家に帰ってきたら、また涙が出てきた。
5年ぶりに会った婆ちゃんは凄く苦しそうだった。酸素マスクがつけられた状態だった。
とくに自分が到着した時、かなり数値が悪化しており、見ているのもつらい状態だったが、滞在している時間に少しは改善し、帰るときは気持ちよく寝ているような感じだった。
自分が来たことは理解してくれたみたいで、ありがとうって言う声が辛うじて聞こえて嬉しかった。
どこどこをさすって欲しいとか、暑いから○○してほしいみたいなことは身振り手振りで意思疎通できたので、数少ない自分の出来ることをして面会の時間を過ごした。
寝ている婆ちゃんを起こさないまま静かに後にした。これが別れにはなりたくはない。
少し前に入院して、当初はそこまで重病になるような話ではなかったが、ある時から悪化する一方だった。
本当は二週間前に行く予定だったが、婆ちゃんと同じ街に住む叔父さんから、「もうちょっと元気になってから来てよ」と言われたのにちょっとほっとした自分がいた。仕事がかなり立て込んでいたのだ。行かない理由がほしかった自分がいた。
その後、一気に悪化してきて、親戚の話は、お通夜や葬式にこれる見たいな話に変わっていった。
そうなると、二週間前行かなかった行動を猛烈に後悔するようになった。このまま婆ちゃんと生きている間に会えなかったら、叔父さんに「いや見舞いに行くよ」と言えなかったことを長く後悔するだろうと。
そして今日、もうこのタイミングで行っておかないと一生後悔するだろうと思って、昨日前泊して、今日面会してきた。あと、婆ちゃんの住む地域のコロナ患者が増えてきて、面会禁止になるのも心配だった。
日帰りでも辛うじて行けるが、前泊して少し広めのシティホテルに宿泊して、そこで仕事をすることでどうにか時間を作った。
5年前に会ったのは、仕事で来た際に、もう一日滞在して会ったのが最後。その後、何度となく行こうかと思ったが、そのままになっていた。
さすがにコロナウイルスが広まってからは、行くのは絶対に避けないと思って、そのままになっていた。でも嫌な予感がしたのも事実だ。
小学校卒業までは、学校の休み事に行っていた。婆ちゃんは優しくて、お話好きで、行くのが毎回楽しかった。ゲーム機を買ってもらえるのも嬉しかった。
中学・高校時代はほぼ行かなかったが、婆ちゃんの住む地方都市の隣の都市の大学を受けたときは、婆ちゃんの家に泊まって受験した。朝飯の味噌汁とんでもないほど薄かった。そして合格した。
大学時代は、近かったので、各休みに1回は車で婆ちゃんと近所に住む年下のいとこを連れて、どっか食べに行ったり遊びにいったりしていた。
Googleフォトを見るとそん時の写真がいっぱいある。色んな思いでがある。
僕は婆ちゃんが好きだった。なのに、ここ数年一度も行かなかったことを後悔している。でも今日会ったことで、ちょっとだけ荷が降ろせた気がする。まぁ自分の自己満足で、婆ちゃんはどう思っているかは分からんけど。
それでも、帰りの電車の車内。もう少し滞在しようか、もうこの電車が婆ちゃんの町を離れればそれは一生の別れなんじゃないかと思うと、僕はこの電車に乗っているのが辛くてしかたかった。引き戻るか。じゃ引き戻ってどうするんだ。今のこと、過去の事いろいろな事を考えると、胸が引き裂かれそうだった。早く終着駅についてくれと言う気持ちでいっぱいだった。
anond:20210405210851 来週のどっかで行こうかと思っていた。 そんな中、叔父さんからメールが来ていた。面会禁止になったと。 すぐに乗換案内で、「出発地:現在地、到着地:婆ちゃん...
49日の間はふよふよしてるよ。元増田のところにもいくからお話用意してぼそぼそでもいいからお喋りしたげて。