機動的かつ大胆な財政金融政策実施することで、経済回復を早めることができます

 

 以上のように、「失われた30年」にはさまざまな要因が絡んでおり、一朝一夕解決できる問題ではありません。日本経済構造的な問題人口動態の変化に対応した施策を、継続的かつ柔軟に実施していくことが重要です。

2週間ぶりに実家帰ってきてほっとした

これから帰るけど一人の家に帰るのやだな

ついたとたん不安になって忘れたと思った怒りがぶりかえすし7階なので衝動的に飛び降りそうになるのをこらえるのが大変

我が身に起こった嫌なことを相談できる人が誰もいない友達いない、一人も!

いや正確には一人いるけどとてもこんなことを言えるような不幸な人ではない

家族にも言えない

勝手勘違いして勝手に人を裁いた気になって気持ち良くなってるあいつらを●す方が楽かもしれないけど顔も知らない

こっちに冤罪かぶせてきたあの人たちしんでくれないかなあ

しなないまでもなにか後悔するようなことが起きてくれないか

でもこういうの恨んでる誰に届くわけでもないんだよな

結局暗い過激で不幸な気持ちって自分しか残らないか全然よくない

わかってるんだけど怒りが収まらない

嫌なことばっかり

せめて名誉回復しないかと思うけどもう無理だよ

疲れたんだもん

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん