はてなキーワード: スウェットとは
いちばん幸せな時間は土日とか平日の夜彼氏と家でゴロゴロ過ごすこと。動画見たらゲームしたり2人ともスウェットで、コンビニのアイスとかたべて過ごす。ありふれてるやつ。
でも、この幸せなかったかもしれなかった出来事にいまきづいた。
わたしも彼氏も誰でも就けるような仕事にしか就いてないけど、2人そろって土日休みだから、いまこの時間がある。
大学3年生ぐらいまで彼氏は警察官志望だった。警察官は土日にシフトがあったりなんか休日も呼ばれたりするらしい。たぶん今と同じ生活、2人揃ってだらだら過ごせる時間はへりそう。てか今よりは確実に減る。
その頃も付き合ってたし、その夢聞いてたんだけど当時は全然反対しなかった。今の自分だったら一緒にいる時間減るしやめなよ〜〜〜って絶対言うけど。
大学生のわたしは警官ってたまに刺されたりするし危ないょ><なんて感じだった
すげーアホだった
すごい暇な大学生だったから考える時間たくさんあるはずだったし、大学卒業後も一緒にいる気だったのに全然真剣に考えられていなかったんだなぁって
当時の自分めっちゃアホってよりは、未来を予知して動いたりとか、理想の未来を描いて計画立てたりとか、そういうのがほんとにできないんだなあ自分って気がついた
いますっごい日常が幸せで生きてるんだけど、これはまじに偶然の産物で、ちょっと条件違ってたら、この幸せ土日はなかったんだっていうのがこう……なんかすごい。幸せすぎてヒヤッとする
神様ありがと〜〜〜!
外見が所謂合法ロリ。身長が低くて華奢で(食べても太れない)目の大きな童顔。20代になった今、普段は化粧や格好のお陰で未成年だと思われることは少ないが、小学生の頃からいい大人にナンパされ続けて今に至る。
ナンパというと流暢に喋るチャラ男を連想しがちだが、私の場合勝手が違う。何故かおどおど話すモサっとした男が多い。「俺幼い子が好きなんだけど…」と、わざわざ申告してくるやつもいる。制服姿の私にどもりながら「結婚してください」と言ってきたスウェット姿の男は相当気持ち悪かったし、そいつのせいで通学路を変えた。痴漢にあったことも死ぬほどあるし、1回示談になった男は引きこもりの中年で、親の金での示談だった。
外見的にはそうじゃない、コミュニティ内の男と付き合ってみたりもするが、向こうから告白してきて付き合うと「こいつロリコンなんじゃないかな」という不安が付きまとう。だから自分のことを好きそうな男はさけ、自分のことを一見好きじゃなさそうな男に自分からアピールしていく癖がついた。
年明けに仕事を辞めることになった。
長く営業をやっていたのでアウターもトップスも殆どがスーツと合わせても大丈夫なものばかり。
せっかくだからとファッション誌をみたりインスタグラマーの服をみて、イメージ固めて服屋や通販サイトを覗いた。虚無の顔で終了した。なぜ。
末広がりのペロペロ素材のズボンも床にスレスレのスカートやワンピースも、可愛さはわかってもまったく似合わない。
オーバーサイズのスウェット、パジャマですか?と聞かれそう。スキニーデニムは私が履いた瞬間、スキニーという言葉を捨てている。テーパードパンツ、お前はスーツだろ?なんとかっていうちょっとボロっぽい感じの可愛いニット、ようこそ肩ガンダムへと微笑んでる。
この服かわいい!とか、素敵!と思って着てみても、買ってみても、スタイルとツラのいい女の子が全力でオシャレして着てるから可愛くて素敵で似合ってるだけで、スタイルもツラも残念な奴が着たところでそりゃしっくりくる訳がねぇ。
さらには今流行りの骨格診断。デメリットの部分、全てが当てはまる。なんでだよ。
ストレートにナチュラルな波打った体型してるの、なんでだよ。顔もだよ。面長なジグソーをあなたは見た事あるか?前世何したんだよ。
結局悩むだけ悩んで時間無駄にして機能性重視したよく伸びるデニムとセーターで誤魔化している。みんなどうやって服選んでんの?
ていうかそもそも28歳という年齢も問題な気がする。化粧も髪型も服も何していいかわからねえ。
若いだけで許されてた頃に戻りたい。いや許されてない。森ガールを目指したハタチ頃、なぜか出来上がったのはゆるふわ系ファッションのコロコロチキチキペッパーズの西野さんだった。ツラが問題だ。
みなさん、ツラってどう整えてます?
15時過ぎにサイゼリヤにやってきた
大学の課題が煮詰まったので息抜きと遅い昼飯をかねて。ミラノドリアにドリンクバーの長居コースだ
少しして隣にお姉さんが座った
割と住宅街にあるからか、結構そういうだらしない格好の人は見かけるんだけど、この人が特に気になったのはとにかくめちゃくちゃ食べる人だったからだ
リブステーキに大ライス、トッピングに野菜ソースを追加して、ズッパとかいうスープに小エビのサラダ、そしてピザまで追加で頼んでいた
多分2000円、もしや3000円近く食べてるんじゃないか?
サイゼで3000円、大豪遊だと思う。
お姉さんはステーキをバクバク食べて、ご飯ももりもり食べて、ピザも躊躇わずにむしゃむしゃ食べていた
食べるスピードは決して早くはないけど、ペースは落ちなかった
途中仕事の電話なのか、別のスマホでヒソヒソ声で喋ってたけど声が綺麗なのが印象的だった
40分くらいで全部片付けたお姉さんは颯爽と帰っていった
週末なのに早朝から隣の部屋で人の出入りが激しいな、と思いながら寝床の中で物音を聞いていた。もうすぐ8時になるので、燃えるゴミを出さなくてはいけない。外の寒さを考えると出たくないが、今日を逃すと、次の回収日である水曜日まで生ゴミと同居するはめになる。
思い切って服を着て、ゴミ袋を持って外に出ると、隣の部屋のドアが大きく開け放たれており、作業服姿の男性3、4人がさかんに出入りしている。彼らは部屋から出てくるたびに大きく膨らんだゴミ袋を両手に持って、トラックの荷台に勢い良く放り上げる。荷台はもう半分以上ゴミ袋で埋まっている。トラックはもう1台待機している。
ゴミ置き場へ行く途中で隣の部屋を通り過ぎながら中を覗くと、うず高くさまざまなゴミが積もっており、床が見えない。これはだいぶかかりそうだな、という考えが浮かんだが、なにに時間がかかるのか、自分でもよくわかっていなかった。
ゴミを捨てて自室に戻ろうとすると、グレーのスウェットパンツをはいて青い褞袍(どてら)を着た男性が立っている。額の禿げ上がり方に見覚えがある。このアパートで隣の部屋のさらに隣りに住んでいる人だ。いちど挨拶したことがある。
褞袍の人は私の姿を認めると目礼してくるのでこちらも返す。いきおい、立ち止まって2人で作業中の部屋を眺めることになる。
「そういえば、見たことなかったですよ、隣の人」
「おれも見たことなかったけど、たまーに、部屋にいると隣から物音が聞こえてきたことはあったね。それも、いつ聞いたんだったか、思い出せないけど」
「まったく気づかなかったです。その、ええ」
いつどうやって発見されたのか、憶測をひとしきり話してから褞袍の人が部屋に引っ込んだので、私も自室に戻ることにした。途中でまた隣の部屋を覗くと、玄関に続く床が見え始めていた。なにか白いものがフローリングにこびりついて筋になっている。部屋の奥はまだゴミの壁だ。
自室のドアの下に紙切れが落ちている。さっきは落ちていなかった。運搬中のゴミ袋から落ちてこちらへ飛んできたものらしい。
拾い上げるとそれは破れたレポート用紙かなにかで、罫線を無視して一面に黒のボールペンで「バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット」と文字が書いてある。ひとつ大きく「バケット」と書いたところを「X」印で乱暴に消してある。
今日は休みなので、ゆっくりとコーヒーを淹れて、昨日のうちにベーカリーで買っておいたベーコン入りのパンを食べようと思う。が、まったく食欲がないことに気づく。
動揺しているのか、私は。隣で人が死んでいたことに。
そんなに繊細だったのか、私は。そもそも、隣の人がいつ亡くなったか知らないのに、隣室にずっと死体があったかもしれないのに、私は昨日までストロングゼロ500ml缶を飲みながらイカフライを齧り、「網走番外地」をアマプラで観ていたではないか。
死はいつもそこにあることに気づいたぐらいで、なんだというのか。私だって明日には引きこもり、明後日には孤独死しているかもしれないのに。
勤め先のホテルは目に見えて客が減っていた。去年まではさまざまな言葉を話すアジア系の団体客でロビーはいつも賑わっていた。不倫らしいデイユースの中高年カップルも高回転率で出入りしていた。春先にそれらはすべていなくなった。業績が厳しいと経営陣からの便りは来るが、数字は来ない。ほんの少しあったボーナスはなくなった。転職できる人はして辞めていった。
自分もいつか、ここではない、どこかへ行くんだと思いながら、それはどこか、いつかわからない。だから酒に逃げた。
せっかくの週末休みなのに、なぜこんなことを思い出さなくてはならないのか。隣で勝手に死んでいた人間のせいで、なぜ胃の奥に硬いものが居座って吐き気がしているのか。すべてが理不尽な気がしたが、それが誰のせいなのかわからなかったから、部屋を飛び出した。
冬の日差しに川は光っていた。コンクリートで固められた河床に水はほとんどなくて、黄土色の藻が底に揺れていた。通りを走る車の音を聞きながら川面を眺めているうちに少しずつ落ち着いてくる気がした。今日は目が覚めてから何も口にしていないことに気づいた。
川沿いに歩くと、古い木造家屋の蕎麦屋があった。色あせた藍色ののれんをくぐると、そばつゆの匂いがした。熱いたぬきそばでも食べようかと思っていたが、壁に貼ってある品書きに「じゃんぎ丼」があったので頼んだ。
他に客はおらず、丼はすぐに出てきた。湯気を立てる白い飯の上に、タレのかかった唐揚げが載っていた。飯を掻き込むと、思わず涙が出た。それは亡き人の境遇を思って出た涙なのか、自分への哀れみなのか、悔し涙なのか、生きていることそのものに流す涙なのか、わからなかった。
スウェット上下にサンダル履き、茶髪ロンゲの見るからにDQNな男と、
ひょろひょろのか弱そうなお爺さん。
男が「帰れよジジイ!」とか叫びながら爺さんをどつく。爺さんは泣いてる様子。
やがて男は去っていき、爺さんは涙を拭いながら買い物するためスーパーへ入っていった。
直後にうちの会社の人が用事で出ていき、店の前で顔見知りの店員に話を聞いてきた。
実はそのお爺さん、目が不自由らしいのだが、それを盾にあちこちの店で我儘言ったり
無理難題ふっかけたり客や店員に絡む、迷惑ジジイとして有名なのだとか。
今日もスーパーで女性.にしつこく絡み、見かねたスウェット男が止めに入り、
爺さんを店外に引きずり出して怒っていたそうだ。
手を出すのはやりすぎだけど、店的には男GJ。
人を見た目で判断しちゃいけないんですね。
天気が悪くて寒い日だった。
並んでいるのは男性ばかり、彼らはみな今日引退する、あるストリップ嬢の写真を撮るために長蛇の列を作っているのだ。
私もその1人だった。
彼女は変わった踊り子で、一度見たら忘れられないインパクトを残す。
それをいいと言う人もいれば悪いと言う人もいた。
列に並びながら、考えていることが一つあった。
簡単に言うと、ストリップ劇場は踊り子1人につき1日4回出番がある。
4回と書いたが、今日はこの長蛇の列の為に3回回しになるだろう。
写真を撮り終わった顔見知りの客が通りかかった。
「まだここなんだ」と笑われた。
彼に「次何出すか知ってる?」と聞くと、彼はそうそう!と指をさし、
「湾岸830らしいよ」といった。
耳を疑った。
"830番"の1日を描いた切ない演目だった。
湾岸警察署に勾留され、出所のちすぐこの作品を作るも、踊ったのはほんの数回らしい。
なぜ最終日、満員の観客の前で……
そうこうしている内に撮影は終わり、開幕ブザーがなった。彼女の出番だ。アナウンスが入り、灯りが照らされる。
けたたましい「6:00、起床!!」の音が響き、布団からマル湾とかかれたグレーのスウェットを着た彼女が現れた。
本当に"湾岸830"だ。
風呂も入れずあっという間に夜。
布団を被ると、束の間の夢を見た。
ステージを見ながら思い出す。
ほんとに夢みたいだ。
そんな思いでこの最後の日に"陰陽師"と"湾岸830"を選んだのだろうか?
湾岸830のラストは「6:00、起床!」という音ともに暗転する。
私は得意の客じゃない。
というわけで、ある1人のいい年した腐女子といぼ痔の戦いの記録です。
BLの性的な表現やシモい話、R18的な話にさらっと言及していますので、苦手な方はそっとこのページを閉じてください。
1:原因
というわけで、私は痔になってしまった。
いぼ痔である。
元々すぐに切れちゃうタイプだったが、ボラギノールのCMを見るたびに、
…とはいいつつ、痔になってしまった原因はいまだにわからない。
▼うんこ編
・生まれつき3ミリほどの肛門?の脱肛癖があり、大人になってから5回に1回くらい出るので戻していた
(この部分が今回、立派ないぼへと変貌した)
▼ストレス編
・当時、就活のために週2くらいバスで片道2時間のところへ通っていた
・祖母が危篤になり、ブッ生き返したところまだらボケHARDとなる
多すぎでは??
多分いろいろ重なった結果だと思う。
腫れて飛び出た、大人ダンゴムシサイズのいぼ痔はとっても痛かった。
2:通院
ウルトラ幸運にも地元には腕のいい肛門科があるので、迷わずそこに駆け込むことになる。
ここでダイマしておくと、愛媛県のいくつかの地域には、なぜか人口やら面積にやらに対して病院がめちゃくちゃあるという頭のおかしい(褒)ところがあります。
田舎に引っ越したい人で病院を重視する人はぜひ愛媛県を検討してみてください。
話を元に戻す。
診察室に入った私を待ち受けていたのは、やはり肛門の触診だった。
私もいろいろ躊躇ったのだが、潔く、診察台の上でパンツの後ろ半分を脱いだ。
なおケツ毛バーガーだったのでこの件と、これから2年後に行う子宮頸癌検診でVIOの永久脱毛を決意した。
話を診察に戻す。
先生はまず目で確認してくるのだが、その際に尻の肉を、よく肛門が見えるように広げる。
それがもう、ひどい激痛だった。
ヒギィ!である。
先生の、見た所よくあるいぼ痔ですねという言葉にここで少しだけ安心した。
潤滑のためのゼリーを患部に塗るんだろう。
そう思っていた私は、ここで初の衝撃体験を味わうことになる。
私「ぐっ!?」
ほんっと〜〜にこんな声が出た。
いやほんとマジで出る。
今思えば実に当たり前なのだが、診察器具を肛門内に入れるために、肛門とその中にに指?でゼリーを突っ込まれたのである。
もちろん、入り口にあるいぼ痔にダイレクトヒットするため、とんでもない激痛に見舞われた。
先生「う〜ん、中もまぁまぁ…」
よくない状態ではあるが、めちゃくちゃひどいわけではないのだろう。
なんとなくそんなニュアンスを感じながら、私はここで、痛みから思考をそらすためにある考えに集中していた。
よくBLの挿入シーンで内蔵が築き上げられるような〜的な描写のあれだ。
内蔵がぐっぐっするかんじがする!
受けの尻を大切にしたい…。
やっぱりこれからも挿入じゃなくて素股ものばっかりになりそう…。
ラブ&ケツ&ピース…アナルセックスは負担高いなり…。
再び診察室に戻り、先生は口を開いた。
先生「う〜ん、薬で治しても切ってもいいんだけど。切った方がいいかな。切ります?今週できるけど」
私「エッ、今週ですか!?」
私「10分」
私「パチン」
そ、そんなばかなーーー!?
が、やはり手術は怖いので薬でとお願いした。
先生曰く、薬なら3ヶ月ほどで萎むよとのことで、先は長いな…と、このときの私は楽観視していた。
3:通院と注入軟膏
なんとか通いで済んだ!
というわけで、飲み薬と注入軟膏が処方された。
注入軟膏…すなわちボラ◯◯ール的なものを使うのは初めての経験だし、肛門はウルトラ痛いので慣れるまでに時間がとてもかかった。
余談ですが、うまく注入できたら、R18男性向け同人誌にある人工的におならをさせるための準備シーンてこんなかんじなんだろうか…という感覚がします。
話を戻す。
とにかくその時の心情はといえば、結構たいへんだなぁ、座るのも歩くのも痛いし、困ったなぁ。
でも切らずに済んでよーかったー!
というものであった。
そう思ったのもつかの間。
初診から5日ほど経った朝、尻に違和感をおぼえてトイレに行くと、無慈悲にもいぼ痔は1.5倍ほど膨れていた。
トイレに行くたびに風呂場でよくよく尻まわりを洗って清潔にし、薬もちゃんと飲む&注入していたというのに。
先生「確かに大きくなりましたね〜。まぁでも膨れることもあるものなんで大丈夫ですよ」
私「そうですか…」
私は考えていた。
実はこのとき、もう最後に持っている就職試験のコマも落ちてしまったと思っていた。
仮に受かっていた場合、手術を受けても術後にギリギリ問題のない最終試験ではあるーー。
私「あのー、切ってもらっていいですかね…」
なぜか先生は切らなくてもいいと思うけどねと初診の時と違うことを言ったが、手術を行うことになった。
約1週間後である。
血液検査、尿検査、肛門の圧力検査、そして手術費込みで3万5000円ほどかかる見通しだった、多分。
実はこの頃いろいろあって実家に頼っていたので、領収書を両親に渡したらどこにしまったか忘れたらしい…。
血液検査は、中性脂肪とコレステロール値が少し高いと言われ、とてつもなくショックを受けた…。
4:手術
手術当日がやってきた。
ジャージやスウェットなどの楽で脱ぎやすい服でと指示があったので、ジャージで颯爽と私は診察室にあがった。
この圧力検査も例にもれず、器具挿入時にはズドム!ときて苦しいが、入ってきたらあとは痛くなくて、時々先生の指示通りにケツを締めるだけである。
楽だった。
小さい頃によくしていたけど、何度やっても慣れない!
しかもがんばって最低我慢時間より1分くらいしっかり我慢したのに、前日夜にうんこしてたもんだからなにも出なくて草が生えた。
本当に、本当に、なにもでなかった。
かけらすら。
私の努力とは…。
そのあとは手術室にさらっと移動して、転がされた。
ついに台が上がり、先生がやってくる。
準備開始である。
ちなみに手術室には立派な木のスピーカーが据え付けられており、先生が好きな曲がかけられていた。
私(ほわ〜手術室ってやっぱスピーカーあるんや〜)
先生「今回録画なし!」
不穏!
でも録画されないからよかった。
なお録画モニターが見える位置にあったので、グロ苦手な私からすると本当によかったと思う。
うつ伏せになり、尻肉を養生テープらしきもの(医療用のはず)で左右に広げられ、肛門の消毒が始まる。
肛門の消毒は、冷たくてとても痛い。
いだっ、と声はでるけど、まだ耐えられる範囲だった。
「痛いっ…痛っ…いっ…いだっ…」
最初の3発くらいはまぁまぁで、ちょっと痛いな?程度だったのだが…。
その後から本当に、痔の治療始まって以来の傷みが訪れることになる。
あれと同じくらいのが、尻の穴という敏感で制御のきかない場所にバツバツされるのでめちゃくちゃ痛い!
1発1発なら耐えられるものの、連続して8回か10回くらいは本当にきつかった。
痛い、痛い、痛いとずっと呟き続けた。
途中、気持ち悪くなってきてもうダメだと本気で思ったくらいである。
先生「麻酔もう効き始めますからね〜。(3秒空白)はいっ、もう効きだしましたよ〜!」
そこからは本当に早かった。
ぐったりした私の尻に、プレートを3枚くらい載せて時々コツコツ叩いているような感覚がし始める。
ただ、ジョキッという音が聞こえたり、麻酔のきいていない尻の割れ目や膣口あたりにガーゼか綿らしきものが当てられる感覚がしたりする。
もちろんだが、血は出ているのだろう。
先の麻酔の痛みで血圧が高くなった下がっただかで、途中吐き気が出てきてそれどころではない状態だったものの、時計を見たら本当に施術自体は5分ちょいくらいで終わっていた。
全部で10分には収まっていなかったけど、それでも20分以下である。
術後は車椅子に乗せられ、病室まで移動させてもらう。
看護師「それじゃ、説明通り術後1時間、病室で安静にしてもらいます。帰りに診察してもらってね。痛み止めが処方されるからね」
私「エッ」
看護師「エッ?あれ、聞いてない?」
私「はい」
頼むぜ!
結局、ぐったりして連絡どころでない私は、術後ジャストあたりに迎えにきてくれていた母への連絡をすっぽかし、母があわてて病室へ駆け込んでくる事態を起こしてしまった。
とりあえずこの日は出血も止まり、何事もなかったので、無事に家に帰宅した。
痛み止めと麻酔が効いて痛みは感じなかったが、麻酔疲れで速攻で寝た。
5:予後
手術後も以前と変わらぬ投薬治療で、約1ヶ月ほどでだいたいの傷口は塞がった。
術後3日くらいは尻に痛みが走るのを恐れて痛み止めをしっかり飲んだので、そんなに痛みは感じなかった。
また、うんこをした際に今まで脱肛気味だった部分がヤッホーしなくなって本当に快適になった。
6:最後に
痔はほっとくとやべぇぞ!
今いぼ痔の手術に迷ってる人の参考になれば幸い。
というわけで、ある1人のいい年した腐女子といぼ痔の戦いの記録です。
BLの性的な表現やシモい話、R18的な話にさらっと言及していますので、苦手な方はそっとこのページを閉じてください。
1:原因
というわけで、私は痔になってしまった。
いぼ痔である。
元々すぐに切れちゃうタイプだったが、ボラギノールのCMを見るたびに、
…とはいいつつ、痔になってしまった原因はいまだにわからない。
▼うんこ編
・生まれつき3ミリほどの肛門?の脱肛癖があり、大人になってから5回に1回くらい出るので戻していた
(この部分が今回、立派ないぼへと変貌した)
▼ストレス編
・当時、就活のために週2くらいバスで片道2時間のところへ通っていた
・祖母が危篤になり、ブッ生き返したところまだらボケHARDとなる
多すぎでは??
多分いろいろ重なった結果だと思う。
腫れて飛び出た、大人ダンゴムシサイズのいぼ痔はとっても痛かった。
2:通院
ウルトラ幸運にも地元には腕のいい肛門科があるので、迷わずそこに駆け込むことになる。
ここでダイマしておくと、愛媛県のいくつかの地域には、なぜか人口やら面積にやらに対して病院がめちゃくちゃあるという頭のおかしい(褒)ところがあります。
田舎に引っ越したい人で病院を重視する人はぜひ愛媛県を検討してみてください。
話を元に戻す。
診察室に入った私を待ち受けていたのは、やはり肛門の触診だった。
私もいろいろ躊躇ったのだが、潔く、診察台の上でパンツの後ろ半分を脱いだ。
なおケツ毛バーガーだったのでこの件と、これから2年後に行う子宮頸癌検診でVIOの永久脱毛を決意した。
話を診察に戻す。
先生はまず目で確認してくるのだが、その際に尻の肉を、よく肛門が見えるように広げる。
それがもう、ひどい激痛だった。
ヒギィ!である。
先生の、見た所よくあるいぼ痔ですねという言葉にここで少しだけ安心した。
潤滑のためのゼリーを患部に塗るんだろう。
そう思っていた私は、ここで初の衝撃体験を味わうことになる。
私「ぐっ!?」
ほんっと〜〜にこんな声が出た。
いやほんとマジで出る。
今思えば実に当たり前なのだが、診察器具を肛門内に入れるために、肛門とその中にに指?でゼリーを突っ込まれたのである。
もちろん、入り口にあるいぼ痔にダイレクトヒットするため、とんでもない激痛に見舞われた。
先生「う〜ん、中もまぁまぁ…」
よくない状態ではあるが、めちゃくちゃひどいわけではないのだろう。
なんとなくそんなニュアンスを感じながら、私はここで、痛みから思考をそらすためにある考えに集中していた。
よくBLの挿入シーンで内蔵が築き上げられるような〜的な描写のあれだ。
内蔵がぐっぐっするかんじがする!
受けの尻を大切にしたい…。
やっぱりこれからも挿入じゃなくて素股ものばっかりになりそう…。
ラブ&ケツ&ピース…アナルセックスは負担高いなり…。
再び診察室に戻り、先生は口を開いた。
先生「う〜ん、薬で治しても切ってもいいんだけど。切った方がいいかな。切ります?今週できるけど」
私「エッ、今週ですか!?」
私「10分」
私「パチン」
そ、そんなばかなーーー!?
が、やはり手術は怖いので薬でとお願いした。
先生曰く、薬なら3ヶ月ほどで萎むよとのことで、先は長いな…と、このときの私は楽観視していた。
3:通院と注入軟膏
なんとか通いで済んだ!
というわけで、飲み薬と注入軟膏が処方された。
注入軟膏…すなわちボラ◯◯ール的なものを使うのは初めての経験だし、肛門はウルトラ痛いので慣れるまでに時間がとてもかかった。
余談ですが、うまく注入できたら、R18男性向け同人誌にある人工的におならをさせるための準備シーンてこんなかんじなんだろうか…という感覚がします。
話を戻す。
とにかくその時の心情はといえば、結構たいへんだなぁ、座るのも歩くのも痛いし、困ったなぁ。
でも切らずに済んでよーかったー!
というものであった。
そう思ったのもつかの間。
初診から5日ほど経った朝、尻に違和感をおぼえてトイレに行くと、無慈悲にもいぼ痔は1.5倍ほど膨れていた。
トイレに行くたびに風呂場でよくよく尻まわりを洗って清潔にし、薬もちゃんと飲む&注入していたというのに。
先生「確かに大きくなりましたね〜。まぁでも膨れることもあるものなんで大丈夫ですよ」
私「そうですか…」
私は考えていた。
実はこのとき、もう最後に持っている就職試験のコマも落ちてしまったと思っていた。
仮に受かっていた場合、手術を受けても術後にギリギリ問題のない最終試験ではあるーー。
私「あのー、切ってもらっていいですかね…」
なぜか先生は切らなくてもいいと思うけどねと初診の時と違うことを言ったが、手術を行うことになった。
約1週間後である。
血液検査、尿検査、肛門の圧力検査、そして手術費込みで3万5000円ほどかかる見通しだった、多分。
実はこの頃いろいろあって実家に頼っていたので、領収書を両親に渡したらどこにしまったか忘れたらしい…。
血液検査は、中性脂肪とコレステロール値が少し高いと言われ、とてつもなくショックを受けた…。
4:手術
手術当日がやってきた。
ジャージやスウェットなどの楽で脱ぎやすい服でと指示があったので、ジャージで颯爽と私は診察室にあがった。
この圧力検査も例にもれず、器具挿入時にはズドム!ときて苦しいが、入ってきたらあとは痛くなくて、時々先生の指示通りにケツを締めるだけである。
楽だった。
小さい頃によくしていたけど、何度やっても慣れない!
しかもがんばって最低我慢時間より1分くらいしっかり我慢したのに、前日夜にうんこしてたもんだからなにも出なくて草が生えた。
本当に、本当に、なにもでなかった。
かけらすら。
私の努力とは…。
そのあとは手術室にさらっと移動して、転がされた。
ついに台が上がり、先生がやってくる。
準備開始である。
ちなみに手術室には立派な木のスピーカーが据え付けられており、先生が好きな曲がかけられていた。
私(ほわ〜手術室ってやっぱスピーカーあるんや〜)
先生「今回録画なし!」
不穏!
でも録画されないからよかった。
なお録画モニターが見える位置にあったので、グロ苦手な私からすると本当によかったと思う。
うつ伏せになり、尻肉を養生テープらしきもの(医療用のはず)で左右に広げられ、肛門の消毒が始まる。
肛門の消毒は、冷たくてとても痛い。
いだっ、と声はでるけど、まだ耐えられる範囲だった。
「痛いっ…痛っ…いっ…いだっ…」
最初の3発くらいはまぁまぁで、ちょっと痛いな?程度だったのだが…。
その後から本当に、痔の治療始まって以来の傷みが訪れることになる。
あれと同じくらいのが、尻の穴という敏感で制御のきかない場所にバツバツされるのでめちゃくちゃ痛い!
1発1発なら耐えられるものの、連続して8回か10回くらいは本当にきつかった。
痛い、痛い、痛いとずっと呟き続けた。
途中、気持ち悪くなってきてもうダメだと本気で思ったくらいである。
先生「麻酔もう効き始めますからね〜。(3秒空白)はいっ、もう効きだしましたよ〜!」
そこからは本当に早かった。
ぐったりした私の尻に、プレートを3枚くらい載せて時々コツコツ叩いているような感覚がし始める。
ただ、ジョキッという音が聞こえたり、麻酔のきいていない尻の割れ目や膣口あたりにガーゼか綿らしきものが当てられる感覚がしたりする。
もちろんだが、血は出ているのだろう。
先の麻酔の痛みで血圧が高くなった下がっただかで、途中吐き気が出てきてそれどころではない状態だったものの、時計を見たら本当に施術自体は5分ちょいくらいで終わっていた。
全部で10分には収まっていなかったけど、それでも20分以下である。
術後は車椅子に乗せられ、病室まで移動させてもらう。
看護師「それじゃ、説明通り術後1時間、病室で安静にしてもらいます。帰りに診察してもらってね。痛み止めが処方されるからね」
私「エッ」
看護師「エッ?あれ、聞いてない?」
私「はい」
頼むぜ!
結局、ぐったりして連絡どころでない私は、術後ジャストあたりに迎えにきてくれていた母への連絡をすっぽかし、母があわてて病室へ駆け込んでくる事態を起こしてしまった。
とりあえずこの日は出血も止まり、何事もなかったので、無事に家に帰宅した。
痛み止めと麻酔が効いて痛みは感じなかったが、麻酔疲れで速攻で寝た。
5:予後
手術後も以前と変わらぬ投薬治療で、約1ヶ月ほどでだいたいの傷口は塞がった。
術後3日くらいは尻に痛みが走るのを恐れて痛み止めをしっかり飲んだので、そんなに痛みは感じなかった。
また、うんこをした際に今まで脱肛気味だった部分がヤッホーしなくなって本当に快適になった。
6:最後に
痔はほっとくとやべぇぞ!
今いぼ痔の手術に迷ってる人の参考になれば幸い。
黒人見かけたらなんか怖いし
茨城出身ですって言われたらスウェットとキティのサンダルで夜ドンキに出かけてるんだろうなって思うし
北海道出身ですって言われたら内地の人間は不細工が多いとか見下してそうだなって思うし
慶応出身ですって言われたら金持ちなだけで本人は何もできないんだろうなって思うし
東大生ですって言われたらなぜかフェルミ推定大好きでどや顔で披露してそうって思うし
中卒ですって言われたら趣味はパチンコスロットぐらいなんだろうなって思うし
ただし不確定事項を元に悪意を直接本人に向けた時点で加害者側になるのだと思う
センター試験当日、移動中のバスで小学生の頃の同級生に偶然再会したことがある
地方、近所の大学が会場だったためある程度の範囲の同年代の学生が集まるのは必然ではあった
再会を喜ぶような会話をしようかとも思っていたら開口一番
「お前いつ韓国に帰んの?」と言われた
生まれも育ちも日本だが韓国人であることを特に隠してもいなかったため
小学生の頃は韓国人であることをきっかけにしたこういった会話は珍しくなかった
「家は日本にあるし、韓国語話せないし韓国に行く予定はないよw」
よくあるイジリに対して返すよう対応したが続けて、
と明らかに悪意のこもった口調と追撃があった
小学生の時に似たような会話はあったし、
高校3年生にも関わらず、無邪気に、素直な質問として出てきたわけではない
よく遊んでもいたその子の言葉に無力感を覚えて脱力したのを良く覚えている
その後もなんやかんや言ってきたが
在日韓国人であるのを理由に何か、というとこの1件ぐらいのものだ
(センター試験自体は数ⅡBが思うように解けなったことを記憶している)
子供のころ、韓国人は被害者であるように祖父が家庭内で度々話をしていた
というような図々しい態度の方に疑問を覚え始め
話半分で聞き流すようになっていった
そういう風にできているならそういうものだと納得する
と会話する度に帰化を考えるけれど、
自分自身がどうであろうと
と本人がそうであったり、そう主張しようが
いやがおうにも家庭の影響は受けるもので、
全ての中卒が勉強ができないと思うな
と言われても、はぁそうですか、である
上坂すみれファンに出会ったら素直に射精するか聞いてしまうと思うし、
AV女優と出会ったらその日にワンチャンないか考えてしまうと思う
良くも悪くも偏見と付き合って生きていくんだと思う