はてなキーワード: 就職祝いとは
母の日にはカーネーション欠かさなかったり、家族の誕生日にはちょっといい店に食事に連れてったりしていた。
昔は就職祝いとか結婚祝いくれてたけど、5年前に娘が生まれたときに出産祝いくれてそれっきり。
お年玉も入園祝いもクリスマスも何もなし。去年生まれた息子の出産祝いもなし。
こっちからせがむのもおかしいから我慢して何も言わずにいたんだけど、さすがに失礼だと頭にはきていた。
「お兄ちゃん律儀とか言われてるけど全然そんなことないよね。うちの子のお祝いとか何にもくれないじゃん」と言ったら、兄は冷めた目で「お前覚えてないのかよ」と。
何のことか聞いたら、なんと、娘の出産祝いの半返しを忘れたことを根に持っていたらしい……
出産祝いもらって半年くらいしてから「あんまり言いたくないんだが」みたいに電話してきたから、ようやく思い出して慌てて送ったんだよね。
あの時は私も初めての出産や育児でバタバタしてたから、と返したら、そんな反論はお見通しとばかりに
「それは理解できるし、お返しの順番も会社関係や友人を優先して家族が後回しなのもわかるが、同居してないとはいえ親や婆ちゃんにはちゃんと送ってるのに俺だけ忘れるって頭おかしいだろ」
「お前昔からそうだろ。メールアドレス変えたの俺にだけ言うの忘れたり、修学旅行のお土産家族で俺だけ忘れたり。一つ一つは大したことじゃないにせよ、お前が俺を軽んじてるのがよーくわかったからこっちもそれなりの対応しただけだ」
後で旦那に愚痴ったら「あれはお義兄さんも怒るよ。お互いの家族にはそれぞれで半返し用意してたけど、こうなるんだったら家族の分もきちんと二人で話すべきだったな」と言われた。
確かに悪いことしたとは思うけど、そこまでネチネチすることなのかな。
結局、傍からみたらちゃんとした兄でも、根はネチネチというかDQNというか……
けれど蓋を開けてみれば私が一番の悪者になっているのが本当に解せない。なぜ?
今年から社会人になり給料をもらい始め、この夏に初めて帰省し、そのときに親から「ボーナスちょっとはもらったのか?」と聞かれた。
実際には手取りで20万ぐらいの金額をもらっていたのだが、親にお金をせびられそうだと思ってしまい10万ぐらいと過少申告してしまった。
しかし、それに対する返答は自分よりももらっているという言葉であり衝撃を受けた。
新卒1年目の夏のボーナスの時点で親よりもボーナスの金額が多いことが分かってしまった。
年収についても自分の初年度の見込み金額を計算してみると、奨学金の書類で把握した親の年収を超えそうなことが分かった。
自分の会社では同期や先輩たちが給料に関してそんなに高くないだの、あんまり期待しないほうがいいよ、と言っていた。
新卒1年目で50代の親よりも稼げてしまう会社であるのに給料が高くないと言われていたことにものすごくいたたまれない気持ちになった。
田舎と都会、大企業と中小企業の大きな格差を身をもって体験してしまった。
会社の同期は就職祝いなどをもらっているのに、自分にそんなものはなく逆に実家に仕送りをしている。
https://anond.hatelabo.jp/20230209200124
昔の俺は多分元増田みたいな感じだった。
うちの会社は1年目はそれはもう詰められ、怒られ、怒鳴られ、「お前の親はどういう教育をしてきたんだ」とかなら優しい方で、
生まれた地域、祖母、祖父、通っていた学校、教師、あらゆる生まれ、人格を否定され、見た目が太っていればデブ、痩せていればガリがあだ名になる。大体見た目で弄るよね。
それでいて女の子や派遣の方には優しいという、どこにでもある昭和的体質の企業だ。(ちなみに業績はクソいいのでやりたい放題である)
入社時の恒例行事は「親や祖母に買ってもらった就職祝いや入学祝いを会社の近くの川に投げ捨てさせる」というもの。
俺も、今は死んだ祖父ちゃんに買ってもらった10万くらいの時計を不法投棄させられたものだ。懐かしい。
あとは当然上司のケツに入れたプ●ッツを「ポッ●ー」にして食ったこともあるし、なんなら俺は普通の童貞オタクだったのだが、ファーストキスは会社の汚らしいおじさんである。悲しいね。
他にも上司に陰毛を燃やされた時は、人間の毛って燃やすとこんなに臭いんだな、ってのがよくわかったなーとか、そういうエピソードは倫理的にここに書けないようなやつが山ほどある。
(ちなみに、陰毛を三人くらいで燃やしながら『チューチュートレイン』をするのがうちの部署の接待の必殺技の一つである)
そんな会社に入社し、俺は普通に好きな声優は「車の人」とかのエロゲオタクだったので、一発で頭がおかしくなった。
所謂2ちゃんねらーとかの「飲み会なんてだっせーよな」みたいな価値観だったからね。
仕事もそりゃミスりまくりよ。ていうか、自分が何をやってるのかわからなかったし、ほとんど記憶がない。
家に帰ったら炊事も洗濯も出来なくて、部屋は荒れ放題、1週間風呂にも入らず選択もせず顔も洗わずで出社するなんてしょっちゅうだった。
気分によっては、赤信号の道路とか、普通に突っ込んでたから良く死ななかったなーってレベルだった。本当。
それで、「いやお前のパワハラ体質企業の話と俺の話は全然違うよ」って思うかもしれんけど、実はそうでもなくて、
●仕事する時
・最初の上司→とにかく『書類や案件を持って良くタイミングが重要』。機嫌が悪い時に持って行くと書類をぶん投げられたり、持っていたペンで身体を刺されたリ、目の前で書類を破り捨てられる。
機嫌が良ければ、話を聞いて貰える。
・次の上司→書類を破かない。人を刺さない。基本的に仕事は案件の内容で判断してくれる。
●ミス
・最初の上司→みんなの前で人格、育ち、親や生まれを否定。飲みの席で暴力。(柔道有段者なので折らない程度だったが)
●質問
・最初の上司→『質問をするタイミングが重要』。機嫌がよければ「普通このくらい聞かなくてもわかる。センスねえな」くらいで済む。
・次の上司→「お前何年目だよ」とか「どこ大卒だよ」くらいの笑い話で答えてくれる
みたいな感じでね。いや、この会社頭おかしいな改めて。それはそれとして、最初の上司に比べて次の上司はめちゃくちゃ優しかったという話。
で、今は実は俺が上司なんだけれども。
元増田みたいなルートを踏んでるやつがいるから、『最初の上司』の社歴が肯定されることに何故気づかないんだろうって。
トラバにもあったけど、元増田の『クソ上司にあたったけど上の人が変わったから活躍できた』というストーリーは
『最初にクソ上司にあたったけど我慢したから今がある』という話に容易に変換できるよね?
すると
『最初に根性を鍛えたおかげで今活躍できてるんだな』って話にすり替わるのも当然、想像がつくと思う。
会社ってのは、基本的に役員や上役の玩具だ。俺達の最初の上司も、当然その玩具を使うサイドの人間なのはわかるよな?
上に立った人は理解しやすいと思うけど、本当に個人個人の働き方とか、幸せとか、どうでもよくなるよね。出世すると。視座が変わって来る。
数字を出せば個人なんてどうでもよくなるフェイズ、その次は数字すらどうでもよくて権威が重要になるフェイズだ。
儲かっていて、結果を出している会社ほど数字なんか割とどうでもよくなってくるのは、マネタイズ出来てる会社の人ならわかると思う。
だから、みんなが思い描くような『部下を上手く使える上司が出世する!』なんてのは夢物語中の夢物語だ。
上役からしたら元増田の暗黒時代は今を支える屋台骨だし、その屋台骨を作った最初の上司は偉い!って認識にしかならないよね。
俺は嫌いだよ。今すぐ潰れればいいと思っている。
「あの時の苦労があったから今があるんだろ」なんて死んでも言って欲しくないね。元増田はどうなんだろう。
実際、元増田が成果をあげればあげるほど最初の上司の業績が間接的に認められるのは日本企業の力学を考えると当然だと思うけど。
何が言いたいのかというと。
過去はいつまでもまとわりつくし、同じ会社の中で環境が変わったから成功した!みんなも耐えてればいいことあるよ!
やられて嫌だったことは、やらないようにしよう!なんて話は問題の本質から目を逸らす行為だよ。
じゃあどうしたらいいかなんて簡単だよね。辞めるか、会社に損害を与え続けるか、とにかく間違っているということを証明し続けるしかない。
(自殺ってのも、まあいい手だとは思うけど、結局電通さんとかの自殺も話題になったけどほとんど改善されてないし、難しいよね)
なんかウダウダ書いちまって申し訳ないけど、
・話を必ず最後まで聞いてくれる。
・怒鳴らない
「これが出来るようになったのって、最初の上司に逆のことをやられて、嫌だと思った。その経験があったからだよね????」と言われたくないよね?ってだけの単純な話。
最初に怒鳴られたリ、ミスをこすられたリしたからこそ、今、改善「してしまっている」のが元増田の文章の問題点なんだよ。
パワハラ上司は、のうのうと生き続ける。元増田が稼いだ金で、ボーナスをもらい続ける。役員たちは「最初の上司に増田君をつけたのは正解だったなあ」なんて思いながら引退していく。
誰が悪いか?
パワハラ上司のケツを拭いてしまった、「次の上司」と「今の元増田」だよ。
パワハラがあったからこそ、今、業績があがっている。パワハラがあったからこそ、人に優しくできている。そういう話にしかなってないんだよね。
辛かった日々に、意味があったと思いたいのが人間の心理なんだろうが。
断言するけど、無意味だ。そんな経験はしなくていいもので、なんら業績とは関係ないものだよ。
俺も最初の方に、滔々とうちのブラックっぷりを書いたじゃん?そのブラック行為に意味があると思うか?あったと思うか?
一切ないね。
そういう経験をしたから、強くなれたとか、部下には優しくしようと思ったとか、一ミリもないよ。
じゃあどうしたらいいか?
簡単だよね。
改善しないことだよ。
クビにならない程度の短期的成績は出しつつ、長期的に会社に損害を与え続け、信用を失わせつづけ、部下や上司にダメージを与え続け、いつか会社を崩壊に導くことだけが正解だよ。
だからこそ、同じ傷を持つ人間たちが大量に必要なのもわかるよね?同志を増やすためにはどうしたらいいか。自分も、企業体質改善に寄与しないことだよ。
元増田はなんでいい上司になってしまっているの?そんなことしたら会社が改善されてしまうよ?
会社が改善されるというのは、過去元増田が受けた痛みが、正しい工程であったことの証明だよ?
だから、君は部下に『自分がやられて嫌だったこと』をしていくべきなんだよ。あるいは、自分以外の上司にそれをさせるべきなんだよ。
会社への恨みを持つ人間を、どんどん増やすことだよ。そうして、爆弾を抱え込ませつづけ、いつか大爆発を引き起こさないと、君の受けた人生の痛みは正しかったものになってしまうよ?
小指のないおじさん。
Qさん、としようか。
おじさんというか、おじいちゃんにちょっとかかってきてる感じ。
(とか言ったら怒られちゃうかな)
お店にいる間は大抵ガハハと笑ってて愉快な人だった。
ひとりでもしょっちゅう来るし
若いのとかたくさん連れてきて、売り上げに貢献してくれるし
話すと面白いし、差し入れもくれるし、店のみんなに好かれてた。
(あ、でも、実際キレてる場面も何度か見たの怖かった。ホンモノなんだと思った)
最初ちょっと緊張してたけど、一緒に行ったバイトの人は既にQさんと仲良くて
くだけた雰囲気だったし、料理も美味しかったし、楽しく過ごせた。
お酒も飲んだ。
「お前、よく飲むなあ。食べるなあ。」と感心された(多分)。
みたいに声をかけてくれるようになった。
粗野な振る舞いをしても、不快感がない、周りに迷惑をかけない、
(1人で来てて混んでくると、「俺あっち移るわ」などと席を自ら移動してくれたり)
そのうち2人でもバイト後に飲み行くようになった。
たくさん飲んで食べた。
独りでは行けない高級なお店にもたくさん連れてってもらった。
美味しかったなあ。
彼の友人を交えて飲んだこともあった。
こんな人と友達なんだ、とびっくりした。
なぜかいやらしい感じもなく、触ってくることもなかった。
「仕事決まったよー」と連絡したら
「お祝いしてやるよ」とまた飲みに行くことになった。
みんなと同じようにお祝いしてくれるんだな、優しいなー
と喜んで出かけた。
ジャージにつっかけみたいな格好で登場した。
「よう増田!仕事決まって良かったなあ!」と言ってくれ乾杯した。
「おいしいなあ、おいしいなあ」と、たらふく食べて飲んだ。
満腹で良い感じに酔っぱらって、その店を出た。
金曜の22時くらいだったか。
いつもならここで
「Qさん、ごちそうさま!ありがとー!」
とお礼を言って、「おう、またな。」
と別れるのだが、この日は
「じゃあ、行くか。」とQさんは言い、
歩き出し、着いたのはホテル街。
でもよく行ったお店の近くでもあったので、
「今日もあそこ顔出すのかな?」とか思っていた。
「なんか要るか?」
「ううん、大丈夫。」
状況が飲み込めてなかった。
酔っていたのもあり、へらへらついていくと
よくわからないまま、部屋に入った。
実際眺めは良かった。
あいや、ふたつだったようだ。
何をしゃべっていたか忘れたが、ぐいっと引き寄せられ
キスをされた。
突然のことにキョトンとしてると
「やっぱりかわいいな、お前」
「ん?え?そうなの?ほんとに?」
「そうだよ。ずっとそういうつもりだったよ。」
しばらく行為を続けられるも
「…ダメか?」と聞かれた。
「びっくりして…あの…Qさんのことは好きだけど…ごめんなさい…」
この後のやりとりもおぼろげだが
結局は
「俺、帰るけど、お前ここ泊まるか?せっかくだし。
(彼氏いません)
「いや、あの、帰ります。ごめんなさい…」
「わかった、じゃ行こう。俺は◎◎(知り合い)の店行くからよ。」
「じゃあな、俺こっちだから。」と笑って手を振るQさんと別れた。
自分は何を言ったっけ。
「ありがとう。じゃ…」ぐらいは言ったと思うが、よく覚えていない。
あれ以来、Qさんとは会ってない。
ごめんなさい。
本当にびっくりしてしまった。
本当に友達だと思ってた。
全部ごちそうになっといて、そりゃないだろう、とも思うが
20や30歳くらい年上の人から言い寄られたことは、今までもなぜかあったが
好意は、ずっとあった。
自分が鈍すぎたのだろうか。
多分あれも4月の出来事だったので、最近ふと思い出してしまい、書きなぐってみた。
本当に、楽しかったんだ。
いっぱい飲んで、食べて、笑った。
お店で会えるだけで、テンションあがったし、
「夜、飯行くか?」って言われたら、もうすごい頑張れた。
救われてた。
そういえば、当時好きだった人の話なんかもしてたな。
いろいろめんどくさい話も聞いてくれた。
もう言えないけど、やっぱり今も、ありがとうと思う。
無自覚だったとしても、ひどいことした。ごめんなさい。
それでもあんな風に振舞ってくれて、すごい。
思い出すだに、かっこいい。
もう会うことは、きっとないけれど。
ずっと忘れないよ。
どうかお元気で。
twitterに書くかどこに書くか悩んだけど、こんなところがあったのを思い出したのでここで書きます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b84fcb1580d7cadd4c3564ede34e36c4c3ceb744
民家に侵入して現金を盗んだとして、警視庁捜査3課は、窃盗と住居侵入の疑いで、東京都港区六本木、「虎の門病院」の研修医、○○○○被告(31)=別の窃盗罪などで起訴=を再逮捕した。逮捕は3回目。調べに対し、「以前、登場人物が黒装束で泥棒する映画を見て刺激を受けて、盗みを始めた」などと容疑を認めている。
仲の良かった友人が逮捕されました。
この記事を見て、最初は悲しく、なぜこんなことをやったのか怒りとやるせなさが込み上げてきました。
彼とは京都にある中高時代の同じ部活で知り合い、それ以来仲のいい友人(と少なくとも自分は認識して)でした。
中学時代は陸上部と文化系の部活を掛け持ちしていて、高校時代は文化系の部活に入っていました。当時から医者になりたい!という話を聞いていて、内部進学せずに2浪して金沢大学の医学部に合格したという話を聞いたときはとても嬉しかったのを今でも覚えています。
後に自分が金沢に住むことになったときは金沢の片町でサシ飲みしたり、同じ部活の友人たち一緒に飲んだり旅行したこともあります。
私は次に彼と会ったときに何を話せばいいんでしょうか?
また彼の就職祝いで2017年2月に富山を旅行しましたが、報道によるとそのときにはすでに犯罪者だったようです。
当時彼はどういう心境だったのか、何を考えていたのか、当時に戻れるなら自分は何が出来たのか…
追記1
幼少期の思い出。両親ともに収入が少なかったけど、お金に困ることはなかった。とにかく金を使わない家庭だった。
だから家族で外食した記憶がほとんどない。泊まりがけの旅行をしたことも一度もない。日帰り旅行は何度かしたけれど、いつもおにぎりを持参して、昼は公園でピクニックしていたので地元の名物料理を食べることがなかった。
外食の思い出で唯一記憶に残っているのは、私が高校生の頃、兄の就職祝いで近所のガストに行ったこと。同居していた祖母が「私が払うからなんでも好きなものを頼め」といったものの、家族全員外食なんてしたことがないのでどうしていいかわからず、一人一品頼んでみんな無言で食っていた。わたしだけデザートをたのんだ。桃のヨーグルトだったような気がする。
大人になって友達や恋人と泊まりがけの旅行をしたり、人とよく会う仕事をしているので外食をしたりするのだけれど、たまに、こういうハレの場をうまくこなせないな、と思ってしまう。
気張ってしまうというか、こなれ感を出せないというか。
しょぼいと思われるかもしれないが、
自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。
なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。
中学生のとき、バスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方からの練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。
私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。
単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。
ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。
今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしまう出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。
それ以前もちらほらと、小学校の読書クラブや、公民館の児童クラブ、友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。
二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大大学の前期試験に挑んだ。
父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親は過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。
そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。
だけどそれはおかしい、と同時に思う。
結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学に合格し、結局実家を離れることになったのだから。
前期試験のあの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?
自信はあった。
試験範囲の勉強は計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。
今でも思う、あの日、あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。
第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。
もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。
そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。
しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。
受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生や大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。
大学の正門前、最後の横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。
駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。
それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。
駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。
県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日から泊まり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。
好きなアーティストのライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。
少しだけ後悔している。
きっと母親とホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから。
私はやってしまった。
ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。
感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。
同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。
受験発表の日、ネットで番号がないのを先生と確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。
月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。
長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。
思い当たることがあるとすればあと一つだけ。
学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。
いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。
短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通は社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。
大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。
さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。
その最後の週だった。
作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。
大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。
他の停止ボタンと違って、プラスチックのカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。
この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンスが必要になり、その間はラインを停止させることになる。
一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。
そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。
これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。
班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。
上からのストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。
それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。
私はそれを班長のそばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。
そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。
もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。
プラスチックのカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。
班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。
その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。
その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。
私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。
流石に外までは追いかけてこなかった。
そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。
いわゆる「飛び」だった。
最低最悪なことをしてしまった。
それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。
理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。
ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。
怖かった。
とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものだから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。
実際は、適性検査のタイミングで不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのときの自分にはそれが奇跡に思えた。
入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。
こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。
自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。
きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。
何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。
そして今年の四月で、見事それを達成した。
ああ治ったんだ、と私は思った。
私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。
その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってからは毎日が楽しかった。
今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。
それなのに、私はまたやってしまった。
朝はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。
会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。
私は時間になっても、家の机に座ったままだった。
一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。
会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業は直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。
申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。
11時を過ぎて、まずい、と思った。
遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。
それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。
ほんの数時間前までは。
私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだと気づき始めていた。
怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているものを台無しにしてしまう癖。
治っていなかったのだ。
三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。
ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。
この病気は一生治らない。
発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。
たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。
ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか。
ああ怖い。
恐ろしい。
いっそ死にたい。
上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。
明日からはお盆休みだから、休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。
しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。
私が「そういう人間」だということに変わりはない。
私は
私は……
今日、同期入社のA男が退職した。俺はそいつを駅まで車で送る途中で退職の労いとして一緒に飯を食べたのだが、それまでの散々なそいつへの愚痴を書きなぐっておく。
A男 : キモ男。面長で痩せ気味。大卒後に一時期引きこもりになっていたらしく、これが初の社会人経験。バイト等はしていない。
俺:Aと同期入社のアラサー。色々と転職繰り返して今の田舎の公営企業に落ち着く。
このA男は、見た目はキモい男なのだが、中身も容姿を裏切らないキモさだった。まず話し方が嫌らしい。常にどもりがちなのは仕方ないが、一旦心を許した(なめてかかった)相手には「俺ざ~~~ん」のような、野良猫を見つけたときのような奇声をあげる。ようは俺に対してだけ、妙に馴れ馴れしく語尾を不自然に上げた普段の倍のトーンでキモい笑みを浮かべているのだ。ボディータッチがないだけマシなんだろうと耐えていた。
あげく寂しいのか、俺の名前を連呼した歌まで歌っている始末。あいつがその歌でCDデビュー(死語)したら印税9割とってやろう。そういうのは飼い猫をすればいいじゃないと言ったら、猫が苦手だとか。猫が苦手な人間に人権を与えてはいけないという法律があるので、A男はココロの中で撲殺しておいた。
そんなA男は、会社に入って1日程度で音を上げてしまった。理由は「車の運転が怖いから」。それが最終的な退職理由の一つでもある。
田舎なので電車やバスといった交通網が薄い。当然のように車が人間よりも上にいる社会では、車を運転できない人間への配慮は低い。しかし会社自体は良い意味でアットホームなためか、電車と自転車通勤で折り合いがついた。実際、諸事情で車通勤ができない人は他にもいるので問題はなかった。本人的には運動不足解消にもなってよかったはずなんだんがなぁ。どういうわけか、退職理由の筆頭が「車」なのは何度聞いても意味がわからない。
そもそも車通勤が当然な会社に、車が苦手な引きこもりが入ることが間違っている。そんなのは本人もわかっていたらしいが、なんとかなると思ったらしい。お前は減量失敗したボクサーかってくらいに無計画なやつだ。せっかく就職祝いに買ってくれたであろう軽自動車がないているぞ?俺が代わりに運転してあげたいくらいだよ。
他にも退職理由は色々で、曰く「親の言いなりになっているような感じがしたから」「仕事が暇すぎた」「教育係の人とすれ違っていた」とか。柔道部と間違えて茶道部に入った中学生のような言い訳を重ねるだけだ。一緒に飯を食ってさえ、A男の本音の浅さと無計画具合に心が冷めた。
そんなA男が今日退職したのだが、最後の最後までやってくれる。A男は車に乗れないので、自転車通勤だ。そうすると職場の荷物を持ち帰るのが難しいということで朝と夕方に俺が駅まで送り迎えをすることとなった。この時点でかなり俺の甘やかしがすぎるのは承知の上だ。荷物なんて宅配便を使ってもいいくらいだし、そもそも退職まで1ヶ月の猶予があるならちょっとずつ整理整頓をして最終日には手提げかばんだけで済むようにすればいい。普段から書類整理と書類への押印しか仕事がないのだから。
という退職経験者ならわかることも、引きこもりでバイトもしたことのない若者には難しいので俺が犠牲になったわけだ。まあ俺も以前の職場で似たようなことをしでかしたからね。
そして今日の夕方、A男を乗せるために早めに車で待機していたが、結局やつが来たのは俺が出てから1時間以上経ってから。あれか、沖縄時間だね。特に時間を指定しないと何時間でも待たせて構わないという例のやつだよね?俺以外はみんなやっているとという。LINEにもでないのは沖縄時間だからだよね。ロッカーの片付けが1日かけても終わらないってのも沖縄特有のやつだよね?
と、沖縄へのdisりが最高潮になったときにようやくトボトボやってきた。走れよ!
で、ここからようやく飯の時間。だけどキモA男は車の中でもキモかった。いやうざかった。
車に乗ってから言ったのが「俺デザートが食べたい」「Coco's行こう」だった。
いやいやデザートならコンビニで食えばいいだろうし、こっちは待たされて腹減ってるし、しかも俺が何を食べたいのかを聞く気もないのかね君は。地図を見ながら案内してくれと言っても、禄に地図が読めないから案内になっていない。仕方ないので俺の近所のCoCo'sに寄ったさ。
さてCoCo'sについて開口一番言われたのが「財布を車に忘れた」だ。取りに行くと言ってはいるがその気配が感じられないので無視しておくことにする。
まずやつは「デザートが食べたい」とこの店を指定した。だが最初にやつが頼んだのは薄いピザ1枚。最初にご飯を入れて余裕があったらデザート食べるらしいのだが、なんでピザだけなの?
A男曰く「ピザの1枚の量が想像つかないから1つだけ頼んだ」らしい。おい、量を想像できる料理を頼めばいいのでは?近くに箸が描かれた冷麺だってあるだろ?それに直径23cmのピザの分量が自分の胃袋に収まるかどうかを想像できないってどういう状況?君の脳みそは肛門にでもくっついているのかい?食欲は「普通」ってそれ答えになっているのかい?
結局、でてきたピザはコメダのモーニングよりちょっと寂しい程度の軽いピザだった。だから追加注文するようだが、なぜにドリンクバーなの?そしてその後も、なぜかフライドポテトとチョコパフェを頼んでいた。ど田舎の中学生のような組み合わせだ。お前今年で24だろ?俺だって甘いもの好きだからパフェとか食べるが、このいびつな組み合わせと注文の仕方はありえない。
見ていて、A男はファミレスのような場所で食事経験がないのかと思ったほどだ。自分の腹にはいる分量をメニューから想像することができていないし、俺のように一回でハンバーグセットを注文しようという目的意識もない。初めて入ったバーで食事に迷っているような雰囲気だった。食事一つが手探り状態。
料理一つに対しても、美味しいともまずいとも言わない。食事を楽しむ空気も出さない。どちらかが奢る可能性のある場では、俺は少なくとも味の感想や店の雰囲気を肯定的にいうことにしている。それが普通のファミレスの料理でも「うまいね」の一言だけで空気は違ってくる。
A男に俺は見えていないし、彼の目の前の料理も炭水化物や砂糖の塊にしか写っていないのだろう。ポテトを口に運ぶ動きに生命力が感じられない。少食アピールの女性みたいな苛立ちでもなく、赤ん坊の汚らしい食べ方でもない。食事というものに興味がないかのようだ。
こんなに一緒に食事をして楽しくない相手も珍しい。女性とデートしたら最初の料理で女性は消えているだろう。
食事の席ではやめた理由等を念の為聞いたのだが、やはり車通勤がネックらしい。それは解決したはずなのに、なぜか4月からずっと尾を引いているあたりがキモ男らしい。
結局A男を駅まで送り届けて任務は完了した。時間外勤務手当がでないことをここまで恨んだことはない。完全に子守じゃないか。当然、ファミレス料金は俺が支払った。A男に少しでも貸しを作りたくないから。やろう、俺より食ってやがる
(終わり)
みかかをやめたエントリーが流行っていますが、自分自身もOBOGのみなさんが指摘している問題は当然認識しております。
https://anond.hatelabo.jp/20181126192228
それなのに、なんで自分は当面しがみつく気でいるんだっけ、と考え直すきっかけになったので
自分向けの整理を兼ねて、このぬるま湯を飛び出す気なんてない無能側からの視点で書かせていただこうと思います。
以下、殆ど労働環境の自虐風自慢になりますので「叩く前に一応中身見ておくか」と思ってクリックしてくれた律儀な方は
現時点で戻るボタンを押してブクマにご登録の上「結局自慢じゃねーか時間を無駄にした」なり「ブルジョアがいたぞ殺せ」なり書いてくださって結構です。
ただ、もしあなたが就活生ならば、自分がみかかにフィットするか判断する一助になるかもしれません。
偏差値60程度の私立高校、偏差値60程度の私立大学、偏差値60程度の国立大学院出身、現・NTT主要5社のどれか。
これは別に裏口入学をしたという意味ではなく、推薦やらAOやらを活用していたということ。
自分では口下手だと思っているのだが、どうやら面接は得意らしい。
故に、周囲からの評価は出会ったときが最高で出ていくときが最低というのがいつものパターン。
皆には本当に申し訳ないと思っているけど、別に騙そうとしたわけではないので許して欲しい。
客観視すると、自分は長いこと世間的2番手グループに紛れ込んでいた3番手以下の男だったわけで、
勿論今の会社の中でも自分の能力の相対的低さは常に感じているところで「無能編」とした理由はここにあります。
故に、社員のボリュームゾーンは日本の大学生のうち、「人気企業を志向し」かつ「人気企業に内定を取れる」人たちである。
無論いろいろな人がいるが、大学で出会った優秀層にはわりといたテストステロンを異常分泌していると思われる人や、
常人の倍はありそうなIQを全く自然言語処理に割り振っていないタイプの人は殆どいない。
社内で怒声が聞こえた経験はなく、勿論暴力を振るわれた覚えもない。
社員同士のやりとりで精神的なストレスは感じにくいといって良いと思う。
ちなみに、部長以上になるとややイケイケ気味の人が多いように思う。
政府が「働き方改革」などで語るエルドラドはどこにも存在しないとお思いだろうか。
いや、不完全だがそのイデアの影は確かに存在する。それがみかかである。
私は毎年有給を使い切り、趣味で海外にも片手の指で収まらない回数出かけている。
それでも足りないので、裁量労働制をフル活用し、遠征初日は早朝~午前中まで勤務しそのまま出国、遠征から戻った日に夕方~夜までリモートでメールチェック。
会社には半ば呆れられているが、趣味では成果が出ているのもあり、とても楽しい。当面は続けさせてもらうつもりだ。
(とても狭い世界だが、日本でXXXをやっている人と言われたら3人目までには名前が上がるはず)
この趣味に本格的にのめり込みだしたのは入社以降なので、みかかが私の隠れた可能性を掘り当ててくれたとも言えると思う(?)
ちなみに私は家族に「中央官僚」「警察官」「幹部自衛官」がいるが皆ひどい労働環境である。
家族仲は極めて良好なので、折を見て一緒に海外旅行などしたいのだが、全く予定があわない。
というか警察官と自衛官は就業規則的に入国できない国が結構あってワロタ。
安定性は最強でしょうが、趣味に打ち込みたいなら公務員はオススメしません。
また、産休や育休も取りやすい。事前に準備する計画と合わせて申請すれば男女問わずほぼとれると思われる。
実例として、2人生んで復帰した後部長まで駆け上がった女性社員、一年の育休を取得した男性社員を知っている。
社員個人として育休は「そこそこの給与で飼い殺される権利」をオプションとして残しながら育児できる権利であるわけで人生の選択肢が広がる。
しかし特別に意欲のある人以外、もとのキャリアにはなかなか戻れないという問題は確かにあって、積極的に元路線に戻さないなら
じゃあもっと安い給与で派遣さん雇えるよねという話になり、これは正社員の既得利権でしかない。
これは今後の課題だけれども、会社制度の問題というより社会の問題かと思う。
手当等を一切もらえない立場でも、30歳で600万は超える。これは独身ならば十分な額であると思う。
2大手当である配偶者の扶養と住宅手当がつくと30歳で700は確実に超える。
出世スピード的に普通レベルでも40歳手当込み800はいくと思う。ただし管理職にならなければだいたいこれで頭打ち。
結構大きい住宅手当が45歳で打ち切りとなり、その補填が定年までにできるかどうかというところだ。
子供が複数欲しく、住宅も東京に買いたい、となるとたしかに余裕があるとは言えないが、これ以上を望むのは特別な能力がある人以外は贅沢ではないかと思う。
上記したとおり、給料はそこそこもらえる。ネットで検索しても「自分はまずまず恵まれている」という意識を補填する情報がでてくる。
しかし、弊社社員には嫌でも目に入る「より豊かな人」が2種類いる。
こういった悪意なき親しい人間が、NTT社員の精神的安定を奪い「ちくしょう!転職だ!」となるわけです。
母集団の層が高めであるため、こういう人が混じってくる。彼らは億単位のマンションを就職祝いに買ってもらい、
我々が必死こいて見栄張った結婚式より数倍豪華な式を親の金で挙げる。給料はすべてお小遣いまたは貯金である。
ちなみに、こういう人の勤務態度、勤務成績は嫌味なほど良い。お前らなんで働いてるの?
銀行や外資系ITなどへ行った友人とは、30前後から明らかな生活水準の差が出てくる。
彼らがカジュアルに誘ってくる店で「高い・・・」と思うのは、なにか胸にくるものがある。
ぬるま湯のNTTだが、転職していった知り合いは多くが年収を上げている。
まぁ、いい値がつかないなら転職しなきゃいいだけなので上がった例ばかり知っているのは当然なのだが、
主要5会社ではないその子会社からの転職で年収が1.5-2倍、金額で言えば1000を超えたケースも複数知っている。
NTTがやっているような規模の仕事をやっている会社は少なく、
その仕事をマネジメントに近い立場でドライブした経験には思ったよりも高い市場価値がついているということらしい。
実際は会社の名前でとってきた仕事に会社に言われたとおり取り組んでるだけなのにね。
私は技術系の部署に属している。全社の技術課題を飛び回って解決したり、全社で利用する技術を選定したりする立場だ。
「つぶしが利きそうでいいね」と現場系の同僚には時々言われる。
が、そうではない。それどころか上記した「元NTT」の肩書を活用できないポジションであると自分は考えている。
ポケモンリーグ制覇の中期目標に向け、ハナダジムを攻略すべしという社命が下ったとする。
すると弊社現場社員は「過去にハナダジムを攻略したトレーナーが持っていたポケモンの平均個体数とレベル」を調査し、それを攻略の人員として割り当てる。
詳細がわかっていないので近場で手に入れたイシツブテ6匹をメンバーとしてアサインし自信満々で「体制を組みました」と上司に報告するわけだ。
そこで、現場の協力会社が「せめてでんきタイプを一体くれ」と声を上げて補充されるのがたいあたりしか覚えていないビリリダマだったりする。
そのぐらいわかっていない(ところもある。けっこうある。わりとある。)
我々の役割は、状況を整理して「必要なのはでんきショックを覚えたピカチュウです。最低レベルはxxであと念の為ピーピーエイダーください」とまで噛み砕いて説明し、
でんきショックの使い方を解説、最悪の場合には自らスタンガンを装備してスターミーに立ち向かうことである。
こうした仕事をこなすと、現場社員からは技術的に頼れるメンバとして捉えられ、時には称賛される。
しかし我々は理解っている。こんなこと、エンジニアと呼ばれる人間ならできて当然のことであると。
というかこんなコト自慢気に語ったら笑われるぞと。
つまり社内の強みと社外の強みが噛み合っていない。
社外の人たちが高い値をつける「NTTの仕事」とはだいぶかけはなれたところにいるわけです。
存在意義は正社員としてすこしエンジニア的動きができるということだけ。
本腰入れて技術者を雇いだしたら消し飛ぶ強みです。
自分の中のもやもやとした感情を整理するきっかけになったエントリ群にはとても感謝しています。
ここ数年は趣味最優先で生きてきたけれど、少し冷静になりって将来のことを考えてみたいと思っていたところでしたから。
まずはそう、目の前の仕事をもう少し社外にも通用するスキルが身につく方向に舵を切りたい。
そして、実際に転職するかどうかはともかくとして一度転職活動をしてみる。
ぬるま湯の中でやってきたことに客観的な判断をしてもらう。そのつもりでしばらく仕事をする。これだね。
と、在職中にも関わらず寝ぼけたことを言えるのがみかかです。人気なのも頷けるのです。
弊社社員は毎年の就職人気企業ランキングを見て「うちが上位とか学生は何も理解ってねえな!」と笑いますが何わろてんねんと思います。
まさかと思うが自分たちの立場が自分たちの能力で支えられてると思ってるわけ?と。
自信のある方はどんどんうけると良いと思います。
趣味に打ち込むもよし、ガリガリ仕事したい人は踏み台にして転職するもよし、やる気のない同期を抜き去って出世するもよしです。
小指のないおじさん。
Qさん、としようか。
おじさんというか、おじいちゃんにちょっとかかってきてる感じ。
(とか言ったら怒られちゃうかな)
お店にいる間は大抵ガハハと笑ってて愉快な人だった。
ひとりでもしょっちゅう来るし
若いのとかたくさん連れてきて、売り上げに貢献してくれるし
話すと面白いし、差し入れもくれるし、店のみんなに好かれてた。
(あ、でも、実際キレてる場面も何度か見たの怖かった。ホンモノなんだと思った)
最初ちょっと緊張してたけど、一緒に行ったバイトの人は既にQさんと仲良くて
くだけた雰囲気だったし、料理も美味しかったし、楽しく過ごせた。
お酒も飲んだ。
「お前、よく飲むなあ。食べるなあ。」と感心された(多分)。
みたいに声をかけてくれるようになった。
粗野な振る舞いをしても、不快感がない、周りに迷惑をかけない、
(1人で来てて混んでくると、「俺あっち移るわ」などと席を自ら移動してくれたり)
そのうち2人でもバイト後に飲み行くようになった。
たくさん飲んで食べた。
独りでは行けない高級なお店にもたくさん連れてってもらった。
美味しかったなあ。
彼の友人を交えて飲んだこともあった。
こんな人と友達なんだ、とびっくりした。
なぜかいやらしい感じもなく、触ってくることもなかった。
「仕事決まったよー」と連絡したら
「お祝いしてやるよ」とまた飲みに行くことになった。
みんなと同じようにお祝いしてくれるんだな、優しいなー
と喜んで出かけた。
ジャージにつっかけみたいな格好で登場した。
「よう増田!仕事決まって良かったなあ!」と言ってくれ乾杯した。
「おいしいなあ、おいしいなあ」と、たらふく食べて飲んだ。
満腹で良い感じに酔っぱらって、その店を出た。
金曜の22時くらいだったか。
いつもならここで
「Qさん、ごちそうさま!ありがとー!」
とお礼を言って、「おう、またな。」
と別れるのだが、この日は
「じゃあ、行くか。」とQさんは言い、
歩き出し、着いたのはホテル街。
でもよく行ったお店の近くでもあったので、
「今日もあそこ顔出すのかな?」とか思っていた。
「なんか要るか?」
「ううん、大丈夫。」
状況が飲み込めてなかった。
酔っていたのもあり、へらへらついていくと
よくわからないまま、部屋に入った。
実際眺めは良かった。
あいや、ふたつだったようだ。
何をしゃべっていたか忘れたが、ぐいっと引き寄せられ
キスをされた。
突然のことにキョトンとしてると
「やっぱりかわいいな、お前」
「ん?え?そうなの?ほんとに?」
「そうだよ。ずっとそういうつもりだったよ。」
しばらく行為を続けられるも
「…ダメか?」と聞かれた。
「びっくりして…あの…Qさんのことは好きだけど…ごめんなさい…」
この後のやりとりもおぼろげだが
結局は
「俺、帰るけど、お前ここ泊まるか?せっかくだし。
(彼氏いません)
「いや、あの、帰ります。ごめんなさい…」
「わかった、じゃ行こう。俺は◎◎(知り合い)の店行くからよ。」
「じゃあな、俺こっちだから。」と笑って手を振るQさんと別れた。
自分は何を言ったっけ。
「ありがとう。じゃ…」ぐらいは言ったと思うが、よく覚えていない。
あれ以来、Qさんとは会ってない。
ごめんなさい。
本当にびっくりしてしまった。
本当に友達だと思ってた。
全部ごちそうになっといて、そりゃないだろう、とも思うが
20や30歳くらい年上の人から言い寄られたことは、今までもなぜかあったが
好意は、ずっとあった。
自分が鈍すぎたのだろうか。
多分あれも4月の出来事だったので、最近ふと思い出してしまい、書きなぐってみた。
本当に、楽しかったんだ。
いっぱい飲んで、食べて、笑った。
お店で会えるだけで、テンションあがったし、
「夜、飯行くか?」って言われたら、もうすごい頑張れた。
救われてた。
そういえば、当時好きだった人の話なんかもしてたな。
いろいろめんどくさい話も聞いてくれた。
もう言えないけど、やっぱり今も、ありがとうと思う。
無自覚だったとしても、ひどいことした。ごめんなさい。
それでもあんな風に振舞ってくれて、すごい。
思い出すだに、かっこいい。
もう会うことは、きっとないけれど。
ずっと忘れないよ。
どうかお元気で。
ここの現場製造ラインの人間はほとんど高卒。いまでも高卒がメイン。
高校を出たら、就職祝いに車を買ってもらって(値段は格安中古、親のお下がり(親が新車を買う)、新車を買ってもらうさまざま)車で自宅から通勤。基本朝8時から夕方5時まで。
結婚すると、親の土地の一部に家を建ててもらう(自分で買う場合もある)もしくは2世帯3世帯住宅へ建て替えとか。
兼業農家なので、親が高齢になるにつれてじわじわ農作業の手伝いが増える。
だいたいこのパターン。
追記
年収は400万切ると思うけど、昔みたいに5人兄弟とか少ないので、親パワー土地バワーがあるため、実入りは少なくても出費が少ないため暮らしぶりはそんなに悪くない。ボーナスが多ければけっこういい年もある。大きい工場だと組合がある程度あるんで、あんまりひどくない。工場づとめで自転車通勤だったときは、社員食堂で昼夕食べられて天引きだったし、寄り道する商店や飲食店すらなかったら平日は財布すらもっていなかった。あの低コストライフは東京都内だと味わえない。派遣だと給料より、家賃とか食費の初諸経費が多くてツライ。
追記2
弟の話をしようか
すみません調子ノリました。させてください弟の話。もうほんとまじで頼むから。
増田、この前は聞いてくれてありがとう。存在してくれてほんまありがとう増田。圧倒的感謝だよ。増田以外に頼れるやつがいないんだよ俺みたいなのには。
これはあれ、EXILE TAKAHIROをねえちゃんと呼ぶ弟がいる俺のあれです。真偽をどうこういいたい気持ちはわかるし何て言われても構わないって言うか正直圧倒的多数がこれを嘘だと言えば俺のこの目の前の現実も嘘になるんじゃないかと思うので嘘説を支持して。お願い。俺の分まで嘘だと言って。
anone。
結論:我が家がとうとう破局をむかえました。みたいな、なんか今そんな感じの地獄にいる。
事の発端をどこに求めればいいのかはわからないが、まあ恐らくは弟がファンミに行けてしまった(2回くらいは行ってた、たぶん)ことが大きいのではないかと俺は思います。
1回目のファンミ参加の後、弟は2年は付き合ってた彼女と別れた。たぶんこの前のにも書いた気がするけど。
理由はもちろんあれです。
彼女のことももちろん好きだけど、彼女とお姉ちゃんを天秤にかけたとき、お姉ちゃんをとってしまうから、とかそんな感じの理由だったと思う。真面目かよ。後、なんかこれはちょっとプライベートな話だけどあれが機能不全になった、かもしれないとかで、そういうのも含めて別れた。と別れた後に聞かされた。いわゆる事後報告って奴。
そのときの俺の気持ちを想像してみてほしい。正直夢だと思ったよ。だってこっちは今まで結婚も視野にいれてる相手だって聞かされて会わされてきたわけで。弟が向こうに挨拶に行ったのかは知らないけど、うちには挨拶にって彼女を連れてきたりしてたわけで。なのに別れるってあいつ正気じゃないんじゃないかな。ぐらいは普通に思った。
しかも彼女さんと2、3回くらいしか会ったことはない俺からすると、めっちゃうまくいってる感じしてたし。
お互いのことなんか好きなんだなぁってオーラが出てて、俺は、リア充乙!とか思いながらやけにしょっぱい彼女の手土産のケーキ食べたりしてたんだよ。どこのケーキ屋のケーキか聞いときゃよかった。あのチョコケーキもう二度と食えないんだろうな。
でもまあ、当人である弟が別れたくて別れた以上、しかもかなりさっぱりした顔をしてたから俺としてはあんまり色々言えもせず、でそのときは終わって。終わっちゃいけなかったんだけど、終わって。
なんと弟は別れ話をするとき、別れよう。くらいしか言わなかった、らしい。
それで納得できるか、っていったら彼女さんは無理だった。まあ普通に考えると大学で2年以上付き合ってうまくいってて家族の紹介までされてた彼氏にある日いきなり別れようって、しかもなんの説明もなしに言われても納得できないよね人間だもの。俺も無理だと思う。彼女できたことないけど。
それで、彼女さんと仲がよかったらしいうちの母親は怒り狂って弟につめよって、なんとか復縁させようとした。うちは男兄弟だから母親的にはなんか彼女さんははやくも娘も同然、って気分だったらしい。理想の息子に理想の娘。最高の気分だったんだろうな。
それで一月くらい諦めず毎日だってネチネチネチネチしつこく言った母親にさすがの温厚で優しい弟もブチ切れた。
俺だったらそんなことされた日には仕事以外引きこもってでも逃げまわる。なのに、弟はいい奴だからゴミ捨てとか家事とか色々してたこともあって母親と顔を突き合わせること多かったし、1ヶ月は正直めっちゃ耐えたなって感じだ。
ブチ切れた弟は、なんか、もう、すごかったらしい。筆舌に尽くしがたいとはこの事だと思う。
うちの両親は体面大好き人間だから、高校は有名進学校!で大学も国公立!会社は一流大手!!みたいな、それいつの時代の人間だよみたいな価値観の人たちでまあ俺はものの見事に失敗したんだけど、弟はその期待に見事応えてきてて、だけど鬱憤はやっぱり溜まってたらしい。当たり前か。
就職したら家を出ること、結婚する気はもう一生ないから孫は諦めてほしいということ、だから彼女とよりを戻すつもりもないし、そのことで親子の縁を切ってくれても別に構わない俺には姉ちゃんがいるから。
だいたいこれぐらいを母親にぶちまけたという弟は、次の日には家からいなくなってた。荷物も、あいつほとんど持ち出してた。元から綺麗好きだったし荷物まとめてても正直誰も気づかないから、計画的反抗だったのかもしれない。
弟がどこに行ったのか俺は知らない。というかわからない。弟の交遊関係に詳しくない俺にはちょっと難しすぎます。
俺はちょうどそのとき仕事でデスマーチなうだったこともあってこの現場には居合わせられなかった。いたのは父親と母親と弟だけだ。だから俺は弟とまともにお話しできてない。顔も合わせられなかった。
それに、後から父親に聞いて事の次第をやっと知ったので正直今でも現実味があんまりない。LINEは、してたんだけど、俺経由で母親が連絡してきそうで嫌だから、と断りを入れられた上で今はブロックされてるから、連絡もろくに取れずにいる。たぶん元気にしてるんじゃないかとは思うんだけど、思うだけだ。
母親はなんとか弟と連絡を取ろうとしていて、だからまあ俺のLINEをブロックした弟はめっちゃ正しかったわけなんだけど、でも連絡がとれないからか八つ当たりがすごい。家にいるのは期待外れの俺だし。父親はそんな母親を放置することで弟のことからも目を反らしてるし。家にもあんまり帰ってこないし。俺はというと明日も仕事だし、明後日も仕事。
弟一人いなくなっただけでうちはぐちゃぐちゃになった。惨状がと参上って感じで目も当てらんない。
でもそれって当たり前のことなんだなって思う。弟は、すごかった。すごい奴だった。弟がいたから、今までうちは表面上は何の問題もないような顔してやってこれてた。だけどそれで、俺は弟にどれだけの負担をかけてたんだろう。
昔から兄的な呼び方で呼ばれたことがあんまりなくて、だからまあ正直言うと、だからお姉ちゃんって呼び方ででも弟に言ってもらえるTAKAHIROに嫉妬してあんなもの書いて、でも、弟が俺のこと兄として見てなくても普通のことなんだよなそれってって、ようやく思えるようになった。遅いか。遅すぎか。今思えば今まで弟のこと庇ったり助けてやったりできた覚えがないし、むしろいつも俺の方が助けてもらってきたし。
だから、EXILEを許さない、なんてあのときはああ言ったけど俺は俺が、自分のことが一番許せない。
むしろこれさあTAKAHIROさんには感謝しなきゃなんだよな。
俺は長男なのにこれまで何にもうまくやれなくて頭も悪くて親が言うように進学することも就職することもできなくて、なのに弟は親の期待っていう重たいものに俺の分までずっと耐えて応えてきてくれて、その辛さとか苦しさとかを癒してくれたのがきっとTAKAHIROさんだったんだろうな。だから俺は弟のお兄ちゃんになれなかったしTAKAHIROさんはあいつのお姉ちゃんになれる。羨ましいよ俺は。お姉ちゃんでもいいからなんか弟のためにしてやれる人間になりたかった。まあいっつも口だけ野郎だからこんなことになってるんですけど。
なので、なのでまあ俺がちゃんと弟が頼れたり甘えたりできるような人間だったら、弟はこんなにならなかったんじゃないか、とかなんとか思うわけなんですよ。今となってはもう思うだけですけど。それしかできないじゃん。後の祭じゃん、これもう全部。
これさあ俺どうしたらよかったんだろ。どうしたら正解だったんだろ。
増田はどう思う?
あとさ、来季のアニメなんかオススメある?来季じゃなくてもいいや。今季はポプテピ見てんだけど、できれば現実逃避に向いてる奴。母親のブチキレ無視できそうなの。
追伸
弟へ
もしかしたらお前が見てくれるんじゃないかとちょっとだけラッキーに期待して書くけど、
今までいいお兄ちゃんになれなくてごめん。まあ今度のことくらいは兄貴面させてくれ。親父と母さんのことはこっちでなんとかうまくやるから安心しろ。それからLINEはまだブロックしてた方がいいと思う。母さん俺のスマホここ最近ずっと狙ってるから。諦めてほしいよな。
でもまあそのうち、飯行こうな。就職祝いもできてないしさ。
後、ハイローの新しい映画とかあったらそのときはまた一緒見に行きたいなって思ってるよ、俺は。映画の感想話してるときのお前、めっちゃ楽しそうだったし。いい映画だったし。
それと、次お前に会うときのためにEXILEを少しは履修しておこうと思います。
俺は大丈夫。なんとかなる。
追記
最近精神的にしんどいことが多く人肌の温もりで癒されたいと思っていたところに年末年始に親族からの就職祝いが転がり込んできたので、此れ幸いと特殊浴場に親族の善意をブッ込んできた。
家を出るまでいくかどうか迷っていたが、思い切って電車に飛び乗り、車内で風俗街最寄り駅までの30分間で誰に予約を入れるかスマホでコソコソ選んだ。周りから画面が見られていないかキョロキョロしていたので挙動不審だったと思う。
サイトの情報から選んだお相手は20歳、身長168センチ、Eカップの子。高身長な女性が好きなので風俗紹介サイトで出てきた他の店の高身長の子とも迷ったけれど、年下の女の子と筆下ろしプレイがしたかったのと、お店があげていた写真が色白スレンダーで巻き髪セミロングの女子大生風だったのが決め手となってこの子にすることにした。風俗街の最寄り駅に着いてからお店に電話してみると、サイトでは待機中と出ていたけれど一時間半後から空いてると言われ、そのまま一時間半後に予約。60分21000円。
一時間半はちょっと長いと思っていたけれど、風俗街を探検したり腹ごしらえ(うどん。何故か風俗街周辺にはうどん屋が沢山あった)したりしていると時間は過ぎて二十五分前になったので、お店に向かった。道中ですれ違う男の人には「これからセックスするのかな」と思い、女の人には「風俗嬢なのかな」と思ったりしていた。男の人については当たるとも遠からずだろう。
わかりにくい通りを抜けて店内に入ってみると、黒と白を基調とした結構小綺麗な店舗で高級感があった。サイトでは大衆店と書いてあったけれど、これが高級店だとどんなんなんだろう。いつか高級店に行ってみたいと勤労意欲が湧いた。店に入ってすぐのカウンターで予約時に伝えた偽名をどもりながら伝えると待合室に通された。待合室には二人できたと思しきおっさんが二人。ちょっと気まずい。ボーイに爪をチェックされ「うーん!切ってください!」と笑顔で言われ爪切りを渡された。バイト先の女子大生に彼女いないと思われたくなくてこまめに切っていたつもりだったけど伸びてしまっていた。不覚。おっさん二人の横でパチパチ鳴らして切った。
予約していた時間になってもなかなか呼ばれない。待合室のテレビに映る逃走中をぼんやり見ながら、おっさんが入れ替わり立ち替わり待合室から出ていくのを「こういう普通そうな人が来て今からセックスするのかあ」と他人事のように思いながら眺めていた。
やっと呼ばれた時には予約の時間から20〜30分経っていた。案内された通路に向かうと、灰色のタイトスカートスーツにピンクのシャツの女の子がひざまづいて待っていた。芸能人で例えるなら壇蜜似かな。すらっとした人で恥ずかしくて目を合わせられなかった。
二人でプレイルームに入るその行為自体がなんかエロいなと思いつつ、部屋に入り靴を脱ぎコートを脱いで促されるままにベッドに腰掛ける。エロい。この流れ、AVで見たやつだ。
ちょっとした雑談の後ソフトドリンクを飲んでお風呂に。隣で女の子が自然に脱ぎ出してちょっと興奮。こんな場所でも、生着替えが見れるなんて盗撮ものみたいだな、と思ってしまった自分が虚しい。女の子がジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外し、黒い下着姿になって裸になる。その動作を横で眺めていた。女の子の身体は外見と違わず色白ですらっとしていて美しかった。腰回りにも余分な肉はなく美しい曲線があり、お腹にうっすらと腹筋の影があった。細い太ももから脚がスッと伸びていて思わず掴みたくなる。Eカップと聞いていた胸はイメージとは違ったけれど、十分な大きさで形も良く、細い身体から程よいサイズが盛り上がる様はとても綺麗でずっと見ていられた。どこにもシミやできものの跡もなく、白い肌はとてもなめらかだった。真っ暗な部屋で自分の顔を小さな画面で青白く照らしながら見ていたような美しい身体が目の前にあって少し感動した。美しい彼女の身体を眺めているだけで幸せな気分だったし、彼女の美を彫刻に残して部屋に飾りたいなと思った。それを伝えたら「絶対抜くでしょ」と言われ、否定できなかった。抜くだけでなく擦り付けると思う。
お風呂でいわゆるスケベ椅子に座らされてお湯で体を流しながら希望プレイを聞かれた。筆下ろしプレイがしたかったので「初めてなんですよね…」と伝えるも、ソープが初めてだと受け取られてしまい、訂正もしにくかったのでそのままに。ドMであることや弱い箇所はきちんと伝えられた。惹かれないように「気持ち悪いですけど…」と前置きをして話したけれど、「私も結構変態なんでよほどのことじゃないと引きませんよ」「Mなんですね。よしっ。いいですねー」と返され期待が高まる。おどおどしてると「かわいい」と言われてしまいさらに高まる。その後、全身を石鹸で洗われた。泡まみれになり密着されて、柔らかく滑らかな感触が上半身の皮膚全体に伝わって一瞬で幸せになった。そのままキスされて舌を強く口に押し込まれて、同時に泡だらけのまましごかれ声が漏れる。泡を流した後、二人で湯船に入り、歯磨き、イソジン、雑談。二人で歯磨きって同棲カップルっぽい。身支度が整ったところで、湯船の中で女の子に覆い被さられキス。もう完全に幸せな気分に。
風呂から出て体を拭いてもらう。太ももを拭いてもらっている時にかがんだ彼女からくわえられて思わず、あっ、と声が出てしまった。
そのまま促されてベッドに。各所を攻められて恍惚の表情をしていたと思う。キスをしている時に彼女に、唾をください、とお願いすると飲ませてくれて興奮した。そのお願いあってか、その後は全体的に唾液多めでやってくれて嬉しかった。彼女に攻められて耳が唾液まみれになり、汚されている感がとても幸せだったので、調子に乗って顔を舐めて欲しいとお願いしたら「変態だね」と言われ興奮。頬、顎、鼻を舐めまわされて長年の願望がかなって感動した。女の人に顔を舐められるのはとても気持ちいいしとても幸せだ。せっかく舐めてもらったんだから今日は顔を洗いたくないな、というと「本当に変態だね」と言われ、愛を感じた。その後、言われるがままに四つん這いになり下半身各所を攻められた。とても気持ちが良く思わず声が出てしまう。彼女にここでも「かわいい」と言われてさらに高まってしまった。
諸々の準備体操が終わった後、騎乗位に。やはり下から見上げる彼女はとても美しい。こんな綺麗な身体と繋がれるなんて夢みたいだなと思った。それを彼女に伝えると謙遜していた。
騎乗位の次は立って試してみた。高身長な女の人はやはり立ち姿が映える。キュッとしたお尻もまた美しかった。引き締まったくびれを掴んでみたり、胸を後ろから包んだり、そのまま抱きしめたり、やってみたかったことは一通り試すことができた。後ろから女の子の髪に顔を埋めることは忘れていたので今度やってみたい。
立っている彼女を後ろから抱きしめた後、ベッドに戻って正常位に。AVで見た画面と同じものが目の前に広がっていた。AVと違うのは自分の動きに連動して彼女が動き反応することで、リアルなんだけどリアリティが凄かった。僕が上から覆いかぶさって繋がっている時に、彼女が小馬鹿にした調子で放った「腰の動き止まらないね?」という言葉は、今後数日は頭から離れないと思う。下にいる彼女がおもむろに舌を出して、今度は僕に唾を催促してくれた。ちょっと心が通じた感じがして嬉しかった。上から見るその身体もやはり美しく、それまでの彼女の献身ぶりや気さくな振る舞いも相まって、好き…という言葉が喉元まで出かかったけれど、踏みとどまって野暮なことはせずに済んだ。
他にもいくつか試してみたけど、家で誰を予約するか迷っている時にパネル写真に興奮して無駄撃ちした自分を恨む他なく、なかなか執着点が見出せなかった。年下の女の子とこんなことしてるなんて、エロいな…と呟き自分を奮いたたせたけれど、上手くいかなかったので手でしてもらった。自分でも終わったのかまだなのかわからない状態だったので、一応達しても彼女に攻められ続けてしまった。これもこれで無理やり続けるSっぽかったので良かった。
彼女に手を引かれシャワーへ。ここで何を話したのかはあんまり覚えていない。ローションの滑りを落として、またイソジン。
風呂から出て身体を拭いてそれぞれ着替える。彼女はスーツに。僕はセーター、チノパン、チェスターコートに。
最後のお願いとして、最初に渡されたソフトドリンクのミルクティーを口移しで飲ませてもらった。僕の方が背が高いので、絶対に一滴もこぼすまいという熱意を持って、彼女の口からミルクティーを受け止めた。あれより美味しいミルクティーはこの世に存在しない、ってイギリス人にだって断言できる。ミルクティー味のディープキスとスーツ姿の彼女を抱きしめた感触を僕はずっと忘れないだろう。これをするまで死ねないって思ってたんだよね、と彼女に言うと「まだ死んじゃダメだよ」と返された。少なくとも、この余韻を味わうためにしばらく生きるよ。
「これでしばらく今日のことを思い出して頑張れそう。ありがとう」と彼女に伝えて、部屋を出た。店を出る前にアンケートを書かされたけれど、全部最高評価にして、最高でした!の一言を書き添えて、また怪しげな通りの通行人に戻った。
帰りの電車の中では、喉の奥にほのかに残るイソジンの匂いが余韻を引き立たせた。これからイソジンの匂いを嗅いだら彼女を思い出して勃起してしまうかもしれない。パブロフの犬、ソープのイソジン。
家に帰ってもなんとなく余韻に浸っていまい、冷蔵庫にあったケーキを食べている時に「このケーキ美味しいな。あの子にも食べさせてあげたいな」と思ってしまっている自分に気がついた。我ながらチョロい。
振り返ってみると、達することはできなかったけれど、とても満足のいくものだった。帰ってきてすぐ自分のベッドに潜り込んで、彼女を思い出してティッシュを消費したほどには記憶に残るものになった。本当に彼女は芸術品みたいな美しい身体だった。別にプレイしなくても眺めてるだけで良かったし、密着しているだけで幸せだった。ただ、彼女に幸せにしてもらえた分、騎乗位で彼女と繋がって下から綺麗な姿を眺めている時に「日常的にこんな幸せを感じている人がいるのか。羨ましいな」と思ってしまった。かなり不純だけれど、セックスするために彼女を作りたいと思った。これまでも彼女を作るために女の子をデートに誘ってみたりしてはいたものの、今回に行って幸せな経験が強い原動力になる気がする。