はてなキーワード: オオワシとは
オオワシ「おお、ワシのだ」
TravisJapanの主演舞台が決まって、しかもそれが3年も続いてて、幸せなことだな、って思っています。本当にその気持ちは、嘘偽りなく、あって。「約束された現場があるありがたさ』、そのことには本当に感謝しています。
けどね、さすがにちょっとだけ、わがままも言いたくなってきました。人って贅沢なので。あと、普段、ジャニーズ舞台に愚痴をいうのは、時間の無駄だと思ってるので、ぼんやり見るように心がけてるのですが、
11/30締め切り案件(*1)があって寝不足なので、暗闇で眠くならないように、でもトイレも行きたくならないように、カフェインのタブレット飲んで行ったら、頭がさえちゃって、考えなくていいことを考えながら、舞台を見てしまった。
ということで、ここから2021年版の愚痴です。読みたくない方、ネタバレ踏みたくない方は、ここから先、読まないでください。
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虎者に関する愚痴は、もう基本的に「脚本」もうちょっとなんとかならない????です。そこに尽きます。
2019年も、2020年も、そして2021年も、虎者の感想として「お芝居部分はショータイムを見るための、壮絶なじらしプレイ」として認識してました。だって、ショータイムの方が楽しいんだもん。どう考えても。
2021年は、お芝居シーンのラストで、「俺たちの育ての親の朱雀が闇の帝王だったなんて、とんだ災難だったよな。」と七五三掛龍也が言うセリフがあります。その時、客席で思ったのが、「そのとんでも設定の舞台、見せられてるこちらも、とんだ災難だけどね」ってことです。
でも、今日は頭が冴えてたので、これ、演じている方はもっと「とんだ災難」じゃない?ということに気がついてしましました。この、セリフがほとんどなく、うっすい内容の舞台の中で、Travis Japan もImpactors もすごく頑張ってるな、と気づかされる部分があります。(「のえる」と「かいと」以外は舞台中で役名がでてこないので、フルネームで記入します。)
例えば、松田元太は最初に「まだ力が足りない気がする」って言っていた通り、ずっとちょっと周りを警戒してるちょっとビビリな感じを出しているし、中村海人は、自分が「のえる」を置いていった判断をずっと引きずっているのを全面に渡ってだしています。2人とも、ちょっとしたセリフをきっかけにして、なんとかキャラを作ろうとしています。一見、セリフが多く、キャラクターを作りやすく思える「川島如恵留」と「宮近海斗」は、きっかけセリフを言わされすぎてて、実は逆にキャラクター作りづらそうだなぁと思ってみています。そもそも、一回完全に舞台上で死んでから、特に何の説明もなく復活するなんて役、やり易いわけないです。今回、川島如恵留は物語のひずみをすべて受けとめる役になっていますが、それをなるべく自然に見せようとすごく頑張っていると思います。
Impactorsでは、オオワシ(影山拓也)、ハヤブサ(佐藤新)が、もともとキャラクター性を与えられているのに加えて、武器も違うのが強いです。他はみんな、武器が刀だけれど、全幕、逆手で通してる基俊介も、キャラ立ちしてるな、って思います。逆手持ちは自分で決めたのでしょうか。すごい工夫です。せっかくならみんな武器を変えるだけで、バリエーションだせると思う。
そして、カゲロウ(松井リマ)、朱雀(長谷川純)の2人。カゲロウは、前半は虎者の敵のフリをしているが、実際には虎者を味方にしたいと考えていて、朱雀は前半は虎者のボスですが、実際には虎者を使い捨てようとしています。2回目以降の観劇でそれを知って見ると、2人とも、ものすごく密かに持っている本心の芝居をしていて見応えがあります。でも、初見だとその演技の意図がわからない。虎者ーNINJAPANーは、古典演目ではないので、さすがに初見では気がつけない演技を強いる脚本はどうなんだろうと思います。(*2)
クイズ番組で、クイズが「1+1=?」みたいなものだけだったら、どんなに知識のある人でも、ポンコツ回答できそうな人でも面白くならないと思います。舞台において、「脚本」はクイズ番組のクイズと同じ。「ホン」が不在に等しいこの舞台を、必死に面白くするように頑張ってる7人(+7人+1人+1人=16人)、の努力、ほんと凄まじいです。
お芝居の最後に、中村海人が、如恵留に対して、置いていったことを謝り、それに対して松倉海斗が「もういいじゃないか。2度はくどいぞ。」という箇所があります。東京公演では、ここのシーンにおいて、2人がアドリブで遊び始めたのですが、11/21くらいからかな、アドリブはなくなり、元に戻りました。想像ですが、きっと、「ここは、最後のシリアスなシーンとして演るべきでは」と大人からアドバイスがあったのだと思います。
確かに、お芝居全体からしたら、ここはシリアスに演じるべきかもしれない。でも、観客としては楽しみにしてたアドリブでした。だって、もう他に虎者同士の関係性がでる箇所が少ないから。
1人1人のキャラがなく、ということはキャラ同士の関係性もない虚無のお芝居のあとにある、ショータイム。ショータイムになった瞬間、重たい鎖かたびら脱いだ?ってくらい、自由にいきいきと踊り始めるTravis Japan。
2019年に屋良くんが教えてくれた通り、本当にたくさんアイコンタクトを取りながら、楽しそうに踊っていて、だから見ていて、とても楽しいです。虎者の無味乾燥な実体のない「役」を脱いで、本来のTravis Japanになったから、みえる関係性があるんですよね。はぁ全幕、ショータイムやってて欲しい。
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とまぁ、ここまでツラツラ愚痴を書いてきたのは、単に憂さ晴らしをしたかったわけではなくて。あと、チケット代返せ、とか、もう観に行かないぞ、とかいう話でもなくて。来年以降も虎者があるとしたら、こういう要素ちょっと入れてくれたら嬉しいのにな、的な妄想話がしたかったからです。(*3)
2019年、2020年、2021年と毎年脚本が変わっているのは、しっくりきていない、という考え自体は共有されているのだと思います。私が2021年版で一番気に入っているところは、謎の家族設定がなくなったところ。でもそのせいで、物語が薄味になったのも事実だと思います。(設定なくしたら、足さないと)
舞台見ながら、考えていたのは2つ。(カフェインって怖い。こんなに普段ポンコツでも、頭の中がデュアルコアになる。)
1つは、せっかくTravisJapan と Impactorsが 7人同士なので、1人の人間の中の「善」と「悪」を描くスタイルにして、最後、清濁併せ吞んだ形の「真の虎者」になるタイプ。(Impactorsの名前が影虎軍団ならちょうどいい。)朱雀は父で、カゲロウは(魔法で年をとらない)母で、それぞれ戦っているみたいな感じ。
これだと、どういう悪の心と戦っているかで、ダンスバトルだったっり、殺陣だったり、戦いのバリエーションできそう。(去年のバトン対決のやつ、楽しかった。)
ちょうど7だし、「七つの大罪」とか、ちょうどいい具合にハマりそう。(日本だと、ほんとは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳の方が、ハマりがいいような気もするので、朱雀とカゲロウ巻き込んでもよいかも?)
宮近海斗(赤):炎系の術を使う
川島如恵留(白):風系の術を使う
吉澤閑也(黄):毒術を使う
中村海人(緑):木の葉の技を使う
とか。
いま、適当に書いたので、ほんとはもっと良いのがあると思いますが、まぁそんな感じ。(『伊賀の影丸』読みたくなってきたな笑)
それぞれ、得意な術の情報とかあるだけでも、トランポリンとかトランポリンとかトランポリンとか、映像ももっと作りやすいと思うし、楽しめると思います。俊足の七五三掛!とかキャッチフレーズがあっても楽しいし、松松の分身の術もみたいです。(そろそろ、脳内で「千年メドレー」は踊れる気持ちになってきたので、分身の術も習得したいなと思ってます。)
もうね、ほんと素人の思いつきなんで、別にただ書いて、昇華したかっただけなのですが、できたら来年は、少ないセリフを手がかりになんとか舞台を成立させようと努力しているTravis Japanじゃなくて、
私が、普段、舞台を観に行くのが好きな理由は、「役者さんが自分自身をメディアにして、別の人物を表現するところ」です。器と中身のずれというか、隙間の所が、ゾクゾクします。役名と、実際の名前が一緒のジャニーズの舞台においては、少し変わる部分もあると思うけど、光一さんと「コウイチ」が同一ではないように、やっぱり「役」の仮面というのは存在するのだと思います。来年こそは、重たい鎧ではなく、つけるに足る仮面をつけた舞台がみたいです。
と、ここまで、全て、来年も虎者ーNINJAPANーがある前提で書いてきてますが、そして、今のところ、あると確信していますが、まず、ありますように!!!
*0:あえての〜を仕込んでみました。(言わなくていいことをいうスタイル)
1人で動物園に行って来た。
友達がいない結果の1人なのだけど、感想日記でも書いておかないとこの体験が簡単に真っ白になりそうなので日記を書こうと思う。
まず、入り口のゲートが改装中らしく、えらく曖昧になっていた。券売機に並んでいる際に1人は自分だけだったので若干の恥ずかしさを覚える。
で、そんな曖昧なゲートを通ってまず初めの動物がゾウだ、と思っていたけど少し前に死んだらしい。介護施設で働いてた時に何度か行ったことのあった動物園だったので、一抹の寂しさがあった。このガラスのとこでゾウを背景に皆んなで写真撮ったなぁ、そういえば、あの時の利用者さんも数名亡くなったと聞いたことを思い出してより寂しくなってしまった。
それから、記憶が少し曖昧だけど、オランウータンを見た。見た目と動きはもうほぼ人間だ。これと障害者を見世物にすることにどの程度の差があるんだろうと思っていたら目が合った。自分が見られていることで気持ちが通じたように思うのはアイドルのファンと同じだろうか。地べたにどかっと座る仕草があまりにも人間らしく、動物園という檻と介護施設に閉じ込められる高齢者の類似性を感じてしまった。皆んな、外で放し飼いにできたらいいのに。
そこからは何を見たっけ。。あ、そう。カワウソだ。たしかコツメカワウソだったかな。ツイッターでも話題になっていた紐にぶら下がってグルングルン回るカワウソがいた。動画でも撮ろうかと思ったけど、ツイッターに動画は上がっているし生で見るとそもそもそんなに魅力的でも無かったので撮らなかった。
それから、ヒョウや顔の中央がオレンジがかったクマを見ながら進んだ先に、トラとライオンがいた。どうやら、トラも一頭死んでしまったらしい。人間よりも短いスパンで死ぬ動物の世話をするのはわりとしんどそうだなぁと思いつつ、トラとライオンのデカさに驚く。こんなに顔デカかったっけ、これは勝てない簡単に殺される、ネコの仲間でも可愛くはない、怖すぎると思った。
と、この辺で動物園に1人で来るのは変わり者というか、1人で来ているのは自分とカメラを持ったおじさんしかいないことに気づく。変わり者だから友達がいないのか、友達がいないから変わり者なのかは分からないけど、1人で動物を見に来る人がもう少しいても良い気がした。
そして、ここらは順序が曖昧だ。タカとオオワシが凄くでかかったのと、牛の仲間の動物がいるところでは他とは違う田舎の匂いがした。バクもいたな、何で黒と白の変な色なんだろう、ゲームの中で殺して皮を剥いでいたやつよりは2倍くらいデカかった気がする。
あと爬虫類コーナーも小さいけどあった。小さくて可愛い。ほとんど寝てたけど。
このくらいだろうか。あとは、見たという記憶だけで特に感想はない。
【追記】
仕事終わりました。
人間が檻に入れられるやつはとある動物園に現代アートのできそこないみたいな感じで置いてあったよ。誰でも入れる檻に看板だけ置いてあって「人間:非常に残忍。同じ種類で殺し合いをする」みたいな。
今地下鉄なんだけど、これも檻みたいなもんですね。それでは。
ズルいとは思わないが、イライラする。「相方」呼称の何が俺をイラっとさせるのか。
邪気眼が疼いて疼いて仕方が無いので書く。
複数の問題がクロスオーバーしているため、分解してみる。
なお、俺は同人もツイッターもブログもやらないので同人文化あるいはインターネット文化から来る由来は知らん。只々、リアルの会話で恋人・配偶者を「相方」と呼ぶ人達への苛立ちを分析。
この愚痴では、「伴侶」「恋人」「配偶者」等の意味で、一貫してパートナーという言葉を使ってみる。
ジェンダー、フェミニズムは意識し過ぎるとドツボにハマる。結局のところ、女として生まれた以上女として生きていかなければならないし受け入れなければならない。逆もまた然り。
男が赤ちゃんを産んでみたいといくら願っても届かない。逆もまた然り。
俺はオオワシのように空を飛び、悠々と獲物をハントしながら暮らして、最終的には冬に飢えたり狩られたりして死にたかった。
しかし人として生まれた以上、人としての空虚な文明社会に溶け込み自意識に雁字搦めで暮らしていかなければならない。
これを「配られたカードが不公平で問題だ!」と叫ぶのは傲慢。賭場にいるウルサイおっさん、パチスロ店にいる強打おばさんと同じ。
本人たちの本意の不平不満ならまだしも、枠外からの哀れみによる問題提起はもってのほか。
つまり、男側からのフェミニズムによる「相方」呼称はちゃんちゃらおかしい。
「障碍者」、「ハンディキャップ」等の呼称強制の馬鹿らしさにも似ている。
ミゼットプロレスラーの悲劇を繰り返すだけだ。詳しくはググれ。
自分の世界で正しい呼称を信じることは構わないが、他人に理解を強要するな。
隠したいなら隠せ、パートナーが男でも「彼女」、女でも「彼氏」と説明し続けろ。
嘘をつくのが耐え難いのならば早々にカミングアウトすべし。
それで友人が去っていくのならそれまでのこと。マイナーセクシャリティーは「不細工」「低身長」「ワキガ」「口臭」くらいのマイナスでしかない。
制度は改正されるべき。寛容になるべきだ。
いや、カードにも文句は好きなだけ言えばいい。
「男(女)に生まれたかったー!」とか「ノンケに生まれたかった−!」「金持ちの家に生まれたかった−!」とかなら、いくらでも叫べ。
麻雀で「配牌が悪い(俺は悪くない)!」、ポーカーで「イカサマだ(俺は悪くない)!」と叫ぶ人が惨めなのと同じように悲しく哀れだ。
知るか。
「彼氏と呼ぶにはセックスはご無沙汰だし、だけど現状、彼と別々に暮らしていくことは考えられない、意味として一番正しいのは相方かなー。」
知るか。
「他人がパートナーをどう呼ぶかなんてどうでもいいだろ」以上に、あなたにとってのパートナーとの「正しい」関係性はどうでもいい。
パートナーであることが最も容易に理解できる言葉は現状「彼氏」「彼女」「妻」「旦那」等だ。
単語が性別と結びついている、あるいは恋愛感情があることが大前提。
「ダァ」でも「ハニちゃん」でも構わない。これはノンヘテロでも一緒。
恋愛感情が枯れていたとしても、そういう表現が他人からしたら(現状は)最も理解が容易い。
「うちの相方がさー」と言われた側としては「彼氏?彼女?配偶者?浮気相手?」と相手との関係性がいまいち掴みづらい。
「文脈で判断云々」ではない。「相方」呼称の人は文脈なしに使う(ソースは俺)
説明・理解のコストが大幅に増える呼び方をあえて使う必要がどこにあるだろうか。
セックスご無沙汰だけど同居人ならとりあえず彼氏・彼女と言っとけ。
浮気を隠したいなら「友人」で貫け。
「他人がパートナーをどう呼ぶかなんてどうでもいいだろ」以上に、あなたにとってのパートナーとの「正しい」関係性はどうでもいい。
他人を気遣え。
「言葉の意味」への過剰な執着はコミュニケーションの相手側へも負担を強いるのです。
「最もそれを指すのに一般的で最大多数が不快ではない言葉」にはいつだって、社会的には問題はないと思います。
自意識的には問題があるかもしれませんが、過剰な自意識は控えていただければ幸いです。
あとなんだ、良く分かんないけど「ブーメランw」とか言われるかもしれないけど知るか。
俺の母ちゃんはよく言っていた。
母ちゃん「あんたなんか産まなきゃ良かった!」
俺「お前に似たんだよ、遺伝だよ。」
母ちゃん「知るか!」