はてなキーワード: 七五三とは
「無意識になんとなくやっていること」でいうなら、毎日なんとなくスマホいじってるし、
大して意味ないと思いつつ宿泊先に温泉を選んで温泉に浸かったりする(実際に行って温泉入ってる時間は1時間ぐらいしかない)
そういう「なんとなく単なる大浴場じゃなくて源泉かけ流し温泉を選ぶ」
「カレンダーの曜日の並びが日曜日が左端にあるのが当たり前で月曜日が端だと見間違える」
が、元増田のは「宗教施設だと思われてるものを使用する」という限定条件が重要そうであり、
そうすると宗教施設や宗教行事という条件に入らない「なんとなくの行動」は宗教扱いされないんだろうなと思う
では自然発生的な願掛け「どっかの橋の欄干に鍵をかける」はどうか
あるいはそれを商業的にパクった「どっかの展望台の欄干に鍵をかける」はどうか
逆に宗教施設の「宗教色」を薄めて「パワースポット」という呼び方に変えて集客するやつ。あれは宗教なのか
「トランプが大統領選挙で落選したのは秘密結社の陰謀のせい」とかは宗教になるのか
そのへんも含めて全部が宗教なのか、そういうのは除外して既存の宗教施設とみなされてるものに関わる行為だけが宗教なのか
もし、既存の宗教施設に関わるものだけが宗教というなら、既存の宗教の枠組みが大事ということで、
現在アラフォー。幼少期から大人になるまで次男だというだけでいろいろとひどい目に遭わされてきたので以下に記す。
なお、両親と兄はこれでも兄弟は公平に扱っている、贔屓などしていないの一点張り。
・何も買ってもらったことがない。服はお下がり。制服も学用品も文房具も全部お下がり。バットやグローブ、テレビゲームも全部兄のお下がり。おやつは兄が食べきれなくて残したものだけ。朝と夕の食事も家族の残り物。受験勉強の参考書もお下がり。ジャンプも兄の読み終わったものしか読ませてもらえない。お小遣いはなし。
・お祝いされたことがない。生まれた時から幼稚園に入った時も、七五三も、小学校の入学も、中学校の入学も誕生日も何もお祝いされたことがない。入園入学の時に写真を1枚撮ってもらっただけ。誕生日は「あーはいはいおめでとうー」の一言のみ。生まれてから成人までに撮ってもらった写真は5枚だけ。兄の写真はアルバム3冊分。
・俺にまったく関心がない。幼稚園の送迎なし。幼稚園の送迎バスも金がかかるからという理由で俺だけなし。徒歩で幼稚園に通園。どんなに怖い目に遭っても、ケガをしても無関心。兄の成績が良くなかったときには塾やら進研ゼミやらなんでもやらせてもらえるのに、俺の成績が悪くなっても「なんでそんなにバカなの。恥さらし。」と罵倒されて終わり。頭に来たので高校と大学は私立に進学したら今の今までずっとごく潰し呼ばわり。浪人は認めない。兄は浪人でも予備校でもなんでも可。
・大人になっても不遇。兄が結婚した時は結婚式の費用、結婚資金に何百万円も支出したのに、俺が結婚した時は、こんな親でも一応報告しないとと思って報告したら「おめでとう」だけ。もちろんお祝いなんてしてもらってない。祖父母のお葬式のときはずっと受付や雑用係。
俺があまりにも不憫でかわいそうとお小遣いをくれたり服を買ってくれるのは東京に住んでいる叔母(母の妹)だけ。しかし、叔母が俺に何かしてくれると「迷惑をかけるな」と母に怒られるわ、「甘やかすな・甘やかしてない」で叔母と母が喧嘩になるわで最悪。
日本人は基本的にケチだけど、ハレの日にはパーっと使う傾向があるからイベントをやって金を使う大義名分を用意してやるといい
GoToイベントだって、金持ってるけど旅行は一通り行ったっていう年配者が、お国のために旅行するんだって大義名分ができた
クリスマスも、カップルがディナー食ってシティホテルに泊まるなんてバブル期の日本で始まった風習だけど、中国、韓国、台湾といったアジア諸国には広まってしまった
1月は正月で金を使う、2月はバレンタインで金を使う、3月はひな祭りで金を使う、4月は花見で金を使う、5月はゴールデンウィークで金を使う、6月はジューンブライドで金を使う、7月は七夕で金を使う、8月は夏休みで金を使う、9月は月見で金を使う、10月はハロウィンで金を使う、11月は七五三で金を使う、12月はクリスマスで金を使う
相手がいないから蚊帳の外って言ってるやつは金の使い方が足りない
使う金がなければ、働いて金を稼ごう
私 常々思うんです
強く主張されるようになったのか
私は 一番の理由は
昔は 死が身近でした
七つまでは神のうちとも呼ばれ
また たとえ無事成人を迎えたとしても
世界は飢えと病と争いにまみれ
人がただ生きるだけのことが 困難な時代が長くありました
そしてその死の矢面に 常に立っていたのは男性でした
原始では狩りに
文明を得た後は 戦に 争いに
望むにせよ望まざるにせよ
そしてその代わりに
いざというとき 真っ先に命をかけ私達を守り
そして 死ぬ
そう思っていたから
多くの苦労を甘んじて受け入れてきたのだと思います
天秤上で釣り合っていたんです
結果として 女性は思いました
天秤が 釣り合っていない と
でも 私はそれ
違うと思うんです
今も 死は近くにあります
見えづらくなっただけで
棍棒でいきなり殴られることがなくなっても
刀で切りつけられることがなくなっても
銃を持って前線に向かわされることがなくなっても
直接の命のやりとりが 身近で見えなくなった代わりに
(そちらもうつ病などが多く
そして その自殺者数は
男性は 直接命をやり取りすることがなくなった代わりに
"お金"を通じて殺されることとなったのです
隣にいる男性が 直接血を流して
そして こう思うようになりました
傾いている と
でも実際は逆なんです
男性は今も
目に見えないところで 不平等に
今も昔も 男性はずっと死の矢面に立たされているのです
しかし それとは裏腹に
女性の権利は どんどん獲得されていきました
こうして 男女の天秤は大きく傾くこととなったのです
男女の平均寿命に差はありませんでした
その差は 今も年々広がっています
でも
ただ それだけです
いつも命を賭けてきたから
わざわざ病ごときでは死なないのです
私は不思議なんですよね
その天秤が 不自然に傾いている
長く生きられる世界が ここにある
でも 男女平等を謳う人は
この天秤が 逆に傾いていると主張しています
私は 男女平等を謳うのであれば
まず この命の天秤の傾きを戻すところから始めるべきだと
そう思っています
って言ったら みんな喜んでやると思うんですけどね
いや、お前着物が私服だった時代の事を洋服が普及した今でも言うか?
実際問題お参りの服装とかどうだって良い。ただ地元の神社とかだと写真館と提携してたりして神職のくせに良い顔しなかったり差をつけたり平気でやるのでいっそメジャーどころの方がシステマチックなのでストレスも少ない
そもそも三歳の子供が着慣れてない着物を着て境内への移動、祈祷、写真撮影を良い子にするわけがない。こだわりが無ければ写真撮影だけ着物で、それ以外は私服が一番ラクである
神社は一生に一度とか言うけど、ぶっちゃけ七歳の時にやればいい。だいたいそういうのに必死な神社は七五三のお納めを1万~とかにしてる。でかいとこだと何も言わないし、5000円からとかだし
この時期になると靖国神社が話題になるが、地方都市育ちの私にとって靖国神社は左翼と右翼の対立の地だと考えていた。
付近の道路は旭日旗で武装した街宣車が国歌や軍歌を大音量で流しながら走り回り、神社の前で左翼と右翼の有力者がそれぞれマイクパフォーマンスをし、時にはMCバトルをする。武装した警察官はその様子を遠巻きに見守りながら暴動に備えている。靖国神社はそんな場所だと想像していた。
数年前就職活動で東京へ行った時に、左翼と右翼の対立を遠巻きに見てみようと物見遊山気分で靖国神社へ行くことにした。日曜日に靖国神社へ行って暴動に巻き込まれたりしないだろうか、できれば人が少ないであろう平日に行きたかったな、と考えていた。結論から言えば、その心配は杞憂に終わった。
靖国通りは人混みや街宣車がいるだろうと考えて、九段下駅を降りてからは路地へと入っていった。富士見書房本社(現:KADOKAWA)や地方都市育ちの私でも名前は知っている白百合学園があることを除けばごく普通の閑静な住宅街であった。ほとんど人とすれ違うことなくたどり着いた靖国神社の入り口は「七五三 受付中」の垂れ幕があるだけで、政治的要素の無い至極普通の神社という様相だった。
神社の中はちらほらと参拝客がいるだけで、左翼・右翼どころか団体客や家族連れすらいなかった。神社内に靖国神社の由来を説明する看板があったが、戦死者に対して哀悼を捧げる文章が政治的要素無く書かれていただけだった。鋳物の大砲が展示されているのを見て、食堂で海軍カレーを食べて、売店へ行った時にようやく政治的要素を発見した。小林よしのりの著書がズラリと並べてあったのだ。だが、発見できた政治的要素はそれだけだった。小林よしのりには特に興味がなかったので、大砲の形をした瓶の瓶詰めキャンディーを買って靖国神社を後にした。
数年前の実体験なので今はどうなっているかわからないが、メディアが靖国神社を報道する頻度は年々縮小傾向なので、今も靖国神社は静かな神社であることに違いはないだろう。
朝起きて、鏡を見て、死にたいと思う。
生まれてこなければよかったと思う。
こんな醜い容姿に生まれてこなければこんな思いはせずに済んだ。
人は見た目じゃないなんて嘘だよ。
見た目がよければ生きやすいに決まっている。
味方はいなかった。
教師もいじめている側の肩を持った。あいつはそんなことするやつじゃないと思うけどな。一生その言葉を忘れることはない。
どうしてわたしの味方になってくれなかった?わたしが醜いから?醜いやつの言うことに信憑性はない?妬んでありもしない話をでっち上げたと思った?
毎朝鏡を見て、死にたいと思った。
生まれてこなければよかったと思った。
何度席替えをしても、必ず机を離された。
昼休み中、ずっと、トイレの個室で過ごした。教室に戻ろうとしたら、ドアを内側から押さえられて入れなかった。
みんな笑っていた。机を離した人たちも。わたしを汚い、という人たちも。それを聞いて一緒に笑っている人たちも。みんな同じ顔をしていた。
毎日マスクをするようになった。マスクがないと外に出られなくなった。卒業式もマスクをしたまま出席した。マスクをしていない写真は殆ど残っていないと思う。
高校生の間は、まあ陰でいろいろ言われていたかもしれないけれど、容姿を理由にいじめられなかったから生きやすかった。マスクを外した。外すことができた。
3年間だけは、中学生の頃ほど、そして今ほど卑屈ではない人間でいられた。
この地獄は一生続くわけじゃないんだと思えた。終わったのかもしれないなんて思った。
逃れられたのはその3年間だけだった。
浪人することになって、予備校に通い始めた。また、はじまった。結局、どこに行っても、いつまで経っても、わたしは一生逃れられない。この顔が原因なんだから、普通に生きてたら顔なんて変わらないんだから、当たり前のことなのに、どうして気づかなかったんだろう。
今でも他人の笑い声が怖い。他人の視線が怖い。電車に乗っていて、若い人たちが向かいに座って、笑っていると、わたしのことを笑ってるんじゃないかと思って消えていなくなりたいと思う。
もうそろそろ卒業の時期だけれど、大学生になって、一人も友達はできなかった。卒業できるか分からないけれど、卒業式には行かない。高い金払って、ブスが袴を着て、写真に残すことに何の意味があるんだろう?
卒業アルバムの個人写真も撮りにいかなかった。卒業アルバムは小学校から高校のぶんまで、ぜんぶ、自分の顔を塗り潰した。実家に帰省する度、飾られている七五三の写真や昔の自分の写真を努めて視界に入れないようにしていた。燃やしてしまいたかった。
サークルもすぐに幽霊部員になった。誰も醜い容姿の卑屈な人間と友達にはなりたくない。わたしだってわたしみたいな人間と友達になりたくないと思う。
時間が経てば治るよと言ってくれた人もいたけど、12か13の頃から汚い顔は、22になっても汚いままだ。夏になったら23になるけど、23になっても24になってもきっと汚いままだ。
いろんな治療を受けたし、いいと言われる基礎化粧品を片っ端から試したけど、鏡を見ると依然汚い顔が写っている。
こんなことなら子供のうちに死んでおけばよかった。自分が醜いことを知る前に死んでおけばよかった。小さいうちはブスだろうがなんだろうが生きてるだけで可愛がられてそれなりに自己肯定感を保てる。そのまま死ねばよかった。
経済的に厳しいから家賃と学費以外は無理と言われて、貸与型の奨学金を申し込んだことを後から知らされた。学費と家賃の足しにするために申し込んだから、とわたしの元には振り込まれない。
奨学金返済するのが大変だったら結婚して旦那に返済して貰え、と父親に言われた。
びっくりした。結婚できると思ってるのか。
醜い、卑屈で、自己肯定感の低い人間が、誰かと一緒になれると本気で思ってるんだろうか。
そもそも、この家庭で育って、家族や家庭というものに憧れると思ってるのがすごいよ。しあわせな家庭のかたちというものが分からない。
望まれるかたちに生まれることが出来なかった。治らなかった。なれなかった。世間様のしあわせに当てはまる未来は一生こない。いつか、なんてものは永遠にこない。ちゃんと分かっている。
自己肯定感が極端に低い。他のだれかのことを思える心の広さもない。誰かに優しくされても穿った見方しかできない。
本当に性格が悪い。
経済的に厳しいのも、ひとりなのも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、自分のせいだ。
お金に余裕がないと言っていたけれど、帰省したとき、100万以上かけて壁の塗装をするんだと言っていた。どの色がいいと思う?なんて聞かれた。お金に余裕がないんじゃなくて、わたしにお金をかけたくないだけだ。ショックだった。金銭的に負担をかけられないから、と終電逃すまで残業するようなバイトに耐え忍んで、土地柄客層が悪くて当たり散らされるのにも耐えてニコニコ接客して、全部アホだと思った。奨学金という借金を背負ったのも、大学に進学したのも間違いだったと思った。
240万の借金。240万あったら、わたしはこの顔から逃れられたのに。
わたしが醜くなければ違った?かわいい娘だったら、自己肯定感を保てるように育ててくれた?
もしそうしてくれなかったとしても、醜くなければもっと稼ぐ方法はいくらでもあった。世の中顔だから。容姿が優れている子がそうして稼いでるのをたくさん見てきたし今も見ている。
鏡を見る度死にたいと思う。生まれてこなければよかったと思う。
わたしがわたしじゃなければ、望まれるかたちに生まれていたら、今頃こうなってはいなかった。
まともな人間関係を築けていたはずだった。
大学生になったら楽しいってみんな言うから期待していた、間違ってた。みんなはまともだからわたしは当てはまらないってちょっと考えたら分かったはずなのに。
生まれてこなければよかったと思う。
はやく沈みたいと思う。もう終わりたいと思う。続けたところで同じことの繰り返し、もういい。どこまで遡れば変わるかなってときどき思うけど、どこからやり直しても結局こうなるんだから生まれてこなければよかったと思う。ぜんぶ今更だ。手遅れだ。
もうなにもかも嫌だ、
一生惨めな負け犬だって分かってんのにどうしてまだ続けなきゃならない?
鏡を見る度死にたいと思う。
こんな、こんなふうに、劣等感抱えて、誰に対しても何に対しても妬んで嫉んで、こんな生き方したくなかった。
醜い容姿に生まれた人間は劣等感抱えて生きてくしかないんだよ。一生。ずうっと。ずっとだよ。どんな顔に産まれるかなんて選べないし金かけない限りどうにもならないのに。
わたしが生まれてくる前にわたしの容姿を提示されてたらわたしは生まれてくることを選ばなかった。
毎朝、毎晩、死にたいと思う。すべてが妬ましいと思う。はやく死んでくれと思う。
何もかも自分のせいならはやく死んだらいいのだと思う。
鏡を見る度死にたいと思う。
こんなことならと思う。
わたしは一生、親を許せないと思う。
母親は綺麗な顔をしている。彫りが深くて、幅広の二重で、鼻も団子鼻じゃなくて小さくて高くて、唇も薄くて、肌も汚くない。
小学生の頃からお母さん綺麗だねって言われる度に、言葉の裏にお母さん「は」綺麗なのに、ってのが透けてて嫌だった。
言葉の裏を邪推してしまう自分の卑屈さが嫌だった。ほんとはそんな意味で言ったんじゃなかったとしてもそうとしか聞こえなかった。
母親があんな男と結婚して子供を産んだりしなければ今のわたしの苦しみはなかった。
10年前、肌が汚くなり始めたころ、あの男のクレーターだらけの汚い肌を見て、ああなりたくないと思った。歳を重ねる度にどんどん似ていく。死にたい。あの男に似ていると思う度に吐きそうになる。望んでもいない50%の遺伝子はこうして醜い形で現れた。
親を憎むのはお門違いと言われても、親不孝と言われても何と言われても許せない。
彼氏はいないの?〇〇ちゃん結婚したんだって、悪気なく言っているんだろうけど、なんでそんなこと言うんだって思う。娘がどんな気持ちで生きてきて、生きていて、それを聞いているか分かんないんだろうね。憎い。生まれてこなければよかったと何度も、何度も何度も思って生きてきた人間の気持ちは綺麗な顔のアンタには分からない。一生分からないよ。
もう十分だ、いつかは永遠にこない、
なにもかも嫌、ぜんぶ羨ましくて妬ましくていや
ブスは出生前に間引かれる世の中になればいいと思う。第二第三のわたしが生まれなければいいなと思う。こんな思いをしなくて済むならそのほうがいいに決まってる。
当方,人間の♂,アラフォー,結婚10年目,子供が二人.で,妻がガンになった.病気が判明したの自体は1年半前で,その時は落ち込んだりしたけど,今は落ち込む暇があったら,母親役もしている.会社にもかなり無理言ってほぼシングルファーザーとして生活を結構余裕を持ってしている(コロナで在宅勤務もできるようになったのがでかい).
で,教えて欲しいのは夫としての役割の方だ.妻のガンは治療の甲斐なく,再発をしており,主治医は「時間稼ぎ」と言っており,実質,延命治療に入っている.正直,次の正月は怪しいかもな...と思っている.子供が今年,七五三なので,それだけはしてあげたいな(自分も七五三の記憶は残っているから,イベントとしての価値を認めているところ)てくらいが希望だ.あとは諦めた.何かと話題な1/2成人式は確率論的に無理だろう.というか,そこまで生きられても,もう私の精神や金銭がもたない.
なぜ,精神が持たないのか,が今の最大の悩みだ.それは夫としての役割にもなると思う.妻が病気となって甲斐甲斐しく世話する夫というのはドラマ的だが,それは妻がきちんと弱っており,且,それを本人が認識しているからできることであって,弱っているのにもかかわらず,本人が認識してない場合は,夫は施しようがない.傍目から見て,妻は転移箇所の問題で,この1年で認知能力や忍耐力がかなり落ちた.ちょっと難しい会話は成立しない.なんなら,10歳にもならない子供の方が遥かに複雑で難しい会話ができる.他にも家事もできない.料理を作らせると食材がもったいないレベルの飯不味になり,子供が食べられないから,基本,私が作っているし,掃除もやってくれと頼むと(そうしないとそれすらしない),ただ掃除機を空いているスペースをかけるだけだ(事前に整理整頓しようとかそういうのはない).1番の問題は買い物で,列に並ぶのがめんどくさいという理由で,会計をスキップする.もちろんそれは犯罪なので,何度が警察のお世話になっている.なので,普段は買い物に行かせないのだが,私と子供がいない間に勝手にいく(そして警察から連絡が来る).子供と一緒に行ってもスキップする疑いがあり,子供が私に「ママはお金払ってないと思う」と告げ口してから連れて行かなくなった(本人は否定したが,子供が正しいと思っている).家にはそのようにして買われて使われてない食材が冷凍庫・冷蔵庫・食器棚を占拠しており,やめてくれとお願いしている(が,買い物をすることで気が晴れるようで,買い物をやめない.お金?もちろん私のお金もしくはそれが還流されたものだ).
私は夫としてどのように振舞えば良いのだろうか?蝋燭が燃え尽きようとしているのに,我慢しろっていうのも酷だが,並ぶのがめんどくさいという理由で会計をしない人間を買い物に行かせるのも反社会的だろう.警察にお世話になり始めたころは,我慢しろと強く言っていたが,そうすると,(見え見えの)嘘をつくようになり,犯罪組織が地下に潜って実態が見えなくなるかのように,妻の反社会的行為も地下に潜るようになってしまった.一緒にいくと言っても,普段は,疲れた・眠いと言って寝ており,私が外にいる隙を見計って行っている.一緒に行っても,勝手にいなくなり,妻のカバンに品物が入っている(買ったレシートを見せろと言っても捨てたと言って見せてもらったことはない).正直,三方塞がりである.警察にも相談したが,会計をめんどくさいとスキップする人に有効な手段を見つけられない.医師にも相談しているが,体の治療が優先的なので,なかなかそこまで手が回らないようだ.スーパーにサブスクリプションがあればいいけど,身近なスーパーはすでに出入り禁止なっているので意味ないな...
このような状況なので,金銭感覚がまともなわけもなく,1回の買い物で数万円分の食料品も買ってくることもある(そしてそれが冷蔵庫に入っていて,もらったといい,もらった人にお礼を言うからっていう会話から嘘が発覚する).そんな1人前が何千円もするハレの日の食材なんて,ハレの日にしか食べないから,ずっと残っており,それも頭が痛い.(無くなるとまた買ってくるのだから,それを含めて使えない).
以上を鑑みると,妻はめちゃくちゃだ.それが病気のせいだと分かってはいるけど,家族を巻き込まないでほしい.とういうわけで,夫としてのメンタルは崩壊している.父親としての立場から,延命治療(とは医師は言ってないけど,治らないて言ってるんだから似たようなもんだ)に進んでいるけど.夫しての立場だとそこまでしなきゃいけないのか(暴言・暴力も受けている),損切りしたほうがいいのではないかと思っている.正直,こんなめちゃくちゃな人間はいなかったので(祖母が認知症でめちゃくちゃな人間になってしまったけど...),対応方法が分からない.
どうすればいいんでしょうか,教えてはてな
倹約家の母と浪費家(…というかその場のノリや勢いで金を使ってしまう)の父に育てられた。父はそこそこ名の通った会社に勤めていたけれど、若い頃の給料はそんな高くなかったし、母は専業主婦で結婚してすぐに私と弟が産まれて育児に追われることになったので、あまり贅沢はできなかった。
父方と母方の祖父母が、何かイベントがあれば援助してくれたのか、七五三とか入学式とかでそんなに惨めな思いをした記憶はない。が、母が自分のために洋服やアクセサリーを買い揃えていた記憶もないので、子どもにはそれなりのものを用意しても、自分は我慢していたのだと思う。
私と弟がある程度大きくなってからはパートなどで働き始めたので、その気になれば多少は自分の好きなものを買ったりできるようになったのではないかと思うのだが、母がショッピングを楽しんでいる姿を見た記憶がない。同居していた父方の祖母が「好きな洋服でも買いなさい」と時々お金やら商品券やらを母に渡していたけれど、結局お歳暮やお中元などに使うぐらいで、むしろ「おばあちゃん(祖母)は金で人の心を買おうとしている」と怒るばかりであった。
そもそも高額な洋服やアクセサリーに興味がないようだったけど、それならそれで、他の自分の好きなことに使えば良かったのに、そういうこともしなかった。逆に父は友達などに流されやすく、飲み会やらゴルフやらに誘われれば可能なかぎり付き合い、欲望のままに買いたいものを買った。が、中途半端にケチで、いい歳になっても安い腕時計を買ったりしていた。あと、営業マンなどの美味しい言葉に乗せられやすく、立地は良いがかなりボロいワンルームマンションを買わされて不動産投資なども試みたが、たぶん損をして安く買い叩かれて終わったと思う。
お金の使い方について、私は母が正しく、父がアホだと思って育ったが、経済を回すことを考えると、深く考えずにホイホイお金を使っていた父のような存在は世の中に必要だったんだなと思った。コロナ禍で人々が外出しなくなり、お洒落や化粧のニーズも減り、飲み屋で何も考えずに金を使う連中がいなくなって、世間の雲行きが怪しくなっている。
今まで出かけても極力高額な買い物を避け、贅沢な食事もあまりしなかったけれど、幸いなことに今も普段と同じお給料をもらえる立場なので、ある程度使う方が世のため人のためになるようだ。まだ10万円の給付金も請求していないが、もらったら気持ちよく使いきるべきなのだろうと思う。独り身で将来が不安なのでついつい貯金に走りがちだけど、扶養家族がいなくて自由がきく分、意識してお金を使った方が良いのだね。今までの価値観を簡単にはひっくり返せないけど、敢えてお金を使うということの必要性を知った気がする。
http://kuuhaku2.hatenablog.com/entry/2020/02/12/005818
出自に関する記述などは言いがかりレベルなのでさすがに支持する人は少ないようだが、妻子架空説についてはそれなりに支持されているように思う。
ただ、七五三ツイートに端を発する娘の年齢設定に関する疑惑は違うのではないかと思うのでここでひとつ反証したい。
結論から言うと、2016年に娘と姪が一緒に七五三をやっていてもとくに不自然ではなく、これをもって「架空の娘の設定破綻」とはみなせない。
日付に注目。この時娘5歳、姪3歳ということになる
と検証記事にあるけど、これが誤りで実はこのとき娘は6歳なのだ。
まず、娘の入学式が2017年4月なので、娘の誕生日は2010年4月2日〜2011年4月1日とわかる。
https://twitter.com/chounamoul/status/851558036216860672
さらに、娘の誕生日が夏休み中という情報から2010年8月31日以前と絞り込めるので、姪と七五三をやった2016年10月時点では6歳ということになる。
https://twitter.com/chounamoul/status/1038299328060612608
検証記事のコメント欄にもあるとおり、女子の七五三は3歳と7歳のときにやるが、満年齢/数え年どちらでカウントしてもよい。2010年生まれの娘は2016年時点では数え年では7歳。つまり、「娘は数え年で7歳」「姪は満年齢で3歳」のときに七五三を行った可能性が高い。このように数え年/満年齢の基準を使い分けて甥姪とまとめて同じ年に七五三をやりたいというのはとても自然な流れのように思う。
我が家では基本【3日以上住所のないものは即メルカリ】という方向性のもと、ものをメルカリなどに出しています。
メルカリに5日出しても売れなかったらヤフオクかラクマに出し、それでも1か月くらい売れなかったらブックオフに持っていく、そんなかんじです。
また私や夫の実家で使わないもの、義父や義母が「親戚から形見分けをしてもらったけど結局使わないな~、でも捨てるものなんだしな」というものも入ってます。金目的というよりいらないものを欲しい人にあげる感覚です。
2019年の支出を振り返る時期になってきたので、ちょっと早いけど計算してみたら、
ヤフオク...59834円
メルカリ...60775円
ラクマ...19882円
と約14万円でした。
中には送料込みの売り上げもあるので、厳密に14万円もうかったとは言えないけど、
でもゴミになるはずだったものが12万円くらいにはなってる計算です。
メルカリはシステム変更につき5月以降のしか履歴が残ってないので、ほんとはもっと売れてる気がする。
売れたもの
・旅行ガイドのムック本(るるぶ福岡、ことりっぷ熊野古道、みたいなやつ) だいたい定価の6割
・ユニクロのウール100のセーター (だいたい1枚1000円くらい)
・福袋の外袋
・何かのお礼でもらったようかんとかクッキーとかの高級お菓子(包装紙のまま)
・ファミリーセールの招待状
・全国チェーンのお寿司の金券
・株主優待
・雑誌のふろく
・テレビを買い替えたときに回収してもらいそびれた前のテレビのリモコン
・大漁旗
・祖母がぼけ防止に作っていた大量の手製鞠。ぼけちゃったけど。