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2023-08-05

これから研修医になる(予定の)博士号取得失敗男

山口田舎貧乏母子家庭(母は派遣事務員ファミレスアルバイト

山陽小野田市の市立小学校中学校

山口県立某高等学校

東京大学医学部医学

東京大学医学研究科(初期臨床研修なし)

満期退学

僕「あwwwダメwww先生の言う通りこれ全然結果でないわwww素直に言うこと聞けばよかったwww

母「体調を崩しました。申し訳ないけどアルバイトか何かをしてアパート代だけでもどうにかしてください…ごめんね…」

僕「初期臨床研修先探さなきゃ…」←今ここ

まじで国家試験から時間経ってるとめっちゃ嫌がられるな。普通に断られるわ。

大阪文化

じゃあ大阪文化ってなんだ?って生まれも育ちも今も大阪人の俺が考えてみる。

大阪文化というと俺は美術館博物館の多さだと思う。

まず最近出来た中之島美術館

いまのところ所蔵しているものを展示していく感じで美術館の特色というのはあまりよくわからない。ただ、大阪という街にちなんだ展覧会がちょくちょくあるという印象。

有名どころだとみんな大好きミュシャ大阪堺市に専門美術館があるくらいなのでその関係展覧会やってた。

その近所にある国立国際美術館

こっちの特色は前衛芸術展覧会が多い。ダンボールが落ちてる と思ったら展示品だったみたいな尖った企画をする。

前衛って意味わからんと思ってたけど生で見ると迫力があって意味わからんけど面白いという感想になると思う。

中之島にある大阪市立東洋陶磁美術館

来年春まで休館中。

名前の通り壺とか皿とかの展示会が多いけどそれ以外にも竹細工とかモノに特化した展覧会が多い。

昔の壺とかシックものを見せたと思ったらたまに竹細工で2階まで吹き抜けをぶち抜いて覆うような糞でかい展示があったり、前衛的な展覧会をやっていたりするので飽きない。

国立民族学博物館

吹田市にある万博跡地に作られたでかい博物館

世界中民族日常品や信仰されて得る神様の像とか祭りの道具までいろいろなものを常設してる。これだけでも見る価値あり。

特別展示会も呪い儀式に使うための道具だけを集めたとか刺激的な催しをやってくれたりする。

かにフェルメール展とかメトロポリタン美術館展とか王道企画をする大阪市立美術館

コアなファンの多い大阪市立自然史博物館

大阪歴史博物館中之島香雪美術館あべのハルカス美術館…と色々ある。

大阪文化 というとパットかぶのは大阪城、吉本新喜劇串カツだったりするけど文化と言うか観光資源なきがする。

大阪民は大阪城は小学校の頃に一度行ったきりだし串カツも飲むのが好きは人は行く とかだし。

俺も含めてまわりに吉本劇場に行ったことのある人っていない。普通は行くものなんだろうか?よくわからん

リアル高校球児たちは今の高校野球をどう思ってるんだろう?

第三者熱中症危険ピッチャーの肩の負傷の危険を散々討論してるけど球児たちの本音はどうなんだろう。

まあ甲子園目指す球児なんて小学校の頃から高野連洗脳されて奴隷体質だから本音を聞き出すのは無理だろうけど。

英単語って意味画像がセットになってると死ぬほど覚えられるぞ

問題単語ごとに画像イメージがセットになっている英単語帳など存在しないということだ(ていうか未だに例文すら満足に載せてない英単語帳が淘汰されていない)

一応洋書ボキャブラリーフォトブックなるペーパーバックはあるけど、語彙がアメリカ人小学校低学年レベルまでに留まっており、しかボリュームが少ない(本自体普通に分厚い。単語ごとに画像や絵も一緒につけるってのはそういうことなんだろう)


日本大学受験英単語帳みたいに、英語論文社説普通に読める語彙レベルでなおかつ2000~3000語収録しているようなやつは現状ない

日本定番大学受験英単語帳、フルカラー画像イメージ見繕ってセットにして改訂版出して出せばマジで死ぬほどヒットすると思うぞ

速単とか鉄壁とか

1冊1万円でも関係なく売れるのでは。アプリ版とかAnkiデッキにしても同じで

若いインセルミソジニスト実在を疑っていた

俺は性差別主義者ってヤバいおっさんヤバいツイフェミ匿名掲示板住人くらいしか見た事無くて

身の回りの人たちは皆普通に男女交流してるし自分若い世代別に性差別とかさほどしてないと思ってたんだけど

某対戦ゲーム配信見てたら大学生くらいの主が女性差別トークして囲いがコメント欄で女叩きしまくってたんだ

「女だからバカ」とか「女は脳味噌ついてないから」とか「股開いてればいいから」みたいなコメント推定中学大学生くらいの子達が発信していて

彼らは本当に実在エコーチェンバーの中で現に生まれ続けているんだと眩暈がした

まさかゲームやりながら男女論で異性を呪うなんてゴミみたいな行為を今の世代がやっているとは思わなかった

しかも彼らは女性を見下しながらも性欲だけはばっちり向けてて好きな女アイドルとかは存在する有様

なんで?なんでお互いが同じ人間だと理解できない…?小学校女子友達くらいいただろ…?

そういうのが上にいると下のキッズ共もそれをモデルインセルミソジニストとして成長していくわけで

実際何人かツイートをのぞいてみたら道端ですれ違う女の容姿はけなすわいった施設に女が多いか不快だと愚痴るわ世も末だった

なのに女性差別しまくった直後に今日は好きな女子と話せて嬉しかったみたいなツイートが出てきたりもして「差別はするけど俺の好きな○○」は特別みたいなダブスタも平気でやってる事がわかりまあなんだ、うんざりした

信じられない

2023-08-04

人生をやり直したい

よく「今の記憶知識を保ったまま人生をやり直したい」と妄想する。

赤ん坊からやり直すのはかったるいから、せめて小学校3年生からだな。

だが小学生のうちはこう、中学生になったらこう、と考えているうちに気付く。

やりたい仕事がない。

絵を描くのは好きだがプロでやっていけるほどの才能はない。

頭悪いしコミュ障からいい企業就職も難しい。

これらを踏まえると、人生をやり直して幸せになるには


・美形に生まれ

宝くじ当選するとか、通りすがりに助けた老婦人が実は大富豪遺産を全額相続したとか、

手段は何でもいいが一生遊んで暮らせる金を手に入れる


という条件が必要になる。

社会保険に入れる程度のバイトをしつつ

語学勉強したりゲームをしたりたまには旅行をしたり

好きなことをやってひっそりと暮らしたい。

交際結婚?顔が良くても無理。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/254174

想定した解答以外をされると、小学校教員数学素養が無いから採点できなくなるという事情もありそうだな。

中学生の頃にパンチラハンターという遊びをしていた

悪友5人で集まって近所のショッピングセンター野球場図書館などの施設に行き、ミニスカート若い女エスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ

リーダーのS君はボットン便所市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた

研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ

俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本付録CD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)

そういう戦利品がなくても彼の家はパラダイスだった

彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ

メンバーのうち二人は別の中学の生徒だった

小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない

ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる

その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした

関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた

S君は変わらず熱心だった

靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処から調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた

俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた

良くないことだという認識はあった

しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎落ちこぼれ中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ

その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった

S君が亡くなったのだ

S君は父親運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ

その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった

いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった

そのまま関係自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった

俺とJ君は自転車で合流したものエロ画像パンチラの話しかしたことがないかほとんど無言で市営住宅に向かった

父親とS君がいなくなった市営住宅はしんとしていた

俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると

「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった

話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、

「これ、要るでしょ」

といって段ボール箱をかかえて戻ってきた

そこにはS君のコレクション田んぼで拾ったエロ本盗撮写真データが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ手鏡、巨大なノートパソコンパンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた

パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」

と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった

5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない

もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた

遺品はJ君がほとんど引き取った

自転車にカゴが付いていたからだ

俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った

しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった

充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った

帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した

J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた

「ずっと残しとく。大人になってもずっと。増田も忘れんなよ」

その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている

家にあるケーブルでなんとか充電できないか悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた

これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学写真学科に進んだ

一方J君は地元高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西大学編入

J君もS君の遺品のノートパソコン勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる

彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした

俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない

Jは卒業すると地元の有名企業になんとかコネ就職

まもなく中学時代同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した

噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかからない

俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた

しか写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンション写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた

仕事中、高級タワマンエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた

S君ならこのポジションをどう評価するだろう?って

父親が病を得たのをきっかけに俺は地元に戻った

地方カメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規警備員をやっている

施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る

彼らもまたパンチラハンターなのだろう

「お前ら、バレバレだぞ」

いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく

そう

俺はもうジジイになってしまった

J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている

調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない

今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた

女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚たから」と照れくさそうに言っていた

J君はバツが悪そうに視線彷徨わせていた

こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった

証拠見せようか? ほら」

彼女はそう言ってあのデジカメを見せてきた

最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う

液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた

しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている

この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う

「そうだよ。確かめてみな」

目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した

昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう

しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった

ただこれだけは言っておかねばならない

パンチラハンター支配され、パンチラハンターとして人生を終える増田もいる、ということを…

児童被害に向き合いたい。でも…

小学生男女27人にわいせつ疑い、知的障害の23歳男逮捕 大阪府警

https://news.livedoor.com/article/detail/24734993/

小学生わいせつ行為を繰り返したとして、大阪府警捜査1課は3日、強制性交強制わいせつなどの疑いで、府内在住の作業員の男(23)=強制性交などの罪で起訴=を逮捕、追送検したと発表した。

男には中度の知的障害があるといい、「小学校男子女子どちらにも興味がある。体を触ったり、触ってもらったりすると興奮した」と供述。府警は計27人分の被害裏付け捜査を終えた。

犯人男性にも中度の知的障害があり、社会的にはかなり弱い。

社会的弱者が別の弱者を襲った不幸な事件になった。

重度の障害で訳も分から犯行に至ってしまったケースと違って、責任能力だけは残されているということなんだろうが・・・

障害者が警察誘導されず、きちんと自分権利行使できるのかが心配

児童だけでなく障害者も地域で見守れるようにしていきたい。

2023-08-03

anond:20230802202720

我々が怒るべき相手は誰か?

ストックホルム貴族達の悪辣さを知れば、吉野家とか松屋とかのテーブル席にひとりで座るキチなど生ぬるいということを知るであろう。

彼らの目的先進国における有色人種絶滅である北方ゲルマンを頂点とした北欧至上主義を掲げるストックホルム貴族達にとって、有色人種は彼らの望む経済体制政治体制身分秩序の中に組み込まれるべき存在であって、決して対等な存在であってはならないのである

日中韓小学校では予防接種由来の小児がんにより、卒業時には入学時の半分以下になるまで生徒が亡くなる事態が恒常化。

今や癌は高齢者より幼少期から予防接種や投薬をされてきた若者世代病気

日本とある地域の中核総合病院では新規膵臓がんと診断された人の9割、大腸がんと診断された人の6割が20代から40代若さと相まって進行が早く「腫瘍が大きくなる様子を腹部エコーで視認できる」ほどの進行スピード

緩和ケア病棟児童若者で溢れ高齢者など一人もいないのは今や「隠された常識である

免疫が高くがんが治ってしまいそうな患者にはストックホルムの息がかかった医師がアービタックスなどの抗がん剤(実際は癌性腹膜炎や癌性肺炎を誘発させる毒物)を投与し生存の芽をつむ。

一方、モノカルチャー農業従事し、ヨーロッパアメリカにおいて白人家庭の家事従事するメイドを輩出するアフリカアジア貧困国においては癌は少ない。

ストックホルム性癌を除けば本来発癌は稀な事態なのである

日頃から肉、卵、魚、貝類乳製品積極的に避けること、感染症を避けること、怪我骨折を避けることが重要なのであるストックホルム貴族達が我々に仕組んだ発癌システムは肝細胞にあり、動物性タンパク質摂取による慢性的な炎症によってマクロファージから放出されたサイトカインに刺激され悪性新生物の増殖、造血細胞遺伝子変異を引き起こすのである

千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県佐倉高等学校卒業代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた私は、在学中にストックホルム商科大学留学し、ローベン島離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの魂胆を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授から医局と学会追放

現在ストックホルム貴族達の野望を挫くためベルナドッテ王朝に代わりスウェーデン王位に推戴されることを願い活動中。

小学校低学年のうちに小学校6年分の夏休みの宿題をしておきましょう

中学受験は待ってくれないよ

小学校低学年のときにやった花いちもんめかい人間関係踏み絵し続けるクソゲー思い出してムカついてる

駿河屋マケプレ悪徳業者の件

これ。

https://twitter.com/toraumahello/status/1685970193074548737?s=46&t=QguSAgAeFoCxBlUwMtYnRg

酷い話だね。消費者バカにしてるよ。

目当ての本が届くのを楽しみにしてたところをさ、全然違うもん掴まされてさ、返品したら在庫復活。

しか10だって。欲しければ注文しろ、だとよ。

足元みやがって悪徳業者が。

これが本当なら、酷い話だよ。

本当ならな。


よくよく考えて欲しい。そんなやり方、商売として成立する訳が無い。

まぁ少なくとも在庫管理か発送でチョンボはあったんだろうが、恐らくそれ以上のことは無い、と考えるのが妥当だろう。


しろ、令和の世は消費者に優しい。ネットで騒げば、どこからともなく味方が集まってくれる。

警察はもちろん、消費者向けのホットラインもあるし、そもそも駿河屋だってそれなりの窓口はあるだろう。

ネットでは随分と評判が悪いようだが、さすがに悪徳業者片棒を担ぐような真似をするとは思えない。

そんななかで「漫画みたいな悪徳業者」のようなやり方が通用するだろうか。

成功したとしても、数回だか数十回、まぁそんなとこだろう。数百万程度の利益ってことになる。

次に、「ネット古本屋」という商売について、考えてみる。

俺は地方自治体システムのお世話をしている中間管理職のしがないアラフォーであり、古本屋経験は無いが、想像ぐらいは出来る。


まず、駿河屋サイト確認したところ、例の業者現在19万冊の古本駿河屋販売しているらしい。

すげーな。

https://www.suruga-ya.jp/search?category=&search_word=&tenpo_code=410068


さて、まずは保管場所必要だ。巨大な倉庫必要になる。

実際の場所サイズはGoogleMapで調べれば裏は取れるだろうが、たとえどんな田舎に建てたとしても

土地建物、かなりの費用が掛かるだろう。何しろ19万冊用の倉庫からな。

千万〜数億、みたいな感じじゃないかな。


場所があれば済む訳じゃない。システム必要になる。

19万冊の古本人間だけで管理することは絶対不可能だ。

クソ田舎のこじんまりとした図書館どころか、俺の娘の小学校図書室ですら、コンピュータで蔵書管理してるもんな。

ただ、図書館と違って、受注・発送・返品・返金などなど多くのステータス管理する必要があるし

何より、業者メールに書かれてる「価格改定システム」ってキーワードが気になるところだ。

19万冊の本に適切な値付けをするってとんでもない手間だから

ネットから自動収集した価格情報を元に、商品価格自動設定する」みたいなシステムを開発してるんじゃないのかな。

たぶん、システム価格を決定するまでの間に買われちゃうと困るから、仮でつけてる金額10万、ってことじゃないの。

古本10万で買うやつなんていねーだろ、っていう前提で設計してるんだろ。

で、そんな特殊システムなら市販されてる訳がないので、オリジナルで開発してるんじゃないかな。

ちなみに、法人向けのシステムって、買うのも作るのも使うのも、メチャクチャ金掛かるぞ。

SNSぐらいしか使ったことがない奴には想像もつかないだろうけどな。

ぜんぜん違うシステムではあるが、500人規模の人事給与システム

導入に2000万、年間の利用料で300万とかだな。メーカー製品にもよるけど。


そしてもちろん、人件費も掛かる。

まぁ、猫型ロボットがメシを運ぶ時代から機械しまくれば人件費圧縮できるかもしれんが、機械化にも金が掛かる。

そもそも機械化にも限度はあるからな。

で、月にどのぐらいの数を売ってるかは分からんが、少なくとも19万冊は仕入れてるワケだ。

お前が19万冊の古本を買い取って回るとして、何ヶ月掛かると思う?

で、お前の月のバイト代を掛けてみろよ。計算できたか

そもそも、ツイ主のクレーム対応してる担当者人間から人件費が掛かってるんだぜ?

金もらえなきゃやってられねぇよなぁ、クレーム対応なんて。

*金の問題とは別だが、人を雇うってことは大変なことだよな。

 雇うってことは、社員と、その社員家族の、人生を背負うことでもあるからな。

 まぁ、全部を背負うワケじゃないけどさ。


ということで。

かなり雑な想像ではあるけど、初期費用は間違いなく億は越えてるだろうし

ランニングコストもかなり掛かってるだろう。

個人せどりとはワケが違う。

大金を投じて、リスクを負って、人生掛けてやってるんだろうよ。


ツイ主は、そんな業者が、たかだか10万ぽっちの金を得るために、とんでもない悪どいことをしている!と主張しているワケだ。

業者の弁明も「意味がわからない」し、「どう考えても普通のことではない」らしい。


や、アタマ冷やして考えろよ。

ありえないだろ、そんな商売

2023-08-02

地方在住ファミリーディズニーランドに行ってきました

子供小学校入学し、最初夏休みに入り「夏休みどっか行きたいところある?」「ディズニーランド」となり、日曜日出発の2泊3日、地方在住の俺・妻・子供2人(姉小1、弟5歳)ファミリーディズニーランドに行ってきた。特に目新しい情報はないし、内容も日記としてありふれたものになるが、備忘録も兼ね残しておこうと思う。

●1日目(自宅~ホテル

地方在住なので、移動は新幹線に乗る必要がある(他の移動手段もあったが、新幹線利用は妻と子供希望)。

未就学児は膝上であれば料金はかからないが、暑いだの狭いだの騒ぐことは予め分かっていたので、お金はかかってしまうが、素直に4人分の指定席を取った。

3座席を取って子供を間に2人座らせるというプランもあったが、子供が2人同時に「窓側がいい」とか言い出すと死ぬので、その予防策として2座席2列とした。

2座席であれば大人のスペースは実質1.4~1.6人分ぐらいになり、ゆとりができるのもよい。

東北新幹線で午前中に乗車したので、昼時に上野駅で降り、某ファミリーレストランで早めの昼食。

日曜日ということもあって「普段こんなに並ばないよね?」という店もそれなりに行列が出来ていたりした。家族で(子供は初の)東京ローカルグルメに舌鼓をうつ

昼食後は駅に戻り、山手線東京駅まで。上野駅構内ではプラレールの展示などをしており、地方との経済力格差を改めて目の当たりにする。

東京駅に着いたので、移動で疲れた子供ガス抜きもかねて、東京キャラクターストリート散策する。日曜日に行ったので、まあまあの人だかりであった。

娘と妻のお目当てである「ちいかわらんど TOKYO Station」に至っては入場制限すら発生している始末で「ただ商品を見たいだけ」すら敵わずあきらめる。

このあたりから子供疲労を訴えはじめる。初の東京駅で人だかりに酔ってきたのだろう。適宜おんぶなどでやりすごす。

改札口から京葉線ホーム間の徒歩移動、これが今回の行程における最難関であるといってよい。

大人でも初めて行くとまあまあ遠いと実感するぐらいの距離で、普通に歩くと疲れるし、それでも普通に歩くしかないというところがつらい。

途中「動く歩道」があるのでまあまあやり過ごせるが、地方在住で車慣れしていると、この5~600mの距離ですら、えらくしんどく感じる。

行きはまだ子供が「動く歩道」にハマっていたので、完全おんぶ移動は免れた。

京葉線東京駅から新浦安駅まで移動する。最初舞浜駅で降車しイクスピアリに行き、そこからシャトルバスホテルへ行くことを予定していたのだが、思いのほか子供の疲れが早く来てしまったので、いったん新浦安駅至近のイオンスタイルで休憩がてら時間をつぶすことにしたためだ。

イオンスタイル日曜日にしてはあまり客がおらず「都会のイオン」にそれほど慣れていない地方在住ファミリーにとっては十分楽しめる空間であった。

ぼちぼち時間をつぶしたため、路線バスで某ホテルへ向かう。

シャトルバスではなく路線バスなので、乗車している客はほぼ「近辺に住んでいる人」で構成されており、各バス停でまんべんなく降りていくような具合だった。

明海付近団地はいつ見ても壮観で、子供も大いに興味を示していた。

個人的には今川団地を見ると「ああディズニーランドに来たな~」という実感が湧くのだが、共感してくれる人があまりいない。

ホテルは目立って可もなく不可もなくだが、コインランドリーが少ないのと、近辺にも単独コインランドリー存在しなかったため、洗濯にそれなりに苦労した。

大人だけであれば洗濯なぞせす、着替えも好きにすればよいが、子供が居るとなんだかんだで不意に汚したりすることもあり、いくら着替えを持っていっても足りない。帰宅してから大量の洗濯物と格闘するのもそれはそれでおっくうである荷物は予め送っておいたので移動する手間がなかったのは幸いだった。

子供を先に寝かせ、大人明日の準備などをし就寝。

●2日目(ホテルランドホテル

朝食会オープンと同時に即朝食を済ませる。朝食メニューは和・洋と極めて平均的な感じだが、スタッフが多く、ホスピタリティは高かった。

子供向けのバイキングコーナーもあり、やはり子供用なのと、夏休みということもあってほぼ戦場と化していたが、ああいうのも子供としては嬉しいのだろう。

嬉々として子供用のチーズフォンデュをこしらえて食べていた。

身支度を整え、シャトルバスディズニーリゾートへ向かう。

ちゃっかりパートナーホテルに泊まってしまったので、シャトルバスは「きょうリゾートを去る人」か「これからリゾートへ行く人」でバッサリ二択となる。

日曜日に前泊したのでランドへ行ったのは月曜日だったわけだが、それでもまあまあ「これからリゾートへ行く人」が多かったように思う。

子供休みなのはともかく大人が平日月曜日とあればそこまで混雑はしないのでは・・・という予想をしていたが、甘かった。

子供休みであれば大人休みだろうし、そういうタイミングを狙って来ている人も決して少なくはない。

このへん、地方に居ると「わざわざ感」が高くなってしまい、感覚としてわかりにくいところである

シャトルバスに揺られ、ランド横のバスターミナルで下車。

BGMやゲート前の雰囲気で、一度行ったことのある大人なら否が応でもテンションが上がる瞬間だが、子供はいつもよりも早く起床したせいで「眠い疲れた」などと言ってくる。

「もうすぐ楽しいのがいっぱいあるよ」など、抽象的な言葉で期待を盛り上げつつ、なんとかゲートを通過。

年齢が年齢ということもあり、ランドでの滞在の半分をほぼファンタジーランドトゥーンタウンで過ごす。

40周年記念プライオリティパスは「プーさんのハニーハント」に利用したが、朝9時の段階で17付近の案内になっていた。人気なのは分かってたけど、すごいな。あくまで平日ですよこれ。

ファンタジーランドの「キャッスルカルーセル」や「アリスのティーパーティー」などは、正味ほかの遊園地でも体験できる類のアトラクションではあるが、ランドであえて乗る、というのも年齢が年齢でないとやらないものではあるので、そういう意味での新鮮味はあった。

トゥーンタウンではたまたまタイミング良く、短時間で「ミニースタイルスタジオ」と「ミッキーの家とミート・ミッキー」を楽しむことができた。

気持ちミニーの方が混雑していたように思う。ミートミッキーはもうみんなだいたい体験したのであまり並ばないのだろうか。

昼食は「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」で頂くことにしたが、ちょうど昼食の時間帯にぶち当たっていたせいで、30分ほど並んだ。

少し早めか遅めにすれば良いのだが、きりの良い時間でなかなかアトラクションを諦めきれないというところに、ランド飯の難しさがある。

子供はお子様セット、大人スペシャルメニューを堪能し、妻と「やっぱりランド飯はなんだかんだでうまい」と感想を交換し合う。

席は500席と多いのだが、子供連れが一挙に押し寄せてくるのもあってか、ほぼ満席だった。平日月曜日でこれなのだから休日の混在ぶりは想像に難くない。

なんとなくだが、この店は食事というより、お茶休憩などのニュアンスで利用したほうが間違いないかもしれないと感じた。

・・・とは言いつつ、お子様メニューがあるのでどうやっても混むのは仕方ないのだが。

昼食後はワールドバザール周辺をぷらぷらと移動しつつ、近隣のワゴンポップコーンを買ったり、アイスを買うなどして、夜のパレードまでやりすごす。

気温は34℃上半身が汗でビッチャビチャになっていつつ、1時間に1回は自動販売機に足を運ぶような勢いだったが、あの暑さでも徹底して自動販売機しかPET飲料で4種類くらいしかない)でなんとかせよという感じになっているので、コンセプトの揺るぎなさは流石だなと思うなどする。まあ売り切れることはないと思われるので、その点は心配なさそう。

ちょっと前は大人用と子供用で高さの違う水飲み場ランド各所にあった気がするが、自分が探した限りでは、ワールドバザール南西のトイレロッカー横にしか見つけられなかった。コロナ禍を経たせいでなくなったのだろうか?

PET飲料は持ち込み可とはいえリュックパンパンに詰めてランド内を歩くのはあまり現実的とは思えないので、もうちょっと簡単飲み物が入手できるようになってくれると嬉しい。

日中様々な場面で並んだが、行列から聞こえてくる会話のほとんどが外国語だったのは、ある種の驚きがあった。

日本語ほとんど聞こえないなと思ってはいたが、ここまでインバウンドがすごいことになっているとは思わなかった。

特にトラブルはなかったが、外国にもディズニーあるんだから少なくとも本国の人は本国ランドに行っといてくれと思うのは俺だけだろうか。

めちゃくちゃディズニーが好きで、特に日本しかない何かがあるとかだったらわからなくもないが。キャッスルカルーセルとか別にみんなで並ばなくてもよくない?

ここで唐突だが、筆者個人の「ファミリーから見た、ディズニーで嫌な気持ちになるゲストベスト3」を発表する。

3位は「スーベニアショップ一角占拠して写真を取り続け、自分たちの世界に入っている謎の男女ペア

2位は「似たような格好で6~8人1組になってイモムシのように移動・徘徊し、トイレなんかもその単位で入る女子集団

1位は「周りを全く見ずに列を乱したり乱入したりする男女混合の大学生らしき集団

お土産は安定のグランドエンポーリアム。正直ディズニー土産といえば、ここかボンボヤージュぐらいしか知らないというのはある。

面積がデカいので俯瞰して見れるのはよいが、時間があれば他のショップも回ってみたいなとは思った。

個人的にはホームストアやマジックショップあたりが好きなのだが、時間的な都合で行けず。

持って帰るとつらい量になってしまったため、日通配送サービスを使うことにし、ゲート付近プーさんに遭遇するなど、嬉しいハプニングもあった。

「一日でミッキーミニープーさんに会えるなんて、かなりイケてるぞ」と言うと、子供は喜んでいた。たぶん。

経験上、エレクトリカル・パレードの手前あたりでウエスタンランドに移動しておくと、パレード見物でわりと良いポジションが取れるということは記憶にあったので、夕飯はハングリーベアレストランカレーとんがりコーン(ただのシンプルとんがりコーンだが、この「ただのシンプル感」が敢えて良い)を食す。

カレーはお子様用もあるし、なによりハングリーベアレストランは席数が690席とアホみたいに多いので、よっぽどでない限り座れないことはない。

なによりメインメニューカレーなので、提供スピードもめちゃくちゃ速い。

エレクトリカル・パレード鑑賞を目的としていないのであれば他の選択肢でもよいが、そうでなければ個人的にはハングリーベアレストランを推す。

食事を済ませたあとは、ウエスタンランドファンタジーランドの境目あたりに着席する。

早めに行くにこしたことはないが、あのあたりはそこまでがっついて前に陣取らなくても、そこそこ山車の迫力あるムーブが楽しめると思う。

19:00時点で子供はかなり眠そうにしていたが、ピクニックシートで仮眠したのち、エレクトリカル・パレードでは大いにエキサイトしていた。

LEDのお陰で終始めちゃくちゃ明るく、子供は「全部すごい」という大雑把な感想であったが、一度行った大人的には最後提供車(日本ユニシス、今だとBIPROGYですね)を見送ったあとのサウダージ感が「まさにこれ」という感じで、なんとも言えない懐かしさで満たされた。

パレード後は流石にお土産を買う気力もなかったので、シャトルバスに転がり込み、ホテル風呂を浴びて速攻で寝る。

パレードが終わった直後あたりの時間を使ってお土産とかうまく買えそうな気もするが、子連れだとなかなかそうもいかなさそう。

●3日目(ホテルイクスピアリ帰宅

前日のパレード見物の疲れもあってか、ダラダラと起床し、ダラダラと朝食を頂く。

もう帰るとなると準備などにもあまり身が入らないが「最後イクスピアリ行くよ」と子供に伝え、身支度をさせる。

シャトルバスランド手前まで行ったのち、ぐるっと回ってボン・ボヤージュとイクスピアリへ。

ボン・ボヤージュでは(ランドで買えば日通で送れてよかったのに)下の子ベイマックスぬいぐるみにドハマリしてしまい、どうせあとは帰るだけだから気合で持って帰るか!となってつい購入してしまったため、帰り足はエコバックから顔だけを出したベイマックスらしき物体ファミリーに加わることとなった。

イクスピアリでも色々と見たかったが、さすがに2日間歩き通したのもあってか「もう歩けない~」となったため、早めに舞浜を後にする。

地元にはない3COINS+plusとかついでに見たかったんだがやむを得ず。

京葉線ホームから新幹線構内まではまた地獄の長距離移動となったが、ベイマックスを使いながらなんとか鼓舞した。

これだけでも買ってよかったと言えるくらいには、頑張って徒歩移動したと思う。作品もまだ見たことないのだが、ありがとうベイマックス。今度観ます

東京駅ではグランスタで遅い昼飯を調達し、新幹線ホームの休憩所でヌルッと休憩するなどし、無事乗車して帰宅の途につく。

東京駅は座る場所ほとんどなく、特に子供を連れたファミリー層に優しくないことこの上ないのだが、あれはもうちょっとなんとかならないだろうか。

とにかく座る場所がないので、子供は頻繁にしゃがみながら移動していた。おんぶしようにも大人の体力も無いし、だいいち前が見えなくて危ない。

新幹線改札口横にロッカーがあって、一旦そこに荷物を預けたのち、駅構内を移動できるとか、そういうのができるだけでもだいぶ違うんだが。

帰りの新幹線爆睡・・・という感じでもなく、遅い昼食を食べたり、買ってきた小さいお土産遊んだりした。

子供休みながら移動していたのであまり眠くなかったようだ。

さな、ありふれた旅行ではあったが、子供の成長を実感した旅であった。

追記 2023.8.3)

上野で降りたんなら、日比谷線に乗って八丁堀京葉線に乗り換えると、東京駅回避できたのに

最初それもちょっと考えたんですが、できれば東京キャラクターストリートに行きたいとなったので止むなく・・・でした。

>まだ小さいから連れてってつて言われないけど正直今のディズニーの値段は日帰りでもキツいわ

自分場合は、コロナ禍で3年くらいどこにも行けてなかったので、3年分積み立てていた旅行貯金を崩したような感じでした。

ただそれでも高いは高いですよね。

道中頻繁に「まあ、ディズニーだし、それなりに、な!」みたいなやりとりを妻としたりして、物価高を痛感した旅でもありました。

>「都会ではこれが楽しいんだ」と教えてやりたい

田舎だとなかなかできない「人がいっぱいいるゆえにどうにもならないことがある(アトラクションで並ぶとか、電車で座れないとか、店が混んでるとか)」を、ギリギリ楽しい」とのバランスを取りながら体験できるのが、ディズニーランド旅行なのかなと思いました。人馴れしてほしいというのも確かにあります

ただ、あんまり小さいと覚えてないかもしれないというのも、わかります。姉はたぶん覚えていると思いますが、弟はどうかな・・・

新浦安イオンまさか地方から行く人がいると思わなんだ

目的であるディズニーリゾートから一番近くて一番デカイオン、という感じで行きました。

ゲーセンGiGO)とかあるし、急に子供の何かが必要になってもデカイオンがあれば大丈夫かなと。

最初イオンモール幕張新都心へ行く計画も立ててたんですが、今考えてみると無謀すぎますね。

>「車でまとめて移動してホテルにぶち込んで後は勝手やらせる」方式家族旅行しかしたことがない

個人的には(地方在住ということもあり)車の方が良いんですが、妻と子供が圧倒的に「公共交通機関での移動スキー」なので、そこで折れました。

めちゃくちゃ疲れましたが、体験としては悪くなかったかなと。

電車で移動すると旅先で酒が飲めるというのが逆に新鮮で、そこだけちょっとしかったです。

追記 2023.8.4)

>ちいかわの店は開店と同時位にいかないとなかなかしんどい

やっぱりそのくらい人気なんですね。ちいかわ人気は地方に居てもそこそこ実感してたんですが、東京キャラクターストリートともなると混雑具合は別格ですね。

東京駅アクセス至便というのが、一層難易度を高めている気がします。

>4人2泊3日でコミコミでおいくら万円

往復の電車賃(新幹線)、食費、ホテル代、入園チケットの合計で10万円付近でした。

(実際にはお土産とかもあるのでそれを超えましたが・・・

Permalink | 記事への反応(7) | 22:58

学習指導要領における中学英語のヤバさ

予想された全国学テ「英語」の成績下落https://gibsonerich.hatenablog.com/entry/2023/08/01/150907

↑がホッテントリに上がっていたので少し書いてみる。

例えばこち

https://www.kairyudo.co.jp/contents/02_chu/eigo/h28/h28_eigo_shidoyoryo_taisho.pdf

学習指導要領上だいぶ小学校へ移動している。

といっても小学校ではほぼ文法指導はなく、二言三言会話して歌を歌う位のものだ。

何より良くないのがテストがない、というか教師側の能力不足、時間不足でできないので、生徒に学習、復習のインセンティブがない。

結果、何も残らないか一般動詞とbe動詞区別もつかないような中途半端知識が残るのみとなる。

そして上の記事でも指摘された通り、中学英語は旧学習指導要領より履修項目、単語が増え、教科書本文も長くなった。

特に負荷が高いのが中1で、例えば今まで中1夏休みまでの間に履修していたbe動詞一般動詞助動詞辺りまでを4月の間(実質2週間位)で駆け抜けなければならない。

更に話す、発表する等もやって行く必要があり、単元あたりの文法指導にかけられる時間が実質大幅に減っている。

かに中学でも小学校に回された単元をおさらいすることになっているが、実質そんな時間わずかなものだ。

英語場合スタートでつまづいた子が後から挽回するのはとても大変で、中2に上がる頃には結構賢い子でもお手上げ状態となる。

また定期テスト最近教科書本文から長文問題を出さず、別の文章を引いてきたり文法事項だけ出題するパターンが増えている。

これは教科書単語が難しいため本文から出すと問題が難しくなりすぎるからとか、教科書本文をまともに授業で扱う時間がないからなどと言われている。

テスト教科書本文が出ない単元の単語は覚えるインセンティブが下がるが、入試で出ても文句は言えないので、自主的に覚えるか塾でやるか諦めることとなる。

学習指導要領コミュニケーションから英語習得を目指しており理念は素晴らしいけれど、学校外でも膨大なトライアンドエラーを積み重ねられるような、英語を浴び続ける環境必要だ。

それは1対多数の公教育現場での実現は困難だし、高校入試スピーキングテストも宙に浮いた状態となっている。そもそも学校でまともに教えていないことを入試で問うのがおかしい。

更に先述の通り学ぶ量もスピードも増えていて、独学で追いつくのは大変であり、小学校の段階から塾に通える子が有利になっている。

となると英語ますます親の経済力意識の高さに左右されるから教育格差が広がる一方だ。

YouTube等で無料でやれるといっても、それはその気になれる意識の高い(収入比較的高い方の)家庭の子からだ。

また英語でのコミュニケーションに長けた帰国子女文法全然できないのはあるあるだが、時間的制約の中で文法理解の精度を下げるのをどこまで許容しながら出力を増やすかという問題もある。

かなりヤバめの状況だが、すぐできることとしては、中1の進度を少し緩やかにするか、せめて小6の3学期だけでも一般動詞とBe動詞文法指導小学校でやるようになればだいぶその後の勉強がやり易いと思うのだがどうだろうか。

小学校では広島原爆ドーム修学旅行行かされて、展示のグロさに気分悪くなる女子、怖くねぇし!とイキる男子、行き帰りに歌わされた謎の原爆の歌を覚えていて、展示はすっかり忘れてしまった

レズカップルに育てられた人

一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。

登場人物

自分→女でノンケ

親1→レズメンヘラで血が繋がってる

親2→レズモラハラで血が繋がってない

特殊すぎて身バレしそうだから多少フェイク混ぜます

レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹からまれたので、自分感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる

結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人から父性みたいなのも感じないか父親代わりじゃないな、みたいな?

家族ってある程度は本能理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた。

うちはレズカップル公表する系の親で、周りもあんま触れんとこみたいな感じで特に問題なく幼少期は過ごした。小学校3年生くらいまでは親2も歳の離れた姉みたいなものだと思えたし、割とみんなで上手くやってたと思う。

でも雲行き怪しくなってきたというか、嫌だなと思い始めてきたのがその少しあとだった。

私の通ってた学校にはクラスメイトの親たちが朝の時間おすすめの本を紹介して読み聞かせをする企画があったんだけど、親2がそこで大人が読む用の虹色系の本を紹介した。

それだけならまだ良かったのに、あげくに誰にも聞かれてもないのに、私がどうやって誕生したのかみたいなことを赤裸々に話し始めたのである。「精子デリケートから親1の胸の谷間に挟んで持って帰りました」とかエピソードトークを挟んで。小学校やぞ

これが私はとにかく嫌だった。恥ずかしさのほかにそもそも親2は出産無関係だったわけだし、親1と私と精子提供者の男(レズコミュニティ友達の知り合いかなんか)の間のことで、お前は関係ないだろという変な怒りもあった。

親2はアクティブで話が上手くて楽しい人だったけど何かと自己顕示欲強めのレズで、Twitter同性愛ご意見番みたいなアカウントやってて、フォロワー数千人いるのを最近偶然知った。そのプロフィールに元〇〇(国名)在住って書いてあったけど、それは嘘だ。親2は修学旅行で1回海外に行った話をリアルでも擦り続けてるので、見栄を張りたい気持ちが強すぎる。

話は戻って、親2が教室でやったことは今思えば完全アウトのセクハラの域だったと思う。

だけど何言っても差別になりそうだからか、誰かの親がクレーム出すと思ったら驚くほど無風だった。クラスメイトからかわれたりとかもなかったけど、あの時本当は誰かに親2を叱って欲しかった。

すっかり学校で腫れ物になった親2は、その後も学校図書館虹色系の本を多量に置こうと働きかけ、PTA便りに同性愛カミングアウト怪文書を載せるなどしていた。

あと、親1と学校行事に2人で来て人目も憚らずにイチャついてみたり、「着飾った他のノンケママとは違うのよ」感出したかったのか、授業参観すっぴんショーパンキャミサダルで来てみたりとかの奇行も続いた。さすがに児相通報されたり学校に親が呼び出されたりするレベルじゃないけど、子供からしたら本当に恥ずかしい。

私の学校生活が全部親たちの幸せ審査するのオーディション会場に見えてるみたいだった。

「こんなに理想的な家庭!ナチュラル私たち子供達に新しい選択肢を見せてる!」っていう自己陶酔PRというか。歳が行ってからの子供だったから、その時点でどちらも他の母親より若くはなかったし、女親2人っていう特殊条件の子育てに自信がなかったのかなと思うとかわいそうではあるものの、巻き込まれたこっちはたまったものじゃない。お父さんとお母さんが良かった!とはまた別の感情で、「普通が良かった」とずっと思ってた。

そして親2が男性嫌悪も強めで、男子と仲良くするとあからさまに嫌な顔をしたり、昼休み男子と外で遊べないようなタイトスカートを履かせようとしたりするのも当時は悲しかった。小学校時代スポーツが好きで男子友達も多かったのに、『運動ができて男女問わず友達がたくさんいる子』よりも、どちらかというと『賢い女友達に囲まれた賢い子』とか『女子を引っ張る強い女』みたいな立場を求められていたんだと思う。

別にお母さんとお父さんのいる家庭でも片親でも、ゲイカップルの子供でも、どの家庭にも多少はあることだろうけど、私はとにかく親2の顔色ばかり伺ってた時期が長くて、影響受けすぎて中学では本気で男嫌いになり、男の先生とかの前だと緊張しすぎて緘黙みたいになっちゃった時もあった。

当時はあまりにも男と話せないから、自分レズなのかなと思ってた。今は無事に男嫌い寛解してノンケとして生きてる。彼氏がいることは2人には言えてない。

親も別に私をレズとかバイにしたかったわけでもないと思いたいんだけど(親のコミュニティを見る限りレズバイ後天的な人も多い)、「自分たちみたいに幸せになってほしい!」みたいな感覚が強かったんじゃないかなと思う。

母数が少ないだけであって私みたいに同性愛者の親の無理解に困ってた子供もいるわけだからノンケ親だけを「同性愛無理解だ」って責めるのも意地が悪い気がする。

うちの親見てる限り、結局自分と違う恋愛趣向とか家族の形を理解できないのはお互い様というか、想像力限界というか、いくら口では多様性を説いても、経験したものでその人の人生が構築されてるわけだし。

話逸れたけど、そういう学生時代を過ごしてグレはしなかったものの親2への不信感とか、親1の親2への依存とかを見てるのがキツくなってきて、数年前に家を出た。親1は子供に対しても依存心が強くてメンヘラなので説得しきれず、家出まではいかないまでも結構無理やり引越した。

親2のTwitterを見ると私は、早くに自立した最高の娘!一流企業内定英才教育バイリンガル!みたいな扱いになっていて笑えた。近所でも「娘は海外留学した」とか触れ回ってるらしい。実際は職場は早く家出たくて選んだブラックだし、日本語しか喋れませんが。

結局、親2にとっては人生を彩るアクセサリーの1つとして子供しかったのかも。好きなところも楽しい時間もあったし、そういう側面だけじゃないのは分かってるけど、どうしても『親じゃない』という気持ちがある。

親1のことは母親だと思ってるけど、いかんせん親2と私にLINEして1時間返事がないと情緒不安定になって仕事を早退して鬼電してくる厄介メンヘラでもあったので、親2を繋ぎ止めるための道具の1つが子供だったのかな、と思わないでもない。

なんでこんな「そんなのノンケ親にもいるだろ!」って突っ込まれるであろう話を長々と書いたかというと、私の親をよう知らん人に「お父さんとお母さんが揃っていても世の中には虐待とかする毒親いるから、優しいお母さん2人のところに生まれて良かったね!」みたいなことを言われたのがきっかけになる。

それ聞いた時に、「お母さん2人」みたいな優しい雰囲気言葉とか、同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くないなと思った。身体的な虐待はなかったと思うけど、毒親毒親じゃないかで言えばうちの親はかなり毒だったし、同性愛者による虐待事件だって普通にあるし。

私は無事に大人になったけど、周りの差別とか制度とかの話じゃなくて、もっと同性愛を起点とした親の人間性みたいなところで悩むことが多かった。あの家に男で生まれてたらヤバかったんじゃないか、みたいな恐怖感もある。

差別に繋げて欲しいわけでもないから補足すると、学校での出来事以外はどのパターン家族にも多少形を変えて起こり得ると思う。あと、レズカップルに育てられてハッピー子供さんもいるでしょう。

でもなんとなく親同士が同性って言うとノンケ夫婦よりも崇高なイメージを持つ人が多いんじゃないかなと。モデルケースが少ないのもそうだろうけど、支援者当事者子供を手にしたその先はあまり考えてくれていない気がする。結局、今の技術的にどう頑張っても片方は血が繋がらないわけだし、「海外暮らし養子をもらいます!」にしたって、家族の人数と役割を揃えたところで全てが上手く動き出すわけじゃないのよ。

社会制度を変えることに必死で、普通子供を育てること+の難しさがあるって当事者も周りも気づいてない人が多いのかなと思う。あるいは見ないふりをしてるのかな。

圧倒的に不幸なわけでもない。上を見たらキリがないし、育ててもらった恩もあるし、たまに会うくらいならいいけど、1人で暮らすようになって気が楽になった。彼氏と会うのに罪悪感がないし、親が満足するような、レズカップルの正しい子供をずっと演じていた気がする。

最初に書いた通り多少フェイクもあるけど、起きた出来事は基本ノンフィクションです。

これを立場を反転させて「同性愛者が異性愛者の両親に感じている苦痛だ!」って言う人もいるだろうけど、立場でいうと同性愛者の親に育てられたノンケの方がマイノリティになるので、どうかマジョリティ側の体験談に取り込まないでほしいな、と思う。

anond:20230801144109

小学校で調べてこいって課題が出た時にはもっともらしい理由を教えてもらったけど、父親死ぬ間際に「実は当時流行ってたホームドラマのしっかりもののお母さん役から取った」って聞いた

母が言うには、「あの人は母親を早くに亡くして母親的なものに憧れていたから」みたいなこと言ってたわ。なんやそれ。

anond:20230802094415

失礼だけど、まるっきり誤解なさってる。

子どもの頃の記憶を思い出してみてほしい。

小学校の授業で、社会テスト問題を受けている風景を。

それにピッタリの状況だよ。

問題です。

アメリカ原爆を落としたのは間違いだった、でしょうか?

もし間違いだったなら、日本人が不満を言わず受け入れたのは、なぜでしょうか?」

当時、アメリカ軍は日本占領することが出来た。

日本アメリカ属州にすることが、十分に可能だったのさ。

2023-08-01

anond:20230801232618

対照用にdeepLの画面で対訳見ながら編集した翻訳和文原稿も吊っておく (deepLが誤解する場所とか主語を補ったりしないとちゃんとした訳にならんのよ)

ここは原文からニュアンス変えすぎでは等の突っ込みも甘んじて受ける。

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「例の件」に関して、彼らは当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもないのに語るべきだろうか、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。俺は長崎の生まれ被爆三世当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者ほとんど残っていないから俺が言う。

長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラー扇風機もない真夏小学校体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺にはそれが辛い時間だった。話をする年寄りもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。もうひとつ辛いことがある。毎年この時期になると、廊下にはずらりと、他所地域ならPTA発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。最近は、原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞く。なので、今も続いているかは知らないが、俺の頃はそこに展示されていた。

小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキング写真だが、それでもどうか見てほしい。どうしてもその写真掲示された廊下を通れなくて、その時期はいだって校舎の別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。

今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の祖父は、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間もっと山ほどいただろう。彼は瓦礫だらけの長崎の狭い道を、handcartを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。当時の祖父子供じゃなかったが、当然それと似たような事をしたこどもたちも居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、兄弟がそれを焼いた話。薪が足りなくて親父の遺体が十分に焼けず、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。

俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。

今は少しだけわかる気がする。

俺が自分トラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。

からひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。

俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。つまり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福人間のひとりだった。祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば、何でもないことなのだ。

記憶は人に語られる度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶も、もうほとんど忘れ去られている。78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが今や墓の下にいる。

老人たちの言葉と比べて、自分言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。自分のような存在がこれを語ることが許されるだろうかと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、我々が口を閉ざした結果があれなのだ

想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。

翻訳者注記: このポストは、日本のある投稿者が「自分広島長崎出身でもないのに原爆に関する言論について発言する資格があるだろうか」と悩みながら、それでもバービー原爆の件について発言した投稿に対する返答である世界に読まれ価値があると考えここに翻訳した。

ヒステリーが治らない。

ヒステリーが治らない。

現在21歳女ニート。低度のADHD含んだ中度のアスペ。あとうつ病中学2年の頃からある。

小学校の時は特に身内に対しては我儘放題だった。

自分の意にそぐわないことに不機嫌になったりもしたけれど、ヒステリーって程ではなかった。うつ病になってから、本当に感情コントロールがきかない。

かろうじて友人・知人あたりに怒鳴ることこそないけれど、よく泣く。別に謝るのが嫌とかそういうことはなくて、普通に謝りはできる方。でも泣く。

バイト中にも自分ミスに涙が止まらなくて、叱られはしないし優しくされたけれど申し訳なくて結局辞めた。病院にも通っているし抗うつ薬は飲んでいる。

頓服薬も泣いたらすぐに飲むようにしている。これ以上どう対策すればいいんだろうね。

特に身内に関しては怒鳴ったりたまに暴力も振るってしまう。毎回冷静になって謝ったり許されたりしてるけど年々信頼や愛情が壊れていっている。当然だと思う。悲しいけれど。

今日スーパー通路の中心で立ち止まった母を注意した。人が沢山居たか迷惑だと思って。最初は静かだったんだけど悪びれない・急がない母にカッとなってしまってヒステリックに声を荒げてしまった。妹にヒステリーやめろと注意されて帰宅。私は帰った後冷静になって、スーパーヒステリー起こした自分が本当に嫌になった。

どうしてこんな些細なことで怒鳴ってしまうんだろうって。嫌なやつだなと思うし。人の気分悪くする天才だなって。

ヒステリー中もその後の時間自己嫌悪もどっちも辛い。

結局今日も泣いて被害者の母に慰められたのも情けない。

薬はもう増やさない方がいいと医者に言われてしまったし、ならどうしたら良くなるんだろう。

感情コントロールって皆どうやってるの。どこから練習すればできるようになるの。

バービーの件に関してどうしても語らなければならない諸々の事

例の件に関して、当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもない人間がどうこう、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。

俺は長崎の生まれ被爆三世当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。

俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者ほとんど残っていないから俺が言う。

長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーどころか扇風機もない真夏小学校体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺はとにかくそれが辛かった。

話をする年寄りもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。

もうひとう、この時期になると廊下にはずらりと、他所地域ならPTA発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞くので、今はどうかは知らないが俺の頃はそうだった。

小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキング写真だが、それでもどうか見てほしい。

どうしてもその写真掲示された廊下を通れなくて、その時期はいだって別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。

今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の爺さんは、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。

写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間もっと山ほどいただろう。

瓦礫だらけの長崎の狭い道を、リアカーを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。

当時の祖父子供じゃなかったはずだが、当然それと似たような事をした小学生も居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。

幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、自分たちで焼いた話。薪が足りなくて親父が生焼けになってしまって、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。

俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。

どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。

今は少しだけわかる気がする。

俺が自分トラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。

俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。

からひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。

俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。

まり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福人間のひとりだった。

祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。

俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。

俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないことなのだ。

記憶は人の口を経る度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶ももほとんど忘れ去られている。

78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。

あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。

それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが墓の下だ。

老人たちの言葉と比べて、自分言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。

それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。

自分ときがと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、口を閉ざした結果があれなのだ

想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。

俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。

アメリカアンラーキーデイズ

ヒロシマビキニも大して何も感じない国アメ公もの不謹慎な日をリストアップしてみたぞ

どうせ世も末なんだからこのリスト著作権なんかねぇから日めくりカレンダー薄い本関脇昇進もなんだってしてもらってもいいぜ

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