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2024-01-31

日テレ約束を守らなかったのか?

セクシー田中さんの件、SNS議論著名人の発信、スターを稼いでるブコメなどを読んでると、日テレ脚本家批判する人たちも擁護する人たちもどうも事実を正しく認識できていないように思えて仕方ない。

そこで今一度芦原さんのブログに立ち返って冷静に事実確認をしたい。

まず今現在批判してる人や擁護してる人が漠然と抱いている事の顛末は以下のようなかんじじゃなかろうか。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

では事実はどうだったのか、芦原さんのブログを元に順を追って確認したい。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

→これは事実だ。

ドラマ化のお話いただき、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただきながら、

最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。

セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない

作品であることと、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただいた結果として、

僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマ制作スタッフの皆様に対して

大変失礼な条件だということは理解していましたので、

「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに

何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

→これも事実だ。

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

→これはわからない。芦原さんのブログには書いていない

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

→これは事実と異なる。芦原さんは上がってきた脚本をできる限りすべて加筆修正し、原作に沿った脚本に仕上げてそれを元に実際のドラマは作られている。

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

→ここも一部事実と異なる。脚本化を降ろし、9話、10話の脚本原作者執筆したのは事実だが、その理由スケジュール上の都合だ。

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本執筆された方は

9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、

9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき

脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、

という解決策となりました。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

→これも一部事実と異なる。9、10話を納得できるものに仕上げられなかったのは事実だが、それは8話までの出来とは関係なく単に原作者の力量不足ゆえだ。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

→ここは判断が難しい。原作者最初に出した条件が守られていなかったと思っているが客観的にみると条件は守られている。それについては後述する。

そして全体の評価で言えば後悔ではなく感謝している。

最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、

ドラマ制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画ドラマを愛してくださった

読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

論点日テレ約束を守らなかったのか?

7の項で書いたように原作者認識では守られていないように感じていたようだ。だが客観的にみれば実際には守られている。

まずおさらいだが、原作者が出した条件は以下の2点だ。

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

要約すると、

1.漫画に忠実にドラマ化すること、そうでなければ加筆修正する。

2.終盤部はこちらで用意したあらすじからセリフまでをそのまま脚本にすること、できなければこちらが執筆する可能性もある。

そして問題はこの条件が守られたか否か?

ブログには以下の事実が書かれている。

原作者は7話までの脚本を加筆修正してほぼ原作通りに仕上げた。

・8話も改変前の内容に修正できた。

・9、10話は脚本家を降ろし、原作者が自ら仕上げた。

これは当初提示した条件通りではないだろうか?

原作者視点では「思っていたように仕事がすすまなかった」のは事実だろう。

しかしそれはあくまプロセスでの問題であって、結果をみれば原作者は最大限尊重されていた。

まり日テレ約束を守った。

しろ途中で降板させられた脚本家のほうが日テレから軽くみられていたといえるんじゃないか

 

というわけで、今回の件で明らかになっている事実は以上の通りだ。

どんな意見を述べるにせよまずは事実を正確に把握してから発信して欲しい。

anond:20240131120706

宗教的イコン信者にとって都合のいい存在)が作り上げられるプロセスを生で見ることができてよかった

anond:20240131005602

漫画家自殺プロセス全然違うのに、バカだなコイツ

「こういうことはしないで!」って言えば二次創作は潰せたが、TVドラマ制作は止めてもらえなかった。

全然違うじゃん。

二次創作潰ししたいだけだろバーカ。

2024-01-30

脚本家のせい」と追い打ちする人ばかりのインターネット、怖すぎる

まず、「セクシー田中さん」の作者が自死を選んだ胸の内は分からないし(流石にドラマの件が無関係なわけはないだろうが)、

ドラマ脚本が作者の意に沿わぬ形に改変されるプロセスに、どれほど脚本家が主で携わってるのかという裏事情も分からない。

・・・といった判断を保留すべき要素もあると思うんだけど、

そういう点は抜きにして、外野の各々が「脚本家のせいだ」と判断しちゃったとしても、それを今ネットに書き込むのはマズいと思う。

そもそも今回の騒動、元からネット民に袋叩きされてたのは圧倒的に脚本家側だった。

原作メディアミックス改悪されるトラブル話は定番中の定番火種だし、

しかも「実写化」「テレビ局」という特に敵視されがちな要素が加わり、

おまけに「作者側が事前に、意に沿わぬ改変はしないよう約束を取り付けていた」というストーリーも乗っかれば、物申したい人は溢れるほどいただろうし。

そこに、今回のような衝撃的な事件が起きてしまった。

とりわけ矢面に立たされてる脚本家の方、あとはドラマプロデューサーとか、漫画担当編集者とか、この件に関わりの深い人達は、きっと物凄いダメージを受けたことだろう。

「人が死んでしまったきっかけが自分仕事にあるかもしれない」という思いは絶対によぎるだろうし、それを背負って今後生きていくのは、物凄くキツい事だと思う。

その心情を思えば、流石に今、特定個人対象にしてこれ以上追い込むべきでは無いと思う。

それでもどうしても何か言いたいなら、せめて日テレとか小学館とか、組織全体の体制を指摘するくらいに止めるべきじゃないかな。

タイトルのような事を書いている人たちからしたら、

これは人格攻撃する「誹謗中傷」ではなく、プロ仕事に対する「批判」だとか、

そもそも脚本家のインスタ投稿内容が悪かったとか、それぞれ言い分はあるだろうけど。

例えそれがどんなに正当な批判だったとしても、本当に対象にかなり非があるのだとしても、

このセンシティブタイミングで、皆がこぞってそれを書き込んでしまったら、"叩かれている側"にとっては、四面楚歌のおぞましい状況に感じられることは想像に難くない。

誰かが批判の嵐に押しつぶされて、衝動的にまた、恐ろしいことが起きてしまう。そんな危険はらんだ状況だと思う。

それでもなお、「脚本家のせいだ」と追い打ちをかける人たちが、どこを見渡しても山のようにいる今のインターネットの状況が、怖くて仕方ない。

その発言がどういう意味もつのか、みんな想像せず無邪気に書き込んじゃってるのか。

それとも分かった上でも書いちゃうくらい、非常な心を持った人ばかりがいる世界なのか。せめて前者であってほしい。

仮に原作者脚本家が納得できるプロセスができても

全くドラマとか漫画とか関係ない別件でファンネル暴走したらまた被害者出るかもしれないですよね

anond:20240130132205

脚本家被害者だと思うよ

だって書いたものを誰かに勝手修正させられてそれを最終稿にさせられるんだから

原作者脚本家合意プロセスがなく、契約があるからというだけで原作者一方的意見のみが通ってしまったのではないか

契約を円滑に果たすことができるプロセスを局側が用意できなかったのが揉め事の発端

とはいえ、作者を殺したのは原作厨暴走で決まりだけどな

anond:20240126111302

証拠」→「結論」のプロセスの話であって、証拠が無いなら結論否定される

2024-01-28

anond:20240128031950

ちょっとネガティブすぎるなーと思うけど、実態としてはそんな感じなのかな。

リベラルの人たちは能登についてしばらくちょっと黙っててほしい

という話だけど、

「馳さんは外のもんにいじめられて可哀想や」

能登の暗いところばっかりニュースにしていやらしい」

これを能登人間が言っている事実についてちょっとは考えてくれ

ない想像力を働かせて考えてみる。

谷本県政時代から引き続く工業団地などの企業誘致北陸新幹線。そして延伸へ向けた馳知事の尽力、などなど。

こうした地域経済振興観光アピール公共事業、過疎対策をいろいろやってくれたからなのかな。県政評価は高いと思う。

県民しては、とりわけ28年も知事を務めた谷本には強くお世話になった感が強いのだろう。

でも谷本さん自身は当初、革新政党系の支持を受けて初当選したというのをさっき調べて知った。当時、森喜朗推していた農林族の対抗馬を破った経緯もある。

2003年能登空港の開港小松空港国際線就航などは、森喜朗が尽力したといわれているけれど、谷本とは不仲だったという。

2022年谷本知事引退の際に、再び新たに農林族の山田出馬することになり、保守分裂という事態に陥ったが、森喜朗自分が育ててきた馳を推すことに決めた、という内容の記事もさかのぼってみた。そして行政側は第一次産業への理解が厚い山田を推す動きがあった一方、谷本事実上、馳に自分の後継として信を託したという記事もみた。

そう考えると、保守王国石川県というけれども、一枚岩じゃなかったけれども鋭く対立もしていなかったというのも今後の復興を考えるうえでは、いろいろと興味深いと思った。

そんなところへ、ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけで

この際、復興過程では、そういうところを切り捨てて優先順位をつけるべきだ、とかいう雑な議論が耳に入ってくると、それは地域人間としてはイラっとくるのかもしれない。

想像だけど。



余談ーー

また初動に関して、「馳知事はよくやっている」論も、わからなくもない。

馳氏は谷本県政時代に後回しにされていた地震被害想定など、災害リスク軽減のための取り組みを見直そうと着手していたことは事実で、

今回の震災に間に合わなかったいうのは事実だとしても、馳知事だけの責にするわけにはいかないだろうと思う。

あと、今回初動の遅れの原因のひとつとして、石川県北陸地整が本来事前に取り組むべき道路啓開計画が未整備だったという指摘もある。

総務省は去年の段階でいくつかの地整や県に対して是正勧告を出していたから、いくら県政2年目の新人知事といっても知ってはいたと思う。

これって建設業者など指名業者と事前協定をし、迅速に予算執行するうえで超重要なんだけど、結果としては後回しになってしまった。

ただ、去年から道路啓開計画に着手していたとしても間に合わなかった可能性が高い。

そういう意味では、馳知事はよくやっている、あんまり叩くな、という県民気持ちはわかる。

一方で、発災直後の対応外野があれこれ批判しているうちに、交通インフラ問題は解消しつつあり、あれよあれよという間に復興モードスイッチが入っていく。

復興初期段階のスピード感というのはものすごく早いので、初動の問題はいろいろあったにせよ、そんなことの検証にあまり時間を割いている余裕はなく

これからがれきの処理やら広域の自治体間協力も必要になってくるなど、馳知事には復興の手腕が問われることになる。

という感じであるので、震災後一ヵ月になろうとしているこのタイミングでは、

県民もっとポジティブに前向きに物事をとらえたほうがいいんじゃないかと思う。

多分、震災3か月後には初動の失態なんて議論過去のものになって、もうしていないと思う。

disられていじけて、保守ますます保守に、というルサンチマン丸出しのネガティブスパイラルもわからなくもないけど、

からと言って、何も知らない外野がわーわー騒ぐのは止めようもない。ましてやネット空間なんて。

しかし、外野意見なかには、今後国や行政がどう動こうとしているのかのヒントもあるのも確かなはず。

そこは地元人間だけではルサンチマンを越えられないかもしれないけれど、災害復旧のプロセスで入ってくるさまざまな他者民間支援企業だったり、NPOだったり、コンサルだったり)との対話の機会が今後増えてくると思う。

よそからきた民間経験などを踏まえて、外部の冷静な視点意見を再整理してゆく、ということもまた大切と思う。

そして、実際、国や行政復興モデルに着手し始めると、とりわ予算をつけることが前提となると、行政としては長々と議論してもらいたくないので、予算執行を急ぐのが世の中の常。

復興公営住宅にしても行政が「これならすぐに着工できますが」と提示されたものから復興が進んでいくなかで、ただでさえ経済的に苦境に陥っている被災者に、地域を出てゆくか、受け入れるかの二者択一で選べという形で行政主導が突き付けられる、というのが東日本の教訓としてある。

しかスピード感のある復興とか国や県はかっこいいことを言い出すに決まっているので、恐らく震災半年後くらいには被災者決断を迫られる。え?そんなこの状況でまだ決断できない、という被災者も多かろうに、行政は「受け入れるひと、この指とまれ方式なので、行政提案を受け入れた人だけが救済を得られ、地域を出て行った人はどうなったか統計すらないというのが実態となる。

それこそ、発災直後はヒーローみえていた馳知事が、復興期には被災者に苦渋の選択を急がせる役人顔をするかもしれない。

心理的メカニズムとして馳はヒーローだというマインドがどんどん強固なものになって、ますます保守保守していくなかで、次に復興の話がやってくる。

ルサンチマン的な心理的メカニズムから解脱して悟りを開いている人が何人か周りにいればいいんだと思う。

そういうことの萌芽を、今の時点で何も知らない外野がわーわー騒ぐ言葉の端々にちょろっと見出せることがあるかもしれない。

先日、被災地域ではようやくボランティア活動が本格的に開始されることになった、というニュースをみた。

外部の人間がこれからわんさか入ってくる。これまで入っていただいていた100くらいのNPO団体も含めて。

そのなかには、東日本含め、過去復興経験を持つ人も多くいるはずで、そういう方々と交流をする機会が増えるんじゃないかなと思う。

外部の人間玉石混交で、なかには、インテリ風な意見を持つ人もいるかもしれない。

間垣の里なんてどうでもいいんだよ、堤防なんだよ生命安全第一なんだよ、とかね、中にはいるかもしれない、例えばだけど。

そういうときに、その意見ちょっと違うよね、と言ってくれる人もまた外部の人だったりするので、不協和音のなかだからこそ貴重な意見も拾える。

そのときに、いちいちルサンチマンに陥っていると、聞く耳をもたなくなって、聞けるはずの意見にも耳を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

はいっても、これといってどうしようもないことかもしれないけれど。

被災地の人にはこのままルサンチマンを深めながら一方で公助への依存を強め行政から提案を待っていると、

最終的にあんまりいい結果にならない気がするので

玉石混交の外部の人が入ってくる機会をチャンスととらえて、復興の話を進めていったらいいんじゃないかなと思う。

anond:20240127160600

誰もが書いているが「反米主義」が煮凝ったバカが暴れているだけだからね。

米帝が嫌いすぎて、米帝よりは遥かに邪悪シナとつるみたがっているしね。

米帝さえ崩壊してくれれば、大嫌いなジャップ世界破壊できるし。

他民族の命が重かろうが軽かろうが、心根では大真面目どうでもいい奴が本件で罵詈雑言浴びせているだけ。

イスラエル人ハマスに殺されて当然だが、ガザの子供が殺されるのは許せないし、そもそも有名無実の「オスロ合意」に戻せ、とかイスラエルがクソ野郎でも「民主主義国家であることを忘れている。

まぁ、シナを信奉するような反米・反民主主義バカから国民意見なんかどうでもいい、反米主義者の命を救え!」ってだけなんだからね。

そういうところがジャップリベサヨを俺が十分憎悪できる理由なんだよ。

非道国家であろうと「民主的プロセス」さえ踏んでいれば、それは正しさの理屈だよ。

まぁ、俺は「法治が前提として、誰かの命よりみんなの自由」を信奉しているから、命優先のリベサヨとは相容れないんだよ。

2024-01-27

anond:20240127223130

Steam

であれば他のプロセス極力起動しないようにするとかかな

2024-01-26

anond:20240126202554

単純に言えば圧力鍋。1時間煮込むのが15分で済むんだからシンプル時短できる。

でも、結局下ごしらえとか味付け調べたりするプロセスは何を使っても時短できないんだから普通に時短したい人に必要なのは調理家電ではなくミールキットまたは冷凍食品

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-25

anond:20240125123828

実は死も老化も離婚という損切りプロセスが明確にあるから大して問題じゃなかったりする

2024-01-24

anond:20240124201531

IIJmioで4980円で買えるRedmi 12 5Gなんか普段使いはこれで余裕だぞ

これが搭載してるSnapdragon 4 Gen 2ってローエンドのチップだけど、6年前のハイエンドである835くらいの性能はあって、さらに4nmプロセスなだけあって電力効率がいいんでなかなか電池減らない

ちなみにSnapdragonってなんか厨っぽいネーミングだと思う人多そうだけど、キンギョソウ(画像検索)の英名なんだ

美しい花の名を冠したチップを積んでるAndroidは、A17 Proみたいな無機質な名付けのAppleより風流だと俺は思うぜ

ちなみにより鮮やかで明るい有機EL格安スマホがいいなら+3000円でIIJで買えるReno7 Aをおすすめするぜ

そっちはチップは695で、CPU性能は4G2比でほぼ同じだがGPU性能はちょい上、メモリが2GB増えて1cm小さく25g軽くなり防水性も上がる

2024-01-23

なぜなぜ分析のやりかた

1.経緯を把握する

・初めに、問題が起こるまでの一連の経緯を把握します。

なぜなぜ分析をやるということは、あなたあなたの周りでトラブルがあったという事例がほとんどだと思いますので

それほど苦労することはないでしょう。

 

2.結論を設定する

・原因を掘り下げる前に、まず「全部私が悪いです」というゴールを決定します。

以降の分析はそのゴールに着地できるよう、常に意識して進めましょう。

 

あなた責任がなかったとしても、それを上司に納得してもらうことはまず無理です。

上司あなたに「なぜなぜ分析をやれ」と指示した場合、それは「お前が悪い。お前が責任を取れ」という意味です。

説明すればするほど、責任逃れととらえられる可能性が高いでしょう。

 

あなたが客先に常駐している場合、原因が顧客顧客先の環境であっても、それを書くのはやめておきましょう。

お金をもらってお仕事をいただいている弱い立場である以上、顧客業務プロセス設備に口を出して、変えてもらえる可能性は皆無です。

 

3.5つの「なぜ?」を埋めてみる

・1でまとめた経緯と、2の結論をもとに「なぜ?」を記載してみましょう。

最初は流れがつながらなかったり、5つ全部が埋まらなくともよいです。

 

4.経緯を簡略化する

・「なぜ?」がうまくつながらない場合、うまくつながるように発生までの経緯を見直しましょう。

事実にこだわらず、経緯が複雑だったり、登場人物が多いところは大胆に削って、シンプルストーリーしましょう。

もちろん、最初に決めた結論に到達できるようつじつまを合わせる必要があります

 

ほとんどの場合あなた上司あなた業務内容を全く知らないし、理解できるほどの知識もありません。

そしてあなたはそんな人達レビューを行い、分析結果にOKをもらう必要があります

内容を全て説明していたら、時間いくらあっても足りません。

レビュアーが頭を使わずスムーズに飲み込めるような単純なストーリーを作りましょう。

 

5.再度「なぜ?」を分析する

見直した経緯をもとに、なぜなぜ分析をやり直しましょう。

ややこしくなるので、見直す前の経緯は意識的に忘れるようにしたほうが良いかもしれません。

 

6.再発防止策を決める

・再発防止策は、極力実作業を増やさないような、単純な内容にしましょう。

チェックリストを作る」はあるあるですが、実効性はさておきレビュアーに対するわかりやすさと作業の単純さの点では、決してバカにできません。 

 

作業プロセスを変えれば対策できる場合でも、それに付随する

マニュアル修正前後作業への影響、他の作業者への周知などを考えると、影響が大きくなる場合があります

それらに不備があった場合、また作業ミスが起き、再びなぜなぜ分析へのループに陥る危険性もあります

 

7.レビューを行う

・「簡略化した問題発生までの経緯」「なぜなぜ分析」の2つの資料をもってレビューに挑みましょう。

説明資料ベースで行いましょう。改ざんしていない本来の経緯を出すと話がややこしくなります

 

レビュアーが変なやる気を出さないことを祈りましょう。

anond:20240122052057

被災者支援者関係を考えるときにさ、この増田がいうように

ギリギリ気を張っている被災当事者の心を折らないためには、子供扱いしてあやすのでもなく上から従わせるのでもなく対等にフェアに扱わなければならない。

信頼できる随伴者がいるのだという、寄り添い型の支援、それが基本だっていうのは意見理解できる。

そして今のこの発災直後1ヵ月未満というタイミング必要マインドだろう。

罹災証明手伝います、とか公的支援がこんなのあります~とか、支援者側が見えているものをわーわーと情報洪水押し付ける、とか避けるべきだし

そこはそろりそろりと小出しに情報提供してみて被災者が腰を上げるかどうか様子をみるしかない。

ただ、「対等にフェアに扱わなければならない。」という、その気の使い方、その言葉の端々に、当事者から離れた立場そもそも出発点だというジレンマもあろうね。すでに知らず知らずに上から目線がにじんでいるよね。

ただ大切だっていうのはわかるんだけど、でも長い目でみて、寄り添いってそこまで大事かな、そうかな?とおもうとこもある。どちらかというと、つかず離れずなのかな、と。

今後の人生を決めるのは支援者じゃないしね。彼らの人生の何がわかるって、結局何もわかってないところからスタートするわけじゃない。

支援者としては突き放した部分というのも重要じゃないかと思う。

よく災害復興は発災直後からスタートするっていうように、これから少しずつ復興の話をしなければならないなかで

限界集落の連中をさっさ強制移住させろ!」

は極論だとしても、それに幾分かでも近づくニュアンスの主張というのはどうしたって誰か彼かから出てくるもの

そのときに、信頼関係というのがむしろ邪魔になることもあると思う。

信頼関係ができて人間関係が密になると、知らず知らずに同じ人、仲間内の人としか話をしなくなるってことがある。

話し合いの場で、いろいろな人がいろんな考えを持っている、ということを排除するムード自然とうまれていく、といってもいいんだけど。

そとからみると、内輪で鉄壁なわばりがつくられてしまって、はたからみて何かいいたいことがあっても声をかけにくくなってしまう。

ちょっとでも被災者の心情に傷をつけるようなことをいうと、お前は被災者に真に寄り添っていない、と断罪目線をむけてられてしまう。

支援者同士の分裂や被災者の分断ってそういうダイナミズムで生まれることが多い気がするね。共産党マインドっていうか。

強い信頼関係が知らず知らずに、他者との温度差にかわっていくのって案外自分では気が付きにくいもの

連中がどんだけ何もわかってないか

「対等な関係」こそは被災者支援命綱であるのに、当事者完全不在のスーパーパターナリズム議論

結局のところ能無しどもが深刻づらして地方ヘイトポルノをたのしんでるだけ。

という表現なかにそういうのが垣間見える。

恐らく敵が増えていくプロセスって自分じゃなかなか、わからないだろうな。気が付かないだろうなと思ってしまう。

それは逆に、本当にあるべき地域の姿を考えようとするときに足かせになる。

しろその地域全然知らないような無礼にも乱暴にもみえ支援者がわーっと闖入しては去って行ったり、そういうことが許されるような、

ゆるゆるなオープン空間のなかで、自由な発想が開花する、ということがあるかもしれない。

外部との換気ができている支援関係というのかな。

それは苦労して信頼関係を築いた先行者にとっては不快な雑音かもしれないのだけれど、案外そこに突破口やら解決の糸口がみつかるってこともある。

信頼関係はもちろん大切だけれども、それと同時に、多様性を受け入れる下地を作っておくことって大事だと思うね。

言うは易しで、空気が乱れ、不協和音があることこそが強みだという、そこまで突き抜けて達観することはもちろん自分でもできないけれども。

ときには仲間同士でも「お前の考えている支援なんて自己満足じゃないか」といってしまいたいときもある。

でも喧嘩したときは、長い目でみられるようなそんな姿勢ではありたいと思う。

2024-01-22

anond:20240122152948

レジェアルではポケモンバトルが一般的ではない時代が描かれていて人間が直接ポケモンに加害してから捕獲するっていうプロセス存在するよ。

って元増田に書いてあるよ。

2024-01-20

anond:20240119225113

なんか日本人って警察による取り調べと司法裁判全然別のプロセスだってわかってないやつ多すぎるよね

揺るがない証拠なんてあったらそんなもの被疑者に突き付けて発狂させて自供を促す必要なんてないんだよ

その証拠が揺るがないものならそれは裁判所に提出すればいいんであって、証拠に基づく判断をするのは裁判所で被疑者関係ない

そんなことも知らないんだよね

2024-01-19

anond:20240119085236

現実と何が違うんだ?

 

何が違うかというと、それは規制の内容を"運営が"決めているところだね。

中国共産党規制の内容を決めている状態に近い。

我々の日本では、なんなら伝統がんじがらめの村落であったとしても、一応何を規制しているかは合議によって、つまり自分が決定プロセスに関わっている。納得があるし、勝手に変更されない。

お前自身に、規制の内容を決めている実感が無いとしても、現実はそうなんだ。

 

かにお前の言う通り、自由であることは無法であることとほぼイコールだよ。

でも、これは逆でもある。

無法であることは、自由であることなんだ。

誰が不自由になりたいか? 不自由を許容するとして、それはどこまでだ。無法を許容するのとどっちが楽なのか?

結局のところ、無法の方が好きなんじゃないか人類は。それがアクセス数に繋がる。

割と幸せに過ごしていたが、少し暗雲が立ち込めた。

昨日の今日なので、この状況の変化にもじきに慣れて安定する可能性はある。

原因は、未来の楽しみの実現が2つ遠のいた。あるいは叶わないしれないと感じたこと。うまく環境に馴染めなかったこと。

面白いはいすれのケースにおいても、自分自身能力や状況に変化が生じたわけではないことだ。形而下における私は何一つ失っていない。

失われたのは「希望」「自己肯定感」といった概念、つまり頭のなかだけで起こっていることだ。

つまるところ「何かいいことが起こりそう」という未来への甘い算段をテコにして幸福感を得ていたわけだ。バカほど幸せなのはこういうことだろう(自分のことです)。

間違った認識だろうと本気で信じているうちは事実のように人間の脳は扱える。

私が比較幸福を感じながら生きられているのは、単純に性分ゆえ未来への不安が少ないからだろう。

私はニーチェの言うところの牧人だ。何も志さず、平穏楽しい人生を送れればそれでいいと思っていた。

しかし、気付かないうちに、その楽しみを得るためには、何かを犠牲にして挑まねばならないところまできてしまった。

彼らにに認められ、椅子を得るためには努力や苦労が必要となる。私は無欲で無趣味ゆえ、そうまでして何かを得たいと思ったことはこれまでの人生なかったのだが、厄介なことになったものだ。

趣味が高じて私の数ある楽しみのなかで特別地位を占めた。それが団体競技だったがゆえに「他人に認められる」という容易に自己肯定感を揺らがせうるプロセスが組み込まれている。厄介だ。

どうしたものかな。

諦めるかやるかの二択だ。

今のところやる気でいる。

いつまでやるのかわからないが。

私は未来計画を立てるのは苦手だが、本当は期限があった方が努力にも身が入るものなのだろう。

まあ短期テストが予定されてるので、そこで実力が試される。それを目標にしていけばよい。残り一ヶ月と少し。三日坊主の私には丁度いい。

楽しく過ごしていたというのに。

上手くいっていると思えているとき楽しいものだな。

そして上手くいかいかもと思っているときは気分が沈む。

当たり前のことだ。

心が上を向いているか、下を向いているか現実の座標よりも幸福感に作用するものだろうか。「今」も大事であるが。

いずれにせよ、私も欲張りになったものだ。

それがいいことか、悪いことかは今の私にはわからないが。

そういえば近所のTSUTAYAはもう潰れてしまったのだな。

2024-01-17

anond:20240117133655

居心地いいのが一番じゃないかなあ。

会社だって居心地よければ多少年収低くてもずるずる居座っちゃうし、逆に年収高くても心が休まらないような会社はおれなら辞めたくなりそう。

次に正解を選べれば離婚だって必要だったプロセスにできますよ。

普通にモテるみたいだし。

人気ブコメの論争

parrying 選択夫婦別姓は大いに賛成なのだが「パスポート名前ビジネスネームが異なる」程度のことでトラブルが発生する海外さんサイドにも問題があるだろう

esbee ブコメ、『海外さんサイドにも問題があるだろう』じゃあ国連にでも問題提起するか?諸外国配慮をお願いするのと国内制度を変更するののどちらが現実的か、考えるまでもないと思うけどね

parrying はぁ?俺が海外に変えさせるのが現実的だとか言いましたか?言ってもないし思ってもないことに言いがかりつけないでくださいね


オレは parrying さんの肩を持つ。

海外の人々の態度は、そうカンタンには変えられないだろう。

だが「変えられない」は「問題がない」ではない。

困難な現実を目の当たりにして心がポキリと折れて考えるのをやめてしまうのは、いわゆる内面化プロセスだ。

例えば、受験日の痴漢要請してやめてもらうのは現実的ではない。自衛する方が現実的だ。そのようにして被害者たちは自分を責めがちである。だけどそもそも加害者である痴漢がすべて悪い事を忘れてはいけない。

2024-01-16

anond:20240114202041

現役のライトノベル作家だけど、釣りかどうかはさておいて

イラストレーターってホントに本読まないんだよね。

相当に有名な作家だったら対応も別なのかもしれないけど、基本的ほとんどのライトノベルにおいて、イラストレーターは本文を読んでない。

そもそもオタクの中で活字を読む層ってかなり少ない一部の層だけ。それはつまり、それらオタクの中から生えてくるイラストレーターも同じだということで、本一冊分活字を読めるイラストレーター自体が少ない)

じゃあどういうプロセス仕事をするのかというと、

編集がこっちにキャラ設定の一覧を書くように言ってきて、

髪型はこう、体格はこう、胸の大きさはこう、服装はこんな感じ、雰囲気はこう、という指示を全部書いていく。

そしてもちろん、というか言及エントリを書いたこいつは確実に関係者ではあると思うんだけど、既存のどのキャラに似た感じにするかの指定が入る。

その上で、編集とどのシーンに挿絵を入れるか相談をして、編集が「これこれこういうシーン」っていう風に発注をかける。

そして返ってきたイラストは、本文を読んでないから細かいニュアンスが伝わってないのでメチャクチャだったりする。

もちろん、例えばエルフ耳で発注をかけたキャラなのに人間の丸い耳をしていたら、これはもうそもそも発注と違うので直しを入れられるんだけど

(本文の描写と明らかに食い違うレベルだと、そもそも挿絵として成り立ってないので、これはしょうがない)

基本的発注内容と齟齬がなければ直しは入れられない文化特に大御所」で当たりと言われているイラストレーターほどこれは顕著になってくる。

本文を読んでないっていうのがどういう風に問題になってくるかというと、例えばだけど、日常滅多なことじゃ笑わない寡黙キャラがいたとする。

そのキャラ挿絵で、笑っている印象的なシーンを発注したとして、大口開けてゲラゲラ爆笑している挿絵だったら雰囲気的に相当おかしいよね?

でも、本文を読んでいないから平気でそういう感じのシーンに合わないイラストを提出してくるわけ。

もちろん、そういうところは編集カバーすべき領域なんだけど、編集のほうもそういう細かいニュアンス他人に伝えるには文章能力必要だし

そもそもイラストレーターに読解力がなかったらどうしようもない。

編集イラストレーターも両方高い能力が備わっていて、すり合わせができていればイメージが合っていくんだろうけど、そんなケースはごくごくわずか。

もちろんラフで提出した段階で「ここ気をつけてくださいね」って注意できればいいけど、それにも限界がある。そもそもラフが雑すぎて、口の大きさや細かな表情のニュアンスなんて読み取れなかったりする。

「不満なら作者側でNGだしてやり直させりゃいいじゃん」

って思うでしょ?

それができないんですわ。

イラストレーターには、そういう面倒なNGリテイクを回避する方法があるのよ。

それは「締め切りギリギリに提出する」ってテクニック

締め切りギリギリに出されて、表紙と口絵と挿絵、全部揃えるのに、NGラフの直しをさせてたら間に合わないよ?

そしたら原稿落ちるわけだけど、それは困るよね?

ってやり口をしてくるわけ。

それでも先に書いたように、エルフ耳が人間の耳レベルの間違いや、そもそも本文の助けになるどころか雰囲気をブチ壊しにする挿絵だったら、修正させざるをえない。

そうなった場合挿絵の点数を削っていくんだよ。いちばん重要な表紙のクオリティだけは犠牲にできないけど、挿絵犠牲にできる。

挿絵の点数を削るのは、本当に日常的に慣れてしまレベルで行われている。

これは俺が取引してきた1つの編集イラストレーターの話じゃなくて、3社で仕事したけど全部そう。

同じ作家友達でも、きちんと読んでくれて納期を守ってくれる(つまり編集側が考える、直しを入れられる時間的余裕を設定した上での適切な納期を守る)イラストレーターって、

それこそ一定以上のクオリティ仕事をしてくれる絵師の中では殆どいないのよ。出会えたら奇跡レベル

俺はみんなが神絵師なんて持て囃してる人とも仕事してきたけど、そういう人でも当たり前にそういうことをしてくる。

まりみんなクソだから編集も選ぶ余地がないわけ。

んで、ライトノベル作家納期ギリギリイラついてる編集に言われるんですわ。

「◯◯さんの考える解釈が✕✕さんと違うだけなので、それは受け入れてくださいよ」

って。

いや、俺作者だよ? 本文も読んでない納期も守らないクソイラストレーターと、作品世界をまるごと守ってる作者本人の解釈のどっちが正しいなんて、議論以前の問題だろうがと。

読んでるなら、もちろん違う解釈も最大限尊重するけど、読んでないんじゃ解釈くそもない。

もちろん編集も板挟みになってるから仕方ないんだけどさ。

ちなみにイラストレーターの都合で一ヶ月スケジュール伸びるっていうの、普通にあるからね。

そんで、作者は「大人対応」を要求されるから、それは告知できないんですわ。楽しみにまってる読者からしたら「作者が落としたんか?」って疑惑がつきまとうのを我慢しなきゃならないわけ。

まあとにかくイラストレーターっつーのはクソばっかりですわ。

さっさとAI絵師に淘汰されてほしいっていうのが正直な感想

anond:20240116003349

偏りをなくすというが、そもそも偏りのない再分配なんて論理的にあり得ない

再分配というのは「ミクロ経済的に正しい分配」から「別の正しさを基準とした分配」への修正であり、何らかの偏りを持った正しさを根拠とするし

民主主義プロセスによるならそれは個人感情の集積だろう

そして人間感情というのはランダムではなく傾向を持って偏っているんだから

再分配の行き先はむしろ直接寄付より偏りが増幅されることすら全く珍しくない

個人寄付によるかいったん納税して分配するかは見かけほど違いはない

もちろん再分配をしなければ偏らないというのも間違いで

ミクロ経済個人感情駆動されているんだからやっぱり偏る

なのに、経済的取引はセーフ、国家による再分配もセーフ、なのに人の直接寄付だと即アウトになるというのは

ラインの引き方が恣意的すぎるのでは?

明らかに論理的に思えるし別の感情理由があるように思えてならないな

なぜあばたがそこにラインを引きたいのか?ということをまずもっと考えたほうがいいんじゃないのかね

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