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はてなキーワード: 格率とは

2023-01-17

anond:20230115075634

親切を返すチャンスがあるときは返そうとするんだけど、結構格率でお前に関わって欲しくないって示されるから死にたい

2022-06-23

悪夢倫理を作り上げる


 人生の節目に常々悪夢を見てきた

 僕の人生基本的悪夢によって規定されていると言ってもいい。そのような悪夢が初めて自分を襲ったのは四歳だか五歳だかの未就学児だった時期である

 この悪夢について僕は詳細を語るつもりはない。

 それは明確に僕にとっての呪いであり、そして僕の人生根本的に規定している夢だからである

 このような夢を安易に語ることによって、これまで僕が人生運営していく上で必要としてきたシステム――要するに倫理――に悪影響が出ないとも限らない。僕はこの悪夢基本的墓場まで持っていくつもりである。もし、僕がこの悪夢を誰かに語るとすれば、それは僕が誰かに呪いを移し替えたいという、純粋な悪意によって衝き動かされる時に限られるだろう。


 そのようにして、四歳だか五歳だかの時に、記憶に残る上では人生で初めての悪夢に見舞われ、僕の人生はある種決定付けられた。

 僕はその後悪夢に怯えて人生を過ごすことになった。

 悪夢とは――端的に落とし穴である。それは闇夜の落とし穴であり、夜になれば我々は必ず眠りに就かなくてはならず、つまり、闇夜の中を目印無しに歩かなくてはならなくなる。無事に夜明けまで辿り着ける場合もあれば、真っ逆さまに穴の中に転落することもある。それが我々にとっての――少なくとも僕が五歳だの六歳だった時の――悪夢だった。そのような悪夢を避けることは、基本的にはできない。偶発的に穴には落ちる。歩く限りで、そしてそこが闇夜である限りで、また、その闇夜の道に無数の穴が掘られている限りで――必ず我々は穴に落ちることになるのである。すなわち、悪夢を見ることになるのであるマーフィーの法則を持ち出すまでもなく、それが僕にとっての悪夢というものの在り方だった。

 いかにしてこの悪夢を避けるべきか――という思考が芽生えたのはいつのことだったか、それは流石に未就学児の時ではなかったと思う。僕はその後も順調に、人生の岐路において悪夢に見舞われ続けた。つまり積極的にこの悪夢を退けようとする姿勢――僕にとっての倫理姿勢――を身に着けるのは、もう少し後のこととなる。


 六歳だか七歳だかの時には、ランドセルほどのサイズの大きな蛾が、背中にしがみついた状態で、闇夜を歩く夢を見た。そして、その夢の中で僕の手には鎖と鉄球が結ばれており、それを引きずっていた。

 以前その夢について増田に書いた時があったのだけれど、それは僕にとっての「カフカ的な重み」であったと増田には記させてもらった。六歳だか七歳だかにして、過負荷(当時のブコメから引用)を背負うことは、はっきり言えばそれなりにハードなことだった。何でまた僕はこんな幼少期からこんな重みを引きずって歩かなくてはならないのだ? 僕はまともに歩くことさえ困難な状態におかれてしまっているじゃないか、と。



 時に美しい夢を見ることもあった。意中の女性を抱き締め、愛を語らう夢。そんな夢から覚めた直後には、朝の静かな空気の中で僕は幸せを噛み締めていた。

 とは言え、そのような美しい夢に比して、同数以上の悪夢を見ることに、青年期の僕はうんざりとしていた。その殆どは、僕が所謂カフカ的重み”――つまりは゛過負荷”を背負っていることを突き付けようとする悪夢であった。

 荷物が重すぎるのである。それを何度となく、僕は僕自身悪夢によって示されることになった。゛お前はここから逃げられない”と。゛荷物を下ろそうとしたところで、それは無駄なのだ”と。゛お前の背負っている重みを常に直視し続けろ”と。

 さて、僕はどうするべきだったのだろう。

 勿論、僕のやるべきことは一つだけだった。つまり荷物が何であるかを見定め、それをできる限りパージしていく――円満背中から下ろしていく――ということそれだけだった。

 僕は自分の重みから解放されなければならなかった。その手順を、一つ一つ確実に踏まなければならなかった。間違ったやり方をしてしまえば、その重みが加速度的に増して、自分背中を押し潰すことは、僕にとって殆ど自明のことだった。

 そう、゛間違えてはならない”のである

 正しいことをし続けなくてはいけなかったのである。何故なら、そこで間違った選択をすれば、僕は更に゛過負荷”に晒されることとなったであろうからである

 この場合の゛正しいこと”とは、繰り返すように、゛過負荷”について正しく理解し、目を逸らさず、誠実にその重みを扱っていくことである。幸か不幸か、僕は自分にとってのおぞましい重みが眼前に提示された際、その重みを瞬き一つせずに眺めてしまうという性向を持っていた。そのような性向ある意味では僕の青年期の情景に影を滲ませることになったが、同時に、その時の僕にとってこの上なく必要事柄をもたらしたのである

 僕はそこから目を逸らしてはならなかったのだ。


 僕が正しいことをしなくてはならない、そのために、全力を注がなくてはならない、そう決意したのは、悪夢の影響だった。自分にとって正しいことをし続けること、自分の素直な気持ちを大切にし、本当に大切なものだけを搔き集め、そうでないものに囚われないようにすること――かかる方法のみを以てしてしか自分の重みを取り除くことができないことは、僕にとって明らかだったのであるシンプルに言えば、僕は正しいことをし続けなければ死んでしまっていたのである。僕自身の過負荷によって。



 僕自身にとっての倫理とはかかるものである。つまり、『死にたくなければ(悪夢の過負荷に押しつぶされたくなければ)、正しいことをし続けろ』というシンプル命題。それが、僕にとっての倫理だった。

 僕は、そのような倫理個人的格率として保持し続けた。僕が人生を生き切るためには、自分の夢を敵に回すのではなく、自分の夢に味方になってもらうことが、必要不可欠だったのである

 その後、僕は様々な人生トラブルに見舞われることとなった。最も最近トラブルは今年の初めくらいから生起しており、正直なところ正気を保つのに随分苦労しているのだが、しかし、ここまでやってきた努力の成果もあってか、夢だけは常に味方になってくれていた。

 夢の中で、僕は幼い日に恋心を抱いていた女の子出会う。

 彼女と僕は語らい、キスをする。幸せ気持ちになる。

 朝目覚め、少しだけ悲しい気分になるのだけど、でも、少なくともそれは悪夢の目覚めに比べれば、五千倍はマシなのだ



 倫理とは悪夢に対する恐怖であり、その、悪夢を退けるために、善行を為し続けることなである個人的に言えば。




anond:20220617134526

2022-01-27

anond:20220126140251

はてなーってバカなん?

https://anond.hatelabo.jp/20220126140251

追記が長くなったのでこっちに

 

追記

 

記事にぶら下がった増田に「医師免許9割合格のザルさ」とあって、知らずに見た人が「あれ?医師国家試験て難関じゃなかった?」と疑問に思うかもしれないので説明しとく。

割合格というのは事実で、新卒に限ると合格率95%と非常に高いのには理由がある。

 

医師免許を得るための国家試験(国試)は誰でも受けられるものでなく、大学医学課程(以下わかりやす医大と呼ぶ)を卒業した者・卒業見込の者でないと受験資格がない。まず医大受験の時点で選抜されてる。

医大受験生にとって国試合格率大学選びの一つの目安で、低い医大は避けられるから医大は国試合格率を競ってて、なるべく合格率は高くしたい。

特に私立医大にとって学生の払う超高額な学費寄付金大事大学運営資金原資。かといって質の低い学生をかまわず入学させ卒業させ国試に落ちて合格率が下がると、受験志願者からの評判が悪くなり学生を集められないというジレンマが生じる。

(国公立医大では運営資金のうち学費は微々たるもの私立ほど切実ではないが、合格率は実績の一つなので高いに越したことはないし、そもそも私立に比べて学費が圧倒的に安いことから受験生の人気が高く学生学力が高いので、必然的に国試合格率は高くなる)(基本的に、医師を目指す受験生はまず国公立を目指し、国公立が無理なら私立を受ける。なので私立医大のほうが入試難関度が低いし、逆に学費無料自治医大は最難関の一つ)

 

そこで各医大卒業試験を国試と同レベル以上にして、国試に受かるレベル学生でなければ卒業させず(受験必要卒業見込証明書を出さず)留年させて国試を受けさせない。

留年した医学生は必要な課程は修了してるので、1年間で卒業(国試)に向けて猛勉強し、晴れて卒業見込みになれば7年生の新卒として国試を受ける。

医大が国試合格できる学生だけを選んで卒業させるのだから合格率は高くて当たり前なわけ。

合格100%でないのは、本番に弱いとか卒業試験で運よく?実力以上を発揮したとか…)

そういう事情なので別にザルではないと思う。

 

受験生が医大を選ぶときは国試合格率だけでなく卒業率も見るべきなんだが、上記のような事情を知らないのか、合格率ほど気にする学生は少ないようだ。

医大ごとの国試の願書提出者数と実際の受験者数が公表されてて比べると卒業率がわかり、国公立は全国どこもほぼ100%に近く、私立ピンキリで難関では100%に近いがキリだと90%を切るところもある。

卒業率90%×国試合格率90%だと実態合格率は81%医大受験選抜された医学生の合格率81%を高いとみるか低いとみるか。

 

追記

 

医師免許にも更新試験を」のブコメ

教員免許でそれやって現状どうなってるか知ってますか。(保守政治家教員いじめるために導入されましたが、利なく害ばかりなので廃止方向です)

臨床に熱心な医師試験勉強不足で更新できず、患者技術向上は二の次試験勉強ばかりしてる医師更新できる未来は容易に想像できますが。

 

そもそも医師になったあとは診療科ごとに必要とされる知識技能が細分化されてるのに、どういう試験するつもりですか。

町の内科医総合病院心臓血管外科医麻酔科医と病理医と厚労省保健所公衆衛生行政をやってる医師技官に、共通して必要とされる知識技能がどれだけあると思いますか。

 

ちなみに医師免許には更新はないけど、各学会認定する認定医・専門医指導医資格更新制で、年間手術件数症例数・論文数・面接等(学会により違う)で審査されて満たさなければ資格を取り消されます。(あとどんなに優秀でも学会費を納めないとかでも)

最初資格とるときだけは筆記試験や稀に実技試験があって、試験前1週間は他の同僚に患者をまかせて試験勉強に励んだりまします。(更新筆記試験があったら大変)

なので資格があるかどうかは知識技能の一つの目安になりますよ。

病院ホームページ先生の紹介で資格を書いてある所もあるので、調べてから行くといいですよ。

先生ごとの細かい資格紹介がなくても、病院紹介で○○学会○○専門医研修施設とあれば、その診療科には指導医専門医の上位資格)がいるってことです。

(その先生に当たるとは限らないし、むしろ大きな病院だと医師なり立ての研修医に当たる可能性もあるけど)

 

私はこれらの資格といわゆる「医師の腕」はほとんど関係ないと思ってるので、気にしませんけどね。

それより例えば耳鼻科クリニックを探すときは、自分病院耳鼻科先生に「○○病院の○○先生どうですか」と評判を聞いてそれで決めてます同業者評価が一番あてになるので。

資格はいっぱいもってても、あそこはやめとけって先生もたまにいるし)

 

追記

 

医師負担軽減のため、薬の処方を薬剤師やらせたら」の増田

現状、医師は診察で患者さんと話しながら電子カルテで薬の種類と量をポチポチ入力するだけなので、これ無くしても全然業務軽減にはなりません。

紙の処方箋事務員が電カルから出力して患者さんに渡します。いまどき医師自身処方箋手書きしてる病院なんて、医師一人看護師一人の離島の小さな診療所くらいしかないと思う。

そして実際に薬を調合して処方するのは院外(市中)薬局です。医薬分離はずっと前からそうなってて、医師は薬の調合はしてません。

 

長期継続して服薬してる薬を、医師の診察と処方なしで薬剤師判断で出すことはできませんが、

それを薬剤師やらせるなら、薬剤師にそこまで権限責任を負わせるなら、それなりの報酬(点数)をつける必要があるでしょうね。

薬剤師が処方権を持つ国では薬剤師年収千万超えるらしいですよ。

やっぱり結局は金なんですよ。

そもそも薬剤師自分判断で薬の処方を決める事を望んでるのか、制度が実現したとしてどれだけの薬剤師がそれをやりたがるのか、未知数ですね。(そういう調査、あるんでしょうか)

 

追記

 

看護師医師権限を一部渡したら」

どういう事をやらせるのを想定してるのかわかりませんが、内科だと症状から原因を推定治療方針を決める診察行為や、外科なら体にメス入れるのを考えてます

看護師にそこまでの権限責任を負わせるのなら、助産師のように看護師の上位に新たな資格を作る必要があるでしょうね。

看護学校での教育カリキュラム試験内容も相応に厳しくする必要があります。それこそ医師並みに。

今の看護師資格待遇のまま医師責任の一部を追わせようと考えてるのなら、ブラック主権者の極みですよ。今でもいっぱいいっぱいなのに、誰もやらたがりませんよ。誤診したり手術失敗して、それが「現代医学で求められる水準」を満たしてなかったら逮捕されたり巨額の賠償金を負うのに。

看護師上位資格にはそれなりの報酬がなければならず、やっぱり金ですね。

みなさん知ってますか、収益を重視する民間の大病院では、病棟時間帯によっては、ナースステーションにいる大勢のうち看護師は数人だけで、あとはみな低賃金准看護師看護助手(なんの資格も持ってないアルバイト)って事も多いんです。(公立病院だとそういう例は少ないけど、公立病院はだいたい赤字ですね)

そんな状況で看護師より高給の上位看護師を、医師負担軽減のために雇う病院、どれだけあるかな

もし上位看護師を雇ったらそのぶん医師は減らされて、結局医師一人あたりの負担は変わらないと思いますよ。

 

追記

 

「今まで男子受験生が下駄はかされて優秀でない医師になってたんだ」のブコメ増田

入学試験では医学知識は問われず、医大入学試験の成績=医師国試の成績ではないし、医師国試の成績=医師の優劣でもありません。

そもそも入試成績が劣るもの医師になるのが良くないことだと忌避するのであれば、

それは医師負担を軽減するために医師を増やすことも良くないという事になりますが、そういう考えですか?

医師を増やす医師国試の合格者を増やす医学合格者を増やす、ということで、それはつまり合格ラインの引き下げということですよ。

下駄はかされてた男子受験生が優秀でない医師になってた」と怒りながら、「女医が働きやすいように医師の働き方を改善しろ医師を増やせ」と両方言ってたら、矛盾してますよ。

2021-11-11

anond:20211111194313

そりゃ昇格出来るのは当たり前。民間の手本となるべき存在から

でも誇れる程昇格率高くないよ。

女性教師に昇格ってあるの?地方公務員程度じゃ「稼げる」って言わないし…。

民間で言う、大卒初任給26万すら安いと思うけど

それ以上稼ぐのって国家公務員資格持ちじゃない?

2021-08-15

自衛隊にたまにいるだっせえ奴とメンタリスト似てんな

数は多くないが必ずいる。幹准曹士わずレンジャー出てようが、大臣直轄だろうが部隊雰囲気関係なくたまに出くわすマジだせえ奴がいる。それは雑談なんかしてる時、戦争が起きたら自分は逃げるとか言い出す奴である

この手合いは申し訳なさそうに言うでもなく、自らの説の合理性を滔々と述べる。曰く、別に自分でなくともよいとか、誰か知らん人間より家族を守った方がいいとか言う。聞いてもねえのに。

合理的で首尾一貫した、しかしそれでいて場のタブーである主張をするのに酔ってる。おれはなんも言わんけど、熱くなって言い返す奴はいるよ。話噛み合ってねえけど。

噛み合ってねえついでに話飛ぶけど、例えば、この社会自体が、選挙とか言う一人が一票を投じるめちゃめちゃシンプルかつ極めて重要制度でありながら、個人視点での参加意義めちゃめちゃうっすい制度で成り立ってる。投票行く奴は休みが潰れて、交通事故リスク感染リスクを負い吹けば飛ぶような一票を投じる。投票って全然合理的行動じゃねえから絶対行かないって言う奴絶対いるし、理解できる。こういう奴に投票行動させるにはどうしたらいいんかな。

よく投票率の低さを憂いて選挙に行かないと世代間格差は広がるよとか社会立場を同じくするなら投票してとか言うけど、個人的な合理性が常に勝っちゃうからね。話噛み合ってねえんだよ。交通事故に遭い、コロナ感染して休み潰れるけどそれでも投票に行くことを勧めるのは何故か。という問いなんだよな行かない奴の言ってることは。それにはマジで合理性ゼロだけど、そうすべきって信じてるし、そうしてるからお前もよろしくしか言い様ない。そういう考え方あんのか。わからんけど腑に落ちた気もする。行くわ。って形しかないと思ってる。

そしてこの説得は超だっせえ。ただ選挙制度みてえなもんをみた時、合理性を超えた信条美学格率みたいなあやふやなもんに社会立脚してんのかなと思うと少なくとも合理性だけを考察すべき地域範囲に乗せてる奴より誠実だと思う。

合理性ステージだけで一貫してるだけでマウント取ってくる奴はマジそこで論理を一貫させんのなんか簡単なんだからいばんねえでくれよ。露悪的なのもかっこよくねえからな。よろしく

2021-06-11

53歳医師免許取った人の話

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.moneypost.jp/796214

国試は「運がいい」とか「何度も受けてればいずれは」てものではないので、この年齢で合格したのは本当にすごいと思う。

そのうえで。

 

診療科にもよるけど、後期研修中は「医師免許もってるだけの素人」(経験豊富ナースのほうが頼りになる)、診療科ひとすじ10年やって「初心者」(典型例なら独りで診られるけど、レアケースだと先輩が助言しないとダメ。オペでは必ず先輩と二人一組。)、20年やって学会専門医とって独り立ちできる「中堅」、30年やって職場で頼りにされるリーダー的な扱いだよ。

その10年20年だって、ただ漫然とやってればいいのではなく、場数こなして勉強して知識アップデートし続けての話。

場数こなすってのは、いわゆる「医師ハードワーク」と言われるような、朝から夜まで患者みて、カンファで症例発表して先輩から突っ込まれまくったり、空いてる時間海外論文読んだり学会発表する論文書いて、家帰ったら寝るだけ、みたいな状況を毎日続けるってこと。

そこまでしないと「実力のある医師」になれないから、全国の病院研修医集めるのに苦労してる中、聖路加や沖縄県中部病院みたいなハードすぎる病院に全国から研修医志願者が集まって選抜までしてるの。(両院出身先生は全国各地で指導者的な立場活躍してる)(両院研修がどれだけハードかは、体験記が多数あるので各自読んで)

 

53でそれができる体力があるか、無理だと思う。ふつうその歳だとこれまでの経験知識を生かして皆を指導する立場もの

仮にそれができたとして、20年たって独り立ちできる頃には70歳過ぎてて、体力も認知能力ももう衰えてて、ふつうなら引退してる歳。

たぶん、彼女日赤献血バイトとか、正規なら養老施設の常駐医とか、そういう・・・言い方は悪いけど、臨床現場引退したおじいちゃん医師がやるような道に進むんじゃないかな。

「町のお医者さん」として小さな内科診療所開業するって可能性もあるけど、勤務医として10年20年やって独り立ちできるだけの経験知識を得たあとで開業する人(私がかかりつけとして選んでるのはこの手の診療所ばかり)に比べると、後期研修後すぐに開業する医師はずいぶん頼りない。

「私はこの人に診てもらいたい」てブコメがあったけど、私は避けたいな。

 

あと「在学が長い」てブコメ散見されるけど、私大は国試合格率学生集めるための大事な実績になるので、

どれだけ熱心に授業受けて課題こなしてても、国試合格できる見込みがなければ卒業させてくれないので、そこでひっかかってた可能性が高いよ。

2018-06-11

安易医療学校に入ってはいけない

看護師理学療法士診療放射線技師などの養成校に就職目当てで軽い気持ちで入るのはやめた方がいい。

特に発達障害の傾向が少しでもある人には絶対にやめろと言いたい。

具体的には先延ばし遅刻癖、コミュ障のうちどれか一つでも当てはまったら別の道を考えるべきだ。

私はこれで20代前半の貴重な時間と金を失った。

7年、8年通った挙げ句卒業できず去って行った人を何人も見てきた。目的意識の高いはずの社会人学生ですら挫折した人が複数人いた。

ストレート卒業する人は約半分だ。

華々しくホームページパンフレットに飾られる国試合格率就職率の裏にどれだけの留年者・中退者がいることか。

コメディカルに向く人は、与えられた課題をコツコツやるのが苦ではないが、秀才になれなかった人だろう。

医療保健学学問ではないと思う。学問とはきつさの中にも面白さがあるものだろう。

医療保健学職業訓練以外の何物でもない。もし入学するならば、それこそ学生になるのではなく軍隊に入隊するのだというくらいの覚悟必要だろう。

やりたいことが見つからない高校生浪人生社会学科(社会福祉学科ではない)に行けばいいと思う。もちろん興味があれば哲学科だろうが数学科だろうがそこに行くのが一番いいが(哲学科に関して言えば、生きる意味といった人生哲学的なことをやりたいのなら慎重になったほうがいい。あそこは半分ドイツ語学科フランス語学科である)。

社会学科は卒論的な意味で潰しが利くと思う。アニメゲームや性産業まで研究対象になるから、在学中に何か興味の持てる対象が見つかりそれを研究に生かせる可能性は他学科より高いはず。

いかいかはわからないが、元AV女優東大院に入って本を出したなんていうこともあった。

コツコツ型でない人間が何よりも避けなければならないのは、中退である

就職云々の前にまずは卒業しなければ話にならない。

コメディカルを勧める人は口を揃えて「資格を取れば食いっぱぐれない」と言うが、ある年齢以上から給料は伸び悩むし、コスパが良い選択とは言い難い(看護師夜勤をやれば結構稼げるだろうが)。

もし人体に興味があるなら、それこそ医学科に行かなければ間違いなく後悔する。

どんなに研鑽を積んでも、制度新米医師にすら敵わないというのは非常に精神的にきついと思う。

しつこいようだが、就職目当てでコメディカル養成校に入っても得をするのは学校経営者のみである。既に泥沼に足を踏み入れてしまった人は、一留が決まった時点でなるべく早く撤退すること。

2018-01-19

anond:20180119121308

留年なんてするわけないじゃん。

こっちはもう一回大学生経験してんだぞ?なんでそこまで人を低く見積もれるのか謎。

当然国試だって落ちる要素なんてないぞ。国立医学部の国試合格率知ってんだろ?

2016-02-06

同人作家には二種類いる。承認欲求型、宗教

承認欲求

感想が欲しい、他人と仲良くなりたい、作家さんとお近づきになりたい、地雷やこだわりがあまり無い、読者の反応が知りたい、有名になりたい、褒められたい、人気作品に飛びついて他人交流したい、アフターに参加したい、他人認知されたい、反応が無いと病む、他の作家嫉妬する、自分が認められたい

宗教

他人感想を欲しない、1人でもくもくと書き続ける、過激派地雷や拘りが強い、コメント欄拍手すら無い、アフターにも参加しない、交流をしない、他人に全く興味が無い、自分と同じ解釈なら他の作家が持ち上げられていても喜ぶ、嫉妬しない、自分が認められたいわけでは無く趣向を認められたい、押し付けがましい

前者は普通人間同人作家の95%ほど、後者は危ない人だが作品投稿数やプロ格率が高い

2015-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20150109163438

自分たちの学年は、医学部にしては珍しく馬鹿揃い、との評判だった。

確かにキレッキレの天才っぽい人間は皆無。

とにかく多浪が多く、現役を0と計算しても平均2.x浪というような感じだったと思う。

でも自分はこの浪人組の人たちが大好きだったし、なによりも素敵だったのが、

この学年は上の学年から落ちてきたほとんどの先輩たちを道連れにして、

一緒に卒業した奇跡の学年だった、という事だった。

むろん国試合格率は史上最悪だったがそれが何か悪いか?(翌年ちゃんと頑張って合格していた。東大みたいに国試不合格者が吹き溜まると大変だもんね)

10を超える多浪の人が何が違ったか、というと勉強スタイルが「孤独」だった事だろうか。

ノートも生真面目にとってらっしゃるから、「貸して見せてください」とお願いしたところが、

字がきれいなだけでまとまっていない、大変な物体だという事に気づいた数人は、これ以後、

「ねえ、○○さん、こちらのノートを読んでみてください。そして先生はこれを重要だと説明してらっしゃると思いますよ」

アドバイスする側にまわった。

しろこの人の人格が素晴らしくてなんとかしてお医者さんになって欲しい。

授業はもちろん最前列で聞いておられるわけだけれど、そのノートの内容は起承転のみで終わる小説のようだったから、

何人かでフォローするためにかわりばんこにノートを取った事を思い出す。

人格の素晴らしいその人だけでなく、中で何度も何度も足踏みしていた人々も沢山落ちていらっしゃったけれど、

それぞれ素晴らしい人たちで、留年するには理由があった。

彼らは年を取っている分記憶力が落ちるわけだからピンポイントで「こことここが大切!」と教えなければならない。

からこそ、集中して授業を聞くはめになってしまい、

それが自分たち勉強になってしまって、

自分たちは大した勉強をせずに試験には楽勝で通ってしまっていた。

そして彼らもなんとか一緒に卒業できて本当うれしかった。仲間は大切よね。

(教える側に回っていたのは自分も含めて5-10人ぐらいいたと思う)

基本的学力があって、入学試験突破してきてもかなり勉強しまくらないと医学部は厳しいかもしれないけれど、

自分不思議全然楽に感じていたのは彼らのおかげだと感謝しています

むろん今でも尊敬できる素晴らしいお医者さんたちで活躍している。

20何浪の話を聞いたら、医学部勉強集団以外でしたことがなかったのを思い出した。

勉強って楽しいですよね。

追記:もしも同クラスの人がいたらごめんね。

これは医学部教育問題について言われているいくつかの問題のうちの一つについて考えている。

ノートが「起承転」と書いたが、これは何を意味するかというと「正しい答えは出せるのだが、時間がかかる人がいる」の比喩だ。

優秀な人には何種類かいるが、医学部には判断力が早い人がかなり多いし重視される。

でも優秀さには時間で測れない物差しがあるはずで、そういう人達たまたま自分たちの学年に集まった。

ある人々は浪人で、ある人々は留年で。でも現状ではそういう人が受験前にふるい落とされたり学内孤独勉強してふるい落とされたりするのではないか。

医師成熟した人間が少ない」の答えの一つはそれなのではないか?物事ゆっくり考えない、、、

その後国家試験合格しているのだから知識そのものにはなんにも問題ないことはわかるはずだ。

そして医師になってから彼らの実力を喜んだのはむしろ患者さん達の方だった。やばい医師どころか最高の医師だと思う。

2014-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20140516203440

私も学問をやってる人間から学者のいうことにはある程度信頼をおいてよいと思ってる.が,学者行政情報信憑性が疑われているなか(情報公開恣意性のほか,前例のないことによる影響の予見不可能性のため),放射線による影響について危機感をもつの健全自己防衛の「本能」でしょう.R.ホーフスタッターが『アメリカ反知性主義』においてのべたような,知識人一般人という構造を看取するのは,いささか早計ではないかな.

もっとも,私とて「福島のものはたべない」というような格率はもってない.不安がないではないが,「どうせ大した影響はなかろう」という「根拠なき」楽観があるから.偉そうなことをいうなら自分情報を精査すればいいだろうといわれそうだが,そんなものはわれわれ一般人にはとうてい手に負えない相談です.ゆえに学者などの意見にたよらざるをえないわけだが,如上のとおり,それをどこまで信じてよいか,はかりかねる.

 
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