はてなキーワード: 日系人とは
スコ猫という種そのものが障害を持つ種族であるけどその種を断種すれば障害を持つ「猫」は産まれて来なくなるが同時に「スコ猫」も産まれてこなくなる
では日本人という人間そのものが合理的判断をできない障害を持つと認定されたときに日系を断種すればその障害を持つ「人間」が産まれて来なくなるが同時に「日本人」も産まれてこなくなる
火病持ちを障害扱いして朝鮮人を断種しろ!というのに賛同できるなら
また、欧米よりも圧倒的にSlerが育たない環境しか作れない日系人種もまた障害持ちであり断種されても仕方ないのではないか?
だから種を断種するということがどういう行為なのかを一旦考えてみるべきだと思う
例え痛みや障害を抱えても生きる権利はあるし、産まれてくる権利もまたあるでしょう
だいたい不治の病を抱えて産まれてきた障害者が短命の中でも自己肯定を失わない以上は
お前は産まれてくるべきではなかったし、これからはお前のようなやつが産まれてこないようにするなんて発言は許されるものではない
後天的に障害を無くせるようにするならばともかく産まれてくることを否定するのは極めて危険
アメリカ西海岸に数年滞在してみて、英会話コミュニケーションにおける各人種の性格的特徴について思ったことを書く。
あくまでも個人の意見であり、人種差別を助長させるものでは決してないので注意。
仕事や留学で渡米したばかりの人、またこれからアメリカへの長期滞在を考えている人は参考にしてください。
・白人
アメリカのマジョリティ人種なだけあって、自分に自信のある人が多い。
とにかく喋り方に自信が満ち溢れている。
男性は王様気質で自分が一番正しいと思っており、悪く言えば傲慢だが、気さくな人が多い。
(ただしこれは私が女だから向こうが気を遣っているだけであって、日本人男性に対しては冷たい態度を取る場合が多いようです)
白人女性はプライド高いというかツンツンしてる人が多くて、片言英語だとあまり相手にしてくれない。
余談だが、男女共、自分達が他人種の異性に一番人気あるのを自覚してると思われる。
・黒人
映画のイメージで陽気な人が多いかと思いきや、割と排他的。男女共にマイペース。
黒人女性はそうでもないが、黒人男性の英語は訛りが強すぎて(何故性別によってここまで差があるのかは不明)、何言ってるかわからない。
そしてこっちが理解できないと一方的にコミュニケーションを放棄する。
ゆっくり喋ってくれるとかこちらが理解できなかった単語について説明してくれるとかは一切ないので、英語初心者にとっては彼らとの会話は難しい。
ジョークをよく飛ばすが、日本人とは笑いのツボが違うようで、意味の分からないところでゲラゲラ笑う。
日本人にとっては、彼らとの会話が一番イージーかもしれない。
移民一世はスペイン語訛りの英語を話し、母音を強調した発音をするので、とても聞き取りやすい。
渡米したばかりの英語初心者にはまず彼らと会話の練習をすることを勧める。
また、一応被差別人種であるため、英語に疎い外国人の気持ちをよく理解してくれて、更に黒人ほど酷い扱いを受けているわけではないので、他人種に対しても排他的ではない。
トランプ政権で何かとネガキャンの対象にされているけど、個人個人で見ればいい人たちが多いです。
・アジア系
意外かもしれないけど、やっぱり文化的に近いからか、中国系や韓国系は日本人と気質が似ていると思う。
比較的温厚で相手のペースに合わせてくれる。愛想笑いがよく見受けられる。
あとどの人種よりも日本のことについて興味を持ってくれるので、英会話上達のために彼らとつるむのもアリかもしれない。
逆に東南アジア系は気が強い。
自己主張はしっかりするくせに他人に対してあまり友好的ではないないので、日本人とは合わないかも。
・中東系
周りのサンプルが少ないのでよくわからないけど、大人しい人が多い気がする。特に女性。
男女ともに保守的な考えを持つ。
中東問題についてはタブーかと思いきや、割と自分達から振ってくる。
番外編
アメリカに住んでる日本人は、本国からやってきた日本人が嫌い。
私と一緒に歩いているアメリカ人の友達に対してはフレンドリーなのに、日本人の私にはそっけない態度を取る人が多数。
おそらく同族嫌悪なんだろう。
トランプ大統領は日本人に対して少なくとも好意的では無いと思うのだが、トランプ氏を支持する日本人は一定数いるようだ。なぜこのような人達はトランプ氏を支持するのか、簡単ではあるが理由を調べて見た。
ここでの「敵」としてはマスコミ、中国などが該当すると思われる。トランプに好意的な人は反マスコミ的な発言が多い傾向があったのでこれは結構ありそう
「敵の敵は味方」に近いけどこの辺を期待している人はそこそこ確認できる
これで米軍基地がなくなってくれたり日米での不平等な関係がなくなることを期待している模様
さすがにトランプ氏は親が元々不動産業やってる金持ちだったという話は皆知ってそうなので、これは少ないかとは思う
さすがにこれはないとは思うが、日本人は白人だと思っている人がいるという話を聞いたので一応。ちなみにアメリカ育ちの日系人によると、日本人はアメリカでは黒人と同じポジションだそうだ
アパホテルの例の本を考えてみる。
そのホテルにナチスのユダヤ人迫害はインチキだ陰謀だ的な本が備え付けてあったとして。
何を思うかといえば多分特に何も思わない。
帰国して土産話のついでに、泊まったホテルが変なホテルでさって笑い話にするくらい。
米国に行ってホテルに泊まってそこに本が備え付けてあったとする。
うん、腹は立つかもしれない。こんなホテル二度と来るかって思うかもしれない。
帰国して土産話のついでに、泊まったホテルがふざけたホテルでさって話すだろう。
けどその悪印象をそのまま米国全体に当てはめるかといえばしないだろう。
たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。
まあ多少のイメージダウンはあるかもだけど、
いちホテルのことを国全体に敷衍する方が差別的だと思うのでそこは混同しない。
https://oriver.style/cinema/tcc2016-cb/
先日東京コミコンが開催され、その中でマーベルの副社長であるC.B.セブルスキーさんのトークショーがあったようだ。
該当の記事には多くのブックマークコメントもついており、皆様々な意見を言い合っている。
しかし、この記事で一つ大きな誤解が生まれており、いくつかのコメントはその誤解のために少し的外れな内容になってしまっているように思える。
本記事ではその点についての私見と他国に日本のコンテンツをどう広めるていくかについて書こうと思う。
■マーベル副社長は「日本人よ、日本にしか通用しないものばかりを創るな」などと言っていない。
まず、大きな誤解を招きかねない原因はこの記事のタイトルに原因がある。
マーベル副社長「日本人よ、日本にしか通用しないものばかりを創るな」
と、でかでかと記事タイトルを掲げているが、記事の内容を見るとセブルスキーさんはそんなことを言っていないのがわかる。
という部分は「世界を目指せ!日本の映画産業は小さくまとまりすぎている」という段落の中でまとめられている。
日本の映画産業は小さくまとまりすぎであるというところ。日本のファン、日本の観客のことしか見ていなくて、海外の観客のことを全然考えていない。日本の監督、映画プロデューサー、映画会社はもっとグローバルにやっていくべきなんですよ。だって、日本にはとても優れたストーリー・テリングの伝統があり、日本文化はもっと世界に受け入れられるものなのだから、物事をもっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」
ここでセブルスキーさんが言っていることをよく見るとわかるが
「日本文化はもっと世界に受け入れられるものなのだから、物事をもっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」
つまり、日本の映画・アニメ文化的なものが受けないとは決して言っていない。
これはセブルスキーさんも言っているが、過去の実績からも明らかだ。
マジンガーZやグレンタイザがヨーロッパの一部で受けたり、セイントセイヤがラテンアメリカで受けたり、マッハGOGOGOがアメリカのマニアに受けたのは明らかだが、これらの作品が果たして海外を強く意識した作品だっただろうか。
巨大ロボットに乗りながらも、強く苦悩したデューク・フリードはヨーロッパでの受けを狙ったとはとても思えない。
海外で高名な黒澤明や小津の作品がアメリカ風やヨーロッパ風、あるいは中国風の映画だっただろうか。
事実はその全く逆だ。
黒澤が作った作品で恐らく最も有名な作品である「七人の侍」は時代劇ではないか。
侍が出てきて日本刀で百姓と一緒に戦う映画のどこに西洋らしさがあるのか。
小津の映画は全編が静謐としており日本人らしさに満ち満ちている。
明らかに日本人らしさに溢れているにもかかわらずこれらの映画はそのどれもが海外で受けた。
モチーフに西洋風のものを使っていたとしてもその作品の根幹は日本人らしさで溢れている。
セブルスキーさんは現状存在する日本映画のストーリー・テリングの伝統をそのまま貫けば良いといっているだけだ。
ここで注目すべきなのはむしろ、前半の部分で海外の観客を見ろと言っている部分だ。
海外の観客にコンテンツを届けたり、今現在既に存在する海外の観客が何を思っているのか良く考えろと言っているのだ。
それは、コンテンツの内容をアメリカ向けに変えろとかそういう話ではないはずだ。
例えばクランチロールでアメリカやカナダ、ヨーロッパで受けている作品は何かの一覧を発表していた。
なるほど、バイオレンスが好きなアメリカ人らしいと思うが、であればアメリカで物を売りたいのであれば今後そのような作品を積極的に送り出せばいい。
しかし、そこでアメリカ人におもねって、不自然にアメリカ要素を入れたりするべきではない。
我々日本人の考えるバイオレンスさと、ドリフターズで受けいれられた要素を真剣に考えるべきだ。
アメリカのような作品を作りたいと、アメリカのコンテンツを適当にナメタような態度で作ってもアメリカ人の作った作品に敵うわけがない。
生まれたときからアメリカで育ち、アメリカのものの考え方をしている人のようなことを日本で育ち、日本で生活をしているだけの人ができるわけがないのだ。
骨をうずめる覚悟で何年も生活すればまた別かもしれないが、そんな人がなぜ日本の映画・アニメ産業で物を作らねばならないのか。最早意味不明だ。
日本人は日本人でしかありえず、それ以上でもそれ以下でもない。
それはつまり我々の作る作品は日本人的でしかありえずその枠から出ることは決して出来ない。
かならずどこかに日本人的な部分が混じる。
アメリカが世界的なコンテンツを作ることが出来るのはある社会的な前提条件が存在するからだ。
インディアン/ネイティブアメリカンの生活していた文化やヨーロッパからやってきた文化。
そのどれもが並立して存在しており、また映画製作の現場でも多数の民族の文化が交じり合う。
このような状況を無理やり日本に作り上げたいなら東宝や松竹の社長をアメリカ人にして、フランスの映画監督でも引っ張ってくるしかない。そしてスタッフには多数の外国人スタッフを入れるべきだ。
しかし、残念ながら日本の社会でそのような会社を作り上げるのは難しいだろう。
少なくとも主流にはなりえない。
であるなら、我々は逆に日本人的であることを貫き続けるしかないのだ。
これは日本人の文化SUGEEEEEEEEEEEEEとか日本最高!であるとかそういうことでは決してない。
日本で生まれ、日本で育った日本人が「自分のストーリーを語る」とは一体なんなのか?
それを突き詰めると結局日本で生活した人間の目線から見た作品でしかありえないのだ。
例えば、近年東京で増えてきた外国人と日本人の交流・衝突を描いた映画であるなら語れるだろう。
あるいは「シン・ゴジラ」のような日本のポリティクスを突き詰めた作品をもっと作ってもいい。
細部については理解しやすいようにローカライズするのも構わないだろう。
しかし、将来を見据えるならそういったカルチャーの積み重ねによって理解してくれる人を増やすしかない。
海外では日本被れをweeeabooooといって揶揄する言葉も存在する。
では、ハリウッド映画を毎年のようにバンバン見ている私たち日本人はなんなのだ。
そこらじゅうweeeabooooだらけではないか。
もし本当に日本のコンテンツを海外に広めたいのであれば、文化的衝突を恐れてはならない。
海外の人が日本的なものを作って欲しいという要望を出しているのにもかかわらず
なぜか海外的なものをつくらなければならないと勘違いしてしまう事が日本では多発する。
「日本にはとても優れたストーリー・テリングの伝統があり、日本文化はもっと世界に受け入れられるものなのだから」
という発言を聞いておきながら
というタイトルをつけるのは雑すぎるだろう。
もっと日本人の観客の言っていること、海外の観客の言っていることを良く聞くという地道な
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161020/1476918294
と思ったのだが、某海外在住経験が長い人によると、そもそも誰かの発音を笑ったり、日系人が大統領になれるわけないだろと言うのは「たとえ思ったとしても、決してまともな人は口や態度にだしてはならない」という暗黙のルールがあるらしい。つまり、すぐにレイシストと認定されてしまうそうなのだ。だから、その論法で行くと、石原さとみの英語が変だとか、あんな米政府高官がいるわけないって言ってる日本人はもっとマヌケというか、それこそが欧米社会では容認されない態度になってしまうのだそうだ。多民族国家で様々な人種・差別問題を抱えているからこそそういうルールがあるのだろう
こういう感覚はもう少し広まるといいなあと思った
http://anond.hatelabo.jp/20160829171356
のブクマページ http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160829171356 を見たら、
「いくら不自然でも、石原さとみがかわいければいい。米国人受けなんか気にしなくていい」
という声が圧倒的に多かった。
しかし、市場規模で言えば、日本市場は世界のなかで圧倒的に小さい。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160829-00061607/
数字で言うと、世界全体で 383億ドルで、そのうち日本は 18億ドルだ。比率で言うと5%弱だ。
http://www.animeanime.biz/archives/22585
こんな小さな市場で、こんな小さな売上げだけを得ていれば満足だというのは、あまりにも肝っ玉が小さい。怪獣は史上最高のでかさだが、東宝とファンの肝っ玉はミジンコのごとく小さい。ノミのキンタマというべきか。
こんなふうに日本国内における自己満足で、「泉ちゃんはかわいい」「さとみかわいいよさとみ」なんて言っているようでは、先が思いやられる。まともな CG の開発費用も出ない。
まあ、彼らは自己満足しているだけでおしまいなのだろう。世界的規模で 20倍の市場をめざすという発想には馴染めないのだろう。それならそれで仕方ない。
シン・ゴジラは、国内版とは別に、海外版を作るべきだ。そうすれば、外国人俳優を多用することで、多額の興収が海外市場で望めるだろう。
いや、いっそのこと、製作権を丸ごと海外の会社に売り出すべきだ。そうすれば、製作権を 10億円ぐらいで売れて、東宝は濡れ手で粟で大儲けできる。
その一方で、海外の映画会社は、10億円の代金を支払うことで、200億円ぐらいの興収を得ることができる。日本専用の庵野版シン・ゴジラは、海外ではたいして興収を得られないだろうが、内容はそのままにして、外国人俳優と外国版 CG を使った海外版のシン・ゴジラなら、200億円ぐらいの興収を得ることができる。いや、ひょっとしたら、300億円になるかも。
シン・ゴジラの脚本には、それだけの魅力がある。なのに、東宝には、それを生かすだけの資力もないし、配役能力もない。だったら、海外の会社に製作を任せるべきだ。自分で製作ができなければ、海外の会社に製作を任せるべきだ。そして、海外の会社に百億円規模の大儲けをさせた上で、東宝も1割ぐらいのおこぼれをもらえれば、それで満足できるはずだ。(コバンザメ商法)
無能な会社は、無能なりに、製作権を他社に渡すことで、少しは儲けることができる。おこぼれを。
石原さとみ役は、google:image:ナタリー・ポートマン で。興収 200億円なら、高額ギャラも払えるだろ。
【 ブコメ 】
Borom ナタリー・ポートマンにしたら「日系人のカヨコが祖母を不幸にした原爆投下を二度と行わせないために立ち上がる」ってシナリオ破綻するんじゃない?
ナタリー・ポートマンは、菜食主義で、ハーバード卒で、ユダヤ人。「虐殺されてきたユダヤ人の痛みがわかるから、原爆で虐殺されないように努力する」でOK。完璧だよ。
ニューヨーク版作ればいいのでは
何を以って海外版『シン・ゴジラ』なのかよく分かりませんぬ。単にゴジラを海外(ハリウッド?)で作れっていうことならそれはもうレジェンダリーピクチャーズ版がある、けどそういう単純な話?
ハリウッド演出ではないリアルなアメリカ版シン・ゴジラも見てみたい気がするが、日本版とはまったくちがうシナリオになるだろうね / リスク評価によっては、核利用は十分にオプションとしてあり得るかも
海外版は、シン・ゴジラの翻案やリメイクではなくて、現状のまんまです。翻案やリメイクなら、いくらでも勝手にやればいいが、別物となります。また、ヒットする保証もない。庵野版をそのままで、俳優の一部を欧米人にするだけだからこそ、成功が保証される。
なお、米国版だからといって、場所の設定を米国にすることはありない。場所の設定は日本に限られる。なぜなら「核爆弾を落とす」という可能性は、日本だからこそありえた選択肢だからだ。
庵野版では、核の使用について、「そこがニューヨークでも同じことをする、と彼らは言っていた」というセリフがあるが、実際にはありえない。同じことをするわけがない。仮にゴジラがニューヨークに出現したら、ゴジラがニューヨークを出たあとで核を使用するに決まっている。ニューヨークを出て、東京(など)に到着したら、その段階で核の使用を決断するはずだ。それが最も合理的だからだ。(自分たちが死ぬかわりに、他人が死ぬのだから、その方が合理的だ。)
というわけで、ゴジラが米国に出現したら、「核の使用」というオプションがなくなるので、映画全体の緊迫感はなくなる。だから、ゴジラが出現する場所は、「核の使用が可能な地域」つまり「白い人間の住んでいない地域」つまり「黄色い猿の住んでいる地域」に限られる。結局、ゴジラが出現する地域は、日本しかありえないんだよ。ゴジラが米国に出現したら、ゴジラ映画そのものが成立しなくなる。「ゴジラがニューヨークに登場する形でリメイク」なんてことは、絶対にありえないんだ。(少なくとも、シン・ゴジラに関しては。)
※ ついでに言うと、東京に核爆弾を落とすというのも、現実にはありえない。東京を出て、群馬か福島あたりに行ったあとで、核爆弾を落とすに決まっている。東京に核爆弾を落とすなんて、ありえないだろ。
わかっている。だから日本向けの会議場面は大幅にカットして、ゴジラのアクションシーンを増やせばいい。脚本にさらに加筆はしないが、一部は大幅にカットしていい。
いやいや。全部作り直したら、金がかかりすぎる。石原さとみのところと、CG のところだけを変えるだけでいい。あとはそのまま使う。(ただし大幅に短縮する。)
これだったら、撮影のコストはギャラ代プラスアルファぐらいで済むし、CG のコストは必要経費だけとなる。全部作り替えるほどのコストはかからない。
※ CG は現状のままでもいい。しょぼいけど。
なお、「細かすぎて伝わらない」というのは、問題ない。細かいところは伝わらなくてもいい。映画として失敗していなければいい。ちなみに、千と千尋や、もののけ姫は、日本丸出しだったが、世界中で受けた。日本的だとしても、普遍性があるものは、受けるんだよ。
(「国民性ジョーク」というのがあって、「米国人はこうした、日本人はこうした」という話をすると、世界中のどこの国でも爆笑を得る。日本人の愚かな国民性は日本人にしか理解できないということはない。世界的に有名だよ。)
【 参考 】
評判は? とても好評だ。詳しくは下記のトラバ。
シン・ゴジラの真価は、これから広がるであろう一見さんによる批評の中にこそ有る。
つまり、「満点からマイナスされうる特撮映画」が帰ってきた、と言う意味だ。
1週間ほど前に話題のゴジラを見に行った。面白かったは面白かった。
が、事前ハードルが上がりすぎていたのか、粗(に私には見えた)の部分が結構気になってしまい、正直世間で言われている程に「大傑作」にはあまり見えなかった。
確かにその通りで、それは欠点だ。
それは、長年特撮ファンが受けたくても受けられなかった指摘だ。
「まあ、子供向けの怪獣映画にしては良く出来てたよね」という感想からの脱却。
「対象年齢を考えても酷い」とか「大人の視聴に耐えうる人間ドラマ」とか
そういった「オヤクソクを共有している視聴者」向きの話じゃない。
つまり、「ファインディング・ドリーと比べて」とか
だからこそ「大傑作」であり、それ故に「まあまあ面白かった」という感想が併存しうる。
最近は「ゼロからプラスして積み上げる特撮映画」しか無かった。
「(全体の質はハリウッドと比較しようも無いけど)特撮部分は良かった」
「(全体の質はハリウッドと比較しようも無いけど)ドラマパートはヒドイ」
みたいな「邦画の予算規模で制約の多い特撮映画において」という限定が常についていた。
粗はある。荒削りでもある。
それでも恐らくは邦画の現場における特撮映画のベストを尽くした映画だと思う。
それは特撮ファンなら邦画の環境に絶望せずに希望を見いだせる一筋の光であるし、
一般人から見れば、「怪獣映画だけど面白いらしいよ」と観に行ける映画になってる。
「日本の特撮映画として100万点」のシン・ゴジラで終わるならソレまでだ。
でもきっと「世界の映画の中で70点」のシン・ゴジラだと評価してもらえる。
怪獣を通じて、日本の災害を正面から描き、国のあり方をポリティカルな視点から捉える。
世の中は稼いだものが正義で、投資してもらえるのは評価された作品だけだ。
その意味で、きっと一般人からみても、投資に一口のれる出来じゃないだろうか。
ダシに使ったので、不満点に共感しつつ、違う視点を提供しておくよ。
映画観に行った後のファミレスでダベってる感じで読んでもらえればと思う。
(人は感じたことが全てであり、反論しようとは思っていない)
主人公の矢口が会議中に巨大生物に言及するのだが、この時点で矢口がそう判断に至った材料は精々ネットの動画程度であり、あそこでアレを「生物」と考えるのはかなり不自然だ。
シン・ゴジラの主人公格である長谷川博己演じる内閣官房副長官の矢口蘭堂は、
竹野内豊演じる内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)の赤坂秀樹から
「会議は結論ありきで進んでいる。かき回すな」と助言を受けている。
また、エレベーターの中で、立場が上の人間に対して「楽観やこうあって欲しいという願望が、先の大戦で何百万人も殺した」とワリとハッキリ苦言を呈している。
矢口は生物と断定しているのではなく、「巨大生物の可能性を俎上に載せないのはマズイ」と判断しているのではないだろうか。
(ネット上の映像がフェイクであれば、それを作った人間の動機がテロで無いことを確認するまで安心しないタイプ)
ニュース映像での「巨大生物の尻尾」について、ニュースの真偽を問うシーンがないのは映画の都合だと思う。
ニュースの第一報だと見るのが妥当なシーンだし、それならアレは何のジョークだと笑うのが現実的ではなかろうか。
同種の別個体については、検討は並行で続けているが、映画の都合でカット、じゃないかな。
別個体だとすると、観客は「ゴジラ対究極生物なのか?」という疑念を抱きながら観ることになり集中力が削がれる。
(一つは倒れるマンションから逃げ遅れた家族、一つは溢れた川から逃げる男性、もう一つどこかで同じことを思った気がするが覚えていない)
たぶん、残りの一箇所は、自衛隊の戦車が潰れるシーンか、注入第一部隊の全滅の部分じゃないかな。
マンションの荷物を詰めていてマンションごと押し倒される家族、川からの逃げ遅れ(たぶん画面の奥側に向かって走る男性)は、
災害の描き方の問題で、ゴジラによる人死を描いているわけではないと思う。
あの一連のシーンで感じる「いまどこに災害が近づいてきているか一般市民には把握できない」という恐怖は演出として一貫していると思う。
(状況把握のしようがなく、気がついた時にはもう遅いという恐怖は、5年たってやっと直視できるようになった映像だと思う)
病院とか今まさに災害の現場は出てこず、災害が通り過ぎた後の映像だしね。
密室と俯瞰した映像に寄る災害描写は、予算制約を逆手に取った脚本の作り方の問題であり、
その意味で「巨大不明生物がなぎ倒したビルにも当然人が残っている」というのを伝える手法に限界があったのかな、と思う。
ほぼあの家族しか直接の被害は確認できないのに、それ以後の緊迫感は違う。
だけど、アレ入れて欲しくない、というのも判る。
浮いてると思うよ。これはシナリオの歪みが集中してるせいだと思う。
これ、後でちょっと付記するけど、「シナリオの都合の上で」リアリティラインは高く見えるようにしてあるんだと思ってる。
例えば、東京駅前に当然あるはずの広大な敷地について劇中一切言及されていない。明らかに不自然。
筋論として、日本が米国に頼り、米軍が日本国内で武力行使する、という流れのハズ。
仮にも主権国家に対して、他国が熱核攻撃を短期間に強行する理由がない。
日本が壊滅するまで自由にさせておき、主権が及ばないところに出てからの攻撃になるはず。
ちょっと日本以外のまとまりが良すぎるというか、世界があまりにも日本に対して冷淡すぎる。
「ゴジラを生み出したのは、牧元教授という日本人では?」という点、
外務省や駐在武官を無視して政権が直接軍事について外交を行うと言う部分を抑えると
祖母が原爆による被害者であり、日系人でアメリカ政権に対して一定の譲歩を引き出しうる通常外交ルート外の存在は、
石原さとみ演じる米国大統領特使のカヨコ・パタースン以外であっても、
やっぱり荒唐無稽に見えるだろうし、どうしても浮いてしまうのは仕方がないと思う。
彼女はシナリオの不備による歪みを一手に引き受けて浮いているのだと思う。
まあ、じゃあどう直せば良いかって言うと、アメリカ側を描くには予算が足りなそうだな……
ゴジラに原子炉載せて、排熱への対処(生存本能)で進化するって道筋つけると、焼却 or 凍結ってのは判りやすい。
シナリオの都合でアメリカに熱核攻撃を担わせると、日本が特撮的な花である爆発(焼却)を使うのは難しい。
そもそも「カタルシスを得られない」ということそのものが、演出意図なのではないかなと思う。
一応、血を流すことから排熱に血流を用いているのではってのは合理性があるし、血液凝固材も30種類?試して効くのは確認してる。
元素変換する相手ならどこに投与しても一緒って意味では、口に見える部分に引っ掛けて体内注入するってのは効果的とも思う。
仮定に仮定を積み重ねて、地味な作業で原子炉の終息にもってくってのは、福島第一原発事故対応への直喩だろうし。
「ショボい」処理で、しかも「まだ終わってない」ってのを、東京駅に凍結させたゴジラで示しているのでは、と。
(政府が冷温停止を宣言したのも、冷やし続ける必要があるってのも、同じ構図だよね)
加えて、ヤシオリ作戦に関しては、矢口の陣頭指揮の部分にも中途半端さに違和感があり、これまで徹底して「対策室で対応する政治家」を描いてきて、結局最後は「主人公が現場の陣頭指揮を取りに行く」というのを描くのか、というのに少し落胆した。
一応は、逃げ遅れた人がいるかもしれないけどやる?とか、線量が予定よりも多いけど続行するのか?とか、判断はあったと思う。
どっちかというと、多分最初に感じたであろう「え?総理大臣は逃げるの?残らないの?」みたいな感覚を
「いや、指揮官は後方に控えてないと死んだら終わりだから」に観客の気持ちを変えたかったんじゃないかな、と思う。
それでもまあ、良くあるヒーロー映画みたいにゴジラに触れるような最前線までは最後まで行かないし、良かったんじゃないかな。
(良く言われる「陣頭指揮」を観客がどう捉えるかが、映画を見た後で変わったのではないか)
正直に言えば、予算の都合で、東京のみの話にしないと収拾が付かないと思う。
「福島第一原発事故」が「東京駅」で起こったとして、煽りじゃなくて日本としての機能がどうなったか考えるとゾッとする。
その俺の思いと重なるが、何度も「経済的」な話が出てくる。
経済的には莫大な損失とか、熱核攻撃を受けて世界から支援を受けないと復興できないとか。
損得勘定で熱核攻撃を仕方がないと受け入れる「論理」と、象徴的な意味で核攻撃を受け入れられない「感情」との対立軸にも見える。
「国」とは何なのかを観る人に問うシナリオになってたんじゃないかな、と。
まあ観たひとに届かないのであれば、そりゃ成功してないわけだけど。
まあ、観たひとに届かない思いは独り善がりなワケでダメなんだと思うけど、
最初に書いたように、そういう「普通の映画のダメ出し」してもらえるところにシン・ゴジラの価値がある。
と、思うわけで、やっぱり気になる点を俺も最後に列挙して置こう。
熱核攻撃をあの付近で行うことに対して、日本人が触れないってのはあり得ない。
「彼らはここがニューヨークでも同じことをするそうだ」とはセリフにあるけど、あれ「ワシントン」じゃないんだよね。
(あくまでも経済の中心であるというセリフであって、象徴的なんだけども)
突然地上にさまよい出た、排熱の為に進化した、冷却のために海に戻った。
突然さまよいでることも、デタラメに動くのも、再冷却の為に海に戻るのも災害っぽい。
進化の方向性として陸上に特化してしまったとして、海水を捨てて地上に出てくる理由が不明。
牧元教授が好きにした結果、ゴジラを生み出して、意思を方向づけたなら判らなんでもないけど。
(配偶者を原爆で亡くし、国と核を憎んだ牧元教授なら、先の大戦の直接の責任者である国の象徴にまず向かい、その後アメリカ上陸を目指すのは理にかなっている)
途中、スパコンの計算能力貸して欲しいって海外の研究機関に依頼するときに、
一旦「ウチの技術を盗むかもしれないから断ろう」みたいなセリフがあるんだけど、
もしも「間に合わなかったら首都が熱核攻撃を受ける」みたいな状態なら、
「ひとを信じよう」みたいなのんびりした話にはならないと思う。
(秘密裏に国連安保理が熱核攻撃を容認するって、日本は外交力ゼロってことになる)
(そうすると、フランスと裏取引する外交技術との整合が取れない)
シナリオが福島第一原発事故を念頭に置いてるからなんだろうけど、
ゴジラに対して調伏(焼却or冷却)しか選択肢が無くなってるのに違和感がある。
保護が無理、退治が難しそうなら、通常は追い出しの手段を検討するんじゃないか。
餌で釣るのか、行動パターンを読むのか、押し返すのかは別にして。
追い出しにリソースが避けないって言う描写は欲しかったかな……
(これはほとんど「他の個体についての言及がない」ってのと同じポイントだな)
映画を見ながら、実際に災害になったらどう逃げようか俺は考えた。
かなり踏み込んで災害を描いてるような気がするけれども、どうかな。
相談の仕方が分からないけどネット上では既にIDがあるのでここを使わせてもらう.
半年に一回くらい,心がすごく痛くなることがある.奇しくも今日がその日となってしまった.
いつもの通り寝て食って嵐が過ぎ去るのを待つのもいいけど,最近小説を書き進めていることに関連して,僕の心のなかを書いてみようと思い,某記事を思い出してここに来た次第だ.
まず,痛くなった原因っぽいのを幾つか.と言うか今日の行動まとめ.
今朝の夢はゲーム内イベントの期間がいつの間にか終わっちゃってるって内容だった.皆勤賞を逃してすっごく嫌な気分だったけど目が覚めて日付とイベント情報を見てホッとした.他の夢は忘れた.
そして風呂入るの忘れたまま寝ちゃってたんでほかった.ほかったってもう最近使わなくなったよね.
風呂上がって歯を磨いてたら物音がした.母が起きたっぽい.しまったと思いつつも観念して顔を合わせて自室へ.また風呂代がもったいないと暗に言われた気がした.
その後寝たらまた昼まで寝そうなので寝ずにPCでゲームしてた.生産性のない繰り返しのゲーム.チートまがいの強化をして無双をして飽きての繰り返し.オンラインじゃないから誰にも迷惑かけてない.
1ゲーム終わった辺りで一応起きてることを示しにリビングへ.最近親に顔合わせるっていうかリビングに行くのも億劫.これは引きこもりの第一歩かな?
兄も起きてきて朝の忙しない時間.僕は普段居ないから何していいか分からず棒立ち.兄はペットの世話,母は仕事とご飯.今日の朝食はコンビニ麺.ワカメそばは飽きたって言ったらとろろそばになった.
いわゆる鬱回で泣きそうだから事前に対策を打つ.コメンタリーとゲームを挟んでみたら泣かなかった.でもつらい部分はつらい.でも好きな部分は好き.
昼くらいにアニメ見終わる.終わっちゃった感と終わった感に包まれつつ昼飯.また麺.昼は自分で作る.
この時指をはさみで切る.久々に出血にビビるけど湯が沸いてるので冷静に対応した.パスタはうまかった.
食後眠くなったのでエナジードリンクを無駄に飲む.寝ても良かったけど今日CD届くし.と思ったらあとから調べたら不在でもポストに入れてくれるタイプらしい.じゃあリビングにいても意味ないし自室へ.兄はもう寝てた.
CD待ちつつゲームとか小説の設定整理とか.主人公格の数人の名前とか特徴とか決まって嬉しい.絵も描きたい.まだスキルはない.でも板タブはある.
そうこうしてるうちにCD着てた.取りに行ったら兄も起きてた.ここらへんは確かアニメのドラマCD的なの聴いてたと思う.買ったCDインポートしようとしたら自動再生されてびっくりした.
びっくりしたので横になる.2ch見てたらとあるスレが目に入る.
詳細は省くけど母祖母殺しのやつ.生前いじめられてたからその情状酌量がどうとか.
いつもだったらへ~くらいで流してたろうけど,今日は引っかかってしまった.原因はアニメ見て感情が高ぶってたのと爆音聴いてびっくりしてたのと.
『肉親も愛せないような人が誰かを愛するなんて言ったって胡散臭いじゃん』
なんかメッチャ刺さった.きつかった.
実は僕彼女が居たんだ.誰にも言ってなかったけど.彼女は親友に言ってたけど.
居たんだって言葉通り,今は居ないんだ.死んではないよ.多分元気に腐ってる.
僕としては告白されて断る理由もないし,断ったら今後空気がつらいなって思って承諾した気がする.でも好きって言われてすっごく嬉しかったし,一緒にいてつらくなかったから幸せだった.
でも彼女は一緒にいるだけじゃダメだったみたい.曰く愛してくれるんだろうけど分からないと.貴方は私の一番だったのに,私は貴方の一番になれない気がする.でも一番じゃないと嫌だ.嫌だからもう距離を置こうと.
言われる前からなんか空気重いなって思ったけど言われてびっくりした.ちょっとだけ我儘だなって思ったけど別に嫌いになってはないよ.そもそも恋なんて我儘でナンボみたいなところあるし.
で,まあここで食い下がっても不毛なだけっぽいし,なんか彼女の眼冷め切ってるし,ちょっと怖いし.承諾してじゃあねって言ってからもう会ってない.たまに生存報告的なノリでSNS見るけど.
で,ここでさっきのレスに戻るけど.愛してくれていたんだろうけど分からないって言葉とリンクしてさ.
僕は本当に彼女を愛していたんだろうか?って.
求めていたのは愛してくれる存在で,それは一方的なものだと思ってたんじゃないかなって.
一方的な愛.そんなの某マリア様くらいじゃないのって思う?でも皆受けてたんじゃないの?親から.
僕は多分親の愛を感じられなかったんだと思う.本当に無かったは別として.てか本当ってなんだよ.感情に本当も何もあるのか?感情とかいうよく分かんないものに科学をぶつけるのか?
脱線した.戻す.基本誤字以外は訂正してないんで多分おんなじこと繰り返したりするけど許してね.これ独白みたいなもんだし.最初に言ったけど僕相談の仕方分からないし.
で,なんだっけ.ああ愛か.愛かって打ったら辞書登録してた長文が出てきて笑った.真顔だけど.
愛です.愛.愛ってなんだよ(哲学)とかやってもいいけどそういう気分じゃないのね.僕の独断偏見持論パラダイスで行くね.
どっかで聴いたけど子供は親とのつながりを起点にしていろんな人と付き合っていくらしい.親(母親が多いらしい)という絶対なる信頼基準を持っていれば,拒絶されても泣きつけるしうまく行けば報告してほめてもらえる.いいなあ.
僕はそこまでの関係を親と築けなかったんだと思う.僕は長男じゃないから,一回目の緊張した気分での子育てじゃなさそうってのもあるけど,環境と親の性格が影響していると思うのね.
まず環境.ここまで読んで気付いた人はすごい.褒める.から褒めて.優しくして.
そう,僕には父親が居ないのです!
あ,血縁上の父上は居るよ.中東に.日本人だよ.たまに帰ってくると髪メッチャ茶色になってるけど.あっいま住所にないから正確には日系人か?
僕にとっての『父親』ってのが多分他の人の父親とものすごく乖離してると思うんだ.
一般的な父親のイメージというかぼくがえがきだすりそうのおとうさんを挙げるね.なんかここで突然泣きそうになってきたけど耐えるよ.泣いたら怒られちゃうから.
おとうさんってのは,頼り甲斐があって,威厳があって,強いの.別に亭主関白主張しますっ!とかじゃなくていいの.寧ろそれヤダ.怖いじゃん.
例えばテストで悪い点数取ったら怒ってくれて泣いたら次がんばれよとか言ってくれる.かっこいい.
運動が得意じゃなくても良いよ.なんか一緒に遊んでくれたら楽しそう.一緒にスマブラとかしたかった.もう兄ともやらない.てか兄ともやったこと少ないかも.
でもね,でもね.うちの父上は違うのでした.
まずそもそも家に居ない.いつからだったかなあ,単身赴任したの.小学校あたりからかなあ.でも単身赴任前も仕事忙しくてあんまり喋ったこと無いんだ.お父さんが帰ってくる頃まで起きてると早く寝なさいって言われたことある.
それで,単身赴任中の父上と連絡は基本取れない.取ってても母介してだから秘密の相談とか出来ない.男同士の秘密とかも全く出来ない.そのせいか未だにエロい話苦手.自慰はするけど.エロい話は家族内タブー感ある.
たまーに父上は日本に帰ってくる.その度に色んなとこ行ったり豪華なご飯食べたりする.書いてる小説のせいでごうかが業火と劫火が先に出てきて笑った.これはくすっと来た.
最近はそんな感じだけど,一回決定的なのがあってね.
覚えてる?僕が友達と電車乗って遠くのヨーカドー行きたいって言ったの.アレまだ覚えてるよ.
最初お母さんに相談して,敗色濃厚だったけどせっかくお父さん居るし相談してきなさいって言われた.相談してみた.なんて言った?
絶望したよね.だってお父さんって家庭内で唯一お母さんと対立できる存在でしょ?あ,祖父母はないものとします.
まあ確かに母親が子の面倒見て父親が稼ぐってスタイルは普遍的だよね.でも意見すらしないのってどうなの?せめて貴方の意見を聞かせてよ.特にうちの母は普遍的じゃないんだから.あ,母親については後述.
この事件をきっかけにして,お父さんには何を相談しても無駄だなあって思うようになった.これが一つ目かなあ.
子供っぽいって言うと良い感じだよね.じゃあ悪い感じで言うね.ガキ.キッズ.幼稚.ごめんなさい.ガキ消そうと思ったけどやめた.
ここで関連してくるのがさっきのスレッド.儒教の教えかな,親は敬えっての.これが形骸化して,親らしくない親でも敬え的なことも言われるようになってるよね.スレッド内でも親絶対主義みたいなの居て怖かった.
簡単にまとめようとしてみるよ.うちのお母さんは子供っぽいから,親としてあんまり機能してない.というか不具合起こしがち.でも親だから敬わないといけない.そんな感じ.まとまってないなこれ.
まあ敬う敬わないは置いといて.どう子供っぽいのか.
親ってさ,悪いことしたら叱ってくれるし良いことしたら褒めてくれるってのが理想?じゃない?
でもね,あの人は当人の気分でキレたり機嫌良かったりが大半なんだ.
いくつか覚えてる例挙げるね.
なんか母親が頼んだことしなくて,僕がすねて部屋に引きこもった.母親は駄菓子屋行くから許して?って言った.僕は承諾せずだんまり.
しばらくしたら,下で母親がキレた.
ぼくは母上が失敗しても怒らないことを学びました!
TVが面白くてご飯食べずにずっと見てた.早く食べなさいって言われたけど空返事.
しばらくしたら玄関のそばにおいてあった僕のランドセルを土間に逆さにぶちまけた.
僕ギャン泣き.母ガン切れ.
言うことを聞かないとものに当たられることを学びました!
母親と喧嘩っぽいことになった.言い返した.泣かれた.部屋に引きこもられた.飯が食えない.まだ幼かったしご飯作れなかった.てか多分勝手に作ろうとするとキレられたと思う.
こんなもんかしら.いやもっとたくさんあるけどこれ書いてたら日が暮れるか涙出てくるかすると思う.もう日暮れてたわ.
まーこんな感じで子供っぽかったわけですよ.子供なら子供同士ぶつかり合えばいいんですけど,そういう時だけ親権限発動したりして.
簡単に言うと一方的なボコリですかね.ゲームで嫌われるやつだな.
まあここらへんまではある程度一般的なのかなあ.分かんない.友達の親皆いい人.日本人いい人.僕も母も日本人だけど.父も.
もう一つ致命的な点があってですね.
陰口多いんすわ.
一般的な陰口って当人の及ばないところでの集団での悪口とかそんな感じだったっけ?でもそうじゃないんだ.
しかも最悪なのが『聴こえる』ってこと.
家って防音性高く無いじゃん?普通の家だし.
そんな中でまるで目の前の相手に吐いてるかのように言ってるんですよ.もうメッチャ聴こえる.
聴こえる旨を言えばいい?言ったら聴いてることバレるじゃん.マジで殺されたらやだよ.
これに関して一番怖かったのはリビングで僕が遊んでる時(一人遊び),食卓の机に座りなら小声で(死ね死ね死ね死ね)って言ってた時.しかもその直後話しかけたら何事もなかったかのように返答してきた時.
書いてて思ったけどこれ心の病気なのかなあ.分かんない.
せめて対象設定してたら僕だ,僕じゃないとか分かったんだけどさ.してないからさ.
でも全部僕じゃないって思うのは無理で.僕とやり取りしたあとにやってたりなんかするとああ僕のことなんだろうなあって.
これが原因で僕は学校とか電車とかで誰のものともしれない悪口が飛んで来ると全部僕なんじゃないかって思うようになりました.
人間不信.本来信ずるべき肉親を信じられない.もう誰も信じられない.
そんなこんなで思春期くらいにはもう母親のことが信じられなくなってました.受験とかでがんばってねって言われても響かないし合格おめでとうって言われても何も喜べない.そのくせ悪態だけは信じる.
ダメですね.どうせなら何も信じなければいいのに.でも負のワードは全部本当なんじゃないかって思っちゃうし,正のワードはどうせ心のなかでは……って思っちゃう.
別に友だちがいないわけじゃあ無いよ.居る居る.合計10人位かな.
でも親友かって言うとうーんって感じ.いや皆いいやつなんだけどさ,裏では……とか本心は……とか思っちゃう.ひどい人間だ僕は.
そんなわけで冒頭の相談の仕方がわからないとも繋がるのです.だって心から信頼できていないから.相談事を言いふらされちゃいそうだから.
言いふらすで思い出したけど,付き合ったこととか何したとかも彼女は友だちに言ってたっぽいね.いや別にそれは良いんだけど.あ~そういうことも言っちゃうんだ-って思ったりもした.
僕は誰にも言ってないよ.付き合ってたことも,別れたことも.だって言わないでって言われたし.
ええっと,なんだっけ.いろいろ書きすぎて忘れちゃったわ.
あー,愛せないハナシね.そうそう.
まあ友達ともそんな感じなので,付き合ってもこんな感じで.手出して良いのか?って思っちゃって何も出来なかったりしたり.
そりゃ何もされなきゃ愛されてないんじゃ…?って思いかねないよな.わかるわ.分かってなかったけど.
そうだ,思い出した.
一番になれないって言われたけど,そもそも僕は誰かを愛したことがあるんだろうか?って事だね.
両親こんな感じだから愛とか全く感じられなくなっちゃって.でその埋め合わせを彼女に求めちゃって.愛して欲しかったけど愛し方は分からなくて.
どっかで見たけど当人の負担をパートナーに求めるのは甘えってのがあったな.確かにそうかもなって部分とじゃあどうすりゃいいんだって部分があった.
さて,愛されているとは思えなかった僕はどうすれば愛されるのでしょうか.
無償の愛を与えてくれる人には甘えてあげます.あげますってなんて上から目線だ.
こんな所で僕の話はお仕舞い.そろそろ母親帰ってくるからリビング行かないと.
この話はフィクションですって書いとかないと特定されたら燃えそうだな.そういうことにしといて.あと特定しないで.でも助けはきて.
日本でやってても全然マッチしないから、一ヶ月だけ仮想的にどこにでもいける有料オプション使ってみたんだ。
やっぱまずはヨーロッパいっちゃうよね。ポーランドあたりの東欧の美人のレベルはほんとハンパなくすげーなーって思いながら右スワイプマシンになってたけど、ふとアジア人の男なんて即左スワイプだろうなって悟って、どうせなら国によってどれだけマッチ数に差があるか見てみるのも面白いかもって思っていろいろバーチャル旅行してみた。
まず英語圏。
なんで英語圏の女の人はみんな腰に手を当ててるパーティードレスの写真なの?そういうルールなの?
あと車内のセルフィー多すぎだろ。
一応ヨーロッパへ。
やっぱアジア人は見た目勝負のとこでは対象外なのかなという印象。
中南米へ行ってみよう。
サンパウロ、リオ、ちょっと手ごたえあり。日系人が多いからかな。しかもマッチすると女性側からメッセージがくる。こんなの初めて。地球の裏側にいるって知ったらだいたい「遠すぎw」みたいな感じになった。けっこう前のめりの人が多かった印象。
モロッコ、カサブランカ、ちょっと手ごたえあり。こっちも「遠いわね」って感じでだいたい終了。
残り日数も少なくなってきたのでアジア行くか。
台北、ドンドンマッチ。日本語使える人が多い。たぶん日本人だからという理由での右スワイプ。俺は右スワイプマシン化。
ハノイ、スイスイマッチ。めっちゃかわいい子が多い。みんなこびてる感じのない健康的なかわいさ。右スワイプマシン化。
バンコク、ガンガンマッチ。露出が多い写真はだいたいレディーボーイ。でもみんなめっちゃきれい。右スワイプマシン化。
ジャカルタ、グイグイマッチ。たまにインドネシア人だと思われてインドネシア語で話しかけられた。右スワイプマシン化。
マニラ、ズイズイマッチ。混血独特っぽい美人が多い。フィリピンパブのおねえさんとは少しちがう。右スワイプマシン化。
どこも二日程度の滞在だったけど、後半のアジアの都市で一気に350人くらいとマッチしてほんとびっくりした。生まれる国間違えたかな…
有料プランだとSuper Likeが半日で5回使えるようになったから、できるだけピンときた人にはSuper Likeするようにしてたのもあるかも。
写真だけでスワイプするんじゃなくて一応ちょこちょことプロフィールも見てたんだけど、セフレ無用/ナンパお断り/チンコ写真送ってくんな死ね/半裸男は左スワイプしますみたいなこと書いてる人の多さといったらすごいもんだった。
ほんとこういうサービスにはろくな男がいないんだな…
ただ、これは逆にマッチした場合にこちらがオフラインで知り合った女の人と同じように紳士的に接してるだけで、ろくでもないチンコ野郎どもに飽き飽きしてる相手の女の人が好感を抱いてくれることにもなるんだけどね。
でも、一応全員にはじめましてーってメッセージを送ったものの、まずほとんど返事こないよ。返事が来ても次のやりとりにつながらない人が多い。
そこそこ話が続くのはみんな賢そうな人たちばかり。あと弁護士とか起業家とか医者とかやっぱ専門性があって自分に自信がある人だと話してておもしろい。その国の事情聞くのとかこっちの事情話すとすごく盛り上がる。
ちなみに、これだけマッチしてもLINEとかのメッセンジャーアプリの連絡先を交換したのは10人くらい。
初めから誰とも会う気もなかったしロマンスはなしでってプロフィールに書いてはいたんだけど、最近名前にハートマーク付けて呼びかけてくるようになってしまった人がいてちょっとめんどくさい。
自分は気の利いた会話ができる程度の英語力あるからほとんど会話で苦労はしてない。たまに英語苦手なんだよねって人もいるので、そういう人とは相手の言葉でグーグル翻訳アプリ使いながら会話してた。日本語じゃなくて英語から各言語に訳すとそこそこまともな訳になるのは経験的に知ってたから。
あんまりマッチしなくてつまんないなーって思ってる男性Tinderユーザー諸君は、一ヶ月だけ有料オプションを使ってみて世界の美人を見て回るバーチャル世界旅行に出てみるのもオススメだよ。
向こうも数十年前に日系人入れる時に同じこと思ってただろうけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20160125150456
もしも、スーパーポジティブな性格にその子が育つ保証があるのなら、まあそれもいいかもしれないけどな。
でも、そんなこと分からないし、最悪の場合はその名前のせいで、性格そのものに影響を与える可能性があるぞ。
容姿に合ってないだとか、苗字が平凡そのものだとか、面白い名前だねーって言葉にたとえ悪気がなくてもなんか気まずくなるから。
名乗ったときに相手から発せられる「え?」っていう声、あれに慣れるなんてことなんてないから。
慣れるとか言ってる奴はただ強がってるだけか、あまりにも鈍感になってしまっただけだから。
それか、おまえはアニメのキャラか!、と言いたくなるほどの超絶ポジティブだから。
ちなみに、これは俺の場合の話で、あんまりにも奇特な名前の場合は当てはまるだとかそれ以前の問題になるわけだけど。
俺の両親は、これからはグローバル(笑)の時代だから、海外に行っても通じる名前をとか言う理由で付けたけどな。
でも俺さ、実際に海外に数年間住んでたとき、よく言われたわけよ。
俺は買い物帰りで、寮のエレベーターに乗っていた。
荷物で両手がふさがった状態で、誰だかよく知らない日系人の男に蹴りを入れられて、なぜか荷物を手放して防御を取ることができずに、ひたすら痛みに耐えていた。
「やめろ…。何で急に…」
応えはなく、男はひたすら俺を殴ったりしていた。
エレベーターのドアが開いた。13階、俺の部屋。
俺はドアから飛び出して必死に逃げた。あの男はまだ追ってくる。
気づくとレストランにいた。ピアノが置いてある、上品な店だった。
俺は丸テーブルの椅子に何を注文するでもなく座っていて、近くに俺と同じくらいの歳の女の子ともう一回り年上の女性が座っていた。
レストランの注文はいつも苦手だ。日本でも苦手なのに、この国のレストランは大抵、初心者にもわかりやすいメニューというものを用意していない。
あの女の子と同じものを言おう。それが簡単だ。俺は彼女の注文に意識を集中させた。
ところが、ウェイターは俺のところには来なかった。
俺は飯を食いにここにきたのか?違う、ただ必死に逃げて、ここにたどり着いただけだ。
あの日系人の男はもう追ってきていないようだし、早く部屋に戻ろう。蹴られた腹がまだ痛い。
ここは一体どこなんだ?エレベーターを探そう。
俺は席を立って、出口を探そうと辺りを見渡した。
ピアノを見ると、あの女の子が演奏をしていた。声をかけたくなるくらい綺麗だったけど、今はとにかく部屋に戻りたい。
出口らしい階段が見えた。とりあえず行ってみよう。
蹴りを入れられた。あの日系人の男と言い、俺が何をしたっていうんだ?
二発目。どうにか避けた。
「Hey, what...」
言葉が続かない。
気づくとあの女の子が俺を背にして立ち、女の攻撃を受け止めていた。
女二人が格闘していて、俺は女の子の背に隠れる形で壁に追いやられていた。
「...Contract」
–––目が覚めた。実家の寝室だった。変な夢を見た。今は何時だ?
それにしても面白い夢だった。あのレストランは何だったんだろう。寮の13階にレストランなんてないのに。まあ、夢はしょせん夢だ。どこかに書き残しておこう。小説になるかもしれない。どんな設定がいいかな。俺は何かの理由で迫害されていたに違いない。
そんなことを考えながらリビングに向かうと、ピアノの自動演奏が有効になっていて、綺麗な曲がかかっていた。
待てよ、なんで俺は日本にいるんだ?授業は明日からだ。なんで今頃になって気づいた?なんで飛行機のチケットを買ってない?
違う–––俺は寮にいたはずだ。日本に帰ってくる予定なんてなかった。だから飛行機のチケットも買う必要がなかったんだ。
なのになぜ今俺はここにいる?
焦りで気が狂いそうだった。
勝手口が開いた。
買い物袋を持った母。
「あ、起きたの」
「母さん、俺、帰ってきた記憶がないんだ。帰ってくるつもりなんてなかったんだ。きっと誰かが勝手に、俺が無意識のうちに飛行機に乗せて–––いや、そんなことありえない。きっと俺は全部自分でやったんだ。それで、記憶をなくしたんだと思う」
「そうだったの?帰ってきて何も言わずに寝ちゃうから、疲れてるのかと思ったけど」
「寝言で何か言ってなかった?」
「そうねえ…」
経団連って30年前の失策をまた繰り返そうとしてアホの極みの無能集団どうにかしろ。
30年前にバブル時代に期間工が圧倒的不足して外国人に永住権与えるのは無理があるからって思いついたのが日系ブラジル人に家族まとめて永住権を与えるから日本で期間工として働いてって制作を思いつき数万人規模で日系人が来日を果たした、がしかしバブル崩壊後に期間工全員解雇され帰国して再就職しようにも金が無いしそもそもスペイン語と日本語では隔たりが大きく結局日本で過ごすしかないことになってしまった。
しかもブラジル含め南米はナチス残党が罪から逃れるために逃げ込んで余生を平和に過ごせるほどの犯罪者引き渡し協定が無いので日本で犯罪を犯してしまいブラジルに逃げ帰って無罪放免なんてことが許されている。
そんな状況を繰り返して人手不足だから外国人入れて働かすなんて経団連って学習能力無いだろ。
難民を日本に受け入れろとか言うアホは日系ブラジル人問題くらい解決できる得策なんて持ってるんだろうな?介護奴隷のためにエリート東南アジア人を数千人受け入れ1年経って半数以下になる現状くらい把握してるよね?
人手不足解決のためには日本で尊厳死制度を導入すればあっさり解決するのに有権者が老人ばかりなので躊躇する今の日本政府はクソすぎるので、社会補償とその国債利子が日本の歳出半分にまで行ってしまってる現状を見て対応をしてほしい。
ディズニーのフィニアスとファーブというアニメで、世界一周の途中で日本に立ち寄るシーンが出たんだが、何だか物凄い誤解を感じた。
日系人キャラの祖母に会いに東京に行ったら、中国風のBGMがかかり、ビル街の中に中国風の古風な建物が建っていて、その前にはこれまた中国風の笠をかぶり何か違う着物を着た肌の浅黒い老人が座っている、主人公達が訪ねると空手選手っぽい男性がドラを打ちならし、家からセーラー服を着た肌の浅黒い少女が多数飛び出してくる、少女達は黒目が顔の半分以上を占めるくらい異常に大きい萌え系の顔でみんな同じ顔だ。
ゲームっぽいピコピコ音楽にあわせて電子音っぽい歌声で歌い、ウマウマダンスを皆で踊る。
ロジックはエモーションに勝てないとかいって絶望している人がいるけど、バカじゃないのと思う。
ロジックはあくまで何か目的を達成するための道具でしかなくて、その目的はエモーションで定まる。エモーションとロジックははっきりした上下関係があり、目的を定めるエモーションの方が道具であるロジックより上。エモーションに対抗するためにロジックを使おうなんて、他人の目的が間違っているから、手段を変えよう、みたいな意味わからない話になる。そもそも、ロジックがそんなに大事なあなたは、死ぬ時に「あー、もっとロジカルに生きたかった」って思うの?
あと、今回の安保法案で、Sealsとか共産党とかよくわからない感情論を言っているのは間違いないが、賛成派だってそんなにロジカルなわけではないと思う。賛成派の「ロジック」は
B Aの結果、中国が攻めてくる可能性が下がる
C Aの結果、中国が攻めてきた時に米国が日本の側に立ち中国に対して宣戦布告する
だろうとおもう。まず、Aが不明。所詮日本はアメリカにとってはアジアの元枢軸国でエシュロンの対象国家だし、どこまで強固になるのかについての少しでも定量的な分析は見たことがない。Bも定量的な効果は不明。日米安保があり、大統領が繰り返し尖閣に対する米国のコミットを表明している現状で、安保法案によってどれだけ追加的な便益があるのかについて、論じている議論は見たことがない。Cも定量的な効果は不明。いざというときに中国を切り日本を選ぶ選択をするかどうかは、「日本がどれだけ誠意をみせるか」よりも、ずっとずっと米国の国内事情(民主党か共和党か、米中の経済的相互依存がどれだけ強いか、日系人がアメリカの政治にどれだけ影響力を持つか、など)が大事だろうと思う。アメリカは、第二次大戦当時、ロンドン(米国と世界一仲がいい国家の首都)がドイツ(米国との経済的相互依存は高くない)に空爆されているときでも、イギリス側に立った参戦は行わなかった。Cの定量的な効果も不明としか。
もちろん、反対派の「イラク戦争みたいな戦争に巻き込まれて日本人が殺される」「テロ対象国になる」「国際的な評判が下がる」的な意見も、定量的な測定はされていない。メリットとデメリットのどちらも定量化してない、それどころか数字仮置きによる定量化の試みすら行われていない現状で、ロジカルな決断ってどうやるのwそもそもメリットとデメリットを比較考量した分析も見たことない。みんな賛成か反対かどちらかばかりで。
絵柄の可愛い板垣恵介から筆を折るべきだと糾弾されたことでおなじみの富田安紀子氏が今度はmacska氏にボコられていた。
天下の集英社作家である富田安紀子氏については皆様ご存知のこととは思うが一応説明する。ネトウヨ漫画家である。
絵柄こそ今風でないもののビーム辺りに載ってそうな雰囲気を醸し出しており、その筆力はバーぴぃ先生なんかとは一線を画している実力派である。
当然グレンデールでのSLAPP訴訟についても応援されているわけだ。
この訴訟に関して、現地の日系人が慰安婦像を理由に迫害を受けているという、よしこご謹製のデマがある。
以前からmacska氏はブログ等でこのデマを批判しており、今回twitterでも同様の呟きをしていたところ富田氏が絡んだのである。
富田氏の著作には祖先の戦争犯罪を理由に迫害を受けるヒロインが描かれている。
そしてなんやかんやあって、富田氏は上記のシーンについてフィクションである旨を改めて宣言させられたというのが顛末である。
macska氏は、「事実を基にしたフィクションという体で描いているんだろう、基にした事実を示せ」と迫ったのであるが、当然ないものは示せないのである。
そうすると、じゃあさとうふみや氏はどうなるんだという話になる。
エンゼルスのアレはさとうふみや氏の信念に基づく作品であり、氏もまったくの虚構を描いているとは考えていまい。
しかし実在の大川隆法はファイト出来なければCVも子安武人ではないのだから、あの漫画はまったく客観的に事実に基づいていないフィクションである。
だが、氏は、この作品の根拠を示せとは言われないのであるし、言われるべきでもでないのである。皆いろいろ察しているのである。
氏のネトウヨプロパガンダ漫画が事実に基づかないのは事実である。だが、それがどうしたという態度が我々には求められている。
さとう氏と違いこちらはヘイトクライムを誘発するのではないかという議論もあろうが、幸福の科学もまたダーウィンや佐々木小次郎に対して悪辣な批判を加えているのである。
先に言っておくけど俺はこういった問題に詳しいわけじゃない。
動物園と水族館について、どう捉えていくか。考える上で必要そうな要素をピックしてみたので興味があればどうぞ。
この記事があがったのが3日前。
「野生イルカ入手で資格停止「いじめだ」 和歌山知事批判:朝日新聞デジタル」
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH5F3JH7H5FPXLB005.html
追い込み漁によるイルカ入手をめぐって世界動物園水族館協会(WAZA、本部・スイス)が日本動物園水族館協会(JAZA、東京都)の会員資格を停止した問題
国内の水族館が和歌山県太地町の追い込み漁で捕獲された野生イルカを入手していることが問題視された。
漁場がある同県の仁坂吉伸知事は13日の定例会見で、「いじめだと思う。」とWAZAの判断を批判した。「考える能力のない組織かもしれない」などと発言。情報を収集し、JAZAの今後の交渉を後押しするよう国などに働きかける考えを示した。
「本当の水族館とは」
http://anond.hatelabo.jp/20150515230312
前略
我々は、水族館の使命を果たすために、今後も野生のイルカを買い続けなければなりません。
とある水族館の館長による、今朝の朝礼でのありがたいお言葉です。
真偽はともかく、JAZAに所属する水族館の館長であればJAZAの理念に従って言動を考えてほしいし、和歌山の町長も国を通じてJAZAに働きかけるつもりなのにJAZAの理念を知らないのはちょっとオツムが足りないように思う。
日本の法律では、(公立の)動物園と水族館は「博物館」の扱いになる。
(「公立博物館の設置及び運営に関する基準」http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19731130001/k19731130001.html )
JAZAの基本理念は「野生動物の保護、教育、調査研究、レクリエーション」。
(「JAZA公式HP」http://www.jaza.jp/index.html )
と、簡単に挙げておく。
それから、動物園と水族館に関連する、今までに起きた対照的なふたつの問題について述べる。
愛護の中には一定数、可哀想ということを発端に、動物園や水族館についての法律、またJAZAの基本理念等を理由に、イルカやアシカショーに反対する層がいる。その是非や主張内容の真偽についてはここでは関係ないので言及しないが、詳細はググってもらうとして、結果的に京都水族館では今イルカショーが開催されているという結論だけ述べておく。
(ただ、愛護の主張の中には、動物の寿命など信憑性に疑問のあるデータがあるのもまた事実だと添えておく)
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY200906240091.html
服を着て、犬を散歩させたり、写真を撮影したりする芸が人気となったが、日本動物園水族館協会の倫理委員会は05年に「服を着せ芸をさせる擬人化は野生動物本来の個性や形態を誤解させ、繁殖活動にも支障が出る」とカドリー・ドミニオンに改善を勧告。しかし、改善がみられないとして、協会は08年11月、退会を勧告していた。
こちらは、逆に、生体展示をする動物園として、基本理念にあまりに反してるとして、JAZAを退会することになった阿蘇カドリー・ドミニオンの例。
こういった問題はあまり公に出ず、テレビ出演も続いたが、結果的にパンくんが人間の女性に怪我をさせたことでテレビ出演が終わる、という結果になった。
ここまで、日本における動物園と水族館の法律上の扱い、日本水族館動物園協会(JAZA)の設置理念。また、法律上の扱い
や動物園の理念をどう捉えるかから生じた2つの問題について述べた。
公立と私立という違いもあるが、国家が国連から脱退することがどう思われるか、というように、「所属することはまっとうであることを示し、だからこそ特例的な措置を受けられる(ワシントン条約の適用を、保護という理由で場合によっては免除される)組織」を、主張に合わないから抜ければいい、と言うようなことはあまりに安易である。
何が言いたいかというと、これら2つの問題からもわかるように、水族館や動物園は、「100%教育や研究のための、楽しめる要素を排した施設」でなければならないかというとそういう訳ではなく、レクリエーションも目的としている。しかし、「動物の野生を殺して見世物一辺倒にしたような施設」は動物園や水族館としては認められない、ということなのだ。
当たり前のようだが、WAZAとJAZAの関係についてはこの前提を踏まえないと語れないのである。
また、イルカ漁関連の問題については、他国の文化への介入の是非、という視点で語られることが多いが、WAZAからJAZAへの退会勧告については、水族館はそもそもどうあるべきか、という視点でも考える必要がある。
俺自身は、イルカ漁の妨害してる環境テロリスト集団があんまり好きじゃないし、そのへんを擁護容認、手先のように使ってるオセアニア諸国は「善(という思い込み)のためには実力行使も厭わない」というのに対しては、きちんと抗議すべきだし、アメリカでの第二次大戦時に日系人が強制収容所に入れられた時みたいに国として「間違っている(いた)」って認めるべき問題だと考えてる。
しかし、水族館問題に関しては、WAZAっていう「水族館かくあるべし」っていうルールをそもそも決めてる組織が勧告してることだから、問題があるなら改善しなきゃならない、それにWAZAから外されると各国間の希少動物の融通が受けられなくなるので、「どうでもいい」って無関係で無責任な人が言うのは簡単だけど、国内の動物園や水族館はかなり大きな損失を受けることになるので、イルカ漁由来のイルカは展示しないべきだという考え。仮にその勧告が間違っていたとしても。また、そこを改善することは主張を折ったことにはならない、という立場。