はてなキーワード: 日本国とは
橋下徹と桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。
【言論の自由】「橋下vs桜井」意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg
まずは「論外」という反応から見ていく。
この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである。在日韓国人・朝鮮人を侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」であると評価している。
てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチは情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである。水島氏のこうした発言はヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから。
あと、「在特会とアンチ在特会を平等に規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチ」である。「ヘイトスピーチ」とは、特定の人種・国籍に対して差別を煽るような憎悪表現である。アンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)
中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。
橋下氏の発言には、たしかに同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明。デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシのヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。
こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹な人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人は半島に帰れ」という言葉を模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているからである。それから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間を公人が思いっきり面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。
他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平と桜井誠の出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民の賛同を得られるものではない。クレーマーそのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。
桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくまで一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。
なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。
したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。
外山恒一はツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760
言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチに批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。
法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチを規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本も批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国の裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用が義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本は1996年に正式に批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである。
日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権を在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。
なお、私的には、むしろ「竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学で憲法学の講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代に憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間が大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである。
なりたい自分はそれなりに給料があって、人間関係がバッチリで、自分の好きな仕事をやって、
趣味のサッカー観戦やら草野球やらカメラが出来る程度には休みがあって、結婚して子宝に恵まれること。
なりたくない自分は給料が安くて、人間関係が悪くて、やらされている感しか無い仕事をやって、
趣味が出来ないほど休みがなくて、結婚できなくて風俗で性病を移されること。
なりたい自分を目指したつもりなのに、自分にはどうにもならない力で
勤めている企業が大赤字になるだけで簡単になりたくない自分に転落しそうで怖い。
優秀な同級生からはどう見られるだろうか。安定した企業に行かなくてお金に苦労しないだろうか。
日本国債に投資するのと、レバレッジ100倍で南アフリカランドに投資するのと、どちらが良いのか。
○下村委員 いや、私は千葉法務大臣の見解をお聞きしているんですよ、ほかの方がどう思っているかということじゃなくて。
ちょっと千葉さん、法務大臣になってから発言が余りにも慎重過ぎて、先ほどの死刑執行のサインについても、千葉さんらしくない法務大臣としての御発言であるというふうに私は思いましたが、千葉法務大臣のお仲間でもあると思いますが、日弁連が、中国政府によるさらなる邦人三名に対する死刑執行に対するコメントというのを出しているんですね。この中で、
当連合会は、本年三月末に中国政府から日本政府への死刑執行通告がなされて以降、死刑を未然に防ぐための明確な要望を行うよう、日本政府に対して求めてきた。そして、四月六日に一人目の死刑執行がなされた際には、重ねて、さらなる死刑執行を防ぐため明確な要望を行うよう、日本政府に強く要請を行ってきた。
こうした度重なる要請にもかかわらず、日本政府は、日本国民の生命に対する権利を守るための明確な要望をついに行うことなく、四名の尊い人命が失われるに至ったことは、極めて遺憾である。
こういうコメントを出されているわけですね。
さらに、私は、これ以降についてのコメントはもっともだというふうに、私もこのことについては共感を感じているんですが、こういうふうに続けてコメントをされています。
本件のような薬物犯罪に対する死刑の適用が、国際人権法上認められないことは、先の声明で述べたとおりである。それに加えて、国連の拷問等に関する特別報告者は、中国に関する報告書において、死刑の適用範囲を縮小すること、すなわち経済犯罪や非暴力犯罪に対する死刑を廃止することを勧告している。また中国は、一九八八年に拷問等禁止条約を批准しているが、国連拷問禁止委員会は中国政府に対し、死刑の適用を制限するために法の見直しを行うべきであると勧告している。
中国政府は、自ら加入する人権条約上の義務を果たしていないのであって、これに対する日本政府の意見表明が内政干渉にあたらないことは、国連人権理事会における普遍的定期的審査をみても明らかである。
これは、まさにこのとおりの見解だというふうに思うんですね。
こういうふうなことの中で、私は、先ほどのコメント、日本政府の法務の責任者としての法務大臣のコメントとしてはいかがなものかと思いますが、日弁連のこの意見表明について、あるいは、国際人権法の中での、国連における拷問禁止委員会の中国政府に対する勧告について、どのようにお考えになりますか。
○千葉国務大臣 国際機関が大変厳しい指摘をされるということは、私も承知をしておりますし、そして、それらの条約の観点から見て、国際社会から厳しく指摘がされるというのは、これは当然あり得ることだというふうに思います。
正直申し上げまして、逆に日本にも、いろいろな問題について国際機関からも指摘がされているということは幾つかあるわけでございますので、私は、国際社会が監視をしていく、そして、さまざまな、国際的な流れからいっての指摘をしていくということは、ごく当然のことであろうというふうに思いますし、そこは、それぞれの国が真摯に受けとめて対処していくということが必要なのではないかというふうに思っております。
○下村委員 いや、それも答弁がちょっと違うんじゃないですかね。
これは今回、日本人なわけですよ。国連のスタンスというよりは、日本人が、麻薬密輸という、我が国においては死刑対象にならない罪、これによって死刑対象になったわけですから、日本国内においては死刑にならない。中国には中国の法があるでしょうけれども、しかし、我が国の邦人が死刑されたという点から、それは、その程度の答弁では、日本国の法務大臣としていかがなものですか。
○千葉国務大臣 日本の邦人を、さまざまな形できちっと権利を守り、そして救済をするということは、これは当然のことだというふうに思っております。それは、国際的な基準にのっとり、あるいはそれぞれの持つ法制度にのっとって権利をきちっと守っていくということ、これは当然のことだというふうに思っております。
逆に、日本の中でも、外国の皆さんに対するさまざまな法適用ということもございますので、それは、それぞれが、国際的な大きな基準といいましょうか、それに基づいて対応をするということであろうというふうに思います。
それが、例えば法を逸脱しているというようなことになりますれば、それはもちろん、きちっとした抗議をする、あるいはまた、その違法をただすということは必要であろうというふうに思いますけれども、それぞれの持つ基本的な法制度にのっとっている、そういうことに対して、懸念を示す、あるいは何とかそれを回避してほしいということはお願いをさせていただくということになろうかというふうに思いますけれども、それを変えさせるというようなことにはなかなか、それぞれの国自体の問題でございますので、対処をするというのはなかなか難しいことだというふうに思います。
ただ、申し上げますように、やはり、法にのっとって権利を行使し、そして自分の権利を守るということについてきちっと申し上げるというのは、当然のことだというふうに思います。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/174/0004/17404160004007c.html
葬場殿の儀というのは、どうも皇室の私的な行事ではなくて、国として見ても公的な行事のようですね。国事行為である大喪の礼、そして皇室の行事である葬場殿の儀、これを一連の行為として時間的にも連続性を持たせて場所も同じところで行うというのは、テレビに映し出されるのを見ている国民からもあるいは諸外国の代表からも当然一つのものとして映るわけです。かつて吉田総理の葬儀が国葬として行われた際に、カトリック教会で個人の宗教によって私的に葬儀を行って、そして一週間後に東京の武道館で宗教色を排除して国葬が行われています。
今度、こういう天皇の葬儀についても、憲法の政教分離を厳密に貫くべきでありますから、そういうような配慮をどうしてなさらなかったんですか。
○国務大臣(小渕恵三君) 吉田元首相の例をお挙げになられましたが、立派な方だと尊敬はいたしておりますが、天皇陛下におかれては憲法第一条に規定をされた我が国の象徴、国民統合の象徴でございますので、同じような考え方に存するものではない、このように考えております。
○吉川春子君 そうしますと、宗教色を排してやるというようなことではなくて全部一つとして、それは天皇の葬儀として連続して行われて、宗教色の盛り込まれているものも交互にあるわけですけれどもそういうものでやっても天皇の場合は差し支えないんだ、これが政府のお考えですか。
○国務大臣(小渕恵三君) 国民の間にいろんな御意見のあることも政府としては承知をしなければならない立場でございますので、種々検討いたしました結果、大喪の礼の御式は国の儀式として行われ、葬場殿の儀は皇室の行事として行われるもので、両儀は法的に明確に区別されるのみならず、実際上も大喪の礼御式においては開式を告げること、祭官は退席すること、鳥居は撤去すること、大真榊は撤去すること等とされており、両儀ははっきり区別をされた形で行われるということで大喪の礼委員会で決定いたした次第でございます。
○吉川春子君 大喪の礼もそれから葬場殿の儀も儀式の内容というのは旧皇室喪儀令で定められているものとほとんど違わないわけですね。こういうものを部分的に取り出してここだけは国事行為だといっても、憲法の政教分離の規定はクリアできないと思うんです。憲法二十条というのはまさにそういう儀式を行うこと自体を禁止しているわけです。
政府は、大喪の礼のみではなくて葬場殿の儀にも出席を要請して、節目節目には一同に起立を求める方針だと、こういうふうに言われています。これは宗教行事への参加ではないですか。
そこには、先ほども話がありましたけれども、神道の象徴である鳥居が建てられている。大真榊が置かれる。
広辞苑によると、鳥居というのは神域、神の領域を示すものであると言われています。これをくぐることは神社への崇敬の念を示すことになるわけです。榊は神のよりしろとして枝に白幣をつけて神霊の象徴として祭礼が行われるわけですね。
こういうような宗教儀式に総理が出席されるというのは、これはまさに憲法違反じゃないですか。
○政府委員(味村治君) 国事行為として行われます大喪の礼は、ただいま官房長官が申されましたとおり、皇室行事であります葬場殿の儀とははっきり区別をされているわけでございます。
国事行為たる大喪の礼は、祭官は退席し、鳥居を撤去し、大真榊は撤去されておりまして宗教色はないわけでございまして、国事行為たる大喪の礼が宗教儀式に該当ししたがって憲法二十条第三項によって国またはその機関が行うことを禁止されている宗教的活動に該当するという疑いは全くございません。まずそのことを申し上げておきます。
その前に葬場殿の儀が行われるわけでございまして、これは皇室の行事として行われるわけでございます。これにつきましてはいろいろ宗教的な色彩があるということは否定ができないわけでございます。しかしながら、そこに総理が総理たる資格で御出席になりましても、それは先ほど飯田委員との論議の中で申し上げたのと似たようなことになるわけでございますが、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であられます亡き昭和天皇に対する哀悼の意を表し、また、御遺族と申し上げるのは失礼かと思うんですが、御遺族であられます現天皇に対してお悔やみの意をあらわす、こういう意味でそういういろんな儀礼を尽くすというような意味で出席されるわけでございまして、特定の宗教を助長するとか援助するとかそういうようなことで出席されるわけでないということは、これは明らかなわけでございますから、したがって、内閣総理大臣が総理大臣としての資格で皇室行事たる葬場殿の儀に御出席になってもそれは憲法二十条三項の禁止する宗教的活動には該当しない、このように理解をしているわけでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/114/1020/11402141020003c.html
よく分かってない事にも何でも反対する姿勢、
傍から見たら何で愛国者なのか理解出来ないその世界でのみ通用する愛国観。
しかも発言者に対しては強硬姿勢に出る、その代り自分に矛先が向くとシドロモドロになる。
右系の政治家がこうだと主張すると調べもせず心酔してその信者として他を敵視する。
少数意見であったり、論破されるとその発言者を全部在日認定したり国賊とか売国奴、非国民という言葉を乱用する。
名誉棄損で訴える準備が始まったりその発言者の本気が伺えると途端弱腰になる。
都合の悪い事を言われると在日認定。
掲示板なら荒らし、SNSなら発言者の実名と住所、写真などを無断で転載して犯罪者だと吹聴する。
肖像権の侵害などを平気で行うクズのくせに「知る権利」をやたら行使しようとする。
沖縄が日本国の犠牲になっているという事実を直視せず、サンゴや海洋の生態系(マナフィ等絶滅危惧種)を滅ぼしかねない米軍基地の移転計画を止めようともしない。
天皇が迷惑してるのにやたら天皇万歳を言っては他国に毒をまき散らす。
円安批判する奴は全部敵だと思ってる。
円安は輸出産業の好調あってこそという簡単な事も理解出来ない。
靖国参拝するのが日本人として当然と本気で思ってる(稲荷大社や春日大社の参拝は駄目なんですか?)。
朝日毎日は誤報捏造だらけで信用出来るのは正確な情報を伝えられる読売()や産経()だと言う。
無職は甘えだ。
語彙力が極端に少ない。
30代~40代。
他人の振りを見ず我が振りも当然直す気がない。
イルミナテイにやたら敏感だ。
TorrentやShareで音楽アニメ映画ゲーム漫画を落とす事を正当化し、それが業界全体の活気に繋がってると本気で思い込む。
同族嫌悪。
アフィリエイトを極端に嫌う。
逆にアフィリエイトが好きで金儲けのためなら国を売り渡せる(クチでは愛国煽動)。
懐古主義。
ちょっとでも隣国を思いやる気持ちを持った芸能人のプロフィールを漁って整形疑惑や背乗り疑惑をでっち上げて貶める。
基本的に匿名性の高い所でしか活動できず、個人ブログの批判の際もコメント欄を荒らす事しか出来ない。
でっち上げを嫌がる性質の割に自分が誰かをでっち上げてバカにする事については問題ないと思ってる。
ネトウヨと呼ばれるのが嫌いだ。
とりあえずコピペを疑う。
とりあえず記念カキコ。
「長い」「読みづらい」「短くまとめろ」とやたら上から目線で注文を付けるか難癖を付ける。
とりあえずネカマを疑う。
そして中立は正しさを保証する考えではない。
まず喩えとして「1+1は2」と主張するA派と「1+1は2ではない」と主張するB派があるとしよう。
中立とは「A派の意見もB派の意見も受け入れない。私はどちらの味方もしない」という主張を行う立場だ。
読んで分かる通り中立は議論の余地を放棄し自己の存在を肯定する思想で一見すると詭弁の塊の様に思える。
往々にして中立という道具は議論によって排斥される思想を維持するために使われてきたからだ。
話を戻そう。
日本国における戦後の人権と刑罰、法の成り立ちは日本が中立である事を理由に再解釈されてきた。
借金の貸し手と借り手が同一の集団であるということ、より単純化して言うならば、自分自身からお金を借りるということは、よく考えてみればすごく奇妙なことではないだろうか。
簡単な思考実験をしてみたい。
ある男が、無人島に流れ着いたとする。そこで彼は、政府も国民もたった一人だけの、独立国家の設立を宣言するのである。無人島に流れ着いた時、たまたまこの男は大量のメモ用紙を持っていたとしよう。そこで彼の政府は、メモ用紙を使って1万円ぶんの「国債」を発行し(もちろん、複利の利子付きで)、それを自分自身へ貸し付け、その国債を裏付けとする1万円ぶんの紙幣を(自分自身に対して)発行するのである。さて、これでこの無人島には、都合2万円ぶんの新たな「価値」が生じたことになる。この時、国債(=紙幣)の発行前後で、無人島における彼の生活に何か変化が生じるだろうか?
もちろん、何の変化も生じない。
もしこの男が無人島で豊かな生活を送りたいと考えるのであれば、島に存在する動植物や鉱物といった資源を、彼自身の労働力を用いて、有用な食料や住居、燃料に変換する以外に無い。いくら紙幣を発行したとしても、豊かさの源泉である自然資源は増加しないし、自然資源を有用な財に変換するための労働力が向上することもない。貿易やら分業などを考慮しなければ、この男が日本人全体の集合であり、無人島が日本列島であると言えるだろう。
さて、この思考実験から、一般的な常識とは異なる以下の2点が主張できるのではないだろうか。
メモ用紙の紙幣の発行可能量は、いかなる物理的な制限をも受けることはない (ただし、筆記用具と紙の量は除いて)。発行した国債の償還期日が迫った時には、彼は利子の額をプラスした新たな国債を発行すれば良い。そもそもこの国債は彼が自分自身に発行しているものであるため、未来の自分が償還してくれることも確実なのだから、原理的にはこの過程はいくらでも継続しうる。
2. 国債が破綻することが無いという事実は、我々が豊かになれるかどうかには、ほとんど関係がない
たとえ、彼がどれほど大きな数字をメモ用紙に記入したとしても、紙の上の数字は、島の物理的な現実世界に対していかなる影響を与えることもない。彼の生活の豊かさは、根本的には無人島に基から存在した資源に由来しており、直接的には資源を財に変換するプロセスである労働の効率に依存している。資源の量と労働の効率が向上しない限り、交換媒体である紙幣量を増加させたとしても、彼の生活には何の関係もない。ゆえに、紙幣の発行量を小手先で操作することで、経済が成長を続け、我々が豊かな生活水準を維持できるかのように考えることは、誤りである。
ちなみに、批判があるかもしれないので予め答えておくと、この例では紙幣と財や労働力の「交換」という要素を意図的に省略している。けれども、たとえ無人島に複数の人間が流れ付き、全員がメモ用紙の紙幣を交換の媒体として使用することに合意したとしても、メモ用紙の紙幣の発行前後で、利用可能な島内部の財の総量が変化しないという事実に変わりはないはずだ。そもそも紙幣と交換される財が存在しなければ、交換の手段である紙幣は全くの無用の長物なのである。
自民党は古くから適当なデータもなしに感情論だけで表現を規制してきた経緯があったが、
今回も同様にたった一つか二つの実例を挙げてアニメが原因で犯罪を起こしたと主張した。
そこに岡田斗司夫や江川達也が切り込んで行ってその本質を明らかにしたのはなるほどと思った。
というのも海外ではアニメの規制が非常に厳しいのだが、性犯罪や殺人の数は日本の比ではない。
むしろアニメが規制されていないからこそ抑止力になっているという結論であった。
自民党は昔から犯罪心理について懐疑的で、右向け右という思想信条なので右向け左という人種に対してはとにかく厳しい。
犯罪事件において、物的証拠がないにも拘らず様々な冤罪被害者を断頭台に送って処刑してきたり、一方的に決め付けで有罪にしてきた背景がある。
海外では推定無罪の考え方が一般的であるのに自民党政権下では隣の中国共産党同様に、推定有罪の考え方が一般的といった危険な思想を持ち合わせている。
そんな彼らがアニメを規制する時、まず先に考えるのは犯罪との相関関係である。
実際の所、今や様々な人種、年齢層、性別の人がアニメ文化を享受しているので、犯罪者の家にアニメのポスターや漫画などが合っても不思議ではない。
にも拘らず自民党というのは、アニメが犯罪を誘引するのだと決め付けて感情論で以って規制を推進している。
自民党、ではないが極右で知られる石原慎太郎元都知事や俳優の津川雅彦などがいい例だろう。
彼らは現実的には小説や映画作品でかなりきわどい表現を描写してきたにも拘らず、官能や耽美の世界だとしてアニメの性的描写とは切り離す、実に都合の良い考え方を持っている。
そのくせ、犯罪事件が起こり、犯人の部屋にそういったアニメグッズが置かれていると直ぐにアニメは犯罪だから規制しろと騒ぎ立てるのだ。
話が逸れたので戻すが、アニメが犯罪を匂わすとは到底思えないものである。
そもそもアニメが犯罪を起こす原因であれば、何故それを日本国として商売しようとするのか。
クールジャパンというアニメコンテンツを海外に発信してオタク文化を共有しようという試みを行っているが、こうしたアニメコンテンツの中にも当然ロリコンや暴力的なアニメは多く存在している。
しかしながら、一方でこうしたコンテンツを犯罪を誘引・誘発させるから規制しようというのである。
一枚岩ではない。
常に金儲けの事しか考えないのが自民党である、という前提に立ち返れば簡単だ。
すなわちアニメを規制する事で喜ぶ利権団体より政治献金が自民党に入る、そのために少ない事例でアニメを規制しようと躍起なのである。
だそうだ。
http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/comfort-women-asahi-shimbun_b_5713083.html
朝日の「検証記事」は「優等生の不器用な言い訳」めいているそうだが、
この記事を信じるなら、朝日新聞読者の立場から見た植村記事は、外国(韓国)で流布されている日本国と日本国民にとって不名誉で根拠薄弱な噂話を、現地紙で反論するどころか、それに迎合し十分な検討なしに大手有力紙が大々的に掲載した。そういうことでしかなくなる。
この時点で、十分にスキャンダラスな捏造事件と呼ばざるを得ない。
以下、私が気になった点を列挙する。
韓国側の反応と日本側の再反応によって悪循環が形成されているのは周知のことだし、朝日報道後の経緯や影響を、ことさら直接的な因果関係にのみ絞って論じるのは、朝日の掩護射撃ととられても仕方ないだろう。
仲間うちでは成績はピカ一だった。当時から分厚い洋書をバターにナイフでも入れるかのようにサクサク読みこなしていた。
名家の出で、父上は元官僚にして実業家、今は経営の実権は兄上に移っているといい、当人は家族に生活費を出してもらって、都内に一軒家を借り、使用人を2人も置いて悠悠自適の生活をしている。
仕事もしないで何をしているのか不思議だが、膨大な本を読み、コンサートに足しげく出かけ、実家のコネを使って外国人主催のパーティに出入りしたり、芸者遊びまでして、本人は多忙なつもりらしい。
家族は彼が働かないことは全く気にしていないようだが、30にもなって独身でいることこそを問題視しているらしく、しばしば縁談を持ちかけては断られているようだ。
「だって、君だって、もうたいてい世の中へ出なくっちゃなるまい。その時それじゃ困るよ」と言ってみたことがある。
その時の答えが、これだ。
「世の中へは昔から出ているさ。ことに君とわかれてから、大変世の中が広くなった様な気がする。ただ君の出ている世の中とは種類が違うだけだ」
「そんなこと言っていばったって、いまに降参するだけだよ」
学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒もかけ持ちをやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読みをするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているよりほかにまったく暇がない。
たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寝ている。だからどこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞きに行く機会がない。
つまり楽という一種の美しい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から言わせると、これほどあわれな無経験はないと思う。
パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。
君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者のつもりだ」
私は重い言葉で「うん、いつまでもそういう世界に住んでいられれば結構さ」と返すのが精いっぱいだった。
かく言う私は、成績はこの男にはるかに及ばなかったが、大学卒業後は首尾よく銀行に就職することができた。
しかし関西の支店に配属され、順調にキャリアを積んでいたつもりだったが、あろうことか初めてつけられた部下が客の金を使い込んでいたことが発覚した。水商売の女に入れあげたというのだ。
そんなバカみたいな話が今どきあるものかと思ったが、後の祭りだった。
部下が懲戒免職になったのは当然として、詳細は書けないが客というのがややこしい相手だったため、マスコミに勤め先の名前を出さないために私までが詰め腹を切らされる羽目になった。
前後して妻が最初の子を死産するという不幸にも見舞われた。もともと体の丈夫な方ではなかった妻は、それをきっかけに病に伏せったり起きたりをしばしば繰り返すようになった。
ちなみに妻は藤谷美和子という女優の若いころにそっくりの美人だと言われるが、私には何のことかわからない。
いろいろあって気づいたら一千に近い借金を背負い、文字通り尾羽打ち枯らした状態で東京に戻ってきた。
率直に言えば、いくらかでも金を無心することはできないかという内心の希望を持って、この古い友人のところを再び訪れる気になった。飲みに誘われたので付き合った。
そんな酒が美味いはずはない。本心を切り出せないまま、私はいつに増して饒舌になった。雰囲気はみるみる険悪になり、私ははっきりと相手が仕事をしていないことを咎めるようなことを口にした。
「君はさっきから、働かない働かないと言って、だいぶ僕を攻撃したが、僕は黙っていた。攻撃されるとおり僕は働かないつもりだから黙っていた」
「なぜ働かない」
「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、おおげさに言うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。
第一、日本ほど借金をこしらえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、いつになったら返せると思うか。
そりゃ外債ぐらいは返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、とうてい立ち行かない国だ。それでいて、一等国をもって任じている。
そうして、むりにも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きをけずって、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。
牛と競争をする蛙と同じことで、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見たまえ。
こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事はできない。ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の回るほどこき使われるから、そろって神経衰弱になっちまう。
話をしてみたまえ、たいていは馬鹿だから。自分のことと、自分の今日の、ただいまのことよりほかに、何も考えてやしない。
考えられないほど疲労しているんだからしかたがない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にしてともなっている。
のみならず、道徳の敗退もいっしょに来ている。日本国じゅうどこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。ことごとく暗黒だ。
そのあいだに立って僕一人が、なんと言ったって、なにをしたって、しようがないさ。
僕は元来怠けものだ。いや、君といっしょに往来している時分から怠けものだ。あの時はしいて景気をつけていたから、君には有為多望のように見えたんだろう。
そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、だいたいのうえにおいて健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。
そうなればやることはいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでもできてくるだろうと思う。
しかしこれじゃだめだ。今のようなら僕はむしろ自分だけになっている。
そうして、君のいわゆるありのままの世界をありのままで受取って、そのうち僕にもっとも適したものに接触を保って満足する。
進んでほかの人を、こっちの考え通りにするなんて、とうていできた話じゃありゃしないもの――」
え、何を今更? と思う人がいるかもしれないが。実は『盗撮罪』のような犯罪は存在しない。では、盗撮はどのような法律に基づいて取り締まられているのか、個別に見ていこう。
現在の日本国において、盗撮する行為そのものを規制する唯一の”国の法律”が軽犯罪法である。
言うまでもなく軽犯罪法は罰則自体が軽い上、取り締まる対象は『人が通常衣服をつけないでいるような場所を』だから、街中や相手の家のリビングを盗撮しても罪にならない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO039.html
二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
盗撮すると国の法律上どんな罪になるかというと、結構多いのが住居侵入罪だ。
だがもちろん、これは『盗撮するために不当に侵入したこと』を罪に問うているのであって、盗撮行為そのものを罰しているわけではない。
(何か『どこに入ると罪になるか』については若干の議論があるらしいが、ここでは触れない)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%B1%85%E4%BE%B5%E5%85%A5%E7%BD%AA
http://www.geocities.jp/masakari5910/houritsu_j4.html (註・このページの情報は若干古い)
第五条
何人も、人に対し、公共の場所又は公共の乗物において、人を著しくしゆう恥させ、又は人に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。
第八条
次の各号の一に該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2 前項第二号(第五条第一項に係る部分に限る。)の罪を犯した者が、人の通常衣服で隠されている下着又は身体を撮影した者であるときは、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
この項目に引っかかり、1年以内の懲役または100万円以内の罰金になる。
逆に言うと、『入ってはならないような場所以外で』『通常衣服を着けない場所(体の部位ではなく、撮影が行われた場所)以外を撮影したのでなければ』条例しか取り締まる法律がないので、飛行機の中で盗撮があった場合はただちにそれが何県の上空で行われたのか特定しないと罪にできない。
(参考リンク) http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1734331.html
実は数年前まで、県の迷惑防止条例には重大な欠陥があった。たとえば岡山県 新旧対照表 この新旧対照表が平成25年成立の平成26年施行とは悪い冗談のようだが、本当だ。
2 何人も、婦女に対し、公共の場所又は公共の乗物において、婦女を著しく羞しゆう恥させ、又は婦女に不安を覚えさせるような卑猥わいな言動をしてはならない。
婦女に対し、である。男に対して羞恥させても軽犯罪法にしかならなかった。千葉県などはこの手の条文の後に「男子に対して行った場合も同様とする」ような文言があるが、一部の県ではそれすら存在せず、男性を羞恥させても軽犯罪法にしか触れない県がいくつかあったが、どうやら平成26年度までには改正されたようだ。表題はそういう理由。
もっとも、この「著しく羞恥」は基準が曖昧だ。寝顔を撮影して捕まった事例があるがそれは本当に「著しく羞恥」なのか。逆に特定の男性を撮影してネットにアップするのは迷惑防止条例に触れないのかという疑問はある。
肖像権について日本の法律には明確な規定が無いが、判例上は『パブリシティ権としての部分』と『人格権としての部分』が認められている。
パブリシティ権の方は分かりやすい。ざっくり言うならば『その写真や映像で、商売をする権利』であり、従って芸能人などに認められる。(政治系の有名人についてはどうなっているのかは正直、よく分からない)
分かりやすい例としては、街中やコンサート会場でタレントを撮影し、その写真を販売したりするのは違法である。
コンサート会場などは主催者が撮影禁止を定めていればその通りだろうが、有名人が街中にいるところを撮影するのが違法であるかというと、実のところ曖昧だ。 http://lmedia.jp/2014/06/18/53942/
前述したように、『その写真を売ったりしたら違法』なのは明確だが、個人で持っているだけなら(おそらく)何の法律にも触れない。ではブログにアップするのは、そのブログにアフィリエイトがついていたら……という話になると、もはや違法とか合法とか言い切る以前に『そもそも、法律の整備が追いついていない』というのが現状だ。皆がカメラ付き携帯電話を持つようになって10年ほどでしかない。
(そして、前々から思っていていまだ答えが出ていないのだが、『有名人の昔のスキャンダル集』『放送事故映像集』的な本が出ているが、ああいう本こそタレントの肖像権に触れないのか?)
ちなみにタレントのプライバシーについては、認められる範囲は著しく狭い。SMAP(ジャニーズ事務所のあのスマップです)追っかけマップ裁判の判決で『住所及び電話番号は掲載すべきではないが、最寄り駅などの情報を掲載した追っかけマップを出版することは認められる』という判決が出ている。
http://www.translan.com/jucc/precedent-1998-11-30d.html
人格権としての肖像権は若干分かりにくいが、みだりに自分の姿を公開されたりしないための権利だ。もちろん、渋谷スクランブル交差点を撮影する際に写っている全ての人の許可を取るなどほぼ不可能だし、今のところ『不特定多数を』撮影したのであれば人格権を侵害したことにはならないとされている。
逆に、アイヌの民族衣装を着た子供時代の写真に『滅びゆく民族』というキャプションをつけた出版社が被写体本人から訴えられた(和解成立済み)例もあるので、人格権としての肖像権はその辺りが参考になるのだろう。
http://www.amazon.co.jp/dp/4773888024
何が言いたいかというと、『公共の場所にいる男性を無断で撮影し』『キモイとか犯罪者予備軍とか書いてブログにアップ』された場合、被写体となった男性は(もちろん女性でも同じだが)撮影者を肖像権の侵害で訴えることができるだろう、ということだ。
それがあるんだなぁ。国債には利払いという概念がある。その利払いには金融機関がぶら下がっていて、
その下には海外投資家がぶら下がっていて、リーマン・ショック並みに日本国債はデフォルトなんか出来ない。
すると国債の利払いのために国債を発行するという悪循環になり、
これのために、金利の上げ下げができなくなっていき、最終的には破綻する事になる。
国債の利払いに邪魔されて、『インフレターゲット』の適正な設定ができなくなることで、国内の経済に影響をあたえることが最大の問題。
つまり 『インフレターゲット』の適正な設定が出来る範囲の金利の支払いになるような国債が国債発行の上限MAXという話になって、それが事実上の原資
今現在は、国民の預貯金が原資になっていて国内の銀行が多くを賄えているけど、海外投資家が増えればアルゼンチンに近づいていく。
何がどうみっともないの?
子供に関する親の責任は等価なのに、父親の落ち度には見て見ぬ振りしといて母親の落ち度だけあげつらう日本国の人間共みんなクソですよねって指摘すると開き直りみっともないの?
嫁が孕んでる間の性欲も我慢出来ない(※しかも自慰は禁止されてないのに※)ゴミクズ共が堂々とふんぞり返って父親ヅラしてるのが今の日本国の現実なんだから別にいいんじゃないの。親のうち50%がクズでも100%クズでも大して違いないだろ。
海外の医療ドラマなんか見てると、アル中どころかヘロイン中毒の母親から産まれて来た生まれつきヘロイン中毒の赤子の出産なんか扱っててロックな国だと思うわ。そんな状況じゃ腹の中で普通死ぬやろと思うけど意外と死なないんだから人体って不思議だよな。
重ねて書くと「子供が一番の被害者(キリッ」とか偉そうに抜かしてる連中は、この父親が子供を腹に入れてる母親に対してしてる仕打ちについてはどう思ってんのかね。
自分が腹の中にいるせいでお父さんがお母さん以外の女と浮気してました! なんてのは虐待の最たるものだと思うんだけど、母性神話狂徒の男性様と名誉男性様的にはそのへんアーアーキコエナーイなの? まあ知ってたけど。
レイプも親告罪だから女が泣き寝入りするのを見越しての法律だしな
つかヤリサーイベサーでキメても、女は罪に問われないようにすれば、こういうレイプサークルも激減すると思うけどね。
ああ、そういやゼロ原発謳ってる元内閣総理大臣が元スーパーフリーでしたね。
集団的自衛権に賛成寄りの理由
同様に、日本人の戦争観が第二次世界大戦で止まっていることもやばい
・軍需産業との兼ね合いで、日本産の軍製品を使う他国との連携(中長期)
・自衛隊の軍に格上げにより、自衛隊員が国際法上の軍人として扱われること(中期)
集団的自衛権に反対寄りの理由
・基準があいまい
密接な関係にある他国とは?(積極的平和主義≒協調主義と捉えた関連する国?)
韓国も含まれる?
オーストラリアは?
NATOは?
日本の存立とは?
日本の誇りや印象?
「国民の権利が根底から覆される明白な危険」における国民とは?
=>他国、あるいは公海上にいる自衛官またはそれに準ずる組織体も含まれる?
必要最低限度とは誰が、どこで、どのような基準で決めるものなのか。
・国会の承認を経るとあるが、どういった事態を想定しているのか
国連軍として参加?
知らんかった。
だそうだ。赤旗のコラムもかくやはと思われる一方的な決めつけと一部の政治団体の主張を代弁するご熱心さにはあきれるばかり。
昔から、朝日の社説は程度が低かったが、ここまででは無かったはずだ。
なんで、こんな独りよがりなポエムを社説として掲載するのだろう?天声人語ならいざ知らず。いや、コラムにだってこんなん書いたらあきれるけど。
この社説子が読者に感じてほしいことは、
「俺はウージェーヌ・イヨネスコの『禿(はげ)の女歌手』を知っている文化的な人間」
「安倍内閣の暴挙を不条理劇になぞらえる発想力。センスいいでしょ?」
「『カーテンコールの、喝采の代わりに。』どう?詩的でしょ?センス良いでしょ?」
こんなとこか?
センス無いよ。はっきり言って。
集団的自衛権に関する憲法の解釈変更について、ついでだから私見を述べておく。
とは言っても、今回の解釈変更についての賛成・反対のことではない。
デモクラシーの担い手たる健全なる社会人なら誰もが知っている「ルール」(社内規則や法律等、もろもろの)についてだ。
憲法は法律であり、法律はルールであり、ルールは守らなくてはならず、ということはルールは守れるものでなくてはならない。
現状を追認すればいいというものではないが、現状に即した適切な条文に随時メンテナンスしなくては、ルールはルールとして機能しなくなる。
守れる訳のないルールを頑迷に変更しないまま金科玉条のように奉っておくと、そのルールはやがて形骸化し、却って何の歯止めにもならなくなるものだ。
守れる訳のないルールの一字一句にこだわるのは、ルールの精神を尊重していない言葉遊びと同じことだ。
そしてその言葉遊びは、ルール自体をゆっくりと間接的に蝕んでいく。
たとえば創業者が決めたけれども時代や社会や新しい法律と整合性がとれなくなって、もはや誰も見向きしていない社内規則とか。
憲法9条は、法律の条文にすぎない。それによって守るべき価値は何か?日本国の平和と安全だろう。
しかし、かつてルールの一字一句を神聖視して、日本国の平和と安全などどうでもいいという人たちがいた。
彼らは「神聖なる憲法9条に奉仕する自分」にうっとりするばかりの、自分をえらく見せたいだけの偽善者たちだった。
言葉遊びを非難するならば、彼らこそが非難されるべきだろう。
彼らは、国際情勢に合わせて憲法の精神を尊重しつつ条文をすこしずつ変えるという民主国家に必要なプロセスをあれやこれやの感情的な屁理屈をもてあそんで邪魔してきたのだ。
そしてその結果として、今回の無理筋の解釈変更が必要になってしまったのだ。
つまり朝日新聞は「言葉遊び」によって憲法を形骸化させた張本人の側でもある。自分たちの言葉遊びの報いを別の言葉遊びで受け取ることになっただけのことだ。
いや、その報いを受けるのは国民全体なのだから憲法の精神を真の意味で尊重してきた人々には迷惑な話だ。
「主権者である私たちは声をあげ続ける。(中略)おかしい、認められないと」
こんなの今時は学生だって恥ずかしくってビラにも書かないような少女趣味のアジテーションだ。
これで横暴な権力に立ち向かう革命の闘士気取りならば、いい気なもんだぜ。としか言えない。
薄ら寒い自己陶酔はご自宅に配達される朝日新聞のチラシの裏でやったらどうか。
朝日新聞は700万部(主催者側発表)発行されているそうだから、この社説のおかげでざっと数万冊のノートを作れるパルプとそれに印刷するインクを無駄にしたことになる。地球温暖化の観点からも問題だ。
日本政治のセクハラ、子を持つ女性に世界最悪の賃金差別=男性のわずか39%、OECD30カ国平均の半分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140621-00036611/
統計数字だけ見ると絶望的な国に見えますね。私も絶望してます。
理想を言う割に何でこうなるのかをちっとも勉強しない人の多さに。
理想だけ言ってれば誰かが何とかしてくれるという姿勢が染み付いているのかもしれません。
お金に余裕がある大組織orお金の心配しなくていいお役所とお役所的な組織、
歴史的慣習的に女性労働者が主であったため産後育児と業務の両立に対応した業務形態をとっている産業企業、以外は
やはり労働法規での規制が多い http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/bukyoku/koyou.html 女性労働者の正規雇用を敬遠するでしょう。
ポジティブ・アクションだとか、安全圏からバカが何かわめいても前線の人たちは聞き流すだけです。
従業員の給与は販売費及び一般管理費で、多ければ多いほど企業の利益を圧迫する。
http://kabukiso.com/apply/zaimu/pl.html
何とかならないのか?と思う人が多いかと思いますが、私のようなアホでも思いつくくらい解決策は単純です。
でも、もしかしたら福島原発事故まわりを収束させる程度に面倒なので誰もやりたがらないだけです。
どうするか。それは、高度経済成長期~バブル期の方法を全否定すること。
しかし、そもそも日本の経済成長自体がアメリカに国防丸投げして予算を浮かせ、戦争特需で儲かったカネを経済振興に突っ込んだだけのごっつあんゴールです。
考えることから逃げるために働くのやめましょうよ
成熟期に入った日本国に適用して存続する方法であるわけがありませんね。
『高度経済成長期~バブル期の方法の全否定』とは?箇条書きにしたいと思います。
・・・ね、誰もやりたがりたがらないですね。
親元から遠く離れた土地に核家族世帯を作るライフスタイルは専業主婦と同様に戦後の一時期だけのものです。
地域密着人口 http://tmaita77.blogspot.jp/2011/08/blog-post_03.html
共働きと親世代との同居はセット http://allabout.co.jp/gm/gc/12462/4/
行政が何とかしろ ⇒ 実現するためのカネはどこにあるの? http://www.kh-web.org/fin/
また、勤続年数が永ければ無条件に昇給する年齢給の賃金システムを採用しているのは
日本くらいであるらしく、http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20090416-90006696-r25
実はこれが新卒フリーターや中高年無職、育児のために離職した女性の再就職を阻んでいます。
「○○歳なら、これぐらいの業務能力がなければならない」とリアルで言われたことがありますが、少し考えただけでもキチガイ沙汰ですね。
でも企業はお金儲けのために人を雇い、人を退職に追い込むわけで、制度を変えれば必ず被害を被って不平不満を言う人が出てきます。
勤続年数=年齢が高いほど高賃金のシステムで得をしてきた人々をどうやって説得するか。企業だけを悪者にすることは難しい。
定年までの生活を保障しないんなら、年齢給をやめれば良くね?という発想に至るのは自然であるわけですが、
そうするとおびただしい数の既得権益層=中高年世代が猛反発して口にしただけでもそのような政治団体は選挙で負けてしまうわけですね。
あと、公的年金制度。歴史を紐解けばわかりますが、本格的に整備されたのはGHQがやってきてから。
サラリーマンとお役人優先で、それ以外の人は後回しにされるという特徴が日本の社会保障制度にはあります。
厚生年金のモデル年金は、これまで、片働き世帯、すなわち夫は財政再計算の基準年当時の現役男子の平均的な標準報酬月額を得ている被用者であって、
厚生年金に標準的な期間加入しており、妻は厚生年金にまったく加入したことがないという夫婦世帯を標準的な世帯として、標準的な年金額を示してきている。
わけですが、共働きが増えて妻子持ちであろうが定年前に容赦なくリストラされる時代には全く合っていませんね。
徐々に変わりつつ有りますが、国民年金より生活保護のほうがお得というシステムを是正するには時間がかかります。
もう読む方もめんどくさいでしょうから結論を言うと、女性の雇用形態及び賃金の現況は単一でない、複数の要因による構造的なものなので
改善しようと思えばMacのPCを中身だけwindowsにしましょうというような事が求められているのですよ、ということです。
個人的にはバブル経済で良い思いをした世代が自力で投票に行けないくらい老いた時代にならないと変わらないのでは?と思っています。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9484.html
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2473.html
また女性に産まれたいと思っている
易きに流れるのも手かもしれませんね。
創価大とか朝鮮学校出身で「思想信条が違うから」ではなく、(思想信条の違いはそれだけでは問題にならない。単なる多様性)朝鮮の反日教育の影響や、創価の場合は、
【学会員以外の日本人を組織力で潰し押し下げながら社会の要所を全て学会員に入れ替えて最終的に日本国を支配する”(総体革命)】
・・・という革命思想を元に活動している団体なのだから、朝鮮の場合は喧嘩がこじれるくらいで済むかもしれないが、創価の場合は国民の命と国体にかかわる問題であるというあまりに明確な理由がある。しかし日本国民のほとんどがその事に気付いてさえいなかったし今も大して変わらないらしい。
創価が戦前の愛国者団体が戦後も同じ体制で存続できたと思うのだろうか?
そんなことはありえない、と思うのが自然だ。 遠隔操作の魔の手から逃れられる術はない。
学会員も、上記を認識して、その内在する魔に打ち勝つ方向で戦う姿勢を固めてくれたら、と願わずにはいられない。(一信者、宗教者として最高の行為ですね。)