はてなキーワード: 医療圏とは
当院は軽症〜中等症の病棟のはずが、先月くらいからずっと人工呼吸器の患者がいる。
その頃から、ウォークインで救急受診して即挿管レベルの患者でも神戸市内の重症病床への転送が断られ始めたような記憶。
医療圏を越えた広域救急の受け入れもそこそこ。保健所FAX送信先が神戸市ではないのでどうするのー?と迷う。
最近は主治医の転棟OKの判断があれば、PCR陽性でも人工呼吸器装着中でも、一般病棟やICUに押出しでコロナ病棟のベッドを開けて受け入れしている状況が続いている。そして開けたベットにはその日に次の患者が入る。なので休み明けだと初めて看る患者の情報収集から。ということが増えた。
一般病棟・ICUの負担は大きいと思う。コロナ病棟○ねって思ってるんだろうなと感じながら毎回申し送りに行っている。
神戸市民病院群も重症患者でギリギリなんだろうと思う。最近、え?こんなコロナ患者さん看れないの?って軽症患者の転送が何件か続いてあった。たぶん、軽症のベッド・スタッフを重症へシフトしてるんだろう。
これは口頭で聞いただけなので真偽はわからないけど、どこかの市民病院からコロナ治療撤退した人工呼吸器患者の転送依頼が当院にあったらしい。断ったみたいだけど。あと、自宅待機の患者さんも先生達は診ていて、入院している人の誰よりも肺が真っ白だった!って言っていたことがあった。
ヒト・モノ・カネの支援はいろいろ受けているみたいなので頑張ります。国・兵庫県・神戸市も何もしてないわけではないんだろうけどね…。個人はコロナ病棟勤務のお小遣い貰えました。ありがとうございます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee
共同通信社は30日、憲法記念日の5月3日を前に憲法に関する郵送方式の世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。
改憲なくとも法を生かせば緊急時に行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去の公害の教訓を思い起こしてみると立法・行政の不作為が目立つ。
憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法を指導する上位の規律が必要で、「今まさに緊急時だシフトチェンジしろ」
と行政や立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法の役割なのかもしれない。
という趣旨。
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「内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権が内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から
公害立法の歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法の余地もある。
実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。
そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在の感染症コントロールの問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。
だから、問題はできることをしない、立法不作為・行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。
しかし。
改憲の世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。
もちろん、行政・立法の性善説に立てば。。という留保はつくが。
というのも、水俣病を例にとって、公害の被害を振り返ってみると。
なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。
漁業法による禁止措置と漁民への補償、食品安全法による有機水銀に汚染された可能性のある魚類の販売禁止、
すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。
こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年。
国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限を行使しなかった、というのが結論。
1970年代、公害の社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として
そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。
法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政の責任が厳しく断罪されたわけだ。
ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず
なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題。
そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、
シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか。
かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線の駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、
通勤している乗客が枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について
非日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、
惰性で日常の論理で動こうとする「慣性(イナーシャ)」が働いているといったが、
ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。
この問題が解決されない限り、改憲による緊急事態条項の検討など、全く意味をなさない。
日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。
いや、だけど一方で、
緊急事態条項のようなシフトチェンジのトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。
どっちなのだろう。
そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長のインタビュー記事を目にしたからだ。
尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン
――東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。
尾身 医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります。
――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?
尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います。
これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応の問題ともつながっているように思えた。
それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存の立法・行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。
改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。
危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつの方法。非常時のガバナンス体制を整備する。
米国のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のように。
そうすれば、現在の河野太郎のような感染症の素人が新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。
彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、
ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民の心配に答えるのは基礎自治体の役割だ。
危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、
集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチンの効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。
目的とロードマップを国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定がベースとなったリーダーシップが重要だ。
ガバナンスの基本は、法、規則基準、科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。
これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国の行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して
説明責任(財政とリソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。
テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。
いずれにしても、緊急時のガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。
現在の菅政権は、こうしたガバナナンスの観点から落第点であり、
首相が何を考えているかわからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。
急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。
国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップに注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップの問題に錯覚してしまうが
本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンスの問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて
どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。
国民にとって予測可能でなければ、国民自身が計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。
(水木しげるの漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウルの本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップを象徴する話だと思う。)
緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガーが必要なのではないか。
そこに非常時へのシフトチェンジが記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。
もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさんが首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、
それが立法や危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味、大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領の権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダーの聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。
日本の政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。
そんなことをインタビューの印象として持った。
新型コロナウイルス検査の精度を高めに見積もって感度80%、特異度99%としてみる
患者数を仮定すると真陽性、偽陽性、真陰性、偽陰性の人数が計算できる
真陽性800、偽陽性100万、真陰性9900万、偽陰性200
真陽性8000、偽陽性100万、真陰性9900万、偽陰性2000
真陽性800万、偽陽性90万、真陰性8910万、偽陰性200万
有病率が低い時に検査を過剰に行った場合のデメリットとして偽陽性者を多く出す点がある
真陽性者数に対しての偽陽性者数を許容する割合を仮に偽陽性者許容割合と定義する(偽陽性者数/検査で陽性と出た人数)
水際作戦の時は偽陽性者割合を高く設定し、ある程度市中に蔓延した場合は低く設定することになる
偽陽性者許容割合を50%程度と設定すると有病率約0.01以上の時に検査が有用となる
偽陽性者許容割合を10%程度と設定すると有病率約0.1以上の時に検査が有用となる
日本全体では
検査でも原因がわからない肺炎の有病率を0.01%とすると1万人
さらに臨床所見だけで新型コロナを疑うような肺炎を0.001%とすると千人(これは流行状況によって大きく変化する)
場所、患者の状態によって有病率が大きく変わり、かつ検査数に上限がある場合は、有病率の低い患者で検査をフル稼働させると、本当の新型コロナ患者の発見を逆に遅らせることになる
よって肺炎患者を全員検査する方法はあり得ない、ましてや風邪症状の患者をや
2次医療圏レベルで新型コロナ患者が出た場合は肺炎患者にはやるべきかもしれない
100万人医療圏で新型コロナ患者が10人いると予想される場合
風邪患者10000人のうち新型コロナ患者の有病率は0.001
ハニワ市長?とかどうでもいいし。それ面白いと思ってんの?仮面で顔隠してないで顔さらして本当のことちゃんと話せよ。
何で選挙に行こうポスターがみやぞんなんだよ。にっこり優しそうなみやぞんの顔を載せたらなんだか和んじゃうと思った?あほなの?
私が住んでいるところは堺市南区なんだけど、あほみたいに一点に大病院が乱立している。
しかも医療圏(この件が判明してから調べてこの言葉を知った)ではない生活圏で、市立プールと都市公園売り払って近大病院ドーーーーン。
真横に大病院の病棟とヘリポート作って発着訓練するってだけでもうんざりなんだけど、は??????????
まじで頭おかしいんじゃないのって思ってる。
しかもこの計画、何で公になったかって、近大や堺市から直接説明があったわけじゃない。
うちのマンションの真ん前に信号を増やす?とかで来た近大移転関係者がうっかりぽろっと「ここに移転するんです」ってバラしちゃったことから芋づる式に判明しました。
地元新聞みたいなやつに「こんな無茶な計画があります!」って図解付きで解説・掲載したらその地元新聞社を近大が買収とかwwwwwwwwwwマジウケる。
反対住民の会?みたいなのがあるけど、あれもあれでノリが合っていないのでなかなか参加できない。
反対住民の会はずっと「田園公園を残してほしい」とか言ってるんだけど。
そうじゃなくて
「他人ちのド真ん前にエネルギーセンターもしくは病棟作って廃棄物と病原菌まき散らしますwwwwww」
「堺市さん、市所有の土地を住民の意見聞かずに売ってくれてあざーす!!!お礼に荒稼ぎしますね^^」
「あっ、あんたんちの目の前でヘリコプター飛ばす練習するけど許してね★」
というトチ狂った状況をなんとかしたいのよ。
家の近くに大病院ができてうれしいでしょ?ってみんな言うけど、真横に病棟ぶっ建てられて日光ほぼ当たらなくなるとか話が変わってくるでしょ。
大体、目と鼻の先にベルランド総合病院っていう大病院があって、隣駅には市立堺病院も数年前に移転してきてる。もういらねっつの。
ベルランド総合病院直通のバスが目の前通ってく場所にわざわざ医療圏無視して利益目的のみの病院ぶっ建てるってなんなのもう。
病院ってお金稼ぎ目的のみの施設だったんだーって感想です。特に近大病院は一生そう呪います。
って思うんだけど、近大移設反対住民はみんな「公園ガー」とか言ってこっちの話を聞きやしない。
緑とかどうでもいいんだよ。大枚はたいて買った分譲マンションなのに、環境劣悪化で住めなくなるとかマジ笑えない。
不動産屋からすればうちが安値でマンション売り飛ばして老人に転売すればウマーで何の問題もないだろうけど。
ていうか。
不動産屋のチラシ見てたら、現近大病院付近のチラシには「近大病院の近くだから通院に便利」とか書いてあって、
こっちのチラシ見たら「日当たり・展望抜群!」って書いてある。
せっかく安心して住める場所が欲しくて都市公園と市民プールの真ん前っていうという売却される心配のないマンション買ったのに。
世の中、誰も信じられないよ。だってみんなお金欲しさで勝手にこんなことするんだよ。
税金払ってんのに。マンションの代金払ってんのに。何でこんな目に逢わなきゃいけないの。
堺市民みんなトチ狂ってるよ。こんな中でだれが市長になっても一緒じゃん。
誰か早く説明してよ。何でこんなことになってるのかってこと。
どうしたら私は助かるの?
堺市の都市公園を近畿大学病院に売却する計画が実行されようとしている
しかも、公園周辺の住民はその計画について堺市からなんの説明もされないままの売却!当然、都市公園の隣のマンション住民が激怒している
しかも、一度は現在建っている場所(大阪狭山市)での建替えが決まっていたにも関わらず医療圏を越えてまで移転し、大病院をたてるという
そして大阪府の松井知事がこの計画を企て、実行犯は竹山市長という構図だと思われる
(維新の堺市議「的場慎一」が自身のブログで2014年1月16日の近大病院移転の記事で「松井知事に大変なお力添えをいただき」と書いている)
松井は近畿大学名誉会長である世耕経産大臣の機嫌をとりたくて仕方がない
森友学園の時もそうだったが安部の意向を忖度して認可したに決まっているのに、籠池のおっさんを詐欺罪で逮捕させて後は知らん顔
これだけ糞な男もめずらしい
中央政権に擦り寄るためならなんでもするが、一旦旗色が悪くなったら自分だけは火の粉が降りかからないようにすぐ逃げる
大阪市(市長は維新の吉村)が管理する大阪城公園はパークマネジメント事業で民間委託されたが、人を呼び込めない場所は雑草が伸び放題の荒れ果てた公園になっている。
そして、今度は松井の音頭取りで堺市の都市公園を民間へ売却(全国初)
こんな事を許していたら全国で都市公園の売却が続々と出てくることに!