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2023-01-29

↻0♡0への耐久力が試される時代

Twitter公式ルール変更によって、ほぼ全ての非公式クライアント使用禁止になった

ルールの隙間を探す一部のレジスタンスに与するもの以外は、公式サイトもしくは公式クライアント使用義務付けられている。

これはTwitter社が目指すTwitterに従えないものTwitterから出て行けという排除命令だと言える。

非公式クライアント群と、公式クライアントとの最大の違いは、UIが初期のものに寄せられているかどうかだ。

初期のTwitterには回覧数表示は当然として、現在の☆数(後に♡になる)やRT数(後に↻アイコンに変わる)も表示されていなかった

それらのボタンは単にそれぞれのユーザーがそれを押すかどうかを勝手判断して押すものであり、その総数は一部の外部サイトFavstar等)から吸い出す必要があった。

☆の総数は気にしたい人間が気になるときに見に行けばいいという状態は、☆の総数にこだわる層とこだわらない層の共存可能にしていた。

そしてそこには、☆の総数を見たくないなら見ずに終わらせたい層が隠れていたことに誰も気づかなかったのだ。

今、Twitterでは全てのツイートがどれほどRTれいいねされ回覧されたかが常に表示されている

これはユーザーの心を蝕む毒だ。

いいね確認承認欲求を満たして酔いたいときに程度を決めて行われるならともかく、常にその中に晒されていていいものではない。

今のツイッター状態は全ての食事アルコールが含まれており常時酩酊状態であることを強要されているようなものだ。

今まではそれを拒絶する人間に対して非公式クライアントという逃げ道が与えられていた

非公式クライアントによっては初期状態場合によっては設定欄からTLの視覚効果をそれぞれの手で調整することが出来た

だが、今回のルール改定でそれは失われた。

恒常的ないいね可視化に耐えられないものTwitterを去るしか無い。

いいねが常に表示される世界不要プレッシャーがかかる

自分より少し上ぐらいの人気者だと思っていた相手が、大体の場合において自分の数十倍いいね回覧数を持っていることを突きつけられるのは心理的に負荷がかかる。

特におすすめ順表示という、それぞれのハイライトをぶつけあう空間はその度合が強まり、TLの中において自分けが圧倒的に面白くない人間であるかのように錯覚させられる。

そうした意識が過剰に膨らまされた承認欲求とぶつかると過激投稿による人気取りなどが始まっていく。

ユーザーは謎の陰謀論を語りだしたり面白ツイートをするために日常生活を歪めだす

この状態ユーザーを単に広告閲覧数を稼ぐための家畜しか見ていないSNS産業からすれば、家畜勝手に美味しい餌を自分たちで生産し続けてくる状態とも言えるだろう。

だがそれは使用者の精神を蝕み続けるものであり、同時にインターネットの中において危険思想や将来のデジタルタトゥーとなりうるような投稿を増加する要因となる。

非公式クライアント排除は、この問題回避するためにユーザーが使えた逃げ道を塞いだだけに過ぎないわけだが、とどめを刺したと言えるのは間違いない。

日常生活の中で延々他人自分いいね総数の差を見せられ続けるこの不健全環境において、生き残れるのは↻0♡0への耐久力を身に着けたものだけだ。

そうじゃないのならTwitterを捨てるべきである

もしもそうすることがなく将来に禍根を残すような投稿をしたとしてもTwitter社は「辞めればよかっただけでしょ」としか言わないだろう。

↻0♡0への耐久力が無いものTwitterから正式に切り捨てられたと言える

弱き者共よ、Twitterを窓から捨てろ。

心強き者のみがやるべきSNSぞ。

どこに行けばいいのかは知らん。

とりあえず、辞めろ

2018-01-16

アルファツイッタラーになったけど虚しくなってアカウント消した話

 今から八年くらい前の話。

 当時僕の居た界隈ではコミュニケーション情報収集Twitterでするのが当たり前になっていて、

 Twitterを見ないと界隈の動向すら追えないという状況になっていた。

 そんなわけで僕はアカウントを作ったが、すぐに飽きてしまった。

 別にその界隈に居るからといっていつもその話をするわけではないのだ。

 例えばポケモン好きが集まる界隈の人でも、いつもこのポケモン可愛いやら種族値がどうたら語ってるわけではない。

 今日のご飯はこんなんだったとか、昨日こんなことがあったとか、そういう他愛もないことを話している。

 僕はそんな話に興味の欠片もない。

 ここが2chならチラシの裏にでも書いてろよとでもレスしてる所だろうが、Twitterでそれをやると頭のおかしい人である

 僕はアカウントを作って早々にTwitterに飽き始めてたのだが、とある人の出会いから運命を大きく狂わせることとなる。

 名前は伏せるが、それは所謂ネタクラスタに分類されるタイプの人だった。

 全然名前も聞いたこともないただの一般人の癖にフォロワーは多く、ツイートには常に大量のfavが付いている。

 そう、favoriteお気に入りである。ふぁぼである。星である。今はいいねハートマークに変わってしまったが。

 当時お気に入り機能積極的に使う人は少なかった。

 著名人Twitterを使っている人はいたが、そんな人のツイートに大量のRTが付いてもfavが付くことはない。

 そんな中、彼等は面白いことを言ってfavをたくさん貰っている。

 その異質な世界に、僕は魅入られてしまった。

 僕も面白いことを言って、たくさんのfavが欲しいと思った。

 僕は界隈向けのツイートをやめ、ネタクラスタに特化するようになった。

 具体的にはネタクラスタフォローし、とにかくふぁぼるいいねする)。

 そして自分ネタツイートを考える。ネタツイートを呟くとたくさんのfavが貰えるのだ。

 面白いことを言えばたくさんのfavが付く。上手く行けばRTもされてバズる

 僕はこの快感の虜になっていた。寝る間も惜しんでネタツイを考えた。

 ふぁぼられたい、バズりたい、たくさんの人に褒められたい。Twitterはその欲求に応えてくれる。

 そんな無益にも程がある行為を二年ほど続けてきたが、Twitterユーザーのfavの使い方も段々と変わってきた。

 まず、ネタクラスタだけの特権だったfavを他のユーザーも使うようになった。

 そしてふぁぼられの数を増やすことだけを追い求めるふぁぼクラスタなるものも出来上がっていた。

 彼等は全てのツイートふぁぼる。ふぁぼられたらふぁぼり返す。

 そんなことをしてるので何の変哲のないツイートでも大量にふぁぼられてしまう。

 全盛期だと、ふぁぼクラスタトップおはようツイートだけで300favくらいいってた記憶がある。

 これの何が問題かというとFavstarというサイトが荒らされるのである

 Favstarは大量のfavが付いたツイートだけを紹介して載せる。

 ネタクラスタ全盛期はネタクラスタツイートやバズツイートけが載ってたが、その時代はふぁぼクラスタ占領される有様だった。

 当時ネタクラスタの中でもそこそこの地位(笑)に居た僕はこれを批判した。

 こっちは評価としての公平なfavなのにお前らは組織票でのfavをしてるではないか、と。

 言うまでもないが間違ってるのは僕の方である

 Twitter自由なのだ別におはようおやすみツイートをふぁぼっても批難される謂われはない。

 とはいFavstar自体はバズツイートを見付けるのに重宝されてたので、僕以外にも不満を持つ人が居たのは事実ではある。

 しかしそんなふぁぼクラスタ相互厨と呼ばれる人達にfav数で勝てないようになる。

 基本的ネタクラスタもふぁぼクラスタフォローを返さない人が多かった。

 これはTLが荒れるからというのとFF比フォローフォロワー比率)がかっこいいからという理由があった。

 ちなみにふぁぼクラスタトップツイートをふぁぼればその対価としてフォローを返すという仕組みでfavを稼いでいた。

 一方で相互厨は相互によって稼いだ圧倒的なフォロワー数を利用する。

 ただ、フォロワーに向けて「お気に入りしてね」と言うだけで良い。

 それだけで簡単に大量のfavを稼げるのである

 ふぁぼクラスタはそれは下劣だと批判した。僕はお前らが言うなよと思った。

 さて問題だ。僕、ふぁぼクラスタ相互厨。この中で頭がおかしい人は誰だろう?

 答えは全員だ。当たり前の話である

 さて、こうなってくると最早fav数で面白さは計れない。

 既に僕は彼らと勝負することを諦めていた。何を勝負してたのか知らないが……。

 だが僕は普通一般人よりは遥かに多いフォロワー数を誇るという所に着目した。

 その時の僕は何を言ってもそれなりの人が見てくれるという状態である

 このフォロワーを利用すればまだ見ぬ面白いツイッターユーザーを発掘できるのでは?と考えたのだ。

 そしてツイッター深淵へと潜っていった僕はある一つのことに気付く。

 別にフォロワー数が少なくても面白い人はごまんといる。

 そしてそういう人は別に評価とか望んでない。楽しく馴れ合ってるのだ。

 更に気付いたことがあった。

 数千人~数万人のネタクラスタタイプアルファツイッタラーでも、別にそこまで面白くないということ。

 数字なんて所詮数字であり、人気のバロメータにはなるだろうがクオリティ保証するものではないという当たり前の事実に今更気付いたのである

 こうなってくるとfavもフォロワー数も虚しいものしかない。

 いくら大量にfavが付いても、つまらないツイートにそれ以上のfavが付いてるのを何度も目撃してるのだ。

 数字固執するのがどれだけ馬鹿馬鹿しいのか、長い年月を経てようやく理解したのである

 虚しくなった僕はアカウントを削除した。

 疲れていた、というのもある。

 数字の為にウケる発言を考えていると最早僕はピエロか何かかと思ってしまう。

 だいたいこんなネットでの評価を貰って何になるんだ、金貰えるならまだしも無だぞ。時間潰してること考えたらマイナスだぞ。

 削除した当時のフォロワー数は3000人程度だった。

 いやたった3000人かよ、と思われるかもしれないがこっちは返し目的フォローフォロー返しもしていない。

 それでこのフォロワーなのだから結構な人数だと思う。呟いてた内容はどれもこれもクソほど面白くないわけだが。

 僕は数字にこだわり続けた結果疲れてしまったわけだが、自分を高める為に数字目標にするのはモチベーションを保つ上で悪い手段ではないだろう。

 だが、決して数字を取ること"だけ"を目的にしてはいけない。あと他と比べてもいけない。

 数字は人を狂わせる力がある。それに囚われた瞬間人格までもが壊される。

 これはアルファツイッタラー(笑)ネタクラスタ(笑)かいうクソに固執した馬鹿野郎の話だが、他の界隈とかでも同じこと言えると思う。

 なんか数字持ってるから自分はすごいとか言う人いるじゃん、ああいうのほんと良くない。ああいうのになったらおしまい

 
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