はてなキーワード: 現在地とは
The Missing README読んでる.
1:1(One-on-ones, 1on1)は通常週一もしくは2週に1回行われる, 上司と部下の1対1の面談.
### 1:1でやるといいこと
1. アジェンダを用意する.
3. 部下のアジェンダはマネージャのアジェンダより優先される.
### 1:1で話すといいこと
以下4つ.
1. *Big Picture*
2. *Feedback*
- チームがよりよくなる方法
- できるようになりたいこと
3. *Career*
- 長期的なゴールと現在地
4. *Personal*
### 1:1でやるべきではないこと
1. **進捗☆確認**
2. 雑談に終始すること
### その他
上司以外との1:1もいいよね.
FF14が最悪の民度を晒したことが今後広まると思われるので少しでも擁護しようとする投稿。
FF14は新パッチを控えており、その広告目的として現在地上波ラジオ放送を行なっている。
そのラジオのゲストに兎田ぺこら(以下ぺこら)が呼ばれ、その時にFF14のパッケージを渡されたことからプレイ配信をすることとなり、昨日21時から配信が行われた。
YouTube配信にPRが付いていないのでこの放送自体が案件というわけではなさそう。
ただ、運営にプレイするサーバを指定されていたと言う話もあり、ラジオ出演に連なる案件の一環と思って良いだろう。
キャラクター作成の時点でプレイするサーバが判明したため、当該サーバに大量のプレイヤーが移動し、一般プレイヤーがエリアに入れなくなる事態が発生。街中にいわゆるスパチャコピペ的なチャットや興奮した英語圏プレイヤーのチャットが溢れて地獄絵図になる。
オープニング時点でキャラ名が割れるため、オープニングムービー中に大量のフレンド申請やTell(個別チャット)が送られることとなる。この時点でぺこらは配信中にプレイの邪魔をしないよう要請。
フレンド申請は多少落ち着きを見せたが、アンチからの嫌がらせTellは届き続ける。リスナーから通知を届かなくする設定を教えてもらったため以降通知は止むが、ブラックリストに入れた訳ではないのでTellは届き続けたかもしれない。
街に移動しクエストを進めるが、大量のプレイヤーが付いてくるため画面が埋め尽くされてほとんど見えなくなる。この付き纏いプレイヤーに関しては推測でしかないがアンチよりぺこらファンが多いのではないかと思われる。ぺこら本人は配信でついてこないでほしいと要請。技のエフェクトを切る設定を教えてもらっていたが、失敗したのか以降も技エフェクトが画面を妨害する。
徐々についてくる人も減っては来るがフィールドで戦闘する際に大きな乗り物に乗る、討伐対象の敵を先に倒されるなどまともにプレイできない状態。現地にちょっと行って空から眺めてみたが、配信に映らない上空にいた人が2割、地上で大移動してたのが8割くらいだった。
プレイヤー間でプレイ妨害をやめようとのチャットは飛ぶものの焼け石に水。
結局一回戦闘しただけで配信終了。以降は裏で別キャラでやるとのことだがやらなくなっても不思議では無い。
FF14界隈では「前例があるから付き纏い行為はBANされる」「恥を晒したプレイヤーは反省しろ」といつマトモな反応もある一方、「vtuberリスナー民度悪い」と転嫁する向きもある。
ここまで悪行を書いてきて何をと言う話だが、「素行の良いプレイヤーも悪いプレイヤーもいる」としか言いようがない。
普通に遊ぶ分には良いプレイヤーが多いと感じるが、それは自分で遊ぶ分には付き合う人間を選べるからというのが大きいだろう。
野良に行けばたまに訳分からんプレイヤーには会うし、過去に素行不良プレイヤーが事件を起こしたこともあったのも事実。
少なくとも、フレンド申請のやり方やTellの仕方、乗り物や技エフェクトから見ても、これを機に始めた新規プレイヤーより既存プレイヤーが妨害のメインとなっていたのは間違いない。というかあれ見て始める人いないと思う。
なのでいちプレイヤーとしては「バカはいるけど基本的に良いゲームなんだよ……」という感情になりとても悲しい。
これも同様に良いのもいれば悪いのもいるとしか言えないだろう。
今回特に問題となったのはFF14プレイヤー兼ぺこらリスナー(orアンチ)による映りたがり付き纏い行為だが、以前から公式放送や有名人の実況で映りたがり問題は発生しており、今回それが非プレイヤーにも露呈してしまっただけである。
海外勢が多くて日本語注意が届かなかったのでは、とも言われているが全部が全部海外勢なわけはない。現地で通報するためにキャラ調べた時は日本キャラが多かった。
あれを見て今後大手配信者が実況プレイをするとは思えないが、やるのであれば「通知を切る」「エフェクトを切る」は必須。ただそれをするためには誰かに教えてもらわないといけないし、それをしてなおあの配信だったのでリスナーを躾けるしかない。
FF14を配信しているvtuberではにじさんじの静凛が有名だが、彼女はもともとプレイヤーであったためその辺りの制御に長けていた。それでも初回配信は動物園であり、徐々に統制が取れていった。
でもまあそんなことわざわざ配信でするくらいなら別ゲーするだろうし、昨今のFF14の人口増加に寄与してきたストリーマーボーナスはここで終わりでしょう。
もしプレイしようと言う気がある人がいれば、裏でプレイして感想を言う白上フブキスタイルが良いかもしれない。良いゲームなんだよほんとに……
「混雑ひどくなるしパッチ前に人増えなくて良かった」という人もいるかもしれないが、長期的に見ると「あんな民度低いゲームやらねーよw」という非プレイヤー層を増やしたため今後のゲーム運営にとってのマイナスは大きいだろう。
上記に上がったような問題行動を取らないように、としか言いようがない。
少なくとも配信見てれば本人が喜んでないことはわかるだろう。(配信見てない冷やかしもいたとは思うが)
Tellして返事くると思うか?
全部が全部コミュニケーションガイドライン違反でキャラBANどころか垢BANの可能性もあるし何故映りたいと言うだけであんな行動を取るのか……理解が及ばん。
直近の公式放送だったりヒカセンVの放送だったりではお行儀の良いプレイヤーが多かったので油断したのかもしれないが、人気海外ストリーマーが同様の事態になって妨害プレイヤーがBANされたという話もあったし予見できたことではある。
企業個人問わず多くいるヒカセンVではなくぺこらを呼んだのも登録者数に目をつけて非プレイヤー層へアピールするための起用と思われるが、その目論見が完全に破綻している。
とはいえ専用エリアなんか作れないし、処罰はログ精査してかららしくそこにいるプレイヤー全員即監獄送りというのもできなかったとは思われる。GMが現れて注意して回るくらいならできたかも。
迷惑プレイヤーに対する処罰もあるだろうが、処罰の有無は公開されないため、実際処罰されたかどうかはわからない。
配信の裏で運営が何をしていたか、今後運営がどう処罰するかは通常なら表に出ることはないが、ほぼ案件みたいな配信だったし公式から表立ったアクションがあっても良かったと思う。
フォーラムでは今まであまり重視されてこなかった配信者モードの追加要望が注目されているため、今後はシステム的な制御が入るかもしれない。まあもう大手はFF14新規配信しないだろうけどな!!!!!!
「FF14の民度は糞」というのが今後非プレイヤー層の認識となることに耐えられないので、「FF14の民度が糞な奴が映ってしまった」ということを訴えたかったが、まあ見る側からしたらそんなん関係無いしね……
まあ全部が全部糞と言うわけでは無いと言うことを少しでも「あっそうなんだふーん」くらいのレベルで留めてもらえれば嬉しいです。
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反応が増えてきたので補足追記
>サーバ名隠せよ
FF14はプレイ画面にサーバ名が表示されるため、遅かれ早かれ避けられなかったと思う。それ言い出すと配信するなまでヒートアップしそうだけど、せっかく神木くんに背中押されて楽しもうとしてくれた人にそれ言うのはちょっとなあ……
UI設定でサーバ名表示を消したりオーバーレイで隠したりはできただろうが、初見に言うのは酷だと思う。
>準備不足、混雑対策が足りてない
準備不足なのは確かにそうだけど、これもやっぱり初見に言うのは酷だと思う。そんな予習必須ゲーみたいな……ねえ……
混雑対策は個人でできることは限られてるのでリスナーのお行儀次第でしかなかった。
ホロ内ヒカセンのサポートがあればもう少しマシだったかもしれない。
>ブラックリスト入れたら終わり
このゲームのブラックリスト機能超弱くて、チャットは見えなくなるけど姿は見えるしマッチして同じPTにもなるんすよ。なので根本的な解決にはならなかった。
>晒せば抑止力になるのでは
5chではフレ申請とTellした奴はもうリストアップされてる。付き纏いしてた奴らはイニシャル表示で名前全部は表示されなかったから晒されはしないかな。本来は外部SNSに晒すのは規約違反なのでTwitterとかで晒すと本キャラ特定されて晒した側がBANされるかもね。
新規プレイヤーが妨害してたならまだしも今回は絶武器持ちとかレガリア乗りが多かったわけだし、ゲーム内で起きたことと捉えてヒカセンに対して「こういうことはやめよう!」って周知して自浄するしかないと思う。ましてや今回FF14のネガキャンになりかねない事態なのでなおさら。
kenjou たくましい人だ。それにしても、ドイツではピザ配達の時給が2000円なんだね。これが経済力の差か。
2021/09/06
https://b.hatena.ne.jp/entry/4707939140298294754/comment/kenjou
はあ?
記事の何をどう読んでんの?
フードデリバリーサービス「リーフェランド(Lieferando)」の自転車配達員の時給は最高15ユーロ(約2000円)。
こうだぞ。
ちゃんと読めてんのか?
・元大臣の仕事は「ピザ配達」ではなく「ウーバーみたいなフードデリバリーの自転車配達員」です。
・「フードデリバリーサービス自転車配達員の時給は最高で2,000円」と言っています。
したがってkenjouくんと☆付けた人達は国語のテスト0点です。
「時給は最高で2,000円」にしたってこの元大臣のおじさんが時給2,000円もらってるということではない。
「ピザ配達」ではなく「フードデリバリー自転車配達員」ならば時給は一定しない。
体力と要領と運が良ければ時給は上がるしダメなら下がるし、それで最高限度が時給2,000円の仕事、ということ。
つまりおじさんは時給2,000円ではないし、一度でも時給2,000円を獲得したことがあるかすら不明。
つーかおじさんだし本来頭脳労働者だし土地勘も言語も×という各種ハンデを普通に考えれば獲得してない。
単に元大臣ともあろう人が体力勝負かつ額面不安定かつ上限2,000円の仕事で頑張っておられる、という記事ですこれは。
…これぐらいをちゃんと読めって言うのはそんなに厳しい要求か?
お前らの脳は本当にどうなってんの?
で次に、
そういうフードデリバリーの仕事であるということを踏まえて最高時給2,000円は高いのかってことだけど
別に高くないよね。
日本のウーバーだって要領悪くなきゃ時給2,000円ぐらい稼げる時は普通にある。
そういう瞬間最大風速でいいなら時給3,000円稼ぐやつだっている。
がっちりやってるなら最高時給どころか平均時給2,000円ベースだって奴もいた。
アホくさ。
「ウーバー配達員のごときシモジモ民の稼ぎなんか知らねえよ」って言うなら別にいいんだけどよ、
知らねえならそれを指標にして何かを語ろうとすんなよ。
頭腐ってんのか。
まあそれ以前に「フードデリバリー」ってはっきり書いてあんのに
タイトルに「ピザ配達」って書いてあったらピザ配達員だと勘違いするような国語力…
いやこれもう国語力ですらないよな?
読解力的には中学生でも読める文章だと思うんだけどお前等一体何なんだ?
脳の短期記憶機能が死滅してるとか、読字障害とか、発達ナントカとか、マジで何かあるんじゃないか?
こんな奴等が毎度えらっそーに日本はダメとか日本は死ねあいつはバカとかこいつはクズとか
そんなことばっか言ってるのがはてなブックマークとか言う限界集落なわけじゃん。
逆だよ。
正しく悪く言えっつーんだよ。
答えらんないんだろ?
書いてるkenjouも☆つけてるバカどもも誰一人答えらんねーだろ?
そういうバカっぷりが嫌なんだよ。
お前等の頭蓋に格納されてるものって大便器に浮かんでる茶色いやつとどう違うの?
お前等が日本悪く言うのっていつもそんな感じじゃん。
ボヤーっとした憂国の志士様。
具体的な議論一切なし。
ボケボケーっと「日本はダメだ、日本は終わりだ、日本は死ね」つって終わり。
そもそも政治厨なのに経済に滅茶苦茶弱いってどういう生物なんだよ。
経済全然わかりません、税制全然わかりません、こんな左翼がいるか?
頭悪い、考えるの嫌い、勉強嫌い、ネットニュースの記事すら間違わずに読めない、
こんなに脳が弱いのになんで御政道談議みたいな高度な話題が好きなんだ?
今日食べた物とか今日見た動画とかの話だけしてれば? マジで。
ピザ配達の時給とかフードデリバリーサービスの時給とかどうでもいいの。
国と国比べてどうこう言いたいならせめてもうちょいまともな数字持ってこよう。
な?
ここが問題なの。
ぼわーんと「けいざいりょく」とか言ってんじゃねーよカス。
経済成長してても最低賃金が上がってねえんだよ。これが日本の問題なの。
ドイツのピザ配達員は時給2,000円は貰ってないけど1,250円以上は貰ってる。
これはドイツの「けいざいりょく」が高いからではないしドイツの企業が気前いいからでもない。
日本はこれをしてこなかったの。ウンコみたいな生産性の中小企業守るために。
ちなみに実はガースーそこは結構頑張ってたんだよ。
今年もきっちり最低賃金上げた。
「コロナ禍だから今年も据え置きでー」っていう商工会の中小社長のクソどもの寝言を黙殺して踏み切った。
全国平均28円。けどまだ全然低い。現在地も上げ幅もまだまだ。続けていかなきゃ意味ない。
別にガースーが降りるのは構わないけど有権者は最低賃金の部分だけでも評価しておいてほしいんだが。
次の総理にもその次の総理にも最低賃金引上げロードマップを引き継いでもらいたいから。
まあお前等にこんな話しても無駄か。
バカだもんな。
ドイツはけいざいりょくが高くて日本は低くて日本死ね!で証明終了だもんね。
ネットニュースでも数ページあったら記憶がぐちゃぐちゃになって頭の中で内容がまとまらなくなって必ず書いてあることまともに読めないぐらいのお脳だけど社会の誰よりも賢い隠者の里、はてなブックマークでございます。
言ってる事はもっともだけど最後が残念。「商工会の中小社長のクソどもの寝言を黙殺」とか言うお前も同類じゃ。なんで賃金上がられないかまで考えろ https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA016BU0R00C21A9000000/ 増田 日本 経済 賃金
2021/09/07 リンク
よくある勘違いだが
中小企業の生産性が低いのは下請けいじめにあってるから、は間違い。
懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者について左の事由があるときは、刑の言渡をした裁判所に対応する検察庁の検察官又は刑の言渡を受けた者の現在地を管轄する地方検察庁の検察官の指揮によって執行を停止することができる。刑の執行によって、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできない虞おそれがあるとき。
懲役刑の受刑者が、病気を理由に刑の執行停止を受けて釈放された事例
事案
懲役刑が確定し、拘置所から刑務所へ移送される予定だった受刑者が癌に罹患していることが判明したため、刑の執行停止を申立てたところ、これが認められて外部での病院で治療するために釈放された事例です。
経過
被告人は懲役1年の実刑判決を受け、控訴することなくこの判決が確定しました。拘置所から刑務所へ移送される予定でしたが、拘置所内の診察で癌の疑いがあることが判明しました。公判で弁護人を担当していた弊事務所に、本人からそのことを伝える手紙が届いたことから、弊事務所で刑の執行停止の申立書を作成するとともに、受刑者が癌に罹患している疑いがあることを証明する資料や、刑の執行停止後も治療に専念し、逃亡しないことなどを誓約する資料を収集・作成し、これらを添えて申立書を検察庁に提出しました。
その結果、無事申立てが認められ、検察庁の指揮によって刑は一時停止され、本人は釈放されました。その後、家族に付き添われて病院で検査を受け、現在も治療を継続しています。もちろん検察庁へは家族から毎月状況を報告しています。
【A級】……刑期が1年以上8年未満の犯罪傾向の進んでいない者(初犯者)⭐️
↑ ぜんぶ該当している
刑事訴訟法 第482条
懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者について左の事由があるときは、刑の言渡をした裁判所に対応する検察庁の検察官又は刑の言渡を受けた者の現在地を管轄する地方検察庁の検察官の指揮によって執行を停止することができる。
この間炎天下でふらついている迷子の犬を見かけて、すぐに助けなきゃと思って犬にどうしたの!?大丈夫!?と声をかけつつ保健所に連絡して
すぐに家に帰って水と餌を持ってきて
集まって来た知らない人たちと協力して無事に飼い主の元に返すことができた
電話でも事前に台本も用意していないのにつっかえずにすらすら犬の特徴や様子や現在地を伝えることができた
犬が好きだから堂々と行動できたけど、あれが人間だったら助けていなかったかもしれない
職場の顔見知りの人とかでも遠巻きに眺めておろおろして、救急車を呼んでだなんて言われたらもうしどろもどろになってしまったと思う
それで初めて普通の人(非モテ、陰キャじゃない人)の気持ちが少し分かったというか
自分が犬を好きなように普通の人は人間が好きで性善説で生きているから積極的に人と絡めるんだろうな
犬に水をあげようと近づいた時、頭を撫でた時、初対面の犬なんだから警戒して噛まれる可能性があることはほんの少し考えたけど怖くなかった
実際距離感を誤って噛まれたことは人生で二度ほどあったけどトラウマにもなってなくて
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。
Amazon Payとは利用者視点で言うと、Amazonに登録している住所や氏名、支払い方法をそのまま使用して買い物ができる仕組みだ。
例えば今まで利用したことのない通販サイトで初回の買い物(会員登録)をしようとしたとき、「メールアドレスで登録」「LINE連携で登録」などの項目の中に「Amazon Pay」があれば、それを選択することで住所やクレジットカード番号の入力といった煩わしい手間から解放される。あとAmazonギフト券も使える。
そのAmazon Pay、出前館でも導入していたのでクーポンでも使うかと登録にAmazon Payを選択して注文まで進んだ時に、あるエラーが出て決済まで進めない。
エラー文はこうだ。
「お届け先住所が一致していません。 再度、住所を選択し直して下さい。」
何と? 何と一致してないの?
注文してる場所かな? menuだと配送先と注文している場所の情報が食い違っていると「お届け先は現在地より遠いようです」みたいな注意文が出てくるからそう言う感じかな? と思ったけど注文している場所も配送先の住所もワイちゃんの自宅であり、全く一致しているのだった。
頭の上にハテナを浮かべながら色々サイト内を弄っているうちに位置情報の取得を遮断しててそれでエラーが出てるのかな? とか思ってみたがどうもそうではないっぽく、再度住所を設定し直したら無事決済まで行けたのであった。
住所を再設定する際に、郵便番号を入力し検索表示された東京都〜地域名のその後に続く「1丁目」「2丁目」「3丁目」……の中から当てはまるものを選択、後の細かい住所は手入力するといったよくあるパターンの操作をしたのだが、この間に選択した「○○丁目」が目に留まった。
Amazonの登録情報から自動取得され、エラーが出た住所は仮に
再設定した住所はこの例で言うと
なのである。
これか? これなのか? つまり、出前館のシステム上、ほげほげ1-2-3は存在しない住所ということになるのか? 丁目じゃないとダメなのか? 確かに出前館に住所を登録しようとすると、自由入力欄は丁目以降であり、それ以前の住所は選択式だ。
これは推測でしかないが、そういった住所記載ルールのアンマッチによって「一致しない」とのエラーが出たのでは? と考えた。
今まで様々なサイトに住所を入力してきた。時には半角じゃないとダメと言われ、時には全角じゃないとダメと言われ、またある時は記号はダメとアパート名から中黒が奪われた。
確かにAmazon Payの住所自動取得は利用者にとって大変便利だ。従って、いわゆる「カゴ落ち」を防ぐことのできる優れたシステムかもしれない。
しかし、その取得された住所の記載方法が自社サイトのルールと合致しているか、また、ルール違反となっている表記がそのまま登録されるようにはなっていないかなど、チェックする必要があると思いました。
(ある通販サイトでは購入画面に進んだ際、改めて氏名・住所などの情報を入力するページがあり、氏・名欄の氏の欄に自動取得されたフルネームが入力されていた。こういうのは気付いて修正できるし、そもそも名の欄が空白なら登録できないだろう)
駅メモはIngressに比べて安全、というか位置情報対戦ゲーの中ではトップクラスに安全なので、他ゲームと比較して優位な点だと思う。なぜなら「現在地から直線距離で最短の駅」に位置情報が丸められる仕組みだから。
画面を覗き込まれた時のために、新幹線やグリーン車でもなければなるべくウィジェットからのアクセスにする、左上の表示をチェックイン回数のモードにする(これが一番情報量が少ない。ユーザー名や今日の移動距離では覗いた人に情報を与えてしまう)などに注意されたい。
また、アクセス回数称号は取得のタイミングでフレンドに通知されるため(※称号獲得お祝いのお裾分けという形でアイテム配布されるので、通知オフにできない)、念のために自宅や職場の最寄り駅は意識的にチェックインを控えているが、それでもそれなりにチェックインしてしまうし、日々惰性で多少でも通勤がてらポチッていたら、使用路線くらいはなんとなくフレンドにバレるだろう。なるべく居住地域が遠そうなプレイヤーとフレンド登録したり、タカリっぽく見えるがフレンドの多いプレイヤーとフレンドになる(フレンド枠が多い=ヘビープレイヤー=フレンド配布アイテムが多い)ことである程度まで対策するしかできないだろう。
その他不満点については元増田に同意で、スタッフ陣に鉄オタがいなさそうなことは一切鉄っ気のない私でもうすうす感じているので、鉄オタにおかれてはさぞかし歯痒いだろうと思われる。
全体的に、世界観というか、フレーバーテキストというかバックグラウンドの設定がフワッとしたて貧弱なんだよな…未来から来たアンドロイド的なものらしいけど、適性のあるマスターさんにしか目に見えない妖精さんみたいなものらしいし、未来で研修を受けてから現代に派遣されるらしいけど、各キャラクターが「○○さんちの○○ちゃん」みたいにいっぱいいる?らしいし、ってことは未来での研修っていうのは教室に同じロットの子がずらーって並んでいるのかというとそうでもないっぽいし…、現代への派遣のタイムスリップでパラレルになるのか? それなら筋通るか? そんな描写あったっけ?
「各駅を訪問してアクセスする」まではテキストとゲームシステムが連動してるんだけど、リンクの保持や誰かが保持しているリンクに攻撃してHPを削る奪い合いが、物語設定的に何やっているか不明なんだよな。だからゲームプレイとしてはバチバチにバトルしたり、バトルでの攻撃と見せかけて相手を回復してたりするのに、ストーリーでは「いっぱい電車乗って、疲れたね」になっちゃっている。
イラストのショボさについては、いわゆるオタ絵っぽくない、イラストレーションっぽいテイストに惹かれて入ったので、元増田の言うこともよくわかるけど、個人的な趣味としては他ゲームのソシャゲみたいなテイストになればいい・ばえるスチルがあればいいってものでも…とも思う。
ラッピングも可愛いし。最近はイベントストーリーは全然ハナから追う気も無いけれど、ラッピングガチャで皆の服を可愛いな〜とひととおりチェックするくらいには楽しんでいる。このへん初期より最近の方がクオリティが改善されている気がするな、1番最初のメガネとネコミミはびっくり酷いダサさとやっつけっぷりに比べれば…
ログインボーナスの仕組みも最近変わったし、これからも当面は一応ログボだけちまちま貰って思い出した頃にガチャで新しい子との出会いを求めようかな、と思う。でもコロナで移動しないからライセンス購入のモチベーションも無ければ女の子育たないからまともにバトルにならないし、コロナ禍を無視したイベントにはえーって思うし、その割に、運営去年けっこう稼いでらっしゃるらしいじゃないですか…元微課金ユーザーの意見なんてゴミかもしれないけど、私はいちチコとかやちコタとかヤコマコの妄想を膨らませようにも舞台骨というか、日頃の暮らしや未来にいたころの暮らしやお出かけの時にみんながどうしてるかわからなくて動けなかっただけなんですよ…一次作家じゃ無いから隙間を埋めることしかできないのに、虚無の空間しか無かったんだよ…。
来週のどっかで行こうかと思っていた。
そんな中、叔父さんからメールが来ていた。面会禁止になったと。
すぐに乗換案内で、「出発地:現在地、到着地:婆ちゃんが入院する病院」と検索した。あぁダメだ。今日中には着かない。あぁ終わったんだなと思う。
素人目にも、婆ちゃんがこれから容態が回復し退院するのは難しいだろうし、面会が再開できるまで生きているのも難しいと思う。
面会禁止に関して、特に驚きはない。むしろ自分が行ったタイミングで会えたのが奇跡に近いと思う。
婆ちゃんが入院している病院の近くの病院は、去年からずっとほぼ面会禁止になっている。たまたま、ここの病院に入院する運びになったから、婆ちゃんと面会できたのだ。
この地域もコロナ患者は増えている。叔父さんには、病院の近くのあそこでも出たと聞いた。すぐには分からなかったが、ストリートビューで見たら確かに先週通った場所だ。
毎日のように、叔父さん達に叔母さんに姪っ子に友達と面会に来てくれてただけに、これから一人になってしまうのかと思うと、婆ちゃんは寂しいだろうな。
でも、もう意識もあまりないのかな。これだけ、毎日いろいろな人が来てくれたのだから、幸せでいいのかな。
あん時、無理してでも婆ちゃんに会いにいっておいて本当によかった。もしあの時、仕事を理由にして行かないで、この状態になったら後悔しかなかった。
あの時、眠っている婆ちゃんを確認して、叔父さんにじゃ先に失礼しますって言ったのが最後の姿になってしまった。最後に、婆ちゃんにまた来ます。心の中で本当にありがとうっていう言葉をかけ忘れたのは少しばかりの心のこりである。
あまり苦しまずに最後の時間を過ごせることを祈るのが、今の自分に唯一できることです。
もう会えないのはコロナのせいと言えばそうですが、変な話、コロナで面会禁止の変なプレッシャーがあったので、まだ意識のある婆ちゃんと会えたので不思議な感じもします。
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
元の記事と思われるものを読んできたが、元の記事は学問や知識がどういうものか、「知る」という営みにどういう意味があるのか、に重点をおいて語っていた。他方でこの記事は学校教育がなぜ必要かを語っていて、少々論点がズレているような気もしなくもない。
「教育の受益者が社会だ」、この主張には概ね納得。ただ勿論、教育にも功罪があって、例えば優生学や社会進化論を下敷きにして作った教育はファシスト的なものになるかも知れない(それこそ周りを見下すための教育になりうる)。或いは、歴史教育。隣国との領土問題や過去の戦争問題を語ったり聞いたりする時には、歴史の知識を使うわけだけれども、教育で与えられた知識をそのまま(或いは自己流に解釈して)使った結果として、隣国との対立が続いたままになっていたりはしないだろうか?この記事も学問や教育の善を部分的に語っているわけだけれども、その悪も合わせて知らせないと、そこから生まれる社会は少々歪になるかも知れませんね(ここが我々の現在地かも知れません)。
教育制度の論点からするなら少々話がずれるかも知れないが、主体的な学びであるならば、広義の「学ぶこと」「知ること」「考えること」それ自体は社会のためであれ、個人のためであれ良いように思う。個人的な興味から幼少期に好きだった昆虫や恐竜を探究するもよし、文学を学ぶもよし、災害から街を守るためにインフラ整備について学ぶもよし、娯楽である家庭用ゲームについて個人的に考えるのもよし。
教育から与えられた「勉強」がなくても生きること自体はできるだろう。しかしながら、自分から何か(扱うものは極端な話なんでもいいんです)を知ろうとする時に「勉強」がないと困るのも事実だ。我々が文章を読めるのは、どんな形であれ共通のコードとして教育があったからだ。映画や音楽、詩や文学、(極端だが)ブログなどの娯楽を楽しめるのも、部分的にそのコードに沿いつつ「主体的に何かを学んだ人」がいるからのように思う。「勉強」がみんなで楽しめるものの基礎の部分を作っていること、社会や文化の一部を作ってきたことも否定できない。
ざっとまとめるならば、「勉強」と「主体的な学び」に乖離があるのは事実かも知れないけれども、「勉強」が個人も社会も(物質的にも内面的にも)豊かにしうることは事実かも知れない。勿論、どちらにも功罪はあるけれども、一見無駄に見える「勉強」であれ、「主体的な学び」であれ、我々が何らかの形で日常的に使うものであることは否定できないはずだ。
(長文失礼しました)
ウーバーイーツってなんかGPSで配達の人がどこにいるか見られるらしいじゃん
でも取りたい出前ないし金ないし、そもそもここはウーバー不毛の地
彼女が旅行から帰ってくるとき、飛行機の位置情報を見ながら待ってたことがあるんだけど、あれは楽しかった
でも多分あれは彼女っていう知ってる個人が乗ってたからだ 飛行機が爆速で航路を動いてるのを見たって予定調和感しかない 飛んでるから動きも直線的だし、エモさが足りん よって誰が乗ってるかもわからん飛行機の位置情報見たって仕方がないということになる
電車とかバスも同じ バスは若干マシだけど、やっぱ決まったルートを動いてるだけってのはつまらん
個人がいい 決まったルートを巡行してるんじゃなく、好きなところに赴いているさまをみたい 地図上でリアルタイムに見られるのが理想 べつに家にいるときまで公開しろなんて言わん 特定されないような位置から始めてくれて大いに結構
いまの情報化・SNS社会、自分の位置情報を逐一公開してる奇特な人のひとりやふたりはいそう いそうなんだけど、どう検索したらいいのかわからん
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
マッサージをされる、という経験をしたことがなかったので一生懸命検索して現在地の近くのマッサージ店に行った。
おじさんにベタベタ触られるのは抵抗があったので本当に一生懸命検索した。
店を出てからまた調べたあとからわかったことだけど、見つけたお店はメンズエステというものの部類らしかった。
マッサージ通い歴が深い人からしたらどうか知らないけど、何も知らない人間が行って十分気持ちよかったのなら細かいことはどうでもよくなった。
ぜひまた行ってみようと思った。
増田は東京に住んでるわけだが、今日の段階でgoogle の感染拡大予測で2月8日は180以上/1日の死者がでると予測されてるらしい。
感染者は増えてるけど、まだ都内では1桁から10人レベルの死者で、「言っても死なないっしょ」ってことろがコロナ対応に対するバラバラな空気を産んでるとは思う。
でも目に見える、行こうと思えば日常的に行ける範囲で1日100人以上の死者が出る毎日になったら、世の中のみんなの心情ってどうなるんだろう。
そして、これは今までの振る舞いをまあまあ当ててきた予測の現在地で、個人のぼんやりした予測よりかなり本当にそうなりそうなことで、数字として「結構な確立でそういう日が来そうだな」と頭でわかるが、それがどんな心情を自分やみんなに巻き起こすのかちょっと想像がつかない。