はてなキーワード: スウェットとは
金髪にしたかったと言うか金髪の人として生きる人生に興味があった
俺びんぼくさ!うさんくさ!
ジャケットはやめだ
俺売れないミュージシャン
まだましか
生まれつき社畜根性が染みついている金髪の売れないミュージシャンがコンビニでペコペコしている姿がガラスに映る
安いウイスキーとタバコを買って飲みながら帰りたいところだが、酒は飲めんしアイコス派だ
ヒマなミュージシャンは何人かいるセフレバンギャに連絡でもするんだろうな
ああお母さん?足どうなった?俺?生きてるよそりゃ
俺まじブサイク
何回撮っても角度かえてもまじでヤバイ
何度も見ているうちに見慣れて来た
あれ俺やっぱり親父に似てんな
って言うかこんな感じのミュージシャンいるよね
なんだかいまだに落ち着かないんだけど、自分を落ち着かせるためにも書き留めようと思う
ぼくの会社はほそほぞとも何とかやってる会社で、この前の緊急事態宣言で解除が宣言されたある田舎県に住んでる
それでうちもそれまでは一応リモートワークしてたんだけど、明日からは一応出社しろといわれた
でも実は会社にちょっとした忘れ物があって、それで明日出社したとき同僚から「お前、あれ置きっぱなしにしてたのかよ」って揶揄されるのもいやだったんで、昨日それだけとりにいったんだ
土曜だから誰も居ないだろうと踏んでたんだけど、そこにまさかのぼくの直属の女上司がいたんだ
その女上司はたしか30過ぎで顔は柴崎コウに少し似ていて、でもそれをちょっと幼くした感じ
まさか土曜にそれも会社でばったり出くわすなんて思いもしなかったんだけど、直接にあうのは久々だったから思わず笑っちゃって
そしたら向こうも笑ってくれてさ、なんだかこう久々に知人に会って嬉しくなったみたいな感じでいつもだったら絶対こんな雰囲気にならないな、ってぐらいに穏やかな雰囲気になってさ、それで「このあと暇?」って聞かれたから「暇です」って答えた。実際に暇だったし。
そしたら「じゃあ飲みに行かない?」って誘われて「今からですか?」って当然聞き返した。だって未だお昼ごろだったから
でも、その女上司は「知り合いのお店で昼からお酒出してるところあるから」とそんな風な事を言うわけだ
別に悪くないなと思ってぼくも承諾して、じゃあ二人で行こう!って話になったんだよ
そこは案外会社の近くにある居酒屋でさ、こんな時期だから緊急事態宣言が解かれたといってもやっぱり空いてた
ぼくとその女上司しか客は居なくてさ、それに本当に女上司と店の人は知り合いらしくて、昼なのにも関わらずお酒やつまみを出してくれたんだ
それからはもうなんだか今でも信じられないんだけど、とても打ち解けられてさ、今までは仕事上のみの関係で正直ギスギスしていた感もあった
でも今はこうして二人で一緒にご飯を食べて、女上司の身の上話とか聞いて、といってもおおよその話題はやっぱりコロナのことで、外に出られなくて仕事以外の時には何をしている?見たいな話でだいぶ盛り上がったりしたんだ
でも既に結構飲んでしまっててほろよい気分で店を出ると、車だから足もないし帰りはどうしようかな?
そう思ってると「うち近いから、よかったら来る?」ってその女上司が誘ってくれた
悪いなあと思って断ろうとすると女上司のほうも寄ってるみたいで「よし、じゃあ行こう!」っていってぼくを引っ張るから、それにつられてほいほいと歩いていった
意外と女上司のマンションも近くにあって、もしかして徒歩で出勤してる?自動車がないのはそういうわけ?なんて思いながらも女上司の家に上がらせてもらって、そのあとにはリビングのソファにちょこっと座らされて「ちょっと待ってて」なんて言うわけ
半分はもう夢心地でぼっーとしてたら「お待たせ」って声をかけられて、振り返ればいつの間にかスウェットに着替えてしかもちょっとサイズが小さい?なんて思えるほどには体のラインが強調させれ入るもんだからなんだか妙にドキドキしてしまって目のやり場に困った。
「それ脱ぎなよ」って言われてさ、そうかとぼくも上着を脱ぐとすぐに受け取ってハンガーにかけてくれてさ、そのあと女上司が作ってきてくれたチンジャオロースで二度目の晩酌、乾杯した
底ではもう何を話したのかよく覚えてないんだけど、楽しかったことだけは覚えてる
気づけば外はもう暗くなってて、ぼくの酔いもだいぶ回ってふらふらしてたからか「よかったら泊まってく?」なんて冗談半分みたいに女上司は笑っていうんだ
それは流石に…と思ってやんわりと断ると、じゃあ少し休んでからでも良いんじゃない?と言うからそれには同意した
だからテレビを見てるようで見てないような状態が続いて、水をたくさんもらって、あと暑くて結構汗をかいていたんだ
それをみて「シャワーだけでも浴びてく?」っていうからタオルもないし断ろうとしたらタオルぐらい貸すからっていうし、なにやら結構強くおしてくるから従うことにした実際結構汗はかいててシャワーは浴びたかった
お風呂は普通ぐらいの広さで、シャワーを浴びはじめて少しすると後ろで物音がして、でも気のせいだと思ってそのままシャワーを浴びてた
でも次にははっきりと、お風呂の戸が開く音が聞こえたんだ
びっくりして反射的に振り返ると、そこには生まれたばかりの姿をした女上司がいて、ぼくに
省略されました。全てを読むにはわっふるわっふると書き込んでください。
コロナ騒動がはじまってからというもの、ブクマカがそれぞれ何かに怒りまくっていて、見てるだけでもストレスが溜まるので、自粛要請が起きただけでなんでもない、特に怒らない、震え上がらない、泣き叫びもしない日常について書こうと思う。
★
週末の外出自粛要請が都知事から出たのを受け、昨夜からスーパーでパニック買いの行列とのこと。
毎週身体を動かしてるけど、多分ジムはダメなスポットなので家にいるしかない。
食べるものがなかったら切ないので、昼休みに職場の近くのコンビニに行く。
玉ねぎと鯖の水煮缶、ツナ缶、サラダチキンがあったので、一応買う。
PayPayの残高があったので、Yahooショッピングを物色したところ、米があったので買う。
さらについでに洋服のサブスクリプションサービスにレンタル枠があったので、極彩色のスウェットをレンタル。
仕事帰りにスーパーに寄ると米や乾麺、肉類、卵、硬い根菜がない。
空の棚はなかなか壮観。
でも牡蠣や生鮮野菜、練り物、厚揚げ、きのこ、ブルーベリー、大根、紫キャベツ、梅干しはある。
牡蠣はオイル漬けに、トマトやズッキーニはラタトゥイユに、菜の花はおひたし、練り物ときのことブルーベリーは冷凍に。大根は中華風の醤油漬けに、紫キャベツは甘酢漬けに。
引きこもるしかない週末でも作りおき料理で乗り切ると腹を決めてしまえば楽しい。
帰宅後、牡蠣はオイル漬けを仕込み、菜の花のおひたしとラタトゥイユを作る。
0時を回ってしまった。
★
小さな子供がいるクッキングパパの同僚と料理の話で雑談。だいたい失敗談など。料理は失敗して上手くなる。
週末はその料理をしつつ作り置きを消化していくことになりそうだけど、ネットでプチ断食が健康にいいと聞いたので、せっかくだから今日昼から明日昼まで断食してみることにする。
断食前の昼食のお弁当は25日に作ったタイカレーの最後のストックとサラダ。
赤い。辛い。うまい。KALDIはアジア料理好きの自分にとっては食卓のナイスサポーター。
自宅にも大型モニターはあるけど、椅子と机が貧弱。椅子なんか折りたたみのデッキチェアだもん。
せめてお尻が痛くならないクッションもあったほうがいいかも。
大根の醤油漬けを作るため、5cm×1cm×1cmの短冊切りをして、ざるに並べて首が真上に向く扇風機に乗せて夜通し乾燥させる。
紫キャベツを千切りして、ローリエをとタイムを入れた甘酢につける。
紫キャベツの甘酢漬けは別にめちゃくちゃ美味いというものではないけど、汁ごと目の覚めるような赤紫になるから好き。
その作業をしていると、最近仲良くなった人からLINEで新宿御苑の入園規制と週末の雪のニュースを聞きびっくり。
日曜は天も「外に出るな」と言っているかのよう。
★
起床。プチ断食をはじめてからもう20時間経っているけど、案外辛くない。
昨日の夜に乾燥させた大根を瓶につめて、上から醤油と紹興酒を花山椒の漬け液を流し込む。
食べごろは3日後から。一昨日仕込んだ牡蠣のオイル漬けは5日後からなので、来週の半ばからはこれらが食卓に登場する。
それにしても午前中に指定しておいた宅配が12時回っても来ない。
やってきたのは12:30。「宅配多いですか?」と聞くと「多いですね・・・」でしょうねぇ。
さっきまで別に辛くなかったのに、お米を炊き始めたり、乾燥味噌汁を用意しているとめちゃくちゃ唾液が出てくる。
菜の花のおひたしとサヤエンドウの胡麻和え、梅干し、海苔、食べるラー油とKALDIで買ったエビの辛い中華ソース的なものをトッピングする。
24時間ぶりなのでめちゃめちゃ美味い。そしてエビ中華ソースがめちゃめちゃ辛い。
Youtubeを見ていたが、断食のあとの食事のためか眠たくなってウトウト。
目が覚めてちょっと甘いものが食べたくなったのでスーパーに行くと、品薄は嘘のように解消。
でもなぜかスナック菓子の棚だけ空。ポテチやかっぱえびせんがない。消費者の振る舞いが謎。
最近み始めた鬼滅の刃を見ながら食べたけど、流血が多い。おかゆ食べながら見るもんじゃないな。
★
あまり高いのは無理だけど、どうやら¥9,000くらいでまあまあな椅子が買えそう。
クッションが¥2,000なんで、それなら椅子を買ったほうよさそう。
結局、情報だけ手に入れて手ぶらだが、ベローチェのサンドが結構好きなので、帰りにテイクアウトしに寄る。
いつもはお年寄りの集会場になっているベローチェも、雪と外出自粛要請で閑散。
「さすがにちょっと閑散としてますね」「・・・そうですねえ、雪もありますし(苦笑)」
帰り道、コーヒーを飲みながら、雪景色にそぐわない満開の桜をパシャリ。
サクッとした食感のベローチェのサンドをかじって、筋トレ。筋トレ後はプロテイン。ココア味でまあまあ美味しい。
しばらくして、だいたい在宅に移れる見通しが立った。これで安心。
晩ご飯は炙ったサラダチキンにラタトゥイユをぶっかけて、付け合わせは醤油漬けで余った大根を使ったツナと大根のシーザーソースサラダに紫キャベツの甘酢漬け。
ご飯を食べ終わったらLINEの人に桜の写真を送る。花見も雪と外出自粛で持ち越しだね。
ついでに撮った東京2020の横断幕も送信。こちらも残念、また来年。
お風呂に入って一息、しないといけないことはもう大体済んだな。
来週はどうなるのかな、まあいろいろ起きるかもしれないけど、なんとかしていこう。
川柳居酒屋なつみを初めて見たんだが、これ、ムロが出てるのな。
知らなかった。
サムネでは女将ばっか出てるから…。「誰だこの女」と思いつつスルーしていた(つーかマジで誰だ。フリーアナか?)
「おじさんになると(服が)NORTH FACEやOUTDOORばかりになる」と言っていて笑った。
分かる。
ヤングカジュアルが似合わないし、かと言ってフォーマル寄りとかドレッシーとかモードなのを着るとより老ける
(見てくれが良ければハイブランドが似合って、年相応の美しさも出せるだろうけどね)
だからインドアな癖にアウトドア系ファッションに逃げるんよなwww
よくないわ。
だからってババァになってからブリブリした格好に換える気にはならんしなあ。
年食ったらドンキ民のスウェットと同じで、ユニクロを制服にしておけば安心だ。
経済だしな。老後の為に金を貯めなくちゃならんから、服飾なんぞに金を使わない方がいい。
服装に気を使わないと、総てがどうでもよくなるよねー。
まあ、人によるだろうけどね。
何も無い奴は服装くらい気ィ使わないと、他に主張するもんが無いかんね。
そこ蔑ろにしたら完全に惰性で生きてる感じになるわな。
ずいぶん昔、大阪の西成でボランティアをしていた時に、めずらしく女性のホームレスがいた。
少ない女性だし、まだ60歳ということだったので、ホームレスとしても若い。
ただ、更けて60歳にはみえなかった(70歳ぐらいに見える、真実は不明)。
これはいけないということで、ボランティアの間でもなんとかしてあげないと
といったおせっかいな意見が多くでていたが、わたしはどないしたらええねんと割と冷ややかにみていた。
(性格による)
先輩ボランティアが、そや男の恰好させたらええんちゃうか、ということで、
男装をさせることにした。
しばらくすると、男装しているほうが、性欲を刺激されるみたいで、
確か家の洗濯機が変な壊れ方をして、それを直してたらトイレに行きたくなって用を足そうとする夢を見たので、おそらくはそのせい。もっと現実的な原因を言うなら、寝る前にトイレに行かなかったせいだろう。
今日は仕事遅番だから映画観て寝よう!って好物のレモンティーをお供にして映画観て寝た。そんで紅茶って利尿作用あるんだよね。寝るときはそこまで尿意無かったし眠いしもういいやってそのまま寝ちゃったけど、その結果がこれだよ。
違和感ですぐ起きたので、寝間着のスウェットに少し染み出たかな程度で済んだ。まずはトイレに行っておしっこ全部出して、汚れたところはウェットティッシュで拭きまくって汚した服は洗濯機にまとめてぶち込んだ。
寝る前にトイレに行かずに少し漏らしてしまったことは初めてではなかった。軽度の膀胱炎にもなったことがあるので、それで失禁したこともある。それ以来トイレには(特に寝る前は)行くようにはしていたが、今日は駄目だった膀胱が耐えられなかった。
今年はもう漏らしませんように。
おはようございます。リングフィットアドベンチャー2ヶ月のデブです。略してRFAデブです。
昨日の日記への反響がすごくてブクマが増えるのを見てはニヤニヤしていました。ありがとうございます。
なんだか後に引けなくなったので、これからも毎日頑張って動いて食べます。
毎日とは行きませんが、RFAの記録とデブの半生でも書いていこうと思います。
今回は使用している道具について後半に載せておきました。
昨日は準備から片付けまで35分、ゲーム内記録で15分と少し。
消費カロリーは80と少し。大体雪見だいふく一つ分である。もちろん二つとも食べた。
この消費カロリーは設定された体重に比例して増えるので、デブであればあるほど数字が大きくなるのでなんだか得した気持ちになる。
得した分はもちろん食べた。デブなので。
RFAデブは何故こんなウェイトをキープできるのか。未だ謎である。
増えた理由は単純に菓子類の食べ過ぎなので、キープできているのも菓子類の食べ過ぎだとなんとなく頭では理解しても気持ちが必死で否定している。
軽く昨日を振り返ると、前述の雪見だいふくの他にオールレーズン小袋ふたつ、森永チョコチップクッキー小袋ひとつ、ストロベリーコーラ500mLと書き出したら心が痛んできたのでやめる。
レコーディングダイエットなんて生粋のデブにできるはずもなかった。
コメントでも多数指摘されていたように、このタイプのデブは間食やめたらおそらくすごく痩せるのだと思う。
しかし食べるのをやめるイコール死なのでやはり動く方に持っていきたい。基礎代謝爆上げでどうにか対応できないものだろうか。
ちなみに糖尿も血糖値も問題ない。ただ肥満なだけの至って健康なデブである。逆に何故。
リングフィットアドベンチャーをプレイするにあたって、Switch本体とソフトの他にいくつか準備しておくといいもの、よかったと思うものを記しておく。
まずはヨガマット。
走る動作があるため、これがあるとないとでは足裏への負荷が段違いである。
アドベンチャーモードではコース内を走って移動する。プレイヤーの動作に応じてキャラクターの走る速度も変化する。
この走る動作と一部エクササイズが足裏にかなり負担をかけるのと、座った状態でのエクササイズやヨガがかなりの数登場するので、床でやるのはシンプルに辛い。
ヨガマットは8〜10mm厚をオススメしたい。激しい動作もあるためできれば滑り止めもあるとよい。
丸めてケースに突っ込むタイプだと準備片付けが面倒くさくなくて良い。準備が面倒だと途端に継続できなくなるので大事なポイントだ。継続できることが何より大切。
ちなみに本ゲームではサイレントモードと称した修行僧モードが実装されているため、集合住宅や2階住まいなど足音の気になる方はこちらを選択。
サイレントモードはすべての移動が屈伸になる。要はスクワットだ。
ジョギングは軽い屈伸、ダッシュはそこそこの屈伸、階段などの腿上げ動作はがっつりスクワット。昭和の野球部でもみないくらいのスパルタである。
基本的にサイレントモードの方が負荷が大きいのではないだろうか。修行僧の皆様、ぜひ頑張ってみてください。
デブ女性は特にそうだが、走る動作で胸部が動くと痛みと息切れでまともに走れなくなる。
乳揺れ防止バンド、バストサポートなどで検索するとすぐ見つかると思う。
これは確実に要る。というかこの存在を知っていたらもう少し運動が好きになっていただろう。そのくらい効果がある。
デブの胸は本人にとっては柔らかい重石なのである。ひたすら邪魔なのだ。それを邪魔でなくしてくれるありがたい存在である。
余談というか単純に疑問、男性は走る時局部が痛まないのだろうか?ブリーフタイプでもない限り下着で押さえつけてはいないと思うのだが、スウェットやジャージの時なんかはそれなりに自由な状態なのではなかろうか。
大昔のオリンピックでは紐で縛っていたとも聞くし、男女共にもう少し邪魔にならないよう設計してほしいものである。
他に用意するべきものとしては、テレビやモニタ、それも最低でも20インチ以上がいいと思う。
Switchの強みとして画面が独立しているというのはあるが、1〜2メートル離れて走りながらのプレイとなると、小さすぎる。
アドベンチャーモードの道中にはアイテムが出るので見逃しがちだし、ミニゲームの得点コインも視認しづらい。
普段観ているテレビに繋ぐのがベストだが、間取りによってはヨガマットが置けなかったり周りに物があったりと運動に適さない場合もあると思う。
そういう人は中古の安いモニタをひとつ買うのも手だ。最近のものなら大体はHDMI端子がついているので大丈夫だと思う。いらなくなったらまた売っぱらえばいい。
あとは昔FitBoxingのために買ったプロテインがあるので、まずは朝食を置き換えてみようと思う。
丼いっぱいのシリアルや食パン半斤のトーストにバター塗って食べるよりはいいだろう。デブとしては腹持ちが不安ではある。
念のためというか配偶者名誉のために書いておくが、実は彼はデブ専ではないのだ。入籍してから30キロ太ったので詐欺に近い。
どころか痩せ型が好みだそうなので、それも含めて頑張りたいと思う。
ちなみに今回のエントリは何も食べず、どころかなんとヨガマットの上でながらエクササイズしながら書いている。さあこれがいつまで続くのか。
ツイッターで話題になってたので買った。スウェットの内側がボア素材になっている。レディースはボアが薄いそうなのでメンズを買った。昨年の冬はヒートテックレギンスとスウェットパンツの重ね着で乗り切ったが、風呂場で着替えるのが大変だった。ヒートテックレギンスは新品のうちは締め付けがきつく、締め付けが緩くなってくるころには蓄熱効果が薄くなってしまう性質があるので、越冬にはボアスウェットパンツが一番効果的だと思った。
洗顔のときに洗顔フォームに混ぜて使う粉。美意識の強い人は週に数度、頻度を決めて使うらしいがそんな几帳面なことはできないので不定期で使っている。休日に14時までベッドでゴロゴロしていて、ようやく起き出してきて顔を洗うものの時間が経ったせいで肌がざらついてスッキリしないというときに使う。つるつるになる。
・無印のタッパー
犬のごほうびクッキーを入れるために使っている。犬に目薬をさしたときにご褒美のクッキーをやる。一日に3回なので3回クッキーをやる。買ったときのジッパー付き袋をそのまま使っていたが、タッパーを使い始めてから楽になった。一日に3回以上開けるジッパー付き袋はタッパーに置き換えたほうが絶対楽になる。
・BOSE QC30 ノイズキャンセリングイヤホン
2本目が壊れたので3本目を買った。生活の必需品になっている。「うるさくて気分が悪くなる」という現象が分かる人と分からない人の二種類の人間が世の中にはいて、前者に当てはまる人間は3万5000円払ってこれを買う価値があると思う。首に引っ掛けておける人権。
・Balance(iPhoneアプリ)
痩せた。要するにレコーディングダイエットをするためのアプリ。闇雲に飯を減らすと栄養不足で精神が荒廃して爆食いする運命なので、栄養素を測りながら飯を減らす。これで爆食いしない。稀に爆食いしても、前後の食事でバランスを取れる。罪悪感という観念がなくなる。食べすぎ?じゃあ次の食事を抑えればいいじゃない、という発想になる。
・殻付きのカニ
言わせてもらうけど、殻を外したカニはカニではない。殻を外したカニは美味しくないし、殻を外したまま冷凍されてしまうと、あれはもうカニカマです。殻付きのカニを買おう。そして殻付きのまま茹でて、自らの手で殻を破ろう。美味しいものは手軽ではない。
とりあえず思いついたものだけ、思い出したら書き足す
・ボアスウェットパンツの毛玉→乾燥機とか使うとダメなのかもね。
うちはネットに入れて洗って室内干し。乾きづらいので裏返して扇風機を当てている。この冬買ったばかりでまだ数回しか洗ってないけど毛玉の問題は無い。セールで2000円になってたので、私にとっては1年使い切りでもギリ納得できるレベル。
医者の言うことは真に受けよう。やっぱりスチーマーとかで蒸して角質をほぐすのがいいのかなあ。14時まで寝たときのゴワゴワは気持ち悪いので別の方法で解決したい。
・殻付きのカニ
今からでも間に合う通販サイトはあると思う。周囲の人に聞いてみると意外といい情報得られる。殻付きのカニを食べるとキダタローが「とれとれピチピチ蟹料理」と言った気持ちがわかる。殻付きのカニはな、ピチピチしているんだよ…
元増田はベッドに入ってからの工夫はかなりアレコレしてるみたいだね。なのでベッドに入る前に出来るアレコレを紹介するよ。
元増田が仕事から帰ってからベッドに入るまでどれくらいの時間があるか分からないんだけど、ベッドに入る一時間前までに肉体を疲労させるのは結構オススメだよ。例えば、家に帰ってきたらベッドに入る一時間前まで、あるいは風呂に入る一時間前までに、腕立て伏せ十回をちょいちょいやるのは結構良いよ。例えばトイレに行く前と後に1セットずつやるとか、ご飯を食べる前後で1セットずつとか。腕立て十回だとパッとできちゃうしそんなに疲れないんだけど、ちょいちょいやると結構疲れてくる。
あとは風呂。風呂は慌ただしくしない限りベッドに入る直前でも良いよ。そのかわり、最初に髪と身体を綺麗にしてからぬるめのお湯に十五分から
二十分くらいのんびり浸かるようにしよう。安いタイマーとか風呂に置くと良いよ。それで風呂から上がったらサッと身体を拭いて髪を乾かして寝巻きを着る。
あとは寝る前に熱いものや冷たいものを飲まないようにするのも効果があるよ。水を飲むなら人肌くらいにすると良いよ。
あとね、寝るときの服装はパジャマがいいよ。Tシャツとかスウェットとかじゃなくて、パジャマとして売られてるやつ。ユニクロのとかでも、パジャマとして売られてるものは着心地が段違いに良い。それくらいかなー。
ベッドに入ってからの工夫で元増田が試してなさそうなのは、アイマスクかな。アイマスクを装着して横になると結構入眠しやすいよ。
私は自分で言うのも何だけど承認欲求が人一倍強い 一倍どころか兆倍強い
どの位強いかっつうと承認欲求が凄まじい夜は認められたい愛されたい誰かに私を褒めてほしい想いで不眠になるレベル
昨日もそんな感じで、アーアーウーウー唸りながら眠れなくてしんどくて泣いて、こんなに認めてもらえないならいっそ死んだほうがいいんじゃないかってことまで考えた
どうしてこんなに私は認められないんだろう?ということを考えたとき、認められてる人って逆にどんな人なんだろう?って疑問が頭をよぎった
気になったのでそのまま考えてみることにした
認められてる人は、私から見ると常に誰かに誉められてて話しかけてもらえて自分からアクション起こさなくても周りがなんとかしてくれて全ての物事が全部思い通りに進んでいる、そんな気がする
でも冷静になって考えてみろ
そんな人間、いるのか…?
世界に目を向けてみても、そんな人間大統領ですらいないじゃない 何かしら上手く行かなくてむしゃくしゃしてるじゃん
私が手に入らなくて呻いて喚いているものって、実は誰がどう足掻いたって手に入らないものなんじゃない…?
私は考えた 私って、じゃあ何がそんなに欲しいんだろう
ほめ言葉?賞賛?名誉?でもそんなの思い返せばいくつだってもらってる もらった瞬間は嬉しくても、自分も周りもいつまでもそのことだけで大騒ぎしてくれない 私、たぶん究極的にどうでもいいんだわ、人から誉められたり称えられること だって今まで心を尽くして褒めてもらえた何もかも一つでも心に残ってたら、こんな夜中に泣いて暴れたりしないもの いつまでも大事な宝物にして取り出して眺めて満足できるはずだもの
つまり、私はたぶん、人に認めて褒められることをゴールにしてはいけない人間なんだ
絶えず持ち上げられるのが究極の快楽かもしれないが、教祖にでもならない限りそんなのは無理だ もっと普通の生活で叶えられる程度のやつがいい
この際人はどうでもいいんだわ 自分は何がしたい?
そう考えたら、自然と、何も考えずに安心して寝たいな…って思った
発展性も生産性もなんもねえ
まず本能が求めることすら欲深さが阻害してたのにびびった 引いた
でも人間そんなもんかぁ
別に飯食ってクソして寝るだけでもいいんだよなぁ
死んだって死ななくたってどっちでもいいし、生きてたっていいんだよなぁ
ここで私はマズローの五大欲求というものをネットで調べて初めて知ったんだけど、一番底辺の欲求がまず満たされてない状態で一番上の承認欲求を満たそうとしてることにゾッとした
そんなわけでよく寝た翌朝、ちゃんと朝食を食べてみた
偉くはないけどちゃんとできた これすら普段はちゃんとできない人間なんだ私は
こんな文章打ってたら、今日ゴミの日なのにごみを出すのを忘れてたことを思い出した
こんな文章を書いてる暇があったらそれをしなきゃいけないな 次のゴミの日頑張ろう とりあえずゴミは外に放っといた
たぶん、たぶんなんだけど私がやらなくてはいけないのは人に認められることを望むより何より、当たり前のことを当たり前にできるようになること
そのために、ちゃんと寝たり起きたりができるようになること
あ ゴミ収集車戻ってきた
昔勤めていた会社での話だ。
「ちょっと、作ってもらいたいの、あるんだけど。」
いや、絶対間に合わんだろ。
それの旨を伝えたが、ダメだった……。
仕方なく私は更に連泊することに……。
一応数日おきに自宅に戻ってはいた。
しかし洗濯とシャワーをし、次連泊に備えて着替えを持って会社戻るだけだった。
いつから家で寝てないのだろうか?
最早わからない。
その時、私は会社の床で寝ていた。
元々泊まり込むことが多く、以前より寝袋と枕とキャンプ用のマットを会社に置いていた。
床冷えを防ぐため、しっかりとキャンプ用マットも敷いていた。
夜中の5時くらいだろうか?
作業にひと段落がつき、「よし数時間仮眠とろう」と寝袋に潜り込んだのは?
それから私は寝落ちて、次に気がついたのはおねしよ真っ最中の時だった。
『ジョボ…ジョボボボ…』
え?ちょっなに?
え?え?えーーーーー!?
『ジョボボ…ボ…』
まさか30過ぎて、おねしょをするなんて、しかも会社でおねしょするなんて、思いもしない。する筈がない。
現状の理解を脳が拒む。
うわ、待てよ、待ってくれよ…!
数秒、おそらく5秒弱ほど経って、おねしょが止まった。
数十ccはでだろうか?
気が動転していて良く覚えてはいないが。
確実にちょっとした島を描く量は出ていた。
パンツと寝袋に確実な湿り気を感じた。
私は時計を見た。
まだ朝の7時前くらいだ。
今から家に戻ってすぐ会社に出れば、2、3時間で戻ってこれる。定時に間に合う。
帰りはノーパンでもいいや。
寝袋も洗わねば……。
うわ、若干キャンプ用マットも湿ってる……。
よし、片付けはこの辺でいいだろう。
うん、大丈夫…かな?
そして私は、汚れたパンツと寝袋をジプロックに詰めて、さらには「それら」をバッグ詰めた。
超コンパクトに畳める寝袋を買った自分を褒めたい。そう思いながら、私はノーパンで駅は向かった。
出勤してくるサラリーマンをよそ目に駅へ向かう。
気にするな。
堂々としてれば良いのだ。
駅につき、電車に乗りこむ。
イスに座っても隣は空席だ。
この時ユ○クロのEZYデニムを履いていた。
もし、これが満員電車なら、スウェット地越しに誰かにMy sonを押し付けるハメになっていただろう。
危うく事件になるところだった。
しかし、バッグ詰めたおねしょで汚染されたパンツと寝袋が気になる。
気にしても仕方ない。
堂々としていろ。
私は自分に言い聞かせて、イヤホンから大音量で音楽を鳴らした。
丁度THE BLUE HEARTSのTRAIN-TRAINが流れたいた。
「ブルースは加速していく」のフレーズに合わせて、私の何かが加速していくのを感じた。
なんとか自宅についた。
そして大急ぎでシャワーを浴びた。
シャワーを浴びて、こんなにも清々しい気持ちになれたのは初めてだった気がする。
私は念入りに洗った。
なにせ、ジプロックに詰めた汚物から、柑橘類の香りの奥から微かにアンモニア臭が香ったからだ。
シャワーを浴び終えた私は、同時に回していた洗濯機から柔軟剤の優しい香りがするパンツと寝袋を回収し、物干しラックに掛けた。
まだ心が騒ついている。
落ち着きを取り戻した私は出社をすることにした。
眠い……。
一気に眠気が襲ってきた。
電車に乗り込み、席に座ることができたが、今度はここでおねしょをするんじゃないかと恐怖が過ぎる。
大丈夫、息子は無事だ。
安堵し、会社最寄りまで戻った。
良かった、いつも通りだ。
すると上司が「あれ?早くないですか?いつもなら昼過ぎに出社か泊まりなのに。」と言ってきた。
なので普段、私は昼過ぎ出社することが多く、定時の10時にいるときは大体泊まり明けだったのだ。
「いやー、たまたま朝帰宅して今来ただけですよ」と震えた声で私は話を濁した。
上司は「そうなんですね。」とあまり興味がなさそうな感じで返事をした。
一瞬、普段私に必要最低限にか話しかけてこない上司が話しかけてきたことに緊張したが、どうやらただの世間話だったようだ。
私はこの日、個人的につけている業務日誌に「おねしょをした」と書いた、記憶がある。
今でもiPhoneのメモ帳に残っているはずだが、今となっては見つからない。
もしかしたら、おねしょしたことも私の思い違いなのかもしれない。
そう思いたい自分がいるのだろう。
しかし、このおねしょの他にこの時期2回ほど自宅で漏らしているのを記憶している。
働き過ぎると泌尿器に確実にダメージが行く。
それを実感した。
思うに、あの会社を辞めて、本当に良かった。
まぁおねしょの話なんですけどね。
Day,2
2日目
多民族国家へようこそ
日本代表のプール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。
今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。
不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまり追いかけないことにした。
現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港、手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理はカードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。
これは南国の気質なのか、旅人を価値あるものとする、イスラムの教えなのか。
クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バスの切符を買う。
バスのチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースをバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔の対応を受けた。
しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。
日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。
見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港の手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。
そうか、その手があったか。
でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。
長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。
きっとタミル系だ。
カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系の男性とビジネストークをしている。
全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。
セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替所開店にはまだ早く、カフェで時間つぶし。
初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。
トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックのピーナツクリームを連想させた。
開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日の宿泊先マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。
ここで、東南アジア版UberといえるGRABを使って見ることにした。
アプリにアカウントと支払い情報を入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。
日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーはアプリに評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全な運転だった。
乗り込む前に腹ごしらえすることにした。
このラクサは中華系マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理は地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。
ココナツのマイルドさとゴロゴロとはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。
幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間、古都マラッカに到着した。
思った以上に海が近いらしい。
さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルツリーバイヒルトン・マラッカへ。
ホテルが世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。
広々としたリビングにキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。
ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。
マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。
チェックインも済んだので、マラッカの旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。
目当ての店もどれも閉店だ。
気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。
晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。
辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識の定義が全然違うなぁ」と思った。
ポストしたレビューは応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣な評価もついた。
寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教。
うまくいかない日な気がしてきた。
まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。
確かに、そろそろ夏用スーツ古くなってきたな、とは思っていた。
でも流石に穴が開いたボクサーパンツは貧乏すぎだ、と思うだろう。
だから、こないだの休日に洗濯物干してる途中で、洗ったばっかりのパンツをゴミ箱に突っ込んだんだよね。
あーしまったそうか。パンツ7枚のサイクル崩れてるんだった。うーん、洗濯籠でバスタオルの下でほんのり湿ってるパンツか、ノーパンかの2択か……。ま、ならノーパンでいいか。今の今まで寝てる最中はスウェットの下がノーパンだったんだしな。途中でどこか寄れたらパンツ買おう。
というわけで俺は今日はノーパンにスーツ着てるサラリーマンだった。
まあ言わなきゃばれない。ばれなきゃ問題ない。
股を開いて、胴体を膝の間に突っ込む形で手を伸ばしてさ。
そしたらこう……ビリッとね。
おいまじか。俺いま生ケツなんだぞ。
小学生のころにズボン裂けたことあったけど、そのときすらブリーフは履いてたわ。
……大丈夫だ。まだ大丈夫。言わなきゃバレない。バレなきゃ問題ない。
いや、言わなくても見られたらバレるが、立たなければ見られない。
何食わぬ顔で、引き出しから黒いダブルクリップを大量にポケットにインして、全員の視界を確認するんだ。トイレ前通路の主任がコピーを取りに立った。今しかない。今しかない。後ろを向け後輩。今だ!
というわけで俺は何事もなくトイレにたどり着き、ダブルクリップでズボンの裂け目をどうにか繋ぎ止めたのだった。
いや、何事もなかったと信じているだけだが、確認さえしなければ何ごともない状態は今も存在しているのだ。シュレディンガーの生ケツだ。今はシュレディンガーにダブルクリップを感じながら書類仕事のふりをしているのだった。いや、できるかよ。この状況で資料作成が。
「君、やめなさい。人は見かけによるんだよ」
高校生だったので、彼の私服が初めて見れるとワクワクしていた。
一時間ほどして現れた彼。
同じ色のズボン。おまけに髪の毛がボサボサの粋を超えて
まあ、何はともあれ初デートなので
服装以外の部分も見てみようと思って歩き出すと、
しばらくして「あの、道を教えていただけませんか」と中国人ぽい
彼氏が「ちょっとジュース買ってくるね、何がいい?」と言うので
コーラ代の100円を渡した。
「君、やめなさい。
人は見かけによるんだよ」
その時は何いってんだこの人?初対面なのに失礼だなあと思ったんだが、
それから三ヶ月くらいした時に、
停学になった時に「あー、こういうことか…」と
愛らしきものが冷めていくのを感じた。