はてなキーワード: バロメータとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 124 | 19897 | 160.5 | 52 |
01 | 54 | 11841 | 219.3 | 53.5 |
02 | 31 | 3226 | 104.1 | 64 |
03 | 16 | 2517 | 157.3 | 93.5 |
04 | 10 | 1049 | 104.9 | 44 |
05 | 11 | 569 | 51.7 | 47 |
06 | 7 | 668 | 95.4 | 43 |
07 | 31 | 3232 | 104.3 | 71 |
08 | 40 | 2817 | 70.4 | 27 |
09 | 75 | 9146 | 121.9 | 60 |
10 | 160 | 17037 | 106.5 | 51 |
11 | 185 | 23764 | 128.5 | 57 |
12 | 137 | 18528 | 135.2 | 70 |
13 | 149 | 16884 | 113.3 | 55 |
14 | 123 | 13835 | 112.5 | 41 |
15 | 87 | 7869 | 90.4 | 53 |
16 | 58 | 7391 | 127.4 | 48.5 |
17 | 67 | 6284 | 93.8 | 56 |
18 | 105 | 7596 | 72.3 | 44 |
19 | 135 | 11822 | 87.6 | 35 |
20 | 93 | 8686 | 93.4 | 39 |
21 | 98 | 14222 | 145.1 | 43 |
22 | 66 | 9279 | 140.6 | 60 |
23 | 118 | 11093 | 94.0 | 51.5 |
1日 | 1980 | 229252 | 115.8 | 50 |
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パンティー (5), あれ何なの? (4), テスト (3), うんち (3), >取りうる手は全部試したんですか?レ(2), ネタだとしても、妻を殴る蹴るって発想(2), 日本国籍だからといって、日本人である(2), しゃぶれよ (2), 男のほう女のほう?w (2), サヨクガー (2), (2), 初対面で話題に詰まった時のオプション(2)
■外国人ってだけでタメ語使う人… /20180910115018(17), ■被災者だけど日本の男はナイトになれよ /20180910090109(11), ■今期アニメは何見れば良いの? /20180909153630(9), ■パスタのタレに茹で汁って入れるものなの? /20180909184429(9), ■「手から唐揚げが出る」以上にほしい能力 /20180910012304(7), ■5歳の息子におすすめのファミコンのゲーム /20180910181232(7), ■上司が胸をチラ見してくることに気づいてしまった /20180910204950(7), ■生活の荒れ具合を示すバロメータ /20180909211724(7), ■ポジティブ増田って居ないの? /20180910194215(7), ■オタクの許容範囲の広さがすごい /20180910092113(7), ■やりたくない病、怠け病 /20180910105822(6), ■誰かに課金しないと行けない国 /20180909133511(6), ■セレナ・ウィリアムズに賛同してる奴ら何なの /20180910163006(6), ■家族の血液型について /20180910110739(5), ■「プライベートでは一切勉強したくない」エンジニアにおすすめの職種 /20180909073549(5), ■母親は俺に一円も支払わなかった、という話 /20180910191205(5), ■日本人の活躍を「誇らしい」って思う人マジで理解できない /20180910120457(5), ■携帯会社(au・docomo)のメリットデメリットを教えて? /20180910090501(5), ■みそXXは思ったよりうまくない /20180909100257(5), ■anond:20180910191432 /20180910191529(5)
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下着(トランクス)って毎日替える必要ある? ーー anond:20180909201028
ひとり暮らしは他人の目を気にしなくていい気楽さがある分、忙しいときなどには荒れてしまいやすい。
荒れ具合を確かめるためのバロメータのひとつがリソックス・リパンツの発生だ。
洗濯していない下着を裏返してもう一度着るなどという屈辱。なんとしてでも避けなければならない。
そんな覚悟とは裏腹に、生活はもっと荒れていくことがある。リパンツが頻発している状況で、急な呼び出しが入った。行かねばならないがクサイ下着を履いては行けない。そのようにしてレンジパンツは発生する。洗剤をつけて揉み洗いしたのちよく絞り、レンジで一分加熱したのちに振る、というのを繰り返すと現実的な時間で健全なパンツが手に入る。これがレンジパンツだ。洗剤で洗ったのだから原則キレイなはず(と自分に言い聞かす)。ただしこれはオススメしない。その日俺はレンジ皿直置きを躊躇して、そこらに落ちてる段ボールをちぎり、パンツを載せてチンした。ユニットバスで頭を洗ったあと戻ると、あれっ何だか煙いぞ… これは湯気じゃない! キッチンは白煙で満たされていた。俺は全裸でガラス窓を何度も叩いた。開かない! 開かない! 開かない! 別の窓は力押しで開いた。煙が外に流れていく。窓が開かなかったのはなんのことはない、鍵がかかっていただけだ。パニックの中では鍵を開けようなどという単純な発想も吹き飛んでしまう。俺は真の恐怖を味わった。パンツ一枚のために。素っ裸で畳に横たわって思った。こんな生活は改めなければならぬ。煙が出たのは、段ボールを留めていた樹脂テープが過熱して発火したからだった。消化するとき取り落としてしまったので、ビニール床には焦げ跡がついていた。パンツは無事だった。
A. 各洗濯行為のハードルは干すことになる服の総量に比例して大きくなるのです。あるポイントを越えて生活が荒れると、洗濯周期というものは消滅します。「洗い物が干されないままに再び洗濯される」これもバロメータのひとつ。他のバロメータ、ライトなところでは「料理をしなくなる」。進行するとゴミが出るのを嫌がり買い食いさえも億劫になって発生する「毎食が外食」。
若干話題が古いけど、こういう対談がある。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html
ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。
>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
◆
個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題は自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。
ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポートの役回りを演じさせられる。物語のラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。
そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。
古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。
自分の問題は自分で解決できるのだという確信、主体性を持つこと。
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)
◆
そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
だからそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。
男性社会の最高神である「ヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
確かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。
だけど、すべての男性がヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
だから多様性の時代になってるわけだし、弱いものに底上げが必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性」だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
◆
男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。
まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。
より多くの美しい女を取得することを自己価値のバロメータとして、他者と比べあい、自分をいじめるみたいな悪癖がある。
女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解の範疇を超えてくる。
そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの、文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。
そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然別のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。
そもそも自尊心や自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。
やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ。
◆
「Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪やジェンダーの話題はとにかくネットで炎上しやすい。
そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸と彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。
「すべての男性が性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。
なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?
もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。
そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャルの価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。
男社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。
男社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。
脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性の意識の問題なのだと思う。
「ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。
クリストフみたいなキャラクターを否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者も尊重すること。
旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやかな自分自身の中に自尊心を見出すこと。
そのへんが大事なんだと思う。
ツイッターの観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。
男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷の解放だって女性の社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)
マイケル・キンメルatTEDWomen 2015
今から八年くらい前の話。
当時僕の居た界隈ではコミュニケーションや情報収集はTwitterでするのが当たり前になっていて、
Twitterを見ないと界隈の動向すら追えないという状況になっていた。
そんなわけで僕はアカウントを作ったが、すぐに飽きてしまった。
別にその界隈に居るからといっていつもその話をするわけではないのだ。
例えばポケモン好きが集まる界隈の人でも、いつもこのポケモンが可愛いやら種族値がどうたら語ってるわけではない。
今日のご飯はこんなんだったとか、昨日こんなことがあったとか、そういう他愛もないことを話している。
僕はそんな話に興味の欠片もない。
ここが2chならチラシの裏にでも書いてろよとでもレスしてる所だろうが、Twitterでそれをやると頭のおかしい人である。
僕はアカウントを作って早々にTwitterに飽き始めてたのだが、とある人の出会いから運命を大きく狂わせることとなる。
名前は伏せるが、それは所謂ネタクラスタに分類されるタイプの人だった。
全然名前も聞いたこともないただの一般人の癖にフォロワーは多く、ツイートには常に大量のfavが付いている。
そう、favorite、お気に入りである。ふぁぼである。星である。今はいいねとハートマークに変わってしまったが。
著名人でTwitterを使っている人はいたが、そんな人のツイートに大量のRTが付いてもfavが付くことはない。
そんな中、彼等は面白いことを言ってfavをたくさん貰っている。
僕も面白いことを言って、たくさんのfavが欲しいと思った。
僕は界隈向けのツイートをやめ、ネタクラスタに特化するようになった。
具体的にはネタクラスタをフォローし、とにかくふぁぼる(いいねする)。
そして自分もネタツイートを考える。ネタツイートを呟くとたくさんのfavが貰えるのだ。
面白いことを言えばたくさんのfavが付く。上手く行けばRTもされてバズる。
僕はこの快感の虜になっていた。寝る間も惜しんでネタツイを考えた。
ふぁぼられたい、バズりたい、たくさんの人に褒められたい。Twitterはその欲求に応えてくれる。
そんな無益にも程がある行為を二年ほど続けてきたが、Twitterユーザーのfavの使い方も段々と変わってきた。
まず、ネタクラスタだけの特権だったfavを他のユーザーも使うようになった。
そしてふぁぼられの数を増やすことだけを追い求めるふぁぼクラスタなるものも出来上がっていた。
彼等は全てのツイートをふぁぼる。ふぁぼられたらふぁぼり返す。
そんなことをしてるので何の変哲のないツイートでも大量にふぁぼられてしまう。
全盛期だと、ふぁぼクラスタのトップはおはようツイートだけで300favくらいいってた記憶がある。
これの何が問題かというとFavstarというサイトが荒らされるのである。
Favstarは大量のfavが付いたツイートだけを紹介して載せる。
ネタクラスタ全盛期はネタクラスタのツイートやバズツイートだけが載ってたが、その時代はふぁぼクラスタに占領される有様だった。
当時ネタクラスタの中でもそこそこの地位(笑)に居た僕はこれを批判した。
こっちは評価としての公平なfavなのにお前らは組織票でのfavをしてるではないか、と。
言うまでもないが間違ってるのは僕の方である。
Twitterは自由なのだ。別におはようおやすみツイートをふぁぼっても批難される謂われはない。
とはいえFavstar自体はバズツイートを見付けるのに重宝されてたので、僕以外にも不満を持つ人が居たのは事実ではある。
しかしそんなふぁぼクラスタも相互厨と呼ばれる人達にfav数で勝てないようになる。
基本的にネタクラスタもふぁぼクラスタもフォローを返さない人が多かった。
これはTLが荒れるからというのとFF比(フォローとフォロワーの比率)がかっこいいからという理由があった。
ちなみにふぁぼクラスタのトップはツイートをふぁぼればその対価としてフォローを返すという仕組みでfavを稼いでいた。
一方で相互厨は相互によって稼いだ圧倒的なフォロワー数を利用する。
ただ、フォロワーに向けて「お気に入りしてね」と言うだけで良い。
ふぁぼクラスタはそれは下劣だと批判した。僕はお前らが言うなよと思った。
さて問題だ。僕、ふぁぼクラスタ、相互厨。この中で頭がおかしい人は誰だろう?
答えは全員だ。当たり前の話である。
さて、こうなってくると最早fav数で面白さは計れない。
既に僕は彼らと勝負することを諦めていた。何を勝負してたのか知らないが……。
だが僕は普通の一般人よりは遥かに多いフォロワー数を誇るという所に着目した。
その時の僕は何を言ってもそれなりの人が見てくれるという状態である。
このフォロワーを利用すればまだ見ぬ面白いツイッターユーザーを発掘できるのでは?と考えたのだ。
そしてツイッターの深淵へと潜っていった僕はある一つのことに気付く。
そしてそういう人は別に評価とか望んでない。楽しく馴れ合ってるのだ。
更に気付いたことがあった。
数千人~数万人のネタクラスタタイプのアルファツイッタラーでも、別にそこまで面白くないということ。
数字なんて所詮数字であり、人気のバロメータにはなるだろうがクオリティを保証するものではないという当たり前の事実に今更気付いたのである。
こうなってくるとfavもフォロワー数も虚しいものでしかない。
いくら大量にfavが付いても、つまらないツイートにそれ以上のfavが付いてるのを何度も目撃してるのだ。
数字に固執するのがどれだけ馬鹿馬鹿しいのか、長い年月を経てようやく理解したのである。
虚しくなった僕はアカウントを削除した。
疲れていた、というのもある。
数字の為にウケる発言を考えていると最早僕はピエロか何かかと思ってしまう。
だいたいこんなネットでの評価を貰って何になるんだ、金貰えるならまだしも無だぞ。時間潰してること考えたらマイナスだぞ。
削除した当時のフォロワー数は3000人程度だった。
いやたった3000人かよ、と思われるかもしれないがこっちは返し目的のフォローもフォロー返しもしていない。
それでこのフォロワー数なのだから結構な人数だと思う。呟いてた内容はどれもこれもクソほど面白くないわけだが。
僕は数字にこだわり続けた結果疲れてしまったわけだが、自分を高める為に数字を目標にするのはモチベーションを保つ上で悪い手段ではないだろう。
だが、決して数字を取ること"だけ"を目的にしてはいけない。あと他と比べてもいけない。
数字は人を狂わせる力がある。それに囚われた瞬間人格までもが壊される。
これはアルファツイッタラー(笑)ネタクラスタ(笑)とかいうクソに固執した馬鹿野郎の話だが、他の界隈とかでも同じこと言えると思う。
自称「凄い美形」の既婚女性と、あるgameで知り合って、SNSでつながっていた時期があります。
その方の写真は、かなり端正で(かわいいタイプではなくて端正な美形)
かなりのナルシストでしたけど、ご主人は「不細工」「美形じゃない」と仰ってました。
あんまり何度もそういわれるので気の毒になりましたが、だんだんそれがのろけなのかもと思い出すほどに
その方の人を判断する基準は、美醜ではないということを何度も話しながらも、旦那は不細工を繰り返してました。
ひょっとして彼女は鏡さえあればいいのかもって少し思ったりしました。
その方の、結婚に向いている男性の見分け方を教えてもらいましたが、(いきなり教えてあげるよ的な展開になったんです。ほぼ私は聞き役)
見かけではもちろんなく、経済力でもなく。
それを書くと個人特定されちゃうかもしれないので、内容は書かないですが。
私もそれには賛成、アリだと思いました。
昨年の大ヒットした「純黒の悪夢」が地上波で放送され、今年の劇場版「から紅の恋歌」が公開間近な国民的アニメ「名探偵コナン」
しかし原作を読んでいると、もしかしたら親米反日思想なのかと思われる点がいくつも出てくるのでざっくりまとめてみました。
急いで書いたので、出典などを省略しています。気が向いたら後で補足したものをアップします。
コナンにはFBIが出てきます。他にも日本警察(刑事警察だけでなく、組織を追っている公安警察も)やCIAが出てきています。映画では他国の諜報機関も出ていましたね。
このFBI、作中でベルモットから違法捜査等を指摘され、安室からはビザが切れそうなことを指摘され、更には現実の組織機構と同一の募集要項を提示されているのです。
つまり、コナン世界においてもFBIは現実の機関と同一視をしているということにほかなりません。
公式に捜査権はなく滞在期間を見ても観光ビザ(ジョディは高校教師として潜入していたので、恐らく就労ビザ)で入国しています。
そんなFBIに所属する赤井秀一は、銃刀法違反、道交法違反、発砲、ストーカー規制法に抵触しそうな盗聴と監視、ハッキング、死体損壊、証拠隠滅など法に抵触する所業を繰り返しています。
それなのに彼は責められることなく、主人公であるコナンがこれらの犯罪行為をサポートし、時には検挙に来た警察を追い払うのに力を貸します。
アメリカの捜査機関であるFBIが、許可なく日本でこんなことをしています。治外法権がまかり通るなど、開国直後や戦後の日本のようです。コナン世界では、日本はアメリカの属国もしくは米花町や杯戸町はアメリカの植民地なのでしょうか。
そう考えないと不自然なくらいFBI、特に赤井は日本を蹂躙しているのです。
探偵漫画において警察が頼りなく描かれたり、創作において公安警察が悪に描かれたりするのはよくあることです。
しかしコナン世界での公安(安室、スコッチ、安室の部下・上司)は作中に描かれている限り、真面目に仕事をしているだけです。
日本という国を守るのが仕事の警察庁警備局警備企画課所属の安室が、「緋色シリーズ」と呼ばれる長編で赤井の死亡偽装を暴きます。
その死亡偽装も、コナンの思惑を無視して勝手に動いた結果、たまたま目の前で自殺した組織構成員(日本人)の死体を用いています。その経緯でコナンが辿り着いた信念である「犯人を推理で追い詰めてみすみす自殺させちまう探偵は殺人者と変わらねーよ」を無かったことにして捻じ曲げているのですが、それは一旦置いておきましょう。
とにかく日本にとって脅威でしかない、考えようによっては黒の組織(安室が潜入捜査によってある程度コントロール可能)よりよほど危険で悪質なFBIの悪事を暴きに来たわけです。
しかし赤井は公安警察の車両に発砲、公安に責任転嫁をしてきます。「ああでもしなければ死人が出かねなかった」と言っていますが、公安は特に危険な手段は使っていません。現場は崖ですから、赤井の発砲により玉突き事故が発生していますがそれによって死人が出る可能性の方がはるかに高いのです。
それだけでは終わりません。工藤一家総出で安室への対応を行い、更には潜入中の捜査官である安室の本名を盾に脅迫し、彼らを撤退させます。完全に公務執行妨害です。
公安警察と敵対する為に工藤一家を総動員ということは、初期の頃にコナンが「やだね!これはオレの事件だ!オレが解く!父さん達は手を出すな!」と啖呵を切っていたのも、今は昔となったようです。
ちなみに安室を撤退させる際、赤井は彼の同僚であるスコッチを殺した(自称)ことを唐突に謝っています。しかし安室は赤井に言われるまで四年間その件に関しては一切動いておらず、バーボンとしても降谷としても当時を含めて冷静に仕事を続けていただけです。
そんな状況で、安室はスコッチの件で赤井を恨んでいる・だから赤井を組織に売って自分が中枢に食い込む算段だ、などというのは無理があります。公安警察は安室の指揮で動いていましたが、それはつまり許可を得ているということです。安室はさらに、赤井の捜索に関しても組織のボスの許可を得ています。許可を得て連携していることを私怨と呼ぶのも、違和感しかありません。
潜入していた時期にジンと会えなかった赤井と違い、安室はジンに仕事ぶりは評価されているし、ボスの許可も得られる立場です。ベルモットの弱みを握って協力関係を結び、ある程度組織の動きも掌握できているわけです。組織の人間としては相当な地位に既にいるので、中枢に食い込むために赤井を売る必要が見出せません。組織を裏切れば一族郎党消されるという組織で、赤井だけはスパイであることがバレて逃げたのに一家全員元気に生活しています。世良は堂々と高校に通い目立つことをしているし、秀吉はそもそも有名人です。組織は赤井一家には優しいのでしょうかね。
余談ですが、キールもあの方からの信頼が篤く、それ故にFBIに落ちたのではと疑われています。だけど彼女がCIAの諜報員だということはベルモットが少し疑ったくらいで、誰にも知られていません。もし組織の中枢に食い込むなら、情報を全く持っておらず組織から家族くるみで放置されている赤井より、キールの正体の方が確実に重要です。
赤井はじめ、FBIがおかしな行動をとっている相手は、日本だけではありません。FBIが属するアメリカの諜報機関、CIAにすらアメリカ国内で問題になりそうなことをしています。
CIAの諜報員、本堂瑛海(水無怜奈、キール)が事故に遭ったのは、FBIの追跡によるものです。たまたま捉えた組織員がCIAのキールだったなら、多少は仕方ないといえます。しかし赤井は本堂瑛海とその父親で同じくCIAの諜報員であったイーサン・本堂の死の真相を何故か知っていました。つまりキールのことを知っているはずなのです。
勿論それだけにはとどまらず、緋色シリーズではキールからメールが来たことで
キールを組織とのパイプに使う為に再潜入の指示を出したのはFBIですし、その時の約束である、キールの弟を保護するという条件は弟(本堂瑛祐)本人の辞退があったとはいえ、とっくに反故にしています。
CIAは国外、FBIは国内が担当だった筈なのに領分を侵した上でのこの仕打ちは、本来ならばCIAや大統領を巻き込んで大問題になるほどの事態です。
赤井の潜入による成果でFBI内で情報共有がなされていると確認されていることは、赤井と明美の恋愛のみです。
赤井はバーボンの顔やラムという名前も知っていたと言っているのに、FBIメンバーはそのことを知りませんでした。組織員に関する情報共有は一切ないようです。
そもそも赤井がジンを捕まえようとした作戦も、情報共有や報連相などの連携がなかったから失敗に終わったといえます。潜入捜査で初対面の組織幹部をいきなり捕えようとする時点で、作戦としてはどう見ても破綻していますが。
そもそも、ジンは組織への忠誠心が強いキャラです。そんなジンを急に捕まえたところで、情報を吐くとは思えません。それに初任務で既にジンから怪しまれていたからこその、作戦失敗です。
明美も当初は妹思いの姉でした。妹を組織から抜けさせるために殺されるのも承知の上で強盗をし、成功させたしたたかな女性だったのです。
しかし赤井の声優決定後、赤井の恋人設定が急に浮上しました。妹のシェリーを抜けさせようとした為ではなく、スパイである赤井を組織に引き込んだ為に殺されたことに変わりました。
これでは理不尽に殺されたわけではなくなり、組織側に正当性ができてしまったのです。
とはいえ、赤井とFBIが日本から引き揚げてから二年間、明美は妹の灰原とファミレスでお茶をしたり、結構自由に生活していました。なのに急に赤井を引き入れたから組織に殺されたことになったのです。
ちなみにその間FBIは、スパイを引き入れた宮野姉妹を保護することは一切ありませんでした。作戦開始前に保護しなかったのは、日本人を守る義務はないということかもしれませんね。ちなみに宮野姉妹は赤井の従姉妹のようです。従姉妹にハニトラをして組織に潜入したということですね。
しかし赤井は、明美を二年間放置していたのに彼女が死んだら急にジンを宿敵扱いし始めます。赤井の落ち度で明美は死んだのだし、灰原もそのせいで自殺を試みています。責任は赤井にもあるのに、これでは完全に逆恨みです。
逆恨みで狩るべき相手を見誤っているのは、一体誰なんですかね。
スコッチが死んだ件では、そもそも何故あの場に赤井がいたのかという疑問が残りますが、それも一旦置いておきます。
現場に辿り着いた赤井は、何故かスコッチを投げ飛ばそうとし、拳銃を奪われます。拳銃を向けられると突然「命乞いをするわけではないが(中略)俺はFBIから潜入している赤井秀一」と名乗ります。その状況では普通は命乞いにしか見えません。
スコッチにも、赤井を信用する素振りがなく、赤井のシリンダーを掴む手の緩んだ隙をついて自殺します。安室の足音で赤井がシリンダーを離したので、普通に考えたら赤井の過失の方が明らかに大きいのです。
拳銃も赤井のものですし、彼があの場にいなかったらスコッチは死ななかった可能性もありますね。少なくとも、赤井が来なければ命を絶つ前に安室と落ち合うことができた可能性は高いです。
赤井は安室にスコッチは自分が殺したと説明しますが、一瞬で自殺であるという真相を見抜かれています。一瞬動揺しても、安室が冷静さは保っていることの現れです。
この状況で安室の足音が悪いという風潮は印象操作に思えてきますし、緋色シリーズで赤井の言った「自分を売って中枢に行くつもりだ」という発想は、彼自身がスコッチを売って中枢に行こうとした経験に基づいているのでは?と邪推したくなります。
このスコッチの死から赤井は特に何も学ばなかったようで、その後も明美を死なせ灰原も死にかけさせ、カルバドスも死なせ、楠田を死なせて死体を利用します。後悔の一つでもできていれば、カルバドスくらいは拘束に持ち込めたのではないでしょうか。
当の赤井は純黒の悪夢では素顔で組織に近づき、あまつさえ感熱レーダではあるが捕捉されています。どう見ても赤井のシルエットでしたが、まあ何故かバレないでしょう。
赤井の生存が明るみに出れば、キールは殺されます。キールの命をなんだと思っているのか。
そもそもあのストーリー自体、赤井が何故か首都高でキュラソーでなく安室の車にぶつかってきたり、勝手にライフルを発砲したりしなければ起きなかった悲劇がいくつもあります。完全にスパイ殺しの赤井です。
赤井が壊した首都高の件も公安が処理していますし。キールとバーボン、そして他国のNOCの身を危険に晒し最終的にはスナイパーなのに一つしかない暗視スコープを故障させ、コナンと安室にお膳立てしてもらって一発撃ったもののオスプレイを落とせなかったがそれもまた別の話。
結局青山先生が赤井というか池田さんの声贔屓なので、池田さんに言わせたい台詞先行で描いているから赤井が出ると物語が破たんするのでは、という見解もありますが…
今のところ、名探偵コナンはFBI捜査官・赤井秀一という漫画にすり替わっているのかと見まがうほどです。
赤井がイギリス出身のアメリカ人でFBI捜査官だから、FBIが大正義で日本を蹂躙してもそれは「いいこと」になってしまう気持ち悪さ。日本人としては公安や安室を応援したくなりますが、日本警察には赤井がいないから、理不尽に虐げられてしまいます。
舞台が日本でなく、それこそGHQ占領時代であれば納得できますが、どう見ても現代の日本です。ここが日本であることを思い出してほしいですし、今までの伏線やキャラの信念、生い立ち、因縁等がこれ以上赤井の為に破壊されていくのを見るのはつらいところです。
女性にも自らの意思があり、嗜好があり、満足をもとめる対象がある。
1.整形に対する努力
なにも努力は運動や食事制限だけではない、お金を貯めて手術の痛みに耐えるというのも努力ではないだろうか。
2.整形をする動機
あなたが趣味にお金をつぎ込むのは何のためだろうか。おそらく自己満足のためだろう。
女性は自分の容姿はモテのために向上させるのではなく、自己満足のためだ。
モテたら嬉しいかもしれないが、それはモテのバロメータであり、性欲によるものではないのだ。
3.費用の話
たとえ二人の共同財産であっても、貯金額を2で割った金額より少なければ良いのではないだろうか。
自分の周りにも整形した人は多いが、整形を嫌がるのは潔癖症の人がなんでもアルコール消毒するのと同じだ。
歯科治療や歯科矯正などは実は整形手術よりも大掛かりで体に負担をかけていたりする。
交通事故にあった人は整形手術以上の手術や、大きな顔の変化をもたらされる。
今回はしょうもない内容である以上に、沢山の人を不快な気持ちにさせた上、記事の削除等もなく、
まだまだこれからも目に入るだけで虫酸が走るような内容を書いていくことを宣言している。
はっきりいって、この手のやからに、いくらブコメや言及で手斧を投げようとも、『わーい、アクセス数が増えた』
くらいにしか思われないんだろう。
第一、この手のブログにブックマークをつける行為は、本人をより増長させるだけである。
http://cild.hatenablog.com/about
はてなブログの読者なんぞ、たいした意味は持たないが、ちょっとした『人気のバロメータ』代わり位にはなる。
たいしたことは書いていないが、うちのブログの読者登録数は4桁あるが、それがある種の品質保証になっている感もする。
だから、我々が今できることは、当該ブログの読者登録を解除することと、そのことを積極的に周囲に知らめることである。
今後、同ブログを読者登録しているユーザーは、読者登録を解除した上で、ブックマークやTwitter等でシェアすることは
しないようにする。
3日間の猶予を置きたいと思うので、読者登録しているひとは、これを機に解除すれば良いと思う。
特に読者登録はしていない、ブログはやっていないという人も、この増田をブクマして頂ければ参加可能である。
id:toianna も言っているように、ある種の病気なんだと思う。治療が必要だ。
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90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。
本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。
第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年、中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。
「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))
中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテのコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。
ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年、宮崎勤の連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラー、アニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュでインドアなブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。
「オタク、かっこ悪い?」
そういう問い自体出なかった
「オタクは格好の悪い生き物だ」
侮蔑され諦観し
故に侮蔑され故に諦観し
数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする
(中略)
おい あれ
プッ
ぎゃはははは
オイロリコン部ーッ
ぎゃははははははは
世間は宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。
当時の高校生オタクにこうした罵声に反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。
岡田は現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養と分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集と理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。
80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価に意見交換できる場は、不特定多数のオタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。
そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である中高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察や解釈を求めてネットが活用された。ネット黎明期、オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタクの存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互に自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットとオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタクを自称する者のズレは拡大していくことになる。
エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者のオタク化を助長し続けた。
他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲのベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。
コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードやフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原はアキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。
そして2005年、TVドラマ『電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客がオタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。
珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。
2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法問わず大量のアニメやゲームといったオタク系コンテンツを抱え込んでいく。
アニメは放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイトに投稿された動画に必要な手間はクリックするのみである。オタク系コンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。
またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメ系アフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報やスキャンダルを把握する。その情報はあくまでアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定のオタク的知識を有していることはまぎれもない事実である。
こうした層はアニメやマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタク系コンテンツの情報収集に必要なコストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。
「非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテ、コミュ障等と細分化し始める。
誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタクと自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークルや同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタクと自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。
一方で2007年以降、AKB48が握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。
細田守監督の映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。
2011年、アエルラ、アイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガ・アニメ・ゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。
筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田がオタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメの話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク的趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク的趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタクと自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である。
他方、携帯ゲームの課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメの興隆などから、グッズその他のオタク的趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。
アイドルオタクとアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及は本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。
また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差の可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である。
ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティに所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。
もともと自分は乗り気ではなかったんだけど(車だけに)、親がうるさかったので仕方なく取ることにした。
でもさ、正直乗りたくないんだよね、車。
だってさ、自分がいつ事故の加害者になるか分かったもんじゃないじゃん。
交差点で仰向けの恰好でスケボーに乗ってた6歳男児、車にひかれ死亡
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1812970.html
こんなのさ、はっきりいって無理ゲーじゃん。
自分はこんな事故起こさないって自信を持って言える人、いないでしょ。
そりゃ確かに、上の例では運転手の責任は法的には問われないだろうよ。
でも問題はそこじゃない。事情はともかくとしても、人を一人殺したことに変わりはないんだから。
寝る前に、轢いた時の音とか、ハンドルの感触とか、異変に気付いて車から飛び出た時に目に入った子供の無残な姿とか、蘇ってくるんだろうね。
「さっきから車のデメリットばっか強調しやがる。車は人殺しマシーンである以前に交通手段なんだぞ?
たった一件の事故について知っただけでこんなセンチメンタルになりやがって。主語のデカさだけは一丁前の増田だな。」だって?
そりゃそうだね。何事もメリット/デメリットを比較して考えるべきだ。
ところで、俺は東京に住んでるんだよね。だいたい行きたいところには電車かバスで行けるんだよ。
ごめん、話をそらすつもりはなかったんだ。
でも、東京で暮らしてて「車欲しいなぁ」って思うこと、ほとんどないんだよ。
オリンピックが来たらさ、公共交通機関ももっと充実するじゃん?
そしたらもっと車も要らなくなる。
車を使いたくなるのってどういう時なのか、よく分からないんだよ。
それでも一応、エントリに起こすためにちょっとは真面目に考えてみた。
車があると便利なタイミング。
俺、車を使うような仕事に就くつもりないんだよね。
仕事で車使うのって、トラックやタクシーの運ちゃん以外だと、会社の営業とか広報とかくらいなんじゃないの?
よく知らないけど。
俺、結婚できるのかなぁ。
しかもだよ。上で「メリット/デメリットを比較してみよう」とか言ったけどさ。
「人を轢く」っていうリスクを定量的に評価するの、意味があると思う?
車を運転してて実際に人を轢く可能性は、確かにそこまで高くはない。
じゃあ人を実際に轢いた時の損害を算出してみようという段になって、君はその損害を数値化できる?
「車が壊れたから買い替えウン千万。あと慰謝料ウン百万」とかそういうことじゃなくて、精神的な苦痛の話だよ。
例えば彼女にフラれたときの苦痛を100として、人を轢き殺した時の苦痛はいくつだって即答できる?
俺にはできない。強いて言えば「∞に発散する」って答えると思うよ。
「自動車を運転するの、どうよ?」っていう命題は、最悪の事態が発生したときの損害が大きすぎて、メリット/デメリットを比較検討する意味がないと思わない?
どこかの原発でも、「確かにでかい津波来たらやべぇけどさ、そんなのありえなくね?マジこれほとんどノーチャンっしょ」っていう意思決定があったらしいね。あれと一緒。
おまけに、この「最悪の事態」は日本のどこかで日々起きてるんだよ。
車の運転に対する君の感情が、今のところポジティブなものだったとしても、それは単に「運が良かった」だけでしょ?
こんなんだったら俺、免許とらなくても良くない?
宅配とか送迎とかのために、車は使われ続けるだろうさ。
でも、狭い住宅街のただ中を車がビュンビュン走るっていうのは、ちょっと前時代的過ぎると思わない?
今や駅にもホームドアが付いてるんだよ。自殺しようとでも思わない限りはそう簡単には電車に轢かれないよ。
じゃあ、君の家の前の道路はどう?歩道はある?ガードレールは?
でも、歩行者と自動車の間を隔てるのが白線一本だなんて道路は、なくなった方が世のためだと思う。
実際に車を今バリバリ運転してる人は、ここに書いたようなこと、どうやって折り合いを付けたの?
「明日、もし俺/私が人を轢き殺したら」って、考えたことない?
勢いでバーっと書いたエントリだから、少しミスリーディングになってしまった。
「都会暮らしの人には車は基本必要ないし、それ故に免許を取る必要性も俺はほとんど感じないけど、みんなはどう思う?」
って聞いてみたかっただけです。
家族や友人と話をする中で、「車の免許」というものに対する温度差を感じたので。
色々とグダグダ言いましたが、免許は取ります。もう金も払ったし通い始めちゃってるからそこは仕方ないね。
車に対する自分の見方が偏ったものなのか、はてな村民をバロメータに確認してみたかったので、レスポンスがもらえればまあそれでいいやと。
しかし、企業・労働力・雇用・交通機関・資金が、一極集中し過ぎている東京都のような
都会だけではなく、
もちろん、私の議論が交通手段の発達した都会でしか成立しないのは重々承知の上です。
「都会においては、」歩行者を守れるものが白線一本しかないような危険な道路はなくしてくれ、とでもすべきでしたね。
ごもっともです。
結論が免許取得の有無になってしまったのは、単に私が「教習所めんどくせえ」と念じながらエントリを書き上げたからであって、
「免許とかいう制度、この世からなくなれ」などと言うつもりはありません。
リスクなんてそこらじゅうにある、というのはその通りなのですが、
車の運転に関して言えば「都会住みならリスクへの対策が容易(運転を控えれば良いだけ)」かつ「『万が一』の事態が起きる可能性が比較的高い」ため、
通り魔に遭いたくなければ外出を控えなければならないし、スリに遭いたくなければ金品を持ち歩いてはいけない。
どちらもたいへん非現実的です。だから、実際に金品を持って外出する人は通り魔•スリに遭う可能性についてはいわば妥協しているわけです。
ただ、都心の発達した交通網のおかげで「車を運転しない」という選択肢は比較的現実的であると私は思います。
おまけに、種種の犯罪に巻き込まれる確率に比べて自動車による死亡事故を起こす確率はかなり高い。
例えば警察庁のデータ(https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h24hanzaizyousei.pdf)を紐解いてみると、毎年事件に巻き込まれて亡くなる方の人数はおおむね500人前後。
通り魔とかいった「突然、偶発的に巻き込まれる恐れのある事件」のみならず、
怨恨殺人とか、金品狙いの強盗殺人とか、そういうものも含めてこの人数です。
それに比べて自動車事故による死亡者の人数は、2013年で4373人。(http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikokoutsu)
ニュースで殺人事件の報道がなされ、死亡者の名前が一人読み上げられる裏で、
八名の方が自動車事故で亡くなっているわけです。
「そもそも、4373という数字自体が小さいではないか」と思われるかもしれませんが、
それでは、あなたの知り合いの中で、過去に刑事事件もしくは自動車事故に巻き込まれて亡くなられた方はいませんか?
私にはいます。親戚が刑事事件に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。
おまけに、車に乗らなければこのリスクは避けられる。
だったら、乗らない方が身のためだと思いません?
まぁ、結婚・出産しなくていいんじゃない? 別に『女性』として生きていかなきゃいけない訳もなし。
いやほら、リチャード・ドーキンスのミームって概念あるじゃない。
人間は情報によっても振る舞いを帰られる訳で、情報の多様性も重要だと思うよ。
あと様々なワークスタイルの人がいる、ってのもある種、国の豊かさのバロメータともいえるんじゃない?
(結婚できないってのは悲しい状況ではある。もちろんしたくない人はしなくていい)
女性の部分はステで。 なにか情報的に豊かさを生み出すのもありだと思う。
「子供が欲しい」ってのを優先すると、女性が研究職につくのはどうしても難しくなる。
どうしても数ヶ月。産後の肥立ちが悪いともっとずっと、どうしても研究から離れる必要がある
でもさ、研究内容にもよるだろうけど継続的にしないとまずいものが多かったりする。
就職して1-2年で「じゃあ、産休、育休とりますんでよろしく♪」と言えるだろうか。(言える人もいるらしいよ。そしてそのせいで、その後のアカポス募集のときに女性応募者が敬遠されることに…
これはどうかな。個人的にはあり、としておいた方が良いと思う。
別の観点からの考えでさ、例えば大卒女性が卒業して専業主婦、子育て突入になっちゃうのって無駄かな?
学費が無駄になるって思うかな。 でも母親に教養があった方が子供も豊かな情報の中で育てられるんじゃないかね。
(あと出産は若い方がいい。 これは別に卵子劣化、女性ホルモン低下、妊娠力低下、ってだけじゃなく、出産って重労働だし、赤ちゃんは数キロあって純粋に重い。鉄アレイと一緒。若い方が単純に体力があって女性観点で楽)
就職して1-2年で産休、育休、ひょっとすると退職、ってなったとしても、
まぁモラトリアムが長くなっちゃったってだけで、得られた経験が少しでも次世代にいけばいいじゃん、くらいの余裕はあっていいと思う。
この余裕がなく、純粋に費用対効果を考えると、女性を採用するのはリスキーという話になる(これはこれで合理的な思考の結果ではある)
これは一般の会社でもそう。教育にかかるコストはゼロじゃないから。
なので女性の観点では「就職して1-2年で「じゃあ、産休、育休とりますんでよろしく♪」もありな余裕のある状態が理想、ってことにしといた方が良いと思う。