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2024-06-17

アメリカ大陸と馬とイネ

コロンブス」の件で、元々馬の居なかったアメリカ大陸ヨーロッパから馬が導入され

アメリカ先住民も馬に乗るようになった話を「再学習」してるところに

興味深い話がtwitterで流れてきて

https://x.com/_596_/status/1802208048163041289

馬の祖先の一本指の蹄への進化アメリカ大陸で起こっていて

アフリカにかつていた三本指の馬祖先は三本指のまま絶滅しており

ポニーからサラブレッドまで一本指の現生馬はアメリカ大陸由来なのに

馬が出アメリカしてから本家アメリカ大陸で消えてしまったの不思議だな

指の数自体本質的じゃなくて偶然の結果かもしれないけど

その時代に繊維質を豊富に含んで丈の伸びやすイネ植物が優勢になって

そういう固めの草をよく噛んで食べる都合上、歯がすり減りきってしまうのが生物寿命に直結するから

歯が長く厚くなっていく進化過程アメリカ大陸化石から観察できる

という記事をどこかで読んだがブクマしてない

イネ植物の優勢といえば、インドネシアで「焼かない焼き畑農業」をしてる原住民族フィールドワーク

農地開墾は木を切り倒しざっくり下草を刈ってそこにトウモロコシの種を散らして撒く

刈った草木肥料でもあり畑でいうマルチング資材として活用し、水は天水農法という省力化

何年かそのようにして耕作した後に、イネ科の雑草トウモロコシよりも優勢になってきたら

除草若芽の選別の労力が、新しく開墾する労力を上回るので次の「焼き畑」場所へ移動する

放棄された場所は草が茂り低木の林から次第に背の高い林となり地力回復し数十年後のサイクルで再び活用される

というのを何世代もやってきた

TVザッピングしてたら「焼かない焼き畑農業」というキーワードで興味を惹かれた放送大学の回で見たことがある

新大陸原産トウモロコシインドネシア先住民に、と思って多少調べたが

トウモロコシを持ち帰って100年以内にはアフリカアラブ西洋人交易材料として持ち込み導入しているので

インドネシアへ入った詳細まではわからなかったが早い時期に持ち込まれていそうだ

三大穀物の稲も麦もトウモロコシイネ科で高く茎を伸ばして光を占有する戦略

イネ雑草だったライ麦燕麦

高く固いイネ植物を食べるために歯が大きくなった馬

オチとか結論はなく雑想のメモで終わる

2022-02-11

家庭菜園

倒れた猿 https://note.com/itakuratoshiyuki/n/n9e7a6e7430f9 を読んで家庭菜園をしてた時のことを思い出した。

数年前、転勤が決まり、小さい子連れながら東京都からとある地方都市引っ越した。

それまで首都圏から出て住んだことがなかったので不安半分、でも小さい子連れで外出するといつもピリピリと気を張っていなければいけなかった都心生活に疲れ果てていたので、地方だったらのんびりしてるかなと希望を持ちつつの異動だった。

うちが引っ越した先は日本でも下位5位以内に入る人口が少ない県で、まず引っ越した先の家でトイレを流したら床に水漏れしたのにびっくり。(大家さんに言ったらさすがにその日の夕方業者が来て直していった)

引っ越した先は集合住宅は猫のたまり場で、猫の糞尿がそこらかしこにされてるのに誰も気にしてない様子なのにびっくり。(もちろんにおいがきつい。これは退去するときまで変わらなかった)

道を歩いてる人が全然いないし自転車の人すらほとんど見かけないのにびっくり。(みんな車でしか移動しない)

方言もきつく言葉もわからないことも多々あり、あらゆるところでカルチャーショックを受け、都会から着てきた服は地元スーパーではカラフルで洗練されすぎていて目立ちすぎるのに気付いたころにはなんとか地元コミュニティに溶け込もうと必死になった。(子連れじゃなかったらまた違う認識だったのかもしれない)

いつしか地味で無難な服ばかり着るようになり、言葉も聞き真似でイントネーションを合わせ、ついでに月500円で地元農家さんに畑を借りることにした。(今考えると形から入っていこうとしていたのかもしれない)

さて、畑は20平米ぐらいの大きさで、どーんと土と雑草で覆われた畑だった。

好きなものを作っていいんだと思っても何を作っていいのかわからない。というかどうしたらいいのかわからない。

からないのでまず家庭菜園の本を買った。揃えなきゃいけないもの、土をどうしたらいいのか、種や苗をどうやって植えるのか。土を鍬でめっちゃ耕した。(筋肉痛になった)苦土石灰をまいた。わからないながらもマルチングシートで畑を覆った。(これはめちゃくちゃ大事だったと後でわかる)

ホームセンターに行って苗を色々見た。時は春。失敗しなさそうなトマトキュウリピーマンナスオクラサツマイモの苗を買った。植えて毎日様子を見に行った。

暑くなるにつれてどんどん苗は大きくなっていった。すくすくと育っていく苗を見るのはいものだった。花がつくとうれしかったし、花が枯れた後に小さな実がついているを見るのが楽しみになった。

畑を往復してるのに使ってた車があっという間に中も外も土で汚れた。農家の人がみんなハイジェットに乗る理由がわかった。そして害虫雑草被害の大変さを身をもって知ることになる。

まず害虫。都会で生活していたので最初芋虫にいちいち怯えていた。よく見かけたのはタバコガスズメガ、ヨトウガの幼虫だろうか。見つけたらとって中身が見えないように葉っぱをかぶてふんづけるようにしていた。

こいつらマジで滅茶苦茶葉っぱや実を食っていく。オルトランをまくことでだいぶ減ったけどそれでもしぶといのが割とついている。

最初は怯えていたけれどそのうちにせっかく一生懸命育てた作物が無残にも食べられていくのに憎しみを覚えるようになった。じきに見つけたら即はさみでチョキンスタイルに変更になった。緑の中身が出てくるのにも慣れた。彼らに慈悲は無用と考えるようになった。

虫はほかにもいろいろついて、アブラムシウリハムシニジュウヤホシテントウにも本当に悩まされた。ちょっと葉が茂ってるところに踏み込むと、うわっとウリハムシ200匹ぐらい飛び立つスタイルが続いた。殺虫剤はまかなかったので羽虫系は最後までどうにもできなかった。

そして雑草マルチングシートの重要性がわかる。ちょっと隙間があればあっという間に雑草がはびこってくるし、雑草には害虫つくし通路なんてあっという間に荒地化してしまう。

ナメクジにもいろんなものをよく食べられた。ハナムグリなどの甲虫類にも。蝶は卵を産み付けられるので害虫だし、自分の味方だと感じる虫はカマキリテントウムシだけになった。虫ではないけど土蜘蛛も強い味方だった。

そんなでもそれなりの収穫物を得ながら試行錯誤を続け、冬には大根ニンジン白菜などを収穫し、2年目の夏に向けては季節野菜のほかにスイカメロンというなかなか難しそうな果実を作ることにした。

美味しいもの人間も好きだけれど虫や動物も大好き。それまでの乏しい経験から果実なんて修羅の道だろうと思いつつ万全を尽くして苗を植え、手をかけて育て育てた。

スイカの実ってなりたては小さいスイカで本当にかわいい。ぷっくりしたスイカの実を害獣に食べられないように一つ一つにネットをかけ、地面の湿気で腐らないように実の下にトレイを置いた。陽があたらないと皮が黄色くなるらしいのでスイカの実の向きを太陽に当たるように毎日ちょっとずつ調整した。

米のとぎ汁をあげると甘くなるとのうわさも聞き、家からとぎ汁を持って行ってかけた。緑色の実がだんだん大きくなっていくのが楽しみで仕方なかった。

そんなスイカの実が20cmぐらいに大きくなったころのある日。事件がおきた。

無残にもあちこちの実が割られ、食い散らかされたスイカ畑。

食べられ方から犯人がわかった。カラスだ。ネットの隙間から鋭いくちばしでつついて突き崩したのだ。

中の実はちゃんと赤くてみずみずしくて、蟻がいっぱい行列を作っている。きっと甘いんだろうなと思った。

しかったけどやられた実は廃棄するしかなかった。残された数少ない実をさらに食べにくいように葉っぱで隠し、ネットをかけ、障害物を置き、カラス除けも設置した。

猟銃所持許可されてたらマジで付近を飛び回ってるカラスを仕留めてたかもしれない。

それぐらい憎かった。

農家の人たちはこんな思いをしながら作物を育ててるんだろうという一端がすごくよくわかった出来事だった。

そこから自分生活を脅かす動物害獣として割り切れるスキルが身についた気がする。

ちなみに当県ではアライグマ害獣としてメジャー動物です。サルよりも見た目はかわいいと思うんだがやっぱり自分は割り切って対応してしまうかもしれない。

2018-09-12

チップは使えない

土に混ぜると窒素飢餓起こして成育が遅れる。

マルチングにしても窒素飢餓が起こすしphがしばらく低すぎる。

竹は支柱として一部を利用し残りは処分するしかない。

2018-02-17

土づくりメモ

赤玉土

牛糞堆肥が基本

価格をチェックしてバーク堆肥を混ぜる

堆肥腐葉土は使わない

元肥に鶏糞

追肥に8-8-8化学肥料

・年に2回籾殻をすきこむ

・年に2回籾殻でマルチング

・年に2回骨粉・油かす・カニガラ等をローテ

・米ぬかは植え付けがない時期に薄く散布

・米ぬかは保存しない

・手間の関係堆肥自作しない

・植え付け1週間前にph測定

アルカリ性へは苦土石灰

酸性へはピートモス放置

 
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