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はてなキーワード: 大衆化とは

2023-03-15

anond:20230314152105

ポケモンに興奮する程度で別れるくらいなんだから、今の無職相手の方がちょうどいいんじゃね?

高学歴の優秀な人は大体おかし性癖があるよ。変な性癖ゼロの奴なんてほぼいないしキモいのが当たり前

努力家は性欲強いらしいし毎日勉強バイトで頑張り続けてれば捌け口がおかしくなる

ニート無能な人のように文化を楽しみ豊かな情緒を育んで人間関係時間を費やしまくって大衆化する暇なんてないから、感性感覚も尖ってる


低学歴底辺ニート童貞には「自分は他の女性と付き合える」という自信がない

唯一受け入れてくれる女性を逃したら、あとはもう生涯独身、性の喜びおじさんまっしぐらだと本人は思ってるから、一生尽くしてくれるだろうね

自信を得たら本人の素質次第なので分からないけど

お金目当てというより、俺みたいな人間のちんぽを受け入れてくれる唯一の存在だとは思われてるだろうね

2023-02-28

英語学習法とかにブクマ付けまくるインテリぶったはてブはどこに行ってしまったんだろうな

幼稚園落ちた日本死ねあたりから大衆化、低年齢化、偏った思想人間流入が合わせて起こってきた感じがする

2023-02-21

タイパってZ世代のイキった恥ずかしい思想みたいに思われてるけど

40代50代だってエリート層は時間効率考えて生きてる人間多いけどな。

知的階級の行動戦略一般大衆化した結果に過ぎないと思う。

2023-02-20

anond:20230220100916

音楽家人間国宝だろ

でもそいつらは0.1円まで実際に格下げされた

漫画家大衆化してしまったんだから10円まで格下げされてもいいはず

というかジャンププラスは多分1話一回最後まで読まれて3円ぐらいしか入ってないと思うぞすでに

2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2023-01-09

はてブっていつからオススメサイトを紹介し合うスレ」になったんだ?

違うだろ。

「皆があとで読むために自由ブクマしてたらそれが被ってしまったサイト確認できるページ」にすぎなかっただろ。

本来の使い道を間違ってるぞ。

今のはてブがやっているのは互助会文化大衆化じゃないか

毒されるなよ。

そうやってあとで読むのとは無関係ブクマして今どき喜ばれるのは増田だけだぞ。

2023-01-05

ポルノグラフティって名前バンドは令和にはもう許されないだろうな

ロック大衆化した。

SEX MACHINEGUNSなんて以ての外だ。

奴らが紅白に出ることはもう一生ない。

セカオワのように大衆に媚びるべきだった

2023-01-04

anond:20230104222519

人工子宮によって生物学的には完全な男女平等が実現した時にどうなるのか気になる

妊娠する必要がなくなった時に結婚大衆化するのか、それともより嗜好性の高いものになるのか

結婚という制度が誰かの手によってイノベーションされないか

仕事だってYoutubeだのクラウドワークスだので働き方というもの自体が大いに変わった

専業主婦という考えから共働きにも変わった

結婚だって元々お見合いが主流だったのが恋愛に変わった

しかしたら結婚という制度のものが消え失せる可能性もあるよな

今の結婚制度は重すぎるよね

なんか教育結婚という制度がどんどん上級国民仕様なっちゃってる気がするな

仕事とかサービス大衆化と逆を行ってる

これらも誰かのイノベーションによって改革されるんじゃないか

その時を待つべきじゃなかろうか

2023-01-01

[]2022年12月増田

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2022-12-31

結束バンドが売れていることに対して「もっといい曲がある」と言ってる人がいるの音楽の授業の敗北でしょ

芸術とはコミュニケーションの一形態である」という大前提を伝えるのが音楽美術という科目の教育要領の根っこだと思います

なんとなく気持ちがいい、とにかく上手、といった要素は芸術において重要評価点ではありますが、あくま評価点であって主題ではない。

メインとなることは「何を伝えようとしているか」なのです。

宗教画であれば「神という偉大な存在物語」を共有するための手段として存在しますし、オペラミュージックであれば「場面の持つ意味を強調する」ことを目的します。

音楽はその歴史の中で技巧に偏る部分が多く、宮廷音楽についても「こんなにも素晴らしい音楽を聞いている自分たち貴族精神的な豊かさ」に重きをおいた表現になりがちでした。

そこから大衆化を経る過程において「純粋音楽の持つ楽しさを共有する」ということへとテーマが移っていきます

やがて現代ポピュラーミュージックにおいては、「現代社会の中で感じる様々な感情」が表現のメインへとなるわけです。

世界の音楽チャート上位をラブソングが占めがちなのは恋愛というものが「共有したくなるような事柄が多い事象であるからだと言えます

まり音楽とは昔も今も音を通して何らかの「物語」や「感覚」を共有するものとなっているのです。

造り手の想定したイメージを、受け手音楽を聞くことによって脳内に再度作り出す。

それは紛れもなく「コミュニケーション」なんですね。

結束バンドアルバム「結束バンド」はそうそうたるメンバーを集めた上で「駆け出しの天才たちによる青春ロックバンドファーストアルバム」というコンセプトでリリースされます

バンドとは元来「世の中に何か表現したい者たち」が集まって産まれもの、その「表現したい者たちが集まって産まれた」という状態のもの表現するのがこの名盤「結束バンド」なのです。

大衆化とそれへの反発心が混ざり合う中で詰め込みすぎた結果の若干なチグハグさ、そういったものが確かに感じ取れます

音楽という強力な武器を持ってしてでも何者かに伝えんとする強力な叫び、その最もプリミティブな部分がファーストアルバムの奥底には光るものですが、結束バンドにならぶ「後藤ひとりという孤独人間による反抗」というコンセプトの歌詞はハッキリとそれが現れています

ロックとは大本をたどれば反発のミュージックであるわけですが、今では最も平穏でありきたりな音楽の一つとさえなっています

同時に、「社会への反抗」「本当は人付き合いなんて好きじゃないことの暴露」といった事柄も、今ではポピュラー文化の一つとなり、SNS等では日常のように誰もが口にするようになりました。

ですがその中にはそれぞれが心に持つ確かな苦しみや叫びがあるわけです。

現代に宿るそういった「一般化した反抗心とロック」を、「結束バンド後藤ひとり」という触媒を用いることによって鮮烈に浮かび上がらせ「現代におけるロック」を一つの形に組み直したのがアルバム「結束バンド」なのです。

その表現に対して「もっと上がある」というのはナンセンスだと思います

コミュニケーションには間違いなく良し悪しがありまして、それは「表現しようとしたもの表現できているか」で決まります

結束バンドアルバム「結束バンド」は、それによって表現しようとしたものが確かに表現できている。

これに対して「もっと良いものがある」と言ってしまうのはどうにも心が貧しいように思えますね。

もっと売れそうなものがある」なら別に何の問題もないのですがね。

売れやすいと良い悪いは別ですから

2022-12-29

anond:20221228200137

ファン以上オタク未満の自分ファン程度の軽いオタクには真剣に話すと引かれ、しかし、しっかり深掘りする深いオタクとは話が合わしきれず、ぼっちオタクと化してる

増田が言ってる大衆化オタクは前者のファン(いろんなジャンル飛び回る軽いオタク)で、増田は1つの穴深堀りオタクなのかもしれない

自分はいくつかの穴を中途半端に掘り進んで満足する中途半端オタクなので、結局1人でぼそぼそ考察喋って作品作ってるのを遠くから眺められるだけのぼっちおたくで終わる

がっつりサイトとか作って毎話最新話読んで考察書いて〜ってサイトもあるにはあるから交流目的としなければ別にいいのでは?

交流するなら深掘り程度を交流相手に合わせる必要はある

でもガチ深掘り考察ツイートとかはROMフォロワーばっかり付くよね(中には絵師ROM用別垢とかも混ざってる)

意外とみんな見ててRTで回って来たりするからガチ考察と絵垢は分けるとかしてもいいんじゃなかろうか

はてブ老人ホーム、3年11ヶ月前と全く同じ増田に全力で食いつく

オタク文化大衆化にすごくがっかりした anond:20221228200137

という増田、250ブコメを越えてようやく過去増田の再投稿だと指摘される

nonameotaku 2019年1月11日に全く同じ増田投稿されている https://anond.hatelabo.jp/20190111203922 オタク 増田

2022/12/29


2019年1月増田

[B! オタク] オタク文化大衆化に少しだけがっかりした話 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190111203922

2022年12月の増田

[B! オタク] オタク文化大衆化にすごくがっかりした https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221228200137

この2つのブクマを並べてみるとわかるのだが、同じメンツが全く同じ内容(タイトルだけ若干違う)の増田に食いつき、議論し、さらには同じことを新しいアイデアのように書いていたりする

過去に同じ増田を読み、ブクマしたことを忘れたかのように

結局ブクマには、最早オタク気質人間は残っていないということなのだろうか

sds-page 少数の作品で満足しないで常に色々な作品に触れて知見を広げようとする姿の方がオタク的ともいえる 増田オタク考え方

2019/01/12

sds-page 色んな作品を見て「この作品はこの作品の影響を受けてる」って語る歴史文化史的な楽しみ方するのもオタクなんでないの。専門書読み漁るタイプ歴史物の楽しみ方と一緒やぞ 増田オタクコンテンツ考え方

2022/12/29

mutinomuti “オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した” 文芸部とか普通にあった同時代人としてはそんなことな学校もあったよて言いたい(´・_・`)普通に生徒会兼務とか吹奏楽部兼務かめっちゃしてたし

2019/01/12

mutinomuti “昭和生まれオタクだ。 私の学生時代オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した”少なくとも近い世代自分の界隈はそうでなかったので、この言説に共感できない(´・_・`)

2022/12/29

anmin7 石の下に帰ろう。

2019/01/12

anmin7 めちゃわかる。オタク文化が嫌な掘り下げ型の人がいま迫害されてるんだろうな、って思うわ。迫害を楽しみにするタイプもまたいつだって人類いるからね。

2022/12/29

algot 中二、コミュ障ヘンタイオタクというワードオブラートに包めた時代が終わった感じ。

2019/01/12

algot “ひとつ漫画に対して熱は何年も続いた” つまり自分もその何年の後は別の漫画に興味が移ったわけじゃん?その時同好の士増田にガッカリしたんじゃない?

2022/12/29

mujisoshina その場に応じて皆と共有できる話題を使い分けているだけじゃないかな。昔は話題を使い分けることのできない空気を読めない者こそがオタクとよばれていたんだけど、今は普通に空気を読める人も漫画アニメの話をする

2019/01/12

mujisoshina 他の人と合う部分はSNSで語り、合わない部分は自分だけで楽しむので良いんじゃないかな。オタク交流なんてそんなものだろう。趣味は一つで無くて良いんだし、他の人だってSNSでは語らない趣味も持っているんだよ。

2022/12/29

toraba アニメオタクではないけど好きなアニメ作品はあるので同じ作品を長く楽しんでる、漫画ジャンルとして好きだから色んな作品ある意味消費するように読んでる(勿論長く楽しんでる作品もある)

2019/01/12

toraba オタキングオタク第一世代貴族主義オタク第二世代エリート主義しかオタク三世代は教養的に学んでいこうという勤勉さがなく、世間に白い目を向けられる者たちが持つ連帯感と寛容さがない」

2022/12/29

atoh どうやったら世間情報をこれほど遮断できるのか。海洋堂宮脇センムが最近オタク意味合いが変わったとインタビューに答えたのが2010年の事。https://diamond.jp/articles/-/9427?page=5 増田オタク

2019/01/12

atoh 今まで気づかなかったのか。海洋堂宮脇センムがオタクの変わりように言及したの10年以上前やぞ。https://diamond.jp/articles/-/9427 増田オタク

2022/12/29

myogab ナニをイマサラ

2019/01/12

myogab オタク黎明期でも「オタク」てのはそんなもんで、増田の言うそれは「マニア」だったかと。 追憶

2022/12/29

sakuragani オタク的なものに興味があろうがなかろうが結局コミュ障コミュ障だしリア充リア充だ。もはやオタク的なものコミュ障アジールでなくなった以上、そこは割り切っとかないといろいろつらいんじゃない?

2019/01/12

sakuragani 嗜好対象とは関係なく「掘り下げ型」の気質を考えたら繋がる手段が増えたところでって感じではある。一方でオタク趣味極北などと称されるTRPG界隈にいる身からすると10年で繋がるための環境は劇的に改善してるなとも

2022/12/29

p_shirokuma 「姿勢としてのオタク気質」ってやつのようにもみえるが、実はそうでない話のようにもみえる。 オタク趣味

2019/01/12

p_shirokuma 「最近になってSNSを使ってオタク活動を始めた。同好の士と繋がっていくと中・高生とも話す機会が増えた。今までオタク趣味オープンに話す機会もなかったので純粋に嬉しかった。」←なんかすげえな。浦島太郎か。 オタク趣味

2022/12/29

kagerou_ts 増田は深堀りするタイプオタクからそのままの自分で生きてほしい。

2019/01/12

kagerou_ts 昔は生存バイアス的にガチ勢しかきのこってなかったのではという気も。単純に楽しめる人が多くなっていいじゃんって思うよ/「今期はこれ」みたいな移り変わり、昔からあったような気もするし

2022/12/29

cl-gaku ナイステキスト作品オタクではないが業界オタクではあると思う。視線の先が少し違う

2019/01/12

cl-gaku マニアとして生きよう

2022/12/29

gcyn 『コンテンツ一般化しただけでオタクが増えたわけではなかった。そして皆が皆自分オタクだと叫んでいる中、オタク気質同好の士を探すのも以前と変わらず難しい』

2019/01/12

gcyn 「萌え」の語の発生と一般化の以前と以後で、それ以前からあったものも書き直されて「オタク」もまた書き直されたのかも。そういう意味では「私は萌え以前のオタクから」の矜持で楽しく…や、以後もまた楽しいか。

2022/12/29

technocutzero それオタじゃなくてただのアニメ好き オタは多大な代償を払うことでしかなることができない哀しきモンスター

2019/01/12

technocutzero もうそういう意味でのオタク10年以上前に終わっている 終わったから日の光の下に出てきたんだよ でもそれは本当の意味での知見があれば聞いてくれる人も多くなったってことでもある

2022/12/29

memoryalpha 昔その層のために作った商品を買ってるのはオタクではなくお客だと官給品コレクターが言ってました(´・ω・`)

2019/01/12

memoryalpha ただの漫画アニメ好きの人までオタクと呼ぶ風潮のせいでは。大衆化もあるが漫画アニメ限定オタク定義要件が緩和されてる。増田同類ではないのだ。ラーメン好きな人ラーメンオタクとは呼ばんだろう(´・ω・`)

2022/12/29

sysjojo 増田アレフガルドに入るくらいからがオタクだと思ってるみたいだけど、今はダーマの神殿についたくらいでオタクなだけだから大丈夫メルキドで待ってればそのうちたどり着く人もいるから。(迷い込む?)

2019/01/12

sysjojo カジュアルオタクヲタおたく似て非なるもの

2022/12/29

neko2bo 日々色々知りたくもあるし。一つを深掘りもしたいし。全てを楽しみ尽くしたい欲求はありますが、時間お金も足りません。

2019/01/12

neko2bo 愛好するコンテンツ次第で孤立したり中傷を受けたりする。そんな理不尽危険性が減った。それがどれだけ素晴らしい事なのか。自分は嬉しくてしようがない。 オタク コンテンツ

2022/12/29

cinefuk 昭和の頃は「ミーハー」と呼ばれていた層が、現代の(マネタイズ対象としての)「オタク」になったと捉えれば、おじさん世代も納得すると思う オタク 増田 80年代

2019/01/12

cinefuk 昭和オタク用語でいうところの「ミーハー」が支配的になった世界からね。でも、昭和でも似たようなものだったのでは?アニメ雑誌のグラビアを切り抜いて下敷きに挟んでいれば「アニメファン」だったでしょう? オタク80年代増田

2022/12/29

citron_908 オタ文化とオタ体質は似て非なるものだと 増田

2019/01/12

citron_908 オタクとは知識ではなく生き方である 増田オタク

2022/12/29

オタク文化大衆化したのではなく、貧乏大衆化した

anond:20221228200137

車とかスキースノボとか旅行とかそういう金が無いと楽しめない趣味貧困化で楽しめない人が増えて、

人が居ないか自分もやらない人が増えて、サブスク使うかレコーダー買うだけで楽しめて必要リテラシーが少なくて済む、

趣味としてハードルの低いアニメやら漫画に人が集ってるってだけの話でしょ?

そもそも話のネタにするためにやってんなら、元々昔気質オタクでもなんでもなく、昔から浅いオタクだったんじゃないの?

旧来のオタク気質の人って別にアニメ漫画ってジャンルしか居なかった訳じゃないさ

なんか「昔気質二次元オタク」っていうのが過度に持ち上げられすぎだよね。ばかみたい。

anond:20221228200137

オタクって他のオタク紛いのことなんか気にしないレベル対象にのめり込むから

こんなこと悩んでる時点で大衆化したオタクとたいして変わらんレベルにわかだよ

2022-12-28

オタク文化大衆化にすごくがっかりした

昭和生まれオタクだ。

私の学生時代オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した。私はオタクであることを隠して生きていた。

部屋でどハマりしている漫画を読み、多少同好の士と話す機会はあったものの、基本一人専門書籍を漁っていた。ひとつ漫画に対して熱は何年も続いた。当時ハマった漫画歴史物で調べようと思えばいくらでも調べられたため、専門書を読み漁った。高い本は買えず、書店でよく立ち読みをした。二、三時間立ち読みをしている私はきっと迷惑存在だっただろうに、見逃してくれた書店員さんには感謝しかない。

最近になってSNSを使ってオタク活動を始めた。同好の士と繋がっていくと中・高生とも話す機会が増えた。今までオタク趣味オープンに話す機会もなかったので純粋に嬉しかった。

しばらくして違和感を感じ始めた。その違和感の正体がなんとなく分かってきたので、このエントリーを書いている。好きなコンテンツを同じくする若年層と関わっても、しばらくすると彼らの愛好コンテンツは別のものになってしまうのだ。私が絵を投稿するたびに熱心に話しかけてくれた高校生ももう別のジャンルに夢中のようだ。彼らのプロフィールにはたくさんのコンテンツが書かれており、それにハマっている、とある。そのコンテンツほとんどの若年層のアカウント共通していることにも気が付いた。そして彼らは同じタイミングで同じことを一斉に投稿する。例としては、いわゆる"〇〇はいいぞ"などである

彼らはみな自分オタクだと自称しているのだが、果たしてそうだろうか?と段々と疑問を抱き始めた。アニメゲーム漫画を好めばオタクなのか、と言われればそれは違うのではないだろうか?彼らのうちのほとんどは、昔ならオタクが愛好していたコンテンツ流行の歌やテレビ番組と同じ感覚で消費しているだけではないのか。ただ単に普通の人が消費する、テレビや歌などの娯楽の選択肢の中に、昔オタクが好んだタイプコンテンツも紛れるようになった、それだけなのではないかという結論に至った。

若者がどうのこうのと言うつもりはない。私が一抹の寂しさを感じたのは、現代においてオタクコンテンツがこれほど大衆に受け入れられているのに、肝心のオタク自体はそのコンテンツ取り巻き楽しむ人々の中に入っていけない、という事実だ。一見たくさんの同好の士存在するように見える。しかしそのほとんどはオタクではなく、オタクコンテンツテレビ音楽と等しく選択肢として楽しんでいる人たちだったのだ。リア充で、自撮りSNSに上げたりできる人たちだった。オタク気質な人と普通の人の比率は今も昔も変わっていないのだ。これではオタクであることを隠して一人で楽しんでいた頃と本質的には変わらないんじゃないかと、思ってしまった。

結局のところ、オタクコンテンツがどれだけメジャーものになろうと、いやメジャーであればあるだけ、オタク気質な(掘り下げ型の)人間が少数派であり、孤立しがちであることを突きつけられるだけなのだコンテンツ一般化しただけでオタクが増えたわけではなかった。そして皆が皆自分オタクだと叫んでいる中、オタク気質同好の士を探すのも以前と変わらず難しい。オタク文化が大衆したことで、大手を振ってオタク気質人間考察だのなんだのできると考えていた私は時代について行けていない甘ちゃんだった。今のところ数万人はファンがいるであろうコンテンツ自分と似たようなタイプを2人だけ見かけている。

もしあなたオタク気質同好の士を友人に持っていたらそれは僥倖というものだ。彼/彼女を大切にしてあげてほしいと思う。

2022-12-06

お前らは知らんかもしれんけど騒音問題の近隣トラブル戦争なんだよ

追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすしました。文章自体は改めていません。簡単趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブル戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題トラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。

長野市遊園地問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。

自分長野市住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。

NIMBYと、子どものことを考えろ主義について

まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものであるNIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。

話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁一種である

子どもを抜きで考えた場合騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに騒音我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である

子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である簡単に例えよう。

あなた限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなた限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子ども可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)

別の例で例えると、ベビーカー子どもを載せて電車に乗る行為問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在邪悪である」という信念を持っている。

子どもとの戦いではなく、子どもを盾にする親との戦いであることについて

こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストフェミニストと名乗るようなものである普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符しかない。

誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子ども排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。

そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子ども騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子ども騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単すり替えてくるからだ。

実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである長野市で言えば多くの車の長時間アイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子ども騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市問題については自分意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子ども可哀想であるのはそのとおりだと思う)

子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話不可能であるそもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明クレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマー擁護したいわけでもない)

子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつう暮らしているだけなのに、騒音解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である

近隣トラブルでの対応の非常な困難さと、想像以上のストレスの大きさについて

これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。

「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万単位で金が変わってくる。つまり人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通我慢ならないだろう。

そして、トラブル悪化すると、人生で最も嫌いな存在自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。

死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。

もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロ個人単位我慢解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしま論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。

無関係立ち位置の人でも、可能ならば心に留めておいてほしいこと

「近隣トラブル戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子もの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。

これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。

ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから

そして残念ながら、今の社会解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。

ももしそうなったとしたら、自分あなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなた理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。

ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。

まり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」戦争することになる。

まあこれが2022年日本だということ。少子化は仕方ない。

anond:20221206142247

80年代とか結構そういう感じだったぽいぞ

大学大衆化してなかったので、頭がいい奴が「俺は学問をしにきた」とか言ってフランス文学をやってたり。

2022-11-30

anond:20221130175150

アメリカかどこかの

体格が良い男と、体格の悪い男

それぞれに全く意味のない適当な話と、論理的で内容のあるスピーチライターが作った話をさせて

どちらの話がより信頼性がありそうかを調べた実験

内容が適当でも見た目で安心感のある方の話が信頼できると評価されたって結果だったそうな。

人が集まり大衆化すると、何を言ったかより誰が言ったかになる。

未だに小泉進次郎が老人とかに人気だったりするし

日本でも同じだなと思った。

進次郎が石破みたいな顔してたら今ほど生き残ってない気がする。

2022-11-26

anond:20221126102921

最初の頃はごく一部の上流階級しかおらんかったか機能してたけど大衆化してバグが出るようになったんやろという話

2022-11-19

はてブにも女子供が増えたやね…

一般化というか大衆化というか

2022-11-06

anond:20221106035136

低年齢化大衆化してきた結果だな

誰でもネットを使う様になって人目につくもの大衆汚染される様になった。

この21世紀になっても大学進学率は54%くらいだし

理性や知性で物を見たり語ろうとしたりするインテリ層なんてまだそんなに多くはない。

2022-10-26

anond:20221026083151

最近になって大衆化は違うか

昔に比べてポケモンコラボした商品をよく見かけるからそう感じてただけか

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