はてなキーワード: サーベイとは
会議名をちゃんと書けば良いと思うんだけど、やっぱりコミュニティが狭いから大変なんだろうな。
"ソフトウェア工学"は "工学"って名前に入ってるし、工学のフリをしているけど、成り立ちは社会学に近い。
その上で、議論しているので厳密な話なんて出来るはずもなく...
とりあえず適当に学問の特徴的な所を述べておく。社会学だなぁと思っていただければ。
他にもいろいろあるけど、長くなるのでいったんこれで留めとく。
昔のプロセス管理(図と人の管理)時代からの習慣として、再現性が無くても真実っぽい考察のある知見ならOKってのがある。
プロセス管理は方法論が社会学由来なので、ソフトウェア工学ではベースになっている。
プロセスを完全に再現なんて、どうやってもやりようがないのだから。
これは実践的ソフトウェア工学なんて名前を付けても変わってない。
汎用的な提案をして、評価対象だけに特殊化したりしても問題ない。
評価のための実装ですと書いていた場合、評価対象毎にチューニングしてても良いのだ。
コンピュータを使う研究者なのであって、プログラミングが出来る必要がない。
学問自体には、現代的なプログラムを書く/ソフトウェア開発をするモチベーションが無い。
某エントリのようなソフトウェア関連の研究してるのに oo が使えないなんて...ってはなしになる。
システマティックレビューやサーベイは検証ではなく現状追認にしかならない。検証しようがないのだから。
理工学の延長線上として見るからダメなのであって、社会学としてみれば問題はない。
実際とかけ離れてて、役に立たちにくいのは社会学だからでいい。
まずは
1. ガロア理論
2. 楕円曲線
この二つは19世紀以前の数学の最高峰であり、また現代数学の多くの分野に関連することから、IUTを目標としない人でも学ぶ価値のある理論だと思います。
またIUTでは楕円曲線のガロア理論を用いて数の加法や乗法の構造を調べるというようなことをしています。
1. ガロア理論
ガロア理論は方程式を解くということを群という対称性を用いて理解するものです。これを用いて5次方程式の解の公式の有無や作図問題などの古典的な問題が解決されました。これを理解するためには代数学、特に群や体について基本的な事を学ぶ必要があります。
さらに整数論に関わるものとして、p進体などを学んだ上で類体論を勉強なさるのがよいと思います。p進体では(普通の対数関数と同じように)logを定義することができ、これはIUTでも重要な役割を果たします。類体論の特別な場合として円分体のガロア理論を理解すると、例えばガウスなんかの整数論の話もより深く理解できると思います。
2. 楕円曲線
楕円曲線は楕円関数論をある種代数的に扱うようなものです。楕円関数というのは、三次式の平方根の積分でこの積分を表すために導入された関数です。19世紀の数学でかなり研究されたものですが、これについては複素解析という複素数平面上で微積分をするということについて理解する必要があります。
さらにその後の発展として、リーマン面や基本群、ホモロジーといった概念が考えられました。基本群やホモロジーというのはトポロジーという分野で研究されているものですが、数論幾何でも重要な役割を果たします。
上の二つの話は独立したものではなく、相互に関連しあうものです。例えば、基本群とガロア群はある意味では同じものだと観ることができます。このような視点を持って整数の研究をするのが数論幾何という分野です。
まとめると、まずはガロア理論を目標として代数の基本的なこと、楕円関数を目標にして複素解析を学ぶのが良いと思います。
上に書いたようなことは数論幾何を専門にするなら学部生ぐらいで知っている話です。これらを踏まえてIUTにより近い専門的な内容を学んでいくのが良いでしょう。私もその辺りについて詳しいことは言えないのですが、例えば京都大学の星先生の書かれたIUTのサーベイをご覧になってみるのが良いのではないでしょうか。
宇宙際タイヒミュラー理論(IUTeich)を理解したいんだけど、どこから手を付けてよいのかさっぱりわからんのです。
自分は工学系の修士卒。学生の頃、数学はあんまり得意じゃなかったです。
なんでIUTeich理解したいと思ったかっていうと、ABC予想の話を読んで興味を持ったからです。
ただ数学科卒でもない自分にはどの分野からどうやって勉強したら良いのか見当もつかないのです。
最終目標はIUTeichの理解、サブ目標はABC予想の証明の理解ですが、お手軽にできるとは全く思っていません。
何年も勉強が必要なのは覚悟しています。IUTeichに向かう道中で数学の世界の奥行とか広がりを経験したいなと思っています。
[201809030125 追記]
わー、たくさんの反応ありがとうございます。
まさかこんなにコメントもらえるとは。頂いたブコメ、トラバは全部読んでます。ありがてえ、ありがてえ。
自分の現在の数学知識ですが、工学部の初歩的な数学しか知りません。
解析学、線形代数、複素解析、確率統計、微分方程式くらいです。
あとは物理系、機械系、電機系、情報系のカリキュラムをほどほどに勉強しました。(大学院の専攻は情報系です。)
一応サーベイは読んだんですよ、それで「やべえ、全然わからねえ……」状態になって増田に投稿したのです。
私がIUTeichを完全に理解できるなんて思っていませんが、科学の女王である数学の世界を深く知りたいなと思っていますし、
私が当初思っていたよりもずっと長い道のりみたいなので、暫定目標として5年後までにIUTeichの論旨くらいは理解できるようになっていたいです。(これでもハードル高いかな?)
(京大、数理解析研究所に入るのは素敵なアイデアですが、いろいろな現実の壁があり難しいですね。ただ、アカデミアの世界にはいつか戻りたいと思っています。)
言葉足らずな文章に丁寧な返答をくださった方々には感謝しかありません。
特に以下のお三方にはスペシャルサンクスとして私のハグを送ります。(私をガッキー似のJKだと思ってください。)
https://anond.hatelabo.jp/20180902154717
https://anond.hatelabo.jp/20180902175737
https://anond.hatelabo.jp/20180902232707
見かけたら生暖かい目で見守ってやってください。
増田は生物学的性・性自認・性的指向すべて女性で、社会人になってからずっとエンジニアをしています。
最近、皆さんもご認識の通り、あるイベントでの発表が物議を醸しています。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/logmi.jp/294756
この発表や付随する世の反応(主にTwitter)を拝見してからずっと、心臓がざわつくような感覚を覚えています。
自身の気持ちを整理するため、今まで自分が”女性エンジニア"として生きてきて遭遇した様々な不自由さと、本件に対して思うことを文章にしてみたいと思います。
ただでさえ特定されやすい属性ですから、多少のフェイクが混ざるかもしれません。
初めて、かつ最大の不自由さを感じた出来事は、ある会社で起きたことでした。
言葉にしてしまうと、とてもシンプルでよくあることかもしれません。
どのようなことがあったのかは、思い出したくもないことなので割愛します。
具体性を欠く話になってしまいますが、複数の第三者の告発を経て収束した出来事でしたので、
行きすぎたフェミニストの過剰反応ではない旨、信用していただければと思います。
色々な心情からしてしまったことではありますが、今となっては全く無駄な時間を浪費してしまったと反省しています。
もし子供がいたら、きっとこのまま泣き寝入りしてしまっていたと思います。
結局、様子のおかしいことに気がついてくれた職場の同僚や先輩が、各所に通報してくださり、
Aは社内で秘密裏に制裁を受け、私には謝罪といくらかの示談金が与えられました。
Aとは直接話をしていないのですが、真摯に謝罪をしてくれたと信じています。
ただ、それまでの過程でAの上司から受けた言葉で、もうこの会社にはいられないと思い、転職する結果となってしまいました。
Aは社内でもそれなりの地位にいたため、その上司となると執行役員クラスになります。
上司からは対面で「自分の監督不行き届きだ、申し訳ないことをした」という旨の謝罪を受けましたが、その中の小さな一言に本音が見えてしまいました。
「ただ”この程度のことで”Aを懲戒解雇にはできない」
この一言で、もうこの会社から貰う給料で生きていたくないと思うようになり、できる限りの早さで転職先を探し、退職届を出しました。
仕事自体に不満はなかったため、必要ではあるが不本意な転職となってしまいました。
すぐ転職できる状況だったなら、示談金も受け取って得したじゃないかと思われる方もいるかもしれません。
しかし、この件でしばらくは心療内科のお世話になることになりましたし、最寄駅もAに知られていたため転居の費用もかかりました。
今でこそ心療内科のお世話にはなっていませんが、当時は自力で睡眠を摂ることもできなかったし、
Aに似た背格好の男性を見ると動悸がして動けなくなったりしました。
何より、一度損なってしまったものは回復しても元どおりにはならないのです。
この出来事を境に、自分は心身ともにすっかり変わってしまったと感じています。
本件を通して、一人のエンジニアとして受けた損害は不本意な転職だけではありませんでした。
当時、はてなブログで簡単な技術メモのようなことをしていました。
退職後のことですが、そのブログに「楽しそうだね」とコメントがつきました。
きっと私の考えすぎだと思います。そうでない可能性も十分にあると思います。
それでも、「俺はあんな目にあったのにお前は会社を辞めて楽しそうにやっているな」という、
Aからの恨みのコメントなのではないかという不安にとらわれてしまい、ブログはすぐに閉鎖しました。
それ以来、パブリックな場へのアウトプットは一切できていません。
しかしいまや、公的な場へのアウトプットを求められることは、エンジニアにとって当然の時代となりました。
GithubやQiitaなど、エンジニアとしての名刺代わりになるようなアカウントをプライベートに閉じることは、
エンジニアとして生きる上で大変もったいないことだという自覚はあります。
これももう昔のことですから、今更何かあるなどとは思っていません。
それなのに、なぜだか、アウトプットへの気概のようなものを根こそぎ失ってしまい、それを回復できずにいます。
技術サーベイにパスしたり、リファラル採用を活用することで、今現在もなんとか転職活動はできているという状況です。
これ以降も、女性であるがゆえの不自由さには度々遭遇しました。
エンジニアとして採用されたにも関わらず、顧客の受けが良いからという理由で、業務時間の大半を営業同行にあてられてしまった会社もありました。
再三の改善要求にも応じる気配がなかったため、その会社は短期間で退職してしまいました。
会社を見る目がなかったと言われてしまうと、それまでのことですが…
勉強会に参加すると、結構な確率で司会者のアイスブレイクのネタに使われてしまいます。
ひどい時は、受付の時点で「会場を間違えていませんか」と言われてしまうことあります。
「今日は女性の参加者もいらっしゃいますね、嬉しいですね。どちらからいらしたんですか」など、大半が悪意のないもので、非難する意図はありません。
ただ、自分自身でコントロールできない属性を理由に人々の注目を浴びることは、なかなかに消耗してしまうということも、ご理解いただきたいと思います。
多くの人が問題意識を感じている一方で、何が問題なのかわからない・気にしすぎだと表明している人も少なくありません。
こちらのブログで丁寧な所見が述べられていますが、それでもなお、納得のいかない人がいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom/topics/2018-06-22_women.htm
問題の記事の「女性エンジニアが少ない問題」を「我々の職場に女性が少ない問題」、「女性エンジニア」を「女性」に置き換えてみてください。
記事としてなんら問題なく、意味も意図も通ってしまうと思います。
「エンジニア」という専門職の女性として論じておきながら、その実、期待する役割は「声や女性らしい立ち居振る舞い」といったジェンダーロールの顕現でしかないのです。
おそらく、「女性エンジニアが少ない」ではなく単に「職場に女性が少ない」問題であれば、ここまで炎上することはなかったのではないかと思います。
(もちろん「女性」でも駄目ですが)
ここまで腑に落ちていただければ、
などといった反論が、全くのお門違いであるとご理解いただけるのではないでしょうか。
私たちは女性という属性をたまたま持っていただけのエンジニアなんです。
エンジニア扱いをしてほしいのです。
それをする気がないのであれば、もしくは性差について論じなければならない状況でないのなら、
わざわざ「女性エンジニア」などとカテゴライズして槍玉にあげないでほしいのです。
こんなことを主張しなければならない状況に、もうずっと私たちは消耗して疲れ果てています。
それでも、もし、次の生をエンジニアとして受けて、性別を自由に選べるとしたら、私は迷わず男性を選びます。
不本意な転職を重ねたといえども、見え始めた自分のキャリアに一定の満足もしています。
修論締切直前の深夜にこんな駄文を書いているのは現実逃避以外の何物でもない.
私が3年間の研究室生活の中で自分自身や周囲の人間を観察していて気づいたことは,「指導教員の言うことを素直に聞く」人間は安定して成果を出しているということだ.
私は物事を批判的に捉える傾向があり,他人の言説に対してまず疑ってかかるきらいがある.そしてさらにたちの悪いことに,私は自分のしていることに一度でも疑問を感じてしまうと,その疑問が解決するまで手が止まってしまう悪い癖を持っている.かつてこの性格が原因で4回生のときの卒業研究を失敗した経験がある.
学部4回生の研究では,指導教員が適切なレベルの問題とそれに対するアプローチを提示して,学生はそれを黙々と実践し結果を得る中で,手習いのごとく研究の方法論を身につけていくものだと思っている.
当然私にも指導教員から卒業論文のテーマが与えられた.しかし私は論文をサーベイし研究を進めていく中で,「そもそもの問題設定に誤謬があるのではないか?」という疑問を持ってしまったのである.(当時の私が抱いた疑問はどうやら見当ハズレというわけでもなかったらしく,後になって隣接する他分野で私の疑問に答えるようなアプローチが研究されていることを知った)
私は指導教員に自分の気づいた問題点について相談したのだが,私のコミュニケーションが拙いことや,指導教員自身がそのテーマに関して専門外であることもあり,その時は指導教員からどうしても納得が得られるアドバイスが得られなかった.そして私が「この研究には価値があるのか?他に良い問題設定はないのだろうか?」と悩んでいる間に,周囲の同期は順調に研究成果のようなものを出しはじめ,私は彼らへの劣等感から研究室に行くのが辛くなって家に引きこもるようになった.最終的には何とか卒論を提出し卒業はできたものの,私の卒業研究は見事に失敗してしまった.
この時の経験を反省し,修士2回生のとき((修士1回生の間は国外逃亡してた))に取り組んだ新たなテーマでは,私は指導教員の言うことに疑問を抱くことを極力やめて唯々諾々と言われるままの作業をすることにした.すると結果3ヶ月余りで成果のようなものを錬成することに成功し,(レベルは高くないが)国際会議に論文投稿することができた.
何のアウトプットも出せないことに比べると「国際会議に論文投稿した」というのは紛れもない進捗である.指導教員の指示を素直に首肯できず,かといって自分で新たなテーマを打ち立てるほどのサーベイ力も発想力もない私のような人間は,やはり教員の指示に従って黙々と研究を進めるのが正解なのだ.私の失敗は文字通り「下手の考え休むに似たり」だったのだ.
でもその時に出した成果はまさに重箱の隅を突くような,問題設定や手法としての新規性が皆無に等しい研究だった.レベルが低い国際会議だから通ったものの,僕が査読者なら間違いなく落としていただろう.この研究でもやはり私は指導教員に与えられた研究テーマ(というよりも問題設定)にずっと納得していなかった.それには私なりの合理的な理由があったのだが,今振り返ってもその理由は間違っていなかったと思う.この時,指導教員にきちんと反論し,自分の頭で考え抜いて研究に取り組んでいれば,もっと満足のいく成果が出せたのだろうか?
少なくとも自分が研究者に向いていないのは明らかである.就職という選択肢を選んで正解であった.
私は自分のアウトプットと人格を切り離して考えられない人間なので,修論原稿を1字書き進めるたびに自分の修士研究の不出来さ,ひいては自分という人間の不出来さを再確認させられ,物凄いストレスを感じてしまう・・・.
2017/11/06 18:34追記)タイトルに関して「別に吸血鬼じゃなくても」という意見があってそれは実際そうなので一般化して「捕食者が絶対悪ではない食人物語があったら知りたい」って頭のなかで書き直してみたら「『野火』じゃねーか」っていう気がしてきた。まああれは非常時における食人であって習慣としての食人ではない。
全部満たしていなくてもいいので吸血鬼種・人類種間の種族間の問題を描くような物語があったら知りたいです。
よろしくお願いします。
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追記:
吸血鬼に限らなければ2以降のデッドライジングがそんな感じか。
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うぉっと、こんなにブクマがつくとは思いませんでした。
全体的に単に私が読書不足なだけでサーベイ代行とかそういうのではないです。
そもそもこれを考えたときに視ていたのは『クジラの子らは砂上に歌う』です。
泥クジラ側の住人(特にチャクロ)などが感情・共感を仲間かどうかの規準とおいている(まあ大抵の少年少女向け物語ではそうですが)のが気になって、
この世界に行動レベルでは倫理的逸脱をしないサイコパスが存在したらどう扱われるのだろうとそのようなことを考えました。
しかし、共感をベースに倫理を組むというのは上に書いたように多くの物語でそうですし、(少なくとも感情レベルでは)現実世界でもそういうところはあるだろうとは思います。
ざっくりとした理解では食肉に絡む動物擁護派の一部は忌避行動で苦しみを測れるとし、実際攻撃に対して忌避行動をとるので苦痛を感じているはずだとして屠殺を伴う食肉が倫理的ではないとしていたと思います(それでファイナルアンサーかはともかく)。
もし、動物が人語を語るのならば苦しんでいるか否かは動物たちの語る言葉によって判断されるだろうと思います。
何れにせよ共感を持てる対象かというのは言語的反応や身体的反応が似通っているかによってたいてい判断されているんだろうと思います。
そして身体的反応と言語的反応を比べた時言語的反応のほうがおそらく重要視されるだろうと思います(*書いてから思ったが要検討:「言葉は嘘をつくが、目は嘘をつかない」とか)。
それで言語レベルでより強い共感性を持つ捕食者・被食者の集合というものを考えたときに吸血鬼に思い至って上のようなものを書いてしまったわけです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/347980048/comment/hobo_king
hobo_king 本文を読むに「『その生態の特殊性から過去において様々な軋轢を生んだ吸血鬼だが、現代では人間(食料)への最大限の配慮を主張する個体も存在する世界の吸血鬼物語』があったら知りたい」って感じ。長い。
だいたいそんな感じです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/347980048/comment/Silica
id:Silica タイトルの付け方が…吸血鬼ものじゃなくても、知的生物同士が捕食被食関係にあるような世界を描いた作品あるけど、そういうのはどうなんだろう
タイトルは追記にゾンビの話書いた時点で書き換えるべきでしたね。上のように言語レベルで意味を共有できる知的生命体ならいいのでぜひ知りたいです。
これは数理生態学の本読むとそんな単純なものでもないというのがわかると思います。中学理科でもあったように肉食獣が増えると、草食動物が減り、餌が減った肉食獣の生存率が下がり、やがて草食動物が増えという感じで振動します(植物の絡みは省略)。1捕食種-1被食種のケースが最も単純で、そうでないケースではもっと全種全滅みたいなケースが起きる確率は減ります。
[1] この文書はもっぱらグーグルのマウンテンビューキャンパスでの視点から書かれている。私は他のオフィスや国について語ることはできない。
[2] もちろん、私にもバイアスがあるかもしれないし、自分の視点を支持する証拠だけを見ているのかもしれない。政治的バイアスの観点からは、私は古典的自由主義者であり、個人主義と理性に強く価値を置いていると思う。私はこの文書について喜んでさらなる議論を行いたいし、例証を挙げたい。
[3] 私は、この文書を通じて”技術職”を、ほぼソフトウェアエンジニアリングという意味で使っている。
[4] ロマンチックな男女関係において、男性はより強く地位によって値踏みされ、女性は美貌によって値踏みされる。さらにこれには生物学的な起源があり、文化的に普遍性がある。
[5] Stretch、BOLD、CSSI、Engineering Practicum(ある程度は)、それと特定ジェンダー及び人種のためのいくつかの他のグーグル提供の内部、外部プログラム。
[6] 代わりにある特定層のための潜在的なGooglegeistのOKR設定。私たちは、特定のグループにとっての環境を良くすること(それはサーベイスコアによって確認できる。)によっても、保護された地位に基づく差別化(それは違法であり、すでになされていると私は見ている。)によっても、組織レベルでの登用を増進させられる。登用増進OKRは後者のインセンティブとなりうるし、組織間でのゼロサム闘争を作り出しかねない。
[7] 共産主義は資本主義より道徳的にも経済的にも優れていることを約束する。しかし、その試みは全て道徳的には堕落し経済的には失敗している。自由民主主義社会の労働者階級が”資本主義の抑圧者”を倒そうとしていないことが明らかになったとき、マルクス主義知識人は階級闘争からジェンダーと人種の政治へと移行した。抑圧者-被抑圧者の中核的な力学は残り、今や抑圧者は”白人で、ストレートで、シスジェンダーの家父長制”である。
[8] 皮肉にも、IQテストは当初能力主義が貴族政治の犠牲者を助けとなることを意味していた時代に左派によって擁護された。
[9] もちろん、全国的な総計において、女性はさまざな理由で男性より賃金が低い。ただ同じ職業につく限り、女性は男性と同じだけの賃金を得ている。女性が男性よりお金を使い、給与というものが従業員がどれだけのものを犠牲にしたか(例えば、より多くの時間とストレスと危険)の指標であることを思えば、権力に関わるステレオタイプを考え直す必要がある。
[10] 伝統的なジェンダーのシステムは支援が必要な男性というアイデアをうまく扱えない。男性は強く、不平を言わず、自ら問題に対処することを期待される。男性の問題は、ジェンダーによる行為主体性の考え方によって、しばしば犠牲者というよりは個人的な失敗とみなされる。これは泣き言、不平、弱さの現れとみなされることを恐れて、男性が男性の問題(それが個人的なものにせよ集団的なものにせよ)に注意を払うことを妨げている。
[11] 政治的正しさは、”社会的に恵まれない人たちや差別されている人たちの集団を排除し、軽んじ、侮辱すると受け取られるような表現と行動を避けること”と定義される。それでなぜそれが左派の現象であり、権威主義者の道具であるのか明らかだろう。
シン・ゴジラを見てきたのだけど、普通に面白かったのだけど、面白かったけどイマイチだと思う点が多かった。
なんとなく原因はわかってて、SF的な部分に気になる点が多かったのと、シン・ゴジラの長所が自分にとって重要ポイントでなかったのが原因、要するに好み。これはカレーが好きとかラーメンが好きとかと同じような話なので、別に好きな人を批判したり見下す意図はありません、この映画が好きな人とは友だちになれると思う。
以下理由と雑談。勘違いもあるかもなのでなにかあれば指摘してもらえると嬉しい。
出てくる科学者が知識としても思考としても科学者っぽくない。自分が科学で飯を食ってるので余計に気になる。オデッセイレベルは無理としても...
・ゴジラが変形したのを変態でなく進化だと呼ぶ。いや変態でしょ。「ゴジラの細胞を分析した結果通常の細胞分裂で突然変異を繰り返しており...」とかそういうSF的な説明があった上で科学者が「これは進化だ」と結論付けるとかだったら個人的には盛り上がったと思う。
・普通ゴジラの通り道の空間線量が変わってるなら「ゴジラが放射性物質をくっつけて歩いてる」が最初に来るべき仮説でしょ。なぜそれが出ないのか。
・ちょくちょく規制庁管轄らしい線量測定を「サーベイ」って表現してて、それも違和感、定点観測はサーベイとは呼ばない。多分モニタリングポストの空間線量。
・「0.4μSvという微量」とか言う会見とニューステロップ。文脈からしてμSvはいわゆる空間線量を言っているのだと思うので、その場合単位はμSv/h、つまり、そこに1時間いた時にどれだけ被爆するか。μSvだけだとなんらかの時間での積算線量とかになる。この差は地味なようで「秒速〇〇発打てる機関銃」と「今日は〇〇発打った」くらい違う。少なくとも「自分のいる場所がどれだけ危険なのか知りたい人」にとってはとても大事な違い。
・「遺伝子情報が人間の八倍だから最も進化した生き物」遺伝子情報の多寡は進化の度合いと比例しない。そもそも最も進化したって何?進化の回数(これも定義が難しいけど)なら虫とか世代交代の短い種の方が多いだろうし、頭が良いとかでないのは劇中から明らか、なら何を持って「最も」なんて言うのか、科学っぽくない表現。
・一回目の上陸時、ゴジラは冷却のために海に戻った。なら、二回目に来た時にも「温めたら放熱できなくなって海に帰るんじゃねーの?」ってなんでならなかったのか。
・確信がないのだけど、劇中でゴジラは体液の循環で体内の原子炉を冷却してるから、体液を凝固させれば動きを止められる。的な話をしてた気がするんだけど、これ、凝固させたら冷却不全になって次に来るのは過熱だと思うんだけど、なんで最後凍ったの?あまりに不整合なので、これについては自分が何かを勘違いしてるのかもしれないと思ってる。
・飛んでるものを撃ち落としただけで「フェイズドアレーレーダーと同じような機関が」って飛躍しすぎじゃないかな。撃ち落とすことが可能なだけなら超音波でも良いしめっちゃ耳が良いでもいいしちっちゃな目が実はあるとかでも良い。なんか測定したっって言ってたっけ?
・半減期20日程度の新元素なら、1-2日もあれば半減期の推定はできたはずで、ゴジラを倒してから判明するのは作劇上の都合なのが露骨でちょっとな...
・なんで凝固剤を口に入れたら飲んでくれるの?なんで飲んだら血液に混ざるの?口に入れても吐かれるかも、消化器官で分解されるかも、そもそも口から入れて体液に混ざるの?と疑問は尽きない。
・口に凝固剤を入れるシーンのゴジラの口が下を向いているのであれ流し込んでも重力で流れ落ちるだけでしょ。あの「かみ合わせの悪そうな口」の隙間から。
・最後凝固させてなんで冷えたのか、なんか-196℃(液体窒素温度)って言ってたと思うんだけど、凝固剤とゴジラ血液の反応が吸熱反応だったのかもだけど、そんなところまで冷却させられる化学反応ないでしょ。多分(専門外なので確証はない)。冷温停止がモチーフなら室温で良かった。
全体的に、実在の地名を使ったり自衛隊とか会議とかについてはリアリティがあったり、専門用語がそのまま出たりとリアリティに寄せてるのにSF部分が整合性を投げてる感じなのが落ち着かない。あと、どう見ても福島第一原発事故を意識している作りなのに放射線関連での用語や放射線に関する知識の部分がグダグダなのが謎。個人的には現実には無いとしても、SFだし放射性物質を分解する生物とかそういうのは嫌いじゃないです。
2つか3つなら気にならないけど、ちょっと多い。感覚的にはひっきりなしで出てくる感じ。インターステラーとかグラビティとかオデッセイとかでもこういう違和感はあったけど、頻度が違う。
あまり好きじゃない、これはSF的な所よりもさらに好みの問題。
・閣僚11(?)人が死んだことで政府が変わるきっかけになる的な描写はなぁ...政権交代時はもちろん、自民党政権内ですら総理が変われば閣僚も入れ替わるけど本質的な政府の機能は変化しないのはご存じの通り。閣僚は目標等を決めたりできるので影響は大きいけれど実運用は官僚のしごとなので閣僚が変わっても組織は変わらない。臨時総理が若手に譲る的な意思を見せたのかもだけど、死んでない政治家達は生きてるわけだよね。
・省庁の縄張り意識悪玉論とかもちょっと出てきて安易だなぁと思った。じゃあお前、連携したくてもどこの誰に問い合わせたら良いのかもわからない状態で連携できるか、ったら無理でしょ。突然連携しろと言われてできないのはしょうがないよ。
・なんで誰も「核兵器でゴジラを殺した場合に死ぬ人の数」と「ゴジラを倒せなかった場合に死ぬ人の数」を天秤にかけないのか。唯一の核兵器使用容認の先輩的な人も国際政治的な理由で、登場人物の価値観が判で押したように反核兵器使用なのが気持ち悪い。全編通じて誰も「どの選択肢が一番多くの命を救えるのか」という論点を持つ人間がいない。政治家なのに。
庵野さんのかっこ良いビーム演出とかがさほど好きではない。あまりにも旧作のゴジラ達に思い入れが強すぎて、斬新な演出の庵野ゴジラが好きになれなかったというところもある。この点はギャレス版ゴジラのほうが好き。
斬新であるところは大多数の人にとってはむしろ良い点だったんだろう。
・主人公とか人間の演出とか好きな点が多い。大統領になるとか総理大臣になるとかちょっとくすぐったいけど、いろいろな人が一生懸命なのは良い。
・散々言われているけど臨時じゃない総理大臣とかも含めて「無能キャラ」がいない。馬鹿な勢力もいない。ゴジラがすごすぎるだけってところがかっこ良い。
・総理が閣僚と一緒に死んだシーンは、災害の理不尽さみたいなものを感じて良いなって思った。でも最後まで見ると、あれはエピローグ後に「スクラップアンドビルド」って言わせるための作劇上必要な死だったのかなってなってちょっと残念。
・ゴジラがかっこ良かった。言葉使いの所でツッコミはしたけど、ゴジラは進化し続けていて変形していく、というのも良いギミックだと思った。
次回作があったら見ると思う。
入社当時、先輩にそう言われて驚いたのを覚えている。
誰もが知っている大企業の話。
1つの部門が1つの会社のようになり、部外へ重要な情報はほとんど流れない。
その一方で、部内では過剰なまでの情報共有が求められる村社会。
ある1人の技術者が10割の作業を担当して出した成果も、部内にその結果を"シェア"することで部の成果となる。
1日1度、いや3度は聞く言葉。
必要なのは共有したという事実だけ。内容なんて誰も興味ないのだろう。
ここ1,2年の間に、私の元部下で優秀だった人達はみんな別の部門に散り散り移った。
残ったのは高齢者ばかり。
体力が衰えたためか、明らかにサーベイが足りていない研究活動をしている人もいる。
研究の進捗をシェアされる度、あぁ、それは何年も前に検証済みの内容だ、と悲しくなる。
研究者でない私に指摘されたとなると顔を真っ赤にしそうな人ばかりだ。
異動した元部下達が異動の前日、丁寧な感謝の挨拶を私にしてくれたのを覚えている。
上手く理由を言語化できないが、この時私は人の上に立つべき人間ではないと思った。
それに年上の部下が多かったせいか、期末の評価時期になると常に気疲れしていたというのもある。
入社して6年。
仲が良かった同期はみんな優秀だったのでもう誰も残っていない。
私は無能なので時間はかかったが、おそらく今年中に辞めることになりそうだ。
辞める会社のサービスなんて使いたくないが、使わずに生活していくのは困難だろう。
インターネット怖い。
そろそろ大学院入試シーズンなので,聞かれそうな質問をまとめてみた.
質問は大きく分けて2種類ある.コンテキストに強く依存した質問と,テンプレ質問だ.
このうち,後者は仮に試験官が一切話を聞いていなかったとしてもできる質問だ.時間を掛ければ対策はできる.
よっぽど試験官の頭が良くない限りはテンプレ質問ばかり来るから,
テンプレ質問の準備をしておけば院試は恐れることはない.試験範囲が決まった筆記試験のようなものだ.
また,コンテキスト依存の質問も発表内容のみからできる質問と,そうではない質問に分けることができる.
『「手法にはナイーブベイズ法,決定木,SVMがあり,そのうちSVMを採用する」
とおっしゃっていましたが,なぜ他の手法を採用しなかったのですか?』
穴のない発表をすることは難しいので(試験官がちゃんと話を聞いていれば)
この手の類いの質問はよく来る.
論理的に行われる質問は,論理を押さえておけば容易に対策できる.
つまり,
あたりを押さえておけばいい.
例に挙げた質問に対しては,他の手法を採用しない理由,SVMを採用する積極的な理由を
きちんと答えられればOKだ.
これは試験官がその領域に対する知識を持っていて,かつ突っ込みどころがあるときに来る質問だ.
質問の種類としては一番対策が困難だが,これを綺麗に返すことができれば評価はうなぎ登り.
例えば,『「機械学習にSVMを利用する」とおっしゃいましたが,
ニューラルネットワークなど別の手法はご検討されなかったのでしょうか』
といった質問だ.もちろん検討しているけれど時間の都合上紹介しなかったという
雰囲気を出しつつ,隠しスライドでも出しながら説明すれば良い.
この質問に関しては,ひたすら基礎勉強・サーベイをして知識を身に付けるしかない.
時間がないのであれば不勉強を悔いつつ,このような質問が来ないように誘導しよう.
こういう質問だらけになることはまずないが,現実はそうではない.
逆に言えば,誰もが思いつくようなこのような質問に
うまく答えられない場合は評価はかなり低くなってしまうだろう.
いつでも明確な回答ができるように準備しよう.
上記新規性・有用性の変形だが,こちらの方がやや難しいことがある.
志望研究科が学際的な場合,特に前者の質問にはかなり困るけれど,
何となくそれっぽいことを答えよう.
時間が短い場合,これらを全て押さえた十分な発表を行うことは難しい.
ただし,これらについてはいつ聞かれてもいいように,
発表には使わなくてもスライドは用意しよう.
修士の院試であればどうせ研究は終わっていないのだから,絵空事を答えればいい.
このような質問をする人は大抵何もわかっていないので,何を答えても納得してくれる.
読んで無くてもタイトルを5本くらいは挙げて,
それらしい説明をしよう.
院試なんてものは通過儀礼なので適当に流せばいいと思うけれど,
これらの質問は学会その他にも応用できるので日頃から考えておくと良い.
また加減が難しいところではあるけれど,例えば先行研究を一切説明しないなどのように
あえて穴を作っておいて質問をそこに誘導するという手法もある.
明かな穴がある発表をしたことのマイナス評価を上回る場合は有効だ.
学位審査や院試といった場においては狙ってもいいかもしれないが,
http://anond.hatelabo.jp/20141107215952
ほとんどの論文が最低賃金には雇用への悪影響があるというもので
雇用への悪影響がない・極めて小さく観察できないとするのは一割程度。
過去の論文をたくさん探ってまとめるサーベイ論文のうち、参照数
の多いニューマーク・ワッシャーなどを見てみ。サーベイ論文だから
バイアス批判に抗弁できるよう、そこには細心の注意を払ってる。
2008年のサーベイ論文の元になったのが次のリンクから読める。
http://info.worldbank.org/etools/docs/library/251018/day5w12663april3se1.pdf
質問1
残虐な行為に対する抵抗度を考えるときに、質的な違いがあるとこに区切り入れるとすると、
a)対虫 | 対動物 | 対ヒト
b)対虫 | 対動物・ヒト
どっちを想定します?
その場合、件の女子高生がネコを解体していたからといって、ヒトを解体することは時間の問題ではなかったよね?
なんか、父親の責任追及のネタにしてる人いるけど、変だなーと思ったので。
その場合、(家畜はともかくとして)野生動物を食べることに対して抵抗はないの?
僕自身は捕獲して殺して食べるってたとえ家畜であっても残虐だよなーと思うんだけどね。
あと薬物混入もちょっと気になってる。僕の小中学生時代は、僕も周りも、理科で使う薬剤の危険性に対してひどく鈍感でした。
水酸化ナトリウム水溶液(水ナトって呼んでた)を触って、「なんかぬるぬるする〜w」「ちょwやべえ指紋薄くなったw」とかしてましたし。
なので、クラスメイトの給食に塩酸を入れるのが普通ではなさそうなことはわかるんですけど、ヒトに残虐性を向けた行為だったのかは疑問符です。
「みんながなんとなく超えない一線を超える性質」と「ヒトに対する残虐行為を実行する性質」は必ずしも一致しないと思います。
例えば花火の火薬集めて鉄パイプ爆弾つくる、っていうのは前者に当てはまるけど後者には当てはまらないよなあ、とか。
混入の件はサーベイ不足なんでおまけです。
追記する必要性を感じた為、いくつかの指摘に対して反応しておこうと思う。
まず最初に明記しておきたいのは、特定の個人に対して何かを主張したつもりはない。
個人攻撃(発言ではなく、発言者を話題とする)と取られてしまったのであれば、ひとえに自分の書き方の問題であるので謝罪したい。
引用元を明確にするために記載しているが、発言者は置換可能だと捉えて欲しい。
既に別ポストで述べたとおり、性差別を批判する際に、その表現の中に性差別を含んでいるからと言って批判そのものには影響しないと考えている。
しかし、好ましい態度では無いと思う。
これは、「人工知能学会誌の表紙イラストの表現」を批判する際に「批判の表現は差別を含んでいても、主張が正しければ良い」という態度を肯定すると、
「人工知能学会誌の表紙イラストの表現が差別を含んでいても、主張が正しければ良い」という態度をもまた、肯定することになるからだ。
「主張」の軽重によって、差別が許容されうるとは思わない。
ただし、表現の手法によっては、より慎重であるべきという主張はあり得る。
前述したとおり、表現の手法によっては、より慎重であるべきという主張はあり得る。
同様に、人工知能学会誌の表紙イラストは、政治的な主張を可能な限り避ける努力をすべきである、という批判もあり得る。
あらゆる条件下で絶対的な価値を持つ主義は無い。そのため、それぞれの信ずる所を主張することに意義はあると思う。
ただし、主張は相手に伝わらなければ伝達にならない。相手の意志を変えることが出来ない。
好悪の表明ではなく、批判である場合は、攻撃にならないようにすべきだと思うし、前提条件を共有する努力を怠ってはならないと思う。
人工知能学会誌の表紙イラストが問題であると思う場合は、相手とその問題意識の前提条件を共有した上で、指摘する必要があると思う。
(共通認識を仮定して話すことと、共通認識に齟齬があったときに相手を非難することとは、異なる)
この件で、フェミニズムに対する差別(偏見)が生じてしまったことには、責任を感じる。
可能な限りジェンダー論(社会的・文化的な性のありよう)等の主義には踏み込まず、主張の方法論だけにフォーカスしたつもりだった。
ある主義や属性に対して、「〜だから」というのは、差別的だと思う。
例えば、「最近の若者は」と論ずるときに「最近の若者全てがそうである」ことを明示しなければ、差別的な表現だ。
ある主義主張(例えば、自分はアファーマティブ・アクションを肯定する立場だが、いくつかのフェミニズムには共感できない)は、
主義主張に対して論じられるべきであって、個人攻撃と同じように、ある主義や属性によって差別されるべきではないと信ずる。
「〜を主張する人間だから、他の意見も聞く必要は無い」は、差別だ。
全てには反応できないので、いくつか抜粋した。
saebou
ありふれた学術用語のheterosexual male fantasyって言葉を使っただけで「差別表現」と言われるのか…だいたい「家事の性差別を肯定するのは、ヘテロ男性」なんて言ってないし絵の性的含意の話をしてるわけだし… http://htn.to/6oHfV2
自分の知識が無い事で、整理をする前の段階であったという指摘であるのならば、謝罪したい。
CiNiiで、「ヘテロ男性の性幻想」や「heterosexual male fantasy」では見あたらなかったため、サーベイ論文を示していただければ読んでみたいと思う。
釈明するとするなら、自分の知っているジェンダー論に関する論文では、可能な限り性を注意深く扱っているように見えた。
Sexual fantasyや、Homosocialという単語には、男性性という意味を含まないし、男根主義(Phallogocentrism)も「主義」の話をしている。
また、発言からは人工知能学会誌の表紙イラストが性差別であると指摘しているように受け取れたので、そうなるために必要な前提条件を提示した。
論理の組み立てに誤りがあるのであれば訂正したい。読解力の問題であるという指摘であれば(前提条件の提示が無い為)同意できない。
saebou @Cristoforou
この表紙むちゃくちゃ気持ち悪い。こういう表紙にするって決めた人たちの中には女性の学会員はいたんだろうか?女性のロボットがつながれてて家事をしてるってヘテロ男性の性幻想丸出しだよね。 / “学会誌名の変更と新しい表紙デザインのお知ら…” http://htn.to/drzHrj
「こういう表紙にするって決めた人たちの中には女性の学会員はいたんだろうか?」という表現から、
「ヘテロ男性主義」という意味ではなく、性的指向としての「ヘテロ(異性愛)」性別としての「男性」を指していると判断した。
すなわち、「異性愛の男性の学会員の性幻想が表現された表紙デザインだ」と主張し、非難しているように読めた。
個人のツイートであるからそういった配慮を欠いて発言したとするなら、
性差別を指摘する際には好ましくないのではないかということは、既に別のポストで述べた。
(なお、学術用語であることは、差別表現ではないことを意味しないがそれは別の話になる。
ある集団内で定義された単語である場合は、その前提条件は明示する必要があると言うことも、既に別のポストで述べた)
nekora
そんな真面目で大層な話ではなく、現代アートの人の単なる面白半分の煽りでしたとさ http://twitter.com/5putniko/status/416366121084678144 バカフェミに延焼してキモヲタが釣れて大変ご満悦の模様
Sputniko! スプツニ子!
おっ! 朝おきてみると美少女アイコンたちから、リプが!笑 おおきいお友達のみんな、いちばんのもんだいは、表紙デザインそのものよりも 「学会がこういう論争が起きかねないことに無自覚」ということなんだよ!♡ わかったかな〜?♡ (๑˃̵ᴗ˂̵)و
リンク先のツイートを読むと、何を問題にしているかが不明確なので、良く分からなかった。
「学会がこういう論争が起きかねないことに無自覚」というのは推測であって、その根拠が明示されていない。
「いちばんのもんだいは、表紙デザインそのものよりも」という提示からは、表紙デザインの表現が問題なのではない、と読み取れてしまう。
(論争を起こす目的で表紙を掲載したのであれば問題はない、と言っているのか想像するしかない為、理解できなかった)
staton
id:hungchang 100字制限があるから攻撃的,差別的表現になっても仕方がないというのは酷い言い訳だと思いますよ.
前述したが、個人の発言と学会誌の表紙との持つ意味合いの違いは、あると思う。
ただし、既に別ポストで例示したとおり、攻撃的、差別的表現を含めずに批判することは出来たと考えている。
また、もしも文字数制限があることが攻撃的、差別的表現をせざるを得ないとするのであれば、
差別について指摘、批判する時に、文字数制限がある媒体を使うことは好ましくないと思う。
MersA
そう思っていた。
あー、なんだい?論文を書きたいって?でも初めて書くから書き方が分からないって?ああ、そりゃ大変だね。自慢じゃないけどおじさんは自分で論文を書けるようになるまで10年かかった。まあ簡単には書けないさ。すぐに出来なくても焦らなくていいよ。ペーパーテストじゃないんだからね。何回書き直したっていいし、どれだけ時間が掛かってもいい。もちろん辞書は使いたい放題だし、ググルスカラで気の利いた表現はすぐ出てくる。間違った表現かどうかも分かる。エキサイト翻訳の精度も随分上がったしね。ちょっとお金出したら業者が校閲してくれるしね。英語なんて高校生レベルで十分さ。問題は研究結果だよ。当たり前の事だけど新奇性が十分無いといけない。でも君は普段から先行研究を十分サーベイしてたよね。そこは大丈夫な筈だ。もし君の研究に今までに無い知見があって、君がそれを永遠の形に残したいと思うのなら、じゃあ論文を書いていいんだよ。論文の書き方には色んな流儀がある、どんな風に書いたっていいんだよ、多分ね。重要なのは読んだ人にメッセージが伝わること、そして標準的なサイエンティストの批判に十分耐えられること、この二点だけだ。後者は色々難しいかな。人によって「標準的」は随分違うしね。物理学会の領域8みたいなdisり合戦に十分耐え、どんなクレーマーにもびくともしないデータの質、精密な議論。そりゃあ、望ましいけど、多くの場合はオーバースペックだよ。年を取ってこだわりたくなったらトライすればいい。最初はデビューすることだ。君の論文の伝えたいこと、メッセージ、が標準的な科学者が納得できるエビデンスが揃ったらどんどん進めばいい。周りの人が「もう論文書けるね」とか言い始めたらそれがシグナルだ。論文を一度書くと、人の論文の読み方も変わってくる。場合によっては査読が回って来たりする。それが論文を書く時に役に立つ。この感覚はやってみないと分からない事が多いと思う。最初から完璧に書こうとせずに、何本も書きながら成長する方が遥かに効率的だよ。ある先生は論文を書けない私を「3本書きましょう、3本書いたらみんな書けるようになりますよ」と励ましてくれたんだけどね、これは金言だと思うよ。じゃあ具体的な話に移るよ。まずタイトルだ。これは出来るだけ短く、しかし君のメッセージを出来るだけ伝わるように選ぶ。この二つを両立させるのは難しい?まずは後者で作って、その後、少しずつ削ればいいんだよ。そして意味が不明になる直前で止める。これで終わりさ。次はアブストラクト。アブストラクトは論文に書いた後に書くって流儀もあるそうだけど、私はアブストラクトが書けないうちは論文を書かない方が良いと思う。だってアブストラクト~君の伝えたいこと、メッセージ、だからね。これが固まっていないと迷子になると思うよ。アブストラクトは全体の設計図、骨格なんだよ。そして次にイントロダクション。イントロダクションと結論は対応していないとダメだからね。結論を意識して、読者に結論を理解出来る必要十分な情報を提供するのがイントロの役割だ。もちろんこの際、先行研究を正当にリファーする必要がある。自分の結果の新奇性を十分に主張するためには自然とそうなると思うけどね。次にエクスペリメンタル。ここはそんなに難しくないかな?そして肝心のリザルツアンドディスカッション。ここは先ずグラフを先に作るほうが良いと思う。君のメッセージを一目で伝えてくれるような分かりやすくて美しい図、それを作るんだ。図の作製は重要だよ。論文を読む時は図だけ先に読めとか良く言うでしょ?ログ-ログ,リニア-ログ,リニア-リニア,色んなプロットを試してもっとも良いのを選ぶんだ。そして図を、君のメッセーが伝えやすいような順番で並べる。レターだったら3つぐらいフルペーパーだったら10を超える事もあるかもね。とにかく色んな順序で並べてみて、君のメッセージを伝えるストーリーを考えるだ。もっとも分かりやすい順番を選べば良い。数学の証明のように順を追って謎を解き明かず方法もあるだろう。最も重要なメッセージを伝える図を最初に示して、それを補強していくやり方もあるだろう。どちらにせよ基本的に英語は一本道だ。日本語みたいに、「なお」「話は変わるが」みたいな唐突に話を変えるような事は殆ど出来ない。そう考えると自ずと解は多くない。ここまで出来たら後は文章化するだけだ。On the other hand, moreover, in contrast みたいな単語で文章をつなげれば良い。これは色んなサイトで表現を紹介しているよね。便利な時代だ。最後に結論。Summaryだとほんとに本文を拾ってくるだけでもいい。最初はこれで十分だと思う。慣れてきたらSummaryとConclusionの違いを意識してみる、とか色々考えればいい。投げやりだって?ごめん、勢いで書き始めたけどもう眠いんだよ。最後に君に是非伝えたいメッセージがある。論文を書くという作業は楽しい物なんだよ。君の研究結果を永遠に、多くの人に伝わる形に結晶化させる作業だからね。早くその楽しさを知って欲しかったのさ。
原発事故の後、電力供給が復活してネットワーク機能が戻った際にまずやったのが、チェルノブイリとABCCの資料集め。
それらを斜め読みした後、公表されているサーベイメーターの値を論文片手に計算してみて、安全だと納得したわけだが。
そういった手間を掛けないで、「ピカドンの毒がー!」とか騒いでる奴の方が呆けてるとしか思えん。
ICRP勧告(LNT仮説)を元に政策は決められているんだし、政府の「この程度の放射能は大丈夫」には何も問題はないだろ。
まぁ、平成22年度原子力総合防災訓練を行ったのにもかかわらず、悪い選択を繰り返した政府はアレだと思うが。
むしろ、こっちの側から攻めたらどうよ?
「冷却機能消失という同様なシチュエーションで防災訓練していたにも関わらず、この様晒している政府の発表なんぞ信用する方がどうかしている。」と。
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769