はてなキーワード: 「桃」とは
現在、俺は29歳なのだが、結婚できる兆しが全くと言っていいほど見えてこない。
学生時代、実験の班分けが同じなった女と付き合っていたのだが、その女と疎遠になって以来、異性との交際経験が全くない。
タイトルと全く違う話をしているように聞こえるかもしれないが、俺にとっての彼女や嫁という存在は「桃」に近い存在だと最近気がつき、この感覚を共有したく、日記を書いている。
桃の味や触感は何なら好きだし、偶然にも冷蔵庫に入っていたり、贈答されようものなら喜んで食べる。
しかし、自ら青果売り場に赴く気力が湧かないし、いつ頃店頭に並ぶのかも知らない人は多いんじゃないだろうか。
仮に「今日からあなたは一生、桃を食べられません」と告げられても「はぁ、そうですか」と特に抵抗なく受け入れ、今際の際でそのことを思い出すくらいだと思う。
時間も金も十分にあるのに、ずっと持て余している。女どころか仕事仲間や親族と言葉を交わすことさえ億劫になっている。
このままだと、桃はおろか苺や八朔も食べることなく生涯を終えてしまうんじゃないかと恐怖を覚える。そして、その恐怖に当事者意識が持てない自分の幼い心が恥ずかしくて仕方がない。
俺は、どうしたら桃を買いに行けるんだ。
そこはスピオタ的には「桃」だろうな
むかしむかし、あるところに桃がいました。
ある日、桃が川へ洗濯に行くと、川上から「どんぶらこ、どんぶらこ」という音を表す波形と共に男の子が流れてきました。
桃は男の子を持ち帰り、刃物で割ってみると、中から小さくて元気な桃が出てきました。
桃は桃に「桃」と名付け大切に育てました。
「父さん、ぼくは鬼退治に行ってくるよ」と息子の方の桃が言いました。
「そうかい。それじゃあこれを持っていきなさい」と親の方の桃は団子状にした肥料を持たせました。
鬼退治の道中、桃は柿に出会いました。
「鬼退治についてきてくれたらあげましょう」と柿が仲間になりました。
それと同じ要領で栗と蜜柑を仲間に従えた桃は、鬼ヶ島へ乗り込みました。
しかし、鬼に効く特別な毒素を持つわけではない植物集団は、あっけなく鬼に粉砕され、果肉が辺り一面に飛び散りました。
桃は断末魔の中で「こんなことならトリカブトとかギンピー・ギンピーとかを仲間に従えてくればよかった」と後悔しながら息絶えました。
十年後、鬼ヶ島には立派な桃と栗と蜜柑の木が育ち、鬼は食べ物に困ることがなくなったために鬼ヶ島から出て外界で悪さをすることはなくなりましたとさ。
この物語は伝承などに従ったフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
また、伝承は諸説有り、違った見解や物語を持っているものがありますが、これはそれらを否定するものではないことをあらかじめ申し上げておきます。
昔々ある所に、地域に貢献しながら元気に頑張っている2人家族がいました。一人は雅、もう一人は晴と言います。
体力に自信がある雅は、山(※この家族は入会地の権利を持っています。許可無く私有地・共有地に立ち入ることは法により罰せられる場合があります)に芝刈りに、晴は川へ洗濯へ(※この家族は水利権を持っています。安全上問題の無い処置の他、特別な訓練を受けています。もし真似をしたことによる損害が発生しても責任は追いません。また環境に配慮した石けんを使用しており、環境に影響を与えることはありません)出かけました。もちろん、二人の役割は固定されているわけではなく、ジェンダーに捕らわれない公正な考え方、ジェンダーではなく個々人に目を向けた正統な役割分担によって相談し当番制を敷いていて、今日はたまたまこの役割だった事は、言うまでもありません。
すると、川の上流から大きな桃ののようなものがどんぶらこどんぶらこと流れてきました。晴は桃を拾い上げると、警察に届けました。警察は、桃はそのままで保管する事は困難であると判断して、遺失物法に基づき手続きを実施、売却をしてその代金を保管することにしました。
雅と晴は二人で相談して、合議の上でお互いの財産から半分ずつお金を出し合い入札をして、桃を手に入れました。入札額は桃の価値に対して十分な金額でした。
持ち帰った桃をわってみると、なかから元気な子どもが! 二人は大変驚きましたが、子どもが生まれたことは事実であり、桃から生まれたと言う一点だけで差別したりはしません。二人は適切に子どもの世話をすると共に、役場の担当者に連絡、村長が棄児発見調書を作成して戸籍がつくられ、児童相談所に預けられました。この時、従来からの慣例に従い、子どもの命名は発見した保護者が行う事にもなっているため、二人は悩んだ末、ジェンダーニュートラルな名前「桃」と名付けました。(※なお、桃は二人でおいしくいただきました)
その後、これも何かの縁(※特定の宗教を意図したものではありません)と考えた二人は、正式な手続きを経て、桃を特別養子縁組の仕組みをつかって引き取るり、大事に育てました。もちろん、二人は養子として迎えられなかった子ども達が一律に不幸だと考えてこの行動をとったわけではないのは、言うまでも無いでしょう。
時は流れて、大きくなった桃(※事実を述べたに過ぎず、病気あるいは遺伝的特徴から大きくなれない事を揶揄する意図はありません)は、鬼ヶ島へ鬼退治(※法的処置に基づく、強制行動のことをさします)に行くことになりました。
もちろん、鬼たちは、鬼というだけで差別されているわけではなく、特定の島を不法占拠した上で、強盗・誘拐など、日本国法、並びに国際法、国際通念などと比較して、多くの人が反社会的行為だと言うような行為を集団的に実施している上に、暴力的な行為によって不当に取り締まりを逃れているため、対処の必要があると判断されているものです。
法的な召還にも応じず、命令にも従わないため、強制捜査や代執行などが決定されたものの、治安機関による取り締まりや、軍隊の出動などを実施した物のいずれも失敗したため、法的な手続きを踏んだ上で実施されています。一方的に鬼の人権を排除するような点については違憲の可能性も考えられるため、国会では議論に議論が重ねられ、特別立法によって、一連の鬼退治を桃に委託することに決定されました。報道各社の世論調査でも、読売新聞の調査で支持する、どちらかというと支持するを併せて8割以上が賛成、朝日新聞の調査でも7割以上が賛成するなど、世論の支持も得ています。
(なお、この文章は、現在国会で行われている、組織犯罪処罰法(通称、共謀罪)や、改憲論議に対して、何らかの意見、影響を与えることを意図した物ではありません。)
当日の料理当番だった雅が作った(※雅はジェンダー的役割の押しつけによって料理当番を実施しているわけではなく、個人に着目した能力に応じ、二人で決めたルールによって自発的に実施しているものです)きびだんごを腰にぶら下げて鬼ヶ島へと出発しましたが、道中、犬、猿、キジが現れました。桃は、彼らに、脱酸素剤などをつかい、添加物などを使わずに適切に保存したきびだんご(※動物に有害なものは入っていない特別な物です。一般的なきびだんごを動物に与えると動物の健康に悪影響を与える場合があります。また、野生動物に食べ物を与える事は、条例によって罰せられる場合があります)を、アレルギーなどがないかを確認した上であたえ、動物愛護法などに定められた、また、社会的にも正しい動物福祉の元で彼らの協力を得て、鬼ヶ島へと渡ります。
鬼ヶ島では、鬼たちが【青少年の健全育成に不適切な表現。ゾーニングされていないバージョンは正式な手続きにより読む事ができますので、検閲ではなく、これは自主規制です】の最中でしたが、人道的に問題があるとされる奇襲などは行わず、あらかじめ用意された裁判所からの令状を、十分に聞こえる様に読み上げ、鬼たちがそれに従わないことを確認すると、法令に則り代執行を宣言、【青少年の健全育成に不適切な表現。ゾーニングされていないバージョンは正式な手続きにより読む事ができますので、検閲ではなく、これは自主規制です】の末に、鬼らを後からやってきた治安機関の職員に次々と引き渡していきました。この時の罪状は公務執行妨害の現行犯逮捕です。鬼たちは今後、弁護士がついて公正な司法のもと、裁かれることになりますが、罪が確定して有罪になる迄は、あくまでも罪人ではない事に配慮し、実名は記しません。
また、この行為について、鬼側に死亡者が発生しているのではないかという指摘がありますが、事実無根であり、ここで行使された武力は正統かつ、やむを得ない範囲で十分に配慮されたものでした。
鬼たちが悪行で集めた金銀財宝などは、特別立法に基づき、国が指定した弁護士、管財人によって管理されます。有罪が確定したあと、確認が行われた後に被害者に分配されることがきまっています。故に、桃らが横領したという指摘にはあたりません。桃はここから報酬を受け取るのではなく、国から各種規定に基づきあらかじめ定められた報酬を受け取りました。これは桃が果たした社会的な役割を鑑みると正統な報酬であると考えられる範囲の金額であり、会計検査院の監査を受けた上で、妥当だと証明を受けているものです。
個人のプライバシーがあるため詳細は省きますが、報酬の用途は、実家のすぐ隣に新たな家を構え、その後は自立した大人として暮らすために使われ、桃はこれが国民の血税であることを十分に認識しながら、感謝の気持ちを忘れることなく、決して不当な事に当てられたことはなかったということだけは記載しておきます。
被害に遭われた方々の事を思うととてもめでたしめでたしなどと言うことはできない凄惨な出来事ですが、それでも、桃が自らの役割を果たしたことで、社会秩序・治安といったものが守られ、公共の福祉が成されました。今回は暴力という手段によってしか解決ができなかったことは大変に不幸であり、桃、または登場する人物もその点に遺憾を表明しており、やむをえずおこなったものです。
これは、桃は特別な訓練と、公正な立法措置によって行われた事であり、通常行うと重大な事故に繋がったり、罪に問われる場合がありますので、真似をしないでください。
https://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/self_all_01.html
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/04/news117.html
http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/05/ac-japan-ad-campaign_n_17389562.html
https://srad.jp/story/17/07/06/047224/
むかしむかし、君たち人間の考えも及ばない太古の昔、おじいさんとおばあさんはまだ居なかった時代の話だ。
…いや、君たちの概念でいうところの「おじいさん」や「おばあさん」がいない、といった方が正確だろう。
君たちの足元で鞭毛を使って泳いでいる一匹のアメーバ。
そいつが途方もない時間の先に生きる君たちのおじいさんとおばあさんになることになるわけだが、今はそんな話どうだっていいだろう。
こんな昔には桃を実らす樹木もなければ、桃太郎だって生まれてやしない。
考えるのも止めたくなる時間を経た先、君たち人類のおじいさんとおばあさんにあたる生命体が現われることになる。
何千回も繰り返してきた生物たちの進化だが、性別を有する生物というのは失敗だ。
性別、いわゆるオスとメスとに区別されて呼ばれるが、彼らは常にお互いを求めて1つになりたがろうとするきらいがある。
それはもともと一匹の生命体だった頃の、細胞の奥深くに刻まれた太古の記憶なんだろう。
しかしそんな願いも虚しく、彼らはこの先も、そして永遠にお互いを分かり合うことはない。
自分こそがオリジナルだと言わんがばかりに、お互いを否定しあった先に救いはないのだから。
さて、この時代は多種多様の生命に溢れ、むせ返るほど豊かな自然はエデンを彷彿とさせるくらいだ。
苦労が売られ、その苦労の度合いに価値が見出されている時代相だからこそか、おじいさんは山へ芝刈りに行き、おばあさんは川へ洗濯のためだけに家を後にする。
これから川でおばあさんが遭遇することは、あのエピメテウスすら知ることができない、言わば歴史の奇跡ともいうものだ。
おばあさんが川で洗濯をしていると、表面には産毛を生やし、ほんのりと紅く色づいた果物が川上から流れてくる。
人としての貪欲性のためか、あるいは承認欲求が作用したのか、または川に流れる桃に対する猜疑心のない愚かさが故なのか、おばあさんは我を忘れて桃に飛びかかる。
桃はゆっくりと、そして着実におばあさんの手によって岸に運ばれる。
してやったりと言わんばかりの、あのほくそ笑んだ顔を私は忘れることができない。