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2020-09-04

ロシア語表記揺れはなぜ起きるのか

ロシア語固有名詞カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね!

ヴ音の表記揺れ

これは純粋日本語内部の問題から一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね!

強勢の棒引きをめぐる表記揺れ

強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ!

ыの表記揺れ

ыは日本語では書き表せない音なんだ! でもどうしてもカタカナにしないといけないときがあるよね! そういうとき表記が揺れちゃうんだね! Кадыровは「カディロフ」でも「カドィロフ」でも間違ってないよ! どのみち正確な日本語表記は無理なんだし! でも「カドイロフ」はさすがにどうかと思うな! めんどくさいのが形容詞の語尾で-ныйみたいな形になってるときだね! 「~ヌィ」だと語末のйを無視してるみたいで居心地が悪いし、「~ヌィイ」だと煩雑だし、「~ヌイ」だとなんかыっぽくないよね! こういうときは多少正確さを犠牲にしても日本人にとって一番簡単表記を選んでおくのがいいよ! だからВерныйは「ヴェールヌイ」でСовременныйは「ソヴレメンヌイ」なんだね! でも別にヴェールヌィイ」でも間違いじゃないよ!

оの表記揺れ

ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音されるよ! Москваは実際には「マスクヴァー」みたいに聞こえるけど、日本語では綴り通りの「モスクワ」で定着してるよ! っていうか日本語表記では反映しないのが慣用になってるね! Достоевскийは「ダスタイェーフスキー」じゃなくて「ドストエフスキー」、Чеховは「チェーハフ」じゃなくて「チェーホフ」って書くことになってるね! ただし例外的に、Спасибоは「スパシーボ」じゃなくて「スパシーバ」、Хорошоは「ホロショー」じゃなくて「ハラショー」で定着してるよ! でももちろん発音を優先して「ア」って書いてもいいよ!

еの表記揺れ

ロシア語のеは「エ」というより「イェ」であって、теは「テ」というより「チェ」、деは「デ」というより「ジェ」のように聞こえるよ! 強勢があると特に! 逆に強勢がないとき母音が弱く読まれて「チ」みたいに聞こえたりするよ! だからЕкатеринаを「エカテリーナ」とするか「エカチェリーナ」とするかで揺れるよ! まあ実際に聞いてみると「イカチリーナ」みたいに聞こえるような気がするんだけどそんなふうに書くわけにもいかいからね!

иの表記揺れ

еと同じで、тиは「ティ」じゃなくて「チ」、диは「ディ」じゃなくて「ジ」みたいに発音されるよ! なんなら由来を重視して「ヂ」でもいいよ! だからПутинは「プティン」じゃなくて「プーチン」なんだね! БладимирВладимирが「ウラディミル」じゃなくて「ウラジーミル」なのもそういうことだね! まあ別に「ヴラヂーミル」でもいいんだけど! ただ「ティ」や「ディ」に聞こえなくもないところがややこしいところかな! でもやっぱり基本的には「チ」や「ジ」って書いとくのがいいと思うよ!

шやчの表記揺れ

шは日本語のシャ行の子音で、чはチャ行の子音なんだけど、後ろに母音を伴わないときになんて表記するかが問題だね! 「シュ」と書くか「シ」と書くか、「チュ」と書くか「チ」と書くかってことだね! Эйзенштейнは「エイゼンシュテイン」と「エイゼンシテイン」のどっちでも間違ってないよ! なんなら「エイゼンシチェイン」でも間違いじゃないよ! もう理屈はわかるよね!

語末の濁音の表記揺れ

語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ! ドイツ語地名は「アウクスブルクハンブルク」みたいに書くことになってるのに不思議だね! たまに「ペテルブルク」って書いちゃう人がいるけどあんま好ましくないね! なんでかというと上で書いたような発音法則があるから実際の発音に即して書こうとすると「ピチルブールク」みたいな表記なっちゃうんだよね! 「ペテルブルク」だと中途半端なんだね! 発音に忠実に書くのはめんどくさいか綴り通りに日本語にした方がマシだね!

ёの表記揺れと間違い

ёは形の上ではеに似てるけど、読み方は「ヨー」だから全然違うね! でも、大人ロシア人は読み書きするときにいちいちёとеを書き分けたりしないんだ! 日本人が「これははんこです」を正しく発音できるのと一緒だね! Аксеновを「アクセノフ」って書いた新聞社があったけど、もちろん正しい綴りはАксёновだから「アクショーノフ」だね! このへん、慣れれば「これってёじゃね?」という目星をつけられるようになるよ!

そして、この文字表記揺れを引き起こすこともあるんだ! Фёдорは「フョードル」って読むんだけど、たまに「ヒョードル」って書かれたりするよ! もちろん「フョードル」の方が正確なんだけど、「フョ」は日本人には発音が難しいから「ヒョードル」でも構わないと思うよ!

ьの表記揺れと間違い

ロシア語のьは軟音符っていうんだよ! この文字自体発音しないんだ! じゃあ何に使うかというと、前に置かれた硬い子音を軟らかい子音にする(口蓋化する)ために使うよ! 日本の慣用表記だと、軟らかくなった子音はイ段で表記されることが多いんだ! たとえばл「ル」に軟音符がついてльになると「リ」になるんだね! そしてこの文字は、ほとんどすべてのローマ字表記法で’の記号を当てることになってるんだ! でも、論文とかじゃなくて新聞とかの通俗的表記だと、この’が落とされちゃうことがすごい多いんだよね!

たとえば、большевикиっていう単語をきちんとローマ字にしようと思ったらbol’shevikiになるはずなんだけど、実際はbolshevikiって書かれることがすごく多いんだよね! ロシア語を読める人なら「ボリシェヴィキ」って書くのが正しいってわかるんだけど、ロシア語を知らない人は「ボルシェヴィキ」って書きたくなっちゃうかもしれないね

そしてこれが語末や子音の前に来ると表記揺れを引き起こすことがあるんだ! -ньという綴りが語末や子音の前に来ると、「ン」と「ニ」の中間っぽく聞こえるよ! だからКазаньは「カザン」とも「カザニ」とも書かれるんだね! ポーランド語のGdańskが「グダンスク」とも「グダニスク」とも書かれるのと同じ理屈だよ!

хの間違い

хは喉の奥から出す「フ」の音だよ! 日本語のハ行とは発音の仕方が違うけど、どの行に聞こえるかと言われるとハ行が一番適切なんじゃないかな? 袴田茂樹先生の妹さんはИрина Хакамадаだし! でもこれ、日本でよく使われるローマ字表記だとkhになるんだ! それに引きずられてカ行で表記されちゃうことがあるけど、間違いだね! ハ行で表記しようね!

яの間違い

яって文字はよく見るけど、何て読むか知ってるかな? そうだね、「ヤー」って読むんだね! でも、これをローマ字に直そうとしたらどうなるかな? 実は、ロシア語ローマ字表記はいくつかの種類があるんだけど、それらの表記によってяをどう表記するかが違うんだね! イギリスでよく使われるローマ字表記だとyaだけど、アメリカ議会図書館式だとiaになり、そして国際式表記だとjaになるんだ! そうだね、ロシア語を知らない日本人ローマ字表記だけ見ると読み方を間違える余地があるんだね!

たとえば、Настяっていう女の子愛称は「ナースチャ」って読むんだけど、議会図書館式でローマ字に直すとNastiaになるんだよね! ロシア語を知らない人からすると「ナスティア」にしか見えないよね! 綴りの後半部分はti-aじゃなくてt-iaで切れてるんだけど、そんなの普通わかんないよね! Надяは「ナージャ」って読むんだけど、ローマ字でNadiaって書かれると「ナディア」って表記したくなっちゃうよね! 違うアニメなっちゃうね!

さらさらに、ローマ字に直すときにяの表記が誤魔化されちゃうことがあるよ! この文字は女の人の名前の語尾によく使われるんだ! たとえば英語の「メアリ」に当たるロシア語名前はМарияで、日本語だと「マリヤ」って書かれることが多いね! でも、ローマ字にするときMariaって書かれることがすごい多いんだ! たぶんMariiaやMarijaやMariyaだとわかりづらいと思ったんだろうね! けどMariaって書かれるとロシア語を知らない人は「マリア」って書いちゃうんだよね! Лидияも本当は「リージヤ」なんだけど、Lidiaってローマ字表記に引きずられて「リディア」って書かれることが多いね

複数の間違いが組み合わさることが多いのがТатьянаだよ! これは女の子名前で、素直に読み下せば「タチヤナ」になるよ! 議会図書館式に忠実に転写するならTat’ianaになるんだ! 真ん中の部分はt’-iaで切れるんだね! ’がついたことでtが軟音化して「チ」、iaで「ヤー」だね! でも’が省略されていると、iaが「ヤー」だと知らない人は、Tatianaを「タチアナ」って書いちゃうんだ! ひどい場合には「タティアナ」なんて表記されたりするね! そうだね、ti-aで切れると勘違いしてるんだね!

Литвякを「リトヴァク」って書いてある本があるんだけどさすがにちょっと許せないかな! どうやれば「リトヴァク」になるのかな!? もちろん「リトヴャク」が正しいよ! 「ヴャ」は発音しにくいっていうなら「リトビャク」って書いておくといいよ! 「何百」を発音できない日本人はいないよね!

юの間違い

じゃあみんな、юはなんて読むか知ってるかな? そうだね、「ユー」だね! でもこれもяと同じで、yuとかiuとかjuとか色んなやり方でローマ字表記されるよ! だからたまにiuっていうローマ字に引きずられて「イウ」と書いちゃう人がいるんだ! 気をつけようね!

強勢の位置の間違い

ロシア語は強勢の位置がすごい大事なんだけど、間違えて書かれることがあるんだ! БладимирВладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人がたまにいるね! チェコ語ならVladimírだからウラジミール」でいいんだけどね! 父称のВладимировнаも「ウラジミーロヴナ」じゃなくて「ウラジーミロヴナ」だからね!

たまにロシア風のキャラクタ名前として「イゴール」っていうのを見かけるけど、これは複数の間違いの複合だね! Игорьはロシアの男の人の名前だけど、厳密にローマ字に直すとIgor’になるんだ! そこから’を抜いてIgorにした上で強勢の位置を間違えると「イゴール」になるんだね! もちろん「イーゴリ」が正しいよ!

結局のところ、なんで表記揺れが生まれるの?

いくつかの理由があるよ!

  1. 日本語にない音や日本語だとどう表記すべきか迷う音が多い
  2. 綴り発音が離れすぎているのでどちらを基準にするかで変わる
  3. ローマ字に直されたものを読むときに間違いが発生する余地がある

これ、つまるところ英語名詞カタカナで書こうとするときの苦労と一緒だね! そういえば英語も「発音に忠実な表記を諦めて綴り通りに表記することにしている」場合がすごく多いよね! Bostonは「バッスン」じゃなくて「ボストン」、Donaldは「ダナー」じゃなくて「ドナルド」って書かれるよね! そういう意味では英語ロシア語って似てるね! オラ英語に親近感湧いてきたぞ!

Fateサーヴァントとか、あんまりメジャーじゃない方表記ゆれ名使ったりしてる印象があるが、検索避けみたいなこと一応気にしてんのかなと思ったりする。

奈須きのこそこまで考えてないと思うよ!

訂正

最初から間違いが…ウラジーミル綴りは Бладимир ではなく Владимир。

ま……マジだ! めっちゃ恥ずかしい! ごめん! 気づかなかった! 訂正しといた! 教えてくれてありがとう! Владимировнаの部分は正しく書いてたからそれで許して!

言い訳すると、ローマ字対応キーボードキリル文字打ってるから、ボーッとしてるとつい目の前のBってキーを押しちゃうんだ! でもそれを押すとБが出てきちゃうんだ! 稀によくある!

アウクスブルク煩雑発音とつづりとの中間点・妥協案的表記であるので,その直後に「ペテルブルクは中途半端ダメ」とか言われれると増田お前自己矛盾してんぞって顔になった。

ごめんね! 正直「~ブルク」ってつく地名なら何でも良かっただけなんだ! よく知らない言語について迂闊なこと言うもんじゃいね! 「ハンブルク」に直してみたけど、これならどうかな?

2020-05-13

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

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tl;dr

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前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-04-11

anond:20200411072416

念のために補足。三位一体は三人で一つの神という意味ではありません。ある時は父なる神、あるときは子なる神、またある時は聖霊と、一つの神が変化するという考えでもありません。「産学官三位一体」「三位一体改革」のような通俗的比喩はこの言葉意味を全く誤解した言い回しです。三位一体人間理解には及ばない概念です。理解していると思うなら、それは間違った解釈をして理解したと誤解しています

2020-03-16

第三京浜エッチ道路

数ヶ月前、ニッポン放送番組アナウンサー草野満代が「ドライブの帰りに第三京浜を使う男の子エッチな思惑がある(と若い頃思っていた)」というような発言をしていた。

港北の「アラン・ド」や「トロピカル」が現役だった頃、そうした感覚通俗的にあったのだろうか。

いま第三京浜をそうした感覚で捉えている人はおそらく全く居ないと思われるが、

草野満代世代(50代)が若い頃、東京近郊で生活していて、第三京浜を「エッチ道路」だとかつて思っていた人が居るなら、教えてほしいです。現在感覚では全くそのような印象がないので・・・

2020-01-21

anond:20200121002141

容姿ケチつけてるとは? 俺は田嶋がブスだからダメだなんて言ってないぞ。

フェミでも戦えてるとは? 俺は田嶋はフェミとしては何もしてない、フェミに対する通俗的イメージ体現する芸人しかやれてないと言ったんだぞ。

単語の拾い読みしかできないというのはつまりこういうことだよ。

君は他人と会話するだけの知能がないの。残念ながら

2019-10-25

anond:20191021185555

公野櫻子教徒から言わせればお前らなどただの通俗的な傍流に過ぎんわ何がμ's原理主義じゃ

アニメライブもただの二次創作、神のテキストけが本物であとは全部偽物

2019-05-09

[] #73-4「娯楽留年生」

≪ 前

そんな状況に心を痛める者が一人いた。

知る由もない俺は、ひょんなことからその人物と邂逅する。

「あら、マスダ。奇遇ですわね」

ジョウ先輩だ。

「あ、どうも……」

バスの中で話しかけられたのでは知らんぷりもできない。

俺は気まずそうに会釈をした。

普段電車通勤じゃなかったでしたっけ」

今日のワタクシは有給ですわ」

とってつけたようなお嬢様言葉に、とってつけたようなお嬢様服。

見た目や言動が強烈なのも相まって、俺はこの人が苦手だ。

「へえ、マスダ。このような御令嬢と知り合いだったのかい。人脈が広いね

隣にいたセンセイが会話に入ってくる。

実際にはセンセイと俺の会話中にジョウ先輩が入ってきた、といった方が正しいが。

「いえ、センセイ。彼女が在学中に先輩後輩の関係だっただけですよ。この喋り方や服装彼女趣味なんです」

「え、じゃあ、それはただのキャラクター作りの一環というわけかい

センセイ、そこはあまり掘り下げなくてもいい。

大したものは出てこないから。

「おや、それは……気をつけていたつもりだったが、見た目や言葉遣いで安易に人を判断してしまったようだ。申し訳ない」

「むしろ安易判断してくれて結構ですわ。そのためにしているのですから

「ほう、そこまで割り切れるとは、達観した考えをお持ちのようだ。あなたにとってそれは、もはや体の一部なのですね」

「そう評価されると、さすがにちょっと照れますわね」

初対面なのに、センセイはよく落ち着いた対応ができるな。

居心地が悪いのは、二人に挟まれている俺だけのようだ。

「ただ……周りがどう思うかを気にしすぎないのも考えものですわね」

何やらジョウ先輩が通俗的なことを言っている。

いや、この人は普段から割と俗っぽいから、驚くには値しないが。

その日はいつになく感傷的だったので印象に残った。

だが、ここで興味本位に追求はしない。

明らかにジョウ先輩は話を聞いて欲しそうな素振りだったが、俺はこれ以上、話に花を咲かせたくなかった。

こっちはその養分を吸われるからな。

「……と、言いますと?」

まあ、俺にそのつもりがなくても、センセイが聞き出してしまうため無意味ではあったが。

「話してもよろしいですが……長くなりましてよ、少々」

「大歓迎さ。目的地に着くのはずっと先なのでね。君もそうだろ、マスダ?」

「……生憎、そうですね」

これだからバスは前時代的な乗り物に成り下がるんだ。

「では……そうですわね、まずはワタクシの父について、お話しましょう」

そうしてジョウ先輩は、初めからそのつもりだったのを証明するかのように淀みなく話し始めた。

次 ≫

2018-09-16

anond:20180915111053

追記

基本的自分は「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」には質的差異があるという立場を取っている。

ラノベBLなどのポルノ対象人格リスペクトするだけのものがなく、都合のいい世界の中でお人形遊びしている(そこに暴力性、差別性などがある)。芸術表現として許容される性描写は深い人間理解と同時に理解不十分というせめぎ合いの中で生まれる(個々人の人格のアンビヴァレンツ、曖昧さ、捉えきれない無限性。もちろん古典では雑な性描写もあるが、今回は女性人権が拡大した現代の話)。

ラノベBLによくある都合のいい男性描写女性描写自体他者尊厳に対する暴力であり(テンプレキャラクター化とでもいうか)、それを象徴するかのような下手で誇張された表紙は刺激の強いグロテスク表現だ。ただし、これはポルノ商品に限らず通俗的な「物語全般に常に含まれ問題でもある。今回ラノベBLが取り上げられているのは、ポルノ商品はこういった暴力がより際立ちやすいという性質を持っているため。行き過ぎたポルノ商品芸術表現としては到底擁護不可能であり、全年齢向けで平積みするのは不適切だと考え、適切なゾーニングを求める。

ポルノ商品社会には需要があるので表現出版自体規制することは権力暴走でもあり絶対に許されるものではない。しかし行き過ぎた暴力自由として認めることは同時に他の誰かの自由侵害することにもなり、そこに闘争状態が生じる。だから適切なゾーニングをして被害を受ける人の数を減らすよう努力し、穏やかに棲み分けられるようにしようという話をしている。ゾーニングされてもポルノ商品を求める人は問題なく購入できるし、同時にポルノ商品求めない人たちはポルノ商品によって無差別暴力を受けることをゾーニングによって回避することができる。デメリット購入者にほんの一手間余計な手続きのれんをくぐるなど)を要求するということがある。想像力の豊かな人はゾーニング表現規制の引き金になってしまうと危惧するが、それは権力監視することによって回避するしかないだろう(そういった監視が面倒だという議論はあってもいいが、個人的にはまったく感心しない)。

また、「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」を明確に区別することが困難であるという議論はあるだろう。まず間違いなくパラドックスが生じる。完全な境界線を引くことはできない。グレーゾーンは常にある。しかし完全な区別ができないからといって、不完全な区別まで不可能というわけではない。その辺りは政治問題になってくる。全か無かの話ではなく、程度問題になる。だから冷静で建設的な議論必要だ。

オタクが「こいつ話にならないな」と思うのは勝手だが、こういう考えの人間もいるということだし、社会の一員として生きて行くということは、こういう考えの人間とも折りあっていかなければならないということだ。フェミニストの言い分が100%通ることもないだろうし、オタクの言い分が100%通ることもないだろう。完全に論破して終わりではなく、妥協点をどこに見つけるかという議論必要だと思われる。

2018-06-24

anond:20180623212941

残念ながら、相手竹中平蔵場合に限らず

今の日本では暗殺のようなテロはそうそうウケない

下手をすっとテロられたほうが「可哀相な被害者」扱いされて

同情されて悲劇英雄のごとく祭り上げられる

2003年に「建国義勇軍 国賊征伐隊事件」ってあったやん?

当時から拉致問題あんだけ北朝鮮が憎まれてたにも関わらず

朝鮮総連に爆発物仕掛けたらネット民は誉めたたえず

脊髄反射で「総連自作自演乙」決めつけとる始末

被害者の方が笑い物にされたりコケにされる犯罪はないのか?

俺の頭でさんざん考えて思いついた物は2つしかない

うんこテロ

ホモレイプ

おいお前、笑っただろ? そう、この2つは笑い物にしかならん

女性レイプされると可哀相な被害者と見なされるが

通俗的性別観では男はヤる側、女はヤられる側と思われてるから

男が掘られると「男のくせに掘られてやんのw」とバカにされ

ひどい場合は「掘られてホモに目覚めたw」とはやし立てられる

もし俺がデスノートを持っていたら、竹中平蔵を死後もずっと

笑い物にしかされない、絶対に同情も英雄視もされない

究極の処刑方法として以下のように書いてやる

竹中平蔵渋谷駅前の路上ワタミ渡邉美樹を呼び出し

衆人環視の中で全裸になって渡邉美樹を白昼堂々ホモレイプ!!

渡邉美樹が「アッー!!」と叫ぶ中、竹中平蔵はイきながら心臓発作で死亡

間違いなく死後も竹中に同情する奴は絶対いねえぞwww

同性愛差別云々でマスコミ報道を控えるだろうが

目撃者証言などが広まれば、間違いなく淫夢厨の玩具決定www

しか渡邉美樹まで道連れだwww

あーあ、その辺にデスノート落ちてないかな、1ページ分だけでいいか

2018-05-03

オタク文化における「とりあえず読め・見ろ」に通底する心理について

いわゆる、通俗的に、最も一般的な例えである所の「ガルパンはいいぞ」についての話

実は、これについてはもうそんなに語ることがない

「ああ、それは百聞は一見に如かずだよ」と言えば良いだけの話だ

いつも思う

私が解説したこと相手がその作品に触れるのであれば

それは「私の読書感想文が上手だった」という事に過ぎない

本当に素晴らしい作品であれば、語り手の巧緻に関わらずその作品に触れるだろう


私は、私と相手との個人的信頼感をほんの少しのエッセンスとした「布教活動」をしているに過ぎない

相手がその作品を知る、あるいは触れる「機会」を提供するという形でしかそれを薦められない

それはもはや、「祈り」である

ゲシュタルトの祈り

私は私のために生き、あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

もしも縁があって、私たち出会えたのならそれは素晴らしいこと。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


結論:鳩羽つぐはいいぞ

2018-03-12

感動ポルノエンタメ好きなやつらはオタクであり結局のところネトウヨ

はてな民インテリ設定にもかかわらず幼稚な感動ポルノエンタメまりアニメ漫画ラノベエロゲ好きな人間が多い。こういった幼稚な感動ポルノエンタメを好むことからして根っこの部分がネトウヨ感性だということは明白なのにもかかわらず、わかりもしない専門書などを斜め読みして理解した気になって、俺はリベラルだなどとほざいている。通俗的エンターテインメントと縁を切らない限り、彼らはこれからネトウヨ感性に引きずられ続けるだろう。どんなに理論武装しても彼らの本質は今までもこれからもずっとネトウヨなのだ

2017-10-07

村上春樹ノーベル文学賞を受賞すると思う理由

自分はこれまで村上春樹ノーベル文学賞受賞はないものだろうと考えていた。

なぜなら村上春樹の源流にある英文学作家ほとんどはノーベル文学賞を獲ってないからだ。

J・D・サリンジャーカート・ヴォネガットジョン・アーヴィングリチャード・ブローティガンレイモンド・カーヴァーレイモンド・チャンドラーも獲っていない賞を何故村上春樹が獲れるのか?という話だ。

上記に示したような20世紀後半世代英文学作家ノーベル賞を獲りにくい傾向にある。

おそらくこれはニューレフト以降の人文世界では「脱欧米中心主義」の考えが支配的であり、

文学世界でも例外ではなく、マイノリティポストコロニアル(被植民地)的視点、非欧米的な価値観評価されやすいからだろう。

例えば同じ20世紀文学の新潮流でも、リョサマルケスのようなラテンアメリカ文学作家は獲っているが同世代英米ビートジェネレーション作家(ジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグリチャード・ブローティガン等)やポストモダン作家(トマス・ピンチョンドン・デリーロフィリップ・ロス等)は誰一人受賞していない。

まり欧米的な村上は、日本人作家でありながら上記のような英文学系譜として評価されており

それ故に世界中で読まれ、それ故にノーベル賞の受賞は難しいだろうと思っていた。

だが去年のボブ・ディランの受賞で大きく流れが変わった

ボブ・ディランの受賞理由歌手としてではなくビートジェネレーション代表した文学としての評価

まるでこれまで無視してきた英文学作家特定世代をあわてて補填するかのような受賞である

僕はこのボブディランの受賞で数年以内に村上春樹が獲るのではと予想した。

もしボブ・ディランジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグリチャード・ブローティガンといった受賞しなかったビートニク作家補填するものだとしたら

サリンジャーヴォネガットといった受賞しなかった英文学作家達を補填するのに一番ちょうどいい作家村上春樹からだ(もしくはジョン・アーヴィング?)

そして今年のカズオ・イシグロの受賞である

これは結構驚いた。イシグロが受賞するにしてもまずは村上春樹が先に受賞するだろうと思っていたからだ。

この受賞で同じ日本(日系)人の受賞で不利になるのではいう声は多い。

自分はむしろこれで村上春樹の受賞が近くなったのではと思う。

カズオ・イシグロ村上春樹共通点は多い。

英文学系譜であり、良く言えば世界的な人気作家だが、悪く言えばマスであり通俗的作家である

これらの共通点はこれまでの村上春樹が受賞しないと思われていた理由であった。

しかし今回のカズオ・イシグロの受賞はそれが全て覆った。

密室での選考であるためあくまで推測にすぎない。

なぜ村上ではなくイシグロなのかもわからない。

個人的な推測だと村上の過剰な性描写がセクシズムを理由に外された?)

はいえ無根拠に騒いでいたこれまでよりかは村上春樹が受賞に近くなったといえるだろう。

カズオ・イシグロが受賞する文学賞選考過程村上春樹名前が上がらないはずがない。

このボブディランからカズオ・イシグロという流れは驚いた人も多いと思う。

ノーベル文学賞を含めた学術的な場での世界文学評価が大きなパラダイムシフトを迎えてるのは間違いない。

そしてこの傾向は村上春樹の受賞に極めて有利な状況だろう。

というか長々と話したが簡単なことだ。

J・D・サリンジャーカート・ヴォネガットジョン・アーヴィングリチャード・ブローティガンレイモンド・カーヴァーレイモンド・チャンドラーも獲っていない賞を村上春樹が獲ることはありえないが

ボブ・ディランカズオ・イシグロが受賞した賞なら村上春樹が受賞する可能性は十分にありえるということだ。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20171006224419

上記を受けての記事です。

 
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