はてなキーワード: 七五三とは
娘の七五三で自分の胸に花のコサージュをつけて以来コサージュにはまってしまった母親である。
しかし、コサージュって自分のためじゃなくて他人のお祝いのためにつけるものであり、私には七五三、入園、卒園式 入学、卒業式 結婚式くらいしかコサージュをつける機会がない
シンプルなコサージュやちいさいコサージュなら普段使いできるけど
私が好きなのは入学式や卒業式に参加する母親が胸につける大きくて華やかなコサージュ
普段使いむり
どこかのお祝いパーティーに招待されないと
コサージュってとてもよいものですね。自分の写真見てコサージュを見て、ニヤニヤしてしまう
入園式だと赤ちゃんがいる家庭のママは「赤ちゃんが舐めるから」とネックレスもコサージュもつけないことがあるらしいけれども、私は赤ちゃんは旦那に押し付けてぜったいにコサージュつけたい
いつか言葉にしてまとめておこうと思ったので筆をとる。
化粧が苦手なのだが、世の化粧が苦手な人のことを調べても自分のケースと一致する例が見当たらないためだ。
普通への強迫観念が強めな身の上なので、同じようなケースの人が克服しているのであれば教えてほしい。
先に述べておくと、自分は「自分が化粧をするという行為に生理的嫌悪感を抱く」というだけで、人が化粧をすることについては至極どうでもいい。
メイクアップという文化は尊敬しているし、自分らしくあるためにメイクの力を借りれる人達のことを羨ましくも思っている。
化粧をするという行為といったが、広義でいうと「肌の上に色のついたものを乗せる」という行為が苦手だ。
ボディペイントも苦手だし、絵具で手が汚れるようなことも含まれる。
いつから苦手なのかというと、あまり物心もついていないであろう七五三で化粧をしたくなくて大泣きしたらしいから多分生まれたときから苦手だったんだと思う。だからなにかきっかけがあった、みたいなことはない。
ちなみに透明~半透明(無色)くらいのものはセーフだ。なので化粧水や乳液などのスキンケア用品は受け入れられる。ただリップクリームは例外で、飲食をしたときに食べ物について体内に取り込まれることを想像して嫌になる。
他にも去年ずっと気になっていたthe ordinaryをいくつか買った中の一つ、EUK134 0.1%がヨウ素液みたいな茶色で未だに持て余している。
派生形というか、坊主憎けりゃなんとやらとでもいうのか、メイクにまつわるあれこれで苦手なこともある。
他の人のメイクがなにかに付着するのを見るのが苦手だ。通話後のスマホにファンデーションがうっすらついたり、ペットボトルやコップの飲み口に口紅がついたりすることだ。
フィッティングルームにメイク移り防止用の紙(名前がわからない)があるが、あれを見ると服にメイクがつくことがあるんだなと認識させられてちょっとだけ嫌だ。
あとは少し毛色が変わるが、漫画やアニメのふっくらつやつやとした唇の表現が苦手だ。アイメイクやグリッター的な表現は許せるのになんでなんだろうな。
おまけ
苦手なものであまり共感を得られたことがないことがもう一つあるので付け加えておく。
ただこちらはインスタやTickTokの普及で人の写真を見ざるを得なくなり慣れた節はあるので今はそうでもない、かな。現像されたらもしかしたら無理かも。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e9f40a298676f89eee8ca7beea7965aa4535ca?page=4
「日本はカルトの世界的な吹きだまりになっている。軸となる宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを規制できず繁栄を許してしまった」という――。
日本では多くの家で、キリスト教徒ではないのに、クリスマスにはツリーを飾ってお祝いをします。神道を信仰しているわけではないのに、正月には神社へ初詣にいき「賽銭」という献金をします。
仏教徒ではないのに、その前日の大晦日にはお寺で除夜の鐘をついたりもします。七五三は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式はお寺と、考えてみればムチャクチャです。
日本人は、宗教にはきわめて寛容で、悪くいえばだらしない感じすらします。
もちろんこれは、柔軟で融通がきくとか、新しもの好きで好奇心も旺盛だとか、日本人のよいところの表れですから、一概に否定すべき話ではありませんが、それにしても、という印象を受けます。
私のイメージとは逆だなあ。むしろ多神教である神道の影響かと???思った。
あと井沢元彦だったか、戦後に日本人がキリスト教化しなかったということは無宗教ではない(無宗教だったらキリスト教化していた)みたいな事を言っていた気がする。間違っていたらごめん。
占星術に関する本を何冊か買ったりして、
https://twitter.com/yoppymodel/status/1548848031826870272
それ以上にこの話題で噴出する「占い」というものへのコメント群が
「占い全然知らんし興味もない人がイメージで言ってるな〜」と思ってちょいイラッとしたので
分かる人向けに書けば
「ホロスコープの読解は自分や友人のネイタルを中心に何度か試したことがあるがアスペクトを絡めて読むのは難しく勉強中。
トランジットにはあまり興味がなくて心理占星術関係に偏り」です。
わからん人向けに書くと入門書の内容を舐めた程度で占いの実践としては素人。
未来を知りたいとか隠された真実を知りたいとかいう願望はない。
なので以下間違ってる可能性は大いにあり、詳しい人からの異論は歓迎です。
朝の星座占いランキングに代表される12星座占いというのは、その人の持つ「代表的な星座」だけを見ている占星術の簡易版に過ぎない。
本来はその人が生まれ落ちた瞬間の惑星の位置や惑星同士の配置から読み取る。
占いなんて根拠なく適当言っているだけだろう、という人もいるが、
この「生まれた瞬間の星の配置」については誰が計算しても同じものが出る。
(※正確にはハウスの分割方法とか小惑星とか読み取り方に流派はあるけどめんどくさいから割愛)
ゆえに、占星術とはみんなが同じ星の配置を見て、それをそれぞれが言語に翻訳して伝えているものである。
星の配置から何を読み取るか、というのも、ある程度セオリーがある。
たとえば月※や金星や水星、火星といった地球に近い星は、地球から見たときの位置の移り変わりが激しく、感情や気質といったパーソナルなものの象徴として扱われる。
対して冥王星※※、海王星、天王星といった遠い星は、移動する周期が数年〜数十年単位なので、例えば世相の変化や世代の意識のようなより大きなものの象徴として扱われる。
そういったそれぞれの要素が、相互に影響したり、人生のどこかで強調されたりするのを、星の配置――位置や星同士の角度から読み解いていくのが、占星術といわれるものだ。
ネットの無料占いの範囲でも、少し詳しいサイトを見ればバーナム効果で片付けきれない結果を見ることができると思う。
(※占星術は天動説の世界なので太陽や月も「惑星」と呼ばれる。チ。)
(※※冥王星は占星術の世界では今のところまだ惑星扱いである。)
前述のとおり占星術とは「惑星それぞれが象徴するものと、その位置関係」を読み解き言葉に翻訳して伝えるものだ。
そこには、図を見て言葉で伝えるような、翻訳段階のズレが生じる。
また、どの星を読み取るか?も個人の資質に左右されるところだ。
恋愛運を見てください、といったとして、その占い師が「恋愛」が何から構成されていると考えているか、で伝え方は変わってくる。
例えば、
……なんて言われ方をする。
それは、占い師が恋愛というものの構成要素をどう考えているか、に左右されてしまう。
少し昔の本ならば、
なんて断言していた本も多かったが、
そういう一律な読み方を支持する占い師ももう少なくなっている気がする。
占い師は適当を言ってるから結果がぶれるとは一概には言えない。
占い師の考え方自体が、「読み取り」「翻訳」に影響を与えるのだ。
「運がいい」とは星がどういう配置にあることか?という占い師の解釈によって順位が異なるから、結果が異なる。適当に並べているからでは、ないことのほうがおおいだろう。
(余談だが、少し占いをかじるとそのへんのアルゴリズムがなんとなく見えることがある。順位予測など可能である)
ここまでつらつら書いたとおり、私の知る限り、占いとは「象徴の読解」という営みそのものである。
なので占いに関して「当たる」「当たらない」という言い方自体に個人的には違和感があったりする。
人の性格や世の中の動きといった、混沌として一概には言い切れない茫漠として掴みどころのないものを、
占星術の様式に沿って分類し、その関係性を図に表されていると仮定し、それを解釈したもの。
だと私は思う。
とここまで説明されたところで、
「そもそも星の位置が、人の性格だの世の中だの象徴してるわけなくね???」
と思う人はいるだろう。
私だってそう思う。
太陽も月も冥王星も惑星で、地球が宇宙の中心にあるという仮定で導き出された図が世の中の何かを「象徴」してるだなんて、
それが「科学的」に「正確」なわけはない。
けれど大昔の人たちはそう思ったのだ。大真面目に。
そして、世の中の物事を観察し、分類し、星星に振り分けて、関係を考え抜いてきた。
「人の性格」とかいう多面的なものを、占星術の世界ではどのように分類してきたのか。
「世の中の動き」とかいう無数の歯車の噛み合った膨大な機械を、占星術はどのように分割してきたのか。
その、この世に向ける眼差しの果てない努力の痕跡が私は好きだし、
それはときどき、現代の日々を生きる私のことを励ましてくれたりもするのだ。
北京の蝶がニューヨークで嵐を起こす、その間には無数の細かな歯車が噛み合っていることだろう。
カムチャツカの若者がきりんの夢を見たりする理由は、若者自身も知らないところにあるんだろう。
そういう、茫漠とした、人間個人では把握しきれない物事を、なんとか星に仮託して把握しようとするのを、馬鹿馬鹿しい振るまいとは私は思わない。
そういう「考えたってわからないこと」「人間の力では及ばないこと」を忘れ、目の前の物事だけに没頭して生きるのはあまりに荒涼としていないかと私は思う。
そういう、「向こう側」をみんなシャットアウトして生きるほうが、私には特殊に思える。
ときどき星を見るとかして、その中の一つとして自分が位置づけられているのだとおもうくらい、正常な人間の営みではないかと、私は思う。
星の話をしてるから仕方ないな。ゆるしてほしい。
さて、ヨッピー氏の主張は
「とはいえ、占いみたいな非科学的なものを電波に乗せて、カルトへの忌避感を下げるのはどうなの?」
というところだと思うのだが、私はこれについては明確におかしくないか? と思う。
そもそも「科学的な話」「論文などのエビデンスがある話」ならいいのかというと、
「エビデンスとなりうる論文はあっても効果としては現実的ではない話」はいくらでも電波に乗っている。
あれらは健康食品詐欺のゲートウェイになっていないと言えるのか?
彼らはおそらく自分たちのことを「科学的に」思考していると思っているのではないか。
あるいは散々指摘されている「サウナでととのう」なんて明らかに医学的に警鐘が鳴らされてもいるが、「自律神経がととのう」とかいうよくわからんゴリ押しがなされているだろう。
そもそも「科学」とは絶え間なく検証と訂正が繰り返されるものだが、
その大部分は電波に乗ることなく、どこかの商品に都合の良いところ、テレビで視聴率の取れそうなところだけが編集されつまみ食いみたいに放送されるのが現実だ。
でも、それがない放送大学オンリーみたいなテレビを望むかといえば望んでいないだろう。
私が何を言いたいかというと、
「情報がどれほど科学的か」という点では、電波に乗っているものはさほどの差がないのだ。
結局我々はそれを選んで、検証し、学び、考え、実践して自分なりの判断力を養っていくしかない。
すべての情報は自分の判断のための「材料」だと割り切ることだ。
それを放棄して、自分以外の誰かに判断を委ねきってしまったとき、
占いだろうが「科学」だろうが、少なくともテレビに乗っている情報という土俵においては変わらないのではないか。
……と締めようと思ったが、
カルトの怖いところは
「自分で考えろ 自分で考えて私達と同じ結論になれ」なところだし
たとえば反ワクチンやカルト宗教による輸血拒否だって当人たちにとっては自分で考えた結果なわけで
「自分で考える」が絶対の解決策とも思われないのが難しいところではある。
健康診断で医師に不安を煽られないと運動不足の解消に向かうのは難しいし、
ならば医師になら全権委任していいかというとアカン医師をツイッターからいくらでも引っ張ってこれてしまう。
あるいは、飛行機が飛ぶ原理って科学的に立証されてないらしいよ……という情報の正誤を私は確かめられていないが、移動したいときはその判断をすべて棚上げにし、自分の命を航空会社に委任して飛行機に乗る。
委ねるべきときはあるけど、その相手は見極めなければならない。
というなんとも煮えきらない結論で終わる。
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
春が近づいても姪っ子はかわいい。
時期によるのかわからないけれど、五月人形が売り出されていた。
「来年七五三かー」「三歳の増田は髪少なすぎて髪飾り刺さらないかと思ったわ」などと母や姉と話していたとき、姪っ子がチラシの五月人形を指さして姉に言った。
五月人形の面白さを言及されたのは初めてだし、しかもおもしろい「んじゃない」ってそんな、そんな言い方…!
姪っ子は五月人形の他ニ体を指さして「この人も、この人も…」と追い討ちをかけてきた。やめてくれ。
ごはんを食べていると、姪っ子がほぼ食べ終わった茶碗に向かって「あつまれー!」と言った。
体育の授業でこういうのあったなーと見ていると、姉がその茶碗を手に取り、残ったごはん粒を集めていた。そして姪っ子に渡し、姪っ子はパクリとひと口。
別の日に姪っ子がふりかけの乗ったごはんを前に「あつまれー!」と言っていた。
あつまれシステムしなくても食べれるのにな、と思っていると姉がごはんを混ぜた。
姉いわく「混ぜるのことだと思ってるっぽいんだよね」とのこと。
姪っ子が自分のごはんもそこそこに、しきりに母にごはんを食べるよう急かす。
「ばあば食べて!」「姪っ子ちゃんは?」「食べない!」かたくなだ。
ようやく母が食べ終わってごちそうさますると、姪っ子が言った。
「遊ぶ!」
この姪っ子、遊び相手確保のために急かしてたと。策士か。
姉と話していたときのこと。
海外ドラマを見た姉が、シリーズの初代主人公が死んでしまってとても落ち込んでしまったとき、姪っ子がなぐさめてくれたらしい。
姉が「姪っ子ちゃんがなぐさめてくれたんだよね?」と姪っ子に振ると、照れくさそうに一言。
「ちょっとくさいけどさぁ」
何が?
お祝いごとでケーキを母が切り分けていたとき、姪っ子がいっしょうけんめい
「おっきいのくーださい!」
と言っていたそうな。ちなみに父は自分のケーキを分けようとして姉に止められてた。
姪っ子、これからも健やかでいてほしい。
最近全く同じことを考えている30女です。
恋人のようなそうでないような、たまに泊まりに来る異性の友人がいます。
私たちの関係としては、付き合ってるんだかわからないけどまあ長いこと仲良くやれたら40あたりで別居婚か週末婚でもしますか、みたいなだらしなく曖昧な感じです。
お互い毒親育ちで非婚願望が強いのですがさみしいので、固定で一緒に食事やセックスや外出をするくらいがいいとお互い思っています。
個人的にはこの、月に一回仲のいい異性が泊まりに来る・月に二度外食をする・季節に一度外出をするを続けながら月のうち28日間は一人暮らしというのが一番幸せです。
他人から見たらお互い無責任で、いつかどちらかに本格的に交際をしたい相手ができたらすぐに崩れる不安定な関係ですが、同棲でもして嫌いになるよりいいと思っています。
あとは40くらいになったらもっと漠然としたさみしさが濃くなってくると思うので、わんこと暮らすつもりです。
子どもは大好きなので、友人の子どもを都合よくかわいがったり、トーマスランドなり連れてったり、お祝いしたりしてるととても心が満たされます。親戚のような感じで、年末年始や七五三に呼んでくれる友人がありがたいです。
スーパーで食玩を真剣に選ぶ子どもを見るだけで、あーかわいい。と幸せになります。
記念日やクリスマスにはあまり興味ないですが、気まぐれで件の友人とそれっぽいお祝いをしたりもします。
趣味や仕事で忙しいのと、体力があまりないのでこんな感じで人生を終えられたらいいなと思っています。
TravisJapanの主演舞台が決まって、しかもそれが3年も続いてて、幸せなことだな、って思っています。本当にその気持ちは、嘘偽りなく、あって。「約束された現場があるありがたさ』、そのことには本当に感謝しています。
けどね、さすがにちょっとだけ、わがままも言いたくなってきました。人って贅沢なので。あと、普段、ジャニーズ舞台に愚痴をいうのは、時間の無駄だと思ってるので、ぼんやり見るように心がけてるのですが、
11/30締め切り案件(*1)があって寝不足なので、暗闇で眠くならないように、でもトイレも行きたくならないように、カフェインのタブレット飲んで行ったら、頭がさえちゃって、考えなくていいことを考えながら、舞台を見てしまった。
ということで、ここから2021年版の愚痴です。読みたくない方、ネタバレ踏みたくない方は、ここから先、読まないでください。
***
虎者に関する愚痴は、もう基本的に「脚本」もうちょっとなんとかならない????です。そこに尽きます。
2019年も、2020年も、そして2021年も、虎者の感想として「お芝居部分はショータイムを見るための、壮絶なじらしプレイ」として認識してました。だって、ショータイムの方が楽しいんだもん。どう考えても。
2021年は、お芝居シーンのラストで、「俺たちの育ての親の朱雀が闇の帝王だったなんて、とんだ災難だったよな。」と七五三掛龍也が言うセリフがあります。その時、客席で思ったのが、「そのとんでも設定の舞台、見せられてるこちらも、とんだ災難だけどね」ってことです。
でも、今日は頭が冴えてたので、これ、演じている方はもっと「とんだ災難」じゃない?ということに気がついてしましました。この、セリフがほとんどなく、うっすい内容の舞台の中で、Travis Japan もImpactors もすごく頑張ってるな、と気づかされる部分があります。(「のえる」と「かいと」以外は舞台中で役名がでてこないので、フルネームで記入します。)
例えば、松田元太は最初に「まだ力が足りない気がする」って言っていた通り、ずっとちょっと周りを警戒してるちょっとビビリな感じを出しているし、中村海人は、自分が「のえる」を置いていった判断をずっと引きずっているのを全面に渡ってだしています。2人とも、ちょっとしたセリフをきっかけにして、なんとかキャラを作ろうとしています。一見、セリフが多く、キャラクターを作りやすく思える「川島如恵留」と「宮近海斗」は、きっかけセリフを言わされすぎてて、実は逆にキャラクター作りづらそうだなぁと思ってみています。そもそも、一回完全に舞台上で死んでから、特に何の説明もなく復活するなんて役、やり易いわけないです。今回、川島如恵留は物語のひずみをすべて受けとめる役になっていますが、それをなるべく自然に見せようとすごく頑張っていると思います。
Impactorsでは、オオワシ(影山拓也)、ハヤブサ(佐藤新)が、もともとキャラクター性を与えられているのに加えて、武器も違うのが強いです。他はみんな、武器が刀だけれど、全幕、逆手で通してる基俊介も、キャラ立ちしてるな、って思います。逆手持ちは自分で決めたのでしょうか。すごい工夫です。せっかくならみんな武器を変えるだけで、バリエーションだせると思う。
そして、カゲロウ(松井リマ)、朱雀(長谷川純)の2人。カゲロウは、前半は虎者の敵のフリをしているが、実際には虎者を味方にしたいと考えていて、朱雀は前半は虎者のボスですが、実際には虎者を使い捨てようとしています。2回目以降の観劇でそれを知って見ると、2人とも、ものすごく密かに持っている本心の芝居をしていて見応えがあります。でも、初見だとその演技の意図がわからない。虎者ーNINJAPANーは、古典演目ではないので、さすがに初見では気がつけない演技を強いる脚本はどうなんだろうと思います。(*2)
クイズ番組で、クイズが「1+1=?」みたいなものだけだったら、どんなに知識のある人でも、ポンコツ回答できそうな人でも面白くならないと思います。舞台において、「脚本」はクイズ番組のクイズと同じ。「ホン」が不在に等しいこの舞台を、必死に面白くするように頑張ってる7人(+7人+1人+1人=16人)、の努力、ほんと凄まじいです。
お芝居の最後に、中村海人が、如恵留に対して、置いていったことを謝り、それに対して松倉海斗が「もういいじゃないか。2度はくどいぞ。」という箇所があります。東京公演では、ここのシーンにおいて、2人がアドリブで遊び始めたのですが、11/21くらいからかな、アドリブはなくなり、元に戻りました。想像ですが、きっと、「ここは、最後のシリアスなシーンとして演るべきでは」と大人からアドバイスがあったのだと思います。
確かに、お芝居全体からしたら、ここはシリアスに演じるべきかもしれない。でも、観客としては楽しみにしてたアドリブでした。だって、もう他に虎者同士の関係性がでる箇所が少ないから。
1人1人のキャラがなく、ということはキャラ同士の関係性もない虚無のお芝居のあとにある、ショータイム。ショータイムになった瞬間、重たい鎖かたびら脱いだ?ってくらい、自由にいきいきと踊り始めるTravis Japan。
2019年に屋良くんが教えてくれた通り、本当にたくさんアイコンタクトを取りながら、楽しそうに踊っていて、だから見ていて、とても楽しいです。虎者の無味乾燥な実体のない「役」を脱いで、本来のTravis Japanになったから、みえる関係性があるんですよね。はぁ全幕、ショータイムやってて欲しい。
***
とまぁ、ここまでツラツラ愚痴を書いてきたのは、単に憂さ晴らしをしたかったわけではなくて。あと、チケット代返せ、とか、もう観に行かないぞ、とかいう話でもなくて。来年以降も虎者があるとしたら、こういう要素ちょっと入れてくれたら嬉しいのにな、的な妄想話がしたかったからです。(*3)
2019年、2020年、2021年と毎年脚本が変わっているのは、しっくりきていない、という考え自体は共有されているのだと思います。私が2021年版で一番気に入っているところは、謎の家族設定がなくなったところ。でもそのせいで、物語が薄味になったのも事実だと思います。(設定なくしたら、足さないと)
舞台見ながら、考えていたのは2つ。(カフェインって怖い。こんなに普段ポンコツでも、頭の中がデュアルコアになる。)
1つは、せっかくTravisJapan と Impactorsが 7人同士なので、1人の人間の中の「善」と「悪」を描くスタイルにして、最後、清濁併せ吞んだ形の「真の虎者」になるタイプ。(Impactorsの名前が影虎軍団ならちょうどいい。)朱雀は父で、カゲロウは(魔法で年をとらない)母で、それぞれ戦っているみたいな感じ。
これだと、どういう悪の心と戦っているかで、ダンスバトルだったっり、殺陣だったり、戦いのバリエーションできそう。(去年のバトン対決のやつ、楽しかった。)
ちょうど7だし、「七つの大罪」とか、ちょうどいい具合にハマりそう。(日本だと、ほんとは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳の方が、ハマりがいいような気もするので、朱雀とカゲロウ巻き込んでもよいかも?)
宮近海斗(赤):炎系の術を使う
川島如恵留(白):風系の術を使う
吉澤閑也(黄):毒術を使う
中村海人(緑):木の葉の技を使う
とか。
いま、適当に書いたので、ほんとはもっと良いのがあると思いますが、まぁそんな感じ。(『伊賀の影丸』読みたくなってきたな笑)
それぞれ、得意な術の情報とかあるだけでも、トランポリンとかトランポリンとかトランポリンとか、映像ももっと作りやすいと思うし、楽しめると思います。俊足の七五三掛!とかキャッチフレーズがあっても楽しいし、松松の分身の術もみたいです。(そろそろ、脳内で「千年メドレー」は踊れる気持ちになってきたので、分身の術も習得したいなと思ってます。)
もうね、ほんと素人の思いつきなんで、別にただ書いて、昇華したかっただけなのですが、できたら来年は、少ないセリフを手がかりになんとか舞台を成立させようと努力しているTravis Japanじゃなくて、
私が、普段、舞台を観に行くのが好きな理由は、「役者さんが自分自身をメディアにして、別の人物を表現するところ」です。器と中身のずれというか、隙間の所が、ゾクゾクします。役名と、実際の名前が一緒のジャニーズの舞台においては、少し変わる部分もあると思うけど、光一さんと「コウイチ」が同一ではないように、やっぱり「役」の仮面というのは存在するのだと思います。来年こそは、重たい鎧ではなく、つけるに足る仮面をつけた舞台がみたいです。
と、ここまで、全て、来年も虎者ーNINJAPANーがある前提で書いてきてますが、そして、今のところ、あると確信していますが、まず、ありますように!!!
*0:あえての〜を仕込んでみました。(言わなくていいことをいうスタイル)
妻から七五三のために髪を切れと命令されて、ずっとコロナ感染対策で自分で切ってたのに、ホットペッパービューティーから選ばさせられた。
感染対策でカットのみにしたかったのに、カットのみが見当たらない!仕方なく、シャンプー付きで予約して、現地でカットのみでいいんですけど、と言った。
ところが、シャンプーされてしまった。K94マスクで行ったのに、マスク外すように求められて、前の人に被せたのかどうかわからない感染源になりそうな生乾きの臭いがするクッサイタオルを顔に被せられた。
耳を妻に殴られて怪我してたのに、そこにもシャンプー刷り込まれた。
しかも、美容師は鼻出しマスクで話しかけてくる!こわい!人間じゃない!
店内には美容師と俺しかいなかったが、美容師が感染してたら絶対俺も感染してると思う。
美容師ってのは詐欺師で人を感染させる悪魔の職業だな。誰になんと批判されようが、俺はそう思うから、俺の娘は美容師を恨むように育てるぞ!
タイトルの通り。
午前中はパートに行きその後片道1時間ちょっとかけて弟夫婦の家に行ってスーパーで晩御飯用の素材を調達し(費用はオカン持ち)、その足で保育園にいる幼児の弟の子ども1号を引き取り弟夫婦ハウスへ行き、育児を手伝った後弟家族の晩ご飯を作って17時くらいにお暇しているらしい。帰宅は18時半〜19時頃。その後家の晩ごはんを作ったり家事したりとのこと。基本月〜金の週5だ。
弟嫁も子ども2号が乳児のため育休中で基本的には毎日家にいるが、オカンがそんなに毎日毎日通わなきゃならんほどなんだろうかと、まだ子どもがいないのでついつい思ってしまう。
食事だって晩御飯だけとは言えオカンがお金を出してオカンが作ってるのもよく分からん。しかも4人家族の分。いや子ども2号は乳児だから別か。
弟嫁のお母さんは正社員フルタイムだから全然手伝いにとかは来ないらしい。七五三とかお食い初めとかは弟嫁の家が主催でやってるみたいだがそれも正直良いとこ取りじゃないかと思ってしまう。
オカンにお節介で行ってんのか?あんまり他人の家に干渉したらアカンと言ってみたが弟夫婦によろしくお願いしますと頼まれるらしく、実際ラインの画面を見せてもらったが「今日は何時頃になります?」とか「今日はありがとうございました、明日もよろしくお願いします!」みたいな来てもらって当たり前っぽい会話のやり取りが毎日のようにあったので決してお節介でグイグイ行ってるわけじゃなさそうだった。
オカンは好きで行ってるから、というがやはり疲れる生活らしくオトンに八つ当たりしまくってるようで、家の空気が悪いとこないだオトンに会った時愚痴られた。増田も実家を出てるので内情がしっかり分かってるってわけじゃないが、はたから見ると弟家族に幸せを吸われてるように見えてしまう。
子どもがいるって大変なんだなとか、オカンがそこまで身を粉にして働かないと子ども2人つくるってのは難しいのかとか、弟嫁と弟嫁の母は何か思うところはないのかとか、弟も客観的に見たらめちゃくちゃ育児してるオカンに何か思わないのとか、じゃあやっぱ子どもってのは金銭的にも時間的、人員的にも余裕が無いとつくっちゃいけない超贅沢品なんだなとか色々思っている。
8,674
岸田 奈美
2021/07/22 15:29
※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。
21:26追記
過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたしの説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません!
ラーメンズが好きだ。
小林賢太郎氏が好きだ。
父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める。
父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacのキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うとき、わたしは孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。
その小林賢太氏郎が、東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したとき、わたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。
こう、なんか、ものすんごく無責任なオタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたしは芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである。
わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。
実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。
情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文の最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。
京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかしのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。
解任の理由は1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。
その決定に、わたしは反対しない。
五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実は侮辱されてはならない。
なのでこの文章は、オタクのわたしがわたしに宛てた、ただの戒めである。
というかもう、ここ最近、責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん。責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。
シンプルすぎる。
シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、
要は
「ごめん、で済む話はない」
ということだ。
人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。
あってはならないことだけど、学校でいじめにあった子どもが自殺して「一億円の損害賠償を請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。
責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。
ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。
まさに今。
ここからも内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。
「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか」
これは、わたしは知らん、わたしは関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。
なんかまずいことが起こったときの責任を他人になすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。
「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。
責任は、誰もとれない。
誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間は幸福に、豊かに、安全に生き延びることができる。
だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかだから。
さて。
小林賢太郎氏が過去の発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクのわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組のMC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。
小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。
今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったか、わたしはわかる。
それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから。中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生で世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである。
教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。
道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。
小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコントや演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイックな創作家である。ストイックすぎて芸能界を引退したようなもんだとわたしは思う。
年々、彼の思考と作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。
世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉やパントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。
そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンのわたしたちは話さなければならなかった。
彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。
今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。
20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ。
そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。
むしろ、批判されているコント「できるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。
時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。
だからこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。
そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。
つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかしく揶揄されるのがつらい。
しかし、それもまた、気色悪いわたしの責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。
誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。
行き過ぎた悲しみに気づいたとき、わたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。
「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」
推しの世界に魅了され、推しの世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。
そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。
10年、企業で広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念が普通に存在する。
しかし小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメントを自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言をかばう余地はないが、なかなかできることではない。
ついていくぞ、どこまでも。
(当初ここに、オリンピック・パラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)